翁餐青翠桑釜
巻七 →一口
號三関
(号虎四+七第)
明治四十五年三月二十五日獲行
︷︷
︸螢
〜へ〜︷⁝
〜 ︸
︵ +会會羅訳舞三歳嚢號昌次 O原著及實駿●潤︐内図グソル氏.開・..ノ結核病二封スル
解熱作用︒ ドグ下〃竹中繁次郎 一
●肺百斯篤患者二封スか綿紗覆口試瞼︒
清郵貯天防疫官 松 王 数 男 =
●男性﹁ヒステリー﹂患者供愛︒
若杉病院 寺 尾 秀 三 回国
〇通 信
●久保武氏逸信︒●清水秀夫氏通倍︒●編田美明氏通信︒●矢吹清氏
溢信︒●相馬甲五郎氏通信︒●和田政範氏撞信︒●植西武彦氏溢信︒
●延川靖氏逸倍︒0森田齋次氏題倍︒●岩崎勝治氏逓信︒
O校内雑報
●香林會例會の記︒
〜ーー〜〜一 O叙任及辞令●海軍省︒●金澤讐學恵門學校︒●石川縣︒ O人 事●伊藤喬氏︒●吉尾開道氏︒●勝田美明氏︒●上野善造氏︒●吉田圓磨氏︒●高田信弘氏︒●絹川義温氏︒ O會 告●校外特別書生脅費領牧調書︒
き
昆馳噂量鑑思犀3置昌二二剛喚幽=置■魁画魯濫=−員暑讐隔楓鵬島=回m胴===旨嗣昌=費留一月+五日
通
信
⑫久保武氏逓信 ︵山︑婆︒金子︒松原敏授宛︶
急撃ば三十一年本校な卒業して目下満洲雄學堂の解剖學敏授こして活
動中なるこ亡能く人の知る所なり
謹啓其後皆々襟御攣リも無之陸田御亭申上候李素ば思ひながら御無音に打
過ぎ亭に御亭被下落候迂生儀無事勤務罷在り候間乍琿御休神被下階候
當地筆墨の寒さ難しき事ば漣も朝鮮︵京城︶などの比にあらず戸外ば寒風強
烈日︻も口も開き得ざろ位にて併し宿舎内にば﹁ペチカ﹂定配する者有之壁を
利用ぜる大﹁ストーブ﹂にて潮タ図鑑石炭な入れば終日暖かく﹁コダソ﹂の必
要も無之候
風土喜憂の異れる響けそれ丈小生の立脚地こしザ︑學右上多少趣味の山仔する
所思へば反って一愉h快奄感すへき次儲弟ご存候爵校ば愈々本年申に全都新築の
筈にて既嬉プラーy﹂も毘來居り候目下解剖學敏室のみば猫立ぜる一家屋
︵隔離病舎葎改築じて︶にあり日本人の助手二名使ひ居り候本科生に本年度
に日本人︵二十名︶のみ故覇鮮人や支那人に向っての敬授ε異り全く日本の
専門學校同様に感じ申候凡て原名な用う︶十二月二十入日より二月十日町
稼唄に候翼下例の鯛鮮人に写する論交婚編に付き着手致候昨年棄京にて党成ぜろ分ば愈々大陸紀要にて出版の事小金井先生よりも通知有之候微力な
から栗り掛子れろ舟故彼岸に淫ぜすんば己まざる畳悟に御座候將來ば倍奮
の御愛顧御指導儲り上げ奉り候先ば右時候御見舞労野寺に御座候早々 一〜/ 南満奉天鐵路西コ︑第圏十入號ノ一 ・久 保 一 ︐
⑬清水秀夫賃通信 ︵一月+入日禦入田智証氏宛︶
︵三十五年卒業︒陸軍一等軍盤︶
武
拝復.久し振りにて家郷の状況殊に母校の近況委細御通知御下町有揮讃近
來の快事にて有之候︑大兄盆・・御三健御健康も今や奮に倍し金城之地に依
然御攻學結構の事に御座候︑小生ば去る四十三年の三月に土地を後ごに東
京方面に復館致度考の塵︐當時欠員もなく先ウ彫りに千葉の三道聯隊附に
補ぜられ聖書︑千葉町ミ思ひきや千蘂町にば聯隊あろも小生の任地ば此よ
り三里詣り聡江戸に近い方の層志野ケ原の南端津田沼ざ申す寒村なる第三
大隊附ならんごに︑一寸驚きもぜしも永くも置くまじ建我慢して當時ば隊
より一里遷りあろ船橋マ﹂云ふ千葉街道上の本宿に一寸れ輿な据ねしは同じ
年の同じ上高り者︐蜥って置くが鐵道豫ば工兵で其の任務ば鐵道の布設破
壌蓮轄等特種の隊なる事ば既に御存じの如く︑夫れ故棄京ば両國橋騨より
銚子方面︑房総線でば大原一ノ宮方面︑さてに成田鐵道等何れも官私設♂
も乗務員ご云ふもの乗り込みて鐵道院ピ痩絡存保ち實ハ智ば是等の地道に乗
り組みて勤務すろマ・云ふ課で其の聡影で﹁コントラ﹂迄も﹁ブリ!バンス﹂ご
云ふものを総裁より呉れてある︑ソマリ大臣や議員檬ε同資格で此の騒々
の鐵道ばドコデモ一等客で大意張りロバで乗りロバで降りるヅウ〜︑しさ
是れが一寸埋土隊建云ふもの㍉役徳なり.御承知ならんも習志野は廣潤な
ろ卒原兵隊さんの調練にば持って難いの地大筒掛でも馬溜りの隊でも自由
自・在に飛び廻.り駈け廻り戦さの稽古が出來る頗る調法な土地なれば並に騎
兵第十三︑十四︐十五︑十六聯隊亡云ふ四ソの隊ご鐵道隊の三大隊亡炉あ
るビ云ぶ始末︑尤も騎兵隊ば津田沼罵より一里もあり此虚にば習志野衛戊
︵通信︶第十七懸 第三號 一一一第七十四號一九
︵題信︶第十七饗 第三號 一一二第七十四號二〇
﹁病院亡云ふ金澤のものより稽小規模の病院迄ある︑鐵道隊に﹁ステーショ
ン﹂の直ぐ前で﹁プラントホーム﹂まり土踏まぬ位に行く事が出來る︐先つ隊
の方ば盛れ位に止めて置いてサテ船橋に居住ばし六もの㌧一里の道に調車
で逸らにやならぬ︑纏れが朝晩面倒でぬまらぬ︑尤も隊の將校ば多く此式
為取って居れども予の如き朝寝坊の横着者ばこても時間々々に駈け附くろ
のがうるさくてならぬのビ其の内一入の伊欝が學校に行つ岩手εで隊の直
く近所に引越す事に決心し六が︑近所ば何れもれ百姓榛で四方輪講なる田
畑の冴々に森林の驚つた内に点々亡して強屋根が見へろ位チツトも町らし
くになく純然六る村なるも聯隊が畠來六りしたの亡何かにつげて町制に吹
め六ご云ふ理屈幽の寒村︑満洲のチヤソコロ式土畏に髪髭揃うものに御座
候︑崎守の七月に久々田マ﹂云ふ村落に引越し外歩東京に禺掛けて平字粉ε
云ふ筋もあれど住めば都ミば置く云ふ六もの︑魚屋も野面も追ひ/︑ピ手
に入る近所の土工ビも懇意になる子供が病んどうから診て呉れミ云ふ治れ
ばれ芋や大根秘れ禮に持って來る︑ヲイロもきく標になろ︑先づコソナ調
子で早や一年牟以上不自由な慰んで居住する事になつれ︑君が予の螺任を
知︑bぬ三遍ふけれども是れば何かの思遣だらふ+全會雑誌にも出て謂うし
叉昨年の年賀状も出して居ろ︑畢寛フダy聡星檬に御無音の結果ならん︒
一画面噺りして置きます︑以後ば宜敷願ひミス
さて此の間に一■度尾山なも訪問しよと思つぬザれども︑毫澱で山の紳の話
が纏まり四十一年東京にて貰び翌四十二年春夏一男潜へり韻し家族に東京
に威し厚意︑意馬渡豪する蛸壷雲斗り四十三年に配り翌年春にツギ込み全年
十二月に次男たヘリ出すビ云ふ順序で一寸で國へも蹄られず︑一度山の紳
に尾山の兼六公園も見ぜて置く必要あれど貧乏閑なしで聡腹が太炉つカり
赤ん坊が居つ☆り鍔体がフライごなればれ金がなかつ瘡り思ふ襟にば謬ら
ぬもの︑本年こそは奮署して一家氏族引具して恥墓詣で亡出掛け度計叢あ
れ・ど渋れもドウなる事やら其の蕩起至らざれば朋か・り牢さず殊群本年﹂四︐ ︸血︑六月に秋田踏みカに川徴丘岡愉⁝査に出稼ε云ふ囎rもあ認ツ︑先つくイザ福野の時にれ知らぜ致す事ビしょふ︑御地の同窓請兄何れ毛御歴々の方々亡なられまし六︑夫れに引換へ小生等ば誠に野間敷ものじや煽膿味噌の退行攣性ば其極に蓮し何一つ毘ね六新知識ばなしマセルものぽ口穿りで理屈ば一ご逸り並べても陳腐な理由ば涌り不申︑εても日進月歩の讐學には追ひ付くどころの詣にあらす貢げぬ言出して雑誌譜他嵩んですら診れすら飲み込みが悪ぐイヤハや自分であきれれ者︑然も︑︑んな事が御好の爲めで御奉公じゃミ思ひ直して腹も立てず何んの事ばない腰辮連の端くれ宜敷だ暫ドーゾ六ケ敷轟轟や攻究の事ば君等各階門の事に御一任して不相攣兵隊さんの金玉や聡尻の穴でも覗いて居ろ下冷で一生涯な吊る庚心︑ナソ下心細い事じゃ︑サハサリ乍ら同期で同じ時代に面桶飯な喰ひ一︑二︑一︑二なやつれ連中で揃ひも揃ふて東京方面に集まる電ば奇巡じゃ︑先つ堰田の㎡力大人奄筆頭に彼ば第一師團軍讐部員ぐ﹂云ふハのき腫れるれ役目先づ五年忌ら男Φ辱Φ⇔○①黒写字に相浴すろ虚︑次ば松村の鳥不相攣痩ぜて居ろがヒゲばプラシー式で戸山學校論義マ﹂云ふ陸軍部内での汐︒団.れ次ば藤浪是ば横須賀重砲兵第一聯隊附︑太田ば近衛囎重兵大隊彼も逮幕見日露戦争で大に男振りを上げれ︑さて小生も近衛師團の配下の事故年に一︑二回に此の五人男東京の料亭で會合して面桶二代な獲慰し牛飲馬食快談壮行すろ事あり︑時の敏官野口軍二戸が雌年病院長會議で上京あっ六な利して五人男料理屋の二階で會合︐れ山の話で持ち切り序にハソベろニヤーノ\愚なしてケソな顔︑般江戸の愚考に下露があろでもなし何れば薩摩坊か何かだらうビ思ばしめしほど聡國誰リソソ〃り︑北問が大野屋の奥座敷にでも居る愚な氣がしれ︑其後五人男湛職務で度々逢ふ事あ・り︑吾等の方でば復讐團研究會ミ云ふものあり.て東京でば近衛第一師麟連合で時々階行杜に催しがあろ︑此の時母校出均の人で軍讐三
校早生ミでもなって來て居ろ人にに度々面製する空写がある.こんな時准
利用して一望會ε云ふもの組織され軍讐のみならす一般讐師研究生何でも
母校畠場の人の曾合奄やる︑小生も一︑二同出席しぬが盛んであっ六︑各
黒蓋が四月の頃にに開かれる此の時も亦磨聾すろ機會じゃ︑虚で昨年暮に
叉五人男研究會の蹄うさヨカラヌ議論が忽ち一決して某亭で一寸盛宴秘張
つれ︑不相攣尾山時代の話で花が咲き嘲夙節でも謡歌でも川⁝聡話し理りし
て居ないで何んです?ε○○衆から小言な喰つ六ほどだ︑
五人男の外でば馨務局に橋水軍蟹正︵監次郎︶︑近衛師團ギ讐黙々員に小町
二等軍駿︑近衛工兵大隊に.窪美一久民あり︑近衛歩四にば並河糠六ミ云ふ
浪花節の大敦て者にてもありそうな肛名前の仁あり︑マダあろだらう塗
寸思ひ出ぬ︑他ば大抵千葉恵門校の出舅じゃ︑赤門出の團結ば誠に目に障
る位に.幅な利かして居ろ︑何ごも致方か﹂無い︑ソウ︿吉井のグアサ例の
名物男野砲兵第一聯隊︵東京世田ケ谷︶に在り演脅に習志野に累世節一日遊
びに黒黒︑口吻依例如例まだ翠濁な・り︑羽根田改日野大納言ば待命で本郷
に新夫姉寓居近藤外科に聡魎いの筈︑一度訪問して奮情な警め六︑駒井定
理日本橋小傳馬町で開業しれが大に氣焔な吐いて五つ六も束の間で面白からす0000000000ε噂な襲いれ︑一昨年の一圓會で満目にい\た
きりだ︑君より來状子供の戸籍調︑一寸小生の知って居る塵な申上〜︑れば︑小生に
前申上け力如くピ曾の二人︑松村も同檬︑増田もタシカれ同様なりし︑太
田に未だ.猫均だミ云ふが信⁝9・否?不明なるも多分軍猫ならん︑日野氏新婦
未六置巳あらす︑小町に昨秋六つ流麗り切角営め廻す時代.藤浪ばご霞
も∪δもなき諜d器∪器ミ騒いで居るεの評剣なれど中々以て出ない様
子︑何の事か小生にば到らぬ鴛にも明らぬだらう︑
御地は雪降り居うならん︑當地ばカラ風寒きも日々快晴︑余りにφ︑躯天点耳
きて氣道ないれめるもの多きミの嘆聲︑先づ降らねが結構なり︑
東京へばロバ乗りで毎度出掛けろ︑何でも御用あらば御亭腰輿下露本屋に 行く用位ならいつでも致します︑同窓.諮兄へば今度逢ふ亡きの申事に宜敷云ふて置いてくれ玉へ︑ 入田生日︑我等全期の入學生ば八十名なりしが在學申多少の攣遷あり て卒業の際に都合五十名εなつれ︑証書な握るや蜘蛛の子な散らすが 如く己が好む礎欲すろ庭に從ひ東西に狭な別ちしが︑盈れば欝くろ世 の習︑日露の役に富田君満洲にて病死し︑石黒︵稲井︶辻村︵豊橋しの両 君亦肺患にて逝きしば誠に細塵の至り謹て哀悼の微衷な表ずる庭であ ろ︑而して今此書中の五人男の健なるに加へ.當市にに島︑吉住︑熊 澤の三開業に稲岡櫻木病院ご小生の五人居るが.直撃富山の加納︑片 山︑高岡の堀井︑入筆町の鈴木︑福井の小倉︑春日︑名古屋の都築︑ 縣下河北郡の井原︑軍艦朝日の三野等諸君な除き︑他の諸君の多数ば 現在生きて居る9死んで居る︐︵マサカ他に死んだ人は無し電思ふも︶ 其行動所在の不明なろ只々遣燃千秋に堪ねぬ︑我等に夙に全期生一塁 ﹂εなりて互に滑息な涌⁝じ親睦な厚ふし其吉凶溺輻な分れんミ欲するも の︑ぜめて風のれよりにても諸君の清息な聞き度し︑博くば我等の切 なろ情緒な容れ昔ながらの君僕的飾らす儒らざる濾息なノグ/\他の 多くの諸君より賜らん事な呉々も望むQ
︑.︵︶﹁\ノ〜ノ〜!文ノ〜
◎日田美勝氏通信 ︵四+一年度卒業︶
第一信 ︵単組科赤髭宛︶
昨夜御別れぜし里並賢路雪の國な出で四時三十分来原に着し大端に至ろ順
東空薄紅岐阜にて人日々辮すビンジマに居て列車他線に入り紅旗の動くを
見て一同驚き甚し然れども直に停車して事無き私得れり名古屋にて洗顔に
じめて東海の若鷺に入りし感あり空地雪なく鐵路見ろ霜の甚しきな寒氣烈
し︑然し北國の三月の氣持ぜリ之より急行の名の下に五十罪な取られ是も
︵懸 倍︶第十七巻 第三號一=二階七十四號ご一
︵題信︶第十七巻 第三號一一四第七十四號ニニ
東海線かピ併有味な生し候不知北陸の地の最急行ば何時?
第二信へ松原敬授宛︶
拝啓昨夜午後六頃無事着京仕候東京ば四五月頃の氣候にて何εも心地よく
本日よリ愈先生の御指口に從ひ所々見得仕度先づ最初大藩方面な見て漸時
進む考に候一両日中にに山田山病院へ行き井村君に・も面曾の考に候爾滞・在中
御用も有之候ば糟何時にても仰付李下度候殊に漁獲の折には寒中御見搾り
覆面何定も申す様なく深く感泣仕候
第三信 へ松原敬授宛︶
拝啓二圓ば山田病院に至り井村君に見習仕置同君 ば見者ふ諮りの﹁ハイカ
ラ﹂ざ相成られ今では實に純江戸児に有之候久々にて一洋食店に會廓大に
胃癌を温め候二日ば大愚に至り法讐敏室其他な無毒仕候蹄途機械店なひや
かし申候昨日ば慈恵會琢門學校に至り生沼先生に下思仕候校及病院も騰ら
ず拝見仕り申食の饗鷹な受け申候序に芝公園も見物仕リ南大工町の岡田病
院庵参看院長ご鍬話仕り候種々肩盆なる話な承り候何れに塾りても差して
︐一異なろ巾畢も御座なく唯清潔⁝なるに罵げ﹇侠威嚇な趣ボぜさろ所に﹁黒山ハnロば第一ご同
﹁下ラボfム﹂講饗に來られし木越君にも奇遇仕り候
第四信 ︵松原敏授宛︶
揮啓其後に御無音に打過ぎ何εも申課御座なく候貿ば去ろ廿日夜蹄宅仕候
今少時京都地方游ぴ廻り度考ひ居りしも工事上至急相談な要ずろ由急報有
之爲に御地へ立寄り御禮も申上す直に蹄宅仕り候次第何卒御許し被下度候
自己の都合よき時のみ御心配を掛け何ビも申上檬なき儀に候何れ近日中禺
澤仕り旅行中の御話しも仕り種々御禮も申上度候
滑日金澤な獲し急行東上仕り一目より豫定の行動奄取リ到ろ随先生の御陰
様にて非常の優遇ミ便宜奄與へられ深く満足秘得申候大學ば法盤及附近の
基礎科な拝見仕り三浦先生の好意により病室及病人の診噺治療方針等詳細
に聞斗・申候講龍我及外來ば母・校出﹂男の淺野︑密山︑両兄の欄駆利な掘ハへられ外 科手術をも揮見仕り候近藤外科にば同窓の酒井氏有之久々にて大に語り申候巣鴨其他の謄病院にてば丁母に案内な受け満足仕り候山田病院にば井村兄ε久々にて面會大に奮事な談じ坤候其他赤十字病院岡田内科院慈恵院等にに大に得る虚有之生沼先生にば非等の好意に浴し申候千秋︑竹申ドクトかば不相攣に有之候束京にてぼ器械店も大抵見舞申候十二日夜行にて大阪に赴き途中士二日一日を名古屋に過し好生舘等峯観西川馬に曾ひ申候再び夜行大阪に到着仕り十四日大阪府立高等盤學校及病院存参観仕リ和田敏鍮の好意により院内残らす塗観外來たも椅糊仕り候木村先生にに時問の都会上御目に懸らざりしに遺憾千萬に候十五日ば大阪衛戒病院な参齪大沼軍盤︵千董罵出︶の射眺明にて︑一日な軍山事的病院に渦⁝し申候十山ハロHPμ午乱剛中窃に緒方病院の大勢な伺ひ午後義兄な訪れ築港に潜水艇及母艦鰻橋存見蹄途川口︑の
榊敏工隔腸坐轟参駕隅仕dり候十轟ハπ口ゆμ坂油桝需﹁童・の栢卵に.よ日り舳W戸に層本瓢リ丘ハ庫π縣ム皿﹄病院
に至り淺利兄の親切により院内ば勿論藥局等の識明な聴き大に利盒秘與へ
られ候同院にば母校出場の方七名も有之各科必す=肋名の馨員有之非常に
心地よく感ぜられ候露途楠公杜な拝し關西病院な山の手に訪れ居留地な一
巡して夜大阪に節り申候+七日ば京都に電車秘利用し法讐敏繁に同窓乳取
滑秘訪れ同敏室等の案内か受け病院に至り内科耳鼻外科等の外來な参観仕
ー1耳鼻にてば先奮岡田君の読明な得藥局にも藥學出均の方の案内にて参考
晶など頂き申候午後三時より開會の磐學曾に一寸傍聴仕り我科に麗⁝するも
のにてば﹁ブリドライヒしの患者供覧有之候蹄途大學前の旅舘臆舘君な訪れ
候塵母絞出均の方他に四名も有之先生¢同窓の宮島健治様にも御目に懸リ
候京極な見つ㌧大原兄の開業振りな見大に氏の温情あ乃言君感じつ\再び
大阪に蹄り申候十入日は天王嵜に鷹病院の外型な見公圃な迫ひ十九日ば再
び義兄及叔父など\一日な語・り合ひ塀び京都地方へ向ふ考・なりし塵急に廿
日露宅仕り候肺途来原より寒氣甚しく車中胆痛な機し蹄宅後一二日臥床仕
一り一候もA泓μ回複仕り候何れ近々申御〃禮⁝9.六く出 澤仕己り棚禺々申蓮︒へ度唯麟蹄
途先生の御猛た拝せすして家に來りし祉建念に思ひ居り候
當方家屋も蹄宅工事奄急かし居り候間三月上旬にに診察ずる迄にほ差支な
くなる事ぐ﹂想はれ候自己の考にては孟月十五日頃よりぼつく始め度さ考
に候何れ其以前一度参上仕り種々御相談仕り度何卒不序の罪ば幾重にも御
前し被益度候先に御わびまで 二月二十五日 富山市鍛冶町十番地美明
﹂⑭矢吹清氏通信 ︵石心太作氏寧
前歯ば四十三年に本校な卒業して内科第二部に研究し昨年九月大蓮讐
院の外科部の病理家ビなりて活動中なり︒
舞啓新春早々より御無膏鋏騰仕り申謬けなき次第に御座候其段幾重にも御
宥恕下され度洗晒下春陽日ましに加はリ何こなく深き立つ心地ぜられ候御
﹂近呪如何に御座候や聞く塵に依れば先輩民田践欝任の由御繁忙の事εば存
・候得共如何に御座候や叉近海ば何か面白き研究材料にても有之候や松原先
盈も相攣らぬ努力にて校務に警務に御働精遊され候や皆々襟に宜敷御悔言
願上面世界の大問題も大協芳詠帝の退位に依り一段階を付きし檬に御座候得共不
計器にば何か街重く不安な感ぜしむる標に御座候鴬硝洲に於いては革命の
㎜服ャ・も甘駕敷斗∴影蟹園な來︒ご百様に.有之候へしがF近・來北伐岬皐マ﹂か何ビかに︑て糟⁝
活魚立ち六ろ有様に御座候殊に奉天附近に甚敷く候然し如何に落着するも
支那人の頭にば物質的文明に眩感ぜられすに有られ問敷ε存候當院などに
も支那人の外來患者が盆く堆加いカし居候殊に注意すべきは人に見らろ㌧
も恥すろ支那嫌入にてすら近來に治療な乞ふ者多々有之候聞く虞に依れば
高商卒業の快男子が上海にてばリ炉ん一帖の急断髪師εなリ廊ちに敷百金
な得叉上海附近にて毛布及中折等の賢行甚敷く殆ど品切れの由ヌ洋服の萱 行きの好頁なる爲めに機敏なち三井は帽子製造所を上海に設立ぜろ等實に
ハイカラ熱ば甚敷くなろ可き物書荏候叉革命後に於いて我い盤界に封する
支那人の要求ば想像するに難炉らすマ︑存候り爾目人支那人以外の西入煉如
何の状冴に於けるかな聞くに疾病に罹れば上海な根擦に集合し若し治療不
可能ならば本國内地に蹄ろ由に御座候故に若し英語に稽く學問ある清國人
に英諮を話すの素養のある者か幾分の支那譜な智得し支那内地に賄業ぜば
必す成功するならんマ﹂存じ候目下も清國南部に開業ぜる日讐にして=一年
にて洋行費な作り洋行する者多々ある襟に聞き及び候り
叉人口五六万な有ずろ當大連に於ける開業の撒ば約二十人に御座候内約牛
敷位は敷万の私産な有し今に洋行の準備εしてか濁語の習得に飴念なき次
第に御座候其の濁修法の猛烈さ加減は想像の蝕りに御座候由毎朝二時間持
績的に爲ぜろ由濁諮教師も驚き小生に話し居候叉其の他の府及會祉の盤員
にて濁語の研究ば甚敷き者に御座候不官等が現時に於いてば刺戟ぜられて
受働的に勉むる傾も生じやぜんかミ思ばれ候本院ば南満會就の所隔讐院に
御座候然して南満會就にてば大蓮讐院秘本院ミして其の院長なして全線に
渡る讐務か司らしめ居り候而して同線中の稽々重なる虞には分院及小さき
虜には派出所を設け居り候故に満鐵讐院ミ申ぜば其の全員敬は甚敷き者に
御座候而して會瀧に毎年二十五萬圓位の補勤秘輿へ居り候其の孕額即ち約
十二萬圓ば當大蓮讐院の補助に御座候而して本院の収得ば毎年七八萬圓の
由に御座候此の外物品の購入費ば即ち會砒の財産になる物ば皆補助額以外
に御座候明年明後年のニケ年計闘にて百萬圓の豫算にて本院の薪築秘なす
よしに御座候而して清國の日本人ぼ勿論南清地方まで大々的廣告して清國
.の患者秘吸収する考の由に御座候噛
本院の患者及其他の馨員及讐長の一般ば叉暇葎見て報知仕るべく候若し同
業中渡灘の御志望の人々有之候ば博御一報願上候及ばす乍ら不明の條々調
査の上返答仕る︒へく候
︵懸 信一第十七懸 第三號一一五第七十四號 二三
︵漣 信︸第十七容 第三號一一六第七十四號
一一
l
二月十入日 豊里大難讐院に.て
矢 吹
⑳相馬甲五郎氏通信 ︵松原敏授宛︶
清
全霊ば四十二年に本校存卒業して外科一部及婦人科に研究し後ち出て
て七尾の警察磐ミなり昨年秋僻職の上東京に上りて目下吉原病院の欝
員ミして勉學申なりO
雲の色美ばしく春長閑に相成り訂し候威先生には盆御物健に渡らぜられ候
段賀し奉り候さて小生儀昨年十月下旬當吉原病院に就職以來日毎ほ淺ぐ詳
はしき當院の状況鋼明ぜぬ点も多く有之候も概轟申し上く可く候
入院患春数ば其乗鮪によリ叉景氣の如何によリ一定致さす候も大抵二百二
三十名より三百名位にて娼妓全轍の一割乃謹一割二三分位に候︵吉原全娼
妓数ば三千ビ署するも昨年四月火災後ば減少し三下三千未浦に候も來ろ四
月以後ぱ復凝する由に候︶其他當院にば千住の患者た収容致し居り候も僅
少にして二十名内外に候・
入院患者は凡て
内外梅軟弱 科科科科科
へ百内外より百五六十に至る︶
︵軟性下摺表皮駅亭等にして七八十名より百内外に至る︶
︵二三十名位其他注射のみに來ろ懸院患者二十名位あり︶
︵二三十名にて之れ叉蓮院二十名内外あり︶
ば各科に入院中に起ろ偶饗症にして時に重症に昭リ︵殊に夏期
に脚高の住め︶死亡すろものも有之侯
に分類し親節員に分撫治療ぜしめ各科三ケ月毎に交代ぜしむる糠に致し居
り候受持の患者に封して自己の欲すろ治療法に勝手に許され居り申し候各
月末には治療成蹟な出れし府下各病院婁の成蹟な比較致され居り申し候野 師ば七名にて院長︵佐藤榮氏永樂病院外科出易︶澱長︵野口理明氏帝大皮膚科出翔︶は大弓出均にして共に讐術開業試験委員に候以下讐員五二藥翻⁝師三名に候入院ば検査磐︵娼妓の健康診噺のみに武事する讐師にて転任は東京大學皮膚科出均の秋吉讐學士にて東京府下の各遊廓な順次に廻はり居り候︶が有病ミ認むるものぼ入院な命ず入院ぜる乗艦は病院に於て.讐長初診の上各讐員に治療の方針を示で退院の際は各科謝意の讐員が全漁ピ認めしもの私集めて院長之な診し然る後に再び槍査盤の診察葎受けて治癒ぜしものな退院ぜしむろ方法にて検査盤に⁝適しては特別の櫨利な與へ居り候以上の如く病院繋員は只病者な漕慣するのみにて入退院に遍してば無關係に候勤務時間ば一般官吏建同じく其上に臼曜以外にば大祭日ミ錐も休暇に無之候病氣ミして尤も多きば子宮膜炎にして次で軟性下癖にて梅毒に一期二期のもの︑みにて三期梅毒の如きば悉無に候﹁ザルグルサン﹂の静脈内注射ば只患者の希望するもの㌧みに行ひ居り候外科ほ多く横柄︑痔雄蕊にして興味ある手術ピてば一も無之候其他警覗鷹讐事研究會なるものあり東京の各病院職呉吉原洲崎新宿品川︶及び検査讐よりなる會にて毎旦圓第三土曜日に警視廉叉ば吉原病院内に開き居り毎同出演者奄順次指名して必ず出演ゼしむる事に致し居り候此の會にに馬手栗本三部長準準技師出席致し候病院ば吉原遊廓の所有なるを昨年四月より拝観騰に寄附ゼしものにて党全なる設備も無之候も邉年申にに全部改築の由に候病院勤務ば大体以上の如くに御座候爾ほ本校出均にて當院の辱直れりしものば辻岡律愚民︵三十年出均︶並河正雄氏︵四十一年度卒業︶にて辻岡氏は目下開業致し居り病院前に出張所な設け當遊廓内の開業微量最も成功致し居眺候並河氏ば昨年より洲崎病院に輯⁝任致され候
其他小生の同窓生にて本年新敦に上京ぜられしば高澤冠一体︵傳染病研究
所︶及び高田蔑一氏︵睦軍軍讐學校︶の御両名に御座候
乱筆御めん下され度顧ひ上げ候
吉原病院宿直室にて
二月五日 相馬甲五郎
︵東京小石川旺久堅町五十入番地︶
◎和田政範氏通信 ︵松原教授宛︶
全氏ぼ四+三年に卒業して關西地方の病院に奉職し昨年入月蹄郷して
開業申なり
俗務多忙εば云へ恩師に封ずる禮を失ずるの大なうに趾入申候年漸六まつ
・て母校に愈く非凡の﹁精力奄奮はる︑先生を見てば我等欽仰摺く能ばざる々添景2申候︒巨・窓畠ξ三星閏旨げ=・び窪自ら作る刺戟の中に自ら
撫浸入す可く飴リに小なる我は刺戟謝照の天ミして先生葎有する撫深く
喜ぶ者に御座候能州の片田舎に開業ぜる一曹讐に向って將來有力なる刺戟
ミ多大なる助力ミ秘恵まれん事恥懇願するの悟に六ね申さす候頓首
能登鹿島郡金丸村
和 田 政 範
㈱植西武彦氏磁区 ︵松原敏漆黒︶
荒馬ば四十﹂四年秋本校な卒業して飼下京都営科大撃内科にて研究中な り吾人は好漢の健康葎所ろこミ切なリ
金谷舘にて諸先生定籍別れ申塗らぜしば昨日の如き感あれど隙ゆく駒の足
ばやく最早や一〃月も経過致し候御手つかしき師の君にば如何御暮らし遊 され候哉日々母校の爲耳殻敏育に︐ばぬ幾万の書ミ歪み遊され候御事ビにるかに御察し申居リ候次に私事在學中ば長の年月いεも御弾み深き御露にあびて朝に夕に伽敏へ導き給ひし其の御恩別れにのぞみて爾御尋し給ひし御さεしの三々感謝の言葉も御座なく候其の後京都讐科大學内科敏室にて研學致し居り候間他事ながら郷安心被下度候今更ながら濁乙語の必要を感じ在學中の不熱心な後悔致し居り候當地には同窓の先輩諸兄も多く万事好都合にて將來ぱ共同的に活動致す心組に御座候先は子羊かれ・︿御伺まで爾詳しき事に後便に顧り申べく候早々頓首 山泉都﹁市山ハ角涌蟹冨︻小路角O︷島田讐一院内 武 彦
⑳植西武彦氏逓信 ︵松原敏授宛︶
梅花の笑ひ初めてより幾日ナハチガ〃の聲もこ︑かしこに聞ゆ・るけふ此頃
先生勧め諸勢授閣下には盆々御牡健の段邦家の黒め欣喜の事に候︑隙行く
駒の歩早く小生卒業後ばや百鈴臼ε相成申候母校の事一日も念頭な離れ申
さす候へ共﹁オくに遊ぶ暇の有る人の暇なしミて丈譲ぬかな﹂の言に
もれす意ならすも御無音に打すぎ候段何卒御容勲下され度候毎々御玉章十
全會雑誌御惑囎三下親しく先生同胞に面談する心地仕りなつかしく繰・り返
し拝諦致し居り候小生丁丁大學へ勤務致し候てより日術聴くして得る所少
なく且内情等にも暗らく御報知申上くべき程の事も御一座なく候へ共ロバ鍵工
に刺戟な受け申候ほ例の外國諮に御座候今更ながら在回申諸先生の御師導
御忠告秘馬耳東風ミ聞き流がぜし前非な後悔致し居り霜雪引導に自自申
ぜば在學中諸先生の﹁ソクチユアー﹂︑殊に先生の表解等にて聞き轡⁝ねし術
語の爲め大聖の﹁クサニソク﹂︑﹁瀞リクリ﹂等の諸講義ば解する秘潮候へ此ハ
さて自︸分が﹁アナムネ!セ﹂たεリ︸叉に︷書くべき韻書に﹁プソポヂチすン﹂︑
︹蟻信︶第十七愚 第三號一一七第七十四號二五
へ通 信︶第十七層 第三號=入第七十四號二六
﹁スベ〃﹂︑.等な談りわけもなき軍語な忘れ或に﹁ソセチェプ㍗﹂の語尾の攣
化庵まちがへ赤面仕り候事度々有之候
今後御卒業遊さる㌧諸茂にばか㌧ろ小生の如き方ば挙れ無き事亡察し入り
候へ共前車の轍な踏まぬ檬ぜめてば平素の﹁ポリグリ﹂の﹁アナム.不1せ﹂︑
【,Xターンスプンセンス﹂の如昏に猫交にて書く習慣を御つけ下さろ曳襟呉
れ英れも御願申上候
御承知の通當大學各科にてに讐學講脅會開催ぜられ︵二月中︶各國よりば勿
論なつかしき母校よりの先輩諸氏も多く勢加ぜられ牢候昨夜舘暦な訪問仕
リ候庭宮島︑金子︑山脇︑加茂︑富永等の先輩諸兄も來訪ぜられ樂しく談
じ時の移るな忘れ九時中学直な期して麟途につき岩登本日早速名取.内田
の諸兄な訪ひ金澤出均にて京都在住のもの芦品にて講脅直写の來會な機亡
し歎迎な兼ね同窓會な來る廿五日開催致す事に決定仕リ候︑目下來會ぜら
る㌧我同窓は大棚に+数名︑市内病院︑開業讐請合して二+五方以上の見
込にて定めて盛會ならむご曝しく期待致し居り候何れ詳しき事ば後便に申
上べく候先ば御無沙汰御謝びいれく近況御報ぜまで末筆ながら諸先生始
め同窓諸兄へよろしく御願申上佐俄
二 伸 申盛れ候へ共愛讃すべ音弓丈讐學雑誌の名繕御ついでの節御直示願上候
二月二十二日夜 武 彦
⑳鵜川靖氏通信 ︵松原敏授宛︶
全氏ば昨四十四年度の卒業にして嵩置有望の好漢なり幸に自重盆々研
究ぜられむ事秘所る
穽啓寒さ愈々加ばり滞り候塵先生には何の御攣りも無之H々御精働の御事
電推察仕り候 さて私事只今議席郷仕り居り候麗新潟市竹山病院にて切望致され候につき去十九日當地に着し毎日勤務罷在リ候讐員ば院長讐謀士竹山正男氏盤學士前田待黒氏愛盛ミして安田三木氏及私にて中々多忙に有之候先に取あへす右御報知までいくの如くに御座候早々敬具 十二刀ご十五日
⑬森田齋次氏通信 ︵松原敏冠詞︶︵三+一年卒業︶
拝啓十一月汚行の雑誌ば昨日到着仕候深く貴兄の厚意な謝す︑石森ば目今
ば津・白蔓倒けの国9言σQ電所で研究し居らる\由に候
新年にば大に呑まれぬる事に候ばん︑在﹁ハルソ﹂日本墨入人ば騰る二日に
或る国○仲巴の一室な借切リ純日本的無禮講薪年無會な開き申候御馳走ば今
度﹁ベルリン﹂より態々取り寄ぜれろ正宗四合瓶二本︑輻淋漬一罐.淺百骸
薯五六赦.松魚節一本﹁そば﹂三十椀にして晦日ε新年な合併しぬ様な珍無
類の献立にてナヵ︿愉快なりし・今朝初雪三四寸熱り居六溝隠降りつ㌧
ある﹁誤つ流雪ば異國も只白し﹂ご出ぬが如何です・當﹁ハ〃ソ﹂大難ば小大
學なれごも約二千人位の學生在學致し居候︵﹁べ〃リソ﹂大學ば九千二百ご
十九人にて男子に入千九百入十四人女子ば八百四十五人なり産科のみでば
男子が平入百十人女子が百入十ご人なり︶現今﹁ハルソ﹂大君総長︵夢弓Φ◎ε同︶
ば婦人科のくΦ詳敏授で︑讐科大君長︵UΦ一窮ゆ︶は内科のω︒げ昌冒帥象敏授で
ある︐讐科の敏授中にばぐ︒搾翻○目ピ団鼠口︒犀︒目三三の如き知名の士あサ
然し多くば申老なり只磐化學の 象自Φ三巴舞酒薬ば三十幾歳ぐ﹄云ふ若流
行甲・いにして愚慮より學生な吸引し赫々れろ光彩秘放ち居・っろ﹄氏ば有
名なる国ω跨霞の弟子にて閨写包蓉げ①巳Φな以て忽あり今冬期よリ當大
番に來りしなり︑講義の如きば快刀齪麻な絶つ的で實に痛快なる由に候
解剖教室ば近年の建物にして立派で室の数より云ひば東京大學の三倍位ば
あるならん冒巳簿自Φ①管幻9日凶匡︒︒庁︒︸・国︒器簿︒同犀︒隔・Q2げ鎚舞醤3
国︒ωΦ︒酔●津︒臨・国邑β○竃冨ωω韓.淳興〇七輪P髪陰r国9臼巴.藤嘗嘗
巴呂卑囹盛膨胃㌶自尿涛︒胃OrOび霞亀Φu電に濁︒轟け及属豊言︒・ξにて存外
に爾小使三四入あり
解剖朝暮の一ケ年の経費ば三幅﹁マ〃〃﹂で敏授の俸給及死体な得ろ爲めの
費用な除く外ば皆此中より支挑ぜらろ−︑小使の給料も此冠位の中炉ら出ろ
Oび零象Φロ霞ば一〃年千四百﹁マルクしな受け居候
敢峯の圖書室及ω9目障ピ⇔σQに思ふて居れ程にば無心候己Q欝旨白冨ロσQは三
つに分がれ︑系統解剖弓Q蟄旨邑言σQ人類學勢冒昆・比較解剖學重日邑●に
候︑異形の標本申にば珍しき者があろ︑蘇に両足無しで生れ充分に︵殊に
強く︶生長し︑後少女葎姦し獄に入れられ獄内にて死し六る者の骨格にて
生前の甘食迄であろ︑人類學の方ば當大嵐の初代の︾oい出Φ昂ΦズH︒︒・︒年
2に死ぜり︶の集めれうものにて頭盤の如きば随分多数に有之候︵先年京
都大學の足立敏授が調査に來られぬる由︶
當解剖敏室の圭任ば現代が冒Φ︒ぎト次ぎかく○臼門馬勲昌β次ぎか嵩①げ㊤次
ぎか現代の切︒β図敏授であろ︑嵩①o屏ΦHに一編皆學者であっぬ由にて該
も著轡があろ爲めに小生の如きも既に知り居れり此寓︒昂9の骨骸に交連
して入類型の 留日邑・に設置しあり<○蒔讐器P詔①びβば石膏像亡し
て落丁らに陳列しある︑此等な見隠る時の余の感じは寓Φ畠Φ回に深かり
し︒此頃流行の銅像な慶して恩師恩人虚勢者の如き後言の図昌屡ロ鶏§σQ秘︐
要すろ人ば宜しく凡て骨格保存に限るご思ひ候
解剖講義の聴講者に百五六十名︹申女ば四名位︶實際解剖に出︸うも︐のに二百
山ハ十名斗リ︑中心が八名\に.候︑・女ゆμ﹄興面目の繕榔だ里窃μ︵ス瀞ラ︶が多い様皿で
あるが試写の外に王家試験がある故意面目の時は極て眞面目にある望見受
け夢野承知の如く千々大顎ば學生の二心亡して非常なる自由な許してあろ大戸 ば人間の淘汰所で不良なるば幾十年でも居ろ卓越なうものば何方泡でも昇蓮が出來ろ︑然し一利一害ば大の敷で特櫨に一利あるミ同時に害あり近時に一般に害多くして利少なきものこ認められ居るが如し︑論者ば寧ろ此特槽な剥脱す可しミ遙で論じて居ろ︑左程極端ならざるものも特需に伴ふ害を除去すろ手段方法秘講すろば目今の急務にして其責父兄高校善事者にあるε云ふて居ろ︒此れが矯正の手段εしてか大尾に入學ずる各學生にば綱小冊子ミ一教の印刷物ミな呉れろ小冊子ば著霧︒鴇︒夢津コ手詰Q糞一智臣Φ律ミ云ふ巨乾である壁土長門︑大學の生理の量定閏①昌自の著書で﹁べ〃リソ﹂大壷の閉Φ9自国鎚⇔舘げの紺○顎︒冨な以て騨鐸ぜられカるものなり︵男學生だけに呉れる︶此岸の大要ば男女な生物學の方面より観察し訟明し途に男女の交際ば職嚴なるものであろご云ふにあり絡りの一局な記ぜぼ 導ト︒ぼΦ暮飾①冨Φ註Φ国替餌ψ島ΦoQ◎罫︑①馨①ン象①目︒︒犀①こaΦ百事伽Φ崔加○
げ︒費9Φ身内臼ωr◎窪器差創海象Φ◎①冒Φ器げ8毒気︒ぼρ.︑一景の印刷物
.ば濁乙の轍大墨・の衛生の敏授の名な以て濫読ぜられれるものにして大要に ﹁蜀均生活者の多数は花柳病者にして年受信に塀加しれる奄続載な以て示し殊に近晧は學生の花柳病者ば非常に多きな亦統計な以て示し︑終りに未
來の隠家支持者侍る汝等一顧ぜよミ云ふにあり﹂
睦此れ葎見れげ∵毎号智 に由れば學生ば墨・単音一家塵胃ト於て一定一度の制紳裁秘加へ
職業存得ぜしめカろ後進會に出してから淘汰マる方は最も宜し︑干渉敬育
は効果を息むる・ヒノしε考られ候︑科斗ば例令蛙の子でも蛙の如くご蹟
犀Φざに於て飼養してば皆死んで未舞ふ様な者ε思ひ候
僕の今居る室ば曾て金子先生が居られ出演で先生ば北東向きの机た使用ぜ
られカる由小生ば其隣りの北西向きの者な使用致し居候︒
猫乙國は非常に嬬人が多い様に本國で聞て居れが昨年十二月十九Bに獲表
ぜられたH田G9十二月一日〆切りの統計に由るに男子唇ρOに醤し女子
HObっbであろ○而して學善感の統計程あって其理由な詳蓮し且つ℃疑魯唄に
︵漣 信︶第十七容 第三號 一一九第七十四號二七
︵懸 信︶第十七懸 第三號 ・一ご○第七十四號二入
谷て反て男子の多き所あち︵国ρ巨げ霞σQ身開夢目︒く需︐の如き︶理由な蹴明し
てあっ流が感心致し候
當地に來てから耳新もく聴六事ば昨年入営﹁べ〃リメ﹂にて報告ぜられ六る
置Φ蝕ωO鶏同巴︵米國人︶の有機体外に於ける組織の培養ミ︵冒①国巳酔魯蜘霞
Φ①看Φげ︒き・器器浮巳ぴ釦①︒・O冠σQ蟄巳ω匿器︶去る十︐二月二十日﹁べ〃リソ﹂にて報
告ぜられ糞
零器の①§穏♪国亀自σQのくΦ屡gぽ掌・ぼσQ︒の︒ヴ乱の倖巴門蜀艮仲霞自鵠器串へ此れ
は国○︒・営あΦ︸①昌秘注射するミニ三日にして鼠の腫物が治すろε云ふ報告
なり︶εてあり其丸鋸Φ8働Φでにこ︒甥H8げ︒団︵HΦは民σq・の臣冨壁の敏授︶
の動物亦ば人体の全体た透明にす.る法にして︑血管等に初め注射して置て
後に透関に.する芒箕に美麗なろ標本が出來ろ貴兄も試みられてば如何︵既
に此れに付てに著書が出版せられ六から或ば解剖敏室の金子先生等ば御三
︐知がも知らんが一慮毒煙に庭方な記載致し候
GQN)日
べ晃⑦eJt 画
oo
琴坤缶剛︵oげ9岡○圏医9ω償σ=旨暮09図9の㊦島⇔σQ︒︒三目曾ごσQ注鼠Φ拝
国圏伴げ巳降①口
匹Φ汐げ自活ぼ芝器︒︒Φ髪○騰融起Φδ図登︑︵﹄①⇔器冠①皆の署HΦa鶏
。。?シ義げ巴F豪富︒げ●︶
oQ盾ーづσq簿4︑器︒げΦb・
図暮タβ︒・︒・Φ旨言馨Φお霞創Φ口とざげ但︵げ翌月おO訳︶
dぴ畏餐︒Q自営国8Ng︵国司Φ銀鶏身Φ︒冨①貯見ΦgおΦ塗げ遵昆に︶
国巨①σ︒二念象Φ二型塗6︑︒︒︒︒陣σQぎ騨
国u三家︒農︒︒陣σqげ①罵.
伊哩Φ出白言8茜箋冨03一︵Φ勲巳夢Φほ&押oQ巴齢牲ω笛弓Φ彦㊦啓胤$陣曾︶
Q◎
D目Φ凶団Φ冒N胤びΦけ国︒簿 此比例に材料の如何に由て攣6
国ノ︑塑窪ほ霞霞蜘駆罵Φ呂︒剛自動9幽霞.H崇津︵彰憂目段愚β旨霊︶・ 爾申上歯事山々胸中に滞ちて居るが筆が意の如く蓮ばざるビ暇が無いので此度ば此れで御面な蒙り何れ後便に書き申可ぐ候Q聞く事見ろ物皆騰底迄で引き込まれば三智Φ冨⇔出社んのだ炉ら時な費す三非常で多忙である終りに同窓請兄に宜しく御風聲臣下度願上候 四十五年一月十七日 森田齊次 国︒屋富諺嘗 bっω\切 三巴富浜\ロ︒ら
⑳岩崎勝治題信 ︵外科二部佐崎氏宛︶
氏ば三十か年の本校卒業にして目下弘前病院勤務
久潤御.回免船下訪豪
一別以來頓蜜御無沙汰爺互に潰息な置き動機も定かならす候虞先月十全曾
紙上學兄の外科二部に御勤務の由承知仕り徐らに昔撃しく一書た呈ぜし
次第
扱て第二の郷里金城の地の昔ば忘れんε欲tて計る可からす候同窓にてに
.兄の外母校に.研究ぜらる\人なく御地εの道信も雑誌にて浩息な知ろの外
由なく候
野生の近況た御漏らし申候萩別當時武生地方に二年計り浪人し一向面白炉
らす上京大學青山内科に二年許り介補亡して湘な費り四十一年春當院へ流
れ降り今でば古狸で大李樂な並べ居候東北の地に流浪して既に五年の星霜
た維れ井徒らに誤魔圭義で眞面口の研究ミ落の話でばなく大に蝿顔の至
リに霧候許院ば弘前市の市立にて至つて小なる病院に候も青森縣には公立病院εし
てば唯青森市立病院ミ當院の二つに御座候然建も前者ば先年の大火に際し
不幸鳥有に錦し今に至うも衙新築の實行な見さろ次第なれば兼ての縣立病
院書意も如何のものにや
堂院謬論ば院長讐學士にして営て青山内科に研究ぜられし人野生の介補時
代よりの知己にて當地まて御供致ぜしなれは餌袋好都合i二人で内科小
兇科を働き居り申候午前ば外來並に入院患者の診療午後に二人で市中市外
の往診︑當今ば大に閉口仕候毎旺大抵王入学位で春εか秋ならば兎にも角
にも冬期ミ來てば寒氣甚烈の爲め往診希望者一暦増加仕候︒
他に外科ば仙塁出の得業士副院長εして耳鼻咽喉科ほ同し仙嚢署專讐學士
嬬人科産科ば是も仙藝讐専讐學士眼科ば内務省の受験者及調濟部長の七名
にして讐局の和氣霞々さに稀れに.見ろ威に御座候
當地ば一体に仙璽出場者の勢力範園内にして從て野生の責任も亦大に御座
候
病室ば小規模の病院の事故傳染病室併て六十以上の患者な収容すろ事能に
さるも終始瀧員の状態に御座候而し別に御知ぜずる珍らしき患者も無之候
當地にば前蓮の魎り地勢の關係上母校出均者極め少く唯當地より三里許り
隔てし黒石町にば跡地氏︵甲種讐學校時代出場︶青森市の澤田畏秘始め定し
て三十七年度卒業にして母校病院外科第一部に研究ぜられし上野忠氏殊に
氏ば柏市に点て猷外科旧耳鼻科吏骨四一にて頗る盛・入に・敏腕な振へ居られ﹂玄孫外三
十九年度卒業の高谷七兵衛氏及野生の浮名にて折々會談の機な得候
禽常地にば年・一同各重量門學校出勇者一堂に相盒白し大に氣急な馬脳⁝すへ・き所
謂得鑑士道なろ者も御座候
當地に有名なろ寒國にして積雪甚炉らさうも温度に至りてば驚くべく目下
︵叫月初旬︶撮授零度以下にて嚴寒最低に型置零度以下十四五度迄下降仕候
而して水分含有t居る懸濁臓宜しきあ得され拭直ちに氷結仕候鵤卵の氷ろ
位ば敢て珍しからす外出時にに髭は悉く氷結致候五月に至らされは梅花咲
き申さず候
東北人士駿漸して質朴野生も追々之に感牝致され候さりなから﹁ライツェ ソ﹂が少なく段々﹁アトロフエー﹂すろ計りなるに反し簡化して大藪ε相成りしにに一驚仕候同窓生新嘗雲際氏南洋に大活動の由羨ましき事に御座候迂生今や東北の僻地に老ぼれ誠に意久地なき次第に御座億脇へ共爾來聴く御通信相成度候宮田先生始め各先生へ御宜しく申上被下度候Q時下盆く諸兄の御健康か暴所候敬自
臨監
轟寮 磁乱
坐㊨ 坐飛
坐伽 塵
並四 坐傘
一齢纈一目聞一鄭剛国椰燭脚二一齢圏曝闘■劇一一幽口賜戯回匹隅目願瞳凹閏呵剛四コ噸口剛圏陶鱒回ロ脚襯0圃閣聯魍■閏一四一馴幽馴 磁術
萩肖雑報
⑳香林會例會の記 三月+七日︶
山高きな以て算しごぜす︑人多きた以て博むべからすミに言人の云ふ力需
である︒其虚で︑これの解語でぼないが︑余輩ば︑山低告存以て購む昇れ︑
人少きな以て輕んする勿れ﹂ミ叫ぶのであろ︒靱香林會ミいふ丈字の本誌
にあらばろ㌦のば蓋し今同な以て初め芝するのであろいら例會の照臨蓮ぷ
ろに先ちて些か鼓に會の概岩な述べようご思ふ︒
香林會ミば現在の藥言換第二年級生三+蝕名が一意ミなって組織し六もの
で︑其目的ミするミ︑ろば︑慰事の研究︑常識の修養︑並に﹁クラス﹂の親
密な得る匿いふごミである︒其方藁葺して先づ香林會青藍奄臓月第二土曜
日に開ぐこ書㌧し︑而して其都度︑當番幹事なうものが︵これに全員な別
ちて七冒し︑毎月五入宛當番幹事こなる︶︑全力な釜して其例肥土切の事務
︵校内雑報︶第十七饗 第三號==・第七十四號二九
︵校内雑報﹂第十七聡 第三號 一二二第七十四號三〇
な執ろのであろQ而して其例証にに︑演説︑研究報告︑討論︑名士招待婚
講︑遊戯︑娯三等な行ひ︑一方學事の研究に霊すミ共に︑叉﹁クラス﹂間の
交際なして圓満ならしめ且各自の修養存期すろのであろ︒勿論世にば数へ
れならば.か\る會ば頗ろ多いでらう︑然し梢もすれば龍頭蛇尾に終らん
ピすろ此種の會に於て︑些か乍らも成切の域に蓮し︑兎も角これが實現な
なしつ㌦あるこいぶ一事に至ってに︑余輩ば敢て誇るにばあらねこも.大
聲呼脅すろのであるu﹂
数よリ論ぜば僅炉に三十鯨名︑四高の借屋佳ひに稽もすれば其葎在なずら
疑ばしめん書すろ︑培湘遇にあろ吾等ば何時迄か惰眠な貧ろべき!並に奮然
マ﹂して紀 ち︑計語日︑塵T界に撰して貢献葎なすべく噺叉各自の修養秘期すべ
く先づそれが最初の手段εして︑此香林會なるものが組織ぜられれのであ
る︒此香林會の今後如何に活動すうがば︑事未知敷に薦すうな以て︑言ふ
べさ・限りで︑ないが︑並に.暴嚇近の例會の状況な蓮べて同學駆醐氏の一餉韻や煩ψ
のであろ︒いでや正日の状況な物ぜんがなQ
一一n十七目へ土曜口H︶ 午後山ハ下情よリ第一二同岡例盒日が︑野田円寺町肯呵岸出坤で諾開
かれ引℃翌晩ば生仔細で會蕩が中心な離れてろので随分遠い所の人もある
がら集合ば如何あらんε思つぬが︑御心配御無用εあって︑三十鯨名キシ
りご揃つ六見事さQ﹁君蓮い所な御苦勢だれ﹂建淺野川口に下宿してる一友
の南幸敲くミ︑﹁ナニ遠いものい︑グラスの平和に代へられんサ﹂ミ︒此時
余ば一種の﹁イソスピソーシヨソ﹂に打ぬれれのであろQ吾﹁シラス﹂にに
礎來.當否の論に別ろべき問題に屡く遭遇しぬが︐之に発て︑君子的の孚︑
正々堂々の論なこそ戦にぜ︐卑俗の孚に至ってにかつて無いのである︒さ
ればこそ﹁クラスの竿和馬なる熟譜が何時ミなく︑作り出されたのである○
さて六時営倉ぐるミニ十分にして︑當番幹事中林君に依って開會の嚇ば述
べられカQ綾いて講演に修つぬ︒扇頭壇上に立つぬのぼ
一︐探瞼の失敗︵小禺君︶ .であろ︒君が申學晧代に好寄心に臨られて︑ 砂金な探集すべく︑武州多摩川の上流秘テソレな荷ふて遡り︐言置川の邊にて二種の光ある小片た認め︑喜び勇んで持回り師に就きて訂ぜしに何ぞ岡らん︑︑れ蛭石なりしならんεば.電の纏瞼談であろ︒滑稽の中にも叉研究の一端た見出しカ︒
一︑昆布の話︵宮崎君︶ 先づ昆布な三種に別ち︑各自の原名︑性質︑成
分に就て精細なる就明為下されれ〇
一︑目霧覆器昌目︒窪︒は罠Φ.︵増永君︶ 即ち蒲公英に就て訊かれれ︒先
づ鱈が幼年時代にば只美麗なろ花ごしてこれな弄び︑流露時代にに植物學
にて學び︑現今藥用植物ミして之に趣味な有すεの前章より︑本植物の成
分︑有効分仁就て蓮べらる︒爾君が此植物に鍬しイ︑一の研究ななしつ㌧あ
る由撫語らろ︒次に満室破る㌧ばがりの拍手に迎へられて壇上に立ちしに
常日特に招待ぜる市内知名の二業家Q
一︑藥業界の現時潔野外蕩避難︶ なり︒悠・・池らざる態度︑明断なる
口調にて︑現今の藥業界が如何にあろか︑將れ如何に進むべきか︑藥南下
ば何をなすべきか等に就て.焔々懸河の辮な搬ふて︑吾等後進葎敏へらる
\こピ正に一時置○壮重の言ミ懇篤の語ば各自の胸に歪なろ共鳴な與へ
ぬ︒其虚で幹事ば茶ご草子画配らろQ暫し茶畑畷る音オ菓子秘食ふ音で賑
ふお︒折しも拍手の響が鳴つぬ︒︑︑れ■ば此導の住職が一審の修養談なせら
ろ㌧のであろ︒開口一番﹁本日ば聡覚り申しまし六が是非にミいふので演
壇に立つ章章な次第でず︑ぐ﹂ころで成べく抹香臭くない書の事で⁝⁝⁝﹂
ピ先づ一同の噸を解かしめ︑それより精神修養の必要な説炉ろ︒其癖時に
諾誰の句秘交へて︑欠伸な中和ぜしめられ象︒次は
︸︑緒①け昏蟄に就て︵内藤君︶ 君ば簿擶に就て話されれ︒即ち日本崖建
外國産の匠別︑日本に於けろ栽培の状呪等な精しく蓮べられぬ︒次に
一︑由中鑛泉調査報告 白して越智︑竹内︑相の三業が交く立ちて一々
敷宇な暴げて詳かに︑説明ぜられれ○其勢多こすべしだ︒次に
一︑國士論︵石野君︶ 君に饒に壮士の概があろ而して此演題な提げらる
蓋し至當ご書ひつべしだQ案な敲き泡な飛して︑一士な説かれ︑國士的態
度な以て萬事に虚すべし定結論して壇を下ろQ
績いて五分間に修つ六〇是亦盛なりだ・宮田君︑吉野君︑鹿島君︑紳谷君.
堀君.竹内君の諸氏交るく趣ちて︑所感な述べ時世秘論じ︑氣焔万丈當
る可からすだ︒
これにて講演部ば一先づ終りな告げて︑餓興に修つれ︒人ば一.方に研究あ
るε共に他方に清新なる娯樂なかるべからす︒香林會ばよく學ぶミ共に︑ の よく遊ぶのであろQ鹸興待つ間にしろこが配られれ︒其甘いこビ︒
一︑尺入︵宮崎君︑竹内君︶ 先づ両君の一入合奏に依て幕ば切で落され
染︒曲ば六段Q両君定も斯道の名手なれば︑其膏の妙なる︑添弾のゆかし
き︑聴者奄して羽化登仙の思ひあらしめれ︒
一︑長唄︵長尾君︶ 君が猫特の長唄︑︑︑れ叉非常の嚇釆Q
一︑追分︵相君︶ 鴛は﹁クラス﹂有数の美音家Qその聲の美しさ︒情緒纒
綿こして其響ば遠く︑微かに︑何慮までも流れ一9くがの如くに〇
一︑琵琶歌︵石野君︶ 君ば人も知ろ︑金城琵琶界の覇者であるQ動々隔
る音啓によつて詰り出されしに︑﹁別れの選歌﹂であろQこに日露職孚に於
てあらはれ力患勇義烈の一兵士の拙烈談であるQ之な聞くもの誰か涙秘流
・さ矯る︒へ吾・Q鵜一斗・げ﹁か一りが男なうまじQげ・に︑ 一座森ミして傾聰し六のも
無理ばないQ
一︑バイナリソ︵吉野滑︶ 次でバイすリソ片手に︑顯ばれれのば多藝の
吉野君である︒奏つる曲ば其名も優しき千鳥εかや︒さにれ一高一低の音
の面自さ︑一9がしさ︑そ曽ろ人をして︑優美の感な抱いしめ六Q
ひくて興ば早きねども時ば黒鴨なく過ぎれので︑ 一同香林會の万歳を三唱
して會瘍な出六︒晧正に十一時Q暗空ににご二の星が淋しげに光ってなつ
れ︒へ三月二十日R︑K生︶ 繭剛鶴凹一嗣一一讐奮隔刷鵬謄噸■側■潤國楓凶﹁噸闇凹幽幽51凋嶋繭■剛鯛帽旧唱国■口隅噌腫四回繭圃口謄一姻隅閤司礪閣隅隣口四口勾璽.叙便吉際令
②海軍省
舞鶴海兵嬉野兼見叛軍讐長
免本職針兼職補鹿島軍欝長 大西瀬沿︵塁年︶
⑳石川縣二月十五日
九級俸給輿供養免職
二月二十二日
俵願免職二月二十九日
供願免職二月二十九日
命要員︵十二級俸︶
全 上︵十二級俸︶ ︵外科二部︶︵婦人科︶︵婦人科︶︵丙科一部︶
︵婦人科︶
鵬金澤讐學專門學稜
二月二十九日
丙科學副手チ囑託ス
月手當金武圓給與 讐員 伊 警世︵三難﹀
讐員 上 野 善 造︵四星︶
配員吉田皇恩︵璽犀︶
金澤馨學幽門學校磐海士 中本和三郎へ四ご年︶浦 晴ご︵翌年︶山 崎重 次
︵叙任及蹴令︶第十七巻 第三號 一ご三野七十四號
】一イ