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「つれづれの語義」 私考 その(二)

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「つれづれの語義」 私考 その(二)

著者名(日) 渡邊 修

雑誌名 大妻国文

32

ページ 165‑180

発行年 2001‑03

URL http://id.nii.ac.jp/1114/00001393/

Creative Commons : 表示 ‑ 非営利 ‑ 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by‑nc‑nd/3.0/deed.ja

(2)

﹁つ れづ れの 語義

﹂ 私考

そ の

J

はじめに︑前稿︵その二

の補いをしてから︑本論をつづけたいと思う︒

﹁そのこが活字化されたころに出版された﹁時代別国語大辞典室町時代編﹂の﹁とぜん

︵つれづれこの項の用例に醒

睡笑からの﹁よくよく徒然のあまりにや︑

三位の飯をも取て食はれけり﹂というのがあげである︒多分﹁徒然﹂を﹁空腹﹂

と解釈する例とするつもりなのであろう︒

 

﹁よくよく﹂は︑﹁よく﹂︵十分に︑念を入れて︶という言葉を重ねて意味を強め︑念には念を入れて︑くりかえし念を入 れる︑注意した上にもさらによく注意するの意︒この﹁よく﹂は﹁細かく﹂︑

一つ一つこまやかに手ぬかりなく︑広くゆき わたってぬけたところのないこと︒

(3)

一 ・ 六 ム

ほかにもO度を越えて

︵法外に︶︑大いに︑はなはだ︑非常に︵よいこと︶︑随分︑よっぽど︑ひどく

O苦しい立場にあって︑どうにもがまんしきれない︑たえられぬ︑やりきれない︒Oそうすることが本当にやむをえないことだ︑しかたないことだ︒Oどうあがいてもしかたない︑結局そうするしか手の施しょうがない︑ほかにしょうがない︒どうしてもそうせざるを

﹁何のあまり﹂は︑﹁新明解国語辞典﹂に喜怒哀楽などの感情や特殊の心身の状態を抑えることができない様子︑﹁悲しさ

l﹂悲しさに堪えきれず︑﹁熱心の|﹂熱心︵の度︶が過ぎて︒

﹁日葡辞書﹂には︑﹁喜ぴのあまりに﹂非常︵に大き︶なよろこびのために︑非常に満足して︒﹁悲しさのあまり﹂この上

なく悲しく︑悲しすぎて︒﹁熱心のあまり﹂あまりにも熱心すぎて︒

﹁よくよく何のあまり﹂は︑同意のことばをくりかえし重畳して︑﹁法外に︑過分な﹂ことを強調している︒

手許の辞書によって︑これくらいのことを知ることができた︒これを念頭において調べていこうと思う︒

穿

(4)

﹁よくよく徒然のあまり﹂﹁徒然﹂を﹁空腹﹂とすれば︑空腹でひもじさが︑あまりにもひどすぎて︑なみなみならず︑

はなはだしく︑その結果︑たえきれない︑がまんしきれない︑という意︒腹に飯がない︑ひどく腹がすいてペコペコ︒は なはだひだるい︑気が遠くなって今にもぶつ倒れそう︒たまらない︒食べ物がほしい︑無性にくいたいが︑どうにもなら ない︒もうだめだ︑たえられない︒やむをえない︑人の分だがいただこう︑と︑たべてしまった︒このような一応の解釈

が得られる︒話の筋もつじつまが合ってわかり易く︑やむを得ずたべてしまったわけも︑もっともらしい︑納得がいく︒

よっぽど空腹でひもじかったものと見える︑本当にたべたかったのでしょうね︑無理からぬ︑是非もない︑と受け入れる

醒睡笑のこのあたり︑﹁児の噂﹂と題して︑いくつかの話が集められている︒Oちごたちが平素十分にたべていない︑いつもくいたりないからこんなにやせている︒Oいつも腹をすかせ︑ひだるくて苦しい︒

Oたべものがほしい︑腹いっぱい十分にたべたい︒Oこのひだるさを鈍根草︵若荷︶をたべてでも忘れたい︒Oすきばらでは意気があがらぬ︑看経︑読経も大儀︑勢いよくとんだりはねたりする気力もない︒

なとと︑不平不満や苦情をいいたて︑十分食べていないとなげき︑たっぷりたべたいと訴えている︒そんな児の話がつづ

(5)

いている間にまじってこの三位の飯の話があるのであるから︑徒然・つれづれは︑食料が不足して十分でない︑腹がすい

てひもじい︑食べ物がほしい︑と解釈し︑この話を︑

ひもじさこの上もなく強くはげしくて︑とてもがまんしきれない︑

やむをえない︑目の前にある三位の飯をいただこう︑と人の分までたべてしまったとすれば︑全体の構成の上では︑きわ めてしっくりとけこんでよくまとまり︑統一がとれ︑話の筋も通りがよく︑それなりに無理なく不自然なところがない︒

﹁徒然﹂を﹁空腹﹂と解すると︑うまくあてはまって不自然でないというものの︑この話は︑児が空腹で今にもぶつ倒れ そうというのではない︒児は今自分の分をたべたばかり︒腹一ばい︑十分にあきるほどたっぷりたべたとはいえない︑

くぶん食いたりなくてもっとほしいと思うことはあっても︑人の分までたべなければならない程ひどく腹がすいてひだる くぶつ倒れそう︑どうにもがまんしきれない︑とてもたえかねるというわけではない︒ただ︑児は育ちざかり︑

いつも食

ベ物を求めてやまない︑食うことばかりに気をとられてそれ以外のことは念頭にない︒だから食べ物をみればいじきたな

く食べたがる︑たべたくてつい手を出してしまう︒

いくらたべでもあきることなく︑たべたがってきりがない︑あくこと

を知らぬ︑あるだけ残さずたべてしまう︒

いま目の前に飯がおいである︒みていると生つばがでる︑舌なめずりをする︒ちょっとたべたいと思う︑

つい手が出て

いただくこととなる︒目がほしがるのだ︒くいいじがはっているからなのだ︒

つまり︑空腹でふらふら︑

ひもじいから食べ物がほしいというのでなく︑食べ物をみると︑くいしん坊だから︑とって くいたくなる︑目の前の飯がほしくてたまらないというのだ︒

この目の前にある飯は︑お世話になっている三位のものだ︒とってたべたい︑無性にたべたいといっても︑おいそれと はいかぬ︑思いはたやすく叶うことではない︒軽い気持ちでいただくわけにはいかぬ

c

それに手をつけることは許されな

(6)

つらいことでも︑その思いを抑えてたえ︑がまんしなければならぬ︒

しかし︑自の前にみていると︑無性にほしくなる︒食べたい︑くいたい︑その気持ちがとても強くはげしくて︑抑える

ことができない︒よくないことだとは思うが︑どうしてもたべたい︒とてもがまんできない︑あきらめられない︒でも︑

自分の力では何ともしょうがない︒しかたがない︑やむをえないと︑感情のかりたてるままに︑二一位の飯まで食べてしまっ

た︑という話になる︒よっぽどたべたかったのでしょうね︑その気持ちが強くはげしく︑抑えることができなくて︑と一

応うけとめておく︒

それにしても︑とんでもないあきれたことをしたものだ︒大切な人のものに手をつけるとは︒それも︑別にのっぴきな

らぬ事情があってのことではない︒ほしくてたまらぬ︑くいたかったからだというだけの理由では︑無茶だ︒身の程をわ

きまえぬ︑道をはずれた︑大それたことをしたものだ︒とても︑まともな人の所為とはいえない︒

たべたい︑くいたいという思いが強くて抑えつけることができない︑そのはげしい気持ちにまかせて︑このようなけし

からぬ無茶なことをしでかすのは︑まるで︑やんちゃの子が人目もはばからず︑路上にすわりこんでだだをこね︑我意を

通すのとかわりがない︒きわめて単純で幼稚な所為だ︒とても︑事がばれて︑とっさに︵前もって用意しておいたのでは

ないかとも思うが︶﹁汁かと思うてくうたわ﹂と強弁し︑いいはる才覚のある児の所為らしくない︒

﹁ほしいからいただいた﹂︑﹁たべたいからたべたのだ﹂では理屈にならぬ︑言いのがれのへりくつだ︒英語の辞書に﹁女

の理由﹂という語があるが﹁好きだから好きだ﹂というのと同じことだ︒これでは︑三位の飯をたべてしまうのももっと

もだ︑無理からぬこと︑是非もない︑やむをえぬことだ︑と納得するわけにいかぬ︒食物がなくて飢えに苦しみ︑困窮し

やむをえず三位の飯をくったというのであれば︑いかにももっとも︑十分な理由あってのことだと受けいれられ

(7)

結局いじきたなくて︑無性にくいたいから目の前の飯をたべたというこの話の筋立てでは︑そうせざるをえなかった︑

それより他にとるべきでだてがなかった︑しょうがなかった︑という︑本当にやむをえない苦しい立場にあるのだという

ことを表わすことはできない︒これで︑よくよくの事だ︑そうするのもしかたない︑やむにやまれぬことだ︑と納得させ

ることは無理である︒いけない事だと知りながら︑あえて︑三位の飯をとってくうという︑とんでもないことをする事情

はみえてこない︒むしろ︑ここの底流には︑﹁まあ︑いいさ﹂﹁ままよ︑どうなってもかまわない﹂という︑やけな︑すて

ばちな気持ちがあるように感じられる︒

ひとまずここまでをまとめてみよう︒

児が三位の飯をくう︒とんでもない︑大それたこと︑けしからぬ︒大胆な︑ずうずうしい︑なすべからざる︑許されざ

ること︒それを承知の上で︑くってしまったのには︑それなりの事情があってのことで︑そうすることも︑もっともだ︑

やむをえない︑しかたないという風にみなければ︑この話は成り立たない︒つまり︑ものすごく空腹で︑死にそうだ︒こ

のさしせまった危機をのがれ︑生きていくためには︑そうするのもやむをえぬ︑余儀ないことだ︑他にとるべきでだては

ない︑そうせざるをえない︑という風にみなければ︑話の筋が通らない︒

ところが︑この話では︑児は空腹なのではなく︑くいいじが張っているのだ︒無性にくいたい︑たべたいという気持ち

が︑いかにはげしかろうと︑そんな生やさしいことでは︑追いつめられてせっぱつまった状態にある︑とはとてもいえな

ぃ︒結局︑﹁徒然﹂を﹁空腹﹂とすることも︑﹁いじきたなくて︑たべたがる﹂とすることも︑この話には︑︒ひったりこな

ふさわしくない︒もっと納得のいく解釈がほしいものだQ

(8)

﹁つれづれ﹂﹁徒然﹂の例は︑醒睡笑の他のところにもみられる︒それらの﹁つれづれ﹂﹁徒然﹂の語は︑すべてみな︑古

典的・伝統的な﹁つれづれ﹂の意味︵ひまをもてあまし︑心のふさいで気がはれない︶で同じ用い方のものばかり︑とて

も﹁空腹﹂などとすることはできない︒

O春雨すさぶ永日なれば︑暮しかねたるつれづれに︑老父むすこに向ひ︑﹁俳諾をして遊ばんものを﹂といふに︑︵下︑

春は日の暮れるのがおそい︑日が永い︒これといってすることもなく︑所在ない︒あきあきしていやになる︒時間をも O雨中のつれづれにあつまり居︑﹁おのれおのれが心に望む事を機悔せよ﹂とあり︒︵下︑

てあまして困る︒なんとか楽しく時をすごすてだてはないか︒どうしたらよいかと思いなやむ︒まして︑いやな雨がふり

つづく︑外に出ることもままならない︒どうしょうもない︒どんより曇って︑雲ひくくたれこめ︑くらく︑うっとうしい︒

心もふさいで気もはれない︒身も心もつかれはて︑暮しかねる︒気ばらしに︑何かして楽しもう︒おもしろいことはない

か︒いきぬきを求め︑しばらくこの困惑をのがれて︑のんびり︑くつろごう︑と考えたのである︒

これが典型的に︑古典的・伝統的な意味と用法であることは︑次の源氏物語と枕草子との一節を思いおこすだけで十分

明らかで︑他にいうことなしであろう︒ともに﹁空腹﹂などとすることはできない︒

須磨には年かへりて日長くつれ外\なるに︵源氏物語︑須磨巻︶

雨うち降りたるはましてつれハ\なり︵枕草子︑

それなのに︑この児の用例だけ︑﹁徒然﹂を﹁空腹﹂﹁食物をほしがる﹂ときめこんで︑特殊な︑奇異な解釈を下さなけ

ればならないのだろうか︒伝統的な︑古典的な解釈によっては︑本当に通じないのだろうか︒他に良い考え方はないかど

(9)

うか︑今一度吟味し︑たしかめなくてはなるまい︒

こんな話がある︒醒睡笑︵上初ペl

ジ ︶ 酒を好む僧があった︒酒なくてはすごせない︒ところが︑八瀬の寺は︑昔から禁酒だ︒一計を案じ︑酒器を経箱にかた

どって作り︑上に五部の大乗経と書き︑常にそれをもって行き通った︒

或時︑内の者が︑その経箱をもってかえる途中で︑酒の匂をかぎつけた︒酒好きとまではいえないが嫌いではない︑あ

ればのみたい口だ︒一ばい飲むのも悪くはないなと思う︒しかしこれは︑面倒をみてもらう主の大切なもの︑勝手にのむ

わけにはいくまい︒あきらめなくてはならないだろう︒それにしても︑うっとりとするような甘い匂いだ︑ぷんぷんとた

だよって︑鼻先をくすぐる︒のみたさつのり︑あきらめられない︒どうしたものか︒なんとか気持ちをまぎらせて︑がま

んしなければなるまいが︑よいてだてはないのか︒あれこれ考えても︑よい工夫は思いつかない︒これは思案にあまる︑

ほんとに困った︑難儀なことだ︒八方ふさがり︑どうすることもできぬ︑他に手の施しょうがない︒とてものみたくてた

えられぬが︑どうしてよいかわからない︒途方にくれる︒もうどうしてもがまんできないぞ︒困りきって︑無茶でもしか

口をあけて飲むしか他に手はないのだ︑といって︑そっと口をあけていただいたので︑うごかすと﹁ごぶ︑ご

あけて給はりぬ︒﹂のところを吟味してみよう︒︵上︑ 深よみし︑ふくらませすぎかもしれないが︑この話の︑内の者が﹁酒のにほひをきき︑飲みたさやるせなし︑そと口を

(10)

日葡辞書に﹁やるせもない﹂は﹁ゃるかたない﹂と同じ︒

﹁ゃるかたない﹂は﹁施すすべもなく︑どうしてよいかわからない︒﹂

﹁せんかた﹂は﹁対策﹂︑﹁せんかたない﹂は﹁対策もないし︑どうしょうもない︑など﹂

﹁せん方︵パウ︶﹂は﹁すなわち︑これ以上できないので︑または︑ほかに対策もないので︑例︑せん方尽きた︑施す術

もなく︑これ以上どうすることもできないよ

これをみると︑﹁施すすべもない﹂は︑事態に対応して処置する適当な方策・対処の方法がない︑手の施しょうがない︑

手のうちょうがないの意︒手を尽し︑いろいろの方策を試みたので︑これ以上ほかに︑よい方法がみつからぬ︑手品︑A

1h

︐ 刀

lu

4

策・方法もなく︑施す術もなく︑どうすることもできない︑どうしょうもない︑どうにもならぬ︒これでは︑﹁どうしてよ

いかわからぬ﹂︑動きがとれぬ︑手も足も出ない︒困った︑途方にくれる︑厄介なことだ︑難儀なことだ︒これ以上?づけ

てやってはいけない︑たえられない︑困りはてた︒しかたない︑やむをえない︑﹁せん方尽きたo﹂しようことなしに︑そっ

と口をあけた︒そうするより他に方法がない︑のがれられぬことだ︑避けられないことだ︒

日葡辞書には︑﹁やるせなし﹂﹁ゃるかたなし﹂﹁せん方なし﹂を同じように解している︒それでも︑この話

は通るようだ︒内の者が酒の匂いをかぎわけた︒のみたい︒匂いはただよう︒のみたさをあおる︒のみたくてたまらぬ︒

うずうずして︑じっとしておられない︒とてもがまんできないが︑どうしょうもない︒手の下しょうもない︒どうしたら

よいかわからない︒困った︒困りぬいて︑しかたなく︑そっと口をあけてしまう︒のみたさに駆り立てられて︑どうして

もそうしないではいられないのだ︑そうするより他に手はないのだ︑と︒

しかし︑これだけでは︑酒が主の大切なもの︑まさかこっそりそれを飲むわけにもいくまい︑おいそれと飲むこと叶わ

ぬぞ︑ということはわからぬ︒まして︑その気持ちを抑えがまんしよう︑心を他に転じ︑まぎらそう︑あきらめようと努

(11)

力することも︑うまそうな匂いだ︑のみたさをあおられ︑誘惑に負けそうだ︑何としよう︑どうしょうもないぞ︑と苦悩

することも︑困惑の極み︑おいつめられて︑しかたない︑とてもがまんできないと不本意ながら口をあけることもあらわ

もともと︑﹁やる﹂は﹁心をやる︑遣情︑鈴遣︑鈎憂遣悶﹂︑﹁きばらし︑うさばらし︑気散じ﹂の意︒気をまぎらせて︑

胸の中にたまっているういこと・つらいことを忘れ︑心たのしく・気はればれ︑のびのびとくつろぐこと︒他のことに気

をとられ︑ゅううつなふさいだ気持ちが紛れて︑心の慰められ気も晴れて安らぐこと︑

は︑﹁うかぶせ︵不幸な境遇からぬけ出て︑幸福になる機会︶︑立つ瀬︵立ち場︶︑おうせ︵会って顔を合わせる機会こな

どをみると︑﹁時機・場所﹂の意か︒

一︑鈴憂者莫若酒︵漢書東方朔伝

(12)

昔から酒は天の美禄︑天からの賜物︑うさばらしには一番︒万葉制番にも﹁酒のみてこころをやる﹂とある︒酒をのみ︑

いやなこと︑うさ︑つらさを忘れて︑しばし︑酔うて別世界で遊んでいるようなよい気分になり︑一時の問︑心さわや

か︑はればれのびのびとしてたのし︒酒は心のうさのすてどころ︒酔うて気のまぎれ︑︑っさ・つらさを晴らし︑心なぐ

さみ︑安んずるのだ︒

二︑詩の﹁泉水﹂に﹁我が心悠々たり︑駕せよわれ出遊せむ︑以て我が憂をのぞかむ︒﹂︵岩波文庫﹁毛詩抄﹂付加頁︶

心に憂あり︑本国へ帰りたいと思う︒札を思うて帰ることができぬ︒父母の国へ行かずとも︑せめてあの車に馬をかけ

ぃ︒野へ出て遊山して︑心のくるしい憂をも忘れよう程に︒

むすめ衛の女が他国の夫人に成っていたが︑本国へ帰りたいと思った︒諸候の処へよめ入をしたけれども︑父母は死んで親類

もない程に︑帰寧しとう思えどもならぬ︒去る程に︑札にちがうて帰り事はない程に︑え帰らぬぞ︒その帰りたいと云

う事を作た詩ぞ︒ここに︑憂をのぞこうとあるところからみて︑他国に嫁して夫にうとんぜられ︑むごいあっかいをう

け︑つめたく・思いやりのないしうちに悩み苦しむ事多く︑常住つらい思いをし︑むしゃくしゃ・いらいらしているの

でないかと︑その心をよみとっている︒

家を出て野山に遊ぶ︒すがすがしい風にふかれて気分さわやか︑いきいきしてくる︒ふさいだ気持ちも晴れて︑気も軽

く︑のびのびと心のまま︒広野に馬を馳せて︑好看好景︑よいながめにみとれておもしろく︑心なごみ︑自ら慰み︑お

ちつき︑安んず︒遊びにまぎれて︑愁︵つらい苦しさ︶を忘れ︑わだかまりを捨てて︑さっぱりとし︑心すっきりと︑

安らいで楽しいというのであろう︒心の傷にたえ︑身の不幸をなげき︑辛労憂苦をかこちわびるさま︑いかにも︑もっ

ともと思われる︒詩の﹁竹竿﹂︵﹁毛詩抄﹂↓ω頁︶にも同じようなことがくりかえしのべられている︒これには︑異国L

に嫁いで答せられず︑夫と気持ちが通わない︑夫の気に入らなくて︑帰ろうと思う︑とある︒

三︑院籍﹁詠懐詩十七首﹂の中に﹁日暮れて親友を思ふ︑陪言して用て自ら写す﹂という句がある︒︵文選第二十三︶よろ

(13)

こびをともにする同志合意の者なくて︑わが家を訪れるものはない︒このごろ人々は故旧の情がなく︑勢利めあてに交

わりを求める︒たのしみをともにする友を得て︑互に酒をくみかわし語り合いたい︒気ごころのわかった親友がなつか

しい︒同じ思いの同好の賢友とうちとけて︑胸につかえ腹にたまった思いを︑かくすことなくのべひろげ︑のこるとこ

ろなくさらけだすと︑わが心は慰められ気は豊かにさわやか︑安んじて楽しく︑心からうれしい︒いまは︑独りして︑

心の憂あり︑よき友もがな︑というのである︒

回︑詩の﹁考般市﹂に﹁独り寝ねて窮めて歌ふ﹂という句がある︒毛詩抄に﹁友もない程に独りねざめに徒然さに︑はった

とあげて︑歌か詩などを吟じたぞ﹂とある︒︵岩波文庫本付加頁︶荘公が無道で賢者を用いられぬ︑国をうれえ世を憤つ

て︑この詩を作った︑とある︒

友もなきひとりね︑心に憂あり︑心はれず︑ふさいで︑たのしまず︒さめて︑放歌高唱︑思い切り声高く︑心のびのび

と︒欝気を発散︑管積したいやな感じ︑むしゃくしゃしたつらい気持ちを思い切り何かにぶつけて︑不平・不満を一掃︑

胸中のもやもやしたものをすっかりはきだし︑きれいにからにしたい︒きすれば気分はかわってすっきり︑きわやか︑

はればれと︑心は安穏︑ずっと楽になり︑みちたりておちつく︒

まとめてみる︒什は︑心に憂あり︑酒に酔うてきもちよくなり︑憂を忘れ︑気もはれて︑心たのしoU

は ︑

苦しめられて︑むしゃくしゃ︑いらいら︑気欝して︑心ふさがり︑うかぬ︑心おだやかならず︒家を出て︑山野に遊び︑

外気にふれてこころよく︑好景にみとれ︑心はまぎれて憂を忘れる︒欝結して不快な気持ちもはればれと︑すっきり︑さ

わやかに︑心もみちたりて︑おだやかに︑おちつく︒これらは︑気の散って他に移り︑本すじをそれて︑心のまぎれるも

的・側は趣を異にする︒心を他の事にむけ︑気をそらし︑自ら気をまぎらすもの︒憂を払いのけ︑すて去るのだ︒白は︑

(14)

独りして心の憂あり︑国をうれえ︑世を憤り︑悲憤懐慨の情に重苦しい︒よき友もがなと思う︒友をえて︑陪一一百して︑胸

中を残りなくぶちまけて憂をすてる︒すっからかんになる︑さっぱりとした︒心は慰められ︑みちたりて︑おだやかに︑

おちつく︒気分絶好︑はなはだうれしい︒同は︑友なくてひとり︑徒然として心の憂あり︑胸につかえ腹にたまった︒放

歌高唱して︑余すところなくはきだす︒欝気発散して︑胸がすうとする︒すっきり︑きわやか︑気分爽快︒これも心みち

たりて︑おだやかにおちつく︑というのである︒

ゃるかたない思いを晴らす方法がない︒言いようがない︒しかたがない︒

心のやりどころがない︒思いを晴らす方法がない︒胸が諺積して心が晴れない︒

心のわだかまり︵もやもや・いらいら︶などを晴らす方法︒﹁無念|︵が︶ないL

苦しさ・悲しさを紛らすものが何も無くて︑どうしょうもない気持ちだ︒

やる方なし①物思いや悲しみの晴らしょうがない︒心をまぎらすことができない︒どうにもならない︒②程度が普通

やる瀬なし

(15)

 

2 I

0 も 方 日 青 紛 晴 心 物 苦 心 思 A

施 と ら ら ら を , 思 し の い

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言いようがない︒しかたがない︒胸が欝債して心が晴れない︒どうしょうもない気持ちだ︒どうにもならない︒Oどうしてよいかわからない︒

(16)

l︑憂悶心の憂︑うさ︑つらさ︒2

︑鈴遺消す︑除く︑なくする︒又︑紛らす︑慰め安んずる︒

3︑心が晴れない心の憂消えず︑なくなることなし︑憂欝をのがれることはできない︑憂に沈んで心晴れやらず︑つらい思いを胸

4︑どうしょうもない手だては尽した︑これ以上︵他に︶とるべき道はない︑手のうちょうがない︑うごきがとれない︑しかたな

a

o

日葡辞書﹁ゃるかたない﹂再録︒どうしてよいかわからない︑なんとしようか︑どうにもならない︑道は開けない︑困惑し途方

詩の﹁泉水﹂をも一度︒衡の女が本国へ帰りたいと思う︒父母の処へ帰りたい︒しかし札に適うて帰るわけにはいかぬ︒

それだけに一層帰りたくてたまらぬ︑一日片時たりともそれを思わぬことはない︒心に憂あり︑つらい思いを胸にいだい

て︑気はふさぐ︒そこで︑家を出て山野に遊び︑好景に接して気も紛れ︑憂を忘れ︑心慰み︑たのしんだ︒

醒睡笑の話では︑酒の匂をかぎつけて飲みたいと思っても︑おいそれとのむわけにはいかぬ︒主の大切なものだ︑思義 を忘れ義理を欠くことはできない︒がまんしなければならぬ︒しかしよい匂いだ︑たまらん︒なんとかならぬか︒手を尽 しでもよい思案は浮かばない︒紛らすことはできぬ︒どうしょうもない︒困ったことだ︒気は重く︑心は晴れぬ︒

これと同じような話の展開だ︒児は食物を前にして︑舌なめずり︑わくわくして心おちつかず︒しかし事はすんなりと︑

思い通りにはいかぬ︒なにしろ︑これは︑御世話になっている三位のものだ︒これはおもしろくない︑楽しくないことだ︑

がっかりだ︒辛労なこと︑つらいこと︒心おちつかず︑いらいらする︒しかしどうしょうもない︒

のみたい︑くいたいと思うことがなやみの種︑心の重荷となる︒気のくさることだ︒しかし︑これをまぎ

(17)

J¥ 

らすことはできない︒気ばらしのてだてはない︒心を慰めて︑面白さにうきうき︑気もかるく︑はればれとさわやか︑心

みちたりておだやか︑気分もおちついて︑気楽にのどかに︑くつろぐ︑ということはない︒︒

﹁つれづれ﹂は﹁ひとり︑心の憂あり︑おもしろくない︑たのしくない︑気がはれぬ﹂という意であることを前稿でのべ

た︒詩の﹁考繋﹂の毛詩抄︵岩波文庫︑付加頁︶に﹁︵碩人が友もない程に︶︑独りねざめに徒然さに︑はったとあげて歌

か詩などを吟じたぞ︒﹂はその例であるが︑ここには﹁徒然﹂とある︒﹁徒然﹂をすぐ﹁つれづれ﹂とすることには︑いさ

さかためらいがある︒︵時代別国語辞典の編者にもその気配がうかがわれる︒︶このところ︑よい友がなくてひとり︑ねざ

めて放歌高唱︑思い切って大声をはりあげた︒わだかまった心のもやもや︑むしゃくしゃした気持ちをはきだして︑何か

にぶつけたくて︑天にもとどけと大声で歌った︒欝気発散︑おかげで胸はすうとした︒うさばらしである︒これによって︑

つれづれを慰めて心をおちつかせるのだ︒

﹁徒然﹂は︑心の憂︑欝々とわだかまったさま︒﹁よくよく徒然のあまり﹂とあるところをみると︑心の憂重苦しくのし

かかって︑並なみならず︑よほどつらい思いをしたのだ︒律義な児の義理堅いことを印象づけることだ︒恩義を忘れて義

やっと﹁つれづれの語義﹂の本来の流れに沿ってきた︒次には︑本流にもどって︑稿を進めたいと思う︒

参照

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