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明
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治
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明治三十八年十二月八日獲行
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@ 舞l奪蓼桑釜
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十全會雑誌第三十九號.目次
O原著及實験
O心臓及ピ豚管ノ先天性崎形ユ 就キテ︵承前︶ 特別曾/1小原芳雄
O藁灘二於ヶル﹁フィラリヤ﹂性 乳魔血尿ノ一例 中川幸織
O抄録
O石炭酸力yフ〃ノ外科的感染二欝スル効川
OH露戦争二於ケル血管損傷及外傷性動豚瘤
0化膿性拶膜炎ノ外科的療法
O漫 録
0沼津旧記⁝⁝⁝⁝:⁝・⁝:⁝⁝⁝⁝・:・⁝⁝⁝⁝⁝:⁝・⁝池部雨橋
O白山登山之記⁝⁝⁝:・⁝::・⁝⁝⁝:⁝・:⁝・⁝:⁝:⁝:来 渓 生
O秋季雑吟
O會報
O叙任及辞令O本會役員O謹んで大西先生か逡るO大西先生逡別會O大.四
先生の書翰◎菖雑誌重書負渡湯有壁両君を逡るO木村博士の覗辞演説O卒
業生諸君彪送ろO卒業証書授輿式O卒業生諸氏逡別會0河野通夫君逝くO
鳴呼川勝頁三君O松浦先生O入學式0入學生0馨學科第一年級々會0第十 一 〜
二回解剖逡体法曾O天長節拝賀式O雑誌部編輯會記事O弟二年級第一次級
會O跨學科第三年級々會記Oアドリナリン製矧〇三十七年度十全曾収支決.算報告
O會 告
◎寄贈及交換書目O三三領収
卜乙筆 1・▲Ψ▲Ψ!←亦←寧←申→立→よ参・夢ー
ー浄ヒ
謝 辞
本誌第三+入號は實に學年末に至り
て登行し︑編輯局裡勿卒の際︑校正
するところ猫.活字の誤植多く︑著者
の好意に背くや切なり︑謹んで一言
を呈し其の粗漏を謝すこと爾り︒
雑誌部委員
↓ ︐一﹄覇・倒−︐ ㌍η
‡
畷
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一 回顧スレ山前キノ本稜敷写︵現二京都讐科大磯子授︶馨學博士鈴木文太郎君就職ノ當時︑諸般ノ設備術甚ダ幼稚 謹 告一
二囑シ︑書籍標本ル勿論︑其他授業上ノ用具二到ルマデ多ク旧藩末ノ逡産二係ル頽器物重過ギザリキ︒然〃二
君ハ深淵ナル學識ト天賦ノ妙技ヲ以テ此機運二慮シ敢テ誤ラズ︑日夜之レ努メ︑在ルコト三年二羅刹ズシテ本
稜基礎留墨三今日ノ基ヲ樹テラル︒殊二君ハ學晶質養二向ッラ濁特ノ智嚢ヲ有シ︑恩威両ナヵラ全ク︑濃州亦
二野父母ノ如ク君二畏服セシコトハ︑贈品君二親爽セシモノノ恰ク知ル所トス︑依テ吾人後輩ハ構想二鞠力左
ノ方法ヲ設ケ君力偉功ゾ本番ト共二永ク傳ヘソト欲ス︑有志ノ諸君競フテ此墨二賛助アランコトヲ希望ス〇
一鈴木博士掌身省像ヲ薩額轟製シ本校・輔掲ク
一有志醸金ハ一人金五銭ヨリ三十鏡マヂトス
一醸金ハ本校+全會會計部二御逡附ノコト
一醸金ノ〆切ハ明治三十九年三月末日
一醸金額及姓名ハ十全會難誌ヲ以テ時々廣告スルノ外心二受領謹ヲ慶セズ
一事業終局後決算表ヲ製シ+全會雑誌ヲ以テ廣告ス
一若シ醇金額二剰飴ヲ生ズレバ書籍其他ノ物品二代へ山稜十全會二寄附ス
明治三十八年+一月登起人
石
金
三
川子
木
喜治
三
直
郎
耶
轟幽塵辱_
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一 一
n v r f i 僧 一 − . 一
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eしrL=T_..一. r㎎鯉堺・脚1=忌重r}費 袖ドv}as「u一じ..L;.mu一一一」=・.w一
報薪石藥琳:臨
.rL]一「一=..=・^.v・=M一.L.胡』寵』〜」駄躍幽瓢鄭 一… 旧∫ 「訊
押一﹄
頁八一影虹q奉脅{」 t、 ・(言iヲエー9』月毎)干り月
本新報ノ目的論 新報︒纂抄Q摘録︒斜方︒質疑ゐ時慣等ノ諸欄チ設ク謡扇上二關スル藥石ノ内外新説チ綱羅
轟臓藥ノ鷹チ鰻シ一γ舞漿諸彦二紹安ル差り︑聯邦響二關スルノ錐選ア少ナ窒ア︷フス
下場︑悉〃藥學及藥業憎憎テプ記事ノミニシテ脇脈上ノ些細二重キチ措〃力如キハ絶エテ見ザ〃所也︒是レ
此登行チ企テタル所以トス
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JX x 揮疇︒.︑緬瞬肩敷 鯉㌃緬馬瀬誰鎌蓉賭胴胴謬ノ誠意熱唱熱輝平等賑鋼灘赫 病㌍ゴ瀞ハド方府繍物蔭騰塑魏響町匠畷殊鵡 抄録輪輪編膿馨鞭摯η賞ζ蝶.ア禮遍身曲論 新報η︒.釣.奇嘱警急跡継錘纏縮題碗鰐.纂
見本募義鍵騒申込ア・註穏当ス・ヘシ
ノ︑〜〜ーダ〜〜〜ーー︿﹀ノ︑〜≦〜〜〜〜〜〜・ノミくくピ・
代金黒穂テ前金制ニシテ一冊︵郵税共︶昏昏鏡五厘 六冊前金︵郵挽共︶金流拾八鏡 +二冊
前金︵郵税共︶金壷圓拾鍵
磐事鰯雲本祉直接講者諸氏ニハ六冊前金︵郵税共︶金五拾五銭﹂+二冊前金︵郵税共〃傘.面ノ割
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内示正:聞新事三目丁二町元匪郷本市京東
社報新石藥
一一一嗣繭一 一鼈鼈齣X
九十芝第誌難會塗十
a画四噌口暑口回国腰闇岡田閏四国罎福田田口剛躍脇躍︐翻口一匹開幽田田顧樋隅四圏剛醐面鳳麟颯局麟暫瞬剛鰯劇唄隅悶コ■揖剛日四一鞭=〜
舞
○石炭酸カソプルノ外科的感染
二封ヌル効用
ピド<●9旨償邑重
氏ハ外科的戚染工次ノ合測ヲ賞用ス
慮 方
純石炭酸 三〇︑○
カンフル ふハ○︑○
↑無水アルコ窟ル 一〇︑○
用法︑丹毒ノ新蘇ニシテ蔓延甚シカラザル毛ノ晶ハ一日
號…
乃釜回転饗周園ノ皮嚢霧ヲ塗布ス︑蔓延甚シ 重ノ・二呈ノ外霧ヲ浸シタ薩脂綿ヲ局部垂
油一紙ヲ以タ茸→上ヲ一被覆シ懇軸幣ヲ⁝以ニプ固定スベシ︑一難杣下
帯ハ一日三回イ交換ヲ要ス
蜂窩織炎特昌療疽血膿避暑ノ初期モ全野二瀬置ス鴫シ而・ 〜シヲ化膿ノ徴候アラバ局部ヲ切開シ創内二全翻ヲ多量二注入スベシ︵深在性膿瘍二の三十乃至五+琵ヲ注入シタ ル毛副作用ヲ起ずリキ︶o 戚染創ハ全翻ヲ以テ洗灘シ
.タル後面捌ヲ浸シタル﹁ガレぜタンポン﹂ヲ創内昌挿入ス
ルヲ可トス フルンケル結核性痩管︑水豚管炎︑・獅等モ全檬二慮置スルニ・奏効現
著ナルヲ見ル
此ノ合捌ノ皮膚及創面剥撃作用ハ全ク欠除スルヲ通例ト
ス︑只甚ダ稀昌短時間ノ灼熟ヲ威ぜシムルニ過ギズ︑加
之全捌ハ之ヲ密閉シタル瓶中二貯藏スル時ハ長ク憂質ス
ルコトナシO ︵外科中央羅誌千九百五年配昌十號︶
︸ミ︽一 ち
O日露戦争二五ケル血管損傷
及外傷性動脈瘤
ピ①9切︒巨げき娼片
氏ハ昨年三月ヨリ本年三月轟至ルマデ﹁ハルビン﹂ノ露國
一病院二勤務シ負傷兵ヲ治療セルコトミ千六百人ナルガ
.(錐︶
五
︵抄 録︶
山
ノ、
號九十三第講蘂幽曾杢十 血管損傷二藍シテ次ノ結論ヲ下シタゾ
一︑近世査被揮二因ス〃血管損傷轟劃シテ︑戦線二於ヲ
直チニ手術スμコ︐トハ大出血ナキ以上ハ其必要ヲ認
メズ︑受傷後歯時二血管幹部ノ結紮ヲ行フコトハ末
梢部ノ脱疽及後出血ヲ起スノ危険甚ダ大ナグ︐
一︑戦線二丁テハ先ヅ防腐纐帯ヲ施シ次二運搬ノ際ニハ
受傷部ヲ固定スルヲ要ス之レ動脈瘤螢藺ノ趨勢ヲ減
却スルノ︑︑︑ナラズ後出血及創傷画歴ノ蔓延ヲ防遇ス
〃二必要手段ナリ
一︑動真正嚢ノ摘出ハ事情ノ許ス限りハ凡ソ受傷後四週
置 目二二テ射管全ク治癒シタ二時承平重ナル防腐ノ下
昌行フヲ可トス然ル時ニハ動霊室ノ確實ナル根治ヲ
期ス〃コトヲ得ルモノナリ
繭︑外傷性動豚瘤ハ数ヶ月ノ後顧自然昌清失シ其雑音モ
聴収スベカラザ川二三ルコアトリ
一︑小口径套被揮ハ血管と命中ス〃時二決シテ其弾道ヲ
鍵ズルコ︸ナシ即チ血管ハ必ズ擦過セラ〃・力若ク ハ穿孔セラ〃・カノ損傷ヲ被ルモノトス︒ ︵ラソゲソベジク氏外科賢函第老十毛巻︶ ヒ︑ O化膿性鵬膜炎ノ外科的療法 国ウ重目Φ一一●化膿性腸炎ノ中例ヘバ耳性縢膜炎ノ算者!如ク化膿爾ホ限局スル毛ノハ外科的手術ニヨリテ屡々治癒スルコトァソ︑氏.モ實二好成績ヲ得タル三例ヲ有ス︑然レ豊ハ廣汎性ノモノト錐毛手術昌ヨリ治癒スル望ナキモノニァラズ從テ之二劉シタモ手術的襲撃ヲ加ウペキコト ヲ勧ム〃人少カラズ︑全氏ハ叉結核性膿膜炎二黒シテ毛仔度穿算術ヲ試ミタルモ不幸ニシテ未ダ一回毛治癒二二ラシメタルモノァラズ︑然レ共劇烈ナル頭痛二三螢等軸蜀シプハ穿顧術ハ屡々好影響ヲ與フルコ俸ヲ見タリ 氏ノ今回報告セ三寸二例ハ三十三コ口男子︑電車ヨリ飛下リ過ッテ頭蓋底骨折ヲ受ケ︑化膿性滑膜炎ヲ績登セ〃
コトハ患者ノ現ハセル主徴及腰部穿刺ニョリ得タル濃厚
號九十・三第三難會塗十
ナ〃膿汁きニヨリ確診スルコトヲ得タソ︑氏ハ受傷後十
日目二於テ精紳昏迷豚臆殆ド鯛知スル能ハザ〃全患二二
穿顧術ヲ施シタリ︑即チ雨側顧頂部ヨリ各五﹁マルク﹂銀
貨大ノ骨片ヲ難除シ頭蓋底ノ方二﹁ガーゼ﹂片ヲ深ク挿入
シ置キタ.り︑術後ノ経過ハ良好ナリキ︑即チ三日ノ後腰
部穿刺ニョフ得タル戸冠当院二二濁スルノミ︑六日ノ後
ニハ全ク透明トナリタリ︑患者ハ凡ソ+日ノ後螢語ヲ試
ミシトセルニ全然失語症ト失書症トヲ起セシコトヲ見舞
セリ然レドモ諸症日ヲ経ルニ從タ消失シ四週ノ後全ノ玉
体二復セリ︒第三例ハ脊椎管二或手術ヲ施シ上行性隅膜
炎ヲ起シタル患者二低毒ノ手術ヲ試ミタルニ精紳ノ昏迷9
及頭痛一二好影響ヲ與ヘタ〃毛数日ノ後患一一鬼籍二上
リタリ︒ ︵外科中央雑誌干九百五年第三十號︶
* 鱒 * 勢 *
志大業者必澤旧任︒ 抱大器者必一所投︒
是以梁江湖不取贈騰之木︒ 釣鯨鰍⁝酒両三之溝︒
︵漫鍮︶ 葵 幹 * * * 昌嵩呵■閥幽=恩ヨロ置■議嵩■繍■日昌=轟=昌瞠暴護躍口口塁圏嗣冒口ロロ躍ロロロ屡■旨圏■口=ワ
O沼津醤記池部 雨橋
國
今弦︑四月二十日午前十時頃湘藍青の如き奔流の漂然
たるを前にし︑後ろの水車小屋に︑米つく音の面訴きを
聞つ\︑小さき坂の傍︑辻堂に隣れる松か根に︑色青き
男の藁草履はきて︑洋杖持ちだるが腰かたり︒ 此威は駿河の國︑沼津と三島ざの間︑清水村εいふ百
戸の小村にて︑かの男は︑物語る回れなり〇
二
何故君はか︑る所へ湿しご問ひ給ふか︒ ろは君彌生の末つ方なうき︑いさ︑か肺を病みて︑世
をも人をもはかなむ思ひのハ絶ねすわが胸に領したれは︑
美遊も悪臣に若かずこいふ青郵がかち歌ふεころにして
雨城の君春雨の君にさらばよご︑春風一百五十哩程︑越
の朝風身にしみて︑注いめも敢へぬしはぶきに苦みしを湘
夕は若櫻の星光淡く︑正蔓寺の晩鐘に人生の恨み長らひきて︑母秀待つなる故郷の戸に立ちたりしか︒
されどいかにせむ︑衰へゆく躰躯は雄心ふりれこさむ
七
︵漫錐︶
八
號九十三第、講鶏會盃十
fVNwwN−vYwWV−VW−VWWV NW. 憂心つねに幽暗の黒雲に鎖されつ︑日ごろ離さ綴高息さ のきらめきに零れぎれは︑限りなき生のいと団心許なく︑ は秋をも見ずてゆきな写し︑されど吾が霊昏うして鷲敷 に由なく︑過ぎし年月の幸うすかりしこご︑現當の吾れ
へ︑清興を齎らさ湿れば︑月花の詠めもいさ︑只物憂か
りしと答へてやまむ︒
斯くては行衛の沓けきに︑命こそげに寳なりけれ︑徐
り骨肉の同情が君の心を清極ならしめむ︑寧ろ風温く水
清き地に︑放念静養の見こなり玉へとて︑馨も友もす︑
むれば︑幾尤びの夏遊びだかりし富士の裾野に︑わがみ
よりあるを幸ひ︑百年の計πつる氣になウて︑瓢然かの
地には向ひ沈るなりき○
國島
裾野の春は筆に盤されずかし︒
若し維む︑ろある君が︑吾ご共に三脚を据へ給は思︑
先づ書面にコバルトの天色を塗り給はむ︑而してちり雲
のほめかに鶴毛の飛ふが如きを見て︑水なき海のうす化
わひε︑何の絡具ざきπ懐ふや︒
うら\かなる日影は愛の如く︑入醇はしめの眸に似留
り︑仰けば朋ある童あ♪︑金鈴を揺︶て高く雲に入り︑
雲に入ウつ︑術揺ウて︑終に杏冥の裡に隠れ顧︒
醐蝶の舞の彩翅細︑ろでの控ゆげは櫻かざしけむ大宮 人ごころ︑わが酒痕涙痕の袷の袖と取うかへばやな︒ あ\君︑変の畝のエメラルー3の如何に和かく優しきかな︑西ぶりの夜宴の姫君に︑轡脇士の裾野たぐへ給ふか君︒ 南の山は近ければ︑グリンにレモン黄を混じたまはむ︑かの常盤木の箱根n︑予プルスエローに印度藍ならずや︑西の遠きは室色の淡青なるべし︑山陰に群青を用みたまは︑山智慧の如く活きむQ 四 東海道は︑左︑かの火見梯子のところより︑ますぐに︑右︑三島に走る︑昔のま︑の松原︑糟ありげなれど︑金紋先箱の行列︑今は壮馬車どかわりて︑前言の聾のどかに聞こゆ︒ 茱の花の黄なるもよし︑蓮華草の紫なるもよし︒ 紫も黄も︑雲ざ棚引く美しさを奈何に訂せむや︒ 遠き森に幟のはだ︑き︑遠の村に臼壁見へて︑駿河伊豆の大野は︑ユーラ〃の波細やかに︑かげろうπち昇るなり︒ 小き村の娘の︑みのく背に幼きを負ひ︑花に遊び花に暮して︑花の家士産双の手に吊しつ︑唱歌して村に入う行けば︑春草に放だむざにや︑傷心の男は静々に裸馬牽きて來り調o
珍しきば蒲公英の多きことなり︑ヒの地正月より除く
と云︵ど︑春盛りなる今も爾︑人行く路を飾うて︑さな
がら黄金ほスノ道辿るやうなり〇
六
?ノ幾千万の花嘆けば︑花に幾千万の虫あウ︑渠蘭書
あまり蜜に醇ひしゃ︑ひねもすむげに飛び廻れるのみ︒
大氣動かず︑雲飛揚せず︑そらの笑みと地のよろこび 十
ε︑ひ置しく満つるうちに︑吾れハたや塞当たる懐ひを 壷
抱炉て︑自然の大書圖に封ずるなりき︒會
難 七
全村を翠って数十百泉︑入間至る所沸々πる噴泉を見 生 是れよりふさひだる名なきは墨水てふ村名ならむ︒
漿
三〜
るなり︒
小さきは針にて突きし穴より湧く如く︑中頃なるは蟹
の泡沫を吹くにも似︑芹の根許を爾かご見ればそれも湧+州
九 く水なり︑鯉の水吐くやうなるはや︑大なるに属す︑面
號 自きは一家族の如く五つ六つ群れ居て︑此庭にも彼庭に
もあのノ\割擦せるこごなり︑最も大なるは亘砲の筒先
W
の如く砂礫を黒雲のやうに跳ね飛ばす︑そのむらノ¥と
立ち登りし砂礫の︑やがて落ちくる時︑更に第二の無智
は︑底なる黒雲を蹴散らして︑漠然天a沖するの勢あり・
地下に人の住まべるか︑地の呼吸するにや︑見つむれば
︵漫鍮︶ こぼノ\と者して︑恰も地底a笑へる様なり︒ 八 清水につきて思ひ出せしは彼の藪蔭の水車小屋に流れ入るいさ︑小川なりけめ︑ろは幅U尺ばかり︑深さも亦全じけれど︑水の清澄破璃の如く︑透徹鏡に似︑而かも両岸の蓮花のはなは鎌鉾形に川ε共にうねれり︒ 徒然なる︑裳︑︑片薄き板もて水車を作り︑佐保姫の帯ざ按がうこの流れに架するに︑くるく廻りて籾ても面白しや︑雨降らず風温かなる日は︑書すぎょり僑居の六つと四つの女の兇を連れ行き︑深緑の蒜を敷いて︑持て黒し水車を二つも三つも仕掛け︑一人に一つ宛番をさせ置けば︑小猫のやうに圓ろき賦して飽かず眺むる榛︑愛らしき限めなうO 身に病と︑心に忍なければ︑渠等の林檎の頬は笑みに盗れ臓︑姉は妹を妹は姉をかカみに丸いπわり︑嬉々として遊ぶを見ては︑春の水の行く末心許なく︑われハわが影を歎きて︑水車守る大供の襟に涙落し繊〇 九 吾の腰炉け居りしは︑柿田川の西岸なりき︒ 柿田εは清水村の字名にして︑さきの百泉を集めて流る\︑此の川の名にも附けたるなり︒ 入若し來ムてこの川に劃せば︑川幅の上町にも鯨り︑
九
︵漫録︶一δ
號一九十一一蔦.第i.翼.雑武烈十
言違こして大河めゐもかげあるに驚かむ︑而して高潔水
晶の如きは︑世に新らしき水なればなり︑喜びの譜を歌
ひ行くは生れて重しければなり︒
川上は潤うして湖のむεく︑樹影倒に落ち︑;艘の小
舟に川藻を満載し贈るが彼方の岸に横干る︑家鴨あり︑
等々と鳴きつれて舟のあだりを泳ぐ︒
川下もれεらず罪し︑されど水は波立ちて急ぐなう︒
ろの上下瓢のこ履くふくれし中央の狭きに架したるを
等橋なれど柿田橋といふ︑上流萬頃の水は橋杭εせる石
材に施せられ︑僅か二三間の閣門を開くのみなれば︑押
し古せくる水勢は︑跳躍し︑奔騰し・劇の背景の如き波
形を描きて︑轟々物すむく狂ひ乱る︑.されば底を掘りゆ
く水の力は幾尋を穿ちけむ︑清き讐へむばかりなき水ながら︑掬まば掌に色を捜すべし︑白煮浸さば濃青にや染
むらむかご︑身も流るごεく畳ゆる綾で︑立ちても居り
ぬ.o
寒一〜O野山登山略記︵三十二號ノ績キ︶
米 漢 生 十二日
闇曙の裡︑宿夢既に破れ︑惚を開けば︑濃霧四方に満ち︑ 曇鏡に託するもの\如し︑徐うに庭内を遣蓬するに︑水煙のうらくと︑茶庭彼腱に立ち上b︑朝霞深き所に認むる山廓︑宛然歯して書中の喬なり︑沐浴し︑朝餉⁝も己に過去に撫し諏︑時は將さに午前六時︑約の如く︑案内者來りて虚足を促す︑然るに罐荷未だ全備せず︑其の遅滞なるを叱責し︑出襲の途よ就ぎしは︑午前入時二十分なりき︑登るさに︑肚務所に至り湘登山料を納め︑杖を曳き︑撒百の石階を踏み︑烏居を潜り︑細径を奥ノ院へと辿る︑径愈々瞼悪︑山増々勲爵︑進めば蒼天彌増加はる︑孚里余にして一嵩流に逢ふ︑導者告げて曰く︑此の水を汲まざれば︑他に求むる地なし巴︑ゆかしさに鯨飲し︑又二三の器に貯ひて不時の渇に備へ︑進めば愈々深林︑時に一峻坂あう︑︐其の傍に一大樹あり︑導者指して礪とハ此の木なり︑故に此の坂を礪坂ざ云ふご︑爾ほ之れに次ぐを木呂坂︑板木坂ざ云ふ︑叉た断崖に木の根生於出で︑宛然梯子の如し︑故に梯子坂巴得するなウご︑左方よ遠く長蛇の蜘艇横はる如きは︑之れ千嶽ヶ谷に於ける︑千丈の爆にして︑数百尋あ血と︑諺に︑山は則ち富岳︑曝は則ち那智と云ふも︑千丈は那智よう長しビ︑菅だ名の千古に垂る︑ことなきは︑知る人の少なきが爲めにして︑實は︑山は則ち新高︑爆は則ち千丈といはV︑
其の名に減て︑翻溢する愚なかるべし︑實に其の肚観得
號.轟_十三第議難曾i象烹、一一一...
て名状し難し︑衙ほ勇を鼓舞して山腹を梁り︑唾壷に達
す︑老樹︑陰森朦朧ざして︑書も亦晦瞑︑日光の漏る\駈︑甚だ稀れa︑宿霧未だ乾かず︑鳥聲翼々πる外かに
寂εして耳朶に接するものなし︑身薄焼惚として︑一壼 ヒノキ ヤド天中に遣即するが如し︑峯を傳ひて檜力宿℃至る︑弦に
↓つの石像めり︑朽ちだる鳥居は苔蒸すばかりに其の前 チヤがマググリに遺る︑休憩半々久しふし︑又進みで茶釜潜に至る︑亘
石裡路を浬む︑然れども一の岩裂は通行を許せり︑峻鐙 カミソリガイハヤを蹟み︑細径澗を迂廻し剃刀窟に至る︑此の窟は一片の
亘岩壁暮して︑其の下は一の集落をなし︑無数の石像其
の内に安置ぜらる︑敷千の奇石浸潤は其の周園を礪へ︑族者をして︑一時休憩の便を與ふ︑埜に快談放饗するこ ゴ インサカ ウィマツムロドウと︑孚時間余︑再び瞼を犯して五倫坂を過ぎ︑慶松室堂
に至る︑導者曰く︑全径路の什の五六に達せしものなり︑
而して堂は不時の危難を避くる所なり蓬︑術ほ汗を搾り ベヅトウザカ セリニ ンかイハヤて︑別當坂を越ね︑仙人窟に至る︑此の窟も亦奇石相集まりて所々に集窟をなし︑檜松相交はりて︑叉奇観あり︑
時巳に正午︑窟傍の緑草を藍として︑豪中より水器を出して干れを酌み︑叉握飯を出して溢れを喫す︑借に︑皆
な登山せんビ欲する膿力者なれば︑意氣甚た肚烈︑勇を ウマノガりいプむルヨミ鼓して登り︑馬鼠に至る.名の如く路狡隙にして緒土よ
りなム︑馬寮の如く︑当言直面し︑傭⁝して左側を槻下せ
︵漫録︶ ば湯谷川︑眸を右下に移せば柳谷凡︑万侭の整下に流れ︑今若し一塊土ご共に肘る\あれば︑身は粉卸せんのみ︑眞に其の峻軍馬凌雲を行くが如し︑實に盛れ天下の奇な好むものに非らずんば︑安ん季験を犯し苦を嘗むるあら トサカ イワんや︑進む事十余憤にして難冠石に至る︑奇石暦巖愚をなして懸崖路絶ち︑荘然として観寸毫に登上せし如く︑正面には御前嶽混然こして構立し︑視野を右嘉すれば別山 オレテンヂケンガミチ左書すれば大汝︑劒峯︑共に整然として隆出し︑御前に近く濤麗なる不動爆あう︑二條相懸ひて百数尋の絶勝に懸る︑別山に近きを布引/爆ご縛し︑五六十尋の.高ずあるべし︑共に凄凛烈九天に水晶簾を蒼くるが如し︐︑遠離聲なしご錐εも︑激走飛行巖に鯛れ水筆ぐ紛議碍散︑咽εなり︑.霧こなり︑紛やとして山谷の霞を見︑時に或はV
一條の雲霧に組し︑風に件ひ來りて︑強者の面を霞びる
事一往一來︑爆聲何れにか隠れて︑耳塞に接せすと錐と
も︑投聲轄た百雷の轟曾て︑澹崖を震動するあるを臆想
するに足るのみ︑實に其の偉麗肚罪なる︑名状し難し︑
術ほ崖に浩ふて下り︑瞼を撮み塗に七坂に達す︑此の坂
は甚だ峻瞼滑々︑且つ細濡事にして︑登上するの困難な
る粋なウ︑此の瞼四季累雪する所なるも︑前年に亘り降雪少衣き罷め︑片雪も存せずご導者物語れり︑勇を鼓し
て上れば︑一小池あり︑千蛇力池と云ふ︑千古より死水
iiii
︵漫 録︶噛三
號九十三第講難會盈十
へげ「{嚇 〜〜へ(」jVVN一 一一、
を以てし︑入若し青れを薇すが如きあれば︑自竜勃然こして黒雲を招き︑暴風附言を醸し︑其の行族に危害を與
ふε云ふ︑叢に休憩談笑稻を労うし︑歩を鎭頂に轄ず︑
山増々婦警︑其の聞奇卉異草のみにて一喬木なく︑︐繁茂
自ら別なり︑或はつばな墜ちの董あり︑車百合︑黒百合︑
幅雑草︑共に妙齢の秀芳を競ひ︑姫百合亦姫君然として︑
草卉と其の艶を璽ひ︑奇観飛砂︑魔然青茶の名に背かず︑
叉上ること数+野にして︑幽増々峻烈︑嶢石賭土のみに
て︑﹃百草及ひ五葉催松︑所々に纒湿せり︑歩の評する毎に絶巌に近僑る︒時に一李振あり︑之れを五色ヵ濱ε云
ふ︑遠望すれば︑離漿は港舟εして水貫谷に盗り︑馨れ
下館隣し渇を癒するに足らんと︑互に競ふて疾走し︑卒.
時見難き諸先生の飛行の健脚も︑此の時に非らざれば見
得べからす︑此の蒔は實に眼中に壷一た雪片あるのみ︑至
うて雪を手にすれば︑未セ喫せざるに35骨深めに寒く之
れをロにすれば書面の暑さも何時しか拠る︑實に此の渦
を讐するに當り︑金玉何参此の一片雪にしくものあらん
やと︑叉即席入工ラム子を造うて︑飲んで翼の飽を忘る
︑に似πり内之れより歩を移して︑五色ヶ濱を過ぎ︑室
堂ε云ふ一の庵に達す︑疇己に午後四時なうき︑
室堂は奥ノ院の南麓+六町にしで︑間諜七言︑奥行三間 ズ ヤィ コ余︑大小の二室よりなる︑六住居は粗にして族渚の指す る所︑蕾だ雨風を凌ぐに過ぎず︑小なるは︑即ち山守鈴木重太郎の宿る虜なり︑嘗て先行濤に依れば︑重太郎は天眞思立にして︑高談飛語をなすと︑之れに謀れば小室を得る豊凶難からずご︑則ち就て諜れば︑︑其の好遇云はん方なし︑・誘はる\言葉に︑奥の+聲εも青しき小室に ウスパリリ惚れり︑山守薄縁など︑上座とも陣しき班に歎き︑鱒盛なる轍迎をなすに秀︑番うて坐せば︑萎茶を汲んで勘めセリ︑鼓に於て捲荷愈開き︑晩餐を喫す︑食ふては話し︑話しては食ひ︑食鑑くる込談の響くる事なし︑談笑酷なる時︑杖を奥ノ院に曳く︑其の途︑阿彌陀ケ原⁝ε云ふ所 りあり︑石碑二三今愚慮の形跡を存す︑進むに從ひ満巌乱崖︑千農起伏︑人をして今更に造化の奇に愕然陀らしむ︑上るに路落話として頗る岩瀬︑一歩に轟轟︑勇を鼓して遽に絶頂に達するするを得だり︑鎭に一小祠あり︑回れ今年再築せるものにして︑土濃を罷り乱藁筆輝之れを園養し︑撒世に倒る\事なく︑風雲の害を凌がんεするは︑ 甚π奇なうざ云ふべし︑此の祠は︑養老三年七月三日︑越前の僧門澄大師︑自山の難に心願する所あウ︑依て諾︑撮︑官爵ト菊理南媛命を御前岳に︑大己貴命を大毒嶺に︑大山砥命を野山に祀れり︑其後︑檜南嚴坊の勘誘によム︑藤原秀衡は五尺の
金銅像を鋳て︑経れを納む︑然れとも後災の爲め之れを
號九十三第講贈「禽 蕪骨・NL.fi一一VJ−m.vv一.ANVVv vvv一 一vs;nZtvVNn−N−Vv
失ひ︑現時は三嗣共に紳鏡を以て玉代εなすと︑叉傳ふ︑
壽永二年木曾義仲奥ノ院を再築せりご︑果して書せる如
くんば︑自著ε藩儒名士どの因縁深からすんばあるべからす︑且つ古は多くの院祇臼山に管径し︑山徒其の勢ひ
に乗じ︑屡々國主蓬戦ひし事美あ躯と︑然れども現時存
するは︑石川郡河内酎に臼山偏騨紳趾あり︑之れ即ち本
紳の支魅にして︑援軍別宮村に別宮騨麿︑︐越後大野郡李
泉寺村︑及美濃國郡上郡長楽村に︑各臼山騨祇あり薮彼の自山比聖餐就の如きは︑遠く欽明の朝にありε云ふを
見れば︑本証は己に泰澄大師の開山前鳶在うし巴云ふを
得べし︑而して臼山は毎年七月中旬を以て開扉し︑九月
上旬を以て⁝鎖すものなりε︑祠の北傍二三十歩の断に︑
明治十五年内務省地理局の建設にか\る︑一基の測量標 ミタカラクラあう︑其の薩南三町余に御寳倉とて石穀累積し一丘をな
す︑實に偉勲あり︑此の嶺は︑東経百三十六度五十分︑
北緯三ナ六度七勢にして︑莫の山麓は六十里を回るε云
ふ︑高さ入千九百尺の高嶺にして︑謡物の一大火山豚なヶ︑古より越の同根ε呼ばれ︑或は芙蓉の峯と聡せらる
る所以なう︑古今集に︑ きねはつる達しなけれ詮こしちなる
自曲の名は雪に秀あbける︑
後撰集に︑ 都寮でしるにふり來る自山は 雪つきがたきξころなりけう︑此の山ハ︑實に軍濁なる一山なるが如しと雛εも︑其の實五型相運うて一大彙をなすものなウ︑其の最高を御前岳︑前に稜々嵯岩を綴るは創力峯︑左に凸兀護るは大汝嶺︑三蓋共に岩山にして︑其の頂には樹木生ぜず︑別山ビ三峯ハ其の南にありて︑巌層に翼砂を散じ︑雑樹も亦繁茂別なり︑今若し天孫晴朗に︑歩を別曲に轄ぜば︑東方蓬かに御嶽に近く︑富嶽の営繕を髪髭の間に謄治し得べし豊︑此の五峯臓延元の始め︑臼山噴火し︑天咬十六年再興け︑獣て其の二十三年破裂最も猛烈を極め︑石を飛し巖を崩し︑此時五重を立つ薮︑今絶頂に登りて双眸を放てば︑此庭には︑大黒山と劇ク峯との聞に︑宛然瑠 ミドリ ィケ璃の如き翠管巻深を乎として冷其の深さ幾尺なるを知らす︑大汝ご御前蓬の間には︑千秋の積雪を以て封ぜられ コン鞍費虜盤剣伽グ峯と御前あ間に墨色を呈する紺屋地獄︑鍛冶屋ヶ漉あう︑其の他遠く欝ほ御手水鉢池︑油池等あり︑之れ等諸湖の如き︑以て其の噴火ロの奮跡なるを知る・東方彼慮に最高峯をなすは︑飛弾の御嶽にして︑鎌谷雲表に聾へ︑着子の風情あり︑其の左方に蒔つは信洲の駒ケ嶽︑隣れるは乗鞍山︑宛竜鋸歯の観あるは鋸山︑鎗の如く鏡きは鎗ク岳︑遠く一審野を隔て︑歴
︵淺︐鍮︶蝉三
︵漫 録︶顧西
々空聾廻す︑眸を左方に轄すれば︑越中の藥師山︑鎖ケ
岳︑立山︑大日岳︑大蓮華山︑雪倉山︑の諸山艇々吊忍
を綴りて一下.の如く︑濁り兄弟πる立山は︑鐙ゲ岳の孚
腹より屹然置して銃巌を表はす︑叉眸を連山の左方に轄
ずれば︑漠々乎ざして一物も眼に遮るものなし︑眸を南
+ 方に長ずれば︑越前の屏風山兀こして雲表に表はれ︑其
杢 の他の諸山兜孫の如く起伏し︑李野に於ける諸二心村の 如きは︑網膜に映ずるに至らず︑蕾だ越前の小舟渡︑.日
魏大海の波濤の如一或ハ竜ごなウ・或は砲煙の如嵩ま 野の河畔.に沿ふて映するのみ︑雲は美濃の一睡をかすめ︑會
誌︐り︑其の置きは嶋嘆の如し︑實に其の憂化出没極bなし
第と云ふべし︑翻りて金澤市街を眸観せんとせしも︑山障
三に流れ蕾だ河北潟︑柴避難︑今江潟︑木蕩湖の四湖一片殿朋論鞠灘獺興呼耽艶麗無噸靴糖騎隣撚雛饗雛塒難蕪雛備鮒輪購
一彩に再議せしが如し此の山の藍隈は飛弾の一壷を暗裡の
内に納め其の肚麗美観ゴルドスミスを地下に招かんよφ
は得て其の秀景を摸すべからず氣候亦頓に憂じ躰に歎重
の衣を専一ε錐寒例肌に徹す蹄るさに氷輪較ごして東山
の輪よう懲り出で楡と吟じ快と啄じ舞ふが如く笑ふが如 し其鴬笛一奇観あり︑室堂に投ぜしは土釜に午後七時︑諸共に冬服に着更へ櫨を撮み互に相談笑するに︑山守流石雲の上人︑人に蝕して快談放論以て何等の盧飾あらん復た何の邪念あらん復だ何の鶴善あるなし︑實に天興燗漫介意以て紳明に臆すべく此の心以て宇宙に繋くに足るべし︑談酎なる時薪煙一室を煙らし其の苦悶言はん方なし︑戸外に清鮮を求めんこすれば弦月は鮫︑寒風は颯として吊りて衣襖を携ひ︑四隣寂莫こして肺虫聲だになし︑詩など吟じ殖遙U町程にして湧泉の下に至る︑水波丁々たる所には鮫φだる月光水に映して金波を漂はし珠玉を弄する如く將た水晶の玉を融くが如し︑野景得て云ひ難し︑手を差し入る︑に心骨之が爲めに寒ぐ︑指尖爲めに泳凍せんのみ︑汲みて利母那泥を作うで酌むに其肚絶言ふべからず︑毛布に包まる︑談笑何時しか夢と消臼︑三々︑五々︑列を組めみ登山者の聲に︑夢を破りし事屡々なりき︑ 十三日寒威冷然肌膚に硬して夢を破る︑時將さに午前二時頃なウき︑櫨を擁し暖を取ケ煙に燃られ談笑肚語︑二丁に四時雫︑鈴木重太郎を案内者とし奥ノ院へと詣す︑時︐は塞氣弱行心骨に徹し︑面を刮ウ恰も寒山氷を踏んで狡兎を追ふの期節ご異なる所なし智弦月は清らかにして西に傾
き星ご其光映を争ふ︑幽草幽︑遽叉遽︑其露彼腱俳徊す
號九十三第楽亀翻曾傘十
W−hAJNtVV VNN.NN−v.N..N.5 ..wyWWVV一一一N.wwVv
る内東山漸く董色を帯び︑周團の山轡叉一面に青醒めた
る濃藍色を呈し︑實に秀麗なウ︑寸時にして景ヌ一憂し︑
東天一帯薔薇色を呈し︑周園の山轡は崎嘔εして藤色を
呈し︑丞−野亦紫藍色を呈して其の豊饒を表はす︑.遽に東
山燃ゆるが如き光景を呈す︑時己に午前五時十二分朝陽
赫々として旭の御旗の如く鋸山の絶難より輝き渡b︑一
天雲晴れて片影なく︑三十有余の登山嚢を黒せり︑
我等は彼の登山者の如く︑奥ノ院に詣で︑願ひを結はん
などの世俗を學ぶに非らで︑山秀で水清き幽遽閑雅の地
を踏みて︑積日の馨を散ぜん巴の願ひに外かならす︑然
れば四五の風流人士を除くの外かの掌を押し合せ一心不
乱冥福を赫願するの歌︑又は聲高々に南無阿彌佛の唱ひ解せんなど︑興に興を添ひざるはなかりき︑眸を轄すれ
ば︑碧艶々煮る日本海之漂渤として水天に連なる所︑宿して見れば︑二三の黙在する湖水︑叉は遠く右に射水の
流は一條の帯の如く︑近く左に日野川の横はるな巴︑牡
嚴を極むる事前日の比に非らず︑勝百倍を加ふ︑昔より
云ふめる︑素潜は山を愛し︑仁者は水を愛すと︑量偶然に罪す︑山の暴然ビして動かざる智者の智あるが如く︑
水の流れて止まざる仁者の仁を施すに似た事︑我れ智者に非ず仁者にあらねざ山水老親愛する今更に非ず︑山の
愛すべきは自然の風景天然の美観入を欺かす︑且つ千歳 易らざるにあり︑ご賞して室堂に臨ウて炊ける飯を喫す︑山頂氣魔低きが故に蚕飯に至らず︑壁書雫飯俗に言ふメツコ飯なウ︑然レε錐ども塞腹裁手此の飯に若くものあらんと︑食逡に了へ仕度早々轍を踏んで下山の途に就きしは午前十時なりき︑登降の途一なムご錐︑其の景叉一ならず︑点景の却て風景を添へ︑疲勢も亦登山よう戚ぜざる事数倍︑正午零時雫千山温泉欠至り︑山田屋に登上して書餐を喫し︑午後二時牢出香し︑・再び不動の霊泉を見舞ひ掬して午後六時五+分場峯村に着し︑再び南舘永井に投じ︑洛食共に了へ︑枕に就きしは午後十時頃な・9き︑ ︵其行程九里余︶ 十四日時なら思入音の耳に留まるにず︑夢境を破りて静聴すれは︑先生の交話なり︑前日の疲勢あり︑且つ嗜眠の愛線に騙られ︑眼はさだか看らす︑さりεて唯だ濁ゆ朝寝を貧るべくもあらねば︑心線を断ちて起床せしは朝六時なりき︑食了りて握り飯を命じ︑之れを豪中に納め︑出門せしは午前入時宇なりき︑山路を辿・5しが︑途甚瞼悪︑歩武を輻井に取う兎︑戸森村に憩ひ︑板野谷に休み︑石川輻井の分界線谷峠の絶巌に至る︑路の右側に國境標あう︑其の筆蹟清滅して其の何πるを辮ぜざりき︑今日も亦連日の晴朗に組し満室に片騎なく︑松柏姑嘱冠して︑咽く
︵漫 鍮︶二五
︵漫録V .二六
號九十三第誌忌引杢十に流失し︑今は蕾だ二片舟の甥岸ざ往來するあるのみ︑時 酒々たる曲流に逢ふ︑之れ過日の飛雨洪水を醸し船橋途 に投已︑休憩暫時再び歩を韓じて小舟渡︵藤巻︶に至う︑ コ ブナトウ 寺尾︑猿倉の諸村を維︑午後四時勝山に至り︑一直茶店 村︑.川黒川を見開り︑叉見逡られつ︑︑中尾︑折紳谷︑ るを得たザ︑谷村を去り︑河合村を過ぎ︑山雪山︑村叉 笹の葉を綴りて︑泉水を掬し︑二巴も詣れが爲めに癒す 片の肉なしご錐其の美味以て煩忙を癒するに足れり︑叉 の蔭に清凍を求めて︑話中の飯團を出して借に喫す︑一 面を彿ふご異なる所なし︑時に路傍に一落泉あり︑杉樹 く其の趣きを異にし︑禽蝶に伴はれ節を郊外に曳き軟風 入れば︑山路甚だ振く︑且つ李垣︑石川縣内の遣出ざ全 搬手の往來甚だ多く︑興一向を加へ臓︑谷峠より編笠に 左顧右陽の問に隠得するも憎からす︑此の路には︑負手︑ 高々に打椅れば︑勝山市街之駕して眺むるに足り︑諸山 し︑其の心地のよさ︑族せ澱人の豫齢し得る所に非ず︑ 虫︑哺く鳥の聲など︑聞くにつれ樂園に歩を弄するが如
に日未た礪れず落暉山にあり︑一片船に薫じで碧瑠璃の
如きを渡るに︑水光鏡よう美に︑劃岸の緑柳整然として
影を註し︑水澄轍にして水底譲れが矯めに歴然たり︑魚
介は吾等を慕ふもの︑如く︑船室に集ひ湿りて舞ひ遊ぶ
など︑︐風景肚絶︑慕ふて此の碧水を横ぎるに非ざれど︑ 風光明媚の地多き︑若し奇勝よ静養を求めんこ欲せば︑必ず鼓に幽を探らざるべからす︑樟を投じて徐々︐に甥岸に移う︑河眸の小罪舘・小島に投宿す︑時己に午後六時三十分なうき︑窓推し見れば暮色愈々近づき︑衆烏高ノき飛び題し塒を争ひし小鳥も︑小枝に5よぐ凍風にとれて︑何時しか夢を結びけん静まるて聲もなし︑河畔に叙する隻も踊り去りて︑残されし小舟のみ漣満に弄ばる\など︑叉路頭に鮎撫せらる︑柳の梢より残照微かに反映し︑薄暗き煙の模は山麓を霞め︑彼方の寒村に星かと見まがふ計の燈は︑幽かに閃めき︑響く水の音︑嬌女か四つる琴の調に似て︑いざゆかしかりし︑蝉の時々すだくなど︑夏の間の露の命を寄せ蹟ご思ひば︑威鷹力の敏なる我等の憾めには︑一又涙の種なりき︑實に此の景なくば㍉夏日の暑も堪於られまじ︑苦中にも亦樂あるらめ︑時に下婬膳を齎し來る︑鮮鮎の美味なる云ふべからず︑食後就抹して何時しか夢境に入う漁︑ ︵其行程九里余︶ 十五日早や翌日こなゲ曉近し︑窓推し見れば︑連日の好天に引き換へ︑濃霧吾が四邊を霞め︑.愈々其の度を高ぬし如き戚あり︑朝餐も畢へ︑午前六時二十分出登の途に就く︑談笑徐行中嶋を過ぐるに︑冷風颯々蔵しといはんよりは
寧ろ冷かなう︑清水村を過ぎ︑轟に至る頃をひ︑馨天頓
_、」勲、慮、消壷贈曾至悉、、_
に写り旭日眩ゆく輝き渡り満室一騎だになし︑天の雲行
に恩澤を與ふるうれ幾何ぞや︑轟村よう杖を山径に辿り
一嶺を越ね新谷村に至る︑此の山は峻瞼にして細径蕾だ
樵夫の饗るあるのみ︑されば其路一ッならす︑或は谷を横きb到る庭を失ふもの数條︑故に樵夫に其の道を尋著
れば︑此の道横に入るべからす︑巖壁に誉れば必ず其の
右方に出でよざ︑逢ふ人毎に注意を受け顧︑言に從ひ蟻
つれざも︑細径又細径藪あり蔓愚筆ひて其の行を鎖す︑
然れども肉薄途に絶頂に達するを得尤り︑馬面の間に孤
村の遠愚見に又隠る︑丁々詣る伐木の聲もこ︑かしこに聞ね楓︑下りて途に新谷村に至るを得だ釦︑期くして三
里の注廻遠路も僅か三十町程にて事足れう︑然れども登
山勢後の又登山︑驚喜痩山な♪ざても其の困硫筆紙丑遠し得べくもあらず︑途に新谷村を経て志比村永苔寺の門
前中村屋に投ず︑時己に午前+時牢︑和服を着け換へ︑
案内者を求めて永卒寺に詣づ︑
永李寺は曹洞宗の大本山にして︑其の宗租は潜思大師なり︑大師は正治二年正月二月に生誕し︑齢五十二にして
亡き入の数に入り︑明治舟五年が六百五+年の法面に正當せり︑借て日本現時の宗旨にて︑一萬以上の末寺を有
する大宗門は︑眞言宗︑眞宗︑曹洞宗の三門なり︑眞言
宗は︑古義︑新義の二涙に分れ︑眞宗叉十派に別れ︑信 徒も從て分派せり︑.憶う曹洞宗にありてn︑混然一致派別なく︑一点四千の末涙を有し︑信徒の藪は約八百余萬ありと︑蕾た能州に一本山ありと云ふが如きも︑永孚寺の支派なるが如し︑世上にて租師は則ち日蓮︑開山ハ則ち親鷺︑大師は則ち弘法と世評甚だ高し︑然るに斯く高からざれども︑越前丸幅井城下を潜る四里の深山幽谷なる一塞村︑然かも四月積雪街未だ解けざる所に︑斯く終世依然ごして盛肚を富むる︑蓋し故あるべし︑悟れ其徳高きに由点せるものなうと︑大師其の性︑意氣英適にして才智あり︑深く名利を願はす︑名宗高信の大師に参藤し︑佛敷の眞意よ開通し︑眞正の佛敏を布敷し︑勤王誠忠にして︑傑出の門弟を出し︑僻地の道門より四百除萬の檀信徒を出せり︑諮れ其の盛大を極めし所以にして︑又終世不易の端緒なり︑而して今は其の末孫久我候ありご︑案内者に導かれ︑永李寺内を親玉す︑此の寺は落寅たる山霧に綺麗なる現時の堂宇連立し︑買得数九拾余︑此の坪撒武千七百入十盲ありご︑何れも偉観を呈せウ︑其の周團には老樹諸所に繁茂し︑庭前に小河緩一流れて︑水清く山秀で︑淘に亘理閑雅︑勅使門を見︑山門に至れば︑鼻面の聲︑木魚の音︑時々重書る鉦の響︑寂蓼無常と響
くなり︑中雀門︑信堂︑佛殿︑承陽門︑拝殿︑承陽殿︑
︵漫 錐︶毛
︵漫 録︶
號九平三第講難會全十ば︑海水浴者の蹄澤するもの甚虎多し︑一言の高密ざ共 造化の奇に樗然力らしむ︑騨又騒を過ぎ︑小舞子に至れ きぬ︑其の途次︑雷光宇宙を裂くが如く入をして今更に 飯を喫し︑午後七時二十五分下りにて漁笛一蹴蹄路に就 遁遙遽に停車場に藤る︑時己に午後六時︑旋舘に投じ夕 無き蓮路も一入喧しく︑男女老若馬車の往來織るが如し︑ 藤島村に至れば︑今は恰も此の郷の孟蘭盆にて︑常は人 び︑目には見て手に之捕る人もなし︑其の風情いと幽し︑ 畦眸を流れ來る水中には︑三々五々列をなして魚の舞遊 道を過ぎう︑.稿井市に至る︑其の間︑斯々に濁々どして 徹り書餐を喫し︑仕度早や出満し︑荒谷ε藤島村との新 として詳しく研究すべき領を有せざるものなし︑族舎に 密︑廻廓の肚大︑心門の雄麗など﹂叉経書の脚高︑一ッ 島問納められ陀る最強の鮭︑其の他五百羅漢︑彫刻の精 離れて從一位岩倉具競筆︵承陽殿︶の額あウ︑其の嘉永畑 三殿の奥には畏くも 天皇陛下御門筆︵承陽︶の額あム︑ 孤雲閣角法堂︑妙高皇︑不老閣︑瑞雲閣等を観覧す︑承
に金澤なる第二の故郷に着せしは︑午後九時十分なうき︑
諸先生と別れを告げ︑三宅せしは午後+時︑此の夜金澤
にて始あて聚雨に目す︑實に幸運なる円行ε云はざるべ
からず︑ ︵其行程九里牢余︶ ︵結了︶
ーミ 暑 〜〜〜〜︑︑〜〜 天O秋季雑吟
菊か香に君懐しき夕かな日暑からす風寒からす蕎夢.の花夕日さす千丈瀧の紅葉かな水底葎走る雲あり秋の風芋の葉の露弄ふ童か︐ふ名月.や山峨々として水清し 英國海軍の來航と聞きて秋日和佳賓迎.ふる埠頭かな学頭の隠子にうつ︐る月の前踊子の月尋脊にtて三門けり月天心叢雲西に迫うなり山門に仁王いきまく野分哉つのりつ︑遂に夜明けし野分哉明月や枝豆味ふ橡のさぎ堀出しの南京海や蒲る窮刈取りの鎌のカや露の音随筆の栞に・ちぎろ野菊か・な霜の朝茶の味よくて渡ろ雁
菅 * * * 憩
全全全全全一 全全全全一全全全全農全
貧不足差O三差是貧而無志O賎不足悪0可悪是賎而無能O
老不足歎︒三歎是老而盧生︒死不足悲︒可恕是死而無補︒
藻 勢 * 樹
呂新吾* *
星
號九十三第離購曾塗一
書=酒石昌臨置■昌置ロ島鴎圃冨■コ譜隔欄鴇譜﹁暑昌=昌日口口猛唱置圃岩昌==ヨ=鱒鋤鳴旨竃
會
華艮
○叙任及欝令
六月十四日 雇申付 黒田叉次郎
月俸金八圓給與 解剖學副手ヲ命ス 黒田叉次郎
六月十七日 河 合 義 文
入學志願者選抜試験撒學科試験委員ヲ委囑ス 村上 臨休 全上︵漢文學科︶全上 藤 井 乙 男
全 上︵國語學科︶全 上 西 十全 上︵物理學科︶全 上 田 部 隆全 上︵英語學科︶全上 化學 教授高山墓 濁乙學 全 湯目隆
入學志願者選抜試験︵頭書︶委員ヲ命ス
次 盛
虚血
教授入學志願者旧格槍査馨員長ヲ命ス 副手囑託 宮 田篤郎
猪上關計月三 木眠 見原木
秀 三
雄
藏範郎
啓次郎野 忠
木 彦 輔 入學志願者膿格槍査讐員ヲ命ス 助教授瓶見常太郎 雇 宇 野 盆 之 気乾志願者膿格槍査委員ヲ命ス
山ハ月二十一日依願囑託ヲ解ク 三道教授方囑託爺川龍三
七月二十一日
金澤讐學專門七三教授麟學博士 金 子 治 郎
七月二十二日ヨリ日数+一日間ノ豫定ヲ以テ解剖學
取調ノ爲メ大坂府岡山及編岡ノニ縣下へ出張ヲ命ス
七月三+一日 依願囑託ヲ解ク 内科學副手囑託三木三郎
入月虹日 内隠科副手ヲ囑託ス 磨學得業士 林 驚
月手直金歯圓給與
︵會 報︶二九
︵會 報︶
號九十三第講雑會壷一ト九月入日 右頭書ノ級長ヲ命ス 全第二年第一年級 洞門科第三年級 全 第一年級 全 第二年級 全 第三年級 馨學科第四年級 九月入日 會計課附ヲ命ス 九月一日
物品瞼閲委員ヲ命ス
九月十六日
本學年間懲罰委員ヲ命ス
依願囑託ヲ解ク■
自今金手入幕給與 三〇
雇 山 口 克 巳
全全全全全教 授 高弟石上宮下 山井川田田卒
小雪半面計篤用
:重太直二郎彩
教授
全
野教授
旛村書 見上井 常 小太油単
郎太太 授全全教
宮金山 田子碕 篤治
郎郎幹
講師 渡 孚 貞雇増野與三九 九月二十日講師孔囑託ス 月手當金墾拾圓給輿
雇申付 月俸金武拾圓給與
病理學及病理解剖學副手ヲ命ス
九月三十目 雇申付 月俸金寺入圓給與
雇由・付 月俸金拾武圓給與
共生課員ヲ命ス
藥産科副手ヲ命ス
依願囑託ヲ解ク
十月九日
解剖學無給副手ヲ命ス
内科學無給副手ヲ命ス
眼科學無給副手ヲ命ス 小 原芳 雄近 藤勇記
雇 近 藤勇 記
雇 雇
藥學科副手囑託
婦人科學無給副手ヲ命ス
解剖學無給副手ヲ命ス
十月十六日
眼科學無給副手ヲ命ス 馨學得業士
全 全
全 全
西澤寛 次
橋本外次郎
大西橋 本櫛澤 外秀寛次
松次郎 池岡熊久田
田田西保村 田圓 省虎中保四 吉介藏次郎
留學得業士 士口 池 省 五口
號九十三第講購會塗十
wvvs. 一.muumN VVVNwwww 外科學無給副手ヲ命ス 眼科學無給副手ヲ命ス
†月二十三日
婦人科學無給副手ヲ命ス
外科學無給副手ヲ命ス
内科學無給副手ヲ命ス
十月二十四日
内科學無給副手ヲ命ス
十月二+五日
會計課主任嬢圖書課圭径庶務課主任
書記高柳鎌次郎臨時鷹召解除蹄亀沢付庶務課圭任
兼務ヲ免ス 保管証書墨納立會員ヲ免ス 助教授松田菊
十月二十七日 講師市 村
藥學科第三年級生徒指導藥用植物探集トシプ三王
山へ出張ヲ命ス
十一月一日
内科學無給副手ヲ命ス
十一月二日
内科墨∴無給副手ヲ命ス
外科學無給副手ヲ命ス 馨學得業士
全
啓學得業士
全 全
屠學得業士
書記山
本 二
郎 岩 砂 土 次 郎
島董鷲 村澤山
伊
謙虚謙 助治吉
佐奈 崎良 伊入 久郎
署學得業士 岡 田
燈學得業士 鴨脚全 佐 野
塔治
甚 美光 榮
爲 明 外科學無給副手ヲ命ス 囲學得業士
膿操麟科劒道敷授方ヲ囑託ス
十一月六日 盤學得業士
依願眼科學無給副手ヲ免ス 全
依願婦人科學無給副手ヲ晃ス
十一月二十日
外科學無給副手ヲ命ス 署學得業士
雇申付 月俸金拾入麺給輿 藥學科副手ヲ命ス 雇
十月三十一日 依願解雇 雇
︵以上本校︶
六月十九日 任金澤醤學專門學稜敏授
叙高等官六等
山田雌十四日
金澤醤學轟門學佼長兼金澤署學専門學校 蜘一授正五一位勲山ハ等殿酋禦浦町士
.叙鋤五等授悪露章
一触日〃三十日 岡田虎
介
吉
池 省 吾
國杉 下田 治太十 作郎
須貝璋太郎青木他吉郎
青木他吉郎
西澤 寛 次
山 本 三 樹
高 安 右 入
︵會 報︶
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