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規制緩和と政治体制

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Academic year: 2021

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規制緩和と政治体制

――

金融制度改革を中心として

――

廣 澤 孝 之 *

本稿では、1993 年の政変に端を発する日本の政治体制の変化に、1980 年 代以降の規制緩和、とりわけ金融制度改革がどのような影響を与えたのかを 検証することにしたい。

日本の 1990 年代における政治体制の変革、具体的には自民党一党支配体 制の崩壊とその後の連合政権の成立、新進党の結成と崩壊などの政界再編な どをもたらした要因としては、第一に、小沢氏を中心とする保守政党内部か らの改革の動き、第二に、日本型コーポラティズムの確立を目指した「連 合」など労働勢力の動き、第三に、アメリカ型のダイナミックな政治を指向 しようとしたマス・メディアの政治改革への積極論などを指摘することがで きる。しかし、本稿では、1980 年代以降の経済社会情勢をめぐる変化が、

従来の自民党支配体制の下で形成されてきた金融制度を中心とする経済構造 の改変を余儀なくさせるものであった点に着目し、それらが政治体制の変革 に与えた影響について改めて考察する。

1970 年代までの日本の金融制度は、自民党支配体制のもとで自民党の族 議員、銀行協会をはじめとする業界団体、官僚機構としての大蔵省と日銀が

 

* 福岡大学法学部教授

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トライアングルを形成し、いわゆる「護送船団方式」と呼ばれる協調体制を とっていた。そこでは、銀行と証券の分離や普通銀行、長期信用銀行、農協 系の信金などの系統金融、信用金庫等の区分による階層的な資金提供などを 特徴とする「枠のなかでの競争」といわれたように、大蔵省の行政指導と窓 口規制を柱とする強い統制の中に業界全体が置かれていた。

しかし、1980 年代に入るころからこうした日本の金融制度構造は大きく 崩れていくことになる。第一は、間接金融方式の崩壊である。証券市場の未 発達もあり、日本の企業は設備投資など長期資金を銀行からの借り入れに大 きく依存する体質を持ち、国民の高い貯蓄率がそれを支えていた。ところが 1980 年ごろから金融自由化を求める米国の圧力なども受けて、無担保社債 やワラント債の発行などが次々と解禁され、企業は金融市場から直接資金を 調達することが可能になっていく。これらの規制緩和は、安定的な経営基盤 であった優良な融資先を日本の銀行から次々と失わせることにつながった。

1990 年代の長期信用銀行 3 行の崩壊は、これらの事情をもっとも明らかに 示している。第二は、銀行と証券の分離崩壊など規制緩和による新規参入の 増加と新しい金融商品の出現、そしてとくに海外資金の流入増加である。

1990 年代末の北海道拓殖銀行と山一證券の破綻は、まさに日本の規制緩和 の虚を衝いた外国投資銀行の主導によって引き起こされていった。こうした 日本の金融制度を取り巻く変化は、1980 年代末に円高による為替差益を求 めての投機、さらには融資先に枯渇していた銀行から資金を調達しての株式 や不動産への過剰な投機につながり、いわゆる「バブル経済」を引き起こし ていく。

バブル経済崩壊以後の経済再建において、財界をはじめとする日本の経済 界が金融制度改革で指向したことは、バブル経済以前の強い規制の下で過剰 な投機や急激な景気変動を避ける構造を再建することではなかった。その理 由は第一に、1980 年代以降、戦後日本のいわゆる「保守本流」路線とある

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程度の親近性を持っていたケインズ主義的な経済財政運営(旧経済企画庁は そうしたエコノミストの牙城でもあった)に対する信頼性が世界的に大きく 揺らぎ、新自由主義的な経済政策の採用が国際的な潮流となっていたこと、

第二に、日米貿易摩擦に端を発した国際的政策協調の中で、自民党の族議員 と各官庁が枠組みを設定し利害調整を行う従来の構造が維持不可能になって きたことである。そしてアメリカからの強い要求を受けて実現した牛肉・

オレンジを中心とする農作物の輸入自由化と、外国企業の参入を容易にする 商取引慣行の変革などさまざまな規制緩和は、農協や中小商店主など自民党 支持基盤の溶解につながり、1989 年の参議院選挙における自民党の大敗を もたらすことになった。このことは従来型の財政経済運営に固執することで は、経済のグローバル化に対応できないだけでなく、逆に従来の支持組織か らの反発を招き安定的な保守基盤の構築にもつながらないことを示すもので あった。

したがって、1990 年代初頭のいわゆる政治改革議論において、財界は影 響大拡大のため政界再編を企図した労働界とともに、自民党支配を動揺させ る可能性を大きく持つ改革に積極的な姿勢を見せることになった。たとえば 経団連が自民党への団体献金の凍結を打ち出すなどかなり強引に政治改革議 論を進めようと圧力をかけ続けた。それは経済のグローバル化へ対応するた めには、金融制度をはじめとする規制緩和をさらに推し進める体制作りが急 務であり、そうした市場原理主義的改革を強力に推し進める政治体制を作り 上げていくことが課題である考えたからに他ならなかった。ところが、日本 においてはこうした新自由主義的な政治体制作りは容易には進まなかった。

1990 年代の政界再編は、非自民の連合政権や、自民党と社会党の連合政権 など諸勢力の合従連衡を経て、かつての自民党支配体制に近いものを再び生 み出したからである。たとえば自社連立政権成立後の最初の大きな金融問題 であった住専(住宅専門に融資を行ういわゆるノンバンク)処理の問題にお

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いて、諸外国などからの系統金融を丸抱えで保護しているという批判にもか かわらず、自民党の支持基盤である農協組織を保護するために、破綻処理で はなく公的資金を導入し住専の母体銀行にも応分の負担を担わせるという、

従来型の政府主導の調整方式によって解決を図ろうとした。

日本において本格的に市場原理主義的改革を唱える政権は、地方への利益 誘導を梃子に自民党支配体制の中核を担ってきた田中派(竹下派)支配の打 破を提唱し、アメリカなどからの規制緩和要求にさらに応えるとともに、大 都市部の中間層を自民党支持に引き込むことを目指して登場した小泉政権に よって初めて本格化していくことになる。しかし、1990 年代の日本は、「喪 われた 10 年」と呼ばれたように、政治体制が流動化し政局が混迷する中で、

本格的な高齢化社会への政策対応や、財政再建など多くの課題に取り組む体 制作りに成功せず、租税による所得再分配効果を逓減させる一方で、不良債 権処理に象徴されるように超低金利政策の実施による銀行経営の救済と国債 発行による短期的消費の下支え、非正規雇用の拡大と投機的資金運用の奨励 とでもよべる一層の規制緩和を推し進めることに終始した。その結果は、と くに小泉政権期に乱発されたことによる国債残高の急騰とそれにともなう日 本の金融システムに対する国際的信用度の低下と財政問題の深刻化を生み出 し、さらに企業の人件費の圧縮による雇用情勢の悪化とこれまで日本の労働 社会を支えてきた企業内福祉の逓減による日本の社会保障システムの全般的 崩壊を引き起こすまでになっている。これからの日本は、財政再建と経済の グローバル化の中で、バブル経済の悪夢を再現させない金融制度を従来の自 民党支配体制に代わる枠組みのなかで形成していくという大きな課題を抱え ている。

(本稿は、台湾・国立中正大学で 2008 年 3 月 11 日に開催された日台共同 の学術研究会における報告要旨である。この研究会は、主として近年の日本、

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台湾両国における商法関連の諸問題を実務家も交えて検討する講演会・シン ポジウムであったが、日本の政治状況との関連についての報告を要請され、

行ったものである。通訳をはじめご足労をおかけした関係者の方々に心から お礼を申し上げる。)

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