イタリアにおける温州商人の人的ネットワー クの可変性とその影響に関する考察
張 華
1 .問題意識
本研究において,研究対象として取り上げている温州商人とは,温州 地域を出自にしながら,市場活動を展開している商人のことである。そ して,温州商人が,ビジネスを遂行する上で,非常に依存している,人 的ネットワークとは,家族,親戚などの血縁関係や,同郷,同窓などの 地縁関係を中心に,同業者,異業者などの友人関係を含めた,様々な社 会関係のことである。さらに,温州商人の人的ネットワークにおいて,
核心的な存在である商人家族とは,商人の親子や兄弟など,商売に関与 する直系家族を中心として,その親戚も含めた家族メンバーのことであ る。
張
(2010,2013,2015,2018)では,温州商人の人的ネットワークのメカ ニズムや役割,その多様性について,定量的データと定性的データを用 いて,実証研究を行ってきたが,その結論の一つとして,多様性豊かな 人的ネットワークを構築している温州商人は,その経営規模が大きく,
事業志向も企業家志向になりやすい傾向がある。逆に,限定的かつ小規 模な人的ネットワークしか持っていない温州商人は,その経営規模が小 さく,事業志向も生業志向になりやすい傾向がある。
このように,温州商人の人的ネットワークは,商人の経営規模や事業
志向などによって異なり,非常に多様性に満ち溢れているのである。し
かし,温州商人の人的ネットワークは,そうした多様性を持っているだ けではなく,経営規模や事業志向の変化によって,人的ネットワークが 増殖したり,縮小したりする可能性が高いと考えられる。
例えば,企業家志向の強い商人は,商店の経営規模を拡大させること によって,店の顧客や取引先が増えて,商人の人的ネットワークも拡充 していく可能性が高い。その逆の場合は,商人の人的ネットワークが縮 小していくかもしれない。このような人的ネットワークの変化する性質 を,本研究では,人的ネットワークの可変性と呼ぶことにしよう。
海外においては,イタリア,フランス,オランダ,スペイン等の国々 に,温州商人の大規模な海外進出が始まって,30年以上経っている事実 を踏まえて,温州商人を支えている人的ネットワークそのものもが,少 しずつ変容していると考えられている。
以下では,人的ネットワークの可変性という視点を踏まえながら,ま ず温州商人の人的ネットワークに関する先行研究を簡単に振り返ってか ら,人的ネットワークの可変性が,温州商人のビジネス活動にどのよう な影響を与えることになるかについて,分析していきたいと考えてい る。
2 .温州商人の人的ネットワークに関する先行研究
温州商人の人的ネットワークについて,代表的な研究として,王春光
(2000a,2000b)
,西口ほか
(2005),西口
(2007)がある。
特に,王
(2000b)は,海外移民へのサポートという視点から,参与観 察という手法で,フランスのパリで活躍している温州人に関する丹念な フィールド調査を行った。そこで明らかにされた温州人ネットワークの メカニズムと役割は,以下のとおりである。
① 生産と雇用の面において,温州人ネットワークを通じて,温州人の
密入国者を雇用することによって,温州人企業は,人件費を削減す ることができ,安価な温州製品を量産し,結果として,温州製品の 競争力の向上につながった。
② 温州製品がユーロからの輸入禁止,販売停止等のトラブルに遭遇し た際に,例えば,パリにある温州人商会,華僑クラブ等の温州人ネッ トワークを通じて,温州商人が結集し,共同で裁判を起こし,温州 製品の合法的地位を奪回する。
③ パリにある温州企業の成長,発展を通じて,温州人のコミュニティ が拡大し,「温州人街」,「温州人タウン」を形成し,それが,最終 的に温州人ネットワークの再生,拡大に繋がる。
④ パリの温州人ネットワークは,親類にこだわるのではなく,パリに いる同じ温州人という視点で,もっと広い温州人ネットワークを形 成する。また,「都市出身」,「農村出身」という身分の差も重要で はなくなる。
また,張
(2018)は,王
(2000b)を追試するような形で,イタリア・フィ レンツェ郊外のプラート市でビジネス活動を行っている温州商人への調 査を通じて,人的ネットワークの役割を明らかにすることができた。つ まり,人的ネットワークは,温州商人のイタリアへの密入国の支援や雇 用機会の獲得,恩赦情報の早期入手,居留許可の獲得,起業資金の調達,
企業の管理運営,温州商人への生活支援等において,絶大な役割を発揮 していることを改めて確認することができた。
しかし,温州商人の人的ネットワークと言っても,どのようなタイプ
の温州商人が存在し,彼らは,海外の温州人コミュニティにどの程度に
依存しているか。あるいは,温州人コミュニティにどのような影響を与
えているかについて,まだ明らかにされていない部分があったが,海外 における温州商人の人的ネットワークについて,統計データを使って試 みた研究として,西口・辻田
(2016)の研究はかなり画期的である。
西口・辻田
(2016)は,2004年 ₃ 月から2016年 ₂ 月にいたる12年の間 に,中国,日本,イタリア,フランス,イギリス,ドイツ,アメリカ等 の19カ国で,264社の温州人企業をインタビュー
(1)し,ネットワークとコ ミュニティ・キャピタルの観点から,非常に丹念に実地調査も行ったう えで,さらにヨーロッパ在住の温州人企業家133人
(男性103人,女性30人)に対して,統計調査を行い,クラスター分析を通じて,下記のように,
欧州在住の温州人企業家の類型化を行った
(2)。
( ₁ )現状利用型:受動的な「近所づきあい」が中心で,交友範囲が広 くない。就職先や取引先から結婚相手まで,人生のほとんどを身近な人 間関係の中で過ごすタイプである。つまり,人的ネットワークの視点で は,現状利用型の企業家は,家族や親戚をベースとする血縁関係や,同 じ地域の友人をベースとする地縁関係に強く依存しているのである。
( ₂ )動き回り型:必要に迫られ,その性向や気まぐれから,ランダム に動き回り,身近な人間関係や温州人コミュニティから飛び出すことが あるタイプである。このタイプの企業家は,既存の温州商人の人的ネッ トワークを頼りにしながら,常に新しいビジネス機会を探索している傾 向が強い。結果的に,中国国内やヨーロッパ諸国を転々とし,事業に関 しても,様々な業種や業界を経験している人が多い。
( ₃ )ジャンプ型:個人的能力に恵まれ,新規の人間関係を構築するこ
とに熱心で,独力で新たな世界を切り開いていくタイプである。強い
リーダーシップを発揮し,出自の温州人コミュニティに好影響を与え
る。このタイムの企業家は,温州商人の人的ネットワークに依存するの
ではなく,むしろ意図的に温州商人以外の人との付き合い
(遠距離交際)を増やすことによって,自らの事業を拡大しているだけではなく,温州 人コミュニティにも好機をもたらしているのである。
( ₄ )自立型:上記のいずれにも属せず,できるだけ他者の支援なしに,
自力で事業の機会を切り開くタイプである。このタイプの企業家は,投 資家や実業家として,ヨーロッパ市場に参入することが多く,基本的に 温州商人の人的ネットワークを頼りにせず,市場のビジネスチャンスを とらえ,積極的にビジネス活動を行っているのである。
133人の温州人企業家の中で,「現状利用型」の企業家が最も多く,79 人で59.4%を占めている。「動き回り型」の企業家が18人で13.5%を占め ており, 「ジャンプ型」が25人で,18.8%となっている。一方,温州人ネッ トワークを頼りにせず,ビジネス活動を展開している「自立型」の企業 家が,11人で8.3%を占めているのである。
この結果によると,依然として ₆ 割の温州人企業家が既存の人的ネッ トワークに依存しており,約 ₃ 割の経営者が人脈を活用しつつ,新しい 人脈を作り出し,既存の温州商人のコミュニティに大きく貢献している が,約 ₁ 割の経営者が,海外の市場に魅力を感じ,既存の人的ネットワー クを頼りにせず,自力で海外市場を開拓しているのである。
つまり,程度の差は存在しているが,依然として ₉ 割以上の温州商人 が,様々な人的ネットワークを活用していることは,西口・辻田
(2016)の調査結果でも明らかであり,温州商人の人的ネットワークは,海外に おいても,中国国内と同じように,資金調達,企業の管理運営,情報収 集などの面で非常に役立っているのである。
また,温州商人の人的ネットワークへの依存度調査を通じて,温州人
企業家の類型化を行った西口・辻田
(2016)は,世界中を飛び回ってい
る企業家のビジネス活動が,どのように温州人コミュニティや人的ネッ
トワークに影響を与えているのかについて言及し,間接的に人的ネット ワークの可変性を示唆することになり,本研究にとっても,非常に参考 になると考えられる。
3 .温州商人の人的ネットワークの可変性
海外にいる温州商人を支えている人的ネットワークは,家族,親戚な どの血縁関係や,同郷,同窓などの地縁関係を中心に,同業者,異業者 などの友人関係を含めていることは,上述した通りである。
しかし,イタリア,フランス,オランダ等の国々に,温州商人の大規 模な海外進出が始まって,30年以上経っている事実を踏まえて,温州商 人を支えている人的ネットワークそのものもが,少しずつ変容している と思われるが,温州商人の人的ネットワークに関する先行研究におい て,人的ネットワークの変容やその変容による影響について,あまり フォーカスを当ててこなかった。本節では,まず,温州商人の人的ネッ トワークがなぜ変容するか。また,どのように変容しているのかについ て,イタリアに在住する温州商人へのインタビュー調査のデータに基づ き,分析していきたいと考えている。
3 . 1 温州人密入国者数の減少
王
(2000b)や西口・辻田
(2016),張
(2018)によると,温州商人の海 外進出の基本パターンは,「蛇頭」 組織に高額な仲介手数料を支払い,
彼らを通じて,偽造パスポートとビザを入手し,欧米諸国に密入国する。
入国後は,親戚や友人が事前に用意してくれているアパートに身を潜め
て,生地の裁断やアパレルの縫製などの闇労働に勤しみ,一日14時間も
働いているのである。そして,数年おきに巡ってくるフランスやイタリ
ア政府の恩赦機会を活用して,晴れて居留許可を入手し,正規労働者と
して温州人企業で働き,起業資金が工面できたら,アパレル企業の経営
者になるというのが,温州商人の基本的な出世パターンである。
無論,温州人経営者が,密入国者を雇用して劣悪な環境で働かせるの は,刑罰のリスクを背負わなければならないが,勤勉な温州人従業員の 雇用は,製造コストを非常に安く抑えられるだけではなく,柔軟な受注 体制の構築にも非常に役立っているのである。そのため,温州人企業の 製品と生産体制が,取引先から高く評価されている。
しかし,イタリアの現場では,異変が起こり,上記の基本パターンが 崩れつつある。なぜなら,温州人のイタリアへの密入国数が従前と比べ て,かなり減少しているからである。以下では,減少の理由を見てみよ う。
「2008年以降,温州人のイタリアへの不法入国は,あまり聞かなくなった。なぜな ら,その必要があまりないのだ。温州地元が昔と比べて,だいぶ豊かになり,その リスクを冒してまで,イタリアに行く必要がないし,中国国内でも普通にビジネス をやって,儲けることができるよ。
その一方で,イタリアの景気もリーマンショック以降,良くないし,中国とイタ リアとの賃金格差がどんどん縮まっているので,昔みたいに,イタリアで ₁ 年間働 いて,中国 ₅ 年分の年収を稼げなくなった。今(2019年)は,せいぜい ₂ ~ ₃ 年分 かな。イタリアの生活コストも安くないので,中国国内より稼げるとしても,結局 手元に残るお金は,そう多くないのだ(3)。」
温州が豊かになったことは,統計データからも分かる。2019年温州市 の GDP は,6606億元,一人当たりの GDP は7.12万元
(約112万円(4)),可処 分所得は,51490元
(約82万円)である
(5)。
温州経済が繁栄しているだけではなく,中国国内消費市場の発展に よって,ビジネスチャンスがかなり増えているのである。何より,過酷 な密入国と闇労働のプロセスに耐えられる温州人が,どれぐらいいるか が気になるところである。
「1990年以降に生まれた人は,我々の世代とは違い,だいぶ恵まれていると思う。
基本的に一人っ子だし,温州がすこしずつ豊かになっている中で育ち,普通に高校 を出て,大学に入り,卒業後は,政府機関や企業等に就職していく。何しろ,よっ
ぽどのことがない限り,親が可愛い子供たちに密入国させないし,自分たちの苦労 をもう一回経験させるとも思っていないと思う。
自分がフランスに行こうと思ったのは,2000年に靴製造の事業が大失敗して,20 万元の借金を抱えてしまったからだ。この借金は,当時一般サラリーマン年収の10 年分だから,温州に残っても,到底返せないと思ったので,妻と一緒にフランスに 行き,人生をやり直そうと決心したのだ。フランスやイタリアにいる最初の数年間は,
キツイ労働ばかりで,よく耐えられたと思う。私も,自分の子供に絶対同じ経験を させたくない(6)。」
温州人の密入国数に関する正確なデータは不明であるが,各種証言に 基づくと,確実に減少しているのである。しかし,この減少は,温州商 人の人的ネットワークにおいて,連鎖反応を引き起こす可能性がある。
つまり,基本パターンにおいて,絶え間なく入ってくる密入国者を雇用 して,柔軟な生産体制を築いて,安価な温州製品を製造している温州商 人にとって,温州人労働者の減少は,新しい経営課題である。後述する ように,安価な労働力の欠乏は,温州人企業に,アパレル工場の閉鎖や,
ビジネスモデルの転換まで強いる場合もある。
3 . 2 温州の土地開発政策の影響
イタリアへの密入国者数の減少が起こっている一方,既にイタリアに 定住している温州商人の温州回帰も水面下で進んでいる。こちらは,イ タリアの景気低迷の影響もあるが,実は,温州地元の土地開発政策と密 接にかかわっている。
中国の沿岸地域において,不動産バブルが相まって,不動産開発がか つてないスピードで進んでいる。温州のような商業用地が限られている 地域では, 「中国土地管理法
(7)」に基づき,地元の「返還地政策」を適用し,
農民から土地を徴収して,不動産開発を進めるしかない。
「返還地政策」とは,農民の土地を徴収する場合,土地の年間生産高
の ₄ ~ ₆ 倍の金額を一定の年数に乗じて,農民に補償金を出さなければ
ならない。この補償金は毎年の年末に土地を徴収された各世帯に現金を
支払うだけではなく,一部の土地を活用し,高層マンションを建て,農 民たちに無償で広い住居を提供するケースも温州各地で確認されている のである。
「2008年あたりから,実家の方に,一夜にして,億万長者になった人は何人もいる。
最低でも150m₂のマンションを手に入れて,そのまま売却するか,賃貸に出して,残 りの人生は,苦労せずに暮らしていける。私も村の土地開発で150m₂のマンションを
₂ 戸もらったから,数年後は,寂しいイタリア暮らしをやめて,老後を温州地元で 過ごすつもりだ(8)。」
2012年~2020年の温州市の不動産平均価格が, ₁ m₂あたり約2.5万元
(40万円)
前後で推移し,安くても ₁ m₂あたり約1.8万元
(30万円)となっ ているため
(9),確かに,農民たちは,急激に裕福になっているのが事実で ある。それが結果的に,海外にいる温州商人を地元に呼び戻す力になり つつある。
「豊かになった温州人は,住居を担保にして,銀行からお金を借り,過熱気味の株 式市場に入り,株の売買をしたり,全国各地で出回り,利ザヤを稼ぐ不動産転売を やったりして,2008年から2012年までの間,アパレルや靴の製造などの実業をコツ コツやるより,不動産売買のビジネスをやった方がよっぽど早く儲かるという風潮 が盛んになった(10)。」
もちろん,土地政策は,すべての在外温州人を温州に回帰させること にならないが,親や子供を温州に残しながら,ヨーロッパで苦労してい る一部の温州人にとっては,非常に強い回帰のインセンティブになるの が間違いない。また,土地政策が,温州人の新規の海外進出の意欲を弱 める逆効果になることも容易に理解できる。
上記のように,新規のイタリア入国が減る一方,既存の在イタリアの
温州商人の温州回帰が強まれば,イタリアの温州人コミュニティがさら
に縮小していき,温州商人のビジネス活動に影響を与えることになるに
違いない。
3 . 3 温州人 2 世の増加と活躍
張
(2018)は,フィレンツェ郊外のプラート市でビジネス活動を行っ ている温州商人のインタビュー調査を通じて,温州人 ₂ 世の増加という 新しい事実を発見し,その活躍も記述されている。温州人 ₂ 世は,以下 のところについて,親たちとは異なっている。
( ₁ )イタリア語が堪能で,温州人以外の人ともビジネスを行うことが できる。
家族だんらんという目的は,小学校高学年,中学校からイタリアにい る両親と合流し,現地で学校教育を受けて,10年以上生活している温州 商人の子弟は,流暢なイタリア語を話している人が多い。
「私の娘と息子は,中学校以降にイタリアに来たので,中国語もイタリア語も流暢 にしゃべれる。今までの付き合いは,温州人ばっかりだったが,娘のおかげで,イ タリア人のお客さんを見つけてくれたり,交渉に入ってくれたりして,とても助かっ ている。イタリア語が分からなったので,イタリア人に対して,ある種の恐怖感を 抱いたが,今は,そう思わなくなり,逆に温州人とビジネスするより,必要以上の 駆け引きがなく,商売が楽だと思っている(11)。」
一部の温州商人は,中学校すら出ていない人が多く,イタリア語どこ ろか,中国語も満足に話せない人もいる。そのため,彼らのビジネス範 囲は,温州人コミュニティに限定され,同じ温州人の家族や友人の助け がなければ,イタリアで生きていくのは,非常に困難だと思われる。し かし,温州人 ₂ 世は,言葉の制限や文化の壁を簡単に突破して,温州人 とだけではなく,イタリア人の商人やヨーロッパ各地の商人とも,不自 由なくビジネスを行うことができる。
温州人 ₂ 世の登場により,親たちに新しいビジネスチャンスをもたら
すことは明白である。イタリア語や英語の通訳から始まり,より専門的
な集客,取引先との交渉等のビジネス活動にも積極的に顔を出し,親の
元でビジネスのセンスを磨きながら,いずれ自分の夢を追うために,巣 立っていくと容易に想像できる。
( ₂ )親と違い,中国本土とのつながりが弱く,中国の友人も少ない。
しかし,イタリアで生まれ育った温州人 ₂ 世は,問題がないわけでは ない。彼らは,イタリアの生活に慣れ親しんでいる一方,中国人として のアイデンティティーが薄れていくという現状は,親たちにとって,新 しい悩みとなっている。
「一方,1990年代末からイタリアで生まれ育っている温州人も増えてきている。彼 らは,見た目は温州人だが,生活スタイル,価値観は,イタリア人とあまり変わら ない。彼らは,中国語や中国文化を学ぶために,イタリアの中文学校にも通ってい るが,やはり,イタリア文化に接する時間が圧倒的に多いので,中国人としてのア イデンティティーが弱くなっていると思う。将来的にも,彼らは,疎くなった中国 に帰るより,イタリア,あるいはヨーロッパで仕事を見つけて,現地人と同じように,
暮らしを楽しむようになると思う。温州人の親たちは,年数回子供を連れて,中国 に帰るが,短期間の里帰りは,あまり効果的ではないみたい。親たちも割と民主的 な考えを持っているから,子供が良ければ,特に強制せずに,子供を自由にさせて いるのが現状だ(12)。」
「私は,イタリアには,12歳の時に初めて来て,イタリアの中学校に入り,大学を 出てから,親のビジネスを手伝っている。今は温州人の友人もいるが,イタリア人 の友人も多い。我々は,温州人とばかり付き合っている親と違い,イタリア人の友 達との付き合いが多い。去年,イタリア人の同窓を温州に連れて,いろんな企業を 訪問したよ。今は,親の企業で働いているが,将来的に独立して,国際貿易やIT企 業をやりたいと思っている。アパレル業は,ブランド力のあるZARA等の大企業が 強すぎるので,これから労働集約型の中小企業はあまり儲からなくなると思う。我々 の強みは,イタリアと中国の双方の事業に詳しいので,それを利用して,中国とイ タリアの架け橋となり,双方の強みを活用して,国際貿易をやれば,成功すると思っ ている(13)。」
このように,温州人 ₂ 世の活躍により,温州人コミュニティに新しい
風を吹き込むことになり,既存の温州商人の人的ネットワークにも良い
影響を与え,新しいビジネスの展開が期待されている。
4 .人的ネットワークの変容と影響
以上のように,①密入国者数の減少,②温州回帰の強まり,③温州人
₂ 世の登場で,温州商人の人的ネットワークは,確実に変容しているの である。前向きな点としては,温州人 ₂ 世の出現と活躍が温州商人のコ ミュニティに活力を注入し,今まで想像もしなかったビジネスが可能と なる。マイナスな点としては,密入国者数の減少と温州回帰の強まりに より,温州人コミュニティが縮小し,再生産のサイクルが破たんする可 能性さえある。
本節では,上記の人的ネットワークの変容により,具体的に温州商人 の経済活動にどのような結果をもたらすかについて,インタビュー調査 を通じて,分析していく。
4 . 1 正規企業への脱皮
温州人の不法労働者の活用によって,安価な製品生産と柔軟な受注シ ステムを構築できたが,温州人雇用の減少に伴い,福建省や遼寧省等の 他地域出身の中国人労働者やイタリア人労働者の雇用が増加した。
しかし,今まで,閉鎖的な温州人コミュニティで回っている経済活動 は,温州人以外の人が加わることによって,新しい問題が発生している。
例えば,信頼コストの増加である。温州人であれば,家族や親戚ではな くても,同じ温州出身という地縁でつながっているため,基本的に高い 信頼の下で,雇用や取引が行われている。ところが,温州人以外の場合 は,上記のような高い信頼がなくなるため,温州人経営者は,安易に人 を信用できなくなる。それが,雇用コストの増加につながる。
「やはり,同じ不法入国者を使うにしても,温州人と,それ以外の人は,信頼感が 全然違う。温州は,狭い地域だから,いろんな利害関係が絡まっているので,変な 行動に出ない。でも,温州以外の人は,何があって,イタリアに来たかわからないし,
信用できるかどうか知るすべもない。
温州人がすべて良いというわけでもないが,やはり温州人労働者が減っている今,
他地域の労働者をどうやってうまく使うかは,企業にとって,結構大切だと思う。
今でも発展しつづけている温州人企業は,やはりうまく人を使っている企業だと思 うし,そういう企業は,これからもっと発展できる。うちみたいに,うまく他地域 の労働者を使えないところは,廃業して,個人事業主になるしかない(14)。」
また,下記のインタビュー調査のデータの通りに,温州人と中国のほ かの地域の人とは,志が異なっているため,管理コストの上昇にもつな がっている。
「温州人の労働者は,はっきりとした目標を持っている。つまり,いずれは経営者 になるという目標だ。そのために,今の労働環境がきつくても耐えていくのだ。起 業資金を貯めるために,土日も関係なく,毎日12時間以上は働いているのだ。しかも,
彼らは,貪欲的で,非常に熱心にいろんなことを学んでいる。ほとんどの時間が工 場で働いているので,何かトラブルに巻き込まれることは少ない。
でも,温州以外出身の中国人労働者は,違う。最初は,同じ貧しくても,彼らの 志は,温州人とは違って,経営者になるより,貯めたお金を国内に送金し,家族に より良い暮らしを提供するのが目的なのだ。だから, ₅ 年,10年働いて,必要なお 金がたまったら,中国に帰っていくのがほとんどだ。志が低いせいか,温州人目当 ての強盗,誘拐などの事件が多発し,そのほとんどが温州人以外の中国人による犯 行なのだ。また,普段暇のせいか,労働者同士の争いやトラブルも多い。金銭問題 とか,女性とのトラブルとか,中国でよくみられる問題は,ここでもよく起こって いる(15)。」
このように,温州人以外の労働者の雇用は,温州人企業にとって,短 期的にコストの増加要因となっているが,中長期的に企業の発展にとっ て,有益なものになると考えられる。特に,イタリア人労働者への就労 機会の提供は,既存の温州人企業と異なり,地元コミュニティとの関係 づくりにも有益に働く。
「うちは,中国の義烏市から生活雑貨を輸入して,プラートの卸売市場で販売して いるが,私はイタリア語がそんなに上手ではないので,温州人より数倍高い給料を 払って,イタリア人スタッフを雇って,買い付けに来ているフランス人やオランダ
人の接客にあたらせている。ほかにも,スペイン人を雇って,ヨーロッパ各地の市 場開拓に活用しているのだ。このように,商売がどんどん大きくなっているのだ。
やはり,温州人だけに頼っていくのは,結構限界があるので,管理運営がたいへん だけど,ビジネスをより発展させるためには,リスクをとりにいかないとね(16)。」
4 . 2 ビジネスモデルの転換
上記のように,温州以外の地域出身の中国人労働者やイタリア人労働 者を雇用することによって,生産活動を維持している企業が増えている 一方,アパレルの製造を断念して,ビジネスモデルの転換を決心した温 州人経営者も増えている。以下では,いくつかの事例を取り上げて分析 する。
4 . 2 . 1 ファブレス企業への変身
イタリアは,ファッションの都といわれている。イタリアでアパレル 製品を製造するより,R&D センターとして活用したほうがより高い価 値を実現することができることを多くの温州商人が認識しはじめてい る。アパレルの場合は,イタリアでデザインしたものを,温州地元の企 業や中国国内の企業に発注し,製造してもらったものをイタリアに輸入 し,ヨーロッパ各地に販売するパターンが考えられる。
また,中国国内で作ったものをそのまま中国国内で販売するケースも 増えている。イタリア製の高級ブランドが中国国内で高い人気を集めて いるが,「Made in China」&「Design by Italy」でも中国で十分な人気が 出るのである。
「今の中国は,電商(e-コマース)の時代だ。良い商品があれば,ネットショップ でどんどん売れていくのだ。長年イタリアで,ベルト,財布やカバンなどの皮革製 品の製造販売をやっていた友人が,昨年から,心機一転,「Design by Italy」というこ とを全面的に打ち出して,革製のベルトやカバンを淘宝(TAOBAO)で販売すると,
なんと ₁ 年で500万元(約8000万円)を売り上げたらしい。彼の製品は,温州地元の メーカーに委託してOEM生産しているだけで,直接生産活動に関わっていないの
(17)だ
。」
4 . 2 . 2 他業種への参入
アパレル製造業から,生活雑貨卸業への転換も起こっている。「世界 の小物の都」である中国義烏市からコストパフォーマンスの高い生活雑 貨を輸入して,イタリアのスーパーをはじめ,ヨーロッパ各国へ販売す る。このような切り替えができたのは,上述したように,通訳や集客,
取引先との交渉など,温州人 ₂ 世によるビジネスサポートが大きい。
「義烏からの生活雑貨,小物の輸入は,2002年ごろから増えてきて,今やフィレン ツェでも卸専業の倉庫街ができて,イタリアだけではなく,フランスやドイツ,ス ペインなどの国から,バイヤーが結構来ており,息子がバイヤーの対応をしてくれ ているので,助かっている。義烏の小物メーカーは,日本の百円ショップにも卸し ているから,かなり品質が上がってきているから,ヨーロッパでも大人気となって いるみたい。義烏は温州ではないが,数万人の温州人がそこでビジネスをやってい るから,ヨーロッパにいる温州人から売れ筋情報をゲットして,専業で生産してい る人も多いらしい。実は,従兄弟も,義烏で商売しているのだ。彼と商売のつなが りを持っていないが,イタリア人顧客を紹介したことがある(18)。」
また,レストラン業への参入も増えている。これは,既存の中華レス トランとは違い,現地のショッピングモールに出店し,アジアン・フー ドを提供する。従業員も,温州人だけではなく,アジア人や地元住民も 数多くいる。地元住民の雇用につながるビジネスは,地域との関係づく りにおいて,非常に大切で,温州人だけのコミュニティから地域コミュ ニティへ移行に一歩前進と言えよう。
「昔は,温州人のレストランといえば,温州人が大好きな海鮮レストランや,温州 から食材を輸入して,温州人のコミュニティ向けにやっているところがほとんどだっ たが,最近は,和食,特に寿司を食べるヨーロッパ人も増えてきて,イタリアから 出て,オランダで寿司レストランをやっている親戚がいる。
彼は,日本の寿司レストランで修行したことがないが,中国国内の回転すしレス トランを数回食べに行っただけぐらいで,あとは,ネットで寿司の作り方を調べて,
作ってみて,家族で試食して,美味しかったから,店を開いたらしい。
オランダの人は,中国人も日本人も見分けがつかないから,日本人が寿司を作っ て提供してくれていると思って,こぞって来店し,店は結構繁盛しているらしいよ。
今までのビジネスと一番違ったのは,ベトナム人やマレーシア人,オランダ人も
雇っていることだよ。ベトナム人は,清掃係で,マレーシア人は一緒に寿司を握り,
オランダ人は接客するというような感じだ。昨年に大学を出た彼の息子が,彼と一 緒に店の管理運営をやっている。こういうところが,昔の温州人ができないから,
結構強いと思うよ(19)。」
このように,アパレル製造業をメインとする温州商人は,人的ネット ワークの変容によって,ファブレスや生活雑貨の卸売業へ参入したり,
現地のニーズを見極めて,新しい飲食業に進出したりするケースが増え ている。これらの柔軟な対応は,長期的な視点で,温州商人のビジネス 活動にプラスな影響を与える可能性が高い。
4 . 3 中国国内市場への回帰
人的ネットワークの変容だけではなく,中国の巨大な消費市場への移 行も,在イタリアの温州人経営者の中国回帰を促している。その動きは まだ限定的ではあるが,増えていく可能性が高い。
しかし,その回帰は,イタリアの拠点を完全に切り捨てたというわけ ではなく,イタリアより中国大陸での市場活動がメインになるという理 解が正しいだろう。この流れが加速するかどうかは,世界の情勢と中国 の経済政策に大きく影響されることに違いない。
「温州の土地政策は,一部の温州人 ₁ 世に温州回帰のインセンティブを与えている が,もっと大きな理由は,中国夢(チャイニーズドリーム)があることだ。国の政 策と市場のニーズを上手に読める経営者は,株式上場を通じて,わずか数年で,億 万長者になるケースがたくさんあるし,「改革・開放」は40年たって,中国も昔と比 べて,だいぶオープンになったことも,企業家にとって,中国市場がより魅力的に なっただろう。
今は,イタリアやヨーロッパに投資移民という形で行く人もいれば,中国国内に 工場を新たに立ち上げたり, 小売業や教育業に進出したりしている経営者もいる。
今も昔も変わらないものは,一つだけある。温州人は,相変わらず商機をつかむこ とを得意にしていることだ(20)。」
本節では,海外における温州商人の人的ネットワークの変容に伴い,
温州商人のビジネス活動に,どういう変化が起こっているかを見てき
た。良質な労働力を確保するのが困難ということで,工場の閉鎖を余儀 なくされた経営者もいるが,大半は,新しい業種への参入を実施したり,
ビジネスモデルの根本的な転換を図ったりして,ハードルを乗り越えよ うとしている。これらの変化は,短期的に温州商人に人件費の上昇,管 理コストの増加を強いることになるが,中長期的に温州人企業の発展に とって,プラスの働きをもたらすことになると考えられる。
5 .結論
本研究は,温州商人の人的ネットワークの可変性に注目し,イタリア でビジネス活動を展開している温州商人へのインタビュー調査を通じ て,人的ネットワークはなぜ変化が起こり,また,どのような変化が発 生して,最終的に温州商人のビジネス活動にどのように影響を与えるこ とになるかについて,分析してきた。
結論として,イタリアにおける温州商人の人的ネットワークは,温州 人密入国者数の減少や温州人 ₂ 世の登場,中国国内市場への温州商人の 回帰などの新しい動きによって,確実に変化していることが分かった。
これらの変化は,温州商人のビジネス活動の修正,ひいては,ビジネス モデルの転換を強いることになることも確認できている。また,上記の 変化は,温州商人のビジネス活動だけではなく,イタリアにある既存の 温州商人のコミュニティの維持・再生産にも影響を与えているのであ る。さらに,温州人 ₂ 世の登場は,新しいビジネスの展開をもたらした だけではなく,イタリアの地元住民との関係づくりや,閉鎖的な温州人 コミュニティの維持と再生産にとっても,大きなプラス材料になると考 えられる。
本研究は,イタリアにおける温州商人の人的ネットワークの可変性に ついて,定性的な調査を通じて,ある程度明らかにすることができたが,
その変化の規模と範囲については,ヨーロッパ諸国に進出している温州
商人について全部調査できたわけではないため,それが今後の研究課題 として残っている。
本研究は,科学研究費補助金
(基盤研究B課題番号18H00909,基盤研究C 課題番号17K04016)を受けて行われた研究成果の一部である。支援を頂い たことに対し,ここに厚く謝意を表する。
注
( ₁ ) 西口敏宏・辻田素子(2016),p. 127。
( ₂ ) 西口敏宏・辻田素子(2016),p. 153。
( ₃ ) 2019年 ₈ 月22日フィレンツェの温州人経営者劉広楷氏へのインタビュー内容 による。
( ₄ ) 2020年12月の人民元対日本円の為替レートに基づく。
( ₅ ) 浙江省人均GDP四强城市:温州,金华去哪了?_腾讯新闻 (qq.com) https://
new.qq.com/omn/20200705/20200705A₀H₅MM00.html(2020年12月30日アクセス)
( ₆ ) 2019年 ₈ 月23日フィレンツェの温州人経営者A氏へのインタビュー内容によ る。
( ₇ ) 2020年 ₁ 月 ₁ 日に実施された「中国土地管理法」では,土地が徴用された農 民の生活水準は低下してはならない,その生計も確保される必要があると明文 化された。また,農民への補償額を算出する際に,従来から支払われていた補 償費,代替地確保の補助,青苗の補償費等に加え,農民の住宅補償費と社会保 障費も補償の対象とされている。
( ₈ ) 2019年 ₈ 月23日にフィレンツェの温州人経営者張世春氏へのインタビュー内 容による。
( ₉ ) 2012年 ~2020年 の 温 州 市 不 動 産 平 均 価 格 の 推 移 https://www.anjuke.com/
fangjia/wenzhou/(2020年12月25日アクセス)
(10) 2019年 ₃ 月10日に温州人企業家陳存東氏へのインタビュー内容による。
(11) 2019年 ₈ 月23日フィレンツェの温州人経営者A氏へのインタビュー内容によ る。
(12) 2019年 ₈ 月23日にフィレンツェの温州人経営者A氏へのインタビュー内容に よる。
(13) 2020年 ₈ 月11日にフィレンツェの温州人経営者A氏の息子への電話インタ ビューの内容による。
(14) 2019年 ₈ 月23日フィレンツェの温州人経営者A氏へのインタビュー内容によ る。
(15) 2019年 ₈ 月23日フィレンツェの温州人経営者張世春氏へのインタビュー内容 による。
(16) 2019年 ₈ 月23日フィレンツェの温州人経営者張世春氏へのインタビュー内容 による。
(17) 2019年 ₈ 月23日フィレンツェの温州人経営者A氏へのインタビュー内容によ る。
(18) 2019年 ₈ 月23日フィレンツェの温州人経営者張世春氏へのインタビュー内容 による。
(19) 2019年 ₈ 月22日フィレンツェの温州人経営者劉広楷氏へのインタビュー内容 による。
(20) 2019年 ₈ 月22日フィレンツェの温州人経営者劉広楷氏へのインタビュー内容 による。
参考文献
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