社会思想家としてのバートランド・ラッセル
−バートランド・ラッセル研究序説−
岩
松
繁
俊
﹁ラッセルについて書くものは︑みずからの研究の範囲をどれだ
Jけに制限するかを︑ はっきりのべる義務があ
る︒これはかれみずからの制限が︑書かれる事柄自身の制限ととりちがえられることのないようにするためであり︑
( 1 )
またおなじ分野で他のひとのなすべき仕事がどれほど多くのこされているかを明らかにするためであるよとアラン
‑ウッドは書いている︒
ラッセルに傾倒し︑ラッセルをふかく知るもののひとりであったウッドが︑ ラッセルについて書くもののまもる
社会思想家としてのパF トランド・ラッセノ
L
べき注意事項として︑このように書いた理由はほかでもない︒ ラッセルがふつうに考えられるようなたんなる哲学
者にとどまるものではない︑ということを別の言葉で力説するためであった︒
わ た
し が
︑
この小論の冒頭にウッドのこの言葉を引用したのは︑ラッセルを哲学者としてしか見ないひとびとに
たいして︑まず注意を喚起したかったからである︒
ラッセルは︑たしかに哲学者である︒かれ自身︑ある個所で︑ 自分が哲学者である乙とをみとめている︒しかし
いったい︑かれは︑どういう哲学者であるのだろうか︒ふたたび︑ウッドの言葉を引用しよう︒
﹁ラッセルの知的生活は︑一二つの主要な探究にささげられた︒かれは非人間的客観点な真理を︑ つぎつぎに︑宗
教と数学と科学とにおいて︑もとめたのである︒哲学においてではなかった︒心のなかでは通常︑ 哲学が︑数学や
科学より劣った仕事である︑とかんがえていた︒:::ラッセルの哲学を理解するための鍵は︑ それが本質的に副産
一 一 六
一 一 六
物であったという点にある︒ラッセルの哲学を︑ 目的自体であったかのようにかんがえることは︑哲学者にとって
はとく自然な誤解ではあるが︑ラッセルの哲学を無意味にしてしまいやすい︒ ラッセル自身︑が言っているよう
l乙
﹃哲学が何らかの価値をもつべきならば︑ それは︑特別に哲学的とはかぎらぬ知識の広いしっかりした土台の
うえにたてられねばならない﹄のである︒ラッセルの本来の目的は︑宗教の真理︑数学の真理︑科学の真理︑を確
( 2 )
立することであった︒﹂
すなわち︑ラッセルの学究生活は︑宗教︑数学︑ 科学の領域において真理を確立することを目的としており︑こ
の目的の追求過程において︑かれは哲学者となら︑ざるをえなかったのである︒ 乙の目的追求過程において︑なぜ︑
かれが哲学者とならざるをえなかったか︑という乙とについては︑ここで論じている余裕はない︒
ともかく︑ラッセルが哲学者であるということは︑事実でありながら︑ 乙の事実を十分に正しく理解することは
容易なことではないのである︒
このような哲学者が︑たんに哲学のみでなく︑多くの主題にたいして探究の領域をひろげたのは当然である︒
か
れの知的生活の歴史を具体的に検討すれば︑このことは疑問の余地なく明白となる︒
( 3 )
の未完の生涯についてのべる余裕はない︒
残 念
な が
ら ︑
乙乙では︑かれ
ラッセルの仕事は非常に多くの主題にわたって遂行されてきた︒その知的な仕事の主題は︑ ごくおおざっぱに列
社会思想︑経済学︑社会学︑政治論︑国
( 4 )
際問題︑物理学︑科学論︑宗教諭︑教育論︑倫理学︑結婚論︑歴史学︑平和論︑小説:::︒ つぎのように︑きわめて多岐である︒数学︑論理学︑哲学︑ 挙してみても︑
このように多岐にわたる仕事をつのつけてきたラッセルを︑
乙 乙
で は
︑
社会思想史の観点に﹁制限﹂して︑とりあ
げようとするものである︒
社会思想家としてのパ{トランド・ラッセ;l,.
( 1 )
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ア野田又夫訳︑﹃私の哲学の発展﹄︑三三一ページ︒
( 2 )
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訳︑三三九
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( 3 )
かれの生涯(ただし︑かれは九三才の今日も︑かくしゃくとして元気である)について書かれた基本的文献は︑
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勾(邦訳あり)である︒そのほか︑日本語の文献として︑碧海純一
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セル
﹄︑
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る︒
( 4 )
ラッセルの仕事がいかに多岐にわたっているかは︑かれのこれまでの生涯と︑とれまでにかれがものしてきに著書論文
をみれば︑容易に了解されるであろう︒かれの生涯にかんする文献については︑前註ですでにふれた
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かれの業績については︑これらの文献も紹介しているがラッセル自身が書いた自紋伝的な作品も看過されてはならないであろう︒回0 2 5
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ところで︑かれの知的業績にかんする完全な目録をつくることは︑日本においては︑不可能事に属し︑わずかにその著
書について︑主要目録をつくることができるだけである︒その主要著作目録としては︑碧海純一︑前掲書︑二一八
i
一 一 一
ページに︑一九六
O
年までのものがのせられているが︑より詳細なものとしては︑水口志計夫氏作成のものが︑今年発足した﹁日本パ1トランド・ラッセル協会﹂の﹁会報﹂創刊号(昭和四
O
年五月一八日)︑八l
一0
ページにのせられている︒諮問︿や小論文︑声明などのすべてを網羅したものはない︒私のもとに個人的に送られてきたものだけでも︑相当の数にのぼる︒なお︑英文の主要著作目録として︑たとえば︑司
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照︒
前節において︑わたしは︑ラッセルの仕事の主題のなかに︑社会思想がふくまれること︑そして︑
この小論は社 一 一 六
二六四
会思想の歴史という観点からラッセルをとりあげることをのべた︒
しかし︑ラッセルの仕事の主題のなかに︑はたして社会思想がふくまれるかどうか︑ 疑問視するひとがあるとす
れ ば
︑ ま
ず ︑
ラッセルの仕事のなかに社会思想が主題としてふくまれている乙とを証明しなければならないであろ
ぅ︒本論文はひとまず︑このように疑問視するひとがかなりあり︑ ラッセルの社会思想家としての業績がその価値
どおりに評価されていない現状において︑ このことを証明することを目的として執筆されるものである︒それによ
って︑ラッセルを︑社会思想家として︑真正面からとりあげるべきではないか︑という問題を提起することになる
で あ
ろ う
︒
ラッセルを社会思想家としてとりあげた例はェきわめてすくない︒しかし︑ まったくないわけではない︒たとえば
小野修﹁パ l トランド・ラッセルにおける抵抗の思想と行動﹂同志社法学︑第九 O
号 ︑
一
1l
三五ページ︑は︑核戦
争と人類絶滅の危機に抵抗する平和思想ないし平和活動の偉大なる指導者としてのラッセルをえがいている︒
し
か
し︑平和思想が︑どういう意味で社会思想であるといえるのかは︑現在の世界史的状況においても︑ なお︑やはり
説明の必要があるであろう︒また︑すでにとりあげた碧海純一
﹃ ラ
ッ セ
ル ﹂
は ︑
その第二部を︑ラッセルの社会思
想にあてている︒おそらく︑乙の書が︑ラッセルを社会思想家として︑全面的にとりあげた最初のものであろうし︑
唯一のものであるだろう︒しかし︑著者は︑社会思想を社会の諸問題にかんする思想と解する立場にたって︑ラッ
セルの﹁社会思想の全容﹂を︑倫理思組︑政治思想︑ マルクシズム評価︑平和思想︑ 社会理想にわけで細論するこ
とによって﹁うきぼりにし﹂ようとこころみている︒もちろん︑わたしは︑ 著者のこのような乙乙ろみを過少評価
するつもりは毛頭ない︒ただ︑社会思起をこのように解する立場は︑ いくつかの立場のうちでひとつの立場をしめ
るものにすぎないというべきである︒そして︑ このようにいくつかの立場に言及せ︑ざるをえないのは︑社会思想と
は 何
か ︑
と い う 問 題 に ︑ まだ確定的な結論がないからにほかならない︒
ところで︑いま︑わたしは︑社会思想とは何か︑という問題に︑まだ結論がない︑と書いた︒ そして︑二つの例
をあげて︑問題点を摘出した︒このような立場にたつとき︑ さきにのべた本稿の目的は︑大巾に修正されなければ
ならないであろう︒
さ き
に は
︑
ラッセルの仕事の主題のなかに︑社会思想がふくまれているというこ
す な
わ ち
︑
と︑いいかえれば︑ラッセルは社会思想家であるということが自明のことであり︑本稿はひとまずそれを証明する
のみであることを書いたが︑じつは︑社会思想がどういう思想であるかということは︑ けっして'自明ではないので
ある︒社会思想がどういうものであるか︑自明でない以上︑ラッセルの仕事のなかで︑ どれが社会思想上の業績で
社会思想家としてのパ F トランド・ラッセ l~
あるかも︑けっして自明ではない︒
そこで︑本稿の目的は︑ つぎのように書かれなければならない︒ すなわち︑いったい
t社会思想とはどういうもの
かを問題にしながら︑ラッセルのどういう仕事をもって︑社会思想上の業績とすべきか︑を論じ︑ そ れ に よ っ て ︑
ラッセルの仕事のなかに社会思想上の業績があることを証明することである︒
ところで︑まず︑社会思想史とはいったい何か︑ ということから考えてゆきたい︒この問題を考えてゆくための
いとぐちとして︑高島善哉・水田洋・平田清明者﹃社会思想史概論﹄の序章︑社会思想史のあり方について︑をと
二六五
一一 六六
りあげてみたい︒
この章の筆者︑高島教授は︑まず︑ つぎのように論ずる︒ ﹁社会思想史とは何か︒ それは人間の社会的行動や生
活にあらわれた思想の歴史であるという定義を与えたとすれば︑ この定義はほとんど何も語らないことになるであ
ろう︒なぜなら︑人間の社会的行動や生活は︑あるいは政治的なものとして︑ あるいは法的なものとして︑あるい
は経済的なものとして(等々)成立するほかはないからである︒
( 1 )
わなければならない︒﹂ ここに社会思想史を扱う人たちの悩みがあるとい
たしかに︑社会思想史のこの定義は︑類概念のみをしめして︑ 種差をしめさないという意味において︑語ること
のほとんどない定義といってもいいであろう︒しかし︑ だからといって︑この定義がまったく無意味であることに
はならないであろう︒というのは︑ 乙の定義それ自身語るものがほとんど何もないとしても︑乙の定義はもっとも
ちかい類概念をあげていて︑さらに多くの内容を内包することができるからである︒ 人間の社会的行動や生活が︑
政治的︑法的︑経済的等々であるから乙そ︑社会思想は各論として政治思想︑法思想︑ 経済思想等々をもっという
ことができる︒さきにあげた碧海教授の考え方は︑ まさにこういう立場にたつものということができるであろう︒
しかし︑高島教授の主張は︑定義の論理的本質性という問題にかかわるのではなく︑ こういう立場にたつばあい
に︑社会思想プロパ!の領域としてはたして何がのとるのかという︑ 内在的な問題にかかわるのであろう︒この間
題はまことに切実というべく︑政治思想︑法思想︑ 経済思想等々のたんなる総論として社会思起があるとすれば︑
じっさいには社会思想という学問領域は成立しないといってもいいであろう︒ ﹁ か り に 政 治 思 想 史 ︑ 法思想史︑経
済思想史等々を個別的な社会思想史とすれば︑ われわれの社会思想史は一般社会思想史ともいうべきものとなるで
これらの個別社会思想史のほかに︑
( 2 )
うか︒疑問はいつまでもつきないのである︒﹂ 一般社会思想史の問題として何が残るであろ あろうか︒しかしその場合には︑
このようにつきないところの疑問についてこたえるために︑高島教授は︑ ﹁これまでどのような仕方で︑どのよ
うな問題意識をもって︑社会思想史というものが扱われてきたかを︑概観﹂し︑社会思想史の﹁諸傾向﹂を分類し
( 3 )
て︑そのひとつひとつにたいして批判をくわえる︒そして︑乙の﹁批判的概観﹂ののちに︑ 著者のとるところの万
法がのべられる︒その万法というのは︑ ﹁経済学︑政治学︑社会学などの社会生活の実質内容を扱う個別科学の研
究成果をふまえながら︑しかも社会の総体把握ができるような見方を打出そうとするもの﹂である︒
そ し
て ︑
﹁ こ
社会思想家としてのパートランド・ラッセJ L ‑
のような意味での社会の総体把握という立場から書かれた思想史が︑
( 4 )
れわれは考えるのである
o﹂ もっとも社会思想史の名に値いするものとわ
教授が主張するところの社会思想史の方法は︑ 社会の部分把握という立場にたつ思想史を否定するものであり︑
その細かい論点は︑八 i 一 0 ページにのべられているとおりである︒社会の部分把握ではないととろの総体把握は︑
教授によれば︑付政治や経済や教育などの︑ 人間が現に社会のなかでいとなんでいる現実の生活相互のつながり︑
∞これら現実の生活と︑哲学的な世界観や科学思想や文芸思潮や宗教思想などとのつながり︑白人間が社会のなか
で敵対的な関係において争いあい︑
( 5 )
し て
い る
︒
あるいは人類がさまざまの民族として対立しあっている現実の姿の把握を意味
つぎに問題となるのは︑社会思想と社会思想史との関係である︒定義的にいえば︑社会思想史とは︑社会思想の
歴史的研究である︒歴史的研究ないしは歴史学がいかなる学問であるかについては︑ とこで論ずる余裕はない︒す
二六七
二六八
ぺて自明のこととして論をすすめる︒
したがって︑問題は社会思想の意味である︒教授によれば︑ ﹁社会思想とは︑人間が社会の中で生き行動するこ
とにより︑あるいはそのことのために︑もたなければならない態度決定であるよそしてその態度決定は︑
﹁ 社
会 に
おける人間の生活をよりよくするという目的のため﹂のものである︒
( 6 )
放の思想であるといわなければならないよ ﹁したがって社会思想とは︑ 人間の社会的解
ここにおいて︑社会思想史とは何か︑にたいする結論がえられた乙とになる︒すなわち︑ 社会思想史とは︑人間
の社会的解放の思想を対象とするところの歴史的研究である︒ そして︑方法としては︑個別科学の成果をふまえな
がら︑社会の総体を把握するという立場をとる思想史である︒
以上までのと乙ろは明確であって︑問題はないということができるが︑なお︑社会思想と社会思想史との関係に
ついて︑教授の所論に疑問をいだかざるをえないことがひとつある︒教授いわく︑﹁もしわれわれの社会認識が浅け
れば︑われわれの社会思想もまた浅いであろう︒ほんとうに深みのある社会思想を確立するために社会の総体把握
( 7 )
が必要となるのは︑こうした理由によるのである
o﹂と︒乙乙でのべられている乙とは︑ 深みのある社会思想を確立
するために︑社会の総体把握が必要ということである︒ところが︑ すでにふれたように︑教授が社会の総体把握を
強調するのは︑もっとも社会思想史の名にあたいするものを確立するためであった︒ したがって︑社会の総体把握
を必要とするものが︑もっとも正しい社会思想史から深みのある社会思想へ︑いつのまにか︑ 変換しているのであ
る︒この変換が︑何らの説明なしに︑ 突如としておこなわれているところに問題がある︒社会の総体把握を必要と
したのは︑社会思想史という歴史的研究を真理に近づけるためであった︒ それがいまや︑社会思想という人間解放
の思想それ自体を深めるために必要とされている︒思想史と思組とは︑概念として︑ まったく別個のものである︒
別個のものについて論ずるのに何らの説明もなく︑ まったく当然のことのように共用されているのは︑どのような
理由にもとづくのであろうか︒別個のものだという認識が︑はじめからなかったのではないだろうか︒教授がまえ
にのべたのは︑社会思想史の方法であって︑社会思想それ自体ではなかった︒
思畑山と社会思想史とが︑乙のばあいにかぎって︑混同されているといわざるをえないのである︒ したがって︑教授においては︑社会
しかしながらこの混同にもかかわらず︑ いまやふたつの命題を主張し
そ し
て ま
た ︑
乙の混同によって︑教授は︑
ているのである︒すなわち︑真の社会思組史を書くためには社会の総体把握が必要であるという命題と︑ 深みのあ
る社会思想を確立するためには社会の総体把握が必要であるという命題とである︒ それぞれの命題については︑と
社会思想家としてのパートランド・ラッセノ
L
くにさしはさむべき異論はない︒
以上︑社会思想史の方法と対象について︑高島教授の所説を中心に若干の批判的検討をこ乙ろみたにすぎないが︑
われわれとしては︑ そとにのべられている考えかたを︑いまのべたような留保をつけて肯定し︑そこからわれわれ
の議論を出発させてきしっかえないであろうと考える︒
( 1 )
高島善哉・水田洋・平田清明﹃社会思想史概論﹄二ー
i
コ一 ペー ジ@
( 2 )
高島・他︑前掲書︑三ページ︒
( 3 )
高島・他︑前掲書︑四
l
一0
ペー ジ︒
( 4
) (
5 )
高島・他︑前掲書︑一
0
ペー ジ︒
( 6
) (
7 )
高島・他︑前掲書︑一一ページ︒
二六九
ニ七
O
四
さて︑パ l トランド・ラッセルのどういう仕事が社会思想上の業績となされるべきか︑ という問題を考察すべき
段階にきた︒
まず︑問題を明確にすることからはじめよう︒われわれの目的は︑社会思想家としてのパ l トランド・ラッセル
を論ずることである︒ということは︑ラッセルの社会思想それ自体を論ずるということであって︑ ラッセルの社会
思想史にかんする業績を論ずるということではないということである︒すなわち︑社会思想家としてのラッセルが
問題であって︑社会思想史家としてのラッセルは当面の問題から除外されなければならない︒
し た
が っ
て ︑
﹁社会思想史概論﹂︑五︑六︑ 九ページにのべてあるラッセルにかんする説明ならびに批判は︑本
稿では対象とならないので︑これについては別の機会にゆずり︑ ここでは何ものべない︒
社会の総体把握という立場にたって︑人間の社会的解放を論じた最初の書物は︑ 一八九六年︑かれが二四才のと
きに出版した﹁ドイツ社会民主主義﹂
の の
同 日
ω ロ
ω ︒
巳 丘
ロ
ω 日
︒ ︒
53 である︒乙こでの主題は︑かれの著作の詳細
な分析検討ではなく︑社会思想上の業績としての検討であるから︑ この主題に必要なかぎりにおいて︑この処女作
をみてみることにしたい︒
当時新設されたロンドン・スクール・オヴ・エコノミックスでの講演 (一八九六年二月および三月)からなる
ところの本書の六つの章は︑順次︑‑マルクスと社会民主主義の理論的基礎︑ E ラッサ l
ル ︑
E ラッサ l ルの死か
ら例外法(一八七八)の通過までのドイツ社会主義の歴史︑ 四例外法下(一八七八 i
一 八
九 O
)
の 社 会 民 主 主 義 ︑
V 社会主義者取締法の廃止後の社会民主主義の組織・運動・戦術・綱領︑羽社会民主主義の現状︑という表題をも
っている︒これらの表題からも推測されうるように︑ これは︑階級解放の理論家・思想家たるマルクスの思想を継
承すると乙ろのドイツ社会民主党の理論的・歴史的研究であると同時に︑ ラッセル自身の階級解放(ならびに人間
解放) にかんする思想の表明である︒後者は︑ マルクスならびにマルクス主義への共鳴と批判という形で︑ 本書の
いたるところに卒直にのべられている︒しかもこの思想は︑
( 1 )
はなく︑もっとも基礎的な社会科学であるところの経済学の研究をふまえながら︑社会の総体把握という立場にた けっして哲学的世界観的な面からのべられているので
って︑ちからづよく展開されているのである︒
社会思想家としてのパートランド・ラッセノ
L
ラッセルは︑まず︑ マルクスにたいしてつよい共感をしめす︒ しばしば引用されると乙ろであるが︑ラッセルは
﹁ 共
産 党
宣 言
﹂
﹁マルクスの政治的歴史的信条の要点をしめす﹂
に つ
い て
︑
つぎのようにのべている D ところの
﹁簡潔な雄弁︑寸鉄ひとをさすウイット︑歴史的洞察の点で︑これは古今の政治文献中最高のもののひとつであると
( 2 )
わたしは信ずるよ﹁乙の偉大な作品は唯物史観のもつ絞事詩的な迫力をすでに乙とととくそなえている
l l
すなわ
ち︑その冷酷で感傷をまじえない宿命観を︑道徳と宗教にたいする蔑視を︑ そしてまた︑あらゆる社会関係を非人
格的な生産諸力の盲目の作用に還元してしまうやりかたを︒
ブ ル
ジ ョ
ア ジ
ー の
冷 酷
な 革
命 を
非 難
す る
一 一
一 一
口 葉
は た
だ の
ひとつもなく︑また皮肉たっぷりにえがかれた中世の牧歌を惜しむ言葉もひとつとしてない︒ マ ル ク ス の ば あ い ︑
正義や美徳の問題はなく︑人間的な同情や道徳性にたいする訴えはない︒ちからのみが正義であり︑共産主義はそ
の不可避的な勝利によって正当化される︒資本主義は悲惨をうみ︑ 共産主義は幸福をうみだすであろうとマルクス
二七
二七二
が信じたというのは真実である︒かれは資本をはげしく憎み︑ 乙の憎悪がしばしばかれの論理をくもらせている︒
しかし︑かれは自説のよりどころを︑けっしてユ i トウピア亡者ども (かれはかれ以前の社会主義者をこうよぷ)
の説教する﹁正義﹄や感傷的な人間愛にもとめることをしない︒ かれは︑はかりしれない軽蔑の念をもってでなけ
れば正義や人間愛について語らないのである︒かれは自説のよりどころを︑ ひとえに歴史的必然性に︑生産諸力の
盲目的な発展にもとめるのである︒乙の生産諸力は︑結局のところ︑ それらをうみださざるをえなかった資本家を
のみこんでしまうにちがいないのである︒かれの﹁資本論﹄は︑これら歴史的発展の諸法則を︑英大な経験や読書
から例をあげて︑注意ぷかく証明しようと誌みたものである︒共産党宣言は︑ 証明しようと試みたものではなかっ
( 3 )
たが︑この学説の本質的な点を︑かれののちのどの著作にもみられないちからと雄弁とをもって殺述している︒﹂
科学的社会主義にたいする本質的な把握とともに ここには︑ラッセルの革命思想家マルクスにたいする共感が︑
つよくのべられている︒むしろ︑この共感は︑ マルクスの社会主義が科学的であることにたいするたかい評価によ
って︑うらづけられているというべきであろう︒あらゆる希望的思考︑ あらゆる感傷主義︑あらゆる理想主義を否
定して︑冷静に︑科学的に歴史的現実を分析したことは︑ マルクスを他の先行する社会主義者から区別する主要な
点であった︒乙の点をラッセルがたかく評価したことは︑ ラッセルの社会思想が︑個別科学の成果をふまえながら
社会の総体把握を志向していることのひとつのあらわれということができるであろう︒
しかし︑ラッセルのマルクスにたいするこのような高評価が︑ 社会の総体把握の立場と人間の階級的解放の思想
に お
い て
︑
マルクスとまったく同一であったということを意味するものでないことはもちろんである︒本稿の目的
は︑ラッセルの立場と思想そのものを論ずることではなく︑ かれに社会思想家としての立場と思想がある乙とを証
明することであるから︑ ここでは︑かれのマルクス批判の詳細︑ ならびにかれの思想そのものの展開は必要ではな
いが︑社会思想家としてのラッセルをうきぼりにするのに必要なかぎりにおいて︑ かれのマルクス批判をとりあげ
て み
よ う
︒
ラッセルによれば︑ マルクスの理論の基本点は︑剰余価値学説と資本集中論である︒ そして︑かれによれば︑両
者は矛盾関係にあり︑ 乙の原因は剰余価値学説の誤謬にある︒ ふたつの学説に検討をくわ担えてゆ
順 次
︑
か れ
は ︑
く︒前者について︑かれは︑商品の価値が労働量のみによって決定されるものではなく︑価値決定の一要因として
( 4 ) ( 5 )
需要ないし効用を無視してはならない乙と︑需要の無視は唯物史観の必然的帰結であること︑労働の再生産は他の
社会,也位!家としてのパ戸トランド・テッセノレ
その再生産費は労働者自身ののぞむ生活水準で
( 6 )
決定され︑そしてそれは論理的必然の問題ではなく歴史的事実の問題である乙と︑企業者の経営活動をどうみるか
( 7 )
かならずしも明確でないこと︑をあげて︑それが理論的に妥当でないことを指摘する︒ 商品の生産とは異なって︑資本家によってなされるものではなく︑
このような批判にもかかわらず︑ラッセルはなお︑ マルクスにたいして寛大な立場をとっていることが注意され
る べ き で あ る ︒ マルクスの学説には主大な誤謬があるといえば︑ ﹁自己満足的なドイツのブルジョアジーは勝利の
歌をうたい︑社会主義がその自己矛盾によってほろびるのを待つのが習慣である︒ しかし︑上述のような経済学者
ぶった考えかたは︑自己の利益にちょうど目︑ざめたところの一階級にたいして十分乙たえることはできない︒社会
民主主義者は︑名状すべからざる侮蔑の念をもってマルクス批判者について言及するが︑ この侮蔑の念は︑
マ ル
ク
スの学説のなかには︑ともかくも︑結局のところ真理の核心がふくまれているにちがいないということを暗示しそ
うである︒そして︑わたしは︑もうすこし学者ぶって︑ 地代や独占という魔術的用語をつかう
ζとにより︑労働者
二七三
の見地からみて︑
二七四( 8
)
じっさい上マルクスの学説とおなじ何らかの学説を発表できると信じている︒﹂﹁労働力の価格は
労働力の生産費であり︑ この生産費は最低生活必需品からなりたつというマルクス理論は︑︑きわめて特殊な状況の
もとにのみ真実である D それにもかかわらず︑剰余価値の理論はつぎのような真理の核心をもっている︒
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︑
資本主義的生産は地代と利子の取得者が怠けていても富裕になることを可能にし︑ またこの程度だけ︑労働をだま
して生産物の一部をうばいとる︑と︒また︑全国が貧困で︑ 労働がほとんど組合に組織されていないドイツでは︑
当分のあいだ︑賃銀鉄則がある程度の妥当性をもっていることは事実である︒したがって︑
( 9 )
ツの労働者にとって自明のものとおもわれるだけの真理をもっているのであるよ マルクスの学説はドイ
被圧迫階級にたいするかれの同感︑ マルクスの学説を辛らつに批判しながら︑ けっして杓子定規におちいらず︑
その現実的な成立の基盤と妥当性を現実に即して論ずる経験科学的洞察は︑ 哲学者としての一面しか知らぬものに
は︑まさに驚歎にあたいするラッセルの他の一面でなければならない︒
﹁資本集中の法則はマルクスの業績のなかでもっとも独創的な部分であり︑
(叩
)
な項目である
o﹂ラッセルがこのようにもっともたかく評価するところの資本集中論も︑ かれの体系のなかでもっとも本質的
ラッセルによれば︑欠点な
しとはされえない︒なかでも︑資本の集中がますます増大するプロレタリアートをうむという二大階級敵対論にた
いして︑企業の大規模化と機械技術の進歩とは新しい中産階級を生成し︑
( 日
)
対立をにぶらせるという口また︑階級斗争における決定的な一撃によって︑いちどに全部門を国有佑すべきだとの主 二大階級のあいだのますます尖鋭化する
張にたいしては︑各部門が独占段階に達するごとに︑ それぞれ個別的に国有化すべきであるとのべ︑社会民主主義者
( ロ )
の非連続的弁証法的転換の主張にたいして︑社会発展の全過程を漸進的な︑いわば有機的なそれと考えるのである︒
しかもなお︑ラッセルは︑ つ ぎ の よ う に い う ︒ ﹁だからといって︑社会主義:::が誤りであることが証明された
ということにはならない︒必然的宿命論として︑:::ひとがそれを支援しようが妨害しようが︑社会主義は︑かっ
ての自由放任主義よりも頑強に︑批判にたちむかいうるというものではない︒ しかしながら︑社会主義国家の可能
性や望ましさを独断的に否定する乙とが正しいかどうかも︑やはり証明はできない︑
( 日
)
の諸状況をこまかく考慮してなされねばならない︒﹂ したがって︑その決定は特定
ここでも︑われわれは︑ラッセルの経験科学的洞察のすぐれた一例を見る乙とができるであろう︒
社会思想家としてのパ戸トランド・ラッセノレ
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二七五
二七六
五
以上に紹介した﹁ドイツ社会民主主義﹄は︑すでにのべたように︑かれの処女作である口 いわゆる哲学者ラッセ
ルの処女作が︑哲学にかんする書ではなく︑社会思想上の主であることは銘記される必要がある︒ ウッドは書いて
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一八九五年の三月︑ベルリンのティ l アガルテンの雪どけの道を散歩していたときの乙とを
しばしば述べていそこのとき︑かれは一連の書物を書く決心をしたのだった
111一方では︑数学のような最も拍
象的な問題から説︑きおこして次第次第に具体的になって行く書物を︑そして︑他方では︑
( 1 )
まって次第次第に抽象的になって行く書物を︒﹂若いラッセルにおいて︑政治学︑経済学をふくむところの社会思想 政治学と経済学からはじ
上の業績は︑たんに偶然的な所産であったのではない︒あらゆることを知ろうとつとめ︑ 何ものにもたじろがぬこ
とをモットーとするフェイピアン協会の一員として︑かれは政党人と接触し︑ また新妻をつれて二度にわたりドイ
ツを訪問して︑ドイツの社会主義運動を研究したのである︒
このような社会の諸問題への関心と研究とは︑乙の処女作だけでおわったのではない︒大作﹃プリンキピア・マ
テマティカ﹄の執筆中でさえ︑かれは社会的な問題に関係をもちつづけた︒ ﹁係数会﹂の一員となり︑自由貿易擁
護と婦人参政権獲得のために︑議員補欠選挙に立候補までしたのである︒
一 九
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ふたたびかれは議会に立候補しようと努力したが︑
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一九一四年以降のかれの全身全
霊をかたむけた反戦・平和のための情熱的な活動は︑ 九三才の今日まで終始一貫してつづけられ︑いまや誰しらぬ
ものもない周知の乙ととなっている︒
かれが哲学に没頭しながら︑同時に政治と社会の問題のためにこのようにも献身的に情熱をそそぐのは︑ な ぜ で
あろうか︒おそらく︑それは︑ ﹁人間の不必要な苦しみに対する深い憂慮と︑
( 2 )
﹁蛾烈な人間的同情﹂が︑真理への探究心とおなじくらいに強烈にかれを支配し その原因をなす愚行と斗おうという
決意﹂が︑より根本的にいえば︑
ているからであろう︒
かれは︑処女作ののち︑
六O 冊にのぼる著書をつぎつぎと世に発表してきた︒それらは︑すでにのべたように︑
広汎多岐な領域をカバーしており︑そのなかには︑社会思想上の業績が︑ 哲学上のそれにおとらず︑
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丞的にはそれをうわまわって︑ふくまれているのである︒たとえば︑
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ところで︑ここで強調しておかなければならないことは︑ いままでの行論から推測されるであろうが︑かれの社
会忠組上の業績が︑職業的哲学者の筆のすきびとして書かれたものではないということである︒ すでにのべたよう
に︑かれは︑はじめ︑ へ l グル的な体系を意図して︑抽象より具体へのアプローチと具体より抽象へのアプローチ
ヘ l ゲル学説を放棄したあとも︑ かれは哲学とは独立した領域として︑社会的解放の問題 とを考えたのであるが︑
をとりあげたのである︒ひとびとがラッセルの哲学と社会思想との関係を︑かれの意志に反して︑哲学の観点から︑
それに従属的に関連づけて見ょうとする誤解に反論して︑かれはつぎのようにこたえている︒ ﹁拙著﹁社会再建の
二七七
二七八
原 理
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( 一
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︑
またある程度まで私の他のポピュラーな著作について︑ 哲学的な読者は︑
私 が
﹃哲学者﹂という範鴎に入れられていることをなまじ知っているために︑ よく誤解におちいる︒私は﹁哲学者﹄と
しての資格において﹁社会再建の原理﹄を書いたのではない︒世界の現状を悲しみ︑ それを改善する方途を見出す
ことをのぞみ︑かつ同じような気持をもっ他の人々に平易な乙とばで訴えようとねがう一個の人間として︑私はこ
このことはきっと誰の眼にも明白であろう︒
( 3 )
乙の本を理解してもらうためには︑私の専門的な活動のことは忘れてもらう必要があるこ の本を書いたのである︒かりに私が専門書を書いていないとすれば︑
われわれがラッセルを社会思想家としてとりあげることができるのは︑ かれがこのように︑哲学に従属的に関連
するものとしてでなく︑それとは独立のものとして︑ 社会的解放の問題を経験科学的にとりあつかっているからで
あ る
本節では︑さらにひとつのことを主張したい︒ ﹃社会思想史概論﹂においては︑ 人間の社会的解放の思想を三つ ︒
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﹁社会における人間解放の思想としての社会思想は︑時代が進むにつれ︑
また民族が異なるにつれて歴史的に変化する︒われわれの社会思想史の研究範囲でいえば︑資本主義体制の初期に
として現われ︑最後に︑ ついで︑後れて資本主義体制に進んだ諸国においては民族解放の思想
( 4 )
一般的に階級解放の思想として現われていると考えられる
o﹂ おいてはまず人間解放の思想として現われ︑
このように︑歴史的な三段階にわかっ方法が︑それ自身に問題をふくむことは︑
( 5 )
に注意しているところであるから︑ここでは問題とせず︑むしろ︑このような方法の延長として︑ 人間解放の思想を︑ 教授もすで
人間解放の三つ
の思想に︑さらにもうひとつ追加する
ζとを提案したい︒
﹁ 概
論 ﹂
の 著
者 は
︑
﹁いうまでもなく︑われわれの問題
は現代および将来にある︒しかし青年の自殺伝が無理な誌みであるように︑
( 6 )
れるべき時期ではないよといって︑その対象を近代にのみ限定する︒ 現代社会思想史というものはまだ書か
われわれがいまやっと書く乙とができるよう
﹁近代的人間がふたたび自己脱皮の必要に迫られた時期﹂︑
( 7 )
な課題の前に人類が立たされた時期﹂における社会思想のみであるという︒ に
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﹁社会主義体制への移行という歴史的
このような方法論からすれば︑ わたし
がこれから提案しようとすることは全然問題にならないかもしれない︒
しかし︑現代社会思組史は書かれるべきでないといっても︑ 現代社会思想はまぎれもなく存在する︒われわれが
とりあげているラッセルそのひとの社会思想は︑ いまなお現代に活滋に生きている︒社会思想家としてのラッセル
をとりあげるとき︑ 一九世紀末から現在まで元気に生きつ︒つけているかれの思想を全体として︑ 一貫してとりあげ
社会思想家としてのバ戸トランド・ラッセノ
L
ないわけにはいかない︒それとも︑現存の思想家については︑すくなくとも現代に属する部分について︑
うえで論じてはいけないというのであろうか︒もしそうであるならば︑長寿の思想家にわざわいあれ︑ 思想史の
( 8 )
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る ︒
﹁概論﹂の著者が︑終草に﹁現代社会思想史の課題﹂を設定して︑ 現代社会思想史における見方と方法について
信念を開陳しているのにならい︑あえて︑ ひとつの詩論として︑解放思想の四番目の範時として︑ 人間の全体的破
滅からの解放の思想をあげたい︒
全体的破滅からの解放の思想は︑ 一般的にいえば︑平和の思想である︒ これをたんに平和の思想といわずに︑全
体的破滅からの解放の思惣というのは︑ 哲学的あるいは宗教的倫理的な平和の思想が全体的破滅の現実的可能性が
まだ存在しない過去の各時代に数多くのひとによって唱道されてきたという事実をふまえながら︑ 全体的破滅の危
械が人類にとって目前に切迫し︑社会科学の立場からの平和の思想がもっとも切実に要請されている現状をとくに
二七九
二八
O
クリティカルに表現するためである︒現代に生きるもの︑ とくに社会科学ないし社会思想に従事するものにとって︑
この全体的破滅からの解放はまことに重大緊急の課題である︒ それはたんに哲学的な思想ですまされるべき問題で
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い ︒
﹁概論﹄の著者は︑終章の﹁結語の結語﹂において︑ ﹁われわれ日本人がまさに主体的にとり組むべき課
この三つのうちのかなめは︑
( 9 )
民主主義は日本民族の独立のためにもとめられるものであると論ずる︒ 題﹂として︑平和と独立と民主主義とをあげ︑ いうまでもなく独立であって︑平和と
現代のわれわれがとりくむべきこれら三つ
の課題とこれまでにのべられてきた三つの解放思想との関連は何であるか︑ また民族の独立が百一大課題のひとつで
あることはいうまでもないことながら︑ 平和と民主主義がそのための手段であるとはどういう
ζと か
︑
日本民族の
自立のために人類の破滅はさげられるべきだというのか︑等々論︐すべきことは多い︒とくに︑ との結語の結語が︑
これまでのこの書のかなり周到綿密な論理から一時に飛躍した展開をおこなっている点は︑われわれの理解を困難
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全体的破滅からの解放は︑全体的破滅の危機がいたるところでわれわれをおびやかし︑ 毎日毎日の各瞬間に︑地
球上の生命が破滅するかどうかを堵けて生きている現在において︑ あらゆるものに優先する至上の課題でなければ
ならない︒そして︑われわれの社会が︑いまなお︑人間の解放︑民族の解放︑ 階級の解放の問題を自己の深刻な問
題としてもっている以上︑ これら三つの解放の思想と全体的破滅からの解放の忠組との関連こそは︑ 現実的にはも
っとも重要な問題であるといわなければならない︒
ところで︑ラッセルにおいては︑全体的破滅からの解放の思想は︑ まさに人類至上の課題としてとらえられ︑か
れの一九一四年来の長年にわたる努力︑とりわけ最近十数年の努力は︑ との至上の課題へ完全にささげつくされて
いる︒しかも︑かれの解放の思想は︑人間や民族や階級の解放との関連を明確深刻に意識しながら︑
る︒それだけではなく︑かれの平和思想は︑哲学的あるいは倫理的に︑ア・プリオ
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リに主張されているのではな
(叩
) く︑歴史的具体的現実にたいする経験的実証的かっ綜合的な研究にもとづいて主張されているのである︒したがっ
展開されてい て︑かれの平和思想の内容は︑歴史的条件の変化に応じて変化し︑いったん主張したら︑
条件のいかんにかかわら ず絶対不変でなければならぬとかたくなに主張されることはないのである︒
ラッセルの平和思想を社会思想として規定するのは︑以上の理由にもとづくのである︒
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・訳
文は
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より
引用
︒
( 4 )
高島・他︑前掲書︑二ページ︒
( 5 )
高島・他︑前掲書︑一一︑三四四
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四七
ペー
ジ︒
( 6 )
高島・他︑前掲書︑一ページ︒
︿
7
)
高島・他︑前掲書︑二ページ︒
( 8 )
レ1ニンがうまれたのは一八七
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年︑かれの経済学上の処女作﹃いわゆる市場問題について﹄がでたのは一八九三年であった︒乙れをラッセルの年代と比較せよ︒故人と現在者との区別は︑何ら本質的ではない︒( 9 )
高島・他︑前掲書︑三八三ページ︒
(叩)﹁哲学におけるラッセルの全面的志向はア・プリオ1リなものをなくして︑経験的なものを強調しようとする詰みであ︐
った︒そして︑かれの政治的思考においても︑﹃正義﹄というような抽象的なことばがときおり用いられているにもかかわらず︑全く同じ傾向が看取される︒政治問題に対するラッセルのアプローチは多くのばあい経験的︑実際的であり︑ァ
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1リな原理や先入観にとらわれずに︑そのときどきの資料にもとづくものであるが︑このことを理解せぬかぎり︑
なぜかれの見解が一見甚だしく変化するのかを理解するζとは全く不可能である︒ひとときも停滞せぬ世界︑環境の変遷
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二八
二八
が相指抗するさまざまな議論の均衡をたえず変えて行く世界︑においては︑見解のこのような変化は全く正当というべき
である︒この点を理解しないと︑われわれはラッセルの政治的著作を読んで根拠のない失望の感を抱くことにもなりかねない︒つまりかれのしととは︑すべからく︑み事すから永遠の真理なりと称するなんらかの主義︑イデオロギーまたは深遠
な理論によって︑ありとあらゆる問題を解決してくれることであるはずだ︑という誤った想定をわれわれはなしかねない
のである︒政治上の知恵のはじまりはこのような理論は存在しないということを理解することであるこ君︒︒︻
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(一九六五・九・二九)