1 地形・地質
豊島区は、北を荒川、南を多摩川に挟まれた武蔵野台地の東端に位置し、谷戸川(谷田川)、神田川、 弦巻川、谷端川などの流れによって削られた台地と複雑な谷が織りなす変化のある地形です。
特に、神田川の北側や現在では水の流れを見ることができない駒込地域の北側にあった谷戸川周 辺に坂道が多くあります。
台地面は関東ローム層と呼ばれる自然堆積した火山灰土で覆われており、比較的強度が期待でき る安定した地盤です。一方で、台地部が小さい河川などにより削られてできた谷底低地には、台地 を形成していた土砂が再堆積した土や有機質土(腐植土)などが分布し、台地面と比較して軟弱な 地盤であると考えられています。
第1 市街地の変遷
図表5 標高地形図
● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●
谷戸川
谷端川 千川上水
水窪川
弦巻川
神田川
谷
端
川
千 川 上 水
谷戸川
谷端川 千川上水
水窪川
弦巻川
神田川
谷
端
川
千 川 上 水
千川駅
東長崎駅
落合南長崎駅
椎名町駅
目白駅
東池袋駅 大塚駅
巣鴨駅 西巣鴨駅
北池袋駅 下板橋駅
要町駅
池袋駅
駒込駅
東長崎駅 千川駅
椎名町駅
目白駅
東池袋駅 大塚駅
巣鴨駅 西巣鴨駅
北池袋駅 下板橋駅
要町駅
池袋駅
駒込駅
雑司が谷駅
雑司が谷駅
新大塚駅
落合南長崎駅
新大塚駅
板橋区 北区
文京区
新宿区 中野区
練馬区
豊島区
板橋区 北区
文京区
新宿区 中野区
練馬区
豊島区
0 500 1000m
N
標高 40m 20m 0m
0 500 1000m
N
標高 40m 20m 0m
第2章
豊
島
区
の
現
状
と
特
性
2 時代ごとにみる市街地の変遷
(1)江戸時代 「のどかな農村地帯と一部地域での町場化」
江戸時代、現在の豊島区付近一帯は、武蔵国豊島郡上駒 込村、巣鴨村、雑司谷村、下高田村、長崎村、新田堀之内 村、池袋村の7村で構成され、当初はほぼ全域が農村地帯 でした。
その後、江戸と地方を結ぶ中山道や清戸道(現在の目白 通り等)沿いなどに街道集落、鬼子母神周辺などには門前 町が形成されていきます。17世紀後半には、中山道沿い の巣鴨、岩槻街道沿いの駒込、目白通り沿いの高田の一部 が町場としてにぎわいました。
万延元年(1860年)に来日したイギリスの植物学者ロ バート・フォーチュンは、駒込村染井之植木屋の様子を著 書「江戸と北京」の中で、『村全体が多くの苗樹園で網羅 され、それらを結ぶ一直線の道が1マイル(約1.6km)以 上にも続く。私は世界のどこへ行ってもこれほど大規模な 売物の植物を栽培しているのを見たことがない。』と記し ています。
(2)明治時代 「鉄道の敷設と市街化の始まり」
明治時代のはじめ、現在の豊島区付近一帯は、街道沿い や門前町などの町場を除き、ほとんど市街化していません でした。
鉄道は、明治18(1885)年の日本鉄道品川線「赤羽~ 品川」間の開通により目白駅、明治36(1903)年の日本 鉄道豊島線「池袋~田端」間の開通により池袋駅、大塚駅、 巣鴨駅、そして、明治43(1910)年に駒込駅がそれぞれ 開業しました。
明治初期に染井霊園と雑司ヶ谷霊園が立地し、中期には
図表7
明治42(1909)年頃の市街地の広がり 図表6
染井之植木屋(絵本江戸桜)
資料:常設展図録(豊島区立郷土資 料館、昭和59(1984)年)
大名屋敷や武家屋敷などが点在した閑静な街並み、園芸 都市として栄えた町場や江戸の近郊農村として生産力向 上に勤しんだ活気、今でもにぎわう旧中山道の巣鴨地蔵 通りなどで受け継がれる江戸情緒
地域で引き継がれてきた価値観
石川島監獄(後の巣鴨プリズン)が巣鴨(現在のサンシャ インシティ)に移転しました。また、後期になり東京府立 尋常師範学校(後の豊島師範、東京学芸大学)や学習院が 移転して開設されるなど、教育施設の立地が進みます。
明治21(1888)年~大正7(1918)年の東京市区改正 事業により、東京中心部では道路の拡張等が進み、旧東京 市内から現在の豊島区付近一帯に寺院や墓地が移転してき ました。
(3)大正~昭和時代(戦前) 「急激な人口増加と市街化の進展」
大正時代になり、旧東京市に人口が集中し、市街地は行 政区域を超えて広がります。この中で、現在の豊島区付近 一帯の市街化も進み、様々な都市基盤が整備されます。
鉄道網は、明治時代の終わりに王子電気軌道「飛鳥山~ 大塚」間が開通し、大正時代のはじめには旧東京市内から 東京市電(路面電車)が大塚駅まで延長されて、旧東京市 中心部と直結しました。池袋駅では、東上鉄道(現東武東 上線)、武蔵野鉄道(現西武池袋線)が相次いで開通します。 また、昭和7(1932)年には池袋駅東口の「根津山」が 開削されて、護国寺方面を結ぶ道(現グリーン大通り、日 出通り)ができるとともに、数年後には旧東京市中心部か ら東京市電が通るようになりました。
道路は、本郷通り、白山通り及び春日通り等の拡幅や、 明治通り、目白通り及び立教通り等の整備が進みました。
こうした背景もあり、JR山手線から東側の地域では市 街化が進み、その沿線にあたる巣鴨町、西巣鴨町、高田町 などでは、大正時代から昭和初期にかけて人口が急激に増 加しました。池袋駅周辺よりも、先に大塚駅周辺で市街化 が進んだことも特徴的です。
長崎町は宅地化が少し遅れましたが、関東大震災を契機 とした人口増加の波が郊外に及ぶのと時期を同じくして、
図表9
昭和12(1937)年頃の市街地の広がり
図表10 現 春 日 通 り の 拡 幅 工 事 (昭和2(1927)年) 図表8
池袋駅構内(明治30(1897)年代)
画像提供:鉄道博物館
写真でみる豊島区50年のあゆみより転載 資料:豊島区の街づくり2013
鉄道が開通し、学校や公共施設が設置された便利な立地 多くの文化人・芸術家が眠る染井霊園や雑司ヶ谷霊園周 辺の歴史、文学、芸術の趣き
第2章
豊
島
区
の
現
状
と
特
性
西巣鴨町 長崎町
高田町
巣鴨町 西巣鴨町
長崎町
高田町
巣鴨町
土地区画整理事業 耕地整理事業
建築線が指定された概ねの範囲
急速に市街化が進みました。
現在の豊島区付近一帯の西側を中心に、大正時代から昭 和初期に実施された耕地整理事業8によって、碁盤の目に
近い方形の街区と道路が形成されましたが、人口増加の中 で宅地へと姿を変えていきます。また、環状6号線の西側 や巣鴨拘置所(現在のサンシャインシティ)周辺の地域で は、まとまった土地にわたる建築線9の指定により基盤整
備が進みました。
一方で、道路の拡充や住宅の急増とともに、谷端川、弦 巻川などの河川が次第に暗渠となりました。
この頃、市街地の遊興地帯である「三業地」に大塚と池 袋が指定されます。また、明治時代から大正時代にかけて、 上野、谷中、田端周辺に住んでいた芸術家や文士たちが、 市街地の拡大とともに区内に移り住んできました。
そして、昭和7(1932)年10月1日、巣鴨町、西巣鴨町、 高田町、長崎町の4町が合併し、現在の豊島区が形成され ます。
(4)昭和時代(戦後) 「戦災復興と高度成長にあわせて拡大する市街地」
昭和20(1945)年、第二次世界大戦の空襲を受けて、 区の約7割が焼野原となりましたが、西部地域にあたる長 崎、千早、要町、高松は大きな被害を受けませんでした。 戦後、戦災復興事業として、区内の環状6号線付近から 東側の区域では土地区画整理事業11が都市計画決定されま
したが、事業が実施されたのは旧国鉄駅周辺の7地区のみ です。この時に整備された都市基盤は、その後の都市化で 大きな役割を果たし、現在もほぼそのまま残されています。 昭和30(1955)年代、我が国は高度成長期を迎えます。 豊島区は、都心に近く、交通利便性が高いことから人口の 集中や産業の集積が急激に進みました。
図表11
町制施行当時の豊島区地域概略図
図表12
土地区画整理事業、耕地整理事業、建築線の 範囲
図表13
空襲による焼失地(色の濃い部分)
資料:豊島区の都市計画92
資料:豊島区の都市計画92
鉄道駅周辺に劇場や映画館を有する繁華街として、娯楽 でにぎわう雰囲気
昭和初期には「池袋モンパルナス10」に代表される活発な
芸術活動を生み出し、多くの創造的な人材を育んできた 風土
地域で引き継がれてきた価値観
人口は、終戦直後の昭和20(1945)年に約9万人まで 減少しましたが、昭和40(1965)年には約37万人と20年 間で約4倍以上に増加します。
昭和35(1960)年、首都圏整備法12に基づき、池袋は
新宿、渋谷とともに「副都心」に位置づけられ、昭和40 (1965)年以降の高度成長期には商業機能の集積が一層進
みました。
都市基盤が整備されなかった地域では、地方から大量に 流入する若年労働者の住宅需要の受け皿として、概ね戦前
のままの土地に木造賃貸アパートが建てられていきます。 図表15 高度成長期の池袋駅東口(昭和37(1962)年)
図表16 木造賃貸アパートの分布 ※地域名は所管警察署名
12 首都圏整備法:首都圏の整備に関する総合的な計画の策定と実施によ
り、首都圏の建設とその秩序ある発展を図ることを目的とする法律
図表14
昭和32(1957)年頃の市街地の広がり
写真にみる豊島60年のあゆみ展より転載
志村 赤羽
石神井 練馬
板橋 王子 滝野川 尾久
西新井 綾瀬
亀有
本田 小岩
小松川 千住
向島
本所
深川 城東
浅
草
下谷 荒川 南千住 駒込
上
野
富
坂
巣鴨 池袋 目白 野方 荻窪
杉並
高井戸
成城 北沢
世田谷
玉川 碑文谷 目黒
東
調
布
蒲田 大森 大井 荏原 品川
大崎
高
輪
三田 渋谷
水
上
代々木 中野
戸塚
新宿 牛込 四谷
渋
谷
麻布
総住宅戸数に対する 小規模民間アパートの割合
40%以上 30~40% 20~30% 20%未満
大
塚
赤坂
池袋駅周辺を中心に戦後復興の過程で培われた親しみや すさと力強さ
地域で引き継がれてきた価値観
(5) 昭和時代(高度成長期以降)~平成時代
「商業・文化機能の集積と高密で複合的な市街地の形成」
高度成長期以降、昭和53(1978)年にサンシャインシ ティが開業し、平成2(1990)年には東京芸術劇場が開 館するなど文化・交流施設の集積が進み、池袋副都心は急 速に発展します。一方で、鉄道駅周辺は、住宅地の中に事 務所や店舗、マンション等の混在が進み、幹線道路沿道で は中高層ビルやマンションが増加しました。
平成20(2008)年の東京メトロ副都心線の開通、平成 25(2013)年の東急東横線・みなとみらい線との相互運 転開始により、埼玉県や神奈川県から池袋副都心へのアク セスが向上し、さらに利便性が高まっています。
その後、池袋副都心では、豊島区本庁舎の移転を契機と した庁舎跡地の活用や民間事業者による都市開発など、新 たな都市づくりが動き始めています。
第2章
豊
島
区
の
現
状
と
特
性
図表17 昭和59(1984)年頃の市街地の広 がり
図表18 工事中のサンシャイン60 (昭和51(1976)年頃)
図表19 東京メトロ副都心線出発式
画像提供:東京メトロ 画像提供:豊島新聞社
東京北西部のターミナル拠点である池袋駅を抱え、首都 機能の一翼を担うとともに、鉄道利用者や数多くの大学・ 専門学校、外国人など多様な人々を受け入れ、経済活動 や交流の舞台として育んできた創造力や活力
これまで培われてきた地域の価値観のもとに、文学、美術、 演劇、映画、音楽、書店・出版、マンガなど新たな創造 活動の芽生え
地域で引き継がれてきた価値観