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アメリカの地理学

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アメリカの地理学

矢 ケ 崎 典 隆

Geography in the United States of America Noritaka YAGASAKI

Abstract

  This article briefly reviews the development of American geography from the nineteenth century through the early twenty-first century by studying a variety of literature combined with the author’s observations since the mid-1970s. The study of American geography in the nine- teenth century was characterized by European influences such as the introduction of German geographical ideas. At the same time, exploring the unknown West formed a geographic tradi- tion that emphasized field observation. The first half of the twentieth century was a period in which geography was institutionalized. Doctorates started to be conferred at newly established graduate schools of geography. The Association of American Geographers, a community of pro- fessional geographers, was formed and began to publish professional journals. Geographical themes shifted from an early emphasis on deterministic reasoning to more varied topics. Re- gional concepts were a major concern, and human and physical geography were combined to study regions in more detail. Following World War II, systematic geography started to gain pop- ularity, and interest in regional geography started to decline. Quantitative methods and geo- graphic theory started to attract many geographers who shared this interest with social scien- tists. By the late 1980s, as a result of recurrent “revolutions,” geography had split into many small subfields, while veteran geographers continued to publish highly respected books on re- gional-cultural geography. During the years of postmodernism, American geography became compartmentalized further into many small groups, without a central theme or concept to main- tain the cohesion of geography as a subject. A brief overview of current geographic organiza- tions, geographic journals, geographic departments, and research themes reveals the nature of contemporary American geography, which is characterized by diversity and dynamism.

Key words: geography, history of geography, geographical society, geographical journal, The Association of American Geographers, United States

キーワード:地理学,地理学史,地理学会,地理学雑誌,アメリカ地理学者協会,アメリカ合衆国

I.は じ め に

 アメリカ合衆国の社会,経済,文化はヨーロッ パの影響を強く受けて形成された。学術領域とし ての地理学もその例外ではなかった。一方,広大 な国土,少ない人口,そして多民族社会はヨー

ロッパとは異なる特徴であり,こうした地域的条 件は,地理学の展開や社会における評価にも影響 を及ぼしている。本稿では,多様性,革新性,そ して変化のスピードに着目することにより,アメ リカの地理学を概観する。

日本大学文理学部

Department of Geography, Nihon University, Tokyo, 156-8550, Japan

地学雑誌  Journal of Geography(Chigaku Zasshi)  121(5)771⊖786 2012

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II.地理学の制度化とアメリカ化  1)大学院における教育と研究

 地理学の教育は,18世紀後半に新しい国の国 土を理解するための国民教育の一環としてはじ まった。近代科学としての地理学は,19世紀半 ば以降,ヨーロッパ,とくにドイツから導入され た。一方,西部フロンティアの探検と調査の必要 性は19世紀後半に地理学的調査を促進した。し かし,地理学の制度化が進行したのは20世紀初 頭のことであった。制度化は,学術研究の拠点と しての大学における地理学研究者の育成課程(大 学院博士課程)の整備,専門集団としての学会組 織の設立,そして学術雑誌の創刊の点から明らか にすることができる。地理学の制度化の過程で アメリカ的な地理学の進展がみられた(Blouet, 1981)。

 19世紀末から20世紀初頭における大学の地理 学を検討する場合に,地理学の大学院博士課程を 有して地理学の博士号(Ph.D.)を授与する大学 院の設置は大きな意味をもった。地理学の大学院 博士課程の設置に先立って,19世紀末までに地 理学の研究教育において重要な役割を果たしたの は東部の歴史の古い大学であった。

 マサチューセッツ州ケンブリッジのハーバード 大学(1636年創設)では,Nature and Man in Americaの著作で知られたシェーラー(Nathan- iel S. Shaler, 1841-1906)が自然地理学を教えた。

1878年9月 に は デ ー ヴ ィ ス(William Morris Davis, 1850-1934)が講師に就任し1),1898年 に は 研 究 職 教 授(Sturgis-Hooper Professor of Geology)の地位を獲得した。彼が教えた学生は 地理学の発展に貢献したが,ハーバード大学にお いて自然地理学で博士号を取得したのは,デー ヴィスが退職した1912年までには2人のみで あった(James and Martin, 1978: 12; Koelsch, 2001: 249)。

 デーヴィスの退職後,シカゴ大学地質学科の アットウッド(Wallace W. Atwood, 1872-1949)

が後任として自然地理学(physiography)の教 授を務めた。なお,アットウッドは1920年にク

ラーク大学の総長に就任し,翌年,クラーク大学 に地理学大学院が設置されると初代の院長となっ た。彼は1925年にEconomic Geographyを創刊 したことでも知られる(James, 1972: 396)。ハー バード大学でシェーラーとデーヴィスの薫陶を受 けたタール(Ralph S. Tarr, 1864-1912)はコー ネル大学で教え,1890年代における自然地理学 のもう一つの中心となった(Koelsch, 2001: 249)。

 コネティカット州ニューヘイブンのエール大学

(1701年創設)では,1863年にギルマン(Daniel Coit Gilman, 1831-1908)が32歳の若さで自然 地理学と政治地理学の教授となった。彼が1872 年にカリフォルニア大学総長として転出すると,

ブルーワー(William H. Brewer)とウォーカー

(Francis Amasa Walker, 1840-1897)が雇用さ れ,自然地理学を中心とした教育が展開した。な お,合衆国センサス局の局長を務めた経験をもつ ウォーカーは,1881年にマサチューセッツ工科 大学(MIT)の総長となった(James and Mar- tin, 1978: 17)。

 ペンシルヴェニア州フィラデルフィアのペン シルヴェニア大学(1755年創設)では,ウォー トンスクール(Wharton School of Finance and Commerce)で1890年代から経済地理学の教育 が展開した。その中心となったのはジョンソン

(Emory R. Johnson, 1864-1950)であった。ジョ ンソンはドイツで1年間学び2),ウォートンス クールに戻って1893年に内陸水運に関する論文 を執筆してPh.D.を取得した(James and Mar- tin, 1978: 18)。1901年には,ペンシルヴェニア

大学でPh.D.(経済学)を取得したグード(J.

Paul Goode, 1862-1932)が自然地理学と経済地 理学を教えるようになった。2年後にはグードの 後任としてスミス(J. Russell Smith, 1874-1966)

が着任した。彼はライプチヒでフリードリッヒ・

ラッツェルのもとで学んだあと,ペンシルヴェニ ア大学でジョンソンのもとでPh.D.を取得し,

ウォートンスクールに新しく設立された地理産業 学科(Department of Geography and Industry)

の主任となった(Koelsch, 2001: 250-251)。ス ミスは40年におよぶウォートンスクール在任中

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に多くの経済地理学者を育成した(James and Martin, 1978: 19)。また,経済地理学の教科書

(Smith, 1913)を執筆した。

 アメリカ西海岸ではカリフォルニア大学(1868 年創設)が学術研究の拠点となった。エール大学 で自然地理学と政治地理学を教えたギルマンは,

1872年から1875年までカリフォルニア大学の総 長を務めた。当時,カリフォルニア大学では地理 学の講義は行われていたが,専任の地理学教員は いなかった。新たに設立された商学部(College of Commerce)の一部として1898年に地理学科

(Department of Geography)が設立され,これ がアメリカにおける最初の地理学科となった。そ の教授に就任したのはデイビッドソン(George Davidson, 1825-1911)で,彼は太平洋岸地域を 代表する科学者として知られた(Lewis, 1954)。

1901年にはハッチンソン(Lincoln Hutchinson, 1866-1940)が講師に採用されて商業地理学を 担当し,1904年にホルウェイ(Ruliff Holway, 1857-1927)が自然地理学の助教授となった。

1905年にデイビッドソンが退職した後はホル ウェイが地理学科を運営し,1908年から14の修 士号が授与したが,彼は博士課程の学生をとらな かった。1923年にホルウェイが退職した後,サ ウアー(Carl O. Sauer, 1889-1975)が教授とし て着任し,地理学研究の拠点としてのバークリー が誕生することになった(Dunbar, 1981: 2-6)。

 アメリカでは19世紀末に大学制度の改革が進 み,地理学の変革が生じた。大学改革の流れは,

メリーランド州ボルティモアに1867年にクエー カー教徒ホプキンズの寄付金で設立された私立大 学,ジョンズホプキンズ大学ではじまった。カリ フォルニア大学総長として3年間を過ごしたギ ルマンは,1875年に新設のジョンズホプキンズ 大学の総長に就任し,学術研究を中心としたドイ ツの大学を模範として,アメリカではじめて研究 中心の大学院課程を設けた。この大学は大学院教 育のモデルとなり,ハーバード大学をはじめとす る東海岸の歴史の古い大学の改革に影響を及ぼし た。研究大学では博士号(Ph.D.)が専門的な訓 練を受けた証として授与され,この学位が社会で

認知されるようになった3)

 アメリカ中西部における学術研究の中心とな り,地理学の制度化の原動力となったのは,ロッ クフェラーの資金援助によって1891年に創設さ れたシカゴ大学であった。初代学長のハーパー

(William Rainey Harper, 1856-1926)は,ドイ ツの研究大学をモデルにして設置されたジョンズ ホプキンズ大学を目標として,新しい大学の建設 を目指した。

 1903年に地理学科(Department of Geogra- phy)が創設され,これはアメリカで最初に設立 された大学院博士課程となった。初代の主任教授 は地質学者のソールズバリー(Rollin D. Salis- bury, 1858-1922)で,ウィスコンシン大学総長 のチェンバリン(Thomas C. Chamberlin, 1843- 1928)がシカゴ大学の地質学教授に就任した時 に,ウィスコンシン大学から彼を引き抜いた

(James, 1972: 384-385)。ソールズバリーが執 筆した地理学教科書はアメリカの大学で広く使わ れた(Salisbury, 1907; Salisbury et al., 1912)。

なお,最初のPh.D.(地理学)は1907年にエマ ソン(Frederick V. Emerson, 1871-1919)に授 与された。

 ソールズバリーは若い教員を採用した。グード はシカゴ大学で地質学を専攻した後,ペンシル ヴェニア大学のジョンソンのもとで地理学を研究 して1901年にPh.D.(経済学)を取得し,地理 学を講義していた。バローズ(Harlan H. Bar- rows, 1877-1960)は,シカゴ大学で地質学の学 士号を取得したが,地理学の授業経験をもってい た。グードは気象学・気候学,ヨーロッパの経 済・商業地理を,バローズはアメリカの歴史地理 を担当した。また,タワー(Walter S. Tower, 1881-1969)は1911年に地理学科の教員となり,

南アメリカの経済地理,政治地理学を担当した

(James, 1972: 387-389)。 ソ ー ル ズ バ リ ー が 1919年に地質学科の主任に転出すると,バロー ズが地理学科主任となった(James, 1972: 385;

The University of Chicago, Circular of the De- partments of Geology and Paleontology, and Ge- ography, 1919)。

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 初期のシカゴ大学大学院では野外調査が重視さ れ,第一次世界大戦前には野外調査科目がシカゴ 大学の地理学の特徴となっていた。地理学科が地 質学者によって設立され,地理学と地質学が密接 な関係を維持したことを反映するとともに,19 世紀の西部探検の伝統を継承したものであった。

 ミシガン大学には1915年に地質・地理学科

(Department of Geology and Geography)が設 置されたが,1923年には独立した地理学科が創 設された。ミネソタ大学には1925年に地理学科 が設置された。ウィスコンシン大学には地質学科 のなかに地理学課程が設けられたが,1928年に 独立した地理学科が設置された。また,オハイオ 州立大学(1922年)やネブラスカ大学(1928年)

にも大学院地理学課程が設置された(James, 1972: 401)。これらはいずれも州立大学で,地域 へのサービスが重要な役割であり,地域に即した テーマに関する研究が進展することになった。

 大学院博士課程をもつ地理学科が徐々に増加し た結果,地理学の専門的訓練が提供され,地理学 のPh.D.授与数が増加した。1916~1920年に は10,1921~1925年には32,1926~1930年 には66,1931~1935年には51のPh.D.が授 与された(Whittlesey, 1935)。

 1920年代には中西部の州立大学において地理 学大学院が拡充されたが,東部の多くの大学では 衰退した。1915年までにはエール大学でもコー ネル大学でも地理学はほとんど消滅していた。

1943年までにはジョンズホプキンズ大学で完全 に消滅した(Koelsch, 2001: 254)。ただ,1921 年にクラーク大学が地理学大学院を開設した。

ハーバード大学では,1928年にフランス地理学 の影響を受けた人文地理学者のブランシャード

(Raoul Blanchard, 1877-1965)とホイットルセー

(Derwent S. Whittlesey, 1890-1956)によって 大学院課程が拡充した(Koelsch, 2001: 257)。

 2)地理学会の設立と地理学雑誌

 ヨーロッパと比べるとアメリカにおける地理学 会の設立は遅かった4)。また,アメリカでは,地 理学会に先立って,18世紀後半から19世紀前半 に他分野のさまざまな学会が組織された5)

 この国で最初の地理学会は,1851年にニュー ヨークに誕生したアメリカ地理協会(American Geographical Society, AGS)であった。これは 裕福な慈善家の支援を受けて,国内の未知の地域 に関する地理・統計情報を提供したり,アメリカ 人貿易商のために外国に関する情報を提供するこ とを目的とした。講演会の開催は主要な活動で,

第1回は1851年11月に太平洋岸への鉄道敷設 ルートをテーマとして行われた。1852年には会 報Bulletin of the American Geographical Soci- etyが創刊され,名称変更を経て,1915年まで刊 行が続いた。1915年にはGeographical Review が会報の後を継いだ(James and Martin, 1978:

28)。

 アメリカで2番目の地理学会は,1888年に ワシントンDCに設立されたナショナルジオグ ラフィック協会(National Geographic Society, NGS)であった。これには政府機関に勤める科 学 者 が 参 加 し,USGS所 長 の パ ウ エ ル(John Wesley Powell, 1834-1902)も創設会員であった。

富裕層からの支援がなかったので,1898年まで には財政問題が深刻化した。第2代会長は電話 の発明家として知られたベル(Alexander Gra- ham Bell, 1847-1922)で,アムハースト大学 を卒業したグロヴナー(Gilbert H. Grosvenor, 1875-1966)を編集長に据えて雑誌の刷新を図っ た。グロヴナーは専門的な内容を排除して一般 読者の会員の獲得に努めた(James and Martin, 1978: 28)。

 地理学専門家の組織としての地理学会が設立さ れるのは20世紀に入ってからのことであった。

地理学の制度化に貢献したのはハーバード大学の デーヴィスで,地理学が独立した専門領域として 認知され発展するためには,地理学専門家による 学術組織が必要であると考えた。デーヴィスはア メリカ科学振興協会(AAAS)のセクションE

(地質学・地理学)の副会長を務め,1903年にセ ントルイスで行われた副会長演説で,地理学が地 質学の陰に隠れてきたこと,そして地理学者が交 流する専門的学術組織が欠落していることを訴え た(James and Martin, 1978: 31-32)。ブリガム

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(Albert Perry Brigham, 1855-1932) の 呼 び か けで,デーヴィスの主張に賛同した13人の地理 学者が集まり,地理学会設立の準備が進んだ。

1904年9月にワシントンDCで開催された第8 回IGCの際に2回目の準備会合が開かれ,12月 のAAAS年次大会(フィラデルフィア)にあわ せて新しい学会を設立することが決定した。設立 準備委員会の委員長にはデーヴィスが選ばれた。

こうしてアメリカ地理学者協会(Association of American Geographers, AAG)は1904年12月 29日にフィラデルフィアで設立された(James, 1972: 364;James and Martin, 1978: 34, 38)。

 AAGの創設会員として,業績審査を経て58 人が選定されたが,10人が辞退した(James and Martin, 1978: 36)。48人のうち地理学の博 士号を取得していたのはクルークゲンテ(Marth Krug-Genthe, 1871-1945)のみで,彼女はハイ デルベルク大学でアルフレッド・ヘットナーのも とで研究した。48人のうち15人がハーバード大 学でデーヴィスのもとで学んだ経験があった6)。  デーヴィスはAAGの初代会長を務め,学会の 目的などについて演説した(Davis, 1905)。彼は 会長を3期(1904,1905,1909年)にわたって 務め,初期の学会活動に大きな影響を及ぼした が,1912年にハーバード大学を退職すると影響 力が徐々に低下した。1920年ころまでには,デー ヴィスの影響を受けた人々が学会運営や学会誌 の編集に影響力を維持していたが,若手が台頭 し,シカゴ大学の影響力が増した(James, 1972:

364-365;James and Martin, 1978: 61, 65)。

 AAGへの入会には,会員の推薦に基づいて業 績審査が行われ,会員の投票で4分の3の賛成 が 必 要 で あ っ た。1905年 か ら1923年 ま で に 130人の入会が許可されたが,14人が辞退した。

会 員 数 は,1912年 に は76,1927年 に は136,

そ し て1932年 に は133に 減 少 し た が,1941 年12月には167を数えた(James and Martin, 1978: 43, 84, 90)。このようにAAGは専門性を 重視し,入会が許されたのは実績のある研究者の みであった。なお,当時のアメリカの諸学会と比 較すると,AAGの会員数は極端に少なかった7)

 一方,第二次世界大戦の影響が地理学に及ぶよ うになった。1930年代末にはワシントンDCで 働いた地理学者は40人程度であったが,1943 年までには約300人に増加した。ただし,300 人のなかでAAG会員は45人のみであった。兵 役教育プログラムが拡充されて地理学を導入する 大学が全国的に増加すると,地理学者に対する 需要が高まった(James and Martin, 1978: 89- 90)。

 AAGに入会が認められなかった若手の地理学 者は若手地理学者協会(Young Geographers So- ciety)を組織したが,1943年9月に新たにアメ リカ地理学研究協会(American Society for Geo- graphic Research) を 設 立 し た。1943年12月 現在の設立会員143人のうち,73人は政府に勤 め,56人は大学教員であった。サウアーなどの 著名な地理学者も含まれていた。1944年にはア メリカ職業地理学者協会(American Society for Professional Geographers, ASPG)に名称が変 更された(James and Martin, 1978: 94)。

 ASPGの会員は急速に増加した。1945年11 月には300人であったが,1年後には605人,2 年後には805人を数えた。ASPGは1946年に学 会誌Professional Geographersを創刊した。し かし,間もなく両学会の合併が模索され,AAG とASPGは1946年大会を同時に開催し,1947 年と1948年には共同開催した。そして,1948 年12月にウィスコンシン州マディソンで開催さ れた年次大会で合併が承認された(James and Martin, 1978: 102-103, 105-106, 110-111)。

AAGとASPGの合併時には,AAG会員は306人,

ASPG会員は1094人であったが,会員は重複し ていたので,新しいAAG会員は1300人程度で あった。その後,1963年12月現在でAAG会員 は2818人を数えた(James and Martin, 1978:

114)。 合 併 後,AAGはAnnals of the Associa- tion of American GeographersとProfessional

Geographersの刊行を継続して現在に至ってい

る。

 3)地理学アプローチ

 地理学の制度化の担い手となった第一世代の

(6)

地理学者はおもに地理学以外の専門分野の出身者 で構成された。独立した地理学大学院が設立され ると地理学の専門家の養成が実現したが,地理学 が他の学術分野とは異なる独立した研究領域であ ることを主張することも必要となった。

 1890年代から第一次世界大戦までのアメリカ の地理学において中心となったのは,人間に対す る自然環境の影響に関する研究であった。支配

(control)と対応(response)といった語彙が頻 繁に使用された(James, 1972: 382)。デーヴィ スは地形輪廻の学説で著名であるが,恩師の シェーラーから環境の一部としての人間の存在に ついて学び,スペンサーの社会進化論の影響を受 けながら,自然と人間との関係を論じた(Davis, 1906)。また,アメリカの環境と歴史が,また広 域スケールでの環境と人間が語られた(Semple, 1903; Brigham, 1903; Huntington, 1915)。

 第一次世界大戦後,地理学の大学院専門教育を 受けた地理学者が増加するとともに,地理学は多 様化の道を歩みはじめ,同時に地理学研究の中心 は東部から中西部へ移動した。また,人間に対す る自然環境の影響に関する研究がしだいに衰退 し,新しいアプローチによる研究が盛んになっ た。ボウマン(Isaiah Bowman, 1878-1950)の 政治地理学(Bowman, 1921),バローズの人間 生態学(Barrows, 1923),サウアーの景観の形 態学(Sauer, 1925)の考え方が表明されると,

デーヴィスと決定論の否定が加速化した(James and Martin, 1978: 192)。

 ジェームズは4つの新しい地理学の潮流を指 摘する(James, 1972: 397)。一つは人間生態学 としての地理学で,自然環境に対して人間が行う 調整に焦点をあてるアプローチであり,バローズ が1922年のAAG会長講演で提唱した。二つ目 は場所の科学としての地理学(chorology)で,

場所の地域差に着目するアプローチである。三つ 目は歴史地理学で,時間の経過に伴う地域変化の プロセスに着目し,とくに連続占拠(sequent occupance)の研究が注目を集めた。さらに,応 用地理学にも関心が集まり,これは地理学の概念 や方法を経済・社会・政治に関する問題を解決す

るために活用するものであった。

 こうした地理学研究の展開において,シカゴ大 学は中心的存在であった。ソールズバリーはデー ヴィスの地理学思想に批判的で,大学院セミナー でそうした教育を展開した。1923年にシカゴ 大学のコルビー(Charles. C. Colby, 1884-1965)

がAAG事務局長として学会を運営するようにな り,それ以来,シカゴ大学の教員や大学院生が会 員や事務局で占める比率が増大した(James and Martin, 1978: 192)。

 シカゴ大学大学院では当初から野外調査が地理 学の中核をなした。卒業生が中心となって春の定 例野外会議が1923年に開始され,15年間にわ たって続いた。この間,定例野外会議は地理学研 究法に関する議論を促進し,その成果が論文とし て公表された(James, 1972: 411-412)。このよ うな野外調査法に関する議論の発端となったのは ジョーンズ(Wellington D. Jones, 1886-1957)

のパタゴニア調査であり,ジョーンズとサウアー の共著論文(Jones and Sauer, 1915)が土地利 用図の作成の意義を主張した(James, 1972: 412)。

なお,シカゴ大学で長期(1919~1957年)に わたって教えたプラット(Robert S. Platt, 1891- 1964)は典型的なフィールドワーカーで,フィー ルドワークに基づく多様な地理学の成果につい て具体的な事例を用いて解説している(Platt, 1959)。

 地域の科学としての地理学の台頭は,AAG大 会プログラムから読みとることができる。1933 年ころから,AAG大会では地誌(regional geog- raphy)関係の発表が増加し,自然地理学関係 の発表の比率が低下した。コルビーは1935年 のAAG会長講演で地誌の重要性を明確に提唱 し(Colby, 1936),比較的狭い地域を対象とした 研究への関心が高まった(James and Martin, 1978: 77-78)。chorology概 念 が 登 場 し た の も 1930年代であった。ホイットルセー(Derwent S. Whittlesey, 1890-1956)の連続占拠は地誌学 研究の主要な概念となった(James and Martin, 1978: 193)。これらの研究はおもに北アメリカを 対象としたが,ラテンアメリカについてAGSが

(7)

関心を寄せるようになった(Bowman, 1924)。

 一方,シカゴ大学大学院で教育を受けながら も,異なる地理学を展開したのはサウアーであっ た。彼はカリフォルニア大学に赴任する前に AAG大会で4つの論文8)を発表し,いずれもア メリカ地理学の転換を象徴した。一方,カリフォ ルニア大学赴任直後に注目を浴びたのは景観論に 関する議論(Sauer, 1925)であった。これは,

カリフォルニア大学で地理学科を独立させるため の一種の教授資格試験の意味をもっていたし,自 らをシカゴの地理学から解放する思いもあった

(James and Martin, 1978: 71-72)。サウアーは 文化人類学者などとの交流を踏まえて独自の文化 地理学とバークリー学派を形づくった(久武, 2000)。

 サウアーのもう一つの重要な論文は1940年の 会長講演であった(Sauer, 1941)。時間の要素を 強調したサウアーのアプローチは当時の中西部の 地理学とは大きく異なる方向を指向しており,シ カゴ大学大学院の同窓生ハーツホーン(Richard Hatshorne, 1899-1992)とは相容れなかった。

 ハーツホーンは1920年代から1930年代にか けて地理学の多様な側面について研究したが,な かでも国境問題に関心をもち,1938年から1939 年にかけてヨーロッパの国境問題について研究す るためにウィーンに滞在した。現地調査の難しい 社会情勢のもと,出発前に準備していた地理学方 法論に関する論文について,ヨーロッパで得られ る資料や地理学者へのインタビューを行い,The Nature of Geography(Hartshorne, 1939)を執 筆した(James, 1972: 417-418)。

 1920年代から地理学の専門家による研究成果 が増加し,研究の領域や視点が多様化した。こ う し た 動 向 はAmerican Geography: Inventory and Prospectから把握できる(James and Jones,

1954)。これはAAGの公式出版物ではなかった

が,その総力を結集した学会創設50周年記念出 版事業であった。1920年代後半から1930年代 に地理学が土地利用計画で重要な役割を担うよう になり,また第二次世界大戦中に地理学に対する 新しい需要が生じたことを背景に,American

Geographyは1950年代初頭までのアメリカの地 理学の動向を要約している。重視されたのは地域 の概念と地域調査法であり,地理学は場所の特徴 や地域の類似性・地域差を明らかにする学問であ ると認識されたことが理解できる。

III.地理学の革新と多様化  1)計量化・理論化と地誌の衰退

 第二次世界大戦から1950年代にかけて,アメ リカ経済の好況と世界における政治的経済的な役 割を背景に,大学教育の大衆化と大学の拡張が進 んだ。復員兵援護法によって退役軍人への大学教 育の援助が行われたことも要因となった。こうし て大学で地理学の受講生が増加し,概論科目とし ての世界地誌の需要が高まった。地域に関する学 問としての地理学,そして地誌学は最盛期を迎 え,地理学教員の需要が拡大した。1945年には 28大学が地理学の大学院博士課程を有したが,

戦後,その数は急増した(Martin, 2005: 414)。

AAG会員は創立50周年の時点で2000人弱に達 した(James and Jones, 1954: 3)。

 地理学者の育成方法として,第二次世界大戦前 と同様,フィールドワークが重視され,フィール ドステーションを設置して組織的に大学院生を 教育する大学もあった。地域を対象とした研究 が地理学の中核をなすという認識が共有され,

Hartshorne(1939)は1940年代から1950年代 には大学院教育の必須文献であった。

 また,地理学の伝統的なテーマである環境と 人間との関係が地域に即して議論されるように なった。19世紀後半のマーシュ(George Perkins Marsh, 1801-1882)の 著 作 Man and Nature

(Marsh, 1864)を再評価し,自然に対する人間の 破壊的な影響を議論したMan’s Role in Changing the Face of the Earth(Thomas, 1954)は,サウ アーを中心としてウェナーグレン財団の資金援助 によりプリンストン大学で開催されたシンポジウ ム報告として刊行された。この分厚い書籍は,環 境の科学としての地理学の役割を再認識し,文化 地理学的な環境論の重要性を説いた。

 地誌の隆盛や新しい環境論の展開と並行して,

(8)

1950年代からアメリカの地理学は著しい変化を 経験しはじめることになった。そうした変化は,

地理学における内的要因とアメリカ社会に存在す る外的要因によって引き起こされた。

 第二次世界大戦は,伝統的な地理学(地誌)と フィールドワークに否定的な影響を及ぼすことに なった。すなわち,戦時中,地理学者は連邦政府 の軍事的な要求に必ずしも十分に応えることはで きなかった。というのは,外国の地域研究を専門 とする地理学者は少数で,詳細な地域研究の蓄積 は不十分であった。このため,地理学者は軍事目 的としの情報を十分に提供できなかった。ラテン アメリカについては研究の蓄積が比較的多かった が,ヨーロッパ,アジア,アフリカを専門とする 地理学者は少数に限られた(James, 1972: 451)。

アメリカの地理学の中核は国内を対象とした地誌 研究であり,外国地誌を組織的に研究・教育する 体制はつくられなかった。

 アッカーマン(Edward Ackerman, 1911-1973)

は,ワシントンDCにおける連邦政府関係の仕事 を通じて,アメリカ人地理学者の外国語に対する 関心の低さとともに,系統地理学的な研究手法の 訓練不足を指摘した(Ackerman, 1945)。さら に,地理学が系統地理学へ重心を移行する重要 性を説いた(Ackerman, 1958)。アッカーマンの 指摘に呼応するかのように,地理学者の関心と大 学の地理学教育プログラムは変化しはじめた。

 1940年代後半から1950年代にかけて,地理 学科は系統地理学と地図学に強い関心を向けるよ うになった。戦前に地理学の中核をなしたフィー ルドワークと地誌は,地誌教育を維持する点では 重要であり続けたが,地理学者の関心はしだいに そこから離れた(Rundstrom and Kenzer, 1989)。

系統地理学への専門分化が進み,大学に勤める地 理学者は,例えば経済地理学とアジア地誌という ように,系統地理学の一つの分野と地誌の一つの 地域の専門をもつことが一般的となった。

 1950年代のマッカーシイズムも外国の地域研 究には否定的に作用した。ジョンズホプキンズ 大学の地理学者ラティモア(Owen Lattimore,

1900-1989)が最初の犠牲者となった(Latiti-

more, 1940)。こうした動きは外国地域研究の進 展に水を差す結果となり,とくにアジア研究に従 事する地理学者が減少した(Martin, 2005: 420)。

 また,1957年にロシアが最初の人工衛星の打 ち上げに成功するとスプートニックショックに見 舞われ,これを契機に連邦政府の科学技術関連予 算が膨張した。潤沢な研究資金を活用して,地理 学者はますます数学,統計処理,コンピュータ技 術を学ぶようになった(Martin, 2005: 420-421)。

 地理学界では,新しい地理学方法論の模索が 1950年代中頃にはじまり,1960年代に活発化し た(Burton, 1963)。一部の地理学者の関心は,

定量化,モデル化,理論構築を指向した。計量 化・理論化の動きはワシントン大学やアイオワ大 学で自然発生的に起こり,ワシントン大学では ギャリソン(William Garrison, 1924-)やアル マン(Edward Ullman, 1912-1976)が,アイオ ワ大学ではマッカーティ(Harold H. McCarty,

1901-1987)が中心となった。ワシントン大学 大学院の卒業生にはベリー(Brian J. L. Berry, 1934-)をはじめとする地理学者がいて,彼らが シカゴ大学,ノースウエスタン大学,ミシガン 大学など,中西部の大学に職を得て新しい地理学 を展開した。新しい地理学方法論は英語圏諸国 やヨーロッパに拡散した(Martin, 2005: 417- 418)。

 アメリカの研究中心大学では,1920年代と 1930年代には自校の博士課程修了者を教員とし て雇用したが,第二次世界大戦後,そうした世代 が退職あるいは死亡すると,後任として若くて多 様な背景を有する地理学者を雇用するようになっ た。計量革命の時代はちょうど地理学教員の世代 交代の時期と重なり,多様な人材を雇用する気運 は計量地理学者が拡散・増殖することを可能にし た。こうした動向は当事者たちの回顧録から把握 できる(Gould and Pitts, 2002)。

 1960年代から1970年代にかけていわゆる計 量革命が進行するにつれて,地域性を研究する地 理学の限界が認識され,地理学者の関心は,人間 の行動や制度の空間構造,空間秩序,空間的拡 散,空間的相互作用に関する一般法則の探究と

(9)

理論的な説明にますます向けられた。因果関係の モデリングに計量的な手法が適用された。コン ピュータが登場し普及すると,またセンサス等の 数値資料が整備されると,計量化傾向が助長され た。新しい地理学の進展は,社会科学一般にみら れた科学の大きな流れに呼応した動きでもあっ た。

 計量地理学は理論構築を目指したが,初期に刊 行された空間分析論文の多くはフィールドワーク に基づいたデータを利用した。しかし,1970年 代中頃までには,計量地理学の研究は既存の二次 資料にますます依存するようになった。こうし て,人文地理学者のなかには地理学における フィールドワークの必要性に疑問を抱く者もいた という(James and Mather, 1977: 458)。つま り,フィールドワーク以外の方法で入手した二次 資料を用いて計量化が進行した人文地理学は,

フィールドワークで得られたデータに基づいて計 量化が進行した自然地理学とは異なった方向を歩 むことになった(Rundstrom and Kenzer, 1989:

296)。

 こうして1960年代には,地理学の学術雑誌に は伝統的な地理学と革新的な地理学が混在した。

大学のカリキュラムにも変化がみられ,計量分析 などの授業科目が学部教育に登場した。同時に,

地誌やフィールドワークなどの授業科目の比重が 低下した9)。こうした1960年代の新しい地理学 の動きを象徴したのは,大学用の新しい地理学 教科書Spatial Organization(Abler et al., 1971)

の刊行であった。両大戦間で最も一般的な地理 学教科書Elements of Geography(Finch and Trewartha, 1936)と比較すれば,大きな変化を 読みとることができる。

  研 究 動 向 の 変 化 は,1949年 か ら1963年 の AAG年次大会で発表された論文タイトルから把 握することができる。地誌学や自然地理学の論文 が減少し,数学的なテクニックやモデルを使用し た分析法に基づいた理論的な研究論文が増加した

(James and Martin, 1978: 129)。

 こうした地理学の変革と並行して,有名私立大 学のなかには地理学科を閉鎖する大学も現れた。

ジョンズホプキンズ大学ではイザイアーボウマン 地理学科が閉鎖された。ハーバード大学,スタン フォード大学,ワシントン大学(セントルイス)

でも地理学科が閉鎖された。ペンシルヴェニア大 学では1963年に,エール大学では1967年に地 理学科が閉鎖された(Koelsch, 2001: 270)。大学 ごとに事情は異なるだろうが,地理学に対する低 い評価が根本的な問題であったと推察される。

 2)地理学の分裂と多様化

 新しい地理学の原動力となったのは空間科学と 実証主義哲学であったが,人間と環境には個性と 多様性が存在するため,理論化やモデル化が難し いことが認識された。また,公民権運動,人種暴 動,不況,ベトナム戦争,若者世代の行動様式な ど,実証主義哲学の前提に疑問も生じた。こうし て,1970年代はじめには空間科学と実証主義哲 学は支持を失った。機械的なモデル化と計量革命 の前提に対する不満の結果として,1970年代に は批判的な地理学思想が展開した。人文主義に関 心を寄せる地理学者や,社会正義を求めて革新 的,左翼的な傾向を強めた地理学者もいた。こう した新しい革新を求める地理学の動向は20年間 続いた(Martin, 2005: 422-423)。

 人文主義地理学は,人間の認識,人間の行為,

人間の存在に関心を向けた。初期の人文主義地理 学は行動主義地理学と類似点を共有したが,主観 性をますます認識するようになると,両者は次第 に距離を置くようになった。人文主義は人文科学 との関係を深めたが,心理学に目を向け,人間の 知覚や行動についての理解を追求する地理学者も 現れた(Martin, 2005: 423)。ただ,人文主義地 理学では人間の意識や習慣に関心が向けられ,

フィールドワークの意識は低かった(Ley and Samuels, 1978)。

 社会正義と社会の変革を追求するラジカル地理 学も進展し,マルクス主義地理学者が新しい地理 学の中心となった。政治的な行動によって社会が 変えられるし変えるべきであると主張された。同 時にさまざまな形のラジカル地理学もみられた。

1969年にはピート(J. Richard Peet, 1940-)と クラーク大学の大学院生によってAntipodeが創

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刊された。この雑誌は1970年代に勢いを増し,

ハーヴェイ(David Harvey, 1935-)のSocial Justice and the City (Harvey, 1973)は新しい ラジカル地理学のモデルとなった。一方,バン ジ(William W. Bunge, 1928-) は デ ト ロ イ ト

(フィッツジェラルド)やトロントで地域社会に 根を下ろした活動を行った。1974年に組織され た 社 会 主 義 地 理 学 者 連 合(Union of Socialist Geographers)は,集団としての行動をとること を目的とした(Martin, 2005: 423-424)。こうし たラジカル地理学の台頭も地理学の地域離れを助 長した。

 伝統的な地理学者は地域の事情に精通し,その 地域の言語の高い能力をもつ。一方,計量地理学 や理論地理学を指向する地理学者は,フィールド ワークの代わりに統計とコンピュータを駆使す る。両者は異なった道を歩んだ。さらに地誌の基 盤となる自然地理学の評価も低下した。地誌学の 衰退は人文地理学と自然地理学の分離を促進し た。

 大学教育カリキュラムはこうした地理学の動向 を反映した。計量化が進むにつれて地誌学の授業 科目が減少した。計量的手法は精度を重要視する ので限定された地域の研究が中心となり,新入生 向けの概論科目である世界地誌を教える教員がい なくなった。上級生用の地誌学の専門科目は,一 般法則を追求する地理学にとって不適切であると 判断された。20世紀末には,地誌学や自然地理 学の授業科目を開講しない地理学科も存在した

(Martin, 2005: 421)。

 地域を舞台とした総合の科学としての地理学は 衰退し,詳細な分析に基づく科学が指向された。

しかし,1950年代からの地理学は,新しい考え 方が提唱されて「革命」が進行し,それが間もな く衰退するという繰り返しを経験した。革命と衰 退の過程で地理学の多様化と細分化がさらに進ん だ。地理学は核心部,すなわち共有された地理学 概念の欠落した学問領域となった。アメリカ社会 で地誌学の需要があるにもかかわらず,地理学は 一般社会から遊離し,アメリカ人の地理的知識の 向上に寄与することのない存在となった。

 こうしためまぐるしい地理学の変動に対して,

ベテラン地理学者の間には,地誌は地理学者によ る芸術作品であるという認識も根強く存在した

(Hart, 1982)。事実,1970年代から1980年代 には優れた地誌書の蓄積が進んだ。マイニグ

(Donald W. Meinig, 1924-),ジョーダン(Terry G. Jordan, 1938-2003),ワード(David Ward, 1938-),ハート(John Fraser Hart, 1924-),ゼ リンスキー(Wilber Zelinsky, 1921-)などの業 績は高く評価される。

 芸術作品に例えられる地誌学研究は個人プレー の研究成果であり,研究方法と問題意識が共有さ れることはない。この点で,計量化や理論化の進 行過程でみられた学派の形成とは異なった。かつ ては優れた地誌の重要性が多くの地理学者によっ て認識されたが,計量革命以降,地誌学は過去の 遺物であると考えられるようになった。

 地誌学の衰退にともなって,自然地理学と人文 地理学の分離が進んだ。もともと自然地理学と人 文地理学は地域を理解することを目的として密接 な関係を維持したが,両者の関係は希薄化し,地 理学科における自然地理学の存在意義は失われ た。地理学が20世紀初頭に地質学から分化して 制度化されたことを考えると,地理学は遂に地質 学から解放されたのかもしれない。少なくとも新 しい地理学を推進した人々は,自然科学の伝統を 否定して純粋な社会科学を目指したようにみえ る。

 1980年代の地理学を一言で表現すると,革命 後の混沌とした時代であった。多様な地理学思想 が共存するとともに技術革新が進行した。こうし た1980年代のアメリカの地理学の動向について は,Gaile and Willmott(1989)が展望している。

 地理学の多様化は,AAGのなかに学術的関心 を共有する多数の小規模な集団をつくりだす結果 となった。1978年には専門グループ(specialty group) の 制 度 が は じ ま っ た(Martin, 2005:

425)。10年後には専門グループは40を数え,

それらの存在が学会の構造を変えることになっ た。地理学の細分化を反映して,1980年代には 地理学関係の新しい学術雑誌(例えば,Urban

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Geography,Journal of Cultural Geography)

が創刊された。

 また,1980年代は主要な地理学大学院が閉鎖 された時代でもあった。ミシガン大学(1982年 に閉鎖),ピッツバーグ大学(1983年),シカゴ 大学(1986年),コロンビア大学(1986年), ノースウエスタン大学(1987年)がそうした残 念な事例であった(Koelsch, 2001: 270)。

 一方,1980年代には,アメリカ人が世界の地 名や国名を知らないという地理的知識の欠落が話 題となった。デブライ(Harm J. de Blij, 1935-)

はABCテレビの朝の番組(グッドモーニングア メリカ)で,地理的知識の一般社会への普及に努 めた。それ以来,デブライは地理学の重要性を一 般読者に向けて発信している(de Blij, 2005)。

 1980年代には地理学の中核を追求する試みも 行われた。Geography’s Inner World(Abler et al., 1992)はもともとAAGのプロジェクトとし てはじまり,1992年のワシントンDCにおける IGCにあわせてAAGの出版物として刊行された。

こ れ は4部(What Geography is about,What geographers do,How geographers think,Why geographers think that way)から構成されてお り,地理学者は考え方と認識を共有するという前 提が存在したようにみえる。

 3)ポストモダニズムの時代

 1990年代以降,ポストモダニズムの影響が地 理学にも現れ,これが地理学の多様化をさらに促 進した。一般理論を拒否して違いを追求し,個性 や地域性に関心が集まる過程で,マルクス主義地 理学や他のラジカル地理学が衰退しはじめたし,

理論指向の新しい文化地理学が展開した。

 新しい地理思想や方法論が台頭すると,地理学 界では何が地理学的であるかをめぐって認識の共 有がますます難しくなった。ベテラン地理学者 のゼリンスキーは,Annals of the Association of American Geographersに掲載された最近の論文 は地理的ではないと嘆いた(Zelinsky, 2006)。一 方,地理学者が認識し追及する地理学と,地理学 に対する一般社会の認識や期待との間に,ギャッ プがますます拡大した。1970年代から1980年

代にかけて,地誌が地理学科の授業科目から姿を 消す一方で,アジアや中東での戦争に関与したア メリカ政府とアメリカ人にとって,戦略的に重要 な地域に関して 基本的な地域情報を提示してく れる地誌学の存在価値は依然として大きい。こう して,一般社会や政府の期待に応えることができ ない地理学と地理学者の存在感は薄れた。

 もちろん例外もあった。地理情報システム

(GIS)という新しい領域の活発化があげられる。

GISの大学教育への導入にともなって,1990年 代には地理学を専攻して学士号を取得する学生が 増加し,一般社会における地理学の認識が高まっ た(AAG President, 1998a, b)。

 確かにGISは実践的で応用的な仕事をするこ とによって,学外から委託研究や民間研究資金を 大学に導入することに成功している。アメリカで は地理学者がGISにおいて重要な役割を担って おり,地理学科は大学のなかで評価を着実に高め ている。しかし,地理学科におけるGISの強化 は,地誌学などの伝統的な地理学者の領域を蚕食 しながら進行してきたようにもみえる。

 研究のための一次資料を獲得する方法として,

かつてはフィールドワークがおもな方法であっ た。Rundstrom and Kenzer(1989) は,主 要 な地理学雑誌を対象として一次資料の収集と フィールドワークについて検討した。フィールド データは現地での観察,参与法,インタビュー,

質問票などの方法で獲得できるが,フィールド ワークで得られた資料を利用した論文が全体のど れだけの比率を占めるかを経年的に分析した。そ の結果,1970年代中頃から現地で得られた一次 資料に基づいた論文が著しく低下したことが明ら かになった。

 また,外国の地域を研究する場合には外国語が 必要になる。Annals of the Association of Ameri- can Geographersに掲載された論文において,外 国語文献を引用した論文や外国の地域を対象とし た論文の比率は減少したという(Gade, 1983)。

 外国地域研究については,1970年代に入って 支援態勢が縮小しており,この分野の将来は必ず しも明るくないとMikesell(1973)は展望したが,

(12)

1990年代にはそれが現実のものとなった。戦後 の大学の拡張期が幕を閉じ,大学予算の縮小や学 部再編などが1990年代以降の傾向である。また,

外国研究を支援する研究費や奨学金は潤沢ではな い。地理学と大学教員市場が変化するなかで,外 国語の習得や長期的な現地調査が必要となる外国 地域研究は,若手地理学者にとって魅力的ではな い。

 21世紀初頭における地理学の動向をみると

(Gaile and Willmott, 2003),中核となる地理学 思想や地理学に対する地理学者の共通認識は欠落 したままであり,地理学は分裂傾向をさらに強め ているようにみえる。かつて地理学の中核として の地誌学が健在であった時代には,それが周辺部 の多様な地理学を支え,全体としてのまとまりが 存在した。しかし1990年以降,研究の課題,方 法,問題意識は分散化し,多様な地理学が周辺部 を構成するドーナツ化が進展した。周辺部では共 通認識をもたない多様な地理学が住み分けて併存 するコンパートメント化も顕著である。1960年 代から1970年代に新しい地理学を推進した地理 学者は退職適齢期を迎えており(アメリカの大学 には定年退職制度はない),新たな世代がドーナ ツ化とコンパートメント化の主役を演じている。

 2004年現在,AAGには52の専門グループが 組織されており,一般的な会員は2つの専門グ ループに属するという。2003/04年では,最も会 員の多かった専門グループは地理情報システム

(1182名)で,都市地理学(737名),リモート センシング(485名)が続いた。最も会員が少な かったのは身体障害(21名)で,加齢(43名), カナダ研究(59名)も次いで小規模であった。

地域に関する専門グループの会員は少なく,ラテ ンアメリカ(282名),アフリカ(170名),中国

(153名),アジア(144名),ヨーロッパ(134 名),ロシア(131名),中東(82名),カナダ(59 名)であった。社会では世界の地理的情報が必要 な時代に,AAG会員の関心は地域離れを起こし ている(Martin, 2005: 426)。

 地理学の分裂状況は学術雑誌の編集からも理解 できる。Annals of the Association of American

Geographersの編集は2001年(第91巻)から セクション体制をとっている。すなわち,環境科 学,方法・モデル・GIS,自然と社会,人・場 所・地域の4つのセクションを立て,それぞれ にセクション編集長が置かれ,セクションごとに 論文が審査・掲載される。これはアメリカの地理 学のドーナツ化とコンパートメント化を如実に示 している。地理学の本質論ははたしてどのセク ションに掲載されるのであろうか。もっとも,そ うした議論は行わないという前提なのかもしれな い。また,AAG年次大会では,専門グループや 限定されたテーマごとに小規模会場に分かれて,

多くのセッションが同時進行で行われる。これも 地理学のコンパートメント化を象徴している。

 ただし,一部の地理学者はフィールドワーク へのノスタルジックな思いを抱き続けている。

Geographical Reviewは2001年にフィールド ワークの特集号を組んだ(Stars, 2001)。これは 1851年に設立されたAGS創設150周年記念号 で,フィールドワークに関する56のエッセイを 収録した。編集長のスターズ(Paul F. Stars)は いわゆるバークリー学派で,サウアーの後継者 パーソンズ(James J. Parsons, 1915-1997)の 学生であった。もっとも,フィールドワークや地 誌学からは程遠いトゥアン(Yi-Fu Tuan, 1930-)

までもが寄稿(「フィールドトリップとしての人 生」)していることを考えると,この特集号をど のように読んだらいいのだろうか。地理学から核 が失われたことの証と解釈できるのかもしれな い。

IV.研究・教育の体制  1)地理学会と地理学雑誌

 AAGはこの国で最大の地理学会で,ワシント ンDCに事務局を置いている。会員は増加し続 け,最近では1万人を超えた10)。9つの地区に区 分され,地区ごとに研究集会やニューズレターの 発行などの活動が行われる。また,専門グループ は2011年現在で63を数える。AAGの出版物は,

Annals of the Association of American Geog- raphers(1911年 創 刊 ),Professional Geogra-

(13)

phers(1946年 創 刊 ),AAG Newsletterの3種 類である。AAGは春に年次大会を開催し,平均 すると3000~4000人の地理学関係者が集まる

(Martin, 2005: 431)。

 アメリカで最も古い歴史をもつAGSは1970 年代に財政問題に直面し,有名な地図学部門は閉 鎖された。事務局と文書はニューヨーク市にある が,図書館や地図コレクションは1978年にウィ スコンシン大学ミルウォーキー校の図書館に移転 した。Geographical Reviewの編集事務局はマサ チューセッツ州ウースターのクラーク大学におか れている。AGSの会員・購読者は5000人程度 である(Koelsch, 2001: 271;Martin, 2005: 431)。

 NGSは 国 内 で650万 人 の 会 員 を も つ。Na- tional Geographic Magazineは一般読者にとっ て「魔法のじゅうたん」であり,世界中の姿が迫 力ある写真とともに提供される。地理教育活動に も取り組んでおり,ナショナルジオグラフィック アライアンス(NGA)の設立を援助して,高等 学校の地理教育を支援している(Martin, 2005:

439)。

 学校における地理教育を改善するための組織は 全米地理教育協議会(National Council for Geo- graphic Education, NCGE)で,事務局はワシン トンDCにおかれている。この組織は1915年に 創設され,Journal of Geographyの刊行のほか,

年次大会を開催する。

 2)地理学科の国際化

 アメリカでは大学によって教員の果たす役割が 明確化している。すなわち,大学院博士課程をも つ研究中心大学と学部の教養教育を中心とする大 学では,教員に要求される資質が異なる。研究中 心大学では,“publish or perish”という表現が あるように,研究成果の出版が問われ,研究業績 に応じて給与や昇任が査定される。一方,教養教 育中心の大学では研究成果よりも教育能力が評価 の対象となる。教員市場は流動的で,大学院博士 課程をもつ大学には研究・執筆活動を積極的に行 う地理学者が集まる。

 大学院博士課程をもつ地理学科の規模は一般に 大きい。手元にあるAAG編集の地理学科ガイド

(Association of American Geographers, 1998)

をみると,地理学関係の博士課程をもつ大学は 62校であった。多くの有名私立大学には地理学 科や地理学大学院博士課程がないので,州立大学 が地理学の研究者養成を担っている。20名以上 の地理学教員を有する大学も珍しくなく,教員の 担当領域の明確化,分業態勢と専門意識の形成が 可能である。しかし,他の学問領域と比べると,

教員数からみた地理学科の規模は一般に小さい。

 教員の出身大学は多様である。これは,研究中 心大学では自校の大学院修了者を教員として採用 しないためである。大学院博士課程をもたない大 学では,当然のことながら,教員はすべて他大学 の出身者となる11)

 アメリカは世界から頭脳を集めることによって 発展し,大学には外国人教員が多いが,地理学科 も例外ではない12)。第二次世界大戦後のアメリ カ地理学の発展に外国人の地理学者が大きく貢献 したことは,Gould and Pitts(2002)からも理 解できる。収録された14名の地理学者のうち半 数が外国人(外国生まれ)で,アメリカの地理学 界を背負う存在となった。英語を話す地理学者が 外国からやってきて,アメリカの大学の博士課程 で博士号を取得したり,教員としてアメリカの大 学に就職する事例は多くみられる。

V.お わ り に

 アメリカの地理学は従来から盛んに日本に紹介 されてきたが,そうした紹介は断片的であった

(矢ケ崎, 2005)。アメリカでは多様な関心と背景 をもつ地理学者によって多様な地理学が展開され る。また,地理学者は伝統に固執することなく,

新しい地理学を追求する。すなわち,アメリカの 地理学のどの部分を紹介するかでその見え方は大 きく変わってくる。アメリカの地理学の全体像を 簡潔に紹介することは容易ではない。

 日本とアメリカの地理学には大きな相違点があ る。一つは地理学科の規模としくみである。アメ リカでは地理学科の教員数が多いので,専門領域 の役割分担が明瞭である。また,大学院修了者は 出身大学に教員として就職することはない。時代

(14)

の流れに対応して必要な人材が補充されるが,こ うした柔軟性を支えているのは教員市場の流動性 と業績主義に基づいた給与体系である。また,学 術の伝統にとらわれることなく,新しい発想で新 しい地理学を模索する活力がつねに存在する。そ の基盤となるのは,大学院で地理学を学ぶ学生の 学部時代の専攻が実に多様なことである。

 日本とアメリカの地理学の類似点を一つあげる ならば,残念ではあるが,大学においても一般社 会においても地理学の評価が低いことである。こ れは,ヨーロッパにおける地理学の地位と評価と 比べると対照的である。地理学は社会に対してど のように存在感をアピールしていったらいいのだ ろうか。日本の地理学がアメリカの地理学から学 ぶことはいろいろとありそうである。

1)デーヴィスは,ハーバード大学で修士号(鉱山工 学)を取得した後,アルゼンチンのコルドバの天文 台の所長として3年間勤務し,故郷のフィラデル フィアに戻って石炭会社に2年ほど勤めた。その後,

シェーラーのもとで1年間教えた後,1年間の世界 旅行を経て,ハーバード大学での教職に就いた。

2)ジョンソンは経済学者エリー(Richard T. Ely, 1854-1943)の学生で,エリーは1876年から1880 年にかけてハイデルベルク大学で学んだ。当時,ハ イデルベルク大学には地理学者はいなかったが,地 理学は確立された学問領域であった(James and Martin, 1978: 18)。

3)アメリカで最初に博士号を授与したのはエール大 学で1861年のことであった(James and Martin, 1978: 3)。

4)パリ(1821年),ベルリン(1828年),ロンドン

(1830年)をはじめとして,1875年までにはヨーロッ パには28の地理学会が存在した。最初の国際地理 学会議(International Geographical Congress)は 1871年にアントワープで開催され,1922年には国 際地理学連合(International Geographical Union)

が誕生した。なお,南北アメリカでは,リオデジャ ネイロ(1838年)やメキシコシティ(1839年)に 地理学会が組織された(James, 1972: 210; James and Martin, 1978: 2)

5) 初 期 の 学 会 と し て は,American Philosophical Society(1769年),American Academy of Arts and Sciences(1846年 ),American Association for the Advancement of Science(1848年)が組織された。

1884年にAmerican Historical Association,1885 年 にAmerican Economic Association,1888年 に American Folklore SocietyとAmerican Geological

Societyなど,1880年代に地理学の隣接分野で学会

設立が相次いだ(James and Martin, 1978: 3)。

6)ジョンソンとグードは経済学で博士号を取得した が,地理学者であった。創設会員の専門は多様で,

地質学者19人,生態学者3人,海洋学者2人,気象 学者1人,地球物理学者1人,経済学・統計学者3 人,生物学者2人,民族学者1人,歴史家1人など が含まれた。48人のうち22人が大学で教え,16人 が連邦政府に勤めた。女性はクルークゲンテとセン プル(Ellen Churchill Semple, 1863-1932)のみで あった(James and Martin, 1978: 38)。

7) 他 学 会 の 会 員 数(1943年 現 在 ) は,American Historical Association(3,615),American Econo- mic Association(3,599),American Sociological So- ciety(950),American Chemical Society(31,109)

であった(James and Martin, 1978: 100)。

8)Economic problems of the Ozark Highlands of Missouri(1919年 ),Geography as regional eco- nomics(1920年),Problems of land classification

(1920年),Objectives of a geographic study(1922 9)ただし,筆者が年)。 1970年代中頃から1980年代初頭 にかけて大学院生として所属したカリフォルニア大 学バークリー校のように,地理学の革新の影響を まったく受けることのない地理学科も存在した。

10)AAG会員における少数派の比率は低く,アフリカ

系アメリカ人,ヒスパニック,ネイティブアメリカ ンを合計しても4%未満であり,女性の割合はおよ そ3分の1弱である(Martin, 2005: 431)。

11)Association of American Geographers(1998)に よりアメリカの主要な地理学科の教員構成をみると 次のようになる。ウィスコンシン大学マディソン校 では教員数18のうち同大学院出身者2,カリフォル ニア大学バークリー校では教員数13のうち同大学院

出身者1,クラーク大学では教員数15のうち同大学

院出身者0,ペンシルヴェニア州立大学では教員数

21のうち同大学院出身者0,ミネソタ大学では教員 数23のうち同大学院出身者2であった。

12)Association of American Geographers(1998)か ら外国出生者をみよう。ウィスコンシン大学マディ ソン校では外国出生者は5名(出生地不明は2名), カリフォルニア大学バークリー校では外国出生者6 名(出生地不明4名),クラーク大学では外国出生者 4名(出生地不明4名),ペンシルヴェニア州立大学 では外国出生者6名(出生地不明4名),ミネソタ大 学では外国出生者5名(出生地不明6名)であった。

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