マーガレット・コーン著
新 パ 英 辞 典
山 崎 守 一 訳 註
私は、本稿において、パーリ文献協会(PaliTextSociety)(1)から依頼されて執筆している『新パ英辞典』(NewPali-EnglishDictionary)の背景、形態、
そして目的を説明してみようと思う。 パーリ文献協会は、セイロン民政庁(CeylonCivilService)の前会員であ ったトーマス・ウイリアム・リス・デーヴイッツ(ThomasWilliamRhys Davids)によって1881年に設立された。セイロン滞在中に彼はパーリ語を研 究し、彼がイングランドに戻ってきた時、パーリ語とパーリ仏教の研究に 残りの人生を捧げたのである。リス・デーヴイッツは、パーリ文献協会を 設立したその目的を次のように述べている。「パーリ文献を編集し、そし て、もし英語に翻訳することが可能になれば、ヨーロッパやアジアにおい て依然として写本のまま保存されているようなパーリ語の本は、現在編集 されていない大量の初期仏教文献をもっと学生たちに近づき易いものにす ることができる」と。その後の100年間に、パーリ文献協会はすべての聖典 と主要な註釈書の版本を出版した。同様にスリランカとビルマの歴代志と 聖典の英訳も出版した。 最初の「パ英辞典」卿は、ロバート・シーザー・チルダース(RobertCaesar Childers)によって出版された。1860年代の初期に、チルダースは初めはセ イロン民政庁の書記官として、その後3年間、長官の私設秘書としてスリ ランカに滞在していた。チルダースは言語と文学と宗教を研究しながら、 (2)新パ英辞典 セイロン語を理解するのに大いに努力していたと言われている。しかしな がら、彼自身は現地人学者の許でパーリ語を学ぶための努力がまずまずの 成功を修めることになったと言っている。1864年3月にチルダースは、ラ インホールド・ロスト(ReinholdRost)と共に研究した後、イングランドに 戻り、1869年に王立アジア協会の雑誌(JoumaloftheRoyalAsiaticSociety)
に、『クッダカパータ」(Khuddakap副ha小謂)(3)の翻訳と註記を伴ったパー
リ語テキストを発表した。これはイングランドで印刷された最初のパーリ 語テキストであった。チルダースは残りの人生の大部分の時間を一つのパ ーリ語辞典に捧げた。その辞典の第1巻は、1872年に出版され、第2巻は 1875年に出版されたが、その時までには彼はロンドン大学のユニヴァーシ ティ・カレジ(UniversityCollege)のパーリ語と仏教文献の教授だった。チ ルダースはパーリ語の一冊の辞典を出発点として採用した。それはサンス クリット語作品、「アマラコーシャ』(Amarakosa)に基づいて多分12世紀 後半に書かれた『アビダーナッパデイーピカー」(AbhidhZinappadTpikョ)(4)であ る。チルダースはほんの僅かなテキストしか利用できなかった。チルダー スは引用した出典として次のものを挙げている。ミナエフ(Minayeff)の 「プラーテイモークシャ・スートラ」(Pr3timoksaSmra)(5)、チルダース自身の『クッダカパータ」(Khuddakap鋤a)、ファウスベル(Fausb611)による1855
年作の『ダンマパダ」(Dhammapada)(6)、ファウスベルの『五本生話」(Five
Jatakas)(71と「十本生話』(TenJ3takas)い、三つの経の註釈を伴った『ディーガ・ニカーヤ』(DTghaNikaya)の六経(sutta)㈹)−すべて写本のままであ
るが−,ターナー(Tumour)の「マハーヴァンサ」(Mahavamsa)⑩、そし て、トレンクナー(Trenckner)の編集した『ミリンダパンハー」(Milindapa伽)('0の第1章、この他に僅かの作品である。もちろん、すでに
述べたように、スブーテイ(WaskaduweSubhmi)によって編纂されたモッガッラーナ(Moggalma)の「アビダーナッパデイーピカー』以外に、チル
ダースはスブーテイと文通していて、スブーテイはチルダースに多くの情 (3)報を提供した。われわれはまた、チルダースが研究して、彼が言及するこ とのできたよりももっと多くのテキストに精通していた、と推測すること ができる。 私はチルダースの辞典は称讃に値する作品だと思う。チルダースがロー マン・アルファベットの順番で解説を与えているが、この辞典は明白で明 瞭である。彼の解説は、テキストと伝承に基づいており、彼の証拠となる ものと情報源はテキストと教えを実行する人たちである。そして、表面的 にはチルダースにとってであるが、私に関して、パーリ語辞典編纂者の主 要な義務は、語章が出現していて、その語章がオリジナルな意味をもたな いかもしれないようなテキストの中で、意味をなすように、すなわち想像 できるあるオリジナルな教えの中で、語章の意味を明確にすることである。 もちろん、チルダースの事典は完全ではないし、パーリ語の知識がそん な段階であった頃でも完全ではなかった。彼が誤解した語章や文節がある し、あるいはゴージャリー(SamuelJ・Gogerly)⑫のように、誤解した他の書 き手に従ったところもある。しかし、チルダースの辞典は考慮すべき偉業 である。 チルダースの辞典を改良するための一冊のパ英辞典は、常にリス・デー ヴィッッの目的の一つであったし、今世紀(20世紀を意味する)初めの数 年において、彼は種々の東洋学者の会議⑬において、新しい辞典を共同で作 成する研究者を見い出そうとした。しかし、彼の晩年の共同研究者が書い たように、 次第に共同研究者たちは、リス・デーヴイッツが彼らに与えた資料を 送り返してきた。彼らの中には、全く何もしない者もいたし、封を開 けない者さえいた伽1. 貢献した人々もいたことを言わなければならない。例えば、コノー(Sten Konow)教授はSで始まる語黄のリストを作成した。しかし、第一次世界 (4)
新 パ 英 辞 典 大戦は、多くのことの中でも、初期の国際共同研究の希望をすべて破壊し てしまった。アヌルスン(DinesAndersen)とスミット(HelmerSmith)が 「批判的パーリ語辞典』(CriticalP3liDictionary)を始めた同じ年、1916年に リス・デーヴイッツはすでに70歳を超えていた。彼は共同編纂者としてウ イリアム・ステード(WilliamStede)の助力を得て、また他の学者たちによ って提供された資料を用いて、彼自身暫定的な辞典の作成を開始すること を決定した。パーリ語アルファベットのすべての文字を包含しているこの 辞典は、1921年から1925年の間に出版された⑮。第1分冊の「はしがき」で リス・デーヴイッツは次のように書いている。 「一冊のパーリ語辞典をわれわれの理想に近づけるよう努力し、その結 果としての第2版が発行できるよう、(初版本の)売り上げの収益を留 保することが、決定された」 1984年10月、私はノーマン(KRNorman)教授一その時、教授はパー リ文献協会の会長であった一の指導の許で、『パ英辞典」の第2版を準 備する仕事を始めた。私が現実に古い辞典(初版本)の研究を始めてみる と、私はすぐに次のことに気がついた。変更しないで残すことができるも のが殆どないので、私の仕事は、現実に、今ある辞典の改訂版を作ること ではなく、完全に新しい辞典を作成することである。新しい辞典のために、 古い辞典は大変重要な資料ではあるが、数ある資料の中の単なる一つにす ぎない、と。 辞典の一つの様相は、同一のままである。すなわち、この辞典は主とし て、パーリ文献協会から単行本として発行された、あるいは学術誌に掲載 されたテキストに基づいて編纂されることになっている。イギリスにおい てだけでなく、仏教を研究する学生の多くはパーリ聖典に取り組むのはこ れらの版本を通してであるし、それらは最も容易かつ入手可能な版本であ る。しかしながら、リス・デーヴイッツとステードよりもより多くの資料 (5)
が私には入手可能である。「パ英辞典」(PaliEnglishDictionary=PED)が、
すべてではないが、大部分の分冊が発行された時、ヨーロッパ版で聖典の 多くは出版されていたが、註釈書の殆んどは利用できなかった。(もし人が PEDのはじめに参照された本のリストとパーリ文献協会の現在の発行リ ストとを比較したなら、どれ程多くの本が今や利用可能であるかすぐに理 解することができる。)リス・デーヴイッツとステードが所有したテキス トのどこにも索引はなかったし、恐らく彼らは、主に資料として彼ら自身 の現存するノートに頼らざるを得なかった。リス・デーヴイッツは次第に、 彼のチルダース辞典の綴じ込み紙に語章と論及を加えていった。彼らは二 人とも、特別なテキストに関して仕事をしていた。すなわち、リス・デーヴィッツは「ディーガ・ニカーヤ」(DTghaN伽ya)とその註釈書の一部0,を
編集し、そのテキストを翻訳伽していた。また、『ヴィナヤ・ピタカ」(Vinaya
Pitaka)の一部を翻訳(剛し、「ジャータカ」(J3takas)の序章「因縁物語』卿と『ミリンダパンハー』(Milindapafiha)を翻訳値qしていた。ステードは『チュ
ッラ・ニッデーサ』(CullaNiddesa小義釈)を編集した側。 PEDは、編纂者たちがそのように所有した特別な知識の証を示す一方、 聖典の他の部分にそれ程精通していなかったことの証をも示している。彼 らは大いに他のテキストを捜さなければならなかったに違いない。私はホ ーナー(1.B、Homer)が所有した多くのテキスト、彼女の前にはリス・デ ーヴイッツやステードが所有した多くのテキストを所有したり、使用した りしているし、私の「ジャータカ」のコピーには種々の語童に下線が付さ れている。私は、辞典のためにステードが研究したとき、それらが彼によ って記されたと常に想像した。しかし、彼らの最善の努力においてさえも、 彼らはあらゆる語章を発見することが期待されることはできなかった。 対照的に私は、聖典のすべて、主要な註釈書のすべて、それに「ディー パヴァンサ」(DTpavamsa)画、『マハーヴァンサ』(Mahavamsa)"、『ダータ ーヴァンサ」(mhavamsa)"のようなセイロンの歴代志の多くを利用するこ (6)新パ英辞典 とが可能である。私はまた、(パーリ語アルファベット)文字の3分の2 に対する聖典の用語索引四を持っているし、多くのテキストと註釈書の語章 索引を十分に持っている。そして、現在は聖典と註釈書のビルマ版、タイ 版、それにパーリ文献協会版のCD−ROM版が存在する。わたしはまた、 パーリ文献協会から出版されてはいない資料も加えるであろう。たとえそ のような語章が聖典や註釈書に見い出せないであろうとも、『アビダーナ ッパデイーピカー」(AbhidhmappadTpi厄)から、動詞語根のリストである
「ダートゥパータ」(Dmu画ha)四と「ダートゥマンジュサー」(Dmu‐
mafijusa)㈱から、そして、11世紀の文法書であるアッガヴァンサの『サッダ ニーテイ」(SaddanTti)㈱からの資料を加えるであろう。これらはパーリ語を 学ぶ学生が参照することが望まれるテキストであるし、註釈害の解釈にし ばしば使用されるものである。私はまた、復註(『スマンガラヴイラーシニ ー』(SumangalavilasinT)に対する唯一の価屈四はパーリ文献協会によって出 版された)であるティーカー(tTkョs)のいくつかを参照することができる が、しかし、辞典がこれらのテキストを包含しなければならないとは考え ない。新しい辞典は、パーリ語のあらゆる事柄を覆い尽くして余すところ のないものとはならないだろう。私は包括的に立案された『批判的パーリ 語辞典」(CriticalPaliDictionary)と張り合うつもりはない。 私 の 主 な 目 的 は 、 パ ー リ 語 を 読 み た い と 望 む す べ て の 人 た ち に と っ て 便 利な道具になるであろう一冊の辞典を作成することである。そのような道 具になるために、辞典はいくつかの要求を満たさなければならない。 第1に、辞典は、聖典と註釈害のパーリ文献協会の版本に現われるあら ゆる語章を記し、語義解説をすべきである。もちろん、これは不可能な仕 事である。私はPEDにおいても、チルダースの辞典においても、用語索引 においても、そして索引の付されるどんな作品の索引にも、語章が存在す ることを見い出すことができる。これらの手段はあらゆることを覆い尽く (7)してはいない。私はCD-ROMを使用するが、それはパーリ文献協会のもの よりタイ版のものを使用する。なぜなら(誤った読みが見られる)パーリ 文献協会の版本には現われない語章をタイ版によって見出すことができる し、タイ版はこれらの版本に関するチェック機能を提供しているからであ る。すべてこのことは、新しい辞典が古い辞典よりもさらに多くの語章と 多くの語形、特に動詞の語形をもっと多く含むことを意味する。新辞典は いくつかの不可能な語形をも除外するであろう。そして、大いに読みの一 貫性をもたらすことになる。実際に理論的には、私は聖典と註釈害に使用 されたあらゆる語童を見い出し得る。すなわち、私の辞典は言語の核心部 に完全な描写を与えるべきである。しかしながら、この辞典はすべての索 引を読むのに適していないし、CD−ROM上に出現するあらゆる一般的な語 章を読むのに適していない。費やされた時間は興味ある、あるいは珍しい 資料が見つかったところで正当化されないであろう。数多くの複合語の故 に、また私自身も他の人々も、人間は誤りを免れられない性質の故に、包 括的な理解は可能でない。それ故、失われた意味の微妙な差異があるかも しれないし、パーリ文献協会版に記されていない語形があるかもしれない。 第2に、辞典のそれぞれの解説はできる限り簡潔に、しかし明瞭に表現 されたたくさんの情報を含まなければならない。その解説はそれに対する 二つの要素をもつ。すなわち、人が語童について与える情報とその情報に 対する証拠あるいは根拠である。私は今、私の目的と方法を説明するため の解説の体裁を述べるだろう。 この辞典の解説は次のように作成される。 l、語章の形態:名詞や形容詞の語幹、不変化詞のすべての語形、(現在 形が立証されているならば)動詞の直接法3人称単数現在形、もし現在形 が無いなら、その時存在する動詞の一部。 2.語章の種類の表示:動詞、名詞、形容詞、等、性も表示する。 (8)
新パ英辞典 3.角括弧において、語章の形態の説明をする。すなわち、言語学的な文 脈に語章を置くための試みである。これに関してPEDの編纂者たちは、や や長い説明に凝っていた。例えば、見出し語padaをみると、ラテン語、ギ リシア語、ゴート語、古高ドイツ語、英語、アルメニア語、リトアニア語、 アングロ・サクソン語からの関係語を見い出す。彼らはまた、われわれが 通常知っているように、パーリ語がサンスクリット語から派生したという 考えを正したいと思っていたし、また、もし可能なら、主としてヴェーデ イック・サンスクリット(VedicSanskrit)に注意深く言及した。私はそんな にやかましくはない。もしモニエル・ウイリアムス(Monier-Williams)のサ ンスクリット語辞典四に適切な意味を持つ並行語があるなら、それが私が与 えるすべてである。これは普通、パーリ語章の形態を説明するのに十分だ し、語義のための証拠と根拠に十分なり得る。相当する語形や意味がサン スクリット語に失われている時、私は仏教焚語(BuddhistSanskrit)やアル ダ・マガダ語(ArdhaM3gadhl)のようなプラクリット語(Pr2ikrit)からの パラレルを与えようとする。もしパラレルを見い出せない時、最後の手段 と し て 、 私 は 語 源 を 提 示 す る だ ろ う 。 し か し 、 私 の 目 的 は 、 主 と し て 、 語 源や派生語一一興味ある人たちはサンスクリット語やインド・ヨーロッパ 語に関する研究を参照することができる−を与えることではない。しか し、語章の意味の証拠として密接に関係した言語からの資料を使用するこ とである。角括弧における情報は、事実、その意味に対する私の最初の証 拠である。ここに解説の冒頭に与えられた情報が数例ある。 kasambu,、.(?)[C/BHSkasambakajata],deco叩osedorro"e〃 "、α"er;r”se;… kasambuka,、.(or伽.)[kasambu+ka2],、"g",〃α"er(or: 、"e");一○伽α,〃加.,deco叩osed;ro"e";VinⅡ236,28(antopntim avassutam∼am,Ee,Seso;Be,Cekasambujatam)≠239,8(∼o,Ee,Se (9)
so;Be,CekasambUjato). kasa,/、[S、k血,ka頭],awhjp;Abh370;VinⅢ47,6(∼aya vEivettenav3…haneyyum);M187,9(vividh面kamma畑an3k2irenti ∼Eihipitalenti);Dhpl43(sonindamapabodhatiassobhadro∼am
iva);Th878(aiikusehi∼ahica);Sp998,28(yo…∼ahiha筋atiayam
kasahato);Mhv38,82(talesi∼面y,msusopitam);-汝see
ka叩ka-;一○abhigMta,〃2.,伽肋zgw"haw姉,wh仰加g;Ud−a 185,7;… kasava(andkas3ya),碗.〃.α"d伽.[S、肌SkaS3ya;AMg kas3ya],… akkMtiandakkh3yati1,p風3sg,[S、akhyati],decノares,α""o""ces; re"s,花"sα加川eacノ1es;VinⅡ202,5*(asandiddhoca∼ati);… ‘kasambu,脚.(?)'は次のことを示している。kasambuは名詞であり、そ うであることが証明され得ないが、恐らく男性である。‘kasaf.'は名詞で あり、女性(引用文がそれを証明している)である。‘kasava(andkasaya), 、.n.andmfn’は、この語が二つの語形をもって現れるが、kas豆vaの方が一 般的であるあることを示している。それが男性あるいは中性であることが できる時、それは名詞の機能をもつし、形容詞としての機能ももつ。加愉). の表示は、その語章が形態的に形容詞であることを意味するが、男'性にお いてのみ見出され、恐らく名詞としての機能をもつ。‘akkMtiand akkhayatil,pr、3s9.,は、これが二つの語形で現われ、動詞の3人称単数であ り、そして、akkhayatiはパーリ語において同音異義語で、受動の3人称単 数の語形でもあることを示している。 4.もし語章の格変化が変則なら、私は変則な語形を与える。もしそれが 代名詞なら格変化のすべてを与える。このように私はパーリ語文法の領域 を殆んど強奪するかもしれない (10) そして、完全に満足できるパーリ語文新 パ 英 辞 典 法は依然として存在しない−が、しかし私は私の辞典がPEDよりも明確 に語童の輪郭の描写を与えているであろうことを願っている。 5.次は語義である。私がそのように言うことは不必要なことかもしれ ないが、語義は、最も重要なことであり、最も必要なことであり、辞典編 墓者の仕事のうちで最も個人的な部分である。ステードは(PEDのあとが きの中で)次のように書いている。 「この仕事を成就することは、注意深く、しばしば煩雑な研究を必要 とする。というのは、最も熟練し博学の翻訳家でさえ最も難解な語 章を回避するか、それらを間違って翻訳したか、その思想を十分に 言い尽くしていないし、言い尽くすことのできない語で翻訳してし まったからである。」 私の目的は語義の解説をできる限り短くすべてを包含することである。 この考えを上手に表現しているサンスクリット語の詩がある。 alpヨkSaramasandigdhams2iravatvisvatomukham astobhamanavadyaficasntramsmavidoviduh 経典についての知識がある人たちは、経典というものは僅かのシラ ブルを含み、不明瞭でないものであって、本質的かつ包括的で、さ らに無意味な語や誤りの無いものであると知っている。 辞典の語義はあらゆる可能な英訳を含まなければならないことはない。 すなわちそれは最終語ではない。それは、文、文節、思想体系を理解する ための出発点である。それは、読者と翻訳者が文脈の中で語章を満足いく ように翻訳するために、彼らが必要とする情報を与えるべきである。語黄 は異なる文脈の中で僅かに異なる微妙な意味の違いをもっているし、これ らの微妙な違いの正確な描写は読者や翻訳者の仕事であって、辞典編纂者 の仕事ではないように私には思われる。しかし、語義は英語でなければな らない。英語辞典にある現行の意味やその語義が異なる時、もっぱら語源 的にその語章がパーリ語とある関係を生み出すという理由で、まさに最後 (11)
の手段として英語の語章がつくられるべきであり、語章が選ばれるべきで ある、と私は信じる。そしてこれが、翻訳と同様に辞典が第2言語、すな わち翻訳された言語が自国語である人たちによって最終の表現形式で書か れるべきである、と私が信じる一つの理由である。 PEDにおいてある語義が、私が考えるように、間違っているが、恐らく それは避けられない。リス・デーヴイッツとステードが今可能な資料をす べて利用できたとしても、すべての辞典編纂者がそうであるように、ある 文節を理解することができなかったり、誤解したりしたであろう。しかし、 ステードは語章の意味の証拠としてサンスクリット語を挙げることを時々、 頑なに拒否しているように私には思われる。これはわれわれが中道をとる べき主題である。パーリ語辞典は全聖典と仏教教義の文脈において定義さ れなければならないし、もちろん術語ばかりでなく、サンスクリット語の 意味から異なったパーリ語の意味をもつ諸の語童がある。結局、それは正 確にエジャートンの「仏教混清掩語辞典』"が扱っている類いのものである。 しかし、同様に、ある特別なパーリ語の言外の意味を見つける必要無しに、 サンスクリット相当語と同一であるなら、完全に良い意味をなす語童があ る◎私がPEDのこの様相を改善することができると信ずべきことは当然の ことと思う。私にとってこのことは中心的であり、もしパーリ語の文節の 私自身の判断と理解を信用しないなら、他の学者に対してさえ信用しない なら、パ英辞典を書いていないだろうし、書いているべきでない。 辞典の解説のこの点で、私がすでに書いたことを正当化するために6が 来る。 6.引用、引用文。引用文の選択は第2の最も個人的な仕事の部分であり、 最も興味深いものである。PEDは通常、単にテキストの巻とページ番号に 関する照会を与えている。私は、ありのままの照会(引用文)が殆んど無 い時、単に文節に言及するだけでなく、殆んどいつも実際に文節を引用す ることを決めた。私は行の照会も与える。私の辞典には、PEDやCPDの初 (12)
新 パ 英 辞 典 期の文冊よりもさらに多くのパーリ語が存在するだろう。例えば、acchara に関する解説において、『批判的パーリ語辞典」では英語で翻訳を挙げて いる。すなわち、 1.αⅧ”"gq/・伽伽geKs;伽hep伽se∼ampaharati,(a)αssjg"αノ
qfcommα"。:JaⅣ336,3(roapeacock);Ⅳ438,5(roqIogs);PS
Ⅲ153,6(roaノZo(e);−(b)叩ressjveQ/、repr伽"d:JaⅡ447,28; Ⅳ124,20;Dhp−al38,4;Ⅲ8,22;416,6;−(C)do.Q/、伽"畑αノor r軌se[sic]:JaⅢ191,21;V314,14;Ⅵ542,7;Dhp-al424,2;− (。)血qMsregα'z/orco"re叩r:PSⅡ524,5;−(e)do.q/Mr枕c伽 orjoy:JaⅥ336,25, 私は、人々が指をならしたちょうどその時、示すのに引用文で説明する。 すなわち、 1.s"αPPi"gq/、伽伽gem(∼ampaharati,asages奴req/,commα"。; q/、α""oyα"Ce,r”sαノ,CO"花叩r;α/soasagesr"だQ/、此as",で);JaⅡ 447,28(bodhisatto∼ampaharitv3);Ⅳ124,20(r可3∼ampahariMin
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Pinacciek印i∼ampahari);Cp-a213,1(tvamitoa而atthay耐titassa ∼ampahari). これは語章に対するよりも言語と文献に対するもっと大きな好みを反映 しているかもしれない。それはまた、英語で書かれた顕著な文章の宝庫で (13)あ り 、 用 法 と 文 脈 に よ っ て 意 味 を 教 え て い る サ ミ ュ エ ル ・ ジ ョ ン ソ ン (SamuelJohnson)博士とジェームス・マーリ(JamesMuIrayの大英語辞典 (すなわち、OxfbrdEnglishDictionary)に対する私の好みを反映している。 私は私の選択がいくつかの目的を供することを希望する。文節は語義を確 認したり、支持したりする。疑わしかったり珍しい語章の場合、ステード がPEDの「あとがき」で言っているように、正しいかもしれないし、間違 っているかもしれない註釈書を引用するだろう。文節はその語章の意味の スペクトルを十分に示すだろう。文節は語章が見い出されるテキストの範 囲を示すだろう。ある語章は韻文テキストにのみみられ、あるものは哲学 的なテキストにのみみられる。もし語童が聖典のいたるところに見い出さ
れるなら、私はテキストのいくつかの部類、例えば『律蔵』(Vinaya)、韻文
テキスト、『ジャータカ」(Jataka)、歴代志のそれぞれから引用することを 試みるだろう。必ずしも註釈書から共通の語章を引用しないであろうが。 情報は肯定的であるよりもむしろ否定的である。例えば、特別な語章に対 して『律蔵』に言及しないなら、それは私が『律蔵』の中でその語章を見 い出さなかったことを意味する。引用文は種々の文法的な語形を例証する。 例えば、もし適切なら、二つの於格の単数形を示そうとするだろう。動詞 については、時制の例、特に常に予知され得ないアオリストの語形を与え るつもりである。このようにして、典型的な動詞に対しては、もし見い出 せるなら、絶対分詞(absolutive)、受動形、過去分詞、未来受動分詞と同様 に、未来形、種々のアオリストをリストする。そして、最後に引用文によ って語章の通常の文脈を示し、それが他のどのような思想と関連があるか を示したい。 引用文を選ぶことの困難さは、引用文のいくつかを省くことである。す なわち、現実問題として、パーリテキストには興味深く、精粋で啓蒙的な 文章が数多くあるのである。そして、同様な板挟みの状態にあったジョン ソン博士が言っているように。 (14)新 パ 英 辞 典 「私が省いてしまったいくつかの文節は、語句を探索する労力を軽減 するかもしれないし、味気ない文献学という砂挨の砂漠に新緑と花 を添えるかもしれない。」 解説は7に続く。 7.複合語。第1に、見出し語が第2の位置か語末を構成している複合語 に関する言及がある。そしてそれから、見出し語が第1語を構成している 複合語のリストと語義がある。例えば、kimiに関する解説の例をみよ。 kimi,碗.[S・krmi;げBHSkimi],awo"”;αⅧ-Wo伽;α〃伽どα; Abh623;VinⅡ221,10(tassavaccamagge∼isanth3si);…MillOO,8
(∼ayo);Sadd785,8(∼mamkosebhavamsuttamkoseyyam);−汝see
畑伽、-(svAosal),sZilaka-;-cja,峨;s/此〃;Abh298(koseyyam ∼a、);一○.sankula,巾,血〃Qfwor'"s;Saddh603. 一般的に、意味がその構成語の組み合わせから容易に断定できない、あ るいは構成語の一語が個別の語章として立証されていないこれらの複合語 のみが辞典に現われる。この一般的なルールは時折壊されるし、壊されな ければならない。さもなければ、言語についての誤った見解が起こるだろ う。例えば、もしkasambuに関する解説を見るならば、 kasambu,〃1.(?)[Cf冊Skasambakajata],deco叩osedorro"e〃mα"er;r”se;Abh224;AⅣ172,7(kZirandavamniddhamatha∼um
apakassatha)=Sn281(PjⅡ311,24fbll.:kasatabmamcanam khattiy油nammajjhepaviILhampabhinnapaggharitakutthamcand3lamv
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VinⅡ236,28(tampuggalamdussTlam…antopmimavassutam∼am, Be,Ce,so;Eekasambukajatam;Sp1287,7:∼antiakinnadosataya (15)sankiliI1haj3tam)=Ud52,16(Ud-a297,24:sa巾tar噸dikacavar伽 sTlavantehichaddetabbattaca∼a、)≠SⅣ181,1(∼o);AⅣ171, 9(rukkhaniantopntTniavassum∼ani);Vism57,12*(∼oavassuto papo);Nidd-al338,14(∼otisa伽rasabhavo). 複合語kasambUj3taを解明することは困難ではない。二つの構成語は辞典 に別々の語として現われる。しかし、kasambujZitaを挙げているわけではな いし、その存在はkasambuを実際よりもさらにもっと珍しい語章と思わせ るだろう。 それから、解説は他の解説に言及して終わるだろう。例えば、動詞akkhati に関する解説は読者に2ikhy3tiをも参照させる。 私のもう一つの目的は、辞典によってわれわれが今想像し知るように、 パーリ語の描写を与えることである。(紀元500年、あるいは紀元前100年、 あるいは300年に実際にあったような描写は、人が持ちたいと思う何かであ るが、恐らくわれわれの知力の及ぶ範囲を超えている。)私は理にかない、 筋の通った、矛盾のない、しかし立証可能である読みを与えようとする。 私はまた、存在するすべての版本の間違い、暖昧な点、矛盾点を示そうと する。PEDに遠慮や祷跨なしに与えられた多くの語形や言い回しは、他の 伝承が参照される時、最大限疑わしいことが示される。私は、伝播の不確 実さを示すこと、正確に筆記されたかと言うことに対して何か疑わしさを 心に抱くこと、確かでない証拠に基づいて理論を構築することに警鐘を鳴 らすことが、私の義務と考える。 私はこの「新パ英辞典」をパーリ語が読みたくて、できるだけ容易にか つ便利にひきたい人たちに可能な限り使い易いようにしたいと思っている。 一方で、私はそれを単なる「学生用の辞典」とは考えていない。パーリ語 の勉強を始めようとしている人たち、そして人がしばしば経験する学問の (16)
新 パ 英 辞 典 世 界 と は 無 関 係 に 、 仏 教 に 対 す る 個 人 的 な 興 味 に よ っ て 原 典 テ キ ス ト を 読 みたいという気持ちに惹き付けられている人たちが、『パ英辞典」を有用 かつ近づきやすいものと気付いてくれることを私は強く願っている。この 目的のため、私は語章を見い出したり、引用文を理解したりする仕事を単 純化するために、時には好んで表現や文体の整合性を犠牲にする。例えば、 解説の中で複合語を挙げる時、私は第2構成語のアルファベット順に複合 語を挙げるので、それゆえ、モニエル・ウイリアムスのサンスクリット辞 典とは大いに違って、第2構成語が母音で始まる複合語はリストの初めに 来るだろう。 私が語義と引用文に最も多くのスペースを割いているのはパーリ語をそ んなに多く読んだことのないであろう人たちを援助することである。それ ゆえ、『ダンマパダ」を読んでいる誰かが、精通していない語章の意味を 見つけるばかりでなく、他のテキストとの関係、また一つの特別なテキス トが首尾一貫していて相互に密接な関係のある全体の部分をどのように形 成しているかを理解することもあるだろう。私は教義に中心的な役割を果 たす文節と典型的な文節を引用しようとする。それゆえ、もし読者が後世 のテキストに言及されたりそれとなくほのめかされたりした文節に出くわ すなら、彼らはそれらの最初の存在を発見することができる。しかし、同 時に、最小限のスペースに最大限の情報一われわれは多くの巻で現われ る 辞 典 を 望 ま な い − を 与 え る こ と が で き る の で 、 読 者 が い く ば く か の 知 識を持ち出し、いくばくかの知性を使用することを期待するし、要求する。 『パ英辞典』は読者の側にパーリ文法に精通していることばかりでなく、 最も使いやすくするために、ある程度のサンスクリット語の知識をも前提 としている。例えば、私が言ったように、辞典に構成語が別々の語章とし て現われる複合語はリストされないし、語義の解説もされない。読者は直 面している複合語のタイプを認識しなければならないし、意味を発見する ために複合語を構成している語章の別々の語義を使用することができなけ (17)
ればならない。語義について話している時、私が提示したように、辞典は すべての答えを与えるべきでないし、読者の仕事をすべてすべきではない。 それは読者がテキストや文節の意味について彼ら自身の判断を手助けする ためのいくつかの道具の一つであり、翻訳者が最も適した語章や句を選ぶ ことを手助けするための道具の一つでもある。 最後に、「新パ英辞典」を書くことの困難と問題について少し話してお きたい。 一人のパーリ語辞典編纂者は特別な問題に直面する。パーリ語は一つの 文語であり、一つ以上の方言を基にしていて、異なる特質をあらわしてい る諸方言から「翻訳された」か「置き換えられた」かしている徴候を示し ているある程度人工語である。それはいくらかサンスクリット化の徴候を も示している。そして、誤った翻訳と誤った置き換えがあり、誤ったサン スクリット化もある。それからパーリ語には不規則な部分があり、常に規 則に従って現われているわけではない。諸方言が自然に発展したという説 明によっては不可解であるいくつかの語形は、暖昧さを避けて意味をなす ようにすること、あるいは筆記者が意味をもっと明確にすることの試みに おいて、筆記者によって創作されたと私は信じる。そうすることによって、 彼らはパーニニの専門的知識を持ち、インドの諸方言に広い知識を有し、 数世紀に亘るパーリ文献の大要を有するであろう20世紀の研究者に対して、 意味をより明瞭でないものにしてしまった。 語章の中には文脈以外にその意味に対するヒントの無いものがある。あ るいはそれらは、今日の比丘たちでさえ、もはや理解しない儀式や手続き
の術語である。『律蔵」(VinayaPi1aka)は当然のこととして、これらの表
現の主要な貯蔵庫である。Vinayaに現われた語薫に関してノロー(Mlle EdithNolot)によってなされている徹底的に解明した仕事‘'に私は感謝する。 恐らく彼女でさえ異なる種類のサンダルの神秘や衣が縫われる正確な方法 (18)新パ英辞典 を解明することができないであろうが。時としてわれわれのできることの 最善は、推測であるし、あるいは註釈害の報告を謙虚に受け入れることで ある。 文節の中には単に解釈の困難なものがあるだけではない。私は『新パ英 辞典」が主としてパーリ文献協会によって出版された版本に基づいている ということをすでに言った。しかしながら、この資料はむしろ信用できな い。ステードが(PEDのあとがきにおいて)書いたように、 「かくして、その仕事(辞典の編纂)を遅らせた多くの難問は、言う までもなく印刷された版本のテキストにある何千という間違い(ス テードの原文はincorrectednessesである)である。」 私がその辞典に取りかかり始めた時、辞典のいくつかの不備はかなりシ ヨックなものとして現実味を帯びた。数本のテキストに対して私は東洋版 (orientaleditions)に対してあらゆる文節を自動的にチェックしなければな らない。このことはテキストそのものの問題をもたらす。すなわち東洋版 が変則な読みをどれだけ抑えているか、また事実、東洋版がそれらの伝承 をどのように綿密に反映しているだろうかである。たとえそうでも、私は 時には自信をもってヨーロッパ版におけるよりも、より良い読みを与える ことができる。そして、しばしばビルマ版、セイロン版、タイ版の読みを 与える。間違いがすべて辞典において特別に訂正されることはできない。 それには少なくとももう一つの巻が必要であろう。しかし、暖昧な語は取 り除かれるだろうし、幽霊語は葬ったものと期待している。私が一つの読 みを間違っているものとして余りにもしばしば汚名をきせてしまうことが 実際にあるかもしれない。しかし、私はあらゆる不規則で変則な語形を拒 否することと、ある写本に現われるがゆえに、奇形体を受け入れることと の間にある中道を見い出そうとする。テキストの中には特に困難さと改霞 をそのままにしているものがある。「アパダーナ」(Apadana)国と「サンユ
ッタ・ニカーヤ」(SamyuttaNikziya)のヨーロッパ版"にある「間違い」に
(19)対して、また、『ネッティパカラナ」(Nettipakarana)“と『ベータコーパデ
ーサ」(PeIakopadesa)鯛の困難さに対して、特別に述べたい。西洋パーリ学の 初期の段階である1877-96年に、ファウスベル(V・Fausub611)によって編 集された『ジャータカ』"の詩節もまた、多くの難問を与え、いくつかは解 明できないのではないかと心配する。 私の仕事についてのもう一つの事実は、私に有利でもあるし、不利でも あるように思われる。最初の草稿と最初の改定を書いた時にのみ、いつも ノーマン教授に相談するが、私は一人で仕事をしている。もちろん不利な こととは、研究することと独力で辞典の解説を書くことに長い時間がとら れるということである。そして、討論することが不足しているし、同僚が 与えることのできる忠告と着想が不足している。有利なことは私自身文脈 においてあらゆるものを参照することであり、そして希望であるが、終了 した辞典は研究法の一貫性と、恐らく共同研究では必ずしも成就しない個 人的性格をもつであろう。 註 (1)PaliTextSocietyは通常、「パーリ聖典協会」と訳されてきたが、KRNorman 教授の"ThePresentstateofPョliStudies,andfUturetasks,,を訳した時(拙訳、 「パーリ研究の現状と今後の課題」として「中央学術研究所紀要」第24号、1995 年12月、pp.(')一四に掲載)と同様、「パーリ文献協会」の訳語を使用する。 これは森祖道教授の提案(「仏教研究」第22号、巻頭言)に基づいている。 PaliTextSocietyの出版目録やノーマン教授のこれまでの記述から分かるよ うに、PaliTextSocietyの出版物は聖典である三蔵の原典テキストとその英訳 から、三蔵以外のパーリ語で書かれた文献、所謂「蔵外文献」へと広がってお り、今後ますますそのようになっていくことが予想される。事実、PaliText Societyは、パ英辞典、パーリ三蔵用語辞典、文法書、註釈害(atthakatha)や復 (20)新 パ 英 辞 典 註(tTk3)、東南アジア写本の刊行といった具合に、三蔵以外のパーリ語文献全 般、及びそれに関連する書物をも幅広く出版している。 (2)R、CChilders,AD伽o"α'yq/、伽P倣血"g"age,London1875.チルダース 以前にもパーリ語の語章目録が作られている。例えば、クラブのパーリ語文典 辞書である。Acompe"伽"sPα/jGmmmaノa,w肋acop伽svひcaMary加伽 sameLα"gⅨage,Colombo1824. チルダースの辞典とリス・デーヴイッツの辞典、それにCriticalPali DictionaIy(1924-)が編纂される過程については、拙訳、「KRNorman-二 つのパーリ語辞典」、「中央学術研究所紀要』第17号、(昭和63年7月)pp 90−116をみよ。 (3)R・CChilders,“Khuddaka-pヨ!ha,textwithtranslationandnotes",Jひ"、αノcヅ伽 RoyaノAsia"cSocje/yl869. (4)A伽d版"αppa伽肋,editedbyWaskaduweSubmi,Colombo1865.パーリ語 章に英語とセイロン語の訳が添えられている。 (5)J・Minayeff,P液伽oksas"/m,St・Petersburgl869. (6)V・Fausb611,Dノzammapa血加,Copenhagenl855. (7)V・Fausb611,肋e〃α伽,Copenhagenl861. (8)V・Fausb611,719〃〃α伽,Copenhagenl872.
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④SZimamaphalaSutta,⑤SangTtiSutta,⑥Sig3lovョdaSuttaである。3註釈とは、 ①、②、④に対する註釈であり、それぞれBrahmaj3laSuttaAtthakath3, Mah3parinibb3naSuttaAtthakat凪SョmafifiaphalaSuttaAtthaka伽である。 (lOGeorgeTumourによって1873年にコロンボで出版され、その時までにローマ 字で印刷された一番長いパーリテキストである。 (11)トレンクナーによる刊本はロンドンで刊行された。V・Trenckner, M伽dtZpa肋α,1880.(OriginallypublishedbyWilliamsandNorgate,Reprintedby theRoyalAsiaticSociety) (21)(12リゴージヤリーはパーリ語の研究者で、1837年以降、As伽c此searchに発表し た多くの論文と聖典と英訳がある。 (13リ1902年にハンブルクで開催された第13回国際東洋学者会議において、リス・ デーヴイッツは、パーリ文献協会が設立されて最初の20年間に発刊されたすべ てのテキストに基づいて、新しいパーリ語辞典を編纂する計画を発表している。 また、1908年のコペンハーゲンでの東洋学者会議の席上、パーリ語辞典の全概 要を発表しているが、第一次世界大戦によってこの計画は終篇した。 (14)ドゥロワゼル(Duroiselle)、コノー(Konow)、ボード(MarbelHBode)夫 人の3人が約束を果たしただけで、1909年までに辞典の8分の1ができたにす ぎなかった。 ⑮この辞典は、1925年に8分冊で完成したのであるが、1922年12月に第4分冊 の完成を直前にしてリス・デーヴイッツが亡くなったため、ステードによって 遂行された。 (16)DTghanikayaのテキストは3巻から成るが、第1巻は1890年にT、W、Rhys DavidsとJ・EstlinCaI1penterによって、第2巻は1903年に同じくこの二人によ って、第3巻は1911年にJ・EstlinCarpenter個人によって編集された。このテキ ストの註釈言、SumangalavilasinTも3巻から成り、T、WRhysDavidsとJ、 EstlinCarpenterによって始められ、第2巻は途中からWStedeが加わって完 成し、第3巻は彼によって編集された。 1997年には山崎守一等によって、PTSから伽exro伽D軸α"伽yαが刊行さ れ、山崎はPTS版の訂正を発表している。「PTS版テキストの限界一「ディー ガ・ニカーヤ」を中心に−」、『仏教研究』27(平成10年3月)ppl37-85. (17)Djaノog"eQ/伽B"伽α,Vol.I(1899),tr.T,WRhysDavids;Vol.Ⅱ (1910),tr.T、W・andCARRhysDavids;Vol.Ⅲ(1921),tr.C、A,F・Rhys Davids. (18)T,W・RhysDavidsandH、Oldenberg,Vi"αya71gxrs,Sac剛BooAsQ/・rheEnsr, Vol.XⅡ(1881),VoLXⅦ(1882),VoLXX(1885). (22)
新 パ 英 辞 典 (19リT、W,RhysDavids,B"〃伽B州-Srorjesor肋αkα〃es(M伽αkα伽), London1880. ⑳T,W・RhysDavids,7ソZeQ"剛o"sq/、肋gM伽血Sacr2dBooksQf伽助sr, VoLXXXV(1890),VoLXXXⅥ(1894). (21)W,Stede,C皿"α"〃“α,PaliTextSociety,London1918. 四D伽vα伽α,ed・andtrans、HermannOldenberg,1879. <23リ伽版vamsa,ed.W・Geiger,1908. “D匝伽vamsa,ed.T,W・RhysDavids,Publishedin7ルノo"、α/q/、伽Pα〃伽r SocieIy,1884. 田Pαノノ肺i1伽mCb"CO伽"Ce,Vol.I(A−O),1955,VOLⅡ(K−N),1973,Vol. Ⅲ(P-B3rmaseyyaka),1993. (20Dmumafijusaの版本は、Dhョtupョ!haを包含してAndersenとSmithによって編 集され、1921年にコペンハーゲンから出版された。 (27)HelmerSmith,Sα‘肋"醜mgmm"zα"ed'Aggayα'?@sα,SVols・Voll(1928), Vol.Ⅱ(1929),VolⅢ(1930),Vol.Ⅳ(1949),Vol.V,(1954-66). ㈱D勅α-"伽yaM〉CO"""e"'α〃(伽α"hαノブα加伽),edLilydeSilva,3vols・ ’970. 四Monier-Williams.Sα"W"-E"g/MDic"o"α〃,Oxfbrdl899. ⑳F・Edgerton,B"〃伽HyMdSα"W"D伽o"α,γ,NewHabenl953. (31)EdithNolot,‘StudiesinVinayatechnicaltermsl−Ⅲ,,Jo”1α/Q/、伽Pαノj712xI Socjely,vol、XXⅡ(1996),pp,73-150;,StudiesinVinayatechnicaltermsⅣ− X,,Jo"、α/Q/、伽Pα/i〃xrSoc卿,vol・XXV(1999),pp・’−1肌 コーン女史の私信(2001年5月15日)によれば、Nolotは現在病気療養中で、 研究の中断を余儀無くされており、近い将来続編が公表されることはないだろ うとのことである。 (32)MELilley,Apa伽α,Vol.I(1925),VolⅡ(1927). (33リSamy""α-"肋yα,Voll(1999),edGASomaratne;Vol.Ⅱ(1888),VolⅡ (23)
(1890),Vol.Ⅳ(1894),Vol.V(1898),ed・MLFeer,Vol.Ⅵ(1904),Indexesby MrsC.A、F・RhysDavids. “ノVE"jpakam"α,ed.E・Hardy,1902. 田此械Opa伽α,ed.A・Barua,1949. 田〃肱αw肋Cbmme"'α'y’6volumes,ed.V、Fausb6111877-l896;VOLⅦ: IndexesbyDinesAndersen,1897. 現在、逢坂雄美(理博)の助力を得ながら、コーン博士と共同で「ジャータ カ」全6巻の索引を作成中である。拙訳が公表される頃には刊行されているこ とが希望される。 あ と が き PaliTextSocietyのPali-EnglishDictionaryがリス・デーヴィッツとステ ードの共同編慕で第1分冊が出版されたのは、1921年であった。そして、 第4分冊が出版される直前にリス・デーヴイッツが80歳で亡くなり、その 後はリス・デーヴイッツ夫人の助力を受けはしたが、ステードー人によっ て編募が遂行され、最後の8分冊が完結したのは、1925年のことであった。 この辞典の完成はチルダースの辞典が公刊されてちょうど50年目のことで ある。その後、この辞典を、辞典として理想的な形態に近い形で20年以内 に第2版を公刊したいというステードの願いは、第2次世界大戦によって 打ち砕かれた。このようなステードの願いにもかかわらず、第2版が準備 されることはなく、需要を満たすべく、明らかになった誤りや誤植の訂正 とその他の改善がその都度なされ、1巻本となって再版が繰り返されてい った(1949,1952,1959,1966、1972年)。 1972年に開かれたPaliTextSocietyの評議会は、K,R,ノーマン教授に改 訂版を編纂することを依頼した。当初の予定ではむこう10年くらいの間に 完成することが見込まれていたが、ノーマン教授がケンブリッジ大学での 通常業務、ACriticalP3liDictionaryの編集責任者につくなどで改訂版の準 (24)
新 パ 英 辞 典 備が遅れていた。そんな折、PaliTextSocietyの資金援助によってケンブリ ッジ大学東洋学部(FacultyofOrientalStudies)に辞典編纂のための研究ポ ストが設けられ、1984年10月からコーン博士がこの職に任命された。女史 は、各国のパーリ学者たちから送られてきた資料を含めて、ノーマン教授 が蒐集したすべての資料を受け継ぎ、一人でこの大事業を遂行してきたの である。 コーン女史による「新パ英辞典」は、3分冊で刊行されることになって いる。昨年(2000年)夏の時点で、9月に開かれるPaliTextSocietyの評議 会で第1分冊が出版に向けて審議されるとのことであった。女史からの知 らせ(2001年5月7日の私信)によると、第一分冊が、これはA−Khである が、印刷に回り今年の夏には出版されるであろうとのことである。これは 斯学の慶事であり、パーリ研究を志す者にとっては誠に喜ばしい限りであ る。一刻も早い出版が待たれる。 本稿は、「中央学術研究所紀要」、第29号(pp.(2)−(15))に掲載された MargaretCone,“ANewPali-EnglishDictionary,,の拙訳である。尚、註は訳 者が随意に付けたものである。 (追記)今年も7月下旬から8月上旬にかけて、ケンブリッジ大学でコーン 女史と共同討議をする機会を得た。女史の机の上には完成したばかりの 新辞典(778ページ)が置かれていた。 (25)