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フィリピンへ渡った日本人 -- マニラの大名像から読み解く日比関係 (ライブラリ・コーナー)

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Academic year: 2021

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フィリピンへ渡った日本人 -- マニラの大名像から

読み解く日比関係 (ライブラリ・コーナー)

著者

山下 惠理

権利

Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア

経済研究所 / Institute of Developing

Economies, Japan External Trade Organization

(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp

雑誌名

アジ研ワールド・トレンド

267

ページ

39-39

発行年

2017-12

出版者

日本貿易振興機構アジア経済研究所

URL

http://hdl.handle.net/2344/00049807

(2)

清 水 達 也

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ORNER

マニラにある数多くのモニュメントのなかでも、パ コ駅前の高山右近像は独特の存在感を放っている。人 気もまばらな国鉄駅の前に、なぜキリシタン大名の像 が立てられたのか。その背景には、フィリピンへ渡っ た日本人移民たちの長い歴史がある。 右近像があるパコ市ディラウ地区は、タガログ語で 「黄色」を意味し、スペイン人が住んでいた城壁の外 に作られた日本人居住区に由来する。右近がキリスト 教迫害を逃れてフィリピンに渡航した1600年代、すで に300名以上の日本人がマニラに住んでいたとされて いる。本稿ではフィリピンへの日本人移民に焦点を当 て、日比関係史を知るための基本文献を紹介したい。 佐藤虎男著『フィリピンと日本:交流500年の軌跡』 (サイマル出版会、1994年)は、500年にわたる日比交 流史をコンパクトかつ体系的にまとめたものである。 前半部では、安土桃山時代から戦前にかけてフィリピ ンに東南アジア最大の在留邦人社会が出現するまでの 経緯を説明し、後半部では戦争によって壊滅的打撃を 受けた日比関係とその修復について述べている。 長きにわたる日比交流史のなかで、最も多くの日系 移民がフィリピンへと渡ったのは、明治初期のことだ。 近代化の恩恵を被ることができず生活基盤を失った農 民や漁民は、高収入を期待して海外へ移民した。フィ リピンで日系移民が携わった大事業の1つがベンゲッ ト道路(別称ケノン道路)建設である。ベンゲット道 路は、ルソン島中部パンパンガ州の北端からベンゲッ ト州バギオ市へ急峻な山並みを貫く約41キロの道で、 1898年にマニラに総督府を置いた米国が着工し、多く の海外労働者の犠牲を払いつつ1905年に完成した。早 瀬晋三著『「ベンゲット移民」の虚像と実像:近代日 本・東南アジア関係史の一考察』(同文舘出版、1989 年)は、日米両国の公文書を駆使してベンゲット移民 の実像を明らかにした研究書である。本書の白眉は、 ベンゲット移民に関する叙述にとどまらず「ベンゲッ ト道路は日本人移民の優れた技術と献身によって完成 された」という言説の成立過程をふりかえり、日本人 の意識に浸透した東南アジアに対する優越感の根本に 迫ろうとした点である。 ベンゲット道路建設とともに多くの日本人移民の受 け皿となったのがマニラ麻産業だ。近年、ドゥテルテ 大統領の支持基盤として知られることとなったダバオ 市だが、1900年前後にはすでに軍需産業としての側面 をもつマニラ麻栽培で隆盛を極め、数多くの日系移民 が住んでいた。柴田善雅著「ダヴァオにおける日系マ ニラ麻栽培業の勃興と1920年代の再編」(『東洋研究』 2004年 151号、1~49ページ)は、ダバオのマニラ麻 栽培に関し、1920年代末までの通史的考察を行った論 文である。一次資料に基づいた資金調達、投資、生産、 労務の詳細な記述を通し、マニラ麻産業に関わった日 系企業の全体像を明らかにしている。これに対し、天 野洋一著『ダバオ国の末裔たち:フィリピン日系棄民』 (風媒社、1990年)は、マニラ麻産業の過酷な労働状 況を明らかにしたものである。このほかダバオ在留邦 人の戦争協力問題については、池端雪浦編著『日本占 領下のフィリピン』(岩波書店、1996年)に収録され た早瀬晋三著「『ダバオ国』の在留邦人」も参照され たい。 移民送出後の日本に焦点を当てたものとしては、武 田尚子著『マニラへ渡った瀬戸内漁民:移民送出母村 の変容』(御茶の水書房、2002年)がある。本書は、 明治期から昭和戦前期の40数年間にわたって、マニラ へ漁業移民を送出した広島県田島の社会構造の変容過 程を実証的に分析している。 海外送金額が国内総生産の1割を占め、海外労働が 経済の屋台骨を支えているフィリピンは、今後グロー バルな人的移動の事例をみるうえで看過することがで きない国家である。しかし、歴史をさかのぼれば、い かに多くの日本人がフィリピンへと出稼ぎに行ったか がわかる。こうした1世紀を隔てた日比労働力移動の 著しいコントラストは、グローバル社会におけるアジ ア移民を理解するうえで、多くの示唆を含んでいる。 冒頭の右近像の除幕式が行われた1978年1月から、 今年で40年が経過した。次の1世紀に右近像はどのよ うな人々の、どのような移動の形をみることになるの だろうか。 (やました えり/アジア経済研究所 図書館)

フィリピンへ渡った日本人

―マニラの大名像から

読み解く日比関係―

山 下 惠 理

39

アジ研ワールド・トレンド No.267(2018. 1)

参照

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