新刊紹介
伊藤久秋教授著 ﹃マルサス人口論の研究﹄
︵丸善發行定價参圓参拾錢︶
寺川末治郎
︵l︶由来経醇撃上マルサス人口論の取扱は 必ずしも固定せるものでない︒例はミルの原
論を播く亡き人口論は︑生産諭に於で説明せ
られてゐるに気づくであらう︒蓋し働く手を
提供するどみる限り人口は根原的の生産要素
である︒怨に人口は働く手を提供すると同時 に否︑それ以前からして食ふ可き口の保持者
である︒此の口としての人口に重鮎を置く学
者は人口論︵マルサスの︶に滑螢諭中の一地位
を許容する︒山崎博士の原論では確にそうな ってゐたと思ふ︒近代の風潮は滑螢論に多く
の頁を輿へる事を惜む︒欲望は経済学の出費
鮎を提供するのみ︒一方喚国軍派の流布によ る生産諭の閑却は遂に人口論及それに関係す るマルサスの名を全く掲げざる経醇原論の出 現に導いたのである︒弦にも捨てる沖と拾ふ 紳とは別人格どなって︑原論から姿を治した 人口論は社食問題︑鹿骨政策に拾はれた︒人 口論がマルサスの範囲を一歩も出ぬ私らば理 想も政策も見戯に東する鷺である︒かくて人 口
論 に
封 す
る 態
度 は
再 び
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問 題
ど な
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た︒殊に社食政策の智導理念を生存権に求め
んさする人達は︑先づマルサス人口論を何等
かの形式に於て克服するの必要に迫られた︒ 個人の倫理観に訴へるか︑人性の可塑性空尚
調するか︑或は人口法則の作用する間に僻は
生存柾を容れ得る廣大なる徐地の存在を指摘 するが︑或は単純に産鬼制限を云々するかし
て︒カクツキ\ゾソバル\安部︑商用な
どの顔が浮ぶ︒然に既に原論倍系より股返し たマルサス人口論は限界生産力渡の分配賃銀
論に其姿をあらはして来る︒賃銀は限界生産
力の大小に比例するならば︑限界生産力の大
新 刊 紹 介
一九 五
商 業 さ 経 済
一 九 六
やは労働間半位数の大小に反比例する︒而し て草位数の大小乃至増減は如何にして起るか
の 問 題 は 一 一 応 マ
Y
サス人口論に聴くこさにな
ったのである︒ジユンピ
1ターが最も秀れた
る 賃 銀 論 芯 結 局 せ る カ
1
グア
1分配論の賃銀が
其の例であらう︒郎生産論から分配論への移 動さなってー此の新しき基金設さも
4
一
一 口
ひ 得
る
やうな形式はあまりにマ Y ナスへの復蹄をほ
のめかす︒更に鴇じでは最近に於ける流行た
る方治的(ジユトレーラーの意味の)静態勤態
論は︑静態にありでは凡ゆる奥件の遜勤訟捨
象するが故に最早や賃銀論に︑人口論(マ
Yナスなるさ否さぞ問は十)守置くの意味なか
らしめ︑同時に︑人口増加を以て後展の主要
素動態原因者ごして︑重要なる地位を奥へる
事になった︒クラ I クに於て人口増加は労働
単位の増加さ欲望の増加さをや︑偶然的に包 括 す る ︒ ユ 一 一 口 は い 生 産 さ 消 費 の 雨 方 面 に 劃 す る
人口の意味は特別な形式に於て結ばれたさ解
し皮ぃ︒私は経済率上人口論の取扱の謎化ぞ 大略右の如く考・へてゐる︒今問題を率いて此 庭まで来るさ其範国の見常がつくゃうであ る︒換言すれば人口論をマ
Yず久的に承認す
るか︑はた然ら.ざるかに依って爾後の思索後
展に重大なる匿別が起る︒何んさなれば動態
原因の人口論子マ
Yナス的にみるならば利子
利潤を永遠化する事になり︑所謂論理的範隠
さしての利子利潤を是認せねばならない︒若
し又非マ
Yナス的に解するならば五日人り眼前
の異常なる人口増加は資本主義時代の特産物
に過ぎない︒かくして人口増加による後展は
論理的たら子︑引いて歴史的範鴎ごしての利
子 利 潤 を 一 一 一 一 口 ふ に 止 ま る
︒ 何 れ の 見 解 守 採 る や
は単じ個人の興味に追随するのみにてはあま
りに悲しい︒私は原論陸系構成の上からも著
者伊藤殺授さ共に﹁マ
Yサノス人口論会位に閲
する解説はなほ要求せらる﹀こさ大なりさ信
子る﹂ものである︒然り従来ごて﹁マ
Yナ ス
の名は頻に人の口頭のぼる︒しかしそれは廃
滅したる通貨の縛々流通せる如きものでなか
ら う
か ﹂
J
白放すれば私のマ Y サスも著者によ
って啓蒙ケ授けらる今日までは︑勝減せる遜
貨を受授してゐたに過ぎないのを覚った︒之
改まって著者に成謝せねばならぬ結である︒
(ニ)順序さして本書の主脹せんどする目的
をきかねばならぬ︒臼く﹁著者は本書に於て
人口論の系統的批評を企てんぜするものでは
無い︒﹂か﹀る企ては﹁今後の栄作に譲る﹂ご
一 一
一 一
口 は
る ︒
従 っ
て そ
の 目
的 三
す る
所 は
E 大なる
﹁ マ
Y
ず久人口論な主ごして其の時代の反映
に於て見むさする所にある o それが魚めに本
書の内容は人口論の解蒋さ営時の反響の観察
ごに二分される︒マ
Y
+
ノス人口論に濁する批
評はその目的ざする所ではない︒併し解粋は
既に或程度に於て問題の批評である限
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︑又
批評家の批評を取扱ふに品目回って必要なる限
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︑著者自身の批評が随所に現はれ来ったの
は や む を 得 な い し
︒ 第 一 政 局 の
﹁ マ
Y
サス人口論
の成立ど其の内容﹂は解秤の部にあたり︑第
二篇﹁マ
Y ず只人口論の反響﹂は静岡時の反響
新
介 手 リ 初
を観るものであるは勿論である︒私は此本缶
詰
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時︑たえや
J座右に置くこさにしてゐた︑
出053旨
p p F 5
品目宮司 8
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・の目次 さ 本 晶 一 一 日 の そ れ さ を 比 較 し ゃ う
︒ 尤 も 前 者 の 観
察は人口論以外の著者にも及ぶのであるが︒
本全日
第一一編マルサス人口論の成立さ並(り内容第 一 章 序 説 第二章人口論執筆の勤桜之第一版の主題 第 三 章 人 口 論 第 二 版 第 四 平 マ ル サ ス の 主 題 第 五 牢 人 口 法 則 の 作 用 第 一 節 序 説 第二節下等民族に於げる人口の抑制 第三節往告の北欧人に於げろ人口の抑制 第四節近代牧港民に於げる人口の抑制 第五節支那及日本に於げる人口の抑制 第 六 節 古 代 希 脱 及 羅
ι
於げあ人口の抑制馬第七節諒威︑瑞血行及露西軍に於げる人口の抑制
第八節中欧︑瑞典︑仰関西に於げろ人口の抑制 第九節抗前協格闘及ぴ愛閣に於げる人口の抑制 第 六 平 平 等 祉
AWUの批評
1 1
ゴyドウイン其他 第七草移民に閲するマルサスの見解一九
七
商 業 さ 経 済
救貧法
l l
生存擢否定に就℃
農業立図か商工立図か並に穀物傍例に闘すろ
マルサスの見解
第 十 草 岡 市 の 増 加 さ 貧 弱 の 扶 態 第 十 一 章 道 徳 的 抑 制 に 就 て 第 二 編 マ
by
サス人口論の反響
第 一 事 マ
Wサスりずピユラリティー
第二
背中
T サスの批評家W 第 一 節 人 口 法 則 あ 認 め ざ ろ 者 第 二 節 人 口 法 則 よ リ T Vサスの導く結論島認めざ
おもり宗教的又は感情的反封者並に立抑制明かなら
ざろ批評家 第八章第九辛
第三節
結
附 託
第
一トマス・ロパート
‑TV
サスの略侍
ごマルサスの尖ざわ戸ソ1及びbユ1ムさの閲係
三 マ
サス及び人口論争関係年表h w
人名索引
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第一篇の初の部の進み方は著者が母色
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し て や ‑ ら れ る ポ ナ
1 に採ってゐる事は察せら
れる︒更に同第の第六章より第十章に説︿所
は マ
Y
ナス原本の第三篇に該蛍するものにし
て︑原本から摘録するに第一章より第三宰は
卒等主義論︑第四宰は移民論︒第五宰より第
七章は救貧決︒第入章農業主義︒第九章商業
主義︒第十宰農商並行主義︒第十一章ご第十 二章穀物法︒第十三宰富の分配が貧民の境遇
に及ぼす影響に就て︒さある︒ポナ
Iに 在 つ ては第二篇
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経済率の四章の問に散在するも
の︒而して著者が第一篇ゆ第十一宰に要約せ
られしものは︑マ
Yサス原本第四篇の十四章
に互る庚汎なる思想である︒
次に第二篇第一章はマ
Yサ ス 和 国 時 彼 の 設 に
賛成する人々の思想︒第二章は三分せられて
第一章よりは詳細に︑マ
Yナ ス 反 射 到 者 の 撃 が 潟 3 れてゐる
o何 故 第 一 点 目
? を も 第 二 章 の 如
︿
その賛成者を多少科向学的な立場から分類を加
へなかったかに就いては別段著者の言葉がな
いゃうであるが︑既に第一篇にマ
Yサスの思
想が逃ぺである以上︑それに同歩る思想に多 ︿の頁含割︿こぎは同一の事柄を反復するの
弊を恐れたからであらうが著者の
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置き所の問題でもあらう︒第一篇ご第二篇を
比較するに前篇に於ては形式的にポナ
1に率
ぷ 所 多 ︿ 後 第 に 於 て 甚 だ 砂 い ︒ 寧 ろ 無 い さ 一 一 一 一 回
刊 紹
ふぺきである︒結誌に到って再びポナ I に接
近する如くなるもそうではない︒附篇の各章
は睦彩の事情から附篇ざなってゐるが︑マ
Yサス営理解する結局めには重要なる地位を占め
るものであ b 又手ぎはよく書かれてゐる︒碑
銘の訂正は周到なる用意に基づくもので著者
の持を多ごせねばならぬ︒
(三)私は想像する︒恐らく伊藤殺授は此の
研究にあたり先づポナーを霞んで其詳細を自
己のものさせられたのであらう︒マ
Yず只に
謝する興味もポナーから得られたので無らう
か︒これ著者ざして甚だ賢明な道伝活まれた
わけである︒凡て古典
ε 仰がれる程の大著営
研究するに︑卒然さそれに突進するは︑多く
大騰なるに似て其貫盆は乏し︒事貫古典には
種々の解説又は︑批評ざいったものが存在す
るのであるから︑後間学の士はその中に相官信
頼 ︑ す ぺ き を 選 ん で ︑ 一 つ の ︒ 片 山
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民25
問診得
るのであるし︑それを土蚤ごして更に進展を
はかるこごも出来ゃう︒か
khる土蚤を得てを
新
介
一九 九
商 業 主 経 済
くこさは或種研究にさつては絡調的に必要で
ある︒唯難解ならば考を深くする事によって
克服の念があるが︑マ
Y+
ノ ス
の 如
く ぐ
広 含
邑 向
︒
なものは深く考へるのみにては方向の正設は
保詮きれない︒多くの賂に於てポナーは著者じ
研究後端の立場守授けたのであらう︒殊に本書
は記念すぺき彪女作である限り徐程慎重な態
度 を
さ ら
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の で
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う ︒
﹁ 有
盆 な
る 助
一 一
一 回
を 奥
へ
られたるぜ 1
ムλポナー博士に讃し常時の約
束に従って︑本書の査部を贈呈し得る機舎に
接したるを喜﹂ばれる著者の心中察するに難く
ない︒然し本書に泌氏表する思想は単なるポナ
ーの反復でなくて多くの場所にが︑て彼の失
慮︑短見を補正する︒その時も直線的にアグ
足取りに出でやして︑一途にヲ
ηノ高き完成を
目
eさして︑おだやかに論歩ケ進める如きは著
者の人格の然らしめる所であり︑向子究の態度
さして誠に嬉しい
3引 照
の 該
博 な
る は
一 一
一 一
口 ふ
ま
でもなくポナ 1 の及ばぎりし濁逸文献︑彼に
洩れた英仰の研究も勢力ケ惜ま宇吟味せられ
二OO
てゐる︒しかも之等各闘の引用が甚だ整然均
勢である上に︑著者一流の歯切よい文躍は読
過の際唯爽快を見えしめるのみである︒いか
にも率問的な勢作さ言はねばならぬ︒殊に第
二篇は著者の最大の苦心の宿る所であらうが
其苦心は十分に報ひられてゐる︒準設史研究
ざして最も管室すべきものたるを失はぬ
c官
て世に販はれゴ
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し多数の批評家が紹介せら
れてゐるのも本第である︒尤もマ
Yサス研究
では引詮の過多は却って踊をなす事もあらう
が債値あるもの﹀股漏は防がねばなるまレ︑
唯私は雨篇の内容を十分正蛍に当位三一
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する
だけのカを快くので著者は元より私も不本意
ざする所であるが詳して貰はねばならぬ︒
(四)会百七十頁の雨篇を絡へて﹁結語﹂が
奥へらる︑結論は必十しも目下の著者の主目
的ではない︑僅か四頁ぞ出でぬ︒少し此駄に
考へてみたい︒私の便宜の忽め三分する︒(イ)
マ
Yナスは英図特有の功利主義さピユ
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タ
ニズムの宗教的目的視の生児であるごみる
事︒ポナーにも此の考方がある
o
次に( 廿)
﹁自
然的治則によ・って赴曾に幾多の害惑が後生す
る
l
l
然ば此治則に濁して人は全然手を挟いて無策なるぺきか︒否︑ヘ人は先づ此治則の理
解によりて害惑の幾分ぞ除き去るこ之が出来
る﹂﹁人口法則に基く害悪の回避軽減は如何︒
ー
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サスは佃人に向って道徳的抑制の義 務ぜ必要さケ唱道せんざする
o
されJ E l l
性
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慾の不援に依然たりたい調節じ得るのみにし てーーなほ蔽ひ能ゴる矛盾の存在訟否定し去 る事は不可能であった︒道徳的抑制をす︑む るに蛍って││狐疑透巡絡に懐疑的態度含股
し得や
l l
産児制限に濁しては彼の宗致的道 徳視が何等の考慮を沸ふ債値をも奥へなかっ
た﹂︒前段はそのま︑にして後段に就いて一一員へ
ばポナーが彼の第四篇の末尾に掲ぐるものご 其の議了後の印象が大に相遣するは注目に値 す る
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・此の 中には明に謝立する二元がある︒念じは調和 すべき二元であるのか︑調和せ
5
る二 一克 であ
るのか︒本書に還って(川)﹁││功利主義に
打も遮すべきぺンタムの徹底さも︑一つの原
理を追求する
y
カY
ドの明快さも之な
?y+ノ
ス人口論に求なる事は不可能である︒││多
面なるぺきマY
ナスが単純一面的に解されん
ごした︒注々百年を経過して未だ遜きざる﹃マ
Y
ナ久論争﹄は少から子此マY
ず只解蒋の責
任である︒私は立ち蹄ってマYサλの全面合
みつめんさした︒
1
そこに﹁最も濫用され
1
たる人﹄マ
Y
ナス左足出した﹂︒ポナ!の叙述︑は右で終るけれ共本書の著者にあっては︑
(官
)は
( ρ )
へ連続する︒﹁解蒋は既に或程度
に於て問題の批評である﹂限り第二篇は弓一一口は
十もがな第一篇に於てきヘ︑銃き著者の批剣
ニ
O
商 業 主 経 済
が解粋や説明の到る所に閃く︒そして此の批 剣の色彩の裡に著者の内部に宿る燐烈な意欲
を看取し得るのである︒か︑
Aる意欲は結語の
(ハ)に凝縮す︒著者の意欲さは先づ?y?ス
を出版格に解するにある︒段格に解するさは狭
く解するこさに非十して凡ゆる奥件を配して
其の相互関係に於て把握せんごするに外な
らぬ︒久ア
l y 夫人の﹁濁逸﹂の中に叶
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件︒ ︒
ョ 胃
g 母
少 の
え め
同 窓
口 仲
間 出
丘 ︒
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2 ごいふ句が
あった︒著者の解せんごの努力は蛍然に容す
の立場に移らんごの努力である︒
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昨 日 向 付
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て マ
Y サスを捕ふるご共に同
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︒ ご 宮
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向︒のねれ衣を乾さんざするにあ る
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戸 ︑ 己 ロ え の 巳 ロ ゾ ﹂ し て 眺 め ん ご す る に 在
る︒否︑著者の意欲はあまりに奔流する︒﹁現
下本邦の戒態は十入世話末葉の英国である
o
人口論史上最大の豆人トマ
λ・ ロ
バ
1
ト ・
マ
Y
ナスが最も注目を要求する時さ所があるなら
ば泊先下の日本は全く夫である﹂先きにポナー
の二聞を克服せられて︑より正確なるマ
Yゆ ノ
ニ
Oニ
スを眺め得たる著者は︑一見に原形マ
Yナスを
何等かの黙︑何等かの形式に於て克服するの
必要伝戚・号︑ざるや如何︒之れ著者の今後の業
作に待って知る外はない 112 カクッキーの楽
天的なる倫理一一万視は思ふに本著者の意思で
なからう︒さもあれ今回の円︒一
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のうちに
はライトの引用した
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通づる志向がふくまれる︒日く叶日
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色 目
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注 目
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回 目 白 品
︒ ロ 日 付
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門 司 山 同 ) 同
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・ さ
︒
顧るに著者のマ Y サス研究は決して短き過
去.よりの思付きではない︒或は十年以前に根
ぎすのであらう︒その洋行に際し先づ英図に 遊ばれた︒ぞれから濁逸偽蘭西にも渡ったが
草に息ヌキに止まる︒沼町山子前からの心願であ
ったさ思へる二つの研究が常に︑主︿の匁めに
都合よき英京の地に此人骨吸引するのでゐっ
た︒著者は研究項目を一度︑確定すれば徹底
目的までやりさげねば承知出来ぬ強き信念の
士でゐるらしい︒唯一貼この強き信念ケ裏切
った事震があるけれざも天機洩す可ら歩︒か
︿て在欧三年に互り其勢力さ]百件巳を傾けて
蒐集せられた多くの資料を以てこ﹀まで完成
せられた跡をみて痛︿私は喜ぶ︒ぞれさ同時
に︑理論をやるの明快芝︑準設資料取扱上の
落ちついた手ぎわが︑なほ春秋じ富む本書の
著者伊藤敬授にさつで等霊すぺきものたるを
指摘して拙き紹介の筆を捌かう︒ハ四
l了 七
︑ タ
﹀
新刊 紹
介