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「故郷⊥の社会的構成と機能
一その文化的義意をめぐる問題として一
鎌 田 彰 仁
序一視角と課題 れることが,その基本的な前提となる。そのよう 1 故郷喪失者たち な「意味連関」一それは起源的にみれば社会の 皿 故郷の概念と社会的構成 伝統的文化体系のなかに包含されており,人はま 皿 故郷社会の形成機能一人間と秩序の媒養基 ず,言語的な知覚表象によってではなく,社会の 結び 慣習によってそれを教え込まれるものだが一の 共有によりはじめて,われわれは互いにコミュニ 序一視角と課題 ヶ一ションすることが可能となり,相互に理解し
「日常的生活世界」(world of daily life)は, あうことができるようになる。(そのような意味 A.シュッツの流れをくむ現象学的社会学が理解 連関の統一的総体を極度に圧縮した形で象徴する
してきたように,個体の意識地平に一定のリアリ のがデュルケムのいう「聖なるもの」であろう)。
ティをもって現前してくる「他者」と,主体の存 そして・真の意味での人間的交流一㎜人間と他者 在基盤として体験される「自己」との相互作用の とが共にある程度の親密さを帯びる社会関係を支
なかでの,意味的諸関係の統一的総体としてある える核心的要素は,「自己」一「他者」相互に共 。
(ないしはありうる).このような意味での「自 有され臆味連関に支持される「関係の文脈」を 己」「他者」こそは,生活世界の構造を支持する 通じての・.手体類写間で情報的に伝達される「配 慮関心の相互的流れ」〔木村洋二「人間的意識の構造」
乱欄?ユ灘雛霧鄭難鍔舗愛誕難鷲:成される。それ故,人間にとっての1次的現実は 自己の生活世界の構造的安定性を確実に保持する「モノ」ではなく,かれを取りまく「仲閲の人間」
ことが可能となる。
である。 だが,人間行為が相互主観的に理解しうる意味 ωこのことは,入間はまず人びと(仲間)を知った 連関に固定化されるにつれて,「自己」一「他者」
後に「モノ」を知るということを示唆するもので の地位はしだいに構造化され,それとともに,そ あり・幼児や未開人の世界に対する態度に認めら のように構造化された地位(=社会的地位)から れる…擬人化傾向は,おそらくは・それを証明する 派生してくるところの役割期待が,相互に課せら 一つの事例といえよう(Kwant・R・Enc°unteち れる役割行動として社会的に要請されることにな Passen Phenomenology°f Social Existence る。その結果所謂「自由」な行動は社会的に抑
Pittsburg, Duquesne University Press,1965.)。 止され,人は一種の「客観化された行動様式」の
ところで,これら基体相互のあいだに(社会的) うちに拘束されるようになる。役割の機能的限定
相互作用が成立するためには,「自己」一「他者」 化がそれである。このような,社会組織の近代化
相互主観的に客観化された意味連関の共有がみら にともなう役割の機能的限定化は,社会成員相互
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すなわち「自己」および「他者」の代替可能性を 能をも合わせもっている〔Nisbet, R A., The Soci一
増大させる。また,それに併行する社会過程の汎 0109ical Tradition, Basic Books,1966(中久郎監訳 市場化は,「他者」一一般のそれゆえにまた成員相 『社会学的発想の系譜1・∬』アカデミア出版会。1977 互的に,自己の「貨幣価値」もしくは「道具的価 年)〕。つまりは,ここで述ぺたような意味での 値」への還元=一元化を推し進めることによっ 「自己」一「他者」の相互内化関係こそは,人間の て,個性的人格を没個性的な類的存在としての 自立の社会学的な基礎であるとともに,社会の連
「役割」によって社会的に評価する傾向を強化して 帯的秩序を形成する原基にほかならない。そこ いく。こうして,役割の機能的限定化とそれに対 でこの両側面を含んで,それを「人間と秩序の媒 応する個人の物象化(役割としての個の人格の抽 養基」と表現するならば,その意味での「ボー 象化)は,相互的に「他者」を物象化された没個 ム」を構成するのは,日本の社会と日本人の心性 性的人間として「処理しあう」という,社会関係 とに則して考えるならば,所謂「故郷(Home,
の非人格化をその社会学的な帰結とする。人間像 Heimat)」という「対面社会」ではなかったろう としての「社会学的人間(Homo Sociologicus)」 か。
(R・ダーレンドルフ)とその相補的社会像として そうだとすれば,都市化の進行にともなう「故 の「抽象的社会(Abstract Society)」(A. C.ザイ 郷の喪失」は,最も身近かなところでの個の自立 デルフェルド)。 の基盤の解体であるとともに,社会の連帯性を
しかも,人間が機能的に限定された社会的役割 支える道徳的支柱の腐蝕化でもあり一このこと の鋳型に嵌め込まれ,そのことから社会が個人に は,道徳的権威に支えられた社会秩序の正当性 とって抽象的な存在となるにしたがい一それは は,私的領域における原子化された個人の不安定 テクノロジーの発達と官僚制化の進行をその基本 =不確実な生活様式によっては永続的に維持され 動因とするが ,個々人の生活世界から「かけ ることは困難であるという,所謂「社会秩序のデ がえのない他者」の存在は,消失もしくは局所化 ユルケム的前提」を承認することから言明しうる していく。それがために,「自己」一「他者」間 ものであるが一・それ故にまたそれはいくつか の「配慮関心の相互的流れ」は社会的に抑止ない の媒介変数をとおして,ついには, 「都市化社会
し阻害され,その結果として,生活世界それじた の文化的矛盾」を象徴する症候群にまで波及して いの構造的安定性は全般的に低下する。そのこと いく拡がりをもった問題でもある。
は,トータルな不安感・孤立感・疎外感などとし ところで,現代のコミュニタリアンの多くは,
て人びとに意識化され,所謂P・バーガーらのい 故郷喪失の:社会的状況を所与の前提として措定 う意味での「ホームレス・マインド」を形成するこ し,その状況をそのまま,「『故郷の村』の時代か
とになろう〔Berger, R, B. Berger and H. Kellner, ら『故郷の都会』の時代への移行」〔高橋勇悦『都 The Homeless Mind:Modernization and Conscious一 市化の社会心理』川島書店,1974年〕のプロセスと読ness, Random House,】973(高山真知子・馬場伸也・ み直すことによって,故郷再生を求めての論理を 馬場恭子訳『故郷喪失者たち一近代化と日常意識』新 構築しようとする。だが,所謂「コミュニティ論」
曜社,1977年)〕・ の多くは,「村」を「都会」に置き換えることの
ところで,「配慮関心の相互的流れ」という意 時代的理由とその戦略的意義を説明はするけれど
味での「自己」一「他者」の相互内化は,たんに も,中心概念であるところの「故郷」(コミュニ
個別主体の生活世界の構造を安定化させるのみで ティ)そのものについては,「地域性」と「共同
はなく,社会学の思想史的テーマにみられるよう 性」の要件を提示するにとどまり,したがって
に,それはまた超個体的な社会的結合の媒体網を 「故郷のイメージ」もまた,「地域に根ざした生
通じて,会社に「連帯性」を産出する社会学的機 活共同」という形式的な理解におわることが少な
鎌 田:「故郷」の社会的構成と機能 63
くない。そのため,そこからくる地域と住民の歴 ちに,その原型を見出すことができるという。中 史的社会的性格に対する全ったくといってよい程 世武士階級に抱かれた故郷意識とは,竹内利美の の関心の低さと,それとおなじことだが,全国的 述ぺるところによれば,およそ次のような歴史的 に均質化された空間として地域社会を捉らえる認 事情に由来するものであった。竹内は言う,
識態度とが,所謂「コミュニティ論」の基調を形
成しがちとなる(「地域社会の解体とコミュニテ 「武士政権の確立は武士団の地方的移住をはげ イの形成」という常套句)。故郷そのものについ しくした。いわゆる本貫の地・名地の地を離れ・
ての内在的な検討がなされないままに,「ふるさ 遠方の地に分派するものが多く生じた。名字は とづくり」(「まちづくり」「むらづくり」)の運動 本来居住の地名を名告るのが通例であったが,
だけが流盛をきわめているのが,今日の地域社会 次第に本貫の地の名地を改めず・かえって旧来 をめぐる状況ではないだろうか。 の名字を誇る風が生じた。これは惣領(本家)
なるほど「ふるさとづくり」の運動には,地域 を中心とする,武士の氏族的結合と相即するも を歴史的社会的に規定された独自の個体として認 のであった・中世武士の郷土意識は・かかる氏 識し,歴史と風土の具体に根ざした「コミュニテ 族的結合に裏付けられる〈本貫の地〉の記憶で
イの形成」を展望する問題意識が見られる。だ あり,出自の由緒を誇示する優越感に彩られて が,なおそこにあっても,故郷の文化論的な意義 いた」〔『日本社会民俗辞典』第1巻・郷土〕
については自明の前提とされたままであり,その
ために実際には,「祭り」などのイベントだけが と・この竹内の指摘するところに従がえば・中世 先行して,そこに譲成される情念的なムードのな 武士階級の「氏族的結合に裏付けられるく本貫の かで,「ふるさと」なるものが曖昧なままに了解 地〉の記剛のうちに・日本人の「故郷意調の されたり,あるいは,故郷の人間に対してもつ意 原型を認めることができる。しかも・そのような 義の説明が,村落社会をモデルとした「ムラ社会 故郷意識はまた・「出自の由緒を誇示する優越感」
論」一般のなかに解消されたりすることが多い。 の表現でもあった・例えば地方に下って武士とな そうだとすれば,性急に「故郷の都会」の時代を った藤原氏などはその地名や官職名を一族の名字 宣告するまえに,ここで,多様な観念的かつ感晴 とした(加藤・遠藤゜斉藤など)。とすれば,「故 的なニュアンスをよびおこす故郷の概念を社会学 郷」という属地に対宅汐反省的な意識は・すでに 的な見地から把握しなおし,故郷そのものにっい その史的起点において・「出自」についての属性 ての内在的な検討を加えておくことは,実際にも 意識と分かち難く結びついていた,ということに 必要な作業の一つだといえよう。 なる。
本稿は,以上述ぺてきたような問題視角から, {2》勿論,歴史的にみて武士層が完全な根無し草とな
「故郷」を「人間と秩序の媒養基」として措定し, るのは,豊臣から徳川へと覇権が移行する過程で 故郷という「第三の空間」のもつ内的構成とその の「関ケ原の戦い」や「大坂の陣」などで・改め 機能を分析することをとおして,「対面社会」とし て全国的な大名の配置替えが行なわれることによ ての故郷(社会)が「人間と秩序の問題」に対し ってであるが・大名の家臣団があげて「本貫の地」
てもっ支花的意義を解明してみることを,その主 を離れて移住することは,鎌倉時代の関東武士を
はじめ,織田・豊臣政権の統一の過程においてしたる課題とするものである。
ばしば生じていたことは,すでに周知のとおりで
1 故郷喪失者たち ある。
日本人の「故郷意識」一その最初の目覚を求 近世における都市の発達と全国的な交通路の成
めて歴史を遡るならば,とおく中世武士階級のう 立は,たとえ封建体制の枠内でとはいえ社会の流
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動性を促し,異郷にあって故郷を恩慕する境涯の 明治期以後の「国家化方式」 (神島二郎)によ (3}人びとを多く析出した。それら出郷者の主流を構 る近代化と都市化は,出郷者のさらなる大群を都
た町人階級であった。これら町人階級の多くは農 やがうえにも募らせることになる。すなわち,近 村出身者であり,しかもかれら農村出身の二男・ 代日本における国民国家の形成は,「自然村」(「第 三男層は,都市の商家もしくは職人の丁稚・徒弟 1のムラ」)の自主的統合力を前提としながらも,
奉公をもって都会生活をスタートした。それがた その現実の形成過程にあっては,自然村秩序と大 めに,かれら都市移住者の心には「ふるさと」へ 家族制とから事実上の個人二独身者を都市へと引 の憧憬が生じ,また他日「故郷へ錦を飾る」その き抜き,かれら出郷者の織りなす「合群の生活」
日を夢みながらかれらは,異郷での苛酷な現実 を基盤に国家的統合を実現することで,その統制 の毎日を生き抜くことになったろう。たとえば, がはかられた。だが,中央の大都会・東京での立 屋号に出身国の名や地名(伊勢屋・越後屋・尾張 身出世と「小イエ」創出とを夢みて故郷を脱出し 屋・近江屋・河内屋・鴻池屋など)が冠せられた てきたかれら(とりわけ青年アスピラント)をま 風習などからも,かれら都市生活者のそうした心 ちうけていたのは,「茨の藪畳」(石川天涯)とま 情(郷土意識)の一半をうかがい知ることができ でに形容されるほどの都会の慢性的なアノミー状
よう。こうして,近世都市における町人階級の成 態(「群化社会」)であり,つねに脱落の可能性と 立とともに,概ね近代に近い形での故郷意識の結 背中あわせに生きる苛酷な日常であった(近代日 晶化がすすみ,例えば屋号などにそれが形象化さ 本の「都市中間層」における半所属の不安)。しか れていったものとみられる。 も,かれら出郷者を支える現実の経済的基礎は,
すでに,社会関係を不可避的に没情宣的にする官(3}速水融によれば,濃尾平野の一農村における1773
年から1869年に至る宗門改帳をとおして,所謂 僚制的支配秩序の「非庸さ」のうちに,移行を余
「出稼ぎ」の問題についてこれを集計したところ, 儀なくされている。それがためにかれらは・群化 その村の農民は男子で約50%,女子で約60%が 社会におけるアノミーと不安の心理を幾ばくかで
「出稼ぎ」を経験しており,そのうち男子の50数 も鎮静化し,官僚制的支配の非1青さを多少なりと パーセント,女子の40数パーセントが農村部(他 も情緒化せんがために,「回想的な故郷の共同を 村を含む)へ帰村しなかったという・しかも・帰 軸心とするインフォーマルな結合」〔神島二郎『近 村者をみても,出稼ぎ期間は平均13〜14年に及ん 代日本の精神構造』岩波書店,1961年〕である「擬制 でおり,そのことからして出稼ざとはいえ実質的 村」(「第2のムラ」)を形成し,当初は主として,
には職業・地域間移動(都市移住者)といわざる 経済的チャンスの獲得を媒介とした親方=子方関 をえない・という・この指摘は・旧来の常識とは 係などの擬制的家族関係を取り結ぶことをとおし
異なり,徳川後期の社会が如何に流動性に富んだ て,故郷を離れてあることの孤立と不安から逸れ 社会であったかを示唆する貴重なデータであると ようとした(明治体制の支配機構の二重構造一官
ともに,所謂「出稼ぎ」に関する通説に興味ある
@ 僚制と共同体秩序の結合)。問題を提起したものといえよう(速水融「人口と
こうしたプロセスの深化とともに,都市生活者経済」新保博・速水融・西川俊作『数量経済史入
門_日本の前工業化社会』日本評論社,1975年、 の側における故郷は,たんに空間的に距離化され 速水融・内田宣子「近世農民の行動追跡調査」梅 ていっただけでなく・時間的にもますます距離化 村又次・新保博・西川俊作・速水融編『日本経済 されることになった。かかるごつの意味での「故 の発展一近世から近代へ』日本経済新聞社,1976 郷の距離化」は,しかしそうだからこそ逆に,出 年)。 郷者の心に故郷のイメージをより鮮明なものと
し,かつまた強烈なものとした。そのために,現
鎌:田調、「故郷」、の社会的構成と機能 65
琴望)故郷はすでになし崩し的にその秩序聾風化さ 「東京大阪で失業々々と頻りに謂ふのは新聞の せていうにもかかわらず・「故郷庫じ難レ4の思 誇張ではありませぬか。・此村などでは近年随分 いあるいは「恩郷のこころ」はむしろ・都市生活 出て行きましたが,まだ一人も還って来た者は 者における故郷の距離化とともに・ますます強ま 有りませぬ。是は私を泊めてくれた家の主人の りこそあれ決して弱まることはなかった・そこか 方の疑問であった。・何だか知りませんが,_年 ち,「活動の都・憩の田舎」という都市一農村図 増しに奉公人が少なくなるのには困りますと謂 式(農民神話=イデオロギーとしての農本主義) 、って細君は頻りと立働いて居る6酌...
が生み出され・P心を故郷に,身を都に」という 此辺などは如何なる人夫募集人が来ても決し
翻モデノレが・都市蛎者のあ・咄こしだいに定 て成功すぺき土地ではな・・.出て行く者晦に着していくこどになる。 自分の考へから,例へば家の姉にしっかり者の
ωこうした図式なり意識は,近代日本の立身出世主 婿が来たとか,母親が違ふとか,或は此よりも 義の構造的特質とされる「準拠集団の両極性」_ 今一層徴妙な感情から・居りたく無い故に出て
〈中央〉(都,東京)に向?てたえず上昇し飛躍 行くので,・非常に零落するか(小農にはもう零 レようとする価値の志向と,〈家郷〉(母,ふる 細の余地も無いようだが),又は非常に立身し さと)に向ってたえず回帰し沈着しようとする価 なけオtば,.まつは還らぬ積りなればこそ,遠方 値の志向との・矛盾にみちた統一の実現を理想と へは往くのである。隼活上の圧迫と謂へば他の する価値姿勢(それ自体は明治㈱の支配購の ・地方も一つだが,拓くにも作るにも地面が無、、
細人の内面世界への投影に他ならないカリー
@ ζ云ふ槻か捌っで出て行く者と腺情激と深く関わっており,それ故にまたそれは,出郷 で別である。併しながら原因はいつれであって者=「都市中間層」のもつある種の屈折した故郷畿隷藤慮う蹟介r現峯講鵬蹴鷲蕪く灘って来るものとは,どうして又考へたのであろ ところで,「心を故郷に,身を都に1というこ うか。・。…
の都市生瀦の翻離こそは・ほかでもなく, 或は製糸願伽工場だけはよろしい,労働
近代日本における賃労働者の社会的性格と理解さ 者が多くは女だから,巴云ふような説も有っ れてきたところの・所謂「出儲型」(大河内一 た.女なればどうして元の村一還るの凱又何 男)のエトスに照応するものでもあったろう・そ をしに還って来ると謂ふのであるか..+三四五 の意味では・日本近代はまた,国民大のスケール から縫針の稽古もせず,稚ない者の泣く理由も における「故郷喪失」の時代でもあった・勿論 経験せず,同じ年頃の者とばかり笑って日を送 相対的にみれば,近代日本の都市化過程のうちに り,田植稲刈は勿論のこと,女房のする仕事は
「帰れる故郷」と「帰れない故郷」という形で, 三分の一・も知らぬ女を,普通の農家が何で嫁に 都会人とその故郷イメージの変容史鵬想するこ 欲しがろう」〔柳田国男階国傭」r定本.棚国
とも可能であろう〔高橋勇悦・前掲書〕。とはいえ, 男集』第2巻,筑摩書房,1962年〕
第1次大戦後の恐慌下の東北地方を旅した柳田国
男が,その時の体験をふまえて書きしるした次の 柳田がここで主張しているのは,最早あきらか ような文章は,出郷とは実質的に何を意味するも なように,農村出身の労働者は失業すれば農村に のであるかを考える一その時期と地域からして 帰るという通説(「農村過剰人ロプール論」)に対 それを一般視するには慎重であらねばならないが する批判であり,都市→農村の「帰村ルート」は 一にあたって・きわめて興味深いものがある。 通説ほどには機能していないといケ事実の確認で
ある。勿論,「帰れる故郷」というイメージを支
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える時代がまったくなかったと主張することは, 的な修正を加えるまでには至らず,それゆえにま おそらくは極論に過ぎるであろう(例えば,紡 た,実質的な故郷の喪失という現実それじたい 績,製糸および織物の繊維産業に主として多い中 は,それだけでは,「都会における『状態として 下層農家の余剰労働力としての女子労働者の出稼 の』アノミーをさしあたり昂進も解消もしない里
ぎや,炭鉱,土建等への男子労働者の出稼ぎは,
その実態からして,文字どおりの「出稼ぎ」型に ㈲見田宗介,前掲書。戦後的な意味での故郷の実質 近かったであろう)。とはいえ,明治以来第1次 的な喪失は,都市生活者をして否応なしに後方に
あるく第一の家郷〉の呪縛より「解放」するが・大戦まで,農業人口がつねに1,500万人台で安定
しかしそれら「故郷喪失者たち」の主流(典型としてきたという事実からすれば,実際には,農村 しての組織労動者=「都市中間層」)における愛の吸収しうる人口には限度があり,それゆえに永 着の方向転換は,「労働者の国民化」として総括
く過剰人口を農家に滞留させることは困難であっ される制度的条件の整備(松下圭一『現代政治の
たろうし,たとえ一部に都市→農村の「帰村ルー一 条件.増補版』中央公論社,1959年)と,「国民」
ト」を還流するものがあっても,その「大部分は 範疇に包摂された民衆の日常的消費生活に「豊か 都市雑業層の中に再流出していく」〔隅谷三喜男『日 さ」(「所得倍増」と「標準パッケージ」)を約束 本の労働問題』東京大学出版会,1967年〕ことを,余 する「消費革命」の進行,その下での実態におけ 儀なくされたであろう。そうだとすれば,そこで る「貧しさ」と「人なみ」意識をバネとする消費 の出郷は直ちに実質的には故郷の喪失に他なら 欲望の先行陸(欲望自然主義を基底とする「ボー ず,したがってまた,近代日本の都市生活者にと ム ビル型の保守感覚」に支えられた「中流化」
っての故郷は,おしなべて言えば,「遠きにあり 意識)といった布置状況の中では,多くは「個別
としてのくささやかな家郷〉の創設」(マイホーて思ふもの」(=「帰れない故郷」)であったろ
ム主義)の方向に水路づけられ,しかもそのようう。ただこの場合,「ふるさとは遠きにありて思 な生活様式なり生活水準は,現実には,「『外の世
ふもの」と齢されていた限りでは,な餐整郷は 界』とりわけ労働場におけるく靴社会〉のシ都会人にとっての精神的拠点ではありえた。 ニカルな肯定」を前提とすることによってはじめ
㈲都市生活者の意識が香後}とある故釦の呪縛から完 て担保されることから・前方にあるく第二の家 全に自由になりきれないところに呈;呉乙こそあ 郷〉(マイホ瞬ム)の呪縛が優位に立てばそれだ
「出稼ぎ型」の問題(階級意識形成の阻害要因)が け・「外の世間」とりわけ都市社会の秩序は「状
指摘されてきた。 態としてのアノミー」のままに放置されることに
なる。
「高度成長」にともなう都市化の急速な進行は,
農村の自然村秩序と大家族制の基盤の最終的な解 とはいえ,戦後的な意味での故郷の喪失は,「帰 体をもたらしたが,そのプロセスはまた,都会人 るべき〈家郷〉はもはや失った出郷者の群れのア におけるその故郷の実質的な喪失の局面でもあ ノミーの意識を切実ならしめ」〔見田宗介,前掲書〕
る。ここに,都市→農村の帰村ルートを実質的に ずにはおかない。ただ,そのような「アノミーの 閉塞された,すなわち「退路を断たれた」出郷者 意識」は,かつてのそれが故郷を離れてあること の群れの,急速にしてかつ大量な都市(三大都市 の孤独の意識から派生したものであるとすれば,
圏)への推積がはじまる。都会人にとっての故郷 戦後の「故郷喪失者」のそれは,おなじ孤独の意 は,もはや実質的にはもとより,精神的にもその 識によるものではあっても,すでに精神的にも故 拠点としての意味をここに失なう。故郷は最早 郷を失なっているがために生ずる孤独の意識であ
「遠きにありて思ふもの」ですらなくなる。しか ることにおいて,かつてのそれとは方向を異にし
しそのことは,「群化」という都市の構図に基本 ている。
鎌 田:「故郷」の社会的構成と機能 67
人は誰も ただ一人旅に出て 交渉は,都市化社会の現在にあっても縷々とつづ 人は誰も ふるさとを振りかえる いている。
ちょっぴりさびしくて 振りかえっても
そこにはた楓が吹いているだけ 「ふるさととは,マンネリ化した瞠を客観的
■ ● ■ ● o
@ にみるゆとりと,いくばくかの優しさを取り戻
せる場です。幸い老父舞も元気で待っててくれ すなわち,この詞からもうかがい知ることので
た,「日本の民衆にとってのく家郷〉の観念の意識 「故郷は私にとってエネルギーの源です。結婚されないコペルニクス的転回」〔見田宗介,前掲書〕 して東京に9年。春夏の高校野球が始じまるの過程でもある。かくして,60年代における都市
H 故郷の概念と社会的構成 現代の都市生活者にとっての故郷は,ここに示
ためて確認しようとする動機である・現実の故郷 (森順雛,浜日出夫訳r現象学的社会学』締国屋 は社会としての頬をすでに失なってV・るとして 書店,198・年)〕への回帰であり,それによって人
も・なおこのような形での都会人とその故郷との は自頒の原点を離認する.すなわち,「生き
銘 ・茨城大学政経学会雑誌 第42号
る」というζ志は「社会脅旅するゴことだとすれ をも必要としている6しかも,本人にと6て一定 ぱ・その旅の出発点でありまたその到達点となる 期間,とりわけ人格形成の主要な青少年期の生活
もの,そのようなものとして故郷はある。 体験がそこに織り込まれてこなければ,故郷(ふ 、
一 るさと)の意識(「なじみ深い土地」)は生まれ難
噸夢にきけるかな。今日もまた胸に痛みあり。 故郷という概念のもつこのような一般的意味に 死ぬならば,1ふるさとに行きて死なむと思う」 準拠していえば,故郷とはたんに土地や建物と
〔石川啄木r輩しき玩具』〕・ いったハードな物理的環境のみならず,それらハ τドなシステムを媒介にして営まれる様ざまな生 それ故,人生の終りを間近にしたとき・故郷は 活行為をも含むものであり,しかもそうしたソフ もヴ≒も鮮明かつ強烈なイメージをもって・人び トな諸活動の一つひとつがハード・システムと有 とに回想される。 . 機的に結びつきながら,それなりに有意味的な一
㌧ つめ纒りをもって人びとに「体験」されうること
「私は今草深咽舎膿たきりの生瀧して を,そ嘩本的壊件として・・課堀一郎の次の いる。そのせいか・ことさら・ふるさとが恋し ような定義は,余りにも現実の村落社会に密着し い。私のふるさとは東京の下町。井戸端会議の すぎてはいるが,そのような観点から故郷を捉え 笑い声や祭りのにぎやかな声は耳底にへばりつ ようとしたものといえよう。
き,コツ久リートのにおいは鼻に残る。中でも (7)こうした見方は,人間と空間(施設,物,その集
こまやゆなメ」青は忘れられない。なぜだか,や 合)をそれぞれ別のものとして見るのではなく,
たらとなつかしさだけが・こみ上げてくるのだ。 両者の対応関係なり「かかわり」に主眼を置くも
(農業・51才)」〔朝日新聞,前出同〕 のであり,その点においては,生活環境(問題)に
. ・ 対する主観的アプローチを重視するものである。
人は今も,故郷からたびたち,そして適わぬ願
いとは知りながらも,故郷へと還らんとする。 「郷土をささえているものとは,残留と持続,
ところで,τ故郷(ふるさと)、とは,通常の語法 すなわち伝承によってつくり上げられた『文化 に従がえば(広辞苑),「自分が生まれた土地」で :複合』と,これによって作り上げられた人格,
あり,「かつて住んだことのある土地」であり,ま 心性の相関関係なのである。郷土のもつ文化複 た「なじみ深い土地」などについて用いられる言 合と郷土的人格,心性とは,これを分析すれば 葉である。そ4)限りではジ故郷(ぶるさと)とは 先にあげた四つの成分〔自然環境,遺伝,社会 あくまでもジ特定の地理的範域を指して用いられ 的遺産,集団(社会)一引用者〕になるが,そ る言葉にすざない。だが,故郷(ふるさと)とい れらはもちろん個々別々に存在するのではな
.との「ふる」は古,旧,昔などの「ふる」とどう 家,神社,寺院,墓地といったものが,ばらば じに「経る」の意も含まれている一からして, らに客観的に存在するのではなく,それらを取
「時間的なもの」が意識されている。すなわち故 り巻いて生き,働き,話し合い,親しみ,争い 郷(ふ昼ざと)とはまた,起源的;原初的である してきた家族,同族,親戚,マキ内,村人,あ
とともに,歴史的=経過的なものを内包した言葉 るいは彼らともどもに行なってきた春秋の祭や でもある雌ゴしたがっで,、故郷(ぶるさと)はたん 年中行事,冠婚葬祭,儀礼,組内の義理,つき
なる丁出生地コ(「自分が生まれだ至地」ンである あい,共同労働や共同慣行,もしくは彼らとも ㍉
だけでなく,それに加えて,「世代的な定住事実」 どもに土地に即して語り信じてきた伝説や禁忌
、 凵@田:「故郷」の社会的構成と機能 69
やことわざ,そうした生活の万般が,土地と建 田舎の人の情のあたたかさ。私のふるさとはそ 物を中心に有機的にかかわり合い,からみ合っ の思ヤ・出にある。(主婦・39才)」〔朝日新聞,前 ている,その伝承的,類型的な生活と文化その 出同〕
もの,すなわちことばをかえていえば『郷土複
合』とでも名づけるぺきものなのである。」〔堀 このように,故郷を社会学的な意味での「生活 一郎『日本宗教の社会的役割』未来社,1962年〕1 様i式」の観点から捉らえるとすれば,たんなる場
(ある特定の地理的範域としての郷土)の存在を 更に,このように定義される故郷(郷土複合) を もって故郷を考えるだけでは不充分であり,更に 支えるものは,堀の言うところによれば,「ここに 踏み込んで,そのような場に対して抱かれる主観 おい育ち,それを身につけてきた自己の人格,心 的な感情のうちに,故郷(意識)の社会学的な意 性の自覚と反省の上に意識されてくる感情」〔堀一 味を求めなければならないであろう。すなわち故 郎,前掲書〕であり,主観のなかにいだかれるその 郷とは,社会学的にそれをみれば,人びとがある
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ような感情をとおすことによって,故郷はそのリ 特定の場所に対してもつ象徴的な愛着のことであ アリティを人びと前に現わすという。所謂「故郷 り,そこに織り込まれている生活体験を媒介にし
意識」とよばれているものがそれにあたろう讐) て感じとられるところの,意味ある纒りをもった (9) 「人間の風景」である。故郷をそのように捉える{8)それゆえ単なる「居住地愛」をもって故郷意識と
することは厳密に言えばまちが呼ある.所謂 とすれば,「特有の生活様式」に対して抱かれる
「居住地愛」はしばしば私生活合理主義の「地域 「愛着」はすなわち「故郷感情」であり・また,
社会」的次元での表現一より豊かで快適な生活 そうした感情の「型」の反省の上に自覚されるも 環境の形成一にすぎないことがある。 のを,「故郷意識」と理解することができよう。
(9}「人間の風景」という表現はBerger, R and B
このような定義からも知れるように,故郷とは Berger, Socio!ogy−ABiographcial Approach
すなわち・単なる地理的範域としての郷土一私 (、ec。。d。xp。nd,d。d、ti。。>Baci, B。。kS 197義
の家私の村や臨私の「くに」など一ではなく・ (安江孝司.鎌田彰仁.樋口裕子訳『バーガ_社会 それによって指示されるすべてのもの一一「元気 学』学習研究社,1979年)からの借用である。こ で待ってくれている老父母」「青く広い海」「手の の著のなかでバーガーらは,「社会学者がコミュニ 届きそうな山」「肉親と友人たち」「井戸端会議の ティについて語るとき・彼らは,イメージをより 笑い声」「祭りのにぎやかな声」「コンクリートの 鮮明にするために・コミュニティということばの におい」「下町のこまやかな人情」「夏の一夜のホ かわりに人閲の風景ということばを使うこともあ タル」「田舎の人の情のあたたかさ」等々一で る」と述べている。だが・本稿での用法は・単に あり,つまりは,他人からみればどれもが些細で (コミュニティの)「イメージをより鮮明にするた
め」という便宣的な理由からだけではなく,沢田はあるが,本人にとっては重要な要素からなり,
充茂のいう『認識の風景』(岩波書店,1975年)そこに愛着がこめられでいる「特有の生活様式」
ノほかならなレ㌔ という鰍をそこ}こ含ませ・むしろその点を鰹
主張しようとするものである。沢田は,「私が私の 風景をもっているということは,そのなかで私が
「私のふるさとは,一一枚の絵である。戦争中疎 生存することができるためのもの」であり,「あら 開した母の田舎で,五歳の私が経験した夏の一 ゆる日常生活といわれるものに共通な性格とは,
夜のホタルの飛びかう絵である。暗やみの中, それぞれの人にとってその環境の風景が安定して
踊る光に囲まれ,息をつめて見つめたあの情 いるということである」と述ぺ,私の風景の知覚
景,あの驚き・G・それとともに思い出される と私の生活の行動との根源的なつながり,更には
70 茨城大学政経学会雑誌 第42号
人間の環境の風景は自然の風景に重ねて文化Q風 し,多少とも同質的な有意性体系に基づく関心 景をもっていることを指摘する。本稿はこのよう を共有することであり,さらにジ第一次的な関 な意味において「人間の風景」という言葉を用い 係での行為者が互いの思考の展開を,進行して るものである。 いく出来事として受けとめ,計画や希望や不安 ところで,故郷とはこのように,生活と文化と といった未来の予測を共有することで,互いを に結びついている何ものかの象徴であり,それに 一つの生き生きとした現在における独自な人格 対する「愛着」が故郷意識(感情)だとすれば, として経験することであり,最後に,各々の行 人びとにそのような愛着の念をよび起こすような 為者がわれわれ関係を,もしそれが中断された 態度の源泉はいったいなにか。言うまでもなく, なら再生し,中断がなかったかのように継続す
「兎追いしかの山」「小鮒釣りしかの川」そのもの るチャンスをもつ」〔A・Schutz, oρ ∫ム〕
は単なるシンボルにすぎず,それじたいとしては
何ら実質的な内容を含むものではない。とすれ ということ・これである・それ故「故郷(ふるさ ば,そうしたシンボルが指示しているところの対 と)」とは・ここで改めてそれをみれば・「純粋な 象は果してなにかということを,あらためて確定 われわれ関係」に支えられたこのような生活共同
しておくことが次の問題となろう。 の象徴的表象そのものであり・それへの「愛着」
さて,人びとに「愛着」の念を惹き起させる対 としての「故郷意識」とは,取りも直さず,故郷 象や実在がシンボルであるとすれば,それによっ の生活共同とそれを支える社会関係そのものに対 て指示されるものの本質的な性質は,その性質か する愛着に他ならない。
らして,「自己」一「他者」間で情報的に伝達され こうした故郷の生活共同のなかで人は,生活と
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驕u配慮関心の相互的流れ」を保証し,人ぴとを 風土の具体に根ざした土地・施設の体系とそれに 故郷の象徴的秩序の内に統合化しうるものでなけ 有機的に結びついたフォークウェイズ(慣行習俗)
ればならない。そのような機能要件をよく充足し とを媒介としながら・地縁というヨコ糸(空間軸)
ているものは,社会学的な見地からすれば,様ざ をとおして他者(「仲間の人間」)と結びつき,歴 まなシンボルをとおして人びとに回想される故郷 史のタテ糸(時間軸)をとおして過去(死者,先 での生活共同であり,それを支えるところの「社 祖)とつながり,その両軸の交点(故郷社会の 会(関係)」を措いて他にはない。なかんずく, 現在)において・社会的に定義された存在証明 あらゆる社会関係の原基であるところの「永続的 (Identity)を体験的に了解する。また,そのよう で完全に連続した第1次的対面関係」(「純粋なわ に存在の価値と意味が社会的に自明なものとして れわれ関係」)の存在が,人びとに「場所に対す 共有されうるところでは,個人の「生」はくどこ る象徴的な愛着」の念をよび起こす社会的源泉に から〉〈どこへ〉(確㌔ウエーバー)という時間軸 他ならない。したがって,人びとの態度に「愛着」 に沿って共同態的に意味を賦与され,翻ってそれ の念をよびさまず故郷での生活共同は,理念型と が空間軸の上に投射されることによって,他者と
してそれを概念化するならば「純粋なむ彫ウれ関 の共同性(故郷社会の「仲間の人間」との生活共 W」のなかでの生活ということになる溺老のよ 同)を支える社会関係一家族同族親戚・マ
キ内,村人などと共に行なってきた祭や,年中行うな「生活様式」が社会学的に意味する(実際に
サうでない場合には少なくとも潜在的に)ところ 事,冠婚葬祭儀礼,組内の葦翠,つきあン ,共
同労働や共同慣行など一の意味もまた,「仲間のは, 、
人間」とともに語り信じてきた伝説や禁忌や諺な
「他者と共に空間と時間の一部を共有し,自己 どをとおして,(故郷社会の)「歴史」の文脈の内 喝
をとりまく対象を可能な目的や手段として共有 部に繋ぎ止められることになる。しかも,そのよ
鎌 田:「故郷1の社会的構成と機能 71
うな故郷の生活共同と社会関係が,実際に,住民 1975年)および「労働組合と仕事の規制」(『日本労 の地域生活における自律的・伝統的な生活組織と 働協会雑誌』No・249・251)や「大手(新鋭)製鉄
しての「ムラ」と,そのムラを構成する住民の人 所の労働者と労働組合」(鉄鋼労連・労働調査協議 間関係の範囲に完結する度合が強ければそれだけ 会,1977年)における「企業共同体」の存立構造 いっそう,それはたんなる郷土であることにとど をめぐる実証研究など名あげることができよう。
そのほか,熊沢誠の一連の労作一山なかでもイギまらず,そこに住む人びとの定着した生活の全体
リスの労働者階級の内部に本稿の言う意味での性に関わりをもち,かれらに相対的にではあれ,
独自秘「価値感馳り「文化」を培うところの 齢晶簾灘繍醐鷺厳谷「社会」(生活共同態)となろう。そのために,故 本評論社,1976年)およびそのネガとしての「組
郷意識(理念型としての)基底には必らず・「文化 織労働者の存在とエトス」(r展望』,第226号),『組
と生活とを紐帯とする『われわれ』の意識」が働 織労働者の戦後』(『月刊労働問題』,Nα256_
らいている。 257),内藤則邦の『イギリスの労働者階級』(東
洋経済新報社,1975年)に関するシャ「プな分析(10)このような意味での「社会」を原基形態として措 なども,生活共同態の視角を練り上げるにあたっ 定し,そうした視角(=生活共同態)から社会集 て示唆的でるあ。
団を分析することが,本稿全体を支える基本的な
問題意識である。それ故,「故郷社会」の概念はあ このように,故郷とはそれを分析すれば,そこ くまでも方法概念であり,現実の村落社会はその に共住する諸個人相互の自発的な関係に還元して 意味において・その概念構成のための一モデルと は説明することのできない,その意味で創発的で
して位置づけられている・こうした問題視角を 集合体的な性格を属性とするところの,独自に実 ストレートに示しているのが所謂「コミュニティ 在する「社会」である。しかも,それを「社会」
論」であるが,しかしその中で,.有弩亭左衛門や ならしめている本質的な要素は,そこが「安住の
中野卓らの研究業績あるいはきだみのるの『にっ 地」(P.L.バーガー) 「存在の価値と意味のぼん部落』(岩波新書,1967年)などに見られる 究極的な投錨点」でありそれ故にまた「世界の内ように,日本の社会と心性の実相にせまって現代
で自分が置かれている位置を見出すために置く座日本のコミュニティを解明してみせた業績を越え
標系のゼロ点」一であるという意識を人びとにるものは,現時点においてはきわめて少ない。ま
た,職域社会に生活共同態的な視角を自覚的にも よびおこすような・独自の「集合意識」(「われわ
ちこんだ先行研究としては,代表的には,尾高邦 れ」の意識)に他ならない。故郷社会の生活共同 ● ● ● ● ●
雄の「職業と生活共同態一出雲地方の鉱山につい と社会関係を「共同態体験」一「われわれ」意 ■ ■ . ■ ■ ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●
て」(『職業の倫理』中央公論社,1970年・再刊), 識への諸個人の社会的=道徳的コミットメントと
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松島静雄の『友子の社会学的考察一鉱山労働者の 「われわれ」志向の成員諸個人による共有一と 営む共同生活体分析一』(御茶の水書房,1978年・ して可能にする社会学的な根拠はそこにある。そ 再刊)や『労働社会学序説』(福村出版1951年)・ の意味で,故郷社会(Home World)とはすなわ 間宏の『日本労務管理史研究』(御茶の水書房・ ち,そこに共住する諸個人によって共同主観的に
1978年゜再刊)・北川隆吉らによってなされた一@ 客観化されたコミュニティであり,更にその現実
連の労働社会学的研究・調査一とりわけ本稿の 的構成の情報論的基礎に着目して言えば,「意味
問題脇からして示唆的なのは「富士フィrノレム労 のコミュニテ≠12(。。m_i、y。fm。。ni。g)槻 働組合員の意識と実態」(1962年)一・近年で
定されるようなものである。は,稲上毅の動労調査をとおして解明された「庫
コミュニティ論」(「労働意識からみた労働組合の ⑳「意味のコミュニティ」とは,ある特定のシンポ
構造と機能」動力車労働組合,労働調査協議会, ルに対して付与される「意味」が成員個人に共有
72 茨城大学政経学会雑誌 第42号
されており,それへの社会的=道徳的なコミット 故郷という対面社会は,いま述ぺたような意味 メントが(顕在的にか潜在的にかはともかく)そ での,人間存在の根本的性格を保証する基本単位 こに認められる・ある特定の「制度化された」状 である。ある青年アスピラントの,地方から中央 態を指す。このような観点を理論的に基礎づけた への移動体験に基づく次のような述懐は,故郷社 のは・言うまでもなく・マックス゜ウェ脚バ嗣を 会が人間に対してもつこのような側面について
始祖とする広義の主観主義社会学(狭義にはG°@の,具体に則した一つの例証といえよう。
H・ミードを始祖とするシ「ンボリック相互作用
論」などをあげることができるが)の流れである@ 「私は,人口2千ぐらいの村と,人口15万ぐらいが,しかし「制度化された意味」のもつ社会学的
の小樽とで暮していた。その小樽では,村の生機能を解明してみせたのは,ウェーバーというよ
活ほど通る人が顔見知りでなくとも,12町行けりはむしろデュルケム(更にはパーソンズ)の業
績に帰されることも,あわせて付け加えておこう。 ば顔馴染の本屋や親戚や友人の家があり・賑や かな通りを歩けば時々知人に逢い,自分が生き
ており,それを他人が知っており,通りがかり皿 故郷社会の形成機能
に見る家はみな見覚えのあるものだった。そし
「人間であるということは・一つの世界一つ て,自分がいまそこに生きていることが風景や まり・秩序立てられた現実,生きることに意味 建物や人間などから,いつも確実に帰納された。
を与えてくれる現実一の中に住むことを意味す 私は東京でその自分の存在を保証してくれる標
る」〔Berger・P・・B・Berger and H・Kellner・oρ ∫ム〕 識を失ったのであった。たがいに知らざる人間一人間存在のこうした根本的性格を,ここで の限りない流れは,ちょうど海の上で,海水の は,現象学的社会学のテクニカル・タームになら ひろがりが非人間的な巨大な影の怖ろしさを感 って,「生活世界」という言葉で表現することにし じさせるように,私を恐怖させた」〔伊藤整『若 よう。 い詩人の肖像』新潮文庫,1958年〕
生活世界は,最初に述べたように,その起源に
おいても,またそれを維持する点においても,本 これからも知れるように,人は故郷社会での生活 質的に社会的である。すなわち,「それが人間生 共同をとおして,幾多の個別的な体験を蓄積し,
活に付与する意味秩序は,共同体的に形成され 「思い出」を積み重ねていくことによって,そこ たのであり,共同体的合意によって維持される」 にある生活と風土の具体に根ざした「自然の風
〔Berger. P., B Berger and}1. Kellner, oρ 幻ので 景」や,「仲間の人間」の個別的な生活の合成であ
ある。そうだとすれば,他者の生が彼自身の伝記 るところの「人間の風景」との,心理的な同一化
(12)
の一部となり,それゆえにまた,彼の生活史の構 (identification)を深めていく。 また,そうした 成要素となるような世界一「純粋なわれわれ関 「自然の風景」や「人間の風景」との心理的な同 係」に支持された対面社会としての故郷社会は, 一化をとおして人は,故郷社会との社会的絆を強 その社会的構成の特質からして,生活世界として めていくことができる。こうして・そこに生活を の機能要件を最もよく充たしている社会空間の一 共同にする人びとにとっての故郷社会は・たんに つと言えよう。それゆえ,「秩序立てられた現実」 (デュルケムの言う意味での)客観的事実である
「生きることに意味を与えてくれる現実」の中に に止まらず,そこに土地や施設と有機的に結びつ 住むことが「人間である」ことの根本的な性格だ いた「体験」や「思い出」が織り込まれることに
とすれば,そのことはまずなによりも,故郷とい よって,主観的な事実としても人びとの内面に
う対面社会において最とも確実に保証されるであ 定着していく。先の青年アスピラントの述懐
ろう。 「自分がいまそこに生きていることが風景や建物
鎌 田:「故郷」の社会的構成と機能 73
や人間などから,いつも確実に帰納された」一 としての輪郭をそこに認めるようになる。その意 に含まれている社会学的含意の一つはここにあ 味で故郷と人間の関係は,常識的な言い方ではあ る。 るが,空間が人をつくり,人が空間をつくるとい
う弁証法的な関係にある。
(12)ここでいう「同一化」とは,対象に共感を抱だき, ところで,自分の置かれている生活空間の境界 対象の行動,姿勢,態度などを,その場の状況と
を知ることは,「ムラ境」にまつわる観念や信仰のともに,自己の内部に取り込むことを意味する。
この同_化によって統合されたイメ_ジが精神 もつ社会的機能からも解るように,言わばその社 の統合性を形成するための前提となる(藤岡喜愛 会の枠組を理解することでもある。また人は・そ
『イメージと人間』日本放送出版協会,1974年)。 うした生活の社会的枠組を理解することによって はじめて,(故郷という)「場所」を熟知すること だが・「自然の風景」や「人間の風景」などか ができるようになる。しかも,「場所を熟知するこ ら,「自分がいまそこに生きている」ということが と」は,生活空間を客観的に所与のものとして受
「帰納」されうるためには,言葉を換えていえば, 動的に受容するのではなく,それを有意味的に連 客観的事実として諸個人に外在的な故郷社会が, 関づけられた一佃のシステムとして主観的に再 主観的事実としても人びとの内面に取り込まれて 構成していくための,認識論的な先行条件でもあ
(13)
いくためには,故郷という生活空間の全体的な展 る。 しかし,「場所を熟知すること」の人間に対 望を,自分の体験に裏うちされた具体的なイメー してもつ意義は,それだけではない。その点につ ジを伴なったものとして,それを理解的に把握す いて,ドイツの女性社会学者F・レンツ=ローマ ることができなければならない。そのためにはま イスの言葉を借りて言えば,.「『場所を熟知するこ た,故郷での「体験」や「思い出」を断片的なも と』は,人間の成長の過程で,情操を育てる意味 のとして拡散化させることなく,それらを故郷社 から必要であり,そして自分の環境に馴れ親しめ 会の社会的脈絡の中に位置づけ,総体として有意 るようになることは,種々の関係を結ぶための前
味的な文脈を構成するようなものとして蓄積して 提となる」〔F.Lenz−R。meiB, Die Stadt−Heimat。der いくことが,そこで可能とされていなければなら Du「chgangsstation 2・Ve「1ag Geo「9 D・W・Callwey,ない。 1970・武基雄i。伊藤哲夫訳『都市は「ふるさと」か一』
故郷は,こうした二つの要件を兼ね備えること 鹿島出版会・1978年〕ものである。言うなれば,人 によってはじめて,そこに生活を共同する人びと 間(とりわけ青年子女)の自己形成と社会秩序(社 によって社会的に構成された小宇宙となり,「自分 会関係)の形成にとって・「場所を熟知すること」
の存在を保証してくれる標識」のある有意味的な は精神力学的に重要な意義をもつ一ロ・一マイス 場所・空間として,人びとのまえにそのリアリテ 女史の強調するところはこれである。先に登場し
イを現わす。故郷に暮らす人びとは,更にこうし た青年アスピラントの・「私は東京でその自分の存 た社会心理的なプロセスをとおして,自世界と別 在を保証してくれる標識を失った」一この言葉 世界とをはっきりと区別し,自郷と異郷とを厳然 はそのまま・故郷社会が人間の自己形成にどれだ と区画する社会的標識一例えばかっての村落社 け深甚な影響を及ぼすものであるかを・単的に物 会に見られた「道切り」「虫送り」あるレ・は「道 語っている一とい密懐は,それをよく例証し 祖神」などの,所謂「ムラ境」にまつわる観念や てはいないであろうか。
信仰がそれであり・それらは故郷を社会的に枠づ (13)生活空間が「ふるさと」あるいは「郷土」とよば けるための社会的シンボルとして機能していたで れる一定のまとまりのある知覚的な地域として,
あろう一を体験的に学習し,その積み重ねをと 意識の中にある程度積極的な意味をもって顕在化
おして(前節で述ぺたような意味での)「社会」 してくるのは,一説によれば,多くの場合中学校
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● ● ● ●
入学時頃からだと言われている。だがいずれにし 会的障壁として観念されていることを反映するも ても,人間は所与の環境を,例えば写真や通常の のであり,白人=南地区と黒人=北地区との心理 地図のように,「客観的」に受容・認識している 的距りをあらわすものと言えよう。(以上は斉藤 わけではない。例えば,アメリカのボストンにお 毅「子どもの郷土意識の形成」『ジュリスト・増
ける子供のメンタル・マップに関する調査例は・ 刊総合特集No.18』有斐閣による)。こうした点を具体的に立証している。すなわち・ (14)例えばこの点に関わって,「世界像にたいする自己
㈹・⑬両図とも黒人の子供の描いたメンタル・マ 像の形成は……,人類にとって同種間の関係,す ップであるが,この2人の子供は,図中のパーカ なわち社会環境によって影響される。世界像と自 一通りの北側にある黒人街に住んでいる。両図に 己像を主体の内界において分化することが,人類 共通していることは,通りの北側がかなり詳細に にとって外界を環境としてとらえることの出発点 描かれているにもかかわらず,南側一一そこは白 となり,それはヒトの生長の過程では3才ごろに 人の居住地区なのであるが一はほとんど空白の はじまる・一。としてみると,環境観を形成する
ままになっていることである。とくに⑬図では, ことが人類の精神の基本となっている,……。」南側の地区が単に空白のままであるだけでなく, (石毛直道編『環境と文化一人類学的考察』日本
両地区を分かつパーカー通りが図の約4分の1を 放送出版協会,1978年)という指摘もまた,本稿
占めるほどまでに拡大されている。このことは, とは方法論を異にするが,「場所を熟知すること」黒人の子供の心の中では・「通り」は単なる物理的 のもつ精神力学的な意義を考えるにあたって示唆
施設としての道路ではなく・両地区を分かつ越え 的である。 ●
難い一とくに黒人の子供たちにとっては一社
子どもの描くメンタル・マップの一例
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このように,「場所を熟知すること」のもつ精神 殊更に大きなものがある。その意味で,「自分の存 力学的な意義は,人間の自己形成にとっても,社 在を保証してくれる標識」のある場所・空間一 会の秩序形成に対しても,決して小さくはない。 故郷社会を,その社会的構成の属性的な性格と機
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