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恩納村熱田貝塚調査概報: 沖縄地域学リポジトリ

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(1)

Author(s)

高宮, 廣衛

Citation

沖大論叢 = OKIDAI RONSO, 9(1): 323-365

Issue Date

1969-02-28

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/11024

(2)

恩 納 村 熱 田 貝 塚 調 査 概 報

高 宮 康 衛

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はしがき

熱田貝塚は思納村字安富祖

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審地に所在し、

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年、安富祖小中学校 のグラウンド造成の際、玉城功氏によって発見され、ピ後期の砂正遺蹟であ る。 (1) 当時の出土遺物については多和田真博氏が

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年度版文化財要覧にその 概略を紹介されたが、発見以来正式な発掘調査を行なったことはなく、遺 蹟の状態や遺物の詳細については近年まで不明であった。 今回、琉球大学史学科における考古学の実習を行うにあたって、特に参 加人員の規模から本員塚を選定したが、今、一応の整理を終えたので、こ こに琉球大学史学科の許可を得て本誌にその概要を報告したい。 発掘を行うにあたり、琉球大学教授中山盛茂、同助教授友寄英一郎お よび安富祖小中学校長平田宏の諸氏にはいろいろと御高配を賜った。ま と、員殻の同定には沖縄大学の大嶺哲雄助教授を煩わし、遺物の整理、図 表作成等には当時琉球大学史学科の学生であった玉城盛勝、新井敏弘、石 垣久雄の3君の授助を得た。銘記して感謝の意を表したい。

(4)

障納付総顕貝塚調査事覧手担

l

図熱田貝塚誤掘地平面図(第

E

地区は斜線の部分のみ試掘)

(5)

-325-E

貝塚の位置および自然環境

恩納村は沖縄本島の西海岸ほぽ中央部に位置し、北は名護町、東は宜野 座村、金武村、石川市、南は読谷村に接する旧国頭郡最南端の村である。 本村は沖縄で一番細長い村で、全長27.4km、西はサンゴ礁の海岸線が美し く、東縁は緑につつまれた山岳が幾重にも折重なって北部地方特有の景状 をかもしだす。したがって平地は少し僅かに海岸に沿って点在する低砂 正地を利用して人ぴとの生活が営まれている。入江にできたこのような砂 正地が本村の主な生活の場であって、 16の集落のうち実に14(喜瀬武原だ けが恩納岳と稜岳の中間、つまり金武村との境にある本村唯一の山村であ る)が海岸線に集中している。 本貝塚の容する熱田は北より 3番目の集落で、海岸にできた狭小な砂正 上に立地し、もともと安富祖の屋取りとして出発した。しかし、地形上の 制約を受けて終に発展し得ず、未だに戸数

3

2

の小集落である。 熱田の集落は沖縄の東海道線ともよばれる一号操によって南北に

2

分さ れ、通称大川を西限として人家はほとんど道路南方西部に集中し、人家に 相対して北海岸に安富祖小中学校がある。同校の東方は畑地で、その畑地 南方、つまり住宅地域の東方は困地となっているが、山岳がすぐ海岸に追 っているため、耕地は甚だ狭酷である。 貝塚は安富祖小中学校々庭東南部(第 l図)から同校キャンパスに東接 する同校実習地に拡がり、一部は一号線道路下におよぶと思われるが、地 表調査で見るかぎり一号線以南へ延ぴている様子はなかった。

E

発掘の経過および貝塚の状況

発掘は1960年工2月24日から同月30日までの7日聞にわたって実施した。 初日の午前は遺蹟地や遺物の分布状況を確かめながら砂正一帯の地表調査

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(7)

を行ない、午後は遺蹟地において測量の実習を行なった。したがって、直 接発掘にたずさわった期聞は初日と最終日の埋戻しを除く中 5 日間であ る。 発掘は当初校庭の東南部にとどめるつもりであったが、発掘者が多かっ たことと、また、本貝塚の西方への広がりを確かめる意味もあって、校門 西方にも一部試掘地を設けた。便宜上、本稿では前者(校庭東南部の発掘 地)を第

I

地区とし、後者(校門西方部)を第

E

地区とする(第 l図)。 第

I

地区においてはグラウンド造成当時確認された場所でまづ南北方向 にトレンチ

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を設定し、順次西方へ拡張した。トレンチ

R A

以東は花壇 になっていたため発掘を控えた。また、各トレンチにおいてピット3以南 は松の木や石堺があって、必要な箇所以外拡張をさけた。平面図(第工図) において、発掘地南端が段状をなしているのはそのためである。 第

I

地区における層序は基本的に

4

層であるが、トレンチ

R A

南部では 白砂層の間層(第

E

層)が見られ、したがって、この部分では5層を数え た。第

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眉はグラウンド造成用に持込まれた赤色土で構成され、層は全般 的に薄く、本質的に無遺物眉であるが、撹乱部(後述)では若干土器片が 見受けられた。第

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と および、また南壁においては

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層は基盤の白砂層であ る。 トレンチ

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のピット?においては第

I

屑の赤色土が直接第

V

層の白砂 基盤(第2図上段)に達しているが、ここにはグラウド造成当時大木があ って(この大木の除去作業が発見の端初となった訳だが)、除去作業の結 果生じた撹乱部であって、トレンチの北壁(第2図)で見ると、 LB-6 にもおよんでいた。第

I

地区においてはここ以外遺物包含層の撹乱は見受 けられなかった。前記第

I

層出土の遺物はここで得られたものである。

(8)

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E

地区出土の人工遺物

(9)

-329-第

E

地区の層序は単順で、第

I

層は赤色土層、第

E

層は醐黒色砂層、第

E

層は白砂基盤となっており、遺物を埋存する黒色砂層(第

I

地区におけ る第百眉)は認められなかった。 第二次大戦直後、同校々庭は米軍の駐屯に使用きれ、諸種の施設工事に よって表土はかなり撹乱され、鉄釘、鉄線、軍靴、鉄管、ビール壕の破片 等当時の遺物が相当量検出されたが、遺物包含層には達していなかった。 第

E

地区では表土の一部に石灰岩礁(第

2

図中段)を敷詰めた筒所も数ケ 所認められた。ところで、同校東側の前記実習地には塵芥処理用の小さな 穴を設けてあったが、穴の側壁を調査した結果、醐黒色砂層直下に遺物包 含層(厚さは不明)の帯在を確認した。以上によって、熱田貝塚は第

I

地 区以東に中心をもっ貝塚だと目された。

N

遺 物

遺物は自然遺物と人工遺物に分けられる。本文では不備なままではある が、調べ得た範囲で、一応自然遺物についても記しておきたい。

A

自 然 遺 物

貝殻は海産、陸産、半蹴水の4種が得られ、 28科61種におよぶ。貝殻は 全ピット各層において各種 l個づっ採集し、また量的状視を見るため特に ピット

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眉においてはランダム・サンプルとして全 量採集した。このうち同定し得たものをあげると下記の通りである。

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(10)

恩納村熱田貝塚調査機報 にしきうず科 1. ニシキウズ 2. サラサパテイ 3. クマノコガイ りゅうてん科 4. リュウテン 5. チョウセンサザエ 6. ヤコウガイ いもがい科 7. ヤナギシボリイモ 8. ミカドミナシ 9. タガヤサンミナシ 10. イボ、シマイモ 11. アンボイナ 12. アンボンクロザメ 13. アカシマミナシ すいしょうがい科 14. マガキガイ 15. クモガイ 16. スイヅガイ たけのこかにもり科 17. カスリカニモリ 18. オニノツノガイ いとまきぽら科 19. イトマキボラ 20. チトセボラ 21. ツノマタモドキ あつきがい科 22. ガンゼキポラ 23. ヒロクチイガレイシ あまおぶね科 24. ニシキアマオブネ 25. アマオブネ 26. カノコガイ たからがい科 27. ハナピラダカラ 28. ヤクジマダカラ 29. ホシダカラ 30. ハナマルユキ たけのこがい科 31. リュウキュウタケ

(11)

32. ゾウゲダケ とうかむり科 33. トウカムリ 34. ウネウラシマ ふじつがL、科 35. ホラガ、イ おにこぶし科 36. オニコブシ ゃっしろがし、科 37. ウズラガイ まくらがL、科 38. ジュドウマクラ たまがい科 39. トミガイ うみうさぎ科 40. ウ ミ ウ サ ギ しゃこがい科 41. シャゴウ 42. ヒメジャコ 43. シラナミ まるすだれがい科 44. スダレハマグリ 45. リュウキュウアサリ 46. ヌノメカ。イ 47. アラヌノメ ぎるがし、科 48. ザルガイ 49. キヌザルガイ ふねがい科 50. リュウキュウザノレボウ 51. エガイ りゅうきゅうますお科 52. リュウキュウマスオ 53. ムラサキガイ うぐいすがい科 54. アコヤガ、イ 55. ミドリアオリガ「イ かぶらつきがい科 56. カブラツキガイ うみぎく科 57. メンガイ かたつむり科 58. オ キ ナ ワ ウ ス カ ワ マ イ マ イ

(12)

やまたにし科 しじみ科 恩納村熱田貝塚調査概報 59. ノfン ダ ナ マ イ マ イ 60. オ キ ナ ワ ヤ マ タ ニ シ 61. マシジミ 以上は今回検出し得た種類であるが、単t乙種の同定だけでは員の利用状 況を知るには不充分である。そこで筆者は特に量的研究には関心をもち発 掘の都度ランダム・サンプルの採集を行なってきた。幸にして今回は本員 塚の資料を整理し得たので次にその出土状況を表示したい。採集は前記の 諸ピットで行なったが、ここでは紙数の都合もあって全資料を提出し得な いから、出土状況を見るに必要な最小限の資料にとどめる。 第3表はピットLA-3における各層の出土状況を示す。第

I

層は近年 の埋土による赤色土無遺物層であるから先史遺物は第

E

層以下の層で得ら れる。全体的に生活屑の第

N

層が種類・量共に豊富で、第

E

屑がそれに次 ぐ。第

E

層および第

V

層は白砂閣である。表中のメンガイは種の同定が困 難であったので一つにまとめた。第

E

層の欄に記したイモガイも種は不明 である。また、第E層および第百屑の欄で不明としたものは小破片のため 二枚員か巻貝か不明のものである。貝殻の個数を数えるにあたっては破損 の場合、特に殻頂をもって

l

個と数え、腹縁部の破片

(1

個の出土のみで 特に粉らわしくない場合を除き)は個数の対象からはずした。しかし、上 記の方法による個体数の算出だけでは量的状況を見るのに不充分であり、 別に重量の欄を設けこれを補った。この両欄によって本貝塚の各層におけ る員類のおおそよの出土状況を知るこがとできると思う。

(13)

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(14)

4

表の

A

巻貝 恩納村熱田貝塚調査概報 種 号 番 名

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1

合 計

1

1 サラサパテイ 2 1 チョウセンサザエ 3 1 ニシキウズ 4 1 イトマキボラ

5

I

アンポンクロザメ 6 1 ゴウポラ 7 1 オニノツノガイ 8 1 ガンセキボラ 9 1 マガキガイ

1

0

1 イモガイ

1

1

1 ホラガイ

1

2

I

オニコブシ

1

3

1 ヤキイモ

1

4

1 クモガイ

1

5

I アカシマミナシ

1

6

1 ヒロクチイガレイシ 171 ハナピラダカラ

1

8

1 ヤコウガイ

1

9

1 スイヂガイ

2

0

I アマオブネ

2

1

1 ホシダカラ 22 I ハナマルユキ

2

3

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2

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1

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6

4

表 ピヅト

LA-5

LA-6

LB-6

LC-6

各第

N

層における貝殻の 出土状況、分子は偶数、分母は重量(グラム)を示す。

-335

(15)

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(16)

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(17)

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人 工 遺 物

本貝塚出土の人工遺物は石器・民器・土器の3種で骨器は得られなかっ た。以下、これらの人工遺物について記述する。 石器 出土量は極めて少し石材として持込まれたと考えられる 6個を 含めて11個の出土であった。保存が悪く、原形を留めている資料は少い。 第3図 2は研磨痕を有する破片であるが、大部分を欠失するため形状、 用途を推察し得ない。間関4は磨石の破片で5も同種のものである。両者 ともかなり破損している。大きさにおいて5は幾分小さいようである。工 は石槌に使用されたと考えられ、先端部には打突によってできたような打 欠痕を残している。 3は扇平な面fこ'けを残す遺物であるが、石斧の破片で あろうか。 上記石器のうちl・2は第

E

地区第

U

J

国(駒黒色砂層)、 5は第

I

地区 第百層、 4• 3は同地区第 E膚の出土である。 貝製品 出土量は土器に次いで・多く、屑位的には、第lV層の黒色砂層お よび第

V

層の基盤白砂層上部での出土が圧倒的で、地区別では第

I

地区に 豊富であった。貝製品は装飾と実用の2種に分たれる。 ペンダントと考えられる製品には巻員(種不明) 3個(第 7図版 2) と 4種の二枚貝がある。メンガイを使用したものは113個で、員製品中、最 も出土量が多かった。上記メンガイ製品の重量を検討してみると、 2'""30 グラム(第6表)を測るが、これを5グラム単位でみると 11"'15グラムが 63個で最も多く、次いで6'""10グラムのもの55個、 5グラムまでのもの23 個となっていて、重量の見地からすれば6'""15グラムの製品がペンダント としては適当であったと考えられる(第6図版)。 その他アコヤガイ(第 8図版)、ヤコウガイ(第9図版4・5)、マJレオミナエシ(第7図版2) に孔を穿ったものがある。ヤコウガイ製品の場合、第9図版 5の外表はあ る程度研磨が施されているが、同図版

4

は研磨が加えられてなく、自然面

(18)

恩納村熱田貝塚調査概報

:

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図 熱田貝塚出土石器および土器実測図

-339

(19)

のまま放置されている。

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1

個 第7表 シャコガイ製錘の重量 出吐山一ブ

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13

1

とリュウキュウザ、ルボウ(第7 図版

1

)

に粗孔を設けたものである。前者が量的には優勢で、後者は僅か (第5図版) 錘としたものはシャコガイ に3個であった。 シャコガイ製品の重量についてみると、 l∞グラム以上 のものが

7

個、

9

9

グラム以下のものは

5

4

個で全体の約

8

9

%

を占める。 その うちで

3

0

グラム以下のものが

2

7

個もある。

3

0

グラム以下といえば、前述の メンガイ製ペンダントがある。 この事実からすると通常錘と分類されてい る粗孔を穿ったシャコガイのうち、

3

0

グラム以下のものについては装飾品 的な要素も兼備していたのではないかと考えられる。あるいはまた、 メン ガイ製ペンダントのうち大形のものは鍾に使用されてもよいと考えられる のである。 シャコガイに穿たれた孔はすべて粗孔で、径の最小は5棚、最 大は4cmであるが、 2cm前後を普通とする。 リュウキュウオオギガイ (第7図版 2) に粗孔を穿ったものは前期の員 塚では報告があるが、後期の員塚における出土はこれを以て鳴矢とする。 サラサパテイ (同図版 3) の体層部最下段を欠き取り、打欠部を研磨した ものは腕輪の一種であろうか。

-

3

4

0

(20)

-恩納村熱田貝塚調査概報 3個の員匙(第 9図版 1'"""3)はいずれもヤコウガイを用いたもので、 l個は周縁および外面を磨き多少丹念に仕上げてあるが、他の 2個は組製 で、体層部の癌状隆起も原形のまま残存する。 貝皿としたものはシャコガイの腹縁部を水平方向に研磨したもので、出 土は2個(第 7図版 3) であった。工個は破損品、他は完形品である。 イモガイの体層部を梯形状に切取り、表面に彫刻を施した員符が工例 (第

4

図・

9

・図版

1

1

1

)

、第

I

地区で検出された。この種の員製品は種子 (2) ケ島広田の埋葬遺跡で多量出土を見ている。出土した層位が基盤白砂層 (第

V

層)の最上部であることから種子ケ島の例が予想され、一帯を注意 深く更に

1m

掘下げたが、所望の遺物は得られなかった。本標品は長さ約 4cm、表面には薬研彫りによる簡単な刻文が施されている。孔は穿たれて いない。 土器 採集破片の総数1

787個、そのうち復元によって、やや全景を知 りうるもの(図版

1

1

の2、第 6図)も l個検出された。 第

I

地区における土器片の層位的出土量は第百層で最も多く、次いで第

E

層で600個余得られたが、第

E

層の白砂層でも若干採集された。第

E

地 区においては第

E

層で多く得られ、第3層(第

I

地区における第

V

層)で の発見は僅かに2個であった。 器種は聾形を主体とし、壷形は僅少であった。また、鉢形土器の口緑破 片も少量検出された。以下、器種別に説明する。 鉢形土器の破片(第4図l、図版

1

1

3

)

はピットLO-4第

E

層の出 土で、器壁は底部へ向って漸次厚さを増す。器色は赤褐色で胎土中央部は 黒味を帯びている。焼成は普通、幾分吸水性が強いようである。器の内面は 箆状の物質で調整されているが、外面は組雑で器面はかなり傷んでいる。 醸痕は施されてなく、口唇部の断面は円味を帯ぴている。胎土には金雲母 の微粒子が多量混入されている。同図2は湾曲の程度からして底部に近い 部分の破片であるが、焼成、混入物、器色等から見て、上記口縁破片と同

(21)

341-に

:

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4

図熱田貝塚出土々器・員符実測図

(22)

恩納村熱田貝塚調査概報 ーの器体に属するものと考えられる。いずれも第

E

地区での発見である。 第3図16.17は口隷部外面l乙痛状の小突起を貼付するもので、両者の特 徴からして同一器体に属するものと思われる。突起は比較的大きく(第3 図16

17、図版10の 4

5)、16の標品は横断面が半円状を呈し、 17は方 形をなすが、周縁部は図のように破損している。いずれも突起は口縁の線 でとまり、上方へは突出しない。器厚は5脚前後、赤褐色を呈し、同図16 の内面には擦痕が施されている。両者とも幾分内湾気味であるところか ら、鉢形土器の破片かと考えられる。 16は第

E

層の出土、 17は表採品であ る。 口縁部破片94個のうち壷形と認め得るものは第 4図 3-6の 4例と、第 3図工2に示した l例の計 5個である。第 4図 3の口径は小さく 7c慨を測る が、他の3個は

1

7

c

m

前後を算する。いずれも器色は茶褐色、薄手の焼成の いい土器である。 3は第百層、 4は第

I

層、 5は第

E

層、 6は第

E

層の出 土である。第3図12は頚部に文様を施すが、破片が小きいため文様の全貌 を知り得ない。おそらく山形文に横走の白線を交えたものかと考えられ る。頚部の湾曲の度合からして、口径は

8cm

前後かと見られる。あかるい 褐色の堅級な破片で文様は浅い箆描きとなっている。第百層の出土である。 以上5例について見ると、口径の小さい方は第百層で得られ、大きい方は 第

E

層以上の層で検出されている。 郵形に属する破片は90個である。器形の窺えるもので見ると口縁はほと んどが外反を示し、直口のものは稀少であった。有文の破片は極めて少 し出土量は2 %にも達しない。しかし、文様は 7種に分つことができる。 第百眉で最も多く、第

E

1• V

層の順に減少し、第E層で最も少なかっ た(第8表)。以下、文様について述べる。 凸帯文 6個(第 3図6'""10と20、図版10のII-15)の出土で、色調は暗 褐色のものと黄褐色のものがおのおのl個、他は赤褐色を帯びている。器 壁の厚さは前記暗褐色の破片(約

7

鵬)を除けば

4-5

仰 の 薄 手 の も の

-

3

4

3

(23)

直 爪 曲 横 劇j i口L 捺 線 形 線 突 ~J 文 文 文 計 I 3 4 I 2 3 2 8 E N 2 2 3 13 V 3 計 6 3 12 2 2 3 29 第8表饗形土器の文様形態およびその出土状況 で、焼成はいずれも良好。胎土には砂粒が少量混入されている。 凸帯は横位のものが主体をなすが、縦位のものと組合わさった例もあ る。同図6は縦位に施された凸帯の一部を残すが、縦位のみに終始する例 は稀であり、同図20の如く横位のものと組合わさったものかと考えられ る。 7.10

20は第

E

層、 81ま第

E

層、 6

9は第百層の出土である。 凸帯には普通刺突が施され、凸帯上方すなわち頚部に幾何学的出文(同 図8) を配する破片も l個発見された。凸帯が横位に貼付される場合、 l 条を普通とするが、同図10のように 2条貼付するのも l例あった。横走の 凸帯が口縁下どの位置に国置されたかは、口唇部を有する標品が l例に過 (3) ぎないため、一般的な事情は抽出できないが、アカヲャンガー貝塚の例か らすると口唇下3"-'4C11tの箇所であろうと思われる。同図6について見る と、口層部は無文である。同図 7

8

9の凸帯は比較的幅が広く貼付も しっかりしているが、 6

10

20は小型の凸帯で貼付も不安定である。 前者は具志原員塚の第4種に属し、後者は同貝塚で第 l種としたものであ

(24)

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2

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3

5

思納村熱田良塚調査概報

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1

0

Cm 第

5

図 熱 団 員 塚 出 土 々 実 測 図

-345

(25)

る(4)

貼付文 粘土の紐を貼付するという点では前述の凸帯文と同一である。 これは粘土の紐を口縁部に半円状(第 4図 8、図版11の 6) に貼付したも ので出土はこの工例だけであった。茶褐色の薄手の土器で口縁は波状を呈 し、口唇部の断面は chevron状に尖っている。他の土器より幾分吸水俳 があり、内面には荒い擦痕が施されている。第

N

層の出土である。 横捺刻文 2種あって、第 3図19は尖端の幅約 5脚の工具によって横捺 を施したもので、 2条認められる。文様自体は古式の部に属するが、器の 特徴は後期の範障にある。第

E

地区第

E

層の出土である。他のl個は同図 181乙示したもので、刻文の幅は小さく、長さも不規則で配列も雑である。 これも第

E

層の出土である。 直線文 これに属するものはすべて胴部の小破片で文様の全景を知り得 ないが、水平方向の直線をl条残している。同図工5は第

E

層、工3・14は第

N

層の出土である。胎土・焼成・厚き・器面調整等他の土器片と変らない (図版12)

爪形文 12個の発見で量的に最も多かった。しかし、個体数は第5図 2 (図版12) と第 6図(図版11の 2) の 2個体にまとめられる。第 5図 2は 下半部を欠く。口径約30cm、口唇部には 2個工組の小突起があり、胴上部 を波状に展開する爪形文で飾る。口縁部の外反は他のどの土器よりも著し い。色調は賞味がかった褐色で、器面は箆で調整され、部分的に同工具に よる撰痕が器の表面に認められる。焼成は極めて良く、石英の微粒子を少 量含入する。これに属する破片は11個で、第

I

層で3個、第

E

層で3個、 第百層で5個発見されたが、半数近くは接合が可能である。 第 6図に示した完形に近い護形土器は爪形文の l種とすべき文様を波状 に施し、谷の部分には同種の文様を弧状に配している。口径約24cm、高さ 約27cm器壁の厚さ 4'""6慨。基盤白砂層での発見である第11(図版 2)。 曲線文 頚部l乙浅い描きの山形連続文を配し(第 5図l、図版11の 4)、

(26)

同文様下にl線を横走させ文様 帯を区画する。曲線の山形文と 直線の闘を部分的に幾同学的山 形文で埋める。器壁の厚さ約 7 脚。本貝塚の土器では厚手の部 類に属する。口径も採集品中最 も大きく32cmを測る。胴上部は 幾分張っており、文様帯下方で は器面の内外l乙擦痕が認めら れ、胎土には赤色の物質の混入 が見られる。前記完形土器と同 じく第

V

層の出土である。 恩納村熱田員塚調査概報 ' E t

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6

図 熱 団 員 塚 出 土

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形土器 同図3 (図版12の 9) の小破片は第百層の出土で、文様の全景は窺えな いが、曲線文の l種と考えられる。外反の度合は貧弱である。 刺突究 3個の胴部破片を得たが、そのうち第12図版4

81と2例を載せ た。尖端が 2叉状をなす工具を使用したもので、刺突の程度は浅く、配列も 不規則である。器厚は4棚前後、焼成も極めて良く、器面は宮で調整されて いる。胎土には砂粒が極く少量見受けられる。いずれも第lV層の出土である 以上文様について述べた。次に土器の胴部および底部について述べる。 まづ胴部の厚さであるが、第百層出土の田9個について調べた結果、薄い 方は2棚で 4個、最も厚いものは11脚でl個、大半は 4"'6仰を算し、概 ね回%を占める(第9表)。

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(28)

恩納村熱田貝塚調査概報 胴部における擦痕の有無を第

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地区出土の

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個の破片について調べ てみると、擦痕を施さぬものが圧倒的に多く、擦痕を有するものは僅かに 429個であった。これを細分すれば、外面にのみ施すもの48個、内面だけ に施すもの332個、内外両面に認められるもの49個となり、 内面

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施す例 が優勢である。擦痕は繊維状の物質によったものが多く、民殻を使用した 時に見られるような荒い擦痕は稀有であった。 口唇部における文様の有無について第

I

地区出土の工03個の口縁破片の うち、有無を確認し得る破片を対象としたが、施文を確認し得たのは僅か に5個であった。 土器の底部は丸底と平底の2種があり、尖底は検出きれなかった。丸底 は安定度の強いもので、器の特徴は前述の鉢形土器と一致するところか ら、平底は聾形および壷形土器に属するものであろうと思う。 底部は58個得られたが、底面を完全に残すものは11個 で 、 他 は 一 部 あ る いは大部分を欠失する。図上復元によって形状の窺えるものを含め第7図 にまとめてみた。断面で見ると底部外面が平面に密着するような平底と、 外面中央部が弧状に湾曲して空聞を生ずるものの

2

種が認められるが、出 土量は後者が僅かに多かった。また、後者の場合、外面だけに凹みが認め られるものと、更に底部全体が指で押上げられたように内面も若干盛上っ たものがある。出土量は後者が僅かに多かった。 底部から胴部へ移行する側面の部分は程度の差こそあれ、くの字状にく びれている。ただ工例だけ上記の範障に属さないもの(第7図24、図版13 の 3) があって、くびれが見られず内面中央部を意識的に盛上げてある。 器色はあかるい褐色に属し、焼成も良好である。第百層の出土である。

V

三五 ロロ 以│二、出土遺物の概要を述べた。次t乙本員塚に関する 2 ・3の特色によ、

(29)

れ、結びとしたい。 まづ、1石器であるが種類も量もともに貧弱であった。しかも、形状の窺 えない破損品が多数を占め、用途を推察し得たのは僅かに磨石と石槌に使 用されたかと考えられる遺品ぐらいのものであった。 貝器は実用品と非実用品に分類される。出土量において特に顕著だった のは前者においてはシャコガイ製の錘、後者にあたってはメンガ、イ製の装 身具であった。この両製品を重量の観点から論ずれば、非実用品とされた もののなかには実用的性格を帯びたのもあったのではないかと考えられる のである。また、逆の場合もあり得たと推量される。 ところで、貝製品中剖自に価するのは第

V

眉出圭の貝符である。本県 における貝符の出土は本標品を以て鴨矢とするが、最近は県内でも数ヶ所 (5) の遺跡が知られている。本貝塚出土の貝符は孔が穿たれてなく、種子ケ島 (6) 広田の上層出土のものに類似するものであるが、出土が唯の工例であり、 埋葬とも無関係であった。したがって、種子ケ島とは異った、つまり明器 ではなく、他の用途(例えば護符の如き)をもっていたと推察される。兎 l ζ角、本製品の出土は種子ケ島地方との交渉を物語る証跡と認めてよいと 思われる。 土器についてみると、有文土器の出土が甚だ不顕著であった。仁l縁部に癒 状突起を有する破片および口縁部に半円状の帯を貼付する2例を除けば、 文様型式は本島中部の具志川村アカジャンガー貝塚の土器文様と一致す る。ピット

RA-7

V

屑の未撹乱区で検出された

2

個の有文土器は本貝 塚最古の土器と見倣してよいであろう。そのうち頚部に曲線の山形連続文 を配する土器は前記アカジャンガ一員塚で最も多く検出された文様形式に 属する。ところで、本員塚では土器の無文化が著しく進行している。有文 破片が

2

割以下であることは前述の通りで、この点で見ると、本貝塚はア カジャンガ一員塚l乙後続する時期l乙比定すべきかと考えるのである。 註 ,

1

.

多和田真浮「琉球列島の貝塚分布と編年の概念補遺」文化財要覧

1

9

6

0

年版

(30)

恩納村熱田貝塚調査概報 琉球政府文化財保護委員会。

2

.

国分直一・盛園尚孝 「種子ケ島南種子町広田の埋葬遺跡調査概報」考古 学 雑 誌 第43巻第3号。

3

.

高官広衛 「具志川村アカひャンガー貝塚調査概報」文化財要覧

1

9

印 年 版 琉球政府文化財保護委員会。 4. 友寄英一郎・高官広衛 「伊江島具志原貝塚調査概報

J

琉球大学法文学部 紀 要 社 会 篤 第

1

2

1

9

6

8

5

.

4

に同じ。

6

.

金関丈夫 「種子島広田遺跡の文化」福岡ユネスコ協会々報第

3

1

9

6

6

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参照

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