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的共犯論の露

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(1)読. 共犯理論の研究・そ. 主槻 的共犯論の露. 説. 序. の一ーー. 結. 主観的共犯論の錨結. 齊. 藤. 金. 作. ては定読なく︑各人︑各説︑いまだ. ご昌五. い︑共犯を解して︑特定の犯罪が敷人によりて爲される場合なりとなす學説であり︑行爲共同説は︑主襯訟ともい. つて︑犯罪共同説︑行爲共同読︑共同意思主艦読としている︵四︶︒すなわち︑右の中︑犯罪共同説は︑客襯説ともい. を封立させて説くのが一般である︵⁝︒しかし︑私は︑從來︑この二分法を排して︑三分法を採用し︑共犯學説を分. 蹄一するところがない︒ただ︑學者は︑講學の便宜上︑客観的共犯論と主翻的共犯論又は犯罪共同説と行爲共同読と. を歎じて︑共犯の章は刑法中で﹃絶望の章﹄である︑とする︵こ︒共犯論にっ. 學者︑或いは︑共犯論の重要性を読いて︑刑法における三重黙の輔つなり︑とし︵一︶︑或いは︑共犯論の難解な呂. 剛. 主鶴的共犯論の蹄結. 主観的共犯論. 因果關係論. 序. 昌 幽 四 ヨ.

(2) 主翻的共犯論の麟結. コまハ. い︑共犯を解して︑敷人が共同の行爲によつてその犯罪を途行する場合なりとなす學説であり︑共同意思主禮読は︑. 共犯を解して︑特殊の肚會的心理現象たる共同意思主髄の活動なりとなす學読である︑と読いている︒本稿において. は︑右の三説の中︑行爲共同説︑す塚わち︑主翻的共犯論について︑若干の考察を試みるごどにしよう︒ ︵一︶牧野英一︑刑法に於ける重鮎の攣遷︵昭和四年︶六頁以下︒. 拙著︑刑法総論︑訂正版︵昭和二七年︶一九七頁以下︒. ︵三︶例えば︑牧野英一︑重訂日本刑法上巻︵昭和一二年︶四〇七頁以下︒. ︵二︶ 瀧川幸辰︑刑法の諸問題︵昭和二六年︶三二七頁︒. ︵四︶. 主観的共犯論の大成者は︑ブτリー︵舅く自閃宵陣︶である︵一︶︒彼は︑共犯論と因果關係論との關係につき︑一. 八七三年の﹃因果關係とその答責について︵d9霞Oき撃蜂鋒9含匿おβ<忠導薯窪日褥︶﹄の第一〇二頁で﹃因果關. 係の理論は︑共犯に封し決定的な意義を有する﹄としている︵三︒この命題を︑彼の好敵手であるビルクマイヤーも. 高く評贋し︑﹃私見に從えば︑ブーリτが我々の刑法について爲した多くの功績の中︑最も大なるものは︑多くの重. 要な刑法上の理論と因果概念との關連を明確ならしめ︑且つ非常に燗眼な理論的な推究により︑かかる理論の關連を. 豊富な方法で科學的ならしめたことである︒人或いは吾人と共に彼の因果論は悉く誤れるものなりとするも︑なお︑. 以上のごとき功績はブーリτをして永遠ならしむるものがあるであろう︒とくに︑ブτりーがその立場において爲し. たところのものは︑共犯論に役立つべきものであつて︑私見によれば︑まず彼の著作は解決を求めて蝟集せる︑かの. ー主麹論封客翻論のf封立の尖鏡化を初めて可能ならしめたものである︒共犯論の混蹴のうちに﹁私に席を與え. よ﹂の要請を充たし︑また︑かくして反封論を根抵より覆し得るの途を開いたのは︑實にブーリーであつたのであ.

(3) る﹄︵三︶と臨じている︒そこで︑以下においては︑まず︑因果關係論を︑次に︑主翻的共犯論を︑ブーリーの學説を. 中心として致究し︑終りに︑主翻的共犯論の婦結若干について論述することにしよう︒. ここで︑牧野博士が︑重訂日本刑法上巻︵昭和コ一年︶四コ一頁で﹃共犯論は因果關係論の一適用なり﹄とし︑宮本博士が. ︵こ匹昂唇畠9内霞墜び彰やoO・囚. 鋼法學粋︵昭和六年︶三九六頁で﹃共犯論は畢寛一般に因果關係の理論の一適用に外ならざるなり﹄とし︑また︑瀧川博士が︑. ︵ε. 園ぼぎβ①気①ポ勲鉾○︒ω︒刈昏彰員図9. 犯罪論序説︵昭和二二年︶五一頁で﹃刑法に影いて特に因果論を論ずることを不必要と考へる﹄とすることをも注意しよう︒ ︵三︶. 二因果關係論. ︵一︶因果關係についての學術的な研究は︑必ずしも古いものでない︒それは︑全く︑最近の成果である︑とされ. ている︵一︶︒すなわち︑古ドイツ法やローマ・カノン・イタリア法やには︑この問題は未知のものであり︑カロリナ つ 法やドイッ普通法やでは︑この問題は個々の場合において︑とくに︑殺人罪について考慮せられたにすぎず︑十九世. 紀のドイツ局部法でも︑また︑學説でも︑根本的な考究はなされなかつた︑とせられている︵5︒ところが︑ドイツ. においては︑十九世紀の後牛にいたつて︑因果關係につき實におびただしい論著が襲表されることになつた︵三︶︒そ. こで︑論者は︑これに悪評をあびせて︑因果關係の著作で圖書館が一ぱいになる︑とした︵四︶︒この汗牛充棟もただ. ならぬ著述について︑小異をすて︑大同に從つてこれを分類すれば︑大凡︑三種とすることができる︵五︶︒その輔. 二肺モ. は︑條件読︵目お9δ飢露8β象試o霞h¢の量ぎP頃9巨αQg紹亀おe5卜3一一才巴霞蓉︸あ○昌ρ類目島ぎ目里夢8こ①︶︵六︶で. 主灘的共犯論の露結.

(4) 主観的共犯論の蹄結. 一三八. あり︑その二は︑原因読︵ぎ毎三9豊路お巳Φ国聾墓毘愛答ぎ︵三の︶であり︑その三は相當因果關係説︵毎山ぎ彦欝騨. 竃①お ① さ の 霞 緯 お o 算 ︸ ω . 峯 O い. Q︷● ダ国む℃①どbo9ωo︸おmの霞鋒おo簿一目●一ロ慶︒一Q. 98H.劃豊9彰8国聾の巴墨げ箸ぎ9︑互である︵七︶︒ ︵一︶. ︵一一︶. 七部であつたQなお︑我國の丈献については︑勝本正晃︑債嫉総論︑上巻︵昭和一五年︶三四六頁以下参照︒. ︵三︶ 私が︑一九三六年にベルリン大學の刑法硯究所︵内誌ぎ冒巴竃霧oげ霧ヨ昌69︶で手にした因果關係の著作は︑實に︑コ一. ︵四︶ ガルソンの言葉として︑瀧川幸辰︑刑法講義︵昭和四年︶七〇頁︑同︑犯罪論序説︵昭和一三年︶五一頁の引用せるもの︒. ︵五︶ 拙著︑刑法総論︑訂正版︵昭和二七年︶九三頁以下︒なお︑目箏罐①さじ雪溶即諾巴ぴ謁吋謹一髭oa電母−葺こ漂証マ8一芦一露汐. 條件説についての詳細は︑後段参照︒. ψQooQ律参照︒ ︵六︶. 原因読並びに相當因果關係読については︑ 早稻田法學において︑別に獲表するであろう拙稿﹃客親的共犯論の構成﹄滲照︒. 右の中︑條件説は李等原因読ともいい︑一切の前行事實について︑後行事實に封する起因力を認めるもので. ︵七︶. ︵二︶. あつて︑ いやしくも︑甲なる事實なかりしならんには乙なる事實なかりしなるべしとの關係の存する限り︑つねに︑. その間に因果の關係あり︑ とするものである︒この説の創唱者は︑主灘的共犯論の大成者ブーリーである︑とされて. 反覆︑うむことなく︑條件説を提唱した︒とくに︑前述した一八七三年の﹃因果關係とその答責につい. <霞育①魯窪包山鄭雪蓉讐β畳讐農︶﹄︵5を護表してから︑一八九九年までに︑實に︑七十篇の輩行論丈を. いる︵一︶︒ 彼は︑一八六〇年に有名な﹃共犯論﹄くわしくは﹃共犯と犯罪庇護の理論︵N導目・魯3<9山臼頴ぎ魯営① 卸β島①冒. 襲表し︵三︶︑. て﹄と一八八五年の ﹃因果關係とその刑法上の諸關係︵ごδ因卑霧巴一籔酔巨山皆お9崔富魯豊9臼ヒd鼠魯彰騎§︶﹄と.

(5) は著名である︒そして︑彼が︑ドイッ帝國裁到所刑事部の有力な到事であつたため︑帝國裁到所刑事部が條件説を操 用した︑とせられている︵四︶︒. もつとも︑ブーリー以前にも︑條件説を説いたものがないわけではない︒ベルネル︑ヘルシュネル︑ケェストリン. のごとき︵五︶︑また︑グラゼルのごとき︵六︶をも敷えることができるσそして︑さらに︑イギリス人の︑・・ル︵むぎ. の宮跨酔匡εをも畢げることができる︵七︶︒ブーリー乃至︑・・ルのような自然主義的思惟方法は︑十九世紀の特徴だと. もいい得るのであつて︑右に述べたドイッ帝國裁到所におけるブーリi説の勝利は︑前世紀の思想との關連において. はじめて理解することができる︑とすべきであろう︵八︶︒ここに問題となるのは︑ブーリーと︑・・ルとの關係である. が︑ヒッペルは︑彼はミルに從つている︑とし︵九︶︑メッガーに從えば︑彼はミルについて何等の認識なく︑その理 論を構成した︑としている︵一〇︶︒. ︵一︶円鷲ぎ蕩亘u陣①昌器日駐ω魯①野畠g雪騎伽霞豊貰ロ鉾窪因聾m巴帥感馨富豊①肋宥q臼レ9ぴ艶◎霧<︒葺奉9①塁事. 拙課︑ブーリー主観的共犯論︑早稻田法學コ四巻コ冊︵昭和一一三年︶︑コ五巻三・四冊︵昭和二五年︶︑三へ巻四冊︵昭和ご. 鴨崖碑ちb98ω・Go↑. <・劇眉吋静劇色霞諏騎①N一罵目げoO該①島霧ω再簿呼oOげ宏q⇔画国q菖の菖帥置①ω①霞び悶島61一㏄08ψ劇刈O郎に︑その全目録が楊︸げら. 六年︶所載︒. ︵コ︶. ︵三︶. 砕一器・. 呂ψ自o︒齢の論丈をその最後のものとしている︒ ︸ゴ昌. ご晶九. れているQもつとも︑<・頃弓℃①どU①暮零げ窃ω霞即呼①︑げ計自4おこoρ幹屋O︾罠︼﹃︷は︑ 一八九九年のQo巳9一寵隻三レ隔蓬. ︿●閃霞甘膨①一霞置ρの.8曝. ︵四︶︿・国昼℃辞U①暮8冨ωのq舞 ︵五︶. 主観的共犯論の錨結.

(6) ノドヘ. ハ ハ ハ. ω. o騒く・山幽℃℃Φおご①9mo富m幹冨庸09卦自・¢ 一①㌣一〇G. 主翻的共犯論の露結 <.劇鷲︶¢①器9団. ︒・. 目ω﹂︒︒①卜訪冒↑. h笛α>⇒一ζ●熊︒. 一四〇. ブーリーの條件説は︑上段に記載した輔八七三年の﹃因果關係とその答責について﹄の巻頭に︑適切. 一八七〇年︑. 一頁以下︶︒人問の意思が因果關係の一構成部分として考察せ. を問うことを要しないと考える︑何故なら︑ことに意識的な意思と無意識的なそれを置き替えることも︑また︑この. のような意思が意識的ー故意的若しくは過失的ーー−なものか︑或いは責任能力のない人問のそれであるかは︑これ. られ得るのは︑わずかに︑その中に︑身騰の力を蓮動に置いた作因︵麸う影︶を認めた場合だけである︒しかし︑こ. の關係に立たしめる︵拙稿︑法廷雑誌︑. の致死量︵もし人がそれを度外硯するならば︶に封し︑はじめて生命力を與え︑各個々の力は凡ゆる爾鯨の力を因果. を分離させた場合でも︑現象自髄は崩壌し去つてしまうからである︒それ故︑各個々の力が︑爾鯨の凡ゆる個々の力. せられなければならない︑何故なら︑現象の存在は各個々の力に甚だ依存し︑もし因果關係からただ一つの個々の力. 察しなけれぼならない︒しかし︑右と全く同様に︑このような力の各個々のものもそれだけで現象の原因として考察. の力を順序に從つて確定しなければならない︒そうするならぼ︑このような力の全禮は︑現象の原因としてこれを考. る︒人︑もし︑或る具艦的現象の因果關係を把握しようとするならば︑現象の成立に封し何等かの作用を示した凡て. な叙述を見出すことができる︒ いわく︑因果關係という概念の下では︑或る現象の成立過程が理解せあれるものであ. ︵三︶ さて︑. 旨雷αq①目る.勲ρω●目o︒.. ︿︒臣 電 ① ど ﹈ ︾ ① 5 の 9 ① m ω 葭 母 8 9. 旨Φ濃gの葭鋒3︒90︒ 卜往●LOお矯ω︒⇔o. 霞目器鳴昌民磐m巴び①αQ巳拝ω●嵩や. δ九八七六 ) ) ) ) ). ハ.

(7) 逆もできるとしても︑事實の連鎖の中には礎更というものは起らないからである︒言うまでもな︐︑︑故意︵象ξヱ︶と. 過失︵︒巳讐︶とは︑そのような意思歌態で爲された行爲に依つて︑因果關係の中へ引渡されるのであるが︑因果關. 係の存在そのものはこの事では如何なる方法に依つても制約せられない︒臨責可能な意思と因果關係とは全く無關係. であり︑從つて︑人問が因果關係に封し法律上特別な意味があるかどうかの問題とも無關係である︑と︵一︶︒. そして︑バ喜ルが一八七一年︑﹃法律︑とくに刑法における因果關係の理論︵臣①冨導︒ぎ露○き覧鶏蟹薯語ヂ. 9罐︒巨園8葬ρぴ窃自塗困巴ヨの霞聾坤︒魯貫冨謡︶﹄において︑はじめて︑法律的意義における因果關係を︑自然的. 意義における因果關係に醤し︑法律目的を考慮して︑﹃生活法則﹄に一致しないところのものを分離するという方法. において︑制限し︵5︑﹃それなくんぼ︑法則に適つたものと考えられている人問生活の諸現象の経過を他のものと. するところの﹄條件を以つて原因なりとして︵三︶︑いわゆる原因説を主張したのに封し︑ブーリーは︑條件説の立場. からこれに非難をあびせた︒すなわち︑この條件と原因との差異は︑方法に依篠するのみならず︑目的︑検討︑從つ. て︑主翻的方法にも依存する︒そこで︑輩に客翻的な効果のみが問題となつている場合には︑條件は現象に封し全く. 影響を及ぼさないということ︑叉は︑條件の作用は原因の作用とは全く異つたものであるということが︑検討すべき. 客艦に慮じて︑謹明せられなければならない︒或る具艦的現象の成立を研究することが問題となる場合には︑どんな. 仕方で自然法則がその作用を示したかということが︑とくに重要である︒このような作用が人問の動作に依つて誘致. せられたことが到明した場合︑例えぱ︑堤防のくりぬいた部分から逆ひ出た水の破壊力のようなのがそれであるが︑. 一四一. このような場合には︑検討の方法如何に依つて︑水に原因の責が露せられることなく︑水はわずかに條件として考察. 主観的共犯論の賜結.

(8) 主親的共犯論の麟結. 噌四二. され︑その原因は人問の動作の中に見出されるということも可能となる︒ーこのようなことは︑箪なる言葉の遊戯. にしか過ぎないであろう︒むしろ︑或る現象の成立が︑異つた諸力の同一の作用に由來することが明瞭となつた場合. には︑ただ一個の力でさえ︑他の力と比較してみて︑條件にまで韓落するようなことはあり得ず︑むしろ︑力はすべ. て同等なものと見倣されなければならない︒その他︑なお︑人は︑飛行船が地上から昇つた場合に︑♂空氣も同時に起. 因の要素であると爲すことを得よう︑同様に︑暑い夏の日の行軍の際には︑凍しい秋の日におけるよりも甚だしい疲. 勢が生ずるという場合に︑このように疲勢が加わるということは︑暑氣に依つて共に起因したものとすることができ. よう︒このような條件と原因との匠別は︹でき得ないものであるから︺︑案の定︑バールの爾後の推論の際には︑利. 用せられていないのであつて︑むしろ︑推論の原理となつているのは次の命題である︒それは︑生活の法則に適合し. て行動した者は︑たとい彼が彼の行爲に依つて惹起した刑法上の結果を豫測していたにせよ︑それに封しては責を負. わない︑何故なら︑この場含には因果關係が存在しないからである︒しかし︑生活の法則に適合しない行爲を爲した. 者は︑彼が併護したところの法則に適合した中問原因︵勢募9①舅髪霧ぎ︶を豫測しなかつた場合にも︑因果の進行が. 法則に適合したものであつた限り︑惹起した結果に封し責任を負う︒これに反して︑因果の進行が法則に適合してい. ない場合には︑護生した結果に封する責任が基礎付けらるべしとする限り︑併護した法則に適合しない中間.原因は︑. 或る場合には因果關係を中断するから︑少くとも幾分かは豫測せられたことを要する︑ということである︒しかし︑. このような命題は︑これを是認することができない︑ー旨を︑ブーリーは︑鏡い論法で主張している︵四︶︒. ブーりーの條件説を︑彼の言葉で要約してみれば︑次のごとくである︒すなわち︑いかなる方法であろうとも共同.

(9) に作用した各々の有形的若しくは無形的な力は︑全結果を惹起する︒從つて︑意欲した結果に封するこのような力を. 譲渡した者は︑他の共同に作用した力が彼の意思と一致していたという前提の下に︑常該結果の全範園について責を. 負わなければならない︒何故なら︑軍なる事實の連鎖としての因果の経過は︑意思の状態に依存しているにすぎない. 結果に封する答責性と匿別さるべきものでないからであり︑軍なる共同作用の完一全な原因性は︑結果において合一さ. れた各共同作用の各々は翻封自的に完全に結果に封して意味を持たないと考えられるということ︑また︑しかし︑各. 共同作用が俳襲することのうちに︑各個々の共同作用の︑一切の爾鯨の共同作用に關する因果性の相互的な授與が存. 在する︑ということに基づいているからである︒各個々の力は︑一切の爾飴の力を因果的にし︑且つ︑爾飴の力をそ れ自艦の力として招き寄せる︵五︶︑ということになる︵六︶︒. ︒︒. ︵一︶<.困g芦d害霞Oきω巴一感世一Q︒謁︸のに︒. ︵き崔①お①♪の霞舞おo耳ω﹂一Q. ざ頃彗vUざ日魯お<○営○簿諾巴国顎帥9営魯げ聾槻ρ嵐譲︶@崔︒ここの言葉は︑しはしば︑學者に依つて引用せられるか. ら︑その完全な丈章を拐げることにしよう︒いわく﹃人悶は︑それなくんぼ法則に漉含したものと考えられている人聞生活の. ︵三︶. は︑このような把握は︑今日においても︑いわゆる絹當因果關係説の先駆として︑學誼史的に債値あるものだと読いている. 諸現象の糎過を他のものとするところの條件と考えられる限り︑法律的意義に診いては︑現象の原因である﹄と︒ヒッペル. <・︼岩詳勲勲9︸ψ恥舜. ︵類君毬どごo露訟9窃oQ霞鑑309︑員﹂砕一〇〇⑪貯p一亭㎝︶︒. ︵四︶. O︒一ゼ ︿︑﹈W一眞計吟Φ璋b麺び一影①︾一G O⑪ρG. ︒ 即ω・ダ ︵五︶<・劇霞二︾δ9墓接感甘一︒︒︒. ︵山ハ︶. 一四三. ヘ四︶ ブーリガ以外で︑條件説を探るものとしては︑まず︑リスト・シュミットの﹃ドイツ刑法教科書会・&き饗ご. 主観的共犯論の錨結.

(10) 主槻的共犯論の蹄結. 吋四四. 伽霧ご零客箒β馨影言鼠芭﹄を墾げることができよう︒すなわち︑その第一六一頁で﹃身艦の運動と結果との問の. 因果關係は︑結果が身艦の蓮動なしには生起しないであろう場合︑すなわち︑身艦の蓮動を取り除けては考え得られ. ず︑それなしには生起せる結果の獲生は存しなかつた場合︵8邑感oの甘①o葛ぎご︶に︑存在する﹄と説いている のである︒. また︑メツガーは﹃刑法・教科書︵oa6影守Φ畠世匿一・ぎぼぴ暮プ㊤︒.卜島・口㊤お︶﹄第一〇九頁において︑﹃結果に封す. る可罰性は︑結果が行爲者の有意行爲と因果關係に立つということを︑前提とする︒有意行爲が結果に封し因果的で. あるのは︑それを取り除けては考え得られず︑從つて︑それなしには︑結果もその具騰的形態を取らない場合に痴い. て︑然りとする﹄とし︑同書の第二一頁で﹃このような因果概念若しくは起因概念は︑關連概念︵劇鼠99鵬ぎ−. 尾蔦︶である︒言いかえれば︑それは︑關連︵閃ΦN一㊦どお︶を教うるものであり︑二つの事象︑すなわち・一方におい. るところの原因であるのである︵いわゆる等償説若しくは條件説︶﹄としている︒. ゆる條件は︑因果關係においてのみならず︑法律關係においても︑同債値であり︑各條件は︑結果の責任を基礎付け. 一二頁で﹃通読に從えば︑刑法において責任を基礎付けるところの原因は︑具艦的結果の各條件である︒結果のあら. 來事と精神的出來事との相關關係へも︑この因果の思想︵精神物理學的因果の思想︶は︑適用せられる﹄とし︑第帰. ということであり︑原因とはO・星三〇巴器ρ轟9βすなわち︑効果の﹁條件﹂であるということである︒身艦的出. 概念の教うるところは︑原因とは︑それを取り除けては考え得られないもの︑從つて︑それなしには効果も生じない. て﹁原因︵q舅霧ぎ︶﹂︑他方において﹁効果︵≦三e鑛︶﹂の間の關係︵N霧貧三臣島暫お︶を教うるものである︒因果. αQ.

(11) その他︑・條件読を探る者としては︑べーリング︵一︶︑エム・エ・マイヤー︵き︑ミュラー︵三︶︑フィンガー︵四︶︑. 呂ω鼠昌象8﹃o⇒ω再帥呼Φoげ葺=こ一8Qo︸0 99認一■. 一8♪ω﹄鮮. ︵一〇︶ 中内効鼠彰磐p臣①嘗一一︒ω・扇善一・窪O毎暑8巨①旨①島醇富︸臣<o⇒q霞砿段臥お魯毎雀巨Ωし︒鐸碑㏄い. ︵一 一︶守きド一︶毬の霞鉱鴨・︒①爵薯魯陥母山器量鼠の3①寄一︒7麟o目白窪5♪蜀卜島﹂⑩o︒ど資一昌鱒. ドイツ帝國裁到所の刑事部においては︑ブーリーの條件説を全的に探用し︑惹起ということと責任というこ. を働誘し︑. 主槻的共犯論の麟結. 一四五. ついに︑丁女が偽澄を行つたというにあつた︒闇題は︑共同に行動していない關與者三人の各自を教唆犯. の鋼決︵5のごときは︑ それである︒事案は︑甲︑乙及び丙が︑各異る時期において︑丁女に封し爲澄を爲すべき旨. ととを嚴重に匠別しながら︑結果の各條件をその原因としている︵一︶︒例えば︑一八八六年四月一六日の第二刑事部. ︵五︶. フカ. 零る酵暮賞臣①富ξ①ε⇒q霞区3舞憲︸<①暑議蓉丁暮堕お8旧く電胆①一︒冨豊①O餌毎琶ご廊幽霧富gm9窪壼9. 切急暮①葺9①冨蓋︒︸お注①丙讐ω昌感諾夢①&①一一巳一一舅①幹①一言お塁g菊の輩炉お巽. O①一︑運■9ご①暮ω9霧即①一〇富ω怠鋒お9μお旨﹀の︒鐸. 即竃①蒔①〆¢狸gげ身お山霧o o宥跳お魯鼻浮ゆ二︒﹂O讐博の﹄P. <・9詩gの霞鋒吋8言oo・卜g中お鉾ωー鱒翰■. 由纏①さ富﹃き霧ン山①ω留9の9臼ω宥簿呼8算コ︒﹂. 零貯墨豊gg①望q①葺ε養q霧囚艶邑讐器壼器讃げ導脇言砿霞箒噛鼠の9箋①︸誘誘鉾慧&昼一︒β碑8. レ︷●国累昌20︒吋饒鷺皆①帥器目①臨画①ωq①暮ω9臼ω畦曽守①9貫ド跨島あ.お︒ゆ. の●o︒①や. ルケル︵五︶︑ぺ蕃・メルケル︵六︶︑ゲルラント︵七︶︑ブルユンネック︵八︶︑ヲ互ドブルフ︵九︶︑カウフマン︵一〇X. ランク︵二︶等を教えることができよう︒ ぎぎ㌍¢毎猛N蒜①留ωω再簿呼①9霰G︒も. ハパハハハハパハハ 九八七六五四三コー ) ) ) ) ) ) ) ) ).

(12) 主翻的共犯論の一騰結. 一四六. として庭罰し得るかどうかという黙にあつた︒ドイッ帝國裁到所は︑﹃もし︑︹爲謹の︺被告人が︑はじめて︑三人の︑. ︹教唆の︺被告人の關與に依り︑爲謹を爲すの決意にまで到達し︑ーその一人が關與しなかつたなちば︑かかる決. 意にまで到達することがない場合には︑各被告人の動作は︑偽讃をなした被告人に封する動機旦つ規定原因である︒. 從つて︑被告人の各自は鋤誘という手段を用いることに依つて︑丁女に封し︑偽讃をなすの決意を惹起せしめ︑彼女. を︑故意に︑彼女から爲された可罰的行爲にまで規定したものである﹄︒すなわち︑丁女の決意に一原因を置いた各 人は︑丁女の決意を惹起せる者である︑とした︵三︶︒ ︵一︶由爵g身9・︸目①一庁魯霞ρω﹂o︒㎝c ︵コ︶ 菊︒<一H︸.鴎G ρ9国︒図一<・O悼●. 我國で︑條件説を探るものとしては︑草野教授を墾げることができる︒教授は﹃因果關係をば︑行爲と結果. ︵三︶古い判例については︑窪爵旨①鴇ぴB①一巨即び目ρの︐一〇︒窯・新しい判例については︑旨oお臼︸の鐸錬おo︸昼碑一影ゆを滲照︒. ︵六︶. との問に存する客観的關係であると解し︑之を蹄責の問題や違法の問題と匠別すべきものであると解するに於ては︑. 因果關係の問題は須らく條件説によつて理解すべきであらう﹄︵一︶とせられる︵5︒また︑牧野博士は︑﹃因果關係. は行爲と結果との關係上︑肚會が行爲に封して危険を感ずるか否に因りて之を定むべし﹄とし︑一種の條件読を主張 している︵三︶ ︒. 草野豹一郎︑刑法総則講義第一分冊︵昭和二六年︶六五頁︒もつとも︑教授は︑過失犯や結果的加重犯については︑相當因. 果關係説に豫るべき旨を明らかにせられる︒. ︵一︶. ・ての他︑條件説を探るは︑市川秀雄︑刑法學︵昭和二四年︶八三頁︑江家義男︑刑法︵総論︶︵昭和二七年︶ 一七二頁︑島. 田武夫︑日本刑法新論︵総論︶︵昭蒲三年︶一六〇頁︑安亭政吉︑改正刑法総論︵昭和三二年︶一七五頁︒. ︵コ︶.

(13) 牧野英一︑重訂日本刑法︑上掲︑二八三頁︑その二八四頁註二四において﹃此の意昧に於て︑予輩は條件説を採る者として. 目せらるべし﹄とする︒. ︵三︶. ︵七︶ 我國の判例は︑大正七年頃から條件説を採用することになつた︒すなわち︑大正七年十一月三十日第三刑事. 部到決︵一︶は﹃人の身艦を不法に侵害するの認識を以て爲したる意思活動に因り被害者を死に致したるときは︑傷害. 致死罪を構成するものにして︑此の意思活動が原因たるに於ては︑斯る認識なき犯人の畢動が之に附加結合して致死. の結果を生ずるに至りたる場合と錐︑該意思活動と致死の結果との間に因果關係の存在を認むるを得べきものなるが. 故に︑此の如き場合に於ては傷害致死罪の成立を認むべきは當然の論理なりと謂はざるべからず︒之を原到決の確定. したる事實に徴するに︑被告は被害者甲に封し暴行を加へて之を傷害し︑其の假死状態に陥るや之を死亡したるもの. と誤信し︑犯跡を掩ふ目的を以て同人を水中に投入したる爲︑同人は多量の水を吸入嚥下し終に完全に窒息死を趣ぐ. るに至りたるものにして︑印ち︑被告が被害者甲に封し暴行傷害を加へたる意思活動は︑甲は既に死亡したるものと. 誤信して水中に投入したる畢動の附加に因り相合して同人を死に致したるものなれば︑被告の行爲は包括的に軍一の. 傷害致死罪を構成するや明なりとす︒從て︑叙上暴行傷害の意思活動と水中に投入したる墾動とを分離し︑前者を刑. 法第二百四條に照して庭断し︑更に後者に付過失の有無を審査し過失致死罪の成否を問ふが如きは︑正當の解繹にあ. 崎四七. らず﹄とした︒同趣旨のものとして鋤大正十二年五月二十六日第三刑事部鋼決︵三︑昭和八年七月十一日第四刑事部. 判例集ご巻六號四六二頁︒. 判決録二四輯コ九巻一四六五頁︒. 到決︵5などを畢げることができ︐よう︒. ︵5. ︵一︶. 主観的共犯論の露績.

(14) へ一ら一︶. 主親的共犯論の蹄結 判例集コ一巻一五號コ一九六頁︒. 三主観的共犯論. 一四八. ︵一︶以上のごとく︑條件説は︑ブーリーに依つて創唱され︑しかも︑この原理の上に︑彼自身に依つて︑主観的. 共犯論は美事に完成された︒彼は︑上段において引用したように﹃因果關係の理論は︑共犯に封し決定的な意義を有 する﹄と噺定した上︑これに︑すぐ︑つづけて︑歌のごとく説いている︵一︶︒. 人は︑現在では︑いずれも︑或る結果が多くの作用から生じた場合に︑このような諸作用の間で︑主たる原因と從. たる原因︑本質的なものと非本質的なもの︑起因的なものと幕助的なものが︑その程度並びに範園に感じて識別され. 得るのではなく︑それらは︑むしろ︑それらが︑結果に封して客観的な重要性を持つかどうかという黙においては︑. 同格なのであるということを︑信じている︒ただ︑主たる行爲の方に︑特別の客観的な重さを置こうとするもののよ. うである︒しかも︑一般に︑この主たる行爲という概念が論議せられる場合に︑壬二の者は︑この概念の下に︑犯罪. 的動作が併襲するや否や未途を既途に引渡すべき使命が︑行動者に依つて與えられるような行爲を︑考えている︒ζ. れに反して︑他の者は︑主たる行爲としては︑このような効果を實際に具罐的に持つていたものだけを承認してい. る︒第一の場合には︑人は︑多数の客翻的に同贋値な作用の中の一方若しくは他方の軍なる意思によつて︑特別な客. 襯的な特徴が添加され得ると信じないわけにはいかないだろうし︑然りとすれば︑一つの犯罪は︑多くの主たる行爲. を含み得ることになつてしまうであろう︒孜は︑その三種のもののある場合である︑すなわち︑火が︑力添えがあれ.

(15) ば郎座に横がることを期待して黙火され︑ついで︑必要な通風を惹起するため扉が開かれ︑最後に︑さらに確實にす. るため︑焔が閃き出すまで燃料の中へ風が吹き逸ちれた場合である︒ー第二の場合は︑とにかく結果は主たる行爲. のみを包括し︑そして︑その主たる行爲は一切の爾鯨の結果を構成する行爲から匠別されることになるであろう︒し. かし︑それは箪なる形式にしかすぎない︒甲は︑火が力添えがありさえすれぱ直ちに燃え損がることを期待して燃料. に瓢火し︑ついで︑乙が甲とは濁立に燃料を吹き起すために扉を開け︑その時になつて︑やつと火が急に燃え出した. 場合︑甲でなく︑乙のみが︑主たる行爲を實行したことになるのであろうか︒しかし︑たしかに︑人は︑甲は乙より. も少ししか結果の惹起に關與しなかつた︑と主張しようとはしないであろう︒同様に︑未途が︑責任無能力者に依つ. て︑或いは自然の因果律に依つて︑既途に導かれたという場合に︑先に行われた犯罪的動作におけるよりも︑さらに. 意義深い作用をこの黙に認めることはできない︒ー主たる行爲が︑實際に︑客翻的に從たる行爲とは異る特徴を持. つているとすれば︑それが︑行爲者から︑そのようなものとして認められなかつた場合には︑意思と効果との問の解. き難き衝突が生じてくることになるであろう︒それは︑主たる行爲との特徴的な相違の故をもつて︑從たる行爲とし. て責に任じ得ないことになるであろう︒しかし︑そうだからといつて︑主たる行爲として責に任ずることもできな. い︑何故なら︑それは︑行爲者がそのようなものとして意欲したものではないからである︒最後に︑纏綾犯の場合に. は︑例えば︑遽法監禁における﹃不自由﹄のように︑一旦惹起された歌態を綾いて維持するような行爲は︑すべて︑. 從たる行爲として特徴づけられている︒ー主たる行爲に關する第三の考え方は︑それに依つて犯罪璽概念が完全に. 一四九. 明瞭となるであろうということである︒殺人なる犯罪にとつては︑例えば︑人を殺す行爲の實行だけが要件である︒. 主糊的共犯論の婦結.

(16) 主翻的共犯論の露結. 一五〇. それに封. 從つて︑被殺害者を抑留することではなく︑ただ︑彼に加えられた短創刺殺だけが︑主たる行爲と見られる6しか. し︑人が︑その際︑見逃しているのは︑抽象的な犯罪概念の救述が問題となるのではなく︑具艦的結果. しては︑被殺害者の抑留は︑短剣で刺し殺すことよりも少なからざる客観的意義を持つーの招來が問題となるとい. うことである︒そして︑死が︑犯罪的な力の添附に依つて初めて招來せられたとするならば︑上記の例において︑扉. を開けるというような行爲は從たる行爲として︑考察せられ得ることになるであろう︒私見に從えば︑主たる行爲. は︑ただ箪に主翻的な意味を持つにすぎない︒言いかえれば︑もし︑客襯的には同贋値な多くの素材から一つの総艦. を組成すべきであるとするならば︑最後の素材を附加した者は︑客翻的には︑丁度︑彼より前に︑すでに行われたも. のとして︑行動することになる︒たとい︑期待に反して︑目論んだ全騰が︑思い違いした最後の素材が添附されるご. とに依つて︑成立し得なくなつたとしても︑彼は︑行爲自艦の客麹的な重要性から濁立しているため止まることのな. い断乎たる意思を持つていたことになる︒先行の行爲と比較してみると︑各後行の行爲でさえ︑たとい︑そ範自艦︑ 後行の行爲へ反映するにしても︑主たる行爲と考えられる︒. すでに述べたように︑一切の共同作用は客観的に同贋値なものと考えられるべきだとの見解に從い︑以前の理論と. 折合うとするならば︑それの他のモメントーすなわち︑多くの作用は全艦の部分として互いに相並んでいるにすぎ. ず︑且つ主灘的に結合することなくして全騰は示されないというモメントーは︑未だ充分な吟味にさらされてい. ない︒このような見解を固持すればするほど︑若しくは︑結果は分割し得るものに非ず且つその故に各共同作用は全. 結果を翻封自的に確かに︵客翻的に︶惹起するものであるとの他の見解に改宗すればするほど︑人は︑共犯論におけ.

(17) る最も異つた結論に到達する〜とになる︒. 最後の読を︑私は︑正しいものと考えざるを得ない︒それに從えぱ︑行爲者が少しばかりの蓋然性をもつて自分の. 動作は結果に封して共同作用する原因となるだろうということを豫見したならば︑彼がとくに彼の意思に依つて拒超. したのでなければ︑結果が襲生した場合には︑意欲したものとして︑それに封し責を負わなければならない︒意欲し. た結果が現れない場合には︑自己の共同作用のうちに︑その結果の未途が存することになる︒獲生した結果に︑過失. の責を負わされるのは︑行動者が︑有責に︑自分の活動が結果に封して明らかに共同に作用していることを洞察し看. かつた場合である︒共同正犯者とは︑意欲した結果に翼し︑何等かの有形的若しくは無形的な共同作用を示したすべ. ての者である︒特殊な主襯的な結合が成立したことは︑その概念の下では必要でなく︑且つ成立した共同的實行なる. ものは︑齪封自的に︑いかなる法律的意味をも持たない︒共同正犯者から︑廣義の共同正犯者としての從犯者が匿別. さるべきであるとすれば︑この黙に關する特徴的なモメントは︑客翻性の中に存在し得るのではなく︑それは箪ド彼. 等の意思と狭義における共同正犯者のそれとの差異の中にあり得る︒しかし︑共犯に關する全成果と考えられるもの. は︑この読に從えば︑一般にそうであるように︑共犯の場合においても︑行爲乃至はその効果に依つて困果性だけが. 基礎づけられるということ︑並びに︑因果性に封する答責性は︑意思乃至はその異つた歌態に依つてのみ制限され得 るということである︒. これに反して︑同贋値な共同作用の各個々のものには.廓封自的に︑結果の一部が露属するということから出獲す. 一五⁝. るならば︑結果が甲と乙との作用に依り招來された場合には各人は牛分の結果しが惹起しなかつたことになる︒それ. 主親的共犯論の蹄結.

(18) 主観的共犯論の蹄結. 一五二. 故︑二人のうちのどちらも既途の故をもつて罰せられることはなくなる︑何故なら︑翫途に封する最小の刑罰でさ. え︑全結果の惹起を前提とするから︒それ故︑問題となるのは︑いかなる方法によれば乙の所爲關與が甲の計算へ︑. 甲の所爲關與が乙の計算へ置かれ得るかという馳である︒ー相異つた作用が︑同時に若しくは相ついで︑それらに. 依り招來された結果に封し︑示されたかどうかということは︑この黙には︑無關係なものと考えねばならない︒相異. つた作用の時︑所︑順序も同様である︒各個々の作用は︑輩に結果の一部を惹起したにすぎないのではなくして︑全. 結果を惹起したのであるとの結論へ至り得るモメントは︑客翻的な現象の種類方法からは一般に浮き出して來ない︒. 共同的實行は︑その客麟的意味に從えば︑その故に︑多数の所爲關與が結合したものに封しては全く影響を及ぼさな. い︒〜しかし︑あらかじめ成立した協定からも︑或いは意圖の︑そうすることによつて生じた相互に意識した共通. 性ーー陰謀ーからも︑このような︑それ自禮猫立した所爲關與を一つにするモメントは抽象され得ない︒何故な. ら︑輩なる協定は︑刑法には︑影響のない契約要素をしか含んでいないからである︒そして︑甲が︑偶然に︑乙がど. んな風に行爲するだろうかを知つており︑乙も︑甲がどう行爲するだろうかを知つ七いたが︑爾者共︑このように知. っていることが相互に意識したものであることについて認識を持たなかつたとしたら︑ついで︑爾者が活動を始めた. 場合には︑結果はあたがも前もつて協定がなされたのと全く同じように現れて來るー!しかし︑甲は乙の動作を︑乙. は甲の動作を豫見していたという事實でもつて満足しようとするならば︑自明のことながら︑輩なる豫見は他人の所. 爲關與を惹起しないから︑異つた見解︑すなわち︑各作用は全腱を惹起し︑且つ他の共同作用の豫見は︑全膣の惹起. に封してではなく︑惹起した全艦の責任への露属に封して意味を持つという見解に到達する︒.

(19) 相異つた凋立の所爲關與を結合させる手段としては︑−從つて︑ただ︑教唆のみが考えられる︒しかし︑教唆でさ. え︑そのうちに被教唆者を實際に規定することが認められるという前提の下においてのみ然りとせられるのであフ. て︑人が︑それを輩に結果に勤する共同作用と見る場合にはそうでない︒とにかく︑第一の場合に明らかになること. は︑甲が乙に︑彼の所爲關與を教唆した場合には︑彼は軍に彼自身の所爲關與のみならず︑乙のそれに嵩しても︑同. 様に︑彼により惹起せられたものとしてー從つて︑全艦として責を負わなければならないということである︒ー. 無形的幕助は︑それに反して︑結合させるモメントとは見られない︑何故なら︑それは︑完全なものとしてではなく︑. 共同作用と考えられ惹にすぎないからである︒從つて︑甲が︑すでに存在している乙の決意を張めたにすぎないとき. は︑このよづな無形的影響には︑乙の所爲關與の一部のみが︑彼により惹起されたものとして割當てらるべきもので︑. 甲は︑自分自身の所爲關與と並んで︑乙の所爲關與の一部のみi從つて︑全膣ではなくーの責を負わねばならな. かつたのである︒しかし︑彼の無形的舗助の結果︑乙の所爲關與が全範園にわたつて甲に及んだ場合を假定しさえす. れば︑このような概念が教唆の概念とそれとの︵客翻的な︶相違の中で全く止揚され得ない場合には︑甲の彼に封す. る軍なる舗助的動作は︑乙の所爲關與の責任のみをも︑輩なる從犯へと編せしめることができようし︑そうすれば︑. 彼は︑從つて︑彼自身の豫測においては起因者︑乙の所爲關與の蘇測においては從犯者であることになろう︒そのこ とは︑再び︑充分な完全さに戻りはしないであろう︒. ところで︑一膿︑いかにして︑甲の所爲關與は︑乙の計算に加わるのであろうが︒もちろん︑教唆に依つてではな. 一五三. 恥︒河故なら︑甲が乙を教唆したときには︑彼はすでに固い決意を抱いており︑從つて.自分自身もはや決定され得. 主櫻的共 犯 論 の 一 蹄 結.

(20) 主観的共犯論の蹄結. 一五四. なかつたからである︒相互的教唆なるものはあり得ない︒この黙では︑乙は甲に同意を與えることに依つで︑︑瞬への. 無形的な逆作用につき責任を負い︑從つて︑甲の責任並びにそれから生じた甲の所爲關與は彼に及ぶ︑ということが. 言われている︒しかし︑このような逆作用のみが︑せいぜい無形的幕助たり得るにすぎない︒そして︑甲も︑また︑. このような逆作用はこれを受取り得ない︒甲はもとより︑實際に同意を與えることが甲へ強化的な影響を與えること. はもはや不可能であるという確實性でもつて︑同意を豫期することができる︒ー共同正犯は︑一般に︑問題になり. 得ない︒何故なら︑多数のうちのただ一人が︑すべての爾蝕の者の教唆に依つてその所爲關與を一身に負い︑自分自. 身の所爲關與は︑爾鹸の者の責任にせられ得なかつた場合︑爾鯨の者は︑彼等の個々の所爲關與を惹起し得るにすぎ. ず︑全艦は惹起し得なかつたということになるがためである︒彼等は︑その上︑全膣を一度も意欲したことはなかつ. た︑というのは︑全騰を意欲することには︑一切の所爲關與を惹起する意欲が本來必要だからである︑ところが︑自. 明のことではあるが︑彼等は︑自分達には教唆者の所爲關與を引受ける必要がないというζとを意識していたのであ. る︒彼等は︑また︑すでに教唆せられていたのであるから︑自分達は一度も自分自身の所爲關與を相互に教唆に依つ. て惹起することはできなかつたということを意識していた︑何故なら︑二重の教唆は不可能なことだからである︒こ. の故に︑彼等は︑残らず︑その﹃一人の﹄從犯者としてのみ考察され︑從つて︑正犯と從犯との匠別は︑正犯者は全. 結果を意欲し旦り惹起し︑從犯者はただ自分の所爲關與を意欲し旦つ惹起するにすぎないという馳に求めるべき嘱︑あ る︒. ︵一︶<︒頃竃舘O⑦ご霞O讐m巴姦計ω﹂︒b︒津.

(21) ︵二︶. 學者も指摘するように︵一︶︑主襯的共犯論封客観的共犯論の箏の中心黙は︑現今では.問接正犯と敦唆犯と. の匠別如何であるが.かつては︑共同正犯と從犯との囁別を如何に劃するかというソ ︑とであつた︒ブーヴーの所論に. おいても︑やはり︑重馳がここに置かれていたのである︒彼の一八六〇年の﹃共犯論﹄のごときも︑その章別は︑第. 一章正犯︑第二章從犯︑第三章犯罪庇護となつていて︑教唆犯という題目は外見上これを見出し得ない︒一讃して︑. わずかに第一章第二節無形的正犯が︑教唆犯を論じていることを合黙し得られるにすぎない︵3︒彼は︑右の﹃共犯. 論﹄で︑正犯ど從犯との匿別に關する主翻的立場の正當性は︑ケェストリン︑ベルネル︑ヘルシュネル諸家の論策で. 概ね説きつくされているとしながらも︑これ等に封し︑若干の補正をしなければならないとし︑その主齪的立場を徹 底的に推し進めて︑家のごとく説いている︵⁝︒. 問題となるのは︑何を︑正犯者的意圖並に從犯者的意圖の下に理解すべきやである︒犯罪的結果を志して行動せし. すべての者の意思が・その結果の成立ということに向けられていることはけだし確實である︒しかのみならず︑︑彼等. の形式的意圖は印封自的に同様の濁自性を有するので︑從つて︑また︑一人の意思は主たる行爲に︑他の者の意思は. 輕微なる動作の途行に指し向けられるというがごときことに依つては︑彼等の形式的意圖についての本質的な差異は. ひき出され得るものでない︑何故なら︑いやしくも同様に企圖せられた結果のためにする以上︑その動作の輕重のご. ときを以てしては・ただ個々の共犯者問に相封的な匠別を立て得るに過ぎぬものなることは既に立護せられているか. らである︒しかも・もし・論者が︑その基礎付けに嘗り︑實質的意岡・目的から出護するならば︑直ちに︑如上の形. 式的意圖の旺別に到達するのである︒犯罪の著手ということは︑當該犯罪の概念の限界以外に存する目的ボ同時に達 一五︑五. 主灘的共犯論の蹄結.

(22) 主観的共犯論の麟結. 一五六. 成せらるべきこと︑とい5こと無くしては︑と5そい考え得られない︑しかのみならず︑犯罪的動作は︑右目的へ. の努力として︑右目的達成のためにする手段として考えられるのである︒いま︑もし︑一人の犯罪者が犯罪において. 自己の目的をその動作に依り追及し︑これに反して︑他の共犯者は︑その目的を前者が彼の目的を達成するという鰍. に求むるに過ぎずとすれば︑後者はその目的を前者の目的に從属せしむるものであり︑これに依つてその意思は實質. 的意圖という鮎に關しては非濁自的なものとなる︑そして︑必然に︑かかる非濁自性という特質は︑この非濁自的意. 思の結果としての當該犯罪的動作に極印を打つのみならず︑さらに︑その非濁自的犯罪動作に依つて達成せらるべき. 形式的意圖にもまた極印を打つのである︒かくして︑この非濁自性は︑たとい彼の犯罪的動作がその客翻的歌態にお. いて正犯者のそれと異ならざるにせよ︑犯罪に封する輩なる從犯者に過ぎざるものとして︑かかる共犯者を絶封に輕. 減して慮漸するという結果を生ぜしめるのである︒意思が濁自的なものとして現われるか非濁自的なものとして現わ. れるかは︑形式的意圖が實現せられた場合にも︑意思が實質的意圖の達成に依つてそれの完全な満足を獲た場合に. も︑未だ確定しないのであつて︑むしろ︑彼が或る何等かの侵害を外界において招來した場合に︑はじめて︑この尉. に關する確實性というものは成り立つのである︒何故なら︑犯罪的動作が軍に他人の目的若しくは自己の︵直接の若. しくは未必の︶目的のために實現せらるべきか否かについては︑既に事前に自己の意見は決定しておらなけれぼなら. ぬからである︒從つて︑例えば︑彼の母親の利盆のため新たに生れた彼女の私生見を殺害するについて援助を與えた. 者の意岡は︑如何なる結果に彼の勤作が係わるかはこれを問わず︑それは從犯者的なものである︒これに反して︑竜. し彼が嬰晃の除去ということに依つてその後に彼の椎利となるところの母親に鋤する彼の相績灌を確保しようと欲し.

(23) たとするならば.正犯者的なζのである︑何故なら︑かかる場合には︑彼は︑彼の動作に封して猫目的な贋魑を置い. たのであつて︑この動作で以つて自己の猫自的な目的の達成を意圖したのであるから︑右動作は輩に正犯者の目的に. 封する手段として考察せられ得ないものであり︑そして︑その故に︑該動作も形式的意圖も共に非濁自葡なものとし て考察することを得ないのである︒. 以上のごとく︑正犯者は︑その犯罪的結果に向つて自己の目的のために︑自己の利盆において行動し︑これに反し. て︑從犯者は︑まさに︑他人の且的のために︑他人の利盆において役立つものである︑とすることについては︑何等. の修正も必要でないであろうか︵四︶︒ブーリーは︑これに封し︑次のごとく論じている︒. 從來︑或る共犯者は犯罪において彼の動作に依り自己の直接目的を達成しようとするものであり︑これに封して︑. 他の者はその犯罪的動作の問接目的を前者が目的を達成するということの中に見出すに過ぎないものである︑という. ことが前提を爲していたうである︒しかし︑爾共犯者が彼等の犯罪的動作で以つて當該犯罪に關與せざる第三者の. ︵存在するものとして豫定されている︶目的を促進しようと欲することもまたあり得るのである︒もちろん︑この場. 合︑少くとも或る共犯者の意思は主たる行爲の實行に指し向けられねばならないのであり︑そして︑犯罪的動作の分. 野においては︑他人の如何なる意思も彼の意思に超越的なものはこれを認めず︑むしろ︑彼の意思は統括的なものと. するのであつて︑それ故︑その非濁自的な實質的意圃にもかかわらず.形式的意圖の黙に關しては︑完全に濁自的な. ものとして考察せられねばならないのであるから︑正犯者と認められるのである︒右と異り︑その意思を主たる行爲. 一五七. の實行に指し向けなかつた他の共犯者は從犯者である︑何故なら︑前者の犯罪的動作に從鵬することに依つて︑實質︑. 主伽隅的北ハ犯亦調の蹄綜.

(24) 主翻的共犯論の蹄結. 一五八. 的意圖の非濁自性により制約せられた形式的意圏の非猫自性が認められると考えられるからである︒爾共犯者が︑彼. 等の犯罪的動作に依り︑主たる行爲を實現せんとする意圃を有したりとせば.彼等の實質的意圖並びに形式的意圏. は︑全く同一のものとして考察せらるべく︑從つて︑他の者の形式的意圖に或る者のそれが從属するということは存. 在せざるが故に︑共に正犯者となるのである︒この場合︑それ故︑從犯者的意圖はこれを主たる行爲の加功へと指し. 向ける事は許されない︑そして︑爾共犯者が關與せざる第三者のために窃取すべき金銭のトランクを共同に蓮び去つ たとするならば︑彼等は共に正犯者として考察せられなけれぼならない︒. 如上の論述に從えば︑犯罪的動作を以つて自己の濁自的な目的ll利盆−ー−を達成しようとするか若しくは常該犯. 罪の主たる行爲を他人の利盆のために途行しようとする者が︑正犯者的意圖を有するものであり︑これに反して︑自. 己の濁自的な目的ー利盆ーを有せずに彼の犯罪的動作をもつぱら他人の目的達成のための手段とし〜彼の動作で. 以つて當該犯罪の主たる行爲を實行しようとは欲しない者が從犯者的意圖を持つのである︒ ︵一︶冒①凝①♪ピ・3葺①ノく罐︒9曾ω再聾①︒暮豊謁目鉾芦一翫ρψb︒⑩・. <﹂冒菖鉾勲O●鳩ψQo炉. <︒頃鋳臣ヤ目①一β鈴﹈B①植oD︒劇騰●. ︵コ︶ 當時の丈献では︑教唆犯も︑教唆も︑卜島昏言おの一語を以てするのが一般のようである︒ ︵四︶. ︵三︶. ︵三︶ブーリー以外で︑主翻的共犯論を探るものは︑ドイツにおける有力な學者中にこれを見出し得ないようであ. る︒メッガ喜に從えぱ︵一︶︑主齪的共犯論を主張する者は︑ブーリーだけである︒これに反して︑客謝的共犯論を信. 奉する者については︑これを二分し︑第一は︑形式的・客襯的共犯論︵崖巨亀−魯覧aく①醤8箒︶を採る者であり︑.

(25) これには︑べーリング︵ヨ︑エム・エ・マイヤー盆︶ヤリスト・シユミット︵四︶︑アルフエルト︵五︶︑ヒッペル︵六︶を. 敷え︑第二は︑實質的・客翻的共犯論︵ピ暮①は亀ゑ爵鑑お臼冨9芭を主張する者であつて︑これには湘ビルクマイヤ. マ︵七︶︑フランク︵八︶︑ザウアー︵九︶等を塞げている︒なお︑メツガτ自身は︑原則として︑形式約・牢麹的共犯論を. 霧︒Ω霞緯お昌寅G︒蚕瞬往︒﹂器ρψ轟. 探り︑補足的に︑實質的.客翻的共犯論を採用している︵一〇︶︒從つて︑上述した條件説の主張者が︑必ずしも︑主 齪的共犯論者でないことを注意しなければならない︒ 濠O律. ︵一一︶望浮聖臣①■①日①<︒ヨく霞ぼ①3①pお︒9碑① ︒紹薯臼益N凝︒. ︵一︶竃①お8ω霞即時①︒亘ω. び訪緊あOン目藁計ピ魯きq魯師窃ご①9零げ窪幹惹穿09宏︾鱒O.ト一曲;一論鱒ω︑GゆbO鱒. ︵三︶罫蝉ピ昌gご霞鉱︸閃①き①討①頴出自霧諸暮の9臼の霞讐お︒騨幹鱒卜昆4一露q ︒泌﹂寅. ︵五︶自麓9琶善弱魯伽霧号暴9①昌ω段静①9宏M︒︒●雪帥巨酔蜜︒︸旨薦お撰ψ鱒5. ︵四︶. ︵山ハ︶ <︐鼠閣陣℃℃①ポ︼︾①一詳ωOけ①ω0 ●O︾ω.瞬㎝僻 Ω叶犀簿賄弓①Oゴ計H目4一⑩Q. ゆ甘犀旨①気①ぴく霞覧①ざげ9る①ご騨議ぎ蔓嵩茜幽盤創o露諾9お⇒蝿昌q第お一普益粧息お昌隙霞跳お9︸駐鳩目貿るOQQ︶¢bD幹. ︵八︶淳導Fo諺の霞鋒駒霧①gぎ9賞属幽撃盆暮馨富寄叢一﹂白旨菖窪影さ蜀身轟﹂器一諭囑HH﹄●中. ︵七︶. ドイッ帝國裁到所は︑その因果論である條件説の蹄結としての主翻的共犯論を︑一八八輔年一月七日の第一. ︵一〇︶冒①謁9ωq黛︒守①︒9砕瞳恥●. ︵九︶ω豊gΩ昌呂屠魯量響母①身ω﹂霞あ麻鐸 ︵四︶. 刑事部の到決において︵一︶︑最も明瞭な形で表出しているとせられている︵5︒すなわち︑その第一入二頁で次のご. とく説いている︒いわく﹃刑法典第四七條に從えば︑或る可罰的行爲の共同的實行は︑共同者の各人に封し︑正簸者. 一五九. の刑罰を制約するものである︒各個の共同作用は︑帝國裁判所が麗に一八八O年五月二一日の到決において.甲に巽. 主親的共犯論の齢維.

(26) 主潮的共犯論の帰結. 一六〇. し探用したごと・\共同的實行たるに︑客齪的に︑充分である︑もし︑しからずとすれば︑この際︑問題を決定する. ものは︑外部的動作の量の大少ということになるのである︒從つて︑その外部的状態よりすれば︑從犯者の共同作用. も共同的實行への共同作用たり得るのである︒そして︑いま︑もし︑他の正犯者を側面に持たぬところの正犯者と從. 犯者とが︑所爲を共同に實行したと假定するならぼ︑彼等と共同正犯者との間には差異が存しないことになろう︒す. なわち︑從犯者は︑常に︑共同正犯者となるであろう︑如上の差異が︑共同的に爲された動作の客翻的な歌態から導. かれねばならぬとする限り︒從つて︑從犯と共同正犯との差異は︑ただ︑主翻的に從犯者と共同正犯者との意思の差. 異に依つて︑基礎づけられ得るのである︒しかも︑理由書は︑このような方針に從つて︑記述せられているのであ. る︑すなわち︑從犯者の協力というものの特徴は︑彼が所爲そのものを彼が幣助するところの第三者の所爲として行. う馳にあるのである︑これに反し︑共同正犯者の協力は︑該所爲を彼自身のもの︑若しくは︑彼の同類のものとして. 我國において︑主観的共犯論を探るものは︑牧野博士である︒﹃犯罪を以て悪性の表現なりと解するときは︑. 古い判例については︑頭葺彦碧冑ψ評算9鳩りお刈需新しい判例については︑髭雷鴨きの簿緯器9計ψ奪鷺・参照︒. ︒コ● 空一 一肉き身①5弓①帥ぎ昌gρの.一〇. 国●H目H一〇〇一・. 援助し︑ そして︑既途に導こうとする意圖に出でるものである﹄と︵三︶︒ ︵一︶. ︵二︶ ︵三︶ へ五︶. 敷人が一個の犯罪を共同にす老謂ふことは意味を爲さず︒犯罪を主齪的に理解せむとするときは︑共犯とは︑敷人が. 共同の行爲に因りて其の犯罪を途行するものと解するを安當とすべし﹄とする︵一︶︒また︑宮本搏士は﹃共犯も軍濁 犯も共に其犯墾構成の理論に於て異る所なし﹄と主張する︵ξ︒.

(27) ︵一︶牧野英 一 ︑ 重 訂 日 本 刑 法 ︑ 上 掲 ・ 四 〇 九 頁 ︒ ︵二︶宮本英脩︑刑法學粋︑上掲︑三九二頁︒. なお︑我國の判例は︑ドイツのそれと異つていわゆる共同意思主健説に立ち︑主観的共犯論を探つていないという のが現歌である︵一︶︒ ︵一︶ 拙稿︑共犯剣例と共同意思主禮論︵昭和二六年︶法學新報五八巻一︐ご號四九頁以下滲照︒. 四 主観的共犯論の蹄結. ︵一︶ブーリーの條件説を︑メツガーに從つて要約すれば.−ー人は︑結果に封する本質的な條件と非本質的な條. 件とを旺別ずることは︑許されない︑結果に協力するところのあらゆる力は︑結果に封し全く同一である︑如何なる. 力も同一であつて︑ただ一つの力も︑また︑如何なる力も︑これを等閑に付し得ない︑−ーとすることができよう. ︵一︶︒從つて︑條件説の基盤の上に構成された純主観的な共犯論の構成が導かねばならぬ露結を︑ビルクマイヤーに. 擦つて推度すれば︵き︑﹃客翻的共犯論が招來するごとき正犯者と共犯者との睡別︑及び共犯者の各種類をば抹殺し︑. 抑塵することに存する︒客翻論は︑一方において有形的な協力性と無形的なそれを︑また︑他方において從鵬的條件. と優勢的條件の定立とを匠別しつつ︑とくに︑正犯者と共犯者とを封照せしめ︑さらに︑共犯者について︑共同正犯. 者︑教唆者︑有形的並びに無形的從犯者を旺別する︒主齪論は︑すべての條件を同贋と看︑條件と原因とを同一硯. 一六一. し︑さらに︑形式的意圖に關しては正犯者と共犯者との旺別を認めざ昏が故に︑正犯者︑共同正犯者︑教唆者︑有形. 主観的共犯論の一 蹄結.

(28) 主観的共犯論の欝結. コハニ. 的並び無形的從犯者の囎︑何等葎圭思義ある.賜寛出芝と奪叢く馨・主禦畑笛殺彼簿すべ. て同檬な方法によつて︑その全部の犯罪彙を惹起し︑また︑すべて同燧︑その犯罪結果を意欲する・裏わち・. 主繋緩れば︑彼等はまず葎的髪箏れば︑すべて同檬に︑故意的犯薯であるずし馨の間に何等かの差. 異があるとすれば︑差し當り︑ただ事實上宏の雰つて︑法律上はどちらになつても斐奏﹄憂髪る・そし. て︑その結果は︑共犯の麓性の否震ど︑讐の羅鑑くこた馨.すなわち8ルクマイヤ乏依港︵三︶・. 爾餓の鷺として︑︵イ︶通謀議念は無意味きと・︵・︶饗の共犯を日蓼るミ︵ハ︶共犯行爲を犯罪. の未姿して型儘罰すること︑︵︑一︶刑罰.責任の阻却原因暑耀蒼限定さ慧こと・︵ホ︶莚鷹の暮 どが︑籔えられることになる︒. の時.場所は︑法律上︑行薯の行爲俵つて奮重と︑︵へ︶競合論乃至人的關係へ特殊の影饗暴ぼ芝巻. 以下︑本稿では︑主翻的共犯論の羅として︑共犯の麓性の否定︑過失の共犯の是認叢呈げて論ずるこた しようQ. みヨぞ. るるロぞのり. ヰ. ︵5虫蒔菖εβ頴旨善目ρω●索. ︵︸︶磨嫡αqβの碁倖①gけ鳩G︒﹄昆も︒一曼︒. ハき. ︵二︶まずv主翻的共犯論の羅として︑共犯の麓性の否震うξ謬なけれ婆奏・ブリみ主. 欝共犯論を推度す港︑正犯者︑共同正犯者︑教唆者︑從犯者︑よう考盗別茎く無意味叢り疾震意. 義ある騎としては︑髪︑實質的犯音餐的︑利盆︺の走蕊寛出芝とがぎるにす妻2と髪る・そ.

(29) して︑この場合︑正犯者︑共同正犯者︑教唆者は︑自己の濁自的な目的ーー利盆ーにおいて行動し︑從犯者は︑自. 己の濁自的な目的−利盆1において行動せず︑他人の利盆において行動することになり︑正犯と從犯という匠別. だけになつてしまうことになる︒彼自身も︑﹃軍なる共同作用に完全な起因性ありとなす原理が用いられ︑そしてこの. 場合に︑正犯と從犯との全く明瞭な匠別が主翻的立場から提示せられるとするならば︑人は現在︑共犯論の中にわだ. かまつているところの困難と混蹴から冤れるということ︑並びに問接正犯︑直接正犯︑共同正犯︑教唆犯並びに無形. 的正犯というような特殊責任形態は無用なものとして撤去せられることが︑認められるであろう﹄︵一︶としている︒. 一艦︑どのよう. しかし︑このように︑正犯と從犯との︑匠別を認めるからといつて︑直ちに︑從犯の從属性を認めるものではない︒. 彼の言葉に聞いてみよう︒いわく︑﹃正犯者自身が可罰的行爲を行うという事構が︑從犯者に巽し︑. な影響を持つであろうか︑たとい︑從犯の未途の可罰性のために︑從犯者的動作が正犯者的動作と結合するというこ. とが必要でないとしたところで︑彼の意思は︑これがため︑より善くもより悪くもならないし︑また︑彼に依つて表. 出せられた動作も何等攣りはない︒論者にして︑もし︑從犯者も正犯者と全く等しく犯罪的結果を惹起せしめようと. 欲すること︑及び︑彼からこのために表出せられた動作は︑少くとも正犯者のそれと相封的に同じ重要さのものであ. ることを︑考慮するならば︑從犯者の行爲は印封自的に非可罰的なものであり︑ただ正犯者の動作を顧慮してのみ可. 罰的であると説明することは︑これを全的に差控えなければならないであろう﹄︵二︶と︒. しからば︑教唆犯の從属性は如何に解すべきであろうか︒學者も指摘するごとく︵三︶︑﹃もし各共犯者が犯罪的結果. 一山ハ三. に封して如何なる種類の共同動作によろうと︑とにかく︑その結果の全髄を惹起するものとすれば︑そして︑同時 ・主凱的土ハ犯払瀬の一蹄・結.

(30) 主凝的共犯論の蹄結. 一六四. に︑また︑もし各自が彼の行爲に依つてその結果を惹起しようと欲するとすれぼ︑すなわち︑庭罰に必要なすべての. 要件は︑すでに彼自身の所爲において備わり︑從つて︑彼はこれに依つて濁立にその結果に封して庭罰せられること. になるのであつて︑彼の可罰性は︑とくに他の協力者の所爲より引き出され︑そして︑これに準じて量定せられるの. ではない﹄︒この事は︑教唆犯については︑當初から明瞭であり︑且つ前掲のブーリーの言説において︑すでに︑充. 分に言い表わされているのである︒いな︑それどころではない︒或る論文では︑教唆犯という概念は︑これを批棄す. べく︑ただ︑共同正犯︵竃一呂忌ΦびΦ浸9聾︶なる概念を固執すべき旨を主張する箇所さえあるのである︵四︶︒. 問題となるのは︑共同正犯の從属性である︒我國では︑學者によつては︑共同正犯の從属性というがごとき概念. は︑珍らしいのみならず︑概念的混隊の産物というべき.である︵五︶︑とまでせられ︑共同正犯の從属性と㍗うことに. ついては︑フランス.やドイッやの文献には見るところがない︵六︶︑とも断ぜられるのであるが︑ビルクマイヤーの. ﹃共犯論﹄では︑共同正犯の從属性ということを説いているようである︒その第七〇節は﹃從属性は各種共犯に安當. する︑なかんずく共同正犯において然りとする﹄として︑次のごとく説いている︒いわく﹃かくて︑現行法上︑共犯. の概念を理解すべきがごとく︑從薦性は︑すでに︑共犯の概念中に包含せられるのである︒けだし︑共犯者は︑他人. の犯罪についてその一部を分澹するものであるから︑他人の犯罪の存在が共犯者の側面において犯罪の成立に封し條. 件をなすのである︒從属性は︑上述せるところよりして︑すべての種類の共犯に安當せねばならない︑すなわち︑い. やしくも︑共犯の存するところ︑必ず︑また︑刑法的非濁自性あり︑正犯に封する附從性あり︑從属的關係がある︒. そして︑從厨性は︑現行法によるときは︑共同正犯に封しとくに安當せねばならない︒元來︑共同正犯も︑また︑帝.

(31) 國刑法典第四七條の正しき解繹に從えば︑まさに共犯である︒この事は︑第四七條そのものが︑第四八條︑第四九條. と共に帝國刑法典中﹁共犯﹂なる題下に規定せられていることよりして明瞭であり︑さらに︑第五〇條が︑共同正犯. 者を︑教唆者︑從犯者と共に共犯者とし︑以つて︑正犯者に封構することよりしても明白である︒共同正犯者は︑犯. 罪を濁自的には行わず︑むしろ︑その實行を共にするに過ぎぬ︒從つて︑共同正犯者の行爲は︑他の共同正犯者の起. 因性の訣ける部分を補充せる場合において初めて罰せられる︒あたかも︑教唆者及び從犯者が︑正犯者に封し︑從属. 的關係にあるがごとぐ︑共同正犯者は相互に從属的關係に立つている︒もし︑現行法の共同正犯に關し︑この從属性. を否定し且つ箏うならば︑この事は︑恐らく﹁しからば各自は正犯者として罰せられる︵8記三﹃亀臼妥目薯霞. ぴ①弩聾︶﹂なる言葉に迷わされ︑各共同正犯者中に犯罪の事實上の正犯者を認めんとする誤れろ法典の解繹から由來. するは明瞭である︒しかし︑共同正犯者は正犯者ではない︑彼は共犯者であり︑上掲第五八節以下に展開せし原理に. より︑正犯者として︵監浮鋒8︑すなわち︑正犯者と同一に罰せられるのである﹄︵七︶と︒. ここでも︑ブーリー自身の言葉で︑共同正犯の從属性の否認を聞くことにしよう︒すなわち﹃結果を成立せしめる. にいたるあらゆる力が︑結果そのものに封し甚だ本質的なものであつて︑その中のどの力を取り除いても當該具艦的. 場合が問題とならない程のものであるとするならば︑そして︑その故に︑右結果が不可分的な全艦をなし︑客襯的な. 軍一性を形作つているとするならば︑彼の犯罪的動作が結果を惹起せしめた力の一つをなしたる限り︑各人は︑その. 全結果につき責を負わねばならない︒しかし︑彼が︑既に一人で︑自己の動作に依り︑全結果に封し︑責任があると. 一六五. するならぼ︑同時的に結果の中に現存する他の力が︑事攣・人的動作若しくはその中のものに依り結果の中で結合せ 主観〃附共犯論の幅蹄結.

(32) 主槻的共犯論の錨結. ニハ六. られたりや否やは︑問題とはならない︒犯罪的動作を惹起するにいたらしめた意圖は︑犯罪的動作にも結果にも附着. する︑そして︑この事から︑次の露結が生ずる︑すなわち︑正犯者意圖において表出せられた彼の動作が︑結果の構. 成部分をなすことになつた者は︑たといそれが他人の力の添加なしには存在するにいたらないにせよ︑その全範園に. つき︑正犯者としてその責に答うべく︑これに反して︑從犯者的意圖が犯罪的動作の基礎をなしている場合には︑從. 犯者としてその責に答うべきものである︒從つて︑もし︑結果を生ぜしめるにいたれる相異る諸力が︑相異る人々の. 正犯者意圖から出てきたとするならぼ︑たとい印封自的に無効なものであるにせよ︑各人は自己の動作に依り︑共同. 正犯者として︑全結果に封してその責を負うのである︑そして︑言うまでもなく︑通常はそうなるであろうが︾彼等. が彼等の動作を事前に協定︵陰謀︶に依り一致して行つたか若しくはそのようにしなかつたかは︑同等のものとして. 考えなければならない﹄︵八︶と︒それ故︑もし︑各共犯者が犯罪的結果の全騰を惹起し︑且つ︑その結果を惹起せん. と欲するならば︑庭罰に必要な凡ての要件は︑すでに彼自身の所爲において備わり︑從つて︑彼はこれに依つて濁立. にその結果に封して庭罰せられることになるのであつて︑彼の可罰性は︑とくに他の協力者の所爲からひき出され︑. そして︑これに準じて量定せられるのではないのであつて︑共同正犯の從属性ということは︑否定せられなければな. らないことになる︵九︶︒そして︑さらに進んでは︑共犯否認論にまで襲展し︑共犯規定不必要論の提唱とならなけれ ぱならないであ ろ う ︵ 一 〇 ︶ Q. <・膨一肖紗目虫ぢ暫げ百ρの︒O恥陣︐. ︵一︶ ︿●切一旧員9①○讐一鋸=鼠計一Q oo G似の●露q. ︵︼一ご︼W一詩騨亀2目①凶甘昌旨ρの曹駐い. ︵コ︶.

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「原因論」にはプロクロスのような綴密で洗練きれた哲学的理論とは程遠い点も確かに

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世界的流行である以上、何をもって感染終息と判断するのか、現時点では予測がつかないと思われます。時限的、特例的措置とされても、かなりの長期間にわたり

( 同様に、行為者には、一つの生命侵害の認識しか認められないため、一つの故意犯しか認められないことになると思われる。

Bemmann, Die Umstimmung des Tatentschlossenen zu einer schwereren oder leichteren Begehungsweise, Festschrift für Gallas(((((),