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霧島市における中心市街地の変容と地形環境

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霧島市における中心市街地の変容と地形環境

著者

永迫 俊郎, 石塚 孔信, 森脇 広

雑誌名

Discussion papers in economics and sociology

1204

別言語のタイトル

Change in the town centre and landform

environment in Kirishima

(2)

霧島市における中心市街地の変容と地形環境

Change in the town centre and landform environment in

Kirishima

永迫俊郎

・石塚孔信



・森脇 広



Toshiro NAGASAKO, Yoshinobu ISHIZUKA and Hiroshi MORIWAKI

1. はじめに 東日本大震災で明らかになった問題点の一つに,十分に近い過去に発生していた地震や 津波の痕跡が顧みられず,想定外と処理されていたことがあり,長期的な視野の重要性が 再認識されている.地学現象および気象・社会・生態系諸現象を総括するうえで,着目す る事象の時間・空間スケールを明確化し,さらに大が小に及ぼす影響力を感知することが 重要である(貝塚,1989).より長期また広範な視野に立つことで,はじめて浮き彫りにで きる事象は少なくない. 永迫ほか(2012)は,これまで注目されてこなかった都市での経済活動と自然環境との 関係を議論するため,薩摩川内市において中心市街地の変容と地形環境の関係について考 察を行った.このように自然環境とりわけ地形環境に着眼したことによって,中心市街地 の空洞化といった時空間的に限定的な事象がより大きな時空間スケールの中に位置づけら れ,一定の成果が得られた. 本稿では,薩摩川内市での知見を踏まえ,鹿児島県北部の中核をなす霧島市の中心市街 地を対象地域とし,地方都市における中心市街地の変容と地形環境についてそれぞれ検討 を行い,両者の関係について考察する.本研究は,防災や持続可能性の高い都市計画とい った具体的な面で調査地域に貢献することはもとより,現代の事象を対象にする経済学の 研究手法に新風を吹き込む可能性をもっている. 霧島市は旧国分市を中心として,2005 年 11 月に 7 市町が合併して発足した.2012 年 7 月 1 日現在の人口は 127,889 人で,鹿児島市に次ぐ第二の規模を誇る.旧溝辺町の十三塚 原への鹿児島空港移設(1972 年)を機に企業誘致に乗り出し,県下では有数の実績を挙げ てきた自治体である.2010 年 9 月に日本ジオパークに認定された霧島ジオパークをめぐっ ては,環霧島火山の自治体の中で主導的な役割を果たし,さらに世界ジオパーク入りを目 指している.こうした環境意識の高さの背景には,霧島火山の噴火や低地での浸水被害が あると言える.地球温暖化が象徴するように,気候システムが変化する移行期には「これ までに経験したことのないような」気象現象に遭遇する可能性が高くなるため,今後災害 想定の見直しも必要であろう.  鹿児島大学非常勤講師  鹿児島大学法文学部

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2. 霧島市の中心市街地の変容 1973 年の制定から数度の改正を経て 2000 年に廃止された大規模小売店舗法(大規模小 売店舗における小売業の事業活動の調整に関する法律)を中心とした「まちづくり三法」 が施行されて 12 年目となる. 大規模小売店舗法(以後「大店法」とよぶ)の混乱と失敗を教訓に地域の状況を考慮し たまちづくりを目指して制定・施行された「まちづくり三法」も,その後,さまざまな問 題点や不備が指摘され,中心市街地の空洞化には一向に歯止めがかからなかった.そして, その後見直しが進められ,2006 年 5 月に「まちづくり三法」の改正法案が成立し,2007 年 11 月末日をもって全面的な施行に至った. 以下,大店法の制定から「まちづくり三法」を経て,「改正まちづくり三法」までの変遷 を概観する. 1) 大店法時代(1974 年~2000 年) 大店法は,「この法律は,消費者の利益の保護に配慮しつつ,大規模小売店舗における小 売業の事業活動を調整することにより,その周辺の中小小売業の事業活動の機会を適正に 確保し,小売業の正常な発達を図り,もって国民経済の健全な進展に資することを目的と する」と第一条に規定されている.したがって,①消費者利益の保護,②中小小売業の適 正な事業機会の確保,③小売業の正常な発達の 3 つを目的としていて,この目的を達成す る手段として,競争上優位な立場にある大規模小売店舗における小売業の事業活動を調整 することとしている.大店法は,2000 年 6 月に廃止になるまで,1970 年代後半からの規制 強化・出店抑制といった運用の厳格化(1978 年の第一次大店法改正),1980 年代後半から の規制緩和への転換期を経て,1989 年 9 月から 1990 年 6 月まで開催された「日米構造協 議(Structural Impediments Initiative:SII)」で,日本の流通機構が大きな非関税障壁であり, 日米の貿易不均衡の大きな要因であると批判された.とりわけ,輸入品を多く取り扱う大 規模小売店舗の出店を規制する大店法が諸悪の根源とされて,所謂「規制緩和」が求めら れたのを端緒として,1990 年代には数回にわたる法改正や運用改正が行われて(1991 年の 第二次大店法改正など)規制緩和が推進された(表 2-1). 大店法の目的は,上述の 3 つのうち②中小小売業の適正な事業機会の確保が主眼であっ た.そのため,大規模小売店舗は,大店法によって中小小売店舗に影響を及ぼす場合には, 店舗面積の削減や開店日を遅らせる等の出店調整をおこなっていたが,結果的には,中小 小売店舗の減少に歯止めがかからなかった.その理由は,車社会への対応の遅れ,消費者 のライフスタイルの多様化,後継者難等の要因が考えられた.結局,大規模小売店舗の出 店抑制が,中小小売業の事業機会を適正に確保することにつながらず,大店法の役割に限 界が見えてきていた. さらに,大規模小売店舗の増加により生じたさまざまな社会問題が,大店法の調整項目 である開店日・店舗面積・閉店時刻・年間休業日数等による調整だけでは,解決すること

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年 法改正・運用改正 1973年 大規模小売店舗法制定 ①1,500㎡(政令指定都市などでは3,000㎡)以上の店舗面積が対象 ②公示の手続き以降6ヶ月で開店 1974年 大規模小売店舗法施行,第二次百貨店法廃止 1978年 第一次大店法改正 ①第一種:1,500㎡以上、第二種:500㎡以上1,500㎡未満 ②第3条届出の営業禁止期間の延長(6ヶ月→7ヶ月) 1979年 第一次改正大店法施行 1982年 大店法運用強化(通産省通達) 出店抑制地域の指定,抑制地域内の出店の自粛要請 1989年 「90年代流通ビジョン」において大店法の運用適正化を提案 1990年 大店法運用適正化措置 ①調整期限に上限(1年半)を設定 ②閉店時刻届出不要基準(午後6時→午後7時) 1991年 第二次大店法改正 ①第一種:3,000㎡(政令指定都市6,000㎡)以上 第二種:500㎡以上3,000㎡未満 ②調整期間の上限を1年に短縮 ③地方自治体の独自規制を適正化 ④輸入品専門売場特例法の制定 1992年 第二次改正大店法施行(上記②は施行と併せて講じられる.) 1994年 改正大店法運用にかかわる規制緩和の実施 ①1,000㎡未満の店舗の出店は原則調整不要 ②閉店時刻(午後7時→午後8時) ③年間休業日数(44日→24日以上) ④年間60日を限度に閉店時間を1時間延長 1997年 産業構造審議会および中小企業政策審議会流通小委員会合同会議 中間答申において,大店法の廃止,大規模小売店舗立地法制定によ る政策転換の必要性が示される. 1998年 大規模小売店舗立地法(大店立地法)制定 ①1,000㎡以上の店舗面積が対象(政令で定める基準面積) 2000年 大店立地法施行,大店法廃止(6月) 表2-1 大規模小売店舗(大店法)の変遷 (出所)鈴木・関根・矢作編(1997)を参考に加筆・修正 が出来ず,大店法の規制緩和の進展した 1990 年代の大規模小売店舗の郊外出店の急増は, 中心市街地の衰退や空洞化を加速させていった.そこで,中心市街地の活性化が急がれる ことになり,1998 年に中心市街地活性化法,大規模小売店舗立地法,改正都市計画法から なる「まちづくり三法」が制定された.その結果,大店法は,2000 年 6 月の大規模小売店 舗立地法(以下,大店立地法という)の施行とともに廃止された. 2) まちづくり三法時代(2000 年~2006 年) まちづくり三法は,中心市街地の衰退・空洞化の進行により,大店法が果たしていた大 規模小売店の出店調整にとどまらず,総合的なまちづくりや環境問題への対応という見地 から地域の実情に合った調整を行うことを目的として制定された.そして,その具体的中

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身は,大店法に代わる新しい法律として 1998 年 5 月~6 月に制定された生活環境への影響 など社会的規制の側面から大規模小売店舗出店の際の新たな調整の方法を定めた「大規模 小売店舗立地法」(大店立地法)とゾーニング(土地の利用規制)を促進するための「改正 都市計画法」,衰退・空洞化する中心市街地の再活性化を支援する「中心市街地における市 街地の整備改善及び商業等の活性化の一体推進に関する法律」(以下,中心市街地活性化法 という)から成っている.これらの 3 つの法律が,その役割を有機的に連携運用されるこ とにより,中心市街地の衰退・空洞化問題を解決し,地域全体の活性化を促進しようとし たのである.その概要は表 2-2 のようである. 法律名 改正都市計画法 大店立地法 中心市街地活性化法 公布日 1998年5月29日 1998年6月3日 1998年6月3日 施行日 1998年11月20日 2000年6月1日 1998年7月24日 目 的 地域の実情に的確に応じたまちづくり を進め,都市計画における地方分権 の推進を図る. 大規模小売店舗による周辺生活への 影響を緩和するための社会的規制を 実施する. 空洞化の進行している中心市街地の 活性化を図る. 概 要 その種類・目的に応じて,特別用途地 区を市町村が柔軟に設定できる.(例 えば,大規模小売店舗出店立地の可 否を色分けすることも可能.) 地方自治体が個別ケースごとに,地域 の実情に応じた運用を行えるようにす る. 調整対象は店舗面積1000㎡超の大 規模小売店舗. 調整対象事項は,地域社会との調和・ 地域づくりに関する事項(駐車・駐輪, 騒音,廃棄物など). 「市街地の整備改善」「商業等の活性 化」を柱とする総合的・一体的な対策 を連携して推進する. 市町村が「基本計画」を作成する. 「基本計画」にそってTMO(中小小売 業の高度化を推進する機関:タウンマ ネジメントを行う機関)などが作成する 事業計画を国が認定し、支援を実施す る. 運用主体 市町村 都道府県および政令指定都市 市町村 表2-2 まちづくり三法の概要 (出所)南方(2005)を参考に加筆・修正 大店立地法は,その第 1 条に「この法律は,大規模小売店の立地に関し,その周辺の地域 の生活環境の保持のため,大規模小売店舗を設置するものによりその施設の配置及び運営 方法について適正な配慮がなされることを確保することにより,小売業の健全な発達を図 り,もって国民経済および地域社会の健全な発展並びに国民生活の向上に寄与することを 目的とする」としている.このことから,大店法が需給調整型の経済的規制だったのに対 して,大店立地法は,地域社会との調和や環境問題への対応という見地から大規模小売店 舗の立地・出店を計画的に規制する社会的規制であることが大きな特徴である. 大規模小売店舗を設置するものは,具体的に①交通渋滞,②駐車場・駐輪場の確保,③ 防災対策,④騒音,⑤廃棄物・リサイクル,⑥街並みづくりに配慮しなければならない. また,大店法が認可制だったのに対して,大店立地法は許可制である点も大きな違いであ る.したがって,大店立地法の施行により,大規模小売店舗やショッピングセンターの開 発・開業が大店法時代よりも容易になった.その結果,全国的に大規模な駐車場を擁する 郊外型ショッピングセンターの出店が相次ぐようになった. 3) 改正まちづくり三法時代(2006 年~現在) まちづくり三法は,中心市街地の衰退・空洞化に歯止めをかけるべく制定されたもので

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あったが,現実には,大規模小売店舗の進出による税収や雇用の増加を期待して誘致を進 める自治体が多かった.そのため,その後も中心市街地の衰退・空洞化には歯止めがかか らず,三法の不備が指摘されてきた.さらに,郊外地域における開発が進むにつれて消費 者が中心市街地を離れ,商業施設だけでなく病院や学校といった公共施設まで立地しやす い郊外に移転していった.このような状況下で,政府は,人口減少・高齢化時代に対応す るために,都市機能の郊外拡散を抑制し,住宅,病院,商業施設等の都市機能を中心市街 地に集約させる欧米型の「コンパクトシティ」構想を打ち出した. 今回改正となったのは,「中心市街地活性化法」と「改正都市計画法」の 2 法である.そ のうち,改正都市計画法の改正は,大規模小売店舗の郊外出店規制が一番の目玉である. 都市機能の郊外への拡散を抑制するために,延べ床面積が 10,000 ㎡を超える大規模集客施 設の郊外出店をそれまでの 6 地域から 3 地域に限定することによって立地規制を厳格化し, 従来,出店が可能であった「工業地域」「第二種住居地域」「準住居地域」の 3 つの用途地 域への出店を原則禁止し,「近隣商業地域」「商業地域」「準工業地域」の 3 地域に出店を限 定することによって,郊外立地を大幅に規制するものとなった.また,中心市街地活性化 法により総務省から基本計画の認定をとるために規制対象外の「準工業地域」でも独自規 制する自治体も増えてきている(表 2-3). 以上のように,中心市街地の盛衰には,大店法時代に始まり大店立地法へ移行した旧ま ちづくり三法時代を経て改正まちづくり三法時代と法律の改正による制度の変更が大きく 影響を与えていることがわかる.全国の地方自治体がおしなべて中心市街地の衰退・空洞 化問題に頭を悩ませているのは,全国的に制度の変更の影響が出てきているからである. そこで,本稿では鹿児島県霧島市を対象地域として,中心市街地の変遷を概観し,まちづ くり三法によって中心市街地の外に広がっていった郊外のロードサイド店や大規模小売店 舗の分布を示すことによって,中心市街地の衰退・空洞化を明らかにしたい. 4) 霧島市中心市街地の概要 霧島市の中心市街地は,2005 年 11 月 7 日に国分市,姶良郡溝辺町,横川町,牧園町, 霧島町,隼人町,福山町の 1 市 6 町が合併して誕生した霧島市の行政の中心に位置し,旧 国分市の中心市街地と一致している.旧国分市域は,錦江湾の湾奥(最北端)に位置し, 人口は 57,018 人(2009 年)を擁しており,商工業の盛んな県中央部の地域である.旧国 分市は,1954 年から 1955 年にかけて1町 4 村が合併して 1955 年に人口約 35,000 人で誕 生した.その後,1970 年までの高度成長期には,他の地方都市と同様に人口は減少傾向に あったが,1970 年代に入り旧溝辺町への鹿児島空港の移転に伴い,京セラ国分工場(1972 年操業開始)やソニー国分(1974 年操業開始)といったハイテク関連の企業が旧国分市内 で操業を始め,それと共に人口も増加傾向に転じた.現在は,鹿児島市を別として,県内 ではなお人口減少している都市が多いけれども,旧国分市域は,その中で人口を維持して いる商工業地域である.また,旧国分市域は,高齢化率が相対的に低い水準にあるが,こ

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れは,京セラやソニー国分の従業員とその家族の転入や,大学・自衛隊駐屯地の存在による 若者の増加によるものである. 種 別 改正前の出店規制 改正後の出店規制 市街化区域  第1種低層住居専用地域 × ×  第2種低層住居専用地域 × ×  第1種中高層住居専用地域 × ×  第2種中高層住居専用地域 × ×  第1種住居地域 × ×  第2種住居地域 ○ ×  準住居地域 ○ ×  近隣商業地域 ○ ○  商業地域 ○ ○  準工業地域 ○    ○(注1)  工業地域 ○ ×  工業専用地域 × × 市街化調整区域 原則×(注2) × 非線引き都市計画区域の白地地域 ○ × 準都市計画区域の白地地域 ○ × 農地・農業振興地域 (市街化調整区域など市街化区域外) 転用後○ 農地転用許可制度 の厳格化(×) (出所)『日経流通新聞』(2007月1月1日および2007年11月30日)により作成. 表2-3 改正都市計画法による大規模集客施設の出店規制対象地域の変更 (延べ床面積10,000㎡超が対象) (注1)3大都市圏と政令指定都市を除く地方都市では,改正中心市街地活性化法 に基づく基本計画の認定を受けるためには特別用途地区制度を活用し,立地を規制 することが条件. (注2)20ヘクタール以上の計画的な大規模開発は例外的に許可. このような状況の中で,霧島市の中心市街地(=旧国分市の中心市街地)は,主要な幹 線道路や JR 国分駅を含む交通の要衝にあり,かつては,百貨店,スーパーなどの商業施 設や市役所,警察署,図書館等の公共施設,金融機関などの業務施設,病院等の医療施設 が集中して立地し,地域の中心として繁栄してきた.しかしながら,近年,その地位が相 対的に低下してきている.その大きな要因は,中心市街地内の区画道路や駐車場などの基 盤整備が遅れて,モータリゼーションに対応できなかったことが挙げられるが,大きな要 因は,大規模小売店舗の郊外立地による消費者の郊外への流失であるだろう. 5) 中心市街地の衰退と大型店の郊外への出店 ①人口の動向 霧島市の中心市街地は,旧国分市と比べて,人口が減少傾向にある.少しデータが古い が,図 2-1,図 2-2 をみると,2005 年 10 月 1 日現在で旧国分市の人口は 55,053 人である(住

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民基本台帳による).地域別にみると,用途地域が 35,832 人(65.1%)で最も多く,次い で白地地域が 13,418 人(24.4%)で都市計画区域外は 3,930 人(7.1%),中心市街地は 1,873 人(3.4%)となっている.人口の推移をみると,全体的にはなお増加傾向にある.これを 地域別にみると,特に用途地域外での増加が顕著であり,白地地域では 4,087 人(43.8%), 都市計画区域外では 1,589 人(67.9%)増加しているのに対して,用途地域では 3,163 人 (9.7%)の増加にとどまっており,中心市街地では 343 人(-15.5%)減少している.さ らに,この図から 2000 年から 2005 年にかけて,人口が中心市街地や用途地域から白地地 域や都市計画区域外へ移動していることが読み取れる.これは 2000 年のまちづくり三法の 制定と無関係ではないであろう. 図 2-1 旧国分市の人口の推移 (出所):国分中央地区中心市街地拠点地区市街地総合再生計画 図 2-2 旧国分市の地域種別の人口の推移 (出所):国分中央地区中心市街地拠点地区市街地総合再生計画 ②商業の動向 (1) 店舗数,従業者数 2004 年における店舗数は,図 2-3 をみると旧国分市全体で 580 店舗,うち中心市街地に

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立地している店舗は 110 店舗(19%)である.店舗数の推移をみると,旧国分市全体では 多少の変動があるが,概ね 600 前後で推移している.それに対し,中心市街地は減少傾向 が続き,1994 年の 175 店舗から 10 年で 65 店舗(37.1%:1994 年度比)減少し,2004 年に は 110 店舗になっている. 図 2-3 旧国分市における店舗数の推移 (出所):国分中央地区中心市街地拠点地区市街地総合再生計画 従業者数は,図 2-4 によると旧国分市全体で 4,200 人,うち中心市街地に立地する店舗 に勤務する従業者は 708 人(16.9%)である.同様に従業者数の推移をみると,旧国分市 全体では 1997 年には下落しているが,その後,緩やかに増加し,1994 年の 3,877 人から 323 人(8.3%)増加している.他方,中心市街地では減少傾向が続き,1994 年の 982 人か ら 274 人(27.9%)減少している. 図 2-4 旧国分市における従業員数の推移 (出所):国分中央地区中心市街地拠点地区市街地総合再生計画 (2) 年間販売額の推移 2004 年における年間販売額をみると,旧国分市全体で 967 億 5,400 万円,うち中心市街 地では 103 億 5,300 万円(10.7%)であった.推移をみると,旧国分市全体では,1994 年 からの 10 年で 112 億 7,400 万円(13.2%)増加したのに対し,中心市街地では,82 億 1,100

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万円(44.2%)減少している.旧国分市全体に占める中心市街地の販売額シェアは,1994 年には 21.7%であったが,2004 年には 10.7%となり 10 年間で半減した(図 2-5 参照). 図 2-5 中心市街地の販売額シェア推移 (出所):国分中央地区中心市街地拠点地区市街地総合再生計画 次に,1 店舗当たりの年間販売額を見ると,旧国分市全体で 1 億 6,700 万円,中心市街 地は 9,400 万円となっている.推移をみると,旧国分市全体では 2004 年に減少に転じたも のの,1994 年からの 10 年で 3,200 万円(23.7%)増加しているのに対して,中心市街地で は 2004 年に増加に転じたものの,長期的な減少傾向にあり,10 年で 1,200 万円(11.3%) 減少している.1 店舗当たりの年間販売額の差は,2004 年には 7,300 万円となっているが, これは 1994 年の 2,600 万円に比べると 2.8 倍に拡大している(図 2-6 参照). 図 2-6 旧国分市の一店舗当たりの年間販売額推移 (出所):国分中央地区中心市街地拠点地区市街地総合再生計画 (3) 売り場面積 2004 年における売り場面積は,旧国分市全体で 90,580 ㎡であり,うち中心市街地は 17,295 ㎡(19.1%)を占める.推移をみると,旧国分市全体では,1997 年から約 37,000 ㎡ (69.2%)増となったのに対し,中心市街地では減少傾向が続き,1994 年の 26,615 ㎡から 9,320 ㎡(35.0%)減少した.大規模小売店舗の郊外立地が進んでいることが減少の要因と

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して考えられる(図 2-7 参照). 図 2-7 旧国分市の売り場面積の推移 (出所):国分中央地区中心市街地拠点地区市街地総合再生計画 1 店舗あたりの売り場面積をみると,中心市街地が約 160 ㎡で横ばいなのに対して旧国 分市全体では,1994 年の 98.7 ㎡から 2004 年には 156.2 ㎡と,10 年間で約 1.6 倍に増加し ている.中心市街地では,店舗の増床・更新が進まないのに対して,中心市街地外での大 型小売店舗の建設,増床がすすんでいることが,その要因となっていると考えられる(図 2-8 参照). 図 2-8 旧国分市の一店舗あたりの売り場面積の推移 (出所):国分中央地区中心市街地拠点地区市街地総合再生計画 商業の動向を見ても,1997 年から 2002 年のところで,中心市街地とそれ以外の地域で 大きな変化が起きている.とりわけ,売り場面積や販売シェアの推移をみると中心市街地 のそれが減少しているのに対して,それ以外の地域では大きく増加していることがわかる. これは,大規模小売店舗法(大店法)から大規模小売店舗立地法(大店立地法)への法改

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正が 2000 年に行われたことの影響が結果として出てきていると考えられる. (4) 大規模小売店舗の立地分布 霧島市の大規模小売店舗は,旧国分市と旧隼人町の幹線道路に面したところにその多く が立地している.図 2-9 によると売り場面積 1,000 ㎡以上の大規模小売店舗は,1980 年代 以前には,中心市街地に 5 店舗,それ以外に 1 店舗立地しており,中心市街地に集中して 立地していたが,大店法時代で規制緩和が進んだ 1990 年代には,県道北永野田小浜線と主 要地方道国分霧島線のロードサイドを中心に 5 店舗が郊外に進出していった.そして,大 店法から大店立地法へさらに規制緩和が進んだ 2000 年代になると,国道 223 号線や国道 10 号線,主要地方道国分霧島線のロードサイドを中心に 13 店舗が郊外に進出した.一方, 中心市街地では 2 店舗が新たに開店したが,2002 年に「寿屋国分店」が,2004 年に「だい わ国分店」が,2011 年には「ジョイフルタウン国分」が撤退している. このように,霧島市では,大店法時代に規制緩和の進んだ 1990 年代初めから,大規模小 売店舗が中心市街地から幹線道路のロードサイドを中心に郊外へ展開していき,さらに, 2000 年の大店法から大店立地法への移行を機にその流れに拍車がかかって行ったことが みてとれる.したがって,霧島市においても他の地方都市と同様に 1990 年代からの規制緩 和の号令と共に大型店が郊外に立地する一方で,中心市街地が衰退していくという流れの 中にあったことがわかる.その間,モータリゼーションがその傾向に拍車をかけたのも他 都市と同様であろう. 写真 2-1 中心市街地(新市街通り) 写真 2-2 郊外の大規模小売店舗(見次) 2006 年のまちづくり三法の改正を受けて,霧島市も中心市街地の活性化に取り組んでお り,2006 年から「中心市街地拠点地区市街地総合再生計画」により,コンパクトなまちづ くりに取り組んでいるが,その効果については,これから長い時間をかけて検証していく 必要があるだろう.

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0 1km 1980年代以前 1990年代 2000年代 凡例 中心市街地 中心市街地に立地する 大型店 寿屋国分店 タイヨー国分店 パワーセンターゴトー だいわ国分店 ジョイフルタウン国分 DIYホームセンター ハンズマン国分店 きりしま国分山形屋 家具の堀切 隼人・国分サティ サンキュー隼人店 クッキー国分北店 タイヨー広瀬店 ケーズデンキ国分パワフル館 ホームプラザナフコ国分店 コープタウン国分Ⅰ コープタウン国分Ⅱ タイヨー国分新町店 山形屋ショッピングプラザ隼人店 スーパードラッグコスモス国分松木店 ヤマダ電器テックランド 国分店 ホームプラザナフコ隼人店 コミュニティプラザ国分 フレスポ国分 ケーズデンキ霧島店 株式会社マキオ A-Zはやと ドラッグストアモリ 国分福島店 隼人駅 国分駅 日当山駅 N 図 2-9 霧島市の大規模小売店舗の立地状況 霧島市役所商工振興課資料(2012 年)から作成

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3. 地形環境 1) 大地形的背景 最初にこれまでに報告した川内平野の大地形環境(永迫ほか,2012)に従って,国分平 野の大地形上の位置について要約しておく.九州の大地形は,中央を北東から南西に走る 九州山地によって大きく区分されている(図 3-1).九州山地より北側には,巨大カルデラ や火山が分布する別府‐島原地溝帯を特徴とした中部九州,第三紀やこれ以前の基盤岩類 からなる山地で特徴づけられる北部九州が広がる(町田ほか,2001). 九州山地の南側に広がる南部九州は, 琉球弧の北部にあり,プレートテクト ニクスによって支配された地形がそれ ぞれ特徴的な地形系を形作って南北に 帯状に配列し,南部九州の総体的な地 形環境が形成されている.すなわち, 北は加久藤・小林カルデラ,霧島火山 の東縁から鹿児島湾東縁を南北に走る 火山フロントを境として,西側の背弧 は第四紀の火山を主体とする台地・丘 陵地帯,東側の前弧は第四紀火山の分 布しない隆起地帯に区分される.前弧 には隆起とかかわった海岸段丘の発達 する宮崎平野や鰐塚山地,肝属山地が ある.鰐塚山地の地塊と高隈山地およ びこれより北の丘陵状低山地との間に は,都城盆地から鹿屋の凹地帯が分布 する. 背弧側は,加久藤盆地から南には鹿 児島地溝と呼ばれる火山構造性陥没地 が特徴的に走り,南部は鹿児島湾とな る.この鹿児島地溝には加久藤・小林カルデラ,姶良カルデラ,阿多カルデラなどの第四 紀の巨大カルデラが含まれる.これらの巨大カルデラを中心に火山が集中し,それぞれ一 つのまとまった火山区を形成している.人間活動と地形環境との関係をとらえるという視 点からみると,これらの巨大カルデラからの大規模火砕流噴火によって形成された火砕流 台地が一帯を広く覆っていることが南九州地域の大きな特徴である. 2) 中・小地形 鹿児島湾湾奥に位置する国分平野は鹿児島地溝の中に形成されており,きわめて特異な 0-10m 10-100m 海 100-400m 400-1000m 1000m -標高 0 100km N 国分平野 図1 九州の地形 国土地理院「数値地図50mメッシュ」をデータとして, カシミール3Dで作成 図 3-1 九州の地形

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地形環境下にある(図 3-2,図 3-3).湾奥は姶良カルデラによ って形作られており,この平野 はこのカルデラの北縁にある. このため,湾奥は 100m以上の 深さをもち,平野のすぐ沖は急 深な海底となっている.平野の 周辺には約 3 万年前の姶良カル デラの巨大噴火によって形成さ れたシラス台地が広がる.国分 平野の主要河川である天降川と 検校川の流域は,東側が先鮮新 世岩石からなる丘陵状山地,西 から北西が北薩火山岩類からな る低山山地,北東側が霧島火山 群によって取り囲まれる.国分平野はこうした流域の岩石,堆積物,とりわけ第四紀火砕 流堆積物と霧島の火山から供給された堆積物をもとに形成された沖積低地である.厚い未 固結の堆積物からなるシラス台地は天降川流域に広く分布しており,主要な土砂供給源と なっている.国分平野の周囲 には最大比高 200m あまりの 急崖を挟んで,北西側の十三 塚原,北側の春山原などの開 析度が小さく広範な利用が可 能なシラス台地上の平坦地が 分布し,国分平野の後背地を なしている. 3) 微地形(図 3-4,図 3-5, 写真 3-1~写真 3-11) シラス台地に囲まれた国分 平野は,主要河川の天降川, その支流で霧島を流域とする 霧島川,手籠川,東側の検校 川などの諸河川によって形成 されてきた.ここの沖積層の 主要な給源は未固結のシラス 図2 南九州中央部の地形 作成法と標高の表示は図1に同じ. N 霧島 国分平野 姶良カルデラ 桜島 図 3-2 南九州中央部の地形 N 0 30 km 低地,低段丘 鮮新世・更新世の海成・湖成堆積物からなる丘陵・台地 後期更新世・完新世の火山 先鮮新世岩石からなる山地・丘陵 鮮新世,前期・中期更新世の火山岩からなる山地・丘陵・台地 後期更新世の火砕流台地 図3 国分平野の周辺地域の地形分類 町田ほか(2001)に基づく 国分平野 鹿児島湾 図 3-3 国分平野周辺地域の地形分類 町田ほか(2001)に基づく

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(入戸火砕流堆積物)であり,主として河川による下流へのシラス堆積物の供給により, 鹿児島湾の北部の埋積が進んだ結果,姶良カルデラの急深な海底にまで及ぶデルタが発達 した.これによって,鹿児島県下では比較的広い平野が形成され,経済・社会活動の基盤 を提供してきた(図 3-4). 現在,汀線が鹿児島湾奥の主海 域にまで進出し,円弧状の三角州 が形成されている.国分の城山台 地と日当山背後の台地を結ぶ線か ら内陸側は谷底平野となる.この 谷底平野は,春山原の台地から国 分姫城に至る丘陵状の台地によっ て,二つの主要河川流域の氾濫原 に分かれている.西側の谷が天降 川本流と霧島川,東側の谷が手籠 川と郡田川の谷底平野である.ま た平野の東側には検校川の谷底平 野が分布する.いずれの谷底でも 谷口には小規模ながら扇状地が形 成されている. 国分平野の微地形構成で最大の特徴は,段丘地形が認められることである(図 3-5).こ れは完新世海成段丘で,完新世において三角州が隆起して形成されたものである.この隆 起は姶良カルデラの火山 活動にかかわる地殻変動 によるものであることが 示唆されている(森脇ほ か,2002).このことは, 本地域が火山活動にかか わる地殻変動の影響を受 けてきたことを意味し, 火山災害上注意を要する 現象である.最高位の段 丘 面 は 隼 人 面 と 呼 ば れ (森脇ほか,1986),この 面は広く鹿児島湾奧沿岸 に分布している.国分平 野では,隼人地区の西側 5 10 15 10 5 2.5 7.5 15 5m 10 0 2 km 図5 国分平野の地形分類図 A-Bは図6の地形地質断面図の位置.森脇ほか(1986)に基づく. 数字は標高(m)  完新世海成段高位面(隼人面) 低地 台地 海 完新世海成段低位面(姶良I面) 図 3-5 国分平野の地形分類図 0 5 km N 図4 国分平野とその周辺の地形 黄緑色部が標高0-10m,緑色部が標高10-20mで,平野の範囲を示す. 図の作成法は図1に同じ.  十三塚原 春山原 須川原 図 3-4 国分平野とその周辺の地形

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から中央部にかけての広い範囲と平野東側の国分地区の台地を縁どる場所に認められる. これらの段丘面高度は海抜 15m から 5m ほどにある.その高度分布は東側から西側に高く なるような傾動隆起をしていることを示し,姶良カルデラの完新世の曲隆の一部をなして いる(森脇ほか,2002).自然環境変化の市街地への影響という観点からすると,この段丘 化をもたらした地殻変動はたしかに災害の一要因となりうるものの,その結果形成された 段丘地形は,周囲の氾濫原から離水し,河川氾濫に対して十分安全な場所を提供している のである.実際,現在のような都市化以前の時代には,この低段丘を中心に人々は居住し ていた. これらの完新世海成段丘を開析して,現在の氾濫原が形成されている.その主体は北西 から南東方向に帯状に分布する氾濫原である.ここには,現在,天降川の河道を認めるこ とはできない.天降川の河道は,中央の完新世海成段丘面を峡谷状に通り,北から南へ直 線的に流れている.この河道は東側の氾濫原を流れていた天降川(当時大津川と呼ばれて いた)を河道改修して作られた人工河川(1666 年(寛文 6 年)に完工,新川と改名された) である(山田,1997).東側の帯状の旧天降川氾濫原は低湿地をなす.ここの氾濫原には自 然堤防または旧砂州の形態を示す微高地がみられる.元来,微高地に集落が形成されてお り,後背湿地では水田が営まれていたが,近年開発が進んできた結果,低湿地の市街地化 が進行している. 写真 3-1 国分平野東半部 城山公園から 旧天降川氾濫原 完新世海成段丘(隼人面) 旧天降川氾濫原 完新世海成段丘(隼人面) 写真 3-2 国分平野中央部 城山公園から

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写真 3-4 国分平野干拓地 写真 3-5 国分平野の微地形 旧天降川氾濫原 写真 3-6 国分平野南西部 の微地形 写真 3-3 国分平野東部 城山公園から 完新世海成段丘面

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写真 3-7 国分平野北西部 完新世海成段丘面 面 写真 3-8 国分平野北東部 完新世海成段丘面 原 旧天降川氾濫原 写真 3-9 国分平野北部, 手籠川谷底低地 写真 3-10 国分平野中央部 完新世段丘堆積物 段丘面を作る表層 堆積物.砂礫から なる.

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4) 低地の堆積物 国分平野を構成する堆積物は基本的には粗い砂質堆積物からなる(写真 3-10,写真 3-11, 図 3-6).それは,上・中流域から砂質のシラスが供給されてきたからである.地表の人間 活動との関係で問題となる表層の堆積物については,完新世の海成段丘は現地の露頭で直 接観察される.それによると,段丘堆積物は海成の三角州堆積物からなる砂質の堆積物が 基 本 的 に 多 い ( 写 真 3-10,写真 3-11).しか し,台地崖下に近い場 所では,細粒の砂質・ 泥質堆積物も存在する. 当時の河口から離れた ところで,内湾のため 粗粒物質の移動が顕著 でなかったかったため とみられる.一方,中 央部の海成段丘,例え ば開削された天降川河 岸沿いなどの観察では,粗粒な軽石礫を含む砂質堆積物からなる(写真 3-10).このよう に,海成段丘の構成堆積物は,その堆積環境,地形的位置によって粒径に違いがあり,す べてが粗粒な砂質堆積物ではない. 一方,現在の氾濫原の表層堆積物は詳しい解析に堪えるような資料が少ない.一般的に は,平野下流にある砂州や自然堤防のところでは,粗粒な砂質堆積物,後背湿地では細粒 の泥質堆積物が存在していると考えられる.中・上流では,本地域が平野としては急こう 配な平野面を持っていることから,粗粒な礫質堆積物からなっている.図 3-5 に示される ように,下流の氾濫原においても,天降川の旧河道と考えられる場所に礫質の堆積物が認 められている.微地形からおよその判断をすることは可能であるが,住宅や構築物の堆積 物環境条件との関係を検討する際には,微細な地形に対応した表層堆積物の調査・分析が 必要であろう. 写真 3-11 国分平野北西 部 完新世段丘堆積物 段丘面を作る表層堆 積物.砂質堆積物か らなる. 図6 国分平野の地形・地質断面 森脇ほか(1986)にもとづく m 20 10 0 -10 -20 -30 -40 A 0 3 km 礫 砂 シルト K-Ah 標高 B 断面位置は図5を参照のこと. 図 3-6 国分平野の地形・地質断面

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4. 商業中心地の立地と地形環境の関係 図 2-9 に掲載された 26 の大規模小売店舗のうち現在も営業中の 23 軒に焦点を当て,霧 島市の商業中心地について立地および地形環境との関係を述べる.23 軒のすべてが沖積低 地に位置するのは,薩摩川内市(永迫ほか,2012)と同様で,郊外への出店が相次ぐとは いえ,台地上に展開されない点は注目に値する. 中心市街地にある 4 店舗は,1980 年代以前と 2000 年代の出店が半々で,1 軒が隼人面 から氾濫原への移行帯に,残り 3 軒は氾濫原に立地している.中心市街地内は 4 軒にとど まるものの,周辺に 6 店舗が取り囲んでおり,未だに霧島市最大の商業中心地をなしてい ると言える.周辺 6 店舗の出店時期は,西に隣接する 1 軒が 1980 年代以前,北西に隣接す る 2 軒が 1990 年代,南側に近接する 3 軒が 2000 年代と位置によって新旧がみられるが, いずれも氾濫原に立地するのは共通である.もう一つの商業中心地は,1990 年代に 3 店舗 が出店した旧隼人町の見次交差点(国道 223 号線と県道北永野田小浜線)周辺で,2 軒は 隼人面,1 軒は現氾濫原に立地する.これらの 3 店舗同様に,天降川の右岸に位置する 3 店舗は,より南側にいずれも 2000 年代に開業しており,1 軒は隼人面,国道 10 号線沿い の 2 軒は干拓地に立地している.中心市街地およびその周辺,天降川右岸に続く第 3 極と 呼べる商業中心地は,陸上自衛隊国分駐屯地の近傍に位置する 3 店舗で構成され,1990 年 代出店の 1 軒ならびに 2000 年代出店の 1 軒が自衛隊駐屯地と同じく隼人面,2000 年代出 店の 1 軒が氾濫原に立地している.これら以外の 4 店舗は,ロードサイドでもより周縁部 に点在しており,谷底低地(2 軒)や沖積段丘(2 軒)に位置している. 霧島市における大規模小売店舗の立地は,氾濫原(11 軒)と隼人面(移行帯の 1 軒を含 めて 6 軒)に集中している.国分平野では自然堤防の発達がよくなく,川内平野とは一線 を画すが,自然堤防より比高が大きく水害に強い隼人面に立地している点は,ここの地形 環境を活かした利用と評価できる.霧島市の大規模小売店舗の立地分布は,薩摩川内市(永 迫ほか,2012)とほぼ類似した変化を示している.国分平野の方が川内平野よりも広く, 平野内に未開発の土地が多かったため,薩摩川内市ほど顕著なロードサイドへの列状分布 がみらないことが相違点である. 中心市街地である国分中央地区は,微地形上は完新世海成段丘が島状に張り出した海成 段丘から氾濫原への移行帯にあたる.ここの海成段丘は顕著な段丘崖をもっていないが, 微高地であることに違いない.その一方で,国分駅南側の霧島市役所(国分シビックセン ター)などの新中心業務地区は氾濫原に立地しており,災害環境の面では,より条件の悪 い場所に移動したといえる.大津川から新川への河川改修の歴史を踏まえ,大規模駐車場 の地下に貯水槽を備えるなど氾濫原という立地環境を見越したうえで,市役所移転を敢行 したとはいえ,洪水時のアクセス確保のような不安材料があるのも事実である.歴史的に みれば,旧中心業務地区・旧中心商店街は,災害や環境変化に対してより安定的な地形を 選んでいた.川内地区(永迫ほか,2012)と同様に国分地区でも,低地における生活空間 の拡大は,環境変化に対してより脆弱な土地に及んできたと言える.

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5. おわりに 霧島市の中心市街地は,薩摩川内市と同様に全国的な規制緩和の流れの中で大規模小売 店舗の郊外立地が進展することによる中心市街地の衰退・空洞化という問題に直面してき た.それに対して,2006 年の改正まちづくり三法による郊外立地規制によってコンパクト シティを目指して,商業集積の中心市街地への回帰が期待されているが,その効果につい てはいまだ未知数である.それについては,長期的な視点で見ていく必要があるだろう. 今回対象とした国分平野で特筆すべきは,完新世海成段丘が分布することで,市街地や 集落・大規模小売店舗の立地に大きく関わっている.歴史的には,大隅国分寺をはじめと したかつての中心地は隼人面上に位置し,この微高地を核とし周辺の氾濫原にかけて中心 市街地が形成されていた.その後,モータリゼーションによって未開発のロードサイドへ の大規模小売店舗の出店が相次いだ.その立地環境は,氾濫原という低湿地,もしくは隼 人面上という洪水被害を受けづらい多少乾いた土地である. 薩摩川内市の報告でも述べたように,現代の経済・社会条件の変化に伴う主たる経済活 動の場としての中心市街地の変化は,長期にわたる人間の土地占拠の変化史の一つの現象 として位置づけることができる.今後さらに検討を重ねていきたい. 謝辞 本稿の作成にあたり,鹿児島大学法文学部の南直子氏には図の整理等を手伝って いただいた.厚くお礼申し上げます. 引 用 文 献 貝塚爽平(1989)「大地の自然史ダイアグラム―地学現象の時間・空間スケール―」.『科学』, 59,162-169. 霧島市(2007)『国分中央地区中心市街地拠点地区市街地総合再生計画』. 町田 洋・太田陽子・河名俊男・森脇 広・長岡信治(2001)『日本の地形 7 九州・南西諸 島』.東京大学出版会. 南方建明(2005)『日本の小売業と流通政策』.中央経済社. 峰尾美也子(2008)「大規模小売店舗に関する出店規制の変遷と評価枠組」.『経営論集(東 洋大学)』,71,107-124. 森脇 広・町田 洋・初見祐一・松島義章(1986)「鹿児島湾北岸におけるマグマ水蒸気噴 火とこれに影響を与えた縄文海進」.『地学雑誌』,95 (2),94-113. 森脇 広・松島義章・町田 洋・岩井雅夫・新井房夫・藤原 治(2002)「鹿児島湾北西岸平野 における縄文海進最盛期以降の地形発達」.『第四紀研究』,41 (4),253-268. 永迫俊郎・石塚孔信・森脇 広(2012)「薩摩川内市における中心市街地の変容と地形環境」.

Discussion Papers In Economics and Sociology, 1202, Faculty of Law, Economics and

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鈴木安昭・関根孝・矢作敏行編(1997)『マテリアル 流通と商業(第 2 版)』.有斐閣. 山田浩久(1997)「伝説の町から近代都市へ変貌する「隼人」」.山田安彦・山崎謹哉編『歴

参照

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