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密教研究 Vol. 1925 No. 18 002松永 有見「密教発達史上に於ける観賢僧正 (續) P20-43」

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密 教 發 達 史 上 に 於 け る 觀 賢 僧 正   二 〇

松   永   有   見 第 六 章   觀 賢 曾 の 學 説 第 一 節 學 系 觀 賢 曾 正 の 顯 教 の 學 系 は 甚 明 ら か で な い 、 諸 傳 皆 青 年 の 時 南 郡 に 遊 と で 法 相 三 論 の 深 要 を 究 め た も か 、 或 は 三 論 を 兼 學 し た も か 、 或 は 維 摩 會 の 竪 義 を 勤 め て 雷 聲 を 振 つ た と か 云 ふ 様 な 記 事 は あ る が 、 其 の 師 承 は 全 く 明 了 を 鉄 い て 居 る 。 そ と で 之 れ は 想 像 に よ り て 考 察 す る 外 は な い 。 其 の 師 聖 賓 奪 師 が 、 三 論 の 大 學 匠 も し て 、 三 論 宗 を 中 興 し 、 且 つ 叉 其 の 所 位 の 地 な る 醍 醐 山 が 三 論 兼 學 の 道 場 で あ り 、 南 郡 の 東 南 院 が 三 論 の 本 山 で あ つ た 鮎 よ り 考 ふ る に 、 三 論 の 學 系 は 聖 賓 奪 師 で あ る と も は 想 像 す る に 難 く な い 様 で あ る 。 法 相 華 嚴 も 亦 師 聖 賓 の 衣 鉢 を 繼 い だ も の で あ ら う 。 小 野 の 仁 海 の 秘 密 宗 體 要 文 に 依 れ ば 、﹁ 修 學 不 退 、 顯 密 優 長 無 人 比 肩 ﹂ も あ る よ り 考 ふ る に 顯 教 の 方 面 に 於 て も 尊 師 聖 賓 の 後 を つ い で 常 代 の 教 界 に 獨 歩 し た と も ゝ 思 は れ る の で あ る 。 次 に 密 教 方 面 の 學 系 は 梢 明 か で あ お ﹃ 傳 燈 廣 録 ﹄ に よ れ ば 始 め は 貞 槻 關 師 眞 雅 愛 育 を 加 へ て 入 室 の

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弟 子 こ な し 、 十 八 契 印 及 び 南 部 の 大 法 を 授 け 、 後 に は 聖 賓 尊 師 に 随 ひ 寛 平 七 年 十 二 月 十 三 日 官 符 を 賜 ふ て 、 東 寺 の 灌 頂 院 に 於 て 傳 法 の 大 印 を 授 け ら れ 、 小 野 流 第 二 の 組 師 と な つ た こ 云 ふ の で あ る 。 之 れ に 依 れ ば 観 賢 借 正 の 密 教 の 系 統 は 、 眞 雅 、 聖 賓 二 師 の 直 系 を 受 け た と こ に な つ て 居 る 。 然 る に 他 方 面 よ り 子 細 に 考 ふ る 時 は 、 其 の 思 想 上 よ り す る も 、 其 の 學 系 よ り す る も 、 後 入 唐 宗 叡 の 傳 が 大 師 の 直 系 眞 雅 の 密 教 よ り も 多 く 加 味 さ れ て 居 る 様 で あ る 。 云 ふ ま で も な く 宗 叡 俗 正 は 、 胎 藏 系 中 心 の 台 密 よ り 出 で ゝ 入 唐 し 、 法 全 よ り 胎 藏 の 灌 頂 を 受 け 、 蹄 朝 の 後 實 慧 の 正 嫡 襌 林 寺 の 眞 紹 の 正 嫡 こ な つ て 、 東 密 に 入 り た る 人 で み る o 故 に 其 の 法 流 が 胎 臓 系 に 重 き を 置 き 台 密 の 思 想 を よ り 多 く 持 す る と も は 、 自 然 の 望 で な け れ ば な ら ぬ 。 そ と で 果 寳 師 の ﹁ 玉 印 鈔 ﹄ 三 の 巻 に 依 れ は 、 宗 叡 の 傳 は 小 野 廣 澤 の 雨 流 に 相 承 さ れ て 居 る 、 即 ち 小 野 流 は 宗 叡 ー 源 仁 -聖 賢 観 賢 ー ご 次 第 相 承 し 、 廣 澤 は 宗 叡 ー 暉 念 ー 玄 静 -紳 日 ー 寛 平 -寛 空 も 次 第 相 承 し て 居 る の で あ る 。 若 し 此 の 説 が 眞 を 得 た も の も せ ば 、 宗 叡 の 傳 は 小 野 が 其 の 正 系 を 傳 へ 、 廣 澤 は 其 の 傍 系 を 傳 へ た こ と に な る の で あ る 。 然 る に 小 野 廣 澤 二 系 の 密 教 中 、 何 れ が 宗 叡 の 正 傳 を 繼 承 し た か も 云 ふ 問 題 は 、 か な り 複 雑 な 問 題 で 容 易 に 決 定 す る こ も は 困 難 で あ る 。 ﹃ 傳 燈 廣 録 ﹄ 及 び ﹃ 呆 寳 血 脉 鋤 ﹄ の 下 巻 の 中 、 覚 乗 信 都 の 説 に よ れ ば 、 聖 寳 は 眞 雅 入 室 の 秘 臓 の 弟 子 な り 、 傍 つ て 真 雅 信 正 源 仁 に 大 師 相 承 の 聖 教 を 加 え て 依 付 し て 曰 く 、 聖 賓 成 立 の 時 潟 瓶 す べ し ご 、 密 教 發 達 史 上 に 於 け る 観 賢 僧 正   二一

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密 教 發 達 史 上 に 於 け る 觀 賢 僧 正   二 二 又 盆 信 は 宗 叡 入 室 秘 藏 の 弟 子 な り 、 故 に 法 全 相 承 の 聖 教 を 以 つ て 源 仁 に 依 付 し て 曰 く 、 盆 信 成 立 の 後 傳 付 す べ し も 、 之 れ に よ つ て 源 仁 信 都 、 聖 寳 に 授 く る に 眞 雅 相 承 の 金 剛 界 多 法 界 の 洪 門 を 以 つ て し 、 盆 信 に 授 く る に 宗 叡 相 承 の 一 法 界 胎 藏 爲 本 の 極 意 を 以 つ て し た こ 云 ふ の で あ る 。 醍 醐 流 の 中 に も 此 の 説 を 爲 す も の が あ る 。 豊 山 の 権 田 雷 斧 師 は 專 ら 此 の 説 に よ り て 、 小 野 廣 澤 爾 流 の 不 同 を 見 と こ す る 様 で あ る 。 ( 密 教 第 一 號 参 照 )豊 山 の 法 住 の ﹃ 管 絃 相 承 義 ﹄ 亦 同 一 意 見 な る が 如 し 。 然 る に 吾 人 の 所 見 に よ れ ば 之 等 の 説 ご は 全 く 違 つ た 結 論 に 到 達 す る の で あ る 。 想 ふ に 密 教 に は 一 法 界 、 多 法 界 、 金 剛 頂 宗 、 胎 藏 宗 の 二 大 思 想 の 系 統 が 、 遠 く 印 度 支 那 の 密 教 よ り 流 れ て 居 る 。 大 師 は 此 の 二 系 の 密 教 を 傳 へ て 渾 然 一 體 と 爲 し 、 不 二 の 眞 言 密 教 を 開 い た 。 そ こ で 大 師 は 實 慧 に 授 く る に 胎 は 外 五 胎 の 印 に 烈 禽 τ 褒 慮 の 明 、 金 は 無 所 不 至 の 印 に 歸 命 す の 明 を 以 て し 、 眞 雅 に 授 く る に 、 爾 部 共 に 塔 印 に す 明 を 授 け 給 ふ た 。 是 れ 明 ら か に 眞 雅 に は 不 二 一 法 界 の 法 門 を 授 け 、 實 慧 に は 而 二 多 法 界 の 法 門 を 授 け た の で あ る 。 後 年 小 野 廣 澤 雨 流 分 派 の 起 原 は 早 く も こ と に 存 す る 。 而 し て 眞 雅 の 法 は 直 ち に 南 地 院 の 源 仁 に 傳 へ 、 實 慧 の 法 流 は 眞 紹 宗 叡 も 相 承 し 、 宗 叡 よ り 源 仁 に 傳 へ た の で あ る か く し て 眞 雅 實 慧 二 系 の 密 教 は 一 度 源 仁 に よ り て 統 一 さ れ る こ ご に な つ た 。 然 る に 源 仁 は 實 慧 真 雅 の 二 系 の 密 教 を 相 承 し た の み な ら す 、 新 た に 台 密 及 び 法 全 の 法 流 を 傳 へ た る 當 代 の 新 智 識 宗 叡 の 傳 を も 繼 承 し た も の で あ る か ら 、 其 の 密 教 は 餘 程 豊 富 に し て 且 つ 複 雑 な も の も な つ た と も は 想 像 す る

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に 難 く な い も 思 ふ 。 そ と で 源 仁 曾 都 は 聖 寳 に 授 く る に 實 慧 系 の 多 法 界 の 法 門 ご 宗 叡 系 の 胎 藏 爲 本 の 宗 義 を 以 つ て し 盆 信 に 授 く る に 眞 雅 の 一 法 界 の 法 門 も 金 剛 頂 宗 の 宗 義 と を 以 つ て し た の で あ る 。 但 し 普 通 の 説 に 依 れ ば 胎 藏 は 一 法 界 、 金 剛 界 は 多 法 界 と 見 る の で あ る が 、 勘 く も も 小 野 廣 澤 分 派 以 後 の 密 教 に あ り て は 、 之 れ ` 反 封 に 、 胎 藏 を 多 法 界 も し 、 金 剛 界 を 一 法 界 と 見 る べ き 理 由 の 多 々 あ る は 、 主と し て こ ゝ に 原 因 す る の で あ る ま い か 。 然 ら ば 源 仁 は 何 故 に 盆 信 聖 賓 の 二 人 に 別 種 の 法 門 を 授 け た か も 云 ふ に 、 吾 人 の 私 見 に よ れ ば 、 聖 賓 は 三 論 宗 の 大 挙 匠 で あ る 、 三 論 の 教 義 は 由 來 諸 法 の 實 相 を 開 顯 す る に あ る 、 諸 法 の 實 相 を 開 見 す る 所 、 そ と に は 無 蓋 の 賓 藏 あ り て 、 所 謂 多 法 界 多 差 別 の 諸 法 の 存 在 を 肯 定 し な け れ ば な ら ぬ 必 然 の 歸 結 も な る の で あ る 。 換 言 す れ ば 諸 法 實 相 の 三 論 は 一 縛 す れ ば 、 否 定 よ り 肯 定 に 出 で ゝ 無 壷 の 徳 相 を 開 顯 す る 多 法 界 の 實 義 が 存 在 す る の で あ る 。 而 し て 胎 藏 大 日 經 は 實 相 論 的 教 系 に 属 し 、 且 つ 五 大 色 法 の 差 別 を 説 く も の で あ る 。 是 れ 聖 賓 奪 師 が 、 胎 藏 爲 本 の 宗 義 も 多 法 界 の 法 門 も を 相 承 す る 所 以 で あ る ま い か 。 盆 信 は 元 法 相 の 學 匠 で あ つ た 。 法 相 宗 は 縁 起 論 的 教 系 に 属 す る も の で あ る 。 而 し て 縁 起 論 的 法 門 は 、 一 よ り 多 差 別 の 縁 起 を 説 き 、 叉 は 多 差 別 の 世 界 よ り 、 眞 如 無 相 の 一 元 に 歸 入 せ し め と も す る 法 門 で あ る 。 換 言 す れ ば 縁 起 論 的 法 門 は 、 遂 に 一 法 界 無 相 の 極 理 に 蹄 す べ き 必 然 の 道 理 を 有 し て 居 る 。 是 れ 盆 信 が 縁 起 論 的 教 系 に 屡 す る 、 金 剛 界 一 法 界 の 法 門 を 相 承 す る に 適 當 な る 所 以 で あ ら う 。 金 剛 界 の 曼 茶 羅 が 、 羯 磨 會 、 三 摩 耶 會 、 微 密 教 發 達 史 上 に 於 げ ろ 観 賢 僧 正   二 三

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密 教 發 達 史 上 に 於 け る 觀 賢 僧 正   二 四 細 會 、 供 養 會 、 四 印 會 よ り 遂 に 猫 一 法 身 の 一 印 會 に 歸 し 、 更 ら に 一 印 會 よ り 理 趣 會 等 の 曼 茶 羅 を 縁 起 す る を 考 ふ れ ば 、 思 半 ば に 過 ぐ る で あ ら う 。 蓋 し 支 那 に あ り て は 、 善 無 畏 三 藏 は 實 相 論 的 教 系 に あ る 法 華 三 昧 を 得 て 後 密 教 に 入 り 、 胎 藏 大 日 經 を 傳 へ 、 一 切 諸 法 の 體 性 は 無 相 平 等 の 一 如 の 法 な り も し て 、 一 法 界 の 深 義 を 傳 へ 、 金 剛 智 三 藏 は 瑜 伽 唯 識 の 縁 起 論 的 法 門 を 得 て 後 密 教 を 學 ぴ 、 金 剛 界 の 法 門 を 傳 へ 、 不 空 三 藏 は 之 れ を 繼 承 し て 、 金 剛 界 多 法 界 の 法 門 を 傳 へ た 。 日 本 に 於 て 台 密 は 法 華 も 大 日 經 を 中 心 こ す る 、 一 法 界 の 密 教 を 主 し て 傳 へ 、 束 密 に あ つ て は 、 元 よ り 雨 部 は 不 二 一 雙 の 法 門 で 、 一 を も 廢 す る こ ご は 出 來 ぬ 、 然 れ こ も 台 密 の 胎 藏 二 法 界 の 法 門 を 主 こ す る に 封 す れ ば 、 多 法 界 金 剛 頂 爲 本 の 宗 義 を 本 も す と 云 ふ も 差 問 あ る ま い ご 思 ふ 。 か く し て 高 組 以 前 の 密 教 に あ り て は 、 胎 藏 を 一 法 界 と し 、 金 剛 を 多 法 界 こ し て 纏 承 し た の で あ る が 、 高 組 の 六 大 縁 起 の 説 は 寧 ろ 胎 藏 は 五 大 の 色 法 を 主 と す る 本 有 の 法 門 で あ る か ら 、 多 法 界 の 法 門 も し 金 剛 は 一 相 一 味 果 上 の 法 門 で あ る か ら 、 ﹁ 法 界 の 法 門 に 近 し も 爲 し た 様 で あ る 尤 も 一 多 一 種 の 法 門 は 、 何 れ も 宗 の 實 義 で 雨 説 相 待 つ て 眞 言 宗 義 の 完 壁 を 得 る も の で あ る か ら 、 若 し 、 其 の 實 義 を 得 れ ば 金 剛 界 を 一 法 界 も し 、 胎 藏 を 多 法 界 こ す る も 毫 も 支 障 の あ る 筈 は な い 。 さ れ ば 今 源 仁 信 都 が 其 の 機 根 に 應 じ て 、 胎 臓 多 法 界 の 法 門 を 主 こ し て 聖 賓 に 授 け 、 金 剛 一 法 界 の 法 門 を 盆 信 に 授 け た の は 、 支 肺 の 二 多 法 界 の 説 と は 反 封 な る も 、 高 組 の 眞 意 を 得 た 諦 見 の 阿 閣 梨 の 卓 見 で

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あ る 。 然 ら ば 小 野 を 胎 藏 爲 本 の 多 法 界 の 法 門 と し 、 廣 澤 を 金 剛 界 爲 本 の 二 法 界 の 法 門 も す る 、 文 献 的 證 據 は 何 れ に あ り や と 云 ふ に 、 小 野 は 胎 藏 の 無 所 不 至 の 印 に 鑁 明 を 最 極 の 秘 印 こ し 、 廣 澤 は 智 印 智 明 を 究 寛 の 極 位 と し 、 彼 れ は 灌 頂 を 初 金 後 胎 に 行 し て 從 果 向 因 の 大 日 經 宗 の 實 義 を 顯 し 、 此 れ は 初 胎 後 金 に 灌 頂 を 行 し て 從 因 至 果 の 修 生 門 金 剛 頂 經 の 宗 義 を 顯 は す が 如 き 即 ち 之 扎 で あ る 。 西 院 流 は 廣 澤 の 正 流 代 表 的 な 流 派 で あ る が 、 其 の 入 怯 の ﹃ 雨 部 秘 要 ﹄ に 金 剛 頂 經 十 八 會 の 中 の 第 十 六 會 を 無 二 平 等 瑜 伽 ご 名 け 、 之 れ を 大 日 經 胎 藏 の 法 門 な り こ す る は 、 金 剛 頂 爲 宗 の 教 義 を 最 も 明 了 に 顯 は し た も の で あ ら う 。 弘 融 の ﹁ 洗 遮 要 秘 鈔 ﹄ 、 榮 海 の ﹃ 嚴 避 ﹂ ﹃ 羅 鈔 ﹄ 等 は 皆 此 の 義 を 顯 は し て 居 る 。 か く し て 廣 澤 は 金 鵬 界 立 の 法 を 修 し 其 の 法 門 の 表 示 こ し て 猫 古 杵 を 持 す る の が 其 の 流 例 も な り 、 小 野 は 十 八 道 立 の 法 を 修 し 、 三 胎 杵 を 持 す る の が 古 來 の 慣 例 と な つ て 居 る 、 叉 小 野 が 灌 頂 に 初 二 三 重 等 の 差 別 重 位 を 重 ん じ 、 廣 澤 が 許 可 則 傳 法 も 稱 し て 、 許 可 の 外 に 傳 法 の 大 事 な し ご す る 、 是 れ 皆 小 野 廣 澤 の 根 本 的 不 同 の 精 紳 よ り 流 れ 出 す る 流 振 の 不 同 で あ る 、 随 っ て 曼 茶 羅 の 建 立 諸 尊 の 行 軌 悉 く 其 の 説 を 異 に す る に 至 つ た の で あ る 。 之 れ を 要 す る に 、 観 賢 僧 正 の 學 系 は 普 通 に 稱 す る 眞 雅 の 直 系 、 又 は 金 剛 頂 爲 宗 の 洪 門 な り も す る に 反 し て 、 小 野 流 に は 實 慧 宗 叡 二 師 の 影 響 が 頗 る 多 く 、 雨 部 の 内 に は 寧 ろ 胎 藏 本 有 爲 本 の 宗 義 を 有 密 教 發 達 史 上 に 於 け る 觀 賢 僧 正   二 五

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密 教 發 達 史 上 に 於 け ろ 觀 賢 僧 止   二 六 す ご 云 ふ の が 、 今 の 論 旨 の 要 鮎 で あ る 。 よ つ て 其 の 血 脉 を 示 せ ば 、 猶 小 野 廣 澤 爾 流 の 相 違 は 、 其 の 著 作 の 上 に も 遺 憾 な く 現 れ て 居 る 。 廣 澤 の 太 組 盆 信 俗 正 に は 、   、 金 剛 頂 蓮 華 部 心 念 誦 次 第 法   八 巻 一 、 金 剛 頂 蓮 華 部 心 持 念 次 第   四 巻 一 、 金 剛 界 次 第   二 巻 一 、 胎 藏 持 念 次 第   四 巻 ( 以 上 四 部 諸 宗 章 疏 録 に 出 づ ) の 四 部 あ り 次 に 小 野 の 太 組 聖 賓 奪 師 の 著 書 に は 、 一 、 疏   鈔 一 巻 一 、 胎 臓 次 第 一 巻

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一 、 五 大 虚 空 藏 式 法   一  巻 一 、 持 賓 金 剛 次 第  一 巻 ( 以 上 四 部 諸 宗 章 疏 録 に 出 づ ) の 四 部 あ り 、 以 つ て 一 は 胎 藏 を 重 と じ 、 一 は 金 剛 界 を 主 こ し た る 鮎 が 首 肯 さ れ る も 思 ふ 。 特 に 観 賢 僧 正 に 至 り て は 、 ﹃ 胎 藏 集 記 次 第 ﹄ 八 巻 、 ﹃ 胎 藏 次 第 ﹄ 一 巻 、 ﹁ 大 日 經 疏 鋤 ﹄ 四 巻 の 如 き 胎 藏 部 の 著 述 は あ る が 、 金 剛 頂 部 に 囑 す る 著 述 は 二 も な い の み な ら す 、 ﹃ 胎 藏 集 記 ﹂ に は 慈 覚 、 智 證 、 長 意 、 道 海 、 遍 照 、 安 然 等 多 く 台 密 系 の 説 を 列 挙 し た る が 如 き は 、 實 慧 宗 叡 の 二 傳 を 受 け た る 而 已 な ら す 、 如 何 に 台 密 の 説 の 尊 重 さ れ た か を 立 誰 す る に 足 る ご 思 ふ の で あ る 。 更 ら に 台 密 よ り 出 で た る 不 等 葉 の 血 脉 が 、 観 賞 信 正 よ り 出 つ る に 至 り て は 、 断 じ て 観 賢 僧 正 の 教 系 が 金 剛 界 系 に 非 す し て 、 眞 雅 よ り も 寧 ろ 實 慧 、 宗 叡 、 及 び 台 密 に 關 係 深 か き と も を 知 る べ き で あ る 。 然 る に 吾 人 は 常 に 怪 む 、 か く ま で 小 野 流 が 實 慧 宗 叡 系 に 深 か き 關 係 あ る に か ゝ わ ら す 、 古 來 の 傳 法 の 阿 闍 梨 は 、 小 野 も 廣 澤 も 悉 眞 雅 俗 正 の 直 系 で 、 實 慧 宗 叡 の 傳 に 非 す も 云 ふ と も で あ る 。 何 故 に 高 組 の 占止 嫡 を 継 承 せ る 實 慧 の 傳 も 、 其 の 付 法 の 正 嫡 た る 宗 叡 の 密 教 を 忘 る ゝ の で あ ら う か 、 之 れ 實 に 吾 宗 教 學 上 に 於 け る 最 重 要 な る 問 題 で な く て は な ら ぬ 。 然 ら ば 其 の 原 因 は 果 し て 何 所 に あ り や も 云 ふ に 、 吾 人 の 考 察 す る 所 に よ れ ば 、 實 慧 大 徳 は 性 常 に 隠 遁 を 好 と で 餘 り け ば く し い こ と が 嫌 い 密 教 發 達 史 上 に 於 け ろ 觀 賢 僧 正   二 七

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密 教 發 達 史 上 に 於 け ろ 觀 賢 僧 正   二 八 で あ つ た 。 之 れ に 反 し て 眞 雅 僧 正 は 衆 生 慈 慰 の 方 實 慧 に 及 ば す も 雖 も 、 一 期 八 十 年 間 公 請 に 倦 ま す 清 和 天 皇 の 異 常 な る 御 歸 依 に 依 り 、 其 の 勢 威 遙 か に 實 慧 の 正 嫡 、 眞 紹 僧 都 を 塵 し て 清 和 陽 成 二 帝 の 間 に は 、 東 密 の 教 界 に あ つ て 猫 歩 さ れ た 。 其 の 上 に 實 慧 曾 都 終 り に 臨 み て 、 大 師 相 承 の 秘 口 を 眞 雅 に 傳 へ た と 云 ふ こ と も あ り て 、 大 師 の 法 流 は 獨 り 眞 雅 信 正 を 正 嫡 と し 、 後 世 門 流 繁 榮 の 基 礎 こ な つ た の が 其 の 一 原 因 で あ ら う 。 併 し な が ら 猶 深 か く 之 を 考 ふ る 時 、 更 ら に 重 大 な る 原 因 が あ る 。 そ れ は 後 世 の 東 密 の 徒 が 台 密 の 混 亂 を 催 る 、 の 餘 り 、 台 密 系 の 宗 叡 を 排 斥 せ と が 爲 め に 、 實 慧 僧 都 の 傳 ま で も 、 忌 避 し た の で あ る ま い か 。 之 れ に は 相 當 有 力 な る 證 據 も あ る の で あ る が 、 後 の 機 會 に 譲 つ て 今 は 略 す る と こ に す る 。 第 二 節   其 の 事 相 ご 教 相 事 相 と 教 相 と が 後 世 の 如 く 分 離 せ す 、 渾 然 一 體 と な り て 活 作 用 を 現 し た る 當 代 に あ り て は 、 之 れ を 分 割 し て 説 明 す る は 、 當 を 得 ぬ こ と で あ ら う 。 併 し な が ら 説 明 上 の 便 宜 方 便 こ し て 今 も 叉 し ば ら く 分 割 し て 説 明 す る こ ご に す る 。 觀 賢 曾 正 に は 教 相 上 の 著 作 こ し て 有 名 な ﹃ 大 日 經 疏 鈔 ﹄ 四 巻 あ り 、 或 は ﹃ 般 若 寺 鈔 ﹄ こ も 稱 す 。 大 日 經 疏 の 文 義 を 抄 出 し て 、 其 の 心 要 を 集 ぬ た も の で あ る か ら 、 後 世 の 著 述 の 如 き 義 學 の 風 は 更 ら に な く 、 簡 古 明 透 な る 著 述 で あ る 。 鋤 全 體 と し て 經 疏 の 文 を 抄 記 せ る も の で あ る か ら 、 嚴 密 な る 意 味 よ

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り す れ ば 著 作 と は 云 ひ 難 い か も 知 れ ぬ 、 併 し な が ら 間 々 私 見 を 加 へ た る 所 、 義 旨 幽 深 に し て 能 ぐ 肯 繁 を 解 し 、 千 古 未 發 の 確 論 を 爲 す 稀 代 の 鰻 篇 で あ る 、 或 は 偽 作 な り ご 稱 す る も の あ る も 、 其 の 著 述 の 體 よ り 見 る も 、 内 容 の 簡 潔 に し て 力 あ る 所 、 決 し て 後 世 の 作 に 非 す 、 叉 凡 流 の 企 て 及 ぶ 所 で な い 古 徳 巳 に 推 賞 し て 止 ま な い も の で あ る か ら 、 偽 作 と し て の 確 證 の 挙 ら ざ る 以 上 は 、 眞 作 と し て 尊 重 す べ き も の で あ る 。 鋤 の 始 め に 疏 の 三 身 義 を 鐸 し て 、 加 持 身 者 是 れ 曼 茶 羅 中 臺 の 尊 な り 。 此 れ を 佛 の 加 持 身 と 名 く 報 身 に 當 る な り 。 亦 字 門 道 具 足 の 佛 と 名 く 、 亦 は 具 身 加 持 ご 名 く る な り 其 の 所 住 の 處 は 受 用 愛 化 身 に 通 す る 故 に 四 種 法 身 あ る な り 。 ( 原 漢 文 ) 此 の 文 は 経 の 教 主 成 就 の 句 、 ﹃ 薄 伽 梵 住 如 來 加 持 ﹄ 等 の 文 を 鐸 し た も の で あ る が 、 中 古 の 學 者 教 主 論 の 盛 ん な る に 随 ひ 、 此 の 鋤 の 文 が 物 議 の 中 心 と な り 、 遂 に 新 義 振 を 大 成 せ し む る ま で に 至 つ た こ と で あ る 。 根 來 の 頼 瑜 は 深 か く 教 主 義 を 研 究 し 、 他 門 に あ つ て は 智 證 の ﹃ 疏 鈔 ﹄ 、 安 然 の ﹃ 教 時 義 ﹂ 覚 苑 の ﹃ 演 密 抄 ﹄ 自 宗 に あ り て は 、 光 明 山 重 春 の ﹃ 教 相 鈔 ﹄ 、 實 範 の ﹃ 大 經 要 義 ﹄ 、 堀 池 信 證 吟 ﹃ 干 栗 駄 抄 ﹄ 等 の 説 を 博 覧 研 鑽 し た る 後 、 ﹃ 般 若 寺 鋤 ﹄ の 此 の 交 を 見 る に 及 び て 百 年 の 疑 雲 ﹁ 時 に 散 し 、 加 持 身 敷 主 の 新 説 を 唱 導 し て 、 新 義 派 の 學 説 を 創 建 す る に 至 つ た の で あ る 。 彼 の 名 著 ﹃ 大 日 經 指 心 抄 ﹄ 第 二 に 説 い て 密 教 發 達 史 上 に 於 け る 觀 賢 僧 正   二 九

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密 教 發 達 史 上 に 於 け る 觀 賢 僧 正   三 〇 曰 く 、 佛 の 加 持 身 者 薄 伽 梵 の 句 を 指 す 、 彼 の 句 本 地 加 持 を 含 む が 故 に 、 本 地 無 相 の 位 は 永 く 言 語 を 亡 す 加 持 身 は 是 れ 今 の 経 の 教 主 な る が 故 に 、 曼 茶 羅 中 臺 の 尊 ご 云 ふ な り 。 疏 の 第 三 に 曰 く 、﹁ 然 れ と も 加 持 を 以 つ て の 故 に 、 菩 提 自 證 の 徳 よ り 、 入 葉 中 胎 藏 身 を 現 す ﹂ と 此 の 意 な り 。 此 の 加 持 尊 特 の 理 佛 、 自 受 用 身 等 に 佳 す る が 故 に 、 ﹁ 當 報 身 ﹂ ご 云 ふ な り 。 (中 略 ) 本 地 自 證 の 位 に 言 語 な き が 故 に 加 持 身 を 現 ん じ て 今 の 經 を 説 く が 故 に 、 ﹁ 宗 門 道 具 足 ﹂ と 云 ふ な り 。 (中 略 )永 く 受 用 以 下 の 加 持 に 異 な る が 故 に 、 ﹁ 具 身 加 持 ﹂ ご 云 ふ な り 。 然 る に 古 徳 未 自 性 身 中 加 持 身 あ る を 知 ら す 、 或 は 本 地 自 性 の 説 ご 云 ふ て 、 而 も 經 疏 の 自 證 無 言 の 文 を 害 し 、 或 は 他 受 變 化 の 説 も 云 ふ て 、 而 も 顯 教 三 乗 一 乗 の 佛 に 同 す 、 恐 く は 疏 家 の 深 旨 を 隠 く し 、 宗 家 の 本 意 を 失 す 。 當 に 知 る べ し 、 中 臺 奪 を 以 つ て の 故 に 大 師 ﹁ 自 證 説 注 ﹂ の 義 を 壊 せ す 、 叉 加 持 身 を 以 つ て の 故 に 疏 家 の ﹁ 神 力 加 持 三 昧 ﹂ の 説 に 違 は す 。 云 々 此 の 説 は 自 證 の 極 位 の 絶 待 界 中 に 、 本 地 身 も 加 持 身 あ り と し 、 般 若 寺 鈔 の 曼 茶 羅 中 臺 の 尊 は 此 の 自 性 身 中 の 加 持 身 な り と す る の で あ る か ら 、 顯 教 の 餘 三 身 を 加 持 身 こ す る と 異 な り て 、 大 師 の 自 性 身 説 法 の 宗 義 に も 反 せ す 、 又 疏 家 の 加 持 身 説 法 の 文 義 に も 違 せ す と す る の で あ る か ら 頗 る 巧 妙 な る 説 と 云 ふ べ き で ゐ る 。

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勿 論 古 義 の 學 者 は 古 來 般 若 寺 疏 の 教 主 論 を 以 つ て 本 地 身 説 法 の 證 文 と し 、 妙 瑞 師 の 如 き は 、 本 地 身 説 法 方 の 五 家 中 に 数 へ て 居 る 。 併 し な が ら 古 義 の 解 説 は 常 に 無 理 な 鮎 が あ る 様 で あ る 。 例 せ ば 道 範 師 は 除 闇 鋤 第 三 (十 丁左 ) に 観 賢 信 正 の 説 は 、 経 の ﹁ 薄 伽 梵 本 地 身 ﹂ を 法 身 ご な し 、 加 持 身 を 報 身 も し て 、 本 地 身 を 能 住 の 佛 身 こ し 、 加 持 身 を 所 住 の 依 報 こ な し 、 以 つ て 中 臺 報 身 を 依 正 不 二 の 本 地 法 身 な り と 見 ん こ す る の で あ る 。 然 れ こ も 思 へ 、 般 若 寺 疏 は 明 ら か に 經 の 薄 伽 梵 の 句 に 封 し て 曼 茶 羅 中 皇 の 身 な り も し て 之 れ を 能 住 の 佛 身 と し 、 其 の 所 住 の 處 は 受 用 變 身 に 通 す と 見 て 此 の 能 所 住 に 就 て 四 種 法 身 を 見 ん と す る の で な い か 、 如 何 に し て も 無 理 の 解 鐸 で あ る 。 呆 寳 師 の 口 筆 に も 之 れ と 大 同 小 異 の 説 を な し て 居 る 。 次 に 宥 快 師 は 、 さ す が に 此 の 文 を 本 地 身 該 法 の 文 も 見 る を 困 難 と さ れ た が 宗 決 第 九 の 三 十 四 丁 に 、 般 若 寺 御 鐸 の 事 、 是 れ は 常 の 五 成 就 分 別 の 性 相 に 非 す 、 一 一 の 経 文 に 從 て 五 佛 三 身 等 の 分 別 あ る が 故 に 、 初 に 三 身 義 も 表 し て 此 の 鐸 を 成 さ る ゝ 乎 。 是 れ は 大 師 五 佛 四 曼 等 無 窮 の 御 配 鐸 の 通 め な り 、 然 ら ば 難 と は な ら す 。 ( 原 漢 文 ) も 、 然 れ ざ も 此 の 句 は 巳 に 經 の 教 主 成 就 の 句 を 鐸 し た も の で あ る か ら 、 た も ひ 、 般 若 寺 疏 に ﹁ 三 身 義 ﹂ の 見 出 し が あ る も 、 教 主 成 就 の 句 を 鐸 し た こ と は 、 文 の 前 後 の 關 係 よ り 見 る も 明 ら か な 事 實 で あ る ご 思 ふ 。 且 つ 曼 茶 羅 中 皇 尊 と 云 ふ の で あ る か ら 、 こ う し て も 教 主 ご 見 る の が 至 當 で あ ら う 。 其 密 教 發 達 史 上 に 於 け ろ 觀 賢 僧 正   三 一

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密 教 發 達 史 上 に 於 け ろ 觀 賢 僧 正   三 二 の 他 徳 川 時 代 の 古 義 の 學 者 實 詮 師 は 其 の ﹃ 大 日 經 教 主 義 ﹄ に 、 五 種 の 難 鮎 を 挙 け て 、 頼 瑜 師 の 説 に 手 嚴 し い 批 判 を 加 へ て 、 本 地 身 説 を 主 張 し 、 又 同 時 代 の 河 内 延 命 院 の 法 瑞 師 は ﹃ 般 若 寺 教 主 通 解 ﹄ 二 巻 を 著 は し て 、 此 の 文 を 本 地 身 説 法 の 的 據 も せ と と 努 め て 居 る が 、 要 す る に 餘 程 無 理 な 苦 し い 辮 解 で あ る ご 思 ふ 。 元 よ り 古 義 の 學 者 の 説 が 三 一 無 理 な 附 會 の 説 だ も 云 ふ の で は な い が 、 般 若 寺 疏 の 眞 意 は 、 虚 心 淡 懐 に 之 を 考 ふ る 時 は 、 瑜 師 の 如 く 見 る の が 適 切 で あ る ま い か も 云 ふ の で あ る 。 然 ら ば 高 組 の 眞 傳 を 得 た も 云 ふ 、 僧 正 が 何 故 に 大 師 の 本 地 自 性 の 説 に 背 い て 、 加 持 身 説 法 に 近 か き 説 を 立 て た の で あ る か 、 是 れ が 吾 人 の 研 究 の 中 心 問 題 な の で あ る 。 若 し 瑜 師 の 如 く 自 證 の 極 位 に は 説 法 な き が 故 に 中 壷 加 持 に 出 現 し て 大 日 經 を 未 來 機 の 爲 め に 説 い た も の こ せ ば 、 一 法 界 の 實 義 を 顯 す も の で あ る 。 換 言 せ ば 、 大 日 經 宗 を 表 こ せ ば 一 法 界 極 位 不 説 こ な ら な け れ ば な ら ぬ か ら で あ る 。 尤 も 大 日 維 胎 藏 の 法 門 を 一 法 界 こ す る は 、 且 く 疏 家 の 法 相 に 就 い て ゞ あ る 。 然 る に 観 賓 僧 正 の 學 系 は ざ う で あ つ た か 、 一 方 實 慧 系 の 多 法 界 の 法 門 を 綴 承 す る と 共 に 、 眞 雅 及 び 台 密 家 の 思 想 を 多 分 に 有 す る 宗 叡 の 大 日 経 中 心 の 思 想 を 多 く 相 承 し て 、 胎 藏 爲 本 の 宗 義 を 建 立 し た で は な い か 。 果 し て 然 ら ば 此 の 般 若 寺 疏 の 教 主 論 は 幽 微 に し て 充 分 其 の 意 を 解 し 難 き も 、 台 密 及 び 一 法 界 法 力 に 多 く 影 響 さ れ た の で あ る ま い か 。 そ こ で 台 密 系 の 教 主 論 を 顧 み れ ば 、 慈 覚 智 證 は 多 く 自 性 身 教 主 を 説 き 、 五 大 院 の 安 然 は 、 教 時 問 答 に 大 日 經 の 教 主 を 論 じ て 、

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大 日 經 、 金 剛 頂 經 、 喩 砥 經 は 是 れ 大 日 如 來 自 受 用 の 説 。 然 れ ざ も 自 受 法 樂 説 法 の 中 に 兼 て 他 受 變 化 身 の 事 を 説 き 、 以 自 受 法 樂 の 相 も す 。 ( 原 漢 文 ) も あ り 、 之 れ に よ り て 見 れ ば 、 安 然 の 教 主 義 は 正 し く は 自 受 用 身 を 教 主 も し 、 兼 て は 除 三 身 に 通 す る こ す る の で あ る か ら 、 般 若 寺 疏 の 教 主 論 も は 殆 間 髪 を 入 れ の 相 違 で は な い か 。 特 に ﹁ 自 受 法 樂 中 に 兼 て 他 受 變 化 の 身 を 説 く ﹂ も 云 ふ に 至 り て は 、 所 謂 、 ﹁ 曼 茶 羅 中 臺 尊 ﹂ と 云 ひ 、 ﹁ 具 身 加 持 ﹂ と 云 ひ 或 は ﹁ 字 門 道 具 足 の 佛 ﹂ と 云 ふ 意 義 が 導 き 出 さ れ る と 思 ふ の で あ る 。 安 然 が 同 時 代 の 先 輩 で 、 観 賞 信 正 が 安 然 に 負 ふ 所 多 き は 、 後 に 挙 く る ﹃ 集 記 胎 藏 次 第 ﹂ を 見 は 一 目 瞭 然 で あ ら う 、 か く の 如 く 考 察 す る と も に 依 り て 、 多 法 界 爲 本 の 小 野 流 よ り 、 一 法 界 爲 本 の 宗 義 の 生 ず る 意 義 が 、 始 め て 明 瞭 に な る と と ゝ 信 す る の で あ る 。 次 に 事 相 の 方 面 で あ る が 、 之 れ は 血 版 の 條 下 に 於 て 述 べ る こ と に し て 、 こ ゝ に は 略 し て 置 く 。 第 三 節 . 著   述 観 賢 僧 正 の 著 述 は 、 當 時 一 般 の 風 潮 の 如 く 事 相 方 面 の 著 述 が 多 い 。 尤 も 般 若 寺 疏 の 如 き 、 教 相 の 基 礎 と も な つ た 著 述 が あ つ て 、 後 代 に 非 常 の 影 響 を 及 し た こ と は 、 事 相 密 教 隆 盛 の 時 代 に あ つ て は 大 な る 異 例 で 、 特 筆 大 書 す べ き 價 値 の あ る も の と あ つ た が 、 殆 他 は 事 相 に 關 す る も の 許 り で あ る 。 一 、 大 日 經 疏 鈔 ( 般 若 寺 鈔 )   四   巻 日 本 大藏經佛教全 書 密 教 發 達 史 上 於 に け ろ 觀 賢 僧 正   三 三

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密 教 發 達 史 上 に 於 け る 觀 賢 僧 正   三 四 一 、 不 動 略 次 第   一 帖 醍 醐 寺 現 存 一 、 五 大 力 秘 鐸   一  帖 一 、 五 大 明 王 義   一 帖 金 剛 三 昧 院 現 存 謙 順 の 章 疏 録 に 云 く 、 ﹁ 按 す る に ﹃ 百 巻 鈔 ﹄ ご ﹃ 印 明 決 ﹄ と ﹃ 高 山 録 ﹄ ﹁薄 草 決 ﹂ と は 並 に 般 若 寺 と 云 ふ 。 有 説 に は 大 師 或 は 眞 然 と 爲 す は 皆 誤 れ り . 又 上 の 二 部 同 本 異 名 に 似 た り 、 更 に 詳 に せ よ ﹂ と あ り 。 五 大 力 秘 鐸 は 未 現 本 を 見 さ れ ば 校 合 す る に 由 な い が 、 信 正 が 醍 醐 山 中 院 に 五 大 堂 を 建 立 し た る よ り 察 す る も 眞 作 で あ ら う 。 一 、 如 意 輪 次 第 ( 相 覚 記 に 出 づ )   一  帖 一 、 文 殊 次 第 (印 明 決 に 出 づ )   一 帖 一 、 胎 藏 次 第   一 帖 金 剛 三 昧 院 現 存 裏 書 に ﹁ 般 若 寺 僧 正 授 淳 祐 本 ﹂ ご あ り 更 ら に ﹁ 金 剛 永 嚴 ﹂ の 奥 書 あ り 、 李 安 朝 末 期 の 爲 本 な り 。 金 剛 永 嚴 は 、 保 壽 院 流 の 開 組 の 永 巖 な る べ し 、 最 も 尊 重 す べ き 聖 教 で あ る 。 一 、 阿 砒 駄 密 記   一 帖 一 、 水 漱 喜 天 次 第   一 帖 醍 醐 寺 現 存

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一 、 神 供 次 第 一  帖   高 野 山 賓 亀 院 現 存 一 、 三 摩 耶 戒 式   二 帖 金 剛 三 昧 院 現 存 二 、 結 縁 灌 頂 私 記   一 帖 二 、 後 七 日 由 緒 作 法   一 帖 賓 亀 院 現 存 一 、 五 大 尊 合 行 記   三 帖 龍 光 院 現 存 一 、 理 趣 護 摩 圖   一 帖 醍 醐 寺 現 存 一 、 六 大 法 身 修 行 法   一 帖 金 剛 三 昧 院 現 存 一 、 五 輪 成 身 法 密 記   一 帖 同 此 の 二 帖 は 諸 宗 章 疏 録 に も な く 、 從 來 の 目 録 等 に は 凡 て 見 當 ら ぬ も の で あ る が   表 題 及 び 終 題 の 下 に 何 れ も 般 若 寺 も あ る を 以 つ て 、 信 正 の 著 作 な る こ ご は 、 殆 疑 ふ べ き 除 地 の な い も の で あ る 。 尤 も 篤 本 の 時 代 は 前 節 に は 、 天 文 十 入 年 己 酉 正 月 八 日 於 高 野 山 金 剛 三 昧 院 長 老 坊 良 識 洪 印 以 御 本 書 爲 傳 授 畢  金 佛 子 快 英   四 十 四 歳 ご あ り 、 後 者 は 奥 書 は な い が 南 北 朝 時 、代 の 爲 本 で あ る 。 六 大 法 身 修 行 法 は 、 主 こ し て 高 組 の 六 大 無 碍 常 喩 伽 等 の 二 頌 入 句 に 就 い て 、 印 、 眞 言 、 觀 念 を 示 し た も の で 、 此 の 種 法 身 観 の 最 初 の も の で あ ら う 。 密 教 發 達 史 上 に 於 け ろ 觀 賢 僧 正   三 五

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密 教 發 達 吏 上 に 於 け ろ 觀 賢 僧 正   三 六 五 輪 成 身 法 密 記 は 、 五 字 嚴 身 觀 の 次 第 法 を 示 し た も の で あ る 。 其 の 本 尊 観 の 處 に 過 去 久 成 本 尊 觀 と 云 ふ の が あ つ て 、 法 華 の 久 遠 實 成 の 本 尊 觀 を 想 記 せ し む る も の あ り 、 台 密 の 影 響 は こ ゝ に も 見 ら れ る の で あ る 。 但 し 本 尊 加 持 の 庭 に 五 重 の 密 印 を 説 き た る は 、 何 だ か 後 代 の も の ゝ 如 き 感 じ が す る 。 一 、 集 記 胎 藏 次 第   八 巻 金 剛 三 昧 院 現 存 此 れ は 延 喜 七 年 よ り 同 十 六 年 に 至 る 首 尾 十 年 間 に 、 遍 基 、 寛 救 、 延 壽 、 平 遍 、 淳 祐 の 五 八 の 爲 め し 口 授 し た る も の を 淳 祐 内 供 が 筆 録 し た も の で あ る こ と は 、 第 二 巻 の 奥 書 に 、 始 自 延 喜 七 年 至 同 十 六 年 九 月 九 日 受 學 巳 了 と あ り 、 叉 別 本 の 奥 書 に 始 自 延 喜 七 年 、 至 同 十 六 年 九 月 九 日 受 學 巳 了 、 同 學 四 五 人 者 、 遍 基 、 寛 救 、 延 壽 、 平 遍 、 淳 肪 是 傳 法 大 師 書 と あ る に よ る も 明 ら か で あ る 。 多 く は 内 供 の 著 作 目 録 に 載 せ て あ る も 、 僧 正 の 口 決 を 筆 記 整 理 し た る も の で あ る こ と は 明 瞭 で あ る 。 然 る に 其 の 次 第 の 印 を 説 く に 及 び て 、 慈 覚 、 智 證 、 遍 照 長 意 、 道 海 、 守 恵   南 忠 等 の 台 密 諸 家 の 説 を 述 べ 、 東 密 に は 宗 叡 の 傳 を 説 き 、 最 後 に 大 師 の 正 統 説 を 述 べ た の で あ ら う 。 以 つ て 此 の 書 が 如 何 に 入 家 の 學 説 を 網 羅 し て 、 集 大 成 せ と と し た か を 見 る と 共 に 、 台 密 の 影 響 の 決 し て 無 親 し て は な ら の と ご を 的 確 に 知 り 得 る で あ ら う 。 特 に 此

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の 書 は 安 然 の 胎 藏 界 封 受 記 に 負 ふ 所 が 多 い 様 で あ る 單 行 本 と し て は 、 以 上 十 八 部 二 十 入 巻 で あ る が 、 猶 此 の 外 に 、 ﹃ 三 十 帖 策 子 勘 文 ﹄ ど 云 ふ の が あ る 。 之 れ は 弘 法 大 師 績 年 譜 に あ り 、 三 十 帖 策 子 問 題 の 始 末 を 記 し た も の で あ る 。 ﹃ 石 山 内 供 口 傳 ﹄ 及 び 密 教 研 究 第 十 五 號 の 付 録 も し て 出 し た 道 場 觀 等 が あ る 。 第 四 節 信 正 の 門 下 入 唐 入 家 の 秘 奥 を 探 り 、 台 東 二 密 の 玄 首 を 究 め 、 顯 密 の 學 當 時 比 肩 す る 人 の な か つ た け あ つ て 其 の 付 法 の 弟 子 は 、 南 都 北 嶺 台 密 東 密 小 野 廣 澤 を 通 じ て 頗 る 多 く 、 仁 海 の 秘 密 宗 體 要 文 に 依 れ ば 、 ﹁ 七 十 三 人 在 別 紙 ﹂ と 云 ふ て 居 る が 、 其 の 別 紙 は 散 逸 し て 傳 は ら す 、 今 諸 種 の 血 脉 に よ れ ば 二 十 有 餘 人 に 達 し て 居 る 。 淳   鮖   石 山 内 供   正 嫡 一  定   醍 醐 山 の 座 主   座 主 相 承 の 始 組 遍   基   東 大 寺 兼 般 若 寺 平   遍   東 大 寺 以 上 の 四 人 は 延 長 三 年 二 月 二 十 三 日 、 般 若 寺 に 於 て 同 日 受 法 。 増   命   或 は 静 観 ご 云 ふ   叡 山 座 主 智 證 の 弟 子 密 教 發 蓮 史 上 に 於 け る 觀 賢 信 正   三 七

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な つ た 。 故 に 世 に 之 れ を 座 主 相 承 の 秘 口 若 し く は 座 主 傳 と 稱 し て , 代 々 の 醍 醐 の 座 主 は こ の 秘 決 を 相 承 す る の で あ る 。 と ゝ に 於 て 法 流 は 自 ら 二 方 に 分 れ 、 一 定 は 法 を 定 助 に 付 す 、 定 助 は 延 伸 の 傳 を 合 せ て 一 流 を 開 き 、 之 よ り 法 を 東 大 寺 の 法 藏 に 授 け 、 法 藏 は 小 島 の 眞 興 に 授 く 、 眞 興 は 法 相 の 碩 學 に し て 唯 識 観 に 達 し た 高 徳 の 人 で あ つ た が 、 從 顯 入 密 し て 小 島 流 の 組 と な る 。 眞 興 の 徒 に 祈 親 上 人 定 春 あ り 、 南 院 の 維 範 あ り 、 共 に 高 野 山 の 廢 頽 を 起 し て 中 興 の 鴻 業 を 遂 げ た 。 三 十 帖 策 子 問 題 以 來 荒 廢 せ る 高 野 山 が 、 観 賢 信 正 の 法 孫 に よ り て 興 隆 す る に 至 つ た の は 、 不 思 議 の 因 縁 も 云 ふ べ き で あ る 。 か く し て 観 賢 信 正 は 、 醍 醐 流 の 高 租 こ し て 小 野 流 繁 興 の 基 礎 こ な つ た の み な ら す 、 根 本 十 二 流 分 振 以 前 に 、 小 島 流 を も 出 し 、 南 郡 の 佛 教 界 に 純 密 の 秘 法 を 傳 へ 、 増 命 、 良 淳 を 通 し て は 台 密 を 興 隆 し 、 寛 平 法 皇 、 寛 空 に 依 つ て は 廣 澤 流 を 進 展 せ し む る に 至 つ た 。 第 四 節   不 等 葉 の 血 脉 東 密 に 於 け る 不 等 葉 の 血 脉 は 、 槻 賢 俗 正 よ り 始 ま る 。 延 長 三 年 、 淳 祐 、 一 定 等 の 四 人 に 傳 法 灌 頂 を 授 く る 牒 文 あ り 、 其 の 一 句 に 、 在 昔 大 日 如 來 大 悲 胎 藏 金 剛 秘 密 雨 部 の 界 會 を 開 き 金 剛 薩 唾 に 授 く 、 金 剛 薩 唾 敷 百 歳 の 後 龍 樹 菩 薩 に 授 く 。 如 是 傳 受 し て 金 剛 秘 密 の 道 、 吾 租 師 根 本 大 阿 闍 梨 弘 法 大 師 迄 、 既 に 八 葉 を 經 た り 。 今 余 密 教 發 達 史 上 に 於 け ろ 觀 賢 僧 正   三 九

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密 教 發 達 史 上 に 於 け る 觀 賢 僧 正   四 〇 に 至 り 即 ち 十 二 葉 ご 爲 す 。 大 悲 胎 臓 の 道 に 據 れ ば 第 十 一 葉 に 當 る 。 傳 授 次 第 師 資 脉 々 相 承 明 鏡 な り 。 云 々 (原 漢 文 ) 是 れ 所 謂 不 等 葉 血 脉 の 起 原 で 聖 寳 以 前 に は 其 の 記 録 が な い 様 で あ る 。 是 よ り 以 後 淳右 、 元 杲 、 仁 海 成 尊 等 小 野 正 流 の 血 脉 は 凡 て こ の 不 等 葉 の 血 脉 を 傳 へ 、 廣 澤 に 於 て も 寛 空 觀 賢 信 正 に 此 の 血 脉 を 傳 へ て 以 來 、 不 等 葉 の 次 第 が 混 入 さ れ た 。 然 る に 此 の 牒 の 文 に 付 い て 、 不 等 葉 の 見 方 に 二 種 あ る 。 二 は 金 剛 界 は 、 大 日 -金 剛 薩 垂 -龍 猛 龍 智 金 剛 智 -不 塞 恵 果 弘 法 と 八 葉 の 相 承 は 常 の 如 く 、 胎 藏 界 は 、 大 日 -金 剛 キ 達 磨 掬 多 ー 善 無 畏 ー 玄 超 ー 恵 果 -弘 法 と 七 葉 に 相 承 す る も の で あ る 。 二 は 金 剛 界 は 第 二 説 の 如 く 入 葉 の 相 承 と し 、 胎 藏 界 は 此 の 金 界 血 脉 の 内 よ り 特 に 金 剛 智 を 除 き 龍 智 不 空 等 も 相 承 し て 七 代 ご 爲 す も の で あ る 。 此 の 爾 種 の 血 脉 に 於 て 、 前 者 は 善 無 畏 不 空 爾 三 藏 の 密 教 を 別 種 の 系 統 に 属 す る も の ご し て 立 て た る 雨 部 別 傳 の 血 脉 で あ つ て 、 主 も し て 台 密 相 承 の 血 脉 で あ る 後 者 は 不 空 三 藏 再 び 印 度 に 蹄 つ て 、 龍 智 菩 薩 よ り 胎 藏 法 を 直 傳 し た る 功 績 を 顯 さ と が 爲 め に 胎 藏 界 は 金 剛 智 を 除 い て 龍 智 不 塞 と 相 承 す る の で あ る 。 後 代 の 東 密 の 事 相 家 は 観 賢 僧 正 の 牒 の 文 は 勿 論 後 説 で あ る と し て 、 安 流 の 如 き は 種 々 に 解 説 し 、 此 の 不 等 葉 は 實 は 等 葉 で あ つ て 、 爾 部 不 二 の 深 旨 を 示 し た も の で あ る と 傳 へ て 居 る 。 即 ち 胎 の 七 代 は 金 の 七 代 を 顯 し 、 金 剛 の 八 代 は 胎 の 入 代 を 顯 示 す る も の で あ る 。 何 故 な ら ば 雨 部 は 一 雙 の 法 門 で 分 離 し て 考 ふ べ き も の で な い か ら で あ る と し 、 之 れ

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を 唯 授 一 人 の 大 事 こ し て 非 常 に 尊 重 す る の で あ る 。 併 し な が ら 吾 人 は 思 ふ 、 か く の 如 き は 台 密 學 者 の 批 難 を 避 け と が 爲 め に 、 故 意 に 苦 し き 解 説 を 爲 す 後 代 學 者 の 徒 勞 で あ る ま い か 。 何 故 な ら ば 後 者 の 血 脈 を 爾 部 不 二 の 一 壁 ご 見 る な ら ば 、 前 者 の 別 傳 の 血 脉 に 於 て も 不 二 も 見 て 等 葉 の 次 第 と な さ な け れ は な ら ぬ か ら で あ る 。 觀 賢 信 正 の 意 味 は 決 し て 後 者 に 非 す し て 前 者 で あ つ た に 違 ひ な い 。 ( 洗 遮 要 秘 鋤 第 二 巻 参 照 ) そ れ は 前 節 に 擧 げ た 宗 叡 相 承 の 血 脉 、 承 平 六 年 十 一 月 二 十 六 日 、 石 山 内 供 が 分 屡 に 授 け た る 血 脉 、 同 じ く 天 慶 四 年 十 一 月 七 日 法 喜 眞 頼 の 爾 信 に 授 け た る 血 豚 に よ る も 明 瞭 で あ る か ら で あ る 。 果 し て 然 ら ば 何 故 に 観 賢 曾 正 は 、 爾 部 一 雙 の 相 承 大 帥 の 付 法 傳 に 背 い て 、 台 密 の 血 脉 を 用 い た の で あ ら う か 。 此 れ 實 に 吾 人 の 研 究 問 題 の 中 心 を 爲 す も の で あ る 。 已 に し ば 説 き た る 如 く 、 槻 賢 僧 正 は 眞 雅 唯 密 の 系 統 よ り は 、 寧 宗 叡 曾 正 の 傳 を 多 く 用 い た か ら で あ る 。 當 時 入 唐 八 家 の 學 説 は 束 密 の 人 々 の 爭 ふ て 學 ば と こ し た 時 代 で あ る 。 東 密 五 家 の 内 大 師 を 除 い て 最 も 傑 出 し た る 宗 叡 信 正 の 傳 は 、 非 常 な る 勢 力 を 振 つ た も の で あ る 。 且 つ 親 賢 信 正 は 最 も 進 歩 せ る 學 風 を 有 し 、 大 師 の 正 嫡 を 傳 ふ る ご 同 時 に 、 決 し て 台 密 諸 師 の 説 を も 、 後 代 の 事 相 家 の 如 く 無 視 し た り 、 異 端 視 す る 様 な こ な く 、 諸 流 の 密 教 を 統 一 し て 集 大 成 せ と と せ ら れ た か ら で あ る 。 不 等 葉 の 血 脉 の み な ら す 、 叡 山 の 秘 法 た り し 、 蘇 悉 地 の 大 法 が 宗 叡 に よ り て 相 承 さ れ て 以 來 東 密 に も 傳 へ ら れ 、 野 澤 雨 流 に 相 傳 さ れ た る 一 事 を 見 る も 、 如 何 に 台 密 系 の 密 教 が 東 密 の 上 に 勢 力 を 振 い た り し か 密 教 發 達 史 上 に 於 け る 觀 賢 僧 正   四 一

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密 教 發 達 史 上 に 於 け る 観 賢 僧 正   四 二 を 察 知 す べ き で あ る 。 然 る に 平 安 亂 末 よ り 東 台 二 密 の 競 事 激 烈 な る に 從 ひ 、 台 密 の 徒 は 大 師 は 金 剛 界 の 法 の み を 傳 へ て 胎 藏 は 傳 へ な か つ た と 云 ふ 様 な 説 も 出 で 、 東 密 の 學 者 の 間 に い た く 東 台 二 密 の 混 亂 を 恐 る も の ゝ 生 す る に 至 り て 、 東 密 の 相 承 よ り 宗 叡 等 の 新 傳 を 捨 て ゝ 、 大 師 の 雨 部 不 二 の 密 教 に 還 元 せ ん と す る 運 動 が 熾 烈 に な つ た 。 眞 雅 相 承 の 密 教 を 正 統 も す る も 此 れ が 爲 め で あ る ま い か 。 か く し て 等 葉 不 等 葉 の 問 題 は 、 吾 事 相 密 教 登 達 の 上 に 重 大 な る 問 題 を 提 起 し た も の で あ る 。 此 の 問 題 は 今 少 し 詳 細 に 研 究 す べ き 筈 で あ る が 紙 数 の 都 合 が あ る の で 略 す る 。 志 あ る 讀 者 は 、 呆 賓 の ﹃ 玉 印 鈔 ﹂ 第 三 、 同 じ く 杲 賓 の 血 脉 、 襌 遍 の ﹃ 雨 部 大 經 傳 來 要 文 ﹄ 、 ﹃ 嚴 避 羅 鈔 ﹄ 等 を 参 照 さ れ た い の で あ る 。 第 七 章 結   論 觀 賢 俗 正 の 一 千 年 の 遠 忌 に 際 し て 、 吾 密 教 の 信 仰 上 、 學 説 上 等 に 與 へ た る 偉 大 な る 功 績 に 封 し て 余 は 其 の 報 恩 の 一 端 こ し て 、 觀 賞 信 正 を 中 心 と し て 吾 密 教 が 如 何 に 開 展 さ れ た か を 研 究 せ と も し て 昨 秋 京 都 の 醍 醐 、 東 寺 、 石 山 寺 、 奈 良 の 東 大 寺 等 へ 其 の 調 査 に 出 か け 、 是 等 諸 山 の 御 好 意 に よ り 、 大 切 な る 資 料 等 の 供 覧 を 許 さ れ 、 可 成 の 期 待 を 以 つ て 研 究 に も り か ゝ つ た の で あ る が 、 途 中 種 々 身 邊 の 故 障 が 出 來 て 所 期 の 目 的 を 充 分 に 完 成 す る と こ が 出 來 な か つ た が 、 巳 に 一 年 に も な る の で 此 れ を 以 う て 擱 筆 す る と も に し 、 何 れ 稿 を 改 め て 血 脉 等 に 就 て 論 す る 積 り で あ る 。

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之 れ を 要 す る に 從 來 の 密 教 學 者 は 多 く 、 密 教 の 相 傳 を の み 重 と じ て 、 動 き の も れ ぬ 型 に 込 つ て し ま つ た が 爲 め に 、 史 眼 を 開 い て 之 れ を 見 る 時 明 瞭 な る 事 象 も し て 顯 る べ き 事 象 に 封 し て も 、 索 強 附 會 な る 説 を 樹 て 以 つ て 、 高 組 の 眞 意 を 得 た り と す る 。 か く の 如 き は 却 つ て 高 租 の 密 教 を 形 式 化 し て 生 命 を 失 は し む る も の で あ る 。 高 組 の 密 教 は 自 由 研 究 に よ り て 眞 債 は 發 揮 す る が 毫 も 損 失 を 來 す も の で は な い 。 観 賢 俗 正 の 教 主 論 が 新 義 眞 言 を 輿 し 、 御 廟 の 開 扉 か 大 師 信 仰 の 上 に 大 き な 原 動 力 を 與 わ 、 進 歩 的 學 風 が 東 台 二 密 を 集 大 成 し て 、 密 教 の 内 容 に 新 し き 生 命 , 材 量 を 豊 富 に 賦 與 し た あ た り は 、 後 代 の 密 教 に 不 滅 の 靈 火 を 投 じ た も の で あ ら う 。 (大 正 + 四 年 八 月 + 二 日 完 ) 密 教 發 達 史 上 に 於 け る 觀 賢曾 正   四 三

参照

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