学校体育の範囲について
花 田 大四郎
序 論
昭和45年12月5日付朝日新聞によれば,『熊本県教委は,4日クラブ活動のあり方を含めた 児童,生徒の体育スポーツ活動について県内小,中,高校に通達した。この中で,これまで教 員がすべて責任をもっていた放課後のクラブ活動について,学校体育の延長の考え方をやめ,
教員の責任をはずした……。』
以上のような通達を報じていて,猶その内容として,
r① 学校では,週一時間程度,全生徒を参加させるクラブ活動の時間を組む。
②放課後は社会体育とし,教員は時間外はコーチとして指導する。
③学校外でのスポーツ競技は,地域,種目別の団体によって運営する。
の三つが骨子。これで教員や学校は放課後は一切の責任を負わないことになった。』
以上のような通達の出されたことを報じているのである。之によれば,熊本県教委は従来,
全国的に学校において行なわれて来たし,又現在も行なわれつつある,学校におけるクラブ活 動としての運動部活動を, 「社会体育」として考え, 「学校体育」の範囲より除外して処置す るということである。そして学校は勿論,その学校の体育教師の責任も一切,放課後,すなわ ち時間外においては,教師としてのそれを持たせないということを示しているといえよう。
之に対し,昭和47年8月2日付長崎新聞によれば,8月1日に行なわれた長崎県P.T.A大 会を報じた中に
r第八分科会では,「学校の時間外クラブ活動とP.T.A」について現状の問題点が提起さ れた。具体的には,……』
と,その分科会内の論点を,①指導員の不足,②先生が指導する場合の謝礼等に問題が集中 されたことを報じ,猶その「学校の時間外クラブ活動が学校体育に属するのか,又は社会体育 として考えるのかということに論議が集中したことを伝えているのである。そして最後に長崎 県教委の見解として,
『長崎県教委は,正課クラブとの関連から時間外クラブも,学校体育の延長という姿勢を見 せたが,これに対しては,先生(指導員)への謝礼を含めて県,市が予算を出していないこと への不満なども出た。』
以上のように長崎県教委は,放課後(時間外)におけるクラブ活動(主として運動部活動)
は依然として学校体育の延長という考え方を持っていることが示されているのである。
もちろん熊本県教委の通達が何によって出されたか,その背景については充分承知している のであるし,又地方教委がそれぞれに見解を持ってそれぞれの県内における行政的指導に当る ことは何等差支えもないであろうから,そのことについて種々述べることは必要もないし又そ の意志もないわけである。
しかしながら筆者を含め,学校体育の指導者養成にあたる我々は一体この両者の全く相反し
た見解について,いかに考え,いかに指導すべきものであろうか。長崎県教委が持つ「時間外
クラブも学校体育の延長」と見る考え方に対し,その隣…県である熊本県教委はわざわざ「学校
体育の延長の考え方をやあ」と否定しているのである。すなわち,論理的には此の両県教委の 見解は両立し得ないのであるが,行政的には差支えなしといっても果して論理的に我々はこれ を如何に考えるべきものであろうか。「学校におけるクラブ活動(時間外)は果して学校体育 の一種である」と考えるべきものであろうか,ということである。
このように考えて来た場合,次に問題になるのは,「学校体育」と「社会体育」との範囲な いしは境界は一体どこにあるのか,或は,それぞれの持つ概念を明らかにしなければ,常に体 育指導者が直面している,小,中,高等学校ないしは,大学等における運動部活動のあり方,
又はその指導等について,大きな誤りを招来するおそれなしと云えない危惧の念を持つわけで ある。それ故に,学校における時間外クラブとしての運動部の活動は,果して学校体育に属す ると考えるべきか,否それはむしろ社会体育に属すると考えて指導すべきかについて考えるこ とによって,学校体育(教科体育)についてその本質或は指導について考察することにするも のである。
「学校における体育」と「学校体育」
前川峯雄氏はその著「体育科教育法」ωの中で, 「学校体育」について次のように定義され ている。
「ここでいうところの学校体育とは,学校が責任を持って行なうところの体育のことをい う。換言すれば,学校の教育活動として認められるところの体育ということができる。」
このように定義されてついで,今回(昭和44年)の新しい学習指導要領による,総則第三の 体育について説明されている。そして猶,
『これを見るとわかるように(文部省,小学校学習指導要領43年7月…筆者注)学校におけ る体育に関する指導は,(1)学校の教育活動の全体を通して行なう。②その中心となる教科は,
小学校では体育科であり,中学校では保健体育科である。また体育に関する指導のうち「体力 の向上」について中心的に配慮:する分野は,(1)小学校では体育科,中学校では保健体育科,(2)
特別活動というように示しているのである。したがって「学校体育」という場合は,単に教科 としての体育指導だけでなく,これ以外の教科ならびに特別活動も関係するのである。』
このように,「学校における体育」と,「学校体育」という場合について説明され,つい で, 『要するに,学校における体育(学校体育)は,学校の教育活動の各方面から,直接,間 接的に指導される……。』
このように説明されているのである。
氏の説によって考える場合,氏の言われる「学校における体育」と, 「学校体育」とは,全 く同じ概念に取扱われていると考えられるのではないか。特に,最後の項において,氏は,
「要するに……」とまとめる意味において,「学校における体育(学校体育)」とわざわざ同 じ概念として取扱われていると見るべき書き方をされている点,特に注目するのである。「学 校における体育」と「学校体育」は,氏の言われるように簡単に一致すると考えられるのであ ろうか。
又氏は,「学校の責任」という点を挙げて,「学校体育」を規定し,概念ずけられているの
であるが,果して,「責任」等というもので,その概念が規定され,定義付けられるものであ
ろうか。「学校の責任」ということは,果して,どこまでその児童,生徒に対して負い得る
し,又果し得るものであろうか。学校が学校としての責任という場合,果して,どこまで,ど
の範囲迄その責任として考え得るのか。ついで前川氏は,「学校の教育活動として認められる
体育」と述べられているのであるが,一体誰が,それを認めるのであるか。認める主体の解釈 によって,どのようにも受取られ,解釈され得るのではないのか。
このように「学校の責任」とか,「学校の教育活動として認められる体育」等という概念の 規定は,その範囲が,非常に曖昧にならざるを得ないのではないか。
このことを裏書きするかのように,前川氏は,ここに見られるように,「学校における体 育」をわざわざ「学校体育」として考え,その範囲の内に入れておきながら,同じ著の中にお いて, 「運動部活動」についての説明の中には, 「運動部の活動は学校の教育活動の範囲に入
らないことがある。それは正規の授業時間外において行なわれる場合もあり,選手養成につら なるものである。』 (下線筆者)
というように運動部活動は,果して,学校体育なのであるか否か,氏自身においても非常に 曖昧になってきているといわざるを得ない表現がなされているのである。
教育と学校教育(体育と学校体育)
大浦猛氏は,その著「教育と社会」②において,「学校」という概念をその制度,機関の実 質的,歴史的な解釈から,次のように説明されている。
『教育の意味をつとめて狭くしぼって,学校という社会施設に対応する作用と考えるなら ば,どうしても,青少年に対するもっとも計画的な形成作用という意味に理解されなければ ならないだろう。この場合「教育」 (エデュケイション)」よりも,もっと,学校そのもの の生活過程にピッタリあった言葉をえらぶならば, 「スクーリング」または「シュールン グ」 (ドィッ語)という概念があげられる。』と説明され,ついで,イギリスの教育学者フ インドレイを引用されて,rスクーリングとは,「青少年,すなわち,自力だけでは,生存し 進歩することのできない,成長しゆく世代のたあに,つくられた教育的用意(educational provision)」を意味する。』
『さて,このような,スクーリング,あるいは,もっとも,狭義のエデュケイションの仕事 をいとなむものが,学校の意味でなければならない。』
(・・原文のまま)
このように,学校教育の実質的意味をスクーリング或は,教育的用意と説明されて,広義の 教育と狭義のそれとの実質的な差を挙げられているのである。そして,
『学校教育(または,スクーリング)をもっとも狭義の教育(あるいは,教育の核心)とみ なす見解は,やがて教育のみかたがひろめられるようになっても,依然として教育とスター リングとを同義的にとりあつかうような用語法の慣習をなりたたせた。こうして,「教育す なわち,学校教育」と解する用語法は,かなり長いあいだ,教育研究史上支配的な位置をし めてきた。そしてこのことは,単に用語法の問題だけでなく,同時に教育本質観の反映でも ある。このような根本観念と用語法とが相互に因となり果となって,パーソナリティの形成 過程を学校教育計画のみによって左右できるとい錯覚をうんだり,学校以外の教育領域への 眺望をさまたげる遮蔽窓をひろげたり,各教育機関の社会的協同への道がふさがれたりした わけである。』
以上のように「教育すなわち学校教育」という用語法の慣習と,教育の本質への影響等が説 明されているのである。
このことは,体育が,「身体の教育」ないしは,「身体活動を通しての教育」であると考え
られる以上,そのままの形で,適用されると考えられよう。「体育すなわち学校体育」と…。
このような用語法,ないしは本質観が,先の前川氏の論の陵昧さの一つの原因として働いて いるのではないか。
特に学校における運動部の活動は,その大部分が,「学校」という施設を使用し,又その学 校の生徒達によって,具体的に行なわれることが普通であり,その上に猶,時としては(戦後 にあっては,その大部分)その学校の教師(という大人)によって指導されることが多い為に 益々その活動が,いかにも学校体育であるかのような錯覚を持たされると言えるのではない
か。
特に我国における体育が,多くの場合「学校」を中心として展開し,発展して来た歴史を昇 りみれば,一層此の観を深くするのである。又地理的に見ても此の見方のうなずけることは,
既に筆者の前論文(3)(西欧体育事情視察より帰って,日本体育について考える,長大教育学部 紀要第18号昭和46年半に論述している所であるから参考にされたい。
我国における体育概念の変遷について
木下秀明氏は,「日本体育史研究序説」(4)において,我国における「体育」の概念の変化な らびに,その変遷について,実に詳細に説べて居られる。その説によれば,
第1は,明治初期における知育,徳育,体育からなる,いわゆる三育主義に立脚した,運 動と衛生を手段とした「身体の教育」すなわち,身体教育という意味。
第2は,上の第1の概念から,その手段としての運動,特に体操の発達によって,衛生面 の欠落を来たした,運動を手段とした身体教育の概念。
第5に,第2の概念の手段としての運動,特に体操の発達と,兵式体操,又は武術が,身 体教育よりも,むしろ徳育的性格形成の面より,多目的教育として取扱われることによって の運動教育の概念を形成する。
第4に,大学で形成された正課である「学問」に対する,課外の「運動」教育の概念。
以上のように我国における体育の概念を四つに分けて,その変遷について詳細に説明されて いるのである。特に第5の概念すなわち,学校の正課授業としての運動教材による多目的教育 すなわち,運動教育の概念と,第4の大学における課外としての運動教育との混同について次 のように要約されている。
『明治10年代に,大学で形成された「運動」と呼ばれる運動教育の概念は,運動教育を意味 する第5の体育の概念と全く同じ概念であった。しかし「体育」のための運動教科である 「体操」を中心とした諸学校での運動教育のあり方と,正課である「学問」に対する課外の 「運動」を中心とした大学での運動教育のあり方とでは,運動についての教育的発想法が根 本的に相違していた。このため「体育」も「運動」もともに同一の運動教育の概念であった にもかかわらず,学校では,「体育」,大学では,「運動」と異なった表現で示されたので ある。』そして,それが原因となって『明治ろ0年代には, 「体育」イコールミ運動教育.
「運動」イコールミ運動教育。「運動」イコールミ現象としての運動。という関係のうえ に,「体育」イコールミ現象としての運動.という三段論法が成立し……中略……,したが って,現象としての運動そのものを意味する「体育」という概念の把握を見た。』
このように我国における運動そのものが「体育」と考えられるようになった変化について述 べられ猶,スポーツについて,
『日本語には, Sports の概念を示すのに適切な表現が欠如していたため, Sports をそ
の現象面から「運動」として把握した。』
とされて,先の運動すなわち「体育」という概念の混同より,終には Sports そのもの が,「体育」であるかの如く混同されたとして,
『すなわち,大日本体育協会の欧文名には, The Japan Amateur Athletic Assaciation,,
(昭和55年に The Japan Amateur Sports Associationと改称)があてられた……。此 の「大日本体育協会」の名称に見られる「体育」が, Physical education,,と英訳されず
amateur athletic。と英訳されたことは,この「体育」には,身体教育の概念も,また運動 教育の概念も認められず,競技運動という現象としての運動そのものを意味する概念でしが なかったことを簡明に物語っている。』又此の外「国民体育大会」の National Sports
:Festival を挙げて述べられているのである。
そして,
rこの運動という現象そのものを,教育的価値観をともなって形成された概念である 「体 育」という表現を用いて示すことは,語源的には,まったく根拠がない。』と両者の相異を 断定しながらも,
『しかし,この概念形成の歴史的過程から見た場合,本来娯楽活動として発達して来た Sports。が,教育的価値を見出されて「体育」の手段として利用されるようになった欧米 先進国と異なり,「体育」の手段として注目されることによってのみ発展することが可能だ つた日本の「運動」が,教育的価値観に支配されない新しい次元へと拡がっていたにもかか わらず,そのことを認識しないまま,依然として「体育」のように錯覚され「体育」として 位置づけられたとしても不思議ではない。』
以上のように述べられて, 現象としての運動 (Sportsをも含む)そのものを「体育」と 考えることは,錯覚に過ぎないし,何等根拠がないと断定されているのである。
以上のように考えるならば放課後における運動部の活動(それは,主としてスポーツ運動と 考えられよう)が,運動すなわち体育と見誤られていると言わざるを得ないのではないか。放 課後において,たとえそれが,正課時聞中に似たような運動を行なっているとしても,既にそ の運動は,いわゆる彼等なりに教育的価値観に支配されない次元えと拡がっている活動なので あって,必ずしも教育的価値観をともなう「体育」とは,考えられないと言はざるを得ないの である。まして,先の「体育イコール学校体育」という考え方は,全く錯覚に過ぎないとすれ ば,いかにしても「運動部の活動」を以って,「学校体育」の一環であるとか,一体として指 導に当る等ということは到底考えられないことであると言えよう。
このように見て来ると,では一体「学校体育」とは何か,否その前に「学校」という機関そ のものについて今少し考えて見なければならないことになろう。それ故に少々前にもどって
「学校」について考えて見ることにしよう。
学校と出席の強制
学校の概念については一応前に触れているので重複は避けるが,同じく大浦氏はその著の中 で,学校の内容面の発達について次のように説明されているのである。
rスクーリングには,まず,生徒の出席が前提条件になるけれども,当初の学校は知識や教
養を欲する青年,成人が,自由意志にもとずいて適遥しながら出席することから初まったもの
が多い。……中略……さて子供達の中には(とくに男子)親(とくに父)があたえたいと考え
る特定の知識を,心から興味をもって求めることができないものもでてくる。そこで不本意な
勉学,心のすすまざる通学という現象があらわれる。学校側と家庭側の双方から児童の学習を
強制する「挟み打ち」の態勢はこうして強化され,そこに第一段階における「義務的」
(compulsory)な学校の性格があらわれる。』
このように,学校と,家庭双方よりの子供達に対する「出席の強制」あるいは, 「勉学の義 務」という態勢がやがて,公立学校の段階へと進歩すると共に,いわゆる「義務教育」の制度 を実現して行ったことを説明されている。そして,
『さて学校の出席に対するこうした考えかたが,たかまってくるにつれて「児童に対する公 立学校」が成立するのである。学校の成立を狭義に解するときは,まざにこれが主要な問題 とならねばならないだろう。』
此のように説明されて,公立学校における主要な成立の要素として「出席の強制」を挙げら れているのである。氏の指摘のように,現在の我国における「学校」を考える場合,それが義 務教育の段階は勿論であるが,その上の高校,大学といえども,教科として教えられている以 上,それが,彼等,児童,生徒にとっては,当然との「出席の強制」が主要なる要素として課
されている,ということは,否定出来ないといえるであろう。
それ故に筆者は「学校体育」という場合は,当然その内容,成立の要素として, 「出席の強 制」ということが,前提条件として成立していなければならないものと考えるのである。すな わち,たとえそれが,不本意な活動であっても,心のすすまざる運動であっても,彼等,児 童,生徒にとっては,拒否することの許されない体育という意味を持つと考えるのである。い わば,制度としての学校が,唯単に責任を持つのみでなく,学校本来の働きとしての児童,生 徒に対する,「出席の強制」をもって行なうところの体育,ないしは,体育的用意をもって
「学校体育」と考えなければならないというわけである。
その上に猶大浦氏は,次のように言われている。
rふつう常識では,学校にふくまれている,スコーレの意味が,こどもの遊び(ルドウス)
に関連してとらえられるのであるが,しかし正確に言うと,このことばのニュアンスは,む しろ自由な成人の余暇における適遥,談論に通ずるものであって,学校概念の転換とともに 原語の本来の含蓄はよほどうすらいだ,といえるだろう。』
此のように本来は遊び(ルドウス)に属し,自由な出席のもとで考えられた「学校教育」と いう概念が,時代の進歩と共に「出席の強制」という,いわゆる公教育を成立させることによ って,その概念の転換を説明されているのである。
このように考えるならば,現在我国において考えられる公教育という制度のもとにおける学 校体育(出席を強制して行なわれる)において,彼等,児童,生徒に課される運動(特にスポ ーツ)活動は,どのように考えるべきであろうか。
r「スポーツは,もともと,スポーツを行なうこと自体を目的とするものであり,自主的 に,一定のきまりに従って行なう楽しい活動である。この点は,明らかに「体操」と区別さ
れる。』(5}
指導書も,明らかに「スポーツは,目的活動である。」と明示しているごとく,確かにスポ ーツは本来,目的活動(一種の遊戯活動)であるといえよう。
このような,本来,遊戯活動としてのスポーツ活動が,その概念の転換された現在の学校体
育の中において,彼等に課されるということは,とりもなおさず,そこに「課されたる遊戯活
動」という,それ自身において内部矛盾を持つ彼等,児童,生徒の活動が考えられることにな
ると云わざるを得ないのである。すなわち,「出席の強制」という要素を現在の学校体育が持
つ以上,そして又,それを認めながら「スポーツ」という遊戯活動を課すことは,当然そこに
は,「不本意な遊戯活動」「心のすすまざる遊び」というような,彼等,児童,生徒にとって は,それ自身に内部矛盾を持つ活動が,展開されることになる可能性を持つといえるのであ
る。
このように,児童,生徒にとっては「遊ばなければならない遊戯」としての学校体育をどの ように指導し,どのように経験させるかということについては,筆者の別に書いている論文
「体育科教育」を参考にして戴くことにして,ここでは触れないことにする。
それはとにかく,学校体育と言った場合は,現在の我国における公教育制度のもとにあって は,その成立の要素として「出席の強制」が,第一に考えられなければならないことは,あま りにも明白な事実であろう。とすれば,その学校体育の範囲は,あくまでも学校が,彼等の出 席を強制し,彼等の活動を命令し得る範囲と考えざるを得ないのである。従って,いかに責任 を持つと言っても,彼等の出席を強制することのできない所迄,その範囲を延長することはで きないと言わざるを得ないのである。
その為(出席の強制)に例えば, 「遊ばなければならない遊戯」とか,その内部的な自己矛 盾が起り得るとしても,それは,学校体育内において,或は,その指導,教育のあり方によっ て解決されなければならない問題であって,それが,学校体育の概念そのものの範囲を暖翠に するものではないと考えるべきであろう。
学校体育の範囲をこのように考えるとすれば,運動部の活動と言うのが,いかにして此の範 囲を越え,何故,いかにも学校体育であるかのように考えられて来たか,戦前にさかのぼって 反省して見ることにしよう。
運動部の活動戦前の考え方
二宮文右衛門著,新学校体操(6)(昭和15年6月10日5版)によって,当時の「運動部活動」
はどのように考えられ,どのように指導されようとしていたかについて抽出して見よう。
『中等学校においては,課外運動を生徒の自由意志に放任したがために,所期の教育的,体 育的効果を収め得なかったばかりでなく,思はぬ弊害をすら起した例がある。之等の事例
は,殊に大正末期スポーツの無反省な発達につれて多くなった。』 ・ このように戦前においては,運動部の活動(主としてスポーツ活動)が,課外運動として考 えられ,しかもそれが,生徒の自由意志のみによって行なわれていたことが挙げられているの である。
しかも,先に木下秀明氏の言われるように,当時の中等学校等においての課外運動が,「教 育的価値に必ずしも支配されない次元と拡がっていたにもかかわらず」……いわゆる,生徒達 の自由意志によってそれは行なわれていた単なるスポーツ活動であったが為に,彼等は自由た その価値をあらゆる方向へ追求するであろう……それが,二宮氏によれば,「スポーツの無反 省な発達」という言葉で表現されているのであろうが,もともと,教育的価値に支配されない 単なる運動活動を,それに支配される「体育」という概念によって判断しようとしている所に
「教育的,体育的効果を収め得なかったばかりでなく,思わぬ弊害すら起した」等という錯覚 を生じていると考えられるのではないか。
そして猶氏は,その弊害を正すために,
『今や東亜新秩序建設に当り,全国力を挙げて神聖なる一大事業を敢為する秋,現下日本の
体育思想は,過去の自由主義的なものから国家主義的体育へと大転換をした……。一切のス
ポーッ,体育運動は,凡て剛健なる国民を鍛練し,彼等国民の体位を弥が上にも向上せし
め,惹いては,十分野る国防力を得しむるにありとする,国民全体の真剣なる,当為的活動 でなければならぬと考えられる。』
と,このように,全体主義時代の反映として,生徒達の自由なるスポーツ活動も,国民とし ての当為時活動として,正に,教育的価値に支配される所の「体育」でなければならないと言 われているのである。
ここに,二宮氏は,課外における生徒の自由な活動としての運動部の活動を持って,一応は 別個の概念によって把握されながらも,正にそれが,国民としての「当為的活動でなければな らない」という形で「体育」 (未だ学校体育ではない)の中に位置づけようとされていると考 えるのである。まさに木下氏が言われる「スポーツすなわち体育」的考え方の現われ,と見な ければならないであろうと考えられるのである。
そして次に二宮氏は,
r課外運動の実施に関しては,土地の情況,気候,其他の条件によって,一律に実施するこ とは不可能であるから,残念ながら教授要目では,課外の運動を正課のそれの如く,必ず実 施すべしと強制しているわけではない。そして只事情の許す限りに於てこれが実施を要求し ているのである。』
このように説明されているのであるが,ここで言われる所の「課外運動の実施」というこ と,すなわち「運動を実際に行なう」ということの主語ないしは,主体性が変えられているの ではないのか。「運動を実施する」のは,生徒自身である筈であり,氏の前段の説明において も,国家非常時において,国民夫々が,夫々の体力を向上,鍛練しなければならないのは,国 民としての正に当為的活動でなければならない,といいながら,この段になれば,この「課外 運動の実施」ということが,学校の実情に応じて「実施すべし」……すなわち,これは「実施 せしむべし」ということであって,学校に対してその実施を要求しているのである。ここで
「運動をする」ということと,「運動をさせる」ということが,混同されているのではないか ということである。そしてこの混同が,
『我国は,現下未曽有の時局にあるにも不拘,青少年の体力,気力,健康状態に於て,極あ て一般的に憂慮すべき現状にある事実と,特に徴兵検査における壮丁体位の逐年の低下は,
統計の余りにも具体的に示す通りであって,国家多事の際甚だ寒心すべき事といはなければ ならぬ。斯かる秋,教授時間の不足という理由で,次代の国民を育成するという点に十分の 努力をなさぬということあらんか,誠に聖職に身を奉ずる者としてこれ程の遺憾はない。』
以上のように「聖職に身を奉ずる者」すなわち,学校体育教師として,国家の為にその実施 を行なわなければならないものときめつけているのである。「聖職に身を奉ずる者」として,
ということによって,公人としての教師が,教師として,その児童,生徒に対することは,当 然それは,学校体育をを意味する。このことは,氏の説明の文章の中にも,流石に「課外運 動」を分けて,一般的課外運動と,特殊的課外運動の二通りのあり方があり,前者を全員必修 の形で考え,後者を一部選手のためのそれと分けて考えられていることは,今回の(昭和45年 改訂)指導要領によるいわゆる心修のクラブと,運動部の活動とに分けた考え方のあまりにも 類似した考え方に驚く他はないのであるが,一応ここでは,その詳細についての論述は省略す
る。
以上のように二つには分けながら,しかもそれぞれに多少のニュアンスの相異は認められな
がらも,猶「課外運動」として,それを学校体育として行なわせなければならないという形
で,体育の教師に対して,義務付けられていることは,同様である。
ここに先の大浦氏の言われる,「体育すなわち学校体育土という典形がうかがえると言えよ
う。
このように,児童,生徒の単なる自由な課外運動が,教育的価値に支配された「体育」と義 務付けられ,しかも,その「実施」の主体性が,本人の主体性より,学校の主体性えと変えら れることによって,終に「学校体育」として義務付けられて来ている。以上の考え方が,まこ とに典形的に浮き彫りされていると見るべきであろう。二宮氏は最後に,
『前述の如く,課外運動は,正課としての体操時間の僅少に基づく,体育効果の不足を補う 意図のもとに実施されるもの故,指導の様式に多少異なる所があろうとも,その根本精神 は,正課時の体操指導と全く同じである。』
とわざわざ書き加えて,課外運動を持って学校体育と本質的に同一であると述べられている のである。
戦後の課外活動
戦後此の運動部の活動が,どのように考えられているかについて考えて見よう。
先ず(中学校,高等学校,学習指導要領,保体育科,体育編,昭和26年〔7))について見れば その「学習指導と管理」の項において,大きく二つに分けて, 「必修時の体育」と, 「自由時 の体育」とについて説明されている。そして,その「自由時の体育」の中において,対外競技 という名称を使って考えられているのである。そして,
r対外競技は,その規模や性質には,いろいろあるが,いずれの場合も,先にのべた校内競 技の延長と考え,教育の一環として適切な指導のもとに行なわれるべきものである。』
正に「べきものである。」と当為的な教育活動として考えられていることは,先の二宮氏の 如く,体育と考えられたり,引いてはそれが,学校体育と考えられ,義務付けされたりしたこ とに対して,一つの変化であったと考えられよう。正にその規模,あるいは本質等はいろいろ の場合があるが,と,その存在としての本質は,種々あっても,それが,子どもの活動である 以上,当然教育の一環として(学校教育でも学校体育でもない。)それは行なわれるべき当為 的活動と考えられなければならない筈である。
此点前川峯雄氏もその著,体育科教育法において,次のように述べられている。
『教科は,必修としてすべての生徒がこれに参加するのであり,特別教育活動としての運動 のさまざまなクラブ活動は,自由に参加して行なわれるのであるからそこにちがいがある。
また教科は,規則によって定められた時間行なうのに対し,クラブ活動や行事については,
時間的規定がはっきりしていない。さらに学習すべき内容では,教科の場合は,指導要領に よって基準が定められているが,クラブや行事には,それがない。したがって,教科と教科 外の活動は,性格がちがっているけれども。』
以上のように,明らかに氏は,①必修であるか否か ②時間の規定 ③指導要領の基準性,
という,5つの点を挙げて,その相異を述べられている。しかも,その第一に「必修であるか 否か」則ち,筆者が前に公教育という現在の学校の性格を限定する条件として考えた「出席の 強制」という概念を挙げて説明されているのである。
すなわち,説明を付け加えさせて戴くならば,「教科」としての体育は,必修として総ての 生徒が参加するもの……必修ということは,必ず参加しなければならないということであり,
それは,当然,「出席の強制」ということなのである。とすれば,そこには,不本意な運動や
心のすすまざる活動ということが,起り得ることは,之亦あまりにも当然のことであろう。
之に比し,「クラブ活動」は,自由に参加するのであるから,そこには,前の不本意な運動 とか,心のすすまざる活動ということは,起り得ない。それは,もともと,心のすすむ者,不 本意ならざる者が,自由に参加している活動なのである。不本意なもの,心のすすまざる者 は,初めから参加していないのであるから。
以上の本質的相異を挙げられて,r教科と,教科外の活動は性格が異っている」と明らかに それを認められているのである。このことは,確かに先の戦前における二宮氏の「運動イコー ル体育」「体育すなわち学校体育」でなければならないというような論より脱皮して,その根 本的性格を認めようとされた認識であろうと考えられるのである。
しかしながら,二宮氏が,当時の国家体制ないしは,国家非常の秋という全体主義的理由に よって,彼等の自由なる課外活動,運動部活動を,教育的価値に支配される体育でなければな
らないし,又その指導が,聖職的観念に支配された学校体育の教師として当然の義務として考 えられなければならないという理由によって,如何にも学校体育である,あるいは,あるべき ものという形に形成されていったのに反し,前川氏はどうか。
r教科と教科外の活動は,性格が,ちがっているけれども,これを別々のものとしてみると きは,生徒の学習が,非常に統一のないものになってくる。したがって,学校は,性格のち がうものを,体育として統一し生徒の活動を組織立てるように考えなければならないことに なる。何となれば,教科と,教科外とが,統一のない方針や,立場で指導されることによっ て,生徒の経験が不統一になるし,ときには,矛盾を生ずることになるからである。』
成程,氏の言われるように,教科と教科外とが,「統一のない方針」や「統一のない立場」
で指導されるならば,恐らく「生徒の経験が不統一」になったり,「矛盾を生じたり」するで あろう。しかしながら,その前に,教科と教科外とは,氏も明らかに言われているように,そ の性格がちがっているのである。此の性格のちがっている別々のものを,「別々のものとして みる」ときに何故それが不統一となるのであろうか。
これは正に逆といわなければならないのではないのであろうか。性格のちがっているものを
「別々のもの」とみてこそ,初めて統一のある立場もとれ,指導も考えられるのではあるまい か。何故に性格のちがっているものを「別々のもの」として見ることが,経験の不統一とか,
矛盾を生ずることになるのであろうか。氏が言われる,「学校は,性格のちがうものを,体育 として統一し,」ということの,此の「統一」ということは,「同一」ないしは,「同じも の」として見ることなのであろうか。氏は次のように言って居られるのである。
『実際において,学習者の立場からすれば,教科であろうと,なかろうと,教師の指導や管 理なしに,体育が行なわれることはないのである。』
之は正に暴論といわざるを得ないのではないか。「実際において」といって居られるのであ るが,ここに言われていることが,実際に考えられるのであろうか,とさえ疑わざるを得ない のであるが。
此のような暴論と見えるような論を根拠として,先の性格のちがいを無視したような論を立 てられて,いかにも,学校における体育「科」の体育指導が,教科としてのそれだけでなく,
教科外の体育全体(否それよりも唯単なる,生徒,児童のスポーツ活動も含んで)にまでも責 任があるかの如き論をなされているのである。
以上のように,戦前における二宮氏は,国家主義的な立場より,学校における運動部活動を いかにも,学校体育の一部として行うべきであるという論の展開をなされているのであるが,
戦後における前川氏は,流石に国家主義的な立場は取られないであろうが,それにもかかわら
ず,いかにも結論的には,同じように運動部の活動を持って,学校体育の一部と考えようとさ れているのであろう。しかしながら,そこには,氏も明らかにされているように,性格が明ら かにちがっている(一方は必修,一方はそうでない)ために,論理に無理が生じているのでは ないかと考えられるのであるが。
いつれにしても,我国においては,いかにも運動部活動を持って,学校体育であるという見 方,考え方は,戦前戦後を通じて,一貫して考えられていると見るべきであろう。換言すれ
ば,「学校における体育」と,「学校体育」との混同ないしは,同一視によって,「学校体 育」の義務制,すなわち,学校教育における「出席の強制」と言う基本的条件を忘れていると 言わざるを得ないのではないであろうか。
学校体育の教師は果してどこまでその責任を負い得るか
先に前川氏は,「学校体育とは,学校が責任を持って行なうところの体育である」というよ うに責任というものより,学校体育を定義付けられていた。そして,その根本理念より,「学 校における体育」と「学校体育」とを別々のものとして見ることの誤りについて述べられてい
るのである。
そして,
r体育「科」を,教科とのみとることなく,むしろ学校における体育全体と考えようとした のである。』
いかにも学校体育の教師が,唯単に教科としての体育以上に,学校における体育(運動部活 動をも含む)全体について責任を持つかのように,或は,責任を持たねばならないかのように 述べられているのである。いかにも,ここでは,「考えようとしたのである。」と多少断定的
な表現は使用されてはいないのであるが……。
が,果して,学校体育科の教師がその責任を持つと称して一体,教科体育以上に持ち得るも のであろうか。
例えば,教科外としての運動部の活動を,他教科の教師が,指導しているとした場合(これ は非常に多いケースであろう)その責任を直接その指導に当っていない体育科教師がいかにす れば,持ち得るであろうか。
教科を離れた場合の指導ということになれば,それは,お互に一教師相互の関係に過ぎな い。或は極言すれば,一人の大人同志の関係でしかあり得ないのである。
もし此の関係を忘れて,その責任が,体育科の教師にありとするならば,直接指導に当って いる他教科の教師は,あくまでも助手であり,補助員でしかあり得ないわけである。このよう な実際指導に当っている他教科の教師を,助手ないしは,補助員と見る考え方が許されないと するならば,あくまでも,その指導は,たとえ体育科の教師が,直接指導に当っていようと,
他教科の教師が,指導していようと,それはあくまでも,教科を離れた一教師ないしは,一人 の大人として対等の関係に於て考えられるべきである。このように考えて来るならば,当然そ こには,すなわち,教科外の活動には,体育科教師としての責任は及び得ないし,又責任の持 ちようもないと云はざるを得ないのである。
このように「学校体育」と「学校における体育」との性格の相違,或は,授業としての体育
と,運動部の活動との相異について考えて来れば, 「学校体育」又は,授業としての体育指導
については,当然,学校体育の教師の責任において行なわれるべきである。しかしながら,学
校における,それ以外の体育或は運動部の活動は,あくまでも,それを行なう生徒,児童の自
由意志に基ずくものなるが故に,むしろ,それは,社会体育(教育的価値に支配される)の性 格であり,当然社会体育の一環として指導されるべきと考えるのである。
註
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