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古代ローマ遺跡オスティアにおける大判煉瓦層に関する一考察 [ PDF

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古代ローマ遺跡オスティアにおける大判煉瓦層に関する一考察

綾塚 郁宏 1.序 1.1.研究の目的と背景  古代ローマの遺構の多くは、 焼成 瓦を積みあげ内部にロー マンコンクリートを充填した 瓦積み構法をとる。その 瓦積

み建築の一部に、Levelling course, Bonding course*1

と通称される層を持つ建築がある。図1のように、通 常の 瓦より2∼4倍の大きさの物が連続して用いら れている層を指す。古くはネロ帝世紀、ドミティアヌ ス帝政期の建築で確認され、後のトラヤヌス、ハドリ アヌス帝政期に一般化したとされる*2。初期のもので は基礎部やヴォールト立ち上がり部において確認でき ることから、水平調整材という理解が一般的である が、明らかに水平でない、或いは局所的な使用事例も 見受けられ、諸説が提示される状況にある*3。その中 には個別の事例では成立するが、対象を変えると該当 しないものもあり、多様なあり方が混在したことが伺 える。そこで本研究では、Levelling courseを「大判 瓦層」*4と呼称し、古代ローマの港湾都市オスティ ア遺跡*5全域において悉皆的調査を行うことで、大判 瓦層の意味を再考察することを目的とする。 1.2.研究対象と研究手法  当時の 瓦積み建築は約20 ㎝,44㎝,59㎝四方の規格の 瓦 を分割し用いていた(図2)。 その為、遺構で確認できる壁 面の 瓦の長さは20∼30㎝程 が主である。それに対し大判 瓦層は40 60cmの規格の 瓦をそのまま敷設していると され、壁面には通常の規格の2 4倍の長さの 瓦が表 出している。本稿では「壁面に40 60㎝の 瓦が表出 しており、それが2枚以上連続で使用され層を成して いるもの」を大判 瓦層と定義しオスティア遺跡にお ける大判 瓦層を主な研究対象とする。また本研究で は現地調査で得られた大判 瓦の分布、記録写真、実 測データをもとに分析考察を行う。 2.大判煉瓦の概要と類型 2.1.大判煉瓦の概要  大判 瓦層の原形はネロ帝世紀のドムス・アウレア (AD64-68)にて基礎部、ヴォールト立ち上がり部 に大判の 瓦やタイルの使用が確認されている。施 工上水平性の必要になる位置に挿入されている事か ら、その層で水平調整を行っていたと考えられてい る。その後もドミティアヌス帝のドムス・フラウィア (AD81-92)などパラティーノの丘に置かれた官庁 施設や神殿、邸宅に使用され、更に時代の下るロー マ南端のカラカラ浴場(AD216)でも確認されてい る。このように大判 瓦層はローマ内の公共建築で用 いられ続けている。しかし、上記の中では最も新しい カラカラ浴場では、初期使用例より挿入個所が非常に 多くなっており、経年とともに用法やその役割が変化 もしくは追加されていった事が伺える。 2.2.大判煉瓦の類型  大判 瓦層は挿入位置で図3のように分類できる。 前述の初期使用例では基礎型とヴォールト型、カラカ ラ浴場では加えて中間型が挿入されている。特殊型は 大判 瓦層の上下で素材が切り替わっている例、局所 的な使用例などの高さでの分類では扱いにくい物を対 象とする。上記の5類型を基準とし分析考察を行う。 3.オスティア遺跡の現地調査結 3.1.1.大判煉瓦層の分布と統計  オスティア遺跡での大判 瓦層の確認作業を行った 結果、ほぼ全域で確認された。大判 瓦層は2560ヵ 所、一つでも大判 瓦を確認できた建物は129件で あった。その内訳は中間型50.8%、基礎型30.9%、天 井型ヴォールト型は10%未満となっている。この結 果を遺跡の建設年代*6と照合すると、下図○のような 結果となった。各時代の円の大きさは、確認さえれた 図 2 煉瓦の規格と組み方 約 20~30cm 標準の規格 大判煉瓦層 約 40~60cm 19.7cm bessales 44.4cm sesquipedales bipedales 59.2cm 2F 石材 煉瓦 局所 使用 中間2層型 中間1層型 基礎型 基礎部 床付近 壁体中腹中間型 ヴォールト下部ヴォールト型 特殊型 図 3 大判煉瓦の類型 天井型 2F 床下 図 1 大判煉瓦層

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22-2 大判 瓦の件数に基づく。またハドリアヌス帝政期に 建設活動が非常に活発であったことから必然的に件数 に偏りが生まれることを理解した上で取り扱う。 3.1.2.分布と統計の傾向  分布の傾向として、公共建築では大判 瓦層が多く 存在した。公共浴場で14件*7中11件、大規模な神殿 で20件中12件、一室程度の小規模なものでも12件中 5件で大判 瓦層を確認した。  また一つの建物の壁体ほ ぼ全てに大判 瓦層を持 つ例が非常に少ない。公共 建築ではカピトリウム, テ アトロ*8、民間建築ではモ ザイコ・デル・ポルト、 I,XIII,5の集合住宅など数件 に留まる。この傾向から、用途によらず大判 瓦層を 建物全体に使用することは稀であったと考えられる。  統計の傾向としては、図5のAD117-138のハドリア ヌス帝政期以降の中間1層型の割合が増加する。大判 瓦層の半数以上がハドリアヌス帝政期であるが、そ の内訳の最大は基礎型である。ハドリアヌス帝政期以 降では中間型の割合が顕著に増加しており、この時代 に中間型を使用した構法が一般化した可能性が高い。 3.2.特徴的事例  図7のように大判 瓦層の下部で 瓦の層数が変動 し調整を行っているもの、図8のように壁体に2∼3枚 の大判 瓦が局所的に使用されているものなどが数例 ずつ確認された。また、地震によって*9大判 瓦層の 上下で構造体がずれている例(図9)も確認された。 3.3.小結  大判 瓦層の性質について、まず大判 瓦層を持た ない壁体が数多く存在することから、①「大判 瓦層 はなくても建設行為に支障はなく」、よって大判 瓦 層は精度向上や施工性向上を図る付加的要素と考える ほうが自然である。加えて図7のように水平調節の用 途とみなせる一方で、図8のような用途が不明瞭なも のも多数ある。②「大判 瓦層には一義的な機能は見 出しにくく、多様な構法のなかで用いられた」可能性 がある。次章で実測結果を公共建築、準公共建築、集 合住宅に分類し分析を行う。 4.大判煉瓦層の実測データ分析  三次元実測データを、各大判 瓦層の「水平誤差」 「挿入高さ」「挿入高さの誤差」の観点から分析し た。なお本稿では各建築の特徴的な点を記述する。 4.1.公共建築 神殿・浴場 4.1.1.カピトリウム AD120頃  オスティア遺跡の中心部に位置するカピトリウムは ハドリアヌス帝世紀に建設された、高さ約15m厚み 約1mの壁がそびえ立つ巨大な神殿建築である。壁体 には全周にわたって複層の大判 瓦を確認できる。層 間距離は平均2427㎜で、ある程度一定間隔に挿入さ れている。また層の水平ずれが壁の長さに対し小さ く、長さ約15mの壁体において水平誤差は約45mm であった。また、3面ある壁体間でも大判 瓦層の高 さはほぼ一致し、隅部では一続きになっている。 4.1.2.テルメ・デル・フォロ 二世紀後半  テルメ・デル・フォロは カピトリウムの南に位置す る浴場である。建物北側に 中間型の大判 瓦層を多 く、図12のように大判 瓦層の挿入位置が部屋をまたいでほぼ一致していた。 北側外壁面の基礎型層から約1470mm、浴室床面か ら約1340mmの位置に挿入されており、誤差も最大 図 4 大判煉瓦層 遺跡内での分布 図 5 大判煉瓦層の各時代別、類型別件数 基礎型 中間1層型   2層型   3層型 天井型 ヴォールト型 特殊型 793件 1021件 254件 27件 175件 210件 80件 AD117-138 AD193-235 AD138-161 三世紀後半 AD161-180 4-5 世紀 AD98-117 AD180-192 基礎型 中間1層型 中間2層型 中間3層型 天井型 ヴォールト型 特殊型 図 8 局所的使用の例 図 7 ズレの修正例 図 9 地震によるズレ 大判煉瓦層 2484.99mm 2422.86mm 2375.57mm 2710.91mm 大判煉瓦層 図 10 カピトリウム西面 3D データ 図 11 カピトリウム室内 図 12 テルメ・デル・フォロ断面 層間:約 1410 ㎜ 基礎型層 大判煉瓦層 図 6 I,XIII,5 集合住宅

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22-3 で46㎜である。また北側は特に精度がよく、層の水 平誤差は最大28.65mm、平均17.59mm以下である。 4.2.準公共建築 倉庫・消防署  倉庫建築や消防署とされる遺構では、大判 瓦層を 持つ建築が多く存在し、同時期の物であっても使用法 が異なる物が多く建築毎の差異が顕著である。  まず、グランディホッレアで は、中間型と基礎型が確認でき る。この建物は度重なる改修が 行われており、最後の改修部エ リア②には大判 瓦層はあまり 見られず、それ以前の部分エリ ア①に中間型が集中している。 先の浴場と同様に一定の高さに 集中してるが、最大380mm程 の誤差をもっており、かなり精 度が下がっている。更にエリア ②は床面が高くなっており、エ リア②の大判 瓦層はエリア② 最下面を基準とした際、エリア ①の挿入高さとやや類似する。  消防署とされるカセルマデイ ヴィジリでは、ほぼすべての類 型が確認される。特筆すべき は図15のエリア毎に大判 瓦層の集約する高さが異 なっている。これは、敷地がエリア③④から①②へ向 け下る斜面になっており、グランディホレア同様施工 上の基準となる位置が変動したからと考えられる。  ヴィジリと同時代の倉庫建築であるピッコロメル カートでは、局所使用の特殊型と列柱での使用例があ る。特殊型の裏側には階段室が存在し、大判 瓦層の 高さは踊り場ほどであった。列柱での使用例では、北 側と南側で挿入高さ、層間距離が異なっていた。 4.3.集合住宅  公共建築と比較するため、複層の大判 瓦層を持つ 物を中心に5つの集合住宅を分析する。  モザイコ・デル・ポルト(AD138-161頃)では層間 の平均距離が基礎‐1層目間、1層目‐2層目間が共 に1550㎜程度の値を示した。しかしあくまで平均値 であり、各層では最大255㎜の差があり、同一の高さ に える意識は低いと考えられる。  I,XIII,5の集合住宅(AD210-235頃)では西側外壁 面(図12)において1層目の高さが開口を経るごとに 低くなり約170㎜の差が生じている。また層間距離が 他と比べ小さく平均1100㎜程度である。  ピッコロメルカート北の2件の集合住宅(ハドリアヌ ス帝政期)では大判 瓦の局所使用があり、ピッコロ メルカートと同様に裏側の階段室ヴォールト立ち上が り部と高さが一致した。  時系列的にみるとハドリアヌス帝政期のピッコロメ ルカート北の集合住宅とI,VIII,10の集合住宅では層の 高さ、層間距離の誤差が後の時代の2例より小さい。 4.4.実測データから得られた知見  層の水平誤差の数値は建築の用途間で大きな差はな い。どの建築も平均30 45mm程度の水平誤差で、壁 体の長さに対する割合では公共性が高くなるほどやや 高精度といえるが顕著な差はない。むしろ、管理を徹 底して施工を行ったとしても、 瓦1枚分ほどの誤差 は避けられなかったともとれる。  3者間の明らかな差異は、層の高さに対する意識で あった。公共建築ではほぼ同一の高さに大判 瓦が挿 入され、準公共建築ではエリアごとに高さが異なり、 集合住宅では100∼200㎜ほどの高さの誤差が生じて いた。これは層の水平誤差と比べると明らかに精度が 落ちている。   そ し て 表 よ り 、 こ れ ら の 数 値 が ロ ー マ 足 尺 pes(295.7mm)の倍数と近くなっていることから、厳 図 19 I,XIII,5 集合住宅 東面 図 18 モザイコデルポルト 最大 170 ㎜の差 基礎型層 中間型1 1579mm 中間型2 1550mm 表1 集合住宅の各層の高さ、層間距離 ※ V 層 : ヴォールト型層、P 層 : 特殊型層 水平誤差 年代 平均高さ(mm) 最大値-最小値 層間距離(mm) 最大値-最小値 層1 32.63 1385.40 37.04 層2 34.29 2880.99 71.71 1496.50 58.99 V層 18.00 3820.52 75.71 941.83 63.50 P層 12.08 2509.04 41.55 V層 37.64 4268.87 46.38 1803.96 P層 19.99 1758.20 9.15 V層 43.18 4983.33 91.85 3253.12 50.90 層1 19.54 1579.55 117.09 層2 28.44 3137.80 255.99 1550.45 196.64 層1 27.23 948.40 173.23 層2 - 2059.61 75.85 1107.89 166.91 モザイコ・デル・ポルト ピッコロメルカート北② I,XII,5の集合住宅 I,VIII,10の集合住宅 AD 117-138 AD 117-138 AD 117-138 AD 138-161 AD 210-235 ピッコロメルカート北① エリア① エリア② 図 13 グランディホッレア エリア① エリア③ 増 築 部 エリア② エリア④ 図 15 カセルマデイヴィジリ 南側列柱 基準水平面 1465mm 1516mm 1545mm 北側列柱 1706mm 図 17 列柱での使用例 図 16 大判煉瓦層とヴォールト 大判煉瓦層 建物名 区分 年代 層間距離 ローマ足尺置換 カピトリウム 公共建築 公共建築 準公共建築 民間建築 民間建築 民間建築 2427mm 8.21 pedes テルメデルフォロ 1471mm 4.97pedes カセルマ・デイ・ヴィジリ 2190mm 7.41 pedes I,VIII,10の集合住宅 1490mm 5.04 pedes モザイコ・デル・ポルト 1550mm 5.24 pedes I,XIII,5の集合住宅 1100mm 3.72 pedes AD117-138 AD117-138 AD117-138 二世紀後半 AD138-161 AD210-235 表2 層間距離一覧 街路面 街路面 類似値 を示す エリア② 最下面 エリア① 図 14 挿入高さ模式図

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22-4 密ではないが基準尺の数倍になるように意識されてい たことが考えられる。 5.考察 5.1.材料的視点  全ての類型の大判 瓦層に関して言えることとし て、材料の問題がある。ローマンコンクリートは現在 のポルトランドセメントと異なり、火山灰と消石灰の 混合材を主原料としている。これはポラゾン反応*10 と呼ばれる結合により高強度になるが、反応速度が遅 くコンクリートの強度を確保するには現在よりも長期 間、適正な養生を行う必要があった。そこで一定の高 さで大判 瓦層を蓋として敷き養生を行いながら、上 部を施工していた可能性が指摘できる。それにより、 施工の終わった部位の強度を確保し施工が進めること で、全体的な品質の向上を図ったのではないか。 5.2.構造的視点  大判 瓦層は基礎部ヴォール ト部、またピッコロメルカート 周囲で見られたような階段室の ヴォールト周りなど複雑な形態 となる位置に挿入されている。 このことから構造を切り替え る際の打設目地としたとみることもできる。現在の構 造力学の視点からみると、コンクリート構造を層状に 分断してしまうと、地震動に対して著しい欠陥とな る。3.2の図7でも確認できるように、層の上下がず れ非常に危険な崩壊を起こす。しかし、当時は耐震設 計を行っていたとは考えにくく、むしろオスティアに も残る切石積みや地方での石造と同様の意識でコンク リートの塊を積んで構築するという組積造に近い感覚 で建設していたのではないか。そう考えると躯体が複 雑になる位置で一度構造を切り、その上に新しい塊を 積んでいく単純化した手順は合理的に理解もできる。 5.3.施工的視点  現地調査では、中間型の挿入高さは地面から1000 ∼1500㎜程度と推察されるものがほとんどであっ た。実測データにおいても、カピトリウム、ヴィジリ 以外はこれに該当した。この数値は「足場なしで 瓦 を積みあげられる高さ」と考えられる。施工には仮設 足場を必要とするため、一度1300mm程度の高さま で積み上げ、大判 瓦で蓋をし養生しながら足場を組 み、次の工程に移るといった施工手順が推測できる。 公共建築以外で見られる各層の高さの不一致もあくま で基準であり、公共建築では施工管理が民間の物よ り徹底されていたため差異が生まれたもと理解でき る。精度の差はあれど、立地、建設 年代、規模、用途などの条件が異な るテルメ・デル・フォロとI,XIII,5の 集合住宅、I,VIII,10の集合住宅の間 で層間距離の類似が見られたのは、 人体寸法に基づく仮設足場の影響が あったためと考えることができる。 また、グランディホッレア、ヴィジ リで見られたエリアによる高さの差 異は、施工時期や地形によって仮設 足場を組む状況が異なっていたため 生じたものと推測できる。  また、どの用途の建築であっても大判 瓦層の水平 誤差がほぼ変わらず、図22のように反りを持つ大判 瓦も存在することから、大判 瓦層は通説の水平調 節材ではなく、ある程度均し施工しやすくするための 作業台としての役割を持つ材料だったのではないか。 6.結  以上より大判 瓦は当時の組積造的な感覚から生じ ており、加えて品質、施工性の向上を図る意図があっ た可能性を推察した。しかし、建設者ごとの構造や材 料に関する理解度の差や、建物自体の品質に対する要 求の差があるため、同時代の遺構であっても大判 瓦 層を持つ建築と持たない建築が存在しても不自然では ない。推論の域を出ないが、ハドリアヌス帝政期以降 の中間型の割合の増加については、高い品質や施工精 度を要求する公共建築で用いられていた大判 瓦を用 いた構法が、一般化し民間でも用いられるようになっ たと解釈できる。その過程で、原初の目的や意図が曖 昧になっていき、最終的に多様な仕様が混在する状況 が生まれたのではないだろうか。 【註釈】 *1 Levelling cource という名称は建設用語のレベリング層を示しており、舗装などで 凹凸を均し水平を確保するための下地調整材を意味する。 *2 参考文献3p143-145より *3 参考文献3中で、一日の作業を終える際に蓋として置いていた、高さを測る目的があっ た等様々述べられている。 *4 水平調整以外にいくつもの用途の予想があり、Levelling Courceという名称も妥当性 が曖昧なため、仮称として本稿では用いる。 *5 オスティアは紀元前4世紀には町として存在した記録が残っており、帝政期に港湾 都市として大きく発展したが、土砂の堆積により港として機能しなくなるとともに衰退 し、5世紀頃に滅亡したとされる都市である。 *6 参考文献2 図版 29-35 より参照 *7 全16件だが、うち2件は立ち入り禁止のため未確認。 *8 ほぼすべての壁に大判煉瓦層を持つがのちの時代の修繕を多く受けており、建築当 時のままであるか不明な場所が多いため実測の対象ではない。 *9 参考文献 4 より *10 ポラゾン反応とは火山灰中の SiO ₂や Al ₂ O ₃がセメントの水和によって生成される 水酸化カルシウムと徐々に反応し、カルシウムシリケート水和物等を生成する反応であ り、生成物にはコンクリートの耐久性や水密性を高める作用がある。 【参考文献】

1)ROMAN BUILDING Materals and Techniques, Jean-Pierre Adam 2)SCAVI DI OSTIA Topografi a Generale, Guido Calza

3)THE BATHS OF CARACALLA A study in the design,construction,and economics of large-scale building projects in imperial Roma, Janet DeLaine

4)EARTHQUAKE RESISTANT CONSTRUCTION IN CLASSICAL ROME, Kent A. Harries 5)SCAVI DI OSTIA Le Terme del Foro o di Gavio Massimo, Pietro Cicerchia , Alfredo Marinucci 6)Bukowiecki E. - Monteix N. - Rousse C. 2008, "Ostia Antica: entrepots d'Ostie et de Portus. Les Grandi Horrea a Ostie", MEFRA 120, 211-216.

7)Bukowiecki E. - Rousse C. 2007, "Ostia Antica: entrepots d'Ostie et de Portus. Les Grandi Horrea a Ostie", MEFRA 119, 283-286.

8)LIBERTINUS MILES LES COHORTES DE VIGILES Robert Sablayrolles 【図版】 図1,7-9,11,22 筆者撮影 図2 参考文献1より筆者作成   図3-5,10,12,14,16,17,18,19,20 筆者作成  図14 参考文献1 p83 より  表1,2 筆者作成  図4,6,13,15 参考文献2 付属資料より抜粋、筆者加筆 図 21 仮設足場 基礎 壁体 ヴォールト 図 20 構造意識 模式図 図 22 反りを持つ煉瓦

参照

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