江 戸 時 代 に お け る 大 乗 非 仏 説 の 批 判 五
。
江戸時代における大乗非仏説の批判
||真宗学匠潮音の思想||山
田
龍谷 行
大き雄
大一栄非仏説の主張は、古く印度・中国においてもなされたところである。即ち印度においては無着の﹃摂大乗論﹄ 有人疑此大乗非仏所説。云何有此功徳可得。我今彼疑網。成立大乗瓦是仏説。 ︵ 大 正 ・ コ 二 ・ 五 九 一 a ︶ と あ り 、 中 国 に お い て は 、 梁 の 僧 祐 撰 ﹃ 出 一 二 一 蹴 集 ﹄ に 昔慧導抱滞疑惑大品。曇楽一侃執非援法華。中略如彰城伯淵誹誇出挺舌根錆畑。 ︵ 大 正 ・ 五 五 ・ 四 一 a ︶ とある文より推察出来るのである。然し、我国において此の大乗非仏説諭が最初に提起されたのは、排仏論と同じく 江 戸 時 代 な の で あ る 。 蓋 し ι へ 張 キ ス 勺 ∼ 叫 ん 川 何 十 日 主 : 一 ヨ ; f 一 K E f − 排仏論者と同じく批判の社史を仏教に置くとはいえ その批判の 方法を異にしていた。即ち排仏論者の多くは感情的であり、寺院僧侶の欠点を捜すに急であったのに対し、大乗非仏説論者は理性的であり、仏教結共を科学的、歴史的に研究し批判したのである。此の江戸時代の大乗非仏説論者を代 表 す る も の に ー 国 永 仲 基 と 服 部 天 併 が あ る 。 富 永 仲 基 ︵ 一 七 一 五 | 一 七 四 六 ︶ は ﹁ 出 定 後 語 ﹄ に お い て 、 服 部 天 前 ︵ 一 七 二 回
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一七六九︶は﹁赤保保﹄を若し、共に大乗仏教が仏説に非ざる事を論証せんとしたのである。 これ等仲基・天世 の 大 乗 非 仏 説 に 対 し 、 強く反論批判を試みたのが、 同 じ く 江 戸 時 代 の 真 宗 本 願 寺 派 の 西 教 寺 潮 昔 ︵ 一 七 八 三 | 一 八 一 一 一 七 ︶ な の で あ る 。 市 川 ぽ ロ ー ト J h、
羽 刊 ゴ f ト L ﹁ 出 定 後 一 詰 ﹄ に 対 し て ﹁ 個 裂 邪 網 編 ﹂ 二 巻 、 ﹃ 赤 保 保 ﹄ を 破 す の に ﹃ 金 剛 索 ﹄ 一 巻 を 著 し たのである。そこで今、湘音が本居川 H 一長等を感服せしめ、江戸時代の排仏論者の論理的武器ともされた仲基の寸出定 一 、 一 三 五 3 2 、 冷 C L−
j R L また此の説を承けた天昨のコ亦保保 L に 対 し 、 如何なる立場で破斥の斧をふるい、 また潮音の主張である大 乗仏説の思想内容は如何なるものであろうかを、仲基・天訴の思想と対比しつつ考察せんとする。 そこで先ず第一に問題として取り上げられるのが、釈尊入滅後、最初に行なわれた仏教経典編纂会議である﹁第一 結集﹂である。仲基は此の第一結集を問題にして、 釈 迦 文 既 没 僧 祇 結 集 。 迦 葉 始 集 二 三 蔵 吋 市 大 衆 亦 集 一 二 ニ 蔵 吋 分 為 一 一 両 部 吋 中 略 然 市 其 言 所 レ 述 。 ① ︵ 出 定 ・ 四 J 五 ﹀ 以 レ 有 為 レ 宗 。 事 皆 在 一 一 名 数 寸 全 無 − 一 方 等 徴 妙 之 義 司 是 所 謂 小 乗 也 。 と 云 う の で あ る 。 即ち仲基は第一結集においては、 大乗は無く唯一小乗説を主張するのである。 此れに対して潮音 t土 上 座 部 結 集 。 迦 葉 為 レ 主 。 唯 撰 ニ 聖 者 引 会 ニ 畢 波 羅 窟 内 吋 結 一 一 集 三 蔵 吋 ロ 万 日 二 上 座 吋 如 一 一 大 衆 部 結 集 吋 九 聖 混 雑 。 会 − 一 畢 波 羅 窟 外 吋 結 二 集 三 蔵 吋 号 一 一 大 衆 部 吋 ︵ 楓 裂 ・ 七 ︶ 江戸時代における大乗非仏説の批判 一 五江戸時代における大乗非仏説の批判 一 五 と反論するのである。此の潮音の見解は、第一結集は界内界外でなされたものとするのであり、窟内で会請されたも のを上座部、即ち小一束。その窟外でなされたものが大衆部、即ち大乗であるとするものであって、第一結集における 大小二乗の結集は、空間的には異るが時間的には同一であるとする異処同時説を立てるものと見る事ができるのであ る。此の両者の見解の相異が以下に考察せんとする大乗と小乗に関する諸問題の端緒ともなるのである。 一切の仏教経典並びにその教説を分類区別する最も基本的なものは﹁大乗しと﹁小乗しである。大乗と小乗とが最 初に対立的に表詮されたのは﹃小品般若経 L であると推定されるが、その両乗の内容的区別については種々論ぜられ るところである。例えば﹃大智度論﹄には 為 づ 一 戸 聞 説 法 中 無 一 一 大 詰 悲 心 吋 大 乗 法 中 一 句 雌 少 有 ニ 大 慈 悲 吋 声 開 法 中 皆 白 為 レ 身 。 大 乗 法 中 広 為 一 一 衆 生 吋 声 聞 法 中 無 下 欲 百 一 広 智 一 一 諸 法 一 心 勾 但 欲 ゴ − 疾 離 一 一 老 病 死 吋 大 乗 法 中 欲 = 了 了 知 二 切 法 吋 声 同 法 功 徳 有 一 一 限 量 勺 大 乗 法 中 欲 レ 尽 ニ 諸 功 徳 一 無 レ 有 一 一 遺 余 吋 如 レ 是 等 大 小 差 別 也 。 ︵ 大 正 ・ 一 一 五 ・ 六 一 九 C ﹀ とある。然し此のような大乗・小乗の区別、 又その意味内容は、仲基・天治の一批判の対象となるものでありて、仲基 t主 文 殊 之 徒 。 作 ニ 般 若 一 以 上 レ 之 。 ︵ 出 定 ・ 五 ︶ と云い、天辞は 大乗家後に出て小乗を圧せんと欲す。 ︵ 亦 川 内 ・ 正 ︶ と云うのである。即ち仲基・天滋は、大乗・小乗と云う詰とその意味勺けは、大乗家か後に自らの教学を高め、前米
の上座仏教を抑圧せんとする策意からなされたものであると主張するのである。これに対し潮音は 両 乗 有 レ 差 者 。 各 投 ↓ 一 其 機 吋 ︵ 金 剛 ・ 四 ︶ と 反 論 す る の で あ る 。 即 ち 潮 立 日 は 一代仏教に大小二乗の別が有るのは、根践に大乗の根機と小乗の板機の別、か有る 故だと、教法の別を根機の別にもとづかしめるのである。市して湖音は、此の
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説をつ分河飲水﹂の聡でも円一て説明 するのである。分河飲水の除とは、 一つ河の水を飲むのに、右岸から飲むのと左岸から飲むのとの別と同じであると ぇ、左岸のグループにロと云う符合を与えたかの如く、大乗と小乗は、 云うのである。潮音の説が此れだけならば、潮音の大小二乗の別とは、あたかも右岸のグループにイと云う符合を与 一代仏教を分類する単なる符合であると考え ていたと思惟されぬでもないのである。 然し、仲基が大乗は釈尊の直説では無く﹁皆相加上以成レ説 L ︵ 出 定 ・ 四 ﹀ と 、 或は天携が大乗は﹁皆是後人の仮託 なること疑ふべき者無し﹂︵赤保・二︶と主張したのに対し、 潮音はかかる仲基・天海の誤義が提起される原由を指摘 して二義を出すのである。そのご義とは 一 、 大 小 二 一 来 。 其 義 有 レ 異 故 。 ︵ 掴 裂 ・ 七 ︶ 二、仏滅度後。小乗流布最衆。大乗流布梢寡。至ニ馬鳴龍樹時吋広称ニ大乗一故。 ︵ 描 裂 ・ 七 ︶ と云うのがそれである。 かくの如く、仲基・天静の誤義の起る因由を指摘した潮音は、それ等の誤義に対し次の如く 是正説明するのである。 仲基・天慌の誤義の中、第一義に就いては 大 小 二 乗 根 機 各 別 。 故 知 。 所 レ 教 亦 有 レ 別 。 雄 レ 然 全 是 一 月 六 仏 法 。 如 三 γ 凶 蓋 不 − 一 相 離 引 ︵ 制 裂 ・ 七 ︶ と云うのである。即ち大小二乗の別は根機の別に依るものであり、説法者の別を意味するものに非ず、共に函蓋の相 江 戸 時 代 に お け る 大 乗 非 仏 説 の 批 判 一 五 三江戸時代における大乗非仏説の批判 一 五 回 い離れざる一具の仏法であるとするのである。比の潮音の思想の根祇をなすものは﹁小乗真。則大乗亦真。大乗真。 小 一 衆 亦 立 ﹂ ︵ 掴 裂 ・ 一 四 ︶ で あ り 一 切 の 経 典 は 全 て つ 混 一 一 金 口 こ ︵ 掴 裂 ・ 四 ︶ との思惟に依るものである。 而して、更 に此の﹁大小二乗一具仏法﹂の一具性を論ずるに 小 乗 経 典 。 以 ニ 大 乗 一 為 ニ 其 内 一 証 寸 大 乗 法 門 。 以 一 一 小 乗 一 為 − 一 其 階 梯 吋 何 為 レ 非 一 二 日 六 仏 法 寸 ︵ 掴 裂 ・ 八 ︶ と云うのである。潮音が此処で云う﹁一日どとは、先の函蓋不相離の一具とは意味が多少異なるのである。即ち、函 蓋不相離の一具とは、大小二一束を横に並べ共に如来金口の説法であるとする根原的一具であるのに対し、今はその横 に並べた大小二乗に価値を与え、大乗をもって至上となし、小乗は大乗の法門に入る方便誘引の法という修行の発展 的並日係に並べ、目的的同一性の基盤の上に階定的一具説を主張せんとするのである。今これを図示すれば次の如くで あ る 。 ︵ 根 原 的 一 日 六 ﹀ ︵ 階 梯 的 一 自 己 如 来 | | ︵ 械 批 判 そ ︶ | | 説 法 八 日 日 ← 建 ← 大 乗 1 i 小乗 第二の仲基・天跡の誤説に就いては、潮音は 如 下 仏 滅 後 小 乗 流 布 。 至 日 一 後 時 づ 大 乗 柏 脱 却 物 有 一 一 顕 晦 吋 一 切 諸 法 皆 然 中 略 正 法 之 時 。 衆 人 各 々 学 ニ 小 乗 教 ア 証 一 一 無 漏 果 吋 事 己 足 突 。 文 殊 等 大 菩 陸 。 雌 レ 持 一 一 大 乗 吋 不 レ 落 一 一 凡 手 吋 付 法 蔵 師 。 多 以 一 一 大 乗 可 心 心 密 付 。 不 レ 遇 レ 時 故 。 深 恐 ↓ 一 破 法 一 故 。 卒 一 一 一 像 法 如 吋 衆 人 若 一 一 一 治 相 叩 徒 好 ↓ 一 語 論 一 。 悟 人 梢 少 。 当 一 一 此 運 一 。 馬 鳴 龍 樹 等 大 菩 薩 。 開 ニ 聞 大 乗 法 門 吋 授 ニ 深 深 修 行 地 一 。 汝 言 為 ニ 加 上 説 一 。 誰 亦 誌 レ 之 ω ︵ 捌 裂 ・ 八 ︶ と是正説明するのである。此の間土日の説は、先に第一の誤義を正すに、大小二乗は如来金口の説法との基本的立場は
変らぬのではあるが、然しその在り方の意味が具るのであろ。即ち前者は、如来の説法は随機説法であり、法そのも のの中に最初より大小二乗の別が存在したとの説である。今は、如来の説法は大小の別なく本来一つである。 ただ大 小二乗の別が生じたのは衆生の同・衆生の領解に問題があると云うのであって、それを図示すると次の如くである。 京 日 来
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の領解/小 乗 乗 此の考え方を基盤として、仏滅後の大小二乗の流布の前後、即ち大小二乗を歴史的に見る時は小前大後の形をとるが、 然 し そ の 実 は 、 一切諸法には顕晦がある為だと云うのである。 では、潮音の主張するが如き、 これ等大小二乗に関する思想は一体何に依るものなのであろうか。勿論彼が背う教 学の考察を必要とするのではあろうが、更に直接的に彼の大乗非仏説の破斥官官の中に其の思想背景を求める時、 ロ司 八 王立 剛索﹄に﹁一音教 L の 語 を 出 す の で あ る 。 一音教とは、如来は唯一音をもって法を説くとなす意である。然し、此の 第 一 説 は 、 コ 包 日 教 『 説 維 が摩 あ
げザ tt 0 』;.. 等a忠 に 考 さ れ る 仏 以 二 音 一 演 一 一 説 法 一 。 衆 生 随 レ 類 各 得 レ 解 。 皆 謂 世 尊 同 二 其 語 一 。 斯 則 神 力 不 共 法 。 ︵ 大 正 ・ 一 四 ・ 五 三 八 a ︶ とあるのがそれである。此の説は、如来は大小二一来等しく区別なく、唯一円音を以て法を説くのであるが、それを聞 き、領解する機に別が有って異解が生ずるのであるとする説である。 ③ 第二は寸大乗義章﹄等に 菩 提 流 支 宣 説 如 来 一 式 日 以 レ 報 ニ 万 機 一 大 小 並 陳 と云う菩提流支所立の教判である。比の説は、如来は一音のうちに既に大小二乗の法を並陳するのであって、その理 江戸時代における大乗非仏説の批判 一 五 五江 戸 時 代 に お け る 大 乗 非 仏 説 の 批 判 一 五 六 由は、機に大小二乗がある事を先に見て取られているが故であるとの説である。 い ま 此 の 一 音 教 の 一 一 説 と 、 潮 音 の 二 義を対望し、それを図示すれば次の如くになろう。 ︵ 一 音 教 の 二 説 ﹀ 乗 ー ー
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−−物有顕晦一切諸法皆然云々 乗 乗 一1
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大小二乗根機各別故所教亦別 乗 一 ︵ 潮 音 の 二 義 ︶ 付 如 来 説 法 器 開 解 ︿ 一 ( 二3
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機 その な別 わを す 説 法 /\ 小 大 右の図で知り得る如く、潮音は仲基・天洗の誤義を破する中、第一の誤義に就いては、 一昔教第二説﹃大乗義章﹄等 に述ぶる菩提流支所立の一音教説の立場で、 また第二の誤義を破しては﹁維摩経﹄等の一音教説に依ったものであろ 心と推考されるのである。以上の如く考察する時、潮音は、仲基の大乗加上説・天揖の大乗仮託説を一音教説でもっ て破斥したのであると思考されるのである。四
教法は経典を通じて窺うものであり、経典は又教法の文字化でもある。故に教法と経典は不離の関係にあろ。大乗 の法が如来金口の教説であるとする潮音は、大一東経典また仏の抗説の筆録である心与を認めるのである。此れに反して、 大乗非仏説を主張する仲基・天慌の立場は、教前・経典共に後人の加上・仮託との見解に立つのは蓋し当然であ一る。 然らば大乗経典が具体的に成立した時、即ち大乗経典成立の歴史的事実はいつ頃なのであろうか。 ﹂ の 問 題 に 対 し 仲 基 は 、 ﹁法華経﹂の成立年代を論ずる中に経 説 多 仏 後 五 百 歳 之 人 所 レ 作 。 放 経 説 多 二 五 百 歳 語 一 。 大 論 亦 一 五 。 五 百 歳 後 ρ 各 々 分 別 。 有 一 一 五 百 部 二 五 々 ︵ 出 定 ・ 二 ︶ と云うのである。即ち仲基は大釆経典成立は仏滅五百年明と推定するのであり、天静また此の説を承けるのである。 此れに対し 湖 音 の 明 確 は 論 証 を 川 見 出 す 事 の 出 来 ぬ の は 残 念 で あ る 。 然 し 、 先 に 芋 げ た 潮 音 の ﹁ 宅 一 一 像 法 始 ↓ 中 時 馬 鳴龍樹等大菩陛。間二聞大乗法門一云々﹂と云う文の中、間一一闘大乗法門一とは、単に馬鳴・龍樹の﹃論﹄のみを指すの ④ みでは無く、付法蔵の詰師が心々密附して来た大乗の教法の開園︵この場合の開聞とは文字化を意味する︶をも合まれる のではなかろうか。もし此の解釈が許されるならば、湖音は六乗経典の成立を初期像法時代であったと考えていたと 云 う 事 が 出 来 る の で あ る 。 尤 も 、 正 像 末 の 一 二 時 の 年 代 区 分 に は 諸 説 、 が あ る が 、 潮 点 目 は 彼 の 教 学 的 基 盤 よ り し て 、 正 法 五百年、像法一千年、末法一万年説を取るものと思考される。故に、潮音の初期像法時代説は、仲基・天併の仏滅五 百年以後説と符を合すると見る事が出米るのである。 かくして、仲基・天品川と同じく潮音も大乗経典成立年代に就い ては、共に仏滅五百年頃と推定するのであり、此処をもってすれば、両者は同一見解の如く考えられるのである。然 しここに問題として残るのは、その根本をなす仏滅年代である。即ち両者の仏滅年代が異なれば、当然つ仏滅五百年 頃﹂が指す年代にも、相違が生じて来るのである。今日、尚も此の仏滅年代に就いては諸説があり一定しないのであ る が 、 仲 基 は 衆 聖 点 記 中 略 是 独 有 一 一 依 滋 − 中 略 大 底 仏 氏 之 意 。 皆 欲 ヨ 一 迦 文 之 出 先 ニ 於 孔 老 二 子 一 。 而 此 却 後 レ 之 幾 百 年 。 と、仏滅年代を﹃衆聖点記﹄説に依りながらも、老孔二子に後ること幾百年と云うのである。古来、老先仏後の考え @ 方は、西晋の王浮の偽書である﹃老子化胡経﹂をその所依とするのである。此れに対し潮音は、 @ 南とするのであると推定されるが、 ﹃大唐開元録﹂を指 ﹁衆聖点記﹄説を批判する可善見昆婆裟﹄説を出して、仏前老後を主張するので あ る 。 江 戸 時 代 に お け る 大 乗 非 仏 説 の 批 判 一 五 七
江戸時代における大乗非仏説の批判 一 五 人 更に此処で問題になるのは、仲基・天瀧等が大乗非仏説論書の中において、大乗経典成立の歴史的年代と経典所説 の不同を盛んに論議する市ずである。この事は、彼等は経典成立は、即経典所説の思想内容の成立、又は経典成立は、 即経典製作者の思想内特の筆録と考え、経典所説の不同は、即説法者、製作者の別を意味するものと思考するをその 根本とするが為である。此の思想に立却して、大乗諸経典の成立年代を明す事は、それがそのまま経典所説の思想年 代を明す事になり、経典所説の不同を問題にする事に於いて、説法者が仏一人でなく、後世の人々の説に成るもので ある事の証明にせんとする為であ一る。然も、それ等仏以外の人の説いた経典が﹁仏説﹂とされているのは、白説を権 威づけんとするための仮託であると主張せんが為である。此れに対して、潮音は経典成立の歴史的問題に就いて、前 述の如く明確な論議を為していないのである。此の理由は、潮音に在つては一切経典はっ如来金口の説法﹂であり、 経典はその金口の説法の筆録であるとするを狼底とするが故である。潮音は、仏の説法より経典成立に至る過程は口 調相伝されたものであり、特に大乗深々の法門は、付法蔵の諸師が心々密付して伝承して来たものである。その伝承 の形態は一一士一口一句加減すべからずである。経典所説の不同は認めるが、その理由は、党字は極めて濫れ易い為と、貝 葉 も 叉 紛 乱 し 易 い 為 で あ る が 、 円 以 大 の 原 因 は 仏 の 随 機 説 法 に 在 る ︵ 掴 裂 ・ 一 二 ︶ 。 然し、随機説法こそ仏の善巧方便大 慈悲顕現活動の相であり、仏の仏たあ所以であると論ずるのである。故に潮品目には、経典成立の具体的年代がいつの 時代であろうとも重大な問題ではなく、仏の説法より経典成立までの形態は一一語一句濫れず不変であると反駁主張す るのである。但し、潮青は教起に就いては時間的歴史的前後を認めるのである。即ち、天訴が同問題に就き、 菩捉流支の説に成道二十八年理洛を説き、三十八年解深蜜経を説き、 四十八年観無量寿経を説く。 ︵ 赤 保 ・ 七 ﹀ と云うのに対して湘音は 案 ニ 汝 所 レ 記 説 法 年 紀 一 。 古 人 草 疏 。 未 レ 見 レ 所 レ 由 。 蓋 荊 渓 文 句 。 釈 鎖 中 略 是 乃 唐 朝 所 レ 筆 。 其 説 足 レ 徴 。 ︵ 金 剛 ・ 六 ︶
と 反 駁 す る の で あ る 。 いま因みに潮音が依患できるとする湛然の﹃法華玄義釈鎮﹄を選び、その中より説法の年紀を 論ずる文を検出するに 大 集 云 、 如 来 成 道 始 十 六 年 、 故 知 、 方 等 在 ニ 鹿 苑 後 一 。 仁 王 云 、 如 来 成 道 二 十 九 年 己 為 レ 我 説 ニ 摩 詞 般 若 一 、 故 知 、 般 若 在 ニ 方 等 後 九 亦 知 、 仁 王 在 ニ 大 口 間 後 一 。 法 華 云 コ 四 十 余 年 一 。 大 経 云 コ 臨 滅 度 時 一 。 当 レ 知 、 次 有 レ 所 レ 拠 也 。 ハ 大 正 ・ 三 一 二 ・ 九 五 九 a ︶ と あ る 。 以上、潮音の経典成立に関する主張を、仲基・天携の説と対比し図示すると次の如くである。 ハ 円 経 典 成 立 500年 1000年 10000年 年 A U i i ! 戸 h U 4 引 ム 乱 恰 、 l i l l l l 1 1 1 ! 1 1\ f l o − − 1 1 1 I l l i − − ノ
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仏 滅 ・ ・ ・ : : ・ ・ ・ ・ ・ 正 法 : : ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 7 9 0 6 1 1 1 像法Il
−−下|||末法 白説法と年紀と経典成立︵潮音︶ ︵ 歴 史 的 ︶ ︵ 超 歴 史 的 ︶ 一 一l
仏 の 説 法 | 一 一 一 経 典 成 立 | 道 お 誠 お 咋 成 句 仏 側 聞 江戸時代における大乗非仏説の批判 一 五 九江 戸 時 代 に お け る 大 乗 非 仏 説 の 批 判 一 六 O
五
以上、江戸時代における大乗仏説・非仏説論誇を、真宗学匠潮音の思想を中心に考察したのである。大乗非仏説を 主 張 す る 仲 基 ・ 天 説 は 、 大 乗 経 典 の 一 全 て は 後 人 の ﹁ 加 上 ﹂ ︵ 仲 基 ︶ ﹁ 仮 託 L ︵天滋︶であると云うのである。仲基の加上 とは附加の意である。故に仲基の大乗加上説とは、大乗は小乗を核として附加されたものであるとするのである。然L
、核に附加されて成立したものは核とは無関係に独立するとの見解であり、経典成立は即経典製作者の思想内容と 考えるのであって、思想の発展とは見ないのである。天瀧は、 はっきり仮託であると論断した。即ち大乗経典は、後 世の人が仏に名を仮りた寓託偽造であると主張するのである。これに対し潮音は、経典成立の歴史的思想史的問題を 空間的に把握し、仏在世まで巻き上げる事において仏説と反論するのであった。即ち潮音にあっては、経典成立の具 体的年代がいつの時代であろうとも、仏の説法より経典成立までの伝承形態は、 一 一 言 一 句 加 減 す べ か ら ず で あ り 、 特 に﹃一八乗深々の法門は、付法蔵の諸師が心々密付して伝承して来たものである。故に一切経典全て如来金口の説法の筆 録であると主張するのである。蓋し、この両者に共通して云い得る事は、共に仏教々理の思想発展を重視し得なかっ た 心 事 で あ る 。 ① 〈 註 V 以 下 、 ﹃ 出 定 後 詰 ﹄ ・ ﹃ 亦 保 保 ﹄ ・ ﹃ 捌 裂 邪 網 編 ﹄ ・ ﹃ 金 剛 索 ﹄ の 頁 は 、 鷲 尾 順 敬 博 士 編 ﹁ 日 本 思 想 悶 詩 史 料 ﹄ 第 三 巻 の 頁 数 で あ る 。 ﹁ 大 毘 悼 演 沙 論 ﹄ ︵ 大 正 ・ 二 七 ・ 四 一O
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︶ に も 同 様 な 説 あ り 。 ﹁ 華 厳 級 将 玄 記 ﹄ ︵ 大 正 ・ 三 五 ・ 一 一O
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︶ に も 同 様 な 説 あ り 。 ﹁ 摩 詞 止 観 ﹄ ︵ 大 正 ・ 四 六 ・ 一 alb ︶ ・ ﹃ 付 法 蔵 因 縁 伝 ﹄ ︵ 大 正 ・ 五0
・ 二 九 七 J 一 一 一 一 一 一 ︶ ・ ﹃ 景 徳 伝 燈 録 ﹄ ︵ 大 正 ・ 五 一 ① ③ ③⑥ ③ − 一 一