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多彩な文化が共存する島国スリランカ (異文化言い分EVEN)

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Academic year: 2021

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多彩な文化が共存する島国スリランカ (異文化言い

分EVEN)

著者

クムディネイ ディサナヤカ

権利

Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア

経済研究所 / Institute of Developing

Economies, Japan External Trade Organization

(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp

雑誌名

アジ研ワールド・トレンド

194

ページ

50-51

発行年

2011-11

出版者

日本貿易振興機構アジア経済研究所

URL

http://hdl.handle.net/2344/00004124

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50

アジ研ワールド・トレンド No.194 (2011. 11)   文化というものはあるひとつの社会に住む人々 に見られる共通の考え方や行動パターンとして捉 えられよう。性質と捉えるならば文化は、 価値観、 規範、 信念、 思考方法などであり人間の内面にしっ かりと根づいている。工芸品や、 シンボル、 伝統、 振る舞い方などにおいても文化の違いが目立って みえるものである 。あるひとつの社会の中で異 なった価値観 、規範 、ものの考え方 、行動方式 、 伝統などが共存している場合、多文化性が存在す ると理解してもよいだろう。   スリランカは、六五六一〇キロ平方メートルの 小さな島国で、 人口は約二〇〇〇万人だ。しかし、 多文化社会を受け入れそれを育んできた国である 言えよう。スリランカの人々はいくつかの民族に 分かれ、さらにそれらの民族がいくつかの下位グ ループに分かれる 。 具体的にはシンハラ人 ︵七 四 % 、キャンディアンと低地シンハラ︶ 、タミル 人︵一八 % 、スリランカ・タミル、インド・タミ ル、 マレー︶ 、 ムーア︵七 ・ 五 % 、 スリランカ ・ ム ー ア 、マレー ︶、バーガー ︵ オランダ人 、ポルトガ ル人︶ 、パーシス 、コロンボ ・チェッティ 、そし て密林に暮らすヴェッダーなど ︵あわせて〇 ・ 五 % ︶という具合である。結果、民族が違えば信 仰する宗教も異なってくる。仏教︵大多数を占め る︶ 、ヒンドゥー教 、イスラーム教 、キリスト教 が社会に普及している。   またスリランカでは属する共同体が異なる分だ け話される言語も多様である 。︵例えば 、シンハ ラ語はシンハラ人が、タミル語はスリランカ人や インド ・ タミル人が、 アラビア語やマレー語はムー ア人が話している 、といった具合だ 。︶英語は第 二外国語として国の共通語となっている。   国土は狭いとは言え、人々が使う言葉の独特な 言い回し、会話での発音の仕方、遊び方や祭礼の スタイル、伝統などを通してはっきりと文化の違 いが読み取れるのである。地方によっても文化の 独自性がある。また、食するものも大きく異なる し、食習慣も違う。衣服の習慣や服装のスタイル にも各民族の独自性が表れている。   どうしてこのように多様な文化が育ったのだろ う?   主に近隣の国々︵インド、モルジブなどア ジア諸国︶や、 旧宗主国︵ポルトガル、 オランダ、 そしてイギリス︶が歴史的に及ぼした影響が強い と言えよう。だとすれば、歴史研究者はこの島国 で多くの文化が存在するのは当たりまえと考える かもしれない。だが、スリランカにおける多文化 性には別の一面があることに気がつく。それは次 のような情景を見るときだ。異なった信仰を持つ 異なった民族の人々が島中いたるところから神 、 仏、救世主に祈りを捧げに同一の場所に集まって くる。彼らは自分たちが信じる教えはまちまちで はありながらも全体として平和を乱すことなく参 集するのだ。そのような聖地がスリランカには三 カ所ある 。アダムス ・ピーク ︵中央州︶ 、カタラ ガマ ・ デヴァラヤ ︵ウヴァ県︶ 、そしてムンネーシュ ワラム寺院︵北西部州︶である。以下、これら三 つの聖地について説明しよう。 ●アダムス・ピーク   アダムス ・ ピ ークはスリランカ人には﹁スリー ・ パーダ ︵聖なる足跡︶ 山﹂ としても知られている。 シンハラ語では﹁サマナラ ・ カンダ︵蝶々の山︶ ﹂、 タミル語では﹁シヴァノリパタ・マライ﹂と呼ば れる。南部丘陵郡に聳え立つ二二四三メートルの 山である 。この山に巡礼者が訪れるようになり 、 山頂近くにある長さ一・八メートルの岩でできた 聖なる足形が有名になった。仏教の言い伝えによ るとそれは仏陀の足跡であるという。ヒンドゥー 教の言い伝えではそれはシヴァ神の足形だとい う。そしてムスリムとキリスト教徒の伝承によれ ばアダムの足跡だという。   仏教の経典は釈迦は悟りを得てから八年後に ナーガ王に請われスリランカを訪れたとある。こ の機会に釈迦は三つの地を訪れた。 秀峰サマナラ ・ カンダもそのひとつである。ここで釈迦はこの山 の守護神スマナ・サマンの求めに応じて、頂上に ある宝石の原石に自分の左足の跡を残したのであ る。ヒンドゥー教の言い伝えでは、それはシヴァ 神の足跡といわれている。シヴァノリパタ・マラ イという名前はそれに由来する。一方、スリラン カのムスリムはそれをアル・ロフン︵ソウル︶の 足跡と呼んでいる。キリスト教徒は、足跡はアダ ムがエデンの園を追放された後、最初に地上に足 を踏み入れたときに印したという ︵アダムス ・ ピ ー クという名前はここから来ている︶ 。同じキリス ト教でも、紀元一世紀に南インドにキリスト教を もたらしたセント・トーマスの足跡だという説も ある。   誰の足跡であるにせよ、そこが四つの宗教を信 じる人々にとって聖なる巡礼地であることには変 わりがない。山の頂上には仏教寺院とスマナ・サ マンの神殿がある。アダムス・ピークを登るのは

多彩な文化が共存する

島国スリランカ

クムディネイ・ディサナヤカ

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アジ研ワールド・トレンド No.194 (2011. 11) 一二月の満月の日から五月の満月の日までの間に 限るとされてきた。地元の人に混じり外国からの 旅行者も美しい日の出の情景を堪能しながら登山 を楽しんでいる。 ●カタラガマ   シンハラ語でカタラガマ、タミル語ではカティ ルカマムという。スリランカ南部に位置する巡礼 の町であり仏教徒、ヒンドゥー教徒、イスラーム 教徒、そしてスリランカと南インドのヴェッダー 人の巡礼地となっている。この聖地にはいくつか の聖堂があり、それらは、カタラガマ神︵スカン ダ ・ ムルカンとして知られる︶ 、シヴァ神、 ヴィシュ ヌ神 、ガネーシャ神が祀られている 。その他に 、 キリ・ヴェヘラという名の仏塔と寺院、そしてイ スラームのモスクが建ち並ぶ。   伝説によると、釈迦は最後となる三度目のスリ ランカへの旅でその当時カタラガマを治めていた マハセナ王と会見したと信じられている。マハセ ナ王は釈迦から説法を受け、その地に釈迦への感 謝のしるしとして仏塔を建立したという。カタラ ガマ神はこの島国の四大守護神のうちの一つとし てスリランカのシンハラ系仏教徒の多くから信仰 を集めている。   ヒンドゥー教徒と仏教の教典はともにカタラガ マの中心となる寺院が祀っているのはスカンダ ・ ムルカンであるとしている。スカンダはインド北 西部を起源とする戦の神である。スカンダ神がみ そめて妃としたのがこの地に生まれ育ったヴァッ リという女性とのこと。かたや、ムスリムの伝説 ではどうかというと、アル・キドゥルと呼ばれる 仙人がこのカタラガマ丘陵に 現れ、苦行と祈祷を行ったと 言い伝えられている。ムスリ ムによればカタラガマは﹁ア ル・キドゥルの地﹂という意味を持っているとい う。ヴェッダーの人々にとってスカンダ神はカン デ ・ ヤッカ ︵岩山の神︶ と形を変える。カンデ ・ ヤ ッ カは彼らの最高神として崇めてられており、狩猟 の前に必ずその御霊に祈りを捧げている。その妃 であるヴァッリ・アンマ女神はヴェッダーの民を 先祖に持つと信じられている 。このため ヴェッ ダーの人々は 毎年カタラガマ・デヴァラヤのお祭 りの際に、人々の安寧祈願の意味を込めて弓矢で 武装して行列に参加するのだ。カタラガマはスリ ランカに一六ある主要な仏跡の一つであり多くの 旅行者でにぎわう。毎年行われるデヴァラヤの行 列は多くの旅行者を引きつけている。 ●ムンネーシュワラム寺院   ムンネーシュワラム寺院はプッタラム地区の北 西部州のある村に建っている。そこはシンハラ人 とタミル人が入り交じって生活を営んでいるとこ ろだ。寺院の敷地にはは五つの聖堂からなり、そ の一つは仏教寺院である。中央に位置するのはシ ヴァ神を祀る寺院で最も規模が大きく、威厳があ り、ヒンドゥー教徒には人気の寺院だ。残りの四 寺院はガネーシャ神 、アイヤナーヤカ神そして カーリー神がご本尊として祀られている 。カー リー寺院は仏教徒、カトリック教徒にも親しまれ ている。一九世紀の後半までこの複合型寺院の参 拝者のほとんどはシンハラ人の仏教徒であったと 記録にある。アイヤナーヤカと仏教寺院以外の寺 院は少数のタミル系ヒンドゥー教徒の一族により 管理されていた。   スリランカの内戦が終息するとともにこの聖地 は再び静けさを取り戻し、多くの人々が訪れそれ ぞれが拠りどころとする信仰の祈りを捧げるよう になった。外国人観光客も増えた。特筆すべきこ とはこれらの巡礼地を訪れるシンハラ人の仏教徒 の多くが他の少数宗教集団に伝わる伝統行事に一 緒になって参加していることだ。例えば、カタラ ガマで行われる祭礼の行列で仏教の巡礼者が﹁カ ワディ ・ダンス﹂を踊っている光景を目にする 。 カワディ・ダンスはヒンドゥー教徒がスカンダ神 に捧げる踊りなのである。祭りの熱狂と恍惚感が このような行動につながっていくのだと思われ る 。 同じようなふるまいはこの島国のいたる所 、 様々な機会に際して受容され広まってきた。いろ いろな宗教に またがった行事を政府が 執り行うこ とも習慣になってきている。   以上、スリランカではさまざまな信仰が調和を 保って共存し多様な文化社会を作り出しているこ とを述べてきた。物理的には狭く限られた国土と いえども民族的、宗教的、言語的、地域的に多様 性をもった共同体が存在しており、人々がともに 助け合い、平和に暮らしていくことは可能である ことを現実が立証しているのである。 ︵注︶ 本稿を執筆するに当たり Wikipedia を参照し た。 Kumudinei Dissanayake/アジア経済研究所 海外客員研究員 Senior Lecturer / Head, Department of Management and Organization Studies, Faculty of Management and Finance, University of Colombo.

参照

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