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1.はじめに~問題の所在、検察官の経歴・人事を   考察する意義について~

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(1)

〈目次〉

1.はじめに~問題の所在、検察官の経歴・人事を考察する意義について~

2.本論;分析と考察~黒川弘務東京高検検事長などの経歴と人事について~

3.おわりに~本稿による考察で得られた知見、残された課題について~

1.はじめに~問題の所在、検察官の経歴・人事を   考察する意義について~

 (1)本稿は、黒川弘務東京高等検察庁検事長(以下、東京高検検事長 とする、以下、当時)のいわゆる定年延長(正確には勤務延長)と検察庁 法改正問題をきっかけとして、黒川東京高検検事長を始め、林眞琴検事総 長より前の歴代の検事総長を主な考察対象として、検察官の経歴を分析し、

そこから検察庁・法務省という組織における検察官人事のパターンあるい は、その意義について明らかにしようとしたものである。この時点で、本 稿の考察から得られる知見を予告的に言うならば、次のようになる。すな わち、現在の検事総長までの経歴・人事を考察するならば、検察官の一般 的なイメージと言えるような、起訴のような刑事事件の処理そして刑事裁 判への関与といったものから、司法制度改革のような国家刑罰権の再編成 も含めた政府による国家全体の制度を変更しうるものへの関与と大きく踏

検察官の経歴・人事についての一考察

~黒川東京高検検事長定年延長・検察庁法改正問題に寄せて~

岡 本 洋 一

論  説

(2)

〈目次〉

1.はじめに~問題の所在、検察官の経歴・人事を考察する意義について~

2.本論;分析と考察~黒川弘務東京高検検事長などの経歴と人事について~

3.おわりに~本稿による考察で得られた知見、残された課題について~

1.はじめに~問題の所在、検察官の経歴・人事を   考察する意義について~

 (1)本稿は、黒川弘務東京高等検察庁検事長(以下、東京高検検事長 とする、以下、当時)のいわゆる定年延長(正確には勤務延長)と検察庁 法改正問題をきっかけとして、黒川東京高検検事長を始め、林眞琴検事総 長より前の歴代の検事総長を主な考察対象として、検察官の経歴を分析し、

そこから検察庁・法務省という組織における検察官人事のパターンあるい は、その意義について明らかにしようとしたものである。この時点で、本 稿の考察から得られる知見を予告的に言うならば、次のようになる。すな わち、現在の検事総長までの経歴・人事を考察するならば、検察官の一般 的なイメージと言えるような、起訴のような刑事事件の処理そして刑事裁 判への関与といったものから、司法制度改革のような国家刑罰権の再編成 も含めた政府による国家全体の制度を変更しうるものへの関与と大きく踏

検察官の経歴・人事についての一考察

~黒川東京高検検事長定年延長・検察庁法改正問題に寄せて~

岡 本 洋 一

論  説

み出しているのだ、と。

 なお、ここで言う「検察官」とは、検察庁法(昭和22年法律第61号)3 条にあるように、検事総長、最高検察庁次長検事(以下、最高検次長検事)、

検事長、検事そして副検事の総称である。このうち検事総長とは、同法7 条1項によれば、高検察庁の長として、庁務を掌理し、且つ、すべての検 察庁の職員を指揮監督するとされる。2019年の段階で約2000人を数える検 察官のトップと言える(1)。そして最高検次長検事とは、検事総長を補佐し、

検事総長が事故などで欠けたときに、その職務を行うとされる(同法7条 2項)。2020(令和2)年11月30日現在の検事総長は林眞琴、最高検次長 検事は落合義和である(2)。検事総長、最高検次長検事は、黒川東京高検 検事長など他の各検事長と同じく、その任免は内閣が行い、天皇が認証す る(検察庁法15条)。後述のように、法律上、内閣に人事権があることが、

今回の問題の発端となった。

 そして本稿で言う検察官の「経歴」とは、検察官に任官してから退官(辞 職、定年退職など)するまでの約40年近い個々の検察官のポストを経た、

いわゆるキャリアパスを意味する。同じく本稿に言う「人事」とは、さら に広く考え、検察庁あるいは法務省という組織全体における検察官の人員 配置を意味する。たとえば、個々の検察官における経歴という意味におい ては、現在の検事総長である林眞琴と、最高検次長検事である落合義和に は共通する経歴がある。すなわち、両者共に約20数年前に外務省に出向し、

共に在フランス日本国大使館一等書記官を経ている。林眞琴は1994(平成 6)年5月2日まで、落合義和は林の直後、1994年4月1日から1997(平 成9)年5月1日までである(3)。このような両者の経歴が、検察庁・法 務省という組織における人事にとって、どのような意味をもつものであっ たのか。本稿で考察を加える。また黒川弘務と林眞琴は、共に1983(昭和 58)年4月に司法修習を終え、同年4月7日付で、共に東京地検検事となっ ている。司法試験の合格者数や司法研修を終えた者の数が、いずれも500 人に満たない時代であった(現在は1500人程度)(4)。これらの意味につい

(3)

ても本稿において考察したい。

 このように本稿においては、以下のような考察方法を用いて、検察官の 経歴と人事についての考察を行う。標語的に言えば、本稿の分析・考察は、

個々の人事異動という「点」から検察官の経歴という「線」へ、そして検 察庁・法務省における人事における「面」として進める。

 すなわち、まず第1に、検察官の個々の人事異動は、そのままでは個々 の「点」でしかない、一見、無味乾燥なものであるが、本稿においては、

その氏名を手がかりに、いわば「点」を「線」として、検察官としての一 連の40年近い経歴・キャリアとして理解する。すなわち、検察官の個々の 人事異動についての記述そのものは、それが載っている新聞記事や官報を 見れば明らかなとおり、カッコ書きで前職があり、その後に新たなポスト・

身分が記される。それだけの記述では、このような人事異動が、その特定 の検察官のキャリアにおいてどのような位置を占めるのかといった全体像 は分からない。いわば、個々バラバラの「点」でしかないように見える(5)。 しかし、このような個々人の検察官の人事異動の「点」を、その氏名と前 後のポストを手がかりとして、より長い時間的スパン、検察官に任官して 退官するまでの長い期間を俯瞰して考察する。すなわち、いわば、「点」

を「線」として分析・考察する。そしてそのような分析・考察を通じて、

そのような各個人の「線」におけるパターンと、「面」としての検察庁・

法務省という組織における人事の意味、さらに刑事司法における意味を分 析・考察してみようというのが、本稿の考察方法と言える。

 とはいえ、このような考察方法には自ずから限界もある。検察庁・法務 省はもちろん、他のいかなる組織でも、人事についての情報は非常に重要 なものであり、外部に公表されているものは、上記のように断片的な人事 異動の結果に過ぎない。一般に、人事と予算は組織における要諦と言われ る。組織に定められた特定の目的を具体的に実現するためには、その担い 手と資金が重要となる。そのうち人事は、組織の担い手たちを組織各部に 配置するということであり、その重要性ゆえに、その本来の動機・目的が

(4)

ても本稿において考察したい。

 このように本稿においては、以下のような考察方法を用いて、検察官の 経歴と人事についての考察を行う。標語的に言えば、本稿の分析・考察は、

個々の人事異動という「点」から検察官の経歴という「線」へ、そして検 察庁・法務省における人事における「面」として進める。

 すなわち、まず第1に、検察官の個々の人事異動は、そのままでは個々 の「点」でしかない、一見、無味乾燥なものであるが、本稿においては、

その氏名を手がかりに、いわば「点」を「線」として、検察官としての一 連の40年近い経歴・キャリアとして理解する。すなわち、検察官の個々の 人事異動についての記述そのものは、それが載っている新聞記事や官報を 見れば明らかなとおり、カッコ書きで前職があり、その後に新たなポスト・

身分が記される。それだけの記述では、このような人事異動が、その特定 の検察官のキャリアにおいてどのような位置を占めるのかといった全体像 は分からない。いわば、個々バラバラの「点」でしかないように見える(5)。 しかし、このような個々人の検察官の人事異動の「点」を、その氏名と前 後のポストを手がかりとして、より長い時間的スパン、検察官に任官して 退官するまでの長い期間を俯瞰して考察する。すなわち、いわば、「点」

を「線」として分析・考察する。そしてそのような分析・考察を通じて、

そのような各個人の「線」におけるパターンと、「面」としての検察庁・

法務省という組織における人事の意味、さらに刑事司法における意味を分 析・考察してみようというのが、本稿の考察方法と言える。

 とはいえ、このような考察方法には自ずから限界もある。検察庁・法務 省はもちろん、他のいかなる組織でも、人事についての情報は非常に重要 なものであり、外部に公表されているものは、上記のように断片的な人事 異動の結果に過ぎない。一般に、人事と予算は組織における要諦と言われ る。組織に定められた特定の目的を具体的に実現するためには、その担い 手と資金が重要となる。そのうち人事は、組織の担い手たちを組織各部に 配置するということであり、その重要性ゆえに、その本来の動機・目的が

公表されることはないであろうし、その動機・目的も一つではないかもし れない。さらには、組織として公表はできないが、とはいえ看過できない 人事評価上の諸事情も考えられる。たとえば、過去の組織内外における言 動、行状、上司と部下との個人的な関係性などである。これらは外部から は伺い知ることはできない。

 以上、組織の人事における複雑な事情から考えれば、本稿の限界も自ず からそこに内在する。すなわち、個々の「経歴」は外部から、その結果だ けは、ほぼすべて考察できるし、その意味をある程度までは読み解き、明 らかにすることはできそうではある。とはいえ、そのような「人事」の意 味は、一つの解釈に過ぎず、その真意は別にあるかもしれないという限界 は常に存在する。

 (2)とはいえ、そもそも本稿において参考にすべき先行研究はあるの か。残念ながら、そのような問いに対する答えは、直接には「否」と答え ざるを得ない。たしかに、類似の研究は存在する。すなわち、本稿のよう な考察方法によって、検察官ではなく、裁判官のキャリアについて詳細な 考察がすでになされ、公刊されてもいる。たしかに、裁判官は、検察官と 同じくその圧倒的多数は、司法試験合格後の司法研修を終えた者たちであ り、法曹として法的判断をする職業という点では共通性がある。しかも裁 判官における人事においては、最高裁事務総局という「裁判をしない裁判 官のキャリアパス」に着目する考察・研究の方法は、本稿でも指摘するよ うに「捜査や刑事裁判に関わらない検察官」が属する法務省を中心とする 検察官人事の実態との共通性との関係で、大いに参考にすべき知見と言え よう(6)

 しかし、司法権を司る裁判官と、そうではない検察官とでは、ちがいも ある。ここでは、以下の2つのことを指摘する。すなわち、第1に、裁判 官は、裁判においては両当事者の申立てを前提として、いわば中立的な第 三者として裁判への法的判断を下すことが任務とされる(民事訴訟法(平 成8年法律第109号)243条、刑事訴訟法(昭和23年法律第131号)294条)。

(5)

他方で、検察官は、刑事裁判に有罪を求めて起訴する(刑事訴訟法247条、

検察庁法4条)。すなわち、検察官は、たしかに、公益の代表者(検察庁 法4条)とはいえ、公平中立な立場を求められる裁判官と異なり、刑事裁 判の一方当事者でもある。そのような司法制度における役割が異なる。ま た第2に、検察官における人事の方が、裁判官のそれよりも複雑なものと 言える。すなわち、裁判官は、最高裁を頂点とする人事ということで、検 察官よりは比較的分かりやすい。検察官の人事においては、本稿で後述す るように、検察官の人事を通じて、法務省という組織を下位に置き、その 上に法務省の外部にある検察庁が上位に位置づける、法令上の組織構造か らは真逆な、一種異例な人事慣行となっており、事態はより複雑なものと なっている。

 いずれにせよ、現在の段階では、「検察官の人事」についての先行研究、

検察官の経歴・人事そのものを考察する先行研究は、調べた範囲では確認 することはできなかった。たとえば、インターネット論文検索システムで あるCiNii(NII学術情報ナビゲータ[サイニィ])で「検察 人事」と検 索すると、69件の検索結果が出るが、そのほとんどが、いわゆる黒川東京 高検検事長と検察庁法改正問題について論じたものであった。また、同サ イトで、「検察庁の人事について」の論考は、探したかぎりでは見つける ことはできなかった(7)

 このように直接の先行研究としては、あまり拠り所がない状態で、本稿 における考察を進めねばならない。ここにも限界は存在する。すなわち、

一定のテーマについての研究というものは、多くの担い手による多様なア プローチからの考察・研究の蓄積が必要であり、そのことによって、その 深さ、広さが確保される。しかし、そのためには多くの時間と労力が必要 なのである。

 (3)このような検察官人事あるいは経歴についての考察・研究と、今 回の黒川東京高検検事長定年延長・検察庁法改正問題とのつながりは何か。

筆者の問題意識からすれば、以下のように言える。すなわち、検察官とし

(6)

他方で、検察官は、刑事裁判に有罪を求めて起訴する(刑事訴訟法247条、

検察庁法4条)。すなわち、検察官は、たしかに、公益の代表者(検察庁 法4条)とはいえ、公平中立な立場を求められる裁判官と異なり、刑事裁 判の一方当事者でもある。そのような司法制度における役割が異なる。ま た第2に、検察官における人事の方が、裁判官のそれよりも複雑なものと 言える。すなわち、裁判官は、最高裁を頂点とする人事ということで、検 察官よりは比較的分かりやすい。検察官の人事においては、本稿で後述す るように、検察官の人事を通じて、法務省という組織を下位に置き、その 上に法務省の外部にある検察庁が上位に位置づける、法令上の組織構造か らは真逆な、一種異例な人事慣行となっており、事態はより複雑なものと なっている。

 いずれにせよ、現在の段階では、「検察官の人事」についての先行研究、

検察官の経歴・人事そのものを考察する先行研究は、調べた範囲では確認 することはできなかった。たとえば、インターネット論文検索システムで あるCiNii(NII学術情報ナビゲータ[サイニィ])で「検察 人事」と検 索すると、69件の検索結果が出るが、そのほとんどが、いわゆる黒川東京 高検検事長と検察庁法改正問題について論じたものであった。また、同サ イトで、「検察庁の人事について」の論考は、探したかぎりでは見つける ことはできなかった(7)

 このように直接の先行研究としては、あまり拠り所がない状態で、本稿 における考察を進めねばならない。ここにも限界は存在する。すなわち、

一定のテーマについての研究というものは、多くの担い手による多様なア プローチからの考察・研究の蓄積が必要であり、そのことによって、その 深さ、広さが確保される。しかし、そのためには多くの時間と労力が必要 なのである。

 (3)このような検察官人事あるいは経歴についての考察・研究と、今 回の黒川東京高検検事長定年延長・検察庁法改正問題とのつながりは何か。

筆者の問題意識からすれば、以下のように言える。すなわち、検察官とし

ての経歴そして検察庁・法務省における人事の意味を考察することは、日 本の刑事司法における検察官の権限・影響力の大きさからすれば、当然、

研究者の考察対象とされてしかるべきものであったが、これまで研究はな く、それゆえに考察・研究する必要はある、と言うことである。この点を 明らかにするために、以下では、本稿の問題意識と関連するかぎりで、今 回の黒川東京高検検事長定年延長・検察庁法改正問題をめぐる議論から得 られる知見について分析する。とはいえ、結論を先取りして言うのであれ ば、次のように言うことはできる。すなわち、以下の議論は、これまでの 法制度や国会における過去の政府答弁との齟齬など、黒川東京高検検事長 の定年延長や検察庁法改正の是非について、とくに政府の手続的な問題な どを議論の中心としており、その前提である検察官の権限が、日本の刑事 司法において、いかに大きなものであるかは当然の前提あるいは暗黙の了 解として、あまり考察対象とはなっていない、と。

 問題の発端は、検察庁法22条に従えば、2020年に定年を迎える黒川弘務 東京高検検事長の定年を8月7日まで延長することが、1月31日に閣議決 定されたことに始まる。その後、国会審議での政府答弁、とくに人事院側 と法務省+官邸側との齟齬、世論の激しい反発、コロナ禍での自粛期間中 の黒川東京高検検事長の賭けマージャン報道と世論の更なる反発、そして 5月22日付で黒川が辞職、検察庁法改正案が廃案したことにより一応の幕 が閉じられた(8)

 本稿との関係においては、以下の2つのことを指摘できる。まず、第1は、

重要だが、あまり目立つことのない、この種の問題としては珍しく、世論 の反発が激しかったことである。すなわち、たしかに、後述のように、日 本の検察官は、日本の刑事司法制度において大きな権限を有し、かつ刑事 立法にも法務省を通じての影響力が認められる。しかも本稿で分析・考察 するように、黒川弘務が当時その職にあった東京高検検事長という地位は、

検察官トップである検事総長に直結する重要ポストでもあった。とはいえ、

これらのことが一般的な関心を呼ぶかは別のことである。しかし、今回は、

(7)

各種法律団体や著名人によるSNSにおける反対表明などが急速に、拡散し、

予想外に広がった(9)。このような背景には、2020年の世界的な新型コロ ナウイルス感染拡大という危機的状況にあって、事実上の行動制限となり うる政府による自粛が呼びかけられるなかで、安倍総理大臣以下が、検察 官人事への異例の介入を通じた更なる権限拡大・維持に勤しむだけとの印 象が、真相は別にして広く社会に共有されたこともあったと思われる。

 第2に、これまでの国家公務員法と検察庁法との区別を前提とした政府 答弁(とくに人事院答弁)との大きな齟齬、解釈変更における手続的な問 題が指摘されていたことである。検察庁法32条の2に定める「検察官の職 務と責任における特殊性」を前提として、同法15条1項に定める幹部検察 官への内閣の人事権はフリーハンドではなく、国会の関与や内閣の下の諮 問機関の関与を求めることで検察官人事の透明化・適正化をめざすべきと の指摘がなされていた(10)

 検察庁法第32条の2 

 この法律〔検察庁法 ‐ 筆者〕第15条、第18条乃至第20条及び第22条乃至第25条 の規定は、国家公務員法(昭和22年法律第120号)附則第13条の規定により、検察 官の職務と責任の特殊性に基いて、同法の特例を定めたものとする。

〔下線は筆者、以下同じ〕

 上記の検察庁法を例外とする国家公務員法附則13条とは、以下のもので ある。

 附則第13条 

 一般職に属する職員に関し、その職務と責任の特殊性に基いて、この法律の特例 を要する場合においては、別に法律又は人事院規則(略)を以て、これを規定する ことができる。但し、その特例は、この法律第1条の精神〔国民への公務の民主的 かつ能率的な保障-筆者〕に反するものであつてはならない。

(8)

各種法律団体や著名人によるSNSにおける反対表明などが急速に、拡散し、

予想外に広がった(9)。このような背景には、2020年の世界的な新型コロ ナウイルス感染拡大という危機的状況にあって、事実上の行動制限となり うる政府による自粛が呼びかけられるなかで、安倍総理大臣以下が、検察 官人事への異例の介入を通じた更なる権限拡大・維持に勤しむだけとの印 象が、真相は別にして広く社会に共有されたこともあったと思われる。

 第2に、これまでの国家公務員法と検察庁法との区別を前提とした政府 答弁(とくに人事院答弁)との大きな齟齬、解釈変更における手続的な問 題が指摘されていたことである。検察庁法32条の2に定める「検察官の職 務と責任における特殊性」を前提として、同法15条1項に定める幹部検察 官への内閣の人事権はフリーハンドではなく、国会の関与や内閣の下の諮 問機関の関与を求めることで検察官人事の透明化・適正化をめざすべきと の指摘がなされていた(10)

 検察庁法第32条の2 

 この法律〔検察庁法 ‐ 筆者〕第15条、第18条乃至第20条及び第22条乃至第25条 の規定は、国家公務員法(昭和22年法律第120号)附則第13条の規定により、検察 官の職務と責任の特殊性に基いて、同法の特例を定めたものとする。

〔下線は筆者、以下同じ〕

 上記の検察庁法を例外とする国家公務員法附則13条とは、以下のもので ある。

 附則第13条 

 一般職に属する職員に関し、その職務と責任の特殊性に基いて、この法律の特例 を要する場合においては、別に法律又は人事院規則(略)を以て、これを規定する ことができる。但し、その特例は、この法律第1条の精神〔国民への公務の民主的 かつ能率的な保障-筆者〕に反するものであつてはならない。

 (4)本稿との関係で、より重要と考えるのは、上記検察庁法32条の2 と国家公務員法附則13条の下線部の「検察官の職務と責任の特殊性」とは 何かである。これに直接答える論文は多くはないが、いくつかの示唆を与 えるものはあった。たとえば、憲法学の観点から、以下の3つの指摘があっ た。第1に、そもそも定年制度は、検察官など巨大な権限を有する官僚が、

定年という一定の年齢で職を離れることで、その権力的地位を一定期間で 失わせるという立憲主義に基づく趣旨との指摘である。第2に、戦前そし て戦後も1980年代半ばまで、国家公務員には法律上の定年制度はなく、慣 行として原則60歳で辞職するということに過ぎなかったこと、他方で、検 察官には、戦前から裁判官と同時期に定年制が導入されたことである。こ の定年前の自発的な退職という慣例は、現在の検察官にも残っているとは 言える。たとえば、註8の黒川東京高検検事長の辞職時や歴代の検事総長 の退任時でも、官報の表現は、通常「願に依り本官を免ずる」とあるから である。そして第3に、戦後は、現憲法の国民主権と司法権の独立(76条 2項、77条、81条)と裁判官との比較から、検察庁法における内閣の任免 権と、検察官の定年制度は、大正期のような組織の若返り、いわゆる新陳 代謝ではなく、検察官の権限・権力を抑止するためのものであり、その趣 旨から上記検察庁法32条の2と国家公務員法附則13条との関係を理解すべ きとの指摘であり、このことは戦後の人事院の国会答弁でも繰り返し確認 されてきたとの指摘である。すなわち、安倍政権が一連の問題で踏み越え ようとしたものは、検察官の強大な権限行使の抑止と定年までの身分保障 という検察官への信頼と、職権行使の公正らしさとのバランスとの指摘で ある(11)

 このような検察官の定年制度と、検察庁法25条などの身分保障は、国家 公務員とは異なる検察官の独自性である。すなわち、それは、独任制とし ての検察官独自の制度であり、個々の検察官が、それぞれ独立した官庁と して権限行使をなしうること、そして組織としての一体性を意味する検察 官同一性の原則である。その趣旨は、検察官が行なう法的判断には公正無

(9)

私が求められ、また近代組織として個々の検察官が代替可能という意味に おいて非人格的な制度であるからとも指摘される。とくに独任制について は、他の国家公務員にはない検察官独自のものとされる。すなわち、他の 公務員の一般官庁では、その長にのみすべての権限があり、部下は長の代 理行使に過ぎない。しかし、検察官は、いわば一人一人が国家機関なので ある。その理由として検察官が、法曹資格を有する者(検察庁法18条、19 条)であるからとの指摘もある(12)

 (5)以上、黒川東京高検検事長定年延長と検察庁法改正問題について 論じられたものから、(4)で指摘した問題に立ち戻ることになる。すな わち、検察庁法32条の2と国家公務員法附則13条における「検察官の職務 と責任の特殊性」とは何かという問題である。そこで必要なのは、日本の 刑事司法における検察官の権限の巨大さ、影響力の大きさの確認である。

すなわち、「検察官」についての一般的なイメージと、それを越えた行政 官(法務省そして内閣官房、つまり首相官邸)としての実態ということに ついて、以下の3点を指摘することができる。

 まず、検察官の権限の大きさを示す第1のものとして、検察庁4条と6 条が定める検察官の権限がある。要するに、犯罪捜査から、起訴、公判へ の参加そして刑の執行まで、一連の刑事手続へのすべての段階に関与しう る権限の広さ、大きさである。これは検察庁法からも明らかである。

 検察庁法4条 

 検察官は、刑事について、公訴を行い、裁判所に法の正当な適用を請求し、且つ、

裁判の執行を監督し、又、裁判所の権限に属するその他の事項についても職務上必 要と認めるときは、裁判所に、通知を求め、又は意見を述べ、又、公益の代表者と して他の法令がその権限に属させた事務を行う。

同6条 検察官は、いかなる犯罪についても捜査をすることができる。

 したがって、検察官には、刑事手続における3つの段階で、それぞれ権

(10)

私が求められ、また近代組織として個々の検察官が代替可能という意味に おいて非人格的な制度であるからとも指摘される。とくに独任制について は、他の国家公務員にはない検察官独自のものとされる。すなわち、他の 公務員の一般官庁では、その長にのみすべての権限があり、部下は長の代 理行使に過ぎない。しかし、検察官は、いわば一人一人が国家機関なので ある。その理由として検察官が、法曹資格を有する者(検察庁法18条、19 条)であるからとの指摘もある(12)

 (5)以上、黒川東京高検検事長定年延長と検察庁法改正問題について 論じられたものから、(4)で指摘した問題に立ち戻ることになる。すな わち、検察庁法32条の2と国家公務員法附則13条における「検察官の職務 と責任の特殊性」とは何かという問題である。そこで必要なのは、日本の 刑事司法における検察官の権限の巨大さ、影響力の大きさの確認である。

すなわち、「検察官」についての一般的なイメージと、それを越えた行政 官(法務省そして内閣官房、つまり首相官邸)としての実態ということに ついて、以下の3点を指摘することができる。

 まず、検察官の権限の大きさを示す第1のものとして、検察庁4条と6 条が定める検察官の権限がある。要するに、犯罪捜査から、起訴、公判へ の参加そして刑の執行まで、一連の刑事手続へのすべての段階に関与しう る権限の広さ、大きさである。これは検察庁法からも明らかである。

 検察庁法4条 

 検察官は、刑事について、公訴を行い、裁判所に法の正当な適用を請求し、且つ、

裁判の執行を監督し、又、裁判所の権限に属するその他の事項についても職務上必 要と認めるときは、裁判所に、通知を求め、又は意見を述べ、又、公益の代表者と して他の法令がその権限に属させた事務を行う。

同6条 検察官は、いかなる犯罪についても捜査をすることができる。

 したがって、検察官には、刑事手続における3つの段階で、それぞれ権

限がある。すなわち、第1に、捜査機関としての権限(検察庁法6条、刑 訴法191条)、第2に、公共の利益を代表して公訴提起を行い、裁判所に被 告人の行為に対して、国家刑罰権の発動を求める当事者としての権限(検 察庁法4条、刑訴法248条)、そして第3に、刑の執行への関与であり(検 察庁法4条、刑訴法472条)、たとえば、死刑の立ち合い(同法477条)である。

このように、捜査や起訴などは行政権の一作用と言われるが、同時に、司 法権とも密接な関係がある。このように、法曹資格を有する検察官には、

刑事司法における捜査権、公訴権そして刑の執行権という広範な権限を有 する(13)。また検察官には4つの役割、つまり、①捜査官、②公訴権を持つ、

事実上の裁判官、③裁判における当事者そして④刑の執行などの行政官と いう役割があるとの適切な指摘もある(14)

 このうち、②については、もう少し説明が必要であろう。すなわち、知 られた事実ではあるが、国家訴追主義(刑訴法247条)、起訴裁量制度(同 248条)を前提として、検察官による起訴段階ですでに、その後の刑事裁 判における有罪の見込みを前提とした振り分けがなされており、それに よって、その後の刑事裁判が事実上形骸化しているとの指摘である(15)。  たとえば、最近5年の統計を見ても、検察官による起訴率は、35%以下 で推移しており、反対に起訴猶予率も全体の6割以上である。たとえば、

起訴率は、2014(平成26)年から2018(平成30)年まで33%程度で推移し、

反対に起訴猶予率も同期間65%程度で推移している。それに対応するかの ように、裁判所の裁判確定人員における無罪者の数を、裁判確定人員の総 数で割った数字を単純に「無罪率」とすれば、2019(令和元)年で実に 0.039%、つまり、裁判確定人員の総数が1万人なら無罪は3人以下となる。

反対から言えば、有罪率は、99.96%以上ということになる(16)

 以上の2014年から2018年の5年間で起訴率と「無罪率」とを併せて、【表 1】とした。

       

(11)

 次に、検察官の権限の大きさを示す第2のものとして、法務省官僚とし て刑事立法への関与がある。たとえば、国会提出前の提案段階における法 制審議会への関与である。法制審議会とは、法務省組織令(平成12年政 令第248号)55条により、法務大臣の諮問に応じて刑事法その他法務に関 する基本的事項について調査・審議する(17)。この法制審議会の事務(「庶 務」)は、法務省大臣官房が当たる(法務省組織令3条33号)。後に分析す るように、黒川弘務(【表2-1-1】)、林眞琴(【表2-2-2】)そし て稲田伸夫(【表2-3-2】)のいずれもが、法務省大臣官房付などの経 歴がある。また法制審議会刑事法部会の委員には、最高検検事などの幹部 検察官が併任することも多い(18)。また、たとえば、現検事総長・林眞琴は、

刑事局長在任時に、いわゆるテロ等準備罪を新設した組織犯罪処罰法の改 正法(平成29年法律第67号)について、国会で政府参考人として答弁して いる(19)。検察官は、法務省の官僚として刑事立法にも関与している。

 最後に、検察官の権限の大きさを示す第3のものとして、上記法務省大 臣官房というポストを通じて、内閣官房、つまり、首相官邸という政治中 枢への関与も指摘できる(法務省設置法(平成11年法律第93号)3条2項、

4条2項そして法務省組織令3条44号)。これは、後に考察するように、

黒川の検察官としての経歴においても非常に特徴的なことである。この点 についてはすでに憲法学の立場から、検察官の役割が一般的なイメージで ある捜査や起訴といった法執行機関や刑事裁判の一当事者から、行政官と して政策形へと高度化・変質化しているとの指摘もあった(20)

 以上、検察官における大きな権限は、以下の①から③という刑事司法の すべての分野に及んでいることが確認できた。すなわち、①検察官として

【表1】2014年~ 2018年における起訴率と無罪率(裁判確定人員の無罪人数÷裁 判確定人員の総数)の推移;註16の統計から独自に作成

2018(H30) 2017(H29) 2016(H28) 2015(H27) 2014(H26)

起訴率

32.8% 32.9% 33.4% 33.4% 32.8%

無罪率

0.044% 0.043% 0.032% 0.026% 0.034%

(12)

 次に、検察官の権限の大きさを示す第2のものとして、法務省官僚とし て刑事立法への関与がある。たとえば、国会提出前の提案段階における法 制審議会への関与である。法制審議会とは、法務省組織令(平成12年政 令第248号)55条により、法務大臣の諮問に応じて刑事法その他法務に関 する基本的事項について調査・審議する(17)。この法制審議会の事務(「庶 務」)は、法務省大臣官房が当たる(法務省組織令3条33号)。後に分析す るように、黒川弘務(【表2-1-1】)、林眞琴(【表2-2-2】)そし て稲田伸夫(【表2-3-2】)のいずれもが、法務省大臣官房付などの経 歴がある。また法制審議会刑事法部会の委員には、最高検検事などの幹部 検察官が併任することも多い(18)。また、たとえば、現検事総長・林眞琴は、

刑事局長在任時に、いわゆるテロ等準備罪を新設した組織犯罪処罰法の改 正法(平成29年法律第67号)について、国会で政府参考人として答弁して いる(19)。検察官は、法務省の官僚として刑事立法にも関与している。

 最後に、検察官の権限の大きさを示す第3のものとして、上記法務省大 臣官房というポストを通じて、内閣官房、つまり、首相官邸という政治中 枢への関与も指摘できる(法務省設置法(平成11年法律第93号)3条2項、

4条2項そして法務省組織令3条44号)。これは、後に考察するように、

黒川の検察官としての経歴においても非常に特徴的なことである。この点 についてはすでに憲法学の立場から、検察官の役割が一般的なイメージで ある捜査や起訴といった法執行機関や刑事裁判の一当事者から、行政官と して政策形へと高度化・変質化しているとの指摘もあった(20)

 以上、検察官における大きな権限は、以下の①から③という刑事司法の すべての分野に及んでいることが確認できた。すなわち、①検察官として

【表1】2014年~ 2018年における起訴率と無罪率(裁判確定人員の無罪人数÷裁 判確定人員の総数)の推移;註16の統計から独自に作成

2018(H30) 2017(H29) 2016(H28) 2015(H27) 2014(H26)

起訴率

32.8% 32.9% 33.4% 33.4% 32.8%

無罪率

0.044% 0.043% 0.032% 0.026% 0.034%

通常想定される、法の執行段階、つまり、捜査→起訴→公判そして執行の 各段階の権限、②これらの根拠となる法令への関与、さらに③各法令を立 案する基礎となる時の内閣の政策への関与である。以上のような、刑事司 法における検察官の権限の広さ、深さこそが、本稿において、検察官の経 歴・人事について考察を加える意義である。以下では、黒川東京高検検事 長そして林眞琴と稲田伸夫という2人の検事としての経歴と、そこから見 える検察庁・法務省という組織における人事のパターンとその意義につい て考察を加える。

2.本論;分析と考察~黒川弘務東京高検検事長 などの経歴と人事について~

2-1.黒川弘務の検察官としての経歴についての分析

 (1)皮肉な形で検察官の経歴あるいは人事についてクローズアップさ せることになった、黒川東京高検検事長の検察官としての経歴を、「線」

として俯瞰する(併任などは除く。)。

 すなわち、東京高検検事長(2019(平成31)年61歳、以下、着任の年と年齢)

←法務事務次官(2016年59歳)←法務省大臣官房長(2011年54歳)←法務 省大臣官房付(2010年53歳)←松山地検検事正(2010年53歳)←法務省大 臣官房審議官(2008年51歳)←法務省大臣官房秘書課長(2006年49歳)←

法務省刑事局総務課長(2005年47歳)←法務省大臣官房参事官(2004年46 歳)←法務省大臣官房司法法制部司法法制課長(2001年44歳)←法務省大 臣官房司法法制調査部参事官(1998年41歳)←東京地検検事となる。以下 の【表2-1-1】【表2-1-2】とした。

 このように「線」としての黒川弘務の検察官の経歴を考察すると、以下 の3点を確認することができる。すなわち、第1に、これら1998(平成 10)年から、2019(平成31)年までの21年間においては、とにかく、東京 勤務が長いということである。上記のように、黒川は、東京地検検事から

(13)

東京高検検事長まで、12のポストを経ているが、そのうち地方勤務となっ たのは、松山地検検事正の1回のみであり、しかも、その期間も以下の【表 2-1-1】にあるように、ほんの2か月2週間程度(2010年8月10日か ら10月26日)でしかない。しかも、第2に、黒川が務めた上記12のポスト のうち、法務省関連のポストが9つあり、そのうち上記下線部で強調した ように、法務省大臣官房関連が7つもある。これは後述するように黒川に 特有な検察官としての経歴である。そして第3として、上記の黒川のポス トの任期はいずれも1年から2年であること、とはいえ、その中では法務 省大臣官房長の在職期間(2011 ~ 2016年54 ~ 59歳)が約5年と他と比べ て長いことである。たしかに、それは、自民党ではない民主党政権下にお ける未曾有の大災害であった東日本大震災(2011.3.11)の影響もあったか もしれない。いずれしても、法務省大臣官房関連のポストの経歴の多さと 同官房長の長さが、黒川の検察官としての後半の経歴における特徴と言え よう。

【表2-1-1】黒川弘務その1;東京高検検事長(2019(令和元年)年着任)まで(21)

ポスト 東京高検検事長 法務事務次官 法務省大臣官房長 法務省大臣官房付 松山地検検事正

職位 最高検検事

着任年月日 2019.1.18 2016.9.6 2011.8.26 2010.10.26 2010.8.10

着任年齢 61歳 59歳 54歳 53歳 53歳

【表2-1-2】黒川弘務その2;法務省大臣官房審議官・東京高検検事(2008(平 成20)年着任)まで(※は併任)(22)

ポスト 法務省大臣官房 審議官(総合政 策統括担当)

※ 内 閣 事 務 官

(内閣官房内閣 審議官・内閣官 房副長官補付)

法務省大臣官

房秘書課長 法務省刑事局 総務課長※同大臣官房 付(2005.12.

16 ~ 2006.7.6)

法務省大臣官房 参事官※ 内 閣 事 務 官

(内閣官房内閣 参 事 官( 内 閣 官 房 副 長 官 補 付))・内閣官房 地方分権推進室 参事官(2004.7.2

~ 2005.1.11)

法務省大臣官 房司法法制部 司法法制課長

職名 東京高検検事

※内閣事務官 東京高検検事 東京高検検事 東京地検検事 東京地検検事 着任年月日 2008.7.30 2006.7.6 2005.1.11 2004.1.16 2001.12.1

着任年齢 51歳 49歳 47歳 46歳 44歳

(14)

東京高検検事長まで、12のポストを経ているが、そのうち地方勤務となっ たのは、松山地検検事正の1回のみであり、しかも、その期間も以下の【表 2-1-1】にあるように、ほんの2か月2週間程度(2010年8月10日か ら10月26日)でしかない。しかも、第2に、黒川が務めた上記12のポスト のうち、法務省関連のポストが9つあり、そのうち上記下線部で強調した ように、法務省大臣官房関連が7つもある。これは後述するように黒川に 特有な検察官としての経歴である。そして第3として、上記の黒川のポス トの任期はいずれも1年から2年であること、とはいえ、その中では法務 省大臣官房長の在職期間(2011 ~ 2016年54 ~ 59歳)が約5年と他と比べ て長いことである。たしかに、それは、自民党ではない民主党政権下にお ける未曾有の大災害であった東日本大震災(2011.3.11)の影響もあったか もしれない。いずれしても、法務省大臣官房関連のポストの経歴の多さと 同官房長の長さが、黒川の検察官としての後半の経歴における特徴と言え よう。

【表2-1-1】黒川弘務その1;東京高検検事長(2019(令和元年)年着任)まで(21)

ポスト 東京高検検事長 法務事務次官 法務省大臣官房長 法務省大臣官房付 松山地検検事正

職位 最高検検事

着任年月日 2019.1.18 2016.9.6 2011.8.26 2010.10.26 2010.8.10

着任年齢 61歳 59歳 54歳 53歳 53歳

【表2-1-2】黒川弘務その2;法務省大臣官房審議官・東京高検検事(2008(平 成20)年着任)まで(※は併任)(22)

ポスト 法務省大臣官房 審議官(総合政 策統括担当)

※ 内 閣 事 務 官

(内閣官房内閣 審議官・内閣官 房副長官補付)

法務省大臣官

房秘書課長 法務省刑事局 総務課長※同大臣官房 付(2005.12.

16 ~ 2006.7.6)

法務省大臣官房 参事官※ 内 閣 事 務 官

(内閣官房内閣 参 事 官( 内 閣 官 房 副 長 官 補 付))・内閣官房 地方分権推進室 参事官(2004.7.2

~ 2005.1.11)

法務省大臣官 房司法法制部 司法法制課長

職名 東京高検検事

※内閣事務官 東京高検検事 東京高検検事 東京地検検事 東京地検検事 着任年月日 2008.7.30 2006.7.6 2005.1.11 2004.1.16 2001.12.1

着任年齢 51歳 49歳 47歳 46歳 44歳

 なお、大臣官房参事官から法務省刑事局総務課長の時期において、平成 14(2002)年度から16(2004)年度の司法試験二次試験の考査委員などを 併任している(23)。これもまた人事慣行なのかもしれない。この点は、他 の検察官の経歴をより網羅的に考察する必要があろう。

 (2)また、上記【表2-1-2】のさらに前の黒川の検察官としての 経歴は、法務省大臣官房司法法制調査部参事官(1998(平成10)年)、兼 任として法務省大臣官房司法法制調査部司法法制課外国法事務弁護士資格 審査室長(1998 ~ 2001)、さらに兼任として、法務省大臣官房司法法制調 査部司法法制課債権回収監督室長(1999 ~ 2001)となっている(24)。大臣 官房関連のポストも多いが、兼任の多さも目立つ。

 なお、東京地検検事に戻るまでの黒川の検察官としての主な経歴は、以 下のとおりである。すなわち、青森地検検事・青森地方検察庁弘前支部長

(1997年40歳)←東京地検検事・法務省刑事局付(1993年36歳)←東京地検 検事・法務省大臣官房秘書課付(1991年34歳)←名古屋地検検事←東京地検 検事←新潟地検検事←東京地検検事←福島地検検事←東京地検検事(初任 1983年26歳)である。1983(昭和58)年4月7日で初任となった東京地検 検事では、林眞琴と同じであったことはすでに指摘した(25)。原則として、

東京と地方とを交互に転勤を繰り返していることが分かるが、これは、上 記2つ【表】のような幹部の時期における黒川にはなかったことである。

 (3)以上、黒川弘務の検察官としての経歴を見てきた。ここでも、2 つのことが分かる。すなわち、第1に、1983年4月7日の初任から2020年 5月22日まで、37年間のうち、とくに40代からの後半は、その若いころと は異なって、東京かつ法務省での勤務であること、そして第2に、それと は対照的に若いうちは、上記のように東京と地方の検察庁支部とを交互に 転勤しながらも、1991年(34歳)のころから、すでに法務省大臣官房の職 にあったことである。このような東京中心、しかも、法務省大臣官房の職 を中心とした人事が、黒川における検察官としての経歴の特色と言えよう。

 とはいえ、このような黒川弘務の検察官としての経歴の意味、検察庁・

(15)

法務省の組織としての人事の意味についてより深く分析・理解するために は、さらに、林眞琴や稲田伸夫といった歴代の検事総長の経歴との比較が 必要と考える。また、法務省大臣官房参事官の時期に複数回にわたって併 任した内閣官房副長官補付という首相官邸との密接な関係については、後 に詳しく考察を加えたい。これは黒川の検察官としての経歴において、非 常に特徴的なものと言えるからである。

2-2.林眞琴の検察官としての経歴についての分析

 (1)執筆時点において検事総長の職にある林眞琴の検察官としての経 歴は、主として以下のとおりである。これも黒川東京高検検事長との比較 のために、45歳あたりまでの経歴を表にし、かつ、法務省大臣官房関連と、

さらに刑事局関連のポストにも下線を引いた。

 すなわち、検事総長(2020(令和2)年着任時62歳)←東京高検検事長

(2020年62歳)←名古屋高検検事長(2018年60歳)←法務省刑事局長(2014 年56歳)←仙台地検検事正(2013年55歳)←最高検総務部長(2012年54歳)

←法務事務官・法務省大臣官房付(2011年54歳)←法務省大臣官房人事課 長・法務省人事管理官(2008年50歳)←法務省刑事局総務課長(2006年48 歳)←法務省矯正局総務課長(2003年45歳)である。詳しくは、以下の【表 2-2-1】【表2-2-2】にまとめた。なお、林眞琴の場合は、上記 の黒川の場合とは異なり、法務事務次官、法務省大臣官房長の職は経ては いない。また総務・人事関係のポストも多く歴任している。

 とはいえ、林眞琴の検察官としての経歴を一覧として分析すると、気付 くことが3つある。すなわち、第1には、林の検察官としての経歴におけ る40代以降、つまり、2003 ~ 2020年(45歳から62歳)という17年のあい だには、黒川の場合と同じく、東京でかつ法務省における勤務であり、そ の期間も長いことである。すなわち、法務省矯正局総務課長から検事総長 になるまでは、主に10つのポストを経ているが、反対に、東京以外の地方 での勤務は2つ、つまり、仙台地検検事正(2013年)と、名古屋高検検事

(16)

法務省の組織としての人事の意味についてより深く分析・理解するために は、さらに、林眞琴や稲田伸夫といった歴代の検事総長の経歴との比較が 必要と考える。また、法務省大臣官房参事官の時期に複数回にわたって併 任した内閣官房副長官補付という首相官邸との密接な関係については、後 に詳しく考察を加えたい。これは黒川の検察官としての経歴において、非 常に特徴的なものと言えるからである。

2-2.林眞琴の検察官としての経歴についての分析

 (1)執筆時点において検事総長の職にある林眞琴の検察官としての経 歴は、主として以下のとおりである。これも黒川東京高検検事長との比較 のために、45歳あたりまでの経歴を表にし、かつ、法務省大臣官房関連と、

さらに刑事局関連のポストにも下線を引いた。

 すなわち、検事総長(2020(令和2)年着任時62歳)←東京高検検事長

(2020年62歳)←名古屋高検検事長(2018年60歳)←法務省刑事局長(2014 年56歳)←仙台地検検事正(2013年55歳)←最高検総務部長(2012年54歳)

←法務事務官・法務省大臣官房付(2011年54歳)←法務省大臣官房人事課 長・法務省人事管理官(2008年50歳)←法務省刑事局総務課長(2006年48 歳)←法務省矯正局総務課長(2003年45歳)である。詳しくは、以下の【表 2-2-1】【表2-2-2】にまとめた。なお、林眞琴の場合は、上記 の黒川の場合とは異なり、法務事務次官、法務省大臣官房長の職は経ては いない。また総務・人事関係のポストも多く歴任している。

 とはいえ、林眞琴の検察官としての経歴を一覧として分析すると、気付 くことが3つある。すなわち、第1には、林の検察官としての経歴におけ る40代以降、つまり、2003 ~ 2020年(45歳から62歳)という17年のあい だには、黒川の場合と同じく、東京でかつ法務省における勤務であり、そ の期間も長いことである。すなわち、法務省矯正局総務課長から検事総長 になるまでは、主に10つのポストを経ているが、反対に、東京以外の地方 での勤務は2つ、つまり、仙台地検検事正(2013年)と、名古屋高検検事

長(2018年)だけであった。そして第2に、黒川の場合と同じように、数 年で各職を転々と昇進していくが、その中でも、10のポストのうち、半分 の5つが法務省関連のポストであり、とりわけ、法務省刑事局長の在職期 間(2014 ~ 2018年56 ~ 60歳)が長いことが目に付く。やはり、当時、法 務省にとって最大の懸案事項であった、いわゆるテロ等準備罪の国会通過 対応のためであろうか。とはいえ、第3には、黒川の場合とは異なり、法 務省大臣官房関連の職は、それほどでもない(10のうち、2つのみ)とい うことも併せて指摘できる。これは、刑事局長を含めた刑事局長(2つ)

と同じ数である。この意味については改めて後に考察する。とはいえ、黒 川の場合と比較しての林眞琴の検察官としての経歴の特徴の一つは、官房 長の経歴が長かった黒川の場合とは異なって、林の場合は、刑事局長の在 職期間が長かったということになろう。以下、45歳までの経歴を【表】に まとめている。

 (2)【表2-2-2】より前、つまり、法務省矯正局総務課長より前の 林眞琴の検察官としての経歴は、刑事局関連のポストが多いと指摘できる。

すなわち、東京地検検事・法務省刑事局国際課長(2003.4.1)←法務省刑

【表2-2-1】林眞琴その1;検事総長(2020(令和2)年着任)まで(26)

ポスト 検事総長 東京高検検事長 名古屋高検検事長 法務省刑事局長 仙台地検検事正

職名 検事長 最高検検事

着任年月日 2020.7.17 2020.5.26 2018.1.9 2014.1.9 2013.7.5

着任年齢 62歳 62歳 60歳 56歳 55歳

【表2-2-2】林眞琴その2;最高検総務部長(2012(平成24)年着任)まで(27)

ポスト 最高検

総務部長 法務事務官

(法務省大臣 官房付)

法務省大臣官房人事課 長・法務省人事管理官

(~ 2011.4.8)

法務省刑事局

総務課長 法務省矯正局

総務課長

職名 最高検検事 最高検検事 最高検検事 東京高検検事 東京高検検事

着任年月日 2012.4.10 2011.8.1 2008.1.16 2006.1.6 2003.4.1

着任年齢 54歳 54歳 50歳 48歳 45歳

(17)

事局参事官(2000年43歳)で、この間に法務省刑事局総務課企画調査室長 と法務省人権擁護局付(2000 ~ 2003)、法務省大臣官房付(2001 ~ 2003)

を併任している(28)

 さらに、それ以前の東京地検検事・法務省大臣官房秘書課付(1998(平 成10)年40歳)となるまでの経歴は、様々である。その主な経歴は、以下 のとおりである。すなわち、高知地検検事・高知地検三席検事(1996年38 歳)←(在フランス日本国大使館一等書記官)外務事務官(1994年36歳)

←東京地検検事(1988年31歳)←浦和地方検察庁検事・浦和地方検察庁川 越支部勤務(1988年30歳)←甲府地方検察庁検事(1984年27歳)そして初 任地である1983(昭和58)年4月7日の東京地検検事となる(25歳)。なお、

本稿の「はじめに」で指摘したように、林眞琴と黒川弘務は、同時期に司 法修習を終了し、東京地検検事として着任している(29)

 (3)すなわち、東京地検検事として検察官キャリアを始めた林眞琴は、

1984年(26歳)から1998年(40歳)までの14年間は、日本全国各地そして 海外へ赴任している。とはいえ、他方で、検察官としての後半部分に当た る1998年から現在まで、すなわち、平成と令和のすべては東京からほとん ど、動いてはいない。例外は、仙台地検検事正(2013年55歳)と名古屋高 検検事長(2018年60歳)のときだけである。あとは、法務省刑事局関連(3 つ)と大臣官房の職の数(2つ)より多いことも指摘できる。これについ ては、後で再び考察したい。また、本稿の「はじめに」で指摘したように、

林眞琴は、現在の最高検次長検事落合と同じく、若いころに、外務事務官・

一等書記官として、在フランス日本国大使館に派遣されているが、このこ とについても後に考察を加えたい。

2-3.稲田伸夫の検察官としての経歴についての分析

 (1)次は、林眞琴と共に、法務官僚としてのキャリアが長く、総長候 補と目されてきたと、新聞で報道されていた稲田伸夫の経歴についてであ る(30)。これも、黒川との比較から、同じくらいの年齢(45歳程度)まで

(18)

事局参事官(2000年43歳)で、この間に法務省刑事局総務課企画調査室長 と法務省人権擁護局付(2000 ~ 2003)、法務省大臣官房付(2001 ~ 2003)

を併任している(28)

 さらに、それ以前の東京地検検事・法務省大臣官房秘書課付(1998(平 成10)年40歳)となるまでの経歴は、様々である。その主な経歴は、以下 のとおりである。すなわち、高知地検検事・高知地検三席検事(1996年38 歳)←(在フランス日本国大使館一等書記官)外務事務官(1994年36歳)

←東京地検検事(1988年31歳)←浦和地方検察庁検事・浦和地方検察庁川 越支部勤務(1988年30歳)←甲府地方検察庁検事(1984年27歳)そして初 任地である1983(昭和58)年4月7日の東京地検検事となる(25歳)。なお、

本稿の「はじめに」で指摘したように、林眞琴と黒川弘務は、同時期に司 法修習を終了し、東京地検検事として着任している(29)

 (3)すなわち、東京地検検事として検察官キャリアを始めた林眞琴は、

1984年(26歳)から1998年(40歳)までの14年間は、日本全国各地そして 海外へ赴任している。とはいえ、他方で、検察官としての後半部分に当た る1998年から現在まで、すなわち、平成と令和のすべては東京からほとん ど、動いてはいない。例外は、仙台地検検事正(2013年55歳)と名古屋高 検検事長(2018年60歳)のときだけである。あとは、法務省刑事局関連(3 つ)と大臣官房の職の数(2つ)より多いことも指摘できる。これについ ては、後で再び考察したい。また、本稿の「はじめに」で指摘したように、

林眞琴は、現在の最高検次長検事落合と同じく、若いころに、外務事務官・

一等書記官として、在フランス日本国大使館に派遣されているが、このこ とについても後に考察を加えたい。

2-3.稲田伸夫の検察官としての経歴についての分析

 (1)次は、林眞琴と共に、法務官僚としてのキャリアが長く、総長候 補と目されてきたと、新聞で報道されていた稲田伸夫の経歴についてであ る(30)。これも、黒川との比較から、同じくらいの年齢(45歳程度)まで

を一覧とする。稲田の場合においても、林眞琴の場合と同じように、刑事 局関連の人事と、大臣官房関連の人事にも、それぞれ下線部を引いた。

 すなわち、検事総長(2018年着任時61歳)←東京高検検事長(2017年61歳)

←仙台高検検事長(2016年60歳)←法務事務次官(2014年57歳)←法務省 刑事局長(2011年54歳)←法務省大臣官房長(2008年52歳)←山形地検検 事正(2008年51歳)←法務省大臣官房人事課長・法務省人事管理官(2005 年48歳)←法務省刑事局総務課長(2003年45歳)←法務省刑事局公安課長

(2002年45歳)となる。以下、【表2-3-1】【表2-3-2】にまとめた。

 ここで気が付くことは、3つある。すなわち、第1に、稲田伸夫の検察 官の経歴のうち、検事総長となった2018年までの、いわば後半部分の16年

(45歳)の経歴についてである。そこで務めたポストは10、うち東京以外 の勤務は、仙台高検検事長と山形検事正の2つのみであり、しかも、いず れも1年以内の在職期間である。あとは東京かつ法務省での勤務である。

すなわち、2018年までで務めたポストは10で、うち法務省関連のポストが 6つであった。これは、同じような年齢で10のポストを経た林が、うち5 つが法務省関連のものであったことよりは多いが、同じく黒川の12のポス トのうち、9つが法務省関連のポストであった場合よりは少ない。また第 2に、稲田が上記の期間で歴任した10のポストのうち、法務省大臣官房関 連のポストは2つで、刑事局関連は3つである。1998年から2019年までの 黒川が、法務省刑事局総務課長(2005年47歳)だけが刑事局関連の人事異 動であり、あとはすべて大臣官房関連のポストであったのとは、対照的な 経歴と言える。そして第3に、黒川や林眞琴の場合と同じように、いずれ のポストも1年から2年のあいだで転々としているが、稲田の場合におい ては、3年程度の在職期間となったのは、法務省大臣官房人事課長(2005

~ 2008年)と法務省刑事局長(2011 ~ 2014年)となっている。在職期間 において、大臣官房長が長かった黒川、刑事局長が長かった林とは異なる 特徴を確認することができる。

(19)

 (2)稲田における、上記【表2-3-2】、つまり、法務省刑事局公安 課長より前の主な経歴は、次のとおりである。すなわち、東京地検検事・

内閣法制局参事官(第一部司法制度改革法制室と第二部の併任(2001年44 歳))←法務省刑事局参事官(1997年41歳)←東京地検検事(1994年37歳)

←松山地検検事・松山地方検察庁西条支部長(1992年35歳)←東京地検検 事・法務省刑事局付(1986年29歳)←水戸地検検事(1985年27歳)←福岡 地検検事(1982年25歳)←東京地検検事(1981年25歳)である(33)。法務 省刑事局参事官の在職期間が、3年程度とやはり刑事局関連の職歴が長い。

 (3)以上、1981(昭和56)年4月7日の東京地検検事に25歳で任官し てから、2020年に64歳で退任するまでの約40年間における稲田伸夫の検察 官としての経歴を分析すると、分かることがある。すなわち、1994年に37 歳で東京地検検事となってから、退官するまで、東京からほぼ離れていな いこと、そして若いころから刑事局関連の人事異動が多いということもあ る。それ以外の特徴は、上で述べたとおりである。以下では、上記2人、

つまり、黒川、林との比較考察をしてみる。

2-4.検察官における経歴と人事についての考察

 (1)上記のように、黒川弘、林眞琴そして稲田伸夫という3名の検察

【表2-3-1】稲田伸夫その1;検事総長(2018(平成30)年着任)まで(31)

ポスト 検事総長 東京高検検事長 仙台高検検事長 法務事務次官 法務省刑事局局長

職名 最高検検事

着任年月日 2018.7.30 2017.9.7 2016.9.6 2014.1.9 2011.8.11

着任年齢 61歳 61歳 60歳 57歳 54歳

【表2-3-2】稲田伸夫その2;法務省大臣官房長(最高検検事)(2008(平 成20)年着任)まで(32)

ポスト 法務省大臣

官房長 山形地検

検事正 法務省大臣官房人事課

長・法務省人事管理官 法務省刑事局

総務課長 法務省刑事局 公安課長

職名 最高検検事 山形地検検事 最高検検事 東京高検検事 東京高検検事

着任年月日 2008.10.17 2008.1.16 2005.1.11 2003.1.6 2002.8.1

着任年齢 52歳 51歳 48歳 46歳 45歳

参照

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