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密教研究 Vol. 1927 No. 25 005大山 公淳「声明沿革史小観 (下) P101-139」

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本 項 に 於 い て 見 ん と す る 所 は 眞 然 ・眞 雅 以 後 覺 性 法 親 王 に 至 る ま で の 傳 持 と す 。 彼 の 眞 然 師 の 後 、峰 禪 ・ 遍 覺 等 の 師 を 経 て 勸 修 寺 の 長 吏 雅 慶 僧 正 が あ る 。 僧 正 は 寛 朝 の 胞 弟 に 當 り 、 優 秀 な 聲 明 の 師 に し て 、 寛 治 七 年 結 縁 灌 頂 の 行 は れ し 時 、 大 阿 闍 梨 の 聲 明 を 唱 誦 し 、 も つ て 衆 人 を 驚 か し た と い ふ こ と で あ る 。 眞 雅 師 の 後 に は 源 仁 ・ 益 信 ・ 神 日 ・ 寛 空 を 経 て 寛 朝 僧 正 と な り 、 遂 に 我 聲 明 が 大 成 さ れ る こ と に な つ た 。 ﹁ 聲 決 書 ﹂ に は 、 遍 照 寺 寛 朝 僧 正 は 寛 平 帝 の 御 孫 に し て 、 密 乗 の 聲 明 を 善 く し 、 殊 に 斯 道 を 興 し て よ り 以 來 彌 々 昌 繁 し 、 内 外 の 法 事 專 ら 聲 曲 を も つ て 吾 道 を 叫 吹 す 。 幽 昔 妙 麗 の 梵 曲 、 人 を し て 聽 か し む 云 々 (原 漢文 ) と 、 寛 朝 僧 正 は 一 品 式 部 卿 敦 實 親 王 の 第 二 王 子 と し て 生 れ ら れ 、 寛 平 宇 多 上 皇 の 孫 に 當り 、 東 寺 一 の 長 者 高 野 山 第 十 三 世 の 座 主 と なり 、 京 都 廣 澤 の 遍 照 寺 に ゐ ら れ た の で 遍 照 寺 僧 正 と も い ふ 。 ﹁ 参 語 集 ﹂ 撃 明 沿 革 史 小 觀 一 〇 一

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聲 明 沿 革 史 小 觀 一 〇 二 の 記 す る 所 に 依 れ ば 、 僧 正 は 音 律 の 達 者 に し て 相 承 の 韻 を 弘 む と い ひ 、 ﹁ 野 澤 相 承 血 脉 ﹂ に は 聲 明 の 音 曲 理 趣 経 文 段 の 韻 此 の 時 始 め て 調 ふ と い ふ 。 或 は 僧 正 我 道 を 地 に 堕 さい ら し め ん が 爲 め に 諸 歌 讃 に 墨 譜 を 點 じ た と も 傳 ふ 。 ﹁ 聲 明 決 疑 鈔 ﹂ に は ﹁ 菩 提 院 道 助 僧 正 の 語 ﹂ と し て 、 寛 朝 僧 正 曾 つ て 理 趣 経 の 博 士 を 點 付 し 給 ふ の 時 、 経 の 最 後 の 一 段 に ﹁ 善 哉 々 々 ﹂ と 出 し て 、 次 の 大 薩 唾 の 博 士 を 如 何 に 鮎 せ ん か と 思 ひ 煩 ひ 、 且 く 椽 を 行 道 し 停 立 せ ら れ し に 、 不 可 思 議 に も こ れ を 虚 空 中 に 唱 導 す る も の あ り 、 依 つ て こ れ を 移 し 點 じ 、 そ の 誰 人 な る か を 問 へ ば 、 我 は 佳 吉 明 神 な り と 答 へ 給 ふ と 。 此 の 記 事 は 古 來 傳 へ て 有 名 と す る 所 の も の 僧 正 の 梵 曲 に 於 け る 堪 能 の 程 を 語 る も の で な く て は な ら ぬ 。 こ れ に 就 い て ﹁ 高 僧 傳 ﹂ や ﹁ 元 享 釋 書 ﹂ に は 、 僧 正 の 傳 を 録 し て 、 師 聲 明 に 堪 能 に し て 、 般 若 理 趣 分 の 音 調 を 作 り 、 密 學 の も の は 其 の 音 調 を 相 傳 す と い ふ 。 然 し ご は ﹁ 理 趣 分 ﹂ に 非 ず し て ﹁ 理 趣 経 ﹂ と す べ き で あ ら う 。 密 宗 に は 古 來 多 く ﹁ 理 趣 経 ﹂ を 用 ゐ て ﹁ 理 趣 分 ﹂ を 用 ゐ ず 、 且 つ ﹁ 理 趣 経 ﹂ に 音 曲 を 附 し て 唱 誦 す る こ と は 古 來 變 る こ と な く 、 現 に 猶 盛 に 行 は る ゝ 所 と す 。 こ れ に よ つ て ﹁ 理 趣 分 し 説 を 出 す は 誤 傳 と す べ き で あ ら う 。 南 都 東 大 寺 に 現 存 す る 建 治 二 年 版 並 に そ れ 以 前 の も の と 思 は る ゝ ﹁ 般 若 理 趣 経 ﹂ に は 、 二 本 共 に 最 初 の 勸 請 の 句 と 、 終 の 合 殺 ・ 廻 向 の 句 と を 缺 し 、室 町 時 代 の も の と 思 は る ゝ 後 代 の 書 き 入 れ あ る の み 且 つ 経 の 本 文 に 鎌 倉 時 代 の も の と 思 は る ゝ 墨 譜 を 點 じ あ り 、 そ の 様 態 は 現 行 す る 眞 言 の も の と も 思 は れ ず 復 天 台 の も の と も 思 は れ な い 。 そ の 刊 本 の 最 後 の 一 段 な る ﹁ 得 佛 菩 薩 最 勝 位 ﹂ の 句 の 裏 に ﹁ 讃 に 責 音 と

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云 曲 有 と 墨 書 し 、 そ の 他 讃 誦 の 時 の 作 法 を 記 入 す 。 ( れ ら ほ 鎌 倉 時 代 の 書 き 入 れ と 見 ら ろ ) 。 こ の こ と は 直 接 寛 朝 僧 正 に は 關 係 な き 事 な る も 、 理 趣 経 文 段 の 音 曲 を 考 ふ る 上 に は 貴 重 な る 文 献 と 思 は る ゝ に よ つ て 特 に 記 す る こ と ゝ し た 。 ﹁ 密 宗 聲 明 血 脉 譜 ﹂ に 依 る に 寛 朝 僧 正 は 一 律 上 人 に 随 つ て 音 律 を 糺 明 し 、 送 に 斯 道 に 於 け る 泰 斗 と な ら れ た 。 此 の 時 に 及 び て 諸 聲 明 は 整 頓 し 、 諸 儀 式 の 聲 明 を 定 め 、 諸 部 の 梵 唄 よ り 秘 讃 ・ 乞 戒 ・ 大 阿 闍 梨 聲 明 と い ふ や う に 修 學 の 段 階 も 設 け ら れ た 。 か く て 聲 明 講 學 の 清 軌 は 定 め ら れ 、 授 受 の 次 第 も 制 せ ら れ る こ と に な つ た 。 こ の 事 は 次 の 如 き 古 印 信 の 存 す る に よ つ て そ の 一 般 を 知 る べ き で あ ら う 。 一 、 傳 授 聲 明 法 則 事 右 始 自 遍 照 寺 僧 正 御 房 至 宗 觀 圓 明 房 大 進 上 人 所 命 嫡 々 相 承 梵 讃 法 則 秘 曲 秘 節 等 不 残 一 曲 搜 與 云 云 ( 下 略 ) 一 、 秘 讃 相 承 事 傳 授 聲 明 法 則 事 ( 文 大 略 同 前 ) か く て 我 僧 正 を も つ て 、 聲 明 道 中 興 の 祖 と す 。 否 ﹁ 聲 明 系 譜 ﹂ で は 本 朝 の 始 祖 と ま で 崇 め て ゐ る の も 無 理 な ら ぬ こ と ゝ す 。 付 法 の 資 十 七 人 あ り 、 長 徳 四 年 六 月 十 二 日 寂 、 春 秋 六 十 三 或 は 入 十 三 と も 記 す 。 ﹁ 決 疑 鈔 ﹂ に は 廣 澤 の 上 綱 以 前 に 密 宗 の 音 曲 あ り や と 問 ひ 、 答 に 彼 の 上 綱 は 横 笛 の 達 人 で あ つ た 。 仍 つ 聲 明 沿 革 史 小 觀 一 〇 三

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聲 明 沿 革 史 小觀 一 〇 四 て 聲 明 の 博 士 を 作 る 。 そ れ 以 前 の も の と し て 見 る 所 な し と 。 然 し 上 來 述 ぶ る 所 の 如 く 、 密 宗 の 音 曲 な し と い ふ こ と は 出 來 な い 。 前 説 源 仁 の 下 に 聖 寳 ・ 觀 賢 ・淳 祐 ・ 元 呆 と 相 傳 す る も の あ り 、 觀 賢 は 人 も 知 る 如 く 東 寺 一 の 長 者 に し て 南 山 座 主 を も 兼 ね た る 人 、 淳 祐 は 石 山 内 供 と し て 知 ら れ て を り 、 そ の 資 に 元杲 と 、 今 一 人 雅 眞 と い ふ あ り 、 雅 眞 師 は 高 野 山 第 四 代 の 檢 校 で な つ た 。 雅 眞 の 次 に は 小 野 曼 茶 羅 寺 の 仁 海 師 あ り 、 師 は 七 歳 に し て 野 山 に 登 り 、 檢 校 雅 眞 に 師 事 し 、 後 京 都 に 遊 び て 元 杲 師 の 室 に 入 つ た 。 當 時 寛 朝 僧 正 の 外 に 深 覺 ・ 成 典 な ご の 諸 師 あ り 、 各 面 々 相 封 し て ゐ た の で あ る 。 我 聲 明 道 も 、 こ れ ら の 人 々 相 對 す る の 後 兩 派 の 相 傳 種 々 に 混 合 さ れ 、 そ れ を 受 傳 し た 人 々 亦 各 欲 す る ま ゝ に 一 流 を 稱 し 、 時 に 應 じ 機 に 随 ひ 、 種 々 の 流 派 が 分 立 す る や う に な つ た 。 こ れ ら に 就 い て は 更 に 次 項 に 記 す る こ と ゝ し た い 。 ﹁ 密 宗 聲 明 系 譜 ﹂ に は 次 の 如 き 血 脉 譜 を 出 す 。

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聲 明 沿 革 史 小 觀 一 〇 五

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聲 明 沿 革 史 小 觀 一 〇 六 或 一 本 血 脉 圖 に は 第 二 圖 の 中 な る 忠 縁 法 橋 は 、 濟 延 僧 都 と 信 禪 阿 闍 梨 の 二 人 よ り 受 け た こ と に な つ て を り 、 又 寛 朝 ・ 濟 信 ・ 性 信 ・寛 助 等 と 次 第 す る も あ る 。 第 三 圖 宗 觀 の 次 の 聖 海 は 浄 月 房 ( 上 月 房 に も 作 る ) と 號 し 、 中 川 寺 に 住 し 醍 醐 山 へ 進 流 を 傳 へ た 。 こ れ に 就 い て ﹁ 聾 實 抄 ﹂ は 醍 醐 の 進 流 は 本 三 箇 の 秘 讃 の み あ つ た の で あ る が 、 今 は 十 六 菩 薩 の 讃 の 博 士 を 傳 ふ 。 こ れ 誰 の 作 な る か を 知 ら ず 。 若 し は 上 月 房 の 作 か ﹂ と 紀 伊 上 人 觀 験 は 大 進 上 人 の 流 れ を 汲 む ば か り で な く 、 禪 信 の 傳 を 受 け 、 相 應 院 法 印 能 覺 の 流 を も 汲 ん で ゐ る 。 師 の 大 進 上 人 圓 明 房 宗 觀 は 仁 海 の 小 野 流 ば か り で な く 、 廣 澤 の 寛 朝 僧 正 よ り 出 づ る 忠 縁 の 流 を も 受 け た 。 こ れ に よ う て 進 流 (大 進 上 人 之 流 ) は 野 澤 諸 流 の 根 を 抜 き 源 を 竭 す と い ふ 所 以 に な る 魚 山 集 に 録 す る 阿 彌 陀 讃 の 韻 曲 は 高 野 御 室 覺 法 法 親 王 の 示 點 と な つ て ゐ る 。 (次 項 参 照 ) 高 野 御 室 は 寛 助 大 僧 正 の 外 に 南 勝 房 忠 縁 法 橋 の 傳 を 受 け 、 忠 縁 は 花 藏 院 濟 延 の 傳 を も 受 け て ゐ る 。 中 院 明 算 大 徳 は 康 和 四 年 二 月 二 十 五 日 般 若 理 趣 経 を 誦 じ 給 ふ に 空 知 ・空 圓 と い ふ 異 僧 二 人 現 は れ 來 つ て 、音 韻 清 濁 謬 る な く 曲 譜 を 傳 へ て 去 つ た と い ふ こ と で あ ひ 。 爾 來 理 趣 経 に て 中 曲 不 斷 経 の 行 を 修 す る に 到 る と 。 ( 紀 伊 績 風 土 記 卷 四 、 明 算 大 徳 傳 )

前 述 の 如 く 寛 朝 ・ 仁 海 ・深 覺・ 成 典 等 の 諸 師 相 對 す る や う に な つ て か ら は 、 年 と 共 に 種 々 の 流 派 が 分 裂 し 對 立 す る や う に な つ た 。 そ の 間 約 百 五 十 年 ば かり を 経 て 紫 金 臺 寺 御 室 覺 性 法 親 王 が 出 ら れ た 。 親 王

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は 鳥 羽 帝 の 第 五 子 に 生 れ ら れ 、 保 延 六 年 十 二 歳 に て 覺 法 親 王 に 從 つ て 出 家 せ ら れ た の で あ つ た が 、 聲 明 道 の 爲 め に 非 常 に 御 熱 心 で 、 斯 道 の 漸 く 亂 雜 な ら ん と す る を 歎 か せ 給 ひ 、 久 安 元 年 に 仁 和 寺 大 聖 院 の 御 所 に 權 僧 正 定 遍 ・ 法 印 能 覺 ・ 僧 都 空 現 ・ 律 師 定 眞 ・律 師 印 性 ・ 法 橋 慶 成 ・ 同 章 運 ・ 同 永 幸 ・ 同 寛 深 ・ 阿 闍 梨 實 曜 ・ 同 定 延 ・紀 伊 上 人 觀 験 ・ 阿 闍 梨 寛 詮 ・ 同 寛 杲 等 斯 道 の 達 人 十 五 人 を 會 し 七 十 三 ( 或 二 ) 日 間 の 時 を 費 し て 諸 流 聲 萌 を 考 究 し 、 そ の 異 同 を 校 正 し 給 ふ た 。 こ れ 或 は 印 度 に 於 け る 佛 典 の 結 集 に も 比 類 す べ き 聖 業 で あ ら う 。 而 し て そ の 結 果 大 英 斷 を も つ て 大 い に 三 流 と 定 め ら れ た 。 即 ち 仁 和 寺 相 應 院 流 ・中 川 大 進 上 人 流 及 び 醍 醐 流 で あ る 。 此 の 中 相 應 院 流 に 於 い て 本 新 の 兩 涙 を 分 ち 、 覺 性 法 親 王 は 御 自 ら 本 相 應 院 流 を 掌 り 、 能 覺 法 印 は 新 相 應 院 流 即 西 方 院 流 を 、 定 遍 權 僧 正 は 醍 醐 流 を 、 觀 (成 は 寛 に 作 ろ )験 上 人 は 大 進 上 入 の 流 を 各 分 掌 弘 通 せ ら れ る こ と ゝ な り 、 此 處 に こ れ ま で 錯 亂 し て を つ た 博 士 に 統 一 を 企 て 、 一 見 何 流 に 属 す る か を 知 る に 便 な る を 得 る や う に な り 、 斯 道 に 全 く 一 新 生 面 を 打 開 せ ら れ る こ と ゝ な つ た (巳 上 、 聲 決 書 及 び 血 脉 圖 ) 而 し て 此 の 講 會 に 於 い て 注 意 し な け れ ば な ら な い こ と は 、 博 士 の 曲 節 性 相 が 明 了 に さ れ た と い ふ こ と で 即 ち 、 ﹁ 魚 山 蟇 芥 抄 ﹂ に は ﹁ 新 流 ・ 相 應 院 流 ・ 醐 醍 流 と て 名 字 を 付 け 定 む る こ と ﹂ と し て 、 ﹁ 依 其 流 博 士 曲 節 性 相 分 定 久 安 談 合 時 定 之 ﹂ と 出 づ る を も つ て 知 る べ き で , 又 そ の 調 子 譜 を 定 む る に 樂 器 が 用 ゐ ら れ て ゐ る 。 仁 和 寺 相 應 院 流 は 琴 の 譜 を 取 り 、 進 流 と 醍 醐 流 と は 横 笛 の 譜 に よ つ て 調 子 を 定 む る こ と に な つ た の で あ る 。 覺 性 法 親 王 を 或 は 金 剛 乗 院 御 室 と い ひ 、 本 相 應 院 流 を 改 め て 菩 提 院 流 聲 明 沿 革 史 小 觀 一 〇 七

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聲 明 沿 革 史 小 觀 一 〇 八 と も い ふ 。 魚 山 蟇 芥 抄 や 古 本 血 脉 を 見 る に 當 時 談 合 の 十 五 人 は 皆 進 上 人 の 流 を 受 く る も の に し て ﹁ 餘 流 不 爾 ﹂ と 云 ふ こ と に な つ て ゐ る 。 傳 説 す る 所 に 依 る と 久 安 年 中 一 僧 あ り 、 一 日 法 花 経 を 讃 誦 す 。 其 音 殊 勝 絶 倫 で あ つ た 。 時 に 金 剛 乗 院 御 室 覺 性 法 親 王 其 所 以 を 下 問 す 。 僧 答 へ て 日 ふ 、 初 め 聲 な し 、 こ れ を 法 輪 の 虚 空 藏 に 祈 る 。 鐵 の 鈴 を 呑 む と 夢 み て 妙 音 を 得 た と 。 法 親 王 亦 こ れ を 祈 る に 一 塊 の 銀 を 呑 む と 夢 む 。 さ れ ご 初 め は 銀 塊 大 に し て 呑 む 能 は す 、 後 に こ れ を 呑 む に 至 る 。 果 し て 妙 音 を 得 と (聲實 鈔 取 意 )。 こ は 怯 親 王 の 聲 明 道 に 於 け る 功 績 と 、 そ の 達 人 た り し 徳 を 傳 へ ん と し た の で あ ら う 。 或 は 法 親 王 の 温 畜 を 想 察 せ し む る も の か 。 吾 人 が 常 に ﹁ 進 流 ﹂ と い ふ は 大 進 上 人 相 傅 の 一 流 の こ と で あ る が 、 そ の 本 家 は 大 和 中 ノ 川 寺 成 身 院 と す 。 そ の 源 を 少 將 上 人 圓 明 房 實 範 に 發 し 、 そ の 高 弟 と し て 今 の 大 進 上 人 が 出 で た 。 上 人 名 を 宗 觀 圓 明 房 と 號 し 、 師 の 實 範 は 野 山 の 中 院 明 算 と 教 眞 と の 兩 師 の 傳 を 受 け た 人 で あ り 、 進 上 人 宗 觀 は 更 に 御 室 の 寛 朝 師 よ り 出 つ る 忠 縁 の 傳 を も 受 け た こ と は 前 項 の 如 く で あ る 。 か く て 進 流 は 野 澤 諸 流 の 根 を 抜 き 源 を 竭 く せ る 新 進 の 流 涙 と な つ た の で あ る 。 今 日 密 宗 に 於 い て 聲 明 と 云 へ ば 殆 んぞ 進 流 に 限 ら れ る や う に な つ て ゐ る の も 、 如 是 に し て 傳 へ ら れ た 進 上 人 の 功 績 に 歸 し な く て は な ら ぬ 。 上 人 は 斯 道 に 於 け る 大 天 才 に し て 、 音 曲 の 技 術 的 方 面 に 最 も 卓 越 し て ゐ ら れ た も の ら し く 、 野 山 成 蓮 院 眞 源 師 が 、 寛 保 三 年 に ﹁ 魚 山 蟇 芥 集 ﹂ に 序 し て ﹁ 中 川 上 人 明 徹 雄 朗 符 靡 宮 商 畧 有 青 藍 ﹂ と 嘆 じ 、 ﹁ 認 詠 子 仁 和 南 山 者

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相 應 大 進 之 遺 響 ﹂ と 謂 は れ た の も 所 以 あ る こ と ゝ 思 ふ 。 而 し そ の 師 傳 を 大 成 し た の は 彼 の 醍 醐 山 に 進 流 を 傳 へ た 資 の 聖 海 浮 月 房 で あ る ら し い 。 ﹁ 魚 山 集 ﹂ 一 本 の 阿 彌 陀 讃 の 朱 書 に 、﹁ 此 の 讃 の 博 士 は 相 應 院 流 の も の に し て 、 當 進 流 様 の も の は 別 紙 に な つ て ゐ る 。 故 に 更 に 習 つ て こ れ を 誦 ず る を 肝 要 と す 。 も と 能 覺 と 大 進 上 人 と は 同 朋 で あ る か ら 、 互 に 聲 明 博 士 を 用 談 せ ら れ た に 相 蓮 な い ﹂ と い ふ 意 味 の こ と が 記 さ れ て ゐ る 。 然 し 前 の 血 脉 圖 か ら 考 へ て 、 大 進 と 能 覺 と を も つ て 同 門 と す る こ と に は 、 猶 研 究 を 要 す べ き 點 あ る も 、 そ の 年 代 を 大 約 同 じ う す る 以 上 今 の 記 事 は 注 意 す べ き で あ ら う 。 猶 阿 彌 陀 讃 に 就 い て ﹁ 聲 實 抄 ﹂ に は 、﹁ 覺 の 云 く ﹂ と し て 、 師 云 ふ 、 進 様 に は 阿 彌 陀 讃 の 博 士 無 く 、 相 應 院 に は こ れ あ り 、 錫 杖 の 博 士 は 相 應 院 に 無 く て 進 様 に 有 り と 、 又 一 本 口 訣 ( 表 題 な し ) に は 、 初 二 三 重 十 一 位 の 音 階 は ﹁ 中 川 大 進 上 人 以 十 一 聲 一吟 之 是 則 南 山 聲 明 相 承 也 ﹂ と あ る 。 ( 下 に 再 説 す べ し ) 進 流 の 興 起 は 大 略 上 述 の 如 く で あ る が 、 古 來 野 山 を も つ て 進 流 の 本 山 と す 。 そ は 何 時 代 よ り の こ と か と い ふ に 、 前 の 聖 海 師 の 弟 チ に 慈 業 上 人 そ い ふ 聲 明 道 の 大 家 が あ つ た 。 當 時 野 山 三 寳 院 に 正 等 房 勝 心 と て 、 貞 永 元 年 に 事 務 檢 校 と な り 、 治 山 五 年 に 及 ぶ 程 の 碩 徳 に し て 、 又 非 常 に 音 律 に 勝 れ た 師 が あ つ た 。 勝 心 師 は 自 心 に も 先 の 觀 験 師 或 は 同 山 證 菩 提 院 宣 雅 法 印 等 に 随 つ て 聲 明 を 修 め ら れ た の で あ る が 、 高 祖 入 定 の 靈 地 た る 野 山 に 正 し き 聲 明 の 本 流 の な き を 遺 憾 と し 、 書 を 彼 の 中 川 寺 の 慈 業 上 人 に 送 聾 明 沿 革 史 小 観 一 〇 九

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聲 明 沿 革 史 小 觀 二 〇 り 、 南 山 を も つ て 進 流 の 本 處 と せ ん こ と を 乞 は れ た 。 そ の 時 の 書 面 は ﹁ 紀 伊 績 風 土 記 ﹂ に 出 す 。 慈 業 上 人 は 其 書 を 受 け 取 る や 、 仁 平 年 中 に 南 北 二 京 に あ る 密 乗 の 諸 山 に 齎 し 、 如 何 に す べ き か の 意 見 を 求 め ら れ た 。 勿 論 そ れ ら 諸 山 の 高 僧 達 、 何 れ も 勝 心 師 の 志 に 随 喜 し 異 論 を 出 す も の も な か つ た 。 乃 ち 上 人 は 承 諾 の 書 を 野 山 に 贈 り 、 直 に 野 山 に 登 り 、 本 流 を 相 傳 せ ら れ た 。 (以 上 聲 決 書 參 照 ) さ れ ば 野 山 に 進 流 を 入 れ た る 第 一 の 功 績 は 勝 心 師 に 在 る と 云 は ね ば な ら ぬ 。 然 ら ば そ れ 以 前 に 野 山 に は 聲 明 が な か つ た か と い ふ に 決 し て 然 り と 即 答 す る こ と は 出 來 ぬ 。 前 第 六 項 に も 述 ぶ る 如 く 大 師 在 世 時 代 既 に 諸 種 の 法 用 が 行 は れ て ゐ た こ と は 、 聲 明 の 傳 つ て ゐ た こ と を 語 る も の で あ ら う 。 更 に ﹁ 南 山 要 集 ﹂ に は ﹁ 高 野 聲 明 救 世 僧 都 教 之 ﹂ と あ る 。 救 世 僧 郡 と い ふ は 、 天 禄 二 年 に 東 寺 長 者 ・ 金 剛 峯 寺 座 主 に 補 せ ら れ て ゐ る 。 師 は 叡 山 の 相 應 和 尚 に 随 つ て 出 家 し 、 後 南 都 に 遊 び 、 性 相 台 の 學 を 究 め 又 寛 空 の 室 に 入 つ て 傳 法 灌 頂 を 受 け た そ の 音 聲 良 く 舞 曲 に も 通 じ 、 世 俗 に 救 世 舞 と い ふ も の を 傳 稱 し た と も い ふ 。 さ れ ば 聲 明 に も 能 く 達 し て ゐ た も の と 思 は る 。 而 し ﹁ 惜 哉 其 傳 今 絶矣 ﹂ と あ る 。 即 救 世 僧 都 の 傳 へ ら れ た 聲 明 は 早 く よ り す た れ て 復 知 る を 得 な い 。 勝 心 師 の 就 い て 習 つ た と い ふ 證 菩 提 院 の 宣 雅 法 印 の あ る を 思 へ ば 、 多 少 の 興 癈 は あ つ た に し て も 、 或 一 種 の 聾 明 は 大 師 時 代 よ り 相 傳 さ れ て 斷 絶 し な か つ た も の と 考 へ な く て は な ら の 。 或 は 宣 雅 の 時 代 に は 觀 験 上 人 入 山 し て 進 流 聲 明 の 一 分 既 に 山 内 に 行 は れ て ゐ た と 考 ふ べ き か 、 觀 験 は 何 處 の 人 な る か そ の 傅 を 失 つ て 知 る を 得 な い 。 持 明 院 禪 信 に 随 つ て 事 教 の 恵 業 を 研 磨 し 時 の 人

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を 成 す と 。 ( 紀 併 績 風 土 記 卷 四 ) 十 中 世 に 於 け る 野 山 聲 明 此 處 に 中 世 と い ふ は 野 山 勝 心 師 の 頃 、 慈 業 上 人 に よ つ て 進 流 が 野 山 に 入 つ て 以 後 、 隆 然 師 に 到 る 頃 ま で を い ふ 。 先 づ そ の 間 の 聲 明 系 譜 を 出 す こ と ゝ す 。 ( 密 宗 聲 明 系 譜 に 依 ろ ) 聲 明 沿 革 史 小 觀 一 一 一

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聲 明 沿 革 史 小 觀 一 一 二 勝 心 阿 闍 梨 の 次 に は 多 く の 龍 象 出 で た れ ご 、 心 王 院 定 蓮 房 憲 海 を も つ て 最 も 上 足 と す 。 憲 海 の 次 に 源 眞 あ り 、 そ の 下 に 東 南 院 流 の 祖 と 仰 が る ゝ 龍 信 房 劔 海 (此 の 讃 み 方 は 劔 は 去 聲 海 は 上 聲 新 濁 に な つ て ゐ る ) あ り 、 野 山 に 東 南 院 の 一 流 を 興 し た 。 次 に 聲 明 集 七 卷 の 本 を 残 し た 細 谷 の 覺 照 房 恵 海 、 又 恵 海 師 の 口 説 を 一 一 に 自 筆 で 記 し た 越 中 立 山 寺 來 迎 院 の 空 舜 なぞ 相 次 い で 輩 出 し た 。 一 本 血 脉 圖 に 依 る に 源 信 の 次 に 阿 闍 梨 隆 濟 ・ 三 寳 院 權 大 僧 都 勝 金 ・ 阿 闍 梨 劔 海 の 三 人 あ り 、 勝 金 ・劔 海 二 人 の 傳 を 受 け て 惑 海 が 出 で た こ と に な つ て ゐ る 。 劔 海 に は 其 他 に 多 く の 門 人 あ り 、 中 で も 東 南 院 の 劒 空 ・ 劔 忠 の 傳 が 残 り 、 劔 空 の 次 に は 禪 恵 を 経 て 快 義 と な り 、 快 義 は 復 劔 忠 に 受 け 定 秀 に 傳 へ た 。 定 秀 は 復 恵 海 ・ 堯 快 ・ 龍 秀 の 傳 を も 得 て ゐ る 。 定 蓮 房 憲 海 は 初 め 醍 醐 に 住 し 、 後 野 山 心 王 院 に 移 つ た 。 猶 一 本 に は 憲 海 の 上 足 に 般 若 房 了 憲 あ り 、 心 王 院 の 正 脉 は 此 の 了 憲 に 傳 は る と い ふ 。 出 家 唄 の 第 一 句 ﹁ 毀 形 守 志 節 ﹂ の 第 三 字 目 の 博 士 に 就 い て 寳 蓮 房 祐 眞 は 羽 の 一 音 な り と し 、 般 若 房 は 羽 徴 の 二 音 な り と す 。 こ れ 古 來 の 異 論 と す る 所 。 恵 海 覺 照 房 は 師 の 劒 海

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入 滅 の 後 細 谷 に 住 し て 妙 曲 を 弘 通 し た 。 彼 は 梵 音 二 段 の 散 華 に 就 い て 、 初 段 釋 迦 に て 三 花 一 度 、 諸 如 來 に て 三 花 二 度 、 第 二 段 大 乗 経 に て 二 花 一 度 、 終 に 三 花 二 度 と 記 し 、 又 錫 杖 三 處 に 三 反 宛 振 つ て 中 を 切 ら す . こ れ 三 三 九 と な し て 九 界 の 迷 情 を 驚 か す の 意 と し た 。 他 流 に は 三 二 三 都 合 八 振 と 數 ふ 。 恵 海 は か く の 如 く に し て 三 三 九 振 の 説 を 残 し た 。 又 散 花 三 段 を 甲 に 出 す と 説 く 。 こ れ 初 め の 如 來 唄 の 終 り が 甲 の 宮 な る が 故 に と 。 復 ﹁ 聲 實 抄 ﹂ 中 に は ﹁ 細 谷 の ロ に 云 ﹂ と て 、 先 徳 の 口 傳 に は 五 海 九 方 便 は 樂 柏 子 に し て 早 し と 。 然 ら ば 中 曲 の 拍 子 な る べ き か 同 じ 樂 拍 子 で あ つ て も 大 曲 ・ 中 曲 ・ 小 曲 の 三 説 あ る が 故 に 。 恵 海 は 復 、 吉 慶 漢 語 讃 の 最 後 ﹁ 四 無 礙 智 汝 當 得 ﹂ の 一 行 を 餘 の 行 よ り 早 く 云 ふ 。 散 花 第 三 段 最 後 の ﹁ 佛 ﹂ の 徴 は ソ ラ シ テ 羽 の 音 に す る 。 こ れ 梵 音 を 出 す 爲 め の 反 音 に 擬 す 。 一 重 の 上 調 子 に し て 、 徴 の 音 の 羽 の 振 舞 と い ふ 寳 蓮 房 祐 眞 は 憲 海 の 門 下 に 出 で 次 に 覺 意 を 出 だ し た 。 ﹁ 聲 決 書 ﹂ に は 彼 の 心 王 院 憲 海 を 讃 じ て 當 流 根 本 祖 師 進 上 人 四 代 の 嫡 孫 、 聲 明 の 源 奥 を 究 む る こ と 日 域 無 双 の 譽 あ り と い ひ 、 其 の 弟 子 數 百 人 の 中 上 足 六 人 あ り 、 所 謂 般 若 房 了 憲 ・藥 師 院 阿 闍 梨 祐 眞 假 名 賓 蓮 房 ・ 五 佛 院 檢 校 眞 辨 ・ 正 智 院 阿 闍 梨 道 範 ・ 琳 定 房 源 眞 ・ 蓮 順 房 長 任 と す 、 然 る に 憲 海 入 滅 の 時 嫡 流 の 血 脉 を 般 若 房 一 人 に 相 傳 し た 。 此 の 般 若 房 の 孫 弟 に 覺 證 院 隆 然 あ り 。 復 般 若 房 の 同 朋 寳 蓮 房 祐 眞 の 上 足 に 金 剛 三 昧 院 の 佳 持 證 蓮 房 覺 意 あ り 、 金 剛 三 昧 院 方 の 聲 明 を 興 す と (以 上聲 決 書 ) 聲 明 沿 革 史 小 觀 一 一 三

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聲 明 沿 革 史 小 觀 一 一 四 覺 意 は 實 に 妙 曲 の 賢 哲 に し て 、 當 世 に 流 布 す る 五 音 博 士 の 圖 を 作 つ た 。 彼 れ は 初 め 般 若 房 に 師 仕 し て 常 途 の 聲 明 を 學 び 、 師 入 滅 の 後 祐 眞 に 値 ふ て 秘 讃 ・ 乞 戒 ・ 阿 闍 梨 位 等 を 相 傳 し 。 祐 眞 の 聽 許 を 得 て 本 院 に 歸 り 聲 明 の 弘 通 に 努 め た 。 先 づ 五 音 博 士 の 圖 を 作 つ て 藥 師 院 に 持 參 し 祐 眞 に 見 せ し む る に 、 祐 眞 は 美 歎 限 り な く 、 當 流 の 博 士 に 於 い て は 此 の 圖 を 最 も 正 本 と す 。 後 世 こ れ を 傳 へ て 絶 ぬ し む る な か れ と 説 い た 。 そ の 美 歎 の 詞 は 祐 眞 自 筆 の 秘 讃 の 奥 書 に 出 す と 。 爾 來 山 中 の 擧 徒 根 本 博 士 を 改 め て 此 の 圓 を 爲ー 傳 へ 、 現 代 に ま で 及 ん で ゐ る 。 諸 州 の 研 究 者 も 亦 こ れ に 順 す 。 覺 意 は 大 い に 聲 明 を 弘 め た 人 に し て 、 金 剛 三 昧 院 の 流 と し て 稟 承 す る 妙 曲 は 皆 そ の 遺 徳 に 依 つ て ゐ る 。 晩 年 に 及 び 安 養 院 へ 移 り 住 し た 以 上 の 記 述 に よ つ て 知 ら る ゝ 如 く 覺 意 師 は 金 剛 三 昧 院 内 安 養 院 へ 住 す と な つ て を り 。 初 め 龍 憲 に 聽 き 後 祐 眞 に 學 ん だ 。 龍 憲 と は 前 の 表 圖 に 出 し た 定 意 の 後 の 名 に し て 、 般 若 房 道 圓 の 入 室 觀 覺 の 付 法 と す 覺 意 は 文 永 頃 の 人 と い ふ こ と を 知 る の み に し て 生 年 等 詳 細 に 知 り 得 ざ る は 誠 に 遺 憾 と す 。 彼 れ は 一 百 日 間 護 摩 供 を 修 し て 初 め て 進 流 に 於 け る 五 音 三 重 の 博 士 圖 を 案 出 し た 。 こ れ を 普 通 に は 十 五 折 博 士 と い ふ 。 十 五 位 三 重 の 中 第 二 重 は 中 音 に し て 、 五 位 共 に 能 く 人 口 に 發 聲 し 得 る も 初 重 は 下 音 に し て 羽 徴 の 二 位 の み 人 の 聲 音 と な り そ れ 以 前 の 三 は 低 き に 過 ぎ 人 の 聲 と し て 發 し 難 く 、 第 三 重 は 上 音 に し て 宮 ・ 商 ・ 角 ・ 徴 の 四 位 ま で は 發 聲 し 得 て 、 最 後 の 羽 な る 一 位 は 最 上 高 聲 と な つ て 送 に 人 口 に 發 聲 し 得 す か く て 初 重 二 音 、 二 重 五 音 、 三 重 四 音 、 都 合 十 一 音 の 間 に 於 い て の み 人 の 聲 音 は 發 し 得 る こ と を 規 定 し 圖

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示 し た の が 今 の 十 五 折 博 士 の 圖 で あ る 。 (詳 細 は 魚 山 集 附 録 七 紙 左 及 廿 四 紙 右 參 見 ) 蓋 し 五 音 と は 支 那 音 樂 に 用 う る 音 階 の 名 に し て 、 宮 ・商 ・ 角 ・ 徴 ・ 羽 の 五 と す 。 こ れ を 三 重 に 配 し て 口 誦 す る に は 初 重 は 羽 徴 と 誦 じ て 最 低 音 に 下 り 次 は 宮 商 角 徴 羽 と 漸 次 に 音 階 を 上 げ 、 更 に 第 三 重 に 及 び て 宮 商 角 徴 の 最 高 音 に 及 ふ 。 こ れ を 進 流 現 行 の 修 練 法 と す 。 果 し て か く の 如 く 宮 商 角 徴 羽 を 誦 じ て 修 練 す る こ と が 本 來 の 意 義 な る べ き か 否 か は 猶 專 門 の 研 究 を 要 す べ き か 。 覺 意 の 説 に 依 れ ば 初 重 の 前 三 と 第 三 重 終 り の 一 と は 共 に 有 位 無 聲 と す 。 音 階 と し て の 位 は あ れ ご 、 人 の 音 聲 と し て 發 す る こ と 、 初 重 の 前 三 は 低 き に 過 ぎ 、 第 三 重 の 終 は 高 き に 過 ぎ 共 に 不 可 能 だ と す る の で あ る 。 或 は 現 代 の 音 聲 學 上 か ら 見 て 、 三 重 十 一 音 を も つ て 人 の 音 聲 の す べ て を 整 理 せ ん と す る こ と は 困 難 に し て 無 理 な や う に 考 へ ら れ ん も 、 我 進 流 聲 明 に 於 い て は 、 古 來 こ れ を 基 準 と し て 、 諸 の 譜 を 整 理 し 、 又 作 製 す る こ と ゝ な り 、 同 時 に そ の 習 得 に も こ れ を 本 と す る 故 、 初 學 者 に も 非 常 に 了 解 し 易 き こ と ゝ な り 、 一 流 弘 通 の 上 に 多 大 の 功 績 を 示 す こ と ゝ な つ た 。 覺 證 院 の 祖 と 仰 が る ゝ 隆 然 師 の 如 き も こ れ に 依 つ て 得 道 し た の で あ る 。 此 の 五 音 三 重 の 譜 の 作 者 に 就 い て 、 普 門 院 の 理 峰 師 は 雖 或 有 懐 疑 者 而 自 恵 覺 得 好 相 之 後 宿 疑 自 除 諸 師 知 其 便 唱 授 云 云 と 記 す 。 ﹁ 疑 を 懐 く も の あ り ﹂ と は 弟 子 の 圓 深 な る も の が 作 爲 し た の で は な い か と い ふ 疑 問 の 存 す る こ と を 云 つ た の で あ る 。 け れ ざ こ れ を 明 に し た の は 師 覺 意 の 大 い な る 功 績 と し て 推 讃 し な く て は な ら ぬ 聲 明 沿 革 史 小觀 一 一 五

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聲明 沿 革 史 小觀 一 一 六 或 は 五 音 博 士 の 圖 を 作 る も の に 五 人 あ り 、 曰 く 如 圓 ・ 性 如 (或 は 性 妙 に 作 る ) ・ 里 觀 ・ 浄 名 ・ 證 蓮 と 。 こ れ ら の 中 、 唯 證 蓮 房 一 人 顯 は れ て 、 他 の 四 人 の 傳 は 失 は れ て し ま つ た 。 且 つ 前 項 に 記 し た る 如 く 、 中 川 大 進 上 人 十 一 聲 を も つ て 音 譜 を 吟 ず と い ふ 一 傳 が あ る 。 若 し こ れ を 信 用 す と せ ば 、 覺 意 は そ の 音 譜 を 單 に 圖 示 し た と い ふ こ と に 止 ま る 。 然 り と せ ば 彼 の ﹁ 祐 眞 の 美 歎 極 ま り な し ﹂ と い ふ 記 事 の 理 由 少 な き こ と ゝ な る 。 こ れ に よ つ て 私 は や は り 覺 意 の 作 と 考 へ た い 。 前 掲 の 血 脉 圖 に 依 れ ば 、 定 意 と 般 若 房 實 恵 と の 傳 を 受 け た 人 に 賢 任 と い ふ 人 が あ り 、 賢 任 は 性 蓮 房 と い ひ 功 徳 聚 院 に 佳 し て ゐ た 。 そ の 資 と し て 隆 然 が 現 は れ た 。 又 定 意 の 資 な る 良 怡 は 弘 安 七 年 二 月 晦 日 秘 讃 等 を 定 意 よ り 受 け て ゐ る 。 ︹附 記 ︺ 脉 譜 で は 三 寳 院 琳 定 房 源 眞 の 門 下 に 東 南 院 流 組 な る 劔 海 が 出 で れ こ と に な つ て ゐ う け れ ご , 聲 決 書 で は 祐 眞 の 下 に あ る こ と に な つ て ゐ る 。 私 の 有 す る 足 利 時 代 の 血 脉 譜 に は 源 眞 の 下 に 列 め 。 然 ら ば 私 の 命 手 に す ろ 聲 決 書 の 潟 誤 か 。 記 述 は 少 し 前 後 す る が 、 前 第 九 項 に 掲 げ た 圖 表 第 二 な る 寛 朝 相 傳 の 一 流 は 如 何 に な つ て ゐ る か 、 今 こ れ を 示 せ ば 、

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忠 縁 は 法 橋 位 に あ り 、 も と 経 範 の 資 に し て 南 勝 房 と い ひ 、 太 秦 寺 の 僧 に し て 東 寺 別 當 と も な り 、 又 長 者 の 列 に 預 り 、 信 禪 阿 闍 梨 に 就 い て 聲 明 を 學 び 、 そ の 弟 子 中 最 も 秀 傑 な る も の と す 。 信 粛 律 師 舊 名 は 寛 延 相 應 院 の 律 師 と い ひ 、 南 勝 院 に 住 し 寛 助 の 付 法 と な つ た 。 能 覺 法 印 は 新 相 應 院 の 治 部 卿 法 印 、 本 名 は 覺 守 と い ふ 。 治 部 卿 大 納 言 能 俊 の 子 、 壽 永 元 年 五 月 十 二 日 年 六 十 に し て 寂 、 而 し て 信 禪 は 相 應 聲 明 沿 革 史 小 觀 一 一 七

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聲 明 沿 革 史 小 觀 一 一 八 院 流 の 祖 と 稱 へ ら れ 、 能 覺 法 印 は 新 相 應 院 流 の 祖 と な つ て ゐ る 。 前 第 十 項 に 出 す 如 き 仁 和 寺 大 聖 院 に 於 け る 久 安 年 間 の 談 合 の 後 、 定 遍 の 醍 醐 流 は 廣 く 世 に 行 は れ す 、 唯 相 應 院 流 の 二 派 と 進 流 と が 行 は れ て ゐ た 。 そ れ も 相 應 院 の 二 派 は 漸 次 衰 へ て 今 で は 、 京 都 仁 和 寺 に 此 の 流 の 聲 明 譜 の 残 存 す る を 見 る に し か 過 ぎ な い こ と に な つ て を り 、 唯 進 流 の み 廣 く 傳 へ ら れ 、 眞 言 聲 明 と し て 現 代 に も 猶 盛 に 行 は る ゝ は 注 意 す べ き こ と で あ ら う 。 然 し 彼 の 醍 醐 流 聾 明 は 後 新 義 眞 言 に 傳 へ ら れ て 、 そ の 昔 法 は 現 に 行 は る ゝ 所 と す 。 ( 點 第 十 四 項 參 照 の こ と )

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上 記 の 文 言 は 甚 だ 簡 な れぞ 、 こ れ ら の 中 に 含 む 意 義 の 甚 だ 重 要 な る も の ゝ 存 す る こ と は 、 魚 山 集 一 部 を 開 か ば 自 ら 明 了 と な る で あ ら う 。 更 に 師 は 諸 秘 讃 の み な ら す 、 乞 戒 大 阿 の 聲 明 等 に も 墨 譜 を 施 し た 聲 明 系 譜 に 依 る に ﹁ 隆 然 に 至 る ま で 久 し き 間 秘 讃 や 乞 戒 及 び 大 阿 の 聲 明 等 は 何 れ も 皆 古 譜 を も つ て 行 じ て ゐ た の で あ る が 、 暦 應 四 年 に 龍 光 院 良 朝 の 需 め に 應 じ 、 始 め て 古 譜 を 更 へ て 五 音 譜 と な し 、 送 に 相 承 の 本 と し 盛 行 す る に 至 つ た ﹂ と 。 時 に 師 八 十 四 歳 と な つ て ゐ る 。 こ れ ら の 墨 譜 が 、 後 學 の 徒 を 益 し た こ と は 誠 に 鮮 少 で な い 。 こ れ ら の 事 跡 に よ つ て 、 隆 然 師 の 我 進 流 聲 明 史 上 に 於 け る 効 績 の 大 を 察 す べ き で あ る 。 彼 の 著 ﹁ 私 案 記 ﹂ 三 卷 及 び ﹁ 魚 山 ﹂ 二 卷 は 末 學 の 依 つ て も つ て 則 と す る 所 、 或 は ﹁ 聲 實 聲 明 沿 革 史 小 觀 一 一 九

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聲 明 沿 革 史 小 觀 一 二 〇 抄 ﹂ は ﹁ 畳 證 院 隆 然 の 作 か ﹂ と も い ふ 。 隆 然 畳 證 院 に 佳 す る に よ つ て 、 此 の 一 流 を覺 證 院 方 と い ひ 、 こ れ を 進 流 の 正 系 と し て 大 い に 尊 重 す 。 ﹁ 聲 決 書 ﹂ に 師 を 讃 じ て ﹁ 於 聲 明 道 得 近 代 無 雙 之 達 名 こ と い ふ も 敢 ね て 過 言 で は な か つ た ら し い 。 雷 時 京 都 の 東 寺 より 野 山 検 校 へ 人 を 使 し て 、 進 流 聲 明 の 達 人 を 尋 ね て 來 た 。 時 に 野 出 検 校 修禪 院 の 明 玄 法 印 曰 ふ 。 進 流 聲 明 に 於 い て 當 代 無 雙 の 達 名 は覺 證 院 隆 然 で あ つ て 、斯 れ 實 に 當 山 聲 明 の 發 頭 で あ るそ 返 事 し た と 傳ふ 。 隆 然 師 は 此 の 聲 明 道 に 於 い て 二 種 の 人 あ り 、 一 に は 撃 明 師 と い ひ 、 二 に は 聲 明 士 と い ふ 。 聲 律 の 位 調 を 明 解 し 、 相 傳 の 秘 曲 に 精 通 す る を 聲 明 師 と な し 、 ノ そ な り 音 韻 清 朗 に し て 調 聲 無 窮 な る を 聲 明 士 と な す 。 そ の 中 で も 師 た る 人 は 其 の 二 を 条 ね た る も の で な く て は な ら ぬ と 。 (暑 頌 文 解 二 十 九 紙 左 ) 誠 に 隆 然 の 如 き は そ の 師 た る 代 表 的 の 任 體 で あ っ た と す べ き で あ ら う 。 彼 れ の 弟 子 に し て 有 名 な る 人 を 見 る に 、 前 の 玄 海 の 外 に 、 照 觀 院 性 禪 房 検 校 法 印 祐 勝 ・ 地 藏 院 静 觀 房 信 祐 阿 闍 梨 ・ 鍋 證 院 明 義 房 阿 闍 梨 性 祐 等 が あ る 。 玄 海 は 寳 性 院 學 頭 と な り 権 大 僧 都 に ま で 進 ん だ 。 其 他 に も 猶 數 多 あ り 、 或 は そ の 徒 凡 そ 一 百 人 と も 傳 ふ 。 而 し そ の 師 の 眞 髄 を 傳 へ た も の は 重 弘 と 輝 恵 と の 二 人 で あ る 。 禪 恵 は 行 圓 房 と い ひ 、 野 山 総 持 院 に 佳 し 、 第 百 十 九 世 の 検 校 と な つ て を り 、 延 元 九 年 九 月 二 十 四 日 越 中 北 田 井 の 極 樂 寺 に あ つ て 聲 明 集 に 博 士 を 付 け た 。 重 弘 は 琳 圓 房 と い ひ 、 讃 州 の 人 覺 證 院 に 佳 し 、 音 曲 の 達 人 に し て 隆 然 の 後 を 受 け 、 覺 證 院 の 一 派 を 完 成 し た 。 此 處 に 進 流 中 劔 海 の 東 南 院

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に 對 し 、 更 に 一 派 を 加 ふ る に 到 つ た 。 延 元 二 年 十 一 月 十 五 日 秘 讃 及 び 乞 戒 の 聲 明 を 受 け , 後 又 大 阿 闍 梨 の 聲 明 を 學 び 、 師 の 入 滅 に 當 つ て は 覺 證 院 の 付 属 を 受 け た 。 ﹁ 聲 決 書 ﹂ に は 東 南 院 方 の 聲 明 を 興 し た 劒 海 の 一 門 に し て 、 院 家 付 属 の 弟 子 と な つ た 人 に 了 榮 房 と い ふ あ り 、 聲 明 業 に 於 い て 指 し た る 稽 古 な く 、 自 ら 追 悔 し て 愚 僧 の 代 に 至 り 當 院 家 の 聲 明 廢 る ゝ こ と ロ 惜 し き 事 で あ る と て 、 覺 證 院 の 門 に 參 じ 隆 然 阿 闍 梨 に 随 ひ 音 曲 を 學 ぶ も 器 量 な く 、 短 息 に し て 長 き 博 士 に 煩 ひ あ り 、聲 強 く し て 無 窮 な ら す 、 非 器 な れ ご 師 に 仕 ふ る こ と 孝 、 書 夜 に 給 仕 す 或 時 隆 然 阿 闍 梨 了 榮 を 召 し て 、 佛 法 稟 承 の 旨 を 語 つ て 、 大 師 の 釋 に 、 授 く る に 過 あ り 非 器 な る に 授 く る 故 、 復 授 け ざ る に 過 あ り 法 器 な る を 知 ら ざ る 故 、 則 ち 御 邊 は 聲 明 道 に 指 し た る 達 人 な ら ざ る も 志 、 孝 切 な る も の あ る に よ つ て 、 秘 讃 乞 戒 等 を 傳 授 せ ん と て そ れ ら を 悉 く 授 け 畢 ね ら れ た 。 乃 ち 了 榮 自 讃 し て 、 我 は 覺 證 院 聲 明 の 大 事 を 相 傳 し た 。 重 位 誰 れ に 劣 る べ き と 、 か く て 東 南 院 に あ つ て 音 法 を 弘 通 し た る も 、 本 來 非 器 た る に よ つ て 本 説 に 無 き 譜 博 士 を 出 し 、 正 流 に 相 違 す る こ と あ り 、 こ れ を 了 榮 房 の 非 節 或 は 菲 韻 と 名 け 傍 傳 と し て 肥 す 。 當 世 聲 明 の 中 に 時 々 こ れ あ り 、 學 ぶ も の そ の 博 士 の 處 に 到 つ て 能 く 辮 別 せ よ 云 々 ( 已 上 聾 決 書 ) 、 或 は こ れ ら の 記 事 の 中 に は 、 覺 證 院 方 の 人 の 誹 諺 的 言 辭 混 入 せ り と す る も 、 劒 海 の 東 南 院 流 聲 明 は 既 に そ の 門 下 に 於 い て 廢 る ゝ こ と を 告 ぐ る も の か 。 猶 上 記 の 外 實 然 と い ふ あ り 、 文 殊 院 に 住 し 教 圓 房 と い ふ 。 暦 應 二 年 五 月 十 二 日 に 乞 戒 の 聲 明 を 受 け た 。 今 隆 然 の 門 下 並 に そ の 後 を 圖 す れ ば 、 聲 明 沿 革 史 小 觀 一 二 一

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聲 明 沿 革 史 小 觀 一 二 二 眞 恵 は 禪 覺 房 と い ひ 心 南 院 に 住 し 、 延 元 三 年 四 月 二 十 一 日 に 秘 讃 等 を 受 く 。 静 恵 は 遍 明 院 に 佳 し 、

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宥 快 法 印 は 寳 性 院 の 學 匠 、 宥 信 は 如 意 輪 寺 の 先 代 、 以 上 は ﹁ 聲 明 血 脉 譜 ﹂ に 出 さ ざ る 所 に し て 、 他 本 を も つ て 私 に 補 ふ 。 源 寳 は 大 智 院 に 住 し 、 正 平 十 三 年 四 月 に 秘 讃 及 び 乞 戒 を 學 ぶ 。 時 に 年 三 十 、 六 月 一 日 に 大 阿 闍 梨 聲 明 を 傳 ふ と 。 隆 印 は 後 隆 法 と 改 め 道 慶 房 と 稱 し 、 覺 證 院 に 住 し 永 和 二 年 二 月 二 十 一 日 に 秘 讃 等 を 受 け 文 安 四 年 に 槍 校 と な つ た 。 (第 百 三 十 五 世 )年 九 十 有 除 、 ﹁ 聲 明 口 訣 ﹂ (或は曰、聲明口傅 ) 一 卷 を 残 し た 。 か く の 如 き 諸 師 に よ つ て 傳 へ ら れ た 隆 然 師 の 聲 明 の 實 際 を 發 輝 し 、 斯 道 の 爲 め に 努 力 し た の は 實 に 長 恵 と す 。 猶 觀 深 の 次 の 慈 鏡 始 め に は 慶 順 眼 鏡 房 と 稱 し 、 阿 州 の 人 、 應 永 三 年 七 月 中 旬 よ り 八 月 上 旬 に 亘 り 、 ﹁ 聲 決 書 ﹂ 一 卷 を 著 述 す 。 春 秋 二 十 九 歳 の 時 の 作 と す 。 時 代 聲 明 道 の 史 的 大 勢 を 知 る 爲 め に 、 復 時 代 音 樂 の 基 模 を 知 る 爲 め に 、 甚 だ 珍 重 す べ き の 書 と す 。 其 他 ﹁ 幻 夢 教 道 集 ﹂ を 作 る 〇 自 ら 稱 し て ﹁ 以 覺 證 院 方 聲 明 爲 進 流 之 嫡 流 こ と 。 東 南 院 流 は か く て 十 分 の 成 果 を 得 す し て 終 る や う に な つ た 。 東 南 院 重 仙 も ﹁ 聲 明 口 訣 ﹂ 一 卷 を 残 し た 。 時 々 用 ゐ ら る ゝ を 見 る 。

本 論 第 八 項 所 記 に 績 い で 、 そ の 後 の も の を 出 さ ね ば な ら な い の で あ る け れ ご 、 現 在 私 の 手 許 に は 相 承 脉 譜 を 有 す る の み に て 、 そ れ 以 上 に 記 す べ き 資 料 を 有 せ ず 、 爲 め に 詳 細 な る こ と は 今 後 研 究 の 成 果 を 得 る に 隨 つ て 、 そ の 結 果 を 發 表 す る こ と ゝ し た い 。 聲 明 沿 革 史 小 觀 一 二 三

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聲 明 沿 革 史 小 觀 一 二 四 但 し ﹁ 聾 決 書 ﹂ に 、 慈 鏡 上 人 の 時 代 に 到 る ま で の 記 述 少 し ば か り 存 す る に よ つ て 、 そ れ と 血 脉 譜 と を 對 象 し て 、 簡 單 な が ら 此 處 に 出 す こ と ゝ す 。 彼 の 聲 決 書 に は 良 忍 上 人 以 後 斯 道 を 和 績 す べ き 器 用 の 人 な く 、 大 原 本 山 の 聲 明 廢 忘 し 畢 る と 記 す 。 或 は ﹁ 希 有 傳 博 士 意 聲 亂 脱 ﹂ と 。 然 し 宗 快 法 印 に 到 る ま で の 大 勢 は 前 項 に 述 べ た の で 彼 れ を 參 照 せ ら れ た い 。 ﹁ 聲 決 書 ﹂ に は 次 に 中 頃 宗 快 法 印 あ り 、 大 原 聲 明 の 廢 忘 す る を 見 て 、 彼 の 山 の 梵 曲 を 絶 つ こ と 依 正 二 法 の 亡 滅 な り と て 憤 り を 起 し 、 來 迎 院 に 住 し 再 び 聲 明 道 を 隆 盛 な ら し め た 。 去 る 嘉 禎 年 中 に 亂 脱 の 博 士 を 改 め 、 一 卷 の 書 を 作 つ て ﹁ 魚 山 目 録 ﹂ と 名 け た 。 中 に 集 む る 所 は 皆 良 怨 の 遺 韻 と す 。 こ れ 大 原 聲 明 の 秘 書 と し て 、 今 日 猶 珍 重 す る 所 、 斯 道 の 極 秘 皆 此 の 中 に 在 り 。 宗 快 は 自 ら 得 る 所 の 音 韻 を 圓 珠 上 人 と 教 性 上 人 と に 傳 へ た 。 二 人 は 北 山 殿 の 息 に し て 、 倶 に 來 迎 院 に 佳 し 妙 曲 を 弘 め た 。 そ の 中 教 性 上 入 は 後 に 妻 帯 す る こ と ゝ な つ た の で 、 圓 珠 上 人 は 勝 林 院 に 移 り 、 一 層 妙 曲 の 弘 通 に 努 め た 。 時 代 の 人 は こ の 二 人 を 二 達 と 稱 し た 。 か く 二 人 分 れ る こ と ゝ な つ て か ら 大 原 の 流 に 復 二 派 存 す る や う に な つ た 。 圓 珠 は 音 律 の 深 奥 を 究 め た る 人 で あ り 、 教 性 は 音 聲 妙 麗 な う し 爲 め 、 そ の 梵 曲 を 聽 く も の 涙 を 流 す と 傳 ふ 。 圓 珠 上 人 に は ﹁ 文 明 九 年 四 月 始 之 ﹂ と い ふ ﹁ 諸 聲 明 口 傳 隨 聞 及 注 ﹂ と 題 す る 述 作 も の が あ る 私 の 見 た 本 に は ﹁ 七 十 入 帖 之 内 當 用 十 四 帖 南 房 不 出 ﹂ と あ る 。 其 他 ﹁ 反 音 圖 (付呂 律不同 ) ﹂ と い ふ も の も 見 た 。 ( 叡 山 多 紀 消 忍 師 藏 ) 兎 に 角 良 忍 以 後 に 於 け る 斯 道 の 大 家 で あ つ た と 思 は る 。 或 年 圓 珠 上 人 高 野 山 籠 の こ と あ り 、

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そ の 時 金 剛 三 昧 院 空 忍 上 人 に 値 ひ 密 流 の 聲 明 を 學 ん だ 。 空 忍 は 又 顯 流 の 聲 明 を 圓 珠 房 よ り 學 ぶ 。 或 時 空 忍 曰 く 、 大 原 聲 明 の 秘 事 に 於 い て 覆 藏 な く ん ば 、 我 亦 密 流 聲 明 の 大 事 に 於 い て 敢 て 怯 惜 せ ず と 。 圓 珠 房 歡 喜 し て 空 忍 上 入 に 約 す 。 乃 ち 阿 闍 梨 位 の 聲 明 を 授 く る の 時 、 空 忽 は ﹁ 魚 山 目 録 ﹂ を 得 た 。 か く 互 に 顯 密 互 授 し た 。 怨 は 受 く る 所 の 顯 流 聲 明 を 一 心 院 法 智 坊 の 住 持 教 義 和 尚 觀 深 に 授 く 。 觀 深 は 顯 の 聲 明 に 於 け る 忍 の 上 足 そ す 。 か く の 如 く に 相 傳 さ れ た 顯 流 の ﹁ 魚 山 目 録 ﹂ は 至 徳 年 中 阿 波 の 國 に 於 い て 慈 鏡 が 觀 深 よ り 受 け た 。 慈 鏡 以 後 ﹁ 魚 山 目 録 ﹂ の 野 山 に 於 け る 授 受 は 明 了 な ら ざ れぞ 、 そ の 枝 條 今 に 相 傳 へ て ゐ る 。 古 昔 野 山 に 於 け る 行 人 方 で は 大 原 の 伽 陀 を 用 ひ て ゐ た 。 そ の 伽 陀 の 入 つ た 聲 明 法 則 は 現 に 野 山 に 於 い て し ば く 見 る 所 と す 。

長 恵 字 を 智 生 房 と い ひ 、 武 州 の 人 、 野 山 明 王 院 忠 義 法 印 の 資 、 曾 つ て 醍 醐 清 浄 光 院 に 佳し 、 後 鎌 倉 の 二 階 堂 別 當 に 任 せ ら れ て 彼 の 地 に 在 り 、 更 に 遁 れ て 南 山 に 登 り 往 生 院 谷 に 住 す 。 時 の 人 、 本 の 任 地 の 名 を 呼 ん で 清 津 光 院 と い ひ 、 又 二 階 堂 と い ふ 。 永 正 十 五 戊 寅 六 十 一 歳 の 時 無 量 壽 院 に 入 る 。 慶 長 七 年 三 月 二 十 一 日 に 彼 の 二 階 堂 を 野 山 高 祖 院 に 合 し た の で 、 爾 來 高 祖 院 を 稱 し て 二 階 堂 と い ふ や う に な つ た 師 は 明 應 五 丙 辰 年 三 十 九 に し て ﹁ 魚 山 螢 芥 集 ﹂ 上 ・ 中 ・ 下 三 卷 を 撰 し 、 後 永 正 十 四 丁 丙 歳 に こ れ を 再 校 し そ の 翌 年 冬 無 量 壽 院 に 移 り 、 大 永 四 甲 申 年 野 山 第 百 七 十 入 代 の 槍 校 と な り 、 そ の 年 十 一 月 二 日 に 遷 化 し 聲 明 沿 革 史 小 觀 一 二 五

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聲 明 沿 革 小 史 觀 一 二 六 た 。 時 に 年 六 十 七 。 實 に 今 日 ﹁ 魚 山 螢 芥 集 ﹂ あ り 、 我 聲 明 業 の 規 模 を な し 、 完 備 せ る 南 山 進 流 と し て 存 す る を 得 る は 、 全 く 師 の 功 績 に 在 り と し な け く て は な ら ぬ 。 ﹁ 魚 山 集 ﹂ に 普 門 院 の 理 峯 師 ﹁ 至 干 長 恵 集 成 諸 家 芳 訓 古 今 霊 變 観 一 無 遺 ﹂ と い ふ も 誠 に 單 な る 讃 辭 の み で は な い の で あ る 。 一 本 の 朱 書 を 見 る に 御 本 云 此 口 傳 聲 明 集 拭 二 老 眼 註 之 了 去 云 永 正 十 一 年 甲 戊 余 三 日 於 清 浄 光 院 客 殿 書 註 之

春 秋 五 七 と あ る 。 然 ら ば 聲 明 集 の 外 に そ の 口 傳 を 註 し た る 本 を も 獲 さ れ た ら し い 。 或 は こ れ 再 校 本 の 稿 本 と な つ た も の か 。 因 み に 密 家 に 古 來 傳 へ ら れ て ゐ る 魚 山 本 の 種 類 を 掲 ぐ る こ と ゝ す 。

南 院 に あ り 、 或 は 善 集 院 に 在 り と も い ふ 。

隆 然 自 筆 の 本 大 聖 院 に あ り 。

直 筆 如 意 輪 寺 に あ り 。 此 の 魚 山 は 覺 意 所 制 の 十 五 折 博 士 に 因 て 譜 を 點 じ 、 隆 然 の 頌 文 な 置 き 勢 遍 に 授 與 す ろ 所 の 本 。 正 保 三 年 に 刊 行 す 。 因 て 正 保 の 魚 山 と も い ふ 。 寛 保 年 中 理 峯 眞 源 の 二 師 ニ れ に 序 と 趺 と を 加 へ 、 表 題 に ﹁ 寛 保 再 校 ﹂ の 四 字 を 冠 す 。 明 治 改 版 の 原 本 と な ろ も の 。 同 名 の 本 に 武 藏 國 英 長 の も の あ り 。 但 し 誤 多 し 。

直 筆 普 門 院 に あ り 。 上 卷 の 終 に 梵 字 の 光 明 眞 言 な 載 す 。 ( 永 録 頃 の 人 )

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多 聞 院 に あ り 註 者 不 知 。

肥 前 國 黒 髪 山 に あ り 。

北 谷 法 泉 院 に あ り 。

一 明 應 魚 山  二 天 文 魚 山 寂 静 院 藏 版

正 保 三 年 刊 、 明 治 改 版 魚 山 の 原 本 た る も の 。

正 保 再 刻

慶 安 三 年 上 梓 正 保 と 同 本 な り 。

二 年 上 梓 新 義 方 の 版 誤 多 し 。

三 年 刻 成 誤 多 し 。

二 年 上 梓 誤 多 し 。

元 年 上 梓 義 仙 師 の 本 誤 多 し 。

( 葦 原 寂 照 師 著 ﹁ 聲 明 大 意 、 畧 頌 文 解 一二 六 紙 左 以 下 參 照 ) 猶 ﹁ 略 頌 文 解 ﹂ に 葦 原 師 は ﹁ 魚 山 の 調 卷 に 諸 山 の 不 同 こ れ あ り や ﹂ と て 、 古 記 に 御 室 は 牒 丁 三 卷 小 、 野 醍 醐 は 唐 冊 (私 云 唐 閉 一 冊 ) 東 寺 高 野 ば 三 卷 本 (私云和本大冊 ) と す 。 且 つ 魚 山 の 名 稱 は 正 保 年 間 よ り 五 箇 の 本 山 通 じ て 呼 び 習 ふ そ 。 猶 寛 保 三 年 魚 山 集 を 刻 す る に 當 つ て 南 山 成 蓮 院 眞 源 師 は 序 文 を 書 い て 居 ら れ る 。 其 序 に 、 覺 證 院 流 五 音 の 譜 を 點 す る も の に 、 前 に 正 保 慶 安 の 二 刻 あ り 、 並 に 皆 長 恵 集 録 の 本 に 同 じ く 、 天 和 の 印 本 出 つ る に 及 び て 中 に 他 調 を 雑 へ 、 後 貞 享 の 新 刻 あ れ ご 多 く 所 傳 を 失 ひ 、 却 つ て 誰 傳 を 重 ぬ 。 こ れ に 聲 明 沿 革 史 小 觀 一 二 七

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聲 明 沿 革 史 小 觀 一 二 八 よ つ て 長 恵 の 親 蹟 並 に 相 承 の 古 記 に 依 り 、 再 び 正 保 の 印 本 を 校 し て こ れ を 世 に 行 は ん そ す 云 々 。 も つ て 進 流 に 於 け る 寛 保 本 の 便 値 を 知 る べ き で あ る 。 明 治 改 版 の 本 は こ れ と 前 の 正 保 本 と に よ る 。 長 恵 の 資 勢 遍 の 次 に 朝 意 が あ る 。 木 食 上 人 と 稱 し 順 良 房 と 號 す 。 光 臺 院 内 眞 善 院 に 佳 し て ゐ た 。 大 和 添 上 郡 の 人 、 慶 長 四 年 十 月 十 九 日 化 . 生 年 八 十 二 、 五 音 八 家 秘 曲 ・朝 意 口 傳 書 ・ 講 勤 集 等 を 残 し た 。 こ れ ら と 朝 意 魚 山 と を 比 較 對 象 し 檢 索 す れ ば 朝 意 の 聲 明 が 見 ら る ゝ で あ ら う 。 復 長 恵 の 資 頼 宣 は 宗 觀 房 と い ひ 、 遍 照 尊 院 に 住 し 、 明 應 七 年 八 月 七 日 秘 讃 等 を 受 け て ゐ る 。

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右 の 圖 表 に て も 知 ら る ゝ 如 く 、 朝 意 よ り 五 代 を 経 て 西 禪 院 榮 融 師 が 出 で た o そ の 師 た る 融 傳 師 は 性 急 に し て 氣 高 く 、 門 弟 の 能 く 學 び 能 は ざ る を 問 ふ と い へ こ も 速 に 示 す こ と な く 、 示 す と 難 も 耳 を 提 こ ご な く 、 故 に 就 い て 學 び 得 る も の 幾 ご 希 で あ つ た o そ の 高 弟 と な ら れ た る 榮 融 は 師 に 隨 侍 す る こ そ 頻 る 愼 謹 丁 寧 、 寤 寐 思 伏 し て 殆 ん ざ 寝 食 さ へ 忘 れ ら れ る の で あ つ た 。 さ れ ば こ そ 榮 融 前 官 は 師 の 風 範 を 縫 い で 、 よ く 器 量 を 大 成 し 得 ら れ た の で あ る o 同 門 の 隆 轡 は 俊 長 房 と い ひ 攝 州 摩 耶 山 頑 生 院 の 一 世 に し て 、 萬 治 四 年 一 月 十 九 日 の 化 、 三 時 法 則 を 傳 與 さ る 。 榮 融 師 は 假 名 正 遍 房 、 武 州 久 良 岐 郡 富 岡 の 人 姓 は 岡 木 氏 、 寛 交 元 年 野 山 に 登 り 、 事 教 習 練 勤 行 倶 に 努 む 。 八 歳 の 時 州 の 慶 珊 寺 傳 雅 阿 闍 梨 に 就 い て 剃 髪 し た の で あ る 。 野 山 に 登 り て 後 大 い に 勉 學 し 、 融 傳 師 に 就 い て 前 述 の 如 く 努 力 精 進 怠 る な く 、 復 地 藏 院 長 翁 阿 闍 梨 に 就 い て 庭 儀 の 秘 密 灌 頂 を 受 け 、 元 禄 十 七 年 西 禪 院 に 佳 す ○ そ の 前 に は 徳 嚴 ・ 五 智 ・ 寳 塔 の 三 院 に 轄 住 し た 。 享 保 三 年 十 二 月 に 第 二 百 七 十 九 世 寺 務 檢 校 と な り 、 治 山 一 年 に し て 辭 し 、 享 保 十 六 辛 亥 年 六 月 二 十 六 日 寂 、 壽 九 十 一 、 そ の 上 足 な る 理 峯 師 、 師 の 音 調 を 歎 じ て 、 其 音 也 大 而 静 健 而 和 輕 重 清 濁 峻 雅 瀏 亮 恍 惚 心 惑 ( 四 座 講 序 ) と 、 も つ て 師 の 風 範 を 知 る に 足 る で あ ら う 。 寛 傳 春 良 房 は 慈 眼 院 ・ 龍 光 院 そ 輔 佳 し 、 後 櫻 池 院 を 条 ね 、 享 保 庚 戌 歳 八 月 十 九 日 化 、 榮 融 師 に 就 い て 理 峰 ・眞 源 等 と 共 に 斯 道 の 傳 を 受 け た 。 共 に 三 階 の 秘 韻 を 受 け 授 受 の 絶に ん そ す る を 繼 ぐ 。 密 花 院 霊 瑞 師 は ﹁ 密 宗 諸 法 會 儀 則 ﹂ を 著 述 し 、 其 他 多 く の 法 則 類 を 刊 行 し 聲 明 沿 革 史 小 觀 一 二 九

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聲 明 沿 革 史 小 觀 一 三 〇 功 績 を 後 代 に 残 し た 。 假 設 靈 瑞 師 の そ れ ら の 著 述 の 中 に は 師 説 を 失 す る も の あ b と て (魚 山 蔓 芥 集 要 覧 參 照 ) 私 の 今 の 論 述 に は 大 過 な い こ と ゝ す 。 眞 源 師 は 性 痰 疾 に し て 諷 詠 を 善 く せ す と 傳 ふ 。 而 し 斯 道 の 熱 心 な る 研 究 家 に し て ﹁ 密 宗 聲 明 系 譜 ﹂ の 箸 は 最 も よ く 知 ら る 。 故 實 に 通 ず る こ そ 當 代 第 一 な り し そ 稱 す 。 彼 の 隆 然 が 斯 道 に 於 け る 師 と 士 そ の 別 を 見 た る に 對 し 、 眞 源 は 四 句 の 解 釋 法 を 適 用 し 一 に 師 、 二 に 士 、 三 に 亦 師 亦 士 、 四 に 非 師 非 士 、 と し た 。 そ の 第 一 は ロ に 雅 唱 な し と 錐 も 音 律 に 通 曉 す る も の 、 次 の 句 は 音 聲 清 朗 に し て 調 韻 無 窮 な る も の 、 第 三 は 音 聲 清 雅 に し て 音 律 の 法 に 調 達 せ る も の 、 第 四 句 は 唯 囂 々 こ し て 聲 音 と し て も 律 法 そ し て も 倶 に 契 合 せ ざ る も の と い ふ の で あ る 。 師 と 士 と の 見 解 に 就 い て 第 十 一 項 に 記 す る 所 そ 多 少 、 そ の 所 述 を 異 に す る あ る も 、 そ の 結 論 は 必 然 の 果 で あ ら う 。 眞 源 師 は 野 山 の 左 學 頭 に ま で 昇 進 し た る 人 に し て 、 寳 歴 八 年 戊 寅 六 月 十 九 日 寂 、住 壽 七 十 、 攝 州 丹 生 山 田 の 人 そ 。 理 峰 師 は 春 應 房 と 號 し 、 初 の 名 は 傳 養 長 任 房 、 高 善 ・ 壽 福 の 二 院 よ り 轉 じ て 普 門 院 に 移 つ た 。 享 保 十 二 丁 未 年 龍 光 院 の 寛 傳 等 そ 共 に 西 禪 院 の 榮 融 に 就 い て 三 階 の 秘 韻 を 受 け 、 而 し て 此 の 師 一 人 出 藍 の 稱 を 得 た 蓋 し 、 寛 永 七 年 十 月 五 日 野 山 伽 藍 の 灌 頂 院 罹 災 以 來 、 一 百 十 八 年 間 恒 例 の 結 縁 灌 頂 絶 え て 行 は れ ず 、 秘 韻 亦 傳 授 の 機 を 失 は ん こ す る に 到 つ た 。 そ れ が 今 復 興 さ れ た の で あ る 。 師 は 年 十 三 に し て 南 山 に 登 り (元 緑 二 年 ) 高 善 院 長 譽 の 室 に 入 り 修 學 す 。 彼 の 榮 融 前 官 に 就 い て 梵 曲 を 習 ふ こ そ 凡 そ 三 十 一 箇 年 、 豁 然 そ し て 正 灣 甲 乙 の 至 妙 を 得 、 梵 唄 ・歌 讃 ・講 式 ・ 伽 陀 等 及 び 彌 陀 ・ 八 名 二 箇 三 昧 の 曲 調 を 整 へ て 聲 價 一 山

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に 高 し と は ﹁ 紀 伊 績 風 土 記 ﹂ 々 者 の 詞 と の み す べ き で な い 。 蓋 し 聲 曲 に 於 い て 近 世 此 の 師 を も つ て 白 眉 そ す 。 師 は 和 州 五 條 の 入 姓 赤 坂 氏 、 資 性 温 順 に し て 善 く 威 儀 を 正 し う し ﹁ 人 悦 其 交 ﹂ そ 。 學 は 内 外 の 典 籍 に 通 じ 、 最 も 梵 唄 に 長 じ た 。 賓 暦 八 年 五 月 四 日 化 、 世 算 八 十 有 二 、 自 記 す る 所 に 依 る そ 、

(榮融

)

及三

退

調

使

(

延 三 年 + 一 13 記 四 座 講 式 序) そ 。 眞 源 師 の 録 す る 所 に よ る そ 、 寛 永 七 年 十 月 五 日 焼 失 後 の 灌 頂 院 が 、 寳 暦 三 癸 酉 の 年 に 再 建 成 る や 結 縁 灌 頂 を 行 つ て 舊 儀 に 復 せ ん そ し 、 二 月 十 日 に 壽 門 主 智 翁 ・ 寳 門 主 弘 範 並 に 時 の 檢 校 法 印 理 峰 を 浄 菩 提 院 に 請 じ 、 秘 讃 を 受 け 、 二 十 二 日 に 乞 戒 大 阿 の 聲 明 を 受 け た 。 時 の 同 受 者 西 南 院 の 長 觀 等 七 入 皆 寳 ・ 壽 兩 門 の 高 徳 そ す 。 其 他 競 望 者 、 渇 し た る も の ゝ 水 を 求 む る が 如 く で あ つ た そ 、 (聲 明 血 脉 譜 參 照 )。 こ れ 尊 き 記 録 で な く て は な ら ぬ 。 是 の 如 き 理 峰 師 の 門 下 數 多 あ れ ぞ 、 そ の 最 も 傑 出 し た る は 廉 峯 師 そ す 師 は 理 峰 の 後 を 績 い で 普 門 院 に 住 す 。 良 忍 房 そ 稱 し 和 州 の 人 赤 坂 氏 、 理 峯 法 印 に 就 い て 薙 染 受 戒 し 、 先 師 の 業 を 繼 い で 能 く 音 律 に 達 し 、 其 名 高 く 海 内 に 遍 じ 、 如 意 輪 寺 弘 榮 ・東 南 院 寛 光 な ぞ そ い ふ 斯 道 の 逹 者 は 皆 此 の 門 よ り 出 づ 。 明 和 九 年 壬 辰 七 月 十 四 日 卒 、 春 秋 五 十 有 四 如 意 輪 寺 弘 榮 前 官 は 字 を 定 俊 房 そ い ひ 、 阿 州 川 田 山 の 人 俗 姓 佐 藤 氏 、 賓 暦 六 年 同 州 の 醫 光 寺 龍 昇 の 室 に 入 つ て 薙 染 、 同 七 月 野 山 に 登 り 聲 明 沿 章 史 小 觀 一 三 一

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聲 明 沿 革 史 小 觀 一 三 二 如 意 輸 寺 弘 道 闍 梨 の 室 に 入 る 。 そ し て 野 澤 の 法 流 を 受 け 、 殊 に 聾 明 業 を 善 く す 。 文 化 十 三 年 十 月 寺 務 檢 校 そ な り 、 治 山 一 年 、 文 政 十 三 年 八 月 二 十 日 寂 、 年 八 十 七 、 此 の 弘 榮 師 の 次 に 眞 光 院 俊 亮 房 寂 如 あ り 。 次 に 寂 照 和 尚 が 出 ら れ た 。 寂 如 和 尚 は 有 名 な る ﹁ 聲 明 略 頌 文 ﹂ を 残 さ れ た 。 文 に 曰 、

調

音揚羽揚商

調

調

寂 照 師 は 右 の 頌 文 に 就 い て ﹁南山進流 聲 明 大 意 略 頌 文 解 ﹂ 一 卷 を 明 治 二 十 七 年 に 發 表 さ れ 、 別 に 又 ﹁ 魚 山 螢 芥 集 要 覧 ﹂ 一 卷 を 公 に し て (明 治 二 十 五 年 )魚 山 集 の 口 訣 そ 解 説 を 試 み 、 更 に 舊 本 長 恵 の 魚 山 を 改 訂 し て 刊 行 し 或 は そ れ に 假 譜 を 示 し 、 伽 陀 の 假 博 士 を 公 刊 す る 等 、 明 治 年 間 に 於 け る 斯 道 弘 通 の 爲 め の 努 力 は 、 そ の 口 諦 傳 授 の 席 を し ば ぐ 諸 國 に 開 莚 せ し そ 共 に 永 久 に 尊 重 さ る べ き 聖 業 で あ つ た 。

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