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グー ツムー ツの遊戯論 (その 1)

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(1)

グー ツムー ツの遊戯論 (その 1)

『遊 戯書』 におけ る遊戯思想 と教育 的 基礎づ け‑

(保健体育研究室 )森 田 信 博

Gut sMu也 S' Theory aboutPl aysand Gam es

( No.1 )

‑ Hi sThrough andEducat i onalFundat i oni n

≠Gamebook〟‑

Nobuhi r oMor i t a

Ⅰ. は じ め に

体育史の上 で,遊戯の充分 な研究 と実践 を試 みた ことは,ベルネ ッ ト

( Be r ne t t

,H) も言 うよ うに,近代体育 の基礎 をな し,遊戯の教育的及 び体育的有用性を認識 し,体育実践 に活用 した汎 愛派1)

( phi l ant hr ope n)

に見て取 ることがで きる。 2) その汎 愛 派 の教 育運動 を理論的に も実践 的 に も確立 し, 「近代体育の父」 と称 され るダーツム‑ツ

( Jo hannChr i s t ophFr i e d r ic hGut s ‑ Mut h s . 1 759.8/9‑ 1 839.5/ 21)

は, 特 に遊戯 に も関心 を寄せ た

青少年の体育

( Gym‑

nas t i kf i i rdi eJu ge nd. 1 793)を彼 の第一の主著 とす るな らば,第二 の主著 と評価 されるのが,

通称 『遊戯書』 3)

( s pi e l buc h. 1 796)

と呼 ば れ る もの で あ る。 4) F遊 戯書 』 は, 単 に青少 年 の 体 育 の補 遺 とい う意 味 を越 えて, 1

8

世紀後半 の 「老朽化 した中世 的教育 の理論 と実践‑の決定 的批判

」 51

であると同時 に,経済的向上 を努 め,社会指導的地位 を 目差そ うと していた新 しい時 代の担 い手 であ った中産市民階層の子弟 の育成のための遊戯 の教育 的有用性を述べた もので あ っ た。汎愛派がめざ した 「繁栄社会」 を形成 し,発展 させて い く青少年の身心 の発達 を促進 させ る 様 ざまの遊戯 の理論 的認識 とその実践のための ものであ った。

とい うのは, 当時 は, まだ身体的教育 の重要 さや必要 さが十分 に気づかれず,軽視 ない しは無 視す る学校 や家庭教育 が一般 的であ り

,

「力

( Kr af t )

や器用 さ

( Ge wa ndt h e i t )

の不 足 は, 市 民社会 に無 限に多 くの問題 を引き起 こ し,病気 や身体的忍耐力の不足 は, まさに我 々市民の教養 人を悩 ませ る。文化界 の教養人階層の非常 に重苦 しい病 は,無気力で,安楽癖 であ り,身体 的努 力 に対 す る嫌悪 であ る

」 6) と, グーツムーツが厳 しく時代批判を加 えるよ うな状況 であ った。

彼 に とって新 しい時代 に求 め られ るもの は

,

誠実 さや信頼,強靭 な性格,ゆるぎない愛情,楽 し さや勇気 や男性 らしい意識

」 7)

であ り,これ らの ものが十分 に獲得 され る事 を妨 げて いるものは, 時代の文化ではな く 「身体教育

( K6 r pe r l i c heEr z i e hu ng)

の無視,青少年 の力強さの不足や無気 力で甘 やか され た生 活法

」 8)

であ ると して,青少年期の身体運動 や遊戯 による教育が, いか に必

‑ 1 5 4‑

(2)

要 であ るか, そ して 「勤勉 でた くま しい市民

忍耐力 に富 み行動力 のあ る市民」の育成

にいか

に意味を持 つかを述べて い る。

本研究 は, それ以後 の遊戯教育のみな らず遊戯研究 に大 きな影響 を与 えた グーツムー ツの 『 戯書』を手 がか りと して, その思想 と教育 的 に有用性を持 つ遊戯の役割,方法を中心 に, グーツ ムー ツの遊戯論 を明 らか にす ることを課題 とす る。

Ⅱ. グーツムーツの遊戯思想

1

. 遊戯 の概念規定

グーツムーツは,遊戯の概念規定を展開す る際 に, スエ トニウスの遊戯書以来 に無数 に及ぶ遊 戯書 が著 わ されて いることをあげ, それ らを大別 す ると,一方 は,哲学的‑歴史的 な観点 に立 っ て叙述 された ものであ り,他方 は,実践的観点 に立 って叙述 された もの に区別 され ることを指摘 す る

。 9)

その基本的な区分 に立 ち, グーツムーツは 『遊戯書』 において, へ ‑ネ10)(

H8hne, E)やマル

シュナt

l l ) ( Mar s c hne r ,P)

やベルネ ッ ト

1 2)( Be r ne t t ,H)

らが 指摘 して いるよ うに,遊戯の

哲学 的基礎 づ け」や 「理論的一般化」を主要意図 とはせず,教育的 に有用 な遊戯 を収集 し,個 々の遊戯の教育的価値 と実践 す る方法を指示す ることを課題 と した ことは確 か,であ る。

' 3 '

しか しグーツムー ツは遊戯の理論的 な基礎 づ けを全 く放棄 して しま った訳ではな く,彼 は遊戯 の概念 規定 を試 み る時 に,次の よ うな立場 を考 えたO一方 「厳密 な意味での遊戯」1

4 ) ( spi el ei m s t r e nge n Si nne )で, 哲学 的な立場 の概念 規 定であ り,

他方 は「習慣的 な意味での遊戯」1

5 ) ( spi e l e i m ge w‑

ohnl i c he nSi nne )で, 実践 的 な立場 での概 念 規 定 であ る。 このよ うな立場 を明 らか に して いる

が,彼 は

,

厳密 な意味での遊戯」の概念規定 を,次の理 由か ら避 けよ うと して いる。すなわ ち,

厳密 な意味 での遊戯」 において は,遊戯者 は

,

活動 の 自由な働 きにおいて喜 び(

Be l us t i gung)

を楽 しむ とい う他 には目的を持 ない」1

6

)と考 え,グーツムーツの主要意図か らそれ ると結論づ け たためであ る。 そ して同時 に,美的 な大 きさ,即 ち美的な形態 と形姿 か ら形成 され るよ うな遊戯 の存在 を否定 す る ものであ り, もし美的 な形態 と形姿 を もった ものがあ って も,それ はあ くまで も,単 な る暇 つぶ Lであ り, け っして遊戯 とは呼ばないのが通常 であ ると考えた,17)か らである。

ダーツムーツの この見解 は, シラ」 (

Fr i e dr i c hvor lSi l l e r )の 『

人間の美的教育 について‑一 連 の書簡‑』 における遊戯概念 を批判 した もので あ る

。1 8

)グーツムーツは,遊戯 を内容のあ る, 実質的な もの と して捉えよ うと したために, つま り遊戯 を教育的手段 に適合 させ, そのために有 用 な内容 を持 たせ,体系的な秩序 において整理 され る必要 があ ったために,実 は シラーの遊戯概 念 を十分 に理解せず,誤解か ら批判 をす ることにな ったのであ る。ノイエ ン ド

ル フ ( Ne ue ndor

ff,

E.

)が述べて いるよ うに,シラーが天才的直観 で,美 と遊戯 を関連 させた り,遊戯衝動 とい う概 念 を哲学 的 に深 ま った意味で用 いた ことを, ほとん ど理解せず,従 ってその ことについて論究 し よ うと も考 えなか った, 19)のであ る。

しか しグーツムーツは

,

『ホー レン』 には非常 に熟考 された論文が見 られ ること言及 して いる よ うに,その ことに無 関心 ではな く, 「有用性」 (

Nut z e n)が, シラーにと って,時の理想 であ

った と同様 に, ブーツムーツにはそれが偶像

( I do

l) で もあ った ことなど, グーツムーツの遊戯 の思想的背景 には シラーに負 うところが多 く見 られ ること も確 かであ る。

そ こで ダーツムーツは

,

習慣 的な意味での遊戯」の概念規定 を展開す るO まず グー ツムーツ は,休養

( Er hol ung)があ らゆ る遊 戯 の際の最 っと も合 法 的 な 目的 であ り, それ は睡眠や食事

などと同 じ様 な欲求 であ ると考 え る。 そ して 「活動の 自然 な衝動が遊戯 の創 造者」2

0

)で あ る と

‑ 1 5 5‑

(3)

して, これ は教養や文化程度や個 人の洗練の程度 に従 って様 ざまな遊戯 とな って あ らわれて くる と考 え る。 ダー ツム‑ツは人間の 「活動衝動」 (

T左t i gke i t s t r i e b)と 「

休 養

」 ( Er hol ung)

の二 つの側面 か ら遊戯の概念規定 を行 なお うとす る。 そ してその よ り具体的な目標 と して, 「退屈 さ

( Langwe

il) に対 す る娯楽

( Unt e r hal t ung)

,身心の属性 の獲得

( Ge wi nn)

, そ して労働 か らの 休養」 21)を挙 げて い る。

退屈 さを感 じる者 は,楽 しもうと努 め る。彼 は, ただ この 目的だけで あ らゆ る種類の遊戯を, 彼の好 みで時 と場所 を結 びつ けて遊戯を決定 す ることにな る。 こ

には, けっ して決定 のための 一般 的 な規範 はないのだが,退屈 さは,活動的 な人間の生活 には存在 しない し,全 く同様 に教育 に も属 さない と彼 は考 え る。従 って この思考 は, 当時の社会状況や,上流階層の不活動 さや変化 のない一定 の生活法への批判 を こめて,退屈 さが遊戯 を行 なわせ る誘因 とな り,退屈 さをまざ ら わすの に望 ま しい ものが遊戯であ ると考 えた。

また身体 の形成 や強化 と精神 の完成化の獲得 には,多 くの座遊戯

( s i t z e ndeSpi e l e )

と同様 に 運動遊戯

( be we ge ndeSpi e l e )が有効 な働 きをなす。 た しか にそれ らの遊戯だけで は,様 ざまの

遊戯種 目を適切 に用 い ることを決定 されないが,遊戯 を導 く要因で あ るととらえた。

労働か らの休養 について, ダーツムー ツはこの休養が,遊戯の際の最 っとも重要 で主要 な もの と考 えた。休養 は人間の 自然 の欲求 で,精神的 な労働 と身体 的な労働 のま じめな労働 に対 す る交 代 に基づ く。特 に青少年 が,絶 え間 ないま じめな精神的,身体的労働 に従事 した後 には, こと休 養 が有効 な意味 を もつ と考 えた。

以上の よ うに目的論 か ら遊戯を捉 えると 「退屈 さ」や 「獲得」が誘因 とな り

,

休養」が主 目 的で あ ると考 え られ る。休養 は,特 に青少年 に必要であ り,祖国の数

1 00

万人の青少年が

1日2

時間遊戯 が行 なえ る休養があれば, どれだけ人間的な時が過 ごせ ることか, 22)と政 は考 えた.

そ して この 「休養」 において求 め られ るもの は, 楽 しみ」 (

Be l us t i gung)

であ る。「楽 しみ

を生 み出す遊戯の条件 とな る ものを三 つ挙 げて い る。 23)1つは, 活動 のための十 分な興 味づけ が持 たれ る用具 な どの物質的な もの

( Mat e r i a

lle) であ り, 2つは,例 えば卓越 した名誉心 な ど の活動 を刺激 す る興奮

( Af f e kt )であ り, 3

つは,緊張 を生 み出す偶然

( Zuf

all)であ り, これ

らによ って期待 が広 げ られ,活動が生 き生 きと保 たれ る。

更 にグー ツムーツは,遊戯 に と もな う気晴 しは,活動 にだけ存在 す るのではな く,遊戯 の形態 の静観,すなわ ち活動 の協定 された秩序 に もあ ると考 えた。 そ こで グ‑ツムーツは 「習慣 的な意 味での遊 戯」 にお ける概念規定 を次の よ うに述べて い る

遊戯 は,我 々の活動の協定 された形 態や活動 的な ことか ら汲 み取 られ る休養のための楽 しみで あ る

」 24)

この定義 は,今 日で は,満足 され る ものではな く,数多 くあ る遊戯説 の一つに挙 げ られ るに過 ぎない。 その理 由 と して, グーツムーツが,様 ざまの遊戯の現象形態 の解釈 と社会 的状況 に基づ いて実践可能 な方法論 を求 め るあま り,遊戯の本質 の基づ けや哲学 的 に確固 た る規定 をす ること が妨 げ られた と考 え られ るか らであ る。

しか しその一方 で,時代的 に, い くつかの先取 り的考察 を行 って い ることを評価 で き る。例 え ば, 人間 と動物 の遊戯 を同一視 し,質 的な差異 をま った く考 えて いない点であ る

「すべての も のが遊戯す る。 人間 とその子供 だ けで はな く,動物 とその子,水中の魚,犬,局, ライオ ンそ し て それ らの子 も遊戯 す る

」 25)

また グロース

( Gr oos ,K)や ビューラー ( Bi i hl e r )によ る心理学 的把握 をすでに先取 り し, ど

ュ‑‑ラーの よ うに有機体 に条件 づ け られた機能的楽 しみに還元 し,快楽主義

( He doni s mus )

理論 に似 た遊 戯的活動存在 を明 らか に して いる。 26)

そ して人間の遊戯の機能 が多種 多用であ ると して,教育 的な有用性 の価値 が遊戯 に内在 す ると

1 1 5 6‑

(4)

い う方向で常 に研究 し,広義の意味での生活準備,人格形成,性格教育 を遊戯 に もとめよ うと し て いることであ る。

2. 遊戯 と国民性

ダーツムーツによれば,個人の持 つ欲求 によ り,時 には唯一の特徴 的欲求か ら, 「個 々の人間 の性格が理解 で きた り, 更 に, その国民全体の性格 を認識 す る」27)ことがで きる と考 え た。 例 えば黒人の無教育で未熟 な精神 は,子供 っぽい欲求か ら,見か けの美 しいニ ュル ンベル クのお も ち ゃに目を向 け, ブランデーにおぼれ,の ろいの言葉をま ともに受 け入れ る者 は,無教養 な人間 であ る. また装飾 品や化粧 品 は,やた らと, E:気嫌 うかが いの フランス人の欲求であ り,迷伝 の 雪 白の聖人像 をニ ュル ンベル クか ら取 り寄せ るのはスペ イ ン人の欲求であ ると述べて いる。

この ことと同様 に,遊戯 か ら国民 の性格 が推論 され,あ る国民の洗練 さや野蛮 さな どの文化の 程度 もか な り明確 に示 され る試金石であ ると考 えた。

この関係 について は,すでに シラーが述べて いるが, 28)シラーは, 遊戯 の違 い と美 の理想の 追求の差 を論 じる例 と して挙 げ, その理 由は明 らかな ことと して省 いて いる。 グーツムーツは, 文化の程度 の深 い関連か ら,遊戯 の教育手段 と しての意味 を導 き出 して いる。

遊戯 に生 じる喜 びや楽 しみは,人間のみな らず,動物 に もそなわ った欲求であ り, それ故 に遊 戯 は全世界 中に広 ま った現象であ るばか りでな く,遊戯の伝播が きわめて広範囲 に, すみやかに 行 なわれ ること も明 らか に して い る。 29)そ して遊戯 は, あ らゆる時代 に, あ らゆ る民 族 , 国民 の老若の欲求 と してあ らわ されて くる。 このよ うに欲求 と して存在 す る遊戯 を生 み出 した り,受 け入 れた りす る活動衝動 の表 出は,文化の洗練 の程度 に従 い,時 には身体的 に,時 には精神的に, 又あ る時 には,両者が混 って,遊戯 の種類 と してあ らわ されて くる。

例 えば古代ゲルマ ン民族 の生活 が示すよ うに

,

人間や動物 に対す る武器の使用 に疲れ ると,

小屋

に戻 り,不快 な時を寝 て過 ご した り, さい ころ遊 び に よって 財 産 や 自由をか けて 遊 ん で過 ご した。休息 によ って再 び快活 に され,危険や食欲 あ るいは活動衝動が呼 び起 こされ ると,再 び 武器 を取 った り,猟具 を持 って,戦闘的遊戯 を始 めた

.

」 30)野蛮 な国民 は,時代 と場所 を問わず, 身体 の運動 と身体の休息の欲求か ら,戦闘遊戯

( Kr i e ge r i s c heSpi e l

) と賭博

( Has ar ds pi e l

) を 好む と して い る。

時代が進 み,文化が高 ま ると,遊戯や娯楽の重要 な影響 を,国民 の性格や国民 の幸不幸 に見て 取 った支配者 や思想家 も多 く,遊戯 を重ん じた。 リュクル ゴス

( Lykur gos )

は, スパ ル タ人 の 身体修練 とダ ンス と社会 の関連 をまとめ, プ ラ トンも同様 にそれ らを整 えた。東 ローマ皇帝 コス テ ィニアヌス

( Jus t i ni anus )は, 賭 博 を禁 止 し, 跳 躍, 棒 跳,槍投 な どの運動遊戯 を奨励 した。

カール大帝

( Kar lI .de rGr oβe )

と聖 ル ー トヴ ィッヒ

( Ludwi g)

は遊戯法を設 け, フランスの カール五世

( Ca rlV)

は,あ らゆ る賭博 に反対 す る命令 を与 え,運動遊戯や身体修練 を普及 させ た。ベーター大帝

( Pe t e r, de rGr oβe )は, 民衆 がよ り社会 的 にな るために,民族 的娯楽 を容認

した。

この よ うに,文明化 され た国民 において も遊戯 との結 びつきが深 くあ り,国民の性格 によ って 遊戯が選 ばれ ると共 に,他方積極 的 に遊戯が,国民の性格 を形成 す るよ うな関係 も見 られ る訳で あ り, 「国民全体 の教育手段 と しての意味を も

」311とグーツムー ツは考 え, カル タ遊戯

( Kar ‑ t e ns pi e l

)の最悪 の例32)を挙 げなが ら,遊戯が 「重要 な墳 事」 33)

( wi c ht i geKl e i ni gke i t )

を改た めて指摘 す る。

‑ 1 5 7‑

(5)

3.

遊戯 と労働

遊戯 と労働の関係 について,従来か ら,青少年 は遊戯 を求 め,労働 を軽視 す る故に,遊戯 は青 少年か ら労働 す る意欲 を奪 うとい う見解があ った。 グーツムーツは, この考 え方 には,全面 的 に は反対 しないが,次の よ うに考 え る。若干 の人 々は,財 をな し,十分 に潤 うために働 くが,他の 大部分の者 は, 胃袋 を満 た し, うわべ だけを衣服 で装 って,家の中 にいよ うと して,実際 には何 もせず, ただ楽 しく過 ごそ うとす るだ けであ る。 その よ うな者達 に,運動遊戯の よ うに身体修練 を伴 な う活動が提供 されて も, おそ らく彼 らは骨折 りと結 びっ く活動 を嫌 い, ただ楽 しみが得 ら れ る活動 だ けを好 む ことにな る占 ここで必要 とされ るの は,習慣 と熟練 であ って,それ らによ っ て は じめて快 く活動 す ることがで きる。 ダー ツムーツは,労働す る意欲 を奪 い労働 ざ らいにな る とい う原因 は,遊戯 にあ るので はな く, 「自然的 な活動 の誤 った考慮 に基づ く教育の誤 り」34) ら生 じて い ると して,従来の教育 が,青少年 の欲求 と して遊戯 に対す る理解 と, その 自然的な活 動の教育的価値 を認識せず, その有用性 に注 目 しなか った ことが, 「遊戯 は,労働意欲 を奪 う

とい う見解 に到 ると批判 を行 った。

さ らに,上述 の見解 とはま った く逆 に,遊戯 によ って,青少年を刺激 して,労働 にか りたて る ことがで き るとい う見解 には, ダー ツムーツは

,

非常 に悪 い習慣」 35)と批判す る。 彼 は , 遊 戯のために疲 れそ して労働 す ることは,愚かで幼稚 な考 えであ るばか りでな く,青少年 にとって は,労働 の 目的を,遊 ぶために働 くとす るの は,非教育的で無責任 であ ると考 えた。彼 は, ア リ ス トテ レスが 「働 くために遊ぶ ことは正 しい」 と述べ た ことを受 けて

,

勤勉であろ うとす るな

らば,遊ばねばな らない」 36)と強調 した。

そ して グーツムーツは,青少年 には, 「は じめに労働, それか ら遊戯」 とい うものを不変 の原 則 と して生起 させ た。 この結論 は,産業革命 を迎 えつつあ った ドイツの社会状況の中で,台頭 し て きた中産市民階層の青少年 を養成す るため に,「謹厳で実利的で合理的な市民的一民主的精神」37)

か ら導 き出 された一つの結論で もあ ったO

. 遊戯 の教育的位置づけ

1

. 遊戯の教育的役割

ダーツムーツは,教育学 の一 つの科学 を身体教育

( Le i be s e r z i e hung)であ るとして,教育的体

( Padagogi s c heGymnas t i k)を 「

本来の体育運動」,「共 同体 的青少 年遊 戯

J ,「

手工作業 」 の三つの領域 として体育実践を進めた。が, ベルネ ッ トが言 うよ うに,遊戯教育 は,バセ ドゥに も 見 られ るよ うに,汎愛派の体育 の重要 な典型 とみな され, とりわけ, グーツムーツによ る運動遊 戯の再発見 は,体育 の理論 と実践 にと って注 目すべ き研究であ り,汎愛派 によ って広範囲 に発展

させ られた遊戯教育 の一つの結論であ った, 39)と評価 され る。

まず グーツムーツは,遊戯が人間の本性 に基づ くとい う認識で,青少年 に とって は,最 っとも 楽 しい事象であ ると同時に,身体 的精神的特性 に非常 に適 した一形態であ ると考 えた。 そ して青 少年の特性 に適 した方法論

( Me t hod e)と して,遊戯 を身体 と精神 の修練 と休養の観点か ら検討

を加 え,青少年の身心の発達 に持続 的な有 用性を もた らす ことを確信 した。

まず青少年 が戸外 で,様 ざまな運動遊戯 を行 な うことによ って,健康 の維持増進 に役立 ち,身 体の健康 こそは,精神の澄 んだ快活 さを もた らし

,

「遊戯の保護 と奨励 によ り,祖国の若者の健 康 を養 うのに貢献 で きる」 40)と述 る程であ る。 そ してお もしろ く変化 に富んだ各種の遊戯 は,育 少年の 日常生活 に欠 くことので きない欲求 を満 た し,快活 な雰囲気 を生 み出す遊戯 によって,学 習意欲 が高 ま り,元気 を回復 させ られ る。 更 に外界 の様 ざまな印象 を受 け取 る感覚器官 の修練 と

‑ 1 5 8‑

(6)

鍛練 は,身体修練の重要 な課題で もあ るが, 41)遊戯において方向 と距離を見積 ること,遊具の重 さを測定 す ること, ボールを遊戯相手 と観察 し,指導者の指示を聞 くことなどが肝要 とな り各感 覚器官を十分 に働かせ るばか りではな く,観察力,注意力,記憶力,想像力などを修練す る好機 とな り, それぞれの感覚が発達 す ると同時に,全体 と して よ り高 い認識力が養成 され る。そ して, 敏捷性,柔軟性,瞬発力,持久力 などの身体的特性 もおおいに高め られ ると して いる。

しか しグーツムーツが最 っとも重視 した遊戯の教育的役割 は次の ことであ った.すなわ ち, 自 由で快活 な遊戯 は,お互いの友情 と平等 さに結 びっけ られて行 なわれ,共同体感情 (

Ge me i ns c h ‑ af t s ge f ah

l) を呼 び起 こ し,青少年の勇気,思慮深 さ,名誉心 などを様 ざまにため しを して親切

さや善の価値 を理解 させ る。そ して青少年の性格を陶冶 させ, 自我意識を高めた市民 に成長す る ことができると考 えた。

将来,市民社会 を支える者 に求め られ る資質が,青少年期か ら,遊戯 によ って獲得 され ること を確信 したと言 える。

2.

遊戯の教育的効果

グーツムーツは,遊戯 による教育的効果 を以下のよ うによ り具体的に九っの観点か らまとめて いる。 42)

1)精神の休養 と しての効果

仕事や授業の様 な精神のま じめな緊張の後 には,休養 と しての身体の健康や精神の快活 さを も た らす遊戯,特 に運動遊戯が,不可欠 な もの となる。精神の修練 と身体の修練 が相互 に休養をは さんで行 なわれ ることを教育の最大の秘訣があると考え,その休養 に青少年の活動衝動が十分 に 運動遊戯 によ って満 され ることが重要であると し,遊戯によ って こそ可能 となるO休養を取 らずミ 活動衝動 を無視すれば,柔弱 さや不活発 さや無気力 さを身 につけることになると指摘す る。

2

)退屈 さを避 ける効果

退屈 さは最 っとも重苦 しい悪の一つであ り,多 くの病気のよ うに,不機嫌 な人間を生 み出すO 過去 に楽 しみの経験を兄 い出せず,未来 に も思いをめ ぐらさず,現在 の瞬間の中にだけ行為す る よ うな青少年が, この退屈 さとい う病気に苦 しむ と,43)グーツムーツは述べ,過去の苦 しみの中 に楽 しさを兄 い出 し,未来の喜 びを見て取 り,現在 を楽 しく過 ごすためには,代用の きかない二 つの伴 呂 (

Ge s e l l s c haf t e r

) が必要 であ り, 一方 は 「ま じめな仕事」であ り,他方 は 「遊戯」に よって退屈 さを避 けることである。

3

)青少年の 自然的役割を助長する効果

労働やま じめな用件や大人 との交際において は,青少年 はあ くまで,人為的役割を演 じ,徐 々 に 「変装 した舞台衣装」で現われ, できる限 り素顔 を見せな くなる。 これに対 して遊戯 において は, 自己のあるがままの姿であ らわれ, 自然的役割 をふ るまい,青少年の真の性格が,容易 にあ らわされ ると同時にその助長への働 きかけ も可能 となる。更には将来の生活ぶ りの傾向 も遊戯 に おいてあ らわ され る。

4)

青少年の 自然的知識欲 を喚起す る効果

教師が青少年の学問的関心を増加 させ るには,多 くの教師が誤解 しているよ うに,彼 らの内的 な気質 に原因を求め るのではな く,興味のわ く活発 な運動遊戯などを熱心 に行 なわせ る時に,敬 師の助 け人 である 「自然的知識欲」が喚起 され る。

5)

過度の敏感 さの矯正の効果

繊細 さや華美を求め,厳 しく孤立 した教育 によって生 じやすい過敏 さは,よ り上流階層の青少 年に多 く見 られ,繊細 さの欠如や愚感 さよ りも悪 いことであるとグーツムーツは批判 し,社会生

11 5 9‑

(7)

活への適性 に も欠 けることを指摘 す る。 この過度の敏感 さを和 らげた り,適当な場合 いの笑 いを, やむを得 ない と して

,

男性的 自制 と率 直 さ」で耐 え ることを身 につけさせ るに̀は,理性的 な訓 戒や説得 に基 づ くよ りも,様 ざまの遊戯 による方法が適切 であ る。 つま り遊戯で,冗談 を通 して ま じめな ことに慣れ させた り,か らかわれた り,笑われた りす ることを茶化 した遊戯 の世界 で, まず耐 え ることを学 ぶな らば,過敏 な青少年 は,か らかわれ た り,笑 われた りす ることを, ま じ めな世界 において も,簡単 に受 け止 め られよ う。 さ らに戸外 の運動遊戯 も,過敏 さを排除 した り 軽減 した りす るの に有効 であ る。 ダーツムーツは,それを遊戯が もつ, 「自然的機会 」 と呼んで いる。

6

)教師や教育者が,遊戯 を通 して,青少年 に接近で きる。

教師や教育者 の常 にま じめで,警告的 な調子 は,確 かに尊敬 と畏怖の念 を喚起す るが,青少年 に自然 で率直な親 しみやすなおな心 を開かせ ることは困難であ る。 そ こで教師や教育者 は,彼 ら と共 に遊 び,彼 らが,遊 び仲間, つま り,教師や教育者ではな く,友人や遊戯のチームメイ トと 認めた時 には,彼 らはよ り自由に積極的 にふ るまい, その状態で,教師や教育者 が,接近すれば す る程, その心 を開 く。 そ こには,学習 の時 には引き起 こされないよ うな注意 をす る機会 を兄 い 出す。

つま り注意 を与 え る者が,年令,身分 で近 ければ近 い程,′ま った く同 じであれば, その注意 は よ り豊か な もの とな る。 また生徒 同志の親 しみを持 っての静 かにさせ る注意 は,教師や教育者 の 注意 よ り, いか に多 くの ことを改善す るか。 この意味で,遊戯 を共 に行 な うことによ って,教師 は 「生徒 の才能 を しば しば,改めて兄 い出 し,教育 の有効 な機会 を得 る」44)ことがで きる。

しか し当時 は,教 師や教育者 と青少年 が共 に遊ぶ ことを 「スキ ャンダ

」 とか 「無作法」 とみ なす見解が多 くを支配 して いたが, グ‑ツムーツは,多 くの例45)を引 き合 いに 出 して, 理 解 し がたい誤 りであ ると批判 した。が,クル ンプ

( Kl u n p p, F. W)

の よ うに,共 に遊 ばねば効果 があ ら われない とす るダーツムー ツの見解 に様 ざまの疑問 と障害が あ る, 46)と指摘 した こと も見逃 が し て はな らない意見 であ るが,教師 と生徒 の相互の教育関係 の機会 と して もダーツム‑ ツの この見 解 は注 目に値 す る。

7)生活準備 と しての効果

遊戯 は,青少年が, いか なる仕事 や状況 によ って も達成 されないよ うな,人間の生 活の歩みを, 様 ざまな形態で,詳細 に模倣 す る機会 を与 える。青少年 は常 に少 なか らず大人の側か ら制 限を受

け, よ り自然 にそ して よ り自由には,生活 の歩 みに同調 して行動で きないが,遊戯 において は, 少 々の無礼,軽率,不当な言行, 自慢, だます こと,希望 の失敗,不快 な性格,遅鈍 な頭脳,気

どり屋, その他精神力や体力の優越 などが容赦 され る。

そ して遊戯 を行 な う仲間 に,苦痛 や心痛 ,喜 び と楽 しみの機会 と好意,巧み さ,善 な どの評価 の機会 が もたれ る。 そ こで青少年 は 「小川 の中の小石 のよ うに」 こす られ,みがかれ ることにな

る。

8

)青少年 の

に,快活 さ,喜 び,楽 しみ とそ して笑 いを広げ る。

グーツムーツは,全ての人間が常 に楽 しく愉快であれば, いかな る悪事 も起 こらないだろ うと 考 え,怒 りっぽい気 ま ぐれは,善や愉快 さの創造者ではない と考 え る。 そ して 同 じ純真 さで も, 常 にま じめな性格 は, ま じめ さと冗談 と愛 らしく混ぜ られた性格 よ りも,道徳的 には劣 ると考 え ている

性格 の素質 は先天的な ものであ るが, その形成 は,教育の力であ り,教育す る状況 にあ る。青 少年 を明 る く,朗 らかな調子 に保 ち,促進 させ るのに遊戯 はきわめて効果 をあ らわすことになる。

つま り青少年 が,笑 い戯れれば戯れ る程, そ して 自然的で愛 すべ きすなお さがあ らわれ る場 を

‑ 1 6 0‑

(8)

許せば許す程 ,不愉快でな くな り,道徳 的に も望 まれ ない物静かで夢想的 な無 口か ら遠 ざか り, 身心共 に成長 す ることにな る。

9

)身体陶冶 と しての効果

遊戯,特 に戸外 での運動遊戯 は,健康の維持 に有効 で,身体の強化,修練,鍛練 に効 果 が あ る ことは 自明であ る。多 くの柔弱者,憶病者,身体的 に無精 で不活発 で未熟 な者への遊戯の効果は, 身体修練 と並んで非常 に高 い。

以上 の よ うに遊戯 の教育 的効果 を多少 の重複 を含 めて九っの観点か ら述べ,実践的 な有用性 を 確 かな もの と して い る。

3.

遊戯教育 の方法

1

〕教育的遊戯の選択

遊戯教育 に用 い られ る遊戯 は,豊 か な有用性 と内容 を持 たなければな らな く,あ らゆる遊戯 が, 教育手段 とな る訳 ではな く, 「意図 した方法で行 なわれた時 に,利益 あ る修練 とな らねばな らな 」 471と述 べて い る。 ダーツムー ツは, 数 多 くの遊 戯を実践 しなが ら, 「私 は,読者 に弁 明を せねば な らない程 に多 くの遊戯 を投 げ捨 てた」 48)とい うよ うに厳 密 な基準 の もとに, 教 育 の手 段 とな りうる遊戯 を特 に,教育 的遊戯

( P去dagogi s c heSpi e l e )と呼んだOこの教育 的遊戯の選択

は,以下 に挙 げ る,道徳的,身体 的そ して精神 的特性 に基づ いて判断 され その特性 を満 さねば な らない もの と して いる。

1)教育 的遊戯が持 つべ き道徳 的特性

青少 年 の教育的遊戯 は, まず無邪気 な もので,正直で無作法でない もの。 つま り 「恥知 らずの 大人の問 に見 かけるいかがわ しい ことで興 を添 え るよ うな不道徳 な もの」 49)で あ って ほ け っ し て いけないが, きめ られた場所 と時間 に,ル ー

に従 って い る笑 いや騒 ぎや大声 で叫ぶ ことは不 道徳 で はない。更 に上 品 さや美 しさの感情 を増 すの に役立 っ もの。 その他 に青少年のための遊戯 であ るので,子供 らしい ものであれば少 々のふ ざけや戯れ も特性 と して含 まれ るが道徳 的特 性の 基準 は,遊戯 の無邪気 さであ る。

2)教育的遊戯が持つべ き身体的特性

教育 的遊戯 は,身体 を大 き くあ るいは小 さ く運動 させ,身体 の健康 を促進 させ るものでな けれ ばな らない。 そ して走 ,跳,投が含 まれ,楽 しい笑 い と冷静 な運動 によ って行 なわれ,敏捷性, 力,柔軟性 を肢体 に もた らし,偶然 あ るいは意図的 な苦痛 に対 して,身体 を強化 し,鍛練 す るよ うな ものでな ければな らない。 しか し鍛練のためで も,危険 な遊戯 は絶対 に避 け られねばな らな い。 この点 で戸外の運動遊戯の多 くがふ るい分 け られた。

3

)教育的遊戯が持 つべ き精神的特性

青少年 に とって愉快 な もので,期待 や名誉心 を活発 に刺激 し,過敏 さを柔 らげ ると共 に,忍耐 を試 し,慎重 さや若 々 しい勇気 を試 す ものでなければな らない。更 に人の もつ感覚 を活発 に刺激 して,観察力,価値判断力,注意力,記憶力,想像力,機知 な どの修練 となる ものでなければ な らない。

以上三 つの特性 の選択基準 にま った く適 さず,排 除 すべ き ものが, 「サイコロ遊戯

「カル タ 遊戯」 な どの賭博 であ る。特 に ブーツムーツは, カル タ遊戯 に批判的で,封建主義社会秩序の道 徳的頼廃 に伴 な う付随現象 と して広 ま った遊戯であ ると決 め,青少年 を非常 に長 い間椅子 に くぎ づけに し,無 口のままで時を過 ごさせ,身体のために も,精神のために も, ま った く何 も達成 さ せないばか りか,両者 に非常 に害 を与 え る もの と して批判 した。

教育的遊戯の選択基準 で, グー ツムーツはあ らゆる時代 とあ らゆ る国 に存在 す る無数 に近 い種

‑ 1 61‑

(9)

類の遊戯の中か ら青少年の教育手段 と して有効であ るよ うな ものを選択 しよ うと したが, 「ただ それだけで,完全 に教育的遊戯の特性 に適応す る遊戯 は見 あた らなか った」 50)この ことか ら選 択基準 に照 らし合わせ,試 し,補充 し,修正を加 え,基準 を満 た し

,1 7 9 6

年の 『遊戯書』では, 106種 に及ぶ教育的遊戯が取 り上げ られた

。 5 1)

運動遊戯58種 目と座及 び休息遊戯48種 目であった。

〔2

〕教育的遊戯の指導

シュネ ッペ ンタルの汎愛学校では,昼食後,天候のよい時には,戸外で一人の教師 と監督者 の指導の下で,楽 しく教育的遊戯が行 なわれていた。夕食 の後 に も,音楽や ダンスの他 に,頁由 な遊戯が行 はわれ,生徒たち同志で,教育的遊戯が行 なわれた。 グーツムーツが,体育 の指導を 行な うよ うにな ってか ら,体育の授業の運動種 目と同 じよ うに,非常 に多 くの教育的遊戯が生徒 たちに指導 された。その際にダーツムーツは,指導上の留意点を三つ挙げ,特 に配慮すべ きであ ると注意 を促 した。

1)青少年の年齢,能力,知識,興味 などについて十分 な理解の上 に,身心の発育発達 に即 し て指導せねばな らない。

2

)危険をおかす事への十分 な配慮の もとに,生徒 にで きるだけ自主性 にまかせ, 自由に遊戯 を行なわせ,休養の効果を高め,彼 らの活動衝動を十分に満すよ うにす る。教師や監督者 は,ル ールを正 しく理解 させた り,新 しい遊戯を紹介す る以外は,生徒 たちの友人や仲間 と して遊戯 に 参加す ることが望 まれ,彼 らの 自己活動や共同体感情 に期待をする。

3

) 自然的で,喜 びや楽 しさに満 ちて行 なわれ るよ うにせねばな らない。効果を期待す るあま りに,強調 した り強制 した りす ることは喜 びや楽 しさを失 わすばか りか期待 した効果 も十分 にあ らわれ得 ないことを理解せねばな らない。

このよ うな指導上の留意の もとに,各教育的遊戯が行なわれ る際に,各遊戯ができるだけ正確 に理解 され ることが重要 と考 え 『遊戯書』 に挙 げ られた

1 0 6

種のすべての遊戯 は 「実際の試 みに 基づいて,非常 に詳細 に叙述 されてある」 52)ものであ り, 又 「ま った く初めて見 る人で も, 十 分 に理解で き,行 なえ,指導できる」 53)ことを配慮 して説明されている。

Ⅳ.

お わ り に

近代体育 を形成 して い った汎愛派の最後の主張者 といわれ るダーツムーツのあ らわ した遊戯論 は,従来 日本の遊戯理論や遊戯説の系譜 には登場す ることはなか ったが,遊戯の本質 と役割 に関 して教育的視点 に基づき,実践経験か ら構築 された独創 的な遊戯論であ ったことか ら注 目に値す るものである。

遊戯の本質論その ものには,不十分 な点や若干の誤謬 を含んではいるが,遊戯の教育的 目標, 役割,効果,内容,方法そ してその実践等 については, その後の遊戯教育‑ も大 きな貢献が見 ら れ る し,今 日もなお注 目すべ き点を含んでいる。

遊戯の本質論については,今 日で さえ確固たる理論が形成 されてはお らず,結局の所遊戯の一 側面の解釈 な り, 目的論 に陥 って しまって いる。 その意味か らすれば, ダーツムーツは立場を明 らかに して,遊戯 と退屈な仕事,身心の緊張 と休息,現存在の苦 しみ と喜 びや楽 しみの熱望 とい った正反対の中に人間の遊戯活動 を兄 い出 し,近代社会 への転換期 とい う時代の流れの中で,道 徳的,倫理 的な価値を見失 なわずに,独創的な遊戯思想 を明 らかに し,最大の関心事であ った, 遊戯の教育的観点 に立 った理論的基礎づけと具体的実践法を明 らかに したことになる。

今後の課題 は, その点で,異体的教材であ る106種の教育的遊戯の分析検討であ り,彼の他の 二編の遊戯 に関す る著作‑の理論的,実践的展開の考察 である。

‑1 6 2‑

(10)

最 後 に, 本 研 究 を進 め るに あ た り, 御 指 導 , 御 援 助 いた だ い た, 対馬 清 造 教 授 に は心 よ り感 謝 申 し上 げ た い。

1 ) 汎愛派 ( Phi l ant hr ope n)とは,1 8 世紀末か ら 1 9 世紀初頭にか け盛んであ った啓蒙主義教育の ド イツにおける特定の集団であ る ( G6t t l e r:Ge s c hi c ht ede rPadag ・ og l k,1 9 3 5) 。 社会共同的で 愛国的で有用で幸福な生活を営む身心 ともに健全な人間を育成 し,この世 に「 繁栄社会」( bl Ghe nde Ge se l l s c haf t )

,

「 地上の天国」 ( Hi mme laurErde n)を実 現 しよ うとする市民 的世界観 に基 づき,その教育思想は,中世以来の封建的,教会的教育の理念や方法 と正面か ら対立する進歩的な 性格を持 っていた( 成 田十次郎 :近代 ドイツ ・スポーツ史 Ⅰ,昭和5 2 年, 5 9 頁)。バセ ド ゥ( Bas e dow, J. B),ザル ツマ ン ( Sal zmann,C.G) , カンペ ( Campe,J. H), ジモ ン ( Sl mOn,J.F) , 求 イ トラ‑ ( Be ut l e r , H), ア ン ドレ ( Andr e,C.K)そ して 「 最後の汎愛教育者」 とも呼ばれ るグ ーツムーツ ( Gut sMut hs,∫.C.F) らが挙 げ られ る。

2) Be r ne t t ,H.:Dl epadagogl S C heNe uge s t al t ungde rbGr ge r l i c he nL e i be subGnge ndurc h Phi l ant hr ope n.1 9 65.S.9

3) 正式な表題は,Spi e l ezuri ibung undErhol ung de s K6r pe r s und Ge i s t e s, f dr di e Juge nd,i hr eErz i e he rundal l eFr e undeunsc hul di ge rJuge ndFr eude n,Sc hne pr e nt hal , 1 7 9 6( 青少年,その教育者そ して無邪気な青少年の喜びのすべての友人たちのため,身体 と精神の 修練 と休養のための遊戯)であるが,慣用的に F遊戯書』 ( Spi e l buch) と呼ばれてお り,本研究 もこれを用いる。

4) F遊戯書』 を 『青少年の体育』 よ り,さ らに古典的であると評価 している者 も少 な くない。 ( 例 えば,Bar t hol ome, F. : Kur z eGe s c hl C ht ede rp a da go g ik, 1 91 1 . S. 1 7 0)

またグーツムーツ自身 も自伝の中で述べているように,遊戯書の初版は,その年 ( 1 7 9 6 年)に売 切れ,ただちに 2 版が出版 されたが,第 3 版 ( 1 8 0 2 年)も数年で完売 して しまった というよ うに『遊 戯書』 が 『青少年の体育』 に くらべ, より多 くの部数を出版 したことは確かであ った。なお今 日ま での 『遊戯書』 の出版経過は以下の様である。

1796 年 初版 Sc hne pf e nt hal ,ⅩⅤⅠ. 4 92S.

1796

2版

( 初版売切のため増版)

1802 年 3 版 Sc hne pf e nt hal ,Ⅹ ⅩⅠ Ⅰ . 49 3S. (銅版画 1頁 と1 6 の小図表) 1845 年 4 版 St ut t gar t ,VI .3 6 0S.( F.W.Kl umpp の序文)

1878 年 5 版 Hof XI I .3 9 5S.( 0.Sc he t t l e r により4 版の序文の改訂,編集) 1884 年 6 版 Hor XVI .5 2 6S.( 0.Sc he t t l e r によ りJ.C.Li on の協力 により 4 版の序

文の改訂,編集) 1885

7

Hof XVI .5 52S.

1893 年 8 版 Hof XV I I . 5 6 0S. ( ∫.C.LI On 編集 4 5 の図表) 1914 年 9 版 Hof XI I .4 2 4S. ( G. Thl e l e r 編集 5 7 のさ し絵)

1959 年 1 0 版 Be rl l n XXXXI I4 2 9S. ( 初版の復刻版,W.Be i e r 編集,P.Mar sc hne r の序 文, 注釈 とさ し絵)

5) Mar sc hne r,P∴ Vorwor t ,1 nSpl e l ez urUbu n g und Er hol ung de s K6r pe r s und Ge i s t e s,Y on Gut sMut hs ,Q.D.K.1 9 5 9,S.Ⅰ V.

‑ 1 63‑

(11)

6) Gut sMut hs.:Gymnas t i k f i l rdi eJuge nd.2Auf l .1 8 0 4,i n St udi e nt e xt e n z uLe i be s e r z ‑ i ehung,Bd.7,1 9 7 0,S.21 ‑2 3

7) Gut s Mut hs∴ e be nda,S.3 0 8) Gut sMut hs∴ e be nda.S.31

9 ) Gut s Mut hs.:Spl el ez urUbung u n dEr hol ungde sKと ; r pe r sundGe l S t e S,Be r l i n 1 95 9 , S.XXI

本研究では,Wi l he l m Be i e r 編集の初版復刻版,Que l l e nbt i c he rde rde ut sc he nK占rpe rkuト t ur,Spor t v e r l ag ,を中心 に用い,必要に応 じて, 4 版,F.W.Kl umpp編集, 1 8 45 年を参照す るもの とした。

1 0) H6hne

,E.:

Gut s Mut hs′Gedanke nt i be rdasWe s e n und t i be rdi eWi r ksamke i t de r Kb ' r pe r e r z i e hung.i n DHf k.Jahr gang.1 9 5 9./6 0.H.I .S.2 8.

ll

) Mar s c hne r,P.:Vor wor t ,i nSpl e l e ‑ ・ ‑ a.a. 0. S. Ⅲ.

1 2 ) Be r ne t t ,H.:Di epadagogl S C heNe uge s t al t ung・ ・ ・ ・ ・ ・a.a. 0. S.6 9.

1 3 ) Gut sMat hs∴ Spi e l ez ur‑‑・a.a. 0. S.XXI I I〜 ⅩⅩⅠ V 1 4) Gut sMut hs∴ e be nda,S.1.

1 5) Gut s Mut hs∴ e be nda,S.2.

1 6) Gut sMut hs∴ e be nda,S.1.

1 7) Gut sMut hs∴ e be nda,S.1.

1 8) シラーの この論文は , 『遊戯書』の出版 される前年1 7 9 5 年に文芸雑誌 『ホ‑レン d ( Hor e n)

分割掲載 された ものである。 シラーはフランス革命の成功や祖国の政治的経済的状況をかんがみて, カ ン ト美学を背景 に して,感性 と理性, 自然 と精神 とを融合せ しめ る人間の美的性格を養い,美的 人間による自由で美的な国家形成をめざ した。それはまさに時代の要求で もあ った。そ して人間の 本来 もつ感性 と理性か ら生 じて くる,感性衝動 と理性衝動の調和的な従属関係を もた らす ものが,

「 第三の根本衝動 」としての 「 遊戯衝動」 ( Spl e l t r i e b)である。 この遊戯衝動 はよ り高次的な衝 動であると共に,真に人間的な唯一の根源的衝動である。つま り完全に無 目的で,非合理的である が,最 っとも本質的であると考え られ

,

「 人間は,彼が語の完全な意味において,人間であるとき にのみ遊戯 し,また人間は,彼が遊戯す るところにおいてのみ完全 に人間である」 とい う命題を生 起 させた. ( Schi l l e r,F.:Ube rdi eas t he t i s c he Er z i e hung de s Me ns c he n;i n Phi l i pp Re c l am dun.1 9 7 0)

グーツムーツは F遊戯書』 においては, シラーの名前を一度 も挙 げず

,

「 遊戯衝動」 とい う語 も 用いていないので, シラーの論文を読んだかどうか明確ではないが,当時の シラーの知名度, シラ ーの演劇への グーツムーツの関心の高 さ,有用性の考え方,国民 と遊戯の関係などは, シラーに負 っていると思われ るし , 『ホ‑ レン』第 1 号 4 巻の We i s s huhnの 「 厳密な意味における遊戯」 と 題す る論文 も読んでいると思われる。

1 9 ) Ne ue ndor

ff,E.:

Ge sc hi c ht ederne ue r e n Deut s c he n Le i be s ubi i nge nv om 1 8.Jahr hu‑

nde r tbl SZuGe ge nwar t ,Dre s de n,Bd , Ⅰ ,1 9 3 0.S.2 9 0‑ 2 91 2 0 ) Gut sMut hs.

2

1

) Gut s Mut hs.

2 2 ) Gut s Mut hs.

2 3 ) Gut sMut hs.

2 4 ) Gut sMut hs.

2 5 ) Gut sMut hs.

Spi ez l ユ r ‑ ・ h a.a.0.S.1.

e be nda.S.2 9.

e be nda.S.XXl.

e be nda.S.2.

e be nda.S.2.

e be nda.S.4.

1 64

(12)

2 6 ) H6hne

,E.:

Gut sMut hs'Ge danke n・ ・ ・ ‑ a.a.0.S.5 5.

2 7) Gut s Mut hs∴ Spl e l ezur‑ ・ ・a.a.0.S.7.

2 8) Sc hi l l e r,F.:i l be rdi eas t he t i c he・ ・ ・ ・ ‑a.a.0.S.6 2.

ギ リシアのオ リュ ンピア祭で,力,敏捷性, しなやか さ,高尚な才能の競演が楽 しまれ, ローマ では,剣闘士や猛獣の死闘が展開 された ことか ら, ヴ ィーナスや アポロの理想形態が, ギ リシアに おいて しか求め られない理 由が明か とな り, それぞれの国民の興味の細かな相違か ら, ロン ドンの 競馬, マ ドリー ドの闘牛,昔のパ リの見世物, ベニスの ゴ ン ドラ競漕, ウィー ンの狩猟な どの説明 がで きよ うと述べている。

2 9)

ポ リネ シアの遊戯が ドイツに伝 え られ ることよ りも,農器具の工具や改善のような萄益 な発明が, 隣接 したあ る国か ら他の国‑伝え られ ることの方が, どれだ け困難 なことであるのか。 また, ドイ ツの少女 は, その起源は知 らな くともギ リシア時代 と同 じ五つ小石の遊戯を行ない,少年達は, ギ リシア人が

,Kl ndal l S mO

Sと呼んだ ものを

,Pf l oc ke n

(くさびどめ) と名づ けて行 っている。更 にシュ トレブケの農夫は, アイス ラン ドの エ ッケル ンの農夫 と同 じよ うなチェスを行 ない, ラップ 人は,パ リやベル リンの工場で作 るよ うなカル タの図を トナカイの血で, ドイツ トウ ヒ材の樹皮 に 描いて遊ぶ

。 ( Gut sMut hs∴ Spl el e・ ・ ‑・a.a.0.S.5)

3 0) Gut sMut hs.e be nda.S.8.

タキ トウス, 田中秀央,泉井久之助共訳,ゲルマ一二ア,岩波文庫,昭和

47

,6 3 頁 . 3

1

) Gut sMut hs.:e be nda.S.1 4.

3 2 ) 1 4

世紀末に考案 されたカル タ遊戯

( Kar t e ns s pl e

l) (トランプ)が, シャル

ル 6

世の娯楽 と して 宮廷 に紹介 され るや, この ささいな遊戯が, フランスをは じめ,スペ イ ン, イタリアな どの ヨーロ ッパ全土 に広 ま り, よ り良 い運動,狩猟, ツルニール, ボール遊戯,木球遊戯などが駆遂 され,国 民,特 に上流階層の心身の虚弱化 を促進 させた。

3 3) Gut sMut hs.

3 4) Gut s Mut hs.

35 ) Gut s Mut hs.

3 6) Gut s Mut hs.

3 7) Be r ne f f .H.

3 8) Be r ne t t ,H.

Spel ezur‑・ ‑ a.a.0.S.l l.

e be nda.S.2 5.

e be nda.S.2 6.

ebe nda.S.2 6.

Dl epadagogi s cheNe uge s t al t ung

‑a.a.0.S.2 5.

e be nda s. 6 7 .

3 9) Mar sc hne r.P∴ Voxwor t ,‑・ ・ ・ ・a.a.0.S.X

I

. 4 0) Gut s Mut hs∴ Spi e l e宕 ur‑‑ a.a.0.S.XX

I.

4

1

) Gut s Mut hs.:Gymnas t i kf i i rdl eJuge nd

,‑‑

・a.a.0.S.2 52‑ 2 72.

42) Gut sMut hs.:Spl e l ez ur ‑ ‑・a.a.0.S.1 4‑ 2 3.

4 3) Gut s Mut hs∴ e f e nda.S.1 7.

4 4) Kl umpp,F・W∴ Vor wor tde sHe r aus ge be r s,i n Spl e l ez urGbungundEr hol ungde s K〜 ; r pe r sundGe i s t e s, Yon Gut sMut hs,4Auf l .1 84 5.S.7.

45)

エペソス

( Ephe s us)

の アル ラ ミス神殿

( Di ane nt e mpe

l)で少年 と遊戯 を共に行 った‑ ラク リ ー ト

( He r ak l l

t),青少年 と共 に遊戯 した ソク ラテス, ボールで遊んだ, ユ リウスカエサ

ル ( Jul l ̲ usCae s ar )

, オクタ ビウス

( Oc t avl u

S

)

,′トさな孫 に公共の場所で笛 をなお してや ったメデ ィチ

( Cos i mov orMed

lCi),将官 と共 に目隠 し鬼 を して遊んだ ア ドル フ

( Gus t avAdol f )

な どの 例であ る。

4 6 ) Kl umpp

は, あ くまで も教 師 と しての立 場か ら, 十 分 に青少年の遊戯 に関与で きると述べた。

その理 由と して, まず教師は,生徒 を倫理的に監督 しなければな らない。 そ して教 師は遊戯 を奨励

‑ 1 65‑

(13)

し指導 しなければならない。また教師は生徒にできるだけ運動の自由と自己活動を許さねばならな いとしている 。Kl ummpは Gut sMut hs の見解 に直接的に批判を加えているのではなく,共に遊 ぶことについて消極的に考えているからである。つまり,若 く,健康で,必要な身体的能力 と敏捷 性,若々しい精神的新鮮さや柔軟さを持 った教師は,共に遊戯に参加できるが,病弱であまり身体 的に強くな く,ま じめで厳格な性格の教師は,共に遊ぶことはできず,教授 し,警告 し,罰する教 師が,一転 して,青少年と共に遊ぶ仲間に移ることは,一般的に全てにあてはまるものではないと 述べる。結局,Kl umppは, 青少年 と共に遊戯を行 ってほならないと考えたのではな く,いっし ょに行なえない教師のための十分な配慮がグーツムーツには欠けていたことを指摘 したことになる。

4 7) Gut sMut hs∴ Spl eZ ur ‑‑・a.a.0. S.3 2.

4 8) Gut s Mut hs∴ e be nda.S.31.

4 9) Gut sMut hs.:e be nda.S.32.

50) Gut s Mut hs.:e be nda.S.3 3.

51 ) 1 06 種というのは,ページ数の関係で最大限という数であって,グーツムーツ自身は,まだかな りの数の遊戯を持ち続編を出版する予定を していた。

Gut sMut hs∴ e be nda.S.3 3.

5 2 ) Gut sMut hs∴ e be nda.S. XXI V.

5 3 ) Gut s Mut hs∴ e be nda.S. XXI V〜 ⅩXV.

5 4) グーツムーツは,本研究で用いた 『 遊戯書』以外に以下の二つの著作を著わ している

o

Spl e l al manac hf urdi eJuge nd,1 802‑ 1 803

。Unt e r hal t unge n undSpl e l ede rFaml l i e n z u Tanne nbe r g,1 80 9.

グ ー ツ ム ー ツ の 遊 戯 論 (その

1)

『遊戯書 』 にお け る思想 と教育 的基礎 づ け‑

1 796 年 に,体育 史上, 「近代体育 の父」 と称 され る J. C. F.Gut s Mut hs は一冊の遊戯書 を著 し た。 その遊 戯書 は,体育 的 そ して教育 的観点 に基 づ いた最 初 の遊戯書 で あ ると評価 されて い る。

彼 はその著 で, 中世教育 への批判 を明 らか にす るとと もに, 同時 に新 しい社会 の担手 で あ る青年 の教育方法 を さ し示 した。

本研究 は, その グーツムーツの遊戯思想 と遊戯 の教育 的役割 や内容 を明 らか にす る課題 をもつ。

結論 と して は以下 の よ うであ る。

1 ) グー ツムー ツは遊戯 に関 して独 自の定義 づ けを試 み た。 その際 に彼 は哲学 的立場 と習慣 的立 場 , すなわ ち,一方 は,理論的 な定義 づ けで あ り,他方 は,実践 的定義 づ けを行 った。

2) 彼 は遊戯 の意味 ( 義) を国民性 との関連 で指摘 して い る。彼 は, 国民教育 の一方法 と して重 要 さを導 いて い る。

3)

彼 は遊 戯 の教 育的役割 を指摘 す ると同時 に さ らに,道徳 的,政治 的役割 も明 らか に している。

4) 彼 は,教育 的 に有用 な遊戯 を,特 に 「教育 的遊 戯」 と呼んで い る。彼 は教育 的遊戯 の選択基 準 を定 めた。 す なわ ち一定 の道徳 的,精神 的 そ して身体 的特性 で あ り,彼 は遊 戯書 で 1 06 種 の 遊戯 を挙 げて い る。

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(14)

5) この 1 06 種 の教育 的遊戯 は,すべて実 際に,彼 自身 によ りた しかめ られ 各遊戯の価値 も確 認 され た。

6) 彼 は遊戯の実施の しかたを詳細 に説 明 し,指導法,留意点 も説 明 して いる。 それ はすべての 青少年 が,容易 に遊戯を実施 す ることができたためであ り, また,すべての教師や両親 らが, 遊戯 を効果的 に指導 しやす くす るためであ った。

Gut sMut hs't heor y ofpl aysandgames.( No.1)

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( 1 )Gut s Mut hs 'de f ini t i onofgame sandpl aysi suni quei nt hes e ns et hathec l as s i f y t he m i nt ophi l os ophi c aloneandcus t omar yone;t hef or me rl e adst obet heor e t i ‑ cal ,t heユ at t e rpr ac t i ca

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( 3 )Notonl ye ducat i onalme r i t sbutmor al i s t i candpol i t i c alme r i t sar epoi nt e dout . ( 4 )Hehascal l e dt hegamewi t heducat i onalme r i t 'e duc at i onalgame' andpr opos ed

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( 5 )The s e1 0 6ki ndsofe ducat i onalgame shaveal lbe e nac t ual l yt e s t e dbyhi ms el f andeac hval ueofgame shasbeent hor oughl ycon丘r med,

( 6 )Hehase xpl ai ne di nde t ai lhow t oi ns t r uc tpl aysandgame ss ot hatt eac he r sand par ent smi ghte as i l yge tc l ue st ol e tyoungge ne r at i onse nj oyt he m ef f e c t i vel y.

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参照

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