Prefeotural College Foreign Studies
『
シ
ス
タ
ー ・キ
ャリ
ー』 と
ドラ
イ サ
ーの
美 的
自然
主
義
木
村
正
俊
1
The
。dore
Dreiser
(1871− 1955
)の文 学は アメ リ カ の naturalism (自
然主義 ) 文 学の頂 点に立つ ものとし て位 置づ け られ るの が
普
通で ある。1890
年 代に フ ラソ ス か ら移入 されたZola
流の客
観的
,科
学 的 naturalism はFrank
Norris
(
1870− 1902
) やStephen
Crane
(1871− 1900
)な どによっ て次
第
に成 熟 を遂 げ,Dreiser
に至っ て ひとつ の 極点に達
し,
アメ リ カ の土 壌に定着
する ことに なっ た。
Dreiser
に先 行 するN
。rris やCrane
は naturalism の初 期の 生 硬さ が少
なか らず
残っ てい るの に対し,Dreiser
に は完
成 者とし て の円熟さ が備わっ て い ると思われる。Norris
は 野 心的な実 験 小 説 家といっ て よ く
,
フ ラ ン ス の naturalism をア メ リカ に移
植させ よ うと必死に なっ たが,
志
遂 げるこ と な く他 界 した。 彼のMcteague
(1899
) は ア メ リカ最 初の本
格的 な自然 主義小説とい われるだ け あっ て
,
遺 伝や環境
に よっ て破滅
する男
の すさ ま じい 生涯 が書 きこ ま れてい る
。 ま た,
Crane
は, その鋭い直 感 と豊か な想 像 力とに よっ てMaggie
:AGirl
ofthb
St7’
eets (1893
)やThe
Red
Badge
ofCourage
(1895
)の ような 環境
の作
用の大 き さを示 す 自 然 主義
的 作 品を書いた。Norris
とい い ,Crane
とい い, naturalism の創 作原 理 をよく守 り生かし た ・ い か に も naturalistic な作品を 残した。 そし て
,
Dreiser
は,
こうし た先輩
作 家た ちの 跡 を 受 け, アメ リカ の naturalism を 確立 し,20
世紀
ア メ リカ文 学の基 礎を築
くとい う大 役 割 を果し たのだが,
Dreiser
の場合
, naturalism の 枠に完
全にお さ まる作品 を書いたのか とい えば,
必ず し もそ うとはい い がた く, naturalism か らeよみ出し た, む しろ anti
−
naturalism,
ある いは symbolism といっ て よい要 素が多 分に
あ
る作 品 を 書い たのである。もちろん・
Dreiser
は基 本 的に naturalism の作 家であり, ほ とんどの 作 品は naturalistic である
。
また,
表 現 も ぎこ ち な さ や間違
いが あ り, 決して作 品 その もの に は完
全 性は認めが たい。
し か し・ それに して も・
Dreiser
の文 学に はNorris
,
Crane
等の文 学に は ない,
ある種の豊か さと 円熟さ が そなわっ て い る。 円 熟 した 文 化が異
質の ものを 包含
す る統合
性 を持つ よ うに ,Kanagawa Prefectural College of Foreign Studies
NII-Electronic Library Service
1Kanagawa
Prefeotural College of Foreign Studies『シ ス タ
ー・
キ ャ リー
』 と ド ライサー
の美的 自然 主 義Dreiser
の小 説にも純 粋な 自然主 義に みら れな い異 質の美
し さ が』
ある。 つ ま り,
単な る環 境や遺伝な ど に よ る決 定 論 的 な 分 折て は捉えきれ ない, 複 雑な諸 要 素の絡みあっ た
美
し さ が出てい る。た とえ ば,
An
American
Tragedy
(1925
)の 場合
, 主 人 公Clyde
Griffiths
が環境
に翻 弄 されて敗北 し
,
破滅
して い くとい うス トー
リー
の 中に,Zo
正a な どの い う自然 主 義の格
好の例があり,
キ
の気に なれば, 彼の心 理 と行 動を病 理 学 的に解剖
し た り,
ま た,
彼の遺 伝 性を探
るこ とに
よっ て個人悪の根 源を突 きとめ た り で ぎよ うし
,
さらに ま た,
社 会 環 境を分 折 すること によっ て社 会 悪の根 拠 を 指 摘す ること すら で きる で あろ う。
Sister
C
αrrie (1900
)の場合に おい て も,
Hurstwood
の破滅
を同じ ように説 明 するこ.
と がで ぎる はずである。 だが,
Clyde
やHurstwood
を描く
Dreiser
の作家 とし ての姿
勢は単 純に 自然 科 学 的な分 折 方法に徹し, 対 象 (登携
人物 ) を突 き放し て い るだ けの もの とはい いが た く,
む し ろ,
そ う し た realist の態 度を捨て て, 作 中 人 物の状 況に 没入し, 同情 し,暖
か く見 守る よ うなとこ ろがあり,
そ れゆえ に他の 自然主義の作 家たちの作品に はみ られ ない , ある種の人 間 的な や さ し さ が感 じ られる。Dreiser
どい え ばすぐ金銭と名声 とい っ た物
質的な 面で の 成功を夢み た作 家の よ うに受け と ら れ, その作品 も単に機械
的 な 人 生 観に裏づけ ら れ た,深
み の ない も もの よ うに受
け と ら れ るき らいが あ るが, 実は humanistic な, あるい に
idea
王istic
な要 素が多 分に み られる内容の濃い もの で ある。 た と えぽ
,
Sister
Carrie
に登 場す る技 師AmeS
は 「成 功 」へ の途 上にある
Carrie
を批 判 するこ とによっ て,
Carrie
に幸福
と理想
の 真の意 味 を 考 えさせ , 自己検
証を迫
る。 こ のAmes
の登場 とCarrie
に spirituality を与える とい う彼
の 役 割は,
Dr
巳iser
自身の精
神 的 な ものへ の志 向の表明に他 な ら ない。 以 上のこ とか ら判 断して,
Dreiser
に は naturalism で は規定
で
き
ない, アメ リ カ的 な romanticism や optimism が流
れてい ると考 え られ,
こ う し たDreiser
の複 合 的な 性格を解 明し なけれ ば
,
その 中核は 把 え が たい とい うぺ きで あろ う 。 要 するに,Dreiser
の 夊 学に は既 成の文学 的概念
で は お さ ま りの つ か ない 本 質 的な複 雑さ と美しさ を持っ て い るの であ
る。Dreiser
の文 学に は20
世 紀の文
学
に 特 有の人 間の不安 定感
や 自己喪 失 感と い っ た テー
マ も盛 り込まれて お り, 単に tin terms of sociology’
で は解 明し がたい, 底
深い魅 力が ある。Dreiser
の文 学は70
年 間の 時 を 閲し てな
お読
んで味
わ うに耐 え うるもので あ り, 今や新 し い世 代の読 者に よっ ても高
い 評 価 を 与 え られ るが, その美 的 な自然
主義
の もつ 力 強さの秘 密は十
分に考 察 され てい るとはい い がたい 。 こ こ で は, 主に
Dreiser
の 処 女 小 説Sister
Carrie
に焦
点を当てながら
,
Dreiser
にみ
ら れ る社 会 的 関心や 小 説 家と し ての真
摯な態 度 を明 らかに し たあ と, 彼の持 っ七
い る精 神 性や 入間 的なや さし さを 考 え,
結 果 的 に彼の美 的 自然 主 義, さらに アメ リ カ に おける自然 主 義の豊か さ を提示 し て み たい 。 そ れは ま た,
文 学 作 品とし て のSister
Carrie
を再 考ず るこ とに他 な らず,
Dreiser
文 学の再 評 価に も通 じ ることになると信じる か らである。一
2一
N工 工一
Eleotronio LibraryKanagawa Prefectural College of Foreign Studies
1Kanagawa
Prefeotural College of Foreign Studies『シ ス タ
ー ・
ヰヤ リー
』と ドライサー
の美 的 自然主 義皿
‘
It
is
atrl
{ebook
in
all senses ofthe
wordj とFrank
Norris
が激賞
してや ま なか っ
た
Dreiser
のSister
Carrie
は ま さに世 紀の変
わ り目1900年
に刊 行さ れ た。 作 家
Dreiser
の 出現が
20
世
紀の ス ター
トと共に起っ た ことは まこ とに意 義 深い。Dreiser 自
身が書
い て付したSister
Carrie
のModern
Library
版の序 文に よれ ば, ‘The
American
mass mind of thatday
,
_
washighly
suspicious of any truthfulinterpretation
oflife.
’ということで あり,
当
時の アメ リカ国 民がアメ リ カ の 真 実の 姿を知 り た く思っ て い た こ とは 明白である。 お そ ら くNorris
が‘
true ’ を 強 調してい るの も同 じ意
識が働
い て いた からに ちがい ない 。 アメ リカ国民が人 生 を 真の 目で み つ め たい と感じた 背景に は,
当 然な が ら真 実で ない 人 生の提示 が, 少く とも文学作品 の上 で, 行なわれて い た とい うこ とであ
ろう。 真 実の姿 を 虚 偽不正で隠蔽
し,
歪曲す
る とい うこ とが横 行 す れ ば,当
然心あ
る国民の間に は真実
を求め る 欲求が高まっ て くる。Sister
Carrie
を 生んだ 当 時の ア メ リカ社 会に はイ ギ リス のVict
。rianism の変
種で あり, アメ リ カの
Puritanism
の浅 滓 と もい うべ き「
お 上 品 な伝 統 」 (genteel
tradition
)
カミ根
強 く残って い た。 旧道徳が 幅
を
ぎかせ,
人々 は堕 落 や 腐 敗 をまの あた りに 眺め な が ら, そ れか ら 目 を そ ら し, うわぺ だけの上 品さ を保とうと してい た。 しか し, ア メ リ カ社 会の病 弊は, もはや「
お上 品 な伝 統」
で 守り きれ ない とこ ろまで悪 化 し て お り, その腐臭
のひ どい 表 層 を切 り裂いて病 根のあ
りの ま まの姿を覗か せ て くれる, いわば度 胸のよい 外 科 医のよう な 「真 実 を語る作 家」 が必要 と さ れ て い た。 その ような 作 家の役
割はすで にNorris
やCrane
に よっ て一
部 果 されて はい た も の の, 彼 らの小 説には表 現の生 硬さ は もと よ り,
結 末の示し方な どに歯
が ゆい ほ どの 弱さが残ってい た。
20
世 紀の幕 あ けに こ のSister
Carrie
をひ っ さげて登場したDreiser
が, 先 輩作 家以上に 真
実
を語ることができ,
アメ リカ の, 真に ア メ リ カ的な作
家 とな りえた の は, アメ リ カ が彼
を 必 要とする よ うな状 況にあっ た か らで
あ
る。 アメ リ カが naturaliSm を生み,
育て て い くの にきわ め て
都合
の よい現 象を 呈 し て い た こ と,
い い かえ れば, アメ リカの社
会 が naturaliSm の文学に
適合
す る生々 しい 素材
を多 く提 供して くれた ことは,
小 説 家Dreiser
誕 生に はまこ とに ありがたい こ とであっ た。
ア メ リカ の objective realism と ethical romanticism の 作
家 Hamlin
Garland
は 1860 年に
Wisconsin
に 生 れ た が,
その頃は theCivil
War
の後
遺 症が残っ てい て, 南部では戦 争の苦 痛と 厂再建 」 期の混 乱 とか ら立ち直ろ うとし てい た し, 北 部で は工場と機 械とに その経 済 を 適
応させ よ うとし てい た。 もち ろん, アメ リ カの
6
割 を占め る西部で は まだ 大 半が未 開の広 野であっ た。 ア メ リ カ国 民に とっ て 西部は
the
Golden
West
であり,
the
land
of wealth であっ たKanagawa Prefectural College of Foreign Studies
NII-Electronic Library Service Kanagawa Prefeotural College of Foreign Studies
『シ ス S
− 。
? ヤ リー
』 と ドライサー
の美 的自然 主 義 か ら, 自由 と幸 福 を 求め て ア メ リカ 国民が 西部へ 向って移 動 し てい た頃は,Garland
の小 説 の初期
の ものをは じめ,
当 然 romantic な 西部や伝 統 的 な 南 部を扱っ た作品 が多
く生 れ た。ところが,
1890
年 代に な る迄に, 西 部は一
変し て しまい, ア メ リカ 全体
に わ た っ て重 大な変
化 が急 速 aere こっ た。 産 業主義の支 配,
科 学の進歩,
西 部へ の移 住の行 ぎづ ま り, フ P ソテ ィア の 消 滅な どに よ るアメ リ カ の危機
的状 況は ま た た く まに深 刻 化 してきた。 拡 張 するア メ リカ,無
限 の力を持つ ア メ リ カへ の信 頼は失なわれ, 民主 主義
の挫 折 現 象がみ ら れ,
人心は不安 と危 惧の 念 をっ の ら せ る一
方 と なっ た。 こ こ に至っ て, アメ リ カ社 会の現実
を文
学化し ょう とするWilliam
Dean
Howells (
1837
− 1920
)の ような realist が出て・
ぎたの は当然
であ
る。Howells
は‘
keeP
to
the
facts ofIife
’を文 学モ ッ
b 一
と し,
先 例の ない realistic novels を多数
書い た。 彼 自身の文 学 的 信 条は
Criticism
andFiction
(1891
)に表 明 されて いる が, そ れ は動 機,衝
動, 現実 的 な 男 女の人 生 を動か す 基 本 的 考 え
方
などを真実
の とお り記述
することであっ た。 つ ま り,‘
truthfulness to the American life’
こそ が彼の 文 学の 根 源に あ っ た の で ある。
Howells
の文学は materialistic で
debasing
であるとい うの で, 大 方のgentee
工tradition に と ら われた批評 家た ちか ら攻 撃され
,
非 難される 憂 き 目にあっ たが,
その realist と し ての功
績 と彼に続くGarland
,Crane
,Norris
な どの 文 学を 育て あ げた 役 割は きわめ て 大ぎか っ た。 ともか く,Howells
の活 躍 以 来, アメ リ カ的 optimism や伝 統 的 romanticism は 次第に reaiism に とっ てか わ ら れ るこ とにな り, アメ
1丿力文 学の傾 向は realism か ら naturalism へ と か わっ て い くの で
ある。 とい うこ とは,naturalism は
発
生的eC
romanticism へ の reaction と して 生 れた もの で
,
在来の主 導 的 価
値
観 とは ま るっ きり異
なる価値観
を持
つ もの で あるとい うことにな る。 romantlci $m→
客 観 的 realism→
初 期 naturalism とい う流れ を受
け と め たDreiser
は, アメ リカ社 会の巨大な力が容 赦な く人々 を押し潰し
,
破 壊してい っ た時 代の,
苦 悩に み ちた現 実の断 面を隠し き れず剔
出し て みせなけれぽなら ない重 大 な 作 家 的 使 命 を最 初か ら背 負わ されてい たの であ
る。とこ ろ で
,
naturalism の性
質に つ いて少
し検 討して お こ う。 ひ とくちに naturalism とい って も, その 内 容は決 し て 明 確な もの でな く
, 発
生に つ い て も不分明 なこ と が多い が, か な り早い 頃か ら realism
と 同
一
視される こ と が しば しば で あっ た。 た と えば,
フ ランス に おける naturalismの
最
も偉
大な実
践 者の ひ と りEmile
Zola
(
1840
−
1902
)e
ま‘
impressionist
,’
‘
realis ピ,
‘
actualist’
,
‘natura 工ist
’ を synenymously に理 解 してい た とい わ れ る し,Zola
の 高
弟
JGris
Kar1
Huysm
尹ns (1848− 1907
) も realism と naturalism を ほとん ど区別でぎ なかっ た ら しい 。 確かに こ の
2
つ の一isms
は 別 個の存 在とい う もの で もない し,
interchangeably
に
使
用 さ れ た と して もい た しか たない。 しか し, realism と naturalism は明らか に overlap する反 面,
完
全 に区 別さ れて しか るべ きとこ ろ があ
る。 だか ら,‘
Naturalism
does
differ
from
realism
but
is
notindependent
ofit
.
’ とい う説 明が行われる ことにも な り,
その類似
性 を「シ ャ ム 双 生児」
(
Siamese
twins )の よう だ とい わ れ る ゆ え んも ある わけである。 と もか く, 2−
4 一
Prefeotural College Foreign Studies 『シ ス タ
ー 。
キ ャ リー
』 と ドライサー
の美的 自然主義っ の
一ismS
’
の 問に は・外
側に ある物
や 出 来 事 を ありのま ま見た とお り(
あるい は起った とお』
り
)
,客
観 的に, 冷静
に描
写 し, 記 述 する とい う共
通性 が ある一
方, naturalism に のみあって realism に はない ものがあるの であ
る。 つ ま り, reaiism が 古来大抵の芸 術に存 在す る傾 向があ るの に対 し, naturalism はある特 定の 時 期, 歴史
的に 限定
された期 間一
強い て年 代 的にい え ば,19
世紀
後半
か ら20
世紀初
頭に か げて一
に集中
してあ らわれた とい うこ とであ
り,
しか も,、
その 描 写の 仕方
が, naturalism の方
が realism よ り一
層 極 端 な 形 を と り, 押しつ め てい くとい うこ とで ある。 naturalism が realism を
intensfy
し た もの となるの は, い う まで もなく
,19
世紀後半
か ら主 と し てDarwin
やH .
Spencer
,T .
H .
Huxley
ら
の生物
学 的進 化 論,.
ひい て は決 定 論の哲 学が革 命 的 影 響を与 えて きた
t
とに 大い に関 係 あるこ とであり, こ の思想
が 文学運動 と結びつ い て作 家の思 想 を 規 定 して きたか らである。 naturalism の 作 家た ちは当
然な が ら科 学 的, 客観的
眼で,冷徹
に物事
や 人 生 を 眺め る ようにな り, その眼が鋭 け れ ば鋭い ほ ど , 小説 の 性格は 狭 くて暗い もの とな る傾 向がある。’
It
〔
Naturalism
〕 conceives of a rnan as controlledby
his
instincts
orhis
passions
, or
by
his
social and economic environmentand circumstances
.
Since
in
this view manhas
nofree
wi11,
the
naturalistic writerdoes
net attempt to make moraljudgments
and as adeterminist
he
tends
toward
pessimism
.
’
naturalis 皿 の理 論で は運 命は個 人に
外
側か ら与
えられるこ とにな るの で, natura ]istic
’
な小 説の主人 公は 自分の意志
を 働かすこ と な く, つ まり自我
とい うものを持たず, 環境
の なすがまま に なっ てし
まう。 従っ て, naturalism は考え方
の明 確さ, 小説の テー
マ 性におい て realism 以 上の力を発 揮 する が, 他 面, その強
裂な 主張に と ら わ れす ぎる と 登 場 人 物たちの性 格づけ を狭め, 自由を なく.
し,
心理 的 単 調さ を招くことにな る。 実 際 naturalism の 小説 を読むと,
こ う した 弱点
がす
ぐ鼻
につき,
面 白みが な くなっ て し まう。次に naturalism の生 れた背 景を も う少し考 えて み た い。 naturalism は
19
世紀
の世 界 状勢
と無縁
で は ない。 い や,19
世 紀の産 業 革 命 以 後の‘
rapid and radical change ’ と大い に かかわっ
てい る。
産業
革命
は人間の環 境を変
えたばか りか , 人 間の 思想・
考え方にも転 回をもた らした。機
械
の発
達によ り, 生 産 力が高まっ た結
果, 工場の建 設,
労
働 力の需要
増, 人口移 動, 都 市の形成と発 展な どが連 続 的に
起
り,the
Progressive
Era
カミ到 来 した。 「拡
張 」の 波に乗
り, 物質的
成功をお さめ た者は富 裕
階
級と な り, やがて支 配層
を形づ くって い くの に対し て,厳
しい 労働
に も か か わ らず「搾 取」されて ますます貧
困化 し てい く 労働 階 級の人 もいた。持
て る者 と持
たざる者の 差 がはっ き りし, 征 服 する 人とさ れ る人が仕わけされ,
成 功と失 敗の明 白 な対 立があ らわれる よ うになっ た。19
世紀
の半ば以 後, こ うし た経済
的, 社 会 的 状 況が続い た た め,
・
当 然 ながら科 学 者 や 思想 家たち がその状 況を 理論 化して い っ た。 周 知の よ うに,Darwin
は1859
年On
the
On
’
gin
of
SPecies
by
meansOf
Natural
Selection
を出し て大議 論 を 呼び, さ らにDarwin
の理論かKanagawa Prefectural College of Foreign Studies
NII-Electronic Library Service Kanagawa Prefeotural College of Foreign Studies
『シ ス タ
ー ・
キ ャ リー
』と ド ラ イサー
の美 的 自然 主 義ら, tthe
survival of the
fittest
’ の言葉 をつ く り出したH
・Spencer
やT .
H
・
Huxley
が不 可知 論を打ち だ し た。 ま た, 経 済の分野か ら
Karl
Marx
がDas
愉 ρ洳 ♂(1867
)に よっ て’
determinism
の 枠づ くりを行なっ た。 こ れ ら一
連の 科 学 思想
はVictorianism
に対 する猛 烈 な攻 撃 となっ た。 そし て ま た
,
文 学の分 野で はZola
やHauptman
(
1858− 1921
)の作 品, さらに
Norris
やCrane
, お よびDreiser
の作 品 な どがあ らわれ,19
世 紀(
さ らに20
世 紀)
の 社 会状 況 を写し とっ たの で ある。 naturalism は こ う し た 「産
業
文 明」の 中から生れ た。 naturalismの作 家た ち は
,
産 業 革 命 以 後の激動 し,進歩
す る社
会の 混 乱に ま き込まれた弱い存 在と し ての人間の傷つ い た さ まを 冷
静
かつ詳
密に描 写した とい う意味
で, ま さ し く時 代の申
し 子で あっ た。さて,
Dreiser
のSister
Cairie
を改
め て世紀
の変 り目 とい う 時代背景
に投げ
込ん で考 察してみれ ば
,
ま さに naturalistic な作品, naturalistic であること を避 けら れ な かっ た作 品で あるこ と は
一
目瞭
然である。 つ まり,H
.
Spencer
やT
.
H
.
Huxley
の agnosticism を吸 収して科学 的実証 主 義 と人 生を生物 学 的 法 則の支 配す る 弱 肉 強食の 場 とみ る naturalis 亡
ic
な 人 生 観 があ ま りに もは っ き り と書
き込 ま れてい る。‘
J naturalistDreiser”
の 目が鋭 く光っ て,
巨 大なアメ リ カの産業
機 構の 象 徴= 大 都 会の現 実がありの ま ま,
そ れ も即物 的に,
生々 し く伝え ら れ てい る。 先に述べ たdeterminism
の定
式ど お り, 弱い存 在の人 間が本 能や環 境の力に押 し流され,消
滅 し てい く さ ま が, 作 者のdeterminism
の 哲 学の ‘ summinghp
’
をつ け られて悲
劇的に語ら れ てい る。Our
civilisation
is
stillin
amiddle
stage ,
scarcely
human
,in
that it
is
notyet
whollyguided
by
reas。n.
.
.
.
We
see manfar
removedfrom
the
Iairs
of thejungles
,
his
innate
instincts
dulled
by
too
near anapproach
to
free−
wil1,
his
free
−
will not sufficientlydeveloped
to replacehis
instincts
and affordhim
perfect
guidance.
且eis
becoming
too wise tohearken
al“vays toinstincts
anddesire
;he
is
sti11 too weak toalways prevail against
them .
determinism
の哲学
の影響
が,Pizer
のい う‘
authorial voice ’ と なっ て最
も生の形で出てい るところで ある。
Sister
Carrie
e
:“
か りでな く, ノilnitie
Gerhardt
(1911)
で も ,An
Amen
’
canTragedy
でもそ う なの だが,彼
の 作品の中に は こうし た作
者のphilosophical
comment が さ まざまな形で与え ら れて い る。 こ こでも う
一
度 断わっ て お か なければ な らないが,Dreiser
を完
全に
定式
的な natUralism の作 家と して 捉え ること は できない こ とを本
稿では明らか に しよ う と し て い るの である。Dreiser
に は naturalist の性格
は大い に ある一
その こと を認めた う え で,
そ れで もなお naturalism で はお さ ま ら ない
要素
, はっ きりい えば, romantic な,idealistic
な, symbolic な面, っ ま り, anti
−
naturalistic な要素
が多
分に あること を説こ う と し てい るの一
6一
Prefeotural College Foreign Studies 『シ ス タ
ー
・ キ ャ リP−一
』 と ド ラ イ サー
の美的 自然 主義 で ある。 そ れは一
見 矛盾し てい る かの よ うに思 わ れ るか も し れ ない。 い や, た し か に矛盾
し てい るの である。 し か し,
この矛盾
はDreiser
自身認め てい るもの であり,
こ の矛盾
, あるいは対立 の ゆえに彼の小 説はdualistic
な, そ してdialectic
な緊 張と絡みあい の複 雑さ が出てい る の であ
る。 そ も そ も19
世 紀の後
半か ら20
世 紀にかけて の時 代にdua
工ity
が存
した の である。 scientificな新 理 論がカをえてきた反 面, 古 くか らの anti
−
scientific(
religious,
esthetic)
な考え方 が依
然 支 配 的であっ た し
,
rationa 正な もの に対 して anti−
ratienal (romantic ) な ものが 同 時 的にあった。 そ れは相 対 するもの の
闘
い の 様 相 を呈 してい た。 従っ て, materialism その もの に も理 論と
実
践の面で食い導
う とこ ろがあ り, 必ずしも杓 子 定 規 ど う りで はなく, materialism の中
にidealism
が あっ た り, pessimism の中
に optimism あらわれ た り して も お か し くない の である。
Dreiser
の naturalism は まずDreiser
の生 れた国ア メ リ ヵ の現 実 とDreiser
の個 人 的体 験が生みだした, ある意 味で
,
唯一
無二性 を もっ たもの であ
る。the
Prog
τessiveEra
の発
展を続け る expansion の国アメ リカが, その巨 大な機 構の 「破壊 的要 素 」を強め てい る時 代に
Dreiser
が生 ま れ あわ したとい うこと,
Dreiser
自身の両 親の生活
や彼
の兄弟
姉妹 (
そ して彼 自身 )の人生 コ
ー
ス に ア メ リカの恐 るぺ ぎ破 壊力を読み とっ た とい うこ とに,
ユ ニー
クt
: naturalistDreiser
を生んだ基 本 的な要 因があっ た と思われ る。 し か も彼は薪 聞記 者 時 代にい や お うな く
多
くの ア メリカ 人の敗 北の (そし て
一
部の人の 成 功の )姿
を 目撃 して い る。 こ うしたDreiser
の諸 次元 での体 験が
incorporate
されて,Dreiser
独 自の naturalist とし て の鋭 敏 な洞 察 力が培わ れてい った。
大 都 会で露わになっ た大 き な社 会 矛 盾 とその痛ま しい
犠
性の姿
は naturalist の格 好の文 学 素材
であっ た こ とはい うまでもない。 ア メ リ カ社 会は とり わけ そ うした文 学 素 材が多 く, し か も最 も新しい 性 質の もの を提供
し た か ら, ア メ リカ の natura ]istic
な作家
た ち は,
ことに1890
年 代にZola
流の科 学 的 な naturalism が移
入 さ れてか ら は,
決定論
的な命
題 を 大 担に うちだ すこと が で き た。 た と え ば,N
。rris は アメ リ カ に おける 自然 主 義 文学 の 最 初の 担い手 とし て の本領
をOctoPus
(1901
)の第1
部で遺 憾 な く発 揮して いる。し か し, アメ リ カ の naturalism の作 家た ち が完 全に
Z
。la
流の, 教 科 書 ど う りの よ うな作
品 を書い た わ けでは な く, む し ろ彼
らはア メ リカ 的 背 景 (都 市 や 自然 )を使い ながら, きわ め て ア メ リ カ的なす ぐれた r。manticism を 揺 曳 させ る作品を 残し たの である。 っ ま り,
Zola
流に作 品 化 することを拒む (あるい はで ぎない), あるア メ リカ的 伝 統に も とづ き,
創 作した の である。すで に
述
べ た.
Norris
の他に もJack
London
(
1876− 1916)
な ど は,
Zola
とは ちが うアメ リ カ的な romanticism を もっ てい る し, そ れだ け
彼
らのdeterministic
なpessimism
はあいまい なもの に な っ て い る。 表 面 的に みれ ば,
heredity
とか environment と か naturalistic なフ ァ クタ
ー
に とりつ かれてい るよ うに見え るが,意外
とア メ リカ固有
の optimism が 深く根づい てい 、Kanagawa Prefectural College of Foreign Studies
NII-Electronic Library Service
Kanagawa Prefeotural College of Foreign Studies 「
『シ ス タ
ー・
キャ リー
』と ドライサー の美 的自然 主 義 る。 ア メ リ カ の怪物
的 な力は, 真実
を求め る作
家たちに,
何 とか し て本質
を 掴 み と ろ う とする実 験 的意
欲を か きたてたにち がい ない が, その実
彼 らは発 展 する アメ リ カの現 実に目が く らん で , ア メ リカの未
来を,Walt
Whitman
(
1819− 92
)がそ うであっ たよ うに, 明る く展望
して いた ふ し がある。その
点
でDreiser
も決 し て他
の作
家 と多
く違
つ てい た わけで はな く, 明 らかに ア メ リ カ的な 理 想や楽
天 主義
の伝 統を身に つ けていた。 大 都 会に よせ る夢, better
なものを 求め て生 きる姿,、
い つ か は someone にな りたい とい う
希望
……
こ う し たア メ リ カ的‘
dream
of success ’ は人間本
来の もつ 欲求
であり,
願 望であ
る にちがい ない が, 同 時にそ れはア メ リカ人た ち が開
拓 時代
以 来 とりわけ 強く抱い て いた,一
種
の.
national charactertl
こな りきっ て い るものなの であ
る。 そ して,Dreiser
に は と くに 強 くあら われてい るとい うこ と が 問 題である。 本 格 的 な naturalist で あれば,外
科 医 が 人 間の 肉体を扱 うの に も似た冷厳
な態
度で 人間の 心 理を 扱 うはず なのだが,Dreiser
は作 中人物の 苦悩
に 同情 するあ まり,や
さ、
しく人 間 的にな つ て し ま うとこ ろ が ある。 彼は 冷 徹 な realist に はな り
ぎ
れ ない 。 彼は compassion,
あるい は sympathy の 情が人一
倍 強かったせい か, 突き放 してあ くま で も物を見る〈
Wt
naturalist >で は おれ なかっ た。 その natUralismの枠 を 越えて
溢
れで る情
念の 激し さ が,
彼の 文 学を powerful に し, energetic に し,
estheticにもして い る の で はあるまい か。
Dreiser
の こ の特質
を さ らにつ きつ め ていけぽ, 彼の丈 学が本家
本
元の フ ラ ソ ス の naturalism の 作 家た ち とは もち ろ ん,Norris
やCrane
と も はっ きり違
う底
深い魅
力, あな ど りがた い迫 力をそ な えて い る の は,Dreiser
の naturalism が そ れ だ け 独 自で, 豊かな もの であるこ との証 左で ある。
Dreiser
の根
源 的魅
力と総 体とし て の新しさは,
む しろ naturalism の 枠 外にあるの ではない か と思わせ る ほ ど, 彼の naturalism は
Zola 流
の「
本
格
的」な naturalism と違 った もの に変
形 してい る。 そ れ を naturalism とい うなら, ‘ esthetic naturalism ’ とで もい うべ き性 質の もの で あると考 え られる。 根 底に 哲 学 的主張があるのは丸 見 え だ が,
作品の魅
力はその主張 そのもの に は な く, そ れ を象 徴 的に示すイメー
ジと独得
な語りロ にある。 そ れ はまさし くDreiser
の み もち うる美
学なの であ
る。Dreiser
はH .
L .
Mencken
にZola
を一
度
も読
ん だ こ と が ない と語っ た こ と があっ たが,
Dreiser
の こ と だ か らZola
のprogram
をよく知っ ていたであろ う し, また 好 意 的に反 応し てい たで あろ う。 しか し, 彼が
Zola
か らdirect
な影 響を受
けた とい う明 らか な証拠
は示 し が たい 。
W
.
M .
FrohGck
は ‘It
is
notfrom
a theoretical naturalism thatDreiser
’s novelsderive
their
power .
’ といっ てZ
。la
とDreiser
との文 学的
影 響 関 係に否定
的見解
を とっ てい る し,
Ford
Mardox
Ford
も次の ように い っ てDreiser
の narrative の重さはZola
の ものとは違 うこ と を指 摘してい る。
The
difference a supremely unreadable writerlike
Zola
and a completely readable one−
8一
Prefeotural College Foreign Studies
『シ ス タ
ー
・ キャ リー
』と ドライサー
の美的 自然 主 義1ike
Drelser
is
simplythat
if
Zola
had
to
write about a ride on anlocomotive
’stender
or a night
in
abrothe
玉Zola
had
toget
it
all out of abook .
Dreiser
has
onlyto
calIon
his
undimmed memories and the episode willbe
therei
且a11freshness
and valour.
Dreiser
の naturalism が独自
のもの であ り うるのは, 彼が直 接 知っ て いる生々 しい経験
の記憶がある か らで
あ
る。 自分の 目 で 捉 え た まぎれ も ない現実
の姿が彼の文 学に彩りを与 え,迫
力 ある
律
動的
な もの に仕立 てて い る。皿
Dreiser
は まず 何よ りも realist で あっ た。 そ れは naturalist に なるため の 前 提 条 件で あ った し, 当 時の アメ リ カ社 会の 現 実を 描 写 す る た め の 必 要 条 件 で もあっ た。 realist (そし て naturalist )・
はfact
(事実
)を大 切に し, そ れ を客 観 的に詳 細に記 述 する こ と が肝 要であ ると考えて い る。 さ まざまな materials を取 り扱い ながら, その actual な 側 面 を 読 者に提 供 し て, う
む をい わさぬ よ うに し なければな らない。 そ れ は当 然 romanticist の態 度 とは反するもの で, 個
人の主観 的 偏 見, 観 念性, 空 想 的 色 合い
?
sどは で きる だけ 排 除し なければな ら ない。 その意 味で
,Dreiser
は ま ち がい な く realist の条 件 をそ な えてい る。彼
に は激しい 《fact
へ の執 着 〉があり
,
何 をお い てもfacts
を 小 説に持ちこも う とする。 しか しな が ら,
度々ふれた ように,
Dreiser
の小
説 は realistic な 手法 ががっ ち り使われてい る ほ か に, realismと相い れない はず
の romanticism ない し は symbolism の要 素 を多分に内 蔵して い る。 つ ま り
,
Dreiser
は realistであっ た と同 時に romanticist であっ た わけであり, その相 互 作 用の み ご と な結 果と して彼の文
学が 豊かに結晶 化 したの で ある。
Dreiser
が そり早
い頃
の人 生でか な り romantic な性 癖 を強め る体 験 をし てい た ことはよく知られてい る。 た とえば,
David
Brion
Davis
はDreiser
の持
ち前
の romantic な性 格を は じめ,
父母か ら受け た (主に彼らの
pietism)
影響,
Poe
やHawthorne
を読ん だこ と,Chicago
のOpera
House
へ の 出入 り, 都 会での美
的 経験,
William
L .
Sonntag
Jr
.
との出 合い等 を 挙 げて
,Dreiser
が並の naturalism とはち が う romantic で esthetic な naturalism に向う原 体 験 を 持っ てい ることを 強 調 して いる。 こう し たDreiser
に おけ る romanticism の形 成は彼の文 学の naturalistic な性 格 を 検 討 するに際して なおざりに でき ない もの であるの は い う ま で も
ない。
しか し
,
そ れで い てな おDreiser
は物 質 的 世 界へ 関心を もち, externals ,go
。ds,
things の状Kanagawa Prefectural College of Foreign Studies
NII-Electronic Library Service 聊 P艶 艶 厩 旺 詛 塒 ゜f 晦 肚 eS
[
1
『シ ス ター ・
キ ャ リー
』とド ラ イ サー
の美 的 自然 主義 態を彼な りに即物 的に理解し てい た と,
こ こ で は い っ て お か なけ れ ば なら ない 。 ま ぎれ もな く II
naturalist で ある
Dreiser
は・ milieu とい うか circumstances とい うか・ 周囲の物に・
そ し てi
事 実にとりつ かれて いたか らで ある。 彼の 体 内に romantic な 心情が渦 巻い てい た と し て も
,
そi
し てそれが彼
b
)小 説の行 間か ら で さ え温れ出る激 しい もの であっ た と しても,
彼の 生 れ た時 代 とキ ャ リアが 彼を限 りな く
fact
に執着
させ た。F
.0 .
Matthiessen
はDreiser
が教 養がなかっI I
た か ら
一
層
rude な現実
に 目を向 けてい っ た こと をHawthorne
な ど と比 較しなが ら述べ て い るが
,
その当
否は ともか く,Dreiser
の事 実を もとに した現
状分
折 的ア プロー
チ と鋭い 視 角か らの資料
のきわめ方はDreiser
な らで はの もの である。Dreiser
は作 品の中に 自 らの直 接 体 験を とり入れた ばか りでな く,新聞
の reporter とし て直接 間 接に見 聞 し て得た知 識を盛 り込み , さらに作 家と して取 材 した調
査
事 項も書 き込 ん だ。 体 験i
ない しは 取枷 . よ。 て
翫
さ ま ざ ま な文 学素材
は,
ある ものは作
品の ln、i
。 ,h
。m 。 とな り, あ…
’
る もの は ,
pi
,。d
, と な り, 時に }姓 。 し く, 時に瞰 妙に瀬 甑 てい 。 た.Sister
Can ’
ie
で2
、,.
C
。,r、。 臆 肺 。 聯 。 。mm 。 の身。 上。 実 際。 起。 醸 件、 。,e、se , 自身。体
験を も と…
、。
邏
さ 叔 い る と 思 わ れ る し,
H
。 ,、・w 。。・ もE
_ の 恋人L .
A
.
H
。pk
・。 、 を。 デ、レ、.しl
l
てい る と考え ら れてい る。 ノennie
Gerhardt
のJennie
も 同 じ.
よ うに姉Mary
(
‘Mame
) の 人i
F生 を扱い,
Jennie
を 孕ま せ たSenator
Brander
のモ デル もDreiser 一
家の 住んで い たTerre
l
・。… 帥
年
・搬
士でMary
の 相手・男
性であるとい う・ と…な ・ て・ ・. (ち繍 ・ こ の.
1
弁護
士はZ
)awn で はC
。1
・nelSi1
・by
と呼 ば れて い る。)ま た,An
American
Tragedy
に い たi
・ て は
,
Cl
・d
・ 及 び ・・ber
・・ の 事 件嫉
際
…9
・6
軟 ・ ・g
M
・ ・seL
・k
・ で起 ・ たChes
・er1
Gillette
とGrace
Brown
の事 件 (Dreiser
は詳し く調査し た) を source に用いてい る。 この よ うに実 話 を も とに人 物 造 型 を 行 なっ てい る ほ かに
,
た と え}2
Sister
Carrie
の場 合,
Chicago
’
1
や
New
Yerk
の 大 都 市,
エ 場,
saloon や 劇 場の 様子 , 労働 者の姿,
ス ラム,
ス トラ イ キ,
冬のi
風
吹
な ど,Dreiser
がfirsthand
で知っ てい た もの を きわ め て上手に ,感
動 的に 用い てい る。彼
1’
は作家
にな る 以前か ら体内
に アメ リ カの real な materials を memory と して ぎっ しり詰め込1
んで いたの で ,
Sister
Carrie
以 後 そ れ らを 巨 大 な蜘
蛛が必 死で糸 を吐 くように書 きつ らね ること ができた とい うべ きであろう 。 お そ ら くその
書
き方
があまりにもdirect
で, お よそplot
や 言葉に 関心がない ように不細工なの は
,
Whitman
と同じょ うに,事実
の〈吐き 出し〉
に気を と らi
わ れす ぎてい たか らであろ う。
彼
の文
学にliterary
subtleness を求め るの は無理 な ところがあ…
1
る の は確か で ある。 と はい え,
彼
の作
品 を何 ら偏 見な く公 平に 検 討してい く と, 思い のほ か細か い文 学 的 配 慮が ある ことに しば し ば 気づ くの で あ り, い ち がい に 彼の 文 学を無 技巧のゆ えにunderestimate す るこ とは許さ れ ない ことも事
実
である。Dreiser
は実
際に起 こ っ た こ とで な け れ ぽ一
行 も 書 け ない ことがあっ た とい われ る くらい で…
ある か ら
,
本 質 的にfiction
向 きで なかっ た の か とさえ 思われるが, ジー
ナ リ ズム で の 多 年の経.
−
10−
2Prefeotural College Foreign Studies 『シ ス タ
ー
・ キ ャ リー
』 と ドライサー
の 美 的 自然 主 義 験,
あるい は彼 自 らい うところの 「雑 文 書 き文±」(
hack
writer )と して のキャ リアが,彼
を し た たかな rea 工ist
に仕 立てあ げ,
冗長 な文 体になる の もか まわず, あ くこ とな く次々 と長編
を完 成 させ て い っ たの であろ う。 その エ ネル ギッ シ ュ な,
ひ たすら な作 家 的姿 勢に は , い か に もアメリ カ的な もの を感ずる。
Leaves
Of
Grass
のWhitman
が ア メ リカ的な matters をカ タ ロ グ的に
羅
列させ , 限り な く自 己を歌
い , アメ リカ国 家の 宣 揚に つ とめたさま は,
い ま悲
劇の theProgressive
Era
を 通 して,
Dreiser
に negative なかた ちで 投 影し て い るか の ようであ
る。Whitman
の ア メ リ カの 民 主 主義
へ の 信頼 (
もっ ともWhitman
は挫 折感
を抱い て もい た)が よどみ な く
表現
さ れ た時代は終
り, その信 頼が裏 返しの状 態で 絶 望にか わ る悲
劇の 時 代の まっ た だ中に
Drei
旦
er は い たの である。Hurstwood
→Jennie
−→
Clyde
と続 く一
連の 「悲
劇 」の 系 譜は20
世紀アメ リカ の現実
の痛
ま しす ぎる叫び とい うほ か ない。Malcoim
Cowley
は‘
Sister
Carrie
was a cry
from
the
depths.
’ と述べ た が,
Dreiser
は早 くか らア メ リカの落
ち 込んだ 「死の渕 」 を, 恐 怖 と 不 安に おの の き なが ら, 覗 きみ てい た に ちがい ない 。
わ が身に起っ た 不遇な出
来
事 と親 兄 弟にふ りか か っ た多 様 な悲
運を中心に ,Dreiser
が直 接 経験 的に知っ た ア メ リ カ の病 的 断 面 を,彼は新 聞 記 者 時 代 を通 じて 「確認」し た。 新 聞 記 者の あ くな
ぎ真 実 追 求の
姿
勢がDreiser
の作 家 的本
能にど れほ ど 影響を及ぼし
た か は か りし れ ない もの がある。 お そ らく
journalist
Dreiser
がいなけれ ば, naturalistDreiser
bP
誕 生しなか っ か もしれない 。 そ れほ ど
journalist
として の キ ャ リアはDreiser
の文学 生活に作
用を及ぼ して い る。 た と『
えば, An
A
mericanTragedy
の 執筆
に 際し て,実
際の事 件の新 聞 報 道に 関 心 を 抱いたの がjOurnalistic
であれ ば,そ れ を作
品にする ため全 ゆる面か ら取 材 をし たの もぎ
わ め てjournalistic
であっ た といえる。 彼は殺 人の現 場 を 検 証し た り,
Gi11ette
裁 判が行なわれ た法廷 を調 査し た り,
Sing
Sing
刑 務 所のdeath
row を訪
問 して みた り,
殺 人の心 理につ い て精神
分 折 医のDr
.
A
,
A .
Bri11
(
Freud
の 翻 訳者)と討議
し た り, さらに有 名な 生 理学 老Dr
.
Jack
Loeb
と会 見した りする な どきわ め て
精
力的に資料収
集に専
念した の は,
あ なが ちDreiser
の作
家 的 誠 実さか らばか り でな く, 多 年に わ た る ジャー
ナ リス ト と して の現 場尊
重, 資 料 第一
の 鉄 則 を 守っ た か らに ち がいない。 こ の た めに
Dreiser
は 不眠
症にかか り, 深 酒 をは じめ た とい わ れ る が,facts
を もとに ひた す ら novelistic
depth
を求め るDreiser
の 並々な らぬ心的 苦 労がその こ とに よ くあ らわ され て い るQ新
聞 界の徹底
した取 材ぶ りは realist , い や, すでに naturalist と なっ たDreiser
の作家 的 眼 をよ り正 確 な もの に する た めに
想
像以 上に役 立っ た と思わ れ る。‘
Dreiser
は早 くか ら大 作 家になり たい 野望
を早
く から抱い て い た ようである が, それは簡 単に達成で きるもの でな く
,
不 動産
屋に勤め た り, ク リー
ニ ン グ屋の 車の運 転 手になっ た り,
家具販売 店の集 金 係をするな ど職 を 転々 と変え たあ げ く
,新
聞 記 者に なるの が一
番い い と考 えた。 彼には記 者に な るこ とによって
物
質 的 成 功をお さめ たい とい うはげしい 下 心 があっ た。Chicago
の1
)ailyGlobe
紙に よ うや く就 職 して か ら, 書 くこ との楽しみ を知り,
日が暮れ るKanagawa Prefectural College of Foreign Studies
NII-Electronic Library Service Kanagawa Prefeotural College of Foreign Studies
i
7・
9− 。
キャ リ
ー
』 と ドライサー
姜 的 自然主義と
ラム街に 入 り込み
,酔
っ 払い た ちの話 を 聞い て は記事
に し た。St
.
Louis
のGlobe
−
1
)emocrat紙時代は
記
者:ハ仕 事に打ち込み , 名士 をつ か まえて は イ ンタ ビュー
をし た り ,事件
が起
ればす
ぐ 現場へ す っ 飛ん で い くとい う熱
心 な記 者ぶ りで あっ た。 こうし たDreiser
の 描 写へ の 意 欲をE
O
.
Ma
しthiessen
は 次の ように述べ て い る。He
continued tofind
,.
ashe
had
in
Chicago
,
thathe
couldderive
“color ”
from
even the most sordid aspects of the city
.
But
he
also perceived that hardferret
ユike
quali
亡ies
were needed for successful reporterAs
so often、
in
his
life
he
felt
himse
工f
divided
: sometimes shamefaced and almest sick at the thought thathe
was spying on others ’misfortunes
,
at other times sweptby
the
love
ofthe
chase and exulting inhis
occasional triumphant scooping of a
fellow
reporter.
He
experiencedthis
division
most acutely when
he
happened
to witness the explosion of an oi1−
tankcar after train wreck
.
Many
peopledied
before
his
eyes,
he
wasthinking
only ofhow
he
would
describe
this.
Yet
whenhe
went onto
the
morgue ,he
was suddenly sweptwith a sense of
‘
‘
the nothingness of manl ,And
againthe
next morllinghe
thrilledwith vanity over
the
thought
that everyone mustbe
readinghis
account @Dreiser
の 取 材に 対 する 徹底
ぶ り(
realist の姿
勢 ) と人 間の 空しい姿
に対 する同情
ぶ り (romanticist の 性 質 )の葛 藤がみ ご とに表 現さ れてい る。‘
detached
’の 状
態
と‘
involved
’ の 状 態の 激 しい交替
, あるい は 混 交がDreiser
の中で たえ ず 起っ ていたの である。 こ の reporterと して の ambivalent な状 態からだけ 考 えても,
realist とし て の
Dreiser
と romanticist とし て の
Dreiser
の両面 性 を 指 摘 する こと がで ぎる であ ろ う。Dreiser
は本 質的にや さ しい 人 間だっ た の で ある。 そ れ が時
代
の 趨勢
で 表面的に冷徹
な態
度 を とらざるをえなか っ たの では な かったのか。 だか ら,
少
説 家 となっ ても, 作 中 人 物の中に の め り込ん で い っ て, 主 儔 的な描 写 をし たりするの だ, と考えられ ない だろうか。
Dreiser
の 中でたえず 相 反 するもの が ぶっ つ か りあ う,
い わ ば
‘
dialectical
tension
’ とい うぺ き もの がDreiser
の文章
の魅
力になっ て い る と思われる。 こ の
Dreiser
の原 点, あるい は中核 ともな っ て い るduality
こそ,
Dreiser
をDreiser
た
らし め てい るもの である。
Dreiser
はSt
.
Louis
のRepublic
紙で働いたあ と, さ らに東
部へ行き
,Toledo
,Cleave
王and ,Baffalo
,Pittsburgh
と移 動 し て は新 聞 社を転々 と渡り歩
き, こ の間に も小 説 家に必要な貴
重な体
験を積んだ。 1894 年か らは
New
York
のWorld
紙の記 者と して活 躍,
大 都 会New
York
をっ ぶさに観 察 する チ ャ ソ ス を得た。
New
York
e
こはDreiser
好みの 文学素 材が ごろ ご ろ し て いた であろ う。 華やかな通 りは もちろ ん