音声的成因
福 本 義 憲
1.新二重母音の方言分布と地理的〈一般化〉
従来のドイツ語史では,新高ドイツ語二重母音化はその方言分布上の相違か ら,〈ピアトスニ重母音化〉とく子音前二重母音化〉というようにふたつの 現象にわけて考えられることが多かった。たとえば,PMS(49)の記述では,
「ビアトスと語末での古い二重母音化」と「それ以外の位置での新しい二重母 1)
ケ化」という表現が用いられている。Wiesinger(1970,1.179)はくピアトス 二重母音化〉とく子音前二重母音化〉に区別し,両者は「時間的にも地理的に も全く独立した(unabhangig)変化である」と述べて,互いに関連のない別個 の現象とみなした。また,Mouiton(1965, l l 8)はくビアトスニ重母音化〉と
〈ピアトスおよび子音前での一般的二重母音化〉に二分し。構造音韻論の立場 から前者を〈音素分離〉,後者をく音素推移〉と特徴づけ,構造的に異なった 現象として理解した。いずれの考え方にしても,前提となっているのは新二重 母音の方言分布が〈ビアトス位置〉と〈無条件〉とのふたつの方言群にわかれ るという観察である。しかし,この方言上の二分化は事実を正確に把えてはい ない。とりわけ,いわゆるくビアトスニ重母音地域〉は決して単一の分布を形 成しておらず,正確には全体としての新二重母音の方言分布は,母音,母音と 語境界(パラディグマの関係),語境界,子音という四種の環境をもつ方言群 からなる。このような分布は,福本(1977,12ff)において展開した音類レベ ルでの地理的な〈一般化〉に相当する。つまり少しばかり先取りして言うなら ば,新高ドイツ語二語重母音化は,〈互いに関連性のないふたつの現象〉では なく,同一の音声的条件に基づいて各方言に自立的に発生した単一の音韻変化 であり,それぞれの方言はこの音韻変化の通時的な〈一般化〉の諸段階を反映 していると思われる。この章では,まず,地理的〈一般化〉が二重母音化に関 して妥当な想定であることを示そう。
SUtterlin(1924,132)によれば,スイス・アッペンツェル方言では二重母音 の出現は厳格にビアトス位置に限られる。つまり,この方言では,
一
i1)drU(「三」), sα(「雌豚」),甑eije(「雪が降る」), souwe(suの複数)
となる。ここでは語境界と母音との環境に応じてsO(単)/souwe (複)の音声 的な相違がパラディグマ内で維持されているわけである。いうまでもなく,こ の方言では子音前のこ重母音化は全く起こっていない。二重母音化に少々異 なった環境をみせるのは,高地ドイツ語南部全域と北部の一部の方言である。
Kr加ter(1877,261)によれば1スイス・ベルン方言では母音の前では完全に 二重母音化されるばかりでなく,パラディグマに立ちうる語はことごとく二重 母音化を受ける。
(2)mhd. k1宝e>kleio(「糠」), mhd. schnien>ぎneio, mhd. scr宝en>
訂ei9, mhd. bαwen>P6Uo, mhd. vri>frei(ただし, frilox「もち うん」),mhd. sα>s6u, mhd. spr三u>蓉pr6蕊(「もみ穀」)
しかし,つねに語境界を環境とし,パラディグマに現われることのない語には 二重母音化は起こらない(forpi vorbei , bi bei )。 dreiについては, treiと 一tr玖の両形が用いられているが(Kr翫uter同頁),これは中高ドイツ語での男
性/女性,dr宝/drieと中性1・4格のdriu(2・3格はdri−)の対立がこの方 2)
セではそのまま保持されたものと思われる。とすれば,ここでも絶対的な語境 界の前では二重母音化されないという原則は破られていないわけである。二重 母音化は,北スイス方言に属するデットリコン方言(ヴインタートゥーア近く)
でも絶対的な語境界の前では現われない。G6tzeの方言テキスト集(1922,15f)
から次のような例を拾い出すことができる。
(3)n6iji h灘or(「新しい家」複);fobi( vorbei ), tobi( dabei ),
CC
sei(sei)c
パラディグマに立つことのないbiも,スイス方言を除いたアレマン諸方言で
は地方によって二重母音を示している方言がある。Kleiber(1959,30)は上ラ 3)
Cン方言に属するプルクハイム方言の記述において,forbei, forbi(frbei,
c c ⑰ c frbi)が並存する事実を指摘している。この方言ではむろん2重母音化はピア0トス位置と語境界前に限られる。
一
i4)bux(「腹」), bUr(〈mhd・gebare「村民,農夫」), drivel(「ぶど うの房」);ufboi(「建設」), neiord{ηs(「最近」), drei(「三」),
4)C C c
この状態はアルザス方言でもほぼ同様であり,beiとbiが並存している(Krau一
ter l877,261)。
(5) forpei( vorbef,), pi,pi( 1)ei ), frei/freili, trei(「三」), s6U(「雌
C c {雪 c
豚」),nei(「新しい」), kφUe(「噛む」);wht(「遠い」) C
つねに強勢を受けるvorbeiは二重母音を伴って現われるが,無強勢位置に立 ちうるbeiはpiとpiが並存する(Keller 1962,334)。
高地ドイツ語方言北部のピアトスニ重母音地域においても,Wrede(1895,
289)の指摘する』謔、に,biが一一部の方言では保持されている。
5)
i6) リプアール方言(ミュールハイム)
tit(「時」), vif(「女」);seig(「濾過する」),broue(「醸造する」)
このミ≧一ルハイム方言ではbeiであるが(Wrede同287), Holthaus(1888,、
347£354f)の肌リプアール方言壱嘱する・ンスドルフ方言窃記述では,様
相は異なる。
(7)dik(「池」), ut(無強勢ではut aus);drei(「三」), frei, bouen C C
ビアトスニ重母音が現われることは同じであるが,mhd. biは強勢位置ではbi のままである(Kanstu nit dobi bliwen P「そばに居てくれないかい」Holthaus 言をあげることができる(Wrede 1895,287)。リプアール方言,低フランケン 方言ではビアトスニ重母音が一一般的であるが,beiについてはかなりの地域に わたって二重母音化からはずされるのである。北部方言のもう一方のビアトス 二重母音地域は,北ヘッセン方言とチューリンゲン方言が接する地域である。
8)
i8)チューリンゲン方言(クラインシュマルカルデン):
vid(「遠い」)jrUvo(「ねじ」);乞rei(「叫ぶ」), bl6並(「殴る」) ・ ■ ● ・ cc
北ヘッセン方言(ローテンブルク近く):
dreie(「三」), s60(「雌豚」)
●
この地域のヒアトスニ重母音化ではbeiは例外なく二重母音である(Wrede
1895,289)。
このような複雑な分布上の相違をみせる地域に圏まれるようにして,すべて 9)の環境について二重母音の現われる高地ドイツ語諸方言がある。これらの方言
分布を二重母音化の環境にしたがって表わすと次のようになろう。
(9) (a) (b) (c) (d)
一v−{;レ#−c
A.アッペンツェル方言 + B.スイス方言(ベルン・デイトリコン),
ジーガーラント・レムシャイト。ロン 十 十 スドルフ方言
C.上ライン方言 + + (+)
D・アルザス方言,リプアール方言,低フ
ランケン方言,北ヘッセン・チューリ 十 十 十 ンゲン方言
E.バイエルン・シュヴァーペン方言,ラ
インフランケン方言,東フランケン方 十 十 十 十 言,中フランケン方言,ヘッセン方言
(b)の{V,#}は,母音で終りパラディグマの関係に立つ語の環境を表わし ている。この図表にみるように,二重母音化は可能な四つの環境をひとつづつ 含み込みながら拡大してゆく分布として把えることができる。これを私は地理 的〈一般化〉と呼ぶ。福本(1977)において,私はいくつかの音韻変化につい てこのような〈一般化〉を示す方言分布が素性レベルと音類レベルというふた つのレベルにおいて観察されることを示した。さらに,通時的なプロセスにお いても,この〈一般化〉が極めて自然なものであることを明らかにした。また 音類レベルでの通時的な〈一般化〉には,パラディグマの存在と語境界と子音 の近縁性とが大きな役割を果すことが分った(福本同15)。とすれは,新二重 母音の地理的一般化を示す分布は,新高ドイツ語二重母音化が通時的にもく一 般化〉の経路を辿って成立したものではないかという想定を強く迫るものであ
ろう。つまり,もう一渡繰り返すならば,新高ドイツ語二重母音化は同一の音 声条件に基づいて自立的に発生した音韻変化であり,各方言にあってはそれぞ れ進度のずれはあっても全体として一定方向への〈一般化〉の道を進んだので はなかったか,ということである。もし,文献的なデータによって一般的二重 母音化を示すEの諸方言で母音前での二重母音化が他の環境に先んじて出現し
たことが実証されれば,通時的〈一般化〉はきわめて強力な裏付けを得ること になろう。そして,そのようなデータは決して少なくないのである。
2.ピアトスニ重母音化の先行
PMSが二重母音化をく古いビアトスニ重母音化〉とく新しい子音前二重母 音化〉に分けたように,ピアトスニ重母音の先行は研究者の多くが認めるとこ ろである。SUtterlinは10世紀に属する外来語の例をあげたあとで,「これ以外 の本来の二重母音化の始まりは,たとえばS仁EmmeranとBerchtesgadenの 贈与書(Newnhusen)のように,どの文献でもまず最初に母音の前に現われた
…」(Sntterlin l 924,134)と述ぺて,母音の前でのこ重母音が先に文献的に現 われることを指摘している。12世紀のオーストリア方言に属するこのNewn一 husenを始めとするNeuinhusen, Trieuenriut, Treueritの地名表記の例は,
Wrede(1895,295)も二重母音化の母音前での先行を示す例としてあげている
10)
ものである。また,Wiesinger(1962,229)はシュレジア方言での二重母音の発 展についての文献的研究をもとに,13世紀中頃の文書に現われるbowart(mhd.
*burat>*bourat「建築監督官」の誤記)と約半紀後のwyes(mhd. wise「仕 方」),wiele(mhd. wile「時間」)等の表記とを対比して, b亘wen>bouwenな
どのビアトスニ重母音がシュレジア方言では先行して出現したと判断してい る。さらに,Wiesingerはシュレジア方言ばかりでなく,「今日(ビアトスと子 音前の)両方の位置での発展が同音価を示している地域で,ピアトスと語末で の二重母音化が時間的に先行したことは歴史的研究によって証明される。たと えば,南バイエルン方言でのビアトス。語末二重母音化の最初の証拠は子音の 前での二重母音化の始まりに比べて数十年早く現われる」(W量esinger同228)
11)
と述べている。新高ドイツ語二重母音化が最初にバイエルン・オーストリア 方言内で現われたことは文献的な研究から疑いないとされている(Weinhold 1883,99;PMS 48)。しかし,実際の発音上の二重母音の出現の時期について
は研究者の意見は一致していないし,バイエルン・オーストリア方言でのヒ アトスニ重母音の先行についても,上にあげた研究者とは異なりWeinhold,
Wilmannsらはきわめて慎重である。たしかに, SatterlinやWredeのあげた 12世紀に属するNewnhusen, Treuenritの表記例は, SUtterlin自身指摘するよ
うに子音前での二重母音の例がすでに12世紀に出ているのであるから(huos一 herro, sietこれらの〈uo>,<ie>を二重母音の誤記と解釈したとして),そ れ自体ピアトスニ重母音の先行を証明するものではない。Weinhold(1883,99)
は,信頼しうる二重母音化の例としてHadeweich(ll58年),Schwe圭nachirchen
(ll59年), Swdnahe(ll60年)をあげているが(いずれも地名),これらもやはり 12世紀に属する。同様な意味で,Schr6der(1898,30)のあげた12世紀のピア
トスニ重母音の例(vogteie「代官職」, abbeteie「僧院」, 1うava五e地名:12世 紀中頃のKaisercbronikの例)も決定的な証拠とはならないだろう。 Wilhelm
(1909,375)はServatiusの例(gebruchen;louchenの脚韻)から,遅くとも Servatiusの成立した1175年にはバイエルン方言全域にわたって二重母音化(子 音前も含めて)が終了していたと指摘しているし,Mayer(1929,288)によれ
12)
ば,ヴェンド語への借用語(far6uL mhd. pharreh負s「司祭館」)との関係から 11世紀末には子音前をも含めて二重母音化が起こっていたと考えなければなら ない。これらのことは,バイエルン・オーストリア方言では遅くとも11世紀後 半から12世紀前半にはすでに子音を環境とする二重母音化が完了していたこと を示唆している。そこで,もしビアトスニ重母音化が子音前二重母音化に先行
ばならない。
Behaghe1(1916,165)は,10世紀での唯一の新二重母音の例として977年の Otto皿.の文書にある俗ラテン語decaniaからの借用語tegneia(「首席司祭 職(館)」)をあげている。Michels(1921,95)はこの977年の例に加えて,
Notker(1022年)のPaveia(〈Pavia地名)の例をあげながらも,これらの初 期の散発的なビアトスニ重母音とバイエルン方言の二重母音化は無関係であ
ると断じている。SUtterlin(1924,134)は上の例のほかに10世紀後半に属する abbateia(中世ラテン語abbatia)の例を指摘するが,新高ドイツ語二重母音化 との関係を具体的には説明していない。Wilmanns(1911,1.294)も脚註で これらの例に言及するが,新高ドイツ語二重母音化との関係は否定して,「こ
13)
のeiをどのように説明したらよいか私には分からない」という。しかし,母
音の前に立つこれらのeiが長母音iの二重母音化と考える以外には合理的な 説明はみつかるまい。そして,〈一般化〉論に立つならば,これらの10世紀後 半にあらわれる新しい二重母音は11世紀での子音前の二重母音化に連なってい
くビアトスニ重母音化先行を証明するものと考えなければならないであろう。
tegneia・abbabeia・paveiaのようにその出現が文献的に外来語に限られている としても・一般に外来語が自国語のように表記上の伝統に束縛されることが少 ないのを考えれば納得がいこう。だが,ピアトスニ重母音が決して外来語に限
る・Schatz(1907・20)は10世紀中頃のフライジング古文書(バイエルン方言)
で三箇所にわたって現われるpou一の例をあげている(poustettin, poustetti
「居住地」)。このpou一はahd. bUwen(「住む」)の二重母音形であり,この 時期にはbnwenをbouwenに変えるピアトスニ重母音化がすでに起こってい たと考えなければならない。 このpou一の例は,新高ドイツ語二重母音化に 関して従来の研究者から不当に無視されてきたが,漸進的な〈一般化〉の時間 的局面を考慮すれば10世紀中後期でのビアトスニ重母音は決して不自然ではな い。おそらく10世紀中頃にすでに母音の前で二重母音化が始まり,早いうちに 語境界を含み込みながら環境の拡大を続けて,11世紀から12世紀に至るあいだ に子音環境への一般化を終了したと考えられるのである。
バイエルン・オーストリア方言以外の諸方言ではどうであったか。シュレジ ヤ方言については,13世紀前半にピアトスニ重母音化が起こり,およそ半世紀 遅れて子音の前での二重母音が出現することを指摘したWiesinger(1961)の 文献的研究を信頼してよいであろう。ビアトスニ重母音化の先行を想定しうる 例は,12世紀の中部フランケン方言およびラインフランケン方言にも現われて いる。Michels(1921,100)によれば,これらの中(西)部方言では一aw一は 一〇uw一と脚韻された(schouwen, frowen:riuwen「悲しむ」;vrouwe:riuwe,
triuweなど)。中部ドイツ方言ではahd. iu(二重母音)は後に半母音uを従 ( 一えるとき,他の高地方言のようにウムラウトUとは融合せずに長音亘となった
14)
フで(SchirmunskH 962,225),この例のriuwen, r量uwe(「悲しみ」), triuwe
(「誠実」)とschouwen(「見る」), frouwen(「喜ぶ」), vr6uwe(「(貴)婦人」)との
脚韻はαw>ouwを示している。中部ドイツ西部に多く見られる地名Nauen一
he画Naumbu「&N・・nd・・£、漂・unh・fはこの豆w>・uw(mh乱niuw・r新しい」)の残存形にほかならない。また,Michels(1921,100)によれば,チュー
リンゲンの騎士Heinrich von Morungen(13世紀初頭)にもfrouweとge一 trαwe(mhd. getriuwe r誠実な」)を脚韻させた例がある。これらのヒアトス前 での二重母音化のきわめて早い例を除くと,中部ドイツ方言での新二重母音の 表記は15世紀から16世紀になってようやく一般的となる(Moser I929」55)。
その他の方言でのヒアトスニ重母音の先行は,文献的なデータに頼る限り必ら ずしも明瞭ではない。Martin(1877, l l 7)によると,ボヘミア方言では14世紀 前半にはすでにai, auの低音域に到した一般的二重母音があった(1318年:
sneider,1eiden, bei,1324年:wein, tausent,1328年:aus, au£1329年:ei, pey・
ausraumenなど)。シュヴァーペン方言では,15世紀中頃になって子音前での 一般的な二重母音が散発的に現われ始める(1463年:zeyt・zeytten・weys・
weyssen;Kaufmann 1888,465)。この比較的遅い一般二重母音化を示す散発的 な例は,これらの方言にあってもビアトスでの二重母音が時間的に先行したと いう想定を不可能にするほどのものではない。ピアトスニ重母音の早い例をも つ方言にあっても,その数は限られ,多くは従来の長音表記(あるいは単母音 表記)が用いられた。ビアトスニ重母音が母音(および語末)前という環境的 に条件付けられた現象である限りは,表記されることがきわめてまれであった としても不思議ではない。それは,ウムラウトがすでに8世紀中頃には音声的 には成立していたにもかかわらず(Penzl l 949),古高ドイツ語期はもとより中 高ドイツ語期に至るまで表記されなかったのと事情は似ている。そこには,構 造音韻論者がウムラウトについて主張するように(Moulton, Penzl),ビアトス 二重母音も音声的環境に支配された異音であったという言語内的理由だけでは なく,少なくとも新二重母音の場合には伝統的表記法の大きな束縛があったこ
とをあげなければならない。そのような束縛は文学作品にあっては伝統的形式 16)
的文体意識とあいまってとりわけ強かったであろうことは想像に難くない。古 文書を中心にあらわれる数少ない例を除けば,ビアトスご重母音はもとより一 般的二重母音も15〜16世紀に至るまで伝統的なi,負表記が用いられたのであ
る。しかし,実際の音韻変化としては数少ない例の示すように現在の二重母音 化地域のすぺての方言において,遅くとも14〜15世紀にはことごとく二重母音 化を完了していたとみるのが自然である。その意味で,<新高ドイツ語二重母 音化〉という名称は,新高ドイツ語期になってようやく表記上の権利を獲得し
たことを表現しているにすぎない。
いずれにしても,10〜13世紀においてはビアトスニ重母音がつねに先行して
現われるという事実はみのがすことはできない。地理的〈一般化〉を示す方言 分布と,母音前での二重母音化の先行を示す文献的なデータの存在は,〈新高 ドイツ語二重母音化〉の最初の段階がビアトスニ重母音化であり,それが通時 的に環境を拡大しながら一般化したという想定を迫るものであろう。この想定 が妥当であるとすれば,つぎに明らかにされなければならないのは,第一段階 としてのビアトスニ重母音化の音声的条件である。環境を拡大することによっ てく無条件変化〉に至った新高ドイツ語二重母音化の元来の音声的成因は何で あったのか,という問題である。
3.ピアトス半母音の歴史
ピアトスとは母音接続を意味し,主強勢をもつ長母音ないし二重母音に,分 離して発音されるもうひとつの母音が直接に接続する連鎖である(たとえば,
etwaig[εt va:igコ, miau[mi,au];Bithell 1952,94 f)。したがって,一般にくヒ アトスニ重母音化〉と言われる場合,長母音i,自,三uが直接うしろに母音を従 えたときに起こる二重母音化ということになる。Behaghel(1916,164), Mih一 hels(1924,97)はこの意味で〈母音の前での二重母音化〉という表現を用いて いる。Moulton(1965,115)はこの点に関してより慎重であって,ピアトスニ 重母音化の環境を〈母音ないし半母音の前〉という二様の表現で特徴づけた:7)
Moultonは二重母音化の環境として半母音が立つ可能性を示唆したが,構造音 韻論者としての彼の関心はあくまで構造論的な〈音素分裂〉とく音素融合〉で 18)
?閨Cビアトスニ重母音の音声的な成因の問題にはふれなかった。だが,実は この母音接続位置での半母音の存在を抜いては,ピアトスニ重母音の成立を考 えることはできないのである。
現代標準ドイツ語でもビアトス半母音が生じることがないではない(Maria
[mari:a:]/[mari:ia:]人名;Ruine[ru i:noコ/[ruui:n9コ「廃城」:Bithel1
A (
1952・96)。しかし,これらのビアトス半母音はおもに外来語にあらわれる例 外的な現象であり,現在ドイツ語でも母音接続位置に規則的に半母音が発音さ れるのは少数の方言に限られる。この現代ドイツ語の事情は,中高ドイツ語,
古高ドイツ語にはそのままあてはまらない。中高ドイツ語後期に至るまでは,
少なくともゲルケン語から受けついだ語源的半母音は長母音および二重母音の 19)
あとでは保持された。ここでは,語源的には半母音が存在しないにもかかわら
ず,ビアトス位置に半母音が挿入された例をあげよう。これは,古高地ドイツ 語から中高地ドイツ語にかけてVVGV(V=母音, G=半母音)という音声構
20)
造が語源的非語源的をとわず一般的なパターンとして存在したことを示し,そ れによって,母音接続位置に起こったとされる二重母音化が決してく母音の 前〉ではなく,実は〈半母音の前〉での現象であったことが明らかになるので
ある。
ヒアトス位置に非語源的な半母音がかって存在したことを明白に物語る例は Veigelein(「すみれ」)である。これはラテン語violaが古高ドイツ語期に受け 入れられ,初期中高ドイツ語ではvio1, vielとなり,それに縮小接辞一inが 付けられたものである(Kluge I 963:Veilchenの項)。方言や民謡に現われる
Veigeleinの音形は,元来語源的には存在しなかった半母音iが*fi董elinとし ( (
て挿入され,それが中高ドイツ語後期の半母音消失をまぬがれて子音化した
(i>j>g)と考えなければならないであろう。南ラインフランケン方言に属す
( 21)
驛宴bペナウ方言のfaig1の9音もかつての非語源的半母音に由来する(Mei一 singer 1901, I l 7)。逆にいえば,この9音は古い時代のピアトスにおける非語 源的な半母音の存在を示すものである。同様なことは,ベルン方言に現われる
sik( sei ), sikot( seiet ),;isiki( 三ch sei ,), mor sike( wir seien )につい
てもあてはまろう(Krauter l877,268)。 sein動詞のパラディグマに現われる
このk音は,かつてビアトス位置に存在した半母音iの子音化したものとする (
以外には説明できない(*si至et>*s巧ot>*siket>siket)。 (
現代方言を探すまでもなく,中高ドイツ語において非語源的な半母音の存在 を直接に証明する例は少なくない。ゲルマン音から古高ドイツ語への過程で,
先行母音を長母音ないし二重母音としなかった半母音をK6gel(1884・524)は w2, j 2として区別したが,たとえはaw2はその後語末ではaoあるいは縮合さ れて6となった(BREG l O7 ff)。したがって, germ・*hrawa・,*fraw砺*stra一 w撫はそれぞれ(h)rao, frao, straoを経てahd. lr6(「生の」), fr6(「喜ば
しい」),str6(「わら」)となるが,母音の前でもfrauuer, frouuer, rouuer,
*Strawe(3格)からやがて縮合形6が現われる(fr6er, r6er, str6e)。しかし,
これらのvrδer, rδer, strδeと並んで,半母音を加えたvr6wer, vr6wes, vr6一 west;r6Wes, rawes;str6we, stroewinの音形が中高ドイツ語期ではむしろ一般 的であった(Lexer Mhd. HWBによる)。語源的な半母音はaw>ao>6とい
う変化によってすでに存在しないのであるから,これらの表記にあらわれた半
母音w(u)は二次的に挿入された非語源的なものと考えなければならない。
^ 22)
語源的な半母音が母音の前では残されたのと同じように,長母音(および二重 母音)が後に母音を従えるときVVGVの音声構造のパターンに基づいて非語 源的な半母音が入れられたと解釈することができる。
ヒアトスでの非音源的な半母音の挿入は,r(まれにDの前での無強勢母音 eの出現の場合にも観察できる。このe音の出現は,長母音i,自,iu(あるいは すでに二重母音化したei, ou,樋;いずれにしてもVI V2のV2が高舌母音)
とr(1)とのあいだに起こり,mhd. bar, sar, sch伽, f量urは新高ドイツ語では それぞれBauer(「村民,農夫」), sauer(「酸い」), Schauer(「にわか雨」),
23)
eeuer(「火」)となった(Wilmanns l 911,383;Michels 1921,152)。このe音 がいつごろ出現したかは,現在のところまだ明らかにされていないが,少な くとも文献的には13世紀頃から散発的に表記され始めたようである(Weinhold 1883,80)。ここで大切なことは,Weinholdのあげているe音の表記された例 をみる限り少数の例外を除いて(sael「柱」, m血er「壁」),ほとんどの場合先行 母音とeのあいだに非語源的な半母音が入れられていることである。
(10)sivel(mhd・s血1「柱」), fiwer, f iuwer, veuer, vαwer(V・ずれも mhd・fiur「火」), hiuwer(mhd. hiure「今年」), ungehiuwer,
gehαwer(mhd. ungehiure「気味の悪い」), tiwer, tαwer(mhd.
tiure「高価(貴)な」), stiuwer(mhd. stiure)
この事情はLexerのHWBを繰ってみても全く同じであり,少数の例を除 くと(mhd・viren/rirenただしvigem「祝う」)e音の前には半母音がある。
Krauter(1877,272)も, suwel, schuwer, suwer, tiwer, tiuwer, viwer, v三uwer,
o ●
唐狽撃浮翌?秩C vlgernの例をあげて,半母音の入った表記が一般的であったと述べて いる。この半母音が非語源的なものであることはいうまでもない。これらの例 は,いいかえれば,中高ドイツ語でのVVGVという音声構造の存在を示して いる。つまり,この非語源的半母音の出現は,VVGVの構造的要請に従った
ものである。
このVVGVのパターンが中高ドイツ語になって突然あらわれたものではな く,すでに古高ドイツ語時代から存在していたことを教えてくれるのは母音動 詞(Verba pura)である。母音動詞は語幹が長母音譲および二重母音uoに終 るもので,古高ドイツ語以降は第一弱変化動詞(rlan動詞)に属するが,元来
は強変化反復動詞であった(BREG llO, BRE825)。標準化された表記法を用 いれば,母音動詞の古高・中高ドイツ語の例は次のようなものがある。
(11) ahd. mhd. nhd.
s議en sεejen saen (「種をまく」)㌔
baen bεejen baen (「(羊が)鳴く」)
gluoen glUejep. glUhen(「赤熱する」)
mUOen maejen mUhen(「努める」) US凱
ここで問題とするのは中高ドイツ語にあらわれる半母音jの由来である。この 半母音はいつ頃,どのようにして成立したのか。母音動詞のピアトス位置での 半母音表記は決して中高ドイツ語期になって始まったものではない。古高ドイ ツ語期のきわめて早い時期から散発的にではあるが,明らかに母音接続位置に
<h>,〈i>,〈9>,〈uu>の表記があらわれる。 Bremer(1886,61 ff)の集 めた例から代表的なものを時代と方言に従って整理してみると次のようにな
る。
働 〈8世紀後半〉
バイエルン方言;arplahanti(「ふくらます」の現分), arplahant
(同・現・3・複),gesa叫it(「種をまく」の過分);アレマン方言:
wahendi(「吹く」の現分), kitrahit(「廻る」の過分), saio(「種 をまく人」);東フランケン方言:gisauuit(「種をまく」の過分),
crauu(「鳴く」の現・1・単)
〈9世紀〉
バイ午ルン方言:sagoer(「種まく人D, plugentiu, pluogentiu
(「咲く」の現分・1・4格・中・複),sahari(「種まく人」);アレ マン方言:sab(同);東フランケン方言(Tatian):sauuiu.(「種 まく」の現・1・単),sahit(同。現・3・単), sauuit(同);南 ラインフランケン(Otfrid):irknahet(「知る」の現・2・複),
firuuahent(「吹く」の現・3・複), krahe(「鳴く」の願望・現・
3・単)
〈9世紀〜11世紀〉
バイエルン方言:clμ〇三entes(「赤熱する」の現分・2格・単),
Pluogentiu(「咲く」の現分・1・4格・中・複), muogentemo(「i努 める」の現分・3格・男・単),gemu・gide(同・過分・3格・単);
アレマン方言:saiin(「種まく」の不定);東フランケン方言1 uuaiet(「吹く」の現。3・単), blαoient(「咲く」の現・3・複),
b1食ouuen(同・願望・現・3・複)
Bremerのほぼ完全に収集された8〜11世紀の第一弱変化動詞の語彙リストから のごく限られた数をあげたにすぎないが,少なくともビアトス位置での特殊な 表記の存在とその変遷は見てとることができよう。これらの表記はどのような 音価と結びついていたのだろうか。<h>は一般にはgerm. hから受け継いだ 軟口蓋摩擦音[x]を表わしたが,母音の前ではこの[xコは8世紀には気息音
[L]になっていた(BREG l43)。しかし,古高ドイツ語初期に母音動詞の例に 現われる<h>が,[xコあるいは[hコの音価をもっていたと考えることはで
きない。中高ドイツ語になって明確に表記される半母音iとの自然な関係を見 (
失なうことになる。<9>については明らかであり,BREG(109)によると早
い時期から硬口蓋母音(e,i)の前での〈g>は半母音iを表記した(強変化 (
動詞jεhan「言う」;過去iah, iahun/現在gihu, gehan)。中高ドイツ語期には
<9>は〈i>と並んで半母音まの代表的な表記法であった(PM呂101)。こ のような表記の相違に対するSchatzの説明はきわめて明快であり,8世紀後 半に属するarplalant,9世紀のsahari, pluogent三u, cluoientesの例をあげてこ
れらの<9>,<i>,〈h>がいずれも半母音j(i)を表示したと述べている (
(Scha亡z I 902・102)。 Schatzのいうようにくh>が母音動詞の例において半母
音iを表わしたとすれば,中高ドイツ語になって明白に表記される半母音はす 24)でに8世紀から存在していたことを意味する。
ここで問題となるのはこの半母音の由来である。まず,この半母音を母音動 詞の属した第一弱変化動詞の接続一」一が残されたものと考えることはできない だろう。第一弱変化動詞の半母音jは,結合母音一レの前では西ゲルマン語二 重子音化の起こる前にすでに消失していた(BREG 257)。−i一母音以外のパ
ラディグマでもjは古高ドイツ語期に入る前にことごとく姿を消し,jを保存 したのはわずかに一rに終る少数の動詞に限られた(nerien「救う」, ter(r)en
/terien「害を与える」, gibur(r)en/gibur三en「起こる」)。したがって,母音動 詞が本辛の強変化動詞から第一弱変化動詞に移行したと考えられる8世紀中頃
(Bremer 1886・62)には,少数の一r動詞の除いて接辞jによるパラディグマ
はほとんど崩壊していたと考えなければならないのであり,母音動詞のjを 25)
第一弱変化動詞に由来すると想定することは不可能である。母音動詞の半母音 は,むしろ1}remer(同71)のいうように母音間の過渡音として音声的に成立 したものであり,そしてそのような過渡音の出現は,WGVという音声パター ンの構造的要請に従った現象と考えるのが妥当であろう。いいかえれば,母音 動詞のビアトス位置での非語源的半母音のきわめて早い出現は,すでに古高ド
イツ語期にはVVGVの音声構造のパターンが存在したことを示している。
今までみた例を通じて分かることは,WGVの音声髄が遅くとも古高ドイ ツ語の初期から中高語末期に至るまで存在し,ビアトスでの非語源的な半母音 の出現はこの構造からの要請に従ったものと考えられることである。く新高ド
イツ語二重母音化〉にとって大切なのは,10世紀から13世紀にかけて起こった であろうピアトスニ重母音化が,VVGVの音声構造が示すように,決してく母 音の前〉での二重母音化ではなく,実は〈半母音の前〉での現象であったとい
うことである。方言分布に見られる母音前の二重母音(ただし,半母音を保 持している方言があるのは注目に価する)は,中高ドイツ語末期に起こったヒ アトス半母音消失(福本1977,15f)によって元の音声構造が変化したために すぎない。それでは,このようなVVGVの構造に起こった二重母音化とは,
いったいどのような音声的メカニズムによるのであろうか。
4.高舌母音と半母音の異音化
〈新高ドイツ語二重母音化〉を受けたのは,長母音のなかでも高舌母音(i,
一ソ,a)だけである。ビアトスニ重母音成立のプロセスを明らかにするためには 古高ドイツ語から中高ドイツ語末期まで存在したVVGVの音声構造にもとづ _1
「て,高舌母音i,Ω,uと後続する半母音(i, u)との結びつきが音声的にど A (
のような性質のものであったかを確定する必要がある。
まず軟口蓋母音iであるが,これが非語源的半母音と結びついてあらわれる 例は比較的少なく,b匂wan(第一弱変化動詞「住む;耕す」), trOwen(同第三
「信頼する」)のほかに,ah乱ingrUwen(同第三「ゾッとする」mhd・grUwen)
を加えることができる程度である。むろん,bUwanの派生名詞bu/b囎es(「居 住地」),b轟幅ri(mh乱bαw記re「農夫」), bαwa(「農婦」)も忘れてはならな い。軟口蓋母音亘と後続する母音要素との間に出現する非語源的な半母音は,
上の例から明らかなように,円唇音性半母音uだけである。亘とuは音声的
A (
に軟口蓋音性と円唇音性のふたつの点で共通性をもつ音声であり,この場合の WGVの音声構造に従った非語源的なビアトス栂音の出現は,,音声学的にき わめて自然な現象ということができる。語源的な半母音はというと,長母音亘
に続いてはU以外にはなく,これは歴史的に規定されていると考えられる。 (
K6ge1(且884,554)は吋1, uj2の存在を示す例が全くないことを指摘している。
VuGVの構造での語源的uはほぼ次の例に尽きよう。 A
(13) uww>uw:ahd. scuwo(「影」), bluwun, gibltLwan(bliuwan「殴 る」強変化動詞∬aの複・過去;過分),r伽un, gimwan(riu一 wan「嘆く」の同), k加un, gik亘wan(k三uwan「咀噛する」の 同),rawun, gimwan(「niuwan「破壊する」の同), bruwun,
gibrnwan(briuwan「醸造する」の同)
aww>ouw:ahd. houwan(「切り込む」), scouw6n(「見る」),
glouwer(glou「賢い」), touwes(「露」2格)
awj>aww>ouw:frouwa(「(貴)婦人」), gouwes(gewi「地方」
2格),houwes(hewi「干し草」2格)
古高ドイツ語の音声構造VVGVに対する音声的制約のひとつとして,円唇性母 音(o,ou)に続く半母音は,語源的と非語源的とを問わず先行母音と共通の円
唇性を音声特徴とするUに限られるいう条件があったと考えることができる。 (
二重母音化を受けるのは,したがってiuの連鎖である。長母音と二重母音
26) (
は構造的に同価であるから,ピアトスニ重母音化を受けた連鎖は一UUU一で
27) (
あったことが分かる。
一
d口蓋性円唇母音(u,6u)についても,後続する半母音に関してΩ, ouの 場合と同し音声的制約が働いていたと思われる。しかしここでは,まず,ビア
一
gスニ重母音化(この場合貢>6のに先だって起こったいくつかの変化との時 間的関係を明らかにしておかねばならない。中高ドイツ語になって初めて表記 されるouのウムラウトは8世紀には出現していたと考えられるから, ahd・
10ufit, einougi, houwiなどは当時実際の発音は16Ufit, ein6Ugi, h瓠wiであっ
28)
たことになる(Penzl l 971,115ff)。二重母音iuは, germ. euが歯音ないし germ. hとi, j, uを従えるとき,あるいは円唇子音ないし硬口蓋子音を従える
とき成立したが(BREG 48ff),これは後続するi, jによってさらにioに転
じられた([d五並tisk]「俗語の」,[diuten]<*de而an「示す」,[1iatiコ「人々」,
29)
[niUwi]「新しい」;Penzl l 971,118;Moulton l 96 L 503)。 germ・亘もi一ウ
一 _
ムラウトを受けるが(hu¢i>[hαti]「皮」複, hUsir>[hUsir]),やがてこのふ
たつは融合する。10世紀末から11世紀初頭のNotkerにはきわめて正確にoの ウムラオトは<iu>と表記されるので,この融合は遅くとも10世紀後半には
120)。
(14) 9世紀 10世紀
/io ieeu \・ ・.. 1U}1U\r・
普@ 五/u\、 、 、 、 、 、 、 、OU 60 \6U
さて,VVGVの構造にもどれば,ここでも先行母音極,6U.と後続する半母音 はともに円唇性という音声的特徴で結ばれている。
(15)囎u:ahd・gibuwida(mhd. gebαwede r建物」),伽ila(mhd. 0 1uwe1「フクロウ」), iuwer(mhd, iuwer euer), niuwi(1nhd.
niuwe「新しい」), hriuwa(mhd, riuwe「悲しみ」), sowi(mhd.
siuwe・sα「雌豚」の2格), spriuwir(mhd・,spriuwe蔦spr五u(も み穀」の複),triuwa(mhd。 triuwa「誠実」)
(「ふりまく」)USW・
VhGVの音声連鎖における半母音の唯一可能な音声特徴は円唇性である。ビア
トスニ重母音のもととなった連鎖はUUuであったわけである。 (
非円唇母音i,eiと半母音との連鎖はどうであったか。まず, dについて
は,語源的な半母音は非円唇半母音iに限られる。germ. ai>eiに語源的な半 (
1961,495f)。
⑯got・saiws:ahd. seo, se/sewes(「湖」)
got・saiwala:ahd・sela/sewla「魂」, ahd。 ewa(「法」), wewo(「痛 み」),hleo/hl邑/16(「墓陵」)
半母音との連鎖を全くもつことのなかった間投詞も7世紀には単母音化した
(got・sai:ahd・se「見よ!」, got. wai:ahd. we「痛い!」)。つまり,古高ドイ
ツ語ではそもそも語源的な牝eiu一の連鎖は全く存在しなかったのである。一 (
方,語源的な一eii一連鎖は古高・中高ドイツ語期を通してあらわれる(K6gel A
董884,542f;BREG llO)。
(1ηajj>萌:ahd・zweijo(「二」2格・中性), eiies(「卵」2格), eigir,
eiier(同・複), uueigont(「いななく」現・3・複),1eige(「岩」)
円唇半母音Uを表記する<UU>が,<i>,〈g>の位置に現われることは全 A
くない。このことは非円唇長母音iと語源的iについてもあてはまる(K6ge1 (
1884,544)。
⑯塒>ij:aL&f均a(「愛の女神」), frigetag(「金曜日」<f均a)
dr(i)o(「三」2格・中), mhd. driger, dier
非語源的な半母音が,VVGVの構造的要請に従って入れられる場合もつね
に三である。 (
㈲ij>i:ahd・vigant, fi五ant(「敵」), friger, frier, frige(「自由な」),
mhd. vrigen(「自由にする」)
非語源的なUがこの位置に入れられる例は全くないのである。 (
ところが,古高ドイツ語にはiとuとが語源的に連結している例がいくつ (
かある。
(⑳)ahd. hiwen(「結婚する」), spiwen(「つばを吐く」), blio/bliwes
(bli「鉛」の2格), kliwa(「糠D, wiw記re(「池」), sniwan(「雪 がふる」)
これらの語源的Uは,きわめて興味深い表記の変動をみせている。9世紀以降 (
<UU>,<W>は<g><i>に取って代られる例が現われるのである。
ωhigi(「婚姻」), higisgi(「家庭」), hiien(「結婚する」), unkihigiter
(「未婚の」),Uzspiget(「はき出す」), spigen(「つばを吐く」),
versniegun perga(「雪の積った山々」〈versniwanの過分・形)
bliwes, bliwa, wi糀ereについては,古高ドイツ語期には同様な表記の変化はみ あたらないが,中高ドイツ語の表記では伝統的な<w>表記と並んで<g>,
<i>が一般的に用いられた(Lexer HWB;Moser l 951,92)。
囲 mhd. bliwes, bliges;bliiin, bligin(「鉛の」), kliwe, klige, klie;
A A o
vIWer・Wlge「;Snlgen
この一定方向への表記上の変化は何を意味するのだろうか。おそらくもっとも 自然な説明は,VVGVの音声構造での二重母音および長母音と接続する半母音 との間の音声的な制約による統一化であろう。uuuとouu, iiiとeiiという,
( ( 畠 (
当時すでに成立していた音声連鎖は,円唇母音+円唇半母音,非円唇母音+非 円唇半母音というように音声的にきわめて自然な連鎖構造をもっていた。この
ような円唇性を共通の特徴とした音声パターンが,語源的な五iu連鎖をその語 (
源性を越えて音声的に自然なiiiの連鎖に移行させたと考えるべきであろう。 (
iに続く語源的なUがその語源性を失ってiに移行する変化は,すでに9世
( (
紀に始まっていた。そして,遅くとも10世紀中頃にはもはや終了していたと考 えるのが,その語彙の少ないことからみて自然であろう。とすれば,ピアトス 二重母音出現の直前でのVVGVの音声的な構造は,次のようなものでなけれ
ばならない。
胆3) VVGV VVGV
+円唇性 u u u( O UU(
+円唇性 nUu 6Uu
一円唇性 iif ひ?奄
( (
ヒァトスニ重母音はどのよ うにして起こったのか。その音声的条件は,VV の構造をもつ長母音とGの半母音とがその円唇性あるいは非円唇性を共通特徴
として過長な音声連鎖を形成したところにある。そして,ここでの音声的な変 動は先行母音と半母音とのく異音化〉にほかならない。同一の調音的特徴をも i
ツ先行母音の第一要素と半母音とのあいだに起こった〈異音化現象〉である。
〈異音化〉とは,Henzen(1954,169)によれば「不快に感じられる同一調音
の繰り返しを避ける」ところにあるが,長母音と半母音の連鎖iii, uuu,廿伽の
A ( (
場合,円唇性あるいは非円唇性が共通であるばかりでなく高舌音性についても 全く同一の調音特徴の過長な連鎖が形成された。その結果,VVGVの円唇・非
円唇という音声的制約はそのままに(この制約は従来からの二重母音連鎖eii, (
餌) VVGV VVGV 円唇性 +++ 一一一 高舌音性 ㊥十十 ㊦十十
@ ↓ ↓
@ (∋ ∈)
〈新高ドイツ語二重母音化〉の第1段階をなしたピアトスニ重母音化は,音声 的にはWGVの髄に支えられて第一賭と半母音とのあいだに生じた,高 舌音性に関する異音化現象であったとするのが私の結論である。こう考えれ 一
ホ,なぜ高舌母音(1,U, U)だけが二重母音化したかという疑問にもごく自然
30)
な説明を与えることができよう。半母音i,Uはいずれも高舌音性を音声特徴
( (
としているのであるから,VVGVでのく同一調音の繰り返し〉は高舌母音との 連鎖においてのみ出現しえたのである。その関連で,古高ドイツ語二重母音化 以降,中舌母音との連鎖*6w,*句が存在しなかったことも忘れてはならない。
ビアトス半母音は,中高ドイツ語末期の音声構造の大変動とともにほとんど の方言から消失した。〈新高ドイツ語二重母音化〉を喚起するという大任を果
して,半母音はドイツ語の音韻組織から静かに姿を消した。このような音声的 条件によって成立したヒアトスニ重母音は,語境界前での半母音消失とパラデ グの媒介を経てまず語境界へ環境を拡大し,そしてさらに語境界と子音の近縁 性(福本1977,14f)によって子音全体へと〈一般化〉の方向をたどった。1で みた地理的〈一般化〉は,この自然な通時的〈一般化〉の各段階を反映してい
ると見ることができるのである。
〔註〕
1)本稿中に用いたPMS, BREG, BREBはそれぞれPau1/Moser/Schr6bler 1969,
Braune/Eggers 1975, Braune/Ebbinghaus 1966を示す。
2)他方言ではおそらくdr!/dr宣e>dreiがdriu>*dr6廿〉*drdを駆逐したのであ 」
@ろう。ただし,drU>*dr茄から非円唇化してdreiと融合した可能性もある。
Wrede(1893,203)参照。
3)Burkheimはバーテン・ヴュルテンベルク州に属し, Fre1burg i・Br・から北西に 約30km,カイザーストゥールの西側のライン河に面する町である。
一
S)この方言では隣接するアルザス方言とともにo>馬ou>oiの口蓋化が起こった
(Kleiber 1959,8)。 したがって, mhd. b血wen>*bouwen>boia, mhd・*b re>
一bUr(子音前の二重母音化はない)。
5)例はWiesinger(1970,1.136)より。ただしビアトスニ重母音の例にはS廿tterHn
(1924.132)のあげているものも含めた。M田heimはノルトライン。ヴュヌ、トフ アマレン州に属し,恥sse1dorfの北方約25 kmに位置する,ルール河畔の町。
6)RonsdorfはD丘sseldor£から東へ約20km, WupPerta1近郊の町。以下にあげる RemscheidはこのRonsdorfから10kmほど南に位置する。
7)Siegerland方言はモーゼル。フランケン方言の北東部方言で,リプアール方言と 北西ヘッセン方言に接し,ノルトライン・ヴェストファーレン州南部ジーク河上流 の森林地域が中心。ビアトスニ重母音地域に属する。
8)例はWies董nger(1970,1.156,197)より。Rotenburgはヘッセン州に属し, Kasse!
北西部近郊に位置する(Kasselでは二重母音化は全くない)。
9)たとえば,バイエルン方言(lmst):tsvaeg(mhd. zwic「枝」),6taode(mhd. ● ・
st起e「多年生草本」), kxraets(mhd・kriuze「十字架」);シュヴァー一ペン方言:
ois(mhd. is「氷」), raide(mhd・riten),19童d(mhd・liute「人々」);ラインフラ
ンケン方言(Darmstadt近く):zaire(mhd. side「絹」),31aure(mhd. s1αdere e (三 ●
u投げる」),daifa1(mhd. tiufe1「悪魔」);上ヘッセン方言(Escherrod):dsaid ■
(mhd. zit), haus(mhd. has), d6ilor(mhd・tiure「高価な」)。 Wiesinger(19 C
V0),Schirmunski(1962), Schδner(1902)による。無条件にご重母音化した方言 としては,このほかに中フランケン方言(リプアール方言を除く),東フランケン 方言,東チューリンゲン方言,上ザクセン方言,シュレジア方言,ヘッセン方言の 大部分およびオーストリア方言が加わり,広大な地域を形成している(Behaghe1
1916,165)。
なお,d, g, b, zなどは無声弱子音を示す。これは一般にく内地ドイツ語子音弱 ● ・ ● ■
化〉と呼ばれる現象で,高地ドイツ語の多くの方言にあらわれる(PMS 91, Schir・
munski 1962,332)。しかし,方言記述によっては表記されないこともあり,以下 の例も子音に関してはそれぞれの方言記述からの表記法をそのまま用¥・る。
10)Wrede(1895)はく新高ドイツ語二重母音化〉の音声的原因をアクセントの転移に 求めた(アクセント転移説)。彼によれば,副アクセントが音節消失のために主ア クセントに移行して曲アクセントが生じ,それが二重母音化したというのである。
しかしこの説は,a)そのようなアクセント代償変化は音声的にも(SUtterliu 19
、24・135)・構造的にも(Penz11975,117f)にも想定し難いこと, b)音節消失と 二重母音化のふたつの境界が一致していないこと(Behaghel 1916,166;Schirmun一 ski 1962,222), c)音節消失と二重母音化のクロノロジーが,必らずしも音節消 失(e消失)⇒二重母音化という順序で起こったとはかぎらないこと,から一般に はもはや受け入れられていない。この反論のほかに,さらに,アクセント転移説で は高舌音母以来の長母音にも曲アクセントが起らなければならないのに,なぜ高舌 母音だけが二重母音となったのか説明されないことがあげられる。ビアトスニ重母 音の時間的先行については,ビアトスの場合にはアクセント転化が早く起こりえた と説明されるのであるが,これもアクセント転化ということ自体が疑しいのである から問題にならない。
11)Wiesinger(1962,1970)はく新高ドイツ語二重母音化〉の音声的成因を昇アクセ ントに求めた。音調の変動と曲アクセントとが微妙に重ね合わせられて二重母音の 成立が説明された。つまり,そこで音調の上昇変化と曲アクセント化というふたつ の種類のアクセントのあいだの微妙な一致が前提とされているが,二重母音化のよ うな広大な地域にわたる音韻変化にそのような幸運な一致を前提とすることは疑 問である。そのような一致を証明する歴史的な証拠もない。さらに,Wies董ngerは スイスのSchanfigg方言を方言的な傍証としてあげているが, Schanflg9方言の 二重母音化はむしろレト・ロマン語の影響によるものと考えられ(Kessler 1931,
171),曲アクセントなどの韻律的な特殊性はこの方言にはみあたらない(Kessler 1931,】93ff)。しかも, Wiesingerの説明ではヒアトスニ重母音の存在をどのよ うに考えたらよいのか不明である。彼はビアトスニ重母音の先行を文献的に示しな がら,その音声的原因には明確な説明を与えていない。
12)ヴェンド語は,東アルプス山岳地帯に住むスラヴ系民族の言語(スラヴ系言語の一 種)。
13)Wilmannsは二重母音化を,高舌長母音の調音に達するための〈踏み台〉として
「発声器官の静止状態に近い調音法をもつ母音」(中舌母音)を付加するプロセスと 考えた(Wilmanns 1911,295)。
彼によれば,このプロセスを押し進めたのは「漸進的に強まっていた調音」であ る。おそらく,この調音の強化に彼はゲルマン語に由来する強弱アクセントの漸進 的な強化をみていたのであろう。ビアトスニ重母音の先行についても,開音節では 調音の強化がより大きかったためと説明している。しかし,発声器官の静止状態に 近い母音が付加されるというようなことは,音声学的に想像し難い。しかも,彼は
● ●
このようなプロセスを具体的に傍証しうるような方言的なデータも文献的な証拠も あげていないのであるから,この説は漠然とした空想以上のものではありえないだ