若 き詩人 ゴー リキイ
ー習作時代 の詩作探求‑
松 本 忠 司
1
ソヴェ ト文学初期 の傑作 『装 甲列車
1 4‑ 69
』 の作 者 と して知 られ る フセ ‑ ヴォロ ト・イヴ ァ‑ノ フは,1933
年 の新年前夜 に ソ レン ト滞在 中の ゴー リキ イ を訪 問 した 日の ことを回想 しなが ら,つ ぎのよ うな ゴー リキイの言葉 をっ たえ て いる。
「だがね,私 はいまで も毎 日,詩 を書 いて います よ。
」 (1)
この言葉 を 「冗談 とも真面 目ともとれ る調子 で」 ゴー リキイが語 った, とイ ヴ ァ‑ノ フは記 して いる
。
青年 時代 の ゴー リキイが詩作 に うち こんで いて,≪ ル ー シ遍歴≫ の行 程 にお 、 いて も,彼 の背負 い袋 のなか には所帯道具 のが らくた一式 にま じって,数 冊 の 書物 と詩作 ノー トが同居 して いた とい うことは,後年 の作家 自身 による回想 的 諸作 品 や書簡 に も しば しば触 れ られて い るところだ。 しか し,当時 の詩 作 の ほ とん どが,遍歴 の道 すが ら,彼 が遭遇 した数 かず の冒険 のあいま に紛 失 され た り,あ るいは,自伝的短編 小 説 『コ ロ レ ンコ時代 』 の挿 話 に見 られ る叙 事 詩
『年老 い し樹 の歌』 の運命 の よ うに,作者 自身 によ って畷炉 に投 ぜ られ たの で あ った。
叙事詩 『年老 い し樹 の歌』 は,未来 の作家 ,二十一歳 の ア レクセ イ ・ペ ー シ コフによ る最初 の大 きな文学 的習作 であ り,彼 に詩人 と して世 に出 るき っか け を提供 す るはず の,「詩 と散文 によるすぼ らしい叙事詩 」 で あ った とい う。 当 時 の心境 につ いて,ゴー リキイはつ ぎの よ うに語 ってい る。
( 1 ) BC . HL l a l t OB .Be T p e L l aCma K C mt O ‑ 1 trO pb K H . T T ,爪. ,l t 3 且. ≪ NL o . 10 1 L a i lr l J a p L u u 仇 1 9 47, C . r p . 7 4 .
〔1 51 〕
) 52 人 文 研 究 第 7 7
輯「私 はいまだかつ て 自惚 れの気持 ちをいだ いた ことはない し,それ にまだ 当 時 は,自分 が無学 だ と感 じて いたが,それで も私 は,自分 が す ぼ ら しい もの を 書 いた と心底思 い こんで いた‑ 私 は この作 品 のなか‑,変 転 にみ ち た苦 しい 生活 の十年 間 に自分 が考 えた ことのすべてを詰 め こんだので あ る。それで私 は, 学 問 のあ る人 び とが私 の叙事詩 を読 んで,私 が語 った一切 の新 しさに有 意 義 に 驚嘆 し,私 の著作 の真実 が地上 に生 きるすべての人 の心 をゆ さぶ り,その後 で
はす ぐに も誠実 な,清 らか な,楽 しい生活 が始 ま るのだ, と確 信 して い た‑
それ以外 の こと,それ以上 の ことを私 は何 も望 まなか った。」
( 2 )
この よ うな願望 を胸 に秘 め,叙事詩 の原稿 を携 えてペ ー シコフ青 年 は,まだ 面識 はなか ったが,かねて尊敬 して いた作家 ウラジー ミル ・コロ レンコを訪 問
した。 しか し,コロ レンコは,この ときにはい ささか の驚嘆 を も示 す ことな く, 感動 に心 をゆすぶ られ ること もな く,原稿 のなかの誤字 ,用 語 の不 適 当,文 体
の奇妙 さを指摘 して若 い詩人 を赤面 させ,困惑 させ
,
「もう何 も聞かず,何 も理 解せず,ただ この恥辱 か ら逃 げ ることだ けを考 えて いた」 とい う状態 につ き落 と した。二週 間 ほどた って,原稿 はペー シコフに返却 されたが,そのときにな っ て初 めて,ペ‑ シコフ自身 で さえ 「自分 の ちいさな秘密」 と して,ほか の誰 に も見せ るつ もりのなか った二篇 の小詩 が偶然 ,原稿 にま ざれ こん で いて,コ ロ レンコの 目に触 れて しま った とい うことを知 らされ,彼 は屈辱 に身 を焼 か れ, 絶望 的 な までの悲 しみ に囚われた。「私 は もうこれ以上 ,詩 も散文 も書 くまい と決心 し,実 際,ニ ー ジニイで暮 らして いたあいだ じゅう‑ ほとん ど二年 間一 何 も書 か なか った。 と き ど き, とて も書 きた くな る ことがあ ったが。
私 は大 きな悲 しみを味 わ いなが ら,自分 の英知 の成果 を,すべ て を清 め る火 のなかへ犠牲 と して供 したので あ る。
」 (3)
当時 ,若 きゴー リキイの もとには,叙事詩 の ほか に,び っ しり書 き こまれ た
( 2)
的.ropbKHh ̲noJ I HOe C06paHHe COt 川I I eHH f i ,Ⅹ y EOXeCTBeI I Hhl e I t pOI I 3Be且eHm B 25 TOMa
X,爪.,H3 4. ≪HayKa
≫,1968‑1982,TOM 16
,cTp.168.
(以下 ,同全集 はno. R H.CO6p.
c ot I .と略記 す る。)
( 3 ) TaM Xe
,C Tp.180.
若き詩人 ゴー リキイ
) 5 3
ノー ト一冊分 の詩作 が あ ったのだが,この ノー トもまた,ま もな く開 始 され る 長期 の≪ ルー シ遍歴≫ の途 中,短編小説 『私 の道連 れ』 の題材 とな った ク リ ミヤ半 島か らカ フカ‑ス‑ と向か う行程 で,それを入 れて あ った背負 い袋 もろ と もケルチ海峡 の荒波 にさ らわれ,海 中の藻屑 に変 わ りはて る運命 に見舞われた。
これ につづ く
1 891
年1
1月か ら92
年9
月 にか けてのチ フ リス滞在 中,ゴー リキ イ は新 た にノー トを作 り,わずか一年 た らず のあいだに詩作で満た した。 このノー トはゴー リキイの手元 に残 されて いたが,1 9 01
年 のく 宅3
月4日参事件 の関連 で
ゴー リキイが憲兵 に逮捕 された とき,他 の多 くの資料 とと もに押収 され た。 釈 放後 ,この ノー トは返却 されて,ゴー リキイの最初 の夫人 ,エ カ チ ェ リー ナ ・ペ‑ シコヴ ァの手元 に保存 され たが
,1 933
年 に作者 の手 に戻 った。 しか し,ゴー リキイは,数枚分 を除 いて,すべて破棄 して しま った。 この こ とに関連 して, ヴェ ・ア ・デスニー ツキイは回想記 のなかで,つ ぎのよ うに語 って い る。「彼 は自分 の芸術 の下書 きを保存 してお くことを好 まなか ぅた。く ‑‑>死 の少 し前 に彼 は,エカチ ェ リーナ ・パ ー グロヴナ ・ペ‑ シコヴ ァが彼 の もとに 送 り届 けた,青年 時代 の ノー トを焼 いて しま った。私 は彼 の≪野蛮≫ を非 難 し た。< ・‑・・> ア レクセイ ・マ クシーモ ヴィチ は,辛抱 づ よ く≪教訓>,に耳 を傾 けて いた。
‑ 誰 に とって も,無用 な ものを保存 してお くにはあた りませ ん。 ・・‑‑ い やなんです,後 にな って私 につ いて あれ これ とつ ま らな い こ とを書 か れ るの
は
。 」 (4)
詩作 ノー トや下書 き原稿 の焼却 の動機 につ いて は,ゴー リキイ 自身 もまた, 彼 の詩集 の出版 を申 し出た,ゲ ・ア ・ヴ ヤー トキ ン宛 の
1 9 35
年1
月1 2
日付 の書 簡 で,つ ぎの よ うに語 って い る,‑ 「‑‑た しか に私 は,罪深 い者 で して,詩 を書 いて きま した。少 なか らず書 きま したね,そ していっ も極 めて粗雑 に。 そ の ことを理解 してお り,また正統派 の散文家 で もあ るので,私 はそれ ら 〔詩 作 品〕 を破滅 させ たのです。若 い ときに活字 に したの は軽率 ゆえにです し,後 に( 4) B. necH I I I I EI
蛸,A. 爪. ropbKH
最,Ot l epKH XH3HH H TBOpt l eCTBa. 肌. ,ro c J r HTH3AaT
,1 9 5 9
,C T P. 1 7 4 .
) 54
人 文一研 究 第77輯
な ると‑ ど う して も必要 な場合 で,主人公 たちの誰か を中傷 す る こ とが で き るとき・だ けです,ま るでその詩 が彼 の もので あ って,私 ので はないかの ように。
しか し,それで もや は り,た くさん書 いて い ます ね,それ で,と き ど き,出版 者 たちがあれ これ出版 しよ うと私 を説得 す るわけです。」
(5)
ゴー リキイ 自身 は,自分 の詩作 の仕事 につ いて は 「下手 くそな歌 っ くり」 と して皮 肉 めいた評価 を くだ し,真面 目な検討 には催 しない もの と見 て いた よ う だが,それで もなお詩作 を投 げすて ることな く,生涯 にわた って詩 を書 きつ づ けて いた。 さまざまな出版企画 に加 って は,若 い詩人 たちに適切 な助言を与 え, ときには添作 の労 を とり,また文学者 ・芸術家 たち と交 わ した無数 の書 簡 の な か には,詩 に関す る発言 が点綴 されて い るが,それ らは単 に詩 の愛 読 者 で あ る のに とどま らず,自 らも日ごろ実作 によ って研鍵 を行 な って.い る人 間な らで は の,深 い理解 と詩作 の情熱 に裏づ られて いる。
ゴー リキイに とって詩文学 ‑ の関心 は,その意識 の芽生 え とと もに始 ま り, ほとん ど生来 的 の もので あ った。 自伝 的中編 『幼年時代』 には,幼 いア リ ョ‑
シャが祖母 の語 る歌謡 ,民話 ,お伽噺 を聞 く場面が措 かれているが,祖母 によっ て青 くまれた彼 の言葉 に対 す る美 的感覚 は,やがて文字 を習 い は じめ た と き, 教科書 の記述 をそのままの形態 で受容 す る ことを拒 み,彼 が親 しんで きた柔 軟
な民衆 口碑 の形 に作 り変 え ることによ って,は じめて受 け入 れ る ことを可 能 に させ た。例 えば,教科書 のなか の,多分 に文語 的文体 の詩 の一 つ は,少 年 の記 憶 のなかで は 「‑ 乞食 はき らい/祖父 さん もき らい/ これ はど うに も仕 方 が ない/神 さま,ど うぞお許 しを !/祖父 さん はいっ もさが して いる/何 か お い らをぶつ種 を・‑‑
」 (6)
とい うよ うに,ま った く作 り変 え られ て定 着 す る。
中 編 『人 び との中で』 で は,作者 はつ ぎの よ うな主人公 の回想 を導 き出 している,‑ 「蜜蜂 の巣箱 が蜜 で満 た され るよ うに,当時 の私 は祖母 の詩 で満 たされた。
ものを考 え るの さえ,私 は彼女 の詩 の形式 に従 って いた よ うだ。」(
7)
( 5)
A.rophK H最. Co6pa HHeC O
‑I HHeHH 最 B 30TOMa X,rOC J mTH3 Ea T
,礼.,1 948‑1955,TOM 30
,c T p.369.
(以下 ,同著作集 はCo6p.c
otI.と略記す る。)( 6) Co6p.c ot
I. ,T.1 3
,c Tp.133.
(7̲)T T
a甲
準,甲p ・266・
若 き詩人 ゴー リキイ 1 5 5
ゴー リキイが 「文学 は第一級 の国民 的 な事業 で あ る ことを感得 した最初 のひ と
」(8)
と呼んで敬愛 した ア レクサ ン ドル ・プー シキ ンの作 品 に初 めて接 した の は,苦 しい下積 みの労働 に明 け暮 れた十三歳 の ときであ る。 その詩集 を初 めて 手 に した ときの感動 を,彼 はのちにつ ぎのよ うに回想 して い る,‑ 「私 はあ る食欲 な感情 に と らわれて,それをすべて一気 に読 みあげた。 それ は見 た こ と もないよ うな美 しい と ころ に ひ ょっ こ り出 た と きに経 験 す る,あ の感 情 だ,‑ そんな とき,誰 だ って‑ ペん に全体 を見 よ うと走 り廻 る。 長 い あ いだ,沼 地 の多 い森 のなか の苔 の はえたで こぼ こ道 を歩 いて いて,ふ と思 い もよ らず花 咲 き乱 れ,太 陽 の輝 く乾 いた野 が眼 の前 に くりひろげ られた ときな ど,.そ うい うことが よ くあ る。 瞬間 は うっと りとその野原を眺めるが,それか ら嬉 しくなっ て一面 を等区けめ ぐり,その豊鏡 な地面 のやわ らかな草 が足 にふれ るた び ごと, 静 か な喜 びをおぼえ る ものだ」。(9)『ル ス ラ ンと リュ ド ミー ラ』 の序 章 は,か って祖母 が彼 に語 った最 も良 い物語 を 「美妙 に一 つ に凝縮 した」 もののよ うに 彼 には思 えた。 プー シキ ンは 「詩句 の単純 さ と音楽性」 によ って彼を驚嘆 させ,
「音調 のたか い詩句 は,そ こに語 られてい る もの をす べ て華 や か に飾 って,不 思議 な ほどやすやす と記憶 され るのだ った‑‑ 詩 は新 しい生活 の鐘 の音 の ご
と く鳴 りひびいた。なん とい う幸福 だ ろ う‑ 読書 ので きるとい う こ とは
!」( 1 0 )
プー シキ ンによ って この よ うな感動 を よび起 こされた ア リョー シャ少 年 は, 読書 を妨 げ,暴力 を もって読書 を止 め させ よ うとす る雇主の母 に対 して,子供 っ ぽい直接 的な反抗 ばか りで はな く,「暗 い心 で悪事 を好 む/ 魔 法使 の老 い ぼれ 婆 ‑‑」 とい うよ うな詩作 を もって応酬 し,自分 の周 囲 の生活 にお け る諸 事 件 につ いて も詩 で表現す るとい う試 みを積 み重 ねて い く。
「私 は,進 ん で詩 作 の 練習 を し,やすやす と韻 を踏 む ことがで きた。 しか し,なぜか私 の詩 はいっ も 滑稽 な ものにな って しま った」。( l l
)この時期 のア リョ‑ シ ャの≪練 習 >,につ い( 8) HcTOp H 5 IpyCCKO最J I HTepa TypbI( ApxHBrOpbKOrO,T. 1 ) ,rocJ I HTH3Z t a T , A. ,1 939 ,c Tp.
1 6.
( 9 ) Co6p.e oq. ,T. 1 3 ,c Tp . / 3481 349.
( 1 0 ) Ta M Xe ,C Tp. 349 .
(1BTaM 兇e ,CTp. 449 .
1 56
人 文 研 究 第7 7 輯
て は,彼 と交友 を もった中学生 の一人で,しば しば一緒 に街 中を歩 きまわ った とい う,イ ・カルチ コー フスキイが,つ ぎのよ うに回想 して い る,‑ 「私 た ちの散歩 のすべてをマ クシーム ィチは詩 に歌 い こんだ。 そ う した詩 はかな りの 量 ,私 の ところにあ ったのだが,残念 な ことに,私 が も うガザ ンに移 り,大 学 生 にな って いて,家宅捜索 が予想 された とき,マ クシーム ィチの手 紙 のす べ て と一緒 に焼 いて しま うことにな った。」
( 1 2 )
数年 後 ,ペ ‑ シ コ フ もまた勉 学 の 志 を抱 いて カザ ンに向か うのだが,自伝 的中編 『私 の大学』 のなか にそ の生 活 が措 かれて いるこの時期 に も,折 にふれて生活印象 を詩型化 す るく≪練 習≫ が継 続 され る。 例 えば,あ るときペ‑ シコフは精神病院で,妄想狂 とされ て い る患 者 に会 い,この患者 のなか に 「何 か崇厳 な もの」 が存在す るとい う強 い印象 を うけて帰宅 した。 「夜 中 に私 は狂人 につ いて詩 を書 き,彼 を≪ す べ て の支 配者 の うちの支配者 ,神 の友 に して助言者参,と名づ けた。 そ して長 い こと彼 の姿 は 私 とともに生 きて,私 が生活 す る邪魔 を して い f=.」( 1 3 )
あ るい は,彼 を教 育 し,指導 しよ うとす るナ ロー ドニ車的な学生 たちのなかで,ときた ま感 じさせ られ るペ ー シコフの疎外感 もまた詩 とな って流 れ出 る。
「私 は立 ち去 って,夜 中 に詩 を書 いた。 そのなか には,いまで も思 いだせ るが,≪御身 はそ う見 せ ようと欲す るもの にあ らず>,とい う,執扮 な一行 があ った
」̀ 1 4
'と, ゴー リキ イ 昼 回想 して い る。生涯 にわた った ゴー リキイの詩作活動全体 の うちでわれわれの知 り得 るのは, きわめてわず かで しかないのだが,それで もなお,『乙女 と死』,『ェ レ‑ヌ ・ドゥ
ニクル シ伯爵夫人 のバ ラー ド』
,
『鷹 の歌』,
『海 っ ばめの歌』,
『人 間』 な ど一 連 の叙事詩 や,短編 『マカール ・チ ュ ドラー』 にお けるロイ コ ・ゾバ ール の歌 か ら,未完結 の長編 『ク リム ・サ ムギ ンの生涯』 にお ける青年詩人 イノ コ フの詩 や補祭 のバ ラー ドにいた る,小説 ,戯 曲 な どに挿入 された詩 作 品 の よ うに,そ( 1 2 ) C6opHHK≪M .ropbKH孟I I apOAHHe
≫,FopもKOB.06J I aC T.H3
E̲,1 9 3 7
,c Tp.24.
( 1 3 ) Co6p.cot
I. ,T. 1 3
,c Tp.555.
(14)TaM Xe,CTp.563.
若 き詩人 ゴー リキイ 1 57
の詩作活動 を反映 して い る もの はかな りの量 にのぼ って い る。
本稿 で は,幸運 な偶然 によ って破棄 を免 れ る ことので きた作家以前 の習作や, ヴォルガ流域地方紙 に発表 はされ たが,作家 の存命 中 には著作集 に含 め られ な か った初期 の詩作 を取 りあげて,比較 的 には知 られ るところのす くない 「若 き 詩人 ゴー リキイ」 の一側面 を検討 してみたい。
2
従来 ,公刊物 に発表 された ゴー リキイの最初 の作品が
,1 892
年9
月1 2 ■ 日
(節 暦2 4
日) の新聞く宅カ フカ‑ス参 に掲載 され た短編 『マカール ・チ ュ ドラ‑』 で あ る ことは,疑 問の余地 のな い ことを されて きた。 ゴー リキイ 白身, こLの短 編 を 自分 の文学活動 の 「最初 のた どた ど しい一歩」(15)と呼んでい る。 だが実 際 に は,それ よ り七年前 ,当時十六歳 のア レクセイ ・ペ‑ シコフの手 にな る‑ 篇 の 詩 が,1885
年1 月 2 6
日付 けのカザ ンの新聞< ヴォルガ報知参 に掲載 された という事実 が あ る。
<デ ・ア ・ラトゥイシェヴァの墓前に捧げる詩>
いか に過 ごされ Lや,そなたの生涯 は ? おお,そを知 らぬ者 あ りや ! ?
苛酷 な る仕打 ち,重 くる しく,おぞ ま しき圧迫 ‑‑
この深淵 にあ りて涙 せ ぬ者 ,苦 しまざ りし者 あ りや ? 清 らか に,無垢 のままに魂 を保 ち うる者 あ りや ?
(16)デ ・ア ・ラ トゥイ シェヴ ァの 自殺 につ いて,ゴー リキイは 『私 の大学』 の な か に,つ ぎの よ うに書 いて い る。 「町 じゆ うが興奮 して いた。 強制 的 に嫁 にや られた富裕 な茶商人 の娘 が,婚礼 か ら帰 って ピス トル 自殺 を したのだ。 彼 女 の 棺 のあ とに青年 の群 が,幾千 もの人 がつづ き,墓地 で は学 生 た ちが演 説 を し, 巡査 が彼 らを追 い散 らした。 パ ン焼 き場 とな らびの小 さい店 のなかで は,みん
( 1 5 ) Co6 p .c o t I. ,T . 2 5C T P . 41 4 ̲
( 1 6 ) ≪B ot ‑ cK t l f iBe C T H l t K
≫,Ka 3 a H
h,1 8 8 5,No. 2 2,2 65 I H B.( UH T . f l oK H. :nO J I H. C O 6 p.
cot I . ,T. 1
,cTp.49
1.)1 58 人 文 研 究 第 7 7
輯なが この ドラマにつ いて喚 きたて,店 の う しろの部屋 は学生 で い っぱいにな り, 地下室 の私 たちの ところまで,興奮 した声 や激 しい言葉 が聞 えて きた
。 」( 1 7 )
青年 たちは,彼女 の死 を悼 み,≪学生≫,の共通署名 による数篇 の詩 を書 いて, それを新 聞編集部 に送 った。 その一 つが ここに掲 げた も̲ので,ゴー リキ イが働 いて いたパ ン屋 の主人 ,ア ・エス ・デ レンコフの証言 によ って,若 き 日の ゴー
リキイの作 で あ る ことが判 明 した。 この詩 が書 かれて約三年後 ,今度 は詩 の作 者 自身 が 自殺 を こころみ ることにな る。
1 8 87
年1 2 月 1 2
日,過度 の重労働 と精神 的子方i皇の さなか にあ った十九歳 の ア レ クセイ ・ペ‑ シコフは,カザ ンカ河畔で ピス トル 自殺 を はか った。 さいわ い, 弾丸 は心臓 をそれ,肺 を射 ち抜 いて肩 の皮下 に とどま った。 ペー シコフは現 場 か ら運 びだ され,病院 にかつ ぎこまれた。十 日間 の治療 のあ と退院す る こ とが で きた。 この事 件 に関 して,カ ザ ンの主 教 管 区監 督 局 は12 月 31
日,「職業 組 合員 ア レクセイ ・マ クシーモ フ ・ペ一 ㌢コフを 自殺 の企 図 ゆえ に聖 チモ フェイ 第1 4
条 に もとづ き」審問 にか け,「彼 に現世 の意義 と使命 を説 明 し,彼 が向後 , 神 の大 いな る賜物 と して現世 を尊重 し,かつ キ リス ト教徒 の呼称 に値 す るよ う 行動 すべ く説得 す る月 的を もって,彼 を教 区司祭 の個人 的審判 にゆだ ね る」(18)ことを決定 した。
のちに ゴー リキイは この ときの ことを,研究者 イ ・グルーズ ジェフ宛 の書 簡 のなかで,つ ぎの よ うに回想 して い る。
「主教管 区監督局 の決定 は,警察 を通 じて私 に伝達 され,私 が司祭 長 マ ー ロ フの もとに出頭 して,説教 を聴 聞 しな ければな らない 日時が示 された‑ ‑私 は 分署長 に,マ一 口フの ところには行 か ない と言 明 し,縄で くくってで も引 っぼ っ て行 くとの返答 を受 けた。 この脅迫 に私 は少 しばか りカ ッとな った。 当時 は皮 肉な気分 にあ ったので,私 はこん なふ うに始 まる詩 を書 いて,マ 一 口 フに郵 便 で送 りつ けた。
(17)
Co6p.c
otI.,T.13,c Tp.553.
( 1 8 ) ≪npoTKO皿Ka3aHCK Of i AyXOBHO蕗KOHC TOpHH≫( UHT.I l oKI I .: H. Ka. 柵 HHH.rOpbKH 最
BKa3aHH
,C TP.39141. )
若 き詩人 ゴー リキイ 1 59
司祭 ( I I OI l ) に弾丸 ( I I y
JISI)がわか ろ うものか ?
数 日 して神学校 の学生 で補祭 のカール ツェフが私 に伝 えて い うには,司祭 長 は私 の詩 を受 け取 って,かんかん にな り,それを管 区監督局 に届 け出 た。 そ し ておそ らく私 はく宅そのため に破滅 す るだ ろ う参 との ことで あ った。」「フェオ ド
ロフスキイ修道 院で審 問 にか け られ た。< ‑‑・>私 は言 ってや った二一私をそっ と しておいて ほ しい,さ もな い と,修道 院構 内の門 の ところで首 を く くって や る,と
。
」(19)宗 門会議 は,ペー シコフに対 して,自殺 の企図 に加 うるに 「不遜 な る言 動」
のゆえを もって,む こう七年 間の破 門 とい う決定 を くだ した。 この決定 がペー シコフに伝達 されたの は,翌年 の春 ,彼 がすで にカザ ンを去 って,クラスノヴィ
‑ ドヴォ村 で,鉄道員 出身 で流刑 がえ りの人民派革命家 ミ‑ イール ・ロマ ‑ シ の助手 と して,小店 の経営 を手伝 い,農民 の協 同組合結成 準 備 な ど,農 村 にお ける革命的宣伝活動 を は じめよ うと して いた ときで あ る。 「この あ と,あ な た が送 って くれた頒歌 が私 によ って書 きあげ られたのです。 しか し,あな た の に は≪初 ま りな し≫ です。最初 の部分 は,も し誤 りがな けれ ば,だ い た い, もっ と乱暴 で,ち ょうど,こうい った もので した。
私 はよ うや く不幸 を免 れか けた とい うのに, 教会 か ら破 門 されて しま った,七年 間 ! 破 門の ことは,まあ,不幸 で はない と しよ う, で もね,や っぱ り,くや しいです よ,みな さん ! 教会 のふ ところに ゃ,獣 ど もが ごまん とござるの に, 私 がなんで余計者 にな ったのだ ろ う ?
」(20)そのあ と,この書簡 には,先 に触 れた 自殺 した娘 や,教会 関係者 ,助産婦 ,
( 1 9 ) Ap xH BA. 州. rophKOr
O,T . Xl ,c T p. 2 0 6 H3 3 9 .
( 2 0 )
Tax Xe, C T p. 2 09.
1 6 0 人 文 研 究 第 7 7
輯家主 の妻 な どの人名 が列挙 され,それ らにつ いて簡潔 な性格 づ けが な され て い る ことか ら,ペ ー シコフの≪頒歌≫ は,それ らの人物 を登 場 させ た,≪ 教 会 と 自殺者 の対話≫ とで もい うべ き内容 の,か な り大 きな叙事詩 で あ った と思 わ れ る
。
しか し,残 りの部分 は,ゴー リキイの遺 品 のなか に も, グル ‑ ズ ジ ェ フの もとで も発見 されて いな い。 グル ーズ ジェフはその著 作 『ゴー リキ イ とその時 代』 のなか で,「この詩 はカザ ンの若者 たちのあ い だ で よ く知 られ て い た」( 2 1 )
と証言 して い るのだが。
ゴー リキイの遺稿 の中 に,≪頒歌≫ とほ とん ど同 じ時期 にペ ‑ シコフに よ っ て書 かれ た と思 われ る,詩 の断片 を表裏 に記 した一枚 の紙 が発見 され た。
表面 には‑
きみはついてないね,アリョ‑シャ ! ついてないね,いくら骨を折 って もさ !
きみはね,兄弟,歌えや しないのさ, すてきな,勇壮な歌なんか !
〔 失敗〕
裏面 に は‑
<ぼくの年齢で愚痴 るなんて屈辱とし
ぼ くは知 ってる そう 知 っているとも !>
<明るい青春の歳月は
なが くはないのだ>
・ <ぼ くは二十歳 ぼ くの年齢>
<ぼ くの年齢>
ぼくは二十歳 !(22)
この二 つ の断片詩 には,自殺未遂後 なが くべ ‑ シコフを と らえて いた無 力 感 と自己不信 とが色 濃 く反 映 され て い る
。
しか し,お よ そ半 年 っ づ い た農 村 生(21) H.
A. rp y 3AeB. rO phKH 最He r OB peM
兄,爪̲,roc J I j L T H3 Z t a T,1 962,c T p. 61 3.
(22)
ApxH BA. A , ro pt , RO r
O,T . V
l,c T p.1 69. ( 〔 〕
は,作者 の評語の ようであ り,〈
〉 は抹消の線が付 されている.ことを示す。)若 き詩人 ゴー、 リヰイ 1 61
活 の な か で ,ペ ‑ シ コ フ は ,人 民 の な か か ら育 っ た ,冷 静 で 剛毅な革命家 ロマー シ の指 導 の も と に ,彼 の蔵 書 を 通 じて 社 会 科 学 と文 学 とを 体 系的 に学 び,カザ ン時 代 の よ うな ,性 急 な結 論 を 急 ぐ革 命 的 気 分 の 学 生 た ち の , 熱 っぽ い喧騒 な 議 論 の渦 を は な れ ,静 か に思 索 す る場 を 得 た こ と に よ って , 自分 の沈 滞 的気 分 を しだ い に克 服 して い った 。 こ こで は彼 はす で に ,以 前 の よ うに一方 的 に知 識 人 の く 宅教 育 参 を う け る≪ 民 衆 の子 参 で は な く,文 盲 の貧 農 た ちに読 み書 きを教
え る と い う教 育 活 動 を も経 験 した。
ペ ー シ コ フの 農 村 滞 在 は ,≪ よ そ者 ≫ の登 場 に対 して ,村 の秩 序 と経 済 の独 占 的 支 配 に と って の 脅 威 を 感 じた 富 農 に煽 動 さ れ た農 民 た ち によ る,ロマ ー シ の小 店 の焼 打 ち に よ って 終 わ る こ と に な った。 ペ ‑ シ コ フ は しば らく近 隣 の農
村 で 日雇 い働きを した が , やがてヴォルガく だりの 伝 馬 船 に 乗 りこんで カ ス ピ
海 に向か い,さら にカフカース 北部に 足を 延ばし た 。1 8 8 8 年1 0
月 , ツ ァ リ ーツ イ
ン (現在 の ヴォ
ルゴダラート )に 到着. し た彼は,ここ でグリヤ
ー ゼ ニ ッ ァリー
ツ イン鉄道管理部
に 勤務し ていた流刑がえり の要監視人たち
の 紹 介 で 職 を得 て ,
最初 は沿線 の ドブ
リン カ 駅で倉庫番, ついでポリ ソグレ ープ
ス ク 駅 , ク ルタ ー
ヤ駅 と転任 し,検量
係を勤めるようになった。
この時期 ,彼 は鉄
道員たちと 学習サークルを作っ て, 読書
会 を ひ ら き ,そ の
なかで レフ ・トルース ト
イの思想にも ふれて, 「時的には強く
心 を 惹 か れ た,文
豪 の提 唱す るコローニ
ヤ運動をこころざす契機を用意され
た 。 .当 時 の 心 境の一
端 をのぞかせ るのが,つ
ぎの四篇の詩である 。
* * *
私 の ミューズを咽 るな,
はか の ミューズは今 も昔 も知 らないのだ。
私 が うた うの は過去 の歌 で はない, 未来 の讃歌 を私 は歌 うのだ。
私 の ささやか な歌 のなか に
〔1 〕
1 6 2 人 文 研 究 第 7 7
輯あ こがれ
私 は光 明への憧影 を うた うのだ, 親 しくしてお くれ,この歌 に
そ して私 に,独学 の詩人 に。
ときには,私 の歌 にひびかせ るがいい, 静 か な悲 しみ,ふか い哀愁 の調 べを。
あ るい は,きみの心 をやわ らげ も しよ う, 孤独 な魂 の うめ きとつぶや きが。
黙殺 と冷淡 とで私 の ミューズを 迎 え る ことは しないでお くれ。
病 的で ,不幸 な この生活 のなかで 私 は うた うのだ,未来 の讃歌 を。
* * *
ゆ
私 は航 く,私 のあ とを追 って 大波 が脅す よ うに泡ふ きあげ る。
み ち
私 の航路 は海 の霊 には未知 の もの, 彼方‑ 霧 の布 におお いつつ まれて。
ゆ
だが,私 は航 く,霧 のか げか ら よろ こびの陽光 が,勝閑 あげて 灰色 の彼方 の上 に輝 きいず るとい う
た しか な信念 を胸 に抱 いて。
波 よ,不幸 の告知 で脅 すが いい, 海 よ‑ 怒 りを鎮 めよ !
〔2〕
若 き詩人 ゴー リキイ
不屈 の心 によ って私 は
朝焼 けの照 り返 しを感知 して い る !
* * *
わが魂 の静 か な琴線 に
や さ しく愛撫 す る調べ ぞ触 れぬ 圧 しひ しげ られ し固 い心 に
まばゆい わず 望 みぞ 目覚 めぬ か くてわが夢‑ われ に も知 れぬ夢 甘 さ調 べ の歌 のながれ に
天上 の蕎蕨 の ごと 花咲 きぬ 復郁 た る鈴蘭 の ごと 花 咲 きぬ
* * *
この世 に生 きることは重 くる しい‑
感 じやす い心 を もて る人 には, 到 るところ嘘 と悪意 を見 るけれ ど, 真実 を語 るすべ を知 らぬ人 には, わざわいの深 い淵 に沈 み,
ず るが しこい蒙昧 の
愚かな徒輩 に とりか こまれた人 には, この世 にひ と り生 き
真実 が卑 しめ られ るのを見 る人 には, 彼が歌 を うたいは じめ るとき,
真実 の声 に耳 か さぬ者 を見 る人 には
。( 2 3 )
) 6 3
〔3〕
〔 4〕
( 2 3 ) n oJ
IH.CO6p.eot
I. ,T. 1 ,CTP.434‑437.
*
以下にそれぞれの詩の第一行 と韻律構成を示す。〔1 〕H e6pal 叩TeBhIMy3 yMO
IO,:)ー )) )) ‑
〔2
〕5IT I J l Z , I B
y,3aMf l O X)CJ r eROM :
‑) ‑)‑)‑ ())〔3〕
1 6 4 人 . 文 研 究 第
77輯これ ら四篇 の詩 は,ゴー リキイ完全全集文学作 品第一 巻 の編 集 者 (24)に よれ ば
,〔1〕
と〔2
),〔3〕
と〔4〕
が それぞれ,同一 の紙 の両面 に記 され,作 者 によ って連続番号 が打 たれて い る。詩 はそれぞれ,作者 の詩形式 へ のさまざまな探求 の過程 の一端 を示 す か の よ うに,三脚 アナ‑ペス ト (弱弱強格),四脚 および五脚 ホ レ‑ イ (強 弱 格 ),四 脚 ヤ ンプ (弱強格) と,異 な った詩形 で書 かれ,′韻 律 転 換 ,交 互 韻 ,連 続 韻 な どの工夫 も見 られ る。
〔1 〕
は,「独学 の詩人」 ペ‑ シコフが文学 へ の道 を模 索 す るなかで,自分 の基本的姿勢 を宣言す る綱領 的 な詩作 と して興 味ぶか い。 ま だ世 に知 られず,未来 ‑ の展望 はひ らかれず,自分 の力量 不 足 と, しば しば襲う孤独感 に悩 みなが ら,それで もなお悲哀 にみ ちた過 去 で はな く,「未 来 の讃 歌」 を うた うとい う,若 きゴー リキイの市民 的パ トスがみな ぎって い る。 第 三 聯‑ 「ときには,私 の歌 にひびかせ るが い/静 か な悲 しみ,ふ か い哀 愁 の調 べを」 は,生活遊離 を 自戒 し,手放 しの楽天主義 に陥 る危 険 を避 け る慎 重 な配 慮 で あ る
。 〔2 〕
で は,未知 の大洋 ‑ の船 出 に な ぞ らえて心 境 を うた う, ゴー リキイの初期作 品 によ く現 われ るモチー フで,過去 の轍 にはまる ことな く,現 在 の秤 に と らわれず に,未来 を切 りひ らくとい う姿勢 が さび しく,美 し く謡 いあげ られてい る。
ペ ‑ シコフの詩作 のなかで全般 的 に,未来 ‑ の信念 の明 るい音 調 と,幻 滅 , 孤立 ∴哀愁 ,悲壮 の色調 とが交叉 しあ うの は偶然 で はない。 ペ シ ミス チ ックな 気分 はその生活 の現実 か ら流 れだ さず にはいなか った‑ それ は,若 い詩 人 が, 彼 を取 り巻 く世界 との,嘘 と偽善 と残酷 さ と非人 間性 とが支配 す る小市 民 社 会
の野獣 的秩序 との絶 え まな い衝突 の痕跡 で あ った。く宅たそがれの時代>,,く宅時 の停 ま った時代≫,と特徴 づ け られ た
1 8 8 0
年代 ,若 きゴー リキイは生活変 革 の路 を まだ兄 いだ して はいなか った し,野蛮 な社会体制 との闘 いを支 え る有 力 な手 段 も獲得 して いなか った。良 き未来 の到来 を信 じよ うと して現実 の諸悪 の急襲3ByK ee, 皿aCKa t O l l l H f i H M‑ b
lfi;‑)) ) ‑ ) ) ).‑ )〔4
〕ToMy Ha CBeTe T 兄 XeJ I O,: )
‑) ‑ 、 一. ) )
( 2 4 ) Ta M Xe ,C T p . 5 6 6 ‑ 5 6 8 .
若き詩人 ゴー リキイ
) 6 5
に必死 に抵抗 しなが らも,その明 日の 日の端緒 を今 日の うちに発見す る古手至 っ 七 はいなか った. だか ら,ときと して彼 は,自分 の孤立感 を痛切 に感 じな いで はい られなか った。
〔4〕
の詩 は,彼 の馨屈 した思 い を,気 分 を よ くっ た え て いる。
1 889
年4
月,ア レクセイ ・ペ‑ シコフは鉄道 の勤務 を辞 して モ スクワに赴 き, レフ ・トル ス トイ家 を訪 問 した。農業 コローニヤ建設 のため に文豪 の助力 を仰 ぐのが その 目的で あ った。 しか し,不在 のため トル ス トイには会 え な い ま ま, 故郷 のニー ジニイ ・ノー ヴゴロ トに帰 る ことにな った。 ここで は,ビー ル工 場 の雑役 ,クワスの行商 ,別荘番 ,のちには法律事務所 の書 記 見 習 と して働 きな が ら,革命的 な気分 の知識人 たち と交友 を もった。 ナ ロー ドニキ主義 の退 潮 と マル クス主義 の拍頑 を基軸 に世紀末 ヨー ロ ッパ の さまざまな新思潮 が うず ま く 知識人社会 のなかで,ペ ー シコフは,いわば≪思想 の混沌≫ の るつ ぼ に投 げ こまれ,いわゆ る≪哲学 の害≫ にどっぷ りと漬 か って いた。
彼 が コロ レンコを訪 問 したの は,まさに このよ うな時期 で あ った。 す で に見 たよ うに,彼 が携 えた最初 の大 きな文学 的習作 『年老 い し樹 の歌』 は, コ ロ レ
ンコの批判 の≪落雷≫ の もとに,作者 によ って火中 に投 ぜ られ る運命 とな った。
叙事詩 のなかで ゴー リキイの記憶 になが く留 め られたの は,つ ぎの一句 だ けで あ った とい う,‑ 「われ この世 に釆 たれ るは,同意 せ ざ らん が た め ‑‑‑
」α 5 )
そ こには,やがて確立 され るゴー リキイ文学 に とって基本的原則 の一 つ,悪 に 対 す る非妥協 的闘 い とい う能動 的人生観 の発酵 を うかがわせ るものが あ る。≪哲学 の害≫ ,文学 への 自信喪失 ,か てて加 えて九歳年長 で有 夫 の オ リガ ・ カ ミンスカヤへ の初恋 の苦悩 がペ ー シコフを圧迫 していた。(26)
1 891
年4
月,彼 は 「なかば病 み,狂気 に近 い状態 で」( 2 7 )
く宅ルー シ遍歴>,‑ と旅立 っ。 その直前 , 彼 は知 り合 いの女性 に自分 の写真 を贈 り,その裏 につ ぎの詩 を書 きつ けた。( 2 5 ) no 皿.C O 6 p.c o ‑
i. ,T .1 6
,c T p.17 8.
( 2 6 )
ゴー リキイの自伝的短編 『哲学の害 について』および 『初恋について』 を参照 されよ。 (≪O B peAe如 J I OC O4 mH ≫ , ≪ O r l e pBO 革 J I K ) 6 BH≫.
BKI I . :nOJ I H. Co6 p , ̲ .c o t
I・,T ・ 1 6
,C T P.1 9 6‑2 39 )
( 2 7 ) I lo 皿H.C O 6 p. c ot I . ,T .1 6,c T p.22
1.1 6 6 人 文 研 究 第
77輯いいえ ! 知能 は無力 なのです, 心 が語 ろ うと欲 す るところで は。
神聖 な心 の会話 は,賢者 だ って
言葉 に移 しかえ られ は しないのです。
心 が語 ろ うと欲 す るところで は, 知性 はおず おず と口をっ ぐむのです。
神聖 で,純粋 な心 の思考 を
音響 で歪 め ることのないよ うに。
エム ・イ ・‑メー トリナへ
おのが思想 の意 味 を
言葉 で打 ち明 けよ うと欲 す る人 は, 人 間で あ って ほな らないのです,
もっと高 尚で,純粋 で,神聖 な もので な くて は。
( 1 8 91
年4
月5
日,マ クシーム ィチ)( 2 8 )
3
ニージニイ ・ノー ヴゴロ トを出てか らおよそ半年 のあいだ,ペ ‑シコ フは ド ンや ドニ ェプルの流域地帯 ,黒海沿岸 ,さ らにベ ッサ ラ ビヤへ とめ ぐ り歩 い た が,そのあ と,短編 『私 の道連 れ』 に書 かれて あ るよ うに,オデ ッサで知 り合 っ た グル ジヤの青年 を送 って チ フ リスへ向か う。 さまざまな冒険 のあ と,チ フ リ スに到 りつ いた.の は
1 8 91
年1
1月で あ った。 そ こでの第一夜 は,同行 の グル ジヤ 人 に置 きざ りを くわ され,居酒屋 の喧嘩騒 ぎに捲 きこまれて警察 の留 置所 です ごす ことにな った。 そのあ と,ペ‑ シコフは彼 の身元 引受人 にな った,旧知 の ナチ ャー ロフとい う流刑 がえ りの知識人 の紹介 で,鉄道 の工機部 に職 を得 る こ とにな った。(28)
n o‑ ・c o6 p. cot
I. ,T.
1,c T p. 4 38 .
若 き詩人 ゴー リキイ 7 67
チ フ.リスの鉄道管理部 には流刑 がえ りの革命 的知識人 が た くさん勤務 して い た。 そのなか には,革命 的民主主義 の代表 的理論家の一人 に数え られ るベルゲィ
‑ フ レロー フスキイ
( 1 82 9‑1 91 8 ,
『ロシアにお け る労 働 階級 の状 態 』,『社 会 科学ABC』
の著 者) や,ゴー リキイに最 初 の作品発表 の場 を紹介 す る ことにな るカ リュ‑ ジヌイが いた。 また,ここには学生 ,知識人 ,勤 労 青年 が対 等 の 協力関係 で結 ばれ る学習会 の広 い輪が あ って,ペ‑ シコフは これ らの人 び と と の交 際 のなかで, 地域 の文化活動 にお ける有能 な働 き手 と して, しだ い に注 目 を集 め るよ うにな って い く
。
この時期 の最後
( 1 89 2
年9
月) は,短編 『マカール ・チ ュ ドラー』 の発 表 と 初恋 のひ と,オ リガ ・カ ミンスカヤ との再会 によ って締 め くくられ る ことにな るが,『マカール ・チ ュ ドラ‑』 に前後 して,か な りの数 量 にの ぼ る詩 や散 文 の習作 がな されていた と考 え られ る。1 89 0
年代 にヴォルガ流域地方紙 に発表 さ れた ゴー リキイの初期創作 には,この時期 の執筆 や着想 に もとづ くものが少 く ない. そのなか には,いわゆ るく宅チ フ リス ・ノー ト参 を飾 った多 くの詩 作 品 が 含 まれてい るはずだが,後年 ,結局 はゴ‑ リキイによ って破棄 されて しま って,その全容 を知 る手 がか りはない。
しか し,そのく宅チ フ リス ・ノ‑ ト>,を焼 いた頃 と思 われ る
1 93 3
年8
月, ゴー リキイはイ ・ア ・グル ーズ ジェフにあてた手紙 の末 尾 に,‑ 「さ らに‑ お 笑 い草 に‑ 紛 れ もな く,正真正銘 の,恥 ずべ きゴー リキ イ のへ ぼ詩 を添 付 します」(29)と記 して,詩 の断片 が書 かれて あ る一枚 の紙 を同封 した。以下 ,グルー ズ ジェフの著作 『ゴー リキイ とその時代』 の叙述 か ら引用 しよ う,‑
「この紙 の上 の ほうには,若 い ころの彼 の筆蹟で滑稽な二行詩が書かれてあっ
た 。
プ 1 ‑ ラ
信仰 な しに ヴェラに住 む‑
悲哀 の うちに丘 の上 に住 む !
そ して その下 に注意 が き‑ チ フ リス
,92
年8
月。( 2 9 ) Ap x H BA. 八. ro pl , K O r
O,T. 1
,c T p. 3 2 7.
1 6 8 人 文 研 究 第 7 7
輯詩 で満 た された こう したノー トが,こんな に長 い年 月存在 して あ ったのだ ! 数行下 に同 じ筆跡 で,しか し別 の (薄紫 の) イ ンクで書 かれて い る。
新 しい感触 に生 き 新 しい力 にみた されて
私 は告 げよ う‑ いまか らは■
薄紫 の イ ンクで書 く !
そ して
<1 8 9 2
年9
月> の書 きこみ。多分 ,これ は平凡 な生活 的事実‑ 新 しいイ ンクの購入 に よ って よ び起 こさ れた即興 の詩 だ ろ う。 しか し,この戯詩 のなか に刻 み こまれた,精 神 の良 きた か ま りが ゴー リキイの生活 の諸事件 のなか に根拠 を もって いた ことは疑 いのな い ところだ。 これ は,彼 に とって実際 に意義 ぶかい,彼 のチ フ リス生 活 の1
0
月 の 日々で あ った。さ らに下 に,また黒 いイ ンクで‑
同年
1 0
月 夢想 は無意 味だ と判 ったが力 は‑ ああ ! 〔とて も〕乏 しい, だか らまた,以前 のよ うに‑
黒 いイ ンクで 〔私 は〕書 く。」(30)
これ らの断片が,いか な る構想 に結 びっ くか ば不 明 で あ るが,「ヴ ェ ラ」 と
ヴ ェー ラ
い うの は ゴー リキイが この時期 に住 んだ,チ フ リスの町 の一角で 「信仰 な しに
ヴ ・ゴー リエ ナ ・ゴリエー
ヴェラに」,「悲哀 の うちに丘 の上 に」牛 と対応 させてお り,後 の二 つ は,いずれ も三脚 ダ」 クチ リ (強弱弱格) の詩形 を もち,行末 の押韻 は形容詞 ・名 詞 が と もに複数造格 で統一 されて い る日。詩作 の感興 の源泉 の一 つ には,オ リガ ・
( 3 0 ) H. rpy 3Z l eB. r Op王 , KH最 F IerO BpeM S I ,CTp.692.
*
X HB
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若 き詩人 ゴー リキイ 1 6 9
カ ミンスカヤ との再会 が大 き くかかわ っていた と思 われ る。 9月末 ,パ リにい るはずの彼女 が,夫 とはパ リで別 れ,娘 を連 れて帰国 し,しか も同 じチ フ リス の町 に住 んで いると知 った ときの感動 を,ゴー リキ イ は こ う述 べて い る,‑
「二十三歳 の頑丈 な若者 であ る私 は,生 まれて初 めて卒倒 した」(『初恋 につ い て』)
チ フ リス時代 のペ‑シコフの創作探求 は,その多 くが消滅 して しま った とは いえ,疑 いな く,文学者 ゴー リキイの誕生 のために貴重 な経 験 を積 み重 ね,そ の前提条件 を整 え ることに、役立 った. この時期 の彼 は,叙事詩 『年老 い し樹 のJ 歌』 に対 す るコロレンコの批評 を反窮 しなが ら,内部 に沸 き立つ衝動 の噴 出 を 抑 え,一時的な熱中や気晴 らしでな く,生活体験 の多種多様 な印象 と思索 の な かか ら,何 を引 きだ し,いか に形象す るか,時間をか けて慎重 に考 え,と りわ け,短所 とされ欠点 と して指摘 された表現形式 の弱 さを克服すべ く切瑳琢磨 し ていた と思 われ る。 コロ レンコの批評 につ いて ゴー リキイは回想 している,‑
「コロ レンコは初 めて私 に,形式 の意義 につ いて,語句 の美 しさにつ いて,なる ほどとうなづ ける人間の言葉 で語 った。 その言葉 の簡潔 な,わか りよい真実 に 私 は驚か された。 そ して,彼 の言葉 を聞 きなが ら,作家 とい う仕事 が容易 な仕 事 でない ことを空恐 ろ しく感 じたのであ った。
」( 3 1 )
以前 のペー シコフの拝情詩 の多 くは,青年 らしい情熱 と真筆 な真理探 求精 神 によ って支 え られ,そ こにある種 の香気 さえただよい もす るが,詩 形 式 と して はまだ生硬 であ り,また必ず しも内容 に調和 していない し,と くに用 語 にお い て は,「大波 が脅す よ うに泡ふ きあげる」,暮「わ ざわ いの深 い淵」= 「ず るが し
こい蒙昧」書目 な どのよ うな,あま りに も伝統 的な型 に はま りこむ傾 向 を もっ ていた。(
3 2
)その意味で は,チ フ リス時代 の詩作 の一つ,『夜明 け』 は,完成度 には問題があ ると して も,紛 うことな く独創 的文体 によ って際だ っている
。
飢 no J I H. C O 6 p. c o t I . ,T .1 6,c T p.1 7 9.
( 3 2 ) 1 6 2‑1 6 3 ページ参廃 されよ。
'
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II 5 I T C 5 IB a J l h I
**
o My T6 e R C T B I I i i
***
He B e X AJ I y Ka B I , Ⅰ Ⅹ
17 0 人 文 研 究 第
77輯夜明 け
乗物を愛する婦人
エ ヌ ・ア ・パ タ ル カ ラ シ ヴ ィ‑ リに 贈 る
^・・・・・.こがね色 の明 るい陽光 が
ぼ
くの眼に微笑 を投 げか け,そ
して無口で陰気 な夜 の コレスこ・‑ツイ飾 り馬車が馳せ り去 っ
た 。
あ るいは‑ 大空 の紺青 が 朝 を迎 えて胸 を ときめかせ,
そ して雲 のなかか ら ひか り燦然 と コリャースカ
フェ‑バ星 の半 幌馬車 が飛 んで 出た。
プ ロ 1)ヨー トカ
あ るいは‑ アポロ ンの無蓋車 が 静 か に大空へ と乗 り出 して い く, 夜 の老婆 はあわてふ ため き, 遠 く去 りつつ身 をふ るわせ た。
あ るいは‑ 朝。 眠 りの愛撫 の うちに 夜 は疲 れ はて遠 ざか って い った, 空 には太陽 が顔 を出 した,
灰色雲 の荷馬車 に うち乗 って。
けれ ど‑ 誓 って もいいのです !‑
近 しい人 の頚 に乗 るの は‑ 昔か ら 世 にあ るどんな乗物 よ りも
便利至極 で安 あが り !
若 き詩人 ゴー リキイ
あなた は言 いま したね,「夜 明 けの歌 を なにか わた しに書 いて ち ょうだい」 と。
リフマ さあ,ど うぞ ! ただ しその韻律 は ご くご く薄 っぺ らな糸 だ けれ ど。
7 7 7
ああ,それ は ミューズのいたず ら, 暗 い思想 の ミューズのいたず ら, そ して・‑‑そん な糸 で はと うて い,
7 ム ・‑ノレ
ぼ くの恋愛神 の姿 は編 め ません.(33)
ここで はユ ーモアの皮 肉の音調 が全体 に貫 かれて い る
。
第一聯 は,日の 出 の 光景 を うた う,拝情詩 で は広 く普及 されて い る,いわゆ る高 尚 な文 体 に よ る伝 統 的 な詩 的叙述 の形 を装 い,強弱格 を もって荘重 に始 め られ るが, この韻 律 は た ちまちに して崩 れだ し,そのあ と 「夜 の飾 り馬車」 とい う形象 を導 き出 したことによ って,一挙 に格調 が乱 れ,戯狂詩 の性質 を帯 びは じめ る。 この傾 向 は, さきにい くほど強調 され,高尚 な,しか し常套 的 な決 ま り文句が全 体 の語群 の なかで浮 きあが り,新 しい聯 ごとにます ます形象 のパ ロデ ィー化 が進 め られ て い き,終 わ りの ほ うで は 「夜 明 け」 の形象化 とい う課題 か らす る りと身 をか わ して,全体 を冗談 めいた色調 で塗 りつぶす ので あ る。 このよ うに, この時 期 の ペ‑ シコフは,一 つ の詩作 品 のなかで,調和 しがた い単語 ,韻 律 ,文 体 を混 在 させ,あ るいは軽 い主題 を大 げさな,荘重 な文体 でつつ み,あ るい は重 い主 題 をあえて軽快 な韻律 で うたいあげ るな ど,さまざまな表現方法 を模索 して い る よ うで ある。 だが,それ は単 に語 呂合 わせ,言葉遊 びへ の熱 中で終 わ る もので はなか った。一度 はあえて 自殺 を試 みな ければな らなか った苛酷 な生活体験 に よ って,魂 に無数 の深 い傷 を負 って いた彼 が,その体験 を整 理 し意 味 づ け,そ のなかか ら芸術 的形象化 を引 き出 して い くため には,体験 を完全 に客観 視 す る ことので きる地点 に立 たな ければな らなか った。戯狂詩 的表現 の獲得 もまたそ
( 3 3 ) n o L m.C O6p.cot
l. ,T. 1 ,c Tp. 44 2‑ 44 3 ・
17 2
人 文 研 究 第77 輯
のための'手段 のひ とつで あ った。 そ うでな ければ,ペー シコフの うた う人 生 の 歌 は,つ ぎの よ うな表現 の段 階か らの飛躍 が困難 であ っただ ろ う。
* * *
新 たな世界 はかの世界へ 涙 を流 す ことな き世界 ‑ 圧 しつ け苛 む哀愁 に 病 め る魂 の絶 叫 に
胸裂 かれ ることな き世界 へ‑‑(
3 4 )
この五行詩 は,「大 きな作品 の一部」(35)と され, これ だ けで判 断 は しか ね る が,あ ま りに直線 的 な願望 だ けが突 出 して いて,韻律 も単調 だ。
** *
大道 を往 く巡礼 のよ うに, 私 の心 のなか を通 って行 った, 悲哀 ,疑惑 ,不安 の うちに
数知 れない地 の子 らが通 って行 った。
多か らぬ人 び とを,■哀愁 こめて 私 の心 の記憶 に とどめて い る, 私 の心 に灯 を と もして
私 の心 に力 を与 えて くれたか ら。
そ して,灯 を吹 き消 そ うと して, 灯 を踏 み に じった人 び とを
( 3
4)Ta M Xe
,C T p .4 9 2.
( 3 5 )
TaM Xe,CTp. 5 84.
若 き詩人 ゴー リキイ 私 は忘 れ去 った‑ その名 も知 らず‑
そ して,また忘 れ去 ろ う,きみたちを。(36)
IT S
この拝情詩 も同様 ,哀愁 と幻滅 の色調 が基調 とな って い るのだ が,そ こか ら の脱 出 と飛躍 の展望 はまだ具体 的 な芸術 的形象 まで は高 ま らず,「忘 れ去 った」,
「忘 れ去 ろ う」 とい う主観 的意思 を表 明す るに とどま って い る。 これ に対 し, 思考 や体験 を直線 的 に うたいあげ るかわ りに,アイロニーを導入す ることによっ て これを風刺 的 に客観化 しよ うとす る試 みを示す のがつ ぎの詩 で あ る
。
声* *
それ はすて きな縁 ど りで した ! 空 には白い雲 が浮 かんで いた, その影 が川面 に落 ちて
月 の光 の細 い リボ ンが
青銅 の蛇 のよ うにと ぐろを巻 いた, ベ ンチやまわ りのアカ シャの葉 が
か ぐわ しい網 の 目をや さ しく編 んだ,‑
それ はすて きな縁 ど りで した !
それ は機抜 な冗談 で した ! 男 は言 った,「おお,きみ はなぜ ぼ くの心 に 熱情 の火 をっ けた ?
夢 を 力 を‑ きみ はすべてを滅 した ! 助 けて くれ ! だ ってそれ はきみ次第 !」
女 は言 った,「あた し,冗談 だ ったのよ,
けれ ど,あん たに悪 い こと望 みや しなか ったわ」
それ は機抜 な冗談 で した !
(
37)( 3 6 ) Ap xH BA. 八. ro p h KO r
O,T. XI
,c T p. 328 .
17 4 人 文 研 究 第
77輯
この詩 は,対句法 が用 い られ,あたか も二 つ の独立 した行情 的細 密 画 の並 置 によ って構成 されてい るかの よ うだ。一方 には独特 な風景描写 ,他方 に は人 間 の ドラマ。 しか し,二 つ の画面 は内的 に結 びつ いてお り,第一聯が第二聯 をいっ そ う強 く, ドラマチ ックな もの にす る効果 を もつ 。 こうした有機的関連性をいっ そ う強調 して い るのが,それぞれの画面 に枠 ぐみを与 えた,近似 的 な リフ レイ ン‑ 「それ はす て きな縁 ど りで した !」
,
「そんな機抜 な冗談 で した !」事であ る。* * *
あなたの アルバ ムのペ ー ジをめ くって ぼ くは,言葉 もな く,困 っち ゃいま した, それか ら言 いま したね,あなたの アルバ ムに ぼ くが詩 を書 いて あげま しょう
。
悩 ま しげにあなた はぼ くの眼 を見 つめ ま した,
けれ ど,そのまなざ しはぼ くの心 を突 きさ しま した。
そ して‑ ああ ! この二週 間余 りとい うもの, ぼ くはね,お嬢 さん,眠 りを忘 れて しまいま した。
あなたの まなざ しを忘れ るため に 臭素八分 の‑ オ ンス買 いま しょう,
で も心配 なのです,夜 ごと眠 れぬそのために ぼ くはま もな く息 たえて しま うで しょう。
ああ ! ひんや りす る死 に抱擁 され 低 い坤 さを洩 らしてぼ くが倒 れ るとき,