ゴールデイング『紙の男』に見る自我と徒
杉村泰教
Self andLawinTノbePperMe7zbyWilliamGolding
Yasunori SuGIMuRA
(昭和63年10月31日受理)
ForWilfredBarclay,novelist, thelawoftheouterworldisalwaysinconflictwithhis closed self. He confineshimself to the imaginaryworldfilledwithfantasyand hallucination・ Hehateshisrigidegobeingprisedopenbyanyexternalforce,whetherit isManorGod. Especially, RickL・ Tucker, bogusProfessor, isanunbearable persecutor. ImpatienttobeappointedasBarclay'sofficialbiographer,Tuckerkeepson pryingintotheauthor'sprivateaffairs. ThemoreBarclayrepresseshissecretself, the morehefeelshauntedbyaseriesofitssymbolS, Inotherwords,achainofsymbolsfor therepressedfactpursueshimintheformofactualpersonsorobjects;RickTucker, Hallidayandothers,asignedcontract,aswellashismanuscriptstuckedinthechest.
Ontheotherhand, hehasahiddenwishtoexposehiswholeselftothesymbolic
worldruledbysymbolicorderorlaw. Barclay'ssoulfluctuatesbetweenthe rejection andacceptanceofthislaw・ Hisself‑contradictoryfeelingscausedbythisfluctuationdrive theplotofthisnovel・ However, theproprietyoftheactuallaw,whichiscontinually persecutinghiminthisnovel,needstobere‑examined.
果たしているのである。ところで, この「徒」は,
果たして妥当なものなのであろうか。
以下の考察は, このような観点の下に行われるこ とになる。
I
『紙の男』 (ThePape7・Me7z)に登 場する作家
WilfredBarclayと大学の贋教授RickL.Tuckerは,
ともに社会の徒を踏み外して行動する傾向のある人 物である。二人は,どちらも相手の弱点を知悉して おり,その意味では,ともに相手の非道徳的行為を 牽制する「徒」としての役割を果たしている。しか し,両者の自我は,それを認めず,互いに他を排除 しようとする。このように,徒は,象徴的なものと して彼らの自我(本能の世界,あるいは想像界)を拘 束しているが,彼らは象徴界を拒否して想像界にし がみつこうとする。それはシンボルと事実の区別が ない世界,即ち,妄想の世界である。
然しながら,彼らの妄想の中には,既に排除した
「徒」に服従しようとする傾向が明らかに認められ る。 「徒」への反抗と服従という互いに矛盾した二 つの流れが, この小説のプロットを推進する役割を
Ⅱ
Barclayにとって,彼の本能の世界, 自我の世界 を拘束するのは,妻であり家族であり, とりわけ彼 の私生活に探りを入れようとする贋教授RickTucker である。Barclayは,病気の妻を顧みず,娘とも,ろ
くに顔を合わせたことがない。彼の秘密を探り出そ うと家の外のごみ箱を引掻回すTuckerを穴熊と間 違えて空気銃で撃ち,傷を負わせたりする。どこま でも執勘に食下るTuckerを,彼はあらゆる手段を講
じて排除しようとする。
一方,Tuckerのほうも明らかに社会的な枠を越え
て, この作家に接近している。Barclayに自分の妻
を貸し与えて, この作家の伝記を書く承諾を得よう
られる。JacquesLacanは,シニフィアンの綻びに
よるこのような想像界の異常な増大が,妄想を発展 させ,ひいては精神病の発現に至ることを指摘して いる。シニフィアンは,決して単独で存在するもの ではなく,一貫した連鎖をなしているので,一つの シニフィアンが欠けると「つづれ織り (タピストリ
●
−)の緯糸を一本一本抜いていくような連鎖的な崩 壊」をもたらす。これが妄想と呼ばれるものである§
このような閉塞した自我は,いわばdltheegotrap''で あり,そこにいったん陥るとBarclayのように,死 ぬまで出られないこともある。4
Barclayの友人Johnnyは,いみじくもBarclay
を外骨格("exoskeletal")をもった生物に替える。
"Yousee, youarewhatbiologistsusedto callexoskeletal・Mostpeoplearewhatthey calledendoskeletal,havetheirbonesinside.
Butyou,mydear, forsomereasonknown onlytoGod,astheysayofanonymousbodies, havespentyourlifeinventingaskeletonon theoutside. T」ikecrabsandlobsters.That's terrible,yousee,becausethewormsgetinside and…theyhavetheplacetothemselves. So myadvice,seeingyou'regoingtomakemea loanand,zo61esse o6"geetbetera, istoget
rid of the armour, the exoskeleton, the carapace,beforeit'stoolate.'' (p.114)
Barclayにとって, 「徒」は,常に, この自我の 固い甲羅の外側に存在している。 一方,内骨格 (!!endoskeletal")とは,徒が内面化された状態の ことである。ところが,彼の妄想の中に現われる女 医は,彼の甲羅を外から突き破って,中の寄生虫を 駆除しようとしている。甲羅を除去するのではなく,
そのままにして,外から「徒」を注入するのである。
その痛みに耐えるBarclayは, 「徒」を内面化した
のではなく,一方的に服従して, 自由を奪われた状 態に満足しているのである。 「徒」は,相変らず外 骨格の外にあり, 自我と対立したままである。
「徒」をこのように捉え, このような服従の仕方 に満足するかぎり, 「徒」に反発する傾向と服従す る傾向とが,妄想の中でいつまでも対立葛藤し続け ることになる。
としたり,濃霧の中で,Barclayを壊れた手摺へ導
き,僅か数フィート下の草地に転落しかけると,そ こを絶壁と思わせて救助し,恩を売ろうとしたりす
る。BarclayもTuckerも,ともに相手の悪事を牽制する意味で, 「徒」として作用している。
ここで, この両者の行動を規制している「徒」の 性質を考えてみよう。この二人は, ともに相手の行 動の自由を奪い,思うままに相手を支配しようとし ている。それゆえ, もし彼らが, 「徒」として互い に他の行動を規制するとなれば, これは極めて妥当 性を欠いた「徒」と言えよう。それは,相手の自由 を束縛して快楽を味わうものであったり,相手を必 要以上に見下げて優越感に浸るものであったりする。
ところで,彼らは, 「徒」を否認する一方,それ に従おうとする傾向もある。然るに, 「徒」が妥当 性を欠く場合, これに従うことは,自己を卑下して 盲目的に「徒」の前にひれ伏す以外,方法がない。
「徒」を心から承服するのではなく,無理矢理,自 分をその中に閉じこめ,その苦痛によって,ある種 の快楽を得ているのである。例えば,Barclayが,
あまりにもしつこくつきまとうTuckerに犬の仕種や 鳴き真似を強いる場面がある。Barclayは,相手を 愛玩犬と見なして楽しもうとしている訳である。一
方,Tuckerは,Barclayの飼い犬にされることに憎悪のみならず,ある種の快感を味わっていることは 確かである。彼は,自分が本当に犬になったような 妄想に陥り, ''Yapyap"と鳴きだてる。また,Barclay のほうも,時折,白日夢に襲われ,その中で,彼は 体内深く食い入った寄生虫を除去する治療の痛みに 苦痛と快感の入りまじった複雑な感情を抱く。
But‑andherethepatchinesscomesin‑Igot
intoanursinghomesomehow. I'dhadavividencounterwiththeredhotwormsundermy
carapaceandanicefemaledoctorgotthem outofmethroughvariouschinkswhichshedemonstratedbyshowingmealivelobster fromthefishlnarketandthenagainsometimes Ithinkldreamedthewholething・Ofcourse, shelefttheheatinsidemebutlthoughtlcould putupwiththat2
この寄生虫(''theredhotwormsundermy
carapace'')は, 自我の甲羅の下に巣くって魂を蝕
み続ける存在である。この虫は,魂の象徴秩序を段 し,象徴的なもの(シニフィアン)に穴をあけて,想像界の領域をますます拡大させてゆくものと考え
Ⅲ
「徒」に反発する傾向は,それを行使する他者の
犠牲になることを拒否し, 「徒」に従う傾向は,逆
に,他者の享楽の犠牲になることによって,苦痛の
中に自らも快楽を追求する。 BarclayとTuckerに とって, 「徒」は享楽と結びついているのである。
これは,神の徒についても同様である。Barclayは,
神をも, この享楽の面から眺めている。彼が,寺院
の翼廊に足を踏み入れ,キリストの胸像に出くわし た時,不意に襲った白昼夢の中で,彼は神に踏みに じられ,破壊され,終には失禁してしまうのである。
Itwas inthenorthtransept. It facedme
acrossthewholewidth・ Itwasasolidsilver statueofChristbutsomehowthesilverlooked
likesteel,hadthatfrigh*ningsuggestionof
blue・ Itwastallerthanlam,broad‑shouldered andstridingforwardlikeanarchaicGreek statue・ Itwascrownedanditseyeswere rubidsorgarnetsorcarbunclesorplainred glassthatnaredliketheheatinmychest.
Perhaps itwasChrist. Perhaps theyhad inheritedit inthesepartsandjustchanged
thenameanditwasPluto,thegodofthe Underworld,Hades,stridingforward・ Istood therewithmymouthopenandthe flesh crawlingovermybody. I knewinone destroyinginstant thatallmyadult life l
hadbelieved inGodand thisknowledge wasavisionofGod・Frightenteredthevery marrowofmybones・Surrounded,swamped, confounded, allbutdestroyed,adriftinthe universalintolerance,mouthopen,screaming, bepissedandbeshitten,IknewmymakerandIfelldown.(p.123)
神の前で糞尿にまみれるという,卑屈でグロテス クな行為の裏に, 「神に子供を贈る」という意味が 隠されていることは,既にFreudによって指摘され ている。Freudの説によれば, これは,神によって 去勢をうけ,女として孕まされた結果であるという§
神の徒は, 自他ともに,享楽の「徒」として作用し ているのである。同じことは,その後のBarclayの 手足の,得体の知れない激痛についても言える。
彼は, この痛みを「聖痕」("stigmata") と称して,
密かに誇りを感じている。
go.No. Youcan'tseethewounds, unlike withpooroldPadrePio.Butlassureyoumy handsandfeethurtlikehell‑orshouldlsay heaven?" "Idon.'tthink‑" "Youdon'tthink peoplenemeshouldclaimsuchdistinctions?
Hewaslookingroundinaworriedmanner asif, Ithought, tofindareallygoodshrink torecommend・Perhapshewouldgivemethe nameandaddressofhisown. "Come,vicar.
Don'tyoufinditremarkable?" "Youare serious?'' "Otherwiseyou'llbeoffagainto thosepublicansandsinners?" "Ohno・ Or rather‑youαγe'serious?" "Ishoulbbe!At timestheyhurtlikehell.''Helookedclosely intomyface. "Youmustbeveryproudof them."(pp.187‑88)
生理学的にみて,苦痛は,それがいかに長いもの と考えられようとも,その終末には快感カミある。 6
Barclayにとって徒の厳しさは,結局のところ快楽と結びつくのである。
Barclayの固い甲羅の下にある魂は,虫が食い
進むにつれて,ますます想像界を増大させる。それ は既に,その一部が象徴化されて草稿となり,彼の
貴重品箱の中に隠されている。彼を取巻く人物たちは,揃って, この想像界の象徴化を求めて甲羅を突 破し,彼の魂の中に侵入を図る。この意味で,彼ら
はすべて徒を行使する他者である。徒は,Bax℃layの想像界をことごとく象徴化しようとするが,彼は,
この象徴化を必死に妨げようとする。即ち,彼の魂 のシニフィアンをなんとかして抑圧しようとするの である。
ところが, シニフィアンは,いくら抑圧されても 無限に連鎖を形成して復原する性質がある。7例えば Barclayの伝記を書く承諾のサインを求めてrnlcker が持ち歩く契約書は,拒絶されるたびごとに姿,形
を変えて,どこまでもBarclayを追いかける。この 契約書は,Barclayが覆い隠している魂を隅々まで象徴界の中にさらすものである。つまり, この紙き れは,彼が必死で隠蔽している心の内奥のシニフィ アンなのである。追跡は,最初, Tuckerがレスト ランのメニューの上にさりげなくサインを求めるこ とに始まり,彼の妻MaryLouの身体と引き換えに 契約書の署名をそそのかしたり,自ら犬の芸当まで 演じて署名を嘆願することにまで発展する。 しかし,
Tuckerが,いかなる策を弄しても,Barclayはサ
"Youwill findthisdifficulttobelievebutl
sufferwitlfthestigmata. Yes.Fourofthe
fivewoundsofChrist.Fourdownandoneto
決して単に手段として取扱わぬように行動せよ。」の ような別の徒に従わざるをえないであろう。9
しかし,いずれの徒も,彼を外側から命令の形で 拘束することに変りない。ここに再び,彼の"mrapace'' が関係してくるのである。'0前者の徒に従えば,甲 羅から中身をさらけ出さねばならず,後者の徒に従 えば,甲羅は一層固く閉じられるであろう。前者の 場合は,象徴界に参加するので,妄想からは解放さ れるかもしれないが,果てしなく悪に発展する可能 性があり,後者の場合は,善に向かうかもしれない が,想像界に閉じ籠って妄想に陥る危険性がある。
彼が妄想から解放され, しかも善に向かう道があ るとすれば,それは"carapace"の除去であり,内 部に徒を自ら作り上げることであろう。彼の友人
Johnnyのことばを借りれば, 「内骨格をもった動物」に変身することである。
インを拒み,終には, "You'renotgoingtowrite thatparticularbiography. I'mgoingtowriteit myself‑"(p.182)と断言する。このことばに,Tucker は逆上し,仲裁に入った人間まで巻きこんで,ホテ ルの中で大乱闘となる。契約書の件は, これで完全 に小説の舞台から姿を消したかに思われたが, シニ フィアンは,またしてもBarclayを捕獲する。それ は,彼が書き溜めてあった彪大な量の手記や草稿で ある。シニフィアンを永久に抑圧するためには, こ れらの書類をすべて焼却する必要がある。川縁に積 み上げられた書類の山は, 目下, タイプライターを 打っている草稿(この小説)カミ完成すれば,灯油を かけて燃やすつもりである。この草稿だけは,mlcker への同情の気持もあって,最後に彼に手渡されるこ とになっている。ここで,Barclayは,拒絶したシ ニフィアンに再び拘束されているのである。既に発 狂したTuckerは,Barclayを対岸から狙撃するの で, この草稿は,狂ったTuckerの手には渡らない かもしれないが,今度は,河原に積み上げられた書 類の山が,公衆の面前にさらされる危険性がある。
いずれにしても,Barclayは, シニフィアンから解
放されることはない。
注
1 「徒」とは,要するに象徴化のことである。
JacquesLacanによれば, 「徒」は,初めからそこ
にあるものであり,起源などを問うことはできない。
象徴化,即ち「徒」こそが,人間において第一義的 な役割を果たしているという。人間の「性」も,腕」
を通して実現されざるを得ないのである。ジャック
・ラカン『精神病(上)』 ,小出浩之・鈴木國文・川 津芳照・笠原嘉訳(東京:岩波書店, 1987),P.137 参照。一方,想像界とは,感覚,情動,概念など種 々雑多なものが, とめどもない連続継起とな.ってつ ぎつぎと重なり合い,積み重なり,あふれ出てくる 場所である。そこでは,人は, 自分自身の内的心象 から距離をとれなくなる。AnikaLemaire,J(Ec9ues LQca刀. trans.DavidMacey(London:Routledge
&KeganPaul,1982),pp.60‑61.なお,邦訳として,
A.ルメール『ジャック・ラカン入門』,長岡興樹訳(東 京:誠信書房, 1983),pp.90‑92参照。ラカンによれば,
この想像的なものは,それを象徴的連鎖に関係づけ ない限り,事実上,何も言うことができない。想像 的なものが言表可能なものとなるのは,意味する連
鎖のなかにつながれる限りにおいてである。ジャン ーミシェル・パルミエ『ラカンー象徴的なものと想
像的なもの−』, 岸田秀訳(東京:青土社, 1988),pp.54‑55参照。
2 WilliamGolding, The Pape7 Me"
(London:FaberandFaber,1984),pp.117‑18.同 書は,すべてこの版により,引用文のあとにはペー
ジのみ記す。
Ⅳ
最後に, Barclayの内面生活を規制する徒につい
て若干の考察を加えてみたい。甲羅の比愉でも明ら かなように,彼にとって徒はいつも外側から押しつ けられるものであり,内面化されるものではない。
彼が徒に従う場合,それは,あまりにも卑屈であっ たり, 自虐的であったり,不自然であったりする。
徒は,一度も心から承服されたことがない。Barchy が生来,無法者の作家であるという事実は認めると しても,彼をしつこく追跡するTuckerと,その妻
MaryLou, その背後で糸を引くHalliday等に代表 される秘密結社のメンバーは,Barclayを迫害することによって生き甲斐を感じている人物ではなかろ うか。彼らが従っている「徒」は,いわば享楽の「徒」
ではないのか。 このような「徒」にBarclayが服従 する時,彼もまた, 自他ともに,いかなる苦痛もす べて享楽の手段とする人物になるだろう。彼にとっ て,神の徒すら,享楽の「徒」の延長上にあること
は,既に述べたとおりである。8一方,彼がこのような「徒」に反発するとすれば,
これと正反対の「徒」 ,例えば,Kantの「無上命
令」("Katego7・iSc/teγ伽pe7・a"'''")における「自他
一切において,人間を常に等しく目的として取扱い,
3 ラカン『精神病(下)jp.78,及び同書(上巻)
p.145参照。
4G.V.Raj,!IWilliamGolding's Tんe P(zpe7・Me71:DialecticsofDesacralization,'' in Wj"jq77z Coldj"g: A〃肋djQ71 Respofase, ed.
SatyanarainSingh,AdapaRamakrishnaRao, Taqi Ali Mirza (New Delhi: Arnold‑
Heinemann,1987),p.130.
5 SigmundFreud, @dFromtheHistoryof anlnfantileNeurosis'' inTlleStα〃。αγdEd"o"
of t/ie Compleie Psyc伽ノogjc(zI Woγルs o/
Sig771u刀dF7・eud VoZ. XV",trans. James
Strachey(London:HogarthPress,1981),p.83.
6 JacquesLacan,Ec7・jts (Paris: Editions duSeuil,1966),p.774.邦訳『エクリIII』佐々木孝 次・海老原英彦・芦原巻共訳(東京:弘文堂,
1984),p.269参照。
7 「抑圧」について, ラカンは次のように語る。
抑圧とは,象徴的連鎖の水準では何かがうまくいか ない場合に起こる。言い換えれば,徒に堪えられな いという場合である。このようにして行為やディス
● ● ● ●
クールや行動によって抑圧が行なわれる。それでも
● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●
なお,象徴的連鎖が底流に流れ続け,要求し続け,
● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●
その債権を主張し続ける。これは,神経症の症状を 介して続けられる。抑圧が,神経症の領域に属する といわれるのは, このような点なのである。 (傍点
筆者) ラカン『精神病(上)」,p.138参照。
8 Goldingは, しばしば,神の徒が享楽と結び
ついて,残酷な面を見せる場面を描く。S、J.Boyd
によれば, Barclayの出会った神は,悪の化身であ り, "cruel,sadisticdevil''である。 S. J. Boyd,The ⅣoT'e/s o/ W""α77z Goノdj7zg(Sussex:
Harvester,NewYork:St・Martin'sPress, 1988), 191‑95. また,DonCromptonは,Barclayには,
キリスト教的価値観の倒錯,即ち, "Evilbethou mygood. があるという。DonCrompton, A View方077z theSPj7.e:Wj"jq77zGo/dj7zg'sLQte7・
Nove/s (Oxford: Basil Blackwell, 1985),
pp、 160‑61.
9 ラカンによれば,Kantが「徒のための徒」
という彼の主意主義を通用させたのは,キリスト教 が人間を「神」の享楽の面にほとんど目を向けない
よう教育をしてきた結果である。Ecγ苑Spp.772‑73.邦訳『エクリIII」p.267参照。
10 JamesGindinは, "crab''、"lobster"のよ うな甲殻類のイメージが, Pj7zche7・ Mαγ2伽など Goldingの他の作品にも一貫して見出されることを指
摘している。 JamesGindin,W"〃α77z Go/dj71g (London:Macmillan, 1988), p.86. この種のイメ ージは,Goldingの思想の展開に重要な役割を果た