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釜 餐 奪 翠 桑 釜

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釜餐奪翠桑釜

號三十六第

明治四十四年三月五日護行

(2)

十全會雑誌第六十三総目次麟故小原芳雄君宜像     0療著及實験⑳U電客暮げづδ訪く○ロ二二げΦ巳内Φ三二白ouぽ簿ΦHδ魯ΦuOお鱒けΦβ   コb︵一討娼暮げ90σQ討9ΦuωΦぼ①陣自. 丙臓及ビ病的産出液中二於ヶル結核菌ノ証明方法︒       ドクトル河合 鷹氏⑳晩三二於ヶル結核病治療ノ進歩︒      東京讐科大學生理學敏室       ド〃トル竹申繁次郡茂     0學   會働金澤讐學會︒ ○能登輪島海士町二於ヶル脚四病訓査報告︒       田 申 正 一氏       吉田 宗 一民

○特嚢性角膜脂肪愛性二就テ︒

○限局性皮慮潭腫ノニ例︒

○山望楼⊥ハ號ノ婦貝瞼二就一ア︒

○糖尿病ノ診断︒

     0漫

⑧小療芳雄君私懐ふ︒

     0抄

⑳山ハ○山ハ㎜號の新溶隔解法︒ 騰學博士ドグトルド〃トレ   ノ 高 安 右 入域飯蘇盆太邸氏飯森盆太郡氏佐々米  蓬氏八 田 智証氏.      O海外雑報鯵蹄ールリツヒ氏叙勲︒鐙レソ玉ゲン教授の叙勲︒⑳コッホ紀念碑︒⑧ノー不ナーゲル氏︒幽フランツ︑キヨーニツヒ氏︒⑬クレエンライy氏︒⑳キュリー夫入︒㊧搦逸諸大學の學生数︒⑭女讐︒⑲專門家︒㊧ロックフェラー病院︒     O内地雑報⑱各學四三會期日︒鰯北陸大學設立建議案︒⑭新博士學位申請論交題㊥陸海軍轡三三官現在鍛︒纏日本青年の均長及体重︒⑭越中富山の費藥︒⑧西尾病院落成式︒     O瀦稜月報⑫屠專校長會議の問題︒㊧讐転校ミ讐化學講座︒㊥宮城病院三炭式︒㊧熊本署衷校建築工程︒     O校内雑報⑳十詮會講話例會︒爵弓術射初式之記︒     O通   信㊧豊橋同窓會通信︒翻京都校友逓信︒@日野信次氏通信︒⑤松久禧馬氏の通信︒働加藤錠吉氏涌信二件︒@井村勇作氏懸信︒総大四瀬粕氏回信︒㊨韓清泉氏通信︒     O人  事⑳田申講師と紀念品︒伊藤哲一氏︒⑭笠間眞氏︒⑳鈴木寛之助氏︒㊧中野オ幸氏︒醗大西獺治氏︒⑳太田長作氏︒⑨田申義雄氏逝去︒⑭本四員軍欝學校入學︒㊧富田直氏︒⑳幅村深教氏︒⑳關承五三︒留田山三一氏︒⑳吉田圓磨氏︒鱒池部正竪氏逝去︒     O會  告㊤校外十全會費納付調書︒     0廣  告

(3)

六第講難.會:発十 mmVVYwwww−uv

テ﹁サナトワユム﹂チ開キテヨワ︑三下三百有余ノ多数二上〃二十ツダ︑併

シ之等ノ﹁サナリトユム﹂ハ総テ申高山デ︑最近二至ツテダボーゼ鎚霧村ノ

治療所が高山治療ノ効果チ示シテヨリ︑更二高山治療ノ大一勢トナツテ來タ︑

】兀メ﹄氣候ノ關係カラ由丁目ハ払m療テ低地︑由︻間︑吉向山ノ︸二種・トズル者漏ア︑〜海抜

三百メートル以下ハ低地治療︑三百メートル以上八百メートル迄ハ山間療

法︑八百メー︸ル以上千五百メi事ル霊亀ル迄チ高山治療ト云ツテ居マス︑

妓二一q冒スヘキハい近曲男結核治療ニハ﹄氣候ノ緻皿動力劇シノごト困ルが寒冷宜剛者

チ央シテ嫌ハナイ︑反テ寒氣自讃疾ノ功力ヲ來スノミカ更訂往々白雪が天

地チ覆フテ空摺子新鮮ニスルモノト信シラレテオ〃︑事實︑朔風膚チ掠ム︑

ル西比利亜ノ響応モ罠性二経過スル結核ノ流行地チ見︑南部温ナル伊太利

ノ馳二屯悪性二経過スル結核ノ流行地チ認ムルソーナ︑敬二今日結核界ノ

定論ハ寒暑ハ結核病批難與スル者二非ラスト信シラレ.テアル︒

糟紳療法トハ精紳ノ慰安チ計ル方法デ︑瑠核患者ハ大概ひがみ根性チ持ツ

テ居ルカラ︑種タノ手段チ用ヒテ慰安チ與へ子ハナラヌ︑﹁デ︑今日吾々ノ

尤モ罠策レスルノハ患者添膣師トノ精脚λ鰯接デ︑麟師ノ側ヨリ申セハ自

巳チ信管⁝もシムル者︑患看ノ側ヨリ申出ハ磐師チ信鯖隅スルノデアル︒

冷水摩擦ハ皮膚ノ硬牝︑舅体ノ硬牝b嘗著ゴUσQノ問題デ︑吾入ノ経瞼二

徴スレハ濃浴ハ皮膚テ翠蓋ナラシメ冷水浴ハ反テ硬化セシム〃様デアル︑

其他冷蔵ハ体内代謝二影響シ︑現二時トシテ食機テ促スコ屯覆フベカラザ

ル事實デァレ︑唯々其方法上注意スベキハ漸次小日リ大論︑弱キョリ強キ︑

南至ラシムルコデ︑漸進的亀冷氣チ三韓セシムルコデァルQ

衣服ノ理学凡テ軍旗チ主︸スルノデ︑住居ハ凡テ衛生的ノ者テ宜シトスル︒

体躁術ハ心馳進行セソレス〃結骸患者ニハ禁忌デアルガ︑陳慣ノ乱闘ハ三

夏セシムルノデアル︑余︾目下ノ庭デハ患者ユ鷹用サレテ居ナイ︒

       ︵以下垣下︶ ﹁一コ口一風騒繭凹一國一剛俺鴨層口隔一国口一國國醒一哺剛圏■口贈闘隅剛明幽闘圏踊瓢閣嗣隔冒=哺印飼一禰鞠口属凹噺鳳印潤嘱胃曙

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勧金澤望薄會記事三旱日︶︵交責ハ記者ニアリ︶

改暦第一回ノ例飼チ無子懇親會チ金谷舘上二開催ス︑時日如月十日北陸ノ

空何時ニナク晴レテ春陽ノ氣携二巴レ快談笑藷定刻チ過グル午後三時二十

分︑長宗我部副會長立ツテ公議ノ旨チ告ゲ高安會長用向ノ響胴少時渥刻ノ

由チ報セラレタリ︑今黒土其日程ノ大要ヲ録セソカナ︒

 ◎能登輸島海士町昌於ケル脚公認調査報告

      田 中 正 一下

      吉 田 宗 一氏

田申氏立ツテ述べテ日〃︑昨年秋季同地方脚氣蔓延シテ罹病者百三一余名

昌達シ死者九・名チ出シテ麟學會ノ一問題トナルや飛禽ニチハ同二民チ滋シ

テ同病ノ㎜闘査チ命ゼラレ昨年山−一刀入h口轡田地チ出婁シ.九n野間ノロロ柵数チ⁝閣隅シ

テ同地ノ土地風俗生活業態チ検シ傍ラ同病患者ノ診察二野事シテ原因及病

状等チ研メタリ︑堂島タルや海上ノ一孤島ニシテ海面チ揖ヅル謬最高八間

何尺ノ灘⁝地一圃シテ雨天昌ハ河水汎濫シテ不潔チ極メ島民ノ住居.ハ一時的小

屋一縣仙ケニシテ夏郊︑ノニ期ニョリテ宜ハ仕一難チ毘ハニシ冬︐平滑本白西門アワテ潜濡小

漁業二從ヒ衣類器識ハ等ノ生活状熊亦大二趣チ異ニシ食物ハ来食ニシテ大酒

ノ癖チ有シ昨年ハ悪性ノ混成酒テ用躰タリ塾︑患渚ノ年齢ハ最少十五歳ニ

シテ一党脊同盃十五二成脚達シ一一十・歳凸助単二旦取多聯函ナリトテ踊︸八段及寛蟹遍ハチ馳畑一示シ

筒ホ同島ノ歴更ヨリ詳細二報告セラル︑筈ナリシ兎時間ノ都合上後回三議

リデ降橿セラレシバ甚ダ遣憾ナリキ︒

︵學 曾︶

(4)

︵學會︶

號三十:六籏講難曾六十

 0特登性角膜脂肪属性二就テ    讐三章士 高 安 右 入氏

角膜脂肪攣性ハ績登性二來ル事珍︑ラシカラズ然シ予ノ實重量三アハ何等豫

メ疾病ナクシテ漸時角膜混濁チ來シ然モ鏡塁上脂肪緻皿性ナリシチ以テ特登

庸角膜脂肪綴侃性ト名ケテ可ナラムト

患者︑十玉歳ノ農女ニシテ父ハ八年前憩経ノ疾病ニテ弊レ母ハ健康ニシテ

兄弟四人共二健康ナリ︑

E佳症︑七入歳頃ヨリ時々結膜炎?二罹ワ十歳噂右眼角膜混濁シ次デ左眼

二竜同様混濁チ來シ漸時増進シ流涙干害アリシモ事解nロニテ治スルチ例ト

セリ爽作ハ四日乃至三十日毎二來リ観力モ登作毎二減退セリ︒

現症︑体絡榮養才筆︑局部症状玉︐シテ壽明充血アリ一年前ヨリ﹁トラ水

一睡ヲ有ス眼球結膜充血シ周擁充血チ見〃角膜ハ星眼共二混濁シ共二膨

隆セリ混濁炭自色議長︑方形ノモノニシテ集合款チナシ︑透明ナ︑ル部分

二旨リテ境介セラレ表面ニハ周圏ヨリ血管入りテ殆屯慢性パソヌス歌ヲ呈

ス︒経過︑入院時分混濁ハ増加シ左眼ハ造田強シ覗力右眼一来突二於テ︵ス子

ルレソ氏表︶1一60︑左眼ハ軍二工60ナリ︒右眼角膜ノ外側二於テ其一片

チ切除シ氷結﹁ミクロ塾ーム﹂ニテ固定切片チ作り染色鏡鐙ノ結果脂肪慶性

ニシテ瀞ーマン書下所々欠除セルモ炎症ノ病状チ認ムベキモノナカリキ

︵標本供萱︶故塁特登性ノ角膜脂肪攣野駆シテ照覧スル所以ナリ︑三献トシ

テハ︑列レエフエ氏書ニハ脂肪攣性ナ〃モノア〃モ下襲性ニシテ只一例

訓釧目氏ノ報告チ登見頃シノミナリキトテ慧渚チ供覧セラレ爾水老人弓

脂肪墜性ノ標本圖及實爲圖チ供覧セラル

 O限局性皮膚浮腫ノニ例      ドク下ル 飯森盆太郡氏

限局性皮膚海腫ハ日本一=プモ多註数ノ報告アリ其本体バクエンキー.氏が始メ

テ報告シ爲メニクエンキ氏病ト禰セリ本病ノ原野ハ種々アリテ寒冒︑門経

牲︑魍勢等ナリト然シ沐態二至リテ即今轟ホ不二ナリプル三十ハ血液ノ 自家申毒ナリ下墨フ然シ血管淋経ノ隙碍ニョリ來ルナラソトテ左ノニ例チ曲報

垂祉ZラレタリO

第一︑†三歳ノ上童ニシテ一日山遊ビニ行キ寒冒ノ氣・啄アリシが前額部二

七⊥○㎝ノ腫起チ來シ次デ肘關節部足蹴二同腫チ登シ善導ナク蒼白色チ

呈シ熱ハ三十竜野三分食慾ハ不振すリキ肘關節部下ハ紅班アリ足蹴ハ歩行

時二歴痛アリ次ノ日ヨリ腹痛チ登シ盲膓餌鳥症状チ呈セリハルビルグトソ

氏ノ言ニヨレバ内臓ニモ來〃ト云フ

第二例︑本年一月丑日十六歳ノ男子二階ノ頬部下眼瞼部二村檬症チ獲セル

モノチ見タリトQ

 Oエハ百山ハ號ノ応貝瞼昌就テ        ドク・トル  飯森盆山八郡氏

氏ハ咽頭潰瘍及パペ〃チ有髪シ患者五人二付キ同捌チ注射セシニ効果アリ︒シモ一例ハ鼻翼部ノ潰瘍上々増加シ不潔トナリ漿液チ出セルチ見シトO

 ◎腸ヂプスノ榊経系症状二型テ  三等軍戸正 三崎麟之助氏

日露戦役二於ケル該病患者煎千六百餓名ノ病症日誌チ槍シ其患者チ軽症︑.

重壁︑悪性︑潜延性ノ四症二匠別シクルシユマンノ法ニョリテ二丁纏症胱

チ検シ顔貌ハ本病ノ豫后チ定メ得ルモ乙叫デ第一二頭重頭痛チ登シ頭痛ハ

必螢症ニテ軽症借書ニハ熟二比例シ不眠口前騙期ヨリ來ルコ少ナグシ流重

聴ハ多ク存在シ意識湖濁シテ不安鷹野状トナリ重症ノ患者ニハ繰狂状態ノ

少ナ〃ハ其以前二死去スル昌基キ幻覚急襲講語ノ内容二至リテハ準時同病

二二ルモノト下々赴チ異ニシ多グ被害的ニシテ當時ノ糖淋状態チ披歴シ感

情ハ一般二不快ニテ愉快ニアリシバ只一名チ見タワトテ精細⁝ナル統計チ指

示セラル O糖尿病ノ診噺      ﹂屠隠士佐々木 蓬氏

糖尿病ノ菰枕ハ糖尿ノ証明:リテ容暑謬噺シ得ルト云ヘハ軽易ノ如キ

毛其ハ本病ノ重症確ニシテ纏ノ存在スル時モ本病ナラザル事アリテ其間大

二研究スベキ債値チ認ム糖尿病診噺ノ基礎タルや勿論第一二検査蕪ニシテ

(5)

號三十六第講轍曾塗十

    N.VnvMN.N.N VN L−v.V糖量ノ攣動ハ種々ノ關係アルモ就三食一中ノ含水炭素二關係スルコト大ナ 各尿二就テ槍査スルチ要ス︑ 槍糖上%ハ・勿論含有ノ糖モ稀 樺セラレテ糖ノ証明セラレザル事アルチ以テ 排泄分量少ナル吐合ニチハ量二於テ多量ナル朝食前ノ無糖尿チ混ズル時ハ 冨凹ノ尿槍ニチハ不可ニシテ一日量二付キテ槍査スルノ必要アリ然レド賠 非常ナレ憂動アワテ殊二朝食前晶ハ糖ノ証明不能ナル事チ通例トス故細雪 第ニニ其程度トス糖尿排泄ノ程度な就テハ本病二於テモ尿中糖ノ排泄量二

ルハ注意スベク食後籔落目ノ尿ハ多クハ無糖ナリ第ニニハ食後一時間以内

ノ尿ハ多クハ無糖ナリト糖ノ排泄経過買付テハ食後一定時昌排泄チ始メ漸

次上昇シテ再ビ下降シ次食前ニハ福二復スルチ例ト然ルニ食後三時間ノモ

ノハ多クハ紹﹃頒二達ス以上ノ理チ以テ織詰後三時間以後ニシテ第一回ノ尿チ

樵スルチ要ス街其排泄穐分量ハ同シキモ時間二差アリ或ハ三時間或ハ五晧

間或ハ八蒔間ニテ同一分量チ排ス叉同一患者ニチモ日ニョリテ差異チ見ル

可〃此ノ綴鉦剛ハ各個人ノ生活生霊取力ノ關係ニヨリテ來ルナラムAコ締胴尿ノ

財/oヲ以ナ軽重テ定ムルハ不可能ニシテ則チ墨入が含水炭素ノ類化作用テ見

ルニ第一燃焼第ニグレコーゲソ第三脂肪下記費或ハ類化スルモノ亀シテ尚

ホ過分ナレ8第四尿中上騰鄙チ排泄入ルモノナルチ以テ生活状態及ビ食物

昌ヨリテ異ナルハ明ガナリトス敏二一定ノ條件ノ下二於テ始メテ第四ノ槍

尿ハ第一第・二千三ノ磯能ノ健疾チ窺ヒ得ベキ屯ノナリ其他食物性糖尿アリ

テ縞⁝尿病性糖尿ト学歴別スベシトテ轡具論聯例テ孤綿⁝二表一不畝テ執心流酬セラレタリ   討論 来村吉太耶氏

高安會長閉曾ノ僻チナシ引績キ翻心認識二日リ日中ノ理屈メキシ体ハ跡モナ

グ直面テ一同談笑雪裡二晩餐テ共ニシ散會セシバ午後九時頃ナリキ

      ︵幅田美明記︶ 臼団尾翼=一購ロロ=口旧一口=篇帽鰯一一一一一一一一脚國口属口廓一■唱印一印胴剛帽嘱嗣圏阿隅一隅卿躍麟一■一炬翻一蘭闘一

●小原芳雄君を懐ふ

ひミしく是れ花である︑燗慢として咲き沖qふも花であるが︑牛馬の見頃ふ

        め ヘ へ あ  も カ も む ヘ ヘ ヘ へ  も ヘ ヘ へ  も カ も じ も    ぬ ヒ ものも亦花であろ︑而も將に綻ひんとして一夜風雨の爲に咲きも得ぜす地に

も へ  ぬ へ  も ヘ ヘ ヘ  ヘ ヘ ヘ へ  も セ  あ ぬ  ゆ カ も も  た へ も た も セ も塗みるの花に至てに實に忌むべく哀しむべきでにあるまいか

      む   む む     む       も へ も も も もぐへ も  も も も へ小原君に謹厚誠直極めて篤行篤學の人であろ︑その專攻の病理學に精通し

へ た  も ヘ  セ カ  ミ ヘ  ヘ へ な ヘ カ も    ぬ も も へ  し も も も  た む ヘ ヘ  ヘ ヤ も た セ も造稽の︑深かりしに勿論であるが︑餓力な以て幾多の學科以外の書籍私渉狸

も  も ヘ ヘ へ も ヘ へ も ロ た ヘ へ も も も セ ヘ ヘ ヘ へ た ヘ へ た ら へ も ヘ ミ へ もし︑いよく其根底φ強の盆自尽立脚の礎地な固めらる㌧に力められ六こ

も へ も  も も  も た  ぬ ヘ  ヘ ヘ ヘ へとは實に驚くべきものであろ︑されど君に徒らに書籍に囚ぼれ心々役々と

して一生な研究室裡に縛ぜらる㌧の管窮でにふかつれ︑同時に所謂曲學阿

世的の人でもふかった︑從て日頃閲逮か求め虚榮に狂ふ襟ふこミに微塵も

   セ ぬ も へ も も ヘ ヘ ヤ も も セ ぬ へ も も  ゐ へ た へ た も ヘ へ も も  へ ぬ ヘ へふく︑謙譲自ら卑ふし至誠ε奮番線以て極めて地味に極めて牛馬に串か虚

へ    ヘ  ヘ  ヘ  ヨ  ヘ  カ  も  へ  も  た  ヘ  カ  ヘ  マ  ヘキぬ  た  も  た  へ  もし︑不言之彪實織し不語自ら躬行ゼられれのである       一度需な訪れれ者に︑君が野生時代より十年ム日の如く替らふかつ六下宿 むご  の二階六盤に︑所狡きまでに積み重れられたる書籍の間に没頭ぜしを見れ

であらふ︑その無雑作に積み上げられねる中にに︑專問書あ切幾多の科學

書あり丈學雑誌あり宗教雑誌あり醗學雑誌ありε云ふ風で︑原書濾槻籍和本︑

耳.目の慮る㌧虞心の欲する庭︑手にまかぜ騎えす之私急き自得ミ修養に資

し︑柳かにても日就月將底止すろ所を知らざろ世の進運にζくれざらんミ      勉められれのである︑而も一度君な病理教室に訪れたものに︑整然ぜして

其の一糸乱れさる底の光景に接しれであらふ︑一汎の馨書及專門書の書架

︵漫録︶

(6)

︵漫録︶

ノ、

六第言霜雑曹盈十 號三

にあろは固より︑﹃シャーレ﹄や﹃デッキ﹄の末に早うまで秩序正しく排列ぜ

られ︑君が研究の一撃手一投足に勢な省き繁か逓け罪常に便利ん與へ六ε

思ばろ︑叉机上にばいつ見ても書籍の開かれざろはふく︑本秘讃むこと㌧

仕事なすろこと㌧ぼ寸時も怠らず一意專心孜々εして止まふかつ六のであ

ろO    む君は講師として病理総論な講し︑﹁ツエクチオソ﹂に當の親しく脂導ぜられ

六が︑一度教壇に立つや愚息爽かに流暢εして些の淀みふく浮.れからそれ

へ電順序よノ\口為牌倒いて出つる虞︑蛸静々拙慌ます倦まざ掘りしにに學生一同粛

然ミして襟潜正しれ¢︐云ふ事であろ︑君ば比較的年少で髄格も飴り大きく

ふく且り小供らしく見ねれ入であろが︑學生中にに反て君.ムも年上で叉

以前より入麺し麗人もあり︑或は堂々ご美鷺なひれり或に妻子葎携へれる

もありしが︑饗い前に出て㌧は實に鞠蛎如月りで推服措かふかつ六もので

あろ︑5の學生認可に能くある︑事に托して授業が休まんことな希ふ者あ

ろや馬君には是粍一に自巳の翻心の足らさる爲自巳の講義の徹底ぜさろ爲

とふし︑自ら已な責め泣いて之に磨封ぜられ六のである︑而して一度君の

口答試瞼な受け六るほどの者に君が親切にして丁寧ふ乃且つ學ふ庭の該博

にして各科に焙⁝通ぜろに博いれミ云ふこεである︑これ親しく君に教か受

け其驚陶に浴した人々の實話であるが︑余に正に獲ろべし書信ずる       む君の病理教室に在ろや其業蹟は一に他日の大成海期ぜられたろこミ﹂て︑

研究業蹟亡してに今特に之な避くろ丈のこミにふいが︑其の一汎病理學に

重て博く且つ精しく攻究ぜられしこぜに云ふまでもふく︑守髄解剖毎に主

ピして顯燃傲鏡的山刀面の検⁝杏一に從寅Ψゼられ︑宜︵の﹁プ耳トコールしに記ろさろ

︑庭11微に入り紬を極め從來未力曾て有らざろ恨みリオ聞く冷而して雪に

は三十九年山山月村上上田爾⁝敏授岡本山本爾氏と︑彼の一時天下を驚倒し六

ろ越中の舅99暮置研究の爲に︑一笠一槍︑論田熊無ミ同一山系六る能登

噛羽咋郡管池地方へ踏査ぜら︑れ.衷こε.があろ︑啓田島男の研一究一報出門μ︑﹁石一川〜縣豊 津蝋管池地方に於けろ奇病調査報告岡本京太耶外四名﹂ミして本誌第四十二號滑九年十月登行︶に詳しく載ぜてあろが︑執筆に岡本氏ゑうも統計表⁝寧ろの⁝労苦を要する大串は君の成す塵であって︑其謄界に貢献ぜし⁝労に叉即すべ炉らざうものε思ふ       む君ば久しく維誌部委員とふり自ら筆な執り自ら元稿秘纏め自ら之か校正し︑繁獣ふろ活版所ぐ﹂の交渉の如き一々自ら塵理案配ぜられれ︑多くの人々即ち直接雑誌編輯奄取扱にざち多くの準々にヨモや御承知あろまいが︑庇雑誌が捧へろミ云ふことほど手籔のか\ろ而倒ふものはあろまいε思ふ︑その手数のか㌧ろ面倒ふことば親しく之に携につたこミのふき人にに想像だも及ばぬものである︑固より本誌に從ふ者に報酬ミか賞僻とかを望んで醸すものに一人も無い︑皆何れも校を思ひ露な思ひ且つに士別貝相互の爲に各多忙ふる自邸の職責以外に其寸暇な割いて勉むるのであろ︑四十一年六月君には本誌の爲に第一號より難事十號に至る四十二頁に及ぶ      む総髪索引を編纂ぜられカが︑その詳細にtて周到ふる︑其勢ご功とに本誌創刊︑き︑に十有五年毎員☆るもの一千五百に飴うも︑蓋し君存推して第︸       もしヘ ヘ へ  た ヘ ヘ ヘ  ヘ ヘ ヘ へ  も へ たミふし強ち過當ふらずミ信ずる︑而して君か頭謄の緻密にしていかに組織め  ヘ  ヘ  へ的ふろかは署ほ之な誰して参りあるのである元仁君は蒲柳の質で︑其第一回の略血なぜられたのに四十一年の八月で第二飼に十月であろ︑君にば既の如き病勢にも係らず病なつミめて高安兜生在職廿年親署會の報告書葎書かれたのであろ︑難じき年†一月余は鳴呼恩師小川勝陳先生一篇な附録ミして本誌第王+二丁に描げれこミがある︑そに同にしか・きに﹁某日・九度五分の熟葎も敢てぜす本誌の爲に圭ら筆墨らる㌧小原芳雄兄に逢ふ︑曰く小川先生の爲に何か書き給はめ?・::﹂と記ろぜし如く︑君の誓言に基き余の執筆輯録し六ものであろ︑あまり長篇にわたれろε巻頭に先生の小照か載すろミにより︑不時に少ふからぬ費用秘要すろこミ㌧ふり︑君ににいろ!\苦心に苦心な

(7)

號三十:六第野駈亀會壷十

重れられ六か︑遂に全責任秘員ふて我等が希望秘充噴され六︑余ば常に恩      セ  も師か懐ふ毎に琵事秘回想して誠に感謝措く能にさうものであろ︑實に君に

も ヘ モ  へ も も  へ も ぬ も ヒ た ヘ へ も  セ も ヤ  ヘ へ な ヘ ヘ ヘ ヘ  コリ へ も も も も ヘ へ自今の責任を重んし世の軽薄オ子の如く之を輕んじ之な逓けろ様ふ享は央

め  ヘ  カ  へしてふく︑事毎に陰に斯る美風か螢揮ばられたものである醤馬糞鐸轡笹書ぎして欝瀞響爲響て鐸馨烏黒に

耀くされ六ことは非常なものであろ︑既に束生時代に於て慈善院が爾彦三

五番丁の一隅にあのれる頃より一着な捧げて墨痒ぜられ六︑加之同志の者

 ヘ ヘ  ヘ  ヘ ヘ  ヘ ヘ  ヘ  ヘ ヘ ヘ ヘ  ヘ へ  も  へ書時に工費が投じて投藥施療也られ六︑鋤の如くして君にに屡次略血すろ

様にふりても︑少しく容態の輕脱するや多少の熟螢や疲擁秘厭はす露呈ぐ︑

していつもの如く淺餅川の上流向山の一角ヘテクくいよわれた︑慈善院

内彼の憐むべく頼よりふき孤凋の病入に野して衷心全面の念禁ずる能ば

ず︑或に釈蜀を堺で瀞狸甜ボ碧紛卿い之な救ひ之勉瀦はんミ專ら學生を⁝猫       ヘ ヘ  へ罰しつ㌧學校の薄め教室の爲め疾をつピめて出向にれれのであろ︑︾・の熱心Pぴで博愛ボか輻☆奪敬の思に感謝の誠な濃くべきものである      内地にに中等以上の教育に直筆ぜらる\博物學者にエりて組織ぜらる\搏鯉卿鯉ふろものあり︑渚にに之に關干し其の一員.てあっれ︑叉小川村上鞘              む教授によりて企てられ力彼の支秘語會の中紹ぜし後に︑蕾市田骨堂に於て

第九師團支那語講師某氏が特に夜間開講せし語感會へも濁り入會ぜられ

た︑勿論三生時代より毎年暑中休暇には東上猫逸語五壇に餓念ふかりしは專まで怪く盃郡懸盤詐鯉裸寒して鑑二習馨られ︑

細心能く衛生虐診麟につミめられれこピに︑八面鋒鉾行くとして可ふらざ

るふきの験態であっ六

}君ノ此の如くいろくのこ電に陶磁められカが︑ 君には省成妙謝⁝すべ毒漏勲功職逗

蹟があろのである︑君に夙に當地厚界ハに博士術的會合の一つだにふく其の       研究心の頗ス乏しき葎慨し︑自ら卒先して難事集談會ふス・ものを組織し経

始怠らず克く勉められカ︑同會の基源に去輯九年の春島佃岡本氏等の結語 に就て研究調査してにいかがεの意見相子ぜすして一致し六慮から起つたもので︑當初は素よ︐疏々象るものに過ぎふかつれが︑臨床︵島田吉三鄭︶小鬼結核岡本京太郎︶細菌智計牝學︵島牧政孝︶病理︵小原芳雄︶治療︵中島誠︶ど云ふ具合にそれ︐文受持分据か定め︑霜曇の範圃内に於て書籍や雑誌の識讃等か爲し︑毎月一回病理教室に寄り其の結果な互に報告し合つれものである︑それが漸次會員の増加し骸溶すうに從ひ軍に結核のみに止らす讐年上の問題ふらばその何湿る准問にざうに至り且つ金澤商業回議所に於て夜間開會すろ様にふつ.れ︑斯く會の鴬張ミ獲展ミにつれ會長の必要麺      ヘ  へ生し衆の推す庭遂に鱈な以て會長ミふし︑爲に君にに會計庶務通信は勿論万事自ら之葎塵理し些の遺憾ふからしめられた事は今省衆の記憶に薪ふる庭であろ然るに時勢の推移ミ外界の刺戟とに︑こ㌧に陸軍側ご開業讐と墨校病院側      む   εの有志相寄り意見の交換私⁝逐げ新に金澤圏學會なうものか起すに至つれ︑開業讐側よりに叢談鉱員煎る飯森岡本二氏其の折衝に當られたろ存以て乃ち集談會な解散して會員全部その儘金澤碧學會の會員となつ六︑斯くして出來力金澤醤學會に.隔月†日開催實瞼叉ほ論者等に就て各講演する趣味あろ會合であろが︑其の成立の動機より去へば全く讐事茄即談會の一幕化         ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ  も  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へし六ものであろ︑從て金澤轄學會の存在すろ限りに假令集新旧の名ばなくヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ  も  あ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ  へとも君が精耕定君が生命ぜに永遠に滋ゼざるものミ謂にれにふら鎗︑即ち此黙に於て我等は深く君が遺功か肝銘ぜればなら鴻のである以上は君那病理教室在職中に於けろ余が知れる範園の一端に魍きぬ︑從て笠ハ全豹な蛍宜減定云ふ・如・き手廣い・もので一ほもミよりふい︑然し若し君の一面にても傳へ君の牛面にても偲ふこ亡な得ば我願ひに足れるのであろ︑君にに嫁に力めて自評の爲す塵自已の行ふ虚な外に顯にさふかった人であろから隠れ六ろ事蹟はマ契一多いこミだらふと信ずる︑余は隠れ六る逸事逸

話…フ鰹ふべくして傳ふろに由ふきな嘆ずるミ共に君か知人君が先輩君が⁝教

︵漫鍮︶

(8)

三十六第誌難曹盈十

︵漫録︶

私受け執る人々より之な動き之な侮へんことな切生するのである

君は村上教授の下に在ろこε五星霜︑初に勿論健全であっ六︑本誌巻頭に       む      リ       カ も セ も な も へ掲げ駆る小照の如き去四十年紀元節撮影のものであろが︑其青春燃一9るが

 ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ も  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘロヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ ヘ  へ  も  ヘ  へ  も  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ如き希茎私以て充六され☆濃乎六ろ風貌と云ひ譲乎たる容姿と云ひ實に懐

へ  へ  も  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  モ  ヘ  ヘ  ヘ    ヘ  ヘ  ヘ  へ  も  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ ヘ  へ も  ヘ  ヘ ロヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へかしさに堪ねみのである︑然うに君が万難私欝ぜ沁雄々しき奮劇的過度の

ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ハ ヘ ヘ セ へ も ヘ ヘ へ も も ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ勉働は寛に沼なして復起つ能にさらしむるに至六らしめ六      前唄の如く窟に知り何事も外に顯にさぬ人であった︑病氣のことふど戊る

べく秘して語らず叉人に診察な乞ふなど㌧云ふことに殆んとふかつ六︑從

て君が父兄始め亭生能く君か知って居ろ人々にても其病状に就てに濁り多       くな知られふいつ六と云ふ︑依て今少しく君が病歴に就て記うずも亦強ち

無用の業ではみるまいε信ずる       も  も  ヘ  ヘ  へさきにも認るぜし通り君の第一回略血は四+一年の八月+二日である︑五

ナ一號附録第六並頁に余が﹁去†二日夕病理教室にて篤學5る小原講師突

然裂惚惚憾あり六るも驚き給にさ・りしことや﹂と意うせし如く︑讃にに全

室仕事の始宋葎亡し將に教室な蹴ぜんとしつ㌦ありしミき突然骨壷ぜられ

六のであろ︑君にに從容ミして直に細菌槍査なぜられれうも﹁ヂストマ﹂卵

も騰菌も見ねふかつれのであろ︑そこで翌朝咽喉の⁝音量秘乞にんとて我が

金城療病院へ來られ藤・升氏の一朝〃葎受けられたが︑藤井氏には慰安の爲︾め

咽喉部に血管の怒張充血して一部破れカろ痕ありミ云ひ︑つとめて其の氣

な引き失望落膿ぜしめさらんと謀られ糞のである︑霊室の記録によれば艦

上五竜︑八薮とあろの外何等の所見も記るされす叉投樂もして無いが︑其

後爾三圃受診せられ糞様に思ふ

而してか﹂る疾の或口虚して顯にろ㌧日無きに非さうに勿論であろ︑元首       む     し む む       む     む   む   し つ君には蒲柳の賢とて學生暗代よりその學の爲に殉死プる姦以て自任して居

       られ六が︑一方健康保持の必要上顎防的に結麗糊曹篤ふどひうかに用ゐら

れ六事もあろ︑而も君の行くεして可ならざる事ふ昏多方面に亘れる過度

       ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ  し   へ  も  ヘ  ヘ     ヘ ヘ  への勉強に︑その心帥に+分の蝕裕ありしに係らす一秒な惜み一分な孚ふ勇

へ  ヘ  ヘ  ヘ  マ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ      へ夢心短毛のなひりし細め遽に其健康な失するに至ったのである︑︒思ふに本

へ  も ヘ ヘ  ヘ  へ  も  ヘ  へ  ぬ  ヘ ヘ  ヘ  へ  も ヘ  ヘ  ヘ ヘ  ヘ  セ  あ  も  ヘ  ヘ  へ  も  む  ヘ  へ誌総索引な編灰ぜられ塗る如き或は略解な憩うに至つ力誘因の一であっカ

らふε思ふ

忘れもぜの全年四月余が金澤病院嫌人科の爲め十全會の爲め珈⁝炉後來に資

ぜんとの考あり︑即ち科の爲には過去の事蹟の浬滅ぜざる檬﹁山科の歴・奥﹂

存書き︑會の爲には從來雑誌部には壷皿εか編輯員とか直接の關係にふか

りしも屡禿筆か弄し六縁より一つ目録にても編んで見よう炉ε思ひ君に話

し☆こピがあろ︑然るに君に11既に前以て画意ありしオ見セ2索引彪作るべ

く目下考案申だミ申されたから︑夫でに君に於てヤツチグレ給へと云ひ︑

僕も一度蹉跣して蕊り蝕り健ふらざ初し貞のそれ切り血盟の歴史さへも書

いすに今の病院へ韓するに至ったのであろ︑かくて其の出來上りカる索引﹁

な見るに驚くべし頗ろ精細にして完備ぜろ何人の力なも借らず濁力にて成

       ヘ  へ  も  ヘ ヘ ヘ  へ ち  ヘ  ヘ ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ  ぬ  ヘ ヘ カ  ヘ        ヘ  ヘ ヘ へし遂げられたる︑而して庇索引の成る頃より君の健康11薪能られ六⁝標に思

か︑而も磐の一向介意すろ威ふき暑中休暇にふろも孜々として教室に幽入

し日夕研究の歩武な進められれのである

次て九月新産繭に入ろぜ共に叉講義か爲し︑外見上人目にに格別の異常も

蝿を2ざりしが︑矢張時ならぬ輕熱が晧々あっ六のであろ︑今に臼も忘れ果

て六が十月の某日︑第二回の略血なせられ六︑その際に前に比して少量な

りしも君にに入に秘して語らす私かに服藥なぜられたので︑余が﹁某日九

度五分の熟た敢てして爾本誌の爲に筆な執られし六亡君い六のは丁度批際

である︑亦高安先生のニナ年覗賀會の報告書のおくれ六のも此時である︑

   ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ し ヘ へされど君には猴且つ教室の人六り教壇の人立りで依然定して自巳の職務

に服して居られ︑六のに只々驚くの外にふかつれ

君にに此の如く病三諦戦ひふがら偏に勉められ糞か︑四+三年二月岡本氏        ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ      ヘ モ ヘ ヘ へに贈られ穿る手紙︵第九桔謬照︶にある如く︑其歳も暮れ明くろ四ナニ年の

(9)

論甕灘蜜

號三十六隈笹一曹一十 紀元節第三国の略血なぜられれのでめろ︑校則凱罵り結果丁度同月初よリ  へ  も  ヘ  ヘ  へ  も  も  へ

        ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ モ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ も ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ後學断髪瞼あり︑自ら多数の叢生奄相手に終日口答試順靱か績行せられしが

 ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ   お  ヘ  セ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ そもく之秘誘馴し六りであろ.熱に八度内外な昇降し九度以上に昇ろこ

とに稀なりしも.略血り多量にして長く酸きしこεに約二週間にも及び隔

5の間仰臥安静︐手炉の鹸票ぽもだより︑少しの動揺にても颪ぐ血液栖見

るものいら︑庇際より診療にいそしまれ託る岡本氏は勿論︑時として同宿

の直立言詮の峯角注射な受け︑或時に止むふく自ら注射な試み其止血なばかられたのである︑然るに幸にも日を間みし月か経うに從ひ漸次佳良の経

過か取り︑思置咲き初あt頃にに人の肩に任几りつ﹂低歩蹄尽し得る.にい糞

り︑日に増し力つき元仁加拭うにつれ海市美川にも遊び︑遂に長途の漁乗

にも差支ふしと贅ゆうに及び︑當地なあεに東上ゼらろ㌧に至ったのであ

る︑當暗紀念の爲めにεて一夜訪問の上三宅花翫女良の﹁御⑳趣卿﹂前壷

 られたが︑之5︒余が君に會ひt最後にして叉永久の紀念物εなつ六のであろ.余は直に表紙の見返へしに﹁病友小原芳雄兄に信州之人にして篤學謹

直夙に衆に推重ぜらろ︑不H東上すεの事︑すふにち今智來訪り序︑病中

聯か好意か表ぜし紀念ピして本書秘贈らる︑厚誼誠に深謝すべし︑明治四

十ご巳丁年六月中漸五夜識﹂ε書きごめしが︑次でその出螢な聞くに及び

更に﹁小原氏一昨二十三B朝野リ順番列単にて東上ぜられれり巳踏破水無

月廿五日﹂ε記ろし六︑ゴ

東上の途中輻井敦賀名古屋等下車の上︑名所な熾れ故蹟を訪ひその曲紳葎

縦にぜられたが︑東上後む亦読図妬養ふに專らつεめられ︑健康の釜懐復

     ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ も ヘ ヘ ヘ へ も へのも ヘ ヘ ヘ ヘ へするにつれ毛月より東京醤科大甘病醐教室に入り山極博士指導の下に研鐙

 ヘ ヘ ヘ へ       ワ   む     アや       に從更し︑・全年八月にに出二黒下へ日本佳血吸虫病調査の爲に進んで自費

 な以ズ出張し︑日夕顯微鏡と⁝診療に佑殺されつ㌧酷暑炎熟の苦ε戦ばれ六︑

﹂御三卸量の報葎得た我等に實に人知れず遙に君が勇に多大の憂慮な馳ぜカ のであろが︑幸にも何峯もふく臨京ぜられたのに大に喜ばしく思ふ庭であ    た セ セ へ も もった ︵君が通信峯昭⁝m⁝︶その後君が健康に釜快復して素八眼にに全くの健人定映し六と見ρ2︑父兄  む       む風裾開業ε結婚との二問題が提出ぜられ六ものミ察ぜらる曳︑即ち翌四†三年二月岡本氏に宛てられ六る手紙によるも︑如何に君が此問題の爲に苦心し焦慮し且つ其一舟な吐露して相計られたか分るのである︑岡本氏の談によれば︑全増にぼ多大の感情秘以てその結婚奄す﹂められ六ミのこミにて︑君も亦馨學者εしての立揚よリ大に苦心滲憺ぜられ六るもの㌧︑周国の享情上涙な呑んで父兄の意に從ふべく愚心ぜられたものと推せらろ︑余に自己の経験⁝上まれ七二問題り爲にいかに苦慮狽悶したかな思ひ︑一に幸に故恩師先生の温き全情によりて解櫛したるもの﹄︑他の一は今璽族の者より畦々迫らろ.あ煩に堪ねぬこビを聯想して︑層一層君が銘の上に衷心全戸の涙な画き融存絞ろのである託の如く君に二問題の爲に苦しみふがらも︑蝕機ふく父兄の意に從ひ結婚もし大復位勤り傍ら開業もぜられた︑されど躍ご野互選拠⑳脚樹ρい蜘田蜘﹁ヘ ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ ヘ  ヘ ヘ  ヘ  へ  を  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ知人へに殆んど全く古園不布製なつ六︑今にして之な悪へば︼に多忙ふる五一に程ふく叉健康を失ぜられし爲に心ふらずも失望ぜられたもの魚思はる㌧︑昨春楽岡本氏に會ふ毎にいつも君の話が出て︑︑ドーシテ居るのであらふ︑或に叉無理存して健康秘害し六のでにあるまいかふざ噂し︑殊に昨夏島田吉三鄭氏が新潟醤學專門學校赴任の途君秘大沼に訪ひしに︑既三月斗も前より出勤ぜられ・ずとのこぜに空しく臨られたりと聞くに及び︑一層不思議に堪セ2ざい︐しがツイ今年の正月も亦画所が繰返されたのであろ︑      モヘ ヘ ヘ      ヘ ヘ ヘ      ヘ  へ  も   ヘ  ヘ  ヘ  へ  も  ヘ  モ      ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ へ然るに驚くべし意外にも正月†三日の夕ゐ令兄眞一郎氏より死亡ミの案内あり︑丁度全夜新年會あり︑自ら案内状秘懐にして行春︑席上うの話の幽つるに及び岡本氏亦案内か受け繁りと云ひ︑藤井米村山田生駒田中氏等ε共に一同惜擁り涙にくれ☆のであろ︑そこで何か君の爲に紀念品な遣さん

ミ云ふあ蝉追悼會な螢まん三冨ふあサ︑甲案乙議︑散會の途上爾いろノ¥

︵漫簸︶

(10)

號三十六協議魏曾盈十

︵漫録﹀

       も  ヘ      ヘ  ヘ      へ  あ へ あ       への親が出力然し取敢へず印刷申の本誌に吊蹴な揚げ且つ紀念品計画の企あ

ろこと前面報すべく醸し六

  ロ       へ も も も ヤ而して君が大古出勤後の模檬に︑露量余が問合ぜに謝して長輿助教授より

掴答ぜ3れ六る左の一丈によりて略ほ察ぜらろ\が︑君ににその蝕暇を以

て著蓮に曲事ぜられの︒げα目けの器無Φの名蝕σΦ︒Ωの謬纂な試みられ六師の名に

よりて刊行ぜんミ企てつ︑あっれのであろ︑叉雑誌轟轟世界にも關漂して

親しく筆益軌られ六︑

  拝復︑︵省略︶︑抵御問合ぜの件︑ 一︑教室に來られしば四十二年七月頃

  にて︑教室に欠勤勝ミふられしに四十三年四月以降に御座候 一︑教

  室在勤中は非常の勉強にて同室者︵約十一ご二名︶も感服致居候様乎に御

  座候︑研究事項としてに四†二年八月鵬士裂織︵當時の助手︶と共に山

  梨縣下へ出張日本住血吸虫病の實験的研究葎ぜられれろこと有之候︑

  其様蹟は爾氏共未登庸ぜす随て不明に御座候︑小生の知砂居ろ範園に

  てに絡別の新畑見ふく登表する丈の材料なかりしと存候︑其外金澤に

  て實爆ぜる骨軟化症の標本に就て更に槍鏡致居られ候 一﹁︑教室在學

  申は温厚篤實にて非常の勉強家蝿るな失11ず︑暇ある毎に書見に飴念

  ふかりしもの︑如く︑健康状態も當初は格別の事ふかりしも咳漱に不

  細︸有之候由︑併し在正中格別病勢増悪の様子も見受けざりし由に御座

  候  右要用のみ申上灘草々 ご月九日   ヒ長與叉郎︑

       む む    叉君が開業後死に至ろの模様に︑令兄より画答ぜられカろ左の親書ボ最も

       ヘ へ あ ヘ へ ゐ あ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ能く重重顯聾して居る︑その令弟に劃オる友情の濃かにして感慨措く能に蟄ひい砂かか︑脚瀞⑳の沿諦ひいいで肺前P獅いひかか熱か魎知日ひかい

ヘ ヘ ヘ ヘ へ ゐ ヘ ヘ ヘ ヘ へ し  へ も ヘ ヘ へ      む   誰か一郭泣かざうも¢あらんやである︑余は會員諸子が粛然定して一再ふ

らず職諦ぜらろ曳こピな信して疑に沁のである

        帯   *   蔚   蒔   馨

拝啓・愚弟芳雄死虫に付御丁寧みろ御悔状に接し難有霧前に拝諦仕候

.生前は一方ならぬ御愛顧を蒙の衙窟な慰する爲色々の御.催し被成下ミの御申越高書も影面家族一同奉深謝候小生後蓮の次第にて不在ふりし

に依り葬儀後御壷知申上け何とも失命の段御紅塵上絵去る廿六日に三

弛の梯に相留り候問法會致し小生アト始末の爲廿八日上京仕候遺物秘

整理候塵御両人様の御芳墨多々有之如何に亡弟が學生所代ニリ終世御

愛顧な蒙り居鶴へしが實に感謝の言葉も無之候

亡弟ば昨年四月大學出勤の餓暇開業してパソを得ろ一助となさんぜ粟

鴫酬へ開⁝葉致し候同化ミ同暗に﹂不便山労々⁝從妹奄妻に取女り候︵妻陣μ長聯門山回同姐守

女學倉出鍔︶開業當時ば業務の忙しきにつれ大學ぺ出輌勤せす六月に至

りて微悲の爲業務の傍ら静養致居候八月中旬よの健康盆々勝れす終に

就褥致候家族の心配一通りふらず名讐よりの受診葎進むるも肯せす只

自已の威方にて服藥療養仕居り幸ひ十月下旬にに鯨程狭方と相成串候

されど此問少しも筆等為拓らす爲に何れへも御無沙汰仕候兄弟も皆ふ

らざる皆横方へも失禮致し何とも申諜無之候併し病氣故と思召し不悪

御海容被下度願上候十二月初旬亦復容態悪しく相成候旨通知有之候間

小生他の所用な兼れ上京致し色々相談の結果東京の地も中々寒き故署

院な譲波し一先つ敬郷へ蹄り正月にても終へて何れへか韓地療養ふす

事に決定し同入妻及犬槻文雄︵從弟の高等農學校生徒︶の三人にて十二

月十九日故郷へ蹄り申候小生11跡整理の爲滞京致し居り候長途の疲勢

と遽に寒き所へ來りしミにて咽喉な痛め且つ非常に衰弱葎盆し候ゆへ

家入親族の鴫診か勧むるも聞かず去れど容躰盆々悪敷相成候間逮ての

家人の勧海容れ十二月廿七日上諏訪町︵六里な隔つ︶に開業ふし居ろ吾

々の義兄弟に當る︵姉の良入の弟︶讐學士有賀峰次郎氏︵金澤高等學校

田勇にて亡弟の金澤瀦專狡へ入學當時同宿なし居り監督萬端みし呉れ       むむし入︶の診察か受け申候聞く其際に互に掲蓮語にて談話為墾換し小生

(11)

 ・號三・幸六第言志難右転幸

N.LN ,.NNN−x..vrwnvnnfiLM一 V V VA−tuNwwA.VmmVvA..X.NNN−v .

α0︵︶◎0000QOlOOOGσσOOOOααOσOσOOOGOに本年一杯に片附くや否や家人に病氣の學ば零し芙れるふふご云ひし

む       む む む      コむ む り      由臨郷當疇より本入に既に⁝・:⁝な期し居りしにやされど家人の心配

      む       う      を慮りて少し〜︒死の近づきしを語らず居候正月に入りて皆様より恐恐

つ       む      ぜし年賀状東京より廻逡相茨候もの秘看護港に護まぜ具々暗涙に咽び

        む む      む              む   居り︸言も饗︑亀ず此暗の心情や如何ふりしぐ﹂傍らのものも袖な絞り申

候六日の目に湖よの容子の攣りし爲如何ふるや索溝ぬれば攣りふしミ

云ふ善通の病人亡異り漫りに欝師存頼むミ云ふ謬に塗らず心配ふし居

りしに午後二暗俄に容子一匹す︵當地に岸田愈の滅期て附近に講師さ      む   む  へふく一撃出か隔つ︶讐師へ急使な走らぜ候乳黒門に.合はず眠るが如〃く死

       去筆太臨終の際⁝母上に向ひアノナヘアノナへな繰返し叡ムるのみにて

︵入田曰くアノナへぐ㌧に信州にても伊那地方に云ふ詞にして東京語の

アノ子なりミ聞く︶少しも苦痛葎感ぜざろ容子に有之し由︑東京に居

る小生︵︑午後三笠学﹁ヨシチキドクスグカヘレ﹂︑﹁シスイツカヘルヘ

ソ﹂ミの電報二通同聴に着仕候小生の驚愕唯掘然︑取敢へず﹁アスカ      ヘルソウギノヨウイシロしとの電報を深し候︑鳴呼止んぬるか苔鳴呼㌍が凝が翻却型響㌍潔御隠⑳卸四P卿⑳加砂算置加軸和痴ゆ御脚卸ゆ

      む       む     む       む  大ふるにもぜよ希望⁝に向いて進みつ\ありしに申h途にしマ︑干れし心畢の

      如何に怒号ふりしか如何に無念ふりしかと其れが氣の毒の事ぜ愚痴居

     り由候︑種々整理ふし翌七日ナ一碧東京を螢し臨途に就き十二卑申に

於ける小生の感慨交々相往來し濡しふから涙に暮れ申候實は去る滑九

年十一月愛弟重徳中盤五年生にて東京にて赤痢病に罹り大弓病院に治

療︵小生始終附添手切芳雄も金澤より態々見舞に來れり︶致し候も藥石

効ふく終に死去日暮里火葬霧に茶毘一片の煙遠隔え遽骨な持ち臨り今

叉n庁附⁝に來りし小生が東山黒に居の故郷に愛弟な失ひ打電に接し繍⁝謝す

ろεに不燃不幸小生の慶知き者ぼ世にあらざるべくn政郷↓に必仕ろ老父母の

心申亦如何ふるやと其のみ氣に懸切篭候小生冶申上ぐうも員如き事ふ が争軽軽響群薄謬詳解籾胆華麗器禦齢樋む            れ羨望ぜられし均が病氣εに云へ早世ずる書に前世如何ふる罪か造り○・つ○OQOOO.○○○○OQOQOOOOOOO⊃O⊃OOOOOしか我が家ば悪.塊に呪岨ぼれたるにに非ずやふど悲嘆の涙に漁車中な○ O O O O Q O O O O O O O OO O Q O Q O O O O OO O O O O OO過ご〜轟轟夜驚暗牟家着死しカる事の知らせふりしより斯くあるべしO O O O O Q O O Q O O O O O Q Q Q Q O O O O O O Q O O O Q Q Qぐ︑ば期しつ㌧も篇目のあれリ白衣もて蔽ばれ六るむくろを見ては一暦O O O O O OO O Q QO O Q Q O O   O O Q O O OO Q OO O Q Q       の感な屠し彼が眼鏡の下に眼れる眼︑堅く閉ちたる口の開かすやぐ﹂恨  む む む   む む む む む む む   む   む む む     む   ムリ   む            むむ むみ申候入生悲哀の極小生の淺學ふる形容寸る丈葦毛知らす宜敷御推察     願上置斯くてあるべきにあらざれば泣くぐ枢に玉門翌八日午後二暗親族知已朋友の見慮りな受け葬儀相螢み申候法號に 旭光齋智徳芳雄居士 に候會葬者皆前途有爲の當地の花な失ひし葎惜しみ悲しみ一座寂ミして聲ふく涙を潭べ曾侶の聲さへ泣聲に聞へ申候此日曇天も亦憐むに生食候南無阿彌陀佛・⁝:・・︒御申越の窩眞最近撮影のもの更に黒蝿候貴地長流方の内へ差上申候ものにても有之候ばぼ御用ひ被下度候生徒よりのもの四葉兎に角御迭り申上候四†二年五月廿八日病後の撮影にあま好痔ぜ居りいかぜやε家⁝人に其複寓意に引延ばしか氣遣び居り候御客考までに差上申候次第につき宜敷御取斗ひ被志度候日誌㎝叉ば感想丈等ぼ昨年四月より更に無之岩間左標御承知願上制憲氣に就・ての胱熊も前途の如く有賀氏唯一回の診察丈にて詳しき事は不明の由ふれど其確の容態は.全氏より直接貴工︐.

へ申上ぐろ事に候問御了承願上候

葬儀の際の吊韓語に長野縣下の四極聞及東京新聞の二種へ掲載され候

もの必要に御座候ばΨ御⁝送り可申上候岡本様よ・り御恵.迭に預り候北國

新聞難有言伝窟前に供し語論

山廊に山し弟所藏の内の出胸入の爲島島二十山ハ葉︵八田曰く倫閃隔催甑病調四杏一の爲山山

張ゼられしときの篤厚ふり︶同じく御事附置上候間學校ふり病院ふり

へ御影膳徽刀願上下

︵漫 録︶

(12)

六三翻贈黒眉→4rvL kJ N LN V−L.M

 一

︵漫 隷︶

書籍も澤山有之候得共小生等門外漢には書名すら不明ε云ふ次第にて

慮置に老馬居切妻

乍末筆皆な機へ可然御鳳聲の程願上候早速故郷より御通知申上ぐべき

の虚俗事に取紛ぎれ屠り延引の段申課無之候不姐御海容願上候 敬胤︵

  四十四年二月一日     東京にて  小原眞一.郎

    岡本檬  入田檬

次回 右書き終り候塵へ八田標よりの御芳墨ミ†全曾雑誌故郷より廻

逡拝堂仕71候故人の爲記念物秘遺すべく皆檬御配慮の上着々御進捗被

下候との事恐縮の至りに堪ぬず候小生よりの御通知延引致十段悪罵至

纒にて申課の言葉も無御座候何牽御宥恕願上候 頓首

爾御尋れの亡弟妻懐胎の義†一月初旬三二あり一門家驕爪先生の診察

を受け治療致居候塵同月廿八日流産致候重れくの不幸御推察願上候

亡弟も是が爲に非常に心勢もし落膿もふし候様子にて或に此等が死存

早めし一因かεこぼし申候

     *    *    *    静    *

       *    *    *    静    孫

へ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ も ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ   ちさはれ天もし前途多望ふる雪に假すに爪何†年の歳月秘以て贈るあらば︑君

で  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ  ゐ  ヘ  へ  も  へ  も  ヘ  へ  ヘ  ヘ  へ   コ も  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ  も  へにに確に學界な衝動し世人彪啓登プる幾多ら研究薬蹟秘機表せられたに相︑︑︑       ○OOOOO.OOOQOOOOOOOOOOOO違ふい︑暑にほ日頃病理學專攻にに是非理化學の素養ふかるべからすとし︑

彼の博物學曾に關係せし如き正に之か爲である︑その東上に際しても之よ

りゆる文理化學を修め且つ病理學に一生な委れん畳悟なりと申されれ

が︑鱒ハ甜卿ひで衡づ野寄囎到珊ω翼︑デか君粗野緒ρ朗麟勘鋤

へ  ヘ  ヘ  ヘ ヘ  ヘ  ヘ ヘ  ヘ  ヘ  ミ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ ノ  ヘ  へ  しも ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ  も一歩に於て敢なくも童心貝の不幸立見六のに︑君かやるゼふき心申のほど淘

へ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へに想察するに絵りあるのである

  む        り   む       む       パリ む     むげに君に三ナ四年讐專校εふり索ろ我校の花であっれ︑その二六ろ朝日に

pt4b

      ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へリ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へに悲謂ふ櫻花でにふくて咲・きも得私す賓の山風に散﹂り失ぜれ軸雷であった︑ぜめ      ヘ ヘ ヘ ヘ  ヘ ヘ ヘ       ヘ ムへて中開の見頃にも達しふば勘くも惜かろまじきに︑鳴呼々々我等の惜しむ︑︑︑︑︑︑︑︑智︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑       OOOOO庭こ﹂にあり我等の悲しむ塵全くこ㌧に在ろのであろ︑⁝⁝あにれく

      む     む  芳雄之君川⁝臆あにれ小原兄川⁝  四†四年紀元節の夜申君か露な偲ひつ︑ 八田智証識す

      馨    *    菅    *    *

        愚   *   *   笹   菅

入の眞情な吐露し其實呪か窺ふには日常復ぜし樋門に如くものにあるまい    ︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑OOOぐ﹂思ふ︑余は今君が眞惰秘偲ひその實況在窺ふべく漸く蒐め得力る君か病

       ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ

にし君か遣翰⁝ぜみつれのげPいへすくも残二心で・あろ      む 後の門司な福けて前回姦補遣し且つ参照に資せん亡思ふ︑此等の幣息や終

      回  ︵豪轡総督官邸絡バカキ八田氏宛︶

御近況伺上国︑御配慮か煩にし三浦の病氣も御蔭慷にて日にぐ佳良に赴

き候ま﹂他事ふがら御放念被成下度候

過日病初より堆積の書信等為披讃弓庭三惑奥に預り候小川教授マ﹂の御窩眞

及ひ貴翰⁝拝諦︑同病相憐ミの條いつもふからの御厚惰⁝に惑泣仕り候︑當時

綱島氏が寸光録を散讃致居り氏が心裡を憧夙ふの念動・き居り一候︸際にて胸奥に

潜める血塊の活躍を禁じ得ざりしわけにて候 不一

  四十一年三月世日      大手町病褥にて   芳   雄

      ニ  へ壷井橋本左内の墓総バカキ全量宛︶

私儀咋朝突然田襲︑漂涙生活の第一歩か膜み出し候︑御暇乞にも塗堂仕ら

す欠禮致し候︑多年の御厚誼秘痒謝し今後も相墜らす御交際の程願上候︑

昨日幅井に下車︑殆んε六時間の長き足羽山の眺望藤島帥壮左内墓︵實に

みすぼらしきものこ︑に橋本家代々の墓︑菩提寺あり︶︑城跡な見物︑五暗

更に南下七時すぎ敦賀に下璽仕91候︑こ︑のこミは後便よリ︑貴院諸君に

よろしく願上座︑雨天︑

参照

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