1 問題の所在
日本漢字音に関連する事柄の一つとして、清濁の問 題が古くから議論されてきた。すなわち、韻書全濁字 は呉音では濁音、漢音では清音として表れる一方で、
韻書全清字は呉音・漢音とも清音になることなどが原 則であるとされ、それらの中には現行の漢和辞典など に受け継がれているものも少なくない。
しかし、実際にはこのような原則に当てはまらない 例も存する。韻書全清字で、濁音として現れる余地の ないはずの「軍」「鞭」などに、今日「グン」「ベン」
という字音が存在することがその一例である。また中 世においても、不濁点や「清」注記⑴など、当該字音 が清音であることを示す手段も散見される。そのよう に注記しない限り、濁音として読まれることを防ぎ得 なかったということを示している。
このような「清音であるべき字を濁音で読む」現象 が生じる理由としては、呉音形の混入を想定する見方 があるほか⑵、中国原音に理由を求める見解も存して いるのであり⑶、いまだ定説を見る状況にはない。た
だ、その理由が何であるにせよ、日本漢字音研究に際 しては、現実の資料に即した帰納的な研究を行うべき であることを示す好例であるように思われる。そし て、どの漢字が現実に清濁どちらで受容されていたか という記述的な考察も、完了したとは言えない状況に ある。
本稿は、このような経緯をふまえ、中世における具 体的な実践としての訓点資料、特に『論語』に着目 し、そこでの漢字音の清濁について考察を試みるもの である。中世に広く講読され、多くの写本が残ってい ることから、資料をまたいだ考察が可能であること、
出現する字音点が漢音形であると前提できることな ど、様々な研究上の利点があることが、『論語』を考 察対象に据える所以である。
2 清原家伝承資料の検討
漢字音の清濁に関しては、従来とりわけ博士家の講 読の場での厳密さが取り沙汰されている。すなわち、
足利衍述1932で夙に言及されている「清濁を厳重に明
弘前大学教育学部国語教育講座
Department of Japanese Language and Literature, Faculty of Education, Hirosaki University
室町時代における漢字音の清濁
──『論語』古写本を題材として──
A study on Sino-Japanese SEI/DAKU of Medieval “ Lunyu (論語)”
石 山 裕 慈
*Yūji ISHIYAMA*
要 旨
本稿は、室町時代に書写された複数の『論語』古写本に着目し、それぞれの資料に記入された漢字音の清濁につ いて考察したものである。
『論語』古写本においては、韻書全濁字への濁点加点例のような、清濁の原則に必ずしも忠実ではない場合が 多々見られる。さらに、同じ漢字の清濁が資料によって食い違っている場合が存するほか、同じ資料の中でも両様 の形が出現する例も散見される。また、「漢語」単位で分析した場合も、やはり清濁の揺れが少なくないことが分 かる。
一連の考察から、それぞれの字の清濁とはある程度の流動性を帯びたものであって、韻学的知識などをもとに、
絶えず「整備」される性質のものであったことが窺える。
キーワード:論語 漢音 清濁 漢籍訓読資料
確にせしこと(845ページ)」がそれである。本節で は、まずこの「厳密さ」の内実を明らかにすることを 試みる。
室町時代の博士家で書写された『論語』訓点資料は 多数現存しているとはいえ、そこから直ちに当時の漢 字音の清濁が判明するとは限らないという研究上の難 点がある。例えば、室町時代に書写された文献であっ ても、4声・6声体系の声点によって清濁の区別が行 われているような場合は、祖本の声点を踏襲したもの である可能性が高いのであり⑷、清濁の信頼性の高い 資料を探し出してくることから着手する必要がある。
2-1 清原宣賢手沢本の場合
前述のような状況下にあって、清原宣賢(1475~
1550)の『論語』手沢本(京都大学附属図書館清家 文庫蔵本、1-66/ロ/8貴。調査は原本によった)
は、当時の清濁の実態がよく反映していると考えられ る点で貴重である。まず最初にこの資料を吟味してみ たい。
この資料の見返しと本文末尾に以下のような識語
(訓点省略)があり、清原宣賢が関わっていることが まず読み取れる。
(見返し)子孫為可惑文字読清濁一字不闕点之同指 声者也/清三位入道宗尤(花押)/置字大略不読 之当読之置字点之
(本文末尾)世俗文字読云訓点云字声悉失師説後葉 以此点并字声/可為証為易読不依仮名使点之為使 幼童易解一術也/侍従三位入道清原朝臣(花押)
ただ、本文の筆跡は宣賢自身のものではなく、また 訓点にも複数種類が認められる。そのような実態と識 語の整合性をどのように取るか、また本資料の直接の 書写者が誰であったかについては、従来必ずしも意見 の一致を見ていなかった。そのような中、近年出され た、宣賢の孫の枝賢(1520~1590)が書写したとする 古勝隆一2003の見解が注目される。この説によると、
枝賢に『論語』を書写・講読させた上で、宣賢がその 経緯を記入したということになり、識語の内容を無理 なく説明できることになるわけである。とはいえ、物 証に乏しい上に宣賢が関わっていることには変わりが なく、また本資料の書写者如何によって本稿の論旨 に直接の影響が及ぶわけでもないことから、本稿では
「清原宣賢手沢本」という位置づけのまま論述を進め ることにする。
さて、この資料の訓点には朱と墨の2種類の筆が使 われており、朱は句点・ヲコト点・濁点・ハ行転呼音 や入声音の促音化表記など、墨は返点・仮名・合符・
「清」注記などというように、補い合った分布を示し ている。
本資料に加えられた訓点の中で、字音の清濁に関わ るものは、①「清」の小書(墨)、②片仮名に対する 濁点(朱)⑸、そして③「濁」の小書(墨)⑹の三通り である。このような注記のあり方からは、①が清音、
②③が濁音という加点者自身の把握を示していると考 えられるのであり、資料としての信頼性が高いと言え る。それに加えて、濁点の存在から「濁音」であるこ とは判然としても、「清音」であることが積極的に表 示されるとは限らない中世の訓点資料にあって、清音 の表示も行われていることも研究上の有用性を高めて いるのであり、このような加点のあり方が博士家の清 濁の厳密さの根拠と見なされてもきた。
なお、この資料では全ての字音の清濁が特定できる わけではない。「子」「忠」などのように清濁が自明で あったと思われるものには清濁を表示していないほ か、「顔カン淵エン」「冉セン求ギウ」などのように、濁音が期待される 仮名に濁点が付されていない例も見られるからであ る。そのため、本稿では先ほどの①~③のように、清 濁のいずれかが判然とする場合のみを考察の対象に据 える。
まず、宣賢手沢本で「清」注記がなされている字、
ないし注(5)に示した事情から加点者が清音と把握し ていたことが明らかである字を、韻書との対応関係も 踏まえつつ列挙する。
韻書全清字…軍2⑺、忽2、子、生、博、夫8。
韻書次清字…退。
韻書全濁字…下9、害、学14、群4、坐2、事2、
自、十18、上3、乗、神、臣、善14、代、大25、
地2、陳2、同2、堂、童3、道3、伐2、罰 2、父4、便、朋、暴。
韻書清濁字…謀⑻。
宣賢手沢本で「清」注記が行われている字の内訳と して、韻書全濁字、ないし文明本『節用集』で不濁点 が付されている「軍」のような、濁音で読まれる余地 のあったものが多いことがまず目を引く。そのような 漢字に対し、濁音で読まれないよう積極的に清音表示 をし、規範的な漢音形を示しているという点におい て、来田1971で指摘されている抄物の「清」注記と軌
を一にしていると言うことができる。
「清」注記が行われた字の中には、「非連濁形」であ ることを明記する意図があったと思しいものも存す る。すなわち、「平生」「進退」などについては、『日 葡辞書』で「Feijei」「Xindai」という形が立項されて いるなど、連濁形も広く受け入れられていたと考えら れる中にあって、規範的な漢音形としての連濁しない 形を明示していると考えられる。もっとも、数は少な いながらも「隠者」のような連濁形も見られるのであ り、個別的な事情も絡んでいそうである⑼。
さて、宣賢手沢本の「清」注記については従来言及 されてきた一方で、濁点に関して積極的に取り上げた 研究は管見に入らないため、次に検討してみたい。先 ほどと同様の要領で挙例する。
韻書全清字…者、恕、分。
韻書次清字…綽2。
韻書全濁字…求、具、恒、残、随、賊5、族、陪、
僕、兕。
韻 書 清 濁 字 … 我 2、 雅、 楽18、 顔13、 毅、 義16、
虐、牛4、魚3、尭3、玉4、愚5、虞2、月 5、原、言12、五9、語、爾3、若2、柔、潤 3、 女 2、 壌、 人56、 仁50、 然 9、 諾 2、 奴、
内、二8、尼6、日3、入、如6、任2、馬3、
莫⑽、蛮、微4、美4、廟4、敏5、武8、舞3、
物、文16、聞4、母4、未2、無3、牟、木3、
問3、仞、儼2、冉12、冕3、圉、孺、巫、藝、
衽、襄、閔4、魏、誾2、喭、奡、羿、耦。
まず目を引くのは韻書清濁字に加点された濁点の多 さであり、これは日本漢音の原則と合致しているもの である。次に、「清」注記が行われたものと表裏の例 として、連濁が関わっているものが散見される。前述 の「隠者」のほか、「孟公綽」などがそれに該当する と思われる。
その一方で、「残」「賊」「陪臣」「具臣」などについ ては、韻書清濁字ではなく、連濁も関わっていないと 目される字でありながら濁点が打たれている。これら は濁音として受容されていたと考えられるのであり、
日本漢音の原則から外れる場合が存することが注意さ れる。なお「忠恕」のように、連濁形か否かが判然と しない例も存するが、清音注記が期待される字である ことに変わりはない。
このように、宣賢手沢本においては、清音か濁音か を区別する手段が講じられてはいるものの、清濁表示
の厳密さが必ずしも日本漢音としての規範性の高さと 対応するものではないことが指摘できる。
もう一点注目されるのは、同じ清原宣賢が関係する 資料であっても、資料によって清濁が常には一定して いなかったということである。すなわち、清原宣賢講 の論語抄⑾を調査すると、宣賢手沢本では清音になっ ている「政事」を、「政事ジ(巻四・6オ)」とした例が 見られる。もっとも、ここに表れた濁音というのが、
講者である宣賢の清濁をどれほど忠実に反映している かとなるとまた別問題であり、軽々に結論を出すこと は慎まねばならない。そのため、論語抄については後 ほど言及することとして、ここでは引き続き、別の、
同じく清原家に伝承されてきた『論語』古写本を取り 上げてみる。
2-2 伝清原良枝書写本の場合
伝清原良枝書写本(京都大学附属図書館清家文庫蔵 本、1-66/ロ/6貴。調査は原本によった)もま た、清濁が一貫した方針で記入されているという点で 有用である。
この資料には以下のような奥書が掲げられており、
宣賢の孫である清原枝賢が関わっていることが読み取 れる。
夫以斉家治国之要莫過乎此書以孝鳴者顔曽也以徳/
鳴者孔孟也以半部鳴宋趙普也況於学者乎不可不時習 鳴/乎一寸璧玉也漢家本朝賞之翫之可謂亀鏡鳴宝而 已/抑此両巻清家中興穀倉院別当正四位下行大外記 清原/良枝朝臣入道了空之真跡誠子孫宝物何不可過 之乎/清原朝臣枝賢/天文庚戌夏四月
下線部の記述によると清原良枝(1253~1331)が書 写・加点したようにも読み取れるところであるが、し かし本資料の訓点に関しては、筆に複数種類が認めら れる上、雁点が左側に寄っていること⑿、「ヿ(コト)」
の仮名が頻出すること、傍訓に濁点が付されているも のが散見されること、また声点のありようが特殊であ ることなどから、良枝一人の手になると素朴に考える ことは躊躇される。むしろ、訓点の中には、時代が 下って枝賢の時代のものが相当含まれていると考えら れるところである。
この資料には「○」「○○」の二種類の声点が合計 247例出現し⒀、以下の2つの特徴が認められる。ま ず、この資料の声点は、基本的に左上(「上声」に相 当する箇所)のみに加点されている。それ以外の位置
に加点されているものは、出現順に「人(左中央、複 点、上12オ)」「澹(左中央、単点、上22オ)」「聚(左 下、単点、下3オ)」「喭(右上、複点、下3ウ)」「僕
(右上、複点、下13ウ)」「任(右上、複点、下29ウ)」
「柔(右上、複点、下31オ)」「溺(左下、複点、下40 オ)」「儼(右上、複点、下48ウ)」に限られている。
次に、本資料の声点は、原則的にカサタハ行の字にし か記入されていない。例外は「斂(単点、下3オ)」
のみである。
このようなことから、本資料に加えられている声点 とは、声調を表示する機能を有しているものではな く、「○」を不濁点、「○○」を濁点として使用したも のであり、清濁のみを示す機能を帯びたものであると 考えられる。このような声点の使い方は珍しく、少な くとも鎌倉時代後期の類例は管見に入らない。先述し た他の訓点の実態なども踏まえると、これらの声点は 枝賢の時代に加点されたものであり、さらにそれらは 加点者自身の清濁を反映したものと考えるのが最も妥 当であると考えられるのである。
以上の事柄を踏まえ、「カサタハ行の字に対して左 上に差声された声点」のみを対象に、先ほどと同様に 対応関係を調査すると以下のようになる。それ以外の 例については、祖本の声点が混入したなど、加点者自 身の清濁を反映していない可能性があることから、こ の調査からは除外した。
▽清音(「○」型声点)
韻書全清字…軍、舜2、接、先2、博2、反、夫、
膚、矜、荀、譛。
韻書次清字…匹、倩、雎、 、襜、躩。
韻書全濁字…騎、群、郡、賢、玄2、士、事、侍 3、受2、十13、順、叙、丞、乗2、常2、神、
前、善8、存、代、台、大3、達、陳、鄭、同 3、道、服2、誦、邵2、諶。
韻書清濁字…牟、滅、愿、汶。
▽濁音(「○○」型声点)
韻書全清字…居、軍、撃、山2、者、獣、書、恕、
紳、博、鞭、崩、恂。
韻書次清字…退。
韻書全濁字…河、群、玄、互、士2、事、辞2、循 2、陪、便、勃、桀2、韶2、饌、兕。
韻書清濁字…牡、雅、楽3、毅2、虐、虞3、原、
言、 呉、 語 5、 爾 3、 擾、 譲 3、 人 3、 然 5、
諾、内3、二9、尼6、任3、馬、美2、敏2、
武2、文21、望、謀、穆2、木、問4、仞、冉 5、冕4、圉、孺、巍2、巫、沐、罔、衽、誾、
顗、奡、羿、耦。
宣賢手沢本に比べ、日本漢音の原則からは不濁点が 付されるはずの韻書全清字や全濁字に濁点が加えられ ている例や、逆に韻書清濁字に不濁点が加点されてい る例のように、清濁の原則に合わないものが多くなっ ていることが目を引く。さらに、「玄」「博」のよう に、本資料の中で清濁両様に現れている字もある(該 当するものには波線をつけた)。同じ字が清濁両様で 出現するということは宣賢手沢本では見られなかった 現象であり、清濁に関してはより弛緩した姿を呈して いると言えよう。ここでもやはり清濁を「厳密」に書 き分けてはいるものの、その内実は必ずしも「規範 的」とは言えないという事情が見て取れる。
中近世の漢字音の清濁に関しては、漢音資料と目さ れるものの中にも韻書の清濁と対応しない場合が多々 見られることが指摘されている(松井利彦1976、湯沢 質幸1977など)。博士家の『論語』講読の場にあって も、程度の差こそあれ、同様の様相を呈していたこと が窺える。
3 その他の『論語』古写本における濁音
次に、前節で観察された現象が他の系統の『論語』
で見られるのか否か、検討を加えたい。室町時代以降
『論語』講読の裾野が広がり、足利学校などでも講読 されるようになったこと、それと比例して多量の写本 が現存するようになるとともに本文の系統関係も錯綜 したことなどが知られている⒁。それでは、純粋な博 士家の資料と目されない一群ではどうなっているだろ うか。
『論語』の古写本は少なからず現存しているとはい え、まとまった量の字音点が記入されている資料とい うのは、実はそれほど多くない。そのような中、全巻 が現存しており、分析に堪える量の仮名音注が加え られている資料として、今回以下の三点が管見に入っ た。
①建武本『論語』室町筆(調査は蒲田政治郎発行の 複製本(1937年)によった)…清原頼元・良兼の 書写にかかる建武本『論語』には、室町時代に加 点された後筆が存在する⒂。この室町筆には濁点 が多く加えられているという特徴があることか ら、本稿ではこちらを考察することとした。
②宮内庁書陵部蔵本(457-207。調査はマイクロ フィルムによった)…義疏注が一部に混入してい る。奥書などはなく書写者の素性は明らかではな いが、訓読は「ナリ」式であり、博士家などとは 一線を画しているとされる⒃。なお高橋2008では 書写年代を「永禄・元亀年間」頃とするが、「女ジョ」
「行ゲフ」といった例からは四つ仮名や開合が乱れて いることが窺えるのであり、実際にはもう少し下 るかも知れない⒄。
③東京大学総合図書館蔵本(A00-4595。調査は原 本によった)…南葵文庫旧蔵本。奥書などの物 証はなく書写年代は不明。前掲書と同様「次シ序ヂヨ」
「暴バウ」のような例があることから近世に食い込む 可能性があるが、かけ離れた加点年代でもないこ とから調査対象に加えた。
いずれの資料においても、濁点の存在から「濁音」
であることは判明する反面、「清音」であることを積 極的に示す手段は講じられていない。そのため、以上 の3点については、日本漢音の原則としては清音が現 れるはずの一群が濁音として受容されているあり方を 記述し、先述宣賢手沢本・伝良枝書写本との比較・対 照を試みる。
「日本漢音の原則としては清音が現れるはずの一群」
というのを特定することは容易ではないが、ここでは 便法として「韻書清濁字以外」のことと見なす。ま た、仮名音注から明らかに呉音形ないし誤写・誤点と 認められる場合も、ここでの考察対象からは除外し た。
もう一点、濁点が付された字が連濁を起こしたもの であるか否かについては、にわかに判断しかねる場合 が多々ある。そこでここでは安全策を採り、熟語の2 文字目以降に出現する字については分析の対象に含め ないこととした。
このような基準で抽出した考察対象の字が、五種類 の『論語』古写本において清濁のいずれで出現するか をまとめると、後掲「別表」のようになる。なお表中 で○を付した字は、文明本『節用集』で不濁点が付さ れている字である。
別表によると、一見して「規範的には清音であるべ き漢字に濁点が付された例」が多いことが分かるほ か、同じ字であっても本によって清濁が食い違ってい る場合が少なくないという事情も看取される。また、
濁音として受容されている字の中には文明本『節用 集』に不濁点が付された字というのが多数含まれてい
ることも注目される。『論語』講読のような学問的な 場でもこのような実態が存したことは看過できないの であり、文明本『節用集』での清濁の認識が当時どの 程度の広がりを持つものであったのかについても、今 後検討を要する事柄であると考えられる。
さて、個別の資料に着目すると、まず建武本に関し ては、室町筆の清濁が、建武の反切・同音字注に影響 された形跡は見られない。「必綿反」の反切注がある
「鞭」を「ベン」とした例、「蒲廻反」の反切注があ る「陪」に濁点をつけた例などがそれに当たる。室町 筆の加点者が、自らの内省に従って濁点を加点してい た、ないし反切注が清濁に関わる実質的な意味を失っ ていたことが窺えるのであり、そういった加点のあり 方も清濁の錯綜につながっているものと考えられる。
また、書陵部本・東大本に関しては、「見ゲン功コフ」(書陵 部本)、「何ガ不フ」「調デウ良」(以上東大本)などのように、
やや不可解な濁点が多く出現している。先述したよう に、とりわけ書陵部本においては呉音形が多く混じっ ているほか、特異な仮名音注も散見された。あるいは このような濁音の存在も、資料の性質に関わる事柄で あるのかも知れない。
このように、『論語』古写本には、語学的な見地か らは清音が期待されるにも関わらず、濁音として受容 されているものが少なくない。そのような現象がなぜ 生じたのかを解明することは容易ではなく、また個別 の事情が多く関わっていると考えられる⒅。それぞれ の濁音例がいかなる原因で発生したのかという根本的 な問題の解明については、今後の課題としたい。
4 漢語単位での考察
前節までの「字」単位の検討の結果、同じ字であっ ても、本によって(場合によっては同じ本の中でも)
清濁が一定していない様を窺うことができた。また、
2-1で瞥見したところによると、「政事」の清濁が、
資料によって揺れている例が観察された。このよう な、「同じ漢語の清濁が、資料によって食い違ってい る」ことが、果たして一般的だったのだろうかという 疑問が次にわいてくるところである。本節では、保留 していた宣賢講論語抄と文明本『節用集』⒆とを援用 し、合計7種類の資料について、この問題の考察を行 いたい。
分析の対象としては、前節の「日本漢音の原則とし ては清音が現れるはずの一群」、すなわち「韻書清濁 字以外」という方針を踏襲する。
漢字1字の語は、漢音形である確証が持てないなど
不安定な面があることから、考察対象を2字以上の漢 語に絞り込んだ。また、漢数字「十」のような、造語 力が著しく高いものも除いた。その上で、前項では調 査対象から外した「2字目以降の清濁」についても、
ここでは調査の対象とする。
このような漢語のうち、3種類以上の資料で清濁が 記入されているものは54例である⒇。以下、これらの 例を場合分けしつつ考察してゆく。
まず、清音が期待されるにも関わらず、複数の資料 で濁音として受容されていることが確認できる漢語 が少なからず存する。具体的には、虎兕(宣良建書 東㉑)、韶楽(良建書東節)、韶舞(良建書東節)、陪 臣(宣良建書節)、便便(良建書東節)、勃如(良建 書東節)、隠者(宣良建節)、互郷(良書東節)、執鞭
(良建書節)、循循(良書東節)、忠恕(良建書節)、便 辟(僻)(建書東節)、異事(書東節)、季随(宣書節)、
軍陳(書東節)、玄牡(建書節)、玄冠(良建節)、志 士(建書東)、神祇(建書節)、顓臾(建書節)、鄙倍
(書東節)、分崩(良書東)、憑河(良建書)、学問(文)
(東節抄)、丈人(建書東)、侃々(書東節)の各例で あり、これらの語については、積極的に「清音」とし た例を見つけることはできなかった。逆に「大夫」に ついては、宣・良・節で清音表記になっている反面、
濁点を付した例は見当たらなかった。
これ以外の語は、何らかの形で清濁が食い違って いるものである㉒。すなわち、政事(宣建書東節抄)、
博奕(宣良建書東節)、三代(宣良書東節)、大事(宣 良建書節節)、下学(宣建書東)、群居(宣良建書)、
恂恂(良書東節)、進退(宣良建節)、征伐(宣建書 東)、宗族(宣建書節節)、不善(宣良建節節)、分崩
(宣建書節)、便佞(宣書東節)、学者(宣建節)、軍 旅(宣書節)、散騎(良建東)、三軍(良書節)、侍坐
(宣書東)、小童(宣書節)、大受(良東節)、大師(宣 書節)、陳群(良書東)、童子(宣書節)、鄙事(良書 節)、服事(建書節)、文学(宣建節)、平生(宣建節)
となっている。
一見して、清濁がまちまちになっている漢語が多い ことが窺えるのであり、個々の漢字の清濁が一定して いなかったのと軌を一にしている事情が見て取れる。
また、どのような漢語に清濁のばらつきが大きいか、
ないし濁音として受容されがちであるかなど、何かし らの傾向を見出すこともやはり困難である。
連濁が生じていると考えられるものについて見る と、「進退」「散騎」「平生」の連濁の有無は本によっ てまちまちである反面、「隠者」を清音とした例は見
られない㉓。2-1で見たように、日常使用される語 形と規範としての語形とが混在していると考えられる ところであるが、それらがどのような形で出現するか については未勘である。
特定の時代において、清濁両形の漢語がこれほど多 く存在し、しかもそれぞれが日常的に使われていた、
という状況は明らかに不自然である。連濁形・非連濁 形が併存していた状況と同じく、ここでも日常的な形 と規範的な形とが混在していた、すなわち学問的な反 省が加えられることによって規範的な形に押し戻され ることがある反面、時には日常の使用から遊離した音 形や「直しすぎ」によって生じた架空の音形が記入さ れることがあったという事情が考えられる。その結 果、中世の『論語』古写本にはこのような錯綜した状 況が現出していると想定されるのである。
このようなあり方は、文明本『節用集』に端的に 表れている。すなわち、先ほど挙例したもののうち、
「大事」「宗族」「不善」については、文明本『節用集』
の中でも清濁が揺れている例、すなわち濁点加点例と 不濁点加点例の両方が出現するものである。これらの 例の存在から、漢字音の清濁とは、その時々の学問的 反省と日常的な使用との衝突の結果、個別に選択され る場合があったことが窺える。
なお、宣賢講論語抄の用例が少ない理由の一つは、
漢語そのものに濁点を加点した例が少ないからであ る。すなわち今回の考察対象のうち、濁音であること が判明するのは「学ガク文」「政事ジ」のみである㉔。もっ とも、これは他の資料と基準をそろえた結果であり、
この資料自体が清濁の考察に当たっての材料を提供し ないというわけではない。個々の記述に注目すると
「文道ヲバ問ハイデ陳ヲ問レタソ 陳ヲバ清ンデ読マ イラスソ(巻四・29オ)」などとあり、別の観点から 論語抄における清濁を論じることが、今後の課題とし て残されたことになる。
5 結論
本稿で検討してきたところをまとめると、以下のよ うになる。
まず、博士家に伝承された『論語』古写本を検討し たところ、清濁を区別した形跡はあるものの、その内 実は必ずしも規範的と言えるものではなかった。すな わち、韻書全濁字など、清音が期待されるところが濁 音になっている例が多々見られのであり、同じ字で あっても本によって清濁が異なる場合も散見された。
そして、このような状況は、博士家以外の層で受容さ
れたと考えられる『論語』古写本でもやはり同様だっ た。
漢語に即して見ても、清濁の錯綜という点では本質 的な違いはなかった。『論語』の訓点資料という、学 問的性格の強い資料に加点された字音点であっても、
必ずしも「規範的」な音形で統一されていたわけでは なかったことが指摘できる。むしろ、学問的性格が強 い資料であるからこそ、規範的な音形と日常的な音形 とが混在する度合いが高いのではないかとさえ思われ た。
日本漢字音とは、特定の漢字に対して呉音形・漢音 形が固定的に対応しているのではなく、むしろどの時 代にあっても常に学問的反省などを元に「整備」され るものであったということが、近年の研究で指摘され ている㉕。本稿で見た『論語』古写本の様相も、まさ に学問的反省と日常使用とのせめぎ合いの結果析出し たものであったと考えられる。
今回の考察は、当時の清濁のあり方の一端を示した に過ぎず、さらに様々な資料を渉猟し深い考察を行う 必要がある。また、本稿では全く触れられなかった、
そもそも韻書全濁字などになぜ濁音例が見られるのか という根本的な問題についても、今後の課題である。
付記
本稿は、平成23年10月16日に東京大学にて開催された、
第105回訓点語学会研究発表会での内容を元にしたもので ある。発表の席上や懇親会などで、多くの先生方から貴 重な御助言を頂戴した。この場をお借りし、お礼申し上 げる。また、資料の閲覧に際し、格別の便宜を賜った各 機関に、併せて深謝申し上げる次第である。なお本稿は、
平成24年度科学研究費補助金(若手研究(B)、課題番号 22720175)による研究成果の一部である。
(参考文献)
足利衍述1932『鎌倉室町時代之儒教』(日本古典全集刊行 会)
李 承英2003「室町時代における漢字音の清濁――『玉塵 抄』と『詩学大成抄』を中心に――」(『日 本語と日本文学』37)
岡本 勲1991『日本漢字音の比較音韻史的研究』(桜楓社)
来田 隆1971「抄物に於ける「清スム」「濁ニゴル」注記について」
(『国語学』84)
古勝隆一2003「新しくなった清家文庫」(「静脩」40-1)
小林芳規1968「論語訓読史から観た論語集解建武本の訓 点」(『かがみ』12)
────1974「返点の沿革」(『訓点語と訓点資料』54)
こまつひでお1970「不濁点」(『国語学』80)
坂詰力治1984『論語抄の国語学的研究 影印篇』(武蔵野 書院)
────1987『論語抄の国語学的研究 研究・索引篇』
(武蔵野書院)
佐々木勇2009『平安鎌倉時代における日本漢音の研究』
(汲古書院)
高橋 智2008『室町時代古鈔本『論語集解』の研究』(汲 古書院)
中澤信幸2009「斉韻字に対する字音注の変遷について」
(『国文学攷』202)
沼本克明1982『平安鎌倉時代に於る日本漢字音に就ての研 究』(武蔵野書院)
松井利彦1976「近世前半期の漢字音の清濁」(『国語国文』
45-1)
湯沢質幸1977「室町時代における清濁と呉音・漢音――文 明本節用集を中心として――」(『国語国文』
46-2)
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⑴ こまつひでお1970、来田隆1971、李承英2003など参 照。
⑵ 佐々木勇2009第三部第四章参照。
⑶ 岡本勲1991第三章第二節など。
⑷ 日本漢音における声調の伝承の衰退に関しては、佐々 木勇2009第二部第二章第五節など参照。
⑸ 一度記入した濁点を墨で上書きし、濁点を抹消した例 も2例存する。すなわち「晋シン(18オ)」と「便ヘン佞ネイ(28ウ)」
である。前者は単なる誤点の訂正と思われるが、後者に ついては「便」を積極的に清音と判断したという事情が 想定される。そのため、以後後者については「清音」例 として扱うこととする。なお用例の所在については、便 宜上本文が始まる箇所を1オとする。
⑹ この方式は、「中牟(33オ)」「父母(36ウ)」の2例し か出現しない。その上、それぞれ「ボウ」「ボ」という 濁点つきの仮名注記もあることから、以下この方式につ いては特筆せず、②に包摂することとする。
⑺ 数字は使用数を表す。1回のみ出現するものは無表記 とした。
⑻ 文明本『節用集』にも「謀」に不濁点を施した例があ ることから、単なる誤記と考えるのは早計であろうと思 われる。「謀」の不濁点とは、呉音…濁音、漢音…清音 という組み合わせが多いことから逆算された音形ではな いかという見解がこまつ1970で出されており、妥当な見 解と考えられる。博士家の『論語』古写本にもこのよう な「直しすぎ」が出現していることが注目される。
⑼ 漢音の連濁については、沼本克明1982第二部第二章第 二節などで考察が行われている。
⑽ 「音暮」と訂す。
⑾ 坂詰力治1984、同1987による。
⑿ 返点の変遷については、小林芳規1974参照。
⒀ このほかに、圏点ではなく星点の声点が、下1オの
「言語(いずれも左上、複点)」の2字に加点されてい る。数も少ないことから、本稿の考察の対象からは除外 することとする。
⒁ このあたりの事情については、高橋智2008など参照。
⒂ 小林芳規1968など参照。室町時代筆の訓法が、従来の 清原家のものとは一線を画している旨、この論文で指摘 されている。
⒃ 高橋2008による。
⒄ この資料については、呉音形が多く出現するほか、
「乗セイ」「具キウ」といった不可解な字音点が散見され、これら は呉音形から類推したものと考えられる。また、元来合 拗音が期待されない「期」「驥」を「クヰ」とした例も 見られる。加点者の素性と併せ、日本漢音学習を考える 上で興味深い例だが、本稿の趣旨と直接の関係はないこ とから、ここではこのような用例の存在を指摘するにと どめておく。
⒅ 一例を挙げると、建武本・書陵部本で「顓ゼン臾ユ(国名)」
と仮名が付されている「顓」は韻書全清字であり、本来 濁音は期待されないところである。このような加点例が 見られる背景には、直近に出現する「冉ゼン有イウ」という人名 と衝突した可能性が考えられる。「顓」は頻用されない 字であるだけに、このような混乱も起こりやすかったの であろう。
⒆ この資料では、呉音形は墨筆、漢音形は朱筆というよ うな書き分けが行われている。当然のことながら、ここ では朱筆のみが考察対象である。
⒇ 調査の確度を高める観点から「3種類以上の資料で
~」とした。2種類の資料でしか清濁が判明しない漢語 についても、必要に応じて言及してゆく。なお「学問」
と「学文」、「便辟」と「便僻」、「克伐」と「剋伐」のよ うな組み合わせについては、同じ漢語として処理した。
㉑ 括弧内は出現する資料の略称である。すなわち、宣…
宣賢、良…良枝、建…建武、書…書陵部、東…東大、節
…文明本節用集、抄…論語抄を表す。
㉒ 清音表示がある資料については、資料略称に波線を付 した。波線がないものは濁音であることを示す。なお
「節節」となっているものは、文明本『節用集』に清濁 の両方が立項されている意である。
㉓ 「忠恕」「神祇」などについては、そもそも連濁例であ るのかそれとも当初から濁音形として受容されていたか が判然としないのであり、事態をさらに複雑にさせてい る。
㉔ 「残サン暴ホウ」「センサク」「文フン学カク」という例もあり、これら は消極的に清音であることを示しているとも考えられる ところであるが、他の資料と同様、ここでも慎重を期し 考察対象からは除外した。
㉕ 例えば中澤信幸2009では、斉韻字の整備・体系化のあ り方について論究されている。
(2012. 8.27 受理)
宣賢 良枝 建武 書陵部 東大
絢 濁
何 濁
害○ 清 濁
学○ 清 濁 濁 濁
侃 濁 濁
伎 濁 濁
犠 濁
求 濁
競 濁
具 濁
群○ 清 濁 濁 濁 濁
軍○ 清 濁 濁
戟 濁
撃 濁
見 濁
玄 両方 濁 濁
現 濁
互 濁 濁 濁
康 濁
恒 濁
剛 濁
号 濁
坐 清 濁 濁
材 濁
罪 濁
財 濁
残○ 濁 濁
士○ 清 濁 濁 濁
賜 濁
事○ 濁
侍 清 濁
字 濁
慈 濁
自 清
辞 濁 濁 濁 濁
実 濁 濁
篠 濁
謝 濁 濁
邪○ 濁
樹 濁
就 濁
終 濁
十○ 清 濁 濁
従 濁
熟 濁
述 濁 濁
宣賢 良枝 建武 書陵部 東大
舜 清
循 濁 濁 濁
楯 濁
純 濁 濁 濁
順○ 清 濁
助 濁 濁
叙 清 濁
序 濁
恕 濁 濁 濁
除 濁 濁
上○ 清
丈 濁 濁 濁
丞 清 濁
乗 濁
常 清 濁
杖 濁 濁
深○ 濁
尋 濁
尽 濁 濁
瑞 濁 濁
逝 濁
税 濁 濁
絶 濁
先○ 清 前○ 清 善○ 清 清
増 濁 濁
俗 濁 濁
賊○ 濁 濁 濁 濁
存 清 濁
待 濁
大○ 清 清 濁
濁 濁
達○ 清
壇 濁
地○ 清
調 濁
陳 清 清 濁 濁
鄭 清
動○ 濁 濁
同○ 清 清 堂○ 清 濁
童○ 清 濁
特 濁
独○ 濁
鈍 濁
宣賢 良枝 建武 書陵部 東大 陪 濁 濁 濁 濁 濁 博 清 両方 濁 濁 濁
筏 濁 濁
反 清
盤 濁 濁
匹 清
貧 濁
父 清
分○ 濁 濁 濁
別○ 濁
便 清 濁 濁 濁 濁
崩 濁
朋 清
暴○ 清 濁 濁 濁
僕 濁
卜 濁
勃 濁 濁 濁 濁
倩 清
辨 濁 濁
忿 濁
恂○ 濁 濁 濁
慙 濁 濁
慟 濁
桀 濁
臧 濁
荀 清
誦 清 濁
譛 清
讒 濁 濁
韶 濁 濁 濁 濁
饌 濁 濁
僎 濁
匵 濁
盼 清
襜 清
清
顓 濁 濁
別表