前号において、女人成仏を説いたとなされる提婆達多品の表現をみて来たが、そこでは女身を男身に変える変成男 子の表現がなされておった。変成男子は女身を劣視する立場か、b始まるといいうるであろうが、同時にそのま上では 女人の成仏とは云い符ないであろう。変成男子をもって八才の竜女が成仏したといいうるならば、その背最にはどの ような思想が存するのであろうか。この辺に焦点をしぼって、阿含からの仏典における女人観を視て来たのである が、今号は前に続いての立場において、大宝積経を中心にして考察した女人成仏観を執り上げてみようと考える。 それがどのような結果を招来するかは興味あろうと信ずるからである。従って、今号では提婆達多姉との直接の交渉 は執り上げ得ない。 釈尊の滅后の結集において、摩訶波闇波捉の出家発願をゆるさるぺく阿難が釈尊にたいし論難し、彼女等を僧団の ① 中に加えさせたことについて、これは亜大な過失であるとして阿雌が迦葉等の仏弟子に論雌せられておるが、このよ
提婆達多品における女人成仏について
l大宝積経を中心とせる変成男子I
5望月海淑
(2)
(24)うな立場からは女人成仏思想は発生しにくいといわなければならない。即ち、このような状態の中において、女人成 仏を明白に打ち出すためには重大な信念が必要であろう。大乗の諸仏典において変成男子の型態をとることで女人成 仏の問題にとりくんだものは、このような律減の強い立場に原因があるものか、或はインド全域に存した女人に対す る考え方が強く影響を及ぼしているものかは疑問である。これらに対し、大乗仏典にても女人成仏は明白に打ち出さ れてはおらず、むしろ、女人は劣性のものであるとする態度を保持しているものをも認めなければならないである ③ 諸夫人等が 世螺。 ﹄﹃ノ。 般若経はその河天品第五十狸で 仏告二阿難一。是恒伽捉婆姉。未来世巾当二作仏一。劫名二星宿一。仏号二金華一阿雌。足女人畢二是女身一受二男子形一。 当し生一阿閑仏阿抑羅捉国土一。於レ彼浄修二梵行一。 と述べている。これは仏が値伽提婆姉の功徳の因縁を知り微笑したのにたいし、阿雌が何故に微笑したのかと疑した ものについての仏の解答の中で語られたものである。この女身を錐り男子の形を受く、の文は注意を川する。女身を おわるとは、女身なるものには一定の生命なり、なすべき仕壊なりが存し、そのような義務を果しおわあことを意味 するものか。或は男身は女身よりも一段上に存す為となす意識かあるのであろう。このような点については、大樹緊 那羅王所間経は更に明白に女人についての態庇を表明している。即ち、空・無相・無願を説いて般若波羅密を高唱し 衆生済度を主張したこの経は、方便波羅密の一として大樹緊那羅王の諸夫人等の成仏を述ぺているが、その中で王の 我等皆発無上逆心。終不以避女人之身成阿鍔多羅三貌三菩提。普哉世尊。願為我等如応説法。令我等雅転
仏蒲。諸姉。女人成就於一法行。捨女人形御卵子身。疾御撫上正瓦之逆。 ④ と女身を変じて男子となるための十法行を腱附している。十法行については、核神三十六号所戦の﹁女人成仏﹂に詳 細であるが、その十法行の中に、法を愛し法を楽み法を欲し法を聰き、法を聞き巳りて正念観察して女身を微脈し術 に啓んで男子の身を成ずるを得んと欲す、とする箇所と、他の男子の人を思念せず、というのがある。即ち、女人に 対して、成仏するためには女である自分自身の身分を微厭することと、男性のことを考えてはならないことを示した ものであろう。この引列の後者はとも角、前者には女性に対する趨視がみられる。成仏するには女身を転捨しなけれ ばならず、そのためには自分自身の肉体を嫌悪しなければならない、となす説示には女性の人格そのものを認めたも のであると即断出来かねるものが存する。やはりこの経典の底流には男身に対する女身、更には男身に従属するもの としての女身としての考え方があり、女身の劣性に立場を発したものといい得よう。十法行の修行の果に於て、女身 を転捨し、始めて男身となり成仏し得るとする説示は、女人の即身成仏とは異質のものであるといわなければならな い。この大樹緊那継王所問絲は支嬰迦縦訳出かAD一四七’一↓公ハ年と伝えられ、菩薩は空性にして虚空を道場と なす、昨ハ度を正逝となし下乗を非遊となすとする点や、小乗の代表的人物迦梁の無力無能を示し大樹緊那羅王を賞讃 する点呼からみて、大乗を在揚した般蒋系の維典であり、しかもかなり早期の作成になるものかと思われる。小乗の ︲二語1、ついで ● 〆 生 名 & ● ■ ■ ▲ ■ ■ ■ と語るにたいして世尊は 捨女身得男子身。疾成無上正典之道。 爾時世尊。語緊邸羅王諸夫人群。諭姉諦聴諜思念之。吾当淡説転捨女身成男子身。疾無上正真之道。 (26)
世尊。今此会中諸比丘比丘尼。優婆塞優婆夷顧一薬欲一レ間。修一何善行一・得丙離二女身一速成下男子上。能発乙無上菩 ⑦ 捉之心叩。雌願世尊当し為一解脱一。 の彼女の願をいれて仏は離女身、速成男子のための十法を語り、無垢光女は 爾時無垢光女。前礼二仏足一而作二是言一。一切諸法無男無女。此言若実。令二下我女身一化中成男子上。発二此言一時。 ③ 三千大千世界六種渋動。無垢光女形即滅。変化成一蹴相好荘厳男子之身一。 と、男子としての身となり菩薩となったことを示している。 この転女身経に見られるものは、女身を離れ男身となる変成男子思想であるが、変成男子するためには十法を行じ ⑨ なければならないことを示す。十法を略記すると ⑤ 曇摩蜜多訳出の転女身経は無垢光女の変成男子して菩薩となった物語を展開している。無垢光女は婆羅門須達多と 亥浄Hの子女であるか、仏が耆闇蝿山で説法中、浄日は懐妊しており胎中の女児が一心に合掌して仏の説法を聞いて 北るのを天眼カーの阿泥臘豆が見て仏に告げる。仏の問に対し胎女は悟りを得んがためであると語る。東南方の方 角、三十六那由佗の仏土を過ぎ浄住と名づくる浄土があり、仏は無垢称王如来と称すと、舎利弗に語り、 ⑥ 当此女著一孜服瑠略一之時。放一天光明一普照一大衆一。是故此女名一燕垢光一。 と、その名を明らかにし四法に就ての脱を語り、こLに舎利仏と無垢光女との対論がおこり、舎利仏は諭破される。 女人不成仏に対し立ちkった女人成仏の壮図の割には、般若思想の完全なる通用が行なわれなかったきらいが存する 吟F グー ー ロ レ ー 、 といわなければならないc
であるが、その内容は大樹緊那羅王所間経の十法行と大厨以ている。これを支えるものは求菩提心であるが、転女身 経の十行には直接に女人を劣視する言葉はみられない。恐らくこれは無垢光女の言葉、一切諸法無男無女の思想に拠 り処があるにちがいない。一切諸法無男無女であるならば、変成男子はさしたる重大事とはなり得ない。女身を稜厭 し常に悪んで男子の身を成ぜんとする前経の誓願が男女隔別の観点にあるにたいし、無男無女の立場は差別を越えた 1深心求一蕊菩提一。 2除二其慢心一。離二於欺証一。不し作一幻惑一。 3一身業消浄持一身三戒一。二口業消浄離一口四過一。三意業消浄離二於眼悲邪見愚擬一。 4−不一悉害一。二不一膜恨一。三不し随一蹟悩一。四住一恵辱力一。 5−楽求二菩法一。二尊二重正法一。三以二正法一而自娯楽。四於二説法者一敬レ如二師長一。五如レ説修行。 6−術念し仏願レ成二仏身一。二常念し法欲二転法諭一。三常念し僧欲し覆一誰僧一。四常念し戒欲し満一藷願一。五稲念し施欲ン 拾一二切諸煩悩垢一・六常念し天欲し満二天中之天一切極智一。 7−於レ仏得二不壊信一。二於レ法得一禾壊信一。三於レ僧得一禾壊信一。四不し事二余天一惟泰二敬仏一。誠不レ穣二聚樫借︸随し 言能行。六出し言無し過恒常質直。七威儀具足。 8−不し偏一愛己男一。二不し偏一愛己女一。三不し偏二愛己夫一。四不し専二念衣服瑠賂一。狐不レ貧二著華飾塗香一。六不し為 ↑美食因縁一。七不し格一所施之物一。八所行消浄常懐一耐槐一。 9息九悩法。憎我所愛。已燗今憎当憎。愛我所憎。巳愛今愛当愛。於我巳憎今悩当桝。 扣一不一自大一。二除一誇慢一。三敬二尊長一。四所言必実。五無一癖恨一。六不二健言一鰭七不一醗教一。八不一貴僻一・九不二扣一不一自大一。二除二 暴悪一・十不二綱戯一。 (28)
絶待の立場を意味し祇極的な女人成仏への前進を示したものであるといえよう。そして、この立場は雑朧絲の立場に .⑩ 闇那蝿多訳出の月上女経は月上女についての物語である。仏が毘耶離大樹林中草茅糀舎に征る時に、父毘峨羅詰と 母無垢との間に一女が生れた。姿容端正にして身体円具し、生れる時大光明あり月に優り、家内を照らして処々に充 満せる故に月上と名付けた。月上は生れる際に啼災せず合掌して偶を語り、瞬時にして八才の大きさになった。大衆 は心に熱悩を懐き迦く身体に満ち、月上を妻となさんと願うが、月上の偶を聞き繍欲を服難する。そして舎利仏の言 説を大乗的見地より論難し仏所に詣ずる。仏所で月上女は文珠支利・不窪見・持地・弁聚・無擬解・虚空蔵・不撹他 心・瀞王・堅意・弥勒の各菩薩と語り彼女が十群願を示すに際し、世尊が微笑するのを見た長老阿難が偶をもってそ の因縁を問い、世尊が偶をもってこれに答えるを聞き彼女は、 ⑪ 従し仏対レ聞レ与二己授記一。聞己歓暮鋤躍無量飛一勝虚空一。.:⋮其女於即転二彼女身一変為二男子一・ となり仏を唖じて側を説いたが、その偶中に、
如し是諸法本性者聴如一醗空一無し和し異
我先所有女人身彼身空体亦無し実
即無二実体一地為し窯空体無し物無し可レ取
彼身顛倒分別生分別猶如一鳥飛︸し空
懲欲し成一職仏菩提−復欲し降二伏四脆衆一
復欲三三千大干界低一飛微妙大法輪一
通ずるものであろう。⑫
汝等猛一禿菩提意一尊一壷供雪養婆伽婆一
とある。川上か女であったその女身は窯体にして無実なるが故に、悟りを求め仏を供養せんと心から念願する時は速 に男身に身を転じ成仏出来うることを述べ、肌つ、全ての人々にこのことの可能なるを示したものであるが、これ は 、 に答えた川上菩薩の仏法に対する偏念といいうるであろう。をして、この僑念、成仏は同時に月上の十瀞願に支えら ⑭ れるものであろう。即ち十誓願は 世尊。願我籍此善根因縁力故。於未来世若諸衆生 J住一莪剛一者。為説一興法一令し除一飛柑一。 ③住二我見一者。為説二其法一得し除一莪見一・③住學於一切分別相一者。我為説ン法除二其分別一
一物︸住二四顛倒一。我為説し法令し除一画倒一。 ⑤五蓋覆者。為説二其法一令し除二五蓋一・ ⑥幹二六入一者。我為祝し法令し離二彼蕃一。 仏の偶中の逝女男夫
二万三千
其女転一庇 女諸Ai} 人人人 身 一 顛尋 教化介し入二仏乗成二熟撫品菩提
不し久出家在二我 法⑬道 1'’ 一及除二貧欲順志擬等一・
(30)あ
③⑦③⑤④③③①今
0 ①薪二七識一・我為祝ン法令二批除断一。 ⑧粋二八刺倒一。為説二其法一竹二悉除滅一。 ⑨住二九使一者。我為説し法令し除二九使一。 ⑩具二足十力一。如二今世聯一放二大光明一照二十方刹︸呼無し有し異。 であり、仏を求めるもののなすべき行いであろう。この誓願は無垢光女の十行に較べ、更に職極的に、仏者のあるく さ立場を明示したものといい得よう。換言すれば大乗の持つ梢神を具現せんとしているものといいうる。そして、こ の経の立場も亦、維際経と似通い、転女身経の表現と知似して、我先所狗女人身彼身空体亦無実即無実体足為衆 と表現している。男女も亦一切皆空の理に於てあるものであり、その点で無男無女は勿論実体なきものといわなけれ ばならない。しかし、この二経共に、このような立場を執りながらも、何故変成男子と表現しなければならなかった のか。維摩経と鮫ぺてみた時、未完成のおもむきがあるといわなければならない。しかし、これは注意を要する点で 〃十五・P鍼bl懇a 棲神三十六号・P、1門女人成仏 大正十四・P叩b1吻C 大正八・P知C 大正二十二、P 十二、P 〃〃 〃 〃 〃 〃 引 b l大宝積経はその名の通り、別行されていた絲典を横集︲したものであるか、そのような性絡によるためだろうが、女 人成仏についての物語の幾つかを見ることが出来る。しかし、それらはすべて独立した絲典の穣聚であるために、女 人に対する態度は種々なものであり、その間の関連性はみとめられない。仮にそれらの幾つかを執り上てみたい。そ して、それらの順序は大宝椴経の各会配列のそれに従うことにする。 三律儀会は耆閤州山における説法てあるか、摩訶迦菜の、 若諸衆生o求下於↓仏法|力無災上省。摂二受何法一而修二行之一・摂二受何法一墹巾擬成下熟諸如来道上。摂二受何法一取二誌 ① 功徳増長一。征二入阿群多維三貌三菩薩捉一。押二不退転一。 の質問に対する釈尊の解答の中の一つに菩薩の行は我所を離れるが故に、 若有二衆生一不し聞二此法一。而説二菩提及菩薩行一。則為二非行一。言二菩薩行一者。尖無二所行一足菩薩行。 とあり、かつ所行なく円満なる行の菩薩の注意しなければならないこととして、浄戒を共足謹持して心に貢高せず云 ② 々と、菩薩の親近処を展開している。その中には、比丘尼を犯さず、婬女・寡婦・処女の家に往かず、他妻に近か ②⑬⑫⑪⑲⑨ 大正十四・P叩bl螂C
大正十四年〃
〃〃〃〃 〃 〃 〃 〃 6 (32)ず、ともあり胆に、二十処あってまさに述離すべし、となし二十処を挙げているか、このうちの半数以上は女人・比 丘尼に親近すべからざるを述べたものである。この経典が女人に対して払った神経のほどがうかがえて法華経安楽行 品に極めて類似した親近処と称しうるが、在家菩薩応し成二三法一。の言葉からして安楽行品よりは異なれるものであ ろう。しかし、このような三律儀会の態度は 復次迦菜。有︽’三秘法一終応し作。鷲有し作者則受三女身一・何等為し三。不し応し障下母聴二聞正法一及見中比丘上。不し応し ③ 障下妻見二諸比丘一及聞中正法上。乃至不し応下於二己妻所一犯中其非路上。如し是三法終不し応し作。若有し作者便受二女身一・ にいたり、正法に適わない時は女身となると、これをいましめているcこの戦は女身となるのは悪業の故でありとし て、女身を嫌悪し劣祝する思想に基盤をおくものであることを示すであろうo即ち極めて強い女人劣視の態度をここ では認めなければならない。そして、この語が迦菜にたいして語られていることを知らなければならない。 ④ 妙慧童女会は菩提流志訳出で、別名須躍提経であり、この他竺法護訳出須摩捉経、鳩摩羅什訳出の須摩捉菩薩経が この維典も蕎閤剛山に於ける説法を扱ったもので、一二五○人の比丘と一刀人の替朧か倶におった。そして王舎城 に長者優迦の生年八才になる娘の須朧提︵妙慧︶がおり、彼女に関する物語である。この妙慧が菩薩の有せる属性の 十項は如何にすれば得られるかを仏に質問する。 十項は大略次の如きものである。 ある。 1端正の身を得 2富貴の身を得
となし、更に菩提とは法を分別するなきをいい、一切諸法を虚空の相に等しくするのが蒋朧であると語っている。こ 9魔業を離る 旧命終にのぞむ時、諸仏現前す 仏がこれにたいして、四法を十項目の各一項づっにあてて、都合四十行︵四十事︶をもって説明されたのについ て、妙慧はこの四十行を完全に泰行することを響言する。そして大目牲連が菩薩行は行ずること難きをもって、これ を非難するが、妙懸は真実不虚の弘願であるを示した后に、目腱述に次の如く語る。 ③ 以二我如堆典実言一故。於二未来世一当し得二成仏一心亦如二今日釈迦如来一・於二我国中一無し有蓋磁事及以二悪趣女人之名一。 即ち、女人の名が朧事・悪趣と並んでいることは、当時の仏教において如何に女人が嫌悪されておったかを証するも のであろう。そして、妙慧の剛に於ては釈迦如来の国に女人の名がないようにこれをなくそう、というのであるが、 それはどのようなことを示すのであろうか。この絲は、それを 8法障を除く 7諦人偏受 ︿b世に処して怨なし 5−仏士より一仏土に到る 4仏前で化生をうけ蓮華の座におる 3審属壊れず ⑥ 於二法界中一雌二所住一故 (34)
であるか、この女人之州ついに不可得に対して、什訳法談訳は法は無男無女なる故に無所得であるとなしている。即 ち、絶対なる女人柵なるものは一切皆空なみ故に存在し得ない。女人相がつかまえ得ないものである以上それを喉ず るとば如何なることであるのか、大乗の法に於ては無男無女でなければならない、と主張する妙慧の高唱を認めなけ ればならない。そして、この妙慧は如是き語につづいて、女身を男身にかえることを告げてそれを現じている。 ③ 妙慧菩薩転女成男。如三十才知法比丘。 こふにおいて、大乗の糀神を馳使して文殊支利と対論した妙慧が変成男子を示したこ︲こを知りうる。無男無女を唱え ながらも変成男子を説示するところは、転女身経の無垢光女、月上女経の月上女とに、須麟捉経の妙懲は似通ってお り、且つ、前者が十法・十蒋願に支えられるごとく、妙懲は四十行に支えられており、ともに声聞衆を論難するところ 等、大層共通点を見出し・うる。しかし、妙慧の年令が八才であり、文殊支利との対論をなし、経末において、受持・ 読.・誠・解説・書写の所謂五種法師を強調している事を見逃すわけにはいかない。これが果して提婆達多品に通いう の妙慧の答は。 腿には大乗仏教の精神によって、女人ととり組んでいる饗をみうる。更に文殊支利の次の如き質問とそれにたいして 無捜徳菩薩会.には別訳阿闇世王女阿術達菩薩経︵法護訳︶がある。耆闇堀山中の説法であり、無品の声聞衆が托鉢 密額じ頓が畷阿開世王の宮殿に至る。阿開世韮に無挫徳︵阿術達︶と名付ける娘があり、彼女は、光色第一にして年 るりのであるか、;どうか。 又問妙慧。汝今猶 の 雌し右︾愛人之名一ソ 汝今猶祁レ転二女難一耶・ 妙慧答言。女人之相了不可得。今何所し転・⋮⋮無し有二魔事及諸悪趣一。亦復
十二才であった。この無畏徳が托鉢の声聞衆を迎えず礼しないのを見て、父の阿闇世王は不審に思い彼女に理由をた だすと、彼女は転輪聖王︵遮迦越王︶が小国の王のために起ち迎え礼をなすを聞いたことがあるかどうか等を父王に 質し、父王の、聞いたことのないの返事を聞いて、大王は発心して阿祷多羅三貌三菩提心を求め、一切を度せんと欲し て、大慈悲を持つのに、この比丘らは大慈悲がない、王は日月の如く、諏聞は螢火の如きである、等と語りその理由 を説明した。従ってこれを聞いていた脚聞衆と撫艇徳の間に論雌か展開されるが、彼女は大乗の締神によって、舎利 仏、大目腱述、膿訶迦莱、須菩提、雑喉羅の大声聞の人々を論破してしまう。そして、無畏徳は阿閤世王と母と兄弟 と後宮列女等と共に耆閤蛎山に往き仏を礼し座した︵︶舎利弗の質問に答えた仏は、彼女は過去九十億仏を供養するを もって功徳をなしたものであるとあるが、更に次の如き対話を見うる。 舎利弗言。世尊。此女能怯二女身一不耶。仏言舎利州。汝見二彼女一。戦赴女耶︶汝今不し応し作二如是見一。何以故。 ⑨ 以二池菩薩発願力一故。示二現女一為し度二衆生一。 即ち、無没徳を女人であるとみるのは過ちであり、その蝿由は、女身を砿十のは職力をもつて衆生を救済せんとして いるからであるとなし、更に、このことを証叩して、彼女の言は ⑩ 若一切法非男非女っ令三我今者現二丈夫身一・令二一切大衆悉皆稗見一。 となされ、女身を減し、丈夫身を現じたことを示している。 ⑪ これに対して、法謹訳は諸大衆見無愁憂身為男子不復見女人像の文でやはり変成男子を・小していることを知りう る。即ち、大乗の精神に依れば男女隔別の区別はなく一切は空でなければならない、従って雌災徳か女であるとなす のは物に執着する見方であり、無畏徳は方便をもって女の姿を示しているにすぎない故に、押言に依っては男の姿も (36)
現ずることか出来るとなすものであろう。そこで、こLに示される変成男子は、妙慧の説話と同じく男子となったこ とを示すものであるが、︽〆﹄れによって成仏したとなされるのではないことを知らなければならない。即ち、何経は仏 の言として、過去九十億の仏において菩提の心を発したとなし、彼女が既に悟りを得ていたことを示しているか、悟 の言として、過去九十栓 りを〃ているがために、 一切諸法皆如是・即時忽化二生州一。離二諸分別所起之相一・無二諸鼬倒一。大王。運即此時復現二女身一つ土見不也。 ⑫ 王言已見。而我非下以二色身相一見上。我今現見二比丘身一己。復見二女身一。 と自在であり、自在であるのは溌性においてあるか、Dであり、そこには大乗の粘神を発揚している︸︶とを知りうる﹂ この無挫徳の物語で展開された女人観は、赤間衆か女人劣視の観を抱いているのに対して、大乗には女人劣視の思想 のないことを明示している、といいうる。尚、既に悟りを得ていたとなす無畏徳が語る菩薩観は八極の法行を成就す ⑬ るものであり、出家在家の区別はないことを示している。八種を略記すると、 1、僻薩は身の消浄を御、秤捉を儒ずる。 2、大慈大悲を成就して衆生を捨てず 3,大慈悲を成就せる故に、世間の諸事に善巧なり。 4、身命の分を捨てて、方似普巧を成就するに及ぼす。 5、菩巧に無趾の発願をなす。 7、 6、 般若波羅蜜の行を成就し、一切の見を離るる。 勇猛精進して以て諸の菩業を修めて厭足なし。
諸大徳。我等宜レ還・不し須レ入鬼郷衛城乞食一・所以者何。無垢施女所説即是智者法食。・我等今日楽二於法食一c不し頚二 ⑯ 傅食一・と語り、共に仏所に至る。即ち、彼等は彼女のために大乗を聞いたことを示している。このことは維膿経の弟 子菩薩二品における維摩と十大弟子・近菩藤の諭識と同様で大燗に通っている。たrし、維朧経においては叙菩提の 役割を果すのは文殊支利菩薩であるが、この両者の相違は維摩経の方が論脈をもっていることを示すであろう。無垢 施女を法護が維摩羅達と訳した理由もこの辺にあるかもしれない。 以下、雌垢施女の菩薩云何行云云の偶にたいする仏の説示が始まる。そして、菩薩には四法がありこれを成就しな 与えられないので、弧菩提は 等と会い、舎利弗に語る。 無垢施菩藤応弁会は摂道真訳であり、別に竺法渡訳の離垢施女経、般若流支訳得無垢女続がある。舎術凹祇樹給孤独 であって、衆生救済に力が注がれていることと般蒋系の経典であ論こととを知りうる。 8、無障智を得て、以て無生法忍をうる。 閲における説法である。舎利弗等の八大声聞と文殊支利菩薩等の八大菩薩等が舎衛国での説法につき議論しながら城 ⑭ 門にいたる。城内には波斯匿王の娘、年八才の無垢施があった。端正殊妙見者威悦と表現される。時に城中におった 五百人の婆羅門は門外に識の比脈のおるのを不背だとなすが、無蛎施はこれを脱伏し僻りの心を発させて替藤・蔵聞 我是女人。将慧微浅多一誌煩悩も又多一巌逸一楽一卑下事一・為不し順一思惟所豪一。善哉大徳舎利弗。為し憐一慰我一 ⑮ 故。説一薇妙法︾。無垢施は永遠なみものを求める悩みを舎利弗に語り、こ$にこの絲典は始まる。八大声聞は彼女 の質問にたいして仏法の真義に関するものである故に答えられないという。かくの如くして八大菩薩も彼女に満足が (38)
溌勤し、衆生を不退に住せしめ、 ⑬ 使下我変二此女身一。成中十六童子も と語ると、即時に三千大千世界は六反渋動し、音楽は自ら鳴り ⑲ 無垢施女。即変一安身一成二十六童子一。 と、彼女が変成男子したことを示している。これについて仏は一同に女の変成男子の姿をみたるか、と念を押し更 に、彼女は僻りを御て八万阿僧祇劫に行をなしており、彼女が群陸行を行じて、その後腱文殊支利が菩薩の心を発し たのであり、はるかに彼女の方が早いことを示している。目連は文殊支利より古い替醗が未だ女人の姿をなしている ければならない、と十八甑類の凹法を説く。彼女がこの七十二法を完全に行ずあ癖をなすと大目連は ⑰ 菩薩難行堂不知耶。終不下以︾一女身一Ⅲ御中阿縛多縦三貌三菩提上。 と、女人不成仏の立場でもって、女人の身体をもってしては悟りを開くことは出来ないと彼女に論難を加える。無垢 施は目連に向って、私の所言は至誠にして不順であり、将来の世に如来を成じ悟りを岬たならば三千大千世界は六反 のに疑を懐き ⑳ 謂無垢施菩薩言。善男子。汝已久発一阿僻多雑三貌三菩提心一・何以不一砿女人身一・ と語る。無垢施が替藤であるならば、男でなければならないのに、何故に下劣な女人の姿をなしておるのかの間であ ろう。彼女のこれに対しての答えは次の通りである。 世尊記大徳。於神足人中岐為第一・何為不し転二男子身一也◎大徳目連。即便黙然。無垢施菩薩、謂大徳目連言。亦不下 ⑳ 以二女身一得中阿縛多羅三貌三菩提上。亦不下以二男身一得中阿縛多羅三貌三菩提上。所以者何ご菩提無生。赴以不何得。
神足第一の目述はどうして男の姿か、b女に姿を変えないのか、と旋聞のもっている女人劣視の観をとりあげて批難 し、成仏は男女の形によるものではないとしてこのような考え方である限り男女の姿の如何に関わらず悟りを得るこ とは出来ない、となしている。即ち、この経においては、女人劣視の思想をもつ声聞にたいして、大乗は一切平等の 立場に立ち、そこには女人劣視の全くないことを高唱しているといいうる。従ってこ典にみられる変成男子は、男女 自在であるあり方を声聞に示すための方便として化現したにすぎないものであり、女人成仏にたいして極めて優れた 考え方を表明したものであるといいうる︽ ﹁註﹂ ⑩⑨③⑦⑤ ⑤大正十一、P邦b ③②① J 妙菩提流志訳出には一悪がある。一は大宝横経の妙慧童女会︵須摩提経︶如畑1m訳出で、二は釦噸訳出の妙慧童女所扣
問経である。く
尚竺法護訳出仏説須摩提経は大正十二、P布b1用c所載 鳩摩羅什訳出仏説須摩提菩薩経は大正十二、P用Cl別C所職 大正十一、P郡c″P相a
5 ノ # 什訳仏説須縢提菩薩経は、是証明我之至誠。若未来有起菩薩意者亦当如是。我後亦当得多陀鳩阿羅訶三耶三仏と語り 法護訳須摩提菩薩経は是則証明我之至誠。若有未来起菩薩意者亦当如是。我後不久亦当如如来無所著等正覚。信如我 一言驫有虚者。と語り三事が見られないが、この後段において、夫々三事のないことを語っている。 大正十 J I J I 〃 〃 ノ"愚′
a 一・P川引a PRJb1fc p︽順wC大乗方便会は竺難提訳であり、別訳として竺法護訳の慧上菩薩問大著権経、施護訳の仏説大方広善巧方便経とがあ ① る。今、雌捉訳によってみることにする。仏は舎術国の祇樹総孤独剛におり、智勝菩薩が菩薩は方便を如何に行ずぺ さかを問い、仏がこれに答えを与えるところから始まる。即ち、替薩の方便は如何にあるべきかが説かれ、菩薩と女 人との関係も説示されておるが、やはり男に対する女として、この問題は見逃すわけにはいかない重要事であったろ う。この女人についての説話を執り上げて行こうと思う。 雌初は阿難の疑問である。即ち、 ② 我今晨朝入二舎衛城一次第乞食。見下衆尊王菩薩与二女人一同一床坐上。 、⑳⑨③⑰⑯⑮ 大 〃〃〃〃 〃 〃正 十 ● P P P 〃〃〃〃563560557 C a a C
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⑭法護・般若流支訳は共に十二才 ⑬大正十一、P顕C ⑪大正十二、P別c 法護訳は八才童子。般若流支訳は十六才。 7四十二億歳中、梵行を修し過失のなかった樹捉は極楽城に入り一女人に会う。女人は樹捉の儀容端厳なるをみて欲心 ■ を生じ、手をもって足をつかみ地にたおれる。何を求めるのか、の彼の問にたいして彼女は、樹提を求め、樹提と夫 と、衆尊王菩薩が女人と共に同一の床におったことを過であると指適している。 仏は阿難にたいして、菩薩乗に住するものは一切智心を離れず、五欲をもって鯉戯し行じたとしても過失なきこと ③ を告げ、衆尊王菩薩と共におった女人について次の如く語った。過去五百世前夫婦であったので彼女は衆尊王菩薩を 見て愛蒋を生じたが、緋眼力をもつてかの祷薩が私の家で一処に坐せば私に悟りの心を発せしめるのであろうと念じ た。菩薩は彼女の所念をしって夜分に家に行き女人の手をとり一淋に坐して法Ⅲを説示する。それに依り彼女は悟り ④ 於此命終得し転二女身。当し成一男子一。 と変成男子して成仏することを示している。この時の衆尊王菩薩の行為は五欲を受けたものではあるが、悲心を成就 したものであり、菩薩の方便行のあり方であるとなしているが、これは女人であるからとこれを嫌悪することが必要 ではなく、男対女としての女人と共に五欲に住むことがあっても、心に蕃提を目指し悲心をもって女人に接するなら ば、それは地獄への道ではなく菩薩の方便行のあり方であることを語る。即ち、こ、では女人が成仏するかどうかは もはや問題ではなく、五欲に走る女を如何に導くべきか、大悲心が如何に必要であるかが執り上げられているといいう る。従って、如何にして女を噂いたかの説話がくり広げられるが、こ上に菩薩の方便行の意義が見とめられる。尚、 この経中には女についての幾つかの説示があるので、それを執り上げてみよう。 の心を発し ③ ﹁樹捉と女の物諮﹂ (42)
服伽離は捉婆迷多の弟子にして、舎利弗目連が女と姦逝したと誕陥して地猟に落ちた人であるが、仏はこれに関し次 の物語をする。昔、無垢と称する比丘があり窟中に止住していたcにわかに大雨が降り、女人が道中で雨にあい寒裸 恐怖して窟に入った。雨晴れた后、女人と無垢とは共に窟より出でるが、これを見て五仙人が心に荒磯を生じて、・無 垢は不浄の行を作したと嘘言をする。無垢は五仙人の心を知り虚空に上昇するが、それをみて五仙人は過を悔いた、 となすものである。仏はこれについて、無垢が方便をもって虚空に上昇したため五仙人は過を悔いて地獄に落ちるこ ま凡にするかよい、と語った。かくて樹捉と女は十二年間夫婦となり、後に再び彼は出家し命終の後梵天腱生れた。 仁落ちるともその稗を忍ばんと、女人を死の苦から救ってやることを考え、還って女人の右手を把り、貴女のほしい 来ようかと、考えて女人から七歩を離れた。しかし、彼は七歩を離れるや女人のために哀愁の心を起し、たとい地獄 し、の語を聞き、私は四十二憶才の間、梵行を修し禁戒を破らずに来たので、どうして愛染の非法を受けることが出 姉になりたいと答う。樹提は女人に於て欲を行じないと固辞し、彼女の、若し夫矧になれないならば、今当に死ぬべ この時の樹捉は今の仏であり、女は耶翰陀羅であるとする物語であるが、仏は時に大悲心を起したが故に生死の苦 を超越して悟りを開き禅たものであり、このように愛欲に.入るとも詳薩はそれを女人救済のための方便として行じて いるために、梵戒を犯したとしてもそれは犯すことにはならないとなしている。即ち、従来仏典が女人を嫌悪するの は、女人との愛欲に入るをさけんとする・ことからであり、この経は女人との愛欲を超克せんとの意欲のもとに説示さ れているように思われる。・そして、それは大悲心のもとに方便を行ず・ることである。この大悲心をもっての方便行 は、次の物語では更に明脚である。. ⑥ ﹁碓伽雛の物語﹂
とをまぬがれたのであり、舎利弗目連が方便で虚空に上れば腿伽離は地獄に落ちなくてもよかったと語った。即ち、 こ上では過を犯す犯さないが問題ではなく、如何にして人々を過ちから救ってやるかが問題であり、方便を行ずる菩 薩の行動はすべての過ちを超克する途でもありうる、となすか、更に女と接するのには女を導いてやる方便行をも たねばならないことを知りうる。 ③ ﹁愛作菩薩の物麺﹂愛作菩薩は舎術城に入り乞食をなし長者の家に至った。長者の娘徳増は愛作菩薩を見て愛欲心 を生じ、欲によって焼かれて命終した。愛作菩薩も彼女をみてその心を知り淫欲の想をなすが、すぐにこの女人の何 処を愛すべきであろうか、若し眼根を愛すべきだとすれば、眼は無常であり敗壊にして不浄肉団である等と考えて、 結果欲心を離れ無生法忍を得て虚空に昇った。この愛作菩薩は欲心を起すことに依って、諦法を推求し、魔衆を破っ たのであり、従って衆生のために法輪を賑じたものであるといいうる。一方、徳琳は命終し三十三天に生れたのであり、従って衆 となった。そして、このことについて彼女は自己の行動を回撤して、舎術城中で長者の娘となり、愛作菩薩にたいし 淫欲の心を生じ、このために命終して女身を砿じ天子となり得たが、これは勝因緑に由る故であると考えた。即ち、 こ坐で示されるものは耐愛作菩薩は徳増女の深欲の心によって法輪を転ずることが出来たのであり、徳増女は愛作菩薩 をみておこした瀧欲の心により男子となり得たのであり、共に契懐は淫欲心にあることである。淫欲心は人間のもっ ている根本的本能であろう。その根本的本能を方便行として利用することによって、女人救済を果さんとした素購ら しい蒋眼・大悲心を認めうるであろう。 即ち、これらの説話は菩薩の行ずる方便は、人間生存のぎりぎりのところにおいてなされるものであることを示す ⑨ 転子女身御成男子 (44)
世尊。成熟幾法能転女身。 ⑫ 仏は八法を成就すれば女身を砿ずることか出来ると語るが、その八法は ⑩ 成熟幾法能転女身。 であろう。過ちと隣り合せた大恋心は堅固な仏を目指す信念なしではなされ得ないものであり、その俗念の前に齢い ては女人不成仏はさしたる問題とはなり得ないことを示すものであろうと思われるc 浄心童女会は菩提流志訳であり、仏が舎衛国祇樹給孤独園におる時、波斯匿王の娘で年幼稚な浄信が五百の童に衛 られて来って、菩薩の正しい修行のあり方について仏に質問する。仏は彼女に八力、八種の法を成就すればよろしい と語り、その八秋の法の十二種類計九十六椰の法を示す。 浄心童女はこれを聞いて敬暮して仏に転女身について質問する。
6不悪側
7捨離介欲
8離諸邪見
であるが、仏は重ねて八郷を語る。 5 4 3 2 1 実不不不不 " ll鼠詔怪嫉5於一二切人一不し生二邪念一 6墳一上意楽一厭一離女身一。
7住二群提心大丈夫法︸
8槻二世家業一如し幻如レ夢 即ち、前者の八法は女一般について語られる道徳的立場の範囲を出ないものであり、後者の八法は仏教的立場から説 かれたもののょうに思われる。しかし、沙門婆羅門を供養し、女身を職離し、家業を幻夢と観ずるを説くあたり、女 人問題について早期的思想をもった不完全なものと云えるであろう。 念 一 ● 。2恭敬供睾養戒・忍・多聞沙門・婆羅
3於二夫・男・女及以居家一。不し生二愛 4受二持禁戒︸無し所︾一欠犯一 犯 一 1尊一壷仏一深楽二於法︸ ①法護訳は慧上。締 ②大正十一、P班C ③法設訳も五百世声 ④大正十一、P瓢b⑤〃P鋤c
③〃P湖c
法設訳も五百世だ P 鋤 良 施 が、施謹訳は二百世。 法護訳は焔光、施護訳は光明。. P鋤Cl”a、た暫し、施護訳には貧女の記述はみられない。 護訳は智上。 普門 一 1■■■ (46)以上の各経典においてみられる女人観は、三律儀会を除いて他は変成男身の思想である。三律儀会は女人に就ての 説法ではなく、菩薩の所行として注意しなければならない点を執り上げたものであるから、女人の成仏に枕て言及さ れないのも当然であろう。しかし、そこE示される女人観は、女人を男子より劣性なものとする考えに発して男子の 修行のさまたげになるとするものであろう。他の耗典はすべて女人が男子に姿を変え、或は男子となることで成仏を 十ることを示しているが、これを詳細に較べるとその中には相遮を見出すことが出来る。今、仮にこの変成男子にお いてみられる内容の相述を大別して三種に分別することにする。 一は女人を劣性のものと視、戎は女身であることを女人自身に脈離せしめようとする立場と思われるものである。 これに屈し得ると考えうるものは、般蒋経の河天品の恒伽捉婆の姉に関する説示、大樹緊那羅王所間経、浄心泄女会 である。般若維河天品は女身を終ると表現されるが、この表現はた薄ちに女人の成仏とはなし得ないであろう。大樹 緊那雑王所間経は女人の変成男子には十法行を修さねばならぬとなし、その中で女人が自己の女身であることを献離 ⑬⑫⑩⑨③⑦ 7 ″P弱blc、施護訳は作愛、此護訳は愛敬。 施護訳は上財、法護訳は執祥、 大正十一、P”C 〃〃 〃 6 P腿b ″ ″ 8
第二の極難は男女隔別の観をなすことか間述であり、一切極法は空にして実体はないのであり、男女もすら実体は ないとなし無男無女となすものである。これに属する経典は、転女身経。Ⅱ上女経・妙慧波女会・無挫徳菩薩会・無 垢施菩薩応弁会である。これらはす・へて、声聞の人々の、女人は成仏出来ないとする説示にたいして、一切法空無男 無女であると、この立場を論難しているものである。従って、こ上では声聞︵小乗︶のもっていた女人劣視の思想に 堂々と相対した大乗の心意戴を認めることが出来るし、災に、変成男子のあり方はさしたる問題ではなく、声聞にた いする大乗の迫力のあらわれ方として、男子となる化棚の表現はなされたと考えうるであろう。 第三は大乗″使会である︲こ$ては旅州か柧端にさらった労と女の関係が執り上げられ、男女の間の潅欲を通して の菩薩行が展州されている。恐らく現実に即した蚊悩即祷捉の大通を示そうと苫心したものであろうか、このような 段階に至っては女人不成仏の思想は風附の灯の観を与えられる。即ち、第二、鋪三の立場に於けるものは、大乗の思 想をもって如何に女人の間脳と相対するかの群腫の紬果であったろう。この様な炊場からみる時、法華経捉婆迷多砧