青 塚 繁 志
The Development and Socialization on the Order of Meiji Fisheries Law
Shigeshi AOTUKA
的布石でもあったし,さらには資本主義的矛盾,堆積への開姶をも意味した.
法は永い階層的紛争の一つの集積であり,制定時においては最:も新しい生産関係の制度 的保全となりうる.このことは同時に生産関係の制度的固定化を意味し,つねに前進する 生産関係はその改革を要望してやまない.そこでも新しい条件によける新旧二勢力の法を めぐる斗争があらわれてくる。また他の一面は,過去の法形成時における法をめぐる斗争 の流れが,つねに新法秩序の復古的改変を企てていることである.
34年漁業法制定以後の諸特徴は,これら法をめぐる錯運動のなかにとらえることができ る.34年漁業法施行後の改正運動の主流は,慣行派的復古運動と先進産業からの漁業被害 対策である.
例えばすでに35年末つぎのような論説があらわれている.『漁業法施行せられてより既 に五旬,全国各地に其の不適合を感じ,是れが改正を絶叫するものあるに至れり.漁業上 の法律として襲踏の事なれば,旧来の習慣に反し,制度を破り,施行上に甚だ困難なる事 は既に明瞭ならん.……漁業法に基きて発布せられたる各府県取締規則も,発布早々種々 なる不適合を現はし,非難の声各処に起り,阿れが改正運動を開銀するものあるに至れ
り1)』.
34年漁業法制定時の慣行派,自由主義派のはげしい応酬からして,その市民法的性格に 対する慣行派からの反回は当然のことであり,かつ議会での政府答弁が旧漁場秩序を改廃 するものでないことを再三言明したにかかわらず,施行規則の内容および免許取扱方針が すべて慣行の抑圧,漁場秩序の近代化を促進するものであったから,このような論説が流 布されるのも当然であったといわなければならない.
明治39年7月の東京朝日新聞は,『水産業の施政』と題する主張をかかげつぎのように 論じている.『顧るにごは当局者が漁場に関して頻りに紛擾を重ねしを見て,漁場に対す る権利さへ確定すれば,之に依て其紛擾の跡を絶ち,延て斯業の進歩を促し得べしと思考
したる結果ならん, されどこれ又浅薄なる考案たるを免れず,何となれば漁場紛争の真 原因は其実法律上の権利問題より発生せしに非ずして,経済上の掲益関係に胚胎せるもの なり.即ち年々際々漁獲を続行し,魚族の著しく減少せしょり十分当業者の船腹を賦す能 はざるに至れる結果也,此の故に当局者は益々以て魚族の蕃殖を図らざるべからざるなり 2)』.当時の論説として,漁場秩序安定の基本が権利確定にとどまらず,さらに漁場紛争 の根因が経済問題にあることを指摘したのはすぐれたものといわなければならない.然し その結論が魚族増加の資源論に終っているのは問題の核心を衝いたものではなかった.然 し横行する改正運動の根因が,法律改正のみによって問題を解決しうるものでないとした ことは改正運動の真相をついていた.
さて34年漁業法は慣行漁業権の抑圧とその包括的漁場麦配の否定的要素で構成されてい た.かつその後の漁業行政は,慣行漁業権の消滅の方向に向っていったのである.,漁村網 元層の中心的な漁業法改正運動が,慣行漁業権の確保と包括的漁場:支配の復活を目指した のは当然である.
漁業法施行規則21条は,『従来ノ慣行二因リ漁業免許ノ出願ヲ為ストキハ前項 (……漁 場図)ノ外其ノ慣行ノ事実ヲ証スヘキ書面ヲ添付スヘシ』と規定し,告示105号出願書式 第2号の規定によって慣行証書の提出は出願の必要事項とされた.
秩序への輝やかしい出発点となった.また同時にそれは上昇期漁業資本主義の有力な制度
すでに漁業組合準則が旧慣漁場や漁具漁法の墨守を漁場秩序の中核としたことはあきら かにしたところであるが,その現実的理由も『漁場の区域に就ては……皆漠然旧慣に従ふ と云ふが如き条項を設くるに至りたる所以のものは若し規約上精密に痴言浦の慣行漁場区 域を明示せんとせば紛議百出これが臨め遂に規約を成立せしむること能はざるに依るもの 3)』であった.然しなお府県取締規則期において慣行の有無を調査しその証拠の不存在,
不正確を理由に漁業許可を与えられなかった事例もすでにのべたとおりである4).
したがって34年漁業法の実施過程では,慣行漁業権にとって最:大の弱点を強要され,そ の廃滅を目前とするにいたった.
当時民間団体の大日本水産会,大水連の幹部であり,慣行派の中心人物の一・人であった 中島行一氏は,その行政方針への不満をつぎのようにのべている.『漁業法制定の当時に 遡りて之を案ずるに,従来の慣行なるものに最も重きを置き漁業権の取得に対しても特に 慣行権に優先権を附与することとなせりき.然るに本年に至り該法施行規則発布せられた るを以て之を見るに,吾人が希望したる慣行権なるものとは,全然其趣を異にし,今日に 至りては寧ろ慣行権なるものは殆ど価値なきの権利なるが如くに感ぜしめ,当初吾人が本 法の解釈上立法当局者と妥協し,本案の通過に努めたりし際に於ける精神を無視せられた るにはあらざるかと疑はしむるに至れり5)』.
これは施行規則における慣行漁業権圧縮化の方向,とくに漁業権内容の固定化を攻撃し たものである.さらに同氏は続いて慣行立証の困難を訴へ,『此事たるや当業者が最も杷 憂を抱き居る処なりと難も……殊に整然たる慣行に対しては,寧ろ書類の存するを見ずし て,却て従来紛議絶えざりしものにこそ,兎にも角にも証拠書類の存するあるを見るの現 象なりとす.…故に当局者に於ても必ずや立法の精神に反し普通貸借等に対する証拠書類 の如き性質のものを具備して之を添付せしめんとするの意思は決して之れなかるべし…』
と当局の反省を促している.
然らば慣行漁業権取扱いの事例はどうであったろうか.例えば慣行書類不充分の故をも って免許を拒否され,行政裁判所の係争事件となったものが多い.施行前の29年高知県E 灘村事件はすでにふれたが,40年5月兵庫県長井村が農商務大臣を相手とした慣行漁業権 不当処分取消請求の訴において,行政裁判所は『原告が……従来の慣行に依り専用漁業権 を有すとの主張は何等之を証明するものなし7)』として,原告が提出した30年制定組合規 約,寛丈年間以来の川役上納文書の慣行証書の効力を認めなかった8).こうした事例は中 島氏の要望にかかわらず,慣行免許が規定通り励行されたことを物語っている一例である,
42年衆議院での某議員の質問に応へて水産局長は『漁業法の第5条にて命じある如ぐ田 鼠を有するものは無論証拠書類並びに事実上の調査等充分の審査を遂げて許否を決し居る なり……各県の事情各異なるを以て取扱の一定方針は立つる能はず個々事々に付書類事実 証拠を調査の上処分する詮なし9)』と応答している.
なおこのような行政上の取扱方針とあわせて,地元漁村問の紛争によって旧慣の破棄さ れたものも相当多かったこともうかがわれる.例えば宮城県本吉郡下各組合の漁場慣行協 定の破棄10),徳島県中林浦組合の他村地先漁場買収11)などはその適:例であった.
以上のような慣行漁業権にたいする行政方針や現地でのその実質的な消滅は,慣行的漁 場主義論を刺戟しその再燃をよび起したことは当然であり,43年改正法以後もながくその 運動は継続されたのである.
まず34年制定直後,35年11月舞子で開催された全国漁業者有志協議会12)は,画質4条 の専用漁業権の規定に『水面専用区域内に於て其の権利者が前条(……定置,区劃,特 別)の漁業を営む時は別に免許を受くることを要せず』と但書することを求め,また第5 条の慣行専用漁業権については,その免許内容として漁場区域一本で許可すべきことを主 張している.その理由は,要は『其占有漁場内に於て本法第3条(定置,区劃,特別)の 漁業を営むに於ても一々免許を出願せざるべからざる』を避け,また『専用権者以外に於 て何人を問わず専用権者の承諾の有無に不拘本法第3条の漁業免許を出願することを得る』
のを防止するにあった.
この主張は,専用漁業権の経済価値すなわち漁業組合の独占性を強化し,『其の漁業権 者の承諾を経ざる限りは二種の漁業をも経営せしめさる』従来の慣行を承継するにあった.
すなわちそれは村田案にみた慣行的漁場主義の復活であり,34年漁業法の原則とした一物 一権主義,制限種類主義の近代法原理への反撃であった.
この運動は41年2月全国水産業者大会13),41年5,月11回関西九州府県聯合水産集談会 14),42年2,月東京での全国水産大会決議請願15)と43年漁業法改正時にまでおよんでいる.
42年の決議は『薄紫許せらるる,漁業の種類たるや頗る僅少にして……某等の専用免許漁 業の主要と認むるものに対しては却て免許を与へられず……』と嘆いている.
こうした実状からみると,身魂が『第一次旧法以来,地先主義,漁民主義従って漁業組 合優先主義なる見解が強く唱導されこれらの権利(……個別漁業権)もまた漸次漁業組合 に免許せられる傾向に進展した』とされるのは,時期的には43年漁業法以後のことであり,
大正中期以降沖合漁業とくに底曳網漁業による沿岸侵奪が激化した時期とみられる,34年 漁業法施行以後はいわば官僚による全面的網元従属化の開始期であり,現象的には以上の
ような対立が激化した時期である.
さてこうした反対運動を通じて慣行派議員は,40年3,月と42年3月議会に漁業法改正案 を提出しているがいずれも否決未審議に終っている.
一・方慣行専用漁業権または地先専用漁業権の免許も,慣行調査,漁場調整によって日時 を費し,ほぼ42年前後に免許が開始されたようであるが,この間免許促進運動も展開され ている.39年6,月9回関西九州府県聯合水産集談会17),41年2,月全国水産業者大会の決 議がそれである.
第2項漁業権財産権化の要望
慣行的漁場主義運動は,定置,区劃,特別漁業権の抹殺ではなく,むしろその経済価値 の相対的増大によって再燃したものである.それはなお漁船動力化以前の時期においては,
定置漁業の漁具漁法の改良により沿岸漁業生産力の最主要の地位をしめはじめていたので ある.したがってとくに定置漁業権の組合所有と網元への貸付は,網元層が共同体的基礎 にたつ限り,必要かつ最善のコースであったといえる.このことは慣行的漁場主i義論の再 燃と同時に,定置漁業権の財産権的効力の強化を要望せしめるにいたった契機である.勿 論その直接の要因は,日清戦争後の経済事情の悪化と大型定置化による経営資金の不足と その導;入にあったことはいうまでもない.
定置漁業権を中心とした漁業細物権化の要望は,34年漁業法において保留となった抵当 権性の付与であり,43年漁業法改正での重点をなしたものである.
上掲の35年11月の舞子での全国漁業者有志大会は,一定区域内における定置漁具移動の 自由と保護区域設定を決議している.ともに物権的排他性を強化する措置であった.保護 区域設定については,39年6月目回関西九州聯合水産面談会,40年2月全国水産業者大会 でも提出されている.
その後の民間団体の動きは抵当権設定に集中され,40年3月23回議会に議員提出された 抵当権設定に関する改正法律案は,衆議院を通過したが貴族院で否決となった18).つい で42年3,月,漁業法中改正案が衆議院に議員i提出されたが,すでに43年漁業法改正が内定
していたため審議未了の形で見送られた19).
つぎに漁業権の財産権性の強化は,公益的取消による補償問題としてとりあげられたが
(例えば41年2月全国水産業者大会),すでにふれたように戦前においては改正にいたっ ていない.
このような漁業権財産権化の要望は,政府側にとっても34年漁業法の市民法的方向を一 層進展せしむるものであり,実態に応じた立法作業が進められていた.すでに41年7月の 府県内務部長会議水産局協議会では,『漁業権を抵当権質権等の目的となす点に付差向の 改正を要するものと認め調査中に在り』と当局から報告されている20),かくて抵当権設 定を中心とした43年漁業法が実現するのである.
第3項漁場紛争の諸特徴と改正運動
34年漁業法は漁場紛争の鎮圧を最大の政策的目標として制定された.そして切替免許や 行政裁決は,20年代の漁場紛争の特徴であった漁場区域の争いを抑止しえたといえる.そ れは強力な国家権力による漁場統制の力であった.
然しながらそのような上からの解決は,さきに当時の新聞論説が主張したように根本的 解決ではなかった.施行以後着々と漁場調整が行われているが,とくに瀬戸内海紛争には 大きな威力を発揮し各種の漁場協定を成立せしめている.例えば,35年8月の徳島,兵庫 沼中間の区域協定21),38年7月の淡路由良,紀州加太漁場区域協定22),また20年代の最:
大の紛争として34年漁業法成立の契機ともなった燧灘紛争の解決23)などが主要なもので
あった.
然し34年漁業法施行後は新たな漁場紛争が相ついで起り,漁業政策上の難問題化してき た.それは他産業による漁業権侵害ととくに打瀬網漁業の発展による専用漁場の侵害であ る.ともに漁業権の経済価値を左右する難問題であったといえる.これは34年以降の日本 資本主義の完成と沖合漁業の資本主義的発展によってもたらされたものであり,立法的解 決の至難なものであった.
結論的にいえば,前者はなんら立法措置は行われずたんに当事者間交渉に放任され,前 述のような補償規定の要望をうみ出したのみである.また後者は省令,県規則取締制強化 による沿岸漁場からの能率漁業の閉出しによって事態を拾収しょうとしたのである.
他産業との紛争としては,39年11,月兵庫県令による神戸港内漁業禁止24),42年浜名湖 漁業の鉄道開通による被害,木曽川改修による四日市周辺漁場の被害25),43年11月王子 製紙苫小牧工場廃液問題26)などがある. したがって当時開催の民間漁業団体はいずれも 漁業保護立法や省令制定を決議要望している27).
さらにこの種の漁業権侵害問題は,大正期以後において深刻化し,44年広島電気軌道係
争事件28),大正5年4月鈴ケ森事件29),同年富士紡績損害賠償事件30),大正7年気仙 鉱毒事件31),同年岡山県西大寺製紙廃水事件32)等々,工場鉱山廃水,工場埋立,糞尿被 害,飛行演習区域,築港埋立などの多方面にわたって拡大していった.
また打瀬網漁業の沿岸漁業への侵入は,深刻な社会問題化したものであり,41年銚子ト ロール船焼打事件33),41年12月福岡県トロール打瀬網排斥期成同盟会結成34),42年長門 石見トロー・ル船反対運動35)など,以後大正年間にわたって沿岸漁民と打瀬トロ 一一ル漁業
とのはげしい対立がひき起された.
当時の民間団体大会は,ほとんどがこの打瀬トロール対策に終始したといっても過言で はない.このような漁場紛争は爆発物使用漁業の出現とあわせて,漁場法秩序の矛盾を非 合法的進出の形で解決しようとしたもにほかならない.以後日本許可漁業制度史は取締り
と密漁の絶えまない争いによって彩られていったのである.
第4項漁業組合の産業組合化運動
わが国の漁業組合は,制度的には漁場取締団体→漁業権団体→産業組合団体の過程を経 て発展してきた.34年漁業法での組合制度は,33年.2月産業組合法成立にもかかわらず,
なお漁業権団体どして制度化された.然しすでに漁業組合準則以前にも経済団体としての 漁民集団が漁業組合その他の名称で存在したのであり36),これは33年以後農村産業組合 に吸収されるか,漁業組合が自主的に経済事業を行っていた.
然しこのような変則的な形態は,到底進展する水産物商品化や漁業資材商品化(とくに 定置,釣延縄,流網漁)に対応しうるものではなかった.また農漁民の分化や部落的結合 の解体は,早急に漁民集団による協同組合組織を必要としていたのである.
34年漁業法施行以後この傾向は急激にたかまり,漁業組合経済団体化の方向をうち出し ていった.39年6,月の9回関西九州府県聯合水産集談会での社団法人化と営業団体論議37)
は,以後の各種団体大会でもひきつづき決議されている.
政府は39年省令32号によって漁業組合に共同施設設置を附加したが,それは到底漁民団 体の要望にそうものではなく,43年漁業法によってようやく経済事業を行いうることに改 められた.さらに昭和8年改正での出資制度の採用は,従来の漁業権団体としての漁業組 合の地位を相対的に低下させていったといえる.いわば漁業権団体としての部落組合性と 経済団体としての広域組合性の矛盾が,さらに漁場調整論からする組合地域拡大論と関連 して,複雑な漁業組合制度論を展開していったのである.
第2節 43年漁業法における市民法体系の完成 第1項資本主義法体系としての漁業権物権化の確立
34年漁業法は42年26回議会において全面改正され,43年4月法58号として公布された.
その改正目標は,日本馬本主義体制の確立によって,急速にその一環に編入された漁村経済 の金融的裏打ちをすることにあった.時の大浦農相はその改正主眼点を,1,漁業権抵当 2,入漁権の整備 3,漁業組合強化 4,漁業取締強化に要約している38).その主要 改正部分が,漁村経済への資金導入とそのための漁業権の物権性の確立,漁業組合の経済
団体化にあったことはいうまでもない.
改正点の大半は上掲の民間漁業四団体の改正要望をとり入れたものといえる.然し34年
漁業法以来の懸案であった専用漁業権の包括的冷血は認められず,かつ慣行漁業権は制度 的にその新たな免許をうち切られた.また新しい漁場紛争でありその対策が要望されてい た先進産業による漁業権侵害にたいしては,具体的措置はとられず運用上の調整に放置さ
れた.
然し43年漁業法は,たんに通説のいうように金融的強化のみにあったのではなく,漁場 秩序の官僚的統制を一段と強化したものであった.それは公共用水面概念の法定,漁業免 許の制限条件,漁業取締の強化においてあらわれている.いわばわが国漁業の資本主義発 展に対応した内部矛盾の官僚的抑圧の強化にあった.
さて43年漁業法の改正主要目的が漁業権抵当化を中心とした物権化にあったことはあき らかであるが,その趣旨を当時の水産局長は『其の目的は此漁業権を以て金融の途を啓く の便に供し,即ち水産業に取って資金の融通が必要であると考えますに依ってそれ等の途 を啓かん為に抵当権の設定を認め∵39)』たとのべている.
(1)漁業権の物権化(抵当性,排他性,登録制)
34年漁業法は漁業法の法律的性格についてなんら規定することなく,学説的にはその私 権性を認められたが,議会答弁では私権公権混合的見方をしていた.43年漁業法の経済的 背景は,とくに定置漁業権の経営的必要からくる財産権化を促進し,従来の漁場取締的性 格や漁業免許の反射的権利としての公権的主張を排除して,明確に『漁業権ハ物権ト看倣 シ』と規定し,かつその不動産金融や司法保護の途をひらくために『土地二関スル規定ヲ 準用ス』と定めた(43年法7条).ただし民間でも主張されていた民法質権の適用はその 権利の性質上これを除外した.
43年漁業法は以上の漁業権財産権化にともなう抵当権,先取特権談定のため必要な各種 の規定一8条 漁場定著工作物の一体化,9条 不動産所在地の明智,27条 漁業権取消 処分の通告義務,28条 漁業権変動消減の登録と権利者の同意一を新設し,その強化をは
かった.
また漁業権物権化はたんに金融上の必要のみではなく,とくに定置漁業権の排他的効力 を強化しその経済的価値をたかめる結果となり,ひいては財産権化の基礎ともなった.す なわち封建派による専用漁場の包括麦配的思想から完全に独立し,保護区域設定(規則49 条)とともに,物権的請求権の裏付けによってその排他的麦配性は飛躍的に増大した.
このような財産権化は当然に不動産登記に代る漁業権登録制(法26条)の新設となり,
『免許漁業原簿ノ登録ハ登記二代ハルモノトス』と規定された.このように従来も行われ ていた原簿記載による漁業権存在の公示が,もっぱら漁場紛争の解決防止の機能を有して いたのにたいして,商品変動にともなう公示制度が確立されたのである.前者がもっぱら 物権:存在の確定,公示性に主眼をおいたのにたいして,後者はその変動にたいする公信性 に重点をおいたものであり,相まって漁業権の財産的機能強化に役立つにいたったのであ
る.
(2)共有漁業権持分の法定
43年漁業法における共有漁業権持分の法定は,漁業権物権化にともなう共有形態の法律 的明確化を意味した.従来の漁業権がその法律的性格の明確化さを欠いたために,とくに 共同所有形態において多くの紛議をもたらしたことは推察に難くない.例えば網組的仲間
漁場や村張漁場の存在は,その実態が次第に物権化の方向に向っているにもかかわらず,
共同体規制のもとにその所有関係はあいまいな形で過してきた.
43年漁業法は,物権化にともなって民法共有規定が準用されることを明確にするととも に,漁業権の歴史的経過を考慮して『漁業権又ハ入漁権ノ各共有者ハ他ノ共有者ノ同意ア ルニ非サレハ其ノ持分ヲ処分スルコトヲ得ス』 (法15条)の特別規定を設け,もって原 則的共有形態にたいする合有的性格への配慮をしめした.然しこの合有形態の残存も,
昭和8年の改正によって『…各共有者ハ他ノ共有者ノ三分ノニ以上ノ同意アルニ非ザレバ 其ノ持分ヲ処分スルコトヲ得ズ』(旧漁業法15条) と改正され,かつ共有者の住所不明の 場合は裁判所の許可により同意に代へることとし(同15条の2),漁場商品化を進展せし
めた.
(3)水面使用権の従属化
漁業権の保全を脅かすものとして,漁業免許処分の外に水面使用許可があった.港湾,
運輸との調整上23年10月の内務省訓令36号によって制度的に知事の水面使用許可を必要と するとされたことは,以後その改正について漁業者団体の政治的課題となった.
31年4,月のユ6回大日本水産会大集会40)は,上掲訓令により漁業のための水面使用が関 係市町村会の決定を経ることを必要とされ,かつ実態的にはその拒否が一般的であったこ
とに反対して,その改正を要望している.この問題はとくに浅海噌殖地帯において深刻な ものがあり,いわば農民の肥料藻採取海面の喪失をおそれての妨害であった.このほか以 後の例年の民間団体大会でこの訓令の改正決議がしばしば行われている.
当時の公有水面使用許可は,『使用許可ヲ与ヘタル後ト難モ公益ヲ生シ若クハ生セント スル場合ハ本命令ノ条項ヲ増減変更シ愚拙使用ノ制限若クハ停止ヲ命スルコトアルヘシ此 ノ場合二於テハ使用人ノ労費アルモ之ヲ弁償セハ』『使用期限中ト難モ公益上必要ト認ムル
トキ又ハ本命令ノ条項二違背シタルトキ若クハ指定ノ期日マテニ使用料金ヲ納メサルトキ ハ無償ニテ使用許可ヲ取消スコトアルヘシ41)』という態のものであり,その許否の如何 は漁業権の存廃を左右するものであった.また許可取消における無償規定は漁業法規定と 同一であり,当時の水面利用法の公法的共通点であった.
このような公有水面使用許可にたいする反動運動が継続的に行われたことは当然である が,その要望は主務大臣管轄の統合と漁業権移転に伴う水面使用許可の移転にあった.前
者は到底政府の容れるところではなく,むしろ工場埋立,農地改良,港湾整備の発展にし たがって,ますます特別法による漁業権規制を強化したのである42).
後者の漁業免許と水面使用許可の関連は,43年漁業法において『漁業権者ノ有スル水面 使用二関スル権利義務ハ漁業権ノ処分二従フ』 (11条)と規定されその目的を達した.な
お政府は水面使用許可と漁業権の二二・について詳細な通牒を発してその調整をはかってい る(44年3,月水3130号).
これらの改正は充分でなかったとしても,漁業権の安定をはかるに役立ったといえる.
漁業免許と水面使用許可との一体化は,漁業権物権化とくに定置,区劃漁業の資金導入上 の難点を解決したものであった.
(4)土地使用権の設定
43年漁業法の漁業権財産権化の方向は,漁業生産の不可欠の前提である陸上漁業施設の
確保にまでおよんだ.34年漁業法は漁場標識設置のための他人所有土地への立入権,使用 権は認めたが(10条),それはもっぱら漁場紛争解決防止のためであった。
43年漁業法は漁業生産の保全を期するため,標識設置以外にさらに漁具信号設備等のた めの土地使用権,立木竹土石の除去権を認め (29条),また漁業測量等のための土地立入 権(31条)や,広汎な漁業上の未利用の他人の土地使用権(30条)を認めた.
このような土地使用権という公法的物権の創設が現実にどのような形で運営されたかは その資料に乏しい.然しそれが漁業権物権化をさらに補強したことは当然である.
第2項 組合所有漁業権物権化の意義
(1)排他的効力の強化と部落対立
43年漁業法が漁業組合強化のために重点を注いだのはその経済団体化である.それは民 間団体の要望に応え,また水産物商品化と漁業組合の経済活動にたいする官僚的統制の性 格をもつものであった。43年漁業法は,組合の法人化を規定して,その漁業権団体として の私法人性を認めるとともに,『組合員ノ漁業二関スル共同ノ施設』を目的に加えた(法 43条).同時にその経済的機能を強化するための連合会組織を新設した(同44条).44年2 月訓令1号『漁業組合及漁業組合連合会ノ共同施設事項ノ基準』は,共同販売,共同購入,
漁業資金の貸付,貯金受入の共同施設を加え,その目的が漁業組合の産業組合化にあるこ とをあきらかにした.
然し43年漁業法は漁業組合経済団体化をはかったのみではなく,その漁業権主体という 性格の近代化を促進した。それは漁業権物権化にともない,かつ漁場生産関係の近代化に 即応した当然の措置であった.
まず漁業権が物権化されたことによって,当然専用漁業権もその排他的支配力を強化し た.いわば部落対立的漁場紛争を防止するとともに,反面寄生的ないし不在的地主化を制 度的に強化することにもなったのである.
また入漁権制度の確立とその物権化は (法12〜15条),漁場の共同利用関係を保障する と同時に,地元:本権組合をして入漁権設定に消極的ならしめる結果を招いた.いずれも専 用漁業権が近代化されることによって,一層共同体的結合の解体を促進したものであった.
最:後に34年漁業法における附則34条は,その出願期間の経過によって当然廃止されたが,
これは政府による慣行漁業権整理が一応完了されたことを意味し,名実共にそれは漁業法 体系における残存物となった.また定置漁業権などの物権化は,すでに慣行的漁場主義の 制度的介在を許さぬことをあきらかにした.このように43年漁業法体制は全面的な近代法 体系として登場したのであった.
(2)組合員行使権の物権化
43年漁業法は,34年漁業法の組合規約による組合員の『各自漁業ヲ為スノ権利』を承継 した (法43条4項).然しそれはたんなる承継ではなく,60条において『漁業権士流漁業 組合員ノ漁業ヲ為スノ権利ヲ侵害シタル者』にたいする罰則をさだめ,組合員行使権の排 他的効力を保護した.また漁業組合令12条は,特別利益をうける組合員行使権の規定を規 約必要記載事項とし,一般組合員行使権の保護に努めている.
これは『組合員は組合に対しその権利行使を請求し得るのみならず,対内的には他組合
員に対し対外的には何人に対しても漁業をなすの権利を主張しこれを妨害するものあると きはこれが妨害排除を請求し得る物権的な権利といえる』ものであった43)。それは34年 漁業法の組合員行使権が社員権的性格であり,組合と組合員との関係すなわち組合と組合 員相互の義務違反を生ずるのみであったのにたいし,43年漁業法のそれは入漁権行使をふ くめて,たんに組合対組合員の関係にとどまらず,組合員相互聞および第三者との間の物 権的関係におよんだことを意味するものである(大10.10.15大審院判決).
このような組合員用益権能の行使は,専用漁業権における総有的用益の喪失と,一部組 合員による組合員行使権の持分化を促進するものであった.勿論制度的にはすでにのべた
ように漁業法はこれをあきらかにしないが,以上のような物権化傾向は次第に組合内にお ける組合員行使権の財産権化を結果したのである.
(3)組合共有持分の明確化
すでにのべたように43年漁業法は漁業権共有における持分処分に関する規定を新設し,
その近代法的共有の性格をあきらかにした.
このことぽ組合共有漁業権においても全く同一であり,従来数:部落入会的に考えられて いた組合共有漁業権の資本主義的性格をあきらかにしたものであった.そこではすでに生 活共同体的観念は抽象的非実在的概念となり,実態は組合間における漁場争奪の一時的協 定の性格であることを制度的に明確にしたものであった.それは漁場実態からの必要を制 度的に表現したものにすぎない.したがって数部落ないし数組合共有漁業権の近代的解体 過程ともいえよう44).
第3項漁業取締規定の強化
43年漁業法は,漁業法体系の私法的側面の強化完成とならんで,若干の取締行政的規定 をつけ加えた.
第1は漁業法適用水面の拡大である.34年漁業法はすでにのべたように『私有水面ニハ 別段ノ規定アル場合ヲ除クノ外本法ノ規定ヲ適用セス』(2条) として,公有水面での漁 業権制度であることを宣言した.43年漁業法はこの適用対象をさらに拡大しかつ表現を変 更した.『公共ノ用二供セサル水面ニハ別段ノ規定アル場合ヲ除クノ外本法ノ規定ヲ適用 セス』(2条)とし,『公共ノ用二供スル水面ト連接シー体ヲ成ス公共ノ用二供セサル水面 ニハ本法ヲ適用ス』(3条1項)とするのがそれである.
まずこの変更をもって,私有水面敷地権利者の水面使用権を当然制限しうることに改正 したとする見解がある45).その論旨は,公共用水面は私有水面を包含する概念であるか ら,34年漁業法の公有水面以上に漁業法の場所的効力が拡大したとするものである.した がって新旧法ともに敷地所有権者の承諾を漁業免許の条件としたが,43年法では公共用水 面なるが故にその所有者の拒否があっても免許処分は成立するとする見解である.
通説は,公共用水面は公有水面を主要部分とするが,そのほか公共用水面の状態にある 私有水面をふくみ,また非公共用水面は公共用水面の状態にない公有水面をふくむとする
もみが多い46).然しこの解釈は行政法的解釈であって,34年漁業法にいう公有私有水面 の意義が43年漁業法の公共用,非公共用水面と全く同一の行政的解釈におかれていたこと は通説の認めるところである47).したがって上掲論者のいうように34年法と43年法の相
違を私有水面上の漁業免許処分の効果の差に求めるのは適当でない.また43年漁業法3条 2項が,公共用水面と連接する非公共用水面についての漁業法適用に関し,水面占有者,
敷地所有者による漁業利用の制限廃止請求権ありとする点からみても,この43年漁業法に よる改正をもって私有権の廃止的措置とみなす見解はとり難い.
43年漁業法の適用範囲に関する改正の趣旨は,3条2項の連接非公共用水面にたいする 拡大にあった.それは漁業権設定範囲の拡大を内水面漁場において必要とした事情もあっ たであろうが,改正の本旨は3条の新設にあったのであり,漁場取締りの連接非公共用水 面への拡大を必要としたことを意味する.工場廃液問題,爆薬漁業などの有害漁法の盛行 がその立法的契機であったことは疑いないところである.
第2の行政取締的強化は,免許の際の制限又は条件の付与の規定の新設であった(21条).
他の一つは24条による公益的制限取消の事由に軍事上の必要を付加したことである.1前者 は漁場紛争と他産業の調整上の措置であり,24条の免許後の公法的干渉が多くの漁業者の 反対をよび,すでにのべたとおりその取消に対して補償措置を要請する与論が強化されて きたことに対処した措置である.すでにこの規定によれば,漁業権は完全なる物権として ではなく,制限条件ある物権として発生する.公法的性格をもつ市民法的権利の制約の強 化であった.後者の軍事的必要による漁業権の縮少消滅は,日露戦争後の日本軍国主義体 制強化の反映であった.
第3に,漁業取締対象の新たな対象として,汽船トロ 一一ル,捕鯨業の許可制(35.39条),
爆発物使用禁止(36条),警察官吏の臨検,捜査,尋問の許容:(41条)が新設されたこと である.いずれも新しい漁業行政の課題であり,沖合遠洋漁業を官僚統制のもとにおき,
零細漁民の矛盾爆発点としての密漁行為を取締り,警察行政権の強化を意図したものであ
った.
第3節 大正,昭和恐慌期における漁場法秩序の経済法化
43年漁業法の市民法としての完成は,制度的な近代的漁場支配権が確定されたことを意 味した.と同時にそれはたかまる資本主義法内部の矛盾によって,多くの修正を余儀なく されてくる.漁場法体系における矛盾は,漁村経済の窮迫による専用漁業権の相対的経済 価値の低下とその拡大要求,それと対立する許可制度におけるブルヂ。ア的漁業,定置,
区画,特別漁業権の個別的支配との矛盾であった.
それは漁業権制度が私的所有の原則にたつ限り,果しなく循還するものであるが,恐慌,
不況という国民経済構造の変動をもたらす経済条件悪化の時期に,いわゆる漁村問題とし て社会的にクローズ・アップされてくるものであった.
資本主i義国家における漁場法秩序は,総資本の要請を頂点として,漁業資本家の求める 漁業権近代化とその制度的固定を中心に発展してきた.このような立法政策が多くの下層 漁家層の犠牲の上に強行されたことも産業資本上昇期の必要な悪として容認されてきたの
である.
慣行的漁場主義理論が,その中心を封建的網元層の要求によってしめられていたことは あきらかであるが,同時にそれは窮迫化した零細漁家層の要望をもふくんでいた.この第 二次的な下層漁民層の要望は,いわば漁場制度の合理化によって再生産を拡大し生産力を たかめブルヂョア的発展の途を拡げるにあったことはいうまでもない.然し43年漁業法ま
でのわが国漁業法秩序は,むしろ下層漁家層の地先漁場への束縛によって,資本家的地主 的漁場を拡大することに重点がおかれた.
この漁村経済構造の内部矛盾は,当然に下層漁民層の抵抗をよび,いわば国民経済上の 見地にたつ資本主義の修正を要求してきざるをえない.それは資本主義体制の維持そのも ののために不可欠の条件であった.これらの経済的条件がその制度的表現としての近代法 的漁場法秩序をいわば経済法傾斜に赴かしめたことは当然であった.
このような漁業法体系における経済法化は,流通市場法としての水産経済法が中心とな った.それは当面の問題として最も鋭くあらわれたのが昭和恐慌期における商品流通市場 の矛盾であったからであり,主として漁業組合の経済機能の強化が水産経済法の中核とな った.昭和8年および13年の漁業法改正はその現われである.
然し大正,昭和恐慌期を通しての漁業法体系の経済法化は,水産経済法の二次的な立場 においてではあるが漁場法体系の経済法化をも推進した.制度的には昭和8年の改正によ る組合自営の容認である.
以上のような戦前における漁場法秩序の経済法化への傾斜は,第二次大戦に発展した麦 那事変によってほぼ中断されたといえる.すなわち漁場法体系の経済法への接近は・戦時 統制法の特異な系列に転化したのである.
第二次大戦の終結は,本格的な経済法的漁場法秩序の展開を急速にしめした.戦後の漁 業制度改:革による漁業権の私法的性格の後退,国民経済的見地にたつ新漁場秩序の形成,
その中核としての漁業権の用益権能の強化と権利主体の民主的僧事は,漁場法体系が一般 的な民主化立法を背景として新たな経済法体系の一環として再生したことを物語っている.
戦前からの経済法への接近は,戦後漁業法によって開花したといえよう.
第4節 大正期における近代的漁場主義論の拾頭 第1項新漁場主義の社会立法的性格
43年漁業法は,漁船動力化に対応して,沖合漁業取締りの社会政策的裏づけを制度化す ると同時に,その資本投下の官僚的撰択を制度的に確立したものである.それは官僚と新 沖合漁業資本家の対立,妥協の過程でもあった.
同時に43年漁業法は,日露戦争後の漁業経営の窮迫1とくに資金欠乏に対処して漁業権 近代化の途をおし進めた.
このような戦後恐慌に対処する二つの方向は,ともに沿岸漁家層を専用漁業権漁場の枠 内に固定し,その生産力の停滞をもたらすものであった.さらに沿岸漁場への動力化の導 入は,階層分解をはやめ,労働生産性において低く,労働力において過剰な,典型的過剰 人口漁村を形成せしめたのである.
このような漁村経済構造の変遷は,一つの社会問題的意味における漁村問題をうみ出し た.これに対応して第一次大戦を契機として,現象的には旧漁場主i義論復活の形で強化さ れたのが専用漁業権強化論であり,ほぼ大戦処理完了期まで与論化されている.
大正4年2月の大日本水産会大会は,農商務省の『漁業組合ヲシテ堅実ナル発達ヲ遂ゲ シムル方法』なる諮問案にたいして,『地先水面漁場ノ種類ヲ増加シ組合ノ維持二必要ト 認ムヘキモノハ挙ケテ免許ヲ与ヘラレタキコト』を要望し,その理由をつぎのようにのべ
ている48)。
『漁業組合ノ基礎軟弱ニシテ動モスレハ存立ノ意義空シカラントスルモノ少ナカラサル 所以ノモノ其ノ享有スル漁業権ハ未タ漁村ノ重要漁業ヲ掩フ旧跡ラ入……其収入スル所薄
ク共同事業ヲ経営スルノ資力ヲ得サルノ結果二他ナラサルナリ』.
これと同様の趣旨は,大正7年S月瀬戸内海沿岸1府11県聯合水産集談会49),大正8 年1月馬歯聯4回大会50),大正9年1.月酒水聯5回大会51)と例年民間団体大会でとりあ げられている.
この大正初期の新漁場主義論は,34年漁業法制定時の慣行的漁場主義論にたいして,近 代的漁場主義論とも名づけるべきものである。
第1に,この両者はその経済的背:景を異にし,思想的立場の差異をもつものであった.
慣行的漁場主義が漁村網元層の封建的慣行的漁場独占を目指し,それは組合形式による共 同所有の強化ではなくして網元層の直接的共同体規制を通しての漁場独占であり,漁業組 合は漁業権団体としてではなく漁業組合準則的取締団体としてのみ考慮されていた.
これにたいして大正初期の近代的漁場主議論は,あくまでも漁業組合強化論であり,34 年漁業法以来の組合所有漁業権体制の制度的立場にたっての専用漁業権強化論であった.
それは近代的漁場法秩序を是認し,かつその資本主義法的欠陥を漁業組合経済機能強化の 基本的条件として修正しようとするものである.43年漁業法が,漁業権物権化の中心的改 正点のほかに,漁業組合経済団体化を目指したことはすでにのべた.然しわが国における 資本主義発展は,その基礎である漁民経済をますます窮迫化せしめ,その階層分解をはげ しくした.このため漁業組合の階層的解体傾向を深め,その経済活動は渋滞した.このた めさらに基本的な生産過程の制度再編をも考慮せざるをえなくなったものである.
このようないわば漁業組合主義的漁場再編論は,現象的には組合所有の専用漁業権強化 論,漁場統制論として現われざるをえない.したがってそれは網元的共同体支配としての 慣行的漁場主義論と異なり,全漁業種類をふくむ漁場統轄論とはなりえなかった.
このため第2に,新漁場主義論は慣行的漁場主義論と異なり,個別支配漁場の組合せに よる統合を目指すものではなかった.前掲の大会決議が,専用漁業権を弱体化せしめてい る権利外重要漁業として,『一本釣又ハ投網ノ如キ多数ノ漁業者ヲ有スル漁業』をあげて いるのは,この間の消息を物語るものである.
すなわち慣行漁場主義論のもつ共同体一網元一一小面業者という全漁場統轄論にたいして,
個別支配漁場の組合外存在を是認し,漁船動力化によって生じた新漁民層である小型動力 漁家(漁村中層)を組合に集結せしめようとすることにその歴史的役割があった.したが って本質的には,漁村内部において網元層:支配の漁業組合を通しての全漁民層統制を目指 すものであったことはあきらかである.いわば43年漁業法体制のもとにおける網元層の新 漁業組合主義の制度的表現といってよい.
このような漁業組合強化策が漁業権再編による以外になかったことは,漁業権団体とし て形成された漁業組合の必然的過程であり,農村産業組合と本質:的に異なる点である。そ れはたんに新漁民層を吸収すべき能力をもたない漁業組合弱体論をもって律することはで きないのである.
このような漁業組合強化論に出発した新漁場主義論が,慣行的漁場主義論と異なるのは,
資本主義法体系の上にたつ専用漁業権強化論であったことに因るのであり,その私法原理 である一物一権主義の原則にたち,個別麦配漁場の物権的分離を承認していた点にもとめ
られる.この点は昭和恐慌期の漁場主義論である組合自営論との差異ともなるのである.
以上の近代的漁場主義論は,漁業組合主義の強化にたつ限り,資本主義体制の是認の上 にその修正化を求めるものであり,網元的側面を有しながらも,漁業資本主義発展の部分 的制約を目指す限りにおいて社会立法的性格をもっていた.何故ならば漁村疲弊という資 本主義経済の病根は,たんに新興ブルヂョア的動力船漁家の組合加入によっては解決しう るものではなく,当然沿岸漁場体制の漁民的修正を果すためには,とくに定置漁業権の組 合所有化に発展せざるをえなかったからである.それは思想的に個別麦配漁場の物権的存 在の修正の萌芽をもっていたのである.
第2項沖合漁業労働力造出のための専用漁業権整理行改の進行
大正初期の新漁場主義論は,当時の漁船動力化政策を渋滞せしめる要素をもっていたも のであり,沖合遠洋漁業発展政策の立場にある当局者の容れるところとならなかったのは 当然である.というよりもすでに小漁民層と訣を分っていた新興漁業ブルヂョアジーは,
漁業組合加入の現実的利益を認めなかったからである.
大正9年6月の:水産事務協議会52)は,『当業者中……其の範囲の拡張を要求するの声あ り穿て従来の運用状況に照し専用漁業の免許に関する意見を求む』という農商務省の諮問 にたいし,何らの答申も外部に発表されず会議が複雑な内部事情をしめしたことを伝えて いる.この行政担当者の困惑は,漁業組合強化政策と沖合漁業動力化政策の矛盾にたつ者 の立場をしめしたものである.
そして全般的漁業政策は,沖合漁業政策を第一義的に,漁村政策を第二義的立場におい て推進せしめられたのである.それは以後の漁場法秩序における専用漁業権整理の進行を
しめした展開によってあきらかである.
大正13年8月,農商務省は特別議会で決定した沿岸漁場整理費を基礎として,免許期間 満了の専用漁業権から漸次調査の上整理する方針を決定した53).当時の整理方針は『漁場 利用状況』『自然状態の変化』『魚族繁殖保護』などの点からみて,『沿岸漁場荒廃の防止 対策』としての既存専用漁業権を整理するにあり,その実施予定は5千余の権利中2割を 対象としたと推定されていた.
さらに翌14年12月当局は,『漁民が専用漁業権を基礎とする沿岸漁業に膠着して進取の 気を鉄き,我が水産業発展の唯一方向たる遠洋漁業の発達を阻害せしめる虞があるから,
専用漁業権は出来る限り之を縮少整理するを妥当とするとの意見があるが,該漁業権は地 元漁民の生活資源たるべきものがあり且つ魚族の蕃殖保護上から顧るも必要の制度である 54)』として,表面的には専用漁業権縮少整理に反対している.
そして15年からはじまる専用漁業権更新に際しての免許方針(存置,整理方針)として,
『入漁権関係の複雑なものの整理』『無価値漁業権の整理』『洞游性魚族対象漁業の非漁業 権化』㊧基本方針を明示した.一応『漁業権の確保及充実』を第一方針にかかげたこの更 新免許に際しての整理が,どのような結果になったかの詳細は不明である.唯一の史料と
しての大正15年中の整理概要からその一端をうかがってみると,更新免許を必要とした件 数177件で,そのうち更新拒否6件,慣行専用から地先専用への変更16件,種類削除29件,
条件制限の削除または附加20件,区域制限14件であり,縮少整理を行ったものは177件中 69件におよんでいる.勿論漁業権の生産力差や縮少内容を正確にしえないから速断するこ
とは許されないが,相当大巾な整理が行われたとみてよい.
以上のような大正末期にはじまる専用漁業権整理の進行は,どのような歴史的意義があ ったのであろうか.それは表面的には,新漁場主義論と対立するもののようであるが,本 質的には当時の漁村政策の官僚的手直しの進行であった.
34年漁業法以来の漁村政策の基調であった漁業組合保護政策は,網元的漁村遅配の方法 であったにしても,一応の全漁民的な対外的利益を代表していた.新漁場主義論は漁村経 済危機に対処する漁業組合強化策であり,いわばすでに洞游性魚族にその重点を移行して いたわが国沿岸漁業生産力発展を漁村的な形で発達せしめようとしたものである.と同時 に,それは打瀬,トロール漁業の沿岸漁場侵奪の制度的防止策でもあった.
このような新漁場主義論を提唱した漁村団体は,同時にそれと矛盾するかのよう な沿岸 漁場整理案を提示している.例えばすでに早く大正4年2月の大日本水産会大会は,専用 漁業権強化策と同時につぎのような提案決議を行っている.『遠海漁業ヲ奨励シ沿岸ノ整 理ヲ断行セラレタキ事』.
この説明は『沿岸漁場ノ荒廃シ漁獲ノ漸ク減少シツツアルニ反シテ漁村ノ人ロバ寧ロ著 シク増加ヲ見漁民ノ生計二困態ヲ感スルモノアルハ経済社会自然ノ趨勢ナルヘシト錐モ此 ノ過剰ノ戸ロヲ調節セスニハ漁村維持ノ基本ヲ確立シタルモノト云フヲ得ス』とのべて,
コ り の の
その対策を遠洋出稼,資本移動による人口増加緩和策に求め,その強行的制度的施策とし て沿岸漁場整理を提案したのである.
このような沿岸漁場整理案が,漁村団体自身の要望によって進行するところに大正期漁 村経済構造の性格があったのである.過剰人口対策としてのこのような人口論的海外進出 策は,やがて昭和恐慌を通しての植民地進出の国策と結合したのであるが,ここではそれ が制度的に専用漁業権内容を整理することによって行われようとしたことに注目しなけれ ぽならない.
すなわち漁村上層部によって大戦後の経済不況克服の途として撰ばれたのは,専用漁業 権を整理し,それを動力船漁業に重点をおくこことによって漁業社会の経済基盤を強化し,
同時に過剰人口の強行的海外流出,遠洋漁業労働力源化を意図したものであった.これは 網元層と小型動力船層の結合と統一,商人資本,網元層による遠洋漁業進出の途であった のである.
大正末期の水産政策は,この網元的要望にたいしてブルヂョア的動力直書を支持し,制 度的には専用漁業権の整理縮少化と許可漁業を峻別し,すでに沿岸漁民層の生活権化して いた専用漁業権の性格範囲を圧縮し,遠洋漁業労働力造出と小資本漁業の沿岸漁場での展 開を有利ならしめたのである.
漁村の経済的危機に対処してとられた網元,小資本漁業者,官僚層の三者の対立,妥協 の相関々係が新漁場主義論の政治的経済的背景であった.かくして資本主義的矛盾克服の 途としてえらばれた新漁場主義論は,よりその資本主義漁場制度の性格を強化する方向に おしすすめられるにいたった.これはいわば43年漁業法体制の危機と矛盾の結集的現象で あり,それだけに一層矛盾をふかめ,本格的な経済法的漁業法体系の形成を促進する出発 点となったものである.
従来とくに経済史家による専用漁業権制度の歴史的評価は,それが沿岸漁民層を零細漁 場に定着せしめ,もって過剰人口を増大せしめる役割を果したとされる.そしてその総資
本的意義は遠洋漁業労働力の造出にあったといわれている.然し以上のようにわが国遠洋 漁業創成期における専用漁業権の役割は,生活権的漁場を沿岸漁民に提供するにあり,遠 洋漁業労働力源造出はその専用漁業権を解体せしめることによって強行的に行われようと したことを立証している.すなわち専用漁業権制度は資本漁業労働力の提供の源泉として 存在したのではなく,むしろその造出のためにはその阻止条件となっていた専用漁業権の 性格を,生活権的なものからツジフト的漁場支配の性格に変更せしめる必要があった.然 しこの方向は仁恩な漁民層の生活の場として存在した専用漁業権制度にたいして決して容 易な途ではなかった.そのためむしろその圧縮による造出方策に転化したのである.
第5節昭和恐慌期における組合自営主義論の展開とその経済法的役割 第1項漁村更生運動としての組合自営論と定置漁業権の組合有化
大正中;期以後における新漁場主義論の拾頭は,政府の拒否によってその進行を阻止され た.このような網元層と小漁業ブルヂ。アジーの対立は,具体的な漁村問題の解決となら ず,むしろ専用漁業権縮少によって沿岸漁業の矛盾は一層拡大した.
こうした事情は,必然的に沿岸漁業の主要生産力であった定置漁業その他の大規模漁業 の漁民的管理の方向をうち出さざるをえなかった。この要求は,漁業組合内の一本釣延縄 小漁業者層によって提唱され,一部の与論化していた.
大正9年6月の前掲水産事務協議会は,漁業組合自営の範囲に関する農商務省の諮問に 応えて,前年同様その制度化の必要を認め,その範囲を主としてつぎのように答申してい
る.
可⊥9臼004 組合員の漁業と利害相反せざること
蕃殖保護,漁業改良,慣行上の必要から組合経営を適当と認むるとき 組合員の全部又は大部分が之に参加すべきものなること
経営上危険の少きものなること
一方民間団体における組合自営論は,大正期では詳細には史料的に判明していない.10 年6月の第1回漁業組合事務研究会では,自営漁業のための漁業法改正の件は保留され,
漁業組合内部の網元対一般漁民層の対立を推側せしめている55).大正14年6月の第2回 全国漁業組合大会は,自営漁業の範囲をしめしてないが請願することを決議している56).
政府は漁業法改正の必要を認めて,大正12年6,月原案作成に着手したようであるが,そ の骨子はつぎのように報道されている57).(1)定置,区劃漁業権の大臣免許制化,(2)漁業 権存続期間を40ケ年に延長,(3)組合自営の容認.また昭和2年9.月当時,54議会提出の漁 業法改正案として,『1漁業組合の権能拡張充実 2漁業権の経済価値の充実 3漁業権 存続期間改正 4漁業権取消制限の補償』をふくむものが伝えられているが,詳細な内容 については不明である58).然し漁業組合の強化策としての漁業権の充実とは,当時の論 調からして慣行漁業権の空権的存在の廃止と地先専用権化にあったようである59).
以後しばしば漁業法改正案の議会提出が伝えられているが,その内容には組合自営の新 設は影をひそめている60).このことは昭和恐慌への突入によって漁村経済の全面的危機 が到来し,定置漁業権整理のための大臣免許制,資金導入のための期間延長などの焦眉の 問題に関心が集中されたことをしめしている.. 、
かくて本格的な組合自営論は,昭和恐慌の洗礼によって漁村更生問題が社会問題化した 昭和7年以降にはじまった.すなわち漁村問題の中心的課題であった組合自営問題は,漁 村内部のみの立法促進では目的を達することができず,日本資本主i義の全般的危機の深ま
りによる世論を背景としてはじめて具体化したのである.したがってそこでは大正末期ま での新漁場主義論とは異質の全漁民的形態での漁場主義論として展開されえたのである.
すなわち昭和7年5月,道府県水産会協議会61),同年7月漁村救済会全国水産大会62)
などの例年の民間大会は,あいつい漁業組合自営を決議し当局に陳情を行っている.
このような漁村運動の大勢は,昭和8年漁業法改正において漁業組合強化策の一連の条 交改正の一つとして実現した(43年法43条の8).
さて漁業組合自営の実態はどのようであったであろうか.政府は漁業法改正によって組 合自営を大臣許可として強く規制したのであるが,その対象をつぎのように定めた(昭9
7勅234号,告示261号)
(1)組合所有漁業権および入漁権
(2)組合の蕃殖施設上統制を必要とする漁業
(3)協力操業を必要とする寄魚,建切目,地曳網,建廻網,船曳網,旋網,敷網,寄網 漁業.
(4)漁業経営上,組合員漁業の妨害をせず,組合経営に支障を生ぜず,経営方法の適当 であること
したがって大臣許可のもとに相当広範囲の自営漁業を行いうることとなったのである.
問題は組合自営と網元経営の調整であるが,例えば改正直後,高知県では全組合自営定置 網9統,資本家との定置共同経営18統,今後の自営見込定置網10統,地曳網70統などがあ
り,県下112組合中53組合が自営可能であったことからみて,組合自営の中心が定置漁業 にあったことはあきらかである63).
組合自営はたんに組合運営上の問題ではなく,漁業権制度に大きな変動をもたらした.
それは上掲勅令内容にみるように,組合自営は組合所有漁業権に限られたからである.昭 和8年以後急速に定置漁業権その他の特別漁業権の組合有化運動が始まり,各府県の行政 方針として受入れられたのはこのためである.昭和11年未現在で組合所有定置漁業権数が 総数2万8千件のうち1万3千件に達し,特別漁業権のそれが1万5千件中1万件に達し 専用漁業権数5千件にたいして重要な組合所有権化したことはその運動の成果をしめして
いた64).
この組合自営論は,次項の専用漁業権の拡大傾向とともに,一応漁村網元層の後退,小 漁民層による組合麦配とみてよい.然しそのような表面的な網元層の後退は,実は経済条 件の変化すなわち昭和恐慌にたいする自己防衛の途であって,資金難のための定置経営の 組合移行とその網元による経営実権の掌握を意味した.高知県での資本家との共同経営が 圧倒的である事例はそのことをしめしている.8年の漁業法改正による組合員貯金受入業 務の開始と,ついで13年改正における農村中央金庫への組合加入というコースは,系統金 融の網元的運営をしめしたものであった.
昭和8年漁業法改正によって実現した組合自営は,・以後急速に戦時統制法秩序のなかに 編入された。例えば12年8,月の農村漁業時局対策要網65),13年1,月の帝国水産会総会決 議にみる漁業資材不足による共同利用的方向はそれである66).