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体験話法に就いての一考察

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(1)

体験話法に就いての一考察

著者 諏訪田 清

雑誌名 人文論集

巻 47

号 1

ページ A209‑A228

発行年 1996‑07‑31

出版者 静岡大学人文学部

URL http://doi.org/10.14945/00001097

(2)

体験話法 に就 いての一考察

 

お まえは ドイツ人が疑 間 にす るよう な ことが疑 間 になるほ ど ドイツ語が

?一

D

本稿 の目標 は,フランツ・カフカ(Franz Kafka)の F変身』(Die Verwandlung) に数多 く現れて くる体験話法文の中か ら,あ1箇所 の体験話法文 を採 り上 げ,

それを論 じなが ら,体験話法 とはいかなるものか,を考察す ることにある。筆 者が扱 う『変身』の体験話法文 は,次の ものである:

(1)。¨Ich komme gleick,sagte Gregor langsam lmd bedachtig tmd me sich nicht,llrn ein WOrt der Gesprache zu verlieren.》 Anders, gnadige Frau,kann ich es rnir auch nicht erklaren《 ,sagte der Prokurist,

hoffentlich ist es nichts Ernsteso Wenn ich auch andererseits sagen mu3,daB wir Geschaftsleute―wie man will,leider oder glticklicher‐

weise‐ ―‐ein leichtes Unwohlsein sehr Oft aus geschaftlichen]Rucksich̲

ten einfach uberwinden rnussen.《 Also kann der Herr Prokurist schOn zu dir hineinP《 fragte der ungeduldige Vater und klopfte wiederum an

die Ttir。 Neil■,sagte Gregor.Inl Nebenzirrmer links trat eine peinli‐

che Stille ein,im Nebenziinmer rechts begann die Schwester zu schluch‐

zen.

Warum ging dem die Schwester面 cht zu den anderer sie war wohl erst ietZt aus dem Bett aufgestanden tlnd hatte noch gar nicht angefangen sich anzuziehen.Und warun weinte sie dennP Weil er rucht aufstand und den Prokuristen FllCht hereinlie3,weil er in Gefahr war, den Posten zu verliёreL urld wdl daFm der Chef die Eltem mit den alten

‑209‑―         

(3)

Forderungen wieder verfolgen wurde?.¨  (Franz Kafka: Die

Verwandlung)2)

下線部 が体験 話法文 で あ る こ とに,誰も異論 はないで あ ろ う。例 えば,中 正文氏 は次 の ように訳 して,下線部 が体験 話 法文 で あ る こ とを認識 してお られ

:

(2)・ 「います ぐ,そち らへ行 きます」

,グレゴールは間のび した口調で用心 しい しい口をききドアの外の話 をひ とことも聞 きもらす まい と思 って身動 きもしなかった.

「いや,奥さん わた しも別 なふ うには解釈す ることはで きませんな」

,支配人が言いだ した.「たぶん,ま,なにも重大な ことではあるまい と思 うんですがね.た とえ,別の意味で ものを申 した として もですな,つ

まり,われわれ商会 に勤務 してお ります者 はですな,自分のつ ごうなんか よか ろうと悪かろうと,いつで も商売上の ことを考 えまして,ちょっ とや そっ とのか らだ の故 障 ぐらい はあっさ りと打 ち勝 た な くて はな りませ .‥

「そんな訳 なんだか ら,支配人 さんがお まえの部屋へおはい りになって ,いいだろうな」

い らだた しげに父親 はたずねて,も,度ドアを叩 きだ した.

「 いいえ,いけません」

,グンゴールは言 った.

左 どな りの部屋 は息 ぐるしいような沈黙 にみたされ,右側の部屋では妹 がすす り泣 きをはじめた。

なぜ妹のやつは皆のいるところへ行かなかったのだろう.さては,た

たい まベ ッ ドか ら起 きだ したばか りで,まだ着物 も着かえていないんだな.

す ると,どうして妹のやつは泣 きだ したんだろう.自分が起 きあが らない ,支配人 を中へ入れてや らないか らかな.それ とも,自分がいまにも地 位 を失 いそうな危険 にさらされているせいかな.い,あの店主のやつが またぞろ音の貸 し金の催促で,両親 を責 めたて るだろうとい うわ けかな。

。¨ 3)

原文の,広い意味で過去 になっている箇所 は,中井氏 の訳では,現在 に訳 さ

‑210‑

(4)

れている。中井氏 は,冒頭 の文 を,「なぜ妹のやつは皆のいるところへ行かなかっ たのだろう」 と,過去 に訳 してお られ るが,これ も「 なぜ妹のやつは皆のいる ところへ行かないのだろう」 と,現在 に直 して も,なん ら差 し支 えあるまい。

さて,いかなる根拠か ら,広い意味で過去 となっている下線部 を,現在 に訳 す ことが可能 なのであろうか。否,この ように云 ったほうが正確か も知れない ,現在 に訳 さなけれ ばおか し くなるのであろうか。

答 は極 めて簡 単 で あ る。 こ こで は,主人 公 グ ンゴール・ ザ ムザ (Gregor

Samsa)に於 ける当時の心の裡が,主人公 自身 によって語 られているか らであ る。主人公の立場 に立てば,彼は「現在」の自分の心の裡 を語 っているのであ る。

このように考 えることが許 され るとすれば,もし下線部が次のようになって いた ら,グレゴール・ ザムザは「現在」の心の裡 を語 っていることにな り,日

本人 には非常 にわか り易い もの となるか も知れない:

(3)Warum geht dem die Schwester nicht zu den anderer Sie ist wOhl erstjetzt aus deFn Bett aufgestanden und hat noch gar nicht angefangen sich anzuziehen.Und warum weint sie dennP Weilich nicht aufstehe und den Prokuristen rucht hereinlasse,weil ich in Gefahr bin,den Posten zu verlieren,und weil dann der Chef die Eltem nlit den alten Forderungen wieder verf01gen wirdP.¨

しか し,書き換 え られた(3)は,残念 なが ら誤 りで あ る。 もし書 き換 え るので あれ ば,次の よ うな文 に しな けれ ばな らない,とい う意見 が出て くるに違 いあ る まい :

(4)Gregor dachte:,,Warurn geht deFlrl die Schwester nicht 2u den anderenP Sie ist wohl erstietZt aus derrl Bett aufgestanden und hat noch gar mcht angefangen sich anzuziehen.Und warum weint sie dennP Weil ich nicht aufstehe und den Prokuristen nicht hereinlasse, weil ich in Gefahr bin,den Posten zu verlieren,und weil dann der Chef(五 e]Eltern mit den alten Forderungen wieder verfolgen wirど

筆者の理解に誤 りがなければ,従来の研究に於いては,体験話法文からこの

‑211‑―

(5)

ような文,即,想定 され る直接話法文への変換が試み られている。そして こ の変換が可能でないな らば,変換 を試み られた文 は体験話法文ではないとい う解釈である。換言すれば,直接話法への変換の可否が,体験話法であるか否 かの指標 ということになっている。

ここで,(0の直接話法文 を少 し検討 してみることにしよう。先ず形式面か ら 見てい くことにしよう。直接話法文であるか ら,二重下線 を施 した部分がな く てはなるまい。即 ち,最初 にGregor dachteが必要である。次にセ ミコロンを 打たなけれ ばな らない。最後 に,何よりも引用符 を付 けることが絶対不可欠 と なる。

次 に,直接話法文 をその性格の面か ら検討 してみよう。 この点 に関 しては, Gunter steinbergの 解釈が説得力 を持つ。Steinbergは,直接話法 と非直接話 法 を対比 して,次の ように述べている:

ある物語 において,直接話法が多 く用い られれば用い られ るほ ど,そ 物語 は劇 に近づ きます。 そのかわ りに,直接話法 を放棄 して非直接話法 を 多 く用いれば,その物語 は叙事詩 となるのですP

Steinbergが 云 う「非直接話法」には,体験話法が含 まれる。Steinbergに よ れば,直接話法文 と体験話法文 とでは,こ のようにその性格が根本的に異なる。

それは誰 もが認 めるところであろう。

かかる異なった性格を有する2つ の話法の間で,そもそも変換などという作 業が行われてよいものなのであろうか。何 よりもこの点に大いなる疑間を抱か ざるを得ない。そもそも体験話法文を,想定される直接話法文へ変換するなど ということは,敢えて行われる危険な作業なのではあるまいか。

このような「危険」な作業を行 う前に,体験話法であるか否かの検証を行 う 方法が果たして存在 しないのか,ひょっとしたら存在するのではないのか,そ の可能性を探ってみることは,決して無駄なことではあるまい。

そのためには,そもそも体験話法 とはいかなるものであるか,そのことを検 討する必要があるように思われる。保坂宗重氏は,体験話法を次のように定義

しておられる:

体験話法は,話 法 としては間接話法の一種である。しかし,sagenやden‐

‑212‑

(6)

kenといった伝達動詞への従属か ら解放 され,文法的 には独立文 となって いる。独立文である体験話法の内部 は,想定 され る直接話法か らその まま 保存 された接続法 をのぞいては,通常直説法が用い られ る。 したがって,

体験話法内部 にあ らわれ る「wtirde+Infinit市」も,想定 され る直接話法か らその まま持 ちこまれた仮定法 (Irrealis)である場合 をのぞいて,直説法 なのであ り,過去形未来であるとみなされる。体験話法の内部 においては,

通常の間接話法の場合 と同 じく,想定 される直接話法の人称 と時称 とが,

語 り手 によって,地の文 の人称 と時称 に同化 され るP

保坂氏 によれば,体験話法 は「間接話法の一種」 とい うことになる。 この点 に関 しては,管見す るに,研究者の意見 は一致 している。

一般論 として,も し間接話法 を何かへ変換す るとした ら;何へ変換すること を考 えるであろうか。取 りあえず考 えつ くのは,直接話法への変換 なのではあ るまいか。 そして直接話法への変換以外 に考 えつかないのではあるまいか。か か ることを踏 まえるな らば,「間接話法の一種」である体験話法 を直接話法へ変 換す ることが話題 になるのは,ある意味でやむを得 ない,と云 えるか も知れな い。 しか し,体験話法の直接話法への変換が敢 えて行われ る「危険」な作業で あると判断 した以上,この変換 を断念 して,(1)の下線部 を次のように書 き換 え てみた ら,いかがであろうか:

(5) WaruIIl ging denn die Schwester nicht zu den anderenP ∂♭σ

″。Sie war wohl erst jetzt aus dem Bett aufgestanden und hatte noch gar nicht angefangen sich anzuziehen,  ′♭σカル ι. 1」nd warurn

weinte sie dennPグ レθ力虎夕ι″。Weil er nicht aufstand und den Prokuristen nicht hereinlie3,weil er in Gefahr war,den Posten zu verlieren,und weil dann der Chef die Eltern■ lit den alten Fёrderungen wieder verfolgen wtirdeP滋滋 ″ ´″.…

書 き換 え られた(5)は,(1)の 下線部 へ 滋 磁″G多

"″

或 い は 力 磁″ ″ が挿入 されただ けの ものであ る。(5)は (1)の体験 話法文 と同 じ く,間接話法文 で あ る。

これ まで検討 して きた ところに よれ ば,叙事詩 に近 づ く体験話法 と,劇に近 づ く直接話法 とを同一平面 に並べ る こ とは,敢えて行 お う とすれ ば行 える「危

‑213‑―

(7)

険」な作業なのであった。極論すれば,無謀な作業なのであった。 しかるに,

(1)の体験話法文を(5)のような間接話法文へ変換することは,同一の平面,即

同じ間接話法のもとで行われる作業 ということになる。

詳 しいことは定かではないがドイツ人 も,(1)の体験話法文を(5)のような間 接話法文の形で理解 している,このように解することはできないであろうか。

勿論,これは日本人の思考方法に基づいた推測 に過 ぎない。 しか し,こ こで Steinbergに よる次の注釈を読 まれたい:

体験話法の統語論的特徴 は,想定される直接話法の構文 (叙述文,感 ,疑問文,省略文,破格構文などの場合の構文)をそのままとりこむこ

とができるところにあります。

体験話法は,間接話法 とはことなって,統語論的には独立文です。すな わち,「言う」(dire)のような目的語 を要求する伝達動詞によって導入され

ることはありません。

ただし,伝達動詞をともなう挿入句 (Parenthese)を 含んでいることは あります。それからまた,「彼女は言った」(,,sagte sie/dit―il )のごと き挿入文を含むケースも,多少のためらいののち,体験話法 として認知 し よ う とい うコンセ ンサスがか な り広 くゆ きわた りました。

(6) (′rony)SChnurrte nun (...)den ganzen Artikel daher,getreu nach dem Katechismus(.¨)。 Z″π%%απ グ%(2筵″ ″α″,1■chtQ§19"α″ ω

物 磁 力み

"″ ππ″%%グ%I物%″″αグ ル%カル勿ι%I影%法σ力′んθ%

%″ %Bttc%滋πルタ篠α厖鶴響 力勿″物 ″ υιttηttθπ

″πttθz%″ια屁″π力ιπ滋フιιらπ%グ παπ力ο%%″ π″λ′ι物あα″η

ππ

″形πα%̀力

"OJJJo。 (Thornas Mam:BuddenbroOks)

(7)(トニイは),突然 なめ らかな軌道 に乗 って,…問答示教書 にあるとお ,すらす らと述べ立てた。調子 にのって しまうと,なんだか,冬,兄 たち と手押 しぞ りに乗 って,「イェルザ ンム山」を走 りお りるときのような きもちがす る,とかの女 は考 えた。そういう時 には,それ こそ考 えとい う ものが消 えて しまって,たとえとまろうと思 って も,とまらな くなって し まうのである。(実吉捷郎訳,「ブッデンブロオク家の人々」0

‑214‑―

(8)

ドイツ人力Xl)の下線部 に接 した際 に,彼らはこれ を(5)のように読 んでいるの ではないのか,そのように考 えられ うることを,この Steinbergの 注釈が裏付 け て くれ るのではないだろうか。(6)が単 なる間接話法文ではな くて,間接話法文 のなかの体験話法文であると限定 されれば,体験話法文である(6)か,換言す れば,本稿が考察の対象 としている(5)の体験話法文か ら,同じ く体験話法文 と して,巷間に認 め られている(1)の下線部 の文へ発展,或いは崩れていった,と 考 えることがで きるであろう。

では,(5)か(1)の下線部へ発展,或いは崩れていった とすれば,それ にはい かなる要因が考 えられ るであろうか。つそれ を解決す るためには,独立文 と従属 文の関係 を考察する必要があろう。幸 いな ことに,その手がか りになると思わ れ ることを関口氏が考察 してお られ る。次の例 を見 られたい:

(8Xa) wir durfen das nicht leiden,ル カ″er endHch nach langem B地 ten 力ι%滋β.

(b) "Leb wohl! hauchte sie,und ihr Gesicht war das einer zuln Tode Gerusteten.      

(C)Bis zurrl MIondaufgang ist hёchstens noch eine Viertelstunde, ″θぼ′ιS″auf seiner Uhr mit einem Streichh01z.

関口氏 は,接続法の考察 に際 し,これ らの文 を基 にして,独立文 と従属文の 関係 を次の ように述べてお られ る:

以上の ような動詞の用法 を一覧す ると,動詞 その ものの持 っている元来 の『意味』 と,その意味が或種 の文脈の中へ這入 って来た ときに採 る『意 味形態』(機能 と云 って もよ く,意局 といって もよい)とい うもの との間に ,かな りのひらきが生ず るものだ とい う事がわか ります。此の場合の共 通の意味形態 とい うのは,『¨。と怒鳴った』,『・。と私語 いた』,『・と考 えた』

=中 略〉一一等 に含 まれている『 と』とい う接続の しかたです。 もっ と 解 り易 く言 うな らば,Fと云 った』 とい う共通の形態です。

これ らの動詞用法 に共通 な機能即 ち『意味形態』 を御覧になって,同 に私が前章 に述べた『接続法定形の接続機能』 とい うものを想い起 こして

‑215‑―

(9)

御覧になると,この二者の間に或種 の関係があるとはお思いにな りません もしあるとすれば,それ は一たい どんな関係で しょうか ?

関係があ ります。その関係 は,ちょっ と妙 な関係で,云わば逆の関係で す。

即 ち,接続法の方にあっては,たとえばer fahre heraus。 だった ら,こ

れ は『彼が怒鳴 ると』 ということになって,問題 の『 と』が 日本語ではう しろについてぃる点 に注 目を要 します。然 るに,この場合のfam er her̲

ausにあっては,『… と怒鳴 る』ですか ら,『と』は動詞の前 についています。

これが差です。

この差 は何 を語 るかこの差 は,ある種 の場合 に限って,接続 の機能 が従属化 される文 (従属文)の内か らではな く,従属化す る方の文 (独 )の内か らも発動 して来 るものだ とい う事実 を語 ってい ますP

関口氏 に従 って,ここでは考察の対象 を(8)(a)に限定 しよう。そ もそ も独立文 とは何ぞや。従属文 とは何 ぞや。独立文 とは,文字 どお りそれ 自体で独立 した 文である。 ここでは,独立文 は ■h er endlich nach langem Bruten herausで ある。一方,従属文 とは,何かに従属 しなければ,存在することがで きない文 である。 ここではWir dttfen das nicht leidenが 従属文 となる。

さて,(8Xa)に於いては,関口氏の注釈 によれば,従属 の機能 は,接続法文の 場合 と異なって,従属化 され るところの従属文のほうか らではな くて,従属化 するところの独立文の内か ら発動 していることになる。関口氏 によるこの注釈 ,次のように解す ることが可能であると思われ る。即 ち,従属文 であるWir 山匿en das」cht leidenは,名目的には従属文であるが,実質的 には従属文で あることを放棄 し,独立文 とな りつつある。逆 に,独立文である筈のfuhr er endlich nach langem Bruten herausは ,自ら接続先 を求めていることか らも わか るように,Wir durfen das亜 cht leidenに接続 しなければ,自らの存在 を 主張することがで きないほ どになって しまっている。

この解釈 はおそらく誤 っていまい。そしてこの解釈 は,(5)に於 いて も,も ろんその まま適用 され うる。Warum ging dem die Schwester nicht zu den

anderer滋滋″ θ″に於 いては,従属文であるWarum ging dem die Schwester面cht zu den andererが 独立文 と化 し,本来 は独立文である ル磁″

γが,「… とグレゴールは思 った」 ということか らもわかるように,自

接続先 を求 めて,従属文 と化 しつつある,その ように解釈す ることがで きる。

‑216‑

(10)

しか し, Warlm ging denn die Schwester rucht zu den anderenPに 然 として 力磁″0をο″が従属文 となって,自らに接続 してきているのである。

では, Warwl ging denn die Schwester nicht zu den anderenPが 滋滋″

0でり″を捨て去 って,独立性 をより強めてい くためには,どの ようにした らよ いであろうか。

ここで,体験話法 とはいかなるものであるか,を想い出 してみよう。先 に挙 げた保坂氏の定義 に従 えば,体験話法 は「間接話法の一種」なのである。周知 のように,接続法 による間接話法文 には,関口氏 の命名 を借 りるな らば,「間接 文 の主文章化」 という現象がある。 ここでは,関口氏が蒐集 された「間接文の 主文章化」の例の中か ら,次の ものを借用することにす る:

(9) I〕iner seiner alten Gesenen kreuzte im den weg.Ob er von der Braut kOnllneP fragte er ihn lachendo Es sι グhohe Zeit gewesen,da3 er heimgekehrt, um nach denl Rechten zu seheno Ein loser Vogel von cinctt Fed⊆fu⊆hser″ιθ sich eingefШ lden und nicht ttel Lust gezeigt, an dem blanken豊13en Traublein zu pickeno Er"ι tt dem Fant wOhl schon begegnet sein und ih nach Gebtihr heimgeleuchtet haben.Der Herr Vetter wグ 昴 五gens kein Kostverachter und π 滋 ι herlm,wo er gedeckten Tisch′ πル.0

下線部 は,例えば Er sagteと いった,独立文 に接続する従属文である。かか る従属文が独立文 と化す現象,即ち「間接文の主文章化」が ドイツ語 にはしば しば見 られ る。

Warlm ging denn die Schwester nicht zu den anderenP  α♭σ力″ 物 ″か ら 力磁″G御 ″が脱落 してい く過程,換言すれば,従属文が独立文 と化 して い く過程,それは接続法文 による「間接文の主文章化」の過程 と同類の もので はないだ ろうか。

興味深い ことに,「間接文の主文章化」に於 いては,接続法文が主文章化する のである。改めて云 うまで もない ことであるが,接続法文 の機能 は主文章 に接 続することにある。接続法文 は,本来単独では成立 し得ない。接続法文 はあ く

まで も従属文 なのである。かかる性質の接続法文す ら独立文化する。一方,(5) か ら(1)の下線部へ発展,或いは崩れてい く体験話法文 は,直接法で構成 される。

直接法 は,従属文 は勿論の こと,独立文 をも作 る。否,独立文 は直接法で作 ら

‑217‑―

(11)

れ るのが普通である,と云 ったほうが よろしい。 この ことを前提 とすれば,接

続法文 による「間接文の主文章化」 よりも,体験話法文内に於いて(5)か(1)の

下線部へ発展,或いは崩れてい くことのほうが,よ り容易なのではあるまいかν)

ある文が体験話法文であるか否かを検証す るためには,その文 を想定 される 直接話法文へ変換する。 この方法 は誰 しもが思いつ くものか も知れない。間接 話法文 を直接話法文へ変換す ることは,何のためらい もな く行われている。 し か し,間接話法文 の直接話法文への変換 は,繰り返 して云 うが,「危険」な もの ではないだろうか。渕 田一雄氏 は,接続法 による間接話法文 を直接話法文へ変 換す ることに対 して,次のような警鐘 を鳴 らしてお られ る:

要す るに間接話法 とい うものは,伝達者が 自分のつ ごうで他人の (ま は自分 自身の)言葉や考 えを要約 または粉飾 して伝 えるのですか ら,そ

を手掛か りに直接引用文 を復元するのは,日撃者の供述 によって犯人のモ ンタージュ写真 を造 り上 げるのよりもはるかに困難 な,あまり信用のおけ ない仕事だ と言 うことがで きます:1)

これに対 しては,同じ間接話法文で も,体験話法文 は言・ 考 を忠実 に再現 し ているのであるか ら,体験話法文 は,言・ 考 を忠実 に再現す る直接話法文へ転 換することがで きる筈であ り,そこには何 らの問題 も生 じない,況やいかなる

「危険」 も存在 しない,このような抗議が起 きるか も知れない。体験話法文 に 於 いては,言・ 考 はおそらく忠実 に再現 され るのであろう。 しか し,上述 した 如 く,体験話法 は直接話法 と全 く異なった性格の ものである。かるが故 に,体

験話法文 を直接話法文へ変換す る前 に,体験話法文 を(5)のような,Steinbergに よれば,同じ体験話法文へ変換す ることを行 ったほうが よい筈である。

体験話法文 を直接話法文へ変換す ることの危険性 は,ま,時称 に も現れ る ように思われ る。Steinbergは,想定 され る直接話法か ら体験話法へ話法 を変換 す る際に,次の時称 は下のように変換 され る,と云 っている:

想定 される直接話法内の時称 一一一一→体験話法内の時称

Prasens(現)

‑218‑

Prateritun(過)

(12)

Perfekt(現在完了)        Plusquamperfekt(過 去完了)

Futur I(未) wiirde+Infinit市

Futur H(未来完 了)         輌貯de+Infinit市 Perfektla ここで次 の例 を見 られた い:

alll sie erzahite ihnl,gegen die Planke gelehnt,■ lit weiser Miene,da3 sie diesmal lange Ferien hatte,die schule der Stadt耐 rde aufgelё 錐,

und bis eine neue gegrundet ware, habe es gute Weile. Ob er schon te,da3 sie Lehrerin werden wolleP

Nein.Das wu3te er nichto Er hatte noch nie davon gehё rt,da3 es Lehrerinnen gab. Er fragte schtichtern, ob sie Elsbe bald besuchen wolle.

"Ach ,sagte sie und warf den Kopf in den Nacken."Elsbe ist ein Jahr alter als ich,.¨

これは,関口氏の体験話法 に関す る論考か らの ものである♂)関口氏 は,下 部の体験話法文 を直接話法文へ変換す ると,次の ようになる,と云 ってお られ

:

αD "Nein, sagte er,"das weiS ich nicht!Ich hatte (こ ういう1時はhabe よりもhatte或いは単にrteの方がよろし)noch nie davon gehёrt,da3 es Lehrerirlnen gibt。 ̀̀14)

注 目に値 す る ことが述 べ られてい る。αOの 過去完 了 は,現在完 了へ変換 され るので はな くて,その まま過去完了で あ るか,或い は過去へ変換 された ほ うが よいと関 口氏 は注釈 してお られ るで はないか。

関 口氏 の根 拠 はい った い奈 辺 にあ るので あ ろ うか。 この こ とに就 いて,関 氏 は残念 なが ら何 の説 明 も行 ってお られ ない。 しか し,少な くとも過去完了 に 限 って云 えば,次の よ うな説 明が可能 なので あ る まいか。

そ もそ も過去完了 は,過去 の一 時点 に於 いて既 に生 じていた出来事 を表 す。

一‑219‑―

(13)

そのために過去完了は,その後の出来事がなぜ生 じたのか,その理由を述べる ことができるのである。そのことを次の例で考えてみよう:

O Er ging zurn 2almarzt,derm er hatte Zahnschnerzen gehabt.

彼は歯が痛かった,このことが過去の一時点で既に生 じていた。そこで,そ の後の一時点に彼は歯医者へ行った,という出来事が生 じた。 この一連の出来 事を,時間を遡 る形で述べるとすれば,即,「彼は歯医者へ行った」という出 来事を先に述べるとすれば,「彼は歯が痛かった」 という出来事は,「彼は歯医 者へ行った」 ということをなぜ話者である「私」が云ったのか,そのことに対 する理由になる筈である。

この解釈は,0〕に於いても同じように適用することが可能であろう。話者で ある「彼」を「私」に置き換えるならば,「私」はdas wei3 ich」chtと云っ たのであるが,なぜ「私」がそのようなことを云ったのか,その理由を「私」

Ich hatte noch nie davon gehёrt,da3 es Lehrerinrlen gibtと して挙げてい ,このように解することができる筈である:→

かかる解釈が妥当性を有するとすれば一―そして妥当性を有すると確信 して いる一―,(1)の体験話法文に現れる,二重下線を施 した次の過去完了は,仮 直接話法へ変換 しても,そのまま過去完了であったほうがよいことになるので はなかろうか:

a〕 warum geht derln die Schwester nicht zu den anderenP Sie war 型塑堕墜亘壁生堅墜圭型塑壁壁型壁型,1ldell̲1ld■latte‐ochfar nicht angefangen slch aFIZuZlehen.

現在の文へ変換 された Warum geht dem die Schwester nicht zu den ande‐

rerはwarunlで始 まる疑間文である。この文の後 には,その疑間に答 える,理 由を表す文が続 くと考 えなければなるまい。 ここでは現在の事柄 に対する理 由が問題 となっているがDと同 じように,過去完了が許 され るのではなかろ ぅか:6)

そうすると,中井氏による(2)の訳も,次のように変更することが許されるで あろう:

‑220‑

(14)

α なぜ妹のやつは皆のいるところへ行かないんだろう.さては,たった いまベ ッドか ら起 きだしたばか りで,まだ着物を着かえていないからだな。

(2)に於いて中井氏は,原文の過去完了を「…まだ着物を着かえていないんだ な」 と訳 しておられる。 この訳で充分であろうが,過去完了が理由を表 してい ることをはっきりと言葉にすることも可能であろうy)

「間接話法の一種」である体験話法文 には,想定 され る直接話法文が存在す る。この考 えが これ までの体験話法研究の前提 にあった。それに対 して本稿 は,

体験話法文 には,想定 され る間接話法文が存在す る,とい うことを主張 した。

具体例 に即 して云 えば,(1)の体験話法文 に対する,想定 され る間接話法文 は(5)

とい うことになる。

この(5)と同 じタイプの(6)を,既述 の如 くドイツでは体験話法文 として認 め る傾向にある。ここか らは想像の域 を出ないが,ドイツ人 は,(1)は勿論 の こと,

(5)と (6)のような間接話法文 をも一般的な間接話法文 とは異なるもの と見 なして

いる,このように思われて仕様がない。(6)では「一般的な間接話法文」 とは異 なって,登場人物 の考がかな りの程度 に忠実 に再現 されている,と ドイツ人 は 考 える,この ように思われ るか らである。

おそらく(1)の ような体験話法文 になると,(6)のような体験話法文 よりも邊か に忠実 に言・ 考が再現 されているのであろう。それはいかなる根拠 によるもの か と云 えば,これ も想像の域 を出ないが,次の ように考 えることが可能である と思われ る。即 ち,(6)は体験話法文 として認 められつつあるとは云 え,Steinberg によれば,それは「多少のため らいののち」 に行われた ことであった。 その理 由を Steinbergは 説明 していないが,(6)は考 を忠実 には再現 していない とも云 える,そのような嫌いが残 る,と ドイツ人 には思われるのであろう。具体的 に 云 えば,(6)は dachte sieを伴 っている。正 しくその限 りに於いて,(6)は正真正 銘の「一般的な間接話法文」の一つ とみなされ うる疑念が残 るのである

)こ 疑念 を払拭 して,「一般的な間接話法文」とはみなされないような体験話法文 を つ くるために,換言すれば,言・ 考 をよ り忠実 に再現するようにするために,

関口氏の言葉 を借 りるな らば,「うっか りす る と筆者が作中の人物 と混同され る ほ どの危険 をす らも甘ん じて引 き請 け,作中の人物 に代 って (或いは作中の人 物に『扮して』と云った方が好い)全責任を一身に背負って全景に乗り出して 来ている」ようにするために;9)ドイツ人はあることを考え付いた。それが,本

‑221‑―

(15)

稿が扱 って きた例で云 えば,(5)から 滋滋″″或いは 洗σ力″ ιγを脱落 さ せ るとい うことである。

この過程 は,先に述べた ところによれば,「間接文の主文章化」に類す るもの として捉 えてきたが,この ような現象が生ず るには,それな りの要請がなけれ ばなるまい。 その要請 とは何か,それは,言・ 考 を間接的な形でかつ可能 な限 り忠実 に再現 しようとす ることにある,このように考 えることがで きるのでは なかろうか。

保坂氏 とSteinbergは,時や場所の直指詞 (Rallrn― urld Zeitdeiktika),或 いは不変化詞 も体験話法 を識別 するための目印になる,と指摘 してお られるP) (1)に於 ける下線 を施 した文とりわ け冒頭の文(Warllm ging deFln die Schwe¨

ster nicht zu den anderenP)に 接 して,ここは体験話法文であるとい うこと を知 るためには,不変化詞のdemが貢献 している。このderlrlによって,か dennが可能 な限 り前方に位置 していることによって,Warum ging dem die Schwester nicht zu den andereJと い う疑間 を発 しているのは,作者ではな

くて;グレゴール自身であることが一層はっきりとわかるのである。

(1996年 4月 8日)

使用テキス ト

Franz Kafka:Die Verwandlung,in:Franz Kafka,Erzahlungen,Fischer Taschenbuch Verlag,1989

Franz Kafka:Amerika,Fischer′ raschenbuch Verlag,1989

1)関口存男 :和文独訳漫談集,三修社 ドイツ語文庫12,1958,88頁 2)Franz Kafka:Die Verwandlung,S.64

3)中井正文訳:変,同学社 対訳 シ リーズ,1988,39‑41頁

4)Gtinter Steinberg:Grammatische und stilistische Aspekte der erlebten Rede,1978,S.4

保坂宗重訳:G.シュタインベルクの体験話法研究,茨城大学教養部紀要第 16号,1984,193頁

Steinbergに よるこの論考 は,彼がチュー リッヒ大学で行 った講演の原 稿である。保坂氏 は,この原稿 を氏 自身の考 えの もとにいろいろ工夫 をし

‑222‑

(16)

,訳出された。従 って,その訳 は必ず しも原文 に忠実な ものではない。

しか し,そこには体験話法 に関す る保坂氏の該博 な知識が散 りばめられて いる。 そこで本稿では,保坂氏 の訳 をそのまま借用 させていただ くことに

した。

,筆者 は Steinbergの 講演原稿 を,保坂氏 の ご厚意 により,コ ピーで戴 いた。

Hosaka,M.:Die Erlebte Rede.Ihre verschiedenen Fomen bei Franz Kafka und Bertolt Brecht,茨城大学教養部紀要第10号,1978,S.51

保坂宗重 :体験話法,クロノス  ドイツ語学研究,1985,192頁

Gunter steinberg:Grarnmatische und stilistische Aspekte der erlё bten Rede,S.13

保坂宗重訳 :G.シュタインベルクの体験話法研究(2),茨城大学教養部紀 要第17号,1985,240‑241頁

本稿で は,(5)か (1)の下線部へ発展,或いは崩れていった要因 を,発生史

的な観点か ら考察す ることはしない。 これは筆者の力量 を遥かに上 回るこ とである。

,改めて云 うまで もない ことだが,(5)のような体験話法文 よりも,(1) の下線部 のような体験話法文のほうが先 に生 じたとい うことは大 いにあ

りうる。

関口存男 :接続法 の詳細,三修社,第4版,1968,40‑42頁

関口存男:新ドイツ語文法教程,三省堂,三訂新版 11刷,1977,265

Steinbergに よれば,(6)のような間接話法文 も,体験話法文 として認 め られ る傾向にあった。 この(6)か,換言すれば,同じタイプの(5)か(1)の下線 部の ような,巻間に認 め られてい る体験話法文へ発展 していつた,或いは

崩れていった,と考 えて きたわけであるが,(1)の下線部の体験話法文 は, あ くまで も「間接文の主文章化」 に類するもの と捉 えるべ きである。 もし

(1)の下線部が,その ような類の ものではな くて,名実 ともに独立 した間接 話法文であるとすれば,例えば,そ こに現れている,,er ,あ くまで も「彼 が」 と訳 されなければなるまい。問題 とす る箇所の原文 と,それに対応す る中井氏 による訳 を,再度次 に掲 げることにす る:

10)

‑223‑

(17)

Weil er nicht aufstand und den PrOkuristen rllcht hereinlie3,weil堅 in Gefahr war, den POsten zu verlieren, und weil dann der Chef die Eltem Πlit den alten Forderungen wieder verfolgen wtirdeP

自分が起 きあが らないで,支配人 を中へ入れてや らないか らかな.そ とも,自分がいまに も地位 を失いそうな危険 にさらされているせいかな.

いや,あの店主のやつが またぞろ昔の貸 し金の催促で,両親 を責めたてる だ ろうとい うわ けかな.

二重下線 を施 した語 に注 目していただきたい。中井氏 は,,er 「彼が」

ではな くて,「自分が」 と訳 してお られ るのである。

体験話法文 に現れ る3人称代名詞 をどのように訳すべ きか,これは非常 に重要な問題である。 そして この点 に関する保坂氏の考察 には,大いに注 目す る必要があろう。保坂氏 は,氏自身の言葉 を借 りれば:

西欧語の体験話法部分の3人称代名詞 (も しくは固有名詞)を日本語 に 移 してい くとき,固有名詞,彼,自,私 (ゼロ代名詞,同一文脈で,

ひ とたび提示 された名詞 は,その名詞が主題 (既知情報)となっていると きは,西洋語の ように人称・ 所有代名詞 によって反復 され ることな く,む

しろ省略 され,ゼロ化 される。)の五つの可能性の うちのいずれかが選択 さ れなければならない。

と述べて,下線 を施 した次の体験話法文 に対する氏 自身の訳 を試みてお ら れ る:

".Und Carlo lachelte auch. Im war, als kё nnte illn jetzt nichts

S■limmes mehr geschehen,一 weder vOr Gericht,noch sonst irgendwO auf der Welt.― Er hatte seinen Bruder wieder¨Neh,er hatte ihn zum

ersterlmal...

…カルロもほほえんだ。裁判所へ出頭することになろうと,いやそのほ かの どこへつれていかれ ようと,(カル ロ,彼,自 には)もはやつ ら

‑224‑―

(18)

い ことは三度 と起 こりはせぬ,とい う気が した。だって,(カルロ,彼,自 ,私 )弟を再 び とりもどせたのだ。いや,(φ)いまはじめて弟が 手 に入 ったのだか ら…注

体験話法文 に現れ る3人称代名詞 は,(1)の r に於 いては,上に見てき た ように,「自分が」と訳 されていた。この

"er ,またその ように訳 さざ

るを得 ないであろう。しか し,いま採 り上 げた体験話法文 に現れ る

"er ,

保坂氏 による試訳のように,「ゼロ代名詞」と考 えて,訳出す るには及 ばな いか も知れない。とりわけNein,er hatte ihn zurn ersterlmal¨。の

"er ,

保坂氏のように,訳出 しないほ うが逢かによい と思われ る。

)保坂宗重 :体験話法ドイツ語学研究,205‑206頁 11)渕田二雄 :ドイツ語中級文法の要点,大学書林,1978,60頁

12)G}tヒhter Steinberg:Grammatische und stilistische Aspekte der erlebten

Rede,S.10

保坂宗重訳 :G.シュタインベルクの体験話法研究 (2),231頁

13)関口存男 :扮役的直接法,三修社 ドイツ語学講話1,第4版,1966,54

14)関口存男 :扮役的直接法ドイツ語学講話1,56頁

,この箇所 は,本文 の ように"Nein, sagte erで はな くて,次の よう

に書かれている:

"Nein, sagte sie,"das wei3 ich nicht!Ich hatte (こ うい う[時habe よりもhatte或 いは単 にwuSteの方が よろし)noch nie davOn gewu3t, da3 es Lehrσinnen gibt.

"Nein, sagte主ではな くて,"Nein, sagte crと な らなければなるま い。おそ らく誤植であろう。

また,二重下線 を施 したwu3teと gewu3tはrteと gehёrtで なけれ ばなるまい。 これ も誤植 であろう。

ここで,関口氏 によって,体験話法文か ら変換 された,上の直接話法文 に就 いて,一言触れてお こう。関回氏 は,体験話法文 を直接話法文へ変換 するに際 して,巷間 に見 られ る,次の ような文 を作 ってはお られないので ある:

‑225‑―

参照

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