ヤコ‑ビとバーダー
ドイ ツ観 念論 ‑ のイ ンパ ク ト
伊坂 青司 は じめに
従来の哲学史記述によると、カン ト以後の ドイツ観念論の展開は、フィ ヒテ、シェ リング、‑‑ゲル とい うよ うに、直線的 なイメージで順序立て て配列 されてきた。 しか し実際にその内部に立ち入 って考察 してみると、
その展開はそ う単純ではな くて、一致 と分離、合一 と対立 とい う複雑 な過 程 をた どってい る。 しか もその過程で、今 となってはまった くの傍流 に位 置づけられてい る潮流が、意外 と決定的な影響 を及 ぼ してい る。 なかで も ドイツ初期 ロマン主義は、ポス ト・カン ト哲学にお ける ドイツ観念論 の展 開に無視す ることのできないインパク トを与えたのである。
18世紀末の観念論世代 は、ロマン主義的雰囲気 の中で若い知性 を形成 し、
それぞれに分岐 していった。 フィヒテは当初イ ェ‑ナ ・ロマ ン派の理論的 中心であ りえたが、シェ リングも一時はフィヒテの 自我哲学に染 ま りなが ら、ロマン主義的な 自然哲学によってフィヒテか ら離反す る。後 にロマ ン 主義批判 を通 して独 自の哲学体系を構築す ることになる‑‑ゲル もまた、
もともとはシェ リングの ロマン主義哲学に組 してい る。この よ うな18世紀 末の観念論の錯綜 した動向に立ち入ってみると、 ドイツ ・ロマ ン主義の露 払 い役 ともい うべ きF. H .ヤ コ‑ど (1743‑1819)とF.V.バ ー ダー
(1765‑1841)の存在 が浮かび上がって くるのである。
ヤ コ‑ ビは1785年か ら始まる 「汎神論論争」に火 をつけ、既成 のキ リス ト教や啓蒙主義の理性宗教にたいす る不満が若い知識人に渦巻 くなかで、
ス ピノザ汎神論 の復活 を促 した。 こ うして汎神論思想が、後 に ドイツ観念 論 を担 うことになるシェ リングや‑‑ゲルの初期 の哲学形成 に決定的な影 を及ぼす ことになる。それ とともにヤ コ‑ ビは、D.ヒュ‑ムの経験論哲 学 を 「感情哲学」‑ と鋳直 し、 ドイツにおけるポス ト・カン ト哲学の胎動 に一石 を投 じたのだった。感情に低い価値 しか認 めないカン トの理性主義 に飽 き飽 き していた ドイツの若い哲学徒たちは、ヤコ‑ どの 「感情哲学」
に個体のかけがえのない内面性 を再発見 した。
一方バーダーは、フライベル ク鉱 山アカデ ミーで鉱物学を学んだ後、産 業革命下のイギ リスに渡って鉱 山技術 を身につけ、1796年 に帰国 して 「自 然哲学」の道 を歩 も うとしていた。帰国後 しば らく滞在 していたハンブル クで出会 ったヤ コ‑ ビは、バーダーに ドイツ観念論の最新情報を教示 し、
フィヒテの 自我哲学 にたいす る評価 について両者 は共通 の認識 をもつ に 至 った。バー ダーは 自我主義か らの脱却 を図る ドイツ観念論の胎動に、 と りわけ 「自然哲学」の形成にシェ リングとともに決定的なイ ンパク トを与 えることになったのである。
ヤ コ‑ ビとバーダーの間には、ロマン主義的傾 向 とい う共通項を確認す ることができるものの、しか し同時に両者の向か う方向性の違いによって、
決 して埋 めることのできない基本的な差異 もまた存 していたのである。 こ の小論 においては、両者 の根本的な差異 をその哲学理論 に したがって明 ら かに し、その両方向の交錯が ドイツ観念論の展開にいかなる影響を及ぼ し たかを考察す ることに したい。
1.
「 汎神論論争」 と ドイツ観念論‑の影響
ヤ コ‑ ビは在野か ら ドイツの哲学潮流にたい して刺激 を与 えた人物 とし て特筆 され よ う。彼は当時流行 していた書簡体形式の恋愛小説 (ロマ‑ ン) を発表 して ドイツの若い知識人に名 を知 られ るよ うになったのであるが、
彼 の名 を一躍有名 に したのは 「汎神論論争」lである。この論争の発端には、
少なくとも積極的にス ピノザ哲学 を喧伝 しよ うとい うヤ コ‑ どの意図はな かった。売名 の意図があったか どうか、その真偽 は別 として、 「‑ ン ・カ イ ・パー ン」 を自らの信条 とす るレッシングの 「ス ピノザ主義」を 『ス ピ ノザの学説について』 (1785)で暴露 したことには、汎神論思想 にたいす るヤコ‑ どの嫌悪感があったことは確 かである。 あ らゆる個別存在 を無限 実体 としての神のなかに包摂す るス ピノザの汎神論 は、 自由を<私 >の内 面性に求める 「感情」の哲学者 には、我慢がな らなかったのである。
いずれに しても 「汎神論論争」が意外にもス ピノザの復権 をもた らした ことは、批判的なスタンスでス ピノザ主義 を問題 に して きたヤ コ‑ ビに とっては、皮 肉な結果であった といわなければな らない。 しか しこの 「汎 神論論争」がスピノザ ・ルネサンスを惹起 して講壇哲学のカン トの言説 ま
2 3
で引き出 した だけではな くて、初期 ロマ ン主義 や ドイツ観念論の若 き担 い手たちに決定的なイ ンパク トを与 えたことを考 えると、彼 の功績 は大 き い と言わなければならない。テユー ビンゲン神学校に集 っていた若い神学 徒たち、‑ルダー リン、‑‑ゲル、そ してシェ リング等はヤ コ‑ どの 『ス ピノザの学説について』 を通 して、汎神論思想 に感染 したのだった。 こ う して 「汎神論論争」は、カン トか らフィヒテ‑ と先鋭化 しつつあった ドイ ツ観念論 の 自我主義 の方 向性 に決 定的な転換 の きっかけを与 えるこ とに なったのである。
汎神論思想の洗礼 を受 けた若い神 学徒たちは、卒業後それぞれの道 を歩 んでいた。二年間の空 白をは さんでベル ンで家庭教師を していた‑‑ゲル のもとにテユー ビングンか ら届いたシェ リングの手紙 (1795年 1月 6日 付)には、フィヒテ熱 の徴候が現れていた。 「フィヒテは、これまでのほ とん どのカ ン ト主義者 で さえ 目弦 がす るよ うな高み に哲学 を高 めるだ ろ う」 (BH.Ⅰ,15)と、 『全知識学の基礎』 (1794)の著者 にシェ リングは 注 目し始 めている。 ところがもう一方で彼 は同 じ手紙の中で、スピノザ を 最高の哲学 として位置づけてもいる。 「ところで僕はスピノザ流の倫理学 に取 り組んでいる。それはあ らゆる哲学の最高原理 を樹立 しなけれ ばな ら
ない」 と。 この時期のシェリングはフィヒテ とスピノザの間で揺れ動いて いる。
これにたい して‑‑ゲルは1月末の返書の中で、流行 し始 めたフィヒテ 熱 については冷淡な反応 を示 したのだった。すなわち彼は、 「絶対的 自我」
の命題 を定立 したフィヒテが 「教条主義のなかで論証す るとい う古 くさい 方法 をまたもや持 ち込 んだ」 とい う不満 を、シェリングに伝 えたのである (BH.Ⅰ,17)。ス ピノザにたい しては何の論評 も加 えなかった慎重 な‑‑
ゲルにたい して、シェ リングは約‑ ケ月後 に改めて同意 を求めるかのよ う に、次のよ うに書き送 っている。
「僕たちに とって神 についての正統な概念はもはやないよね。僕の答 えは こ うなる。僕たちは人格的な存在 を越 えて もっと先‑行 っているとい う こと。その間に僕 はス ピノザ主義者 になって しまった !」 (BH.Ⅰ,22)。
‑‑ゲル とシェ リングの間で既成のキ リス ト教の神は否定 されたばか り か、ヤ コ‑ どの主張す るような人格神 も越 え られるべきだ とい う。 ほぼこ の時点でシェ リングは、ス ピノザの汎神論的な神 を選択 した と思われ る。
彼は同年3月に脱稿 した 『哲学原理 としての 自我について』 (1795)にお いて、フィヒテの 自我哲学 との格闘を通 して、 「非我」を 「自然」 として 読み替 える方向をはっき りと示 した。 こ うしてシェリングはフィヒテの 自 我哲学か ら 「自然哲学」‑ と方向を転 じ、そのなかに汎神論思想 を織 り込 む ことになる。彼は 自然哲学期 を締 めくくる著作 『自然哲学体系構想序説』
(1799)のなかで、 自らの 「自然哲学」 を 「スピノザ主義」 として特徴づ けるのである。
「超越論哲学に対立す るもの としての 自然哲学は、それが もっぱ ら自然 を..….自立的なもの として立て ることによって前者か ら区別 され るので あって、それゆえ 自然哲学は最 も簡潔 に、自然学のスピノザ主義 として
特徴づけることができる」 (SW.Ⅲ,273)0
ところで 「自然哲学」か ら更に転進 を図 りつつあったシェ リングは、1801 年に刊行 した 『私の哲学体系の叙述』において 「同一哲学」を 自らの哲学 的立場 とす るに至るo ここで彼は 自然 と精神 の同一性 を 「絶対者」 と規定 したのであるが、われわれはこの 「絶対者」の観点に、改めてス ピノザの 無限実体 としての神 が投影 されていることを確認す るこ とができるのであ
る。
一方、シェリングの勧 めに従 って1801年 にイ ェ‑ナに移住 して きたいま だ無名の‑‑ゲルは、 「同一哲学」の立場に 自らを重ねて、シェ リング と 共同 して哲学評論の活動 を始めたO この時点ですでに‑‑ゲルは、 「同一 哲学」の背景になってい るス ピノザ主義を受容 し 、「4 絶対者」の観 点 を 自
らの哲学形成の基礎概念 として組み込んだのだった。
‑‑ゲルは1802年7月発行の 『哲学批判雑誌』に論稿 「信仰 と知」を掲 載 し、哲学界にいまだ影響の尾 を引 く三人の哲学者、カン ト、ヤ コ‑ ビ、
フィヒテを批判の狙上に乗せた。ヤ コー ビはカン トとフィヒテに対 して鋭 い批判 の矢 を放 った張本人で あるに もかかわ らず、‑‑ ゲル はあ えてヤ コ‑ ども含 めて 「主観性の反省哲学」 として‑絡げに したのだった。三人 のなかで も特にヤ コ‑ ビを批判の中心的な標的に してい ることは、彼 に最 も多 くの紙幅を割いていることか らも分かる。それではなぜ‑‑ゲル は、
すでに 「汎神論論争」の余波 も収まった時期 に、ヤ コ‑ ビをあえて批判 の 対象 として浮上 させ なければな らなかったのか。それは‑‑ゲルだ けの意 図に基づいたものではない。執筆す る彼の背後には、 「同一哲学」 におい てもなおスピノザ哲学に依拠す るシェ リングがいると考 えることができる。
こうしてシェリング と‑‑ゲル を結びつける 「絶対者」の観 点か ら、カン トか らフィヒテに至 る自我主義の系譜が、そ して とりわけス ピノザ汎神論 を拒絶 したヤ コ‑ どの 「感情哲学」が、主観主義の陥葬にはまった 「反省
哲学」として批判の標的に され ることになったのである。シェ リングと‑‑
ゲル は青年時代 に体験 した 「汎神論論争」を忘れてはいなかった。
それでは‑‑ゲルのヤ コ‑ ビ批判は、具体的には どのよ うなものであっ たのか。‑‑ゲル は、ヤ コ‑ どのような 「反省哲学」が理性 を 「主観的な 原理」に壊小化 し、そのために理性が 「絶対者」 を認識できな くなって し まったことを断罪する。
「こ うして永遠 なもの 〔絶対者〕は認識することに とって空虚 であ り、知 に とっての このよ うな無限で空虚 な空間は、憧債 と予感 との主観性 に よって しか満た されな くなる」 (frW.Ⅱ,289)O
絶対者の認識 に代 えて 「憧債 と予感 との主観性」 を据 えるのは、明 らか にヤ コ‑ どの 「感情哲学」の手法である。カン トや フィヒテ以上に‑‑ゲ ルがヤコ‑ ビを特に批判の標的に したのは、 「感情哲学」が理性 に背を向 けた<主観性 >の最 も先鋭化 した典型であったか らに他 な らない。‑‑ゲ ル によると、理性 は主観性 のなかに矯小化 され るべ きものではな くて、む しろ 「絶対者」のなかにこそ据 えられ、絶対者は感情によってではな く、
理性 の力によって こそ捉 え られなければならない とい うわけである。
‑‑ゲル が この<主観性 >とい う概念 を 「プ ロテス タンテ ィズムの原 理」 (ibid.) と言い換 えてい ることか ら考 えると、そ こにはプ ロテスタン テ ィズムのなかで枝わかれ した 「敬度主義」の系譜が念頭に置かれてい る と推測す ることができる。つま り彼は、ヤコ‑ どの 「感情哲学」の うちに、
神 を 「感情 と情操」 (ibid)とい う個人の魂の うちで憧僚す る敬度主義 の 流れ を見て取 っている。 このよ うな 「神 との交わ りや神的なものの意識」
を 「内的 な もの とい う固定 的 な形式 に固執す る内面 的 な意識」 (HW.
Ⅱ,389)に閉 じこめて しま う敬度主義は、ス ピノザ汎神論 を受容 し 「絶対 者」の立場に立った‑‑ゲルに とって、あま りにも狭隆な主観 主義 として 映 ったのである。シェ リングがそれか ら10数年後に、汎神論 の立場か らヤ
コ‑ ビと直接対決す るに至 る経緯については、後で述べ ることに しよ う。
2.
「 感情哲学」 と 「自然哲学」の離反
ヤコ‑ ビは‑‑ゲルによって 「主観性の反省哲学」の代表者 のよ うに批 判 されは したが、 しか しヤ コ‑ ビ自身はもともとフィヒテの 「自我哲学」
にたい して厳 しい批判意識 を持っていた。彼 は、1796年 にイ ギ リスか ら帰 国 して しば らくの間ハ ンブルクに滞在 していたバーダ「 と親交 を結び、「自 我哲学」にたいす る評価 で意気投合 したのである。 「感情哲学」 と 「自然 哲学」とい うよ うに分野 こそ違 うものの、イギ リス‑の関心 と何 よ りもフィ ヒテの 自我主義か ら脱却 しようとす る哲学的模 索が両者 を結びつけたので ある。
ヤ コ‑ どの 「感情哲学」における自我は、フィヒテのい う 「根源的 自我」
とは全 く異質なものである。ヤコ‑ ビは 「フィーヒテの 自我」 について、郷 里のバイエル ンに戻ったバーダーに宛てて次の よ うに論難 してい る (1797 年12月16日付書簡)0
「私の哲学のモ ッ トーは次のよ うになるで しょう。<私は 自分 に慎み深 く あること>。あなたは敵対者 〔フィヒテ〕にたい してその<不遜 >を叱 ることができますね。実際にほ とん どこの区別 だけが、フィ ヒテ的なる もの、つま りフィヒテの 自我 なるもの と私 との間にあるのです」 (BW.
XV,171)0
ヤ コ‑ ビは 自らの信条 を 「慎み深 さ」に求 め、それ との対比でフィヒテ の 自我 を 「不遜」として特徴づけ、叱責す るのである。ヤ コ‑ どの 自我 は、
他者 (汝) との関係 において初めて成 り立ち うるのであって、 この他者 が なければ 自我そのものが存在 しない とい う。彼 に とってこの よ うな 「他者」 とは 「神」であ り、<私 >の感情の うちで出会 うことのできる人格である。
ヤ コ‑ どの 「慎み深 さ」の感情は、 このよ うな神‑の敬度 な信仰心に根 ざ しているで あろ う。彼 の感情か らす る と、フィヒテの 自我 はあたかも神 を 演 じるかの よ うな不遜 な存在 に見えて しま うのである。
ヤ コ‑ ビか らの影響 もあって、バー ダー もまたカン トか らフィヒテに至 る 自我主義 にたい して批判意識 を共有 し、先 のヤ コー どの手紙 に応 える形 で 自我主義 にたいす る強い不満 を表明 してい る (1798年1月3日付書簡)0
「私はフィ ヒテには全 く馴染 めませ ん。彼 はかの 自我主義的な哲学か らま す ます私 を遠 ざけて しま うのです。‑‑‑私 には古 くか らある神‑の畏敬 のほ うが、首尾一貫 して生真面 目に成就 されただけのカ ン トの観念論 よ りも何 千倍 も好 ま しい と、心 か ら告 白せ ざるをえませ ん」 (BW.X V,178)0
バーダー に とって重要なのは、あ らゆる存在 に先立つ超越論的な 自我 で はな くて、世界の中心に存在す る神 である。 この時点で も彼 は、少 くとも カ ン トか らフィヒテ‑ と先鋭化す る 自我主義 に対す る批判的観点について は、ヤ コ‑ ビと共通 してい る。
ところでバーダーが 自我主義の系譜 にたい してそ もそ も批判的になった 要因には、彼 の 自然哲学形成がある。すなわち彼 は、 自我 の基礎 によ り包 括的な 「生命 エネル ギー (Lebensenergie)」 (BW.Ⅲ,230)概念 を据 えた独 自の 自然哲学 を構想 していたのである。イギ リスか ら帰国 した翌年 に発表 した 『基礎生理学論考』 (1797)は、ニュ二 トンに見 られ る機械論的な 自 然観 を批判 して、生命 の 「自発性」 を中軸概念 に据 えた 自然哲学を提示 し て い る。 そ れ に よ る と、機 械 論 に お い て は 物 体 の 運 動 が <他 律 性
(Heteronomie)>として特徴づけ られ るのに対 して、生命 の運動は<自律 性 (Autonomie)>とい う概念 によって特徴づ け られ るとい う。
「〔生命 体 の〕 自発性 (spontaneit乱)の行動 は、生 きた情動 (Gemdth)
に外部か ら何 か注入 された もの、伝達 された もの (伝達 され た受動的 な 運動のよ うに)として見 られてはな らないので あって‑‑‑情動その もの の うちで発 し、刺激 を誘 因 としてのみ 自己を外 に表す もの として見 られ なければな らない」(BW.Ⅲ,211)0
生命体 を突 き動かす 「生 きた情動」 は、外部か らの刺激 によって動機 づ け られ るのではな くて、あ くまで も生命体そゐ ものの内発的な力 によって 根拠づけ られ る。 この 「情動」 とい う概念 は、ヤ コ‑ ビが 自らの哲学の 中 心概念 とした 「感情 (Ge凡hl)」 とは、似 てい るよ うに見 えなが ら異 な っ た内容 を有 している。す なわちヤ コ‑ どの 「感情」概念が人間個体の内面 性 をその領域 に してい るのにたい して、バーダーの 「情動」概念 は、人 間 個体 を包摂す るよ り根源的 な 自然生命 に根差 してい る。 こ うして同 じくロ マ ン主義的傾 向を持つ両者 の間に、人間の内面的感情 を軸 に据 えるか 自然 生命 を軸に据 えるかで、根本的な差異 が生 じるこ とになる。す なわちヤ コ‑
どの哲学が内面性 を志 向す る主観 主義的傾 向を示すのに対 して、バー ダー の哲学は 「情動」の根源 を 自然生命 にみ る点で、 自然哲学的傾 向を色濃 く 示すのである。
バーダーはこのよ うな 自然哲学 を基礎 に して、神観念 において もヤ コ‑
ビとはすでに異 なった観点 に立っていた。それ は神 を人間の内面的な感 情 の うちで信仰す るとい うのではな くて、神 を 自然 の うちに現れ 出るもの と して、すなわち 自然の うちに啓示 され るもの してみ るとい うことである。
彼 はヤ コ‑ ビに宛てて、神 について次 の よ うに述べている (1798年2月8 日付書簡)0
「神 は、その時すでに万有のなかの全 て とい うのではな くて、万有の内部 を完全 に解体す ることに よって全 てになるはずです し、そ うであるに逮 いあ りませ ん し、また実際にそ うなるで しょう。つま り内部 はその外 面
においてのみ存立す ることができるのです。永遠なるものの啓示 を得 よ うとす る努力は、象徴化 奉るいは詩作の うちで初めて表現 され るのです
‑ われわれの うちで、そ して 自然の うちで」 (BW.XV,183)。
バーダーによれば、神 は万有の内部 に秘匿 されたものではな くて、 自然 の うちに記号によって象徴的に啓示 され るのである。それでは彼は自然哲 学的な神 をどのように象徴化 しよ うとしたのか。1798年の終わ りに刊行 し た 自然哲学の著作 『自然 におけるピタゴラス的四、あるいは世界の四方位 について』は、 ソクラテス以前の古代 ギ リシアの 自然哲学か らプラ トンや ア リス トテ レスが集約 した よ うに、 自然 を成 り立たせ る原理 を空気 ・火 ・ 水 ・地の四元素に求 め、その中で もとりわけ 「空気 (Luft)」に神的 とも い うべき特別 な位置 を与 えている。熱の原理 としての 「火」 と冷の原理 と しての 「水」の対立か ら、両元素の統一 として 「地」を導出 した うえで、
下方の世界方位 にある 「地」にたい して、上方の世界方位 に 「空気」 を配 す る。 この空気 は、 「息 を吹 き込む こと (Ei上山auch)」 によって 「すべて を生き生きと活気づけ」、そ して大地の生命 を 「内側か ら活性化 させ る」̲
とされるのである。つま り空気は、生命 にエネル ギーを与 え 「絶対的な 自 発性」を喚起す るとい うわけである (BW.Ⅲ,266)0
このよ うな四元素の関係 は、この著作の中で△ とい う象徴図形で表 され てい る。 この図形 はすで に先 のヤ コ‑ ビ宛書簡 にも見 られ、 さらに後 の 1805年6月 5日付 シュ トランスキー宛書簡で も引き続 き使われていて、
バーダーがこの象徴図形 に少 なか らず執着 していたことが分かる。
「
△ の図形 は、どうい う点で三角形が四角形 よ りもより先立っているかを 示 しています。とい うの も、点がオ リエン トを、それゆえよ り高 くよ り 内的であるもの、つま り△ に関係 しつつそれによって 自らを啓示す るも のを暗示 しているのですか ら。だか ら点は、この世界の地上的なものに おける三のなかの‑であると同時に、神的なものにおける‑のなかの三なのです」 (BW.XV,190)0
この段階で使われてい る図形は、 自然世界 を象徴す る とい うよ りも、神 智学‑ と通 じる宗教的な意味あいを強 く帯びている。つま り自然哲学的 に は 「空気」の原理 を表 していた三角形の中心点は、宗教的にオ リエ ン トに 由来す るよ り高次の原理、つま り地上的な存在 を統合 しなが ら、そ こに 自 らを啓示す る神的な原理 を表す もの として捉 え返 されてい るのである。 こ こにみ られ る象徴図形の 自然哲学的原理か ら宗教的原理への この よ うな展 開の背景には、バーダーがすでに研究を始めていたヤー コプ ・べ‑メの神
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智学があるであろ うD このよ うな神 についてのバーダーの理解 は、ヤ コ‑
どのそれ とはますます離れた ものになっていったのである。
3.
ミュンヒェン ・ロマン主義の離合集散
ソ1‑ダーが郷里 ミュンヒェンに戻 った後、ヤ コ‑ ビが1804年 にバイエル ン学術アカデ ミー総長 として赴任 し、1807年の夏には学術アカデ ミーの改 組拡充 を機 に して有能な人材が招碑 された。その中には、バイエル ン造幣 局の要職 についていたバーダーや、 ヴユル ツブル ク大学 を辞職 して移住 し てきていたシェ リングの顔 もあった。 こ うして ミュンヒェン ・ロマ ン主義 の哲学部門の中核が形成 されたのである。
バーダー とシェ リングは初対面なが ら、それぞれ独 自に公 に してきた著 作の中で、すでに ミュンヒェン時代以前に相互 に言及 し合い、 ドイツ 自然 哲学の潮流形成 に共同歩調 を とっていた。例 えばバーダーは 『ピュタゴラ ス的四』のなかで、シェ リングの 『世界霊について』 (1798)を 「原子論 の死せ る眠 りか ら再び 目覚めつつある自然学の最初の喜 ば しい表現」(BW.
Ⅲ,249)と賞賛 し、 自然哲学の 目指すべき方向性 を確認 してい る。 シェ リ ングがこの著作のなかで 自然の 「分極性」構造の把握か ら 「自然 にお ける 第三原理」‑ と議論 を展開 したことに、バーダーは歓迎 の意 を表 したので
ある。 この第三の原理 とは、ニュー トン的な力の二元性 にたいす る第三の 力 としての 「重力」に他 な らないのであるが、この力はバーダーのい う「地」
の原理 に符合 してい る。
他方シェ リングは 『世界霊について』のなかで、 『基礎生理学論考』 に バーダーの 「自然‑の畏敬」(sw.Ⅱ,499)を高 く評価 したばか りではなく、
『自然哲学体系の第一構想』 (1799)のなかでは、 『ピュタゴラス的四』
を 「力動的哲学全体 に とって最高に重要なバーダー氏の著作」(sw.Ⅲ,265) として賞賛 しているo シェ リングはそこで、 「重力」が 「物質 を一つのも のに有機化 し、形成す るもの」(SW.Ⅲ,267)に他な らない ことを確認 しつ つ、バー ダーのい う 「地」の原理に 自らの 「普遍的有機体」 (sw.Ⅱ,500) の構想 を重ね合わせているのである。 このよ うにわれわれは、両者の ロマ ン主義的な 自然哲学の基盤 に生命原理を共通項 として認 めることができる のであって、この点は後の‑‑ゲルの自然哲学にも継承 され ることになる。
いずれ に して もバー ダーは、フィヒテの 自我哲学に代わって登場 したシェ リングの 自然哲学の方向性 に、 自ら形成 しつつあったロマ ン主義的な 自然 哲学を重ね合わせ ることができた。 ドイツ観念論の構成要素の一つ をなす 自然哲学は、この二人によって先導 された といっても過言ではないであろ う。
この よ うなバーダーのシェ リングとの 自然哲学上の関係 と比較 して、ヤ コ‑ ビとの関係 は、フィヒテ的な 自我主義にたいす る当初の共通 した批判 的スタンスにもかかわ らず、疎遠 なものになってゆく。両者はもともとロ マン主義的傾 向を共有 しなが ら、異なった方向性 を辿 ってゆくことになる のである。そのよ うな差異は、ヤ コ‑ ビとシェ リングとの間の神 の存在 を
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め ぐって闘わ され ることになった 「有神論論争」 によって露呈す ることに なった。
ミュンヒェンでいまだ定職 を得ていなかったシェ リングは、学術アカデ ミーの依頼で1807年10月12日の栄えあるバイエル ン国王聖名祝 日に、「造
形芸術 の 自然 との関係 について」 と題 して講演す るチ ャンス を得 た。彼 は この講演 において、 「造形芸術 の根源的源泉」 を 「あ らゆる物 を 自己 自身 か ら産 出 し、実際に活動 して生み出す神聖 に して永遠 に創造的な世界 の根 源力」 (sw.Ⅶ ,293)に求めた。このよ うに芸術の源泉 を 自己産出的 な 自然 に求 める発想 は汎神論の影響 を示す もので、ヤ コ‑ ビは この講演 にその臭 い を敏感 に感 じ取 っていた。
講演の成功 によって 「造形芸術 アカデ ミー」事務総長 の席 に収まったシェ リングは、1809年 か ら刊行 し始 めた 『哲学著作集』第 一巻 に論文 「人間的 自由の本質についての哲学的研究」を書 き下 ろ し、悪 をな しうる人 間の 自 由意志 と神 との関係 について考察 を加 えた。 シェ リングは この論文執筆 の 動機 として、汎神論 にたいす るF.シュ レ‑ゲル の論難 に応 えて 「正 しく 解 された汎神論」の立場 を表 明す ることを挙 げてい るが、 しか しかつての
「汎神論論争」の立役者で現在 は眼前 にい るヤ コ‑ ビを意識 していた こと は疑い ない。 シェ リングはこの論文で、人 間の 自由 と神 の無限性 との両立 可能性 を問題 に してい る。ヤ コ‑ ビはかつて 「汎神論論争」において、無 限な神 の中では人間の 自由が許容 されず 、 したがって汎神論 は宿命論 に陥 るものである と論難 していた。 これにたい してシェ リングはいまや 、人間 の 自由をむ しろ神 との不可分の関係 の うちにこそ兄い出そ うとす る。す な わち人 間が 「神 の外 に存在す るのではな くて、神 の中に存在す る」 (SW.
Ⅶ ,339)のだ とすれ ば、人間の 自由もまた神 に対立す るものではな くて、
む しろ神 の うちにこそ兄いだ され るはずで あるとい うのである。
ヤ コ‑ ビは この よ うなシェ リングの公然 た る汎神論擁護 にたい して沈黙 を守 ることがで きなかった。彼 は1811年 に論文 「神 的 な事物 とその啓示 に ついて」 を発表 して暗にシェ リング批判 を行い、 これ にたい してシェ リン グが翌年 に応酬 し、 「有神論論争」が闘わ され ることになったのだ った。
論争 の発端 となった論文でヤ コ‑ ビは、 「神 はわれ われ の うちに生 きてい る」 (JW.Ⅲ,276)とい う彼 の基本的な立場 を再確認 してい る。 この よ うな
「有神論」の立場 か らす ると、シェ リングの依拠す る汎神論 は、神 の存在
その ものを自然の中に解消す るどころか、人格神 の存在 を否定す る 「無神 論」に さえ見 えて しま うのである。
「この 自然主義者 〔シェ リング〕は次のよ うに、独断的に主張す る。あら ゆるものは 自然であ り、そ して 自然の外にも自然 を超 えて も、そ こには 何 も存在 しないのだ と」 (JW.Ⅲ,386)0
この よ うなヤ コ‑ ビか らの批判に対 して、シェ リングは翌年、 「フリー ドリヒ ・ハイ ン リヒ ・ヤプー ビ氏の神的事物に関す る著作のF.W.J.
シェ リングか らの記念」 とい う挑発的なパ ンフレッ トによって応戦 した。
シェ リングはヤ コ‑ どの投げつけた 「自然主義」 とい う批判 を逆手にとっ て、む しろ 「自然主義」を根拠 に して 「有神論」を主張する。すなわち 「有 神論 は 自然主義 を欠いてはそ もそも始ま りえない し、完全に空虚 の中に浮 遊す るだけである」 (SW.Ⅷ ,69)とい うよ うに、感情のなかで憧僚 され る だけの神の空虚 さを指摘 し、逆に 自然主義 を 「有神論 の基礎」 (ibid.) と して位置づける。 このよ うなシェ リングの汎神論か ら有神論‑の進展の背 景 には、実はバーダーの存在があったのである。
論文 「人間的 自由の本質について」の も う一つの重要なテーマは、悪 と 神 との関係 である。 ここには、バーダーの神智学か ら強烈なインパ ク トを 受 けたシェ リングの思想的展開の跡 を看 て取 ることができる。
人間に 自由が与えられているとす ると、人間は善のみならず悪 もまたな しうるのであって、人間はつねに善 と悪 を選択す る分岐点に立っているこ とになる。神 の うちに人間を包摂す る汎神論の立場か らすると、人間のな す悪 もまた神 の うちにあることにな り、 「神が悪の共謀者 として現れるこ とは否定 し難い」(SW.Ⅶ ,353)とい う帰結 になる。確 かに悪 を人間の神か らの離反であると解釈す ると、悪は否定 され るべ きもの とい うことになろ う。 しか し光が闇に対立 して初めて光空 を放つよ うに、善 もまた悪 と対立
す ることによって初めて善であることが確認 され るのだ とす ると、悪は善 の存在にとって不可欠 とい うことになる。 こ うしてシェ リングは、人間精 神の生成にとっての悪の存在 を認 めるのである。
「精神の誕生には 〔光 と〕も う一つ別 の根拠、つま り闇 とい う第二の原理 が存在 しなければな らない。この原理 は、精神 が光 よ りも高次 のもので あるのに応 じて、それだけ一層高次 の ものでなけれ ばな らない。この原 理 こそ、創造に際 して闇の 自然根拠 の刺激 によって 目覚めた悪の精神 に 他 ならない」 (SW.Ⅶ ,377)0
こ うしてシェ リングが青年時代 にぶつかった悪についての難 問7、すなわ ち悪 を神か ら離反す る人間の我欲 とす る撞着が、バーダー との交流 を通 し て よ うや く解決の糸 口を兄いだす ことになったのである。神 が 自己を啓示 す るには、善悪 を選択す る人間的 自由が必然でなければな らない とい うこ とになるQ シェ リングとヤ コ‑ ビとの間に闘わ された論争において、バー ダーはシェ リングの支持者 として現れたのだった。 この論戦においてバー ダーは、シェ リングを批判す るヤ コ‑ どの立場に立つ ことは、ついになかっ たのである。
バーダーは、ヤコ‑ ビがシェ リング批判 を開始す る前の段階で、 「闇」
の存在にヤコ‑ どの注意 を向けさせ よ うと試みている。そのこ とは、バー ダーがヤコ‑ ビに「闇 と死の中に封印 された奇跡 を開いてみせ ることこそ、
私の企図 し望む ところなのです」(1806年6月 19日付書簡、BW.XV,202) と告 白してい ることか らも窺 い知 るこ とがで きる。 この時期 にはすで に バーダーはヤー コプ ・べ‑ メに傾倒 していて、彼 の神智学か ら光 と闇、あ るいは善 と悪に関す る理論 について強い影響 を受 けていたのである。 しか しヤ コ‑ ビはこのよ うなバーダーの方向性 に賛意 を表明す るこ とはなかっ た。
バーダーは、シェリングが主宰す る雑誌 『学 としての医学年報』 (1805
年創刊)に、 「凝固的なもの と流動す るものについて」8と題す る小論文 を
寄稿 し、すでにそのなかでべ‑メの神智学に基づいて、闇を光の相関概念 として次のよ うに述べている。
「闇であるものが何 もの も、光の担い手 としてそれに奉仕すべ く出迎 えた り支えた りすることがなければ、光はいかに してそれ 自身 として、す な わち光 り輝 くもの、あるいは明るく照 らす もの として、そ して色彩 を与 えるもの として現れ ることができるであろ うか」 (BW.Ⅲ,275)0
光が光 として輝 くためには闇がなければならない とい う論理は、光が「光 の担い手」 としての闇に依存 してい るのであるか ら、闇の方 こそ隠れた主 役であるとい うよ うにも読み とることができよ う。先の引用に続 く 「も し 欠乏がなけれ ば、神 はいかに して啓示的にな りうるであろ うか」 (ibid.)
とい う文言 もまた、光に とっての闇 と同様 に、神 の啓示に とって悪がいか に必要不可欠かを明示 している。
バーダーはシェ リング とミュンヒェンで初めて出会って以来、彼にたい してベ‑メの神智学思想 を執掬 に教示 していた。F.ホフマ ンのバーダー 伝 によると、この時期の両者 は個人的な交流を深 めるなかで、バーダーは シェ リングの中に過剰 なほ どのスピノザ汎神論 を、他方シェ リングはバー ダーの中に過剰 なほ どのべ ‑ メの神 秘主義 を感 じていた とい う (BW.X V,39)。この よ うな両者 の違いによってバーダーがシェリングに とって 「う ん ざ りす る」 (ibid.)ほ どの存在であった として も、シェ リングはこの間 の密接な会話 を通 して、論文 「人間的 自由の本質について」において汎神 論思想の擁護 か ら悪の問題‑ と考察 を展開 させ えた といえよ う。 こ うして バーダーは、ベ‑メの神智学研究か ら得た知見によって、シェ リングの後 期思想に深い影響 を与 えたのである。
まとめ
ヤコ‑ ビとバーダーは、 ドイツ観念論の 自我主義的な方向に転換 をもた らす うえで重要なインパ ク トを与えた。 しか し両者の間にはすでに、その 自我主義批判の方向性 において根本的な差異があった と言わなけれ ばな ら ない。
ヤコ‑ ビは ドイツ観念論の若い担い手たち、すなわち18世紀末の‑‑ゲ ル とシェ リングの哲学 の形成過程 で、ス ピノザ汎神論 の刻 印 を押 したの だった。 とりわけシェ リングはその後期に至 るまで汎神論 の観点を捨て る ことはなかったのであるか ら、ヤ コ‑ どの引き起 こした汎神論論争 は ドイ ツ観念論 に長期 に渡 って影響 を及 ぼ し続 けた とい えよ う。 しか しなが ら シェリング との論争が原 因で、ヤ コ‑ ビは学術アカデ ミー総長の辞任 に追 い込まれ ることになる。晩年のヤ コ‑ ビを ミュンヒェンに訪ねた‑‑ゲル が、 『ヤ コ‑ ビ著作集』第三巻 (1817)の書評 を買って出て 「生 ける神 」
‑の信仰 を高 く評価 した ものの、ヤ コ‑ ビが再び論壇 に復活す ることはな かった。
これに対 してバーダーは、シェ リングとともに ドイツ観念論の 自然哲学 の形成に決定的なイ ンパ ク トを与 えた。 このことが ドイ ツ観念論における 自我主義の系譜に決定的な転換 をもた らした。そればか りではな く、べ ‑ メ神智学の研究を通 してバーダーが後期シェ リングに影響 を及ぼ した こ と は、‑‑ゲルの 「同一哲学」批判 によって決裂す るに至 ったシェ リングの 哲学的位置 を際立たせ ることになった。 こうしてベル リンとミュンヒェン に分化 して展開 され ることになった ドイツ観念論の晩期 に、バーダーは後 期シェリング哲学の背後で隠然たる力 を及ぼ していたのである。
注
引用文に付 した略号は次の文献 を示す。なお略号の後のローマ数字は巻数 を、算用数字 はページ数 を、また引用文中の ()内は原文のままを、〔〕
は筆者の挿入 を表す もの とす る。
JW:Friedrich Heimi ch JacobiWerke,hrsg・Yon F・Roth und F・K6ppen, Dam stadt1980.
SW:SchellingsWerke(NachderOriginalausgabeinneuerAn ordnung),hrsg.
vonM.Schr6ter,M也nchen1929.
BW:F・X・Von BaaderS血ItlicheWerke(Nachdruck derAusgabeLeipzig), hrsg.YonF.Hofh ann,Aalen1963.
HW:G・W・F・HegelWerkeinzwanzigBanden,FrankfurtM ・1971(Suhrkam p). BH:BriefeYonundan Hegel,hrsg.YonJohannesHo庁meister,Ham burg1961.
1 ヤ コ‑ ビと 「汎神論論争」の関係 については、拙稿 「有限 と無限‑ あ るいはヤ コ‑ ビと‑‑ゲル」
(
『ドイツ観念論 との対話 ・第五巻 ・神 と 無』、 ミネル ヴァ書房、1994年所収)を参照 されたい。2 カン トは 『ベル リン月報』に掲載 した 「思考の方向を定めるとは どうい うことか」 (WasheiBt:SichimDenkenorientieren?1786)において汎神 論論争 を採 り上げ、ヤ コ‑ ビを 「直観」とか天才的な 「霊感」に従 う輩 として斥 けなが らも、同時に、ヤ コ‑ ビに憤激す るメンデルスゾーンに たい しては 「健全な悟性」‑の狂信 をた しなめて、自らの 「理性的信仰」 の立場 を説いている。
3 イェ‑ナ ・ロマン派 の創始者の一人であるF・シュレ‑ゲルは、例 えば
『ポェ ジーについての対話』 (GesprachuberdiePoesie,1800)のなかで ス ピノザ を次のよ うに賞賛 している。 「ス ピノザなる人物 を尊敬 し、愛 し、そ して完全に彼 のものになることな しに、いかに して詩人であ りう
る か を 、 私 は 実 際 に ほ とん ど理 解 しな い 」 oKritische Friedrich̲
Schlege1‑An sgabeⅡ,hrsg・V・E・Behler,M血chen1967,S.317.
4 ‑‑ゲルはすでに 「1800年体系断片」において、<有限な生命 の無限 な生命‑の高揚 >とい う論理 を展開 してい る。 「無限な生命」を包括的 概念 とす るこの観点は、シェリングの 自然哲学 とその背景 にあるス ピノ ザ汎神論 か らの影響 を反映 してい ると考 えるこ とができる。
5 バーダーの 自然哲学における神秘主義的傾 向は、1796年段階まで遡 る ことができる。彼 はイギ リスか ら帰国 して滞在 していたハ ンブル クにお いて、1796年11月19日付のヤ コ‑ ビ宛書簡で、興奮気味に次の よ う に記 している。 「私はカバラを研究 し始 めま した。そ して私は 〔カバ ラ の うちに〕最古の 自然哲学の トル ソー を荒野で見た よ うに思ったので す」 (BW.XV,168)0
6 この論争 の経緯 と内容の詳細については、拙稿 「ヤ コ‑ ビとシェ リング の交錯‑ ス ピノザ汎神論の復活 とロマ ン主義の発酵」 (『モル フォ ロ ギア』第18号、ナカニシャ出版、1996年所収) を参照 されたい。
7 青年期 シェ リングの悪の問題 に関す る考察については、彼 の学位論文に 言及 したW .G.ヤー コブス氏の 「国際シェ リング協会専門会議」にお ける次の講演を参照 されたい。 「悪の起源か ら人間的 自由の本質‑‑
超越論哲学 と形而上学」 (伊坂青 司 ・田村恭一共訳 『シェーリング年報』
創刊号、晃洋書房、1993年所収)
8 UeberStaaresundFliessendesと名付 け られて1808年 に発表 されたバー ダーのこの小論文 (拙訳 「固定的なもの と流動す るもの」
(
『自然哲学 研究』第8号、 自然哲学研究会、1994年所収)は、初期の 自然哲学 と べ‑メ研究か ら得た 「光 と闇」や 「悪」の理論 を融合す るとい う特徴 を 有 してい る。Jacobi ODd Baader
-Einflu8 auf den deutschen Idealismus-
Seishi Isaka
Der deutsche Idealismus entwickelte sich nicht in gerader Linie aus der Kantischen Philosophie. In seiner komplexen Entwicklung konnen wir den EinfluB des. romantischen Stroms erkennen. Jacobi und Baader haben Kritik an der Fichteschen Philosophie des Ichs getibt. Aber es gab zwischen den beiden auch grundlegende Differenzen.
Der sogenannte Pantheismusstreit, den Jacobi ztindete, hat den AnlaB zur Entfaltung des deutschen Idealismus insbesondere in den Philosophien des Schellings und Hegels gegeben. Der wiederauflebende Pantheismus Spinozas bleibt im Hintergrund der Entwicklung der frtihen Naturphiloso- phie bis zu der spaten Philosophie Schellings. Auch Hegel hat in Jena den Pantheismus rezipiert, und zusammen mit Schelling die Reflexionsphiloso- phie der Subjektivitat Jacobis kritisiert. In Mtinchen hat seinerseits Jacobi den Schellingschen Pantheismus als Atheismus kritisiert, wo Schelling die menschliche Freiheit in Gott vertritt.
Franz von Baader hat andererseits durch seine romantische Natur- anschauung eine wichtige Rolle fUr die Entwicklung der Naturphilosophie irn deutschen Idealismus gespielt. Der Begriff der "Lebensenergie" liegt seiner Naturphilosophie zugrunde. Die "Luft', wird als ein zentrales Element fUr das Hervortreten der Lebensenergie begriffen. Baader hat nicht nur auf dem Gebiet der Naturphilosophie mit Schelling zusammenge- arbeitet, sondem auch durch seine Theosophie entscheidenden EinfluB auf die spate Schellingsche Philosophie ausgetibt. 1m "Theismusstreit"
zwischen Jacobi und Schelling hat Baader sich fUr Schellings Position eingesetzt. Damit hat er sich vom Gottesbegriff Jacobis ganzlich distanziert.