社会系教科教育学会『社会系教科教育学研究』第6号 1994 (pp. 1-7)
戦 後 社 会 科 再 考
一調べる社会科の復権−
Reappraisal of the Social Studies in Japan after World War
Ⅱ
:Reconstruction of the Social Studies based on the method of investigation
1。『山びこ学校』再考 1992 (平成4)年9月,文芸春秋70周年記念出版ノ ンフィクション〔人間発掘〕シリーズ第1回発売とし て,佐野眞一氏の『遠い厂山びこ』一無着成恭と教え 子たちの四十年』が世に出た。それは,昭和26年に出 版され,戦後民主主義教育の金字塔と皿われた『山び こ学校』の教師無着成恭と,生活記録を生き生きと綴っ た43人の教え子たち一人ひとりの,生い立ちと彼らの その後の波瀾の人生を克明に追いかけたルポルタージュ である。 『山びこ学校』は,出版後2年間で12万部売りつく し,当時としては大ベストセラーとなり,日本中を感 動させた。この晝を読んで教師になろうと決意した者 も多く,また今日でも大学の卒業論文のシーズンにな ると,この文集の生まれた山形県のムラを訪ねてくる 学生が多いという。 最近,出版当時この文集が教師を目ざす若い学生に ヽ与えた衝撃を綴った資料を入手した。それは,当時, 少年飛行兵帰りで,福岡学芸大学(現福岡教育大学) の社会科専攻学生であった郷田豊氏(後に福岡県下の 中学校社会科教師,福岡教育大学附属中学校教頭,県 教育センター研究主事,中学校長を歴任され,現在九 州女子短期大学)が,友人と作った文芸誌「May」 3号(昭和26年7月30日発行)に書かれたエッセイで ある。そこに郷田氏は『山びこ学校』と出会った感動 を次のように記しておられる。長いので筆者が一部省 略して編集した。 雪はコンコン降る。 人間は, その下で暮らしているのです。 何げなく読み,頁をめくると一昨年,文部大臣 賞を受けた江口君の「母の死とその後」でした。 これを中途まで読むと,もう駄目です。推薦者の 坪田譲治さんも言っておられるように胸がつまっ て,身動きのとれなくなってしまう私でしたo −
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東
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この「山びこ学校」の子どもたちは,学校に行 きたくてもやってもらえないのです。本が買いた くても本は買えず,また本が読みたくても読む時 間すらないのです。本を読んだり,学校に行く時 間があれば野山で働かなければならない子供たち, この子供たちは世間の人々が言うように本当に罪 のないものなのでしょうか。子供に罪がないもの でしたら,どうしてこのような苦しみをしなけれ ばならないのでしょう。しかも子供たちが学校を 休んで汗水を流して,いくら働いても,働いても 楽にならないくらしー。 実は私か読み了った時,“これだ’と思いまし た。そしてそのとき涙が出てしかたがなかったの です。ともすれば,暗がりの中に自己を見失って しまう昨今の私,この私に何か大きな棒で気合い を入れられたという感じでした。今やっと眼のさ めた思いです。あのいじらしい子供たちに教えら れているのですから,私の涙は何時までも何時ま でも続くのです。 私がこれだ”と思ったこと,それは「山びこ 学校」の中に明るい朝の気配を見いだしたことで す。それは私たちにとって教育のあり方教育のと り組みとも言えるでありましょう。ここに私たち の課題が教師としての生命があるのではないでしょ ・ うか。 東北の寒村における教育実践記録『山びこ学校』が, 南国九州の多感な大学生に,教師となる強烈な意欲を かきたてた情景がよく綴られている。この本が出版さ れた昭和26年とは日本の産業復興もままならず,また 戦後の平和への希望もつかの間のことで,米ソ対立を 背景に隣国朝鮮半島で多くの血が流され,そうした国 際情勢の中でサンフランシスコ平和条約,日米安保条 約調印と続き,国内は左右の激しい対立のまっただ中 にあった時である。この混乱の中,方向を見失ってい た郷田青年にとって,『山びこ学校』は改めて教師に なる情熱と,未来への希望を与えてくれるものだった 1−のである。 私自身について語れば,大学で社会科教育法を教え ながら,社会科の理念や理想を語る中,社会科教師と なる者の必読書としてこの本を推せんしてきた。とこ ろが,大学教官としての寿命もあとわずかとなった一 昨年「遠い「山びこ」』を読み,一度この『山びこ学 校』の生まれた風土をこの目で確かめてこなければ, 社会科を研究しまた教えてきた者として大学を去るこ とはできないという強い想いにとりつかれ,昨年秋に 山形を訪れた。 かつては山形県南村山郡山元村,いまは上山市狸森 字久夕根,狸森はムジナモリと読むのだが,今は道路 も大きくきれいに舗装されていて山形市からバスで2, 30分で行ける。山元中学校は,鉄筋コンクリート四階 建てのモダンな校舎と変わり,昔の面かげを探しても どこにもない。しかし,地域は,山が浅く,谷を流れ る川も小さく,水田耕作のできる平地の少ない,かつ ての山村の貧しさを想像させるものであった。(実際 以上にこの地の貧困のイメージを国中に広めたという ことが,無着氏批判の一つの側面であるらしい。)こ の貧しさの先入観をもっていたがためでもあろうが, 筆者は,この地で,次のような場面に出くわして,強 く心をゆさぶられるというか当惑してしまった。 当日は,取入れの秋の10月の金曜日,その午後のこ とであるが,『山びこ学校』の生徒のリーダー的存在 で,その後農村問題などの著書も多い佐藤藤三郎氏の 家を訪ねようと急な坂道を登っているときである。家 並の間から急に明るい叫び声とにぎやかな話し声が聞 こえてきた。何事かと見ると男女の高齢者が集まって ゲートボールに興じているではないか。ほんとうにこ の情景を見て驚いた。『山びこ学校』や『遠い「山び こ」』を読んで得た,働いても働いても食えないとい う東北山村のイメージがあまりに強かったからである が,江口江一君が描いたあの時代のあの農村と,いま 目の前でゲートボールをウィークデイの日中に楽しむ 老人たちの姿の間に,一瞬,連続を見いだすことがで きなかったのである。冷静に考えれば当たり前のこと で,全国どこへ行っても今は老人たちが朝早くからゲー トボールを楽しんでいる光景に出会う。『山びこ学校』 の内容とは別に,私か田舎育ちで,田舎を離れる昭和 20年代終わりまで,農村の老人が日中に集団で遊ぶと いう情景を見たことがなかったせいでもあろう。 私は,もともと皮肉な評論家なので,次のように考 えた。ああ,今この農村で,老人たちが,休みでもな い日中に働かなくてもよくなったのは,あの「山びこ 学校」にみられる無着先生の社会科指導の成果ではな いかと。『山びこ学校』は生徒たちの文集なので,実 際に授業の姿は理解できない。そこで,無着先生は, 匚あとがき丁で自分の社会科実践の事例を次のように 述べておられる。 生徒たちの綴方に触発されて,「教育を受けるとな ぜ百姓するのがいやになるのか」という問題を発見す る。それは寸農民の貧乏はどこに原因があるのだろう」 という問題でもあるが,その問題を多面的に追求しな がら,結論として,「農民は自分さえよければよいと いう考えを捨てて,力を合わせ,機械化を考えなけれ ばいけない」という考えに達したという。 この問題解決学習によって得られた結論に従って村 の人が努力したから,いま,高齢者も日中に遊べるく らいに豊かになったのだろうか。 社会科は問題解決をめざす学習でなければならない と言われる。そこで無着先生も,「山びこ学校」の 「あとがき」で,自分の社会科実践を問題解決学習風 に説明される。その問題解決の結論が,上のように農 民は協力して機械化を図るという,まことに楽観的で 優等生風の言明である。それに比べれば,江口江一君 の「母の死とその後」の方がより現実を直視している。 母が死に自分が働かなければならず学校に行けない。 この問題を解決するための方策を6か条にわたって書 いて先生に渡す。その一つは必死に働いて金をためて 豊かになるという考えである。しかし,江口君はその 後に次のように綴る。 「金をためて不自由なしの家にする」 などということは,はっきりまちかっていること がわかるのです。 このことを考えてくると,貧乏なのは,お母さ んの働きがなかったのではなくて,畑三段歩とい うところに原因があるのではないかと思えてくる のです。三段歩ばかりの畑では,五人家族が生き てゆくにはどうにもならなかったのではないでしょ うか。 だから今日のひるま,先生に書いてやったよう なことは,ただのゆめでほんとうは,どんなに働 いても,お母さんと同じように苦しんで死んでゆ かねばならないのではないか,貧乏から抜け出す ことはできないのではないか,などと思われてな らなくなる。 江口君のこのような作文を読みながら,私は,『山 びこ学校』の実践を問題解決学習という枠組みに入れ て評価するのは間違っているのではないかと考える。 この生徒たちが見いだし,調べ,作文に綴ったような 切実な現実の問題は,中学生などに容易に解決の方向 が見出せるものではない。中学生でできる問題解決は せいぜい同級生が江口君の家の仕事を手伝うことくら −2−
いであろう。 『山びこ学校』の評価さるべきは,社会的な切実な 問題の問題解決学習にあるのではなく,北方綴方の伝 統に従い,さらに社会科学的な調査と数量化を行って, 生活現実をリアルに表現したところにあると思われる。 私は,お会いした佐藤藤三郎さんのやや屈折した独 特の印象と,ゲートボールに戯れる老人たちの明るい 姿をまぶたの奥にとどめ,戦後は終わった,戦後社会 科の時代は終わったとつぶやきながら,狸森から山形 市行きのバスに乗ったのであった。 ちなみに,若くして有名になった無着成恭先生や佐 藤藤三郎氏のその後の40年は,私どもの想像をこえる 重荷を背負った人生であったことと推察される。たま たま,山元中学校前の食堂に昼食のために立ち寄った。 店の人がいうのに,わずか20日程前に,『山びこ学校』 の生徒より一級下のクラスが無着先生を招いて同窓会 を開いたとのこと,その時,無着氏が教え子の一人に 渡した色紙が食堂に無造作に飾られていた。禅僧らし く無着氏は,そこに次のように記しておられた。 旅をするとき 荷物はない方がいい まして人生は旅ならば 荷物はない方がいい 2。戦後社会科実践の読み直し これも最近のことであるが,先に述べた福岡県の郷 田豊先生から貴重な資料を送っていただいた。表紙に 匚水害の実態調査一昭和28年6月28日の水害−」と印 刷され,下部に厂昭和28年,八幡市立高見中学校2年」 と書かれている。これは郷m先生が初めて中学校社会 科教師となった年の6月の大水害調査を,2年生が行っ た報告書の復刻版である。その目次は次のようである。 I H Ⅲ Ⅳ V VI Ⅶ VⅢ Ⅸ
水
と私
達
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生
活
大
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川の
水
害の
実態
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査
八幡
市
の
水
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況
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水
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調
査
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雨
量
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査
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歴
史
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水
害
調
査
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調
査
グルー
プに
よ
る発
表
と質
問の
骨
子 X 私の水害体験 このIVの細かい調査項目は次のようである。 IV 新聞を通しての水害調査 −3− 1.水害調査の方法 2.新聞の整理とその分類 3.水害とその後((1)水害対策①国 ②市町村 (2)水害復興(3)鉄道関係(4)保安隊(5)学校 (6)夜明ダム(7)炭坑(8)農村(9)政治・経済・社 会 ㈲保健(11)救援(12)水害に対する今後の問題) 目次を見ただけでも,この報告がまことに多面的で 大がかりな調査であることに気づかれるであろう。地 図,写真はもとより,調査結果の統計表で埋まってお り,かなり専門的である。 この報告を見るとき,すぐれた戦後社会科実践とし て記録に残っている熊本大附属中学校の吉田定俊氏に よる『水害と市政』を思い出す。偶然にも熊本附属中 のこの実践記録は,郷田先牛の報告書と同じ水害を扱っ ているのである。吉田氏の実践は中学3年生のもので あるが,この記録が評価されているのは,調査後の授 業で江戸時代の治水にまで溯り,封建社会の仕組みと の関係まで追求を深め,この水害の原因を探っている ところにある。この部分の解釈は歴史学者によるとい ささかあやしいそうであるが。 この実践も,歴史的な封建社会批判を含む問題解決 学習として評価が高いのであるが,実際には,この実 践の重点は先の郷田先生のそれと同じく水害の実態調 査にあったのではないかというのが,私の推測である。 それは,次ページ表①の匚白川・坪井川・増水氾濫に ともなう熊本市洪水の研究手引」を見てもらえば納得 されるであろう。 まず研究問題の参考例を見るとその多面的,総合的 なのに驚くが,さらに研究調査方法の綿密さに敬服す る。当時はやった社会調査法をよく勉強して作ったも のと考えられるが,今日の中学校社会科からは想像も できない調査学習である。 同じく初期の社会科実践として著名な『用心溜』を 見てみよう。これは昭和25年の2学期に,新潟県西蒲 原郡赤塚小学校4年生を対象に,樋浦辰治先生が行っ たものであるが,表②の指導過程を見てほしい。ここ では,研究法として自然科学的方法(実証・実験的と いう意であろう)と歴史的方法を組み合わせ,ほとん どすべての匚学習活動」が「しらべる」であることに 注目したい。この授業の中心的問題意識は厂赤塚村か ら火事をなくしたい」というところであるが,その問 題意識から徹底した事実調ぺをした実践として評価さ れるべきだと思われる。 戦後の社会科実践を問題解決をめざす学習指導とし てとらえる傾向が強い。しかしここであげた実践記録 から推測されるように,問題解決学習というより,児 童・生徒の自発活動を基盤とした調べ学習としての性 格の方が強かったのではないか。具体的には見学,イ表 ① 〈 水 害 と 市 政 〉 < 前 略> ◆ 研 究問 題 の 参 考 ○ 校 区 別 被 害 程 度 ○ 洪 水 に よ る 伝 染 病 の 発 生 ○ 洪 水 ま で の 地 域 別 雨 量 の変 化 ○ 泥 土 の成 分 利 用 法 〇 地 域 に よ る 浸 水 度 の ちが い ○ 地 域 によ る 積 度 の ちが い ○ 氾 濫 し た 水 の方 向 ○ 場 所 によ る 流速 の 相違 ○ 被 害 度 と 浸 水 流 速 の関 係 ○ 白 川 、 坪 井 川 の増 水氾 濫 の 時 間 ○ 土 地 の高 低 と被 害 度 ○ 場 所 によ る 被 害 の 種 類 ○ 堤 防 決壊 と 川 の 蛇 行 O 橋 の 流失 と そ の対 策 ○ 白 川 の氾 濫 と 橋 梁 の 関 係 ○ 白川 堤 防 の 構 造 ◆ 研 究 実 施 の手 引 (1) 研 究 問 題 を 決 定 す る ○ 地 域 に よ る 浸 水 時 間 の 相 違 ○ 市 域 の浸 水範 囲 ○ 泥土 堆 積 の 範 囲 ○ 決 潰 箇 所 と の 距 離 に よ る 被 害 度 ○ 決 潰 時 間 の 場 所 に よ る 相 違 ○ 今 後 の 水 害 対 策 ○熊 本 の 洪 水 史 と そ の 共 通 点 ○ 水 害 に み られ た 熊 本 市 民 の意 識 ○ 洪 水 と 物 価 の 関 係 ○ 罹 災 者 の 校 区 別 分 布 ○ 罹 災 者 の救 援 状 況 ○ 罹 災 者 の生 活 意 識 ○ 復 興 の た め の協 力 組 織 ○ が け崩 れ の原 因 と そ の 被 害 ○ 洪 水時 に人 々 が とつ だ 行 動 ○ 復 興 速 度 の地 域 に よ る ち が い ○ 白 川 の 川 底 の 各地 点 にお け る ち が い ○ 放 水 路 ○ 洪 水 に対 す る 政 府 や県 の 対 策 ○ 浸 水 し た 水 の は け 具 合 の 地 域 に よ る ちが い ○ 被 害 者 の心 理 ○ 水 害 の 際下 水 道 の 果 し た 役 割 O 水 害 の 全国 へ の 報 道 の 状 態 ○ 浸 水 地 と 伝 染 病 発 生 の 関 係 ○ 保安 隊 の 活 動 と 市 民 の 感 情 O 白川 増 水 と 阿 蘇 の 雨 量 の関 係 ○ 流 速 の 場 所 に よ る ち が い ○ 潮 の 干 満 と 洪 水 の関 係 ○ 各 地 の浸 水 と氾 濫 か所 の 関 係 「 研 究 問 題 の参 考 」 を 例 とし て 、 一 つ あ る い は幾 つ か 自 分 の す き な そ し て 資 料 の 集 めや すい 問 題 を え ら ん だ が よ い。 そ し て 大 ま か にで な くで き るだ け こ ま か く わ け て お く が よ い。 (2) ね らい を はっ きり き め る そ の研 究 に よっ て 何を と らえ る の か を は じ め に はっ き り さ せ て お く 。 ね らい が あ い まい だ と 研 究 の 途 中 で 本 流 よ り も支 流 に重 きが か ゝつ て し ま う お そ れ が あ る。 (3) 調 査 計 画 をつ く る ○ 調 査 す る 地 域 ○ 資 料 あ つ め の 仕 方 ○ 記 録 用 紙 、 地 図 の 用意 ○ 実 地 踏 査 の方 法 な ど く わ し く 考 え て 順 序 よ く ね ら い を 果 す よ う に す る。 (4) 調 査、 資 料 あっ め、 研 究 を 実 施 す る。< 例> ○ 地 区 を はっ き り き め て 踏 査 する ○ 現 地 で き い て 白 地 図 や 調 査 表 に記 入 す る ○ 現 地 で 測 定、 蒐 集 す る ○ 写 真 や 絵 、 図 にあ ら わす (5) 調 査 内 容、 資 料 の 整 理 、 分 析 を す る ○ 泥 土 の採 集 やそ の 分析 を す る ○ 水 害 特報 、 新聞 、 写 真 を あ つ め る ○ 対 策 本部 、 県 、 市土 木 課 を 訪 問 す る ○ 全 市 域を サ ンプ リ ング し、 個 別 調 ○ 調 査 の 期 日、 日 程 査 す る ○ 統 計 、 年 鑑 、 史 書 な ど の資 料 を あ つ める ○ 質 問 紙 法 によ る調 査 を す る あ つ め た 資 料 、 調 査 し た事 実 を 統 計 に し た り、 表 や グ ラフ 化 し た り 、 地 図 や 絵 図 化 し た りし て 、 い ろ い ろ な 角 度 か ら 分 析 し て み る。 (6) 結 論 を ま と め レ ポ ート に ま と め る 資 料 や 事 実 を もと にし て 、 最 初 の ね ら い に も と ず い て 、 自 分 の考 え を ま と め る。 ◆ 備 考 ○ 資 料 とし て 新 聞 、 災 害 特 報、 市 地図 、 教 育 資 料 集、 熊 本 史 談 、 熊 本 市 誌 、 災 害 写 真、 年 鑑 な ど が 考 え ら れ る 。 ○ こ の種 の研 究 や仕 事 を し て い る と こ ろ と し て、 市 土 木 課、 市 調 査 課 、 災 害 対 策 本 部、 市 教育 研 究 所 ( 元 偕 行 社 )、 町 内 嘱 託 、 校区 出張 所 な ど が あ る。 ◆ と に か く、 百 の論 より 一 つ の 実 行 だ。 お り あ たか も炎 暑 の夏 、 体 に充 分 きを つ けて 研 究 を す・・ め て い た ゞ き たい 。 私 は み な さ ん の若 さ の もつ 熱 と力 に 期 待 す る。 最 後 に、 復興 の シ ョ ベ ル を に ぎ る 現 地 の 人 々 に迷 惑 を か け ぬ よ う にー − 4 − 「匚社 会 科 教 育 史 資 料 4」 東 京 法 令 よ り )
表 ② 〈 用 心 溜〉 段 階 研 究 法 児 童 の問 題 意 識 学 習 活 動 時 間 指 導 上 の留 意点 備 考 導 入 火 事 は恐 ろ し い ・ 防 火 週 間 はじ ま る ○ 防 火 週 間 の ポ ス タ ーを か く… … 貼 示 ○ 近 代 的 消火 施 設 の写 真 … 貼示 ○ 火 の 用心 の夜 巡 り の反 省 … … 学 級 児 童 会 ○ 火 事 の 映写 を み る 3 学 習 活 動 の 展 開 j 自 然 科学 的 研 究方 法 ( 今) 現 場 調 査 面 接 実 験 等 の 直 接 経 験 歴 史 的 ( 昔) 研 究 歴史 的 現 在 お よ び 将 来 地 理 的 公 民 的 研 究 法 赤 塚 村 か ら火 事 を な くし た い (1)火 事 の 経 験 を 話 し 合 う (2)火 事 の 損 害 を し ら べ る ○国 ・ 県 ・ 郡 ・ 村 (3)火 事 の 原 因 に つ い て し らべ る ○ 原 因 別 件 数 表 ○ 時 刻 別 ○ 月 別 を 作 り 考 え る( 話 合 う) ① 本 能 的 恐 怖 ②損 害( 窮乏) に対 す る恐 怖 … ○ 火 事を な く す る た め に は 原 因 を し ら べ る こ と ○ 損 害 を 最 小 限 度 に く いと め るた め に は消 火 施 設 を よ く す るこ とが 大 切 で あ る こ と に気 づ か せ る 年 鑑 県 勢 便 覧 地 方 事 務 所統 計 今 ど うな って い る か (1)村 の 消 火 施 設 を し ら べ る ○ 消 防 団 の 組 織 ○ 隣 接 区 村 と の 相 互 応 援 組 織 ○ 消 火 施 設 ○ 火 の見 や ぐ ら 一視 野 ○ ポ ンプ の配 置 機 能 ○ 用 心 溜 ① 分 布 ② 構 造 15 消 防 団 の幹 部を 招 い て 話 を き く。 自 然 科 学 的 実 験 的 研 究 ○ 燃 焼 ○ 火 を 消 す 手 段 の 自 然 科 学 的 原 理 ○ 火 と 空 気 、 強 風 で 乾 燥 し た時 に はさ ほ ど効 力 が な い ので はな い か とい う疑 心 を も たせ る 村 の 沿 革 誌 古 老 のお 話 こ れ で 大 丈 夫 か 田 こ のよ うな 施 設 が ど れ は ど の効 力 が あ る かし ら べ る ○ ポ ンプ で 用心 溜 の 水 の 届 く範 囲 ○ 何 分 で ポ ン プ の 水 がつ き る か ○ 次 の 用心 溜 の 水 を 射 出 す る ま で 何 分 か か る か 実 際 ど のよ う に役 立 つた か 事 例を し ら べよ う (1)町 の 大 火 事 の 歴 史 と 用 心 溜 の 構 造 ・ 分 布 ・ 改 善 し た 事 項 ○ 昭 和 二 十 三 年 の坂 田 の火 事 ○ 昭 和 十 一 年 の 新 町 火 事 ○ 大 正 十 年 の本 町 火 事 ○ 明 治 前 期 の坂 下 大 火 事 ○ 江 戸 末 期 の仲 町 火 事 ○ そ の前 の船 江 町 の火 事 ○ そ の前 は 10 ○ 児童 が し って い る 坂田 火 事を 逆 年 代 に し ら べ る よ う に す る ○そ の ときの村 の人々 の 失 意 ヶ ッ 起 協 力 等 の 姿 を ま ざ まざ と よ み とる よ う に す る ど う す れ ば よ い か (1)進 ん だ消 火 法 と耐 火 建 築 ○ 消 火 施 設 ○ 各地 の 消火 法 (2)対 策 を 考 え る ○ 消火 用 水 路 の 掘 き く ○ 用 心 溜 を 鉄管 で つ な ぐ ○ 家 の た て 方 ○ ガ ソ リ ン ポ ンプ を 購 入 す る 16 大 都市 の防 火 空 地 帯 につ い て もし ら べ る 村 の地 図 に予 定 図 を か き込 む 厂学 習年 鑑」 「火 の 歴 史」 「家 の た て 方」 終 末 私 た ちで で き る こ とを し よ う (1)進 言 一 助 役 を 招 い て 研 究 結 果 を 伝 え て お ね が い す る (2)防 火 協力 一 火 の 用 心 施 設 保 護 作 製 し た も の を 陳 列 し て お く − 5− 「 匚社 会 科 教 育 史 資 料 4」 東 京 法 令 よ り )
ンタビュー,社会調査,文献調べなどをいうのだが, 調べ学習として,初期の社会科実践を読み直してみる ことが必要ではないかと考える。 先に述べたが,『山びこ学校』の各作品も明らかに, 現実を冷静に見つめ,調べ,表現するというリアリズ ムに徹している。経済学者大熊信行氏がこの文集の1 部を見て,厂生活綴方というより生活算数といった方 がよい」という意味のことを言われているそうだが, 確かに江口江−「母の死とその後」,川合ヤスノ匚教 科書代」,調査報告「学校はどのくらい金のかかるも のか」などは生活算数であり,数量的な社会・経済調 査となっており,そこに『山びこ学校』実践の特色を 見ることができる。(岩永健司「社会認識過程におけ る数量の機能一『山びこ学校』の場合一」全社学『社 会科研究』37号, 1989年参照) 社会科の理念は問題解決学習だといわれ,初期のす ぐれた社会科実践をその枠の中で評価しがちだが,実 際は子どもによる調査学習に重点があったのではない かというのが本論における私の主張である。(それに よって初期社会科実践の評価を下げようというのでは なく,今日でも学ぶべき特色として評価し直すのが私 の本意である。)以下で,私の主張を裏づける当時の 資料を調べてみよう。 社会科というものが初めて公式に示された昭和22年 版学習指導要領社会科編(I)の第四節「社会科の学 習指導法」で,「その学習は青少年の生活における具 体的な問題を中心とし,その解決に向かって諸種の自 発的活動を通じて行われなければならない」と明らか に述べている。しかし,続いて「青少年は社会生活に 関する真実な知識理解を与えられなければならないが, これは自分たちでなんらかの行動をなし,社会との交 渉を経験することによってのみ得られるのである。な すことによって学ぶという原則は,社会科において特 に,たいせつである。」という。すなわち,社会科の 学習指導は問題解決をめざして行うのが眼目だが,知 識理解は子どもたちが社会と交渉する(経験一自注) こと,なすことによって学ぶことが大切だというので ある。 ここでは,「子どもの生活における問題とその解決」 という内容面と,厂子どもの自発的活動,社会との交 渉,なすことによって学ぶ」という方法面の,当時の 日本の先生方にとってまったく新しい二つの観点が示 されているわけである。そして前者に重点を置いてみ ると社会科は問題解決学習だということになり,後者 に重点を置くと社会科は子どもの自発的な調べ学習だ, 作業学習だということになる。。 この22年版学習指導要領のアメリカ社会科的色彩を −6− 薄め,日本人にわかりやすくするために約23年に出さ れた『小学校社会科学習指導要領補説』は後者の観点 に立ち,もっぱら作業単元の作り方,その展開事例を 示す。筆者は,この『補説』が,先に述べた初期社会 科の調べ学習のモデルになったのであろうと推察して いる。それでは作業単元とは何かといえば,『補説』 では次のように説明されている。 社会科学習指導の任務は,児童が現実の生活で 直面する問題の解決を中心として,有効な生活経 験を積ませることです。そして有効な生活経験は, 単なる断片的な生活経験の寄せ集めではなくて, まとまりのある,組織された経験でなくてはなり ませんOこのような経験のまとまり,あるいは組 織が作業単元であります。 ここでも「問題の解決」,「生活経験」,匚作業単元」 の関係はよくわからない。執筆者もよくわからずに書 いているのかもしれない。よく初期の学習指導要領を 法律の条文のように解釈しようとする人があるが,こ の頃の学習指導要領は法律でなく「試案」であって, 一種の啓蒙書として読むべきである。 本論に帰り,ごの『小学校学習指導要領補説』の構 成は,第一章序説,第二章作業単元の基底,第三章作 業単元の構成,第四章作業単元の展開となっており, 社会科の学習指導=作業単元の指導書である。そして, 先に引用したように,「社会科学習指導の任務は児童 が現実生活で直面する問題の解決を中心として」と述 べているが,それはどこまでも建て前だと思われるO なぜなら第四章作業単元の展開で示す3つの単元事例 は,「近所の生活」(2年,やお屋さんの学習),匚郷土 の輸送」(4年,駅の学習),匚新聞の学習」(6年)で あって,問題解決を中心とする展開ではなく作業学習, 調べ学習であるからである。 4年生の「郷土の輸送」について,より詳しく検討 してみよう。単元展開は次のようになっている。 「郷土の輸送」 1.単元への導入 (1)環境の設定 機関車,貨車など運輸に興味を持たせる展示物, 書物,ごっこ遊びの道具 (2日児童の)環境への働きかけ(自由活動) (3以児童の)環境への反応(話し合い) 2.学習活動の発展 (1)機関車,貨車,冷蔵車作り (2)駅見学の調査項目の話し合い (3)駅の見学 (4駅で発着する貨物についての話し合い (5)駅の見学にの駅で降ろされる貨物の種類及び
そ の 発 送 地 , 発 送 さ れ る貨 物 の種 類 と そ の 送 り 先 調 べ ) (6)貨 物 の送 り先 , 発 送 地 を 日 本 地 図 に も 表 示 (7)駅 の 模 型 作 り (8)駅 で 働 く人 の 仕 事 こ の 作業 単 元 事 例 を み る と, 模 型 作 り や ご っ こ活 動 は別 と し て , 今 日 行 わ れて い る駅 見 学 を 含 む 厂駅 で 働 く人 々」 の 学 習 の原 型 で あ る こ と が わか る が, そ れ は さ てお き, こ の 授業 事 例 か ら も,「 児 童 が 現 実 の生 活 で 直面 す る 問 題 の 解 決 を 中 心 と し て , 有 効 な 生 活 経 験 を 積 ま せ る 」 と い う 社 会 科 学 習 指 導 の定 義 の ウ ソ ない し 建 て 前 的 性 格 が よ く わ か る。 こ の建 て 前 と 実 際 の授 業 と の ず れ は, 永 く 社 会 科 を 混 乱 さ せ て き た。 な ぜ ず れ が生 ま れ る の か と い え ば 二 つ の 理 由 が 考え ら れ る。 一 つ は, 児 童 が 現 実 生 活 で 直 面 す る 問 題 の解 決 な ど は個 人 ガ イ ダ ン ス や生 活 指 導 上 の課 題 であ っ て, ク ラ ス 単 位 で 行 わ れ る 教 科 の 授業 に は な じ ま な い 。 二 つ は, ア メ リ カ の モ デ ル に 従 っ て , 運 輸 の よ う な 社 会 機 能 を 取 り 上 げ た が, そ れ は 児 童 の現 実 生 活 の問 題 で は な い。( だ か ら 「 単 元 へ の導 入 」 で ご っ こ 遊 び や 製 作 を さ せ て 学 習 意 欲 を 起 こ さ せ る ので あ る 。) い ず れ に せ よ, 児 童 が 現 実 生 活 で 直 面 す る 問 題 の 解 決 と い う の は 建 て 前 な の で あ る。『 補 説 』 で 取 り 上 げ て い る 他 の二 つ の作 業 単 元 展 開 事 例 も 同 様 で あ る。 そ れ で は, 初 期 の 学 習 指 導 要 領 が 実 際 に め ざ し て い る授 業 はい か な る も のか と い え ば , そ れ ぱ な す こ と に よ っ て 学 ぶ ” と い う 原 則 に 立 ち ( だ か ら 作業 単 元 と い う の だ ろ う), ご っ こ や 製 作 で 知 的 興 味 を 喚 起 し な が ら, 調 べ る学 習 を さ せ る こ と に あ る と思 わ れ る 。 そ れ は, 調 査 学 習 と い っ て もい いし, 調査 研究 学 習 とい っ て も い い が ,『 補 説 』 の 3 事 例 に共 通 す る と こ ろ で あ る。 こ の こと は小 学 校 社 会 科 だ け の こ とで は な い 。 22年 版 の学 習 指 導 要 領 社 会 科 編 ( n )( 第 7学 年 ∼ 第10 学 年 ) を 見 て も, 問 題 単 元 と い う 表 現 を 使 い な が ら, 数 多 く載 せ ら れて い る 展 開 事 例 の学 習 活 動 は, もっ ぱ ら 匚調 べ る こ と 」 匚調 べ て 討 議 す る こと 」 で あ る 。 中 等 社 会 科 の 問 題 単 元 と は, た とえ ば 「 近 代 工 業 は ど のよ う に 発 展 し , 社 会 の 状 況 や生 活 に, ど の よ う な 影 響 を 与 え て き た か 」 と い っ た も の で あ る 。 そ れ は, 厳密 に は, 近 代工 業 の発 達 史 を 問 題 的 表 現 に変 え た だ け の も の で あ り, 生 徒 が切 実 に 解 決 を 迫 ら れて いる 問題 で はな い。 そ し て, 示 さ れ た学 習 活 動 は, 近 代 工 業 発 達 史 の 内容 を , 生 徒 に 「 調 べ」 さ せ る こ と に よ って 学 習 さ せ よ う と し て い る ので あ る 。 こ の よ う に, 実 際 の授 業 は 児 童 ・ 生 徒 主 動 の調 べ学 習 とい う 性 格 が 強 い に も か か わ ら ず , 初 期 社 会 科 は問 − 題 解 決 学 習 で あ る とか , 社 会 科 は問 題 解 決 学 習 で な け れ ば な ら な い と い うよ う な 考 え が定 着 し た 理 由 に つ い て は別 に 検 討 し な け れ ば な らな い が , い ま 思 い つ く ま ま に言 う と, 一 つ に は, 上 で も引 用 し た よ う に学 習 指 導 要 領 が 建 て 前 と し て そ う 述 べ て い る か らで あ る が , さ ら に, 後 の 「 ̄問 題 解 決 学 習 か 系 統 学 習 か 」 と う 論 争 の中 で , 社 会 科 にお け る 問 題 解 決学 習 の原 則 が よ り 純 化 さ れ, 理 想 化 さ れ て い っ た か ら で はな い か と 考 え て い る。 お わ り に 戦 後 初 期 の 社 会 科実 践 を 問 題 解 決 学 習 と し て 評 価 す る の で な く , 子 ど もに よ る調 べ学 習 に 重 点 が あ る も の と し て 読 み直 し , 再 検 討 し て み る必 要 が あ る の で は な い か と い う のが 本 論 の 主 旨 で あ る。 社 会科 の初 志 をつ ら ぬ く会 のかつ て の 代 表 的 な 実 践 家 で, 著名 な有田 和正 氏 の最近 の実 践 の多 くを みる と,取 り 上 げ る テ ーマ は子 ど も の切 実 の 問 題 や 社 会 的 問 題 で も な い し, 問 題 解 決 学 習 で は な い。 極 端 に言 え ば, 主 題 は 何 で もよ い , い わ ゆ る ネ タ に よ って 子 ど もの 知 的 興 味 を 駆 り 立 て , 徹 底 し て 調 べ さ せ る と こ ろ に 氏 の授 業 の 意図 が あ る よ う に思 わ れ る。 “追 究 の 鬼” と い う氏 の言 葉 か ら も, そ の こ と が う か が え る。 新 学 力 観 と い う こ と が 言 わ れ, 体 験 的 学 習 が 強 調 さ れ, 新 し い 問 題 解 決 学 習 と い う声 も 聞 く。 し か し 新 学 ● ● ● ● ● ● ● ● ● 力 観 に立 つ 指 導 が知 的 性 格 を 失 わ ず に, 四 つ の 観 点 を 共 に, 総 合 的 に育 成 で き る学 習 方 法 は何 か と い え ば , 戦 後 社 会 科 で 行 わ れ た よ う な 徹 底 し た 調 べ学 習 で はな い か と 考 え る。 さ ら に, 問 題 解 決学 習 や そ の 他 新 し く提 案 さ れ る 学 習 方 法 と 違 い , 調 べ 学 習 は誰 で もで き る 社 会 科 の指 導 法 で あ る と ころ に長 所 が あ る。 7 −