密 教 文 化
醍 醐 三 宝 院 に伝 わ る
小 冊 子本 『孔雀 経 音 義 」 の周 辺
-五 十 音 図史 研 究 の 準 備 の た め
に-CBS
「呉 音」 と 「漢 音」
小 林
明 美
I 1) 義 浄(635-713)が705年 に 出 し たMahamayurividyarajniの 中 国 語 訳 『大 孔 2)雀 呪 王 経 』 の 中 で, 有 声 の 閉鎖 音 〔・破 擦音 〕・摩 擦 音 で始 ま るサ ンス ク リ ッ ト
音 節 に次 の よ うな漢 字 が あ て られ てい る。
gar: 「掲 」[gist]「 脱 」[dei]
gi: 「祠 」[gie]「 杜 」[do]
gu: 「具 」[giu] do: 「践 」[buat]
go: 「盟 」[giuo] ba:「 婆 」[bua]
ja: 「闇 」[sia] ba: 「頗 」[P'ua]
da:「 茶 」[da] bha: 「藥 」[buan]
di:「 峙 」[diei] bhan:「 歩 」[bo]
「維 」[diei] bhu: 「稗
」[bei]
de: 「滞 」[disi] be: 「酵 」[pisk]
da: 「達 」[dat] bhe: 「稗卑」[bei]
du: 「頭 」[dau] va: 「伐 」[bIUAt]
duk: 「獨 」[duk]「 践 」[buat]
dur: 「突 」[duok]「 乏 」[binp]
dum: 「輩 」[dgm] var: 「言砦」[pad]
du: 「度 」[do] va: 「婆 」[bua]
「女卑」[bie] ve: 「稗 」[bei] 「毘 」[bii]「 閉」[pei] vu:「 僕 」[buk] サ ン ス ク リ ッ トの[ga/ga/gha/gha]に あ て られ る の は, 伝 統 的 な 転 写 用 文 字 「伽 」 で あ る。 ま た, 鼻 音 で 始 ま る サ ン ス ク リ ッ ト音 節 に 義 浄 は 次 の よ う な 漢 字 を あ て て い る。
na: 「那 」[na] 「末 」[muat]
「螂 」[m] 「莫 」[mak]
nan: 「難 」[nan] mi: 「弼 」[mie]
nam: 「南 」[nam] mu:「 母 」[mgu]
ny-a: 「若 」[niak] 「目 」[miuk]
pa: 「撃 」[na] mu:「 暮 」[mo]
pi: 「爾 」[nie] me: 「迷 」[mei]
ma: 「摩 」[mua] 「腰 」[mua]
こ こで あ げ た漢 字 は, 鼻 音 で 始 ま るサ ンス ク リッ ト音 節 の 転 写 に の み用 い ら
れ, 有 声 閉鎖 音 の転 写 に用 い られ る こ とは な い。
上 に見 る よ うに, わず か な例 を 除 い て, 有 声 閉 鎖 音 〔・破 擦 音 〕・
摩 擦 音 は きれ
い に対 応 して い る。 た だ, まれ に で は あ る が, サ ンス ク リッ トの[b][bh][v]
に 中 国 音[p]が
対 応 させ られ る こ とが あ る。 鼻 音 の対 応 は完 壁 で あ る。
義 浄 の 漢 字 の 使 い 方 は 『切 韻 』(601年)に
代 表 され る中 古 中 国語 の 音 韻 体 系
に原 則 と して 忠 実 で あ る。 これ は当 時 の 話 し言 葉 の情 況 を そ の ま ま 反 映 す る も
ので は な か ろ うが, 義 浄 の 目指 した もの は, 当 時 の 中 国 で 標 準 と され 理 想 と さ
3)れ て い た音 韻 体 系 に の っ と って 漢 字 を使 うこ とで あ った と考 え られ る。 話 し言
4)葉 の レベ ル で音 韻 変 化 が最 終 段 階 を迎 え た と推 定 され る7世 紀 後 半 に義 浄 は 長
ら く外 国 で暮 ら し(671-695),
帰 国 した時 は も う60才 で, もは や 新 しい もの に
な じ め る年 で は な か っ た。 しか しな が ら, 義 浄 の使 う言 語 の 保 守 性 は この よ う
な個 人 的 経 歴 に原 因 が あ る の で は な い。 何 しろ18年 間 に230巻
を 訳 した の で あ
り, 翻 訳 は 個 人 の仕 事 で は な か っ た の で あ る。 翻 訳 は政 府 の事 業 で あ り, 義 浄
﹁ 呉 音﹂ と ﹁ 漢 音﹂密 教 文 化
は則 天 武 后 の命 令 を受 け て こ の事 業 に加 わ った。 翻訳 は 口述 筆 記 され た。 義 浄
の率 いた プ ロジ ェ ク トに は, テ キ ス ト点 検 担 当者 のAnichinna(阿
禰 真 那)の
ほ か に, 波 岩 な ど4名 以 上 の 訳 文作 成 担 当者 と法 宝 な ど8名 以上 の 訳 文 点 検担
当 者 が い た。 音 韻 に関 して, 個 人 の好 み が はい る余 地 は な か っ た の で あ る。
話 し言 葉 の変 化 は何 十 年 も前 か ら進 んで いた で あ ろ うか ら, 義 浄 以前 の イ ン
ド呪文 転 写 に それ が部 分 的 に 反映 され る こ とは あ った で あ ろ う。私 的 翻訳 の場
合 は なお さ らで あ る。 しか しな が ら, 公 的 翻 訳 に 古 い標 準音 が これ ほ どよ く保
たれ て い る以 上, そ の 頃 に は話 し言 葉 で 起 った 変 化 が ま だ公 認 され て い な か っ
た と推 定 され る。
-Amoghavajra不
空 〔金 剛〕(705-774)は,
724年 か ら師 匠 の,
Vajrabodhi金
剛
智(671-741)の
翻 訳 を助 け, 741年 に 師 匠 が 死 ん だ後 は単 独 で仕 事 を続 けた。
義 浄 と同 じ よ うにAmoghavajraもMahamayurividyarajniを
訳 して い るの で,
比 較 す る上 で都 合 が よ い。
5) Amoghavajraの 『佛 母 大 孔 雀 明 王 経 』 を 義 浄 の 『大 孔 雀 呪 王 経 』 と比 べ て み る と, 表 音 漢 字 の 使 い 方 が ま る で ち が うの に 驚 く。 ま ず, 有 声 の 無 気 閉 鎖 音 〔・破 擦 音 〕 ・摩 擦 音 で 始 ま る サ ン ス ク リ ッ ト音 節 に Amoghavajraは 次 の よ う な 漢 字 を あ て て い る。gar: 「蘂 」[nist]「 禰 」[nai]
go: 「遇 」[niu] da/da: 「努 」[no]
gra: 「佗 羅 二 合」[n-ra] dy-u: 「 爾度 二合 」[n-yiu]
ja: 「若 」[nrak] bu: 「紋 」[muet]
ji: 「爾 」[nie] be: 「謎 」[mei]
je:「 目 」[niet] vat:「 伐 」[biunt]
「撃 」[na] var: 「鞍 」[miuAt]
da/da: 「轟 」[nisp] vi: 「尾 」[miuai]
di: 「賦 」[pli] ve: 「吠 」[biuai]
de: 「禰 」[nai]
多 く の 場 合, サ ン ス ク リ ッ トの[ga]と[va]に は, そ れ ぞ れ 伝 統 的 な 転 写 用 文 字 「伽 」 と 「騨 」 を あ て て い る。
こ こ で 有 声 の 閉 鎖 音 〔・破 擦 音 〕で 始 ま る サ ン ス ク リ ッ ト音 節 に あ て られ て い る 漢 字 は, 義 浄 訳 で は 鼻 音 を 頭 音 と す る 音 節 を表 わ し て い た。 サ ン ス ク リ ッ ト の 方 は 変 ら な い か ら, 中 国 語 の 方 が 変 っ た と考 え る よ りほ か な い。 す な わ ち, 義 浄 時 代 の 鼻 音 がAmoghavajra時 代 に は 有 声 の 閉 鎖 音 〔・破 擦 音 〕に 変 化 し て
い た と ひ と ま ず 想 定 す る こ とが で き よ う。
そ うす る と, [niak](「 若 」)[nie](「爾 」)[niet](「 日 」)は, サ ン ス ク リ ッ ト音 節 dya dyi dyeに 対 応 さ せ られ る は ず で あ る が, 実 際 に はja ji jeに あ て られ
て い る。 「若 」 「爾 」 「日」 の 表 わ す 音 節 の 頭 音 は, も と も と硬 口蓋 音 化 し て い た ら しい。[n]は 半 母 音[i][i]の 前 で 硬 口 蓋 音[n]に な っ て い た と い う こ と に な る。 こ れ が 他 の 場 合 と 同 じ よ う に 破 擦 音 化 し て い た の で, サ ン ス ク リ ッ ト の[j]([ds])に あ て られ た と考 え られ る。 サ ン ス ク リ ッ トの 有 声 無 気 閉 鎖 音 に あ て られ て い る の が 例 外 な く鼻 音 漢 字 で あ る の に 対 し, サ ン ス ク リ ッ トの 摩 擦 音[v]に 対 応 さ せ られ て い る の は, 鼻 音 [m]だ け で は な く, 閉 鎖 音[b]の 場 合 も あ る。 す わ な ち, [va]と[ve]に, そ れ ぞ れ 「吠 」[biuai]と 「伐 」[biuat]が あ て られ て い る。 これ は い ず れ も現 代 中 国 語 で 頭 音 が 無 声 唇 歯 音[f]に な っ て い る も の で あ る(「吠 」[fei]「 伐 」[fa])。 有 声 両 唇 閉 音 鎖[b]が 摩 擦 音[β](両 唇)ま た は[v](唇 歯)に 変 化 し て い た と ひ と ま ず 想 定 す る こ と が で き る。 サ ン ス ク リ ッ トの 有 声 無 気 閉 鎖 音 に 対 応 さ せ られ て い る の は, 以 前 に 鼻 音 で あ っ た も の で あ る。 こ こ に 中 国 語 鼻 音 の 閉 鎖 音 化 が 示 唆 さ れ る。 と は い う も の の, も し 中 国 語 で 以 前 の 鼻 音 が 完 全 に 閉 鎖 音 化 して し ま っ て い た とす る な ら, 鼻 音 に 始 ま る サ ン ス ク リ ッ ト音 節 は, Amoghavajra訳 で どの よ う な 漢 字 で 写 され て い る の で あ ろ うか。
na: 「嚢 引」[na:n] man: 「満 」[miuan]
ni: 「頻 」[nion] mi: 「弾 」[mie]
no: 「努 鼻 引」[no:] mu: 「母 」[meu]
na: 「學 」[na] muk: 「 目 」[miuk]
ni: 「泥 」[nii] me: 「謎 」[mei]
ma: 「歴 」[mua] ﹁ 呉 音﹂ と ﹁ 漢 音﹂
密 教 文 化
有 声 の 無 気 閉 鎖 音 〔・破 擦 音 〕始 ま るサ ンス ク リ ッ ト音 節 に 対 応 させ られ て い
るの と同種 の 中 国 語 音節 が, 鼻 音 で 始 ま る サ ン ス ク リ ッ ト音 節 に も対 応 させ ら
れ て い る の で あ る。 そ うす る と, 鼻 音 が常 に完 全 に閉 鎖 音 化 して い た とは言 え
な くな る。 何 とも奇 妙 な こ とで ある が, Amoghavajra時
代 の 標 準 中 国 語 に は,
鼻 音 と有 声 閉 鎖 音 の二 つ の可 能 性 を持 っ 音 韻 が あ った とい う こ とに な る。 鼻 音
の鼻 腔 共 鳴 が母 音 の 口腔 共 鳴 に移 行 す る直 前 に 懸塞 垂 が 上 昇 し, 鼻 腔 へ の空 気
通 路 が 早 く閉 鎖 され す ぎて, 閉 鎖 音 性 の 出 わ た り音 が 出 る こ と が あ っ た。 音 韻
/n//n//m/の
自由変 異 音 と して, [ng][nd][mb]が
想 定 され る の で あ る。
有声 帯 気 閉 鎖 音 で 始 ま るサ ン ス ク リッ ト音節 に, Amoghavajraは
次 の よ う
な漢 字 を あて て い る。
ghna: 「近 那 」[glan-na]「 婆 」[bua]
dha/dha: 「駄 」[dq] bhi: 「牝 」[bien]
dha: 「蕩 」[t'an]「 比 」[pii]
dhan: 「郵 」[dlsn] bhi: 「毘 」[bii]
dhar: 「達 」[dat] bhu: 「部 」[bo]
dhi: 「地 」[dii]「 歩 」[bo]
dhu: 「度 」[do] bhe: 「陛 」[bei]
dhyan: 「銀 」[den] bhr: 「勃 陵 二 合」[b-liar]
bha: 「薄 」[bak]
サ ンス ク リッ ト音 節[gha]に
は, 伝 統 的 な転 写 用 文 字 「伽 」 が あ て られ て い
る。
中 国 語 に は有 声 帯 気 音 は な か った の で, サ ン ス ク リッ トの有 声 帯 気 音 には有
声 無 気音 を あ て る しか な か った。 それ な ら, 「鼻 音 か ら変 化 した 有 声 〔
無 気 〕閉
鎖 」音 を あ て て もよ さそ うな もの で あ る が, そ の例 は全 くな い。 サ ン ス ク リッ
トの有 声 帯 気 閉 鎖音 に あ て られ て い る の は, 本 来 の 有 声 閉 鎖 音 で あ る。 逆 に本
来 の有 声 閉鎖 音 が サ ンス ク リッ トの無 気 有 声 閉 鎖 音 に あて られ る こ とは な い の
で あ る。
Amoghavajraは
サ ンス ク リッ トの[dha]と[bhi]に
それ ぞ れ 「
蕩 」[t'an]と
「
比」[pii]を あて る こ とが あ る。 有 声 帯 気 音 を持 た な い 中 国 語 使 用 者 に は無 声
音 の よ うに聞 こ え る こ とが あ った ら しい。 サ ン ス ク リッ トの有 声 帯 気 音 が発 せ
られ る際 に は, 閉 鎖 時 の声 帯 振 動 が そ の ま まの 振 幅 で 継 続 して後 続 母 音 の形 成
6)に到 る の で は な く, 開 放 の 瞬 間 に一 時 声 帯振 動 が 弱 ま り気 音[瑚 が 出 る。 この
た め 閉鎖 時 の声 帯 振 動 も弱 ま りや す い。 鼻 音 の 出 わ た り音 と して発 せ られ る有
声 閉 鎖 音 は, 強 い声 帯振 動 を と もな うが, これ が サ ン ス ク リ ッ トの有 声 帯 気 音
に対 応 させ られ る こ とは な い。 本 来 の 有 声 閉 鎖 音 だ け が サ ンス ク リ ッ トの有 声
帯 気 音 に対 応 させ られ て い る の は, この時 代 に 弱 い声 帯 振 動 を と もな う音 に な
って い た か らで あ る と考 え られ る。 た だ, サ ン ス ク リ ッ トの無 声 閉 鎖 音 に対 応
7)させ られ る こ とは ほ とん どない か ら, これ は 完 全 な 無 声 音 で は な く, 無 声 音 と
有 声 音 の 中 間 的 な 音, す な わ ち半 有 声 音 で あ っ た ら しい。
義 浄 時 代 の 有 声 両 唇 閉 鎖 音[b]が 摩 擦 音 化 して[β]ま た は[v]に な っ た可 能 性
を 前 に ひ とま ず 仮 定 してお い た が, 他 の 有 声 閉 鎖 音 が 無 声 化 に向 うの に並 行 し
て, こ の新 摩 擦 音 に も無 声 音[φ]/[f]化 が進 行 して い た と考 え られ る。 た だ し,
[b]は サ ン ス ク リッ トの[bh]に
対 応 させ られ て い る こ と もあ る か ら, あ らゆ る
場 合 に摩 擦 音 化 して い た わ け で は な い。
義 浄 とAmoghavajraと
で は転 写 用 漢 字 の使 い方 が ま る で 違 う。義 浄 の 音 韻
体 系 で 鼻 音 で あ っ た もの は, Amoghavajraの
音韻 体 系 で は 閉 鎖 音 性 の 出 わ た
り音 を と もな うよ うに な る。 有 声 閉 鎖 音 は無 声 化 しよ う と して い る。 中 間期 の
状 況 を知 る上 で, Bodhiruci菩
提 流志(?-727)が708±2年
に 訳 した 『不 空
羅索 神慶 眞 言経 」 は 貴 重 な資 料 で あ り, テ キ ス ト全 体 を通 じて詳 し く調 査 す る
8) 必 要 が あ る。 と り あ え ず, 見 通 し を た て る た め に28巻 に 見 え る 呪 文 を 見 る と, 「摩 」/「歴 」[mua], 「畝 」[mgu], 「据 」[nei]が, そ れ ぞ れ[ma][mu][pi]の 転写 に 用 い られ, 「晦 」[mei](?), 「捺 」[m], 「入 」[nigp], 「鞍 」[miuat]が, そ れ ぞ れ[vai][d][j][var]の 転 写 に 用 い ら れ て い る。 こ の よ うに, 中 国 語 の 鼻 音 は, サ ン ス ク リ ッ トの 鼻 音 と有 声 閉 鎖 音 ・破 擦 音 の い ず れ と も対 応 さ せ られ て い て, 閉 鎖 音 性 の 出 わ た り音 を と も な っ て い た こ と が 示 唆 され る。 興 味 深 い の は, 閉 鎖 音 ・摩 擦 音 を 指 示 す る た め に 鼻 音 漢 字 を 使 っ て 反 切 を し て い る と い う こ と で あ る(Skt. [vai]: [bei]「 無 計 反 」, Skt. [da]: [da]「 能 乙 反 」)。鼻 音 が 閉 鎖 音 性 の 出 わ た り音 を と も な う こ と は 広 く了 承 さ れ て い た の で あ る。 鼻 ﹁ 呉 音﹂ と ﹁ 漢 音﹂
密 教 文 化
音 漢 字 の用 法 を 見 る か ぎ り, Bodhiruci時
代 に中 国 語 の 音 韻 体 系
はAmogha-vajra時 代 とほ とん ど同 じで あ り, 新 標 準 音 が 公 認 され る 直前 の 状 況, す な わ
ち長 安 音 が 大 巾 に許 容 され て い た時 の状 況 を示 す もの と考 え られ る。
ただ し, 「頭 」[dou]が
無 気 音[d]の
転 写 に用 い られ て い る の は注 目す べ き
で, 有 声 閉鎖 音 が もっ ぱ ら有 声 帯気 音 の転 写 に用 い られ るAmoghavajraの
場
合 とは違 う。有 声 閉 鎖 音 が ま だ完 全 な声 帯 振 動 を ともな って 発 音 され て い た の
で な けれ ば, 708年 ご ろの 時 点 で, 長安 方 言 は ま だ完 全 には 公 認 され て い な か
っ た と い うこ とに な る。
Bodhiruciは
高宗 に 招聰 され て 中 国 へ 行 き, 政 府 事 業 と して の 翻 訳 プ ロ ジ ェ
ク トに参 加 した。 そ の 時 はす で に高 齢 で あ り, 赴 任後 た だ ち に 翻 訳 を始 め て い
る か ら, 中 国 語 は ほ とん どで きな か った は ず で あ る。 実 際 に訳 文 を作 製 し推 敲
したの は 慧 沼 を始 め とす る中 国 人 で あ った。 い わ ば政 府 刊 行 物 で あ る翻 訳 仏 典
の用 字 法 は, 政 府 の 言 語 政 策 を反 映 す る もの で あ っ た で あ ろ う。新 しい 音 韻 体
系 を政 府 が 全 面 的 に 公 認 して これ を標 準 音 に 定 め た の は, 玄宗 が 即 位 した710
年 の 直後 で あ っ た と推 定 され る。
II 712年 に 日 本 で 成 立 し た 『古 事 記 』 に 見 られ る表 音 漢 字 の 用 法 に は, 新 し い 標 準 中 国 語 の 音 韻 体 系 が 全 く 反 映 され て い な い(Jap. 「爾 」[ni]<[nie], Jap. 「馬 」[mie]<[ma]([mae]), Jap. 「奴 」[nu]<[no])。 ま た, 新 標 準 中 国 音 の 使用 を命 じ る 目本 政 府 の 布 告 や 命 令 で720年 よ り前 の も の は 残 っ て い な い。 720年 に 成 立 し た 『日 本 書 紀 』 に は 新 標 準 中 国 語 の 音 韻 体 系 が 反 映 さ れ て い
9)
る(Jap. 「爾 」[si]<[Jndsie], Jap. 「馬 」[ba]<mba], Jap. 「奴 」[do]<[ndo])。 720年 か ら879年 ま で, 150年 に も わ た っ て 日 本 政 府 は 新 標 準 中 国 音 を強 制 し続 け た。 こ の 執 拗 さ を 想 起 す る 時, 中 国 で 新 標 準 音 が 公 認 され た こ と を 日 本 政 府 が 知 っ た の は, 720年 の 時 点 か ら見 て, そ れ ほ ど前 で あ っ た と は 思 え な い。 知 っ て い た らだ ま っ て い る わ け が な い の で あ る。 しよ く しゆ げ ん さつ
『日本 書 紀』 の 「持 続 紀」 朱 鳥5年(691年)9月4日
の 項 に, 続 守 言 と薩
こうか く こえの はか せ 10)弘 恪 とい う名 前 が 中 国 語 発 音 担 当 教 官(音 博士)と
して言 及 され て い る。 こ の
二 人 は昔 の帰 化 人 の 子 孫 で は な く, 移 民 一世 で あ る。 す で にそ の頃 に中 国 の標
準 語 が 変 って い た とす れ ば, 日本 政 府 にそ の こ とを教 えた は ず で あ る。 知 ら さ
れ た 日本政 府 が30年 も無 策 で い た はず が ない。
702年 に 日本 政 府 は33年 ぶ りに遣 唐 使 を送 っ た。 執 節 使 の粟 田真 人 は704年 に
帰 国 す る が, 留 学 生 の鴨 吉 備 麻 呂, 伊 吉 古麻 呂, 巨勢 邑治 な どは留 ま って 勉 強
を続 け, 707年 に 帰 国 した。 副 使 の坂 合 部 大 分 は16年 滞 在 して718年 に 帰 国 し,
11)学 問 僧 道 慈 も大 い に勉 強 して, 717年 に帰 国 した。
653年 か ら669年 ま で の16年 間 に5回 も遣 唐 使 が出 て お り, 3年 に1回 の頻 度
で あ っ た。33年 も とだ え る よ うな こ とは そ れ ま で な か った の で あ る。 遣 唐 使 が
と だ え た33年 間 に, 長 安 方 言 の 音 韻 変化 は, 少 く と も話 し言葉 の レベ ル で 最 終
段 階 に達 した と推 定 され る。 長 安 で 耳 に す る言 葉 が 日本 で 習 った 中 国 語 と違 う
の で, 日本 人 た ち は大 き な シ ョ ック を受 け た に ち が い な い。 日本 で[mu][nam]
と習 った 「
無 」 「男 」 は, 閉 鎖 音 性 の 出わ た り音 を とも な っ て, [bu][dam]の
よ
うに 聞 こえ た。 日本 で[dai][buan]と
習 った 「
大 」 「
伴 」 は, 閉鎖 音 が発 せ ら
れ る際 の声 帯 振動 が極 め て 弱 く, 日本 人 の耳 に は[tai][Puan]と
聞 こ え た。 そ
して, 坂 合 部 大 分 と道 慈 の滞 在 中 に, 音 韻変 化 を完 了 した 長 安 方 言 が, 中 国 の
標 準 音 と して政 府 に公 認 され た と推 定 され る。
中 国文 化 を取 り入 れ て 国 家 制 度 を整 え る こ とが, 当 時 の 日本 政 府 に とっ て最
高 の国 家 目標 で あ り, 知 識人 に正 しい 中 国 語 を学 ば せ, 中 国 の文 献 を正 確 に理
解 させ る こ とが, 文 教 政 策 の全 て で あ った。 帰 国 した 人 々 の報 告 を 聞 い て, 政
府 は 大 い に驚 い た。 こ こ で新 しい事 態 に対 して何 らか の 判 断 を下 し, 何 らか の
対 策 を講 じな けれ ば な らな か っ た。 こ うして 決 定 され た新 政 策 は, 天皇 布 告
(詔 ・勅)ま た は政 府 命 令(太 政 官 符)の 形 で公 布 され るの で あ る。
「
大 学 」
の 学生 に対 す る もの は 残 って い ない が, 僧 侶 に対 す る720年
の 天 皇 布 告(詔)
が 残 って い る: 「この 頃, 僧 や 尼 僧 の中 の あ る者 は, 我 流 のや り方 で, で た ら
め に 〔正 しい音 とは 〕 ち が っ た 音(別 音)を 作 り出 して い る。 そ の結 果 つ い に,
後 か ら来 た学 生 が 次 々 に そ れ を習 うよ うにな り, 〔ま ちが っ た発 音 が 〕 習 慣 と
して 確 立 して い る。 〔こ の点 を〕 承 知 して正 しい 〔音 〕 に 変 え な けれ ば, これ
が き っか け にな って 仏 教 界 に乱 れ が起 る か も知 れ な い。 中 国 人 僧 侶 道 栄 や 学 問
僧 勝 暁 に つ い て 〔正 しい 発 音 で 〕 経 典 を読 み, 儀 式 で 唱 え る べ きで あ る。 〔
正
﹁ 呉 音﹂ と ﹁ 漢 音﹂密 教 文 化 12)
しい 音 〕 以 外 の音(余 音)は, す べ て や め る べ き で あ る。」
中 国 の標 準 音 が変 っ た と政 府 は理 解 しな か っ た。 中 国 と日本 で 中 国 語 の発 音
に くい違 い が で きた の は, 日本 の方 で ま ち が っ た か らで あ る と判 断 され た。 採
用 しな けれ ば な らな い の は 「
正 しい 〔
音〕」 で あ り, そ れ 以 外 の 「
別 音 」 ま た は
「飴 音
」 は, 「
や め るべ き」 不 正 の音 で あ った。 この 布 告 に よ って, 今 まで 「ま
ち が っ て」[mu][nam][dai][buan]と
読 まれ て い た 「無 」 「男 」 「
大 」「伴 」 は,
以後 は 「正 し く」[bu][dam][tai][puan]と
読 ま な けれ ば な らな い こ とにな っ
た。 こ の場 合, 今 まで ま ちが って い た外 国語 の発 音 を正 しい もの に改 め る とい
う外 国 語 教 育 の 問 題 しか政 府 の 眼 中 に な い。
しか しな が ら, 政 府 が 「
正 し くな い」 と決 めつ けた 漢 字 の 読 み 方 は, 個 人 の
悠 意 に よ っ て歪 め られ た もの で もな けれ ば, 不 注 意 な者 の ま ちが いで で きた 誰
りで もな か った。 日本 人 が本 格 的 に中 国 語 と取 り組 む よ うに な っ て か ら100年
以 上 は た ち, 「音 博 士 」 に言及 す る 『日本 書 紀 」 の記 述 か らも知 られ る よ うに,
6-7世 紀 の 標 準 中 国 音 に基 づ く 中 国 語 の学 習 は, 制 度 と してす で に 確 立 して い
た。 そ して, 当 時 の 日本 人 に とっ て それ が唯 一 の学 習 で あ り学 問 で あ った。 こ
の よ うに して 学 習 され た 中 国 語 の単 語 は, 借 用 語 として す で に 目本 語 語彙 の重
要 な 一 部 に な りき って い た。 そ の多 くは, 8-9世 紀 に政 府 が執 拗 に新 標 準 中 国
音 を奨 励 しよ う と した に もか かわ らず, 今 日ま で生 き のび る の で あ る: (「
二 」
[に], 「
米 」[ま い],
「難 」[な ん], 「人 」[に ん],
「
文 」[も ん],
「成 」
[じ よ う])。
特 に僧 侶 の世 界 で は, 仏 教 に関 係 の あ る常 用 語 はす べ て この種 の 語 であ った。
そ の上, 読 経 は僧 侶 た ち に とって 日常 の業 務 で あ り, そ の際 に用 い る仏 典 は 常
用 語 化 した 仏 教 術 語 に あふ れ て い た。 それ よ り も, 飛 鳥 時 代 以 来 す で に100年
も の間 中 国 語 文 献 を旧 標 準 中 国 音 を用 い て教 育 し研 究 して きた 実 績が あ った の
で ある。
一 般 の人 々 に と って も, 文 化 語 のす べ て は この 種 の 語 で あ った し, 中 国 文 化
が生 活 の レベ ル に ま で浸 透 して, この 種 の 語 が 日常 語 に な って い た。 こ うい う
語 が大 量 に 日本 語 語 彙 の 中 に は い り込 ん で しま った 以上, 僧 侶 以 外 の人 々 も,
中
国 語 学 習 を始 め る前 に, 日本 化 した 旧 標準 中 国音 にす で に染 っ て い た の で あ る。
-108-学 習 の 目標 を 「そ の時 代 に本 国 で公 認 され て い る標 準 語 」 に置 い た の は, 外
国 語教 育 の 方 針 と して は正 しか っ た。 た だ当 時 の 日本 の言 語 状 況 に問 題 が あ っ
た。8世
紀 の 日本 語 は, 旧標 準 音 の時 代 に借 用 した語 に あふ れ て い た。 借 用 語
の 発 音 を新 標 準 音 に則 して改 め な い か ぎ り, す な わ ち 「国語 問題 」 に手 を つ け
な い か ぎ り, 新 標 準 音 に よ る中 国 語 教 育 は困 難 で あ った。 政 府 は この こ とに 気
づ い て い な か っ た。
当然 な が ら, 「
正 し くな い音 」 は一 片 の布 告 に よ って た だ ちに廃 止 す る こ と
は で きな か っ た。70年 も後 の792年 に な っ て も, しか も儒教 文 献 読 解 コー ス(明
13)経 科)の
学生 に対 して, 発 音 矯 正 の天 皇 布 告(勅)が
出 て い る の で あ る。
きび の ま き び え ん しんけ い738年 に, 帰 国 した 吉 備 真 備 とい っ し ょに衰 晋 卿 が 日本 へ 来 て, 後 に 「
音 博
14)士 」 に な る が, 「
長 安 ・洛 陽 の発 音 で音 読 し, 〔
学 生 た ちの 〕 三 呉 之 誰 響 を改 め
15)た。 口 か ら中 国音(唐
音)を
出 して, 幼 い学 生 た ち の耳 と口 に吹 き込 ん だ。」
720年 の 天 皇 布 告 で 「正 しい 〔音 〕
」 と言 わ れ た も の は, こ こで は 「唐 音 」 と呼
ば れ, 学 生 た ち の 「ま ちが った 音 」 は 「
三 呉之 誰 響 」 と呼 ば れ て い る。 「
三 呉 」
とは, 春 秋 ・戦 国時 代 の呉 に あ った三 つ の都 市, 会 稽 ・呉 興 ・丹 陽 の こ とで あ
る。 日本 漢 字 音 を 「
呉 」 に関 連 させ た例 は これ が最 初 で あ る。
南 北 朝 時 代(4-6世
紀), か っ て呉 の国 が あ っ た長 江 流 域 地 方 は, 4世 紀 の初
め に 北方 か ら移 住 レて 来 た支 配 者 の言 語 と被 支 配 者 とな っ た地 元 の人 々 の言 語
16)とが 話 され て い て, 二 重 言 語 状 況 に あ っ た。 「
呉 音 」 とい うの は, 被 支 配 者 の
言 語 の 音 韻体 系 の こ とで あ った。 支 配 者 の 言 語 は も と も と北 方 語 で あ り, 6世
17)紀 の末 に な っ て も北方 標 準 語 とそ れ ほ ど違 って い な か った。 とこ ろが8世 紀 に
な って, 特 異 な 音韻 変 化 を とげ た長 安 方 言 が 標 準 語 にな る と, 古 い 標 準 語 の 音
韻体 系 を守 っ て い た ば か りに, 南方 支 配者 の 言 語 は 非 標 準 語 とい うこ とに な り,
18)不 当 に 「呉 音 」 と呼 ばれ る こ とに な っ た。
7世 紀 の 日本 漢 字 音 は, 部 分 的 に は漢 時 代 の 古 い 中 国音 の反 映 が 認 め られ る
19)もの の, 全 体 と して6-7世 紀 の標 準 中 国 音 に基 づ く もの で あ る。 この 古 い 日本
漢 字 音 は, 当 然 な が ら南 方 支 配 者 の保 守 的 な言 語 と基 本 的 な 音 韻特 徴 を共有 し,
長 安 人 の 衰 晋 卿 か ら見 れ ば, 標 準 音 か らはず れ た 「
南 方 な ま り」 の変 種 とい う
こ とに な る。 日本 政 府 に とっ て古 い 日本 漢 字 音 は, 「
心 が け の悪 い者 の せ い で
で きた 悪 い 習 慣 」 にす ぎ な か っ た が, 衰 晋 卿 が長 安 か らや っ て来 て か らは, 中
﹁ 呉 音﹂ と ﹁ 漢 音﹂-107-密 教 文 化
国 語方 言 の一 つ に 関連 づ け られ る こ とに な った の で あ る。 ただ し, 南方 支 配 者
の 言 語 を 「
呉 音 」 と決 め つ け た の は8世 紀 長 安 人 の 一 人 よ が りで あ り, 歴 史 的
に見 れ ば, 7世 紀 の 日本漢 字 音(呉 音)は 「呉 地方 の方 言 」 と何 の関 係 も ない。
70年 に もわ た っ て政 府 が指 示 し続 けた に もか か わ らず, そ し て衰 晋 卿 や そ の
後 継者 が努 力 した に もか か わ らず, 新 標 準 中 国 音 の普 及 は 思 わ し くなか った。
792年 にな って も, ま た天 皇 布 告(勅)を
出 して 発 音 矯 正 を指 示 しな けれ ば な
らな か っ た: 「明経 科 の学 生 は, 正 しい 音(正 音)を 学 ば な けれ ば な らな い。
〔
学 生 た ちの 〕 発 音 と朗 読 〔の 仕 方 〕 は, す で に誤 りを もた ら して い る。 中 国
20)の 〔標 準 〕 音(漢 音)を 徹 底 的 に学 べ。」 こ こで 「
漢 音 」 とい う語 は, 「
正 音 」
「唐 音 」「両 京 之 音 韻 」 の 同義 語 で あ り, 文 字 通 り 『
中 国 の 〔
標 準 〕 音 』 を意 味
し, 後 代 の よ うに 「日本 の漢 字 音 の 一 つ 」 を指 して い な い。
ま た, 翌 年 の793年
に は, 「今 後, 年 ご とに割 りあて られ た僧 侶 資 格取 得者
(年 分度 者)は,
〔中 国 の 〕 標準 音 を学 ば な けれ ば, 僧 侶 資格 を 得 させ て は な ら
21)な い」 とい う禁 止 令(制)が
出 て い る。
720年 に 天 皇 布 告 を 出 した 時, 心 が け の悪 い者 のせ い で悪 い習 慣 が で きた と
政 府 は判 断 し, 一 片 の 布 告 で これ をや め させ られ る と思 っ て い た。 ところ が,
そ の結 果 は あ ま りに も意 外 で あ った。 特 に 「正 し くな い 音 」(実 は 旧 標 準 中 国
音 の 日本 版)が 言 語生 活 の中 核 を 占 めて い た僧 侶 の世 界 で は, 事 態 は 絶 望 的 で
あ っ た。 そ こで, せ め て 自 らの管轄 す る大 学 の 中 で, しか もそ の 中 で も 「明経
科 」 の 学生 にだ けは, 国 家 運 営 の原 理 を学 ぶ た め に読 む 書 物 を 「
正 しい発 音 」
で読 ませ て, ほん もの の中 国 文 化 を 身 に つ け させ よ う と した。 これ は 失望 した
22)政 府 が 律 令体 制 を守 る た め に引 い た最 後 の 防衛 線 で あ っ た。 政 府 は 僧 侶 に対 す
る標 準 中 国 音 の 教 育 を あ き らめた わ け で は な か っ た。798年
に 出 た政 府命 令 で,
僧 侶 資 格試 験 の合 格 条 件 の 一 っ と して, 「〔日本 漢 字 音(呉 音)の
ほ か に〕 正 音
23)もあわ せ て 学 習 して い る こ と」 をあ げ て い る。 ま た, 3年 後 の801年
に もほ と
ん ど同 文 の政 府 命 令 が で て い るが, この時 は 「正 音 」 と言 わ ず 「
漢 音 」 と言 っ
24)てい る。 日 ご ろ仏 典 を読 む 時 や 儀式 で 読経 す る際 は, 日本 漢 字 音(呉
音)を 使
って よい。 しか しな が ら, 798年 政 府 命 令 に よ り, 僧侶 資 格 試 験 で は 中国 標 準
音(漢 音)が 試 され る。 政府 は各 宗 派 を強 い 統 制 下 に 置 い て い た が, 教 育 の実
-106-際 に ま で 目を くば る こ とは で きな か っ た。 そ こで, せ め て 国家 試 験 制 度 を利 用
して 中 国 標 準 音(漢 音)の 強 制 を試 み よ う と した。
僧 侶 資 格 試 験 に関 す る政 府 命 令 が806年
に も出 てお り, 「『
法 華 経 』 と 『金 光
明 経、 の二 つ を中 国 標 準 音(漢 音)で 読 み, さ らに訓 読 す る こ と」 が規 定 され
て い 鴛。 弘仁 式 に よ る と, 「
僧 侶 資 格 者 の試 験 に は, 音 博 士 を僧 侶 管 理 庁(僧
26)綱 所)に 派 遣 して, 漢 音 を テ ス トす る」 とい う。大 学 の 中 国標 準 音 担 当教 官 が
テ ス トす る の で あ る か ら, 9世 紀 に な っ て も, 日本 で 「
漢 音 」 とい う語 は い ぜ
ん と して中 国 標 準 音 を 指 して い る。 な お, こ こに 「
訓 読 」 に つ い て の言 及 が初
め て 見 え る。
この806年 政 府命 令 には 例 外 条 項 が あ り, 「内容 理 解 の水 準 が特 に 高 けれ ば,
27)中 国 標 準 音(漢 音)を 強 制 しな払 」 とい う。善 道 真 貞 は782年
に14才 で 大 学 に
入 学 した秀 才 で あ り, 博 識 で 知 られ た人 で あ った が, 「昔 か ら中 国 標 準 音(漢
音)を
〔ま と もに〕 学 習 しな か った の で, 四 つ あ る中 国 語 の ア ク セ ン トが 区 別
で きず, 教 え る よ うに な って か らも, い い か げ ん に俗 音 の混 っ た音 を用 い て い
たちばなの 28) たちばなの た」 と い う。明経 科 の 卒 業 生 で さ え, こ うい う例 が あ る ので あ る。 ま た, 橘
はや な り逸 勢 は 空海 や最 澄 と とも に第16回 遣 唐 使 に加 わ り, 804年 に長 安 に着 い た が,
29)中 国語 が で きな い た め大 学 に はい れ ず, 806年 に帰 国 して い る。 最 澄 にい た っ
30)て は 中 国語 を 習 った こ とさ えな か った。 留 学 が 決 っ た とき大 い に慌 て て通 訳 を
さが す が 見 つ か らず, 僧 侶 資 格 を得 た ば か りの 若 い 弟 子 が子 供 の時 に中 国 語 を
習 って い た の で, これ を通 訳 と して 連 れ て 行 った。 僧 侶 教 育 の カ リキ ュ ラム に
中 国 語 は な か った。 試 験 の4か 月 前, 教 義 テ ス トの準 備 に多 忙 を極 め て い る時
に, 大 単 の 教 官 に指 導 して も らっ て, 中 国 標 準 音 に よ る朗 読 練 習 を1か 月足 ら
31)ず 間 に合 わ せ にや る だ け で あ っ泥。 そ して 同 じ教 官 が試 験 官 に な る。 出 題 範 囲
を 極 めて せ ま く限 定 した朗 読 テ ス トで あ っ た と推 定 され る。 学 問 は で き るが 中
国 語 の 発 音 は だ め とい う人 が い た はず で あ り, む しろ ほ とん ど がそ うで あ った
で あ ろ う。中 国 語 発 音 の試 験 を厳 格 にや っ て こ うい う秀 才 を逃 して し ま って は
元 も子 もな い。 例 外 条 項 の追 加 は避 け られ な か った。
この 例 外 条 項 は, 事 実 上 す べ て の受 験 者 に適 用 され る こ とに な った に ちが い
な い。60年 あ ま り後 に 出 た869年 政 府 命 令 は, そ の間 の事 情 を伝 え て い る: 「近
ご ろ聞 く とと ろで は, 〔試 験 官 た ち は〕 好 き嫌 い をほ しい ま ま に して 人 を選 び,
﹁ 呉 音﹂ と ﹁ 漢 音﹂-105-密 教 文 化
正 しい方 針 を失 っ て い る。 中 国 標 準 音(漢 音)は
や め て, テ ス トを して い な
32)い。」 これ が 中 国標 準 音 に関 す る最 後 の政 府 命 令 で あ った。
「
僧 綱 所」 は式 部 省 の外 局 で, 僧 侶 の人 事 や 寺 院 管理 を行 う役所 で あ る が,
職 員 は事 務 官 で は な く僧 侶 で あ る。 僧 侶 資 格試 験 は 国家 試 験 で は あ る が, 実 際
に運 営 に たず さわ るの は 僧 侶 で あ る。試 験官 と受 験 生 は互 い に よ く知 っ てい る
仲 で あ り, 合 否 判 定 は仏 教 界 の実 情 に則 して な され た。869年
の政 府 命 令 は こ
の間 の事 情 を伝 えて い る。
720年 か ら869年 まで 日本 で 「漢 音 」 と呼 ばれ て い た の は, 当 時 の 標 準 中 国 音
で あ った。 これ は 日本 人 に と って 学 習 の到 達 目標 で あ った。 完 全 修 得 に成功 し
た者 もわ ず か な が らい た で あ ろ うが, ほ とん どの人 に修 得 不 可 能 な 音 が い くつ
か あ った。[sa](「 沙 」)や[ha](「 賀 」)な どが そ うで あ り, 円仁 の 時 代(793一
33)864)に
は 日本 人 に発 音 可 能 な[ri-a][ka]に
それ ぞれ 転 換 され て い た。 ま た,
閉 鎖 音 に終 る音 節 は, 日本 人 に発 音 しや す い よ うに母 音 が付 け られ る よ うに な
った: 「一 」['iet]>[it-i],
「
暦 」[lek]>[rek-i]。
9世 紀 に な る と音 博 士 も 日本 人 に な り, 838年 の藤 原 常 順 使 節 団 を最 後 に遣
唐使 の 制度 も廃 止 され, 中 国 語 を じか に聞 くこ とは な くな っ た。 こ う して, 標
準 中国 音 は 日本 語 の音 韻 体 系 の中 で 再 編 成 され, 「
呉 音」 に次 いで 第2の
日本
漢 字 音 が成 立 す る こ とに な った。9世
紀末 か ら今 日ま で 「漢 音 」 と呼 ば れ て い
る もの が これ で あ る。8世 紀 以 来 新 標 準 中 国音 を普 及 させ よ う とした 政府 の努
力 は失 敗 に帰 した が, 第2日 本 漢 字 音 の成 立 とい う形 で実 を結 ん だ。
III
8世 紀 の 日本 で, 中 国語 の テ キ ス トを見 なが ら同時 通 訳 を す る方 法 が考 案 さ
れ た。 漢 字 の一 つ一 つ が 日本 語 の単 語 を表 記 して い る と仮定 し, 日本 語 の シ ン
タ ッ クス に合 わせ て読 む順 序 を変 え, 中 国 語 に な い形 式 語(助
詞 ・助 動 詞)は
補 う。 この場 合, 合 成 語 は翻 訳 せ ず に外 来 語 と して扱 うこ とが多 い。 「訓 読 」
と呼 ばれ る こ の方 法 は, 中 国 語 と日本 語 の いず れ に も極 めて 高 度 な 学 力 を必 要
とす る。 た ち どこ ろ に これ が で き る ほ どの学 力 を持 つ 人 は極 めて か ぎ られ て い
た で あ ろ う。そ こで, 「虎 の巻 」 が作 られ る。 日本 語 の 語順 を示 す 記 号 や 番 号
-104-を付 け, 中 国 語 に ない 形 式 語(助 詞 ・助 動 詞)を 示 す文 字 や符 号 を 打 つ。 翻 訳
す る語 の 対 応 日本 語 や 翻 訳 しない 語 の 音 価 を書 き込 む。 訓 読 の た め に テ キ ス ト
の 行 間 や 文 字 面 に書 き加 え られ た 文 字 と符 号 を 「
訓 点 」 とい い, 訓 点 の 加 え ら
れ た 写 本 を 「訓 点 本 」 また は 「加 点本 」 とい う。 な お, 訓 点 の 中 で ア ク セ ン ト
を示 す もの を 「声 点 」 とい う。加 点本 を調 べ て, 翻 訳 され ず に外 来 語 扱 い され
て い る 語(漢 語)の
側 に 書 き込 まれ て い る音 価 指 示 を 見れ ば, そ の テ キ ス トが
呉 音 ・漢 音 の どち らで 読 ま れ た の か判 る。
年 代 の判 っ て い る密 教 文 献 の加 点 写 本 で 一番 古 い の は, 石 山 寺 本 『
金 剛頂 諭
伽 中 略 出念 謂 経 』 で あ る。883年 に 加 点 され た も ので あ る が, 漢 語 の読 み は呉
34)音 で 示 され て い る。 これ はVajrabodhiの
訳 で あ り, イ ン ド呪 文 を転 写 す る際
の 漢 字 の 用 法 に は, 新 標 準 中 国 音 が反 映 され て い る。 そ の よ うな 個 所 は呉 音 で
読 ん で は 意 味 が ない。 これ か ら二 つ の こ とが 明 らか にな る。a)こ
こ に収 め ら
れ て い る呪 文 は 中 国 か ら 口伝 に よ って伝 え られ た の で は な く, 文 献 で 伝 え られ
て 日本 で文 字 か ら再 現 され た。b)720年
の 天 皇 布 告 か ら160年 もた ち, そ の 間
執 拗 な ほ ど政 府 命 令 が繰 り返 え され た に もか かわ らず, 仏 教 界 は これ に従 わ ず,
35)呉 音 で読 むべ き で な い もの ま で呉 音 で 読 んで い る。 加 点 写 本 で 見 る か ぎ り, 真
36)言 宗 と天 台 宗 で は9世 紀 に経 典 は呉 音 で 読 まれ て い た。9世
紀 に加 点 され た密
教 写 本 に は, ほ か に次 の よ うな もの が あ る: 石 山 寺 本 『金 剛 般 若 経 集 験 記』 巻
37)上(9世
紀 の 加 点); 石 山 寺 本 『
蘇 悉 地掲 羅経 略疏 』 巻 二 ・巻 七(延 暦 寺 の憐
38)昭 に よ る896年 の加 点); 石 山寺 本 『
守 護 國界 主 陀 羅 尼 経』 巻 第八(9世
紀 末 の
39)加 点)。
40)10世 紀 に加 点 され た密 教 文 献 の写 本 も, 呉 音 に よ る読 み を示 す。 大 東 急 記 念
41)文 庫 本 『實 相 般 若 波 羅 密 経 』(935年 の加 点); 宝 寿 院 本 『
大 毘 盧 遮 那経 随 行 儀
42)軌 』(948年 加 点); 石 山 寺 本 『
金 剛 頂 諭 伽 修 習 砒 盧 遮 那 三 摩 地 法 』(949年 の加
点); 醍 醐 寺 本 『金 剛 界 大 法 念 謂 次 第』 巻 上(10世
紀 の 加 点); 石 山寺 本 『
蘇 悉
43)地 掲 羅 経 略 疏 』 巻 四 ・巻 五 ・巻 六(951年
の加 点); 東 寺 金 剛 蔵 本 『
大 日経 廣 大
44)45)成 就 儀 軌 』(989年 の 加 点); 西大 寺 本 『
大 砒盧 遮 那 経 』(1000年 の加 点)。
た だ, 築 島 裕 に よ れ ば, 10世 紀 に な る と, 呪 文 部 分 だ け を漢 音 で 読 む 加 点 本
そ しつじ か らき よう46)が現 われ る とい う。京 大 本 『
蘇 悉 地 鵜 羅 経 』(空 恵 に よ る909年 の 加 点)と 大 東
﹁ 呉 音﹂ と ﹁ 漢 音﹂-103-密 教 文 化 47)
急 記念 文 庫 本 『
金 剛 界 儀 軌 』(文 慶 に よ る987年 の加 点)が
それ で, い ず れ も本
文 が呉 音 で読 まれ, 呪 文 部 分 の み が漢 音 で 読 まれ て い る とい う。 しか しな が ら,
「呪 文 部 分 が 漢 音 で 読 ま れ て い た
」 とい う表 現 は 正 し くな い。
987年 加 点本 『金 剛界 儀 軌 』 の テ キ ス トは, 空 海 の 『金 剛 界 〔大〕儀 軌』 で は
48)な く, そ の 基 に な ったAmoghavajra訳
『
〔金 剛 頂〕蓮 華 部 〔
心 念 諦〕儀 軌 』 の こ
とで あ る。 これ が 『金 剛 界 儀軌 』 と略 称 され た のは, 真 言 宗 で 金 剛 界 法 の根 本
儀 軌 と され て い た か らで あ ろ う。
この 加 点 本 の 呪 文 部 分 は, 漢字 音 の清 濁 を ア クセ ン ト符 号 で 区別 す る最 古 の
49)ケ ム ハ シ ラ タ ト50)例 で あ る。 そ の1枚
目裏 に 「欠○●騨 ●日○羅二合 ●駄○観
」 とい う呪 文 が 見 え
る。 漢 字 の 隅 につ け られ た 点 は ア ク セ ン ト符 号 で, 右 上 の は 上 昇 ア ク セ ン ト,
左 上 の は 高 い 平坦 アク セ ン ト, 左 下 の は低 い平 坦 ア クセ ン トを示 す。 こ の符 号
は 同 時 に 清濁 を 区 別 して い て, シ ロマル は 清音, ク ロ マル は濁 音 を表 わ す。 「タ」
51)52) は 写 本 で は 「太 」 と な っ て い る。 「羅 」 は 「羅 」 の 写 し ま ち が い で あ る。 こ の 呪 文 の 音 価 が[kem-ba-si-ra-da-to]で あ る こ と が 判 る。 「欠」 「観」 は そ れ ぞ れ[ケ ム][ト]と 読 ま れ そ 漢 音 に 一 致 す る が, 「駄」 は [列 と読 ま れ て 漢 音([タ])で は な くむ し ろ 呉 音 に た ま た ま 一 致 す る。 テ キ ス トで は 「日羅 」 の 後 に 「二 合 」 と書 き 添 え られ て, 子 音 連 続[rds-ra]が 指 示 さ れ て い る。 「日 」 が 漢 音 の 完 全 形[ジ ツ]と 読 ま れ ず, 第2音 節 を 落 し て, [ジ]と 読 ま れ て い る。 漢 字 音 写 テ キ ス トの 指 示 に 従 っ て い る わ け で あ る。 ま た, 「嬉 」 が 単 に 「縛 」[bluak]の 異 形 字 と見 な さ れ て い た の な ら, 漢 音[バ ク]の 完 全 形 で 読 ま れ た は ず で あ る が, 第2音 節 を 落 し て, [バ]と 読 ま れ て い る。 こ れ は 漢 音 で も呉 音 で も な い。 テ キ ス トに 用 い られ て い る 「騨 」 は, イ ン ド音[va]を 転 写 す る た め に 作 られ た 字 で あ り, 「曜 」 は イ ン ド音[ra]を 転 写 す る た め に 作 られ た 字 で あ る。 「駄 」 の 表 記 す る 中 国 語 音 節 は[da]で あ る が, そ の 頭 音[d]はAmoghavajra訳 で 常 に イ ン ド音[dh]に 対 応 させ られ て い て, イ ン ド音[d]に 対 応 さ せ ら れ る こ と が な い。 中 国 語 テ キ ス ト[k'iam-va-jds-m-da-to]に 基 づ い て, イ ン ド呪 文[khapl vajradhatu]が 復 元 で き る。 こ れ か ら も判 る よ う に, Amoghavajraの 転 写 は, 極 め て 正 確 で あ る。 こ の 写 本 に つ け ら れ た 訓 点 を 見 る と, 「薩 」 は[サ ル]と 読 ま れ, 「達 」 は-102-53) [ダ ル]と 読 ま れ て い る。 こ こ で 示 そ う と し て い る の は, 日本 漢 字 音([サ チ]/ [サ ツ], [ダ チ]/[タ ツ])で は な く, サ ン ス ク リ ッ ト[sarva][dharma]の 第1音 節[sar][dhar]で あ る。 「駄」(漢 音 は[タ])を[ダ]と 読 む の は, 漢 音 至 上 主 義 の 立 場 で は な い。 「薩」 「達 」 を[サ ル][ダ ル]と 読 む の は, 日 本 漢 字 音 の 習 慣 を 尊 重 す る 立 場 で は な い。 ま た, 「日 曜 二合」 を[ジ ラ]と 読 む の は, 漢 字 音 よ り も そ の 背 後 に あ る イ ン ド音 の 方 を 重 ん じ る 立 場 で あ る。 日本 漢 字 音 の 知 識 だ け で は, こ の よ う に 読 む こ と は で き な い。 加 点 者 の 文 慶 は, 三 代 前 の 師 匠 円 珍 が858年 に 中 国 か ら持 ち 帰 っ た イ ン ド文 字 テ キ ス トを 手 も と に 持 っ て い た に ち が い な い。 Amoghavajraは 新 標 準 音 に 則 して イ ン ド呪 文 を 漢 字 に 転 写 し た の で あ る か ら, イ ン ド文 字 テ キ ス トを 参 照 し な が ら漢 字 テ キ ス トを 読 ん で 仮 名 を ふ れ ば, 54)
当 然 な が ら漢 音 で 読 んだ の と同 じ結 果 に な る こ とが多 い。 訓 点 を加 えた 文 慶 は,
呪文 テ キ ス ト全体 を漢 音 で 読 も う と最 初 か ら意 図 して い た わ けで は な い。 正 し
い イ ン ド呪文 の 復 元 し よ うと して い た だ けで あ る。
susiddhikarasutra(『
蘇 悉 地 謁 羅 経 』)の 訳 者Subhakarasilpha善
無
畏(637-735)が
中 国 へ 行 った の は716年 で あ り, 呪 文 転 写 は新 標 準 音 に則 して な され て
い る。 イ ン ド文 字 テ キ ス トを参 照 し日本 人 が復 元 す れ ば, 漢 音 に一 致 す る場 合
が多 くな るは ず で あ る。
真 言 宗 と天 台 宗 で 使 わ れ た 呪 文 文 献 や 呪 文 を含 ん だ文 献 は, ほ とん ど が新 標
準 音 公 認 以後 に 翻 訳 され た もの で あ り, 呉 音 で 読 ん だ の で は 正 しい 呪 文 が復 元
で き な い。10世 紀 に な っ て 呪文 を 呉音 に と らわ れ ず に読 む者 が で て きた。 そ し
て, 少 く と も呪文 だ け は漢 音 で読 ん で い る よ うに見 え る。 そ の 頃 にな って, や
っ と政 府 の方 針 に ほ ん の少 し敬 意 を表 して, 部 分 的 に漢 音 採 用 を始 め た の で あ
ろ うか。 そ うで は な い。 空 恵 が 『
蘇 悉 地 掲 羅経 』 に訓 点 を加 え た 時, 中 国 の 標
準 音 で 読 む よ うに命 ず る最 後 の布 告 が 出 て か ら40年 もた っ て い た。 遣 唐 使 は す
で に廃 止 され, 大 学 の中 国 語 教 育 は形 ば か りの もの に な っ て い た。 政 府 に 協 力
す る に はお そす ぎ る。10世 紀 に お け る呉 音 伝 統 離脱 の き ざ しは, 政 府 の 漢 音 奨
励 とは何 の関 係 も な い。 そ もそ も漢 音 を採 用 しよ う とす る意 図 な どな か った の
で あ る。 た だ, 漢 字 テ キ ス トに よ っ て正 しい 呪文 を復 元 し よ う と試 み た 結 果,
55)到達 した 漢 字 の 読 み 方 が た ま た ま漢 音 に一 致 す る こ とが多 か っ た にす ぎな い。
﹁ 呉 音﹂ と ﹁ 漢 音﹂-101-密 教 文 化
10世 紀 に呪 文 を呉 音 に と らわ れ ず に 読 む者 が で て き た とは い え, 確認 され て
い る例 は二 つ だ けで あ る。Vajrabodhiの
『
金 剛 頂 経 玲 伽 修 習 毘盧 遮 那 三 摩 地
56) 法 』 は, 全 体 で 約360行 ほ どの も の で あ る が, 40の 呪 文 を 含 む。Subhakarasimha と一 行 の 『大 毘 盧 遮 那 〔成 佛 神 慶 加 持 〕経 』 に は 呪 文 が 散 在 し, 300行 ほ ど呪 文 57)が密 集 して い る 個 所 が 二 つ あ る。 東 寺 金 剛 蔵 本 の 『大 日経 廣 大 就 儀 軌 』 は,
58) 59)Subhakarasimha訳
で あ る に して も法 全 撰 で あ る に して も, 呪 文 を含 ん で い る。
す べ てBodhiruci以
後 の訳 で あ る か ら, 呪 文 は新 標 準 音 に則 して転 写 され てい
る。 『大 毘 盧遮 那経 随 行 儀 軌 』 は, テ キ ス トを点 検 して い な い が, 題 名 か ら見
て 胎 蔵法 の 儀軌 で あ る か ら, Subhakarasimhaま
た はAmoghavajraの
訳 であ
り, 新 標 準 音 に則 して転 写 した呪 文 を含 ん で い る は ず で ある。 こ の よ うな文 献
が, 10世 紀 の加 点 本 で は呉 音 で読 まれ て い る。
京 大 本 『蘇 悉 地 謁 羅経 』 と大 東 急 記 念文 庫本 『金剛 界 儀軌Jの
加 点 に 示 され
る イ ン ド音 尊 重 の態 度 は, 宗 教 界 の方 針転 換 を示 す も の で は な く, 個 人 的 な文
献 研 究 の成 果 にす ぎな い と言 え よ う。そ して こ の二 つ の加 点 本 は いず れ も天台
60)宗 で 作 られ た もの で あ り, 漢 字 テ キ ス トに よ る呪 文 復 元 の作 業 は, 真 言 宗 では
な く天 台 宗 で始 め られ た よ うで あ る。
IV
10世 紀 に全 巻 が漢 音 で 直 読 され てい た 密教 文 献 が一 っ だ け あ る。 ほ か な らぬ
MahamayurividyamayuriのAmoghavajra訳,
『
佛 母 大 孔 雀 明 王 経』 で あ る。
956年 本(三 冊本)『 孔 雀 経 音 義 』 は, 『
孔 雀経 」 の 語 句 を 選 ん で そ の 音 価 と意
味 を示 す が, 反 切 に よ る音 価 指 示 を見 る と, 呪 文 部 分 だ け で は な く, 中 国 語 テ
キ ス トの 部 分 も漢 音 で 読 まれ て い る。 ち な み に, 「佛 母 大 孔 雀 明王 経 」 は[フ
61)ツ ボ ウ タイ コ ウ シヤ クベ イ ワ ウ ケイ]と 読 まれ て い る。
9世 紀 の 真 言 宗 と天 台 宗 で は, VajrabodhiやAmoghavajraが
新 標 準 音 に
則 して転 写 した 呪文 さえ, 強 引 に呉 音 で 読 んで い た。10世 紀 前 半 にな っ て も情
況 は変 らな い。 周 囲 が この よ うに呪 文 に対 して は な は だ 慎 重 さ を欠 く中 に あ っ
て, 956年 本 『孔 雀 経 音 義 』 の著 者 は, 実 に手 堅 くテ キ ス トを扱 って い る。 反
切 に よ る音 価 指 示 は極 め て 入念 で あ り, 漢 字 転 写 に よ っ て で は あ るが, 説 明 の
た め に しば しば サ ン ス ク リ ッ ト語 形 を あげ て い る。 この 注 釈 書 の 執 筆 に先 立 ち,
-100-著 者 は イ ン ド文 字 テ キ ス トとの 照合 を行 って い る の で あ る。8世 紀 中 国 の標 準
音 に則 して 転 写 が な され て い る こ とは, この 照合 を通 じて 気 づ い た よ うで あ る。
と ころ で, 『孔 雀 経 』 に基 づ い て初 め て 呪 術 を 実 際 に 行 った の は, 醍 醐 寺 の
62)創 始 者 聖 宝 で あ る。902年
の こ とで あ った。 そ の後910年
か ら927年 ま で の17
年 間 に, 東 寺 長 者 兼 醍 醐 寺座 主 の観 賢 と東 寺 長 者 の 観宿 が, 『
孔 雀 経 』 の呪 術
63)を合 わせ て5回 行 って い る が, そ の後33年 もの空 白 が あ る。 と ころ が, 956年
本 『孔 雀 経 音 義 』 が 出 た 直後, 960年 か ら967年 ま で の7年 間 に, 東 寺 長 者 兼 仁
64)和 寺 別 当 の寛 空 が5回
もこ の呪 術 を実 践 して い る。
10世 紀 に な っ て, この よ うに 『孔 雀 経 』 に基 づ い て呪 術 が実 際 に行 われ る よ
うにな る と, ま っ さき に 求 め られ る の は真 正 な 呪 文 テ キ ス トで あ ろ う。956年
本 『孔 雀 経 音 義 』 に 見 られ る よ うな本 格 的 な本 文 研 究 は, 宗 門 の強 い期 待 を に
な うもの で あ った の か も知 れ ない。
65)一 条 天 皇 の 中 宮 彰 子 の 出産 が あ った1009年 に3回 行 われ た 以外, 11世 紀 に な
る と 『孔 雀 経 』 の呪 術 は長 ら く途 絶 え る が, 1065年 に突 如 復 活 し, 1099年 まで
66)の35年 間 に34回 も行 わ れ てい る。 この 間 に加 点 され た 『
孔 雀 経 』 の写 本 には,
67) 68) 大 東 急 記 念 文 庫 本(下 巻, 1091年 の 加 点)が あ り, 漢 音 に よ る 読 み を 示 す 。 続 い て, 12世 紀 の 加 点 本 に は,高 山 寺 本(中 ・下 巻, 12世 紀 初 め の 加 点)と 仁 和 寺 本(1197年 の 加 点)が あ り, 13世 紀 の 加 点 本 に は, 国 会 図 書 館 本(13世 紀 初 め の 加 点)とBritish Museum本(13世 紀 中 ば の 加 点)が あ る が, い ず れ も 69)漢 音 で 直 読 され て い る 。
ブ ッ ダ(〔 真 理 に〕目覚 め た者)か
ら聞 い た話 を伝 え る経 典(sutra)の
形 を と
って い る も の の, Mahamayurividyarajniは
い わ ば 呪文 集 と呪 文 解 題 を兼 ね た
もの で あ る。8世 紀 の 中 ば に作 られ たAmoghavajra訳
で, イ ン ドの 呪 文 は 中
国 の新 標 準 音 に則 して漢 字 に転 写 され た。 こ の 中 国文 字 テ キ ス トに よ って イ ン
ド呪文 を 日本 で 復 元 す る に は, 日本 語 音 韻 体 系 の枠 内 で す る ほか な く, ど っ ち
み ち 元 と全 く同 じ とい うわ け に はい か な い。 しか しな が ら,新 標 準 音 に よ る中
国 文 字 テ キ ス トを旧 標 準 音 の 日本 版 で あ る呉 音 で読 ん だ の で は, 新 ・旧 標 準 音
の差 だ け距 離 が で き る。 不 必 要 に元 の呪 文 か ら離 れ る こ と にな るの で あ る。
呪文 の 音 を変 え る とい うの は致 命 的 な こ とで あ り, 音 の 変 った 呪 文 は もは や
﹁ 呉 音﹂ と ﹁ 漢 音﹂-99-密 教 文 化
呪 文 の 効 力 は あ りえ ず, 無 意 味 な雑 音 にす ぎ ない。 例 え ば, 第1巻 冒 頭 に"idi
70)vidi kidi hidi"に 始 ま る 呪 文 が あ る が, Amoghavajraは こ れ を 「伊 臓 尾 風 枳 賦
17)
咽臓 」 と漢 字 に転 写 して い る。 捲 舌 音[d]と 声 門摩 擦音[h]は10世
紀 の 日本 語
に な か っ た の で, 「
賦 」 と 「咽 」 の 頭 音 は, 日本 語音 韻 体 系 の枠 内 で それ ぞれ
72)
歯 茎音 と軟 口蓋 閉 鎖 音 に転 換 され る。 この 中 国文 字 音 写 テ キ ス トは, 当 時 の 漢
音 で[idi bidi kidi kidi]と 読 まれ, そ れ ほ ど元 の もの と変 らな い が, 呉 音 で は
[ini mini kini kini]と 読 まれ, 元 の 呪 文 とは似 て も似 つ か ぬ もの に な る。
幼 い時 に仏 門 に入 り, 中 国 古 典 の 教 育 を受 け た こ とが な く, 仏 典 だ け を呉 音
で読 んで き た者 に とって, 漢 音 で 一 つ の テ キ ス トを暗 諦 す る の は, い わば 未 知
の外 国 語 の 本 を暗 記 す る の と同 じで あ る。 根 気 よ く一 字 一 字 の 漢 音 を確 めて い
く しか な か った。 反切 に よる音 価 表 記 を最 も必 要 とした の は この 人 々 で あ った。
現 存 す る最 古 の音 図 が小 冊 子 本 『
孔 雀 経 音 義 』 の 写 本 に書 き込 ま れ て い る の は,
決 して 偶然 で は な い。 音 図 は反 切 用 の用 具 で あ った。
9世 紀 に な る と, 経 典 以外 の仏 教 文 献 は も っぱ ら訓 読 され る よ うに な る が,
73)知 恩 院 本 『大 唐 三 蔵 玄 奨 法 師 表 啓 」(9世
紀 の加 点)な
どに加 え られ た訓 点 を
見 る と, テ キ ス ト中 の漢 語 は呉 音 で 読 まれ て い た。10世 紀 に も情 況 は 同 じで,
74)天 理 図 書 館 本 『南 海 寄鋸 内法傳 』 巻 一 ・巻二(11世
紀 の加 点)の
よ うに, 11世
紀 にな って も呉 音 で 加 点 され て い る もの が あ る。
とこ ろが, 11世 紀 末 以 後 に な る と, この種 の文 献 はす べ て漢 音 で 訓 読 され る
75)よ うに な る: 興福 寺 本 『大 慈 恩寺 三 蔵 法 師 傳 』(1099年 の加 点), 法 隆寺 本 『大
唐 西 域 記』(1126年 の加 点)。 な お, 例 外 的 に古 い 漢 音 加 点 本 に, 興 聖寺 本 『
大
76)唐 西域 記』(10世 紀 ご ろの 加 点)が
あ る。
ま た, 日本 で 作 られ た 文 献 も, 11世 紀 末 には 漢 音 で訓 読 され て い る。 空 海 の
著作 で は次 の もの が加 点 写 本 で 残 っ てい る: 東 大 本 『恵果 和上 之 碑 文』(11世
77)紀 の加 点), 高 山寺 本 『
三 教 指臨 』(1100年
ご ろ の加 点), 図書 寮 本 『文 鏡 秘 府
78)論 」(1138年 の加 点), 大 東 急 記 念 文 庫 本 『遍 照 発揮 性 験 集 』(1179年 の加 点)。
11世 紀 にな る と, 漢 音 で 訓 読 す る 習 慣 が 広 く広 く知 識 人 の間 に広 ま り, 仏 教
の世 界 に も及 ん で い た こ とが うか が わ れ る。 僧 侶 も経 典 以 外 は漢 音 で訓 読 す る
よ うに な った と言 え よ う。 あ る い は, 呉 音 に よ る直 読 は儀 式 用 の 諦 経 の 際 だ け
-98-に 限 られ る よ う-98-に な っ た の か も知 れ な い。
79)なお, 現 在 『
理 趣 経 』 は漢 音 で直 読 され て い る。 古 い 加 点 本 が 未 調 査 で あ る
の で, 『
理 趣 経 』 の 漢 音 読 み が どれ ぐ らい古 くま で さか の ぼ る の か は ま だ判 っ
て い な い。 『
理 趣 経』 は 真 言 宗 の 根 本経 典 で は な い が, 日常 の調 経 用 経 典 と し
て は代 表 的 な もの で あ る。 これ が漢 音 で読 まれ る よ うに な った 理 由 が判 らな い。
この経 典 は呪 文 を含 ま な い か ら, 漢 音 で読 まれ た の は, 呪 文 を正 し く復 元す る
た め で は な い。 一 般 知 識 人 の耳 にな じみ や す い よ うに とい う考慮 か ら, 最 も よ
く使 わ れ る経 典 を一 っ だ け選 ん で漢 音 で読 む よ うに な っ た の で あ ろ うか。 も し
そ うな ら, 『理 趣 経 』 の漢 音 読 み は11世 紀 末 に さか の ぼ るで あ ろ う。 しか しな
が ら, そ うい うこ とをす る教i義上 の動 機 が真 言 宗 に あ っ たの で あ ろ うか。 『
理
趣 経 』 は 密 教 に は珍 ら し く大 乗 的 な経 典 で, 唱 え る と功 徳 が あ り, 聞 く と功 徳
80)が あ る とい う。ま た, 説 か れ て い る こ とに っ い て考 え る と功 徳 が あ る とい う。
は な は だ非 密 教 的 な こ とで は あ る が, この功 徳 を信 者 に もあ ず か らせ よ う とし
て漢 音 で読 む よ うに な った の で あ ろ うか。 『
理 趣 経 」 漢 音 読 み の 問 題 は真 言 宗
81) 史 研 究 で も 取 り上 げ る べ き 課 題 で あ り, 古 い 加 点 本 の 調 査 が 緊 急 に 望 ま れ る。 (つづ く) 注1) Arya-Maha-Mayuri Vidya-Rajni, ed. Shuyo Takubo, Tokyo, 1972.
2)義 浄, 『佛説 大 孔 雀 呪王 経 』, 『大 正 大藏 経 』, Vol. 19, 東 京, 1938, pp. 459-477. 3)イ ン ド ・ア ー リャ語 の 場 合 と同 じ意 味 で過 去 の 中 国 語 音 韻 体系 を再 構 す る こと は不 可 能 で あ ろ う。 イ ン ドの資 料 は言 語 す なわ ち 音(sabda)そ の も の を伝 え て い るが, 中 国 語 資 料 の場 合, 第 一 義 的 にavailableな の は文 字 で あ り, 言語 は表 意 文 字 の背 後 に隠 れ て い る。 標 準 音 とは 標 準 漢 字 音す なわ ち 「漢 字 に 対 応す る音 声 結 合(漢 字 の表 わ す 音) と して 広 く受 け入 れ られ て い る もの」 にす ぎず, そ うい う音 声 結 合 が そ の時 代 に実 際 に 用 い られ て い るか ど うか は 問 題 で は な い。 中 国 語 音 韻 史 で扱 われ るの は, 「漢 字 が ど う 読 まれ て い た か 」 と い う問題 にす ぎ な い。 4)こ の 推 定 は, 「首 都 の 話 し言葉 の変 化 につ れ て, 標 準 漢 字 音 も変 る」 と い う 前 提 に基 づ く。 た だ し, 「標 準 漢字 音 は も と も と 首 都 の話 し言葉 と は別 で あ った」 と い う前 提 を 設 定 す る こ と も可 能 で あ る。 も と も と標 準 漢字 音 が 長 安以 外 の土 地(も っと東 の地 方) の 話 し言 葉 を も とに した もの で あ った とす れ ば, 「あ る漢 字 の 標 準 音 と そ の 漢 字 に よ っ て 表 わ され る単語 の 長 安方 言 語 形 は, も とも と別 で あ った 」 と い うこ と に な る。 この 前 提 に立 て ば, この 時 代 に起 った漢 字 音 の 変 化 は, 「長 安の 人 々が 自分 た ちの 方 言 で 漢 字 を 読 む よ うに な った 」 と説 明す るこ とが で きよ う。 5)不 空, 『佛 母 大 孔 雀 明 王経 』, 『大正 大藏 経 」, Vol. 19, pp. 415-439. ﹁ 呉 音﹂ と ﹁ 漢 音﹂
-97-密 教 文 化 6)声 帯 の振 動が 停 止 しな い程 度 に 声 門が 開 い て 呼氣 が 出 る と, 有 声 の 声 門 摩擦 音[h]に な る。 7)Amoghavajraは, サ ンス ク リ ッ トの 無声 閉 鎖 音 〔・破 擦 音 〕に 次 の よ うな漢 字 をあ て る。 kam: 「剣 」[kiam] ta: 「多」[ta]
ku/ku: 「句 」[kiu]「 蹉」[ta]
「矩」[kiu] 「答」[tep]
「倶 」[kiu] ti:「 底」[tei] ke: 「計」[kei] te: 「底」[tei] kha: 「漢」[k'iei] pa:「 波」[pua]
khi: 「棄」[k'ii]「 肢」[pua]
ea: 「佐 」[tsa]「 鉢 」[puat]
ci: 「質 」[tiiet] pan:「 膀」[pan] chan: 「村 」[ts'uen] pi:「 比 」[pii] ta: 「咤 」[ta] pho:「 晋 」[P'o] 8)本 論 文, 附 録。 9)森 博 達(「 漢 字 音 よ り観 た 上 代 日本 語 の 母 音組 織 」, 『国 語 学 」, No. 126, 1981, pp. 30-42)に よ る と, 歌 謡 表 記 に用 い られ た 漢字 の用 法 か ら見 て, 『日本 書 紀 』 はa群(Vols. 14-19, 24-27)と β群(Vols. 1-13, 22-23)に 分 け られ る。 β群 の テ キ ス ト製 作 者 は 既 成 の 万葉 仮 名 を 用 い て い るが, α群 の テキ ス ト製 作 者 は新 標 準 中 国音 に基 づ いて 表 音 漢 字 を用 い て い る。 道 慈 ま た は 道慈 の 留 学 仲 間 の一 人 が α群 テ キ ス トの製 作 に関 与 した と 推 定 され る。720年 の 時点 で, 新 標 準 中 国音 は 日本 に は い ったば か りで あ り, これ に基 づ い て新 日本 漢 字 音(漢 音)が 成 立 す るの は も っ と後 で あ る。 この 意 味 で, α群 テ キ ス トは 日本 漢字 音 に よ る もの で は あ りえ な いが, テ キ ス ト製 作 者 の 日本 語 な ま りを反 映 し て い る可 能 性 は あ る。
10)『 日本書 紀 」, 下(『 日本 古 典 文 学体 系」, Vol. 68), ed. 坂 本 太 郎et al., 東京, 1965, P. 511:〔 朱 鳥 五 年 〕九 月 己 巳朔 壬 申, 賜 二音 博 士大 唐 績 守 言 ・薩 弘 恪, 書 博 士百 濟 末士 善 信, 銀 人 甘 両 一。(691年9月4日 に, 〔大 学 の〕中 国 語音 声 教 育 担 当教 官で 唐 か ら来 た 続 守 言 と薩 弘 恪 お よび 書 道 教 育担 当教 官 で百 済 人 の子 孫 善 信 に銀20両 を 給 わ った。) 11)辻 善 之 助, 『増 訂 ・海 外 交通 史 話 』, 東京, 1930, p. 69.
12)『 類 聚 三 代 格 』(『新 訂 増 補 ・国史 大 系』, Vol. 25), ed. 黒板勝美, 東京, 1936, Vol. 3, P. 136: 詔。…比 者 或 僧 尼 自出二方 法 一, 妄 作二別 音 一。遂使 二後 生 之 徒 積 習成 一。俗。 不 二肯 慶 正 一, 恐 濫二法 門一, 從 ・是 始 乎。 宜 下依 二漢 沙 門道 榮, 學 問 僧勝 曉等 一, 轄 経 唱礼, 鯨 音 並 停 上レ之。 養 老 四年 十 二 月 廿 五 日。『績 日本 紀 」 国史 大 系 刊 本(Vol. 2, P. 83)に よ り, テ キス トと訓 読 法 を 少 し変 え た。 13)注20を 見 よ。 14)『 続 日本 紀 』(『国史 大 系 』, Vol. 2), P. 446: 衰 晋 卿 二賜夏姓 ヲ清 村 ノ宿祢 土。晋 卿ノ唐 人 ナリ 也。 天 平 七 年 随重我 力朝 使 三蹄 朝 ス。時 二年 十 八 九。 學 皇得 テ文 選 爾 雅 ノ音ヨーZ。爲 生大 學 ノ音 博 士トー。 15)空 海, 『〔遍 照 襲 揮〕性籔 集J, 『日本 古 典 文学 体 系 』, Vol. 71, ed. 渡 辺 照 宏/宮 坂 宥 勝 東京, 1965, P. 257: …習 卿。 遙 慕 聖 風。 遠僻 本 族。 調爾 京 之 音 韻。 改 三 呉 之 誼 響。 口