• 検索結果がありません。

山口県東光寺開作田地取戻訴訟について

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "山口県東光寺開作田地取戻訴訟について"

Copied!
34
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

    目

    次     は じ め に 一

  山 口 県 東 光 寺 開 作 田 地 と は 何 か

(  1

) 東 光 寺 の 沿 革

(  2

) 長 州 藩 の 開 発 田 地

(  3

) 明 治 三 年 の

「 采 地 返 上

」 二

  開 作 田 地 取 戻 訴 訟 の 概 要

(  1

) 山 口 始 審 裁 判 所 の 判 決

(  2

) 広 島 控 訴 裁 判 所 の 判 決

(  3

) 大 審 院 の 判 決

(  4

) 差 戻 審

─ 大 阪 控 訴 院 の 判 決 三

  地 所 見 認 方 請 求 訴 訟 の 顛 末

(  1

) 東 光 寺 側

「 説 明 願

」 と 山 口 始 審 裁 判 所 の 命 令

(  2

) 地 所 見 認 方 請 求 訴 訟 の 提 起

(  3

) 山 口 始 審 裁 判 所 の 判 決

─  ─

(      

─  ─ 25

山 口 県 東 光 寺 開 作 田 地 取 戻 訴 訟 に つ

い て

矢     野   達  

    雄

五 二

〇 二 五 四

(2)

    む す び

【  史 料

】    

① 大 審 院 判 決

( 明 治 一 九 年 三 月 六 日

) 抜 粋    

② 大 阪 控 訴 院 判 決

( 明 治 一 九 年 七 月 八 日

) 抜 粋    

③ 地 所 見 認 方 請 求 訴 訟 第 一 事 件

、 山 口 始 審 裁 判 所 判 決

( 明 治 二 二 年 一 二 月 二

〇 日

) 全 文

は じ め に

  明治 維新 後の 地券 交付

、地 租改 正作 業は

、封 建的 領有 制を 解体 し近 代的 所有 権制 度を 確立 する 第一 歩で あっ た。 しか し 土 地制 度上 の大 変革 であ った ため に、 具体 的作 業と くに 当該 土地 の所 有者 認定 をめ ぐっ ては

、各 地で 多く の紛 議と 混乱 が 巻 き起 こっ た。   本稿 では

、山 口県 の開 作( 開墾 地の こと

)田 地の 所有 権の 所在 をめ ぐっ て、 村民 と寺 院の 間で 巻き 起こ った 訴訟 事件 を 紹 介し

、若 干の 検討 を加 える こと とし たい

。地 券交 付時 には 旧藩 時代 の名 寄帳 を土 台に 農民 たち 一一

〇名 余の 所有 権が 認 め られ 地券 発行 がな され たが

、明 治一

〇年 代に なっ て突 如寺 院側 から 異議 が申 し立 てら れ、 大審 院お よび その 後の 控訴 院 へ の差 戻し 判決 の結 果、 寺院 の所 有権 が認 定さ れた

。し かし

、取 戻し の実 施を めぐ って 再び 訴訟 が勃 発、 その 結果 寺院 側 は 田地 の取 戻し に失 敗す ると いう 紆余 曲折 の経 緯を たど った

。   な お私 は、 本 件 訴訟 の存 在 を山 口地 方 裁判 所所 蔵 の

「( 未 確定

) 民事 記

を点 検中 知 った

。 明 治期 の民 事判 決 原本 を 閲 覧す る方 法と して

、国 際日 本文 化研 究セ ンタ ーの 運営 する 民事 判決 原本 デー タベ ース を利 用す る方 法が ある

。本 件訴 訟

( 1

録)

論     説

修 道 法 学   四 二 巻   二 号

(      

) 五 一 九 二 五 三

(3)

関 連 判決 の多 く は同 デー タベ ー スか ら閲 覧す る こと も可 能 であ るが

、 前 記

「( 未 確定

) 民事 記 録」 を 参照 す ると

、 判決 だ け から はう かが い知 るこ との でき ない 事情 も見 えて くる

。そ のあ たり にも 言及 した い。

一 山 口 県 東 光 寺 開 作 田 地 と は 何 か

( 1 ) 東 光 寺 の 沿 革

  東光

、山 口県 萩市 椿東 椎原 に所 在す る黄 檗宗 の寺 院で ある

。元 禄四 年( 一六 九一 年) に萩 藩三 代藩 主  毛利 吉就 が 開 基と なっ て創 建さ れ、 同寺 は長 州藩 毛利 家の 菩提 寺で あっ た。 東光 寺は

、厚 狭郡 松屋 村山 廉( 山口 県下 関市

)に あっ た も のを 引き

、そ の規 模は 宇治 の万 福寺 を模 して 造立 され たと 伝え られ る。   享保 一八

(一 七三 三) 年四 月、 東光 寺に おい て寺 内に 開山 堂が 建築 され た。 開山 堂に は、 奇数 代の 歴代 藩主

(三 代吉 就、 五 代吉 元、 七代 重就

、九 代斉 房、 一一 代斉 元) と夫 人の 墓が ある ほか

、こ の墓 所の 手前 に第 一次 長州 戦争 の責 任を 負っ て 切 腹を 命じ られ た三 家老 はじ め維 新の 殉難 者の 墓も ある

。   開山 堂を 永遠 に保 持す るた め、 翌享 保一 九年 佐々 並村 に田 地七 町五 反歩 が開 拓さ れた

。そ の内 二町 五反 歩は 藩庁 に献 納 さ れた が、 残り 五町 歩は 佐々 並村 の村 民に 割り 当て られ

、村 民た ちの 納め る「 加調 米」 で開 山堂 永遠 の修 補料 に宛 てる こ と とさ れた

。こ の五 町歩 が、 本件 一連 の訴 訟で 争わ れる こと にな った

( 2 ) 長 州 藩 の 開 発 田 地

  山口 県を 旅行 して いる と、 あち こち で開 作と いう 地名 に出 くわ す。 この よう な開 作地 名の 多さ は、 近世 の長 州藩 が新 田

( 2

寺)

─  ─

口 県 東 光 寺 開 作 田 地 取 戻 訴 訟 に つ い て

( 矢 野

(      

─  ─ 27

一 八 二 五 二

(4)

開 発に よる 耕地 拡大 に熱 心に 取り 組ん だこ とを 示し てい   以下

、石 川卓 美氏 の労

より なが ら、 同藩 にお ける 新田 開発 の概 要を 整理 して おこ う。 石川 氏に よれ ば、

「 開作

」は

、 公 営の 新田 開発 を指 す用 語で あ

こ れに は、

「 公儀 開作

」と

「家 来拝 領開 作」 の二 種が ある

。こ のう ち、

「公 儀開 作」 は 蔵 入地

〈公 領〉 の拡 大を 志向 する もの であ り、 いっ ぽう

「家 来拝 領開 作」 は従 属家 臣が 藩の 許可 を得 て行 う開 作、 即ち 給 人 知 行新 田の 開 作で ある

。 こ れに は、 知行 所の 区域 内 で行 う

「 傍示 物切 開 作」

、 と くに 勤功 の ある 者に 新恩 加 給の 意味 で 開作 地を 付与 す る

「勤 功開 作

」、 無 給 地の 小身 衆 に給 与是 正の 意 味で 行う

「歩 戻開 作」 の 別 があ る。 ま た 知行 権に は 関係 がな いが

、藩 士が 篤志 によ って 行う

「御 馳走 開作

」も

、家 来拝 領開 作の 一種 と言 え 本  件は

、東 光寺 開山 堂修 補の ため 安定 的財 源を 確保 する 目的 で長 州藩 の支 援を 背景 にな され た開 拓事 業で あっ た。 これ は、 右 のカ テゴ リ ー中

「 公儀 開作

」 に属 する が

、 それ に加 え

( 主体 が、 家 来で はな く 寺院 であ るが

)「 拝領 開作

」 の性 格 も有 し、 双方 の性 格を もっ た開 作と 言え るの では なか ろう か。 な  お開 作に あた って 重要 なこ とは

、そ の労 働力 と費 用を どの よう に調 達す るか とい うこ とで ある

。石 川氏 によ れば

、新 田開 発そ のも のは 小規 模の もの は百 姓請 負、 大規 模の もの は富 農商 請負 によ って 行わ れ、 おお むね 百姓 名田 の拡 大と なる

。 この 場合

、開 作地 に領 主権 をも つ給 人は 百姓 の投 下資 本や 労力 を補 償す るた め免 租期 間の 鍬下 年季 を認 める こと があ る。 家来 開作 の場 合、 藩士 の直 営は 例外 に属 し、 一般 には 百姓 の自 家労 力と 資材 の投 入に よる 個人 請負 もし くは 村受 開作

、あ るい は富 農商 の請 負開 作に なる

。家 来開 作─ 給人 知行 新田 にお ける 開発 資本 の形 態に は、 給人 直営 の場 合、

①自 己資 本、

②借 入資 本の 二つ

、さ もな くば 農商 出資 によ る請 負と なる

。小 規模 の場 合は

③百 姓自 力請 負、 ある いは

④寄 り合 いの 村請

、 大規 模の 場 合は

⑤富 農商 の請 負と なる とい う。

( 3

る)

( 4

作)

( 5

る)

( 6

る)

論     説

修 道 法 学   四 二 巻   二 号

(      

) 五 一 七 二 五 一

(5)

  百姓

=農 民に よる 自力 開作 を除 いて

、必 要と され る資 本の 提供 につ いて は、 藩・ 給人

・富 農富 商な どさ まざ まな 主体 が あ りう るが

、開 墾・ 開拓 に従 事す る労 働力 を提 供す るの は百 姓= 農民 のほ かに あり えな い。 とす れば

、労 働力 の提 供に ど の よう な見 返り を与 える かが 重要 とな る。 鍬下 年季 の許 与、 強力 な耕 作権 の承 認、 事実 上の 所持 権承 認な どさ まざ まな 形 態 があ りえ たで あろ う。 本件 の場 合、 どの よう な措 置が とら れた か、 慎重 に見 きわ めな けれ ばな らな い。

( 3 ) 明 治 三 年 の 「 采 地 返 上

  明治 二( 一八 六九

)年 一月 二〇 日、 薩長 土肥 の四 藩主 は、 連署 して 版籍 奉還 を上 奏し た。 天皇 から 各藩 主が 預か った 版 土

(土 地) と戸 籍( 人民

)を

、朝 廷に 返上 する とい うの が名 分で あっ た。 同年 六月

、諸 藩主 の上 奏は 聴許 され

、藩 主は 領 地 の支 配権 を失 うこ とと なっ た。 しか し旧 藩主 は各 藩知 事に 任命 され たの で、 政府 から 任命 を受 けた 行政 官と して

、ひ き 続 き旧 藩領 域に 施政 権を 行使 した

。こ の改 革を リー ドし たの は長 州藩 の木 戸孝 允で あっ   長州 藩に おけ る知 行制 は、 土地 知行 が原 則で あっ たか ら、 家臣 の采 地も 返還 され るこ とと なっ た。 これ が「 采地 返上

」 で ある

。林 元は

「山 口藩 の

『采 地返 上』 の 仕法

」 に おい て、

「『 采地 返上

』 は家 臣の

『采 地』

(給 地) を 没収 し、 蔵 入地 に 編 入 する 政策 で ある

。『 采地 返上

』 に より

、 全て の 家臣 は給 地と 給 地支 配に 伴う 権 利・ 義 務を 失 うこ とと なる

」 と 述べ て い

ここ で、

「 采地 返上

」を 命じ た明 治三 年五 月二 五日 の藩 府の 指令 を引 用し てお こう

。   先  般采 地惣 而返 上被 仰付 候付

、御 家来 中勤 功開 作歩 戻開 作傍 示開 作等 拝領 分与 等ニ 而所 持之 分不 残被 召上 候、 尤既 ニ 開 作取 懸リ 居未 タ一 ヶ年 も内 所務 無之 分、 改而 御馳 走開 作之 願替

、又 ハ地 下人 ヨリ 鍬下 等ヲ 以開 立願 出候 儀勿 論不 苦 候

( 7

た)

( 8

る)

( 。

事)

─  ─

口 県 東 光 寺 開 作 田 地 取 戻 訴 訟 に つ い て

( 矢 野

(      

─  ─ 29

一 六 二 五

(6)

「  采地 返上

」 の 結果

、 藩 内は すべ て 藩の 直轄 支 配に 改め ら れる と同 時 に、 下 地知 行 権に 付随 し て、 藩 士に 優 先権 を認 め て いた 新田 開発 の制 度も 廃止 し   この よう に家 臣の 采地 はす べて 没収 され

、開 作田 地に つい ても 全て の権 利は 収公 され るこ とに なっ た。 本件 との 関係 で は

、東 光寺 が自 己所 有と 主張 する 開作 田地 にも この 段階 で「 采地 返上

」処 分が 及ん だの では ない か、 とす れば 東光 寺は 所 有 権を 失な った ので はな いか とい う問 題点 が浮 かん でく る。

二 開 作 田 地 取 戻 訴 訟 の 概 要

( 1 ) 山 口 始 審 裁 判 所 の 判 決

  明治 一五

(一 八八 二) 年、 山口 県阿 武郡 椿郷 東分 村東 光寺 の住 職森 田松 嶺は

、同 郡佐 々並 村に 居住 する 平民 ID 米蔵 外 六 一 名お よび 同 村平 民 SK 定一 外 四八 名を 相 手取 って

、「 開作 田 地取 戻 ノ訴 訟」 を 山 口始 審裁 判 所に 提起 し た。 こ れ に対 して 始審 裁判 所は

、明 治一 六年 三月 一四 日「 原告 請求 は相 い立 たず

」と の判 決を 下し た。 始  審裁 判所 の判 決書 は、 きわ めて 簡潔 であ る。 これ に よる と、 原告 東光 寺は 係争 の五 町歩 の地 所は

、東 光寺 が自 費で 開 墾 した ので

、所 有権 は原 告に ある と主 張し たよ うで ある

。一 方被 告村 民側 の主 張は 記載 され てい ない

。   原告 の主 張に 対し て裁 判所 は、 原告 は地 券改 正〔 地租 改正 のこ とか

─矢 野〕 の際 や、 また 明治 六年 寺院 所有 の「 田圃 建 造 物諸 器檀 家よ りの 寄付 帳」 届け

際も 等閑 視し

、明 治十 四年 十一 月の 勧解 出願 に至 って はじ めて 係争 地の 所有 権を 主 張 した もの であ り、 また その 地所 開墾 の入 費を 支払 った こと を示 す証 拠も ない ので

、原 告に 所有 権が ある と認 定す るこ と は でき ない との べた

た10

( 。

出11

論     説

修 道 法 学   四 二 巻   二 号

(      

) 五 一 五 二 四 九

(7)

  本判 決は

、き わめ て簡 潔で ある ので

、あ まり 付け 加え るこ と もな いが

、判 決文 中「 原被 告相 争フ 所ノ 反別 五町 ノ地 所ハ 旧 山口 藩ニ 於テ 采地 返還 ノ部 ニ取 調タ ルモ ノナ ルヤ 否ヲ 認ム ヘ キ 確 証 無 キ モ

」 と あ る、 す な わ ち 裁 判 所 は

、 明 治 三 年 の

「采 地返 還」 処 分が 本件 の行 方に 係わ る可 能 性が ある との 認識 を 示し てい るこ とに 注意 した い。

( 2 ) 広 島 控 訴 裁 判 所 の 判 決

  始審 判決 に対 し、 東光 寺側 は控 訴し た。 被告 は、 佐々 並村 平 民S K定 一外 一一 三名 であ る。 控訴 審を 担当 した 広島 控訴 裁 判所 は、 明治 一七 年六 月一 七日 東光 寺側 の控 訴を 棄却 した

。   判決 では

、五 町歩 の開 作田 地の 原由 は、 毛利 家よ り東 光寺 開 山 堂 修 補 料 の た め 成 立 し た と 認 定 し た あ と

、 甲 四 号 証 の

「延 享元 年甲 子当 国山 内縫 殿以 為 祠 田ノ 豊凶 常住

闕 余

悉 入

田 於

十二

」を 引用 し て延 享元

(一 七 四四

)年 以降

、該 田 はこ とご とく 官の 支配 に置 かれ るこ と にな った と認 定し た。 この 場合

「官

」と いう のは

、長 州藩

─  ─

口 県 東 光 寺 開 作 田 地 取 戻 訴 訟 に つ い て

( 矢 野

(      

─  ─ 31

一 四 二 四 八

東光寺開作田地訴訟年表 1691(元禄4)年 東光寺創建

1733(享保18)年4月 東光寺内に開山堂を建築

1734(享保19)年 佐々並村に田地7町5反歩を開作、うち5町は村民に割当 1744(延享元)年 佐々並村開作田地を「官」に編入

1747(延享4)年 洪水により開作田地破壊、復旧に東光寺出資

────────────────────────────────────

1869(明治2)年1月 版籍奉還上表、6月 同聴許さる 1870(明治3)年5月 山口藩、采地返上処分

1871(明治4)年7月 廃藩置県

1873(明治6)年7月 地租改正、開作田地は佐々並村民に地券交付 1881(明治14)年 東光寺、開作田地の件につき勧解を出願、不調となる 1882(明治15)年 東光寺住職森田松嶺、佐々並村民117名を山口始審裁判所に提訴 1883(明治16)年3月14日 山口始審裁判所判決、原告東光寺側敗訴

1884(明治17)年6月17日 広島控訴院判決、原告東光寺側の控訴を棄却 1886(明治19)年3月6日 大審院判決、原審を破棄、大阪控訴院に差し戻す

    〃    7月8日 大阪控訴院判決、東光寺の所有権を認める

    〃    8月2日 東光寺側代言人、大阪控訴院長あて「御説明願」を提出 1887(明治20)年2月8日 山口始審裁判所、「裁判執行命令書」を提示

    〃    8月4日 東光寺側、裁判執行願を一時取り下げ 1889(明治22)年12月20日 山口始審裁判所、地所見認方請求訴訟判決

       ……東光寺側請求を斥ける

(8)

の こと を指 して いよ う。   また 判決 は、 明治 六年

、( 東光 寺 は) 係 争地 の 地券 を出 願 しな かっ たこ と、 往事

─延 享元

(一 七四 四) 年以 降─ 藩庁 に お い て田 地を 支配 し、 東光 寺は

、現 米を 受け 取り 修補 料に 充て るだ けで あっ たと も述 べて いる

。   本判 決に おい て、 東光 寺の 所有 権を 否定 する 決定 的証 拠と して 引用 され た甲 四号 証の 解釈 につ いて は、 その 当否 がの ち に 大審 院で 争わ れる こと にな った

( 3 ) 大 審 院 の 判 決

  東光 寺側 は、 控訴 審の 判決 に納 得せ ず、 大審 院に 上告 した

。明 治一 九年 三月 六日 に判 決が あっ た。 判決 は、 原判 決を 破 棄 し、 大阪 控訴 裁判 所に 移す とい うも ので あっ た。 担当 裁判 官は

、西 成度

、中 村元 嘉、 原田 種成 の三 名で あっ た。   上告 審の 判決 書は

、前 二審 に打 って 変わ りき わめ て長 文で ある

。上 告代 言人 山中 道正 は、 四ヵ 条に わた って 長文 の主 張 を 展開 した あと

、さ らに 三ヵ 条の 追伸 を追 加し た。   上告 人の 陳述 の第 一は

、本 訴田 地の 由来 に関 する 原被 告の 主張 は相 違し てい るに もか かわ らず

、原 審が 双方 の陳 述は 同 趣 旨と した のは

、不 当で ある とす る。 第二 は、 上告 第四 号証 の「 入於 官」 を原 判決 はこ れを

「官 に献 地し た」 と読 んだ が、 こ の解 釈は 誤っ てい る。 これ は「 官に 附託 した

」の 意味 であ ると 主張 した

。第 三は

、被 上告 人が 地券 状の 下付 を得 た経 緯 を 審理 して いな いの は審 理不 尽で ある とす る。 第四 は、 延享 四( 一七 四七

)年 の洪 水に 際し 破壊 田地 に東 光寺 が出 費し た と する 文書 その 他を 挙げ

、東 光寺 所有 の証 拠が 存在 する と主 張し た。 第五

〔追 加の 三ヵ 条〕 は、 原判 決に は、 論地 の所 有 権 がい つだ れに 発生 した か、 いつ それ を誰 に譲 与し たか 明記 がな いと 述べ

、こ れを 明ら かに せよ と主 張し た。

論     説

修 道 法 学   四 二 巻   二 号

(      

) 五 一 三 二 四 七

(9)

  対す る被 上告 代言 人中 村剛 の主 張は

、上 告人 は、 被上 告人 の個 々を 相手 取っ て訴 訟を 提起 すべ きと ころ

、一 一〇 名余 を 一 括し 連帯 して 訴訟 を起 こし たの は訴 答文 例第 五章 二一 条に 違背 し不 当で ある

、と いう もの であ った

。ま た、 本件 がも し 上 告 人の 勝 訴= 被上 告 人の 敗訴 と なれ ば、 執 行 の際 無 数の 不都 合 が発 生し

、「 又々 一 個ノ 裁判 ヲ 受ル 如 キ悪 結果 ヲ 生ス

」 る こと にな ると 述べ た。   大審 院の 判決 は、 上告 人( 東光 寺側

)の 論点 は、 ほと んど の点 で理 由が ない と斥 けた が、 ただ 上記 第二 条の み理 由が あ る とし て大 阪上 等裁 判所 での 審理 を求 めて 差し 戻し た。 すな わち

「入 田於 官」 との 文言 をた やす く官 有(

=藩 の所 有) と し たと する 解釈 は不 条理 であ り、 審理 不備 かつ 事理 不分 明で ある とし たの であ る。 この 部分 は、 本判 決の 最重 要部 分と 考 え るの で、 第二 条の 全文 を引 用し てお こう

。            第二 条   上  告第 二条 及ヒ 第四 条ヲ 按ス ルニ 原裁 判所 カ上 告第 四号 証ニ 入田 於官 トア ル文 詞ヲ 取テ 献地 セシ ト推 測ス ルノ 根拠 ト 為 サン ニハ 何ソ 上告 人ヲ シテ 充分 ナル 弁解 ヲ為 サシ メサ ルト 論難 スル ハ苦 情 ニ過 キス ト雖 モ該 証ニ

「延 享 元年 甲子 云々 悉入

田 於

十二

」 トア ルニ 拠リ 輙 ク該 田地 ヲ官 有ト 為シ タル カ如 ク判 示シ タル ハ不 条理 ナ

リ トス 何  トナ レハ 事実 果シ テ然 ラハ 上告 第二 三号 及ヒ 六号 証書 ノ如 ク延 享元 年ノ 後ニ 在テ 該地 破壊 所修 補等 ニ東 光 寺 カ関 係シ タル ニ矛 盾ス ルノ 疑点 ヲ生 スレ ハナ リ  将タ 該判 旨ヲ 以テ 其管 理即 チ支 配ノ ミヲ 官ニ 委ネ タリ ト云 フノ 意 義 ナリ トセ ンカ 其所 有主 ハ依 然ト シテ 動カ サル 筋ナ レハ 該判 文ノ 末段 ニ「 該地 ノ関 係ヲ 脱離 シタ ルモ ノト 認定 ス」 ト ア ルニ 撞着 スル カ如 シ  而シ テ該 田地 ノ所 有権 ハ最 初上 告人 ニ存 シタ ルモ ノト シテ 判決 ヲ下 セシ カ如 クナ ルモ 其理 由 ヲ 明示 セス 旁何 レノ 点ヨ リ論 スル モ原 裁判 ハ審 理不 備且 ツ事 理不 分明 ナル 不法 ノ裁 判ナ リト ス

─  ─

口 県 東 光 寺 開 作 田 地 取 戻 訴 訟 に つ い て

( 矢 野

(      

─  ─ 33

一 二 二 四 六

(10)

  右の 判決 文の 趣旨 を分 かり やす く示 すと

、以 下の よう にな るで あろ う。 原裁 判所 が第 四号 証の

「入 田於 官」 から 延享 元 年 に論 地は 官有

(= 山口 藩) とな った とし た判 示は

、疑 問が ある

。な ぜな らそ の数 年後 該地 が破 壊さ れた 折り 東光 寺が そ の 修補 に関 係 した こと と矛 盾 する

(も し藩 有地 で あれ ば、 東光 寺が 関与 す るい われ が ない

)。 も しそ の 意味 を該 地 の管 理= 支配 のみ を藩 にゆ だね たと 読め ば、 所有 権は 依然 とし て東 光寺 にあ るこ とに なり

、東 光寺 が「 該地 の関 係か ら離 脱し た」 との 文言 と 矛盾 する こ とに なる

。 原 審の 判 決文 は、

「該 地の 所 有権 は最 初 東光 寺 に存 した が、 延享 元年 に 藩有 とな っ た」 とす るも のの よう だが

、そ の理 由が 明示 され てい ない ので

、審 理不 尽を まぬ かれ ない

。 大  審院 の判 示は 以上 の通 りで ある

。こ れ以 降の 差戻 審、 さら にそ れに 続く

「地 所見 認方 請求 訴訟

」も

、大 審院 の判 示を 前提 とし て進 めら れる こと にな った

。 ま  た、 被上 告側 の主 張〔 上告 人が 被上 告人 の 個々 を訴 えた ので はな く連 帯し て訴 訟を 提起 した のは

、不 法で ある

〕に つ い ては

、第 一審

・控 訴審 を通 じ主 張し てい ない ので

、被 上告 人が 自認 して いた もの とみ なす とさ れた

。ま た被 上告 人が 敗 訴 し た場 合 無数 の不 都 合を 生じ る との 主張 は

、「 仮 想

」 のこ と に過 ぎず

、 こ れを もっ て 訴訟 手 続を 無効 と する ほど の もの では ない と述 べた

。し かし なが らこ の懸 念は

、の ちに

「地 所見 認方 請求 訴訟

」の 段階 で現 実の もの とな る。

( 4 ) 差 戻 審 ─

─ 大 阪 控 訴 院 の 判 決

舞  台は 大阪 控訴

の差 戻審 に移 った

。こ の審 理で は、 当事 者の 呼称 とし て原 告や 被告 ある いは 控訴 人や 被控 訴人 では なく

、願 人お よび 被願 人と いう 呼称 が使 われ てい る。 なぜ この よう な呼 称が 使用 され たの か、 今の とこ ろ不 明で あ と もか く、 本差 戻審 にお ける 願人 は、 東光 寺住 職森 田松 嶺お よび 門徒 惣代 二名 であ った

。こ れに 対す る被 願人 は、 佐々 並村

院12

る13

論     説

修 道 法 学   四 二 巻   二 号

(      

) 五 一 一 二 四 五

(11)

平 民S K定 一外 一一 二名 であ った

。な お、 願人 側に は広 島県 平民 冨田 治左 衛門 が、 また 被願 人側 には 京都 府士 族梅 田壮 二 が 代言 人を つと めた

。   同控 訴院 では 明治 一九 年七 月八 日に 判決 があ った

。こ の最 終判 決を 出し た裁 判官 たち の顔 ぶれ は、 飯田 恒男

、中 尾直 晃、 音 羽安 成の 三名 であ った

。い ずれ も「 評定 官」 の肩 書き が付 され てい る。 判決 結果 は、 単純 にど ちら 側の 勝利 と断 言す る こ との でき ない 魔訶 不思 議な もの だっ たの で、 後に 詳し く述 べる こと とす る。   さて 控訴 審判 決書 では

、最 初に 願人

(東 光寺

)側 の陳 述を 展開 する

。陳 述は

、東 光寺 開山 堂建 立以 来の 経過 を詳 細に 述 べ

、享 保一 九年 の佐 々並 村の 田地 開作 は東 光寺 の自 費開 墾で ある との 主張 をく り返 して いる

。そ して 願人

(東 光寺

)側 は、 最 後 に結 論 とし て、

「本 訴ノ 地 所ハ 願 人ノ 所有 ニ シテ 被 願人 ハ累 代 之レ カ 小作 人タ リ シコ トノ 明 確ナ ル ニ地 券発 行 ニ乗 シ 被 願人 所有 ノ如 虚偽 ノ申 立ヲ ナシ 地券 ヲ占 有シ タル ハ不 当ナ ルニ 因リ 之レ カ所 有権 ノ回 復ヲ 要ス

」と 述べ た。 この とき 東 光 寺が 所有 権者 であ り、 村民 たち は小 作人 であ ると いう 立場 を、 はじ めて 明確 にし たこ とは

、注 目さ れる

。   つぎ に被 願人

(佐 々並 村村 民) 側で ある が、 これ は主 とし て明 治以 後の 地券 発行 に至 るま での 手続

・経 過を 詳し く陳 述 し た。 かつ 旧藩 時代 にお ける 開作 田地 開墾 につ いて は、 東光 寺開 山堂 を将 来修 補の ため

、佐 々並 村の 被願 人祖 先が 自費 労 力 をも って 荒蕪 地を 開拓 した もの であ ると

、主 張し てい る。   両 当事 者の 陳 述の あと

、 判 決書 は 裁判 官の 到 達し た結 論 を述 べる

。 そ れは

、「 本訴 土 地所 有権 ハ 願人 ニア ル モ被 願人 ニ 永小 作ノ 権之 レア ル上 ハ小 作人 カ該 地エ 付テ ノ権 利ヲ 妨害 スル 等ノ 所為 アル ニア ラサ レハ 単ニ 之ヲ 取戻 スヲ 得サ ルモ ノト 心得 ヘシ 訴訟 入費 ハ総 テ各 自弁 タル ヘシ

」と いう もの であ った

。 ま  ず裁 判所 は、 係争 地の 土地 所有 権は 願人

(東 光寺

)に ある と述 べて いる

。で はい かに して 裁判 所は この 結論 に到 達し

─  ─

口 県 東 光 寺 開 作 田 地 取 戻 訴 訟 に つ い て

( 矢 野

(      

─  ─ 35

〇 二 四 四

(12)

た か。 本判 決は

、七 ヵ条 にわ たっ てそ の理 由を 述べ るが

、被 願人 の主 張が 採用 しが たい 理由 を述 べる 形で 書か れ、 願人 側 に 所有 権が ある と判 断し た理 由は 間接 的に しか 述べ られ てい ない ので

、き わめ て分 かり づら い。 あえ てそ の論 理を 抽出 す る と、

①享 保年 間東 光寺 開山 堂永 遠保 存の ため 佐々 並に ある 荒蕪 地開 墾を 出願 し、 当時 山口 藩の 允許 を得 て東 光寺 より 米 金 を 支出 して 開 拓料 に あて たこ と は充 分確 認 でき る

(第 二 条)

② 采地 返 上の 際係 争 地は 東光 寺 の関 係を 離 れた と する 被 願 人の 主張 は、 採用 でき ない

。東 光寺 の関 係を 離れ た以 降も 三五 貫目 の修 補料 を付 与さ れて いる のを みれ ば、

(被 願人 は) 元 々所 有 すべ き原 因 なく し て占 領し て いる とい え る

(第 三条

)。

③ 被願 人は 願 人よ り金 米 を受 けて 開 拓に 従事 し 今日 ま で 耕 耘し てき たの で、 永小 作人 と いえ る

(第 四条

)。

④論 地 の地 券が 被願 人 側に 下付 され た のは

、 林秀 輔

「 書上 帳」 に 依 拠 し たも ので あ って

、 旧記 に もと づく もの で はな い

( 第五 条)

。 以 上 であ る。 し か し判 決の 論理 は 明解 とは い いが たく

、 私 た ちに は論 旨が 見え てこ ない

。   さて

、本 判決 の結 論は

、い かに 解す べき であ ろう か。 土地 所有 権は 願人

(東 光寺

)に ある と明 確に 述べ てい る。 とす る と 東光 寺側 の年 来の 主張 が認 めら れた 勝利 と言 えそ うで ある が、 果た して そう 受け 取っ てい いか どう か。 判決 はま た、 被 願 人( 佐々 並村 民一 一〇 名余

)に 永小 作権 があ ると 述べ てい る。 そし てそ れゆ え、 小作 人に 東光 寺の 所有 権を 妨害 する 行 為 があ れば 格別

、そ のよ うな 行為 がな けれ ば「 単ニ 之ヲ 取戻 スヲ 得サ ルモ ノ」 と述 べて いる ので ある

。と する と該 地の 取 戻 しを 求め た東 光寺 側の 請求 は聞 き届 けら れな かっ たと 読め ない こと もな い。 かつ 訴訟 費用 は各 自の 負担 とし てい る点 か ら も、 東光 寺側 の完 全勝 訴で はな かっ たこ とが うか がえ る。 とす れば

、こ の判 決を 執行 しよ うと すれ ば、 いっ たい 実務 は ど のよ うに 対処 すれ ばい いの であ ろう か。 魔訶 不思 議な 判決 と述 べた ゆえ んで ある

。   ここ まで 私は

、山 口地 方裁 判所 所蔵

『明 治二 十年 民事 記

中 の「 明治 二十 年第 九号 開  作田 地取 戻御 裁判 執行 願」 に

録14

論     説

修 道 法 学   四 二 巻   二 号

(      

) 五

〇 九 二 四 三

(13)

引 用さ れた

「裁 判言 渡書

」を 見な がら

、右 の文 章を した ため てき た。 この

「裁 判言 渡書

」は

、判 決後 当事 者に 交付 され た 判 決 書と 同じ も のと 考 えら れる

。 と ころ で、 判決 文中 に 判読 の困 難 な文 字が あ った ので

、「 民 事判 決原 本 デー タベ ー ス」 中の 史料 と比 べて みる こと を思 い立 ち、 国際 日本 文化 研究 セン ター のホ ーム ペー ジに アク セス して み 私  は、 両者 を比 較し てみ て、 両者 間に 大き な違 いの ある こと を発 見し た。 右の デー タベ ース に収 録さ れた 判決 原本 には

、 文章 の抹 消や 追加 の跡 があ り、 裁判 官の 推敲 過程 がう かが える こと があ る。 通常 は、 短い 文章 の追 加や 単純 な誤 字訂 正程 度に とど まる

。と ころ が本 判決 にお いて は、 当初 の文 章と 最終 的な 判決 文と があ まり にも 相違 して いた ので ある

。 大  きな 訂 正が 二ヶ 所 あっ た。 一 つ は、 地 券 発行 時の 事 情を 述べ た 部分 で、

「旧 名寄 帳 ニ基 キ 各所 有主 ヲ 甄別 シテ 地 券台

帳 ニ登 録シ 県庁 ヘ進 達ノ 上地 券ヲ 下付 セラ レタ ルコ トハ

」と いう 部分 が削 除さ れて いる

。し かし この 部分 は被 願人 の主 張 の 要約 部分 であ るか ら、 それ ほど 深い 意味 から の修 正で はな さそ うだ

。   も う一 つは

、 最 後の 結論 部分 で ある

。 もと も とは

、「 願人 請求 ノ 開作 田地 ハ被 願 人ヨ リ還 却ス ヘ シ」 で あっ た

。 これ が 修 正 され た 結果

、「 本訴 土地 所 有権 ハ 願人 ニア ル モ被 願人 ニ 永小 作 ノ権 之レ ア ル上 ハ 小作 人カ 該 地エ 付 テノ 権利 ヲ 妨害 ス ル 等ノ 所為 アル ニア ラサ レハ 単ニ 之ヲ 取戻 スヲ 得サ ルモ ノト 心得 ヘシ

」と 変更 され たこ とが 分か る。 すな わち 当初 の文 言 で は、 開作 田地 は被 願人 に願 人へ の返 還を 命じ ると いう 願人 側の 完全 勝利 とな って いた

。所 有権 の所 在に つい ては 明確 な 言 明は ない が、 係争 地の 所有 権が 願人 にあ るこ とを 前提 とし ての 返還 命令 だっ たで あろ う。 とこ ろが 文言 修正 によ って

、 所 有権 の所 在は 願人 側に ある こと が明 言さ れた もの の、 係争 地を 取り 戻し うる かに つい ては

、前 述の よう に不 透明 とい う 結 論に 終わ った

。   以上 の点 は、 訴訟 入費 の取 扱に も反 映し てい る。 当初 は「 訴訟 入費 ハ総 テ被 願人 ニ於 テ之 ヲ負 担ス ヘシ

」で あっ たの が、

た15

─  ─

口 県 東 光 寺 開 作 田 地 取 戻 訴 訟 に つ い て

( 矢 野

(      

─  ─ 37

〇 八 二 四 二

(14)

加 筆 修正 後は

、「 訴訟 入 費ハ 総テ 各 自弁 タル ヘ シ」 と なっ た

、 すな わち 訴 訟費 用負 担 は、 両 当 事者 の痛 み分 け とな った の であ る。

三 地 所 見 認 方 請 求 訴 訟 の 顛 末

( 1 ) 東 光 寺 側

「 説 明 願

」 と 山 口 始 審 裁 判 所 の 命 令

  大阪 控訴 院の 不可 思議 な判 決を 受け て、 直ち に原 告が 行動 を起 こし た。 すな わち 判決 の約 一ヶ 月後 の八 月二 日原 告側 代 言 人 冨田 治左 衛門 が、 大阪 控訴 院長 児 島惟 謙あ てに

、「 御説 明 願」 を 提出 し たの であ る。 こ の 文書 は、 前 掲

『 明治 二十 年 民 事記 録  山口 始審 裁判 所』 中の

「開 作田 地取 戻御 裁判 執行 願」 に綴 じ込 まれ てい た。 以下 その 全文 を引 用す る。            御説 明願   本  年第 百四 十三 号御 審判 願事 件ニ 付客 月八 日御 裁判 御言 渡相 成候 ニ付 テハ 其御 判文 ニ( 本訴 土地 所有 権ハ 願人 ニア ル モ 被願 人ニ 永小 作権 之ア ル上 ハ小 作人 カ該 地エ 付テ ノ権 利ヲ 妨害 スル 等ノ 所為 アル ニア ラサ レハ 単ニ 之ヲ 取戻 ヲ得 サ ル モノ ト心 得ヘ シ) トノ 御判 決ヲ 与ヘ ラレ シニ 基キ 之レ カ執 行ヲ 需ム ルニ 至テ ハ地 券名 前換 加調 米要 求等 ハ別 段御 説 明 ヲ仰 カサ ルモ 一目 瞭然 タル 処ナ リト 雖ト モ其 他地 券名 前換 ニ於 テ該 地旧 反別 五町 歩ヲ 被願 人等 カ専 横ノ 所為 ニテ 一 旦 佐々 並一 村ノ 帳簿 ニ組 込ミ 候上 ハ今 之レ カ区 別ヲ 立ン トス ルニ ハ既 ニ御 裁判 状ニ 御説 明ヲ 下サ レタ ル第 一条 中甲 第 八 号証 天保 十三 年度 名寄 帳第 七条 中甲 第十 六号 証明 治四 五年 度名 寄帳 等ノ 字地 番号 等ニ 照合 シテ 地券 証ヲ 受領 スヘ キ モ ノト 思考 致候 得共 為念 此段 奉伺 候間 何分 ノ御 説明 ヲ与 ヘラ ルヘ キ様 伏シ テ奉 願上 候      明  治十 九年 八月 二日

論     説

修 道 法 学   四 二 巻   二 号

(      

) 五

〇 七 二 四 一

(15)

              願人 森  田松 嶺外 二名 代言 人               広島 県広 島区 袋町 平民                     冨  田治 左エ 門  印   大  阪控 訴院 長         児島 惟謙 殿  

〔  以 下朱 書〕 

  御印 割

   書面 旧反 別五 町歩 ニ相 当ス ル改 正反 別ノ 地券 ヲ 印

   受ク ヘキ コト ト心 得ヘ シ   こ の割 印 が 捺印 さ れ た 朱書 記 載 から

「 説 明願

」 の 趣 旨を 大 阪 控訴 院 が 了承 し た で あろ う こ とが う か がえ る

。 お そら く

「御 印」 の部 分に は、 児島 院長 の 職印 が捺 さ れて いた で あろ う。 た だ し本 文書 は 謄本 であ る から

、 実際 の 陰影 を確 認 する こと はで きな い。 大  阪控 訴院 の見 解は

、直 ちに 山口 始審 裁判 所に 伝え られ たこ とだ ろう

。同 始審 裁判 所は

、明 治二

〇年 二月 八日 付で

、大 阪控 訴院 の裁 判を 執行 する 命令 書を 提出 した

。こ の文 書に は、 乾判 事の 認印 が捺 印さ れて いる

。    当裁 判所 ハ山 口県 長門 国阿 武郡 椿郷 東分 村東 光寺 住職 竹内 松嶺 外弐 名ヨ リ同 県同 国同 郡佐 々並 村平 民井 上源 次郎 外百 九名 ヘ係 ル開 作田 地取 戻訴 訟事 件ニ 付大 阪控 訴院 ノ言 渡シ タル 此裁 判ノ 執行 ヲ命 令ス ル者 也    明  治廿 年二 月八 日

─  ─

口 県 東 光 寺 開 作 田 地 取 戻 訴 訟 に つ い て

( 矢 野

(      

─  ─ 39

〇 六 二 四

(16)

                山 口始 審裁 判所

( 2 ) 地 所 見 認 方 請 求 訴 訟 の 提 起

  とこ ろが

、裁 判所 の命 令が 出さ れた にも かか わら ず、 村民 たち はあ れこ れと 言を 構え て面 従腹 背、 判決 の執 行は 遅々 と し て進 まな かっ た。 その 間の 事情 につ いて は、 原告 側代 人三 宅孟 の「 副

が 物語 って いる

(傍 線は 削除 部分 を示 す)

。            副書   一  甲者 従来 所有 スル 地所 ヲ売 却セ シ中 ニ今 回東 光寺 ノ所 有ニ 帰ス ル地 所ノ アリ テ甲 者ハ 乙者 ヘ売 渡シ タル 地所 ニ相 当 スル モノ ト云 ヒ乙 者曽 テ不 肯シ テ両 者ヘ 売却 セシ コト アレ ハ之 レニ 相当 セン ナラ ント 云ニ 丙者 信ン シス 唯争 フ迄 ニ テ客 年以 来今 日迄 モ決 果ヲ 得サ ルモ ノナ リノ 点ア リ   一  客年 八月 以来 数十 名ハ 地券 書換 ノ義 ハ異 議ナ ク取 謀フ ヘク ト申 立ル 而已 ニシ テ事 業ヲ 取ラ ス約 リ本 年三 月御 庁ノ 御 命令 書ニ 依リ 担当 人ヲ シテ 相当 スル 地券 ノ取 調ヲ モ為 シ既 ニ書 換ノ 手続 ヲ為 スノ 景況 ヲ視 セナ カラ 徒ラ ニ之 ヲ遷 延 ス  亦タ 数名 取調 ヲモ 致サ 丶ル モノ アリ テ佐 々並 村派 出ノ 警官 ニ助 力ヲ 乞フ ト雖 トモ 之レ 又肯 ハサ ルヲ 以五 月十 八 日義 務者 御召 喚ノ 義ヲ 願出 候処 再度 ノ御 命令 書可 相願 トノ 御談 ヲ蒙 リ其 御下 付ヲ 得而 シテ 受村 戸長 役場 ヘ其 趣旨 願 書ヲ 以願 出候 処個 ハ是 レ権 利者 即チ 東光 寺ノ 所有 ニ帰 スル 地所 ト義 務者 所有 地ト ヲ合 併シ 以テ 一筆 ノ地 券証 ヲ下 与 セラ レア レハ 之レ カ分 割方 法ニ 異議 ヲ生 スル ニ起 因ス ルモ ノナ リ  而シ テ今 ヤ該 地券 証ノ 書換 ヲ為 サン ニハ 明治 十 五年 一月 三十 一日 ノ御 布達 土地 分割 取扱 手続 ニ依 拠ス ヘキ モノ ト思 考仕 候( 第一 条売 買譲 渡等 ノ為 メ一 筆ノ 土地 ヲ 分割 シテ 奥書 割印 ヲ受 ケ地 券書 換ヲ 請ハ ント 欲ス ルモ ノハ 境界 ヲ明 瞭ニ シテ 其反 別ヲ 正シ 地位 ノ優 劣ニ ヨリ 全筆 ノ

書16

論     説

修 道 法 学   四 二 巻   二 号

(      

) 五

〇 五 二 三 九

(17)

地価 ヲ) 云々

(第 二条 戸長 ハ実 地ヲ 検シ 不都 合ナ キ時 ハ奥 書割 印ヲ ナシ 若シ 反別 実価 配分 上不 適当 ノモ ノア リト 認 ル 場合 ニ於 テ ハ其 旨ヲ 説 諭) 云 々

〔 第三 条ヲ 署 シ但 書ニ

〕( 但売 買 譲渡 ニ アラ スシ テ 自己 ノ都 合 ニヨ リ一 筆 ノ土 地 ヲ分 割ス ルモ 前条 々ノ 例ニ ヨル ヘシ

)ト アリ テ此 場合 ニ於 テハ 仮リ ニ反 別壱 反歩 ノ地 券ト ス此 中ニ 甲所 有地 三畝 歩 アリ 乙所 有地 七畝 歩ナ リ之 レカ 現畝 歩ハ 壱反 五畝 アル トキ ハ地 券面 ノ壱 反歩 ヲ除 キ残 ル五 畝歩 ハ甲 ノ三 畝歩 ト乙 ノ 七畝 歩ト ニ分 与ス ルコ ト正 当ノ 処置 ナリ ト私 考セ リ  然ル ニ義 務者 ヲシ テ現 畝歩 ハ幾 干ア ルニ モス ラ権 利者 ノ三 畝 歩ヲ 合併 シヲ レハ 唯其 三畝 歩ヲ 而已 切渡 余地 ノ分 配ハ 致サ 丶ル モノ ト主 張ス 中  ニ権 利者 東光 寺分 ノ地 所ヲ 而已 ヲ 全筆 ノ地 券証 ヲ受 得セ シア ルノ 部分 ハ果 シテ 反別 ニ縋 余地 ヲ除 キ切 渡サ ント 云フ ニハ アラ スシ テ地 券ノ 書換 モ為 シ 現地 モ不 残引 渡ス 可ク ト云 フニ アリ 然  レハ 則チ 以前 ニハ 別チ アル ヲ合 併シ 以テ 一筆 ノ地 券証 トセ シコ トハ 取リ モ 直サ ス義 務者 ノ都 合上 ヨリ 出テ タル モノ ナリ 今  ヤ全 筆ノ 如キ 直当 ニ処 置ス ルニ 於テ ハ合 併シ テ今 ヤ一 筆ナ ルヲ 分 割ス ルト 雖ト モ前 陳ノ 如ク 取謀 フ可 ク筈 ナリ 若シ 之レ カ実 地ニ 就キ 反別 ニ不 足ヲ 生ス ルト キハ 畝数 ニ負 担ス ルハ 当 然ナ リト 思考 仕候      前条 ノ場 合ニ 御座 候処 受村 戸長 ニ於 テモ 結局 戸長 ノ元 ニテ ハ落 着ニ ハ難 至ト 申聞 候間 不止 得義 務者 御召 喚ヲ 奉願 候 次第 ニ御 座候 得ハ 此段 御採 用被 成下 候様 奉仰 願候 也           明 治二 十年 六月 三十 日  山 口県 阿武 郡椿 郷東 分村                           竹  内松 嶺外 二名 代人                             

広島 県平 民  三宅 孟 

㊞         山口 始審 裁判 所書 記局 御  中

─  ─

口 県 東 光 寺 開 作 田 地 取 戻 訴 訟 に つ い て

( 矢 野

(      

─  ─ 41

〇 四 二 三 八

(18)

  権利 者( 東光 寺側

)に 対す る義 務者

(村 民側

)の 抵抗 とし ては

、① 甲が 乙へ 売却 した 所有 地の 中に 権利 者東 光寺 分が 含 ま れて いる と言 うの に対 し、 乙は それ は別 の売 却地 であ ると 否定 して 争う

。② 義務 者は 地券 書換 えに 異議 はな いと 言い な が ら、 いた ずら に手 続き を引 き延 ばす

。③ 派出 警官 や戸 長役 場の 協力 を得 て、 義務 者召 喚を 求め るも

、再 三再 四召 喚に 応 じ ない

、等 々が 挙げ られ てい る。 この よう に村 民側 がサ ボタ ージ ュを くり 返し

、手 続き 進行 が進 まな い原 因に つい て東 光 寺 側代 人三 宅孟 は、 権利 者所 有分 と義 務者 所有 分が 一筆 の土 地中 に合 併さ れて おり

、こ の分 割方 法に 義務 者側 があ れこ れ と 異議 を申 し立 てる ため であ ると 述べ てい る。   途方 に暮 れた 代人 の三 宅は

、再 度の 命令 書伝 達、 戸長 役場 での 説諭

、裁 判所 への 召喚 願提 出な どあ れこ れ試 みる が、 徒 労 に終 わっ た。 そこ で三 宅は

、同 年八 月四 日つ いに

「裁 判執 行願

」を 一時 願い 下げ とし た。 これ は、 改め て「 地所 見認 方 請 求ノ 訴訟

」を 提起 し、 勝訴 を得 たう えで

、公 力を もっ て村 民た ち名 義の 田畑 から 東光 寺所 有地 分を 区分 させ

、そ の上 で 地 券書 換ま で進 もう とす る目 論見 であ った

「  地所 見 認方 請求 ノ 訴訟

」 の提 起 日は はっ き りと し ない

。 恐ら く 明治 二〇 年 の後 半 であ ろう

。 同 訴訟 の原 告 は竹 内松 嶺 とな って いる

。こ の竹 内は

、先 代東 光寺 住職 森田 松嶺 の後 継者 であ ろう

。ま た東 光寺 の門 徒総 代二 名が 原告 に加 わる こと

、 前記 大阪 控訴 院の 差戻 審と 同様 であ った

。 原  告東 光寺 側は 被告 村民 側を 三つ のグ ルー プに 分け て訴 訟を 提起 した

。第 一は

、T Y金 五郎 外四 二名

、第 二は

、H S修 三だ けで ある がF I市 五郎 を参 加被 告人 に加 えた

。第 三は

、Y M市 松外 六三 名で あっ た。 三グ ルー プに 分離 され たと はい うも のの

、審 理は 並行 して すす めら れた

。原 告側 代言 人は 大分 県平 民で 山口 県で 開業 して いた 小河 源一

、被 告側 は代 言人 とし て山 口県 士族 の小 田寅 亮お よび 代人 とし てF I半 一が 代理 人を つと めた

。三 件と も

、裁 判官 は判 事の 脇屋 雄六

、判 決

論     説

修 道 法 学   四 二 巻   二 号

(      

) 五

〇 三 二 三 七

(19)

は 明治 二二 年一 二月 二〇 日で あっ た。

( 3 ) 山 口 始 審 裁 判 所 の 判 決

 

①第 一事

まず 第一 事件

(東 光寺 対T Y金 五郎 外四 二名

)に つい て、 検討 を加 えよ う。 原告 の請 求は

、明 治一 九年 七 月 八日 の大 阪控 訴院 判決 にお いて 旧反 別五 町歩 の土 地が 東光 寺の 所有 と確 定し たの で、 被告 各自 は自 分の 小作 した 土地 の 新 地番 新畝 歩を 見認 する よう 求め ると いう もの であ った

。こ れに 対し 被告 側は

、大 阪控 訴院 の判 決は 名寄 帳に 記載 する 地 所 が原 告の 所有 とい うこ とを 判示 した にす ぎず

、原 告に 対し

「該 物件 ノ所 在広 狭等 ヲ〔 被告 に〕 指定 セシ メ得 可キ 権義 ノ 関 係ヲ 構造 シタ ルモ ノニ 在ラ ス」

、 すな わち 一種 の依 頼で あっ て権 利義 務の 問題 では ない

、と 主張 した

。   両 当事 者の 主 張に 対し

、 山 口始 審 裁判 所は 次 のよ うに 述 べた

。 大阪 控 訴院 の 判決 は、

「其 争訟 ニ 係ル 地所 ハ 其所 有権 原 告東 光寺 ニ在 ルモ 被告 等ニ 其永 小作 権ア ルヲ 以テ 小作 人ニ 該地 ニ付 テノ 権利 ヲ妨 害ス ル等 ノ所 為ア ルニ アラ サレ ハ単 ニ之 ヲ 取戻 スヲ 得ス

」と 判示 して おり

、現 地取 戻し の請 求は 採用 しな かっ たも ので ある

。ま た訴 訟入 費に つい ても 各自 自弁 と い う判 決な ので

、そ もそ もこ の裁 判は あえ て執 行を 要す べき 点は ない と言 うべ きで ある

。ま た、 明治 一九 年の 丈量 改正 に よ り 地券 制 度そ のも の が消 滅し て おり

、「 改正 反別 の 地券

」 な るも のが 存 在し な

指摘 した

。 さ らに 旧名 寄 帳は 当該 地 の字

、旧 反別

、小 作人 の氏 名を 掲げ るに とど まっ てお り、 原告 が書 き替 えを 求め るに はい かな る名 称の 券証 か、 また 対象 地の 位置 およ び畝 歩を 特定 する こと が必 要で ある

。原 告が これ らを 指示 でき ない ので あれ ば、 これ は原 告が 直接 に土 地を 管理 して いな いと ころ から 生じ たも ので

、原 告の 不注 意に 起因 する とい わざ るを えな い。 被告 らは

、三

〇石 の米 を加 調石 とし て蔵 入り する よう にな って 以降

、東 光寺 から 開墾 料を 受け て開 いた 地所 と東 光寺 に関 係し ない 地所 を混 淆し

、両 者と

件17

 

い18

─  ─

口 県 東 光 寺 開 作 田 地 取 戻 訴 訟 に つ い て

( 矢 野

(      

─  ─ 43

〇 二 二 三 六

(20)

も に自 己の 所有 地と 信じ て地 券の 授与 を受 けた だけ であ り、 そこ には 咎め るべ き過 誤は ない

。原 告等 は大 阪控 訴院 から 執 行 の掛 け合 いを 受け たと いう が、 この 裁判 たる やそ もそ も直 ちに 完全 な執 行の でき ない もの であ った とい わざ るを えな い。 そ し て訴 訟入 費 の負 担 につ いて

、 判 決は

、 原 告ら は不 完 全な 訟求 を なし たも の であ るか ら

、「 説令 本訴 ハ原 告 ノ勝 訴ニ 帰

ス ルモ 尚ホ 其訴 訟入 費ハ 原告 ノ負 担ニ 帰ス 可キ ノ筋 タリ

」、 と 述べ   ここ まで 読ん で私 は、 シェ イク スピ アの 戯曲

「ヴ ェニ スの 商人

」に おけ るポ ーシ ャの 論法 を想 起し た。 開作 田地 に関 す る 東光 寺の 所有 権は 認め まし ょう

、し かし その 取戻 し= 返還 請求 は認 めま せん とい うわ けで ある

。  

②第 二事

つぎ に第 二事 件( 東光 寺対 HS 修三 の事 件) をと りあ げる

。原 告東 光寺 側の 主張 によ れば

、名 寄帳 上Ο M 八 右衛 門の 名義 であ った 一反 二四 歩の 土地 は、 HS 修三 を経 由し て現 在は FI 市五 郎( 参加 人) が所 有す る土 地の いず れ か とな って いる

。こ の土 地は

、大 阪控 訴院 の判 決で 東光 寺の 所有 と認 定さ れた ので

、被 告H S修 三に その 見認 を求 める と い うも ので ある

。   被告 HS 修三 の主 張は

、Ο M八 右衛 門の 所有 する 土地 は二 筆あ り、 東光 寺に 関係 する 土地 はΟ M弥 五郎

(八 右衛 門の 相 続 人) から FI 市五 郎( 参加 人) が買 得し た土 地で ある

。自 分所 有の 土地 は、 八右 衛門 がY M朔 一に 売渡 し、 その 後朔 一 か ら買 得し た土 地で あり

、東 光寺 関連 の土 地と は関 係が ない と述 べた

。   判決 では

、Ο M弥 五郎 は開 作田 地訴 訟に 関与 した と自 陳し てい るの で、 その 証言 には 証拠 能力 がな い。 また

、原 告代 理 人 は、 争い とな って いる 五畝 歩の 地所 が修 三( 被告

)の 土地 かF I市 五郎

(参 加人

)の 土地 かは 両名 の間 で決 した 方に 請 求 す ると いっ て いる

。 本件 は

、 確定 物 に関 する 訴訟 で ある から

、 訴 訟物 の 確定 は原 告に 挙 証責 任が あ ると して

、「 本訴 ハ 原告 ノ挙 証未 タ尽 サ丶 ル所 アリ テ其 物件 ヲ確 認ス ル能 ハサ ルニ 因リ 原告 ノ 請求 相立 サル モノ トス

」と

、原 告の 敗訴 を言 い

た19

件20

 

論     説

修 道 法 学   四 二 巻   二 号

(      

) 五

〇 一 二 三 五

(21)

渡 した

。  

③第 三事

つい で第 三事 件( 東光 寺対 YM 市松 外六 三名

)の 場合 はど うか

。本 事件 にお いて も、 原告 東光 寺の 依拠 す る 所は

、開 作田 地の 所有 権は 東光 寺に あり とし た大 阪控 訴院 の判 決で ある

。本 件の 場合 他の 二件 と比 して 特異 な事 情と し て は、 被告 の所 有地 とな って いる 新地 番新 畝歩 の土 地が

、開 作田 地に 由来 する 土地 と被 告固 有の 土地

(い ずれ も旧 地番

・ 旧 畝 歩) と が混 淆 して

、 容易 に 区別 でき な くな って いた こ とで ある

。 そ こで 原告 は、

「比 例ノ 算 法」 す なわ ち 旧反 別中 の 開 作田 地と 固有 の土 地の 割合 をも って 新地 番の 土地 を見 認す るよ う求 めた

。   こ れに 対し 被 告側 代言 人 は、

「比 例ノ 算 法」 に よる 見 認を 許容 す れば

、 被 告の 固有 地 もし くは 自 費開 墾地 の 地内 に 原告 が侵 入す るこ とを 認め るこ とに なり

、不 当の 請求 であ ると 論じ た。 裁  判所 は、 旧畝 に対 して 新畝 に「 延畝

」が ある 場合

、開 作田 地と 固有 地が 同一 の割 合で

「延 畝」 した と断 ぜら れる かど うか

、そ の挙 証責 任は 原 告に ある

。そ の点 も含 め、 原告 に属 すべ き土 地の 指定

─名 寄帳 記載 の字 反別 が旧 地番

・ 旧畝 歩の いず れに 該当 し、 また それ が丈 量改 正後 の新 地番

・新 畝歩 のい ずれ に該 当す るか

─は

、原 告が なす べき 責任 を有 する

。そ れゆ え、

「原 告人 ノ 請求 ハ各 被 告人 カ見 認 メタ ル 処ノ 所在 反 別ニ 止ル モ ノト

訴 訟入 費ハ 原 告人 ノ負 担 タル 可シ

」 と 判 決 をく だし

た。

  本件

「東 光寺 開作 田地 取戻 訴訟

」は

、そ の実 態を 見れ ば二 段階 の訴 訟事 件が 合体 した もの と考 えら れる

。第 一段 は、 当 該 係争 地の 所有 権者 は誰 かと いう 事件 であ り、 第二 段は

、当 該係 争地 の所 有権 が東 光寺 に存 する こと を前 提と して

、佐 々

件21

 

ス22

─  ─

口 県 東 光 寺 開 作 田 地 取 戻 訴 訟 に つ い て

( 矢 野

(      

─  ─ 45

〇 二 三 四

(22)

並 村民 から 当該 土地 の取 戻= 引渡 を求 める とい う事 件で ある

。   まず

、第 一段 の所 有権 の所 在問 題に つい て考 えて みよ う。 私は

、こ の問 題が 裁判 の中 で、 近代 法特 有の 概念 に係 る「 所 有 権」 の帰 趨と いう 形で 争わ れた こと に対 して 違和 感を 感じ ざる をえ ない

。す なわ ち、 近世 江戸 時代 の土 地所 有は

、近 代 法 とは 異な る所 有体 系の 下に 存在 した

。私 見に よれ ば、 江戸 時代 の初 期か ら中 期に かけ ては

、在 地知 行制 が残 存し てお り、 そ れゆ え封 建領 主(

=藩 主) の領 有権

〔 貢租 の 徴収 を含 む領 地(

=蔵 入地

)支 配と 一体

〕、 知行 主の 知行 権〔 貢租 の徴 収を 含む 知行 地内 の支 配と 一体

〕、 百姓

(= 農民

)の 所持 権〔 農地 の耕 作権 を主 たる 内容 とす る〕

、 の三 層構 造に おい て存 在し たと 捉え るべ きで あろ う。 多く の藩 にお いて は、 在地 知行 の衰 頽に 伴い

、封 建領 主(

=藩 主) の領 有権 と百 姓(

=農 民) の所 持権 の二 層構 造に 移行 した が、 長州 藩の 場合 は、 在地 知行 が強 固に 残存 し、 さき の三 層構 造が 維 持さ れた とみ るべ き で あろ う。   では

、本 件訴 訟で 争わ れた 東光 寺開 作田 地の 場合 は、 どの よう に判 定す べき であ ろう か。 東光 寺は 寺院 であ り武 家で は な いが

、毛 利家 によ って 特権 を擁 護さ れ、 知行 主に 準じ る存 在で あっ たと 見る こと がで きよ う。 この 立場 に立 って

、係 争 地 がさ きの 三層 構造 のい ずれ に位 置す るか 考え てみ よう

。最 初の ポイ ント は、 享保 一九

(一 七三 四) 年の 佐々 並に 田地 七 町 五反 歩が 開作 され た時 点で ある

。こ のう ち二 町五 反歩 は藩 庁に 収納 され

、五 町歩 は村 民に 割当 られ かつ この 内か ら毎 年 十 二石 が「 加調 米」 とし て開 山堂 の修 補料 に充 てら れた こと では 原被 告双 方一 致し てい る。 この 時点 では

、藩 庁に 収納 さ れ た二 町五 反歩 分と

、明 確に 区分 され てい るか ら、 五町 歩分 は東 光寺 の知 行地 とみ てよ いで あろ う。   次の ポイ ント は、 延 享元

(一 七四 四) 年の 時点 であ る。

「 延享 元年 甲子 当国 山内 縫殿 以為 祠 田ノ 豊凶 常住

闕 余

也悉

田於

十二

」云 々 とす る令 が達 せ られ た。 この 文旨 は、 開作 田地 に つき

「 こと ご とく 田を 官 に

論     説

修 道 法 学   四 二 巻   二 号

(      

) 四 九 九 二 三 三

参照

関連したドキュメント

[r]

 ひるがえって輻井県のマラリアは,以前は国 内で第1位の二二地であり,昭和9年より昭和

地域 東京都 東京都 埼玉県 茨城県 茨城県 宮城県 東京都 大阪府 北海道 新潟県 愛知県 奈良県 その他の地域. 特別区 町田市 さいたま市 牛久市 水戸市 仙台市

再エネ調達(敷地外設置) 基準なし 再エネ調達(電気購入)

2-2 再エネ電力割合の高い電力供給事業者の拡大の誘導 2-3 多様な再エネ電力メニューから選択できる環境の整備

と判示している︒更に︑最後に︑﹁本件が同法の範囲内にないとすれば︑

2021年5月31日

り分けることを通して,訴訟事件を計画的に処理し,訴訟の迅速化および低