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レジャー社会の構図

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レジャー社会の構図

その他のタイトル The Composition of Leisure Society

著者 岡田 至雄

雑誌名 関西大学社会学部紀要

巻 13

号 1

ページ 87‑118

発行年 1981‑11‑30

URL http://hdl.handle.net/10112/00022806

(2)

岡 田

至 雄

I  生 活 時 間 構 造 の 展 開 生活の型と時間構造

現代人の一般的生活スクイル•生活リズムは,多かれ少なかれ,時計とカレンダーで測定され る社会化された時間によって構造化されている。特に,社会の存続•発展にとって絶対不可欠の 社会的活動である仕事・労働が,時刻・日・週•月・年といった時間単位によって周期的に編制

されているという仕組みが重要である。仕事日と休日,仕事の始業時刻と終業時刻が社会的に制 度化され,固定化されていること,また,社会的活動の中で時間帯決定という基準でみた時,仕 事が最優先序列にあることによって,仕事以外のすべての活動に配分される時間や日時は不可避 的に仕事とリンクせざるを得ない。その意味で,現代社会の一般的生活スクイルは仕事時間を中 心にして否応なく構造化されていることになる。このことは,われわれの生活スクイルが仕事時 間の量と配分方法によって強大な影響を受けることを示唆している。したがって,もしも仕事時 間が時計とカレンダーによる拘束を一切受けないとすれば,われわれの生活の型は多様性と個性 化に充ち,多分,アモルフ (amorphe)となり,コミュニティの全成員に共通の標準化された生 活リズムを維持することは極めて難しい。

生活の型との関係でみられる現代的意味での時間 ( t i m e )概念は,産業革命以前には体系とし て存在しなかったとみてよい

I)

。それが明白に登場するのは,資本主義的生産様式,とりわけ機 械制工場生産の導入によっ r , 生活時間の上で労働時間と自由時間が峻別され,生活空間という 面でも職場と私生活空間が分離されるようになってからである。特に 1 8 3 0 年代から始まる労働時 間短縮に向けての運動の中で, 1 8 4 7 年,イギリスで制定された 1 0 時間労働(制)法 (TheTen  Hour B i l l ) が,形式的には現代的時間構造の始発点として大きな役割を演じているように思わ れる

2)

。 レジャーとの絡みでみれば,この法律により,自由時間が確固たる礎石をわれわれの生活 スクイル・リズムの中に築いたと同時に,怠惰・怠慢,あるいは無価値の塊といった韻律を帯び た暇な時間 ( s p a r etime) という概念に代って,労働時間と対峙する自由時間 ( f r e etime) が 崩芽するきっかけを得たのである。その後,仕事が時間的にも空間的にも排他的性格を強化し,

尖鋭化していく中で,自由時間はその自立性と独自性を強め,仕事時間と隔絶していった。この 1)  S .   d e .  G r a z i a ,   Of  T i m e ,   1 9 6 2 ,   p .   2 0 1 .  

J .   D u m a z e d i e r ,  S o c i o l o g y  o f  L e i s u r e ,   1 9 7 4 ,   p .   1 3 .   2)  S .   d e .  G r a z i a ,  o p .  c i t . ,   p .   1 3 9 .  

‑ 87 ‑

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こととの絡みで,仕事のゾーンから分離し,仕事に律せられてきた道徳的ゾーンからも解放され た自治空間としての私生活のスタイルが,生活の型を決める重要な意味を保持するようになっ た 。

労働時間短縮に向けての要求やそれを実現するための運動は, 20 世紀に入って 8 時間労働制の 確保を目指して,特にイギリス,フランス, ドイツなどで強力に推進されたが,これらの運動の 成果が,第 1 回 ILO 総会 (1919 年)における 8 時間労働条約の採択および 1935 年の週 40 時間労 働条約の採択という形で結実した。しかし,このような ILO の労働時間短縮に向けての積極的 な姿勢にもかかわらず,大半の先進工業国の対応は消極的で時間短縮のテンポは遅く,週 40 時間 労働制が一般に具体化するのは第 2 次大戦以降になる。たとえば,週当りの労働時間を逐年的に 省察すると,アメリカで週 40 時間労働が具体的に定着するのは 1950 年以降であり,労働時間短縮 運動の急先峰イギリスでは現場労働者 (manualworker) の正規労働時間が週 40 時間を割るの は 1970 年代に入ってからである(表 1, 表 2 参照)。特に 1962 年 ILO によって採択された「労

1 アメリカにおける労働時間・自由時間の年代別推移 (weekday): 時間 労 働 時 間 自 由 時 間 労 働 時 間 自 由 時 間

~ 1 I 1 l 1

1

1 8 5 0   1 1 .  7  7 0 . 2   2 . 3   1 4 . 2   1 9 1 0   9 . 1   5 4 . 6   4 . 9   2 9 . 4   1 8 6 0   1 1 .  3  6 7 . 8   2 . 7   1 6 . 2   1 9 2 0   8 . 3   4 9 . 8   5 . 7   3 4 . 2   1 8 7 0   1 0 . 9   6 5 . 4   3 . 1   1 8 . 6   1 9 3 0   * 7 . 6   4 5 . 6   6 . 4   3 8 . 4   1 8 8 0   1 0 . 6   6 3 . 6   3 . 4   2 0 . 4   1 9 4 0   7 . 3   4 3 . 8   6 . 7   4 0 . 2   1 8 9 0   1 0 . 3   6 1 .  8  3 . 7   2 2 . 2   1 9 5 0   6 . 6   * 3 9 . 6   7 . 4   4 4 . 4   1 9 0 0   1 0 . 0   6 0 . 0   4 . 0   2 4 . 0   1 9 6 0   6 . 2   3 7 . 2   7 . 8   4 6 . 8   M. Kaplan L e i s u r e  i n  America  1 9 6 0   p p .   3 7 ‑ 3 8   (なお,各年代とも 1 日 1 0 時間を生活 的必需時間と見積っている) *は ILO の採択に達した年代

2 イギリスにおける現場労働者の週当り労働時間 ( 2 1 オ以上男子) :時間

1 1

 

1 9 5 1  

1 9 5 5  

1 9 6 1  

1 9 6 6  

1 9 1 0  

1 9 7 2  

1 9 7 3   正規労働時間

1 1

4 4 . 4  

4 4 . 2  

4 2 . 1  

4 0 . 2  

4 0 . 1  

4 0 . o  

3 9 . 9   実質労働時間

1 1

4 7 . 8  

4 8 . 8  

4 7 . 4  

4 6 . o  

4 5 .  7 

4 5 . o  

4 5 . 6  

S o c i a l  Trend  1 9 7 4   N o .   5  p .   1 0 5  

働時間の短縮に関する勧告」が重要な役割を演じたわけであるが,このことによって 8‑40 労働 制が急テンポでわれわれの生活時間の主流と化し,生活スタイルの変革に向けての胎動が生起す る。すなわち, 1 日の労働時間と週単位の労働時間が社会的に制度化され,同時にそれらが特定 の時間帯や曜日に配分されることによって,われわれはこれを軸にした生活時間表 (time bu‑

d g e t ) の再編に着手するからである。とりわけ,重要なことは, 8‑40 労 働 制 が 形 式 的 に 1 日 1 6 時間,週 128 時間の非仕事時間 (nonworktime) を公認した点にある。週単位でみれば,総

‑ 8 8  ‑

(4)

生活時間の76% を私生活空間に配分したということが,われわれの生活スタイルに対して決定的 意味をもつのである。仕事時間と自由時間をこのように制度化することが,生活リズムをも仕事 と非仕事の二極編成に導く。そして両時間の量的構成比の変化に応じて,短期的には生活スクイ

ルの微調整を,長期的に見れば生活スタイルの段階的•発展的変革を人は余儀なくされる。労働

時間短縮に向けての動きは,いろいろな障害を克服しながら,活性化しつつある。しかし,未だ に脱工業化時代に適わしいテンポで漸進的に短縮が実現しているわけではない。

1 9 4 0 年代から一貫して週 3 日労働制の有効性を主張しつづけてきたフォート (M. C .   Faught,)  は,「現在の労働力のうちの 10% で,仕事量の 80% を仕こなせるほど産業は高度化している。し かし,このことが労働時間の短縮に結着しないのは,伝統的に高度に仕事中心の社会( j o bc e n t ‑ ered s o c i e t y )であったことに起因し,進歩の恩恵を仕事以外の活動に使う ( n o n ‑ j o bconsum‑

e r  time) ことを快しとしないためである」

3)

と,経済的には労働時間の短縮が可能であるにも かかわらず,社会的な障壁のためにそれが遅滞していることを示唆している。たしかに,なぜ 1

日8 時間がよいのか,なぜ週4 0 時間でなければならないのか,について明晰な根拠があるわけで はない。その意味では,労働時間制に盛り込まれる数値は虚構にすぎず,それを頑に固守しなけ ればならない客観的・科学的理由があるわけではない。したがって,高度工業化のもたらした恩 恵を,時間的富 (timewealth) として労働者に配分すぺきだという社会的通念が生育してくれ ば,労働時間は飛躍的に短縮され,労働日も大幅に減少する可能性は大きい。フォートは,この ような社会的通念の熟成に二世仕(約6 0 年)の期間をみている%つまり, 2 1 世紀の前半には,

労働時間や労働日に対してもっているわれわれの伝統的な固定観念は打破され,自由時間革命 (Time Wealth R e v o l u t i o n ) 5 'が完結するというわけである。

幸福革命の可能性

未来の労働時間についての予測は,最も難しい問題の一つとされている。その原因は労働状況 や経済的環境についての予測の不確実性によるというよりも,労働時間に対する慣習や固定観念 の打破についての見通しがつかないという点にある。しかし,このような厄介な問題があるにも かかわらず,比較的近い将来に実現するであろう労働時間の様態については,興味深い予想が多 々ある。

カーンとウィナー ( H .Kahn and  A .   Wiener) は,アメリカでは2 0 0 0 年に労働時間が週 3日

• 1 日 7 . 5 時間になることを,またマンデル ( E .Mandel) は社会主義社会でも週20 24 時間労 働・ 1 日5 6 時間(すなわち週 4日制)になることを予測している

6)

。パットモア ( J . A .   Pa‑

3) M. C .  F a u g h t ,  "The 3  day r e v o l u t i o n  t o  come" i n   R .   P o o r ( e d ) .   「 4d a y s ,  4 0 h o u r s 」 , 1 9 7 0 ,  p .  1 5 0 .   4) i b i d . ,  p .   1 5 5 .  

5) i b i d . ,  p .   1 5 6 .  

6) H .  Kahn and A .  W i e n e r ,  The Year 2 0 0 0 ,  1 9 6 7 .  

E .  M a n d e l , ' 、 S o c i a l i s te c e n o y "  i n   R .   L .   H e i l b r o n n e r  & A. M. F o r d s  ( e d ) .   「 I sE c o n o m i c s  R e l e ‑ v a n t 」 , 1 9 6 1 ,  p .   3 1 5 .  

‑ 89 ‑

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tmore) は週 4 日制・週3 0 時間労働というのが確実な線であると予告し叫ビール C G . P i e l ) は将 来の労働時間を週 20 25 時間とみるのが妥当な線であると推断している

8)

。これらの予測を総合 的にみると,ほぼ週20 30 時間という範囲に収欽しているが,このことについて,リー ( R .Lee)  は,「今では週25 30 時間労働ということが狂気じみた夢ではなくなった」

9)

と断定する。フラス ティ ( J . F o u r a s t i e ) も 2 1 0 0 年に到来する社会を第三期社会 ( T e r t i a r ys o c i e t i e s ) と名付け,

そこでは 1 年の労働時間が 1 , 2 0 0 時間となり,年間 4 0 週・週30 時間労働になることを示唆してい る

10)

。現実に即して具体的にこの示唆を吟味すれば,週 4日制, 1 日7.5 時間労働, 1 年当り 1 0 週休暇制ということになる。極端な例ではデューハースト ( J . H .   Dewhurst)のように2 0 0 0 年 には週平均1 5 時間労働で週 2日制になるという夢幻に近い予想もある

11)

。しかし,大勢は, 2 1 世 紀には週3 0 時間労働の時代に突入すると予測していることがわかる。無論,労働時間との絡みで 1 週 7 曜日制を改正して, 8 曜日制あるいは 9 曜日制にカレンダーそのものを根本的に変更する ということにでもなれば,これらの予測数値は大幅に修正されることになるが,現存のカレンダ ーを踏襲するという前提に立てば,差し詰め週 4 日制・ 1 日7.5 時間という予測値は,現実的に 妥当な線とみなして大過ない。

労働時間短縮運動の中で,急先峰的役割を演じ,週 5 日制の発祥の地でもあるマサチューセッ ツ州に端を発した「幸福革命:週 4日制」が, 1 9 7 2 年の時点で全米ではすでに 1 , 5 0 0 社によって 導入され,実験中のものを含めるとその数は 3,000 社にも及ぶと報告されている

12)

。ただし,週 4日制は,一般に週40 時間労働という枠の中で実施され,いわゆる労働時間の短縮というよりも 労働日の縮小という形で運用されている。(この方法を以下 4‑40 制と呼ぶ)ケネディ,ジョン ソン両大統領が,週4 0 時間労働が国の経済的安定にとって基本となることを組合に提言して以 来,週当り労働時間を 4 0 時間以下に短縮しようとする組合の動きは鈍り, 8時間労働に対する 労働者の根深い愛着と週 4日制への憧憬との確執が 4‑40 実施に当っては属目される。すなわ ち,週当りの労働時間を短縮しないまま,労働時間を単に週 5日から週 4日に配列換えする,

いわば労働日を少くする変革は労働時間の真の変革とはいえないし,魅力も半減するというわけ である。したがって,基本的には労働時間の短縮を伴わない週 4 日制は一般に歓迎されない

13)

しかし, 1日の労働時間を 8 時間から 9 1 0 時間に延長することで労働者は「きつい」「疲れ る」といった不平不満を訴えてはいるが, より多くの休日を得たことで十分補完できるという 認識も強く,週 5 日制に逆戻りすることには反対が多い

14)

。特に働く婦人には週 4日制を熱狂的

7)  J .   A .  P a t m o r e ,  Land and L e i s u r e  i n  England & W a l e s ,  1 9 7 0 ,  p .   1 6 .  

8)  G .  P i e l ,  "The f u t u r e  o f  work" v a c a t i o n a l  g u i d a n c e  q u a r t e r l y ,  1 9 6 1 ,  1 0 ,  p p .  4 ‑ 1 0 .   9)  R .   L e e ,  R e l i g i o n  and L e i s u r e  i n  A m e r i c a ,  1 9 6 4 ,  p .   1 8 .  

1 0 )   J .   F o u r a s t i e ,  L e s  4 0 0 0 0  h e u r e s ,  1 9 6 6 .  

1 1 )   J .   F .   D e w h u r s t ,  A m e r i c a ' s  Needs and R e s o u r c e s ,  1 9 5 5 .   1 2 )   R .   P o o r ( e d ) ,  4  d a y s  4 0  h o u r e s ,  1 9 7 2 ,  p .   2 9 .  

1 3 )  i b i d . ,   p p .  1 0 7 ‑ 1 0 8 .   1 4 )  i b i d . ,  p p .  5 3 ‑ 5 6 .  

‑ 9 0  ‑

(6)

に支持する人が多い。ただし,これらの状況から週 4 日制が今後爆発的に普及し,一般的とはい えないまでも標準的な制度になりうるかについては疑念が残る。スプラーグ ( L .G .  S p r a g u e )   は,この点について「週 4 日制はどんな会社でも採用できるようなシステムではなく,全般的な 分析を通じてそれが得策であると判断できる状況にある会社に限定される」と述べ,現段階では 新しい労働日のスクイルとしては意義深いが,一般向きのシステムとはいい難いことを示唆し,

週 4日制の実施に当って重要な外在要因として, ( 1 ) 需要のパクーン ( 2 ) 技術的状況 ( 3 ) 労働力市 場 ( 4 ) 発注・受注関係 などを挙げ,これらについての入念な吟味が不可欠であることを指摘す る

15)

。ドゥハーティ C G .D o h e r t y ) も「多くの企業が伝統的な労働時間制を採っている時に,

革新的な週 4 日制を導入するには,それなりの周到な準備と綿密な配慮を必要とする。特に対外 的な関連組織との接渉に万全を期すことが必須である」

16)

と指摘している。ただし,ここでいう 週 4 日制とは完全週 4 日制を意味することは明白である。しかし,総体的にみれば,アメリカに おいては一般労働者も,大衆も,経営者も,原則的には週 4 日制を多くの組織で採用可能な労働 日制として認知している。たとえば, F e d e r a lTimes 紙が 1972 年 2 月に成人一般に対して実施 した 4‑40 に対する世論調査では90.4% が賛成の意を示し, D u n ' sReview が 1 9 7 1 月 7 月にト ップビジネスのリーダーを対象に実施した調査では, 1 9 9 0 年には合衆国の58% の会社が 4‑40 を 実施しているだろうという回答を得ている

17)

。また,労働組合の取り組みを見ると,現時点では 週 4 日制を採用している企業の大半は比較的規模の小さいものであるが,アメリカ総同盟産別会 議 ( A . F .  L . ‑ C .   I .   0 . ) はすでに週 4 日制実施を団体交渉の主要目標として,積極的に推進すべき 運動課題とみなしている

18)

。このようにみてくると,アメリカでは,すでに週 4日制への移行を 予知しうる気運にあることをデークは示している。

これに対して,労働時間短縮運動で常に指導的役割を演じてきたイギリスの 4‑40 に対する姿 勢は,必ずしも積極的ではない。イギリス経営者協会理事長パウエル ( R . P o w e l l ) は「週 4 日 制は巫山戯た考え方」だと極め付け「平均的イギリス人は本当に自分の仕事を楽しんでいるので 週 4 日制を歓迎するとは思えない」と注目すべき発言をしている

19)

。産業界の代表者達も略この 発言を支持し,週 4日制には否定的である。その意味では,一般にイギリスの企業では 4‑40 に は消極的な反応を示しているとみなされるが,経営者サイドとは対照的に組合側は週 4 日制に関 心を寄せている。運輸一般労働組合 (T.G.W.U) のリーダーであるジョーンズ a . J o n e s ) は

「原則的にみて週 4日制に問題は全然ない。もし経営側が 4‑40 を切り出してくるなら同意す る。いうまでもなく組合運動の一つの使命が週当りの労働日数を削減することにあるので,その

1 5 )   i b i d . ,   p p .   1 1 1 ‑ 1 1 2 .   1 6 )   i b i d . ,   p .   1 2 1 .   1 7 )   i b i d . ,   p p .   2 4 7 ‑ 2 4 9 .   1 8 )   i b i d . ,   p .   1 5 8 .   1 9 )   i b i d . ,  

p. 

1 6 8 .  

‑ 9 1  ‑

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主旨からみても週 4 日制の実現は組合の当面の第一課題である」と述べ

20),

さらに 1 9 7 0 年 5 月の 労働組合会議 ( T .U.C) はその機関誌 (Review) で,週 4 日制 4 0 時間労働に注目し,これが労 使双方にプラスになることを確認した上で

21)'

「 週 4 日制は非常に魅力的な提言である」と評価 している。すなわち,組合サイドでは好意的・積極的に 4‑40 を支持する立場をとっている。た だし,組合の狙いは,あくまでも週当りの労働時間の短縮を主眼にしており, 4‑40 を差詰週 3 5 時間労働に向けての一つの妥協策 ( h a l fway h o u s e ) として意味づけている点に注目すべきで あろう

22)

。つまり,専門職労働者全国連合会 ( N . F . P .W) 書記長フライド ( J . Frydd) の主張 するように,週 4 日・週 3 2 時間労働が理想であることに変りわないが,客観状勢を見る時,現時 点で 4‑32 は時期尚早であるという現実判断から, 4‑40 の導入にまず力点を置き,これを弾機 にして 4‑32 を実現していこうというのが,組合の基本的姿勢と見受けられる

23)

。また,一方に おいて,労働時間の短縮は,労働者から仕事の機会を奪い,仕事そのものを合理化するという側 面をもももっているから,仕事を労働者に普く分配するという労働組合の主旨と矛盾する。つま り,形式論理では律し切れないパラドックスが実践面では派生し,労働組合にとって深刻な選択 であることも,かれらは熟知している。

週 4日制が普及して標準的な労働日制になるかどうかは別として,原則的には,週 5日制への 移行が即週 4 日制への移行を潜在的に暗示するものと判断できよう。いつの時代でも週当りの労 働時間と労働日数は,その時点で法定化されているもの,あるいは慣例となっているものが,当 然かつ普逼であるとみなされがちである。しかし,生産の高度機械化が急テンボで進行する中で,

労働時間の連続的短縮傾向を否定する論野的根拠はなく,このことが,いづれは週 4日制への移 行に連動するとみることに不条理はない。無論,労働組合や労働者が週 4 日制反対運動を強力に 展開するという事態にでもなれば,問題は別であるが,現時点での生産性向上の持続性と加速性 から判断すると,週 4 日制時代の幕開けは近いと予測して略,間違いない。現在,企業が新機軸と して導入している週 4 日制が,組合ではなくすべて経営側から発案された人事戦略であり,いわ ばよりよい労働力を確保するための企業サイドの戦略的なアイデアとして誕生したという経緯は ともかくとして,この問題を考える際に重要なことは,週 4 日制企業と週 4 日制労働とを峻別す ることである。週 4 日制企業とは企業の就業日が 4日制である場合を指称し,このようなシステ ムを特に完全週 4日制と呼ぶ。一方,週 4日制労働とは企業の就業日は 5日あるいは 6日である が,就業日と交替制との組合せによって労働者は週 4日間労働すればよいような仕組みを指し,

このようなシステムを週 4日労働制と呼んで前者と区別する。一般に週 4 日制を導入している企 業の実態をみると後者が圧倒的に多い。元来,アメリカで週 4 日制が実用化したのは,石油運搬 業務に携わるトラック運転手の過重労働に対処するために, 1 9 4 0 年代に石油産業のほとんどが労

2 0 )   i b i d . ,  

p. 

1 6 9 .   2 1 )   i b i d . ,   p .   1 7 2 .   2 2 )   i b i d . ,   p .   1 7 4 .   2 3 )   i b i d . ,   p .   1 7 0 .  

‑ 9 2   ‑

(8)

務対策として採用したのが発端で,それは週 4 日労働制であった

24)

。その意味では,わが国では .  . 

特定の職種にはすでに週 4 日制がかなり普及しているわけで,週 4 日制企業はなくとも,週 4 日 制労働は一般的に見れば例外的であるにせよ,職種によっては珍しいことではない。アメリカの 場合,週 4 日制を採用している企業では,労働時間は週 3 6 時間,就業日数は週 5 日,ローテーシ ョンは1 . 5 交替制というのが Mode で完全週 4 日制の企業は少い

25)

。 このことは,一般的に は,現時点で完全週 4 日制を採用するには対外的に障害あるいは危険性をもつことを示唆してい る。つまり,週 4 日労働制は経営者の決断ひとつで導入可能であるが,完全週 4 日制となると 取引先はうるさいものだ という網にかかり,予期しないプーメラン効果を蒙ったり,「顧客 は枯れやすい」という定言通り,強烈な打撃を受けたりする可能性もあり,伝統的労働日制との 対決という要素も加わって,対外的に制約を受けるために,企業が実施を躇躊することは否めな い。週 4 日制に移行した企業の大半は小〜中規模のもので,それも技術的条件が高度化したため ではなくて,他の要因によって移行したという事実がまずある

26)

。この革新的アイデアの根には 労働時間短縮への積極的な取り組みというよりもむしろ労働力確保のための逼迫した労務管理対 策という意図が見受けられる。

週 4 日制を導入した企業の多くは,形式的には,その理由として,労働力要因 ( l a b o rf a c t o r s )   と非労働力要因 ( n o n l a b o rf a c t o r s   の両面を挙げている

27)

。労働力要因とは,)モラールの高 揚に強力な誘因となり,恩恵 ( b e n e f i t ) として威力をもつこと,労働カコストが節減できるこ と,労働力確保が容易で円滑にできること(求人上のメリット),欠勤の減少,定着率の向上な どのために週 4 日制を導入することを指し,非労働力要因とは,生産コストの節減,生産の効率,

諸費用の節減,販売促進などを狙って導入するケースを指す。しかし,現実の導入経緯をみると 労働力要因,とりわけ労働力確保とモラール向上のための決め手として導入されたケースが圧倒 的に多い

28)

。つまり,週 4日制を企業の魅カポイントとして訴えることによって,求人活動を有 利に展開することを狙い,企業魅力を欠く企業が,労働力確保のために発案した最後の切り札が 週 4日制の導入であったというわけである。したがって,それは労働条件の改善という前向きの 姿勢から打ち出されたものではなく,飽くまでも便宜的な戦略に他ならなかったのである。

発案段階でのこのような経緯はともかく,労働時間の連続的短縮傾向は明らかで,農業部門を 除けば,週当りの労働日数や労働時間を短縮することに向けての潜在的基盤は生産体制という面 からみれば確実に固まりつつある。残された問題は労働慣習や労働時間に対する伝統的通念の変 革と,労働者の態度や労働組合の姿勢にかかっている。特に後者は,理念上はともかく,実践上 は,労働時間の短縮と労働の機会の保障との飽和的均衡あるいは両者の限界効用に対する判断が

2 4 )  i b i d . ,  

p. 

8 .   2 5 )  i b i d . ,  

p. 

1 9 .   2 6 )  i b i d . ,   p .   1 0 8 .   2 7 )   i b i d . ,  

p. 

2 2 .   2 8 )  i b i d . ,  

pp. 

2 2 ‑ 2 3 .  

‑ 9 3  ‑

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問題となる。このような若干の未決課題はあるにせよ,週 5 日 ・ 4 0 時間制が今や労働条件のミニ マムな許容基準となっている現状から推すと, 4‑30 制が近い将来実現するであろうという予測 は常識外れではなく,その適中率はかなり高く,確定的なものと推定されよう。

「国民の望ましい生活構造を明らかにし,国民生活の充実を図るためには,その基礎として国 民の生活時間配分について,それが現在どうなっているのか,また今後どのように変化していく のかを明らかにする必要がある。さらには,生活時間配分全体の変化の中で,自由時間配分がど のように変るかを把握することが,自由時間対策検討の基礎として重要である」

29)

「自由時間は

……着実に増加する傾向にあり,……人々は特に日常生活の中で自由時間をいかにして充実させ 暮しの質を向上させていくかを求めている。……•••国民生活の充実やゆとりある社会の形成に資 するため,自由時間の現状を分析し,これからの自由時間対策の方向を究明することが当面する 大きな課題である。…」

30)

この問題意識が自由時間に対する国政レベルの真意であるとするなら ば , 4‑30 制に照準を当てた「自由時間に関する総合的基本構想」が発表されてしかるべき状況 にすでに突入しているわけであるが,現状では,未だ,中期的展望すら明示されていない。しか し,このような事実認識にまですでに到達しているということが,レジャー問題がやがて公的・

社会的射程に入ってくることを予知させたという意味で,重要である。

I I   レ ジ ャ ー 社 会 化 の 進 展 労働生活の人間化

すべての生活領域を人間化するということは,人類の超歴史的悲願である。この悲願を実現す るに当って厄介な問題は,人間化を具体的に測定する基準(すなわち人間的価値とは具体的に 何を指すのか)についての普遍的尺度の曖昧さにある。一般に人間化を測る判定基準は,現存す る社会の経済的・政治的・倫理的・心理的・社会的諸要因が複雑に絡み合いながら形成されるた めに,その形態と内容は多様性に富む。理論的には,人間化は所与の個人のニードや関心の充足 度および個人の自己実現・自己表現の機会の拡大度に比例し,ニードや関心の抑圧度や自己実現

・自己表現の機会の圧縮度に反比例する。ところが,ニード,関心,自己実現・自己表現といっ た概念の具体的対象物(あるいは現実の生活の中でそれらが投影される客体)は,時空を通じ て恒常的ではなく,千変万化するし,ニード,関心,自己実現・自己表現の各々の内部構造や内 部の構成要素間の優先序列も時々刻々変化する。したがって,人間化の問題は, ( 1 ) 人間を取り巻く 歴史的・社会的・経済的・政治的背景 ( 2 ) それぞれの生活額域に対して付与される社会的・文化 的価値体系, ( 3 ) 社会意識一般 によって条件づけられ,影響を受けることを前提にして,アプロー チしなければならない。このような視座に立って,現代社会における人間化の基準を吟味する時,

2 9 ) 経企庁国民生活政策課編「これからの生活と自由時間間」 1 9 7 7 , 6 3 頁 。 3 0 ) 同書,まえがき

‑ 94 ‑

(10)

その判定要因が個人の心理要的因,(特にパーソナリティの表現あるいは確認という主観的レベ ルに属する次元)と,社会的要因(特に民主化という客践的レベルに属す次元)を軸にして構成 されていることがわかる。そして,一般的傾向をみると,仕事領域においてよりも,レジャー領 域において,これらの人間化の基準がより充足されていると判定されている。仕事・労働におけ る人間疎外現象が常識化していることでも,仕事・労働の人間化が社会的に問題視されているこ とがわかる。しかし,仕事がその内在的価値を消失し,非人間化=人間疎外を冗進していくなか で,企業は漫然とその成行きを放置し,傍観してきたわけではない。産業合理化と仕事の人間化 は,梢もすれば逆説的関係に陥入り易いが,両者の統合を目指して企業が勢力的に推進してきた 試行には,その評価をめぐっては賛否両論があるにせよ,注目すべき画期的施策も数多い。レジ ャー社会への志向性を強めていく中で,労働・仕事空間の人間化を断念し,その附を全面的にレ ジャー空間に配送しているかのような論調も見受けられるが,仕事・労働の究極的価値(経済的 合理性)の実現という制約の中で,仕事・仕事空間の人間化に向けての企業努力の痕跡を過小評 価してはならない。

技術革新,産業合理化が昂進する中で大規模組織を中心にして,仕事が専門化→単調化→非人 間化という傾向を強め,いわゆる仕事が人間の基本的ニードを阻害するという問題が発生し,人 間的ニードと仕事内容との調和,すなわち仕事・労働の人間化を促進する方法が模索され始め る 。 1 9 5 4 年開催の国際労働会議 ( I . L . C ) で当時の国際労働機構 ( I . L . 0 ) 委員長は「労使関係に 関するわれわれの基本方針は人間的要因 (humanf a c t o r )を強調する点にある。最も基本的な 問題は労働者に仕事に対する目的感(目的意識)を持たせることである。人はこの目的感をもつ

時にのみ—社会の福祉のために自分の仕事がどれだけ貢献しているかを認知できる時にのみー

自分自身の真の価値を信頼しうるのである」

31)

と述べ,仕事の人間化を具体化するにあたっての 一つの視点を示唆した。無論,仕事・労働の人間化に向けての気運は,ウエップの産業民主主義 の主張以降,具体的にはサンジカリズム,ギルド社会主義,職場委員運動 (shopsteward mov

ement) などの台頭する 1 9 1 0 年代に芽生え,第 1 次世界大戦以降,徐々に漸熟し,第 2 次世界大 戦後の諸種の産業民主化運動の中で,その成果を高めつつ加速するわけであるが,名実ともに既 存の仕事・労働システムを人間化を軸にして大幅に変革し,新しい産業秩序や仕事・労働の組織 化を推進することの必然性が具体化するのは, 1 9 5 0 年代に入ってからであり,特に 1 9 6 0 年代に促 進される参加 ( p a r t i c i p a t i o n )を枢軸とする意思決定機構の改革・改善が仕事の人間化に取り組 む際の基準の方向性を決定づける重要な踏み石となる。その際,仕事の人間化と参加との理念的 関係については,「仕事に満足を与える要因は,たとえば仕事の自律性 ( J o bautonomy),  責任 ( r e s p o n s i b i l i t y )   ,  統制 ( c o n t r o l ) , 意思決定の権限などに関する願望 ( d e s i r e ) に 密 着 し て いる」

32)

あるいは「労働者の保有している支配力が大きくなればなるほど,仕事に対する満足度

3 1 )   I .   L .   C 3 7  S e s s i o n  Geneva 1 9 5 4 ,  R e c o r d  o f  p r o c e e d i n g ,  1 9 5 5 ,  p .   3 7 5 .   3 2 )   R .   B l u m b e r g s ,  I n d u s t r i a l  D e m o c r a c y ,  1 9 6 8 ,  p .   1 1 9 .  

‑ 9 5   ‑

(11)

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も大きくなる」

33)

といった命題から暗示的に参加の意義を「人間化」と結びつけるもの,さらに

「参加によって得られる満足は, ( 1 ) 自立・独立のニードを充たす ( 2 ) 到達する決定が私的利益と 一致するように感じられ,コントロールに対して強制的色彩を感じないというメリットがある ( 3 ) 欲求不満を軽減し,真の満足と挑戦感を得る」

34)

と積極的に参加の心理的効果と人間的価値と の関係を主張するものなど多様性に富む。なかでもバッケ (E.W.Bakke) が「生産的な仕事は 人間の発達と満足の源泉である。組織は個人に意味のある参加と自己表現の機会を可能なかぎり 最大限提供しなければならない」

35)

とし,労働への動機づけの決定因として自己実現 ( s e l f r e a l ‑ i z a t i o n )を挙げ,「自己実現は,人が意思決定にどの程度参加できるか,また人々が仕事をする にあたってそのルール,条件,計画などの決定にどの程度有効な発言権をもつかにかかってい る 」

36)

と指摘するように,あるいは,ミラーとホームが ( D . C .M i l l e r   &  W.H. Form) が「労 働が満足の源泉になるぺきだとするのであれば,フォーマル組織を,従業員が自分の仕事体験を能 動的・自律的なものとして感じ,自分の額面価値以上の高値で活用されていることを自覚できる ように,かれらを意思決定に参加させるシステムに変革しなければならない」

37)

と強調するよう に,仕事に対する自我包絡 ( t a s kinvolvement) や仕事から得る充実感・満足にとって意思決 定への参加が鍵を握るといういわゆる動機重視型の思潮は 1 9 6 0 年代の後半になって一般化し,か なり爛熟した。今まで,仕事の人間化を推進する際の方向性は,仕事の拡大 ( j o benlargement),  仕事のローテーション ( j o br o t a t i o n ) ,   仕事の充実 ( j o benrichment) などハーズバーグ ( F . Herzberg) のいう「垂直的職務負荷の原理」

38)

に象徴されるような仕事そのものの内容に密着

して示されがちであったが,高度工業化時代に入って,仕事の人間化は民主的システムの導入,

とりわけ参加社会の創造という観点からアプローチされ,いわゆる doingのレベルではなくて,

planningや d e c i s i o nmakingのレベルで考えられるべきものという視点が主流を占めるよう になる。ウエップ夫妻が力説した「産業民主主義思想」 ( S . J . Webb and B . P .  Webb, I n d u s t r i a l   Democracy 1 8 9 7 ) が漸く実践段階に入ってきたわけであるが,この方向性を具体的に促進する

に当って,その意義と展望をめぐって確固としたコンセンサスがあるわけではない。たとえば,

.  .  .  .  .  . 

労働者支配を前面に出す労働者工場構想(マルクス)では,参加は労働者によるコントロールを 指称し,その具体的システムの最適モデルとしてよく知られているものに,自主管理 ( s e l fma‑

nagement) を軸にしたユーゴスラビア・スタイルがある。このスタイルでは,企業の統治機能 (goverance f u n c t i o n )は,一般投票 (referendum), 職場会議 ( Z b o r s ) , 各部門単位の労働 3 3 )   R .   B l a u n e r ,   "Work s a t i s f a c t i o n  and i n d u s t r i a l  t r e n d s  i n  modern s o c i e t y "   L a b o r  and T r a d e  

U n i o n i s m ,  1 9 6 0 ,  p .   3 4 6 .  

3 4 )  A .  S .   Tannenbaum, S o c i a l  P s y c h o l o g y  o f  t h e  Work O r g a n i z a t i o n ,  1 9 6 6 ,  p .   9 8 .   3 5 )   E .  M. H u g h ‑ J o n e s  ( e d ) ,  Human R e l a t i o n s  and Modern Management, 1 9 5 8 ,  p .   2 2 3 .   3 6 )   i b i d . ,   p .   2 4 1 .  

3 7 )   D .  C .  M i l l e r s  and W. H .  F o r m ,  I n d u s t r i a l  S o c i o l o g y ,  1 9 6 4 ,  p .   6 3 0 .  

3 8 )   F .   H e r z h e r g ,  "One more t i m e  :  How do you m o t i v a t e  e m p l o y e e ? "  Harvard B u s i n e s s  R e v i e w ,   1 9 6 8 ,  J a n . ‑ F e b .  

‑ 9 6   ‑

(12)

者協議会 ( P l a n tand Economic Unit Workers'Council),  中央労働者協議会 ( C e n t r a lWor‑

kers'Council),  執行委員会 (GoverningBoard)といった,いろいろな機関や手段を通じて遂 行されるが,それらはすべて,組織メンバー全員の直接的あるいは間接的参加による意思決定を 制度化したものである

39)

。これに対して,先進資本主義国では一つは労使協調路線を軸にした合 同委員会 ( j o i n tcommittee) や合同協議会 ( j o i n t  c o n s u l t a t i o n ) という形態での参加を挙げ られるが,それはマージュ ( A . I .   Marsh) の言葉を借りれば「理解を深める」ことを目途とし た「予め決めていることを公式化する手段」

40)

として,あるいは労働者に発言の機会を与える 場 4 1 ) としての意味をもつもので,他の一つは,「howt o 」に係わる決定への参加,すなわち,伝 統的には管理者・監督者の特権とみなされていた決定事項への一般従業員の参加を挙げることが でき,一ーウォーカー C K . F .   Walker) はこの参加を管理・実行的決定プロセスヘの参加と呼び,

ロバートソン ( K . Robertson) は「課業中心の参加」 4 2 ' ( t a s kbased p a r t i c i p a t i o n )と呼ぶー一 これが実は参加機構のシステム化を考える際のメインクイプとなっている。

一般に参加のタイプは,ウォーカーによって指摘されたように④所有権への参加,@統治権へ の参加,◎管理権への参加,@雇用条件の決定への参加(注:@は少し異質であるが)に大別され る

43)

が,従業員の参加をどのレベルに適用すべきかについて定説があるわけではない

o

つまり実践 的には参加の望ましいタイプは経済的・技術的・政治的・イデオロギー的背景によって異なってく

るわけであるが,参加が( 1 ) 現代の組織労働の疎外を克服する方法として, ( 2 ) 民主主義の精神の普 及・冗進に符合したシステムとして, ( 3 ) 人間のより高次のニードの達成に向けての踏み石として,

( 4 ) 主要な社会的損失を補充する手段として4 4 ) 有効であり,少なくとも仕事の人間化を進める上 で,重要な要素であるという点については略コンセンサスに達しているとみてよい。その意味で は参加の形態はともかく,何らかの形で労働者を意思決定に参加させることを正当視する理論的 基盤は熟成したとみて大過ない。しかし,労働者自身が果して参加を望み,参加によって真の仕事 満足を体得できると感じているかどうかは定かでない。この点については,一方では政治的民主主 義の影響を受けて仕事上の諸決定( j o bd e c i s i o n ) に積極的に参加したいというニードをもつ労働 者が増大したという事実があるにもかかわらず,他方では参加は単なる漢然とした動機的価値し かもたないのではないかといった悲観的推断や危惧もある。仕事の人間化の本質は,課業運営や仕 事組織の民主化を抜きにして論じ得ないけれども,本質のすべてをこれに集約することには無理 がある。仕事そのものの人間疎外的要素を排除すること,すなわち,創造的要因を重視しつつ人材 に固有の仕事能力を発揮できるように仕事を編制しなおすことにも属目する必要がある。つまり

3 9 )   I .   A d i z e s ,  I n d u s t r i a l  D e m o c r a c y :  Yugolav s t y l e ,   1 9 7 1 ,   p p .   3 7 ‑ 3 9 ,   p .   4 5 .   J .   K o l a j a  W o k e r s ' C o u n c i l s :  The Y u g o s l a v  e x p e r i e n c e ,   1 9 6 5 ,   p p .   1 ‑ 1 3 ,   p .   6 8 .   4 0 )   A .   I .   M a r s h ,  Managers and S h o p s t e w a r d ,   1 9 6 3 ,   p .   1 0 .  

4 1 )   M i n i s t r y  o f  L a b o u r ,  A t t i t u d e s  t o  E f f i c i e n c y ,   1 9 6 6 ,   p .   2 2 .  

4 2 )   K .  R o b e r t s o n ,  "Managing p e o p l e  and j o b "  p e r s o n n e l  management,  1 9 6 9 ,   o c t ,   p p .   7 6 ‑ 7 7 .   4 3 )   K .   F .   W a l k e r ,  I n d u s t r i a l  D e m o c r a c y ,   1 9 7 0 .  

4 4 )   M, P o o l e ,  W o r k e r s ' P a r t i c i p a t i o n  i n  l n d u s t r y ,   1 9 7 5 ,   p .   3 .  

‑ 9 7   ‑ ‑

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労働の人間化にとって,組織労働を民主化することは必要条件ではあるが,それだけでは十分で はない。課業あるいは仕事そのものを,機械 ( m a c h i n et o o l ) ではなくて人的資源 (manp o w e r )   固有の能力で遂行できるように編制することなしに,真の仕事の人間化を達成することはできな いからである。確かに,意思決定への従業員の参加という問題に比べて,人的資源に適合した仕事 の編制という問題の解決は難解である。ただし,理論的には,明らかに,これからの労働をめぐる課 題が一方では参加の範域の拡大に向けて,また一方では人的資源と仕事との最適適合を目指す仕 事革命に向けて展開されることを予測できよう。その際,後者の仕事革命の可能性については今 のところ悲観論が大勢を占め,そのためにレジャーを中心にした私生活空間の人間化を保証する ことで零和 ( z e r o ‑ s u m ) バランスを維持するという考え方が,たとえ一時凌ぎであれ,現実解 としてクローズアップしてくる。特に,仕事革命は,能率や生産性という究極的価値を基準にし て推進されるから,元来,人間化・人格化という人間的価値と結びつきにくい側面があり,経 営課題としては重視されようともその具体化は難かしく,部分的には若干の不一致があろうとも 現状ではその代償をレジャー空間で補完するという代替案が大筋において妥当かつ有効と判定さ れるわけである。つまり,われわれの生活の充実は,様々の異種生活領域にスプレ一方式で拡散 され,生活の人間化は多様性に充ちた様態を呈している。ここで注目すべきことは生活の人間化 を推進していくプロセスでレジャー空間が無視できなくなったばかりでなく,仕事の人間化を求 めるニードが強まれば強まるほど,逆にレジャー空間や自由時間への切迫したニードが相乗的に 増大したという背面現象である。

レジャー生活への傾斜とレジャ一社会への離陸

仕事や労働はそれがいかに人問化されようとも,拘束され,義務化された活動であることに変 りはない。その意味ではまさにマクレガー ( D .M c g r e g o r ) の X 理論の適用も不自然ではない。

したがって,自由への希求が積極的に自由時間を獲得するニードに反映することになる。労働 時間の短縮に向けての動因は,ある時期までは,苛酷な労働からの解放,あるいは労働がその内 在的価値を消失したことに対する無目的感をベースした「人間的でありたい」という願望,加え てこの願望を実際に充たす機会を得たいという切実なニードを反映していた。しかし,技術革新 と高度工業化が進捗して自由時間が労働時間を圧倒する事態になると,その動因は,単たる逃避的 性格によって特徴づけられるものではなくて,有意義な人生を送るためにより多くの自由時間を 得たいというニード,いわば生活スクイルそのものを直映したものに変質する。自由時間へのニー ドは,仕事による抑圧を代償・補完する時間あるいは非人間的労働に対する弁償,という意味合い ではなくて,個人の望む生活スタイルの実現・確保という即自的目的から喚起し,さらに自由時間 が労働時間の引力圏から脱出し自己完結的空間を占有したことによって,また自由時間が個人の 生活スクイルや生活ニズムに対して単独で,独自のインバクトを与え得るほどに強大な社会的カ を保持したことによって,逆に自由時間へのニードを駆り立て時間短縮運動を活性化し,自由時間

‑ 98 ‑

(14)

と生活スタイルの調律を迫る傾向も見受けられる。そして,今や仕事とレジャー,労働時間と自 由時間といった対極的時空をそれぞれ自己完結的な満足の周期として稼動さすべきだという考え 方も熟成しつつある。その意味では,自由時間やレジャーが個人の生活中スタイルやリズムの生 成・展開において重要な構成要素になってきたわけであるが,依然として現代社会の支配的生活 リズムが形式的には(時間構成という面では),仕事を基軸として旋回していることに変りはな い。大衆一般の生活時間構造にみられるパクーンとリズムの周期性が,仕事というメトロノーム によって秩序づけられ,すべての非仕事活動のリズムはそれによって確定づけられる。レジャー 活動もその例外ではなく,ノーマルな労働時間帯との関係で調節され,その活動時間帯を決定さ れる。諸種の催しもの・興業・行事の開催日や時間帯, T V 番組の編制やプログラミング,交通 機関の運行時間など,そのほとんどが仕事の時間帯リズムの周期に合わせて決定されている。ま たこのことが産業社会のレジャーの特質でもある

45)

。しかし,社会の生活時間構造がメカニズム として仕事を軸にして展開していることと,個人が仕事をベースにした生活スクイルを編制する こととの間には必ずしも一元的な結びつきがあるわけではない。事実,自由時間の増大とその自 立性が主動因となって,現代人の生活関心が非仕事空間を中心にして展開されていることを示す デークも多い。特に,仕事に束縛されない,あるいは支配されない生活スタイルを遡及する生活 観の台頭,自由時間の有効利用ーレジャーの充実ーを通して生活に意義と満足を得ようとする私 生活中心の人生観の熟成などによって,レジャーに中心的魅力を置く生活慣習の普及・浸透は著

るしい。

脱工業化社会が成熟するにつれて,労働時間に生産した商品を自由時間で売り尽くすという技 術が露骨となり,余暇を塞ぐためにレジャー商品やレジャーサービスを創り出すという市場戦略 が一般化してきた。かくて,自由時間の価値が,その時間に利用しうる商品やサービスを積極的 に市場化することによって,実質価格以上に高値をつけられることになった。その結果,非人格 化された労働過程で営まれる仕事の価値が,レジャーの価値で清算されることになり,このこと が逆にレジャーの価値が仕事や経済そのものを直撃するという事態をも生むことになった。多く のレジャー商品やレジャーサービスの存在がより多くの自由時間へのニードを喚起し,自由時間 の増大がより多くのレジャー商品やレジャーサービスの企画に拍車をかける。このような動向の 中で,今や,生産活動に対する実践的ニードや心理的願望と自由時間やレジャーを求める強力な願 望とのバランスをどのように決済したらよいのかという問題が発生している。これらのことは,

レジャーがまさに支配的価値 ( d o m i n a n tv a l u e )   となり, このことこそ脱工業化社会の指 標 ( i n d i c a t o r ) でもあることを示唆している

46)

。したがって,生活リズムは時間的メカニズム によつて規制されるから,確かに仕事が主導性をもち,また生活時間の内的構成は仕事に優先坐

席を与えつつ編制されはするものの,生活スクイル•生活観をベースにして構築される生活の質

4 5 )   K .  R o b e r t s ,  L e i s u r e ,   1 9 7 0 ,  

p. 

1 2 .   4 6 )  M. K a p l a n ,  L e i s u r e ,  1 9 7 5 ,  p .   3 2 0 .  

‑ 9 9  ‑

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的構造すなわち生活の旋律は,自由時間やレジャーの調べで調律されつつあることは否めない。

その意味では,仕事のリズムでレジャーのメロディを奏でる生活スクイルが,脱工業化社会の特 質であるといえよう。伝統的な仕事中心社会とは異なり,人間を評価する活動領域は多元的とな り,どのような基準で,どの活動領域を最も重視するかは個人の選択の問題と化し,一元的な普 遍的原則や優先序列によって他律的に決定されるものではなくなった。さまざまの合理化や民主

化を推進したイデオロギーが,同時相乗的に国民の生活観•生活意識にも波及し,私生活合理主 義や私生活中心主義を骨子とする新しい生活信条を誘発し,快適な生活•楽しい人生を理想とす

る生活スクイルヘのニードを奨励・助長・育成することに連動したのである。無論,時間の正 しい利用方法は,いまだに部分的には仕事によって示唆されるが,仕事中心社会のように,仕事 に関連のない時間にまで,仕事の倫理をベースにした道徳的含蓄でドグマ的に判定したり,仕事 倫理に到達すべく真直ぐで狭い道を脇目もふらず直進するように調教したりするような傾向は消

えた。現代社会は無数の価値を用意する料理屋に準えられ,それぞれの料理の味・栄養価•特色

について詳細な能書きをしたり,推奨品を薦めたり,何を選ぶべきかについて講釈したり,処方 箋を出したりはしない。まして特定の価値を上から押しつけることもなく,何を選び,何を食べ るかは価値判断も含めてまさに個人の主体的選択に委ねられている。そのために,個人の自由な る選択に対して,いろいろな説得機構が連続的に作動し,一定の方向に選択が誘導され,結果的 に商業主義的に画ー化されたり,プログラム化されるという事態を招く結果にもなっている°個人 が人間的価値や人生についての確固とした標的を内在化していない場合,価値や標的を形成する プロセスにまで外部から土足で聞入する時代であるから,強力な説得機構をフル活用し,巧妙に 仕組んだ洗脳作戦を展開しつつ,その個人を商業主義に毒された快楽追求的生活スクイルヘと誘 導することはいとも簡単なことである。文化生活という名の下に,主体性なき大衆を退廃的レジ ャーヘと誘うこともまた容易なことである。しかし,このような実態の背後には,自由時間の増 大に隋伴して私生活充実志向的生活目標へのニードが急騰し,同時にそれを是認する社会的風潮 が定着したという事実がある。社会的価値よりも個人の人間的価値を優先するような生活信条の 培養と拡幅によって,自由時間やレジャーを社会的に正当化するだけでなく,社会的観念体系の 中で,それらに高い価値を付与し,個人優先型生活スタイルを礼讃する生活銀への傾斜を督促し たのである。レジャー産業の繁栄振りがまさにこのことを裏づけている。レジャー産業がうまく 市場力を発揮するには不可避的にレジャーの重要性や価値・意義を説得・明示するプロセスを伴 ぃ,同時にそれらが市場でのシェアを拡大するには社会の文化体系の中でレジャーが非常に重要 なものとして価値序列の中で高位に順位づけられる作業・操作が不可欠である

47)

。このような価 値捏造的大衆操作が大衆の生活観に強力なインパクトを与えたことは疑う余地がない。このよう な誘導が,今では逆に社会体系そのものを私生活や個人的価値の尊厳という新しい基準に合わせ

4 7 )   I .   A p p l e t o n ( e d ) ,  L e i s u r e  R e s e a r c h  and P o l i c y ,   1 9 7 4 ,  p p .  3 5 ‑ 3 6 .  

‑100‑

(16)

て再評価する必要性に迫られるという皮肉な結果を招いたわけである。つまり誘導者が被誘導者 に逆誘導されるという衝撃的現象が発生したのである。このことは,レジャーがわれわれの社会 生活において一種の通貨としての機能を果すようになったことをも示唆している。事実,生産性の 増大や技術革新を狙って開発された多くの発明や技術が私生活の合理化やレジャー機器のための 一般消費財に転用されているのを始めとして,多くの産業が多かれ少なかれレジャー関連商品・

部品の生産に関与し,とりわけレジャー産業の急成長振りとその商品・サービスの多様性,シェ ア拡大はもとより,衣・食・住生活のレジャー化の急進振りも甚はだしく,諸種の生活領域がレジ ャーの波で侵食され,仕事空間でさえもレジャーの波には抗し切れず,企業は揃って余暇対策に 苦慮している。加えて国民のレジャー・ニードに対する行政の対応は,特に自由時間をクーゲッ トとする社会的・教育的基盤の整備・充実への取り組みに反映されているように,国民の生活ス クイルが,その基底においてレジャーや私生活の充実に向けて傾斜しつつあることと無縁ではな い。このことが,エネルギーや資源を公的に配分するに当っての価値基準をも変更させ,多かれ 少なかれレジャー価値への配慮をも不可欠にすることに通じている。レジャーの方向性も含めて われわれの生活目標や生活スクイルは非常に多様かつ多元的になってきたが,仕事第一主義の伝 統的ドグマが崩壊し,自由と人道主義が社会の新しい価値として重視されるようになったことで,

全体的にみれば自由時間や私生活空間が重要な生活関心の対象としてクローズアップしてきたこ とは否めない。

生活目標や生活スクイルは社会的な真空状態で仮想的に論じられるものではない。それらは常 に全体社会との相対的関係の中でのみ実体を露呈するし,またその現実的態様を具体的・実証的 に明示しうるものである。われわれの望む生活スタイルは,超文化的概念ではない。それは,大 部分,現在の動向,予測しうる範囲での現実的見通し,人間に対する方向づけと人間的価値に対 する思潮などの社会的条件によって決定づけられる。特に,仕事の内在的価値についての伝統的 信条が崩れ,仕事に附していた道徳的力が消失したために,仕事と人間,仕事時間と自由時間と の間に切迫した緊張が生じ,仕事が今まで演じてきた規範的機能や人間的価値の根源としての機 能を他の代替物に転化せざるを得ない状況が示現したこととの係りで,現代人の生活目標や生活 スクイルの実態とその方向性を解明することが必要である。

仕事の倫理から解放された私生活空間が自由時間の量的増大に伴って大幅に拡大したことで,

伝統的な生活スタイルは変身を余儀なくされ,生活スクイルと生活リズムの両面でレジャーの占 めるウエイトが漸進的に増大してきた。レジャーの中心的魅力は個人が好きなことを自由にでき ること,あるいは今まで制度化された活動で縛られてきた時間を個人の楽しみのために利用でき

ることにある 48) 。したがって,明白な生活目標•生活イデオロギー・人生哲学をもっている人に

とっては,レジャーは人間的価値や人間的満足を得る活動時空の重要な部分となり,自己確認の

4 8 )   J .   D u m a z e d i e r ,  op c i t ,   p .   4 0 .  

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関西大学「社会学部紀要」第

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巻第

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基盤にもなる。このような魅力が,他方では生活目標や生活スタイルを決定するに当って,その 構成要素間でのレジャー要素のウエイト・アップや漸進的シェア・アップのための引き金にもな る。無論,レジャーに対する願望やニードは人によって千差万別である。現代人がレジャーにど れほどウエイトをかけ,どのような夢を託しているかについて定見があるわけでもない。しかし 大衆文化との交互作用を通じて,レジャーが短期的にみれば,新しい快楽主義の魅力を広範に増 幅しつつ,また長期的にみればわれわれの生活スタイルや生活観・人生哲学に強力なインパクト を与えつつ,われわれの中心的生活関心をレジャーの旋律で奏でるべく稼動しているという確乎 たる事実がある 。生活関心のすべてをレジャーに結晶化するとまでは言えないものの,レジャー が諸種の生活関心の中でも最高位の優先順位を付され,積極的に追求されるべきターゲットに変 身したことは明白である。このことを受けて,人間の潜在的能力がレジャーを通じて完全に,し かも積極的に開発・啓発される社会についての展望,またそのことの正当性を明示する提言の必 要性が叫ばれる

50)

。社会が人間性を重視し,個人のあらゆる活動を人間化すべきであると提言す るのであれば,必然的に人間の主体的内在価値(自己確認)を射程に入れた社会についての展望 が不可欠となる。この展望が一元的にあるいは無条件にレジャー社会の展望に結びつくわけでは ないが,現代社会における自由時間の客観的状況からみる時,少なくともそれらの基軸の一つを レジャーが占有することは明らかである。自己確認の問題は個人が自己評価をするに当って如何 なる価値を最優先させるか,さらにその価値を如何なる生活領域で実現させるかという 2 つの次 元に深く係わっている。すなわち,自己確認を中核に据えた生活スタイルは, .  .  .  .  ( 1 ) 個人のパーソナ リティを構造化している主要価値と .  .  .  .  .  .  .  .  ( 2 ) この価値の実現を可能にする生活領域についての個人の 主観的な実現可能推定確率 によって決定される。この両要素との絡みで,現代人はレジャー目標 への専心を選び,レジャーに傾斜した生活スタイルに誘引されたのである。一方,社会も,私生 活領域の充実に向けての強大な紆曲を是認し,レジャーや家庭生活への大衆の関心の昂りを正当 視し,ある意味で私生活空間を聖城化したのである。これらの潮流の中で,制度的にあるいはモ ラルの上でも,仕事一辺倒の論理的公式主義から解放された,理屈抜きの快楽を即自的に追求す ることに対して免疫性が培われ,仕事偏重の生活スタイルが退潮し,人間的生活の質的向上に照 準を合せた上でのレジャーの見直しが望ましい生活スタイルの編制にとつて不可避とする新規な 思潮が勢いよく差してきた。仕事とレジャー,労働生活と私生活,労働時間と自由時間,これら の対抗する時空を貫徹する論理の二重性の排除は,形式論理はどうであれ,現実には不可能に近 いほど,両者は対極化している。社会的統制の檻内に閉じ込められていたレジャー,私生活,自 由時間が,産業化・合理化・民主化・都市化が浸透・拡幅するプロセスで,社会的統制の檻外に 自力脱殻し,自転し始めたことによって,人は仕事のみならずレジャーとも同居する術を習得す ることを義務づけられ,同時に生活スタイルの再編一仕事とレジャーのどちらにウエイトを掛け

5 0 )   J .   E l l u l ,  The T e c h n o l o g i c a l  S c o i e t y ,   1 9 6 5 ,   p p .  4 0 0 ‑ 4 0 2 .  

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るかという問題も含めてーという課題に多かれ少なかれ対峙せざるを得ない局面に立たされるこ とになった。無論,このような状況の産出基盤である経済の高度成長が,われわれの生活要求の 内容や水準をも直撃し,その多様化と個性化を促がしつつ,レジャー社会への基盤を醸成したわ けであるが,なかでもレジャーヘの活力を育成し,生活スタイルと消費を見事に調合させた企業 戦略は特筆に値する。特に巧みな宣伝戦略とコマーシャリズムに煽られて誕生した消費プームは 生産活動にもまして消費活動の重要性を大衆の生活意識に鼓吹し,生活局面における消費機能の .  .  .  .  . 

優位性を決定づける画期的な企業の演出であった。これと平行して急成長したレジャー産業は,

国民にレジャーヘの関心を喚起し,楽しい生活へのバイロットとして,プレーキなしの過剰サー ビスと思えるほど,多角的なレジャーメニューを積極的に品揃えした。そして,強力なマーケテ ィング活動やセールスプロモーションを駆使して欲望造出とレジャー消費の周流を見事に稼動さ せた。加えて,各種産業が挙ってマスメディアとのタッグで,「人間的生活」とは何かを説きっ っ,その強力な洗脳作用と画ー化・標準化機能との集積効果をフルに活用して,様々の家庭向け 商品やレジャー文化パッケージの大量消費を狙った戦略を積極的に展開したことに注視すべきで ある。このような産業とマスメディアの連携プレイによって誕生した高度大型消費社会に対して は,消費という一時凌ぎの鎮静剤的快楽に毒された,内容のない生活様式を流行させ,いわば人 間的生活を質的稀薄化に導くものだとする見方もあるが,このような主張を客観的に立証するデ ークは未だ見られず,その根拠も定かではない。消費型生活スクイルのもつ弊害を救う道は,一 度このような生活スクイルに大衆を曝すこと以外にない。試験管の中で無菌状態で人を培養する

ことはできない。もしそれができたとしても,外気に触れた時の免疫がないので無意味であ る

51)

。つまり,われわれが生活の質的レベルアップをする上で,不可避の過渡的チャネルとして このような弊害を受け止めるぺきなのである。むしろ物質中心の量的レベルアップが引き金とな って,生活水準の質的レベルアップヘのキャパシティを高め,消費への没頭が起爆剤となって生 活目標や生活スクイルの人間化・高水準化に向けて新しい活力が熟成される点に属目し,消費が情 熱と活力とエネルギーを生活に注入するという積極的側面をむしろ評価する方が穏当であろう。

生活は実践であり,生命ある様態であるから,形式的論理主義は通用しない。生活を支える物 質的・経済的基盤が軟弱かつ不安定で,消費も儘ならぬ状態では,生活の質的充実を掌中におさ めることは難かしい。確かにヴュプレン ( T . Veblen) のいう「きらびやかな消費」 (conspicuous consumption) は非難の対象となろう。しかし現代社会の大衆が亨受している消費指向の生活ス

クイルは,私生活の合理化,あるいは生活の趣潤という基準からみれば minimnmconsumption  であって,ヴュプレンが嘆いた忌避すべき現象ではない。重要なことは,産業が大衆消費社会の 育成に向けて,消費という神秘的魅力を正当化し,レジャーや私生活の充実のために投資するこ とが有益であり,正当であるという考え方を積極果敢に流布・培養しつつ,生活関心を仕事から 5 1 )   P .   H o l l a n d e r ,  "The u s e  o f  L e i s u r e "  S u r v e y .   A J o u r n a l  o f  S o v i e t  and E a s t  E u r o p e a n  s t u d y ,  

1 9 6 6 ,  J u l y ,  p .   5 0 .  

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表 2 イギリスにおける現場労働者の週当り労働時間 ( 2 1 オ以上男子) :時間

参照

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すなわち・単なる地理的範域としての郷土一私  (、ec。。d。xp。nd,d。d、ti。。>Baci, B。。kS 197義

スキル)や問題解決方策について広範な知識を備えていることが望ましい。学習動機の維持や学習

 4 「権利性」の意味

69

生徒や学生たちに不可欠である.

 だから、〈死を fiction

を媒介者として,その上で介護者と「ロボット」の恊働をさらに発展させる可能性を提示すること ができる。ロボットや人工知能( AI