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トマス・ホッブスノセイジシソウニオケルゲンジツシュギ

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(1)

九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

トマス・ホッブスノセイジシソウニオケルゲンジツ シュギ

竹原, 良文

九州大学法学部 : 助教授

https://doi.org/10.15017/1278

出版情報:法政研究. 20 (1), pp.31-78, 1952-09-30. 九州大学法政学会 バージョン:

権利関係:

(2)

マス●ホヅ ブズの政治思想における現實主義.

  日  .爽

一︑はしが︐き

二︑近代科學精蹄岬の確立

三︑ホジブス政治理論の基礎

四︑三家︵政治的物体︶論と主権理論

五︑むすび︵民族主煙㎜の確甲立︶

       〇         一

 政治學皮の研究においては︑︑時代︑剛応分や階級的イデオFギー性の検討が重大なことは言うまでもないが︑特に政

治の理論に關しては︑それが債値創造的實践行動の激しい飛躍と緊原性のなかで規定されてゆくのであるから︑民族

なり︑追走階級なりの︑政治的實機の動的情況の分析とそ︑政治學的により重大なる意味をもつであろう︒かように

高度め行動性をともなう︑︐慣値判断をふくんだ政治思想を︑當時の政治情勢の光のうちに照して︑その時代と思想家

の生まなまじい惰熱の中に正しく再現するごとは大いにむつかしい︑ととであろう︒しかしそうするどきにのみ︑もは

肺ありふれた常識や氣のぬけた慣用語のなかにうつもれてしまった政治の概念や規定が︑薪し矩姿をもつて私どもの

20 (1●3孟) 31

(3)

論設

 この新しい生命にみちた概念のうちに︑私どもは眞理の獲辰のすが海を︑政治の盛期性の表現を見いだすことがで ヂえにあらわれ・新しい生命撮ちた言葉でもってよびかける・

きる︒それはいまだ素朴な見解にすぎす︑幾多の映陥をふくむとは書え︑︑政治現象の本質︑政治椹力の書字を︑實践

の要請℃こたえつ﹄︑科學︑岡に解明しょうとしている︒特に革命や内臥の事態ほど︑政治忠良や國家の本質を曝露す

るものはない︒ホッブスの政治思想は︑英図の清教徒革命の経験をへて︑民族的統一や政治罹力の補力性︑行動性︑.

新.しいブルジ駅ア市民耐曾の胎動を︑ その幾何學的誰明方滅の冷い殼でおおいきれすに︑熱情的に分析しようと試

みていた︒    ・

 現智主義の概念を私はこ玉で特冗限疋した意味で用いていない︒それは宗教︑倫理︑面諭の幽霊値規範をこえて︑

政治の活力的創造行爲を高く評債する立場である︒ただ愈愈の枇會的矛盾を止揚しうる科學的法則のみが︑宮践の規

準になりうるにすぎない︒それはマキャヴェルリの理論から始まるのであるが︑私はホッブス忙もこの理論の影響が      ご多分℃入りこんでいるように考えている︒

 ホップスの政治思想をかような槻黙から究めようとするならば︑私どもはまつ彼の瓢會藤豆的︑階級的規定性につ

いて︑明かにするところがなければならない︒當時の英雄資本主義の獲展に興する瀧會維濟史的研究については︑す

でにすぐれた論著がわが國においても示されているので︑私はごの黙について付け加えるべき何ものももってはいな

︵吐︶・ ただと﹄ではホブッスの政治思想を見るうえに最少限に必要な限りにおいて︑国議の英國の政治弱勢を伺顧して見

よう︒ 既にウィクリマの宗教革改運動はきわめて民族主義的色彩をおびて展.開されたが︑.その影響は︑ロラール派として

20(1●32)32

5

(4)

論観

會及びそれと結んだス.ペインあるいはフランスの勢力から︑英國民族の猫立を促進しり︑みった︒理論上も︑フゆヵア        へ 奪︑エドゥァド四三及び工玖ザベス女王の統一令︵一五四九年及び一五五九年︶による英國教導の樹立が︑ロ﹂マ教 せられた︒ヘンリィ七世の寺領残牧政策や星室廃の設立︑ベンゾ!撃墜の一五四三年の大椹令による法皇司法椹の剥 ︑義的傾向を帯びていたと言われる︒チュゥドル王朝及びスチ3アート王朝においてイギリス民族国家はいよいよ確立       ニご 響をうけた入があったが︑ケント州のコンモンズの亥持したジャック℃ヶエドの叛胤︵一四五〇年︶も多分に民族主 め下級騎士︑都市市民のうちに有力であった︒ウ國ト・タそうァの叛齪にもジョン冷ボォルのようにウィクリフの影

の﹃教禽統治論﹄ ︵南︒♂加ω茜馨ざ巴弓・今戸︶は︑ブランシス・ベイコンの電量観とともに︑英國教會の理論的基礎を與      ︵四︶えつ﹂あった︒すなわちそれはエラスチアニズムにほかならなかった︒

 しかしかような民族國家の確立は映して安易な事業ではなかった︒.女王マリィの蕾教復活や︑スペインの援助によ

るスコットランド女王マリィ・ス・チュ・アト擁立の陰謀︑一五八八年及び九九年の二回にわたるスペイン無敵艦除の來

襲は︑ローマ挙国ど外國勢力との結託によって︑英図の猫立が危瞼にさらされていたことを示していた︒蹉エイムズ

一世の時代においても︑カトリック貴族とジェス牛ット派の秘密活動はいわゆるO琶℃9乱平日津島℃bとして爆回

したし︑一九四〇年の内鼠開始の原因とレて︑畠國會側は︑宮廷貴族と結んだジェスイット派の陰謀をあげていた︒

 その後におい︐ても一六七九年の団︵︶覧︒︒諾罠^訴やジ4イムズニ世のヵトリヅク的外國勢力との提携の企てがおこう.

ていることをみるなら憐民族の年立が黒鼠ザベス女王の時代をも・て完成さ契と蓼︒ととは許され藁蹴

 スペインは英國の商業上の競争相手たる地位から没落し去ったけれども︑フランスとオランダは有力な海上勢力を D

擁して・英書の商業勢力を脅威しつ毒・た・例え竺六至年のζムウェルの航蚕飼や・翌年の業ランダ戦駅

役の開始は︑かような國際的封立を粉語っている︒

(5)

論読 箋箋総力的スコ・ードに慰するオランダ雲助は︑とれ長簸毒讐ていた︒ 瑚

かった︒その分裂に乗ずる外國勢力の干渉はたえすおこなわれていた︒カトリッグ的アイルランドに封ずるローマ教34  イングランド︑スコットランド︑・アイルラン.ド三民族の分裂は︑︷示敏問題とも關連して︑いまだ馬丁︑﹂れてはいな.

 イングランド内部においても︑近代化に俘う封建諸勢力の反撃醜︑︷示教的外被をまとって︑反君擢的衝動を磯展さ 咲

      ボ       リぢせていた︒土地のかこいとみや資本制的マスフ﹃︐クチュアの進展は︑他方農民や都市手工業者の淀落を伴い︑これら

大衆の民主主義運動を促進していた︒猫立楽.派やク︑・序エルの軍冨猫裁︑レヴ.ラ.ズの難︑的基盤億︑これら

の・下層大手であった︒櫓侶︑貴族︑騎士及び商人暦によって構成された國會は︑決して國民代表乏しての近代期國倫周

ではなしに︑多分に三族代表によって構成ざれる書影會議の性格をもっていた︒そこには民族的統一の立場ほ見いだ       されすに︑封建的分裂のみが存在していた︒       ハセ  ド 自由主義勢力にいたっては︑その存立の肚會的基礎すらもっていなかった︒

 かような激越情勢をホッブス自身がいかに評慣していたかを知ることは︑彼の政治思想を理解するヶえに︑重要な

ことであろう︒ 一六四〇年から始まった内野と︑ク・㌔ムウエル猫裁の出現︑さらに革命の反動化と一六六〇年の王政

復古は︑絶樹主義の近代化政策と︑それに接する反動としての反君椹運動との矛盾ど分裂が︑難しい市民献會的基盤

の5えに立つ民族統一のうちに綜合されてゆく過程であり︑一︑六八八年革命はその完成であったが︑ホッブスはこの一

過程を︑彼が王政復古ののち︑.この時代を回顧煮て記述七た︑劉話休風の歴史書b⇔.げ①言︒呼霊夢.忌嵜穿︑弩密︒h︑笹.

O二三Φ︒・o片身ΦΩ<嵩︐薫建ωoh自門参ごPき伽Oεロω①尻︐帥巴b二篇ぢ︒ωび翼萎門島けげ昌芝①お翁霞一山︵︶=楚︶諺e冨遷霞

﹈O劇Oε夢①棲︒鎚同⑦⑪O・︵cり︼W①ゴ①諺○夢鳩︒目子①.自凶馨8寓︒剛夢①Ω≦副芝象︒議︒民国ごσq賦b自︶のなかで︑くわしズ読明

し︑當時の政治勢力として︑つぎの立場を畢げている︒      噂

(6)

  すなわち貸その8は︑キリストの牧者︵レ爵髪審話亀Oζ禦鳩¢︵︶αω.︸唇び舘劣α︒議﹀︒牧師乃至その合議体はそれ       へ ・それ教匪乃至全國民を統治する罹利を紳よりえたと稽している︑・卦わゆる団審菩鼻聾鼠霧の立場である︑

  口︑法皇のイングランドにたいする世俗的︑教導的田力は︑國會﹂の命令によって慶止せられたけれども︑キリスト

  の代理者であか︑.キリストの夕景によって︑キリスト教諸方の統治者と考えられた法皇によって︑英餌入民嚇統治ざ

 れねばならないとの信念をいまだなお支持する多くの人々︒いわゆる法皇窯である︒

  日︑信教の自由を主張する︑多様な︑異った意見の翌々︒そのある者は巷べての唯事の自由と猫立を認めるので猫

 立派︵図aΦ℃①巳2審︶とよばれ︑他の一派は︑幼兇やその意味を理解しない人々にたいする貫首を無意味と考えたので

 再洗蓬頭︵bb舗を碧駐お︶とよばれた︒そのほかキリスト王國の地上への實現を信ずる第五王國派︵団剛懸守嵐︒ロ鳶9ヤ

 旨㊦ご︶︑クェ三吟ァ︑アダミットがいた︒彼らはそれぞれ︑聖書の英語学がなされたのちには︑その佃人的解繹にし       0 たがって︑國王にたいする反抗を試みた︒      .       ﹁ ﹁       .

  四︑古代ギリシャ︑ローマの政治に關する有名な哲廻者たちの著作を學んだ多くの入々︒これらの著書は︑民主政

 治︵型︶℃廷篭Ω︵︶︿①琶垢b一︶を自由の名のもとに賞讃し︑異質政治を暴君政治の名のもとにしりぞけている︒ 庶民院

  はこれらの有識者によってしめちれていた︒﹁︵ホッブスはこの著書の他の箇所で︑これらの哲學者としてアリストテ

  レス︑キケ官の名を淘げている︒特に大學を支配していたスコラ厨子がアリストテレス哲學に負うところ斜なること

  を指摘して︑その批判につとめている︶︒

読  田︑ロンドンその他の商業都市︒これらの勢力は︑スペイン國王からの猫立後のオランダの老躯にあこがれて︑イ

論.ングランドにおける政府め攣革が同一の繁榮をもたらしうることを期待して−い距︒

    因︑財産をつかいは慰したもの︑あみい倣自分の才能にとって現在の地位があまりにも低い之考える人々の一團︒

29q・35》3昌

(7)

﹂   ● k

  あるいはぎた健全な電休をもちながら︑眞面目な手段で日々の糧をうる方法を求めようとしない高々︒彼ら依職孚を︑

読・欲し︑もっとも利釜になる堂⁝派に從おうとした︒       36︐

論叢馨に褻食の霧にたいする無知がある・﹃⁝砦らく颪人のうちに天も・いかな熱利にもとつい醐︑

      σ  て人は彼に命令することができるのか︑あるいは彼が自分の意志に反して所得をわかたねばならない國王または國家      20 ・︵Oc諺諺ob≦墜乞ごQ①諺Φ繭ご≦$①ご︶が︑ いかなる必然性によるのであるかについて︑全く知るところがなかった︒彼

  は︑自ら所有する物はどんな物であれ︑自分がその主人であり︑彼の伺意なしには︑公共の安全という口笛をもって

  しても・とれを彼からうばうζとはできないと︑思いこんでいた︒﹄國王をたf最高の磁器だと考え︑衡呪法ではな

  しに︑判例と慣脅法にとどまり︑・公課を拒絶しうる入物を國會議員としでもっともすぐれた︑賢明な人と考えてい

  ︵八ノ           た︒

   ホッブスは︑かような盛況を生みだしていた︑非憾辛的理論の徹底した批判から︑始める︒そしてかような批判を

  とおして︑ぎわめて革命的な政治の科學理論をつくりあげようともている︒すなわち一切の紳學理論及び倫理學︑法

  律學からの政治學︑の解放であり︑彼のきわめて謙虚的な唯物論哲學の無二による政治の科學の﹁基礎づけである︒

   註 ︵H︶ 国●竃︒ぢoO鮮①b凶⑦H缶︒①山①門ω箪9↑ヨ︑ρoωoコ.ω●ω層b◎⑦ω.h●や フランシス・べ一.コンがホッブスに影響を及ぼしたこと

      は充分に想像しうるところであるが.ベーコンはマキァヴェルリの著作よって啓発せられたことは︑あきらかである︒

      臼・毛.︾昌①p国記繋げ℃oぎ幽op一回ぴ鶏0学びr一①81一の①9︿σドい℃・db︒・ 頃.ピ寒雷日げ①表・︒①o出国毎︑o℃$⇔観ぴ①鎚房β.

      も・qc︒︑や⑦b︒・       ρ

   ︵二︶ 水国洋︑ホッブスかいしゃくの一系列︑︵歴史學研究︑一阜三八︑ 一四一易︶︒同︑イングランド革・命にかんするさいきんの研

      究︑ρ歴史學研究︑噸五六暑︸︒同論丈で指摘された鵠M芦Q訂甑︒ぴぴ①ω節目飢⇔旨αq凱昌℃O葺ぱ巴浮︒鎧恥簿・︵一りお︶OO8鍔Qら

(8)

︵三︶

︵四︶︑︵五︶

︵六︶︵七︶

︵八︶ 団●口︒ぴぴ①︒q・︵一⑩G︒㊤︶はついに参照することが︑できなかった︒後日の研究を期したいQ臼・︐七δ﹁︒碧♪記互︒q︒h国コσp穿ず℃︒寮討巴日72σ︒ξマ㎞α・目舗貫蕾臼ややω緊●ド邑霧貫ヨ曇︾や①︒︒1①P       ..        ﹂      ︑蜀⑦韓5σq㌧国ロσq冒ご亀=⇔負①﹃仲ゲ⑦↓自魁︒易ρ三ω蜜曽﹁蜜語℃.一㊤戯一9℃.卜︒b︒卜︒D 井上茂︑ホッブスからロックへ︑ ︵法思想の潮      O流︑=二三頁︑一四九頁︶つ        ︐   ︐   ・   ・       ︑   ト炉   英国社會の等量的屋成については︑拙稿︑混融階級の本質︑ ︵法政研究︑第目八霧︑第三號︑八五−八八頁︶参照Qピ甘の︒戸国oo国︒ヨ討出置ε受oh国﹁嶺剛p⊃呂◎ぐ○ド葭.oゲ営.︑潤.鷺①﹁oげ拶箕埠Φωヤ︒︒言瞬冒け参照︒ト︸ス︒マンの﹃外國貿易によヂる英國の富﹄は︑エハ六四年の出版である︒ ︵ト々ス●マン︑重商主義論︑︹堀江・河野鐸︺滲漏︶寓︒げ9ρじd9Φ8︒夢.︵自畠塞げ毛9︑冨ξ寓亀霧キ9︑浮・ぎピ・︶唱・一盛一一①・︒﹂●ピ首鰍臼げ・国︒喜貧︾昌録噂しdΦ冨菖○酔ド

︒智守・冒勇℃鼠冒・隻﹄ぴ︒墓無・﹄︷陽●︒︒●堕謹よ︒9以下幕帯暮費℃⁝ψ⁝と倒して引用する︒

      二

   膝の.ブス政治理論の課題の一つは︑瀞畢理論の影響から政治原理を解放することであった︒その第一の問題はロー.

  マ教會の巾世的支配からの離脱に抵かならない︒       ・

   法皇主義の入民にたいずる統治椹の宴求の根醸は︑ホッブスによれは︑申命記第十七章第十二節における︑ ﹃人.も

      う設 し自ら專噺にし︑その汝の紳エホバのまえに立ちて事うる祭司︑またはその士師に嘉きしたがわざサQ者あらば︑その

論 入を殺し︑イスラエルの申より除くべし﹄との言葉であり︑・またマ.タイ傳第二八章第一・八−二〇節︑ ﹃我は天にても

  地にても︑︑一切.の椹を與えられたり︒されば汝ら往きて︑.もろもろの國人左教え︵σ9︵︶・:魍bΩ蝕︒鋤︵渉︶︑父と子と聖鑛と

20 (I o37) 37

(9)

6

論説

の名によりてバプテスマを施し︑わが汝らに命ぜし凡ての事を守るべきを教えよ﹂との章節であ.て︑これむの句か

ら︑各民族が使徒たち︑特にその首たる聖ペテロによって︑したがってまたその後綴乾たるローマ法皇によって統治顕︑

 ホッブスはかような論櫨を次のよヶに批制している︒まっかの奮約の章蔀は︑ユダヤ人がその祭司に二三ずべし乏︵︐      20影の帥の・命令であって︑それが他のキリスト教的民族にとって同一の効力をもつとは︑とうてい解繹されない︒マタイ傳

﹂の句にりいては︑その本來の意味は︑ .︑σqO念︒bα酔$︵丘..ではなくて︑ ︑.σqO歪︒b像8皇︒ぎ◎①・︒︵・凶覧霧.︑である︒人民と弟子︑労えることと命ずることとのあいだには︑非常な差異があツ︑oつもしもこれらの章節の言葉がさきのように解繹さ

れねばならないとするなちば︑何故にキリスト藪諸國の君主は︑彼らの至上椹︵窯a霧貯︶や主樺の稔號をすてて︑

自的を法皇の代理者とよばない・のであるかと︑述べてい駈ポ.

 ローマ藪會の神曲者によれば︑ ﹃教椹とは信條を決定し︑道徳的義務の︑良心の内面の法廷における裁判官となる

椹力であ9︑その規律にしたがわないものを宗教的制裁i破門によって庵罰する経論を意味している︒ 彼らによれ

ば︑法皇はこの椹力を︑破門の封象となっている入居の︑君主または主灌的合議休にたよることなしに︑直接にキリ

ストより得ている︒しかし世俗法︵Ω<⁝=楚を︶を犯した行爲を裁き︑虞罰すべき増益については︑彼らはこれを直撞

に要求するのではなしに︑これらの行爲撃宗教︑良俗を妨害し︑あるいは促進するかぎりにおいて︑問接にこれを要.      す求している︒﹄        .      ︒

 すなわち−財霞象b①巴留三酔葺聾︸解であるが︑.かような宗首上の事項に全く關係のない俗骨の範幽は︑國王あるい       ぴ       ヨ はその他の圭椹者にたいしては︑全くのこされていないか︑あるいはきわめでわすかしかのこされていない︒

 さらにホ︐ッブスぼ︑教會制度の歴皮的事賓にもとづいて︑教椹と俗説との講習について︑實誰的論誰を試みているQ

(10)

  まつ︑教理制度の確認及び教義の決定が︑ニカイア︑コンスタマチノギプル︑エフェリス及びカルケドンの宗教會議

  において決定せられた︒したがρてその決定は︑これらの會議を召集した皇帝の椹威からいつるものでないかぎり︑

. .︑いかなる強制力ももちえない︒法皇職も本來皇帝から蓄えられたものであったがハ皇帝ロタリウスのとき︑カリクト

  ウ三世が・皇帝の許可を費して・︒ーマの大司饗驚されξピは・教導の請払の最初であ・悔

    やが.て北敏蟹族のイクリィ侵入と︑ローマ市民の警部爾面にわたる大司教への冷上が︑ロンスタンチノープルにあ

  ・つた皇帝の椹力から猫窪した法皇をはじめて世俗的君主たら︑しめたつ﹃この時代こそ︑法皇が彼の教椹にこ必よせて︑

  .西欧の他のすべての君主の俗罹を侵害しはじめたときであるのそしてそれ以後灌力⑳獲得はつ璽き︑第八世紀から第

  い十一惜紀︑すなわちレオ霊世からインノセント三世犀至る約三百年間に︑ついに法皇の槽力は絶頂にた した︒蓋し

   ζの時代に法皇ザカザゥス一世はフランス國王キルペリヅクを隠して︑その臣下ピピンに王國を與えた︒ピピンはこ

  ・︑れにたいしロムバルドの大部をうばい︑これを教會に献じた︒そQ後聞もなくロムバルド人ぼその所領を回復したが︑       リ   チャールズはこれをうばいかえして︑.再び教會に献じたので︑法皇レオ三世はチャールズを皇帝としたp﹄この時以

   來王位は法皇の仲介によ・て・世羅物U杷σ・・碁として・國王擾けられる慣行が生じ嬉

    かくて異端を名として法皇は︑國王にたいする人民の離反をすすめ︑あるいは他國の君主がその國へ侵入する椹限︑

  汀を與えることができるようになった︒イングランドのジョン王やフランスのアンリ四世時代の叛魁は︑宗教の名によ

らて國王に加えられた重大な侵害に集らない.したが.てホ.ブスは︑異端を絶滅するために男帯弁え喝と論

 詮 には︑合法的主構者にたいする三民の服從の義務や忠誠卯建奪日を冤除しうる法皇の椹力を︑特に非難している︒ 隣︑入民レ      くロ 論 を臣從義務から解放するゼの椹力及び道徳︑教義に關︑する判決者たる︑その他の椹力こそ︑存在しうるかぎりの絶墾 20︾

   旧主灌であスのその結果として同一の民族のなかに二つの王國がならび存することになり︑その主入のいつれに服す・

(11)

層嘩

論i溌

べきか︑入は知ることがで凌︑ない︒﹄        ゐハ  

︐勿論ホッブスは世俗の主筆者への服從を主張する︒ ﹃私としては︑カノン︑すなわち信仰営め規範をさだめる椎利40.

を主張して︑驚以外のいかなる盧灘も︑鞭ももたない主全警むしろ法律姦課議利をも・罪人剛

に服属すべきであ・︒.﹄.インぞフ︾繋.の場合のように︑雛が全盟姦門に覧るならば︑國民よりもむし︒っ騨

法皇自身が破門されたようなものだと︑ホヅブスは述べている︒

 ホヅブスはこのように︑カトリック紳學の立場からなされる法皇支配の理論を攻撃し︑またかよう.なスコラスチズ       ハ  ムの基礎理念となっているアリストテレス形而上學の批判に及んでbる︒

 プレスビテリアンの︑カルヴィン紳學から嚢験してくる政治理論もまた︑ホッブス唯物論の批判の封象となってい・

た︒         ﹂      ︒

 スコッ︾ランドにおいてはδかような宗教改革派の運動は︑コンフ宜ミティのイングランドの場合とはちがって︑

フランスの国教的王族ギィズ公の娘︑女王ヤリィがロレマ教會と提携したために︑反君権的なスコットランド封建貴﹂

族の支持をえて︑急速に据大していった︒イングランドの下級騎士や・ンドンをはじめとする都市の商人暦もまたそ

の・支持者であったが︑その最も有力な地盤はスコットランドにあったといわねばならない︒      ︑.   ︒

 ジョ.ン・ノ︒クス名︒言昏︒華§qi§・︒︶は︑.b&霧箕︒夢・︒冥8養繁g︒︒§夢心..︸︑.円冨固翼飾︒︐§轟︑

⇔づc︒︐け9爵Φ目峯彰℃象︒︒σq鉱ご︒︐齢夢①竃○霧qo蕊園ΦσQ貯昌Φ艮Ohノ<9潟皇︒ご..を著して︑女王マリ畠イの統治を攻撃したし︑

ジ脇起ジ●ブキャナン︐︵︵軍. ︼WOOゴニ㊤b嘗︶は覧.︼︶oU億屑①切①茜ご凶聾℃嵩似oDo︵∀8弓︒..︵HOO刈︶によクて︑プ・レスビテリアンの反君日       椹主義の政治理論を形成しつ﹂あった︒

 ノ︾ク︻スは..浮&嬬霧ω..のなかでつぎのように述べている︒ ﹃憩がかくなすべきことを命じたもうたが故に︑われ・︑

(12)

 もば良君たると暴君たるとを問わす︑國王に服忘せねばならぬというのが通念である︒壕しかし國王が不信仰を命ず

  るとぎにも︑なお國王に磁壁すべきことを紳が命じたもうたと言うのは亀手にほかならない︒﹄      ノ   また﹃第二の吹奏﹄のなかでは︑ ﹃いかなる宣誓も約束も︑神にそむいて暴君に服從し︑彼を支持するように︑人

 民を拘束することはできない︒もし入民が無知から︑紳の牧民を統治するに値いしないことを︑後に自ら曝露するに      り  いたった君主を選んでしまグたときには︑人民はもっとも正當にとれらの君主を慶し︑虚罰することができる︒﹄と

 述べている︒ブキャナンもまた︑君主がその管楽のすべてを法から得ているかぎり︑聖書ははっきりと︑好悪なる人      コ   物が除かるべきととを命じているから︑專制君主政治には反封せねばならぬと主張している︒

  かような革命論が近代民主主義の磯展のうえに大きな寄騎をなしたことは︑否定しえないところであるが︑この理

 論は決して近代的聖餐理論のうえに構成されたものではなく︑聖書解繹にその根櫨を求めていた︒そのことは︑ノッ

  クスやブキャナンの政治理論が︑カルヴィソ紳學の保守的貴族主義に源泉をもっていることに︑はっきり認めること       讐 .      ・       テオグラシイ ができる︒カルヴィンは︑その著﹃基督教制度論﹄のおわ〃に︑政治論を述べて炉るが︑その主義は鼻下政治であり︑

 蓮用の面におて貴族政治であったと言われるっその・ーマ置型との差異は︑曾侶政治ではなくて︑庶民的であり︑

 教會と國家の二元制でばなくて・宗教と法・國家と警との一元的政治にほかならなか・た簿・認めち襲・.

  .ボッブス層は︑かような長老派教會の憩學理論から撫ぜられる革命の主張に︑ばけしい批判を加えている︒ ﹃⁝のみ

  ならす︑當時の國會をまもるために武器をとれと︑熱戦壇から民衆によびかけた彼ら︵プレスビテリアン︶が︑その

設 論篠として聖書を︑すなわち棘・の言葉を叫んだことは︑疑いをいれない︒國王が聖書︑.すなわち紳の命令に反する何

論 ごとかを命ずるとき︑國王に反封ずる︑あるいは聖書の意味の判定者たるととが︑入民にとって合法的であるとすれ

 ば︑君主の生命︑または王國の雫租がながぐ保障されることは不可能である︒この原理を公けに著述し︑あ乃いは読

20(1警4真)4真

(13)

       リニ   教する此々が王黛であるか︑叛謝者であるかはともかく︑下降をそのなかから二つにわかつものは︑この原理である︒﹂

︑読  ﹃國家を不安定とする二うの派閥が︑各人それぞれの個別的利害以外には︑それ自身の利釜をももたすに︑相争っ

論︑︑ているというごとは︑困難な事鹸である︒しかも彼らの紛争は︑あたかも彼らの學識が全世界の統治の原則でもある

  .かのように︑誰が最高の學識をそなえているか・についての︑奮見の相違がその源をなしているにすぎない︒彼らの學

  識というのは何であるか︒それは政治學や國法ρ源則であるのか︒ 周知のとおり︑それは瀞學︵U三bξ︶とよばれ

  る︒しかし私は哲婦に題する事項以外の封象がそこで語られたことをほとんど聴かない︒何故ならば︑眞の宗教は科

  學的論議を許さないからであ惹︒それは瓦灯の法であって︑いかなる論議も許さるべ置きではない︒彼らが紳と語り︑       ごニ   聖書を讃む以外の方法で紳の意志を知るこ邑が・できると主張しているとは︑私は考えない︒﹄

   またつぎのようにも述べている︒プレスビテリアンや猫立派が王にたいする反抗をすすめる目的は何であるかとい

  うのに︑教會のみならす國家もまた民主的となり︑令議休によって統治さるべき之とを主張せんがためである︒かく

  て政治を宗教に等量せしめ︑富によって財欲をみたし︑その妊計を︑彼らの智慧を讃えぬ語々を除くことによって︑

 ︑とげようとする︒これちσ這々は愚しいのではない︒内位の惨事にいたったのは︑ ﹃智慧︵ノ<δがない亀からではな       へ  も  ︑しに︑正義に關する︑科學︵oDo凶①bO①ohヨ葱凶︒Φ︶がない﹄からにほかならない︒ラムプ國會の人々は︑﹃一個の人格

  も         ロ       し  者︵男霞ω8︶が統治椹をもち︑他のの.ζりの人々が服事の義務をもつのがいかなる原因と根線によるものであるかに

  ついての知識を旧いでいた︒かような根擦こそ︑.それなしには相互に不和のうちに生活しえない人民に︑教えらるべ

 ︑﹁きである︒﹄したがって︑とれらの神益者たちと心ゆくまで話したとて︑職争と不和に卜する重大問題について︑利      ニ   .回しうるほどの思慮ある論議をみいだすことは︑百のうち一つもむつかしいであろうとも述べて.いる︒

20 (1 ◎42) 42

(14)

 ︑︑かようにホッブスは︑スコラスチズムや新教の葉群0立場から主張される政治理論を批判するのみならす︑聖書に

 自己の政治的潮頭の十四を求めている君椹話声論やワィルマァ﹁の族父椹論にも︑同一の立場から批判的であったこ︐と・

 を認めねばなるまい︒フィルマァが︑ホヅブスの︑自己保存を本質とする自然法の観念を︑アダムの族父的秩序に反

 するものとして︑しりぞけているのも︑彼を︑アレギザンダァ.・πッス︵因・︶湊①︶が︑マニ.教的異端として非難して

 .いるのも︑同じ王事⁝のう.シイ︵5⊆Ok︶︑ジョン︒ブラムオル︵記冨Bプ鑑︶艦無棘論者として指揮しでいるのも︑ホッ

 プろの政治理論が神學の立場から解整れていることにたいする反駁にほかならな魁転置

   ホィッグ的立場からのロ・オソン︵b婁・ωOb︶︑ハントン︵自戸翼§︶のホッブス批判の一つの黙も︑彼が疏治枇曾を紳       ゆ       コ   に封ずる信敬のうえに理論づけなかったことであっノ︒

   かようにホッブスは︑政治學を神學からすろどく分離するのみならす︑教會と紳學が︑世俗的主調者の樺威と自然      コセ   理性によって統一さるべきこと︑すなわちエラスチアニズムの立場を主張している︒

   ホッブスはさらに︑スコラスチズムの基礎理論どなっていたアゾストテレス倫理⁝學の批判によって︑政治學を倫理

  學から解放した︒      ︐      ヘ  一きわめて功利主義的倫理観から出機して︑善と悪とを︑人聞の性情︑慣習︑藪義によって.︑あるいは同・一入におい

 一ても︑時により︑その感情なり︑判噺なりによって湘異る︑欲求と嫌悪︑快と不決のうちに見萬すホッブスにおいて

読黙報存のための平和の維持ζ老の手段こ︽粘土曝書的徳であ咳%の反封は炉心であ有そこに一呉の道徳晶

論  彼はとの鮎につめて士民の倫理と︑主構者の倫理とを匠別している︒﹃そうです︒人民の徳は全く國法への服從の 駅      ゆ  うちにふくまれています︒・法律に從うごとが正義であり︑衡干であり︑また自然法でもあるのです︒したがって世界

(15)

       ¢       ︑

  申のすべての民族の市民法︵︵w剛証=鉾く︶なりです︒論そし℃法律に反するヒとより︑不正義︑ゆるいは不衡平なことは

・説 ありません・﹄ ﹃主椹者の徳は︑國内の亭和を維持し︑外敵に封抗するうえに役立つととろのものです︒剛毅は王者

論 の徳です︒⁝質素も王者の徳です︒⁝寛容もまたそうです︒.⁝これを要するに︑すべての行爲と慣習は︑その中庸に

  ょヶて︑あるじは構讃されるからではなしに︑國家にたいする大義と有用性にもとづいて︑善あるいは悪として評償

  悟れねばなりません︒なぜかと言うに︑面々がほめる慣習は︑他の入によって非難されますし︑また反封の場合には

  一方の人が悪だと言うのを︑他方の人は氣分のおもむくま︑に︑徳だとよびならすからです﹁︒﹄と述べている︒

   ごの見解によれば︑倫理はまさに政治に從指している︒かような倫理観が︑アリストテレスのそれと全︽無縁なこ

  とは︑明かである︒      ︒ .      .

   ホッブス自身︑アリストデレスの倫理⁝學がスコラスチズムた支持されたのは︑ ﹃アリストテレス︑あるいは其他の

  人々の道徳が︑彼らに何らの害をも與えないし︑私どもに何も利盆にならないからなのです︒彼らの教義は︑徳と悪

  に澄する多くの論議をまきおこしたが︑善悪が何であるかについて︑あるいは簾をえ︑悪を避ける方法については︑       コ    すこしの知識をも與家ません︒﹄と批判している︒       ・

   かような見解は︑十七世紀においていよいよ確立されつつあった資本主義的民事砒會におけるホモ︒エコノミクス

  の観念の反映にほかならなかったことは言うまでもない︒       ︐

   近代政治學の確立はさらに︑アリストテレスの合理主義に淵源して︑スコラスチズムの傳統的槻念となった︑自然

  法理論にたいする徹底した批判を必要としている︒ そしてコォク︵験黒鼠・Ocぎ︶︑セルデン︵ω︒置①b︶らの英國普

 .通法︵OO圓郎N︼POb ︼ピ皇δノぐ︶の理論は︑自然法的襯念によって支持せられていた︒し撃たがってホッブスの自然法論批制は︑       ニ    コンモン⑳ロォにたいする批判とならざるをえ・ない︒

20 (1●44) 44

(16)

   當時︑實際政治のうえでも︑かような自然法的普通法の理論は︑君主大梅の張化に反蜀して︑貴族︑商人の封建的  特電を擁護せんとした普通裁判所の︑國尿における法の優位の思想に︑有力な論撮を與えていた︒とれにたいして︑ すでにフランシス6ベーコンはoQ巴山男毛三聖とそ最高の法であり︑正しい法と眞の政策が雲立すべかちざるもので

  あるこ毒明奮し三コ・クをはげしく批難﹂鷹 ︑︐       

   ホッブズもまた﹃英國普通法に⁝關する哲姉者と法悪者の封書﹄︵諺.b富ざ侃おσ①コぎ㊦二身団ゲ凶ご︒︒︵壱ず心学巳帥6ρ冒α①9  0暁9①09轟轟ひ臥昌尊くω^︶騰国コ09討bα︶を著して︑コメクの﹁﹃英法提要﹂を批判し︑奮來のアリストテレス的スコラ的      三二︶  自然法観念に反封している︒   ゴ     ︐   ﹃本書の序論で︑法に激する討論と理性によって︑人はやがて法の確貴意と知識に到達することができると彼が述  べていることは︑正しいことを︑私は認める︒また私は︑この著書のさきの方で︑コォク卿が︑理性は法の魂である      ロ  と述べ︑また理性に反するものは法ではなく︑理性は法の生命であり︑普通法それ自体は理性以外のいかなるもので︐  もない︵第=二八節︶︑虚心は︑それ廃休書かれていない溶︑正しい理性そのものを本質としている︑ある完全な理  性であって︑成文法を解叙し︑修正するものである︵第二一節︶と言うとき︑私は彼と意見を同じくしている︒⁝⁝  しかしこのことを熟考し.て︑それが眞實且つ明白にして︑正しい常識をもった︑いかなる人もとれを否定しえないとと  を私が認めるとき︑私の理性はゆぎづまらざるをえない︒蓋し︑それは世界のすべての法を無効ならしめるからであ  る・何故かと言うのにごむ理由では・記入も・いかなる法徐ξいても・それが理性に反してると言皇とができ菊

読るkその髪不服從の鐸すをとができるからで亀︑﹄      圃

       く論  法律的理性︵自露野寄動︒・・b︶が普遍的理性︵GQ葺昌巳9周鋤臨︒︶であり︑多年の槻察と脛験による︑理性の人爲的完成︑20

  −であるとのコォクの主張にたいして︑ホッブスは﹃・:法をつくるものは智慧ではなくして椹威である︒法律剛理性と

.が

(17)

論説

6

いう三士もまた明かではない・人意の理性のほかにば︑地上の動物には理性はない︒彼σ意味するところば︑一人の

裁判官乃至裁制官全部の理性が︑國王なしに︑普遍的理性であり︑法そのものであるというのであろう︒しかし立法

構を有する人のほかは︑何人も海をつくるととはできないのであるから︑このことを私は否認する︒﹄と述べて︑そ         ハニ  の親旧︑論を攻撃しているb    ︑

 アリストテンス的分配の正義を保障す︐る理性法L紳の法−ぱ︑臣民のみならす︑君主もまたこれに服從する義務が

あるとの論は︑きわめて合理的であるけれども︑ ﹃人問の大部分が非合理的であび︑寳際に利己的であるとき︑法律

はいかにしてある人を他り人の侵害から保護することが℃きるか︒そうであれば・彼らの法は死文にすぎない︒﹄﹃し

たがって︑もしある民族が一人ま陀は合議体を選んで︑彼らに法によって統治させようとするならば︑その町民は統.

治者に軍隊や資金︑そのほか彼の任務に必要なものを興えねばならない︒もしそうでないならば︑彼の法は實力をも

たす︑その民族はもとσ耳蝉のなかにいなければならない︒しだがって法を哨効ならしめるものは︑法9︐育薬ではな

く三民努勢力をにぎぞいる一入の人聞の心力でみ菊﹄

 かような罹力なしに憾︑ 外敵の侵入︑ 内戯の場合には︑ 法の支配は全く無意味にぽかならない︒ ﹃それは政治

︵男集蔓︶の問題であって︑法のそれではない︒﹄と言ってすむわけのものではない︒國王が︑國防または人民の牛和

のために必要な軍備や資金を眠拠ないならば︑ ﹃異國語を語り︑われらをあざけり︑われらを奴隷となさんとする尊

大不遜な異母人の專横から︑いかにして私はまもられるか︑あるいは内齪の場合の窯派の残忍さからうまれる破壊を

私は避けることができるか︒⁝それ故にあな売は︑英國國王が︑彼の良心にてら七て︑入物の防衛のために必要だど

考えるときには︑いつでも欲しいだけの軍士を徴集し︑資金をとりたてうるごと︑聖王自身がその必要の判定者であ       ︵二δるごとを︑良い法であると考えてよろしい︒﹄

20 (1●46)46

(18)

︐論  制定法℃ついて以上のことが正しいどしても︑理性法︑衡雫あるいは成文法ではないコンモン・・ウについては︑主椹者たる仁王が唯一の立法者であるだろうかという疑問がのこされる︒ ﹃あなたは︑各人をしてそれぞれ他人にたいして︑彼自身の特殊な理性が法だと断定させるでしょ・うか︒あみ民族のうちには︑主椹的椹力をもった者の理性のほかには︑すべての入が同寒しうる並臼遍的理性︵db崩︿①暴9︒︻窪窪︒︒︒ご﹀は存在しない︒・彼の理性は一個人の理性にすぎないけれども︑幅音によってわが救世主より︑私ど慰に啓示された普遍的理性の場所をしめるように準備.せられてい       ハニセノる︒し旋がって︑わが國王は私どもにとって︑制定法と普通法のいつれもの立法者である︒﹄ したがってホッブスは︑入聞の.正義︵ぴ二門P八目 q=qo叶凶O①︶は立法者を前提としてはじめて︑これを論議することができると考えている︒ ﹃法が存在しないうちは︑ いかなる不正萎も存在し鬼ないことが明らかである︒ したがって法は︑その性質上︑・正︑不正に先んじて存在している︒またなんらかの法︑したがって正義が存するためには︑立法者がいなければならないとと︑あなたが自分のもの︑お前のもの︑共有と聖別された分︑あるいは財や土地の所有とよ       そ       の ニ  ぶものに先んじて︑立法者があったことを否定することはできない︒﹄ かようにホッブスは︑國家の代表海る主忍者が︑立法者として行動の自由をもつとと︑かような主宰者はいかなる政治法にも從卜しないことを明かにしている︒そこでは主誉者の行爲のみが︑正︑不正の唯一の決定者である︒スピノザに︐おける嵐咄σqまぢ涛州σq馨.の思想の萌芽はこ﹄に既に急いだ写れるであろう︒そしてかような競馬が︑︑アリスト      こテレス的︑スコラ的自然法理論を徹底的に批判し去って︑政治學を︑ケプラ﹃︑︑ハァヴェイ︑.ガリレオの近代科學精榊のうえに基礎づけるために︑要請せられたのは蓋し當然であろう︒ルネッサ︐ンスにおけるマキァヴェルリの政治思

想にふさめしい地位を︑近代英国民族誕牛期における︑ベーコン︑ホッブスの政治思想にもとめるのは誤りであろう

か︒       酎r

20 (1 ・47) 47

(19)

論 註 ︵一︶ しd99δ昏℃℃δ⑩ーミ9ψδ①.      .「(

︶ Hぴ鼠ら罵0ーミざQQ●ψδの一δ刈・

︑︵﹁こ︶目葺ご℃.Hご・ω・日O寸.      ︐

︵四︶ H夢劉℃・嵩8ω﹂一一⁝℃●ミρQQ.一一G︒●

︵五︶ Hび鑑¢℃℃・ミ︒︒ーミ㊤・ψω・一旨一=G︒・        硫虞

︵六︶噛H葺二暑二謁ーミ・︒のδ・︒●      .       .      .

︵七︶ 山葺9ピ①話馨ぎ9︵O篤^︶﹁創a一﹃ぴ網○レ犀霧げ︒洋︶やG︒刈①.以下レヴィアタンの引用は同版によることとするQ

︵八︶ Hoぐ貯φ︸罠p唱緊駆◎φ㊤悔

︵九︶ 尉①冨ヨ○昏娼・一⑩一.ψ詰憎冒器量﹂菊け㊦亀図嚢︒噂Φぎけ一σ田野δ臼℃℃・蔭㎝によればブレスビテリアンの紳學者諺呂器毛

   寓①写注⑦は︑ジェスイットの切①三二︑諺冒①から思想的影響をこ萎むりていたといわれる︒今申次麿︑西洋政治想想皮︑第

   二巻︑九五一九七頁Qジェスイットのマリアナもまたスコットランド人との提携を主張し弛と言われる︒ ︵今申︑上掲︑九

   五頁︶Q

八、〈A((((

一  一  一司  軸一幽  一一弓 簡騨4  一噌

六、五四三ニーO

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さ達もマ︒︒c︒iαンO=OG︒一         F . q・じdO著回︒●国○ぴσΦの山匡ω∩ユ凱09℃℃・αメ①恥唄Q◎酌=Go・ 困ぴ達二℃℃.G︒①G︒一G◎①隊u¢ω・卜σ幽φlbσ卜刈生すやG◎継b⇒lQ◎駆G◎ψにG︒N・ Hび一ρ一∂薯・卜σ刈αi凶刈ρむ◎︒ψ一︒◎b◎i一︒◎cQ.﹄       じdoゲ︒導〇ニゲ眉サト◎bOα1し◎㈹①ψの・一戯①1匹刈・ 今中︑前.掲︑九〇1九こ頁︒ 08魯禽冒・︒貫穿σ・冨げb・琶ゆ§管箒諺川霧︸・包夢○・監§智・︒継よ♂今中︑前蝿な為書Φ淵㍉ぴ蒼葛8.

珍0 (1 ●48)、48

(20)

論.一三

︵一七︶ 中世神學の批剣から生じた・二つの方向のうち︑ 一つはデカル下的合理主義に立つ理神論をふくむ︑自然宗教昌器ξ巴・

   ﹃色おざ昌であり︑・他.の方向は﹁理性ではなくして︑主橿零下族國家の反映にほかならない︑擢威にもとつぐ9︿憶﹁o鵠αQ肖︒ロ︑層

   の方向である︒ホッブスの教會論は後者の立場にほかない︒ ︵レヅィアタン︑オックスブナード版へのO辞︒浮︒簿の序言︒

   回窯負H簿﹁09二三:︶.ホッブスはこの黙について︑つぎのよ5に説明している︒ ﹃⁝つぎに私はこの鮎について基督教國

   家の性質と︑諸衆寡が何で診るかを朋かにせねばならないが︑その大部分は紳の意志の超自然的啓示にもとづいている・私

   の議論の根心は︑紳の自然的言葉のみならす︑暴言者のそれである︒それにもかかわらず︑私どもぼ感畳と経験うあるいは

   疑うべからぎる神の.言葉たる自然理性を放棄すべきではない︒なぜならそれは︑わが章動された救世主の再臨まで︑神との      ノ   交渉のために︑私たちの手に神の與えたもうた能力にほかならない︒﹄.︵雷ぐ糞冨F℃・減却︶ ﹃紳への服從に・ついては全く

       も  へ   疑問の鯨地がないが︑いつ︑何を︑紳が命じたも5たかは︑超自然的啓示をうけることのない人民にとっては︑宿然理性だ

   よるほかは知ることができない︒自然理性は︑卒和と正義とをケるたあに︑人昆をして夫々め隠家︑・すなわちその合法的主

   権者の糎威へ.服心するように︑人民を導くところのものである︒この義務にしたがって︑軽爆心墨の三三によって︑かよう.

   なものとして承認されるように命ぜられたもの以外に︑.私が聖書として承認すべき蕾約聖書はありえない℃﹄︑︵H夏αGづや

   ト︒窃iN︶これはいわゆるエラスチアニズムにほかならないが︑かよ5︐な見解は既に述べたようにベーコンによって支持され

   ていたし聴また缶①昌號団℃帥﹁押︒び円ぴ①6鴨=o¢﹁o縄昌αωoh自︒良①ω冨ω鉱︒巴ズ①σQ凹目①暮︵一①凸︶が︑.この理論を主張した︒

   ︵︸一冨P箭達︷℃℃.ωω㊤iω継α︶       .49

(一

ェ︶ ピ︒<一導げ︑9P一ぴ凱G℃唱6一〇躯1一〇U・団∴臼α鐸う冨望門弓乱丁門﹇oげび︒︒︒.口︒畦7︻鉾鵠旨β鋤山飢Φ﹁UΦロ犀①3鉾の一α⑩1一⑪9         の      04

(噌

縺jヒd︒冨彫︒登三三●覧唱亨卜︒這i卜︒一︒︒4母刈一b︒一︒︒鴇b︒一㊤ib︒悼ρ      σ︵二〇︶井上︑前褐h一三六頁︐ 一三九頁以下︒戒能通孝︑法の支配と法律的理性︑︵﹃裁剣﹄︐一九頁以下︶︒ Oo犀POo冨目ザ︒コ 20

   短琶︒8po・甘ω節痺︒りg昏Φ冨語g中口σqド巳噛防壁・︒一言﹁もa・鼠①p口︑鉾g?弓鈴搾.︵9即Ω︒︒∩互噂︒H三∩鈴冨εσq窪

(21)

.    −

﹁  .

b

論説

   冒国ロαq冨藏k︒§切き︒昌6口畳h環暑・α︒︒一蕊︶ ・  ︑

︵二一︶ 井上︑講剛伯胸︑ 一三︑四一一一二山ハ頁O ︑

︑︵ここ︶ 自︒げび①︒・.箇ご唯担げぞO爵ψξ蜜O︼Φω≦o﹃け炉く︒ド●以下b冨一霞縄①と略して引用する︒なお麟︑び§冨ジ騨︐ρOe・一2・

   中世的自然法観念を決定的に打破したのは︑グロシゥスではパなく︑むしろホヅブスであることを指摘している︒グ憎シウス

   は中世的観念をいささかも脱却していなかっ.た︒ ○麟押①自︒げ︒算9H昌霞&賃︒江oP周泣一臣ζ愛野Q

︵二三︶ 臣亀︒σq錫ρや駆●・

︵二四︶ 同99℃℃9 井上︑前掲︑一四一頁以下︑参照︒       .︐   ■ .奪

︵ご五︶ U冨ざαq=ρ娼や⑩一δいや一〇・      ︾  .︵二山ハ︶ Hぴ一↑℃℃●ド刈i一cQ層 なお 山騨◎¢℃℃GQbo一ω◎Q5参昭娼

三七︶宣9も養なおピ・崇ヨ︒落蓋参照・蒙法とは君主の制定深への服從でみると︑述べてい・︒さらに︑舅例にふ

   くまれる普通法に塾して言えば︑それは︑國王が與えるところのもの以外の︑いかなる實力をももたない︒腐敗した︑愚か

   な剣事の正しくない剣士が・︐いつでも・しかもながいあいだ︑法の権威と鴬野を得ているのは不合理以上のものであるゆ﹄

   ︵b⇒oゴ︒旨つ臣bやb︒一ρの一ωα●︶

︵二八︶ 一ぴ一・轡℃℃.boり●冒O︿一葺げ騨昌一﹃G◎・

20 (1 ●ε0) 昏ひ

O

 ホッブスが新奮の紳學︑アヅストテレス哲學︑無難法理論の批判をとおして試みてきたととろは︑政治の科學を奮

來の政治・法0思想と絶縁した・新しい見解のうえに構成せんとナる革命的試みにほかならなかった︒そこに︑政治と

(22)

 道徳を不可分に埋解しているフリストテレス的政治観念を批判して︑政治と倫埋を匿廉し︑いわゆる無謀術数・調に立   5    ︐     .      .       ︵一︶ つマキァヴェルリの現寳主義︑︐入⁝聞論にひとしいものを見矩だすことができる︒ ﹁      ﹁!  このような収治︑法の科學ははたして成立しうるか否かについて︑その可能性と困難とをホッブスは自ら問い︑自 .らっぎのように答えている︒他のさまざまの科學が教えられるように︑何故に眞の原則と明誰の誰明にもとつく︑正

義と論義の科學︵︒︐・ぎ:出誉・§仙d号e︶が整ちれ在のであろうか︒かよう森學理論がい妻でなか禽

  たためでもあり︑また例外的に誰かがかような科學を學んだとしても︑それにたいする迫害が加えられるために︑そ

 の理論を安全に教示するととはできない︒ ﹃充分に︑最も重岡の低い入にも明讃の原理から誰明された︐正義と不正

 義の原則が︑いままでになかったわけではない︒その創始者︵明らかにホッブス正身である一著者︶のかいじゅうさ

  にもかかわらず︑それはこの國のみならす︑外心のすぐれた知識人に光を與えてきた︒﹄しかし︑かような理論を學

  ぶうえに︑一般の民衆は余りにも余暇がなさすぎるし︑︐ひまのある人々は︑自己の事業や歓樂にいそがしいゐ ﹃それ

 ゆえに︑との學読の光は︑これまでおおわれ︑大學の虚威にたよらなければ︑個人の名聲をもってしては︑克服でき

  ない︑おびただしい敵によって墜迫されてきた︒しかるに大豆からは︑その反封のこ之を教える︑すべての教役者が︒でてくる・九學はお民族にと・三占やの木馬であ.罷・﹄

   このようにホッブスは自己の無論に封ずる自負と︑その句論の運命を語っているが︑しからば馬彼はこのきわあて

  猫創性に富ρだ政治學の基礎を何に求めよとしているのであろうか︒        ︐         ・

説  ホッブスは︑コペルニクス︑ガリレオ以來の近代自然科學の褒展の影響を受けつつ︑直接にはフランシス・べーコ

論 ンを始曲とする近世維豆科學︑イギリス唯物論の傳承のづえに︑彼の劇団休系をきついている︒眞の實在としての物

  体︵⇔⇔︑身︶乏その運動の因果關係を︑幾何量的推理︑.労析綜倉の方法にょっゾ﹂︑︑維験鮒に認識すみところに幽・嘘ッブ      q

20 (1■51)51

(23)

スの科斗理論の特質がある︒つぎに彼の政治︑法の理論を考察するに必要な︑最少限度において鳥彼の哲學理論を一

べっしょう︒       52

       狗.物体とは︑・思惟に依存しない︑それa体で存立している物︑すなわち三戸であり︑感畳によゴて認識されるとひと       Dしく︑寒雷よ.ても把興れ.Qよ・つに表象的察寒しめていて︑諜︵・︐.豆︒⇔叶︶とト澄れる︒それ撞倦よるも・駅

      ヘ  ヘコのではなく︑私たちが宇宙︵q旨く①蹉︒︶とまぶととろの眞實在の一部をなしている︒蓋し︑宇宙はすべての物休の集

合体であり︑その眞の一部をなさないととろのものは︑物休ではない︒また熱球の物覚ではないものは︑物休の集合

休たる宇宙の一部でもない︒したがって精算や難魂の實在性は否認される︒心的形象とは︑封象の運動や︑感畳器官

の震動によって生じた︑早撃のなかの難沓︵日鐸國昌雷一ひ一b辟プ①﹂mW同・帥繭ご︶にほかならない︒したがって︑精神と物体の二元

論を主張するデカルトの思想も︑ ﹃それ自体存在し︑それ自身に理解される唯一絶射なる紳﹄を軽車とし︑思惟と延

長をその二驕性とするスピノザの思想とも異・ていると言わねばならな囑

 かような原子的物休乃至その部分の連動の︑方向︑速度︑加減等によって︑物恨の偶有性が生する︒物休の形態︑.

量︑感性的性質︵色︑音︑香︑味︶あるいは感温の原因は物休の運動である︒ 一切の個別的事象の多様性は︑一つの

簡輩な普遍的事實たる運動に還元され冬︒ただホッブスにあっては︑かような運動は︑物体の軍なる位置移動にほか

ならないのであって︑蟻集の丙在的矛盾から護強してくる辮謹法的運動は︑いまだ認められない︒ホヅブスの唯物論       ノ  が機械的唯物論になむざるをえないのは︑彼のかような運動論にもとづいていると言わねばならない︒

 かような物休の認識の根源は︑ 現象の原理たる感︑畳︑︵5Q︒霧①︶である︒ ﹃すべての思考︵屡︸︵乙父上の根源億凸私

どもが感畳とよぶところのものである︒⁝思考はそれぞれ︑私どもの外部の物体の︑ある質︑あるいはその他の偶有

性の︑表象あるいは現象である︒かような物休は通常封象とよばれる︒この封象は︑目や耳や︑その他の人体の諸部

(24)

 分にはたらいて︑さまぎまな作用によづで︑さまざまな現象を生みだす℃﹄畑鼠の原因は︑外部の物体︵封象︶の運

 動.であり馬かような外的運動に勤する神経等諸器官の反封︑抵抗運動である︒感畳とは馬 ﹃物体から私どもの内部へ       の 向う︑ある︑時閤存察する運動にたいして生じたところの︑感畳器官内において外方へむかう運動︑すなわち反動によ

      ほ       コ      サ りて産出された心像﹄にほかなちない︒

 かような感畳に淵源する人事の意志的運動についても︑それ拭︑一方にお・いてぽ封蝋の作用により︑他方では肉体 的素質によって決定せられる︑仁愛苦の激情の必然納結果に抵かならない︒ ん間の生命繭運動を助長するものが快

  ︵男ざ霧5・︒︶であり︑そこから欲望︵b霧胃ρ︾薯Φひぎ︶努力︵南ごαの箸^≧層︶覗生じ沸生命的運動を妨げ︑るものが︑﹁苦

  ︵殉巴ごρΩ嵐①mo︶−であって︑そこから嫌悪︵轟く①圏ω凶︵︶b︶や慣悪︵口暮︒︶が生する︒ 善と悪も︑かような欲望や嫌悪      ヘ  へ  の樹象にほかならない︒意志は︑熟慮の結果としての︑最後の欲望にほかならないから︑いわゆる意志それ自休ば決

 して自由ではなく︑外部の封象や個入の激情に支配されている︒しかし自由意志報いうとき︑それは意志自体や瀬望

  の月由を意味するのではなしに︑實際に行う意志や欲望や性向をもっている乏ころのものを︑入が爲すにあたってう

 彼がなんらの外部的障碍をも認めないことを意良している︒物体の性質上蓮動の障碍が内在している物に肥しては︑

  自由がないのではなしに︑蓮動の力がかけている乏言われる︒膚由はむしろ必然のうちに︐とそ存している︒例えば水

 一がといをつたって低いほうへ流れるのは︑㌔水の必然であり︑ 肯由である︒人が自主的に行う行長元ついても同じで       へ  も  あろ︒行悩は意志より畿するが故に︑自由に淵源する︒各人の意志︑願望︑性同は︑一連の諸原因︵その第一原因は

  紳の御手にある︶より生するが故に︑必然︵男①8︒・ω曙︶より山來する︒かような原因の關蓮を見うる人には︑すべて

     ︑  ︑ ︑      .    ︑ ︑       ︵犬︶論︑︑の入曽の自主的行爲︵︿9琶言越﹀鼠8ω︶の必然性はあきらかであろうと︑ホッブスは読嚇している︒

   しかし感畳や激情からは︑.眞理や︑規範としての善は︑生みだされない︒論理における推理や︑善に回する反省と

20 (1●53) 53

(25)

  熟慮はいかにして可能なのであろうか︒存在論において唯物論であり︑認識論において感畳論をとってぎたホヅブス      ハセ 読hは︑こ﹂にいたって観念論的理性論へと飛躍するのであろうか︒

       へ も       も も      ヘ へ論  理性とは︑ホッブスによれば︑計算︵測︒簿︵︶三ごσq︶︑すなわち私どもの思想の記號︵ン騎詩崩轟︶と意味︵翰鵬三剛309︶

  のために︑合意によってできた普遍的概念の諸結果を加減することである︒それは三段論法における推理にあたって︑

  感畳の欺購と︑並樹の誤謬をさけて︑明誰の原理から正しい推論をみちびきだすことができる︒ 意志活動について

  も︑理性は︑その固有の機能たる反省と遠く未來をみとおす先見によ?て︑激情が見いだしえない善を磯見すること︑       ができる︒哲學あるい﹁は科畢は︑すぐれて均衡のとれた理性の事業にほかならない︒︐

   しかしホヅブスは︑かような理性が︑彼の感畳黒め立場から︑いかにして可能であるかについては︑充分の読明を・

  加えていないように思われる︒人爵を自然状態から︑市民砒會乃至駅家へ飛躍せしめる契機と肥った自然理性︵窯馨ギ

 .ξ鑑 國①蕩Ob︶についても︑維験のつみかさねられたもの以上の能力を︑そとに見いだすことはできない︒ ﹃人聞の

  自然状態における理性とは︑一般に考えられるように無謬の能力ではない︒理性の行爲︵済鼻思寝Φ霧9︼首σq︶とは︑

  彼の隣人の損害︑あるいは利盆に影響するかもしれない入闇行爲に嘉する︑各人の固有の且つ眞實の推論︵釦暮M8M㌣

  偽︒瓢︵︶b︶である︒﹄それは自然椹︑すなわち絶封の自由が︑萬人の萬入にたいする闘孚におち入り︑自己否定におわっ.

 ︒た結果として︑その矛盾を止揚した︑より高度﹂の自由へ︑就會契約にもとつく民車法上の樺利へ飛躍するためのv契

  機をなすものでなければならないが︑・かような携帯法的思惟方法は彼においてはわっかに繭芽として見いだされるに        ぬ   とどまっている︒

   すでに述べたように︑人聞は自已保存の立場から︑快と善を判断し︑激情はすべてとの本源的衝動から出ている︒

  かように甲信は本上竪巳の幸幅︵胃①︼憲蔓︶を邉製する衝動をもっている︒ ホッブスによれば︑羊脂とは︑人がその

2Q (1●ξ}4) 辱4二

(26)

ρ

      レ      も  も  も  へ  も  も  も  も  へ  も  時々に慮じて欲望するどころの物を手に入れおにあたって︑絶えず成功をおさめること︑たえざネ繁榮を意味してい

  ︵一〇︶  る︒したがって︑ ﹃私たちは︑その本性と七てヤ自から肚會を求めるものではなくして︑ただそとから名巻や利釜を

  受けとることができるからにほかならない︒﹄金轡︑ または利盆こそが第一次的であり︑ 計會ば第二次的である︒

  ﹃⁝七たがって︑すべての肚會は利得のためか︑・あるいは光榮のためである︒すなわち︑私どもの仲間を愛するため

 .という.よりは︑む.しろ私ども自身の愛のためである℃︑﹄すなわち各人の計男宮志向によるものではなしに︑相互の恐

  怖にもとづいている︒ホッブスにおいては︑アリストテレス的Nc︵︶戸男・﹂嘗犀^注︵政治的動物︶の槻念は︑全く否認せ        ニご  られねばならない︒     ﹂      ︑

   ホッブズによれ・ば︑︐人間はその肉休の力量においても︑知能においても︑郷験においても︑全休として考える場合

  には︑ほとんど昇等である︒したがって︑ある者華他の者を暴力によって支配することは︑きわめて困難である︒か

  ような支配者は容易に︑他の者によってその地位を奪われてしまう︒かように入擁壁その能力において平等であるた

  めに︑人問が自己保存︑または快樂の目的に到達するにあたって︑欲望の早等は︑勢働の成果︑生命及び自由の侵害

  を生む︑不信︵同︶沖m暁凶へ︻㊦ご6①︶の原因となっている︒︐多数の入々の欲望が共同に享有するととも︑あるいは分割するこ

  とも℃きない︑同一の封象にむかうとき︑悪者が青りそれを享受することになる︒しかも誰が彊者であるかは︑ただ

  岡孚によって決定せられるにすぎない︒すなわち競箏︑不信︑誇りが職孚の原因となって︑市民肚會︵Ω乱の︒・叫①ξ︶

  日乃至禅家以前の自然歌態は︑まさに各人の各人にたいする職箏び亀鎧日︒冨こぎヨ8雄心帥︑o百b霧の状態にほかならな

ヌ いものとなっている︒かような自然歌態における徳は︑實力と烏鷺のみである︒正と邪︑正義と不正義の観念は︑共

  な自然歌態励一關する観念が︑.自然法の支配する自然歌態の通念に相反していたことは言うまでもない︒       ニニ  エ通の椹力のもとにおいてのみ始めて存在しうるにすぎない︒かような容態の及ぼす滲禍は明白である︒そしてかよう..

20 (1●55) うう

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