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澤正の「学級経営」論に関する教育方法史研究

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澤正の「学級経営」論に関する教育方法史研究

著者 船越 勝

雑誌名 教育実践研究指導センター研究紀要

巻 4

ページ 57‑68

発行年 1995‑03‑31

その他のタイトル A Methodological‑historical Study on Classroom Management of Tadashi Sawa

URL http://hdl.handle.net/10105/4399

(2)

船越 勝

(教育実践研究指導センター)

A Methodologica1−historicalStudy on Classroom Management of TadashiSawa

Masaru Funagoshi

(Center for EducationalReserch and Training)

要旨:澤正の「学級経営」論は、単級学校から多級学校への歴史的変遷の時代において、単級学 校が色濃く持っていた家族主義に陥らず、近代的な経営の理念を導入するとともに、学級担任者 の人格と教権を重視する立場から、学級経営の教育実践上の固有の可能性を明らかにすることに よって、明治期訓育論の形成過程において、大きな歴史的役割をはたした。

Key Words:明治期訓育論、学級経営 I 問題の所在

今日、いじめや登校拒否など、子どもたちのさまざまな「問題行動」が頻発している。こうし た状況の背景には、さまざまな問題が複合的に商在しているので、簡単にその解決のための処方 箋を示すことは難しい。しかしながら、根本的には、わが国の学校のあり方、とりわけその管理 主義的な体質に原因があることは論を待たない。管理主義は、明治以降、さまざまに形を変えな がらも、わが国の学校を支配し続けてきた1)。言い換えれば、わが国の学校は、明治以降、大正 自由教育や戦後新教育など、さまざまな変革の試みが追求されながらも、基本的には管理主義を 払拭し、その因われから自由になることに成功したということはできない。むしろ、管理主義は、

学校や教師にとって身体化し、体質にすらなってきたのである2)。したがって、わが国の学校は、

このような管理主義からいかにして自由になれるかという問題は、きわめて理論的に究明すべき 課題であるとともに、きわめて実践的な意味を持っ課題なのである。

筆者は、こうした問題意識から、これまで今日の管理主義を生み出すもととなったとされる明 治期訓育論の形成過程を、理論と実践の両面から検討を試みてきた3)。本論文は、こうしたこれ までの研究の一環として、明治期における「学級経営」論、とりわけその最初の提唱者とされる 澤正の「学級経営」論について、教育方法史の立場から検討を行うものである。澤正の「学級経 営」論については、これまで、学級経営に関する問題史的研究のなかで、その先駆的意義が論究 されてきた4)。ところが、それは、澤の「学級経営」論の一部を取り扱っただけで、その思想と 構造を全体として解明してきたものではなかった。また、そのため、用いた資料も、澤の学級経 営に関する主著である『学級経営』が中心で、他の学級経営論に関する著作、さらには教授論や 学級文化活動論に関する著作は、必ずしも十分検討されていない。そこで、本論文では、澤の著 したできるだけ多くの文献資料にもとづきながら、彼の「学級経営」論の全体像を解明すること を目的とするとともに、明治期訓育論の形成過程における澤の「学級経営」論の位置づけについ

(3)

ても明らかにしたい。

Ⅱ 澤正の「学級経営」論の全体像 1.明治期における学級制度の変遷

(1)明治初期における等級制

わが国における学級制度の変遷を見てみる場合に、まず、明治初年における等級制について触 れなければならない。すなわち、1872(明治5)年に公布された学制および小学教則は、学級制で はなく、小学校を上下二等の各八級に分け、半年ごとに進級させるという等級制を規定していた からである。したがって、この等級制は、学級制が暗黙のうちに前提としている「 ̄年齢主義」で はなく、「課程主義」を採用していた5)。これは、当時の就学率などの状況を鑑みた場合に、いた

しかたのないことであったといえる。

(2)学級制度の成立

その後、わが国の学校史において、学級が制度として成立するのは、1891(明治24)年のこと となる。すなわち、同年に出された第二次小学校令の第13条にもとづき、文部省は「学級編成 等に関する規則」(文部省令第12号)を定めるが、そこにおいて初めて、学級という概念は登場

するのである。その説明書において、学級は次のように規定されている6)。

一人ノ本科正教員ノ一教室二於テ同時二教授スへキー圏ノ見童ヲ指シタルモノニシテ従前ノ ー年級二年級等ノ如キ等級ヲ云フニアラス故二其一撃級ハ一学年ノ見童ヲ以テ編成スルコトア ルへク又ハ敷学年ノ見童ヲ合セテ編成スルコトモアルへシ

これを見ればわかるように、ここでは、学級を編成する際に、年齢を指し示す学年が前提にさ れており、この点から「課程主義」から「年齢主義」への移行を読み取ることができる。また、

学級編成に当たっては、当時の状況からいうまでもないが、単式学級だけでなく、複式学級も規 定されていた。

(3)単級学校から多級学校へ

先に述べたように、1890(明治23)年の第二次小学校令の公布により、学級が法制的成立を見 たのであるが、そこにおける支配的な形態は単級学校であり、単級学校の数は飛躍的に増加した

。7)そして、家族主義的な国家観とも結びついて、当時の単級学校における学級の性格を色濃く刻 印づけたのである8)。

ところが、1890年代後半から1900年代にかけて、多級学校化が進展し、とりわけ、1907(明治4 0)年の義務教育6カ年への延長実施が決定的契機となって、支配的な学級編成が単級学校から多 級学校へ大きく変化してきたのである。また、一つの学校のなかに多くの学級があることによっ

て、家族主義的な学級像が揺らいでくるとともに、学級における実践の混乱が指摘されるように なってきたのである。まさにこの点が、学級経営が自覚的に実践の対象とならざるを得ない歴史 的な必然性であった。

(4)

2.澤正の「学級経営」論の思想と特質

(1)経歴と著作

澤正は、1882(明治15)年に大分県で生まれた。大分県師範学校を卒業後、東京高等師範学校 修身教育専修科を修了し、青森県師範学校に教諭兼訓導として着任した。その後、茨城県師範学 校教諭兼訓導、さらに同附属小学校主事を経て、富山県師範学校教諭兼訓導、同附属小学校主事 として活躍した9)。

主な著書は、学級経営関係では、『学級経管』(引退館、1912年)、『学級経営案』Y(金港望1191°7 年)、『再究学級経営』(引道館、1918年)、学級文化活動関係では、『小学校撃整合懇話会の施設並 其資料』(文盛堂、1912年)、授業関係では、『鬼童学習上の映陥並に救済法』(賓文望、1911年)、

『綴り方新教授の理論及賓際』(清水恒太郎と共著、良明堂、1912年)、『教授略案の研究』(金港堂、

1916年)、『小学校に於ける教育教授の宴務』(贋文堂、1916)等がある。また、『教育時論』、『教 育実験界』、『教育撃術界』、『教育界』、『内外教育評論』、『国民教育』、『小学校』、『日本之小学教 師』、『国語教育』、『富山県教育令雑誌』などの教育雑誌に多数論文を発表している。

(2)「学級経営」論の特質

①教師の人格と教権による学級経営

澤の「学級経営」論の特質は、まず何よりも、単級学校に顕著に表れている、学級を家族主義 国家論の論理で学校へ還元してしまうのではなく、学級における教師の実践の固有性を認めると いうところにある。そして、それは教師の人格と教権によって基礎づけられるとした。

澤は、次のように述べている10)。

吾人の斥くる所は部分の基礎にたゝず、撃級完成を顧慮せざる校長の経営方針である。かく ては経営が猟師に一貫し、劃一に始終し、規斉をこれ事として教育は徒に皮革の成形をつとめ て、内部克賓の成績を望むことは困難である。他の語を以ていへば、撃方的な意志演繹によっ て輪郭の美を沓揮せんとするものである。教権は官権に比して部分自尊の性質が多いものであ り、教育者の人格的影響は教育の骨子である。学級担任者の為に吾人は其の教樺と人格とを認 められんことを折って己まぬ。

このように、澤は、学級担任者は、その人格と教権にもとづいて学級経営を行うのであり、校 長は、こうした学級担任による学級完成を顧慮しなけ ればならないとしているのである。

②「部分解体の思想」に対する反批判

こうした校長の学級経営に対する学級担任者の学級経営の固有性を尊重する澤の「学級経営」

論の特質は、当時の「部分解体の思想」に対する彼の態度によく表れている。この「部分解体の 思想」とは、「学級経営を尊重するの議に封して、却って之を危険なりとするの論」11)のことを意

味する。

これに対して、澤は、徹底的に批判を展開する。すなわち、「部分解体の思想」のように、「部 分に責任を分かたずして意義あり精神ある事業をなさしめようといふは、根本に謬りがある」12)と

いうのである。したがって、学校長に対しても、「部分解体の思想」反対の立場から、次のような 注文を提出することになる13)。

(5)

撃校の経営は畢寛相互人格の費棒に依るべきであらうと考へる。撃級櫓任者は撃校長の人格 と意志とを饉するに於て放けてほならぬと同時に、校長は学級教育者の人格と教権とを相首に 尊重するの用意があって欲しいと恩ふのである。

③「校長の修身科全校受け持ち制」に対する批判

澤は、これと同じような視点から、当時主要な実践形態であった「校長の修身科全校受け持ち 制」に対しても批判を加えている。澤は、「校長の修身科全校受け持ち制」を主張する側の根拠や 利点についても検討したうえで14)、そこには、「教育上頼る重大事とすべき快鮎がある」15)と指摘し、

次のように述べている。

撃級教育の責任者から学級教育の心髄たる精神修養教科の教授を奪って果して眞の教育を寅 現することが出来るであろうか。吾人の深く疑をさしはさむのは章に此の一粕にある

(3)「学級経営」論の思想的背景

①人格的教育学の影響

こうした特質を持った澤の「学級経営論」には、どのような思想の影響があったのであろうか。

まず第一にあげられるのは、人格教育学の影響である。澤は、次のように述べている17)。

人格教育撃説は、教育の生命を教師と見童との固有の深き内部的関係の上に兄い出さんとす る鮎に於て、大に学級経営本位の教育を語るものといはなければならぬし、また学級経営の施 設に志すものゝ大に汲むべき精紳内容を有するものといふべきである。

このように、澤は、人格教育学の影響を受けて、先のような「学級経営」論を展開しているの である。

②経済的合理主義の影響

次に、指摘することができるのが、経済的合理主義の影響である。澤は、家族主義国家論的な 論理に陥らずに、近代合理主義的な学級経営を追求しようとしたのは既に見たとおりであるが、

こうしたアプローチの背景には、ある種の経済的合理主義の思想の影響があるのである。それは、

澤が他方強調している、小学校の教育はもっと簡略にして、無用の手数はいっさい省き、実質的 なことにもっと力を注げるようにするという意味での「簡単主義教育」と学級経営は同じ趣旨で あると主張しているところからもわかるであろう18)。

3.澤正の「学級経営」論の性格と構造

これまで検討を加えてきた澤正の「学級経営」論を、彼自身は、また別のところで、次のよう な4つの性格として構造的に整理しているので、その点について見てみよう。

(1)基礎経営

学級経営は、まず第一に、基礎経営としての性格を持っている。これは、すなわち、学校経営 に対しての性格規定である。澤は、次のように述べている19)。

撃級経営が撃校経営に射し、その基礎経営たることは略々これを明にし得たことを信じて居

(6)

る、学級経営の最も重要なる要素である。要素なくして形膿をなさない。基礎たゝなければ事 業は成るのはいはれがない。基礎を求めずに事業を完成せんとするものは砂上闇をきづかんと

するものである。

つまり、学級経営は、全体における部分であるが、その部分完成ぬきにして全体の完成などな いというのである。

(2)自覚的経営

したがって、学級経営は常に学級担任者による自覚的経営でなければならない。これが学級経 営の第二の性格である。この自覚的な経営に対する対極の位置にあるのが、器械的活動である。

澤は、この教師の器械的な活動を批判し、次のように述べている20)。

学級措任者は決して『教育』などゝ漠然たる意識を以てせず、常に学級経営といふところに 目的をおき日々これが賓現に力めなければならない。自覚なき勤務は精神なく中心なき勤務で あって、盲目的器械的活動に近いことをこゝに言ふ次第である。

このように、学級経営は、常に学級担任者がその実現に向けて自覚的に力を注がなければなら ないものなのである。

(3)系統法的経営

先に、学級経営は学校経営の基礎経営であって、まずはじめに学級経営がなければならないと 述べたが、それは、部分としての学級経営が全体としての学校経営から独立するという意味では

もちろんない。それでは、学級経営もうまくいかないとし、それゆえ、澤は、系統法的経営とい う性格も強調する。系統法的経営とは、次のような意味である21)。

学校の部分経営たる学級の経営をその全鰭系に於ける通雷の位置に置くことがこゝに所謂系 統法的経営である。系統法的経営は他の部分要素と調和し従って全健と調和を保っものである。

(4)家族的経営

最後に、澤は、学級経営は家族的経営という性格を持たねばならないという。彼は次のように 主張する恕)。

学級経営の園満なる極致は全く家族的の経営に到達することである。学級擦任者恰かも家長 の如く、幾十の見童兄弟となり、條規による煩墳なる経営を去り、情誼を主とせる無言の教に よりて薫化せられる。この如きが吾人のいふ家族的の経管である。

澤は、家族主義国家観にもとづく単級学校論を批判し、近代的経営にもとづく多級学校におけ る学級経営を主張したが、宮坂も批判しているように、やはり最後には家族的経営を主張しなけ ればならなかった。これは、彼が生きた時代の歴史的制約や師範学校教諭という立場を考えざる を得ない。しかし、先に見た「部分解体の思想」に対する反批判は、澤の「学級経営」論に対す

(7)

る批判への回答という性格をも持っていることを考え合わせると、澤の主張の力点は、系統法的 経営や家族的経営にあったのではなく、基礎経営という性格を重視していたと見るべきではない

だろうか。

Ⅱ 澤正における「学級経営」の実際 1.「学級経営」と学級経営案の立案

(1)学級経営案の必要性

ここでは、澤正の「学級経螢」の実際について、学級経営案と異体的実践(養護、教授、訓練)

の問題を取りあげて、検討してみる。

澤は、学級経営案について論じるにあたって、まず第一に、なぜ学級経営案が必要かについて 述べている。彼は、その必要性について、次のような論理で説明をしている23)。

一軍元教材の取扱に教授案を要するならば、一学級経営の上に教育案を設くべきことは、既 に明かな論理である。其の形式及び精粗の如何は之を別問題としても、こゝに志念を凝すこと なく、方案もなく理想もなく、漫然学級の経営に富ることは、教育の主膿をして、徒らに自覚 なく意義なきに終わらしむるものである。

つまり、授業に教授案があるのと同じように、学級経営にも学級経営案がなければいけないの であり、そうしないと、自覚的な学級経営などはできないというのである。

(2)学級経営案の立案の三基底

澤は、このような意味を持っ学級経営案を立案する場合、次のような3つのことを基底におい て検討するべきだと述べている。

①学年教育の一般的基礎

学級経営案の立案の第一の基底は、その一般的側面である。すなわち、「撃級経営の立案が廣く は国家教育の趣旨により、また一面に於て撃年教育の沓達段階に應ずべきは多言を要せぬことで あって、賓に国民教育の繚合的基礎であり、小撃校教育の本幹をなすものである」飢)という。

②学級の特殊的事情

次に、学級経営案の立案の第二の基底として指摘しなければならないのは、その学校や学級の 特殊的側面である。すなわち、学級経営者が自ら立案すべきなのは、この学校や学級の特殊事情 に応ずる必要のある諸事項である。というのは、「第一項は立案の顧慮を精しくすれば足るもので あるが、第二項に至っては、自ら創意し自ら工夫し考案せざるべからざる責任範囲である」わ)から である。

③経営者即自己

最後に、学級経営案の立案の第三の基底となるのは、その主観的側面である。この主観的側面 とは、教育者であり、学級経営者であるところの自己自身である。これは、「撃級経管が教育者の 人格を中心としてなさるゝ以上では、自己教育我に封する反省と注意と又これに適合せる教育方 案とは必ずなかるべからざるものである。彼の用ふる利器必Lも我の物として適することを断じ 得ざると共に、経営教育の形式態度も亦自己特有の物でなければならぬ」26)という。これは、澤の

(8)

学級経営に対する教師の人格と教権を重視する考えがよく表れているところである。

(3)学級経営案の立案の二要素

続いて、澤は、このことは見方を変えれば、学級経営案を立案する場合に、2つの要素がある のだという27)。

①学校教育の綱領

一つは、学校教育の綱領や学校経営の要項である。この学校教育の綱領のなかには、当然国民 教育の準則も含まれている。つまり、学級経営案を立案する場合に、この学校教育の綱領や学校 経営の趣旨を踏まえて行われなければならないのである。

②経営者の創意立案

もう一つは、学級経営者の創意立案である。これは、その学級の特殊な側面に関することであ る。先に述べたように、学級経営案を立案する場合に、学校教育の綱領を踏まえなければならな いのはいうまでもないが、しかし、それは学校教育の綱領を踏まえさえすればいいということで はない。澤の立論の特質は、むしろ逆で、学級の特殊事情を踏まえたうえで、そこに学校教育の 綱領を織り込んでいくのである。すなわち、学級経営の成果は学校経営の成績によるのではなく、

逆に、「学校経営の美果は撃級絶賛の成績によって自ら組成せらるゝことにならなければならない のである」28)というのである。この点にも、学級経営の固有性を強く認める澤の学級経営観が見ら れる。

(4)学級経営案の立案の主要項目

こうした検討を跨まえたうえで、澤は、学級経営案を立案する際の主要な項目について考察を 進めている。

(丑学級管理

第一は、学級管理である。澤は、学級管理について、次のように定義している。すなわち、「撃 級管理といふは、撃校経営に於ける撃校管理に封すべきもので、軍に見童管理とか教室管理とか

いふやうなものゝみをいふのではない。況や善教育学に所謂管理として訓練事項の一部の一部の みを意味するものとは別義のものであって、学級経営の輪廓を劃し、施設の大綱を計ることを含 んだ意義に取るのである」29)というのである。

そうしたうえで、澤は、撃級管理の内容となるべきものとして、次のような3つのものをあげ ている勘)。

・撃級施設 見童管理、見童座席配置、会合の施設自治的の施設、家庭との連絡等

・単級設備 教室、教具、学級園

・事務に関すること 就学事務、諸表簿の施設及びその整理

②学級指導

第二は、学級指導である。学級指導は、学級経営案の大部分を占めるものなので、学級指導を 中心にして立案を行うことが必要だと澤はいう。また、学級経営は、児童を中心にして、その方 法を構想すべきものであるので、それゆえ、澤は、学級指導は学年研究と個性査察を基礎にして 行われなければならないとしている31)。

③学年研究

第三は、学年研究である。学年研究の中心的な課題として澤が指摘しているのは、児童研究と 教材研究の2つである。彼は、この児童研究と教材研究とを関連させながら行えば、自ずから方

(9)

法の研究を生むのであるとし、とりわけ、系統的位置にある学年を研究しなければならないとし ている32)。

2.「学級経営」の実践

澤は、学級経営の実践を検討していく際に、その当時の教育学書で一般的に見られた養護、教 授、訓練という三分法に従って、考察を進めている。以下では、養護と教授については簡単に触 れつつ、本論文の中心課題である訓練を中心として見ていくことにする。

(1)「学級経営」と養護

養護には、消極的養護と積極的養護、保護的養護と鍛錬的養護の二つがある。すなわち、「衛生 上の注意を周密にし且つこれが厳守をもとめ保護し監督するのは前者であって、克己的に身髄を 鍛錬し抵抗力を養はしむることを主とするのほ後者である」盟)としたうえで、どちらか一方に偏る

ことは好ましくないと指摘している。

さらに、今日の教育の趨勢が自学自営主義の傾向にあり、教授においては自習を重視し、訓練 においては自治を重視するのと同じように、養護においても「自費的蘇生」を重視することが必 要だとしている。別)

(2)「学級経営」と教授

まず、澤は、学級経営と教授の関係について、どのように考えていたのであろうか。澤は、次 のように述べている。すなわち、「学級経営といふ語は直に訓練を聯想せしむる程で、訓練を中心 とすべき如く考へらるゝが、然し必ずしも中心、非中心の語を選むにも苦らないと恩ふのである。

訓練は学級経営の重要なる一要素であると共に、教授も亦至要なるその一要素であらねばなら ぬ」翁というのである。このように、澤は、学級経営における教授の位置について指摘したうえで、

具体的には、教授における学級経営上の重要な視点について、次のような項目をあげている認)。

・教授の態度 見童学習態度の養成指導

・教授案 略案、教科書記入教案、作例教案

・教授過程 準備、主取扱、虞理

・教調 軽重、遅速

・個別的指導 救済方面、助長方面

・自習施設 家庭自習、科外の書籍を開講せしむるの施設、休暇中の自習

・学級撃重合 全撃級の見童の活動、演習の種目

(3)「学級経営」と訓練

①訓練の範囲

最後に、学級経営と訓練について見てみよう。まず第一は、訓練の範囲をめぐる問題である訂J。

澤は、まず、訓練の目的を道徳的品性の陶冶とする立場から、それを直接的な意志指導とし、感 情教育の側面を無視したり、不問にしたりする考えがあるが、それには納得できないと批判する。

そして、そのうえで、意志陶冶とそれを目的としないような感情教育も訓練の一部になるとする のである。

また、訓練の範囲をめぐっては、ヘルバルト教育学における管理の問題があるが、これも実質 的なところでは訓練と区分することが難しいので、澤は、管理は訓練と分けて特立することはし

(10)

ないとした。

②訓練の主義

学級経営者の訓練の主義は、澤によれば、大体において、干渉主義と自由主義に分けることが できるという。澤は、それに対して、次のように批判している。駕)

干渉主義の人は級経営の上に規律秩序の維持を完うすることが出来るけれども、指導が一般 的典型的となり易く、学級見童の生気を萎縮せしむるの弊に傾き易い。これに反して、自由主 義の人は個性の伸長を期し見童の活動性を善導する鮎に於て長所をもって居るけれどもしかし 又飴りに見童を不規律の状態にあらしめ、放縦に陥らしむる等の映粕がある。

では、澤は、どのような主義に立っているのか。それは、自治訓練の立場である。つまり、と もすれば対立的にとらえられる指導と自治を統一的に把握し、「指導と自治は必Lも相容れないも のではない」39)と喝破しているのである。また、自治と子どもの発達段階の関係についても述べ、

学年が上にあがるにしたがって、より自治的にしていかなければならないとしているのは注目さ れる。40)

③訓練の機会

澤は、訓練の機会は、教育の全範囲至るところにあるとしたうえで、それは、大きく分けると、

偶発的機会と具案的機会になるとする。前者は偶然に起こるものであるのに対して、後者は機会 をつくるという意味であり、とりわけ後者には次のようなものがあるという。41)

・教授 貝案的の一機含

・儀式 朝躍、互別の式

・会合 学級撃重合、見童の自治的会合

・作業 学級園の経営、動物飼育、酒掃、嘗番事務等

・看護 遊歩時に於ける看護

④訓練の方法

澤は、訓練の方法として、命令禁止、訓諭、看護、賞罰、遊戯、作業、遠足の7つを指摘して いる。42)そのなかでも、とりわけ命令禁止と賞罰について大変禁欲的である点に、澤の「学級経 営」論のヒューマニズム的な性格が表れているように思われる。

⑤訓練の基礎

さらに、澤は、訓練の基礎として、2つのものをあげている。一つは、示範である。示範は、

教師の全人格の暗示であって、児童の模倣力によって絶大な効果を表すという。もう一つは、教 師の根気であって、訓育の持続力だとしている。43)

⑥訓練要目

最後に、訓練要目の問題を、澤は指摘している舶)。訓練要目は、訓練事項の配当案であり、学 級経営上不可欠のものである。これを制定するための観点としては、修身教授事項、学年児童の 発達段階、地域や学校の事情(校訓も含む)等がその主要なものとなる。

(11)

Ⅳ 結論と課題

一明治期訓育論の成立過程における澤正の「学級経営」論の位置−

これまで見てきたように、澤正の「学級経営」論は、単級学校から多級学校への歴史的変遷の 時代において、単級学校が色濃く持っていた家族主義に陥らず、近代的な経営の理念を導入する とともに、学級担任者の人格と教権を重視する立場から、学級の教育実践上の固有の可能性を明 らかにしようとした。そして、そのことによって、明治期訓育論の形成過程において、組織論と 文化論が統一される契機を準備するとともに、大正自由教育において花咲く学級づくりの実践の 母胎ともなり得たといえる。

1)城丸章夫著『管理主義教育』新日本出版、1987年参照。

2)管理主義的な規律・訓練については、ミシェル・フーコー著・田村倣訳 監獄の誕生一監視 と処罰−(新潮社、1977年)を参照のこと。フーコーがここで述べている監獄とは、行刑 法施設としての監獄だけではなくて、学校、病院、兵営、工場などの社会における処罰技術と 矯正技術、さらにいえば監禁社会そのものの歴史を解読しようとしているのである。

3)拙論「明治前期『学校管理法』書における『躾方』概念の検討一明治期訓育論の成立と展開

(その1)−」『広島大学大学院教育学研究科博士課程論文集』第14巻、1988年、拙論

「『徳育論争』の問題構造一明治期訓育論の成立と展開(その2)−」『広島大学大学院教育学研 究科博士課程論文集』第15巻、1989年、拙論「『訓練要目』の実践構造一明治期訓育論の 成立と展開(その3)−」中国四国教育学会編『教育学研究紀要』第37巻第1部、1992 年参照。

4)宮坂哲文著『学級経営入門』明治図書、1964年、宮田丈夫著『実践教育学一今日的課題 とその進路−』明治図書、1961年、志村贋明著『学級経営の歴史』三省堂、1994年 5)教育史編纂全編『器教育制度費達史』第三巻、106〜115頁、1938年参照。なお、「年齢

主義」と「課程主義」をめぐる歴史については、梅根悟著『教育史学の探求』(講談社、196 6年)を参照されたい。

6)教育史編纂全編『器教育制度発達史』第三巻、1938年、110亘、および、佐藤秀夫

「明治期における『学級』の成立過程」『教育』249号、国土社、1970年参照。

7)麻生千明「学級編成論の視点からの修身科教授法(口授法)の考察−『講堂訓話』の成立背 景・過程−」『弘前学院大学・弘前学院短期大学紀要』第19号、1983年参照。

8)石田雄著『明治政治思想史研究』未来社、1954年参照。

9)澤正の人物および経歴については、教育実成合編『明治聖代教育家銘鑑 第一編』(教育実成 合、1912年)において、次のように記されている。「教育の事たる技術にして学問なり、其 の経験に待っ所大なるは勿論なるも同時に新智識の吸入亦大に固らさるべからず、故に職に教 育の任にあるもの須奥も其の修養を忽諸に付すべからず、現任茨城嚇女子師範撃校教諭澤正氏 俊良の資を以て研鎖頗る努め、本願中等教育界の傑士を以て目せらるゝもの以て後進の亀艦と なすに足る。氏は大分願の産明治十五年の生、三六年三月首位を以て燐師範撃校を卒業し、三 九年東京高等師範学校修身教育専修科の業を卒はり、その五月青森師範撃校に碑せられ、同校

(12)

教諭兼訓導となり、四十年三月舎監を兼任す、四十二年四月現任校教諭兼訓導兼水戸高等女 撃校教諭に韓じ更に附属小学校主事を命せらる、四十三年三月兼職を免ぜられ四十四年五月奏 任教諭に発進す。

氏資性温厚頭脳明断、頗る文筆に長し、終始研究の結果を楢毒に表し、座右草稿の堆積を見 る、解嘗局其の篤学にして職務に忠賓なるを認め、本務の傍小撃校検定委員臨時委員を嘱する 久しく現にその常任委員たり、かく事務相集の裡にありても常に修養を怠らす文部省開設の中 等学校教員講習会に出席し、検尋討要その専攻学科に補して些の疑義をも許さず、四十四年中

「児童撃習上の欠陥並にその救済法」なる一書を表はし、次いて四十五年には「研究報告集第 一巻を編纂し、大に斯界を警告する所あり、又時々賄下小学校教員集合の求に臆して出演し、

且つ間断なく東京の教育諸雑誌に教育に関する意見を公表し、新知識を費表する等、其の精力 の強大なる驚嘆に債す其の内にあるんや、老母に奉仕して孝養至らざるなく、膝下の氏は賓に 一赤子の可憐を保し、母堂の喜悦を以て唯一の欒みとなすと。」(『教育大名辞典I 下巻』日本 図書センター、1989年、767貢。)

10)澤正著『学級経営案』金港堂書籍、1917年、9〜10貢。

11)同上、6貢。

12)同上、14貢。

13)同上、14〜15貢。

14)同上、11貢、および澤正「校長修身科受持制」『小学校』第14巻第1号、同文館、1912 年参照。

15)同上、13貢。

16)同上。

17)同上、20貢。

18)23〜27参照。

19)澤正著『再究学級経営』弘道館、1918年、244〜245貢。

20)同上、248貢。

21)同上、250〜251貢。

22)同上、251貢、および宮坂暫文著『学級経営入門』、230頁参照。

23)澤正著『学級経営案』、自序。また、澤正「学級経営案に就て」『小撃校』第21巻第4号、同 文館、1916年参照。

24)同上、58〜59頁。

25)同上、59貢。

26)同上、60〜61頁。

27)同上、62〜64責参照。

28)同上、63頁。

29)同上、64〜65亘。

30)同上、65〜67貢。

31)同上、67〜68貢。

32)同上、92東参照。

33)渾正著『再究撃級経営』弘道館、37頁。

34)同上、38〜39貢。

(13)

35)同上、155〜156頁、また、学芸会については、澤正著『小撃校撃重合懇話会の施設並 其資料』文盛館、1912年、および、澤正「教室に於ける活動」『国民教育』第5巻第6号、

国民教育令、1914年参殿。

36)澤正著『再究撃級経費』、49〜81貢参照。

37)澤正著『撃級経営』弘道館、1912年、186〜187頁参照。

38)同上、

39)同上、

40)同上、

41)同上、

42)同上、

43)同上、

44)同上、

191〜1

191頁。

192〜1 19 6〜1

199′−2

205〜2 2 06〜2

92頁。

93頁参照。

99貢参照。

05貢参照。

06頁参照。

08貢参照。

付記

この論文は、1993年度の科学研究費補助金(奨励研究A・課題番号05710164)による

「明治期学校訓育の成立に関する地域実態史研究」の研究成果の一部である。

参照

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