日本の読者に向けて
『中国
た︒拙稿は︑市場において法律サービスに従事するプロた国家規範体制において︑比較的弱い地位に置かれている プロフェッションの発展史上でもめったにないことであっ管理機関としての司法部が︑中国法律サービス市場といっ 年間の変化はむしろ日進月歩であり︑世界各国のリーガルいこともあるが︑それ以外に︑主な原因として弁護士業の ンの歴史はまだ比較的短い︒だが︑この中国での過去三十間がまだ比較的短いことや司法試験のハードルが比較的低 フェッションに比べ︑現代中国のリーガルプロフェッショくない︒その原因は︑リーガルプロフェッションの発展期 会が得られて︑非常に光栄に感ずる︒日本のリーガルプロ市場的地位はまだ安定しておらず︑社会的声望もさほど高 の中国リーガルプロフェッションの発展状況を紹介する機高い経済的収入や社会的地位と比較して︑中国の弁護士の を発表し︑そして︑日本の読者に対し︑一九八〇年代以降外国弁護士事務所などに注目する︒日本の弁護士のかなり ロフェッション﹇法律職業=原文︒以下同﹈に関する論考ン︑例えば基層法律服務︑企業法律顧問︑法律諮詢公司︑ 21』誌上において︑この中国におけるリーガルプおいて︑それと競いあうその他のリーガルプロフェッショ ずに︑主として弁護士﹇律師﹈および法律サービス市場に ため裁判官﹇法官﹈︑検察官などの国家司法専門職は含ま フェッション﹇職業﹈に限定して論じたものである︒その 劉
中 国 の リ ー ガ ル プ ロ フ ェ ッ シ ョ ン 三 十 年
思達︵訳=都築順子︶
●●●●● 論 説 ││││││││││││││││││││││││││││││││││││││││││││中国法の諸相
ことにある︒同時に︑中国における基層法律服務という職業は︑日本の司法書士ともある程度比較し得るが︑ただし︑これまでのところ︑基層法律服務と弁護士との間には明確な分業がまだなされていないのであり︑このことによっても︑両者が提供する法律サービスの過程において︑多くの混乱をもたらしている︒渉外法律サービスの面では︑中国における法律サービス市場は︑今のところ︑まだ外国の弁護士事務所に対して︑全面的な開放をしていない︒だが︑今後日本のように︑次第に開放していく可能性は大きいであろう︒ただ︑さらにもっと時間が必要であるかもしれない︒要するに︑中国のリーガルプロフェッションは︑この三十年の法律改革の後も︑依然として急速な変化の時期に位置しており︑将来の発展動向は全く明確なものではなく︑日本や韓国のようにランクがはっきり分かれたリーガルプロフェッション体系に発展する可能性もあれば︑アメリカのように弁護士業のみが法律サービス市場を独占する可能性もある︒今後の行方を注意深く見守りたい︒
* * *
中国におけるリーガルプロフェッションの歴史は短い割拠の歴史である︒帝政時代の二千年においては︑国家に認可された正式なリーガルプロフェッションは存在しておら ず︑「オールラウンド型の役所」﹇全能型衙門﹈が︑司法を含めた多くの社会統治管理の職能を担ってきた︒唯一︑歴史諸資料に見られた法律専門人員は「刀筆吏」︵公文書作成の役人︶と称せられた官吏と庶民のために訴状を作成する訴訟代理人であっ ﹀1
︿た︒ただし︑これらの集団はこれまで高度に組織化され︑かつ複雑な専門技能を備える職業を形成してこなかった︒むしろ︑言葉を紡いで訴訟を起こしたため︑しばしば人々から「訴訟ゴロ」とさげすまれた︒中華民国の時代に至って︑現代的意味におけるリーガルプロフェッションがやっと中国に登場し始めた︒ただし︑これら西洋式の法律教育を受けた職業従事者の多くは︑上海︑北平など少数のいくつかの大都市に集中し︑絶え間ない戦乱と紛争の中にあっては︑中国の伝統社会に対する影響と改造には非常に限りがあっ ﹀2
︿た︒ 中華人民共和国建国後の最初の十年においては︑中国の弁護士業は一連の改造と再建を経験している︒民国時代の弁護士業は︑最初は︑政府から否定されたのであるが︑刑事被告人の弁護権は︑一九五四年「憲法」︵第七六条︶を含めた新中国初期の法律︑法規に書き入れられていたのである︒一九五四年七月︑司法部は「関於試験法院組織制度中幾個問題的通知」を公布した︒この通知の中で︑北京︑上海︑天津︑重慶︑武漢および瀋陽などの大都市を指定して︑旧ソビエトモデルに基づいた「法律顧問処」を試験的
に運営し︑弁護士業務を展開した︒一九五七年六月になると︑全国一九の省において八二〇か所の法律顧問処がすでに設立され︑総計二五七二名の専任弁護士と三五〇名の兼職弁護士が存在し ﹀3
︿た︒しかし︑一九五七年の「反右派闘争」運動が︑このまだ産衣に包まれていた新たな職業を︑右派として徹底的に攻撃し︑しかも︑その後の文化大革命では︑さらに公安︑検察︑法院機関をすべて打ち壊し︑文革終結までずっと︑「弁護士」の字句すらも︑中国の法律界には二度と現れなかったのであった︒ 一九七八年に開始された改革開放政策は︑中国の法律制度に根本的転換を引き起こし︑文化大革命の反省によって︑中国の指導者に︑法律は社会の安定を維持し︑経済発展を促進するということの重要性を深く認識させた︒これに続いてもたらされたのが︑三十年にわたる法制建設運動である︒この運動は︑万を数えるほどの立法性文件と司法体制の数々の細かな改革をもたらしたばかりでなく︑バラバラな法律サービス市場を生み出すことを促進させたのであった︒この市場には十数万の弁護士だけではなく︑さらに弁護士の数を超すだけの基層法律工作者や︑対外貿易の発展につれて大量になだれ込んできた外国弁護士事務所︑国有企業内部において弁護士とは分立する企業法律顧問︑知的財産権分野における特許代理人︑商標代理人︑工商行政管理部門により批准・認可された各種の法律諮詢公司と 調査公司︑農村地区においてその地の庶民の不平不満を受け止める「赤脚律師」︵はだしの弁護士︶︑さらに︑こっそりと往来するといった姿形が見えない多くの「黒律師」︵闇弁護士︶と法律愛好家が存在した︒これらのリーガルプロフェッションの間には︑互いに何のもめ事もない場合もあれば︑激しく競争する場合もあり︑また︑長期にわたる相互交流の中で微妙な共存関係を築く場合もあった︒だが︑このような厳しい市場割拠の状況は︑世界各国のリーガルプロフェッションの発展史上において極めてまれなことである︒
一九八〇年代──復興の時代
現代中国におけるリーガルプロフェッションの割拠史を理解しようとするなら︑一九八〇年から説き起こすべきであろう︒この一年には大きな出来事が二つ起きた︒それは「律師暫行条例」の公布と「四人組」の裁判である︒一九八〇年八月二六日︑全国人民代表大会常務委員会が「律師暫行条例」を公布したことにより︑ここに︑二十年余り影も形もなくなっていた弁護士制度が正式に再建され始めたのであった︒この一九八二年から実施され一九九七年の「律師法」︵弁護士法︶実施まで︑一五年間「暫行」された条例は弁護士の性質を「国家の法律工作者」と定めてい
た︒また︑弁護士の工作機構も今日人々によく知られているような弁護士事務所ではなく︑一九五〇年代の「法律顧問処」の呼称を踏襲していた︒法律顧問処は各級司法行政機関に従属する事業単位である︒主に同級の別の国家機関︑企業および当該管轄区域内の個人のために︑法律サービスを提供するのである︒これと同時に︑万人が注目した林彪︑江青反革命集団に対する裁判も一九八〇年一一月二〇日に正式に開廷された︒この二か月余り続いた裁判の過程においては︑一〇名の弁護士が︑文化大革命の主犯に対する弁護人として︑特別法廷に登場し ﹀4
︿た︒中国弁護士業の再建に対する︑この裁判の意義は極めて重大であった︒一つには︑それは明らかな象徴的意義を具えていた︒つまり︑中国の訴訟手続において︑たとえ「極悪非道」の被告人であっても︑弁護士の弁護を受ける権利があると全世界に宣告したことである︒また︑もう一つには︑全人民の前における中国の弁護士の初登場が︑「四人組」などの文革の主犯が立つ同じ場所であったことである︒このことが︑庶民の気持の上に︑弁護士は「悪人のために弁護する」といったマイナスイメージを︑強めてしまった可能性があると考える学者もい ﹀5
︿た︒しかし︑いずれにしても︑このようないわゆる「特別法廷」という特殊な政治的背景の下において︑中国の弁護士業は復活したのである︒ 弁護士業が復活した後の最初の問題は︑弁護士はどこか ら来るのかというものであった︒一九五〇年代の老弁護士は「反右派闘争」と文革の期間に︑程度の差こそあれ︑ほとんどが迫害を受けており︑この新生のリーガルプロフェッションへの復帰を望む人は非常に少なかった︒また一方では︑中国における法学教育は︑文革期間にほぼ完全に停滞しており︑建国初期の「五院四 ﹀6
︿系」は改革開放の初期において復活されていたが︑大学・短期大学にて養成された法律専門の人材総数は依然として限りがあり︑なおかつ︑このうちのほんのわずかの人材だけが︑弁護士業に進んだのであった︒このため︑一九八八年の弁護士業の制度改革以前にあっては︑中国人弁護士の総数はわずか三万人にも満たなかっ ﹀7
︿た︒一九八三年七月︑深圳蛇口区弁護士﹇律士﹈事務所が開設され︑改革開放後初めての「律士事務所」という名称をもった法律サービス機構となった︒一九八四年八月︑司法部は「法律顧問処」の名称を「律師事務所」に統一して改めることを決定した︒さらに︑一九八六年から弁護士に対し資格試験が実施された︒だが︑これら弁護士事務所は依然としてすべてが「国辦所」︵国有事務所︶であり︑編制番号形式によって命名されていた︵例えば「北京市第三律師事務所」のようにである︶︒圧倒的多数の弁護士の業務範囲も︑刑事弁護と婚姻・家庭などの案件に限定されていた︒ただ︑いくらかの国営︑集団企業などのために提供された法律顧問業務も含まれていた︒こ