「総合的な学習の時間」の特性とその解釈
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(2) 北海道教育大学紀要(教育科学編)第59巻 第1号 JournalofHokkaidoUniversityofEducation(Education)Vol.59,No.1. 平成20年8月 August,2008. 「総合的な学習の時間」の特性とその解釈 根 本 直 樹. 北海道教育大学函館校地理学研究室. Characteristicsof“PeriodforIntegratedStudy’’andTheirInterpretation NEMOTO Naoki. DepartmentofGeography,HakodateCampus,HokkaidoUniversityofEducation,HakodateO40−8567. 概 要 北海道教育大学附属函館小学校での「総合的な学習の時間」の共同研究者として数年間ともに研究してき ている。その際に感じた教師文化が互いの共同活動における疎外の要因として感じられことがあった。新た. な共同研究の方向性を見いだすためにも,「総合的な学習の時間」の研究史を把握することが必要だと思った。 しかも,教師文化の解釈を互いの立場で更新するための大まかな論点を共有することが本論の目的である。. 1 はじめに. ける授業計画をアーカイブスしてみて気づくこと ができた。同様に,函館市生活科・総合的な学習. ここ数年の間,北海道教育大学附属函館小学校 の研究授業における「総合的な学習の時間」にあ たる「桐の子タイム」の共同研究者として授業実. 教育研究会のアーカイブスの結果においてもこの 二つの事項が重視されていたことが理解できた。 また,この事項は平成10年12月の学習指導要領. 践に参画した。筆者は,この共同研究を,単に「総. の改訂後に平成15年の小学校学習指導要領におい. 合的な学習の時間」をカリキュラム論に閉じるの. て一部改正された部分でもある。つまり,特記事. ではなく,本学の『「開かれた学校」の基盤整備. 項として文部科学省(以後,文科省と略す)も重. に関する総合研究』の共同研究におけるひとつの. 視した事項である。この事項が,教師文化とも深. 視点としても活用している1。. い関係性を含んでいることも推察できる。しかし. 本論は,教育活動のひとつとして「総合的な学 習の時間」(以後,総合学習と略す)の実践をと. ながら,この事項が筆者と教師の総合学習におけ る解釈との差を生んでいることも知らされた。. おしたコミュニケーションの中から理解できた教. 本論では,このような実践でのやりとりを踏まえ,. 師にとって重要視する二つの事項を中心にした議. 総合学習が研究史的にはどのような解釈がなされ. 論を展開する。その二つとは,「総合と各教科と. ているのかを検討する。二つの事項を議論の素材. の関係性」と「個のみとり」である。この総合学. としながら,教師文化の断片を垣間見るとともに.. 習における二つの事項は,これまでの附属小にお. 次の実践にむけての資科づくりを目的とする。. 13.
(3) 叔 本 直 樹. 2 総合学習が登場する背景 総合学習が登場する背景は,「総合的な学習の. 間差は何なのだろうかと疑問に思う。 また,池田寛は学校教育の三つの目的について,. 「一つは,ひとりの子どもの能力の開発と自己実. 時間においては,各学校は,地域や学校,児童の. 現,そしてそれによる個人の社会的な可能性の開. 実態等に応じて,横断的・総合的な学習や児童の. 拓(たとえば経済的成功とか芸術的な卓越など). 興味・関心等に基づく学習など創意工夫を生かし. である。二つ目は,社会の発展に寄与する人材の. た教育活動を行うものとする。」2という学習指導. 開発である。これを第一の目的の延長上でとらえ. 要領の趣旨からも理解できるように,①各学校が. る人もいるが,「個人対社会(あるいは国家)」と. 創意工夫を生かした特色ある教育活動を一層展開. いう枠組みで,個人的な目的とは一線を画した教. できるようにするための時間を確保する必要があ. 育に対する社会的要請として第二の目的を定式化. ること,②また,自ら学び自ら考える力などの「生. する人もいる。学校教育の第三の目的は,生活人. きる力」をはぐくむために,既存の教科等の枠を. としての資質や市民的責任の遂行といった課題へ. 超えた横断的・総合的な学習を実施できるような. の対応である。保護者としての義務,仲間との協. 時間を確保する必要もあることからその創設が碇. 調性,コミュニティの一員としての自覚や連帯性. 言されたものである3。. といったことなどがその内容となる。」6と説明し. このような提言がされる背景には,現代の教育. ている。総合学習がこれらの目的とどのような関. の現状についての次のような危倶があったからで. 係性を有するかは判然としないが,教育の多様性. ある。その内容は,①これまでの学校教育が受験. が時代の変化と共に現実的な課題として意識化さ. 競争社会に巻き込まれてしまっていること,②多. れたことだけは理解できよう。. くの知識を教え込む知識偏重の教育にかたよって. いること,③子供が自然や地域社会の中で体験活 動を経験するなどの時間をもてなくなっているこ と,④受験用の知識はあるが日常生活や社会生活. 3 総合学習の登場の意味と曖昧さ 総合学習は平成12年度から準備期間としての実. の中で学んだことを生かす力が乏しいこと,⑤. 施がスタートし,同14年度から完全実施された。. 人々と共に生きる心や社会性,人間関係づくりな. 総合学習の内容に入る前に,この時間がどのよう. どが身に付いていないこと等を浮き彫りにしてい. な批評対象として位置づけられるのか大きな論点. る4。. を把握しておきたい。. このような危惧は,社会の変化と教育環境との. 新富康央は,総合学習は「授業のパラダイムの. 間にズレが生じていることへの自覚とともに,そ. 転換」の象徴で,自ら学ぶ意欲と思考力,判断力,. のズレの修正を求めていることも示唆している。. 表現力などの能力の育成を学力の基本とする「新. 30数年前に川喜田二郎は,学校教育の現状を「人. しい学力観」を知識中心の教育観からの脱却とと. 間は創造的行為の実践を通してこそ,全人的に成. らえている。その新しい学力観による授業形態を. 長し,人間らしくなれることを訴えたのである。. 「全員参加型授業」を想定している。つまり,「新. ところが現実に日本の学校教育では,周知のよう. しい学力観」=「全員参加型授業」=「総合学習」. に知識の詰めこみばかりが病的に進行している。. との構図をイメージしている7。. 思考の鍛錬とか決断力とか実行力とかが組み合わ. これに対し,佐藤学は新富とは違ったニュアン. さった,トータル(全一的)なものとしての人間行. スでこの新しい動きを批評している。新しい学力. 為の体験は,驚くばかりの教育の場から退場して. 観が提示された頃の混乱について,「混乱の要因. いる。」5との言葉によって批判しているが,まさ. の一つは,文部省の提起した「新学力観」にある。. に総合学習が生まれる背景を考えるとき,この時. 14. 「新学力観」における「知識・技能」よりも「関.
(4) 「総合的な学習の時間」の特性とその解釈. 心・意欲・態度」という言いまわしの中には,知. 考えている。. 識の内容と思考の方法を対立させ,学習する内容 よりも学習する態度を重視する考え方がうかがえ. る。」8との新しい学力観における「基礎・基本」 の「知識・技能」から「関心・意欲・態度」への 転換について疑問を提示している。. 新しい学力観において注目されている問題解決. 4 総合学習の特性と時間の角牢釈 (彰 文部省サイドの論考. 総合学習の特性をどう理解するかについては,. その時間の解釈によって多様である。相川雅弘の. 学習においての解釈において,岩本秀夫は,「戦. 指摘どおり総合学習は,「「教科」でも「領域」で. 後直後の問題解決学習が,日常生活経験のフィー. もない「時間」である。文部省は時間の枠だけを. ルドをとおして,社会のなりたちを科学的に認識. 設定した。総合的な学習の時間のねらいを踏まえ. させることを目標にしていたのに対し,新しい学. ているならば,具体的な中身は問わない。中身は. 力観の問題解決学習では,同じように日常生活経. 各学校に任されている。」12のである。文部省の鴫. 験のフィールドをとおしていても,最終的にめざ. 野道弘は,総合学習の創設した理由を「各学校が. されるのはじぶんの新しい心の発見(“自己実現’’). 地域や学校の実態に応じて,創意工夫を生かした. ということでした。」9とその違いを見出している。. 特色ある教育,特色ある学校づくりを一層展開で. また,「個性重視」においても,豊かな人間性を. きるようにする時間を確保したことにある。」13と. 表すはずの「個性」はいつのまにか競争に生き残 るための道具と変わっていることも想定できる。 これらの論点を二者択一的な議論にしないため. 「特色ある学校づくり」と「一層」の言葉に留意 したい。. 同じ文部省の宮川八岐は全面実施直前におい. にも,総合学習の意味についての議論がもっと求. て,「各学校の教育課程編成の基準である学習指. められたのではないかと思われる。この点につい. 導要領は,様々な点で改善が図られたが,各教科,. て,相川雅弘は「総合的な学習の時間の目標・内. 道徳,特別活動で人間形成を図るという基本構造. 容・取り組み方を学校が総体として決定していく. は変わっていない。いわゆる三領域で「調和のあ. 前段階として,まず,教師一人一人が自分の問題. る人間の育成」をめざすのである。したがって,. として受け止めたい。「なぜ,総合的な学習の時. まずもって,三領域の基本計画を万全にし指導の. 間が生み出されたのか」「これまでの学校教育の. 充実を図ることが前提である。その上で,各学校. どこに問題があるのか」と創設の意義を一人一人. が総合的な学習の時間において,学校の実態や地. が問いなおして欲しい。」10との要請をしている。. 域社会等との連携を図って一層子供が現実生活に. また,奈良正裕も「総合的な学習のカリキュラ. 生きる実践的な力を身に付けることができるよう. ム編成に本気で取り組むことを通して,カリキュ. にすることをめざすのである。このことを踏まえ. ラム概念への正確な理解と主体的で創造的な運用. て各学校は,特色ある学校づくりに努める必要が. の能力を身に付け,さらにその奥にある学力論に. ある。」14との内容から,「基本構造は変わってい. ついて,しっかりと議論できるようになっていき. ない」と「一層」と「特色ある学校づくり」がや. たいものである。」11と教育実践をとおして与えら. はり重安な言葉として登場する。. れた学力観でなく,主体的な学力観を学校経営の. これらの文部省関係者の論説は,これまでの指. 中で議論していくことが求められている。つまり,. 導要領の正当化を「基本構造は変わっていない」. 教育指導要領で総合学習で期待されている「特色. と「一層」が象徴しており,子どもたちの「個性. ある学校づくり」とは,パフォーマンスをするこ. 重視」とともに「特色ある学校」を総合学習から. とではなく,このような議論の結果としての教育. 読み解くことができる。しかしながら,わが国の. 実践の表現が生まれてくるという解釈が適切だと. 教育経営においてこれまで特色ある学校づくりを. 15.
(5) 叔 本 直 樹. 推奨してきたのかは疑問である。この意味では大. いる。ひとつは,「教科ごとの領域では排除され. きな変換ではないだろうか。. てしまう現代社会や人生の切実な問題をカリキュ. 総合学習の解釈で特徴的な点は,安彦忠彦の「計. ラムの内容に組み込むことを可能にする」という. 算や数学的な思考をする活動が中心的に行われて. 点であり,第2の可能性は,「課題(主題)を中. いても,「総合的な学習の時間」において計算能. 心とする学習が「教科学習」の改革を促進する可. 力や数学的思考力の向上はなくてもよい。それに. 能性である。」とこれまでの大量の知識を効率的. よる問題解決や意欲的で主体的な学習が見られれ. に伝達し個人主義的な競争を学習過程に組織して. ば,それでよい。「総合的な学習の時間」がねらっ. きた問題について指摘されている18。. ている固有のねらいは,自主性・主体性・問題解. また,佐藤真は教科学習を「教室という狭い空. 決能力,総合的な能力だからである。」15という解. 間に子どもを閉じ込め,そこで情報処理的能力の. 釈である。つまり,算数・数学科の「計算能力」. 向上ばかりを中心とした学習システムを行ってき. と「数学的思考力」の育成は教科の目標であるた. たのである。」と位置づけ,総合学習において「実. め,総合学習とはおのずからねらいは違うのであ. 際の社会の中に子どもと教師が一緒に飛び出し,. る。. 学ぶべき対象を探し,ともに学び合いながら共同. このことは,これまでの教科学習の継続性とと. 体を形成し,社会的・文化的な実践活動に参加し. もに,もうひとつの学習方法を総合学習で補足し. ながら創造的に社会を構築しようとする学びを実. たことを意味している。結果的には,新しい学力. 践すべきである。」19と実践活動の学びを推奨して. 観においてもあきらかなように,この学習方法は. いる。. 分断されているが,これまでの教育方法の継続と. 安野功は,子どもの生活環境の変化を踏まえな. いう葛藤の中に「一層」の言語の意味が内包され. がら総合学習の意味について,「子どもは日常の. ているのである。. 生活において自然や社会と直接かかわりをもち,. (要 その他のサイドの論考. あらゆることに立ち向かう中で,各教科等で身に. これに対して,総合学習の特性をこれまでの学. 付けた知識や技能を相互に関連付け,総合的に働. びのスタイルの変更を意識した解釈が提示されて. かせたり,学校で学ぶ知識と生活の結び付きを実. いる。. 感したりして,自分らしく成長していくのである。. 寺西和子は「生きることと学ぶことの結合」を. これが,まさに知の総合化である。」との自己経. 意図して「総合的学習では,自分の学習を生きる. 験が喪失かけている現状において,「自然や社会. ことにかかわらせ,社会という広がりのある文化. と直接かかわり合って学ぶ機会を学校教育の場に. のもとで,自分の経験を切り開き,それを知的な. 意図的・計画的に設けたところに,総合的な学習. 学習力へと育てていくことができる力を育てるこ. の時間が創設された真の意味や価値がある。」20と. とが重要になるであろう。」16と社会的市民として. 述べている。. の資質の形成を目指す学習を求めている。. これらの論考から,総合学習の特性は子どもら. 稲垣忠彦は総合学習の目的として「教師中心の. と社会生活との関係性をとらえた学習活動である. 一斉授業を変えること,知識伝達の授業の質を変. こと。また,子どもと教師との関係性も変更を求. え,課題中心の追究的な学習を目指すこと,子ど. められていることも理解できよう。そのことが,. もの生活や体験をベイスとする活動的な学習や,. 総合学習と各教科との違いを顕在化させるのでは. 教科の枠をこえた広がりのある学習を目指すこと. なく,教科学習のスタイルも再検討することを意. などがあげられる。」17と教科の枠をこえた学習活. 図していることも理解できる。つまり,教科学習. 動を創造している。. と総合学習を統合的に考え,教科学習の改革をす. 佐藤学は,総合学習の可能性として2点あげて. 16. すめようとする方向軸を碇示している。.
(6) 「総合的な学習の時間」の特性とその解釈. 最後の安野の指摘を別目線で捉えれば,子ども. から読み解く場合が一般的である。この点につい. らの学びは制度化されたものに集約化される危険. て,佐藤学は「「教科学習」と「総合学習」は,. 性を我々大人が充分に認識しなければならない点. いずれもが「知識」と「経験」を学習に組織すべ. だと思う。. きであって「教科学習=知識」「総合学習=経験」. と分断してしまっては,どちらの学習も学習とし 5 総合学習と教科数育との関係性 これまでも触れてきたが,総合学習と教科学習. て成立しないのである。「経験」から切断された「知 識」は単なる「情事臥 に過ぎず,「知識」から切. 断された「経験」は単なる「体験」に過ぎないか. との関係性は,大きな論点だと思われる。ここで. らである。」23と知識と経験の統合された学習が求. はいくつかの対峠関係を紹介しながら論点を再度. められている。. 確認しておきたい。. 最初に総合学習のねらいに関連しての論点につ. これに対して,梅津正美と草原和博は社会科教 育法の構想において,「「総合的な学習の時間」は. いて,奈須正裕は,総合学習のねらいの(1)の自ら. 徹底して経験主義に根ざし,「社会科」は本質主. 課題を見付け,自ら学び,自ら考え,主体的に判. 義に拠をおいたとき,それぞれの役割・意義が発. 断し,よりよく問題を解決する資質や能力を育て. 揮され,学校数育としてトータルな人間形成が実. ることについて,「(1)は,ひとり総合的な学習の. 現できるのではないだろうか。」24と分断論におい. 時間のみに限定されるものではなく,各教科,道. て教育効果があがるとの見通しを提示されてい. 徳,特別活動も含めた教育課程全体を通して実現. る。. をめざしていくものと理解することもまた,重要. 最後に,総合学習の授業でよく目にする光景が. である。しばしば,「総合的な学習では[生きる力]. ある。それは,授業計画の中で教科との連携を当. の育成をめざす」と言われる。それは正しい。し. 初から組み込んだものとしている点である。この. かし,[生きる力]は各教科等でも育てる学力で. ことを稲垣忠彦は,「1996年の中央教育審議会の. あることを忘れてはならない。総合的な学習の時. 中間答申で「横断的・総合的学習」という言葉が. 間は,[生きる力]で,教科は教え込み,丸暗記. 用いられてから,教科をこえるということが主要. というのでは,今回の教育課程改善の趣旨から大. な目的として受けとめられてきた。しかし基本と. きく離れてしまう。」21との総合学習と教科学習と. なるのは,あるテーマを中心として,子どもが主. の統合的な理解を示唆している。. 体的,追求的な学習を行うことであり,その過程. これに対し,谷川彰英は,総合学習はまず教科. において,授業は教科をこえていくのであり,合. 等との違いを明確にすることを示唆しており,「肝. 科,横断はその結果である。理科や社会といった. 心な点とは,教科などの領域とは違ったものとし. ひとつの教科のなかでも総合的学習は成立するの. て設置したのだから,まず問われるべき課題は,. である。「総合的学習の時間」の受けとめかたに. 「従来の教科などと総合的学習の時間はどこが違. おいて,しばしば目的と結果との逆転がみられる. うのか」という点である。これは当たり前のこと. のであり,教科をこえることが自己目的とされて. なのだ。」22との分断的な論調である。谷川は,同. いる場合が少なくない。このような倒錯からの解. 時に「学習」と「学び」との概念の違いにも留意. 放が必要と考えるのである。」25との指摘は重要で. している。教科学習は「学習」であり,総合学習. ある。授業計画の中で結果を見通すことの重要性. は「学び」という捉え方をしている。その違いは,. は次の課題でもあるが,教師文化としての留意点. 「学び」は個人の意志に基づいて行われることで. でもあろう。. あることからその判別基準にしている。. 総合学習と教科学習は,経験と知識との関係性. 17.
(7) 叔 本 直 樹. りない」というコメントにも現れているように,. 6 個のみとりと結果主義 筆者が学校教育に関係して一番気になったのは. 教師が「見通し」をもつことと,子ども主導の学 習を展開させることは,必ずしも両立しないと教. 結果主義である。社会教育ではあまり結果にこだ. 師が見なしていることも分かった。」28という傾向. わることがなく,ひとり一人の着地点を尊重する. が一般的なことも筆者の授業参与からも理解でき. 風土がある。義務教育という責任の重さがあるせ. る。. いか,結果の見えない学習には教師は懐疑的であ る。 総合学習の指導要領において平成15年の一部改. 教師の個のみとりと結果主義について,国立民 族学博物館でのワークショップ「仮面をつくろう」. の実践に参加したひとりの教師である八代健忘. 正で,配慮事項として「目標及内容に基づき,児. は,「一般に教師は,個々の児童を見ながらも,. 童の学習状況に応じて教師が適切な指導を行うこ. 全体がどう動くのかを考えている。また,目標意. と。」が明記され,「児童一人一人の学習活動が成. 識を非常に強くもち,そこへの到達については十. り立つよう,教師の専門性を生かした行き届いた. 分すぎるほどに自らに成否を問い,児童に対する. 指導を行うことが必要である。」26ことが留意され. 態度が「コノ子ヲ,私コソガ,ナントカ指導シナ. た。. キヤ」という責任感に凝り固まっているようなと. このことについて稲垣忠彦も「一人ひとりの子. ころがある。それに対して,今回の実践で協働し. どもの必要に即しての援助が重要であり,そのよ. た博物館教育を専門とする佐藤優香氏は,児童を. うな教師の構想力と対応力が求められるのであ. 一人ひとりよく見て,個々の変化について深く追. る。…そこに伝達的な一斉授業との対照が共通し. 求してくれた。つまり,到達すべき点について語. てみられることが重要だろう。とくに一人ひとり. る前に,学びのプロセスは100人いれば100通りす. の子どもへの援助の具体性は,従来の授業の質を. べて違うものであるという前碇に立ち,まず個々. 変えていく重要な糸口となるのであり,総合学習. の学びのプロセスにおいて楽しさや喜びなどを. が授業改造の契機となることが期待されるのは,. たっぷり味わえるように配慮された。また,すべ. そのような特質によるものである。」27との指摘に. ての児童の同じゴールに到達することへのこだわ. 個へのみとりが重要であるという点については共. りも低いように,私には感じられた。」29と博物館. 通している。. の担当者との考え方の違いを指摘している。. しかしながら,ここで留意しなければならない. この八代の感想は,フォーマルとインフォーマ. のは,個へのみとりの内容である。つまり,どち. ルの教育のあり様を実証的に記述している。ここ. らもひとりひとりへの援助を必要としている。そ. でも留意したいのは,二者択一的にどちらが子ど. の方向性は,個によって別のゴールへも許容する. もの学びにおいて優先させるべきかを問うている. 導きなのか,ある一定のゴールへの導きなのかに. のではない。子どもにとっての達成感とはどのよ. よってその学習活動は大きく異なってくる。. うなプロセスが望ましいのかを立場の違う支援者. このことを実際の総合学習の参与記録から実証 的に記述した結城恵の報告によれば,「総合的な. がその間いを共有することが大切だと考えてい る。. 学習の時間に対する教帥の反応から,教帥は,教. える行為に関して,次のような暗黙の前碇を持っ ていることが判明した。それは,教師は常に教え る内容と教える対象(子ども)について掌握して いなければならない,という前碇である。そして, 「個別に対応していたらいくら時間があっても足. 18. 7 教師文化の再構築 総合学習の登場は,これまでの教師文化に対す る問題を碇起している面があるように思われる。. それは,総合学習における新しいねらいとして文.
(8) 「総合的な学習の時間」の特性とその解釈. 部省から指導要領として提示された言説は,これ. は,それぞれの個人が有する才能や可能性をひき. までの枠組みでも教師の意志と構想さえあればで. だすことにあるので,一方的な知識の伝授だけで. きた事柄であるとの指摘もある。これらとの関連. はなく,ある知識をめぐって(教師と生徒の間で. で佐藤学は,「一人の市民として社会と向き合い. の)双方向的なコミュニケーションが重視されて. 自己の人生と向き合っているなら,そして,教師. いる。」33という教育観の違いが影響しているとの. 自身が真撃な学び手であるなら,子どもに何が何. 考えである。. でも教えたい内容や子どもと探求したい事柄は,. 最後に少し大げさな言い方をすれば,わが国の. いくら時間があっても足りないほど抱いているは. 教師文化は長い歴史の中で上位下達式に構成され. ずである。教師として,そういう自分を生きてい. てきたためか,自律的個人が形成されてこなかっ. るかどうかが問われているのであり,そこに「総. たこともその理由としてあげられようか。また,. 合的な学習の時間」が要請する教師の構想力と自. 相川雅弘が指摘する学校文化においても,「「自ら. 律性の問題が横たわっていると思うのである。」30. 学ぶ力」「自己教育力」「新学力観」「個を生かす」. と指摘しており,総合学習によってこれまでの教. などのことばがもてはやされると,どの学校もこ. 師文化のマイナス面が露呈したとの見方もできる. ぞってこれらのキーワードを学校教育目標の中に. のである。. 組み入れはするものの,具体的な教育内容・方法. 新しい学力観における世論の攻撃や学力低下論. の改善までに至らない。教育改革がいかに叫ばれ. 争など,総合学習の実践後の再構築論のなかで,. ようとも,現状維持的な意識や保守的な体質がス. 日自利夫は再構築のための実践的な課題として,. ローガンだけにとどまってきたのではないだろう. ①自らの授業イメージを問い直す構想力,②集団. か。」34との指摘も現状を言い当てていると思われ. の教育力を高める授業づくりの支えになるコミュ. る。. ニケーション活動,③子どもの学びの道筋を大切 にしながら,繰り返し学ぶことによって身につく 学力を碇案している31。さらに,結城恵は総合学 習の参与観察から「総合的な学習の時間は,教師. 8 今後の課題と展望 わが国の学校図書館は,よく鍵がかかった状態. にとっても,知らない・解らないことを「調べる・. を目にすることがある。その理由について,根本. まとめる・発表する」教育実践であり,教師も主. 彰は「日本の教育は統制が強く画一的である。ま. 体的な学び手として子どもと共に学ぶ姿勢が求め. た教科書中心として一定範囲の知識と技術を身に. られるのである。」32との提案をしている。確かに,. つけることが中心になる。」35という教育観によっ. 総合学習が教師の経験にない教育実践であるか. て,学習を支えるための豊富な教材や資料とそれ. ら,問題解決は子どもたちだけに要請されている. を管理するためのしくみが必要としなかったと説. 教育課題ではなく,もっとも主体的に取り組まな. 明している。これが総合学習の登場で学校図書館. ければならないのは教師のほうでもあったのであ. での学びが必要となったことは大きな転換点とし. る。. て意味がある。. しかしながら,このような方向性に進展しない のはなぜなのだろうか。石森秀三はその答えを, 「日本と米国・英国では教育に対する考え方が大. 学校図書館ひとつとっても,私たちの教育環境 は閉じていたことが理解できよう。これからの学 校数育にあっても,生涯学習体系への移行が大き. きく異なっている。日本の場合には,教師は生徒. な流れであろう。その流れの中で総合学習はこれ. よりも数段高い立場から知識を授け,一方的に理. までの価値観を見直す,教師文化を再構築する. 解を強制してきたところがある。それに対して,. チャンスではないかと思っている。今後の教育文. 米国・英国の場合には,教育の大きな目的の1つ. 化や教師文化を見直す上で大切な要点は,子ども. 19.
(9) 叔 本 直 樹. たちの評価だと考えている。. 大学生からの聞き取りによれば,これまでの学 校教育の印象は,「受験を目指した詰め込み教育」. 9 おわりに ヨーロッパを中心に先進国の学力観は,知識中. であり,「勉強というものに極端に重点を置きす. 心から思考力中心へ,社会に出て即戦力としての. ぎている教育であった」と感じているのが一般的. 能力へと転換してきている。教育観では,「教え. な傾向だった。また,一躍教育大国として有名に. る教育」から「学びを支援する教育」へと変えつ. なったフィンランドの教育社会学者,エリナ・ラ. つある。わが国でも新しい学力観はこのようなグ. ヘルマの講演「フィンランドの子どもと教育」の. ローバルな動きと無関係ではない。ただし,私た. なかで,フィンランドの学校に,「教師中心主義. ちの風土に根づいた教育文化はその基盤にあるこ. が強い」,「友情を中心としたインフォーマルな関. とも事実であるし,社会の変化と共に教育文化が. 係のための時間・空間が少ない」,「生徒たちの自. 変容することもまた,必要なことだと思われる。. 治・自律が弱い」といった傾向が根深く残ってい ることを指摘している36。. 本論は,現在の教育改革を新しい学力観のよう に単に変換点としてとらえるのではなく,新しい. 教育文化は,一方的に大人が創るものではなく,. 教育文化が総合学習をとおして子どもたちと教師. 子どもたちとのコミュニケーションによって協働. が創りあげることが,新しい学力観を構築するこ. で創りあげるものだと考えている。その点では,. とにもなるし,教師文化も変容できるのではない. 安里恒男の総合学習の児童用の意識調査の分析は. かという意図である。筆者の希望は,このような. 大切な論考だと考える。それによれば,4つの課. ムーブメントの中に当事者として参画したいと. 題が抽出されている。1高学年になるにつれて総. 思っている。その基本的な整理を本論において実. 合的な学習の時間に対する満足度が低くなってい. 践したのである。本論は,教師の批判をしている. る点を踏まえ,学習意欲の高揚を図る全体計画の. わけではない。総合学習の論考をとおして,大ま. 見直しが必要である。2楽しく取り組むことがで. かな論点を共有することの大切さを碇示したので. きた子どもほど『身に付いた力』や『学習活動に. ある。. 対する積極性』が増した」という調査結果が出た. 最後に,古くて新しい論点を確認したい。ひと. が,「はたして子どもが満足しさえすれば,それ. つは,学校経営において総合学習をとおしたタテ. でよいのか」という点である。3「教科の学習と. 系としての文科省などの指導に対する主体的な解. 総合的な学習とは別である」と考えている子ども. 釈が求められていること。もうひとつは,学級経. が多いという調査結果を踏まえ教科との関連を. 営としての総合学習をとおしたヨコ系としての子. 図ったカリキュラム開発が重要になってくるとい. どもたちの評価を含めたコミュニケーションが今. う点である。4「一般的に今日的な課題に対して. まで以上に求められているのではないだろうか。. は,子どもはあまり積極性を示さない」という調 査結果は出たが,「福祉やボランティア」「人権」 引用文献. 等の今日的な課題についても,積極的に取り組む 必要があるという点である37。. ここで留意したいのは,意識調査の解釈におい ても子どもたちとの聞き取りなどのコミュニケー ションの必要性であり,大人目線での一方的な解 釈は危険であろう。. 1 根本直樹「「開かれた学校」の実践にむけての理念と. 課題の整理」『“北海道生涯学習研究”北海道教育大学 生涯学習教育研究センター紀要』8 2008.3. 2 文部省『小学校学習指導要領解説 総則編』平成11 年5月 p44 3 文部省前掲2 p45 4 第15期中央教育審議会(第一次答申)「21世紀を展望 した我が国の教育の在り方について」(平成8年). 20.
(10) 「総合的な学習の時間」の特性とその解釈. 5 川吉田二郎『ひろばの創造 移動大学の実験』 1977.5 p9. 6 池田 寛『学校再生の可能性一学校と地域の協働に よる教育コミュニティづくり』2001,11p126 7 新富鹿央「「学び合う」学級をつくる一全員参加型授. 30 佐藤前掲18 p451 31 日台利夫「「学力低下」論争のなかで生活科・総合的 な学習再構築の方向を考える」『せいかつ&そうごう』. 13号 2006.2p15 32 結城前掲28 p173. 業を目指して−」『初等教育資料』712 平成11年11月. 33 石森秀三『博物館経営・情報論』2004.3 p190. pp3−4. 34 村川雅弘「総合的な学習の時間の意義と役割」『初等. 8 佐藤 学『教育改革をデザインする』1999.10 plOO 9 岩木秀夫『ゆとり教育から個性消費社会へ』2004.1 p120 10 村川雅弘「総合的な学習の時間の意義と役割」『初等. 教育資料』716 平成12年2月 p451 11奈良正裕「豊かな学力の防衛」『せいかつ&そうごう』. 13号 2006 p23 12 村川前掲10. 教育資料』716 平成12年2月 p13 35 根本 彰「学校図書館問題への一つの視点」『学校図. 書館』687 2008.1p16 36 田中孝彦「教師教育の改革と教師像」『フィンランド に学ぶ教育と学力』2005.8 p146 37 安里恒男「各学校における「総合的な学習の時間」 の充実・改善の課魅と方策」『初等教育資料』78平成16. 年8月 ppll−12. 13 鴫野道弘(文部省)「総合的な時間への取り組み」『初. 等教育資料』716 平成12年2月 p18 14 宮川八岐(文部省)「総合的な学習の時間の実践課題」. 付 記. 『初等教育資料』751平成14年2月 p14 15 安彦忠彦「知の総合化の視点を重視した「総合的な 学習の時間」の充実方策」『初等教育資料』784 平成16. 年8月 p5 16 寺西和子『総合的学習の理論とカリキュラムづくり』 2000.6 p26. 17 稲垣忠彦『総合学習を創る』 2000.2 p187 18 佐藤 学『カリキュラムの批評』1996,12 pp446−447 19 佐藤 真「資質・能力の明確化で変わる学習指導」『初. 等教育資料』812 平成18年9月 p7 20 安野 功「総合的な学習の時間で育てる資質・能力. 本研究は平成17年度からスタートした北海道教. 育大学での. 『「開かれた学校」の基盤整備に関す. る総合研究』の共同研究員の一人としての分担に よるものである。本論によって,その報告の一部 を担うことにした。 最後に,本研究にご協力をいただいた,北海道. 教育大学附属函館小学校の五十嵐義幸先生と函館 市磨光小学校の阿部智先生に感謝申し上げます。. との知の総合化」『初等教育資料』762 平成14年12月. p7. (函館校准教授). 21奈須止裕「総合的な学習の時間で育成する学力と学 習活動の構想・展開」『初等教育資料』775 平成15年12 月 p9 22 谷川彰英「「私」と「公」から見た学び論」『せいか. つ&そうごう』12号 2005.2 p32 23 佐藤前掲18 p449 24 梅津正美・草原和博「社会科教育実践力を育成する. 教科教育法の構想一教科と「総合的な学習の時間」の 違いをふまえて−」『教科数青学研究』第22集 2004.3. p5 25 稲垣前掲17 pp187−188 26 文部科学省『小学校学習指導要領解説 総則編』平. 成16年3月 p64 27 稲垣前掲17 pp189−190 28 結城 恵「総合的な学習の時間に求められる教師の 役割」『教科数青学研究』第20集 2002.3 p169 29 八代健志「一人ひとりの願いをこめて」『月刊みんば く』29−7 2005−7 p7. 21.
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