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「新撰字鏡」のコの仮名と「尾張国熱田太神宮縁起」

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(以下有坂論文と略称)は、 平安初期の株字辞t"「新撰字鋭」 (昌住、 八九八ー九0一成立)

「新撰字鏡」のコの仮名と

「尾張国熱田太神宮縁記」

上代語に見られる特殊仮名逍は時代が下るにつれて乱れてくるのであるが、 有坂秀世防士の論文「新横字鋭に於 (I) けるコの仮名の用法」 付載の和訓にも、 因にも苫及し、 から 、 コの仮名甲乙二類の掛 き分けのあること を指摘した。 有坂論文は上記事実の指摘に続いてその原 「他の文献では、 これよりずっと前から、 コの甲類と乙類との仮名の混用例が、 既に現れてゐる」 「新楔字鋭」の編者昌住が当時これを区別したものとは考え ず、 昌住が引用した古文献「殊にその序文に言 ふ所の私記の類の用字法の影櫻によるものではなからうか」と考えたのであ る。 更に同論文は、 「新撰字箪と略同 じ時代に出来た尾張困熱田大神宮緑起や延喜式に於てコの仮名の甲乙両類が、 正しく使ひ分けられてゐることも、 (L 一方、 川顧一馬防士「古辞世の研究」 やはりそれらが古文献を集成した紺は物なるが故であらう」としている。 はこれを受けて、 「参考に用ひた前代の資料の表記をその栂採用し てゐるポも明らか」 と し、 ここに至って「新撰 字鋭」コの仮名の甲乙二類の使い分 けは昌住が引用したであろう所の和訓を記戟した古文献に存したもの が、 これ に反映したにすぎないと考えられるようになった。 これは現在ほぼ定説となっている。 そこで 本稿では有坂論文の 指摘する二文献、 すなわちどちらもコの屯3き分け を保存しているとされる所の「新撰字鐙」と「尾張国熱田太神宮

西

(2)

あると考えようとするためには 次0二つの条件の殺足されることが必要である。 すなわら なお結論 をさきに述べておくと、 「尾張国熱田太神宮緑記 」 は資料的に「新撰字鋭」と同一視できるものではな く、 従って「新撰字鏡」コ仮名の菩き分けは、 昌住自身に依るものとせざるを得ないということにな るのである。 コの仮名の魯き分けの問題を平安初期全般の問題としてでなく、 「新撲字鋭」のみに限って言えば、 これを考え て行く上での方法はほぼ二通りあると思われる。 第一は日白住が引用したと思われる和訓を記載した先行文献をさぐ り出し、 そこに見られる和訓と「新拇字鋭 」 の和訓とをつき較ぺ、 その用字法を検証してゆくやり方である。 これ は直接的であるが故に最も有効である。 しかし昌住が「新横字絞」に記載している和訓は多数にのほっており、 従 ってその先行文献もかなりの数にのぽるはずであるから、 それら多く の先行文献が現存している可能 性、 もしくは 発見される可能性は極て少いということにな る。 そうであるならば、 前述の問函は酢決に向かって一歩もふみ出さ ないということになってしまうのである。 ましてや昌住がその和訓のことととくをそ れら先行文献から引用したの ではなかったとしたら、 又その可能性も充分あり得るからこの方法は実際的にはそれ程有効な方 法とは言えなくな る。 第二の方法は有坂論文の言う所が成立す るための条件を考え、 知られている文献のみを使ってこの条件の適否 を考えてゆくやり方である。 この方法は従って、 多少 とも形式論理的となり背即法的ともなるのである。 だが「:

...

..

である」と言い得る第一の方法が実際的な有効性を持たない以上、 方法も、 それなりの有効性を持つであろうと思うのである。 さて「新撰字鏡」に見えるコの仮名の困き分けの原因 を、 昌住が引用した先行文献の書き分けが反映したもので 縁記」とをとりあげ、 右の 考え を再検討してみたいと思う。 「少くとも

...

..

でない」とする第二の (今回は「延喜式」にはふれない )

(3)

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(4)

この表を見てみると、オ、ケ、 互用率を持ち、 、’/ 、’ノ ,、 o o l o

ヽ� 六IIL3団 礼531 呂8610 和1

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7 2 、ユ ヨ、レ、 名しか用いられていないというととが解る。また、 (語頭の仮名は賂迎されているとす ェの衣江(コの古己子の氏天、ミの弥美、キの井為が各々高い その他は、サの佐左、シの志之 、チの知地、フの不布夫を除いてはほとんど互用されることがな ったということも解る。従って天治本「新撰字鋲」に表記されたものを見る限りでは、仮名はかなり盤耶される頌 向にあったのではないかと言うことができる。つまり昌住が用いた仮名の範囲はかなり狭いものであったわけで .る。ただこれが昌住 忍識であったとは、この結果だけではただちに泊断できない。語頭の仮名とその他の箇所に ・用いられた仮名との閥に、明らかに整理の跡のうかがわれるような閲係が見い出されれば、 住の応滋であったとする証明のひとつにできるのであるが 21 60

‘,.‘ この照削の低向をも固 しかしまれにしか用いられていない仮名であるにもか かわらず、語碩に用いられた例も多くあるので賂郎 の跡があるとは国えない。 88 (I 00) ヱ、ヲは 同一の音に対して一種類の仮 ‘‘、 ヽJ, ヽ'、 ヽ' ヽノ ‘‘、 ヽノ 5 ヽノ 、’‘ ’, 0 ) l 4 ) 0 0 5 4 ) 5 0 3 0 0 3 利3010 留29q 94面323米?け目2" 毛1691母l虹 也194夜6“ 由51ー 与771 良34団紐IOJ郎ー0 9 ヽ\ ヽー、 、’、 ( ヽー‘ ( ‘_、 、’’ ,. ヽー' ‘_、 ヽノ ヽ'‘ 、’、 _‘ 烹1131奴711祢659念ー1 乃31波468Hl皮13切婆ー切 比3955非

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可2CJ我?① 支 3 0紀ー0 久3( l,( ( の表示は前に同じ) (数字 坂論文を是とするための条件日g]に関述して、 ’, .•.. , ..... 祀頃 二合止之 古 呂(下序) ,

•••

•••

•••

和良は奈利(上五) 類も 少数しか見えず、専ら和訓注のみなのであるが、 ここにあげた例と磐余 「己下随見得耳」の括叙は、ことわり裔 の如く意にまかせて蒐集したもののようで 、他の筋所とは異り音注義注 の 伊波礼との外は「盆異記」と対応 するものは見 あたらない。 しかし ながら「新掘字鋭」和訓の出典として知られる例はとく少数なので、前述した有 「困異記」訓釈に用いられた字音仮名を賂理してあげてみたい。用 いた本は国語資料として最も信用できる輿福寺本である。従って上巻のみに限られるのは止むを得ない。 如許 蝦夷 衣比須(下二二) ., ..•••• , .•. ,. 二合己之糾許曽(下三七) 何作 のととくであって、往来

祀頃.年 己 呂 ヽ 良志己曾波 99 9 9 t . , ' , . 何作 伊加々世牟 (傍線は訓) 蝦夷 衣比須 氣調 弥左乎 蛮蒙 訓とが見えるので有名である。すなわら 気濶 屈伸也 を除いて他 は次の「霊異記」訓釈の語鋲とよく一致する。 99 9 ● 9 9 9 ,

9 9 9 9 9 9 和可支和良波止毛 往来

る指摘もある。)ただし濁音仮名と思しきものを除くのは言う までも ない。 三佐乎(上十三) .. 二合伊可滋世牟(中二七) 窟 .. ,',' 和良波(上三) 9 9 , 屈伸也 如許 己々 さて「新撰字鋭」巻十二「己下随見得耳」の末尾には「宙異記」の訓釈から引用した と思われる一述の檄字と和

(6)

現存していない故に 興福寺本「山異記」に用いられた仮名の総数は九百字あまりであって 、 「新擢字錢」に用いられた仮名の約十分 の一ではあっても 、 その用字法の両者の愧係は 、 かなり整理されているという点で類似が認められる。 なわち紀師頁数刀仁が破飛備なども当然とりこまれていなければならなかったはずである 。 このような仮定をした のは 、 前述の如く国住の引いたであろうと思われる所の先行文献の何たるかがほとんど知られ ていない 、 あるいは 記脱泄之字 一番緑の ありそうな「小拉異お」を用いて敢えてしたことなのではあるが 、 だが「引用したの であろう」とする有坂論文の推理を肯定するとしたならば 、 「m叩異品」などの訓釈やら音義内の類を引Jflしたにま ず迎いなかろうから 、 木稿の推論に大した刷迎いはおこらないだろうと思う。 更には住はその序文の中で「珪ば卯私 史陪花批」と酋い 、 これが有坂論文の推理の根拠となっているのであるが 、 もし今仮りに 、 日住が兄 たのではないが見ればこのようなものだったろうと思われる小川本「新訳泄厳経音義私品」に川いられた仮名 を例 にとれば 、 条件口を滴たすものはほとんどなくなる。 すなわち「新横字鋭」には用いられない仮名の利類が「戊芯バ 記」訓釈よりも更に培えてくるのである。 央何奇技伎気偏後士祖序智硯刀斗那尼年能飛閲延淑穎汗廻は 、この当義内 m四異品」から多くを引川したと仮定すれば 、 条件いに照らして 、 「新撰字鋭」には川いられていない所の仮名 、 す あげた例以外には国任が「出異記」から和訓を麻接に引用した形跡はないのであるが しかしもし仮りに日国住が「 一方さきに 、� ‘,/ ヽ'’’ 155美724三4日未ー①弥ーい ( ( ( 、_/ ‘,/ ヽー、 0 0 0 0 9 0 " リ80 ー 良 11 不31 ( ( ( ) 、’ノ 留158流

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(7)

-①古訟叫此酋 ®硝比庶利 ③伽餓奈倍氏 具佐那岐 すると に用いられていて「新撰字第」には見えない仮名の例 である。 そうしてこれらの仮名は小川本 の 成立したとされる 奈良末の、 かなり上代的な仮名の種類を伝えてい ることが見てとれ る。 ということは畠住の用いたJTl字法は、 畠住 の生きたその時代、 正確には序文に首う所の窃平から呂泰年中にかけての用字法の相をあらわしているのではない かとい うことになる。 しかし有坂論文は「尼張困熱田太神岩紺記」をも例証に用いているので、 勅被丹下脊社緑記 (以下「然出緑記」と略称)はその謀甜に「突平二年十月十EH 熊灼家木瓜芝者也 から別名「ャ地平緑品」とも呼ばれる。 Cの識語から有坂綸文 はその成立を「新撰字毀」成立と同じ頃とみ て、 これ を引合に出したのであろうと思われるが、 「熱m討記」の成立については実は閻凶が多い。 西田長刃閲士の諭文「 $ 尾張困熱田太神宮緑品」は主として洪 1 面に品された人物考証を通して、 この心を偽内であるとし成立を錬6初期で あろうかとしている。 幽田論文の足非は今はしばらくおくとして、 けているとされる「紺訊物」としての「熱田駐記」を用字法の而から検村してみたいと思う。 この問迎を検討し ここでは当面問頌となるコの甲乙両類を使いわ この緑記は正格の洩文で内かれていて、 中に歌謡と割注形式の和訓注とに字音仮名が用いられている。 以ド列淫 贋波垢須擬氏 削頭波虚々能咄 rII

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「尾張困然田太神宮緑氾」 てから結翁を出さねばならない。 異玖Jlj加梱苗心流 は項波滞埠伽埠 延久元年八月三El 大宮司従三位伊努守尾張術禰貝信」とあるところ 右大臣柚囚公 奉

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• 9 ④召姻者耶 ⑤衣初此云 禰牟等 乃共JL久 ⑦夜須渕志々 滋 部紀加佐拙 部紀多知溺祁流 ⑧余留美良乎 ⑨阿由知何多 斯辿 ⑥麻蘇義 乎波則切夜麻止 和例波母弊流乎 ⑪辿登面能 許知共知能 典利細か止 部紀多知浙祁即 和期ぷ“般芙 多伽比加流比切美古 妓美麻知何多浙 美也祀波 止保志1 比加弾削祗占波 ⑩辿波耶函 岐奴跛努麻斯辿 多陀溺布迦卯流 登許能籾滋 まず第一の問題は、 姑此云枯媒匹 ぷ須比 宇倍那字倍那志け仮 己 ル由不志保函 和多良部牟加毛 和例許牟止 11許佐留良牟也 削波租削祗占乎 辿沖暉佐般那流 比協部麻部佃努遠 比心部麻部 比8部麻都阿努辿 和質於閾斯 悧良多麻の 岐閉由久止志乎 和何祁努流 ぶ須比乃宇閉瀬 部留敲能多知 右の歌揺ならびに訓注が、有坂論文の.直うように紺ば物であるか否かで あるが、 一目見ただけで論じるまでもない程明臼である。 すなわち①⑤の澗往は出所不明 であっても②③④は明らかに「EI 本tn紀」からの引川である。「古小記」も向様の内容を伝えている のであるが、 用字注ならびに④の表記法によっ て「日本困紀」からの引用であると知れるのであ る。 囚に不せば「阿豆麻波夜」 (iie)「吾姑者耶 (6) (紀)。 ⑥⑦は「古叩記」所戦の歌謡によく似ているが、 全く同一というわけではない。⑧⑨は出典の明らか でな 比多加知消 竹能多知波夜 和例波母弥流乎 夜麻乃加比由 等美和多流 和伎毛古 (榜線叩者) 比登函阿削外波 多知波気麻 これはもう 娃此云菟尻」 阿佐部紀ル其仕久 祉必比佐浙 災占麻知何多 昆何波乃波官曽 那何祁西流 忍須比乃字nlTl溺 阿佐都紀 多和夜何比那乎 麻 脚

(9)

-8-いものである。 前述の西田諭文は、 ⑥⑦⑧⑨を今は伝わらない所の「尾張国風土品 」 の伏文であろうと推定してい る。⑱而はいうまでもなく「古事記 」 からの引用である。 つまりは「熱田稔記」は明らかに紺ば物なのであって、 これを疑う余地はない。 それでは紺話物というのは 用字法の面で一体どういう屈性をそなえることになるのであろ うか。「熱田緑品」を資料とする限りに於いては 、 出 所不明の①⑤⑥⑦⑧⑨を今はひとまず除いて、 その他のもの はほとんどその一字一字に至るまで原本に忠実である。 ただし極細かな部分、 たとえば一例をあげると⑩⑪)に於い 函と適、 於と樅、 のような迎い、 又、 郎と部、 甜と流(後者いずれも「訂正古訓古巾祀」)の二例 程の迅い は認められる。 記紀のその他の伝本と各々対応する部分を更に比較して みても、 なの であって、 それ 故ここでは例屈を省略する。 その結果は右と大向小沢 つまりは出ほ物としての「然田紐●北」はかなり な程度の正確さで 原本を引用しているので あり、 従ってその結果の反映として、 引用文献恒に異る用字法の体系を持つという屈性を 示している。 このことは逆に出所不明とされる歌謡®⑦⑧®を考察する際の 手がかりとなるかもしれないわけであ るが、 それより前に第二の問起として有坂論文で苔う所のコの仮名の甲乙両類が止用されているか否 かを、 出所不 右の斑料に澗音も含めてコの仮名が用いられているのは十五箇所である。 用いられている仮名は、 占(甲)虚許 其期己(乙)の六字である。 その うら⑨に一例用い ら れた「阿禰 古」とい う語はここより他の文献に用例を見ない 紺であるので多少問凶もなくはないのであるが、 しかしこ の語をCく常狂的に「姉子」つまり「古」は愛称を表わ す接尾辞と解するならば十五例全てit用されているという結尖 を得る。 すな わち付坂論文の. i 国う所は右の結果に照 らして正しいと一占い 得るのである。 というCとは他方では「然田緑de」は脳認物なるが故に右の結果を得たのであ ってみれば、 コの仮名以外の他の仮名にも当然印乙二類の再き わけが見られるのではないか と疑われて来るのであ る。 この点を第三の問凶として採りあげ、 前述の⑥⑦⑧⑨の歌謡の出所「比張恨風土記」説とも肉述させながら考 明の歌謡をも含めてまず確認しておくことにする。 ては、 遠と没

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夜頭向レ厠 1 一随レ身剣 1 掛ーー於桑木一 逍之入殿': ',', 因以立レ社 由"郷為レ名也」 熱田社者 昔 日 本武命 「釈日本紀」巻七には次の記事が見える 。 要.ー尾張述等遠祖官酢媛命 そこでまず 、 全く問題がないと思われる箇所は最初から除外しておくことにしてそれを示すと 、 用例にはどこし た傍線部分となる 。 右側の傍線が甲類 、 左側のそれが乙類であって各々正用されていることをあらわしている 。 甲 乙二頚の判定を要する箇所―一七例のうち 、 問題なく正用されているものが「阿禰古」も含めて考えるならば一〇 七例である 。 すなわち 、 キギケn ·nノペメヨは多少とも問超のある残りの一0例に該当しない仮名であるので 、 従 って以上の仮名は甲乙二類の書きわけがあるか 、 もしくはどちらか一方であっても正用されていると言い得るので される部分に集中しているので 、 ある 。 多少とも疑問のある残りの一0例を検討すれば 、 正用の例は更に増えるであろう 。 以下これらの例を検討す るわけだが 、 これら問題のある一0例は⑥⑧⑨に限定されている 。 すなわち出所不明あるいは「風土記」伏文と目 このことからまず述べなくてはならない 。 「尾張国風土記日 巡歴東国迫時 __ _ 「 熱田縁記」本文には見えて記紀には見えないことでもあるので 、 宿 一於其家一 西田 論文 はこ の 記 事を 根拠と し て 「 尾 張国 風 土記」 侠 ザ文だと思わ れ る本文をあげ て いる 。 . そうし て ⑥ ⑦⑧⑨ の歌 謡もその中に含まれる 。 「釈日本紀」の著者卜部兼方は「尾張国風土記」 以外にも多くの風土記を引用しているの で知られるが 、 そういう点からして 、 もし「釈日本紀」の記事を信用するとすれば 、 確かに「夜頭向厠」の記事は これらの歌謡が 「 尾張国風土記」を出所として ・る可能性も充分にあり得ると考えられる。 更に次のような点 からも右の考えを認め得るのではないかと思う。 す なわち 「 熱 田緑 記 」 の 作 者は様々な話 の内 容を熱田 社、 宮 酢媛中心に集成し、 話 のつ じ つま を 合 せ よう と 苦 心し て えてみたい。 -I

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0-いるのであるが、 その時⑧⑨の歌謡を引用する筋のはこびに、 不自然をおかしているふしがうかがわれるというこ となのである。 つまり、 東征の後日本武尊が宮酢媛の宅に再度立らよった 時、 婚わんとして歌をあわせるのである がその時の最初の三首に続けて(記では二首となってい る)不自然にも⑨ を更につけ加えているのである。 これは たとえば宮酢媛との最初の出合いを「古事記」が「乃雖思将婚 亦思 .. 遥上之時将 婚」とするのに対して「熱 田緑記」は「側見__一佳脱之娘ー 問__其姓字一 知 1 一稲種公之妹名宮酢媛一 即命二槌柚公一 聘ーー納佳娘ー 合逢 之後 寵幸固厚 数日滝留」としているが如き、 そ ういぅ宮酢媛を強調せんと する作者の意図が原因 になって生じ たものだと思われる。 (紀は最初の出合いを「

tp

姿.ー尾張氏之女宮笠媛. 而滝留践 9 月」としているが、 そのか わり再度の出合いの方は「愛不 入 .. 宮喪媛之家.」とし、 従って歌の応答もしてい ない。)そうして「然田緑記」 の作者はこの不自然を解消するための理由として、 ⑨の歌は「先'是日本武尊於.ー甲斐坂折宮 1 有'亦i:一宮酢媛 . 」この時よんだものだとし、 更に続けて「此数首歌曲為 .. 此風俗敬.矢」とするのである。 ということは翻って 考えてみるに、 このような苦心をして作者が「為此風俗歌矢」といいわけしたも のこそ、 逆に殴初からの風俗歌で はなかったのかと疑われるのである。 とすれば「此数首歌曲」はオーラルな原形のままを、 作者が面接に収集した のだとは用字法の正確さなどから見てむろん考え難く、 従ってこれらの風俗歌の記載された何らかの文献から引き 写したと考える他はなく、 その文献にまず第一に該当するものはと言えば「尾張国風土記」ということになるであ ろう。 少くともその可能性は充分にあり得ると思えるのである。 では「 此数首歌曲」とはどの範囲までを言うので あろうか。 むろん⑨は含まれるに迎いないが、 他は不明である。⑥希)⑧⑨は出典に照らして確認する術を持たない ので、 共通に用いら れた字母の各歌毎の一致度を統計的に朗べてそ の感触を得るという程度のことしかできないが、 以下参考までに記すと次の如さ結果となる。 ⑥と⑦とは共有する音は二九音。 そのうち両者共に同じ音について同 じ文字の用いられている音は二八。 各々に異る文字の用いられ ている音は一o.併って面者の異り率は1-29 となり

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て い る 。 腕を」 「毘」は次の「波(羽)」から考えて明らか に 「久毘(約) ⑥ 3彩であっ てよ く一致してい る。⑧と⑨とは同様に して 2-14 、 14彩。⑨と⑥⑦とは 4-15 、 2彩。⑩⑪と⑥希)と は 7-19 、 37彩。⑨と⑩⑪ とは 4-10 、 」もしくは「久々毘」の久が誤脱したものであろう。 40彩である。 以上のことから苔えることは「此数首欲曲」はせいぜい⑨と ⑧ま で で ( 数首と•い うか らには⑨以外に少くとももう一首は含まれねばならないから⑨に最も一致率の底ぃ⑧と い う こ とになる)それ以上の ことは言えないということである。 なお⑧而)は従来内容的に「古償記」類似の歌謡と言 われて来たのであるが、 用字法の面では⑨と ⑩而 程度の迎いが見られる。 つまり、 のあ

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⑩⑪のように出典の用字 法を忠実に写すのが「熱田緑記」の作者の態度であり、 また問起例十例を残す他の全ての特殊仮名逍が正しいとこ ろか ら推して同様に⑥⑦⑧⑨の用字法も忠実に写された可能性が高いから、 ⑥⑦の歌謡の「古

m

記」を出典とする 患謡⑩⑪との異り率31彩は、 出典が「古01記」でないことを示しているように思 う。 因に出典の述いの既知である ⑨と⑩⑪との異り率は前述のように40彩である。 さて次には多少と も問函のありそうな十例に検討を加えてみよう。 毘何波乃波宮円 であろう。ぎ一はめの羽から述想して「羽細」と解することも可能である。 であることは動かぬから、 その湯合の「祖」は乙類でなくて はならぬ。 曽 は 乙類の仮名であるからこれは正用され いずれにしても「窟itl」は「細」の意 従ってその場合「毘」は甲類でなくてはならない。 毘は甲類の仮名であるの で正用 さ れている。「波宮

n

」は二通 りに考えられる 。 第 一 は「 ヒハ ホソ 」 のヒが誤説したもの 。 「ヒ ハ ホソ 」 は 「 とかさ まに さ渡る閲比波煩曽たわや (記尿行)などと用いられ平安時代に「 ヒハヤカ」などの形で見られ る「ヒハ」と「細」との複合語とされ る 。 弱々 しく細 い 様をあらわす語である。 「久毘」の久が誤脱した例もあるから「ヒ」が誤脱したと考えても自然 -]

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2-この語もこれ一語しか見えないようである。 義は内転第四淵合止損三等の字であって推定音価〔Ji2 母音を持っため、 我国では「ぎ」「げ」の仮名として厖く両用 されている。 従ってこの場合は「まそぎ」「まそげ」 両形考えられるのであるが、 しかしこの場合は恋味上「真若」であろうから、 であろう。「菅」は上代語に「すが 」「すげ」の両交替形とも現存しているから、 ものと見ることができる。すなわら「まそげ」は「ますげ」の ⑭母音が⑥母音に交替したも のと考えるわけである。 しかしGilが⑥に、 ある いはその逆の交替は埋品的には 可能であっても、 い。 仮りにこれをek3の交替 例と認めるならば、 類となって各々正用されているということになる。 和多良部牟加毛 乎波理乃夜麻止 「まそげ」は「ますげ」に近い いう 「尾張の山と」であろう。 その場合「と」を「処」の泣と解すれば甲類となって異例となるが、 体言に連接する 助詞「と」と解すれば乙類となって止の 仮名はiE用されているということになる。文脈上もこの方が自然である。 尉和多流 「卜.ミワタル」の「卜`t」は「飛ぶ」の子音が交替したものと見ることができよう。すなわち⑮と国との交替例 であっ ちら も両唇音であるから、 交替しても不自議で はない。ただ 上代紺に「飛む」はこれ一例しかないよ うである。「狭ゆ飛み渡る約」の意と解されるから意味上も不 自然ではない。 又「飛ぷ」と「渡る」とが迎接する のも祁である。そうだとすると「飛ぶ」は四段動詞であるので、 「トミ」の「`し」は辿用形活用語尾となり、 甲類 に該当するはずで ある。 芙は甲類の仮名であるので 用字法として正しい。また等も乙類であって正しい。 麻蘇義 これを「まそげ」と解す るのがよい これを上代語の薙例であるとは断酋できな 「麻蘇義」はその早い例となり、 従って「蘇」は甲類、 「義」は

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四 なくてはならぬからこれに部をあてるのは異例となる。 ―和多良部」は動洞「渡らふ」の未然形であると考えられる。 また「渡らふ」は「渡る」に再活用語尾「ふ」の 連接したものである。 ところで、 二段活用となること も知られる。 今「和多良部」の例は明かに下二段活用であるので、 「ふ」は通常四段活用語尾となるが、 まれに上接する動洞が下二段の場合は、下 「ふ」の上接する「渡る」 も下ー一段活用でなければならぬが、 本来「渡る」は四段であって下二段の例はない。 従って「和多良部」はその活 用形式自体が異例となる。 もし無理にも下二段動詞「 渡ら ふ」を認めたとしても、 未然形活用語尾「へ」は乙類で 以上見てきたことから解るように 「 熱田緑記」は甲乙両類が密きわけられなければならない仮名ー一七例のうち 前述の一〇七例と更に今回の七例とを加えた――四例が正 用、 もしくはそれに矛盾 し ないことになるのである。 換 言すれば、 解釈不能の「部 」 と仮名表記例を見 ない ため甲乙判定のできなかった固有名詞「比加強」との三例が所 有しているところの仮名、「 ヒヘミ」 を除く「キギケゲコゴソトノペメヨ」の十二の仮名 が、 密き分けられている (7) か、 ある いは一方であっても正用されていると言えるのである。 「熱田緑記」は成立ならびに一部歌謡の出典に問題はあるものの、 顧話物と して先行文献を忠実に 写したがため に、 コ以外にも多数の特殊仮名辿正用の跡をとどめた。 しかしコの仮名のみに限ってみたところで、 それが保存さ れるためには、 やはり先行文献の忠実な転写は必須である。 論のはじめに示し た条件日が、 単なる形式上の仮定で はなくて、 事実として必須であることを「熱田緑記」は証明して見せているのである。 という ことはつまり「新撰 字鋭」コの仮名正用の保存が、 先行文献の用字法の反映した結果だとするためには、 当然絹者昌住の転写態度は、 条件Hを満足させないわけには行かず、 そうしてもし仮りにこれを満足しているとするなら ば、 二章で述ぺたよう -14一

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ある エ「群宙類従」所収 (上「群困解題」所収 (上「時代別国語大辞典上代筒」は資料耕説の中で、 エ「国語学辞典」所収国語年表「熱田緑記」の項 も、 有坂論文同様コの仮名に害き分けが見られるとしてい 本稿をなすに当り大友伯一先生はじめ多くの方々から御教示を得ました。 記して感謝します。 (↓ 同右 同古六0頁 注. (1)「国甜音畝史の研究」所収 す} ヽ’.,. , ヽ ・ 住自身に依るものとする以外にないということになるのである (岡山大学大学院文学研究科) な結果があらわれるはずがないということになるのである。 に是とするにしても、 条件口に合致する文献ははとんど考えられないから、 股終的な結論としてはやはりこれを囮 これを「日本宙紀」に類似のものとしている が圃迎いで 一歩引いて、 条件日を粒し、 かつ二迂の結果をも同時

参照

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