反核思想の形成過程と「ジェノサイド」
反核思想の形成過程と「ジェノサイド」
岩松繁俊
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は じ め に
反核〝 の思想は現代社会に生きている思想である。この思想は,一部の 神経質なひとびとの空疎な観念論でも,誇大妄想でも,把憂でもなく,ま た,政治的な偏向論でもない。
これは,20世紀現代社会のまざれもない危機的な現実に根ざした思想であ る。
反核の思想が根ざす現代の危機的な歴史的現実とは何か。それは,惰潔に 要約すれば,広島・長崎を一瞬のうちに廃墟としたアメリカの原子爆弾をは
じめとして,1200回になんなんとする核実験,はげしさをます核軍備競争,
世界各地のウラン鉱採掘・核燃料精製・原子力発電・原子力船・使用ずみ核 燃料再処理などによって放射能を浴びつづけている人類,さらには地球上の あらゆる生物や無機物が直面している深刻な現実である。
反核の思想は,この歴史的現実の深刻な苛酷さを冷静に把握し,人類をふ くむ全生物と自然,地球の将来を真剣に憂慮するひとびとによって,最近ま すます強く主張され,支持され,拡大している。
反核思想の拡大の過程は,それ自体けっして単純容易なものではなかっ た。きびしい歴史的現実のなかに生きる「証人」からその現実を訴えられた とき,周囲のひとびとの反応はけっして敏感ではなく1),それは空間的およ び時間的距離が拡大するにつれて,その程度を増大した。この思想伝播の過 程を研究すること自体非常に興味深いことであるが,本稿ではそれをとりあ げる余裕をもたない。
本稿が意図するのは,反核思想そのものの主要内容を体系的に論ずるため
の最初のステップとして,広島・長崎原爆の開発・製造の契機をつくったア
インシュタインの苦悩をとおして,反核思想の基本的視点を考察しようとす るものである
o本論にはいるまえに,まず, 、核'にたいする定義を簡単にあげておこ つ
D乙乙で、核'とは,あらゆる物質を構成する共通の微粒子である原子の中 心にある陽子と中性子,すなわち原子核をいみする o ただ,反核の思想ある いは核推進の思想、というばあいの、核グは,原子核分裂反応や原子核融合反 応による巨大エネ J レギーを利用する科学技術・装置・爆弾・運搬手段とそ れを包摂する政治的経済的社会的軍事的体制をひろくふくめてもちいられ る 。
要するに, 、核'とは,本来,原子核 n u c l e u s の こ と で あ る o ところ で,原子核の反応を利用した爆弾ははじめ原子爆弾 a t o m i cbomb といわれ ていたが, 1 9 5 0 年代に入って,水素原子核の融合反応を利用したいわゆる水素 爆弾 hydrogenbomb が開発されてからは,両者をふくめて核爆弾 nu c 1 e a r bomb , n u c l e a r weapon という名称、がもちいられるにいたった。しかし,
わが国では,広島・長崎と結びつけて,原子爆弾という名称が主んぜられた ために,総称のばあいでも,核爆弾あるいは核兵器という名祢よりも,原水 爆 a t o m i c & hydrogen bombs という名称がひろくもちいられてきた。
これと対応して,原子核の緩慢な反応によるエネノレギー創出装置であ る原子炉の利用が増加するや,はじめは原爆と対応して,原子力 a t o m i c energy , a t o m i c power という用語がもちいられた。しかし, この用語も 核兵器(爆弾)という用語に対応して, n u c l e a r energy , n u c l e a r power という語にかわっていった。
乙うして,今日,英語国では, n u c l e a r weapons と n u c l e a r energy
( p o w e r ) がもっぱらもちいられるようになっている
oところが,わが国で
は,爆弾(弾頭)については,しだいに nu c 1 e a rweapon ,すなわち核兵器
という用語がもちいられるようになったが,原子炉によるエネノレギーにかん
しては,原子力という用語が依然としてもちいられている有様である o これ
は日本における核問題を,用語のうえで複雑化する原因のひとつとなってい
反核思想、の形成過程と「ジェノサイド」
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るが,これはまた, 日本語の言葉としての不完全性に由来するといっていい であろう
onu c 1 ear weaponが核兵器と訳されうるのにたいして, nu c 1 ear powerは核力と訳されえないところに,日本語の表現力における限界があ る o したがって,わたしは, nu c 1 e a r weaponに対応して, n u c l e a r energy という用語をもちい,その訳語としては核エネノレギーをあてたい
Dこの nu c 1 ear energy も,訳しかたによっては原子力と訳されうるのであって,
、原子核の
Fを意味する nu c 1 e a rは,日本語では,あるときは、原子のグ と訳され,あるときは、核のグと訳されるという錯雑ぷりである。
このような日本語の表現上の限界は,それがただ表現の問題にとどまら ず,じつはその表現が内包する意味・思想の内容にまで影響をおよほしかね ないという問題をはらんでいる。すなわち,爆弾については核兵器と表現 し,エネ
jレギーについては原子力と表現するというっかいわけは,簡単な宣 伝によって,核兵器は極悪非道の凶悪兵器,原子力は石油なきあとの人類に とっての唯一の救世主的代替エネルギー,という思想上のつかいわけに利用 される危険性が多分にある o
このようにして,英語にかんするかぎり, nu c 1 e a rで一貫して表現される 事象や物体が,日本語では、原子の'と、核の'がいりみだれでっかわれ,
しかも両者は,表現がちがうように内容までちがうかのごとき錯覚をあたえ るのである。 nu c 1 earr e a c t o r (原子炉)に挿入される nu c 1 e a rf u e lは,日 本語では原子燃料ではなく核燃料である。日本語の表現のこのような錯綜 は,日本人の核問題についての明せきな思考と的確な理解を阻害する一因と なっているといっていいであろう o
注 1 )敏感に行動することの大切さは今日強調されるべきであろう。現代のもっとも良 心的で活動的な経済学者のひとり,ヘンダーソン H a z e lHendersonは,自己 鍛練の秘訣にかんするある学者からの質問にたいして, r 私は現在の生活環境の なかで,敏感に行動しようと努力しているただの人間です」と答えている。
H a z e l Henderson , C r e a t i n g A l t e r n a t i v e F u t u r e s ‑ ‑The End o f
Economics 一一, 1 9 7 8 , p . 8 .
1 . ア イ ン シ ュ タ イ ン の 原 爆 開 発 推 進 の 論 理
一般に, r 核の時代」は,広島・長崎への原爆投下の瞬間からはじまった といわれるが,しかし, じつはそれは原爆製造のための科学的研究の開始の ときをもってその幕は聞かれたというべきであろう
oその幕開けに,象徴的な役割を演じたひとこそ,アインシュタイン A l b e r t E i n s t e i n ( 1 879‑1955) であった。かれが物理学者としてなしとげた業績の 偉大さについてはひろく知られているが,その 7 6 t 誌の生涯を,専門の物理学 研究のみならず,終始一貫,圧政と抑圧に抗してたたかう反戦・平和活動家 として生きたという側面については,あまり知られていない。
1 9 1 4 年の「ヨーロツパ人への宣言
1)」への署名をかわきりに,第 l 次世界 戦争後の 1 0 年間における戦争抵抗者運動への参加,ナチスの権力掌握後のド イツ・アカデミー無視,第 2 次世界戦争前夜におけるナチス侵略の脅威にそ なえての軍備の支持,という確信にみちた実践的反戦活動の経歴のなかで,
かれがただひとつだけ,心にいだきつづけた悔恨は, 1 9 3 9 年 8 月 2 日付の J レ ーズヴェノレト大統領あての書簡のことであった。晩年の 1 6 年間,かれの心に 黒く影をおとしつづけた書簡をめぐる煩問と苦悩は,おそるべき核の時代を 招来した責任者としての苦悩を示すと同時に,反戦思想と反核思想との歴史 的接点の苦悩を示し,さらに,核の時代における反戦思想のあるべき姿を啓 示するものということができるであろう
O2)
, -+._~3)この「歴史をっくりだした」書簡が執筆された経過と書簡の内容につ いては,原爆開発の歴史をとりあつかうすべての文献がふれているので,乙
乙ではくりかえす必要はないであろう
oアレクサンダー・ザックス AlexanderSachs をとおして, 1 0 月 1 1 日 ,
J レーズヴェ J レトに手渡されたこの書簡は,じっさいには, レオ・シラード
Leo S z i l a r d が起草した二通の書簡のうちの短い方の書簡であったが,そこ
には,大要,乙うかかれていた。一一最近の研究により,ウランの核連鎖反
応の創出がごく近い将来可能となるのは疑いないととがわかった。この新現
象から,きわめて強力な新型爆弾を製造することが多分可能となるであろ
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う
o政府は核連鎖反応を研究する物理学者とつねに接触を保つ乙とがのぞま しい。ドイツは占領下にあるチェコスロパキアの鉱山からでるウランの販売 を停止しているという情報を入手している。
シラードが執筆したとはいっても,アインシュタインはみずからの名をも ってこれに署名した。 1 9 3 8 年 1 2 月,ベルリンの K a i s e r ‑ W i 1 helm ‑ G e s e l l ‑ s c h a f t のオットー・ハーン Q t t oHahn とフリッツ・シュトラスマン F r i t z Strassmann によって発見されたウラン原子核の分裂が爆弾に利用される 可能性があり,しかもそれがドイツの科学者によって最初に開発される危険 性がきわめて濃厚なことをもっともつよく憂慮したのはシラードであった が,そのシラードに説得されて,アインシュタインはみずからの君、志をもっ て乙の書簡に署名した。シラードに説得されるまで,かれは,当時,まだ 原子核分裂を軍事目的に利用しうる可能性について確信をもっていなかっ 7
こo「私は.自分が原子エネルギーの解放にたいする父であるとは思っていま せん。 事実,私は自分が生きているあいだに原子力が解放されるとは予想し ていませんでした。私は単にそれが理論的に可能だと思ったにすぎません。
原子エネルギーは連鎖反応が偶然発見されたことによってその実現が可能と なりましたが,乙の点は私の予想しえたこと以上のものでありました心。」
乙の所感は,核分裂発見前の自己の学問的立場を説明したものであって,
シラード起草書簡への署名時点で,原子核分裂エネ J レギーの爆弾としての可 能性をどう考えていたのかを正確に判断することはできないが,シラードに 説得されて,爆弾の可能性について相当の確信をもつにいたったことは事実 であろう o 責任感の明確なかれが,爆弾としての可能性について否定的なま ま,百目的に署名したはずはない。
ところが,乙うして署名した書簡が,かれをそののち終生苦しめることと なった。当時のかれには予忽すべくもなかった。
乙の吉簡は,かれ自身を苦しめたばかりでなく,かれ以外のひとからもか なりの不認を買ったロ
r 1 9 3 9 年には賢明で愛国的だと考えられたこの舌:簡は, 1 9 4 5 年には歴火の
真相を露呈し,同時に最も冷酷な皮肉の実例と化した。真相を露呈したとい うのは,内気な科学者が,事の重大さを示すために著名な自分の名前を喜ん で貸した乙とを暴露したという意味においてであり,また冷酷な皮肉という のは,アインシュタインが自己の本能と,初めに彼が示していた平和主義的 立場とにはっきり相対立するような歴史的事件に,自らの名を関連させる結 果を招いたという意味においてである的。」
乙のような評価は,たしかに一面においては首訂されうるものをもってい る
oだから乙そ,アインシュタイン自身1"大きな過ち
6〉」として良心の痛 みに苦しみつづけなければならなかった。それは,広島・長崎の惨禍を知る ものにとっては,当然の報いとさえ考えられるであろう o ましてや,その原 爆のために殺され,あるいは癒やされぬ傷をうけて苦しみつづける被爆者に とっては,原爆生みの親ともいえるアインシュタインのこの行為は,単なる
「過ち」として看過されるわけにはいかないであろう
oしかし,アインシュタインの書簡のもつ歴史的な怠味を考察するさいに は,かれがナチズムをいかにおそるべき悪として的確に認識していたかを念 頭におく必要がある
o1 9 3 9 年には「愛国的」といい, 1 9 4 5 年には「冷酷な皮 肉の実例」と冷笑する世間の評価には,ナチズムの悪にたいする認識に「結 果論」的甘さがあるといわざるをえない。
1 9 3 9 年一一ヒトラーのポーランド侵略による第 E 次世界戦争の発生は 9 月 1 日一ーより数年もまえから,ヒトラ一一味が「手のつけられない」 同巴罪 的暴徒 7) J として悪事のかぎりをつくし, とくにアインシュタイン自身をふ くむ同胞民族をユダヤ人として「ジェノサイド」の対象としていたという事 実を看過して,アインシュタインの書簡を論ずることはできないであろう o
あまりにも有名な「アンネの日記」の著者アンネ・フランクの悲惨な運命は 周知のことである。この悲惨な運命は,他の何百万とも一千万とも知れぬユ ダヤ人が同じようにたどらねばならなかった運命であった。
アインシュタインは真塾な平和主義者であった口その平和主義は,一貫し
てかわらない原理と情勢の変化に対応してかわる政策との二要素から構成さ
れていた 8) 。平和という目的ないし原理を達成する方法ないし政策は,情勢
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に応じて適応してし、かなければならない。その意味で,かれの反戦・平和闘 争の具体的内容は,時と場所により,異なっていた。かつて個人のレジスタ ンス運動や各人の兵役拒否闘争を支持したことのあるかれも,狂信的好戦的 なナチズムにたいしては,国際的な軍事力の連帯的組織化を唱道した。ナチ ズムによる戦争を地上からなくすためには,各国が連帯してヒトラーを打倒
しなければならないと確信した
9)。
そのヒトラーが,原爆を手にしようとしている
Dその手に原爆をにぎった とき I アリアン人種至上主義」を根幹としたドイツ・ファシズムの「ジェ ノサイド」政策は完成する
oアインシュタインは,ヒトラーが原爆を手にし たときの人類の地獄的境遇を想像し,そのまえにアメリカが原爆を開発し製 造することの絶対必要性を確信した。戦争のない平和な世界をきずくため に,反ナチズム闘争の手段として,対等の兵器=原爆をつくらねばならな い,と o
晩年になって,かれはライナス・ポーリングにこう述懐した。
「私は自分の生涯において,大きな過ちをひとつ犯しました。それは原爆 製造を大統領に進言する書簡に署名したことです。しかし, ドイツがさきに 原子爆弾を開発するかもしれないという危険が存在した乙とは,いくぶんか 私の行動を正当化してくれるのではないでしょうか 10) o J
また,乙うもかいている。
「われわれは,この新しい武器を,人類の敵がわれわれにさきんじてつく ることから防ぐために,乙の武器をつくる手助けをしました。この武器は,
ナチスの精神状態では,世界の他の部分をはかり知れないほど破壊し奴隷化 したことでありましょう。われわれは,この武器を,全人類の委託者であ り,かっ平和と自由の戦士としてのアメリカ国民とイギリス国民の手に移し ました
11)o J
1 9 4 7 年 3 月 1 0 日付の「ニューズウィーク」誌には,つぎのような談話が掲 載されている。
「もしも私が, ドイツ人は原爆の開発に成功しないだろうと知っていたな
らば,原爆問題について何もしなかったはずです。私が仲介の労をとらなか
ったとしても,原子力はおそかれはやかれ解放されたでしょう
Dしかし緊急 事態が乙んなに早くやってこなかったら,私たちの状況はもっとよくなって いたと思います 12) o J
すなわち,アインシュタインは,①過ちをおかしたこと,②しかしヒトラ ー=人類の敵がさきに原爆を開発する危険性があったからこそ原爆をつくっ たこと,①したがってナチスが原爆を開発しえないのを知っていたら,進言 はしなかったこと,④しかしいずれ原子力は解放されたはずであること,を のべている。これは,たしかに,罪の意識に苦しむひとの重苦しい弁明であ り,悔悟の弁解である。とりわけ④の弁明をきくとき,物理学という学問の もつべき使命のなかに,おそるべき原罪性がひそんでいる乙とを鋭く追及し なければならないのをおぼえる
Oしかし,アインシュタインの弁解のなかにも,一理がある乙とをみとめざ るをえないであろう。それはナチス・ドイツの凶悪な「ジェノサイド」政策 を知るものの論理である 13) 。アインシュタインにとって,アメリカの原爆 は,同じ原爆を開発しているはずのヒトラーにたいしてのみ向けられるべき 反ナチズムの武器一一ーしかも対等の武器ーーであった。そのようにして開発 を「開始」した原爆を,アメリカが日本のふたつの都市にたいして「使用」
したととろにかれの苦悩は臨胎した。 r 開始」と「使用」とのギャップない し矛盾乙そは,かれの苦悩の原因であった。
もちろん,かれは,武器というもののもつおそるべき役割について無知で あったという学者としての甘さを責められねばならないであろう o 武器は殺 人のための普遍的道具であり,特定のもの一一一集団一ーのみが特定の目的の みのために使用するときめてかかると乙ろに,そもそもの「過失」の原因が ある。武器をだれにたいして,いつ,どのように使用するかを決定するのは,
政府と軍隊であり,科学者の意向が忠実に,あるいは部分的にもせよ,戦争
指導者の意志に反映されうると考えること自体,あまりにも政治・軍事・戦
争の実体を知らなすぎる。かつて原爆開発を主張し奔定したシラードは,原
爆完成を目前にして,それを日本にたいして使用する乙とに反対する迩動を
おこしたが,もちろん,指導者はそれに耳をかさなかった。すでに軍・産・
反核思想の形成過程と「グェノサイド J 3 3
官の複合体制にくみとまれてしまった科学者の責任は重大なのであって,莫 大な予算と資源を投入して完成しようとしている原爆の使用を思いとどまら せることは,もはや不可能であった。開発の「開始」は r 使用」へのフリ
ーハンドをあたえることにほかならないというちからの論理について,あま りにも無知であったといっていいであろう
Dにもかかわらず,開発の「開始」を動機づけたところの判断,すなわち,
ユダヤ民族その他にたいする「ジェノサイド」政策の進行と侵略戦争準備と いう当時の状況において,ヒトラーが原爆の開発と製造に着手しないはずは ないとの判断は,まったく正当であった。なぜならば,①原子核分裂の発見 はヒトラーの膝元,ベルリンの研究所においておこなわれた。②ヒトラ一政 権以前から, ドイツは科学技術の優秀さを誇っていた口①ナチスが大量の資 源を兵器の研究に投入していたことは,ひろく知られていた。④ドイツはチ ェコスロパキアのウラニウム鉱石を他国へ輸出することを禁止したとの情報 がはいっていた。⑤カイザー・ウイ J レヘルム研究所では,その全部門が原子 核分裂連鎖反応その他の秘密の研究に従事しているとの情報がはいってい
. 14)
...~
このような当時の客観状勢のなかで,アインシュタインやその他の,とり わけ亡命してきた物理学者 15) の胸中にあって原爆製造の決断と推進をせま ったものは,凶悪な犯罪者であり,残虐な専制主義者であり r ジェノサイ ド」と奴隷化をねらっているところのヒトラ一一味におくれをとってはなら ないという考えであった。
平和のために,反ナチズム・反ジェノサイドの強力な武器をつくらなけれ
ばならなかったところにアインシュタインの自己矛盾がある o しかし,かれ
の自己矛盾はかれひとりの責任をこえたと乙ろによこたわるドイツ・ファシ
ズムの形成そのものに由来する。ドイツ・ファシズムの形成は,政治的経済
的法的思想的な理由をもって,歴史的に形成され,反ファシズム悶争をもっ
てしても阻止することはできなかった。原爆開発の「開始」を阻止しうる情
勢は客観的には存在しなかったというべきであろう o
注 1) r
ヨーロツパ人連盟」への団結を訴えた宣言で,アインシュタインにとってはじ めての政治的活動への参加を意味する。その全文は,Otto Nathan & Heinz Norden
,E i n s t e i n on Peace
,1 9 6 0
,p p . 4‑6.
2) I b i d . , p . 3 3 5 .
3)
乙の書簡の原文は,Nathan & Norden
,o p . c i t .
,p p . 294‑96 I
乙収録され ている。日本語訳は,たとえば,グロッジンス=ラビノピッチ編岸田純之助・高 榎完訳,r
核の時代J 17‑18
ページ,レスリー・R
・グロープス著冨永謙吾・実 松謙訳『原爆はこうしてつくられたJ 443‑44
ページに収録されている。4)
アインシュタイン「原子力戦か平和かJ 1 9 4 5
,所収:アインシュタイン著中村誠 太郎・南部陽一郎・市井三郎訳『晩年に想、うJ 2 2 3
ページ5) Mertin J . sherwin , A World IDestroyed ‑ ‑The Atomic Bomb and t h e Grand Alliance‑‑
,1 9 7 3
,加藤幹雄訳『破滅への道程J4 7
ページ。6)
後述,注1 0 )
参照。ライナス・ポーリンクーへの述懐の言葉。7)
アインシュタインがレオポノレト・インフェJ
レトLeopoldl n f e l d
にあてた1 9 3 9
年1 0 月 2 3
日付の手紙の一節。インフェルト著武谷三男・篠原正瑛訳『アインシュタ インの世界一一物理学の草命一一J 2 9 8
ページ。8) Nathan & Norden , o p . c i t . , P . 2 1 4 . 9) I b i d . , p p . 244‑45.
1 0 ) Ronald W.ClarK
,Einstein‑‑The L i f e and Times
一一一,p . 5 5 4 . 1 1 )
アインシュタイン「戦争には勝ったが平和はこないJ 1 9 4 5
,所収r
晩年に想う
J 2 3 9
ページ。1 2 ) Nathan & Norden , o p . c i t . , P . 4 0 4 .
1 3 )
ナチズムの犯罪性についての手近かな文献は数多いが, とりあえず,K . D .
Bracher
,Di e Deutsche Diktatur
,1 9 6 9
,山口定・高橋進訳『ドイツの独裁 一一ナチズムの生成・構造・帰結一一JI . I T
,r
岩波講座世界歴史J 28
,現代5
同2 9 ,
現代6 ; Rajani Palme Dutt , Fascism and S o c i a l Revolu‑
t i o n
,3rd e d . 1 9 3 5
,岡田良夫訳『ファシズムと社会主義革命』など。1 4 ) Nathan & Norden , o p . c i t . , p . 2 8 9 .
1 5 ) Enrico Fermi
,Leo S z i l a r d
,Eugene P . Wigner
,Victor F . Weisskopf
,Edward T e l l e r
など。反核思想、の形成過程と「ジェノサイド」
3 5
2 . ラ ッ セ ノ レ と ア イ ン シ ュ タ イ ン の 平 和 主 義
ヒトラー打倒・反ファシズム闘争にたちあがったひとの数はきわめて多 く,その属する国・運動体によってその運動形態は多彩であった。パートラ ンド・ラッセル B e r t r a n dR u s s e l l は,そのなかのひとりであった。
平和主義者ラッセノレのヒトラー打倒にかける執念はすさまじく,ナチズム にたいしてはみずから銃をとってたたかいたいとまでいった。もし 1 9 3 9 年当 時,原子核分裂の発見の報に接していたら,あるいはアインシュタインと 同じように,原爆開発に賛成していたかもしれないとおもわれるほどであ
る o
「私はいまでもやはり平和主義者である一一世界でもっとも大切なことは 平和だと信じているという意味では。しかし,ヒトラーが跳梁するかぎり平 和は断じでありえないと私はかんがえる
D……事態をすこしでもよくするた めには,ヒトラーを打倒することが, もし可能.ならば,不可欠の前提であ る。……もしわれわれが負ければ,きたるべきものは,おそらく今後長期に わたって,地),武である
1)o J
「ナチスが勝利をおさめるということは,身の毛のよだつほどの悲
J惨な災 難であると考えられていた一一私にもそれは正しいと思われた 2 〉 。 」
後世のひとびとは,終結した戦争の結末を知ったうえで戦争を論ずる。そ こでは結果論の誤謬におちいることがしばしばである。しかし強力なナチの 軍隊を擁してヨーロッパ中を東西にわたり席捲しようとの勢いをみせていた ヒトラーは,おそるべき勢力であった。それと交戦していた国のひとびとに とって,その戦争に勝っか負けるかはまったく未知数であった。むしろ,負 けるかもしれないという悲観的な情勢認識が強かったといっていいであろ
つ
oそのような情勢にあっては,ヒトラー「第三帝国」の侵略と残虐行為にた
いして武器をとってたたかうことは,平和主義者の当然の行為でさえあっ
た。ラッセ J レの平和主義にとって,その一貫してかわらない平和の原理を達
成するのに,乙の情勢のもとでは武器さえもとってたたかうことが,政策な
いし手段として当然であった。すなわち,ラッセ J レにとっても,アインシュ タインと同じく,平和主義の原理と情勢に応じて変化する政策との二要素乙 そが平和主義の内容を構成していた 3) 。人類の敵であり平和の敵であるヒト ラーにたいして,武器をとってたたかうことは,平和主義の原理 l こいささか も矛盾するものではなかった。
原爆を開発しているとの推測に合理的根拠があり,しかも味方が負けるか もしれないほどの強大な軍事力をもっているヒトラーにたいして,反ナチ・
反ジェノサイドかつ対等の兵器としての原爆を開発することは,その平和主 義に矛盾するものではなかった。
1 9 5 5 年 7 月 9日 , ラッセノレはロンドンにおいてひとつの声明を発表した。
~-=-4)
乙れはのちに「ラッセ
Jレ・アインシュタイン且百 」とよばれるようになっ た重要な声明である
Oなぜラッセノレが, この時点において,アインシュタインとともに,この声 明を全世界にむかつて発表しなければならなかったのか,という事情やこの 宣言の志義については,すでに拙著 r 2 0 世 紀 の 良 心 』 の な か で 詳 細 に 論 じ たことがある 5) ので,ここでは省略するロまた,ラッセノレ自身も, その著
、 HasMan a F u t u r e ? " , 1 9 6 1 のなかに,そのかんの事情や意図について 説明している
O要するに, 1 9 5 4 年 3 月 1 日のビキニ水爆実験的に象徴される核兵器の威力 の飛躍的増大と全面戦争による人類絶滅の危機の切迫を深刻に憂慮したラ ッセノレが,かねて反戦・反核兵器運動をつづけていたアインシュタインに 書信をおくり(1 9 5 5 年 2 月1 1 日付) ,いまこそ核兵器競争と核戦争を廃止す るととの緊急性を訴えるべき重大なときではないだろうかと提案したのであ る o
アインシュタインは 2 月1 6 日付の手紙で全面賛成の意を回答し,以後両者
のあいだに 4 通の吉‑簡が往復され,その結果,ラッセルはひとつの声明文の
原稿を起草した。アインシュタインは 4 月1 1 日に署名した。それはかれの死
の 2 日まえのことであった。提案し起草したのはラッセルであったから,ア
インシュタインは受動的立坊にたってはいたが,アインシュタインの同意と
反核思想の形成過程と「ジェノサイド
j 37署名がなかったならばこの声明がうまれたかどうかはわからないという意味 からすれば,これは明らかに両者の共同の所産であった。
乙の声明が訴えている思想の要点はこうである。一一将来の世界戦争は核 戦争となる,そして人類は絶滅するであろう,したがって,われわれはあら ゆる紛争を戦争以外の平和的手段によって解決しなければならない,人類は いまや戦争を廃棄しなければならない,人間であるということだけを心にと どめ,他のあらゆる乙とを忘れるならば,それは可能なはずである,と。
乙れは完全な戦争否定の思想である。戦争を否定するがゆえに,戦争の道 具としての核兵器は廃棄されなければならないし,またそれは可能である
oもし,ただ核兵器廃棄をいうのみならば,かりに一時廃棄協定ができても,
再び容易に核武装は復活するであろう o この宣言の基本思想、は,戦争そのも のの廃棄であり,否定である o それが核兵器の廃棄を実現する o しかし核兵 器廃棄協定締結を自己目的とするかぎり,真の解決はえられない,というの である。
反核思想の基本的原型は,この宣言のなかに明確にのべつくされていると いっていいであろう o
人類絶滅(ジェノサイド)兵器の出現が,戦争そのものを否定する思想を 現実的思想としてうみだしたが,この思想は,核兵器廃棄そのものを自己目 的とする思想,すなわち,ただ武器を否定するだけの思想とは異なるのであ る。核兵器はジェノサイド兵器だから,その兵器を否定すべしというのは,
簡単な論理であるが,宣言の思想はそれではない。戦争そのものを人類が地 上から放逐しなければ,兵器だけ禁止しても,おいつめられた国はひそかに ジェノサイド兵器を再生産し,おいつめる国にたいしてそれを使用するであ ろう。
宣言が示す平和思想は,戦争否定の反戦思想であり,そしてそれは軍備否
定の思想を包含するのである
Dこの思想は,今日におけるもっとも明確な平
和思想であり,反戦思想,反核兵器思想であるといっていいであろう
oかつ
てアインシュタインが平和のために原爆開発を進言し,ラッセ J レが平和のた
めに武器をとろうとしたとき,平和主義の原理は貫かれたが,平和への手段・
政 策 は 兵 器 を も ち い て の 武 力 闘 争 で な け れ ば な ら な か っ た 。 そ れ は ヒ ト ラ ー が い た か ら で あ る o 第 2 , 第 3 の ヒ ト ラ ー が 出 現 す る か ぎ り , ま た も 平 和 の た め に は 武 力 闘 争 が 必 須 と な る か も し れ な い 。 ジ ェ ノ サ イ ド や 奴 隷 的 圧 政 を 意 図 す る 第 2, 第 3のヒトラーが出現しない状、況をつくることが基本でなけ れ ば な ら な い 。 そ の よ う な 状 況 が つ く ら れ て , い つ ま で も そ の 維 持 が 保 証 さ れ る と き , い か な る 武 器 も 不 要 と な り , そ の 廃 棄 は 簡 単 に 実 現 す る で あ ろ
つ o
ア イ ン シ ュ タ イ ン の 自 己 矛 盾 な い し 苦 悩 は , す で に の べ た よ う に , か れ ひ とりの責任をこえたところ一一ドイツ・ファシズムの形成ーーに由来した。
1939 年,原爆開発の必要性を進言したひとが, 1955 年 に 核 兵 器 反 対 声 明 の 署 名 者 と な っ た と い う こ と の 矛 盾 を 追 及 す る こ と が , き わ め て 皮 相 で あ る 乙 と
の 意 味 が こ こ に あ る
O注 1) Alan Wood , B e r t r a n d Russell‑‑The P a s s i o n a t e S c e p t i c ‑‑, 1 9 5 7 , p . 1 9 1.碧海純一訳『パートランド・ラッセ
Jレーー情熱の懐疑家一一 J 2 9 2 ぺ
ージ。
2) B e r t r a n d R u s s e l l
,Has Man a F u t u r e 人 1 9 6
,1p . 2 0 .
3) ラッセノレの平和主義の原理としての一貫性と政策としての経験主義的適応性につ いては,拙著 r 2 0 世紀の良心一一パートランド・ラッセルの思想と行動一一 J 3 4
‑46 ページに詳しく論じた。そして,このような考えかたはアインシュタインの 考えとも符合する。 Nathan & Norden , o p . c i t . , p . 2 1 4 .
4) r ラッセノレ・アインシュタイン宣言」の原文は,たとえば. R u s s e l
,lo p . c i t . , p p . 633‑36に収録されている。
5)前掲拙著. 50‑67 ページ。
6) 1 9 5 4
年3 月 1日のいわゆる「ヒ。キニ水爆実験」は「第五福竜丸事件」としてひろ
く知られている。それは焼津の漁船員の被曝と久保山愛吉氏の死亡,東京をはじ
めとする都会の住民の食卓にのぼる魚の死の灰汚染問題に端を発し,やがて原水
爆禁止運動の高揚期をむかえた。しかし,長いあいだ,アメリカの核実験場とさ
れてきたビキニとエニウェトク島,その周辺にあってたびかさなる実験による死
の灰を浴びつづけてきたロンゲラップ,アイリングナエ,ウティリクなどの島々
とそ乙に住むひとびとのことは,まったく放置され,閑却されてきた。一部のひ
反核思想、の形成過程と「ジェノサイド」 39
とが, この放置されてきたマーシヤノレ諸島の諸問題を真剣にとりあげているが,
なお大部分の日本人は, ビキニ水爆実験を第五福竜丸事件としてしか考えていな い 。
実験=加害国アメリカでは,その責任上,国政レベソレでの報告書が作成されて いるが,マーシヤ
jレ諸島の住民にたいする施策は冷酷で,長いあいだ,かれらを モルモツトとしてあつかってきた。その施策は Zoot h e o r y " とよばれ,動物 図の動物のように,マーシヤノレ人を外部世界から遮断し,飢え死にしないていど に餌をなげあたえる政策がつづけられてきた。
わが国とマーシヤノレとのあいだでは,民間レベルの交流が,原水爆禁止日本国 民会議をとおして 1 0 年まえからおこなわれ,年々充実してきている。文献として は,前田哲男『隠された被ばく一一マーシヤノレ群島住民の二十三年一一.! 1 9 7 8 . 同『棄民の群島ーーミクロネシア被爆民の記録一一
j1 9 7 9 がある。また,カメラ マン豊崎博光氏と島田興生氏がビ、キニ,エニウェトクで直接撮影した写真はわれ われにとって貴重である。
3 . 日本への原爆投下と「ジェノサイド」
1 9 4 5 年 4 月3 0 日,ヒトラーはソ述軍に包囲された総統官邸において自殺し た 。 5 月 8 日 , ヨーロッパにおける戦争は終結した。しかし, ドイツは原爆 をもっていなかった。
アメリカは 7 月 1 6 日,アラモゴ
jレドにおいて,史上初の原爆実験に成功 し 8 月 6 日には広島に 8 月 9 日には長崎に,それぞれウラニウム爆弾,
プルトニウム爆弾を投下し,数十万の住民を一瞬のうちに殺し,あるいは傷 つけた。その惨禍は想像を絶した。原子核分裂述鎖反応を利用した爆弾の開 発は実現し,その計算どおりの巨大なエネルギーは広範囲の住民をみな殺し にする威力をもっていることが現実に証明された。原子爆弾はまさに「ジェ ノサイド」兵器であったのである o
反 ヒ ト ラ 一 戦 争 が 「 ジ ェ ノ サ イ ド 」 と 奴 隷 化 に た い す る 抵 抗 の 戦 争 で あ
り,平和のためのたたかいであったように,アメリカの 2発 の 原 爆 に た い す
る反「ジェノサイド」闘争が平和運動として生起したのはけだし必然であっ
た。現実にはさまざまの過程をへてようやく出現した反原爆運動ではあった が,運動の論理としては,反ヒトラ一戦争と同じ反「ジェノサイド」のたた かいであった。反核の思想は反ジェノサイドの思想として,反ナチズム思想 と基盤を共通にしていたといってよい。
アインシュタインの反ナチズム闘争は,反ジェノサイド闘争であり,アメ リカの原爆は,人類史上その比をみない極悪非道の反人類的犯罪者をこらし めるための反ジェノサイド,反奴隷化のたたかいのための武器でなければな らなかった。だから,もしさしも猛威をふるったナチ軍事力が敗北をつづ け,そのうえ原爆をもっていないことが明白となるや(事実, 1 9 4 4 年 1 1 月そ れが判明した) ,もはや原爆はナチス・ドイツにたいして使われてはならな かった。
たしかに原爆はドイツにたいして使われなかった。しかし日本にたいして 投下された。広島・長崎は壊滅した。ジェノサイドがおこなわれた
D反ナチ ズムの平和闘争と同じ反ジェノサイド闘争が反核運動として生起するのは当 然であった。
なぜアメリカは広島・長崎に原爆を投下したのだろうか。それは,ファシ ズムの一環としての日本の天皇制軍国主義にたいする反ファシズム攻撃だっ たのだろうか。
たしかに,ファシズムはナチズムだけではなかった。 1 9 3 0 年代「世界の三 大悪」にかぞえられていたのは三つのファシズム,すなわちイタリアのファ
シズム, ドイツのナチズム,そして日本の軍国主義であった。三国のファシ ズムは,その形態こそ異なれ,その基本的性格において共通のものをもって いた。強烈なナショナリズム,人種差別主義,広域経済圏獲得を根幹とする 排外侵略と残虐行為は苛酷をきわめた。
アインシュタインは,その大統領あて書簡において,原爆使用対象国につ
いて言及してはいない。しかしその文脈からみるとき,またかれのかねての
主張から判断するとき,ヒトラーのドイツのみを考慮にいれていたことはま
ちがいない。そして,ナチスにたいし原爆を投下するにあたって必要な要件
は,かれにとってふたつあったと考えていいであろう o ひとつは,ヒトラー
反核思想の形成過程と「ジェノサイド
j4 1
が原爆を開発していること,すなわち対等の武器としての原爆をもってい る,またはもとうとしている乙と,いまひとつは,ヒトラーの軍事力が強大 で連合国の勝利がおぼつかない乙と,乙のふたつである o もしヒトラーが原 爆をもたず,また敗北つづきの劣勢であれば,原爆はヒトラーにたい L て使 われてはならなかった
Dヒトラーにたいして使われないということは,他の いずれの国にたいしても使われないということを合意していた。したがっ て,日本にたいして投下されてはならなかった。アインシュタインの平和思 想を一貫すれば,帰結はこうならなければならなかったのである。
しかし)レーズヴェルト大統領は,イギリスのチャーチノレ首相と 1 9 4 4 年 9 月 1 8 日ハイドパークで会談。したさい,はやくも原爆を日本にたいして使用 することを実質的に決定した。
i W 爆弾』の準備が最終的に完了した暁には,十分な検討を加えたうえで おそらく日本にたいして使用されることになるであろう。そのさい,日本に たいして,降伏するまでこのような爆弾による攻撃がくりかえされる旨の事 前の警告を与えるべきである
2〉 。 」
乙のとき, ドイツは,もちろんまだ降伏していなかった。ナチス降伏がま だ時間の問題として日程にのぼるまえの時点で,アメリカでは,原爆をナチ スにたいしてでなく,日本にたいして使う乙とが自明のこととされ,ほとん どだれも疑問をさしはさまなかった 3) 。 こ の こ と は 重 要 な 怠 味 を も っ て い る o
はたして日本は, 1944‑45 年前半の時点においても,強大な軍事力をもち つづけていたのだろうか。また日本は原爆を開発し製造しようとしていたの だろうか。
n 文色歴然だったのはドイツだけではなかった。かつて東洋において,苛酷 な侵略と残虐行為をつづけ i ジェノサイド」の罪をほしいままにしていた とはいえ,この時期の日本は,すでにほとんどドイツと同じ状況にあった。
とくに 1 9 4 4 年 7‑8 月,サイパン,グアム,ティニアンの陥落を契機にアメ
リカ軍機の日本空襲は激化し,日本の軍事的経済的精神的戦闘能力は急速に
衰弱の一途をたどっていた
Dまた,日本の科学者とても原爆開発研究に従事
していないわけではなかったが,そのレベルはきわめて低く
4)アメリカに とってはそれはまったく問題外であった。すなわち,日本が原爆をもってい ないという乙とを,アメリカは十分に知っていた。
ところが,アメリカは,
トJレーマンが新大統領に就任する以前から,日本 が降伏してしまわないうちに原爆を完成させようという「時間との競争」に 没頭していた的。当初の段階では,アメリカの開発競争は, ドイツの科学者 の原爆開発ペースにおくれまいとする競争であった。いまや,日本がさきに 降伏するか,原爆がさきにできあがるかの競争であった。すなわち,原爆は 日本の降伏の決定要因ではないという意識をアメリカ側はもっていたといわ なければならない。
原爆をもたない,しかも敗北つづきで「ジェノサイド」の能力を喪失した 日本にたいして, 日本が降伏するまえに必ず原爆を伎用するとアメリカ政府 首脳部が決定したのは,あきらかに日本の「ジェノサイド」犯罪をこらしめ るためでも,いわんや,降伏させるためでもなく,別の怠図のためであっ た。それは,戦後のソ連との外交における指導権を獲得しようという,日本 とはまったく無関係の意図であった。のみならず,原爆の戦後国際管理問題 について非常な関心と注意をはらいつづけたということは,開発中の原爆の 破壊力が従来の爆弾の概念を絶して強力的であり,そしてそれはさらに水素 爆弾の開発さえ可能にし,したがって今後おこる核戦争は人類の破滅をもた らすというたしかな認識をすでにもっていたことをしめしているの。このこ とは,日本の都市への原爆投下が都市に住む日本人をみな殺し(ジェノサ イド)する残虐な効果をもっていることを十分に知っていたことを意味す る 。
以上のように, 日本にたいして原爆を投下すべき理由と要件がなかったに
もかかわらず,アメリカはそのかくされた怠図の実現のために,まったく無
関係の日本の都市にむかつて原爆を投下した。そして,アメリカの政策決定
当事者たちは,原爆投下の理由について,もっともらしくさまざまにのべた
てた 8) 。そのなかのもっとも主要な理由は, 日本の指導者たちにたいして街
撃をあたえ,すみやかな降伏を納得させて,失われるべきアメリカ軍将兵の
反核思想の形成過程と「ジェノサイド
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生命の損失を最小限にとどめるためであった,というととである。しかし,
この理由は,広島・長崎における人命犠牲や健康被害評価とアメリカ軍人の 損失予想(したがって,日本に残存している戦闘能力の評価)との較量の不 公正さや天皇制軍国主義日本の一億玉砕・神風特攻・焦土決戦・七生報国的 抗戦の精神主義を考察するとき,とうてい妥当公正な理由ということはでき ない。
事実, 日本の指導者にとっては, 日本の国体一一天皇制と資本主義社会体 制ーーの護持こそが至上最高の「大義名分」であり,その名分のまえには,
原爆によるふたつの都市の壊滅・住民の全滅は,耐えるべき局地的犠牲にす ぎなかった
Dしたがって
2発の原爆による二都市の壊滅よりも
8月
8日夜のソ連の 対日参戦 9) こそが,日本の天皇制護持にとってはおそるべき脅威であった
Dしかし,それでもなお,アメリカ政府が,天皇制存続を保証するまでは,日 本の指導者はポツダム宣言受諾を最終的に決定する乙とができなかった
10)。
その意味で,シャーウィンが指摘するように
11)天皇制存続という条件 をアメリカ政府が間接的にもせよ保証したこと
12)が , 日本降伏の決定的要 因であった口したがって,原子爆弾投下が日本降伏をもたらした直接的要因 だったのではないということができる。
原爆は,対ソ政策のために,日本人「ジェノサイド」の兵器としてつかわ れた。とりわけ,長崎への第 2 発自の原爆は,ただ大量虐殺の罪をかさねる だけの,おそるべき「ジェノサイド」効果加重の行為であったといわなけれ ばならない 13) 。
しかも,日本の指導者が,広島のみならず長崎までが壊滅したととを即時
無条件降伏の直接的要因とする良識と決断をまったくもたなかったというこ
とは,かれらもまた,朝鮮人,中国人,束南アジアのひとびと,その他にた
いしておこなってきた「ジェノサイド」の犯罪を,そのまま日本人民大衆に
たいして適用して恥じなかったということを明確に示している。原爆とい
う「ジェノサイド兵器」を乙そもたなかったが,日本人指導者は,周辺の東洋
人にたいして「ジェノサイド」戦争をしかけたのみならず,自国の人民大衆
に た い し て も , 天 皇 制 の た め に 「 ジ ェ ノ サ イ ド 」 を 強 制 し た の で あ る 14) 。
注 1 )第 2 次ケベック会談ののちにもたれたこの会談の重要性は,従来看過されてき た。シャーウィン,前掲苦, 1 7 1 ページ。
2) シャーウィン,前向吉, 1 7 0 , 4 0 8 ページ。
3) )レーズヴェ
Jレト大統領の原子力問題顧問たちは,同大統領の生前の原爆政策につ いて知らされていなかった。同大統領の死後,かれらがトノレーマン新大統領に提 示した原爆政策のなかで, 日本にたいし原爆を使用すべきだとする政策には,ア レクサンダー・ザックス以外,だれも疑問をさしはさまなかった(シャーウィン,
前掲吉, 2 1 8 ページ〉。
原子力問題にかんする大統領の諮問機関である「問定委員会」は, 1 9 4 5
年5 月 3 1 日の会議において,原爆の力学的破壊力と放射能による殺傷力の強大さにかん するオッベンハイマー Oppenheimer の説明をきいたうえで,事前警告なしに,
労働者住宅に固まれた軍需工場を目標として投下する乙とを決定し, 6 月 6日大 統領に伝達した(シャーウィン,前掲書, 316‑17 ページ)。
4)小川岩雄・西森一正・矢勤丸広・吉田強・岩松繁俊共著『原水爆を考える一一長 崎を原点として原水爆を廃絶するために一一 J 1 9 7 5 , 8
,19 1 ページ。
5) 日本の降伏よりまえに原爆をという「時間との競争」は, ドイツの降伏後,ます ますはげしくなっていった。
初期の段階では,その競争はドイツとの競争で, しかも非常な危機感をさえと もなっていた。原爆製造の技術上の立・任者であったオッペンハイマーは, 1 9 4 2
年7 月の時点で,友人にあてた手紙のなかで,原子核エネノレギー開発プロジェクト の進行が遅々としているので, ドイツの原爆開発にさきをこされているのではな いか,アメリカが原爆開発の解答を発見するまえにドイツとの戦争l 己負けてしま うかもしれない,という恐怖と絶望感をいだいていることを吐露していた(シャ ーウィン,前掲吉, 7 7 ページ)。恐怖感はオッペンハイマーだけの乙とではなか
った。科学研究開発局長.パネパー・プッシュ VannevarBush もまた, 1 9 4 2
年1 2 月,アメリカの開発のおくれとドイツの開発状況の不明という事情から, ド イツがわれわれより早く超爆弾を製造することは大いにありうる乙とだと, ) レ ー ズヴェ
Jレトに報告している(シャーウイン,前掲書, 1 1 9 ページ)。
ドイツの降伏後,事態は一変した。オッベンハイマー自身の回想によれば, ド
反核思想の形成過程と「ジェノサイド J 4 5
イツ降伏後の時期ほど,原爆完成のスピード・アップとその実戦使用にかんし て懸命な努力をした時期はなかったという〈ジャーウィン,前掲書, 2 0 2 ペー
ジ〉。
6) 広島・長崎に投下した原爆の破壊力は,アメリカ側の発表で, TNT2 万トン相 当とされてきた。しかし 1 9 7 4 年,アメリカ議会合同原子力問題委員会で,ラロッ ク元提督は TNT13 キロトンと証言した。
しかし,それにしても,第 E 次世界戦争中,爆撃に使用された通常爆弾は,最 大 2 トン,平均数キロ 数十キログラムであった。しかも原爆の恐るべき殺傷力 は,原子核分裂によって生ずる放射能(即発放射能,核分裂生成物,誘導放射 能)にある。小川・西森・矢動丸・吉田・岩松,前掲書, 9 4 , 9 9 ‑ ‑ 1 0 0 , 1 0 7 ‑ ‑ 1 2 ページ,など参照。
7) 乙の認識をアメリカ・イギリスの政治の責任者たちに真剣に説いたのは,ナチス 占領下のデンマークからイギリスにのがれていたニーノレス・ボーア N i e l sBohr であった。戦後の米ソの核軍備拡大競争を予想したボーアが,それを回避するた めに提案した原爆開発計画の事前通告と国際管理制度にかんする案は,結局, } レ ーズヴェノレト,チャーチノレの両者から拒否された。シャーウィン,前掲苫. 1 4 6
‑49. 1 6 5 ‑ 7 3 ページ。
8)原爆投下の最高責任者であるト J レーマン大統領が言明した原爆投下の理由は,ほ かにもいくつかある(たとえば,真珠湾奇襲攻撃への報復,極東の戦争責任者へ の乙らしめ,ポツダム宣言拒否,など)が,アメリカ人の意識にもっとも深く定 着した主要な理由は,戦争を早期に終結させ,したがって多数のアメリカ人将兵 の生命を救うためであったというものである。投下理由にかんする詳細な研究と しては,西島有厚『原爆はなぜ投下されたか一一日本降伏をめぐる戦略と外交 一一』がある。
9) ソ連の対日宣戦布告の日を,当時の日本の当局者は,情報の現実的入手の時点で ある 8 月 9 日とうけとっていた。たとえば,大海令第 4 5 号昭和 2 0 年 8 月 1 1 日,軍 令部総長の海軍総司令長官への奉勅命令には, r 蘇聯ハ八月九日対日宣戦ヲ布告 シ……」とかいている。史料調査会編『大海令』参照。
1 0 ) 原爆投下とソ連参戦がポツダム立言受話の直接的原因でなかった乙とは,当時の
「和平派 J が共通にいだいていた考えである(たとえば,米内光政海相の言一一
外務省編『終戦史録 J 6 5 7 ページ)。そしてふたつの事実のうち,原爆被災はソ連
参戦よりはるかにショックの小さい事件として,首脳部であっかわれた。西島,
前掲書,
124‑56
ページ。1 1 ) r
広島・長崎に原子爆弾が投下され,ソ連が対日宣戦布告をした後においても,アメリカ政府が,天皇応対しても,また皇室に対しても,乙れを破壊はしないと 保証するまでは,無条件降伏が終戦への障害であった……。」シャーウィン,前 掲書,
358
ページ。1 2 )
アメリカ政府からの8 月1 1
日の回答文中,s u b j e c tt o "
を外務省が意識的に誤 訳して,主戦派をごまかした。1 3 )
シャーウィンによれば,スチムソン陸軍長官(暫定委員会委員長)自身,のち に,原爆,とくに長崎への原爆は必要がなかったもしれないとみとめた,とい う。シャーウィン,前掲書,3 5 8
ページ。ところで,原爆搭載機の発進基地とされたティニアン島の北端の旧アメリカ弔 飛行場あとに,原爆搭載を示す記念碑がたてられている。ひとつは広島を壊滅さ せた原爆のつみ乙み記念碑であり,いまひとつは長崎を壊滅させた原爆のための 碑である。
長崎原爆の碑の銘文には,場所,日時,投下対象,操縦者名にかんする記述の あとに,こういう文章が記されている。
‑1945
年8 月1 0
日午前3
時,日本の天 皇は,内閣の同意なしに,太平洋戦争の終結を決定した。乙の文章は,長崎への原爆投下が天皇のポツダム宣言受諾決定をもたらした,
との印象をあたえるように構成されている。 トノレーマン大統領の理由づけを哀づ ける意図をもったかのような文章である。しかし,乙れは重要な点で誤解をあた えるおそれがある。
8 月8
日夜のソ速の対日宣戦布告が日本の指導者にあたえた 街撃が原爆投下のそれよりもはるかに大きかったことにふれていないし8 月1 0
日未明の御前会議での天皇の決定にしても,天皇制維持という条件をつけての受 諾決定であったととにふれていない。
1 4 ) r南洋群島J
,沖縄,特攻隊, r
玉砕J
,原爆被爆など,日本人だけにかぎって
も悲惨きわまりない犠牲は無数にある。
む す び
こ こ に お い て , ア メ リ カ の 広 島 ・ 長 崎 に た い す る 原 爆 投 下 は , 政 治 的 軍 事