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19世紀中葉のアメリカ火災保険事業

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19世紀中葉のアメリカ火災保険事業

その他のタイトル American Fire Insurance in the Middle of 19th Century

著者 永吉 基治

雑誌名 關西大學商學論集

19

3‑4

ページ 434‑459

発行年 1974‑10‑25

URL http://hdl.handle.net/10112/00021130

(2)

208 (434) 

19世紀中葉の

アメリカ火災保険事業

1 ム 口

1

1835年のニューヨーク大火から1861年 の 南 北 戦 争 開 始 に い た る 四 半 世 紀 は,ある意味では19世紀のアメリカ火災保険事業の縮図でもある。それは,

たぴ重なる記録的な大火による火災保険会社の破産と,その後の新規参入に よる料率競争の激化に象徴的に示されている。

19世紀における記録的な大火とその損害額(1) 

発生年I 損害額(ドル)

1835  New York,  18,000,000  1838  Charleston,  S. C.,  6,000,000  15 New York,  6,000,000  1851  San Francisco.  17,000,000  1853  Sacramento,  Cal..  12,000,000  1861  Charleston,  S. C.,  10,000,000  1866  Portlabd,  Me.,  10,000,000  1871  Chicago,  175,000,000  1872  Boston,  75,000;ooo  1875  Virginia City,  Nev.,  7,500,000  1889  Seattle,  7,000,000  1889  Spokane,  6,000,000  1892  Milwaukee,  6,000,000 

(1)  B.  Considine,  "Man Against Fire," 1955, pp. 313‑314より作成。

(3)

19世紀中莱のアメリカ火災保険事業(永吉)

火災保険会社の破産数(2) 

1850年以前 26 1850 ‑ 1869  132  1870 ‑ 1879  353  1880 ‑ 1889  229  1890 ‑ 1899  708  1900 ‑ 1914  897 

(435)  209 

19世紀のアメリカ火災保険事業は,実に,程度の差こそあれ,この悪循環 のくり返しであった。同時に,この時期はニューヨーク大火を契機として,

初期の火災保険会社に種々の欠点が見い出され,いくつかの新しい試みが展 開された点で注目される。それは堅実な保険経営に対する被保険者の強い要 求から,マサチューセッツ州をはじめとする責任準備金積立の立法化をみた ことである。この事実は,被保険者の保護と同時に,もう一つの重要な結果を 生じた。それは,保険事業に対する州の監督の開始であった。これは現在行わ れている州の保険監督制度への端緒をなすものとして評価されるのである。

本稿では,上述の観点から次節において,当時の経済的背景を考察し,さ らに第 3節において,この時期の火災保険事業における注目すべき新しい要 因を指摘し t~ 。そこでは,責任準備金に対する考え方の確立,相互会社の設 立,および西部への営業領域の拡大に伴う特別代理人制度の展開を指摘し

4節では, 19世紀の一大特徴である保険監督の開始について考察した。

それは州保険監督局の設立となって進展したが,当時のいわゆる,産業に対 する自由放任主義政策を背景として,その監督もきわめて限定された弱いも のであった点は注目されるところである。

なお,第5節では,激しい料率引下げ競争という事態を反映して結成され た料率協会,ないしは料率協定に注目した。そこでは価格カルテルとしての

(2)  Gephart,  "Principles of Insurance" 1917,  p. 240. 

(4)

210 (436)  19世紀中葉のアメリカ火災保険事業(永吉)

先駆的な意義を見い出すことができるのである。また,産業の発展にともな い料率体系は緻密さを加え,新しい考え方が導入されていった。

総じて, 19世紀中葉のアメリカ火災保険事業は,業界の協力のための努力 にもかかわらず,たえざる興亡と競争の激化により,何ら有効な手段を取り 得ず混乱をくり返したといえる。その一方で,州当局による保険監督の体制 が徐々に形成されていったのである。

本稿では,当時の火災保険事業の特徴を指摘し,その内容を明らかにした。

2. 経 済 的 背 景

—商業資本の展開と火災保険事業―

南北戦争以前のアメリカ経済の中心は貿易であった。これは要するに,産 業資本ではなく,商業資本がアメリカ経済を支配していた事実を示してい る。この貿易を中心とするアメリカ経済は, ヨーロッパ列強の影蓉を受け,

不安定な状況にあった。しかしながら, 1800年から1860年にいたる貿易の推 移は,不規則ではあったが,全般的な輸出入額の増加傾向は注目すべきもの がある。

I

1800  1810  1820  1830  1840  1850  1860 

(3) 

10年 毎 の 輸 出 入 額

輸 出 額 ( ド ル ) 輸 入 額 ( ド ル ) 70,972,000  91,253,000  66,758,000  85,400,000  69,692,000  74,450,000  71,671,000  62,721,000  123,609,000  98,259,000  144,376,000  172,510,000  333,576,000  │  353,616,000 

(3)  H. U.  Faulkner,  "American ・Economic History," 1925,  p. 262. 

(5)

19世紀中葉のアメリカ火災保険事業(永吉) (437)  211  一方では,この期間における生産資本は,ほとんど等比的な正確さで10

(4) 

ごとに倍増し, 1860年には10億ドルに達した。この19世紀中葉の産業のうち で注目すべきものは,棉花を中心とする農業,水産業,林業,織物業,およ ぴ金属工業である。しかしながら,当時のアメリカの対外貿易が,農産物の 輸出,工業製品の輸入という半植民地的なパクーンを維持し,外国貿易によ るいわゆる流通過程からの価値創出を中心とする状況では,アメリカ資本主 義の発展は期待されなかった。ここにアメリカ産業資本確立のための近代化 が必然的に要請されてくるのである。すなわち南部の奴隷制の廃止,高率保 膜関税の設定,堅実な銀行制度の確立,工業労働力の供給,国内市場の開発

(5) 

が必要とされたのである。

ところで, 1837年のアメリカ経済は,綿花相場の暴落を契機として恐慌が 深刻となり, 2年後には銀行恐慌を生じ,この年だけでも 1,000行もの銀行 が破産した。しかしながら, 1848年のカリフォルニア州における金鉱の発見 1851年のオーストラリアにおける金鉱の発見とともに,当時の世界の金

(8) 

の流通量を30%以上も増大させた。その結果,金利の低下を生ぜしめ, 本,商品の国際間の移動を容易にしたのである。これは,その後の物価騰貴 の一因となったが,同時にこの金鉱の発見は海外からの移民を大量に生ぜし め,国内市場の開発という時代の要請に伴い,産業の発展,とりわけ鉄道,

通信の発達は著しいものがあった。ところでアメリカヘの移民者数は下図の 通りである。

(4)  F. A.  Shannon,  "America's Economic Growth," 1951,  p. 214参照。

(5)  津田隆「アメリカ資本主義の発展」1963; p.251参照。

(6)  H. U.  Faulkner,  "American Economic History," 1925,  p. 342および,長 谷川公昭訳「資本主義の歴史」 1973, 33頁参照。

(6)

212 (438) 

500,000 

400,000  350,000  300,000  250,000  200,000  150,000  100,000  50,000 

19世紀中葉のアメリカ火災保険事業(永吉)

.18201860年の米国への移民者数 i7)

/ 1

 

, 

r  I 

I

1 . . 1 v  

^ 

 

\  LJ 

1820  1825  1830  1835  1840  1845  1850  1855  1860

さらに,鉄道の建設は下図のごとく著しいものがあった。鉄道は市場を拡 大し,工業化を推進し,さらに都市を形成・拡大した。

│マ

1830  1831  1832  1833  1834  1835 

(8) 

1860年までの鉄道建設

l

32  1838  95  1840  229  1845  380  1850  633  1855  1,098  1860 

マ イ ル

1,913  2,818  4,633  9,021  18,374  30,626 

なお, 1780 1860年の都市の人口は次の遥りである。

(7) Faulkner, op. cit., p. 343.  (8)  Faulkner,  op. cit., p. 327. 

(7)

年 度 1780  1790  1800  1810  1820  1830  1840  1850  1860 

19世紀中葉のアメリカ火災保険事業(永吉)

都 市 の 人 口(9) 

(439) 213 

全人口に占める 8,000│8,02000,0001201,0s0.00001 725s,0o0,oo0o250,000 都市の割合(彩)

2.7 

3.3 

4.0 

11  4.9  13  4.9  26  19  6.7  24  28  11  8.5  85  56  21  12.5  141  96  35  16.1  1850年以降の都市の形成およびその拡大は鉄道の発達とともに注目すべき ものがあった。人口の順位についてみれば, 1780年では Philadelphia,New  York,  Boston,  Charleston,  Baltimore,がまた, 1860年では NewYork 

(1,174,779 Philadelphia (565,529 Baltimore (212,418人)が主 なものである。

これらの都市には,いずれも火災保険事業が多数存在した。しかしなが ら,これらの都市の形成,拡大,交通の発展は火災保険事業の営業領域の拡 大を容易にした反面,その安易な拡大政策により,当時の相互組織による火 災保険会社の多数が破産した。すなわち, 1849 1853年の間に54社以上が設 立され,そのうち 1860年までに, 実に9割近くの47社が破産に追い込まれ

(10) 

つぎに,火災保険料率の協定が広範な領域を対象として論じられはじめた のもこの時期からである。産業の発展は,これらの料率を一層緻密なものと し,新しい要因を加えていった。しかしながら,商業資本を中心とする当時 のアメリカ経済において,工業の発展は一定の限界が存在したと言わねばな らない。すなわち,商業資本家にとっては,土地投機,海運貿易,金融等の

(9)  Faulkner,  op.  cit.,  p. 341. 

(10)  Zartman Price,  "Yale Readings in  Insurance,''1916,  p. 83参照。

(8)

214 (440)  19世紀中葉のアメリカ火災保険事業(永吉)

活動分野が豊富に存在し,工業に開しては第一義的な存在たり得なかった。

当時のアメリカ火災保険事業の質的な展開も,当然,この制約を免れなかっ た。それは,危険の多様化とその量的拡大をもたらした産業資本の展開を待 たねばならなかった。

3.  ニ ュ ー ヨ ー ク 大 火 後 の 動 行

1835年のニューヨーク大火を契機に,アメリカの火災保険事業には,いく つかの新しい要因が見い出される。まず,一般大衆は保険契約の確実な履行 を要求し,州当局は火災保険事業の安定という見地から種々の規制を行っ た。その第1段階はマサチュセッツ州において, 1837年に施行された責任準 備金の積立に関する法令である。これが,いわゆるアメリカにおける未経過 保険料積立金制度のはじまりとされている。

この制度の開始は,次の 2つの点できわめて重要な意味を持つのである。

1に,被保険者が,その保険契約の下で確実な保護を受ける道が開かれ,

第 2に,これが州による保険監督という現在の大規模な制度へと展開されて いったことである。

この責任準備金についての考え方の発展は,今日の火災保険事業の成功の 基盤の一つとして興味あるところである。 Ketcham もこれを「保険会社に

(11) 

対する州による監督のはじまりとして,保険史上,重要な事実」と指摘して いる。この責任準備金の立法の経過は次の通りである。

1853年,ニューヨーク州議会は, 「30%から 60%までの未経過保険料」

(from 30% to 609,るofthe unexpired premiums)の積立の規定を行なっ 1862年には,配当が1割以上のすべての火災保険会社に対して,州当局 は未経過保険料の全額,すなわち次期以降の契約に属する保険料はすべて繰 越すこととしたのである。火災保険会社は,これを非常に重い負担として,

(11)  E. A.  Ketcham M.  KetchamKirk,  "Essentials of the Fire Insurance  Business," 1922, p. 40. 

(9)

19世紀中葉のアメリカ火災保険事業(永吉) 441) 215  60社が未経過保険料の50%に変更するよう州議会に提案した。ニューヨーク

(12) 

州保険監督局は,不十分であるとして反対したが,結局50%に固定された。

この積立金の問題は,マサチュセッツ州においても論議されたが,やや異っ

(1~)

た観点から論じられた。すなわち,それはマサチュセッツ州保険局の第 9年 度報告書により州議会に提案されたもので,火災保険会社に営業税を課すこ ととし,安全積立金として州の財源にくみ込もうとしたものであった。

この計画によると,税率を保険金額によって次のごとく 3段階に区分した。

〔第1級〕保険金額が200万ドル以下の場合。

住宅については, 100ドルにつき5セント,住宅以外の建物や個人財産 については, 100ドルにつき10セント。

〔第2J保険金額が200万ドルから600万ドル未満の場合。

住宅は100ドルにつき2セント,その他の建物や個人財産については,

100ドルにつき4セント。

〔第3J保険金額600万ドル以上の場合。

住宅は100ドルにつき}iセント,

その他の建物や個人財産については, 100ドルにつき 1セント。

これによると,税率を保険金額により 3段階に区分し,それぞれ住宅とそ れ以外の建物および個人財産に区分したきわめて単純なものであった。これ は責任準備金のもつ機能を州当局に代行せしめた事例である。同時に,当時 の火災保険事業が,多数の破産を生じながら,なおこのような基本的な圏識 を欠いていた点は注目に値する。

しかしながら,これは短期間のうちに廃止されニューヨーク州と同様,未 経過保険料の50%の基準に移行されていった。

つぎに,この時期におけるもう一つの特徴は相互組織の展開である。これ 1835年のニューヨーク大火により多数の会社の破産を引き起した反動と (12)  Ketcham,  op.  cit.,  p. 40.およびZartmanPrice,  op.  cit.,  pp. 81‑82. 

(13)  Zartman Price,  op.  cit.,  p. 82.およびKetcham, op.  cit.,  p. 参照。

(10)

216 (442)  19世紀中莱のアメリカ火災保険事業(永吉)

して,従来の株式会社にかわって相互会社組織が脚光をあびることとなった 結果である。実際,ニューヨーク州においては1853年までに62の相互組織に

(14) 

よる火災保険会社が設立された。しかしながら,これらの相互会社は,当初,

人々が相互会社に対していだいていた,直接経営に参加でき,かつ安価な 経営が可能であるという期待に反し「不正確な原則に立脚し,強力な統制力

(15) 

を欠いた不満足なもの」であったという。これらの相互会社は組織は異って も営業方法は以前の株式会社と同様であった。たとえば,小規模の相互会社 が,危険を熟知しない領域にまで営業を拡大したという事実である。この傾

(16) 

向は,当時の鉄道,通信の急速な発達により一層助長された。

相互会社の経営形態には,市民相互,農業相互,工業相互などが主要なも のであったが,その営業活動についてはおのずから一定の制約が存在した。

すなわち,すべての人が熟知し合っているような狭い範囲において営業活動 が行われる限りにおいては,その共同社会の火災損害に対処するという目的

(17) 

にかなったが,営業範囲の拡大を行うと失敗は不可避的となった。たとえ 1849年から1853年までの4年間に54社以上の相互会社が設立され, 1860

(18) 

年までに,そのうち7社しか存続しなかったという事実は,当時の相互会社 (14)  Ketcham,  op.  cit.,  p. 40参照。

(15)  Zartman & Price,  op.  cit.,  p. 83.  (16)  Faulkner,  op.  cit.,  p. 327参照。

(17)  Zartman & Price,  op.  cit.,  p. 84参照。

(18)  なお,ニューヨーク州保険局長のBarnesは破産した1社あたりの平均損害額 5万ドルと推計している。このことから当時の相互会社の規模は,ほとんどが 小規模のものであったことが理解できる(Zartman& Price, op. cit.,  p. 83参照)

しかしながら,工場相互保険会社のみは,ニューイングうンド諸州において18 50年代以降発展していった。その理由として.工場危険の改良によって火災損害 の減少をはかり,安い保険料で堅実な経営に成功したことがあげられる。有名な ものとして次のものがある。 BostonManufacturers'Mutual (1850年設立)

Firemen;s Mutual (1854),  Worcester Manufacturers'Mutual (1855), States  Mutual (1855),  Arkwright Manufacturers'Mutual (1860),  (瀧谷善ー「火 災保険論」s.11.  pp. 38‑39参照)

(11)

19世紀中葉のアメリカ火災保険事業(永吉) (443)  217  経営がきわめて不安定な状況にあったことを示している。

これに対し,生命保険の分野においては相互組織は,急激な発展を示し た。すなわち, 1847年には1社にすぎなかった相互会社が1860年までに実に 34社が設立され,同年の保有契約高は 160 万ドルに達したという。•この急速 な発展は1870年まで続いた。 1869年の生命保険会社は110社に達し,保有契 約高は,実に15兆ドルとなった。

この理由は明確ではない。しかしながら,この当時の責任準備金積立に関 する認識不足から,ほとんどを契約者配当にまわすという詐欺的な考え方が 一般的であり,また相互会社の出現によって,保険料徴集の方法も,現金のか わりに利息付きの手形 (interestbearingnotes)を用いた。保険料の沿か ら%は,この手形が使用され,したがって安価に生命保険が得られかつ現金 の支出をほとんど伴わなかった。同時に,新しく登場した生命保険制度が,

家族内の保障は他人に頼らないという,ァングロ・サクソン気質と合致し熱

(19) 

狂的な発展を示したという。

いずれにしても,相互組織による生命保険会社の急速な発展に対し,火災 保険会社の失敗はきわめて対象的である。この火災保険会社の状況を反映し て,マサチュセッツ,ニューヨーク,ヴァーモント等の各州をはじめとして 次第に保険監督局 (InsuranceDepartments)が設立され,明確な保険監督 の形をとるようになった。

この時期に特別代理人 (speciaagent)の委嘱が開始された。 西部への 進出に伴う開拓村の急速な発展は,この地における火災保険の需要をひき起 した。彼等の仕事は,危険の調査,料率の決定,損害の処理に及んだ。これ が,硯在アメリカのほとんどの州で行われている特別代理人方式へと発展し

西部へ積極的に進出をはかったのは, ProtectionFire'社であった。こ.

の西部部門は,アメリカにおける一種の大規模な代理店方式の開始であった と言える。この西部部門は時代の要請に伴い一時的に急速な成長を示し, 18

(19)  浅谷輝雄「生命保険の歴史」S.32.pp.159162参照。

(12)

218 (444)  19世紀中葉のアメリカ火災保険事業(永吉)

(20) 

46年までの約20年間に保険料収入は300万ドルに達したという。

ニューヨーク大火後の約四半世紀,火災保険事業に上述のごとく,いくつ かの新しい要因が見い出される。しかしながら,この時期においても,総じ て,ニューヨーク大火以前の約100年間にわたって展開された,いわゆる「

火災保険事業の生成期」と同様の失敗のくり返しに終始している感がある。

責任準備金の積立ては十分行なわれず,配当へまわされた。大火による偶発 損害の発生に際して,事業継続の唯一の資金は取締役たちの個人財産に求め られたという。この傾向は,シカゴ大火 (1871)やボストン大火 (1872) 降まで続いた。

会社間の協力は,ほとんど見られなかったといってよい。そして,当然の 帰結として,料率の切下げ競争はきわめて一般的であった。それゆえ,この 時期の火災保険事業は,きわめて短命に終っているのである。

しかしながら,いくつかの良好な基盤がきづかれつつあった。責任準備金 の積立ては,十分ではなかったものの,その考え方は確立され,立法化され ていった。地方部門も組織され,特別代理人の雇用が開始され,かなりの権限 が委譲された。そして,何よりも州の保険監督局(InsuranceDepartment)  が設立され,事業の安定確保に貢献した。これらは,すべて火災保険事業に おける明白な利益であった。

3.  保険監督の開始

18世紀中期以降の,アメリカ火災保険事業の生成期から19世紀初期を通じ て,事業活動に対する公的態度は自由放任主義 (laissezfaire)であった。

(20)  Zartman Price,  op.  cit.,  p. 86参照。

この事業は,その後,十分な危険分析の知識の欠如から,収益を上げるにいた らず,間もなく後退した。しかしながら,この ProtectionFire"社の西部事 務所から,多数の特別代理人の先駆者たちが輩出したという。

この Protection Fire"社につづいて North Anerica"および Aetna Fire"がこの分野に進出した。

(13)

19世紀中莱のアメリカ火災保険事業(永吉) 5) 219  この背後にある思想は,自由競争は公共の利益を守るための完全な調節装置 であるという考え方に基づいていた。このいわゆる自由放任主義政策は, 19 世紀後半にいたり次第に修正されていった。すなわち,一連の反トラスト法

(21) 

の通過は,大企業に対する大衆の態度の変化を反映したものに他ならない。

この影響は火災保険事業にも及んだ。すなわち, 1885年から 1912年にいた る間に,ォハイオ州をはじめとする23州が料率維持を目的とした団体活動を

(22) 

禁止する法律を通過させた。

火災保険は,当時,財産保険の主要な位置を占めていた。すなわち,他の 種類の財産保険および責任保険は19世紀以後はじめて独立したのである。そ れゆえ, 20世紀初期までの料率に関する州政府の規制は,ほとんど火災保険 料率に関するものであった。

本節では,これらの火災保険事業に加えられた州政府の規制を,自由放任 主義政策の行われた19世紀初期,中期を中心に考察したい。

ところで保険は 3段階の規制を受けている。すなわち,企業自身による内 部規制,州政府の保険規制およぴ連邦政府の保険規制である。しかし,保険

(23) 

料率の規定に関しては,連邦政府は直接関与していない。保険料およぴ代理 店手数料を企業が規定するに際して,初期の企業は試行錯誤の過程の中か ら,料率算定機関の原形をつくり上げていった。いわゆる料率協会である。

しかしながら,これらは州政府のある種の強制力と制裁なしには維持するこ とが困難である。料率協会の形成は州政府の積極的な援助がなかったとして も,その存在の下ではじめて徐々に行われていったのである。

(24) 

ところで,州政府による一般的な保険規制の段階は次の 3つに区分される。

(21)  代表的なものとして,1887年の InterstateCommerce Act," 1890年の “Sher•

man Antitrust Act,'がある。

(22)  これらの法律規定は anticompact statutes"として知られた。 GeraldR.  Hartman,  "Ratemaking for Homeowners Insurance," 1967.  p. 66参照。

(23)  Hartman,  op.  cit.,  p. 64. 

(24)  Gregg Mcgill,  "World Insurance Trends," 1957,  p.163参照。

(14)

220 (446)  19世紀中葉のアメリカ火災保険事業(永吉)

(1)  保険会社設立に際して,初期の特別法の規定により制約をうけた段

(2)  損害保険の規制が比較的制限された範囲で行われ,専任の担当官の監 督を受けたわけでなく,原則的に保険監督とかかわり合いがあった段

(3)  より広範な法的な力を備えた保険監督専任の担当者の監督をうけた段

ところで,(1)の段階については, 1768年のペンシルベニア州の植民地議会 の特別法によく示されている。それによると,保険会社の設立に際して,会 社の財務部長は保証金の積立てが義務づけられた。この財務上の要件は,

アメリカの保険事業に対する法的規制の最初の例の一つである。 1794年 の North America社の設立に際しても,同様にペンシルベニア州議会の特別 法により設立されたものであった。しかしながら,その内容はかなり進んだ ものであった。それは株式投資,現金預金,不動産保有の制限,支払備金設 定に関する規定を含んでいた。

マサチュセッツ州の法令も, 1795年,会社の投資に関して,また損失が資

(25) 

本金を超過した場合,株主の払込金について規定した。

上記の点からすれば,州による保険監督のごく初期の段階から,財務上の 確実性と保険会社の支払能力については,とくに重視されたことが理解され

この特別法による規定は19世紀を通じて次第に消滅し,かわりに,一般法 (general laws)による規制,すなわち, 今日行われている損害保険規制法 (general insurance regulatory statutes)が行われるようになった。この 種の一般法は,たとえば,マサチュセッツ州では1807年,ニュヨーク州では

(26) 

1827年に施行されている。

(25)  Gregg Mcgill,  op. cit.,  p. 164. 

Mowbray,  Blanchard,  Williams,  "Insurance," 1969, p. 523.  (26)  Gregg Mcgill,  op.  cit.,  p. 164. 

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6 保険料の納付が困難な場合 災害、生計維持者の死亡、失業等のため、一時的に保険

競技等 競技、競争、興行 (* 1) または試運転 (* 2) をいいます。.

会におけるイノベーション創出環境を確立し,わが国産業の国際競争力の向

ても, 保険者は, 給付義務を負うものとする。 だし,保険者が保険事故