朝鮮後期臨済法統と教育および修行体系の特徴
金 龍 泰
序論
儒教国家を目指した朝鮮では,15世紀初めから宗派を統廃合して,寺院の経 済基盤を縮小させる抑仏政策が施行された.16世紀初めには法典である『経国 大典』に収録されていた度僧および仏教関連の法制が死文化された.16世紀中 盤には,16年の短い期間であるが,当時すでに廃止されていた禅教両宗が再建 され,度僧および僧科が実施された.これは国家の公印を受けた僧侶として存在 し活動しつつ,後続の世代の養成を可能とする転機となった. 1592年から7年間に渡る壬辰倭乱(文禄の役)の際に起こった義僧軍の活動で 僧侶達は忠義の功績を認められ,倫理を見捨てたという儒者達の仏教批判の力も 弱化した1).また戦乱を経験し,仏教の宗教的効用性が光を浴び,死者の冥福と 往生を祈願する薦度斎と水陸斎が各地で開かれた2).17世紀前半には仏教教団 で,新しい変化の姿が現れた.同じ法脈を共有する門派が形成され,禅宗として の朝鮮仏教全体の正体性を共有する臨済法統が提起された.また僧侶の履歴課程 が整備され,禅,教,念仏を綜合する三門修行体系が整えられた.これは朝鮮後 期を経て,近代まで至り,韓国仏教の伝統の原形として定着した.本稿では,17 世紀前半の朝鮮仏教界の変化の様相を明らかにし,それが持つ仏教史的意味を検 討する. 1.門派の形成と臨済法統の標榜
1.1. 清虚系と浮休系の成立 僧軍の活動と僧役を通して,教団内の組織化が次第に加速化しながら,17世 紀前半には多数の門派が形成された.それと時を同じくして,禅宗の法統が定立 し,法脈の継承を媒介とした門派および上位の系派の結束力はより強化された. 師弟間の伝法関係を一次的基準とする門派および法統の成立は,僧団の勢力化と正体性の共有をもたらした.17世紀以後教団の中心勢力は清虚休静(1520–1604) 系統の清虚系と浮休善修(1543–1615)系列の浮休系であり,この二大系派が朝鮮 後期仏教界を主導した. 先に壬辰倭乱の時に八道都摠摂として義僧軍を起こした清虚休静の高い位相が 反映され,清虚系が最も大きな勢力を占めた.清虚系は四溟派,静観派,逍遥 派, 羊派の四大門派が中心となり,後代まで続いていった.四溟派は清虚休静 の嫡伝弟子として実質的に義僧軍を率いた四溟惟政(1544–1610)の門派であり3), 静観派は静観一禅(1533–1608)から始まる門派で,逍遥派は義僧将も務めた逍遥 太能(1562–1649)を祖師とした. 羊派は清虚系の中でも最も大きな門派に成長 したが,祖師である 羊彦機(1581–1644)は清虚の晩年に弟子となり,法統説を 新たに提起,また三門修業体系を整備し,講院の僧侶教育の教材を大規模で刊 行,流通させるなど,師匠の修行気風および思想を継承し,宣揚した4). 浮休系は高麗後期の普照知訥(1158–1210)が開いた松広寺を本山とし,清虚系 に比べ,勢力は大きくなかったが,系派の一体感は高く,嫡伝系譜の塔が松広寺 に一列に建てられた.清虚休静と浮休善修は共に芙蓉霊観(1485–1571)の伝法弟 子として同門の関係であったが,それ以降系派の正体性が現れながら,独自性が 強化された5).先の戦乱時に,戦火に包まれた松広寺の重創工事をしていた1608– 1612年頃,普照知訥の『誡初心学人文』,『定慧結社論』,『円頓成仏論』,『看話決 疑論』を刊行するなど6),浮休系は早くから普照の思想を重視し,継承した. 1.2. 臨済太古法統の時代的意味 系派と門派の成立は,禅宗の単一な法脈系譜の伝受を公式化した法統の成立と 一脈相通する.17世紀前半に公認された朝鮮仏教の法統は中国臨済宗の法脈継 承を表明した〈臨済太古法統〉であった.これは1625年から1640年にかけて, 清虚休静の晩年の弟子である 羊彦機が主導し,公論化させたものである.〈臨 済太古法統〉は高麗末の太古普愚(1301–1382)が元に渡り臨済宗の禅僧である石 屋清珙から印可を受け,伝えて来た法を正統に掲げ,これが六世孫の清虚まで繋 がったものである7). しかしながら,これよりも先の1612年に四溟惟政の遺嘱によって,親仏的な 自由思想家である許筠(1569–1618)が法統説を初めて主張していた8).これは 〈高麗懶翁法統〉であり,臨済宗は勿論,法眼宗,曹洞宗など高麗時代の多様な禅宗 系統と高麗曹渓宗の普照知訥を重視したものである.高麗末の懶翁慧勤(1320–
1376)がこのような高麗の禅宗の伝統とともに,元の平山処林から伝えられた臨 済法脈を同時に継承したというものである.ところが,1618年に許筠が反逆罪 で死刑を受け,1627年と1636年に女真族が建てた後金と清の軍隊が朝鮮に侵入 しながら,中華正統主義の性格が強い〈臨済太古法統〉に立場を譲ることとなっ た. 17世紀前半は明から清への交替など,東アジア中華秩序のパラダイムの転換期 であった.この時期に朝鮮は,明に対する義理を非常に重んじていた.さらに後 金の成長と清王朝の開幕,その過程において発生した二回の侵攻は,むしろ朝鮮 の政界と思想界を,中華主義に基づいた大義名分を死守する道へ追い立てる契機 となった.中国禅宗の主流である臨済宗の正脈を朝鮮が継承したという法統認識 は,このような時代状況から胚胎したものであった.これは当時,定立されてい た儒教の道統において性理学の正統を朝鮮が継いでいるという自意識が投影され ていたことと違いはない9).17世紀前半に提起され,公論となった法統は,それ 以前の記録からは確認されず,当時の時代の要請と課題を反映した歴史認識の産 物であり,朝鮮仏教は臨済禅宗の法統を通して自らの正体性を共有することがで きた. 2.
僧侶の教育課程と修行体系の整備
2.1. 履歷課程: 禅教兼修と看話禪 17世紀前半には僧侶の教育課程である履歴課程が整備された.これは四集科, 四教科,大教科の段階的かつ順次的構造となっており,看話禅優位の禅教兼修を 基本としている. まず四集科は唐の宗密の『禅源諸 集都序』,高麗の普照知訥が宗密の著述を 要約し注釈した『法集別行録節要 入私記』,宋の大慧宗杲の『書状』,元の高峯 原妙の『禅要』である.『都序』と『節要』は禅教一致を主張した宗密の著述と それに対する知訥の注釈書として頓悟漸修,定慧双修に基づいた禅教兼修の方向 を要諦とする.四集科の構成は禅教兼修の指向,そして話頭を参究する看話禅風 を体得するためのものであった10). 次の四敎科は『金剛経』,『楞厳経』,『円覚経』,『法華経』であり,禅宗と敎宗 の双方から非常に重んじられていた経典である.ただし,18世紀に『法華経』が 外され,『大乗起信論』が組み込まれる11).これらの本は,心の問題や本体と作 用を取り上げ,禅宗に理論的影響を与えたり,禅教一致の所依経典としての役割を担い,宋代以後になるとさらに脚光を浴びた12). 最も高い段階にある大敎科には,『華厳経』と『景德伝灯録』,『禅門拈頌集』 が組み込まれた.『華厳経』と華厳は,義湘(625–702)以来韓国の教学伝統を代 表する最高の経典であり,『景德伝灯録』は11世紀初に編まれた禅宗の伝灯史書 である.『禅門拈頌集』は看話禅の修行気風を振作した知訥の弟子真覚慧諶(1178– 1234)によって編纂された本で,禅宗歴代祖師達の公案と法語,偈頌などを収録 している13).大教科においても,知訥以後に本格化された禅と華厳を主とした 禅教兼修の志向,そして高麗末から主流に浮上した臨済宗の看話禅風が結合した 様相を窺える. 詠月清学(1570–1654)は,「四集は漸修と参句を通して心を悟らせることを提 示したものであり,四教は経典を通して理智を悟るものである.そして大教の 『伝灯録』と『拈頌』は祖師風を学び,正しい修行方向が分かるようにしたもの」 と解釈をしている14).これは禅教兼修,看話禅,そして華厳を全て重視した普照 知訥の思想とも重なる部分があり,また看話禅優位の禅教兼修という清虚休静の 修行方向とも符合する体系である.清虚は『禅家亀鑑』において,「先に教学を 習い,不変と随縁の二つの意味が,正に自心の性相であり,頓悟と漸修の二門が まさに自行の始終であることを知る.その後,教義を下ろして(放下),ひとえに 心の現前一念で,禅旨(話頭)を参詳(参究)すれば,必ず受けるものがあるはず である.これが,いわゆる出身活路である」と述べている15).履歴課程は以後, 清虚系と浮休系の全てにおいて採用され,朝鮮後期を経て最近まで伝統的教育課 程として受け継がれてきた. 2.2. 三門修業: 禅,教,念仏の綜合 17世紀には,禅と教だけでなく,念仏を修行体系の中に含ませた三門修行体 系が完備された.当時は公認された宗派がない状況で多様な仏教伝統をすべて包 摂し,継承せねばならず,従ってそのような要請を反映した綜合的性格の三門修 行体系が成立したのであった16).禅,教,念仏の三門は清虚休静が初めて提起 したが,その後彼の弟子である 羊彦機によって理論的に体系化された. 三門は徑截門,円頓門,念仏門をいい,徑截門は格外禅風の禅門の看話禅を指 す.次の円頓門は義理を立て言語で理解し本来の心を返照する敎門,最後の念仏 門は唯心浄土,自性弥陀の念仏禅を意味する. 羊は衆生の根機はそれぞれ異な るが,全ての法は一心から出ているため,三門は結局同じであると解釈してい
る17).その一方,念仏門の場合,念仏禅修行と同時に,西方極楽浄土を想定す る念仏信仰まで含まれる.これは修行を行う僧侶だけでなく,仏教を信仰する一 般の大衆までも考慮したものであり,浄土にいく門戸がさらに広げられた18). ただ,三門修行は誰でも三つの修行方式を義務的に行わなければならない「全 修」を意味する訳ではない.禅や教を「専修」したり,他のことと「兼修」する ことが可能であり,禅と教を中心に修行や研究を行い,晩年になると念仏修行を することが一般的であった.また1769年に出た『三門直指』では「三門は互い に異なるが,その本質は同じである」と述べられ19),それぞれ異なりながらも, 根源的には一致することを強調された.このように,朝鮮後期には三門修業とい う綜合的修行方式が一般化されながら,禅,教,念仏がそれぞれの命脈を繋いで いき,それを綜合する形態の仏教伝統が形成されたのであった. 3.
結論
系派と門派が成立した17世紀前半の朝鮮仏教界は臨済宗の法統を立て,禅宗 としての自意識を確固たるものにした.また看話禅優位の禅教兼修を特徴とする 僧侶の教育課程の整備や禅は当然のことながら教学と念仏を包括する三門修行の 完備を通して,朝鮮後期仏教の綜合的性格が備えられた.このような教育および 修行体系の整備を基盤に18世紀には講学が活性化され,注釈書である私記の著 述が盛行した.また禅と同様に華厳が重視され,「看話禅と臨済法統」に対比さ れる「禅教兼修と華厳教学」の二重構造が朝鮮後期仏教の思想的特徴として根付 いていき,これが韓国仏教の固有の伝統になった. 1)金龍泰,『朝鮮後期佛敎史硏究』,新丘文化社,2010,pp. 37–52. 2)『浮休堂大師集』巻5,「薦戰死亡靈疏」(『韓国仏教全書』8,p. 82). 3)『清虚堂集』巻7,「奇黙年侍」 (『韓国仏教全書』7,p. 727). 4)『 羊堂集』,「 羊堂集序」; 巻2,「禪敎源流尋釰說」 ; 巻3,「上高城」(『韓国仏教全書』 8,p. 244; pp. 256–257; pp. 262–263). 5)金龍泰,「浮休系の系派認識と普照遺風」,『普照思想』25,2006. 6)『曹溪山松廣寺史庫』の「湮滅部」と「現存部」(亞細亞文化社,1983,pp. 760–774); 黒田亮,『朝鮮舊書考』,東京: 岩波書店,1940(1986再刊),p. 45. 7)『清虚堂集』,「清虚堂集序」(李植)(『韓国仏教全書』7,pp. 658–659). 8)『清虚堂集』,「清虚堂集序」(許筠)(『韓国仏教全書』7,pp. 659–660』;『四溟堂大師集』 巻7,「有明朝鮮國慈通弘濟尊者四溟松雲大師石藏碑銘 序」(『韓国仏教全書)8, pp. 75– 77). 9)金龍泰,前載書,pp. 171–186. 10)金龍泰,前載書,pp. 223–232.11)金映遂,『朝鮮佛敎史藁』,中央仏教専門学校,1939(『朝鮮佛敎史』,民俗院,2002影 刊),p. 142. 12)木村清孝,『中国華厳思想史』,京都: 平楽寺書店,1992,pp. 277–281. 13)高橋亨,『李朝佛敎』,大阪: 寶文館,1929,p. 257. 14)『詠月堂大師文集』,「四集四敎傳燈拈頌華嚴」(『韓国仏教全書』8, pp. 234–235). 15)『禅家亀鑑』(『韓国仏教全書』7,p. 636). 16)『心法要抄』(『韓国仏教全書』7,pp. 648–649). 17)『 羊堂集』巻2,「禪敎源流尋釰說」(『韓国仏教全書』8,pp. 256–257).普照知訥の惺 寂等持門,円頓信解門,看話徑截門の三門は教学を入門とし,禅教兼修を容認しなが ら,究極的な修行法案に看話禅を提示したもので,念仏禅は入っていない.
18)Yongtae Kim, The Establishment of the Approach of Chanting Amitābha s Name and the Prolif-eration of Pure Land Buddhism in Late Chosŏn. Journal of Korean Religions 6-1 (2015): 131– 157. 19)『三門直指』「三門直指序」(『韓国仏教全書』10,pp. 138–139). 〈参考文献〉 (一次文献) 東国大学校仏典刊行委員会編『韓国仏教全書』7–10.東国大学出版部,1987–1994. 韓国学文献研究所編『曹溪山松廣寺史庫』亞細亞文化社,1983. (二次文献) 黒田亮 1940 『朝鮮舊書考』岩波書店. 木村清孝 1992 『中国華厳思想史』平楽寺書店. 高橋亨 1929 『李朝佛敎』寶文館. 金映遂 1939 『朝鮮佛敎史藁』ソウル: 中央仏教専門学校. 金龍泰 2010 『朝鮮後期佛敎史硏究』城南: 新丘文化社. ― 2006 「浮休系の系派認識と普照遺風」『普照思想』25: 315–359.
Kim, Yongtae. 2015. The Establishment of the Approach of Chanting Amitābha s Name and the Pro-liferation of Pure Land Buddhism in Late Chosŏn. Journal of Korean Religions 6(1): 131–157.
(本論文は2011年韓國政府(敎育科學技術部)財源による韓國硏究財團の支援を受けた硏
究成果である(KRI-2011-361-A00008).)
〈キーワード〉 朝鮮後期臨済太古法統,門派,履歷課程,禅教兼修,看話禪,三門修業