弧調
説 自 然 神 学 と 社 会 科 学その一
田 中 正 司
1 目次
スコットラソド啓蒙における自然神学の問題
(1)カルヴァン主義正統派と教会啓蒙
(2)自然神学と自然の構造論
(3)ハチスンの思想主題と思想系譜
ニカーマイケル法学の基本構造
(1)神学"倫理学柱法学の関係
(2)﹁自然の構造﹂分析と自然法学の実態
三ハチスン道徳哲学の基本主題
ω﹃美と徳の観念の起源の探求﹄
(1)﹃探求﹄の主題と方法
(2)人間的﹁自然の構造﹂分析とその限界
回﹃情念論﹄(1)﹃情念論﹄の実践倫理学的構造
(2)歴史的﹁自然の構造﹂認識の進展
(3)ハチスン法学の実態
のヒュームス︑ミスとの関係
(1)情念論と人間の科学
(2)﹃探求﹄ー﹃情念論﹄と﹃道徳感情論﹄との関係
(3)情念論と名誉論の﹃道徳感情論﹄との親近性
(4)﹃例解﹄の主題とメリット論の展開
(5)﹃情念論﹄の本質的限界
(6)﹃道徳感情論﹄の主題
四ヶイムズにおける自然神学観の転換以下次号
(1)﹃道徳自然宗教原理試論集﹄の主題
(2)道徳的欺隔理論の展開
(3)﹁自然の構造﹂の狡知性認識の進展(4)道徳的欺隔理論の論理的帰結
(5)糾弾と弁論
(6)欺隔理論の自己否定
五﹃道徳感情論﹄と自然神学
(1)﹃道徳感情論﹄の自然神学的枠組
(2)欺隔の道徳感情論の展開
(3)﹃道徳感情論﹄の基本構成(4)六版における自然神学観の展開
ス コ ッ ト ラ ン ド 啓 蒙 に お け る 自 然 神 学 の 問 題
自然 神 学 と社 会科 学 その1
3
ω カ ル ヴ ァ ン 主 義 正 統 派 と 教 会 啓 蒙
ム ロコ七世紀末のスコットランドは︑経済的破綻と政治的衰頽に当面していた﹂といわれる︒当時のスコットランド
は︑﹁一六九〇年代の経済危機﹂に象徴される極度の貧困にあえぎ︑苦境に直面していたのであるが︑それは当時の
スコットランドの経済的後進性とイングランドに対する政治的従属関係によるところが大であったといえるであろう︒
一八世紀のスコットランド啓蒙思想は︑こうした苦境からの脱却の道を合邦による経済発展とスコットラソドの精
神的独立性の維持に求めたのであった︒﹁富と徳性(≦Φ巴夢陣≦﹁ε︒)﹂の両立︑﹁経済的・道徳的改良﹂が︑スコッ
(2)トランド啓蒙の共通の思想課題とされた所以はそこにあるが︑"啓蒙"の対象となった一八世紀初頭のスコットラン
ドは︑厳格なカルヴァン主義長老派の支配下にあったのであった︒﹁スコットランドの教会は︑当時︑ヨーロヅパの
どの教会とも同様に硬直的で不寛容であったし︑スコットランドの諸大学も︑大部分は厳格で偏狭なカルヴァン主義
(3)正統信仰の中心地であった﹂のである︒ポスト革命期の長老派は︑穏健派時代の洗練された長老主義とちがう硬直的
なカルヴァン主義の信奉者であったのであるが︑改革者たちの思想的支柱をなしていたアウグスチヌス神学は︑﹁原
(4)罪と人間の生来的腐敗﹂を強調し︑ルネサンス人文主義者が理想としていた﹁人間的卓越の自主的追求可能性﹂を否
定していたのであった︒当時のスコヅトランドは︑﹁中世思想の大半に普及し︑マルティン・ルッターと︑カルヴァ
ンやノックスのようなその後の改革神学者たちによって爆発的に再主張された暗いアウグスチヌス的性向のキリスト
(5)教﹂の神学伝統の下にあったのであるが︑こうしたカルヴァン主義の暗闇の中で︑﹁人間の自然﹂をそれとして認め
るルネサソス人文主義の洗禮を受け︑その思想的基盤をなすストア倫理学を学んだ﹁新しい種族の僧侶﹂の間から教
会啓蒙の運動が生まれたのであった︒その旗手がモダレーツと呼ばれる長老派の僧侶や大学人のグループであったこ
とは周知の事実である︒﹁彼らは︑カルヴァソ主義の教義をあからさまに否認することなしに︑スコットランド長老τ)主義の強調点を予定と撰びから個人的・社会的道徳に移そうと努めた﹂のであるが︑こうした穏健派知識人の思想に
大きな影響を与えたのがスコットランド啓蒙の父といわれるフラソシス・ハチスンである︒
ω 自 然 神 学 と 自 然 の 構 造 分 析
(7)スコットランド啓蒙は︑このように﹁穏健派の理想の範例をなしていた﹂ハチスソや穏健派知識人を中心に展開さ
れた︑暗いアウグスチヌス主義的な硬直的カルヴァソ主義からの解放・世俗化の運動として成立したものであった︒
(8)﹁スコットランド啓蒙が︑本質的に一七世紀の間中支配的であった神学精神に対する反発であった﹂といわれる所以
はそこにある︒しかし︑啓蒙がこのように一七世紀の神学精神に対して否定的・懐疑的であったということは︑必ず
しも啓蒙が懐疑主義や無神論の産物であったり︑反神学の思想運動として展開されたことを意味しない︒逆に︑スコ
ットランド啓蒙は︑ティソダルの理神論に反対して理性と啓示の両立を主張したロバi卜・ウォーレスの思想の示す
ように︑﹁盲目的な服従﹂と﹁懐疑主義と理神論の大洪水﹂という両極からの挑戦に対して︑信仰(q器邑凶αq凶8)を
(9)擁護しようとした運動の産物であった︒モダレーツの前身をなした﹁新しい種族の僧侶﹂や知識人たちは︑神の摂理
を確信しながらも︑﹁党派的でない探究と自由な吟味だけが宗教をいかなる形でも純粋に保存しうるものであり︑合
(ω)理的能力の行使は︑宗教に関する問題の吟味にさいしても奨励されねばならない﹂と考えていたのであるが︑彼らが
こうした両面戦争の武器にしたのが自然神学である︒
躍
自然 神学 と社 会科 学 そ の1
5 自然神学とは︑﹁神の存在と属性﹂を﹁自然﹂から導く神学活動である︒それは︑啓示神学とちがって︑キリスト
教の神秘的側面を排し︑宗教を演繹的・経験的に基礎付けることによって︑神学を科学に類比させようとしたもので
(H)あるが︑理神論のように︑奇蹟や啓示を否認し︑宗教を合理的倫理学に解消するものではない︒理神論が︑懐疑主義
や無神論につながる危険思想として排斥されたのに︑自然神学が︑宗教を﹁合理的に尊敬しうる﹂ものたらしめよう
とするものとして尊重された所以はそこにあるが︑こうした自然神学の活勢化の時代的背景としては︑﹁カルヴァン
主義がきびしい挑戦を受けはじめ︑宗教の教義が合理的探求に服するようになり︑神学者のドグマに異議がさし挾さ
︻12)まれるようになった﹂事実が考えられる︒スコットランド啓蒙思想は︑このような時代背景とそれを生み出した合理
主義精神の支配化の潮流の下で戦わされた神学論争の過程で展開された自然神学思想の中から生誕してきたものであ
ったのである︒
自然神学は︑既述のように﹁神の存在と属性﹂を自然から導く教義として︑神の存在証明1ーデザイソ論証を中心主
題とするものであるが︑スコットラソド啓蒙思想家たちは︑このデザイソ論証を﹁自然の構造﹂分析という形で展開
していたことが注目される︒彼らがデザイソ論証を﹁自然の構造﹂論として展開した理由は定かではないが︑一つの
主たる理由としては︑ニュートン神学の根幹をなしていた機械類比葺円匪器・・口巴︒尊)が考えられる︒ヒュームは︑﹃自
然宗教に関する対話﹄の中でクレアンテスに自然神学の主要な積極原理を語らせた個所で︑自然の﹁構造と考案
(︒︒酔歪9霞①⇔乱8艮腎螢口8)﹂を検査すれば︑その考案者(8耳噌凶くΦ噌)とデザインが分ることは︑階段や人間の足がその
目的に合うように工夫(§薯Φ)されていることから・類比によぞ分るとしている嘔このような思想がニュー
トン的な機械の考案者からの類比であることは明らかである︒ニュートンは︑機械その他の﹁人間の考案物(窪︒
けね震︒創9ま器9冨ヨき8コ践話9Φ)﹂が﹁人間のデザイソの産物﹂であることから︑﹁一つの偉大な機械に他ならない﹂
ダザイナ 自然の構造と考案の観察を通して類比的にその設計者の存在を推論していたが︑ニュートンを受容したカーマイケ
(15)ル以降のスコットランド啓蒙思想に﹁自然の構造﹂観念が支配的にみられるようになった一つの背景は︑ここにあっ
たのではないかと推測される︒
しかし︑ハチスンやバトラーその他がこうした類比に基づく﹁自然の構造﹂分析をニュートン的な天体現象からの
ヘヵへもへね類比に基づく物理的自然の構造分析に止まらぬ﹁人間的自然の構造﹂分析にまで押し進めた背景としては︑ストアの
影禦壷られる・ハチうやモダレ←の倫理学変トアであることはシャあ指摘する通りである幅ハチう
は硬直的カルヴァソ主義からの脱却の道をストアの人間主義的な自然観念に求めた上で︑それをキリスト教化しよう
としたのであった︒ハチスンがそこで展開したキリスト教的ストア主義の思想は︑非人格的な運命の代りに神を出来
事の究極の指揮者とすることによって︑ストア的自然観をキリスト教化したものであるが︑ハチスンはこうした万物
の考案者としての神の存在を論証するために自然の構造分析をする過程で︑社会科学の生誕の母体となる情念論を展
開することとなったのであった︒
啓蒙の社会科学は︑のちに具体的に論究するように︑デザイン論証のための自然の構造分析の中から生まれてきた
のであるが︑神学が啓蒙の基底をなしているという認識自体は︑別段新奇な見解ではない︒スコットランドでは﹁神
(17)学が︑一八世紀の世俗的社会科学への道を一七世紀のうちに準備した︑社会科学であった﹂のであり︑﹁スコットラ
ソド啓蒙の社会科学思想がスコットランドのプロテスタント神学の特有の形態のうちにその先駆者をもち︑その自然
(18)の結果であった﹂ことは︑多くの研究者が大なり小なり指摘している点である︒スコットランド啓蒙思想が﹁長老派
ハ玲}的ないしカルヴァン主義的基礎をもっていた﹂といわれる理由もそこにある︒スコットランド啓蒙の社会科学は︑キ
ャメ︒ンも指摘しているように・天世紀前半の禦論争の中からそれを契機に登場してきたのであ%神学に媒介
自然 神学 と社 会 科 学 そ の1
7 されることによって成立しえたのである︒アダム・スミスが﹃道徳感情論﹄で法の原理論を倫理学の中心主題とした
根拠を理解する最大の鍵も実はそこにあることも︑こうした自然神学の系譜を知るとぎ︑おのずから理解されること
であろう︒
本稿の基本主題は︑こうした神学と祉会科学の関連の解明にあるが︑これまでの研究史では︑スコットランド思想
(21)における神学の重要性が指摘され︑啓蒙が宗教の代替物か︑それとも︑その自然的帰結かが問われながらも︑具体的
(22︺には﹁スコットランドでは神学が︑最初の社会科学﹂として︑社会科学的な芽をもっていた次第が強調されるに止ま
り︑神学の中から︑なぜ︑どのようにして︑社会科学が成立してきたかは具体的には解明されないままに止まってい
るのが現状である︒その一つの原因は︑スコットランド啓蒙思想家の自然神学思想の継承・展開過程が必ずしも明確
にされていない点にあるといえるであろう︒私が本稿でハチスンその他の啓蒙思想家の自然神学思想の解明を通し
て︑その主題がどのようにしてスミスにおける経済学の生誕につながっていったかを明らかにしようとする所以はそ
こにある︒
㈲ハチスンの思想主題と思想系譜
ハチスソは︑一ヒニ五年に公刊された処女作﹃美と徳の観念の起源の探求﹄(以下﹃探求﹄と略称)とそれに続く﹃情
念と情動の本性と行状に関する一試論﹄(以下﹃情念論﹄と略称)で︑﹁道徳感覚﹂に基づく美と徳の理論と︑道徳感覚
原理に基づく徳性論の原理としての情念論を展開している︒このハチスンの道徳感覚道徳論の最大の特色は︑﹁われ
わ れ の 情 念 の 否 定 抑 禦 い し 啓 蒙 徳 へ の 最 初 の 歩 み で あ る と し て い た 伝 統 的 人 文 主 義 の 仮 定 を 逆 転 さ 歯 ・ 情 念
を徳性の原理たらしめた点にある︒彼は︑﹁徳性が︑本来的にはハチスン以前の人文主義的道徳哲学者たちが仮定し
ていたような知識や外的訓練の副産物ではなく﹂︑﹁親切な情動ないし情念から生じる﹂次第を論証することによって︑
(24)﹁徳性を情念と結合させ﹂︑﹁道徳が感情のみによって決定される﹂ことを主張したのであった︒ヒュームはその点を
(25)﹁極めて重大な﹂意味をもつ﹁道徳感覚論の決定的革新﹂として称賛しているが︑この情念道徳論は︑﹁美と徳の観
(26)念や親切な情動や願望が︑内部感覚によって知覚される実在観念である﹂とする道徳実在論に立脚するものであった︒
ヘヘヘヘヨハチスンの理論は︑﹁善悪のすべての観念を⁝⁝法とその賞罰との関係から演繹﹂していたそれまでのプーフェンド
ルフーロック的な﹁主意主義的な法基底倫理学﹂とちがって︑人間が﹁美と徳の感覚と両立する仕方で知覚し行為す
(27)る自然的能力ないし力能をもつことを自明のものとして仮定した﹂ものであったのである︒
ハチスンの理論が︑道徳哲学の歴史における新しい時代の出発点を画するものとして多くの注解者に高く評価され
てきたのもそのためであるが︑このハチスンの理論は︑﹃探求﹄の副題の示すように︑マンデヴィルのシャーフツベ
リ批判に対する返答として展開されたものであった︒しかし︑その思想的意義は︑マンデヴィル批判にのみ止まるも
のではない︒ハチスンの情念道徳論は︑当時のスコットラソドで支配的であったアウグスチヌス神学的人間像と︑そ
(28)れに立脚するプーフェソドルフ法学批判としての含意をもつものであった︒ジェームズ・ムーアによれば︑ハチスン
の道徳哲学は︑二〇年代の道徳感覚理論に立脚した公共哲学と︑それとは全く異なるアウグスチヌスーープーフェソ
ド ル フ 的 人 間 像 霊 脚 す る 四 〇 年 代 の 箒 野 学 之 分 裂 し て い た と い わ れ る 嘔 ハ チ う の 道 徳 哲 学 は ・ → ア の
(30)﹁二体系テーゼ﹂に対するホーコンセンの反論や︑タイヒグレーバーや私の解釈の示すように︑道徳感覚原理に基づ
く自然法学の再構成を意図したものとして︑それなりに一貫しているといえるであろう︒ハチスンは︑情念と徳性と
を対立的にとらえるアウグスチヌス的二元論とは本質的に異なる情念道徳論を構築することを通して︑アウグスチヌ
ス的二元論に立脚していたプーフェンドルフ法学を感情論的に再構成することを道徳哲学の中心主題としていたので
自然 神 学 と社 会科 学 そ の1
9 ある︒ハチスンがこうした形でプーフェンドルフ法学を経験・主体化しようとしたことの背景には︑当時のスコット
ランド社会が当面していた﹁富と徳性﹂の両立の課題にリプライしたいという気持もこめられていたといえるであろ
う︒
ハチスンの道徳哲学が穏健派知識人とヒュームやスミスその他のスコットランド啓蒙思想家の共通の前提・出発点
になったのは︑こうしたハスチン思想の革新性と彼が当面し解決しようとした思想課題の普遍性によるところが大で
あったのである︒しかし︑ハチスンの道徳哲学がこのようにアウグスチヌス的カルヴァン神学思想を批判・克服する
内容をもっていたということは︑ハチスンの思想がカルヴァン神学の代替物として成立したことを意味するものでは
ない︒
父.祖二代にわたる長老派牧師の子として生まれたハチスンは︑長老派の厳格な伝統的カルヴァン主義の教義を守
るように育てられた︒長じてから彼が学んだグラスゴウも︑アウグスチヌス神学の支配下にあった︒当時のグラスゴ
ウの講義科目は︑一年次の論理学から順次︑形而上学︑道徳哲学︑自然哲学へと学年毎に進む形になっていたが︑そ
こで使用されたテキストの﹁著者のすべてーアルノー︑ニコル︑マールブランシュ︑ド・フリース︑プーフェソドル
フーは︑神学的にはいずれもアウグスチヌス主義者で︑天国を追われた人間の罪深さと︑人間の感覚・想像力・情念・
ハれソ道徳ならびに政治を⁝⁝理想の天界から分つ深渕を確信していた﹂といわれる︒こうしたアウグスチヌス的スコラ主
義がスコットランド教会とスコットランドの諸大学に確立されつつあるとき︑ドグマを否定して少数の基本的な信仰
個条だけを主張する運動がぎったが︑ζットランドにおけるその指導的存在がハチうであったのであ麓
ハチスソは︑当時のアウグスチヌス的スコラ主義の根幹をなしていた原罪と﹁予定と撰びのカルヴァン教義と根本
的に衝突する︹かにみえる︺自由なキリスト教観を学生に提供する﹂ことによって﹁スコットランドの神学に新しい
顔をつけ加え施が・厳格な長老派カルヴァン主義の家庭に育ったハチうの宗教思想を変化させ︑啓蒙への道をた
どらせた教師は︑当時のグラスゴウの神学教授で︑スコヅトランド教会のプロテスタント的スコラ主義に反対してい
たジョン・シムスソG︒ぎω弓ω︒p峯①︒︒下嵩膳O)と︑その同僚で晩年に道徳哲学教授になったG.カーマイケル
(34)(02筈oヨO費ヨ皆匿卑H①鳶‑嵩NΦ)であった︒
シムスンは︑神学の新しい啓蒙的解釈の唱導者として︑信仰を経験と観察に基づく合理的議論によって擁護するこ
とによって︑宗教における理性の位置を増大させ︑﹁自然の光と創造の製作物によって﹂啓示が知られうるとしたの
であつ%彼は・ラウドソG︒冨り.巳.巳やカ←イケルのス三呈謹反対していただけでなく︑化身のドζ
(36)や原罪の仮説に疑いを抱き︑キリストの知識をもたぬ人間でさえ救われるとしていたといわれる︒彼は︑そのため︑
(37)﹁理性と自然に不当なアピール﹂をする者として︑異端の答で審問にかけられたが︑ハチスソはシムスソの下で神学
(38)を研究することを通して︑﹁徐々に︹自らの︺哲学的・神学的所信を形成していった﹂のであった︒ハチスソが﹁シ
ャーフツベリの哲学を受容する道を準備したのは︑あらゆる蓋然性において︑シムスンから学んだ神学的異端であっ
鈎のであり・ハチうが新しい思想を提唱する舞台装置を提供したのはシムう問題であったのである︒
これに対し︑スコットランド哲学の創始者といわれるカーマイヶルは︑シムスソとちがって︑アウグスチヌス的な
哲学カリキュラムの推進者であっただけでなく︑新奇な試みをする学生を弾圧するなど保守的な役割を果した場合も
あったようであ遍しかし・ニートン受容ではエジンバラよりはるかに保守的であったグラスゴウでいち早くニ
リーンヱソト(41)ユートソを講じた二人の研究指導教授のうちの一人であっただけでなく︑スコットランドの大学に自然法学を導入し
たのもカーマイヶルであり︑ハチスンにプーフェソドルフを教えたのもカーマイケルであった︒
ハチスソは︑グラスゴウではカーマイヶルのクラスではなく︑ラウドンのクラスに属していたが︑﹁カーマイヶル
自然 神 学 と社 会科 学 その1
11 (42)の講義につらなる特権を享受していた﹂だけでなく︑カーマイヶルがプーフェンドルフの﹃義務論﹄に付した﹁注記
(43)と補遺﹂を﹁テキストそれ自体よりも価値があると考えていた﹂のであった︒ハチスンは︑プーフェンドルフの自然
(44)法観の外面性をきびしく批判したライプニッツに従って︑﹁道徳に関する真の哲学は自然神学の上に建設されねばな
(45)らない﹂としたカーマイヶルのうちに道徳哲学の新しい方向をみていたのである︒しかし︑これらの事実は︑ハチス
ンがカーマイヶルの忠実な弟子であったことを意味しない︒ハチスンは逆に︑カーマイケルとの格闘を通して︑彼の
中に根強く残存していたアウグスチヌス的神学観とそれに立脚したプーフェンドルフ法学批判の課題に取組んでゆく
ことになったのである︒ハチスンが道徳感覚原理に基づく自然法学の再構成を意図したのも︑アウグスチヌス的人間
像に立脚したプーフェンドルフの法学を神学的にとらえ直すことによって新しい道を切り開こうとしたカーマイケル
の解決にスコラ主義の残渣を感じたことが︑一つの大きな契機をなしていたのである︒ハチスンに啓蒙への道を鼓吹
したのは︑カ!マイケルではなくシムスソであったにもかかわらず︑カーマイケルの思想がハチスン道徳哲学体系理
解の鍵をなすものとして解明されるべき所以はそこにある︒
(1)"8Φ器o昌しoげ﹃§鳥智ミ怨肉ミ蛍甘醤§§︑§ミ曹ミミ費壽§㌧国働ぎ9お貫一㊤Q︒αも隔.(2)スコットランド啓蒙の思想主題については︑拙著﹃アダム・スミスの自然法学ースコットランド啓蒙と経済学の生誕﹄(御
茶の水書房︑一九八八年)第一部第一章参照(3)ω葺盈§aしd∴9ミ§§魁§竃述ミミミ恥ミ彗穿奪鷺§ミ§§§ミこミミミ睾§蓉臣ぎ霞αq劉
おQQ9も.μαトの暉
(4)↓︒鐸讐Φげ臼臼盈6疑島.∴ぎ鳴ぎ§︑︑霜ミ§ミき彗愚婁建ミ薄鰍躇§§嚢旦︾§§智慧げミミミ黛
﹀§智蕩肺∪霞ず薗ヨ"μ⑩Q◎9切罰癖bρ1蒔ω・
(5)奪ミも.お■
(6)ω冨き魯.ミも.ω9
(7)﹁ハスチソは︑専門語的には決して党派的意味における穏健派ではないけれども,啓蒙された長老派の僧侶や大学人の穏
健派的理想の範例をなしていた﹂(導ミこb.①㊤,)のである︒
(8)じσロo匹P国.↓∴O壽⑦昏ミミ書織窺§織ミ鮎⑦昏ミ忠ミ紺︑貯鼻①創・び団出・一・出帥昌げ鋤ヨ導〇三〇弾σqo鳩一㊤刈ρ娼﹄ω9
(9)Ω幽o弩Φ§し︒・莞︒・国・"霞a︒讐巴08ぎ<Φ﹁ω嘱渉書8二茸冨︒愚郭:=冨︒︒8§箒巳響什Φ暮Φ鼻冒
↓ミO適曳蕊窺ミ糺冬ミ越旦妹智軸9ミ職簿肉ミ蒔ミ§ミ鳴謡斜国ω鶏誘Φ9σ鴫幻・出・O曽ヨやσ①=俸}ω・ω吋ヨコ①﹁・国aコ,
げO械伽q戸H㊤Q◎bo堕づ℃μbこGQl心.
(犯)一げ一P}b・一b⊇野
(11)こうした自然神学と理神論ならびに自然宗教との差異については︑簡単にはΩ.鵠ロ﹁一σ¢蓉一H押"︒びΦ牌出・一聖§魯
﹀耐ミき§窺謡織b鳴豊讐出愛§鳴§斜目首69P一⑩①伊b"・Nρ①旬1①①・
(21)O鋤ヨΦ﹁O口罰Oや6一什こや一H①.
(13)Ω.団ロ琶ρO薗く答"↓ミ﹀ざ味ミミ︑ミ無o遷ミ.沁ミ暗画§﹂①師・げ蜜︾.窯・Ooτ①さ餌コ阜b焼ミ融ミ・︒6︒隷らミミ嵩偽冬ミ︑自N
葡ミ喧も§Φα・げ嘱いく.牢一︒ρO籠自Pμ㊤刈伊暑.嵩心﹂ま18(福鎌忠怒.斉藤繁雄訳﹃自然宗教に関する対話﹄三一︑
四ヒページ参照).=彗管¢什計魯・亀猶bμωc︒・
(14)山二日ρ魯9卦層サH曾‑卜︒讐前掲邦訳二八ページ︒
(15)当時のスコットラソドの各大学におけるニュートソ受容については︑強・ω冨嘗臼90耳油ω什すΦζL乞①葺o日g︒旨ω日5
ω09ユo︒ゴd.巳く霞o︒三①ωぢ夢ΦωΦ︿①馨①Φ巨げO①三¢﹃ざ言§馬()註鵯冒恥締﹀ミミミ庶導鳥⑦8ミ恥鳶肉ミ暗ミ僑隷ミミ嵩斜㊦Pσ嘱
O印ヨやげo冨印Q︒憲導①が署.①甲Q︒㎝.グラスゴウは︑スコットラソドの各大学のうちでは最もおそかったといわれるが︑カー
マイヶルは︑ニュートソ受容では東海岸の諸大学よりはるかに保守的であったグラスゴウで︑いち早くニュートンを講じ
たといわれる︒Oh・守置二b燭・誤‑蕊・
(61)OhωゴΦが愚・ら蹄こやb嗣一刈Φ1]﹁Q◎♪らQbo伊
((/へ(
2Q191817
)、 ノ))
O臣け巳P>ロ倉︒pα6∴↓魯鴨⑦らOミ思肉ミ暗ミ偽隷§鳴遷斜︾旨9ミミ恥&達碕いo鵠αOP一㊤刈◎や膳県
尋帆織こ娼も.bQ㎝ドーbこ.
ωゴOぴ愚︒鼠赴や眞ω.
Oh.O餌30﹁OロリO娼・O蹄こΦωOこOμbQbφ・
自然 神学 と社 会科 学 そ の1 13
(21)O栖O鋤ヨ℃げo芦幻出L↓げ①d巳o口g︒昌亀国oo昌oヨざOδ毛什貫ぎ§帖§ざ隷ミ.NミN︑壽ξ§︑§◎りらミミ§鼻Φ匹.げ団
↓﹄・陶山ρO冨o︒αqo妻鴇一㊤刈♪もbUQ◎1刈♪ω白o¢什矯↓.ρ"山§琶遷ミ︑き鴨切6ミ︑帆忠譜魯鷺N噺軌働ーNQQ恥◎哨o鵠9ロP一ゆ刈N
O詳Φ畠一口Oげ津切貯堕愚.ら鐘︑や﹄α一'
(22)9ぎ寅信ミbo・念・
(23)↓O言7αq噌鋤Φげ①さ魯,竃餅℃馳らω・
(24)♂ミこ"O面メら¢トコ}軽一・
(25)国ロヨΦ.ωピ象8H8山葺oげΦωo昌L≦碧魯一9罵醸ρ冨卜慧節6ミ越魯§魯§帖旦b§ミ建§斜①α・げ︽冒7口bロ霞8P
国飢ぎげ億附αq7﹄刈心9<O柑押"μμ⑩・
(26)竃oo﹁ρ冨ヨ①ω"↓7①↓≦oω団ω9ヨ︒りo騰悶鑓"鼠ω国鴛6げ①︒︒o﹃O"導Φoユαq曽ωo{跨Φω8什什冨ゴ2財σq鐸Φ昌ヨΦ艮"ヨ⑦ミ篤題ミミ鳴き帖智恥愚ずミ︽鳶⑦8殊駐︾肉ミ慧蛛§§§昌Φ9げ団回≦璽︾・ω冨妻餌昼O篠oa曽お¢ρや軽ρ
(27)奪ミζやや幽Pαρ刈O●
(28)アウグスチヌス神学と︑道徳実在論者のように﹁道徳的価値が法とは独立に存在する﹂ことを認めないで︑恐るべき神
の思想に立脚する﹁権威主義的主意主義︑法律尊重主義︑利己主義﹂を基底としていたブーフェソドルフ法学との親近性
については︑Oh竃oo﹃ρoや9叶こ俸国角︒卸押oロ︒︒︒・①P閑・"乞緯弓鏑α一ピg︒≦餌ロα]≦o﹃鉱国⑦巴δヨ"↓げΦω60鍵ωげ︒︒団口9窃芦貯
⑦計ミ§ミ︑ミき篤智恥魯書ミミ偽Qり8篭勘趣肉ミ§紺鵠§鳴醤ひ①O●び宅︼≦・︾・ω8芝餌答堵Φ呂こOやαρ①もQl①避
(29)Oh囲≦OO門POや9rΦロo"こロO卜↑1癖bo噛㎝ω1切N
(30)Ω鴨瓢鎚ぎ蕊︒・oPoやo詳.サ署.①α塗↓巴9αq轟ΦげΦ﹁層魯.ら凡卦拙著前掲書第二部第一章参照︒
(31)一≦OO﹃ρOサ自静;や腿恥層
(32)Oh囲げ置二層や.ω㊤1心ピ
(33)↓臨Oげ鵯帥OげOがミ}曹亀譜b.刈ω.
(34)Ohきミニ℃.QQ伊
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(40)Ω.ζ8吋ρ8申簿こ署・心ρ島ム①.ζ600ω﹃魯亀卜︑唱・ωQ︒ゐΦ・
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(44)ライプニッツの﹁プーフェンドルフの原理に対するある忠告﹂(嵩Oω)参照︒
(45)竃oo﹁ρい印ω皆曾簿030℃冨﹂↓冨℃o葺寄巴芝簿一降αqωo暁O臼筈o日O碧巨o匿Φドウb︒9拙書前掲書四九ページ
参照︒Oh]≦oo器帥ω貯o答げo﹁口ρoやo搾︼℃や刈①1刈⑩'
二 カ ー マ イ ケ ル 法 学 の 基 本 構 造
ω神学11倫理学11法学の関係
(1)カーマイケルは︑一七一八年に詳細な評注を付したプーフェンドルフの﹃義務論﹄の校訂版を公刊したが︑それを
基軸とする彼の道徳哲学講義は︑プーフェンドルフ法学の神学的基礎付けを中心主題とするものであった︒﹁私はあ
らゆるところで行為の道徳性を神学だけに関連させ︑それだけが義務の自体的な根拠をなし︑人定法の義務はすべて
(2)究極的にはそれに帰着するとしてきた﹂という彼の言葉は︑そうした彼の意図を端的に示しているとい・比るであろう︒
自然神 学 と社 会 科学 そ の1 15
彼は︑テキストの﹁序文﹂の言葉の示すように︑﹁道徳科学と自然神学の明白な関連が読者に明らかになるようにす
るために︑自然法の義務とその基本的規則を至高者の存在・完全性・摂理から演繹することにこの注解でとくに注意
を払う﹂ことによって︑﹁道徳科学をプーフェンドルフがあまりにも引ぎ下げてしまった人間の法廷からより高い神
︹3)の法廷へ引ぎ上げようとした﹂のであるが︑カーマイヶル思想の基本的特色は︑神学と倫理学と自然法学とが事実上
同一視されている点にある︒たとえぽ︑彼は﹁補遺この末尾で﹁自然法の原理をわれわれに教え︑それを事物の本
性(自然)から導き論証する学問︑ないし︑それと同じことになるが︑人間の行為を自然法に従って規律する学問が︑
ハるい倫理学ないし道徳哲学に他ならない︒従って︑倫理学ないし道徳哲学と自然法学の研究を区別する理由は何もない﹂
とのべている︒同様に︑﹁序文﹂や﹁追補﹂でも︑﹁自然法の規則の研究は︑倫理学の固有の仕事であり︑その理由で
(5)自然法学以外の何物でもない﹂とし︑﹁自然法に関する科学が︑外見上は学校で長い間支配してぎた倫理学とどんな
(6)にちがっているかのようにみえても︑目的と主題に差異はない﹂ことを強調している︒カーマイケルは︑神法は︑啓
でイチュァ示による以外に︑事物の本性そのものを通して指示されるが︑﹁その教えを引き出すさいに︑それは倫理学の問題で
ハ りあるが︑上の事実から自然法学そのものが生まれる﹂としていたのである︒彼は事物の本性からの神法の義務の論証
としての自然法と倫理学とを同一視していたのであるが︑こうした同一視の根拠ないし理由が︑倫理の基礎を神の意
志に求める一方︑神の意志の表現としてのデザイン論証の手段を神の創造物としての人間と事物の﹁自然の構造﹂の
うちにみようとした彼の論理そのものにあることは明らかである︒カーマイヶルは︑倫理の究極の原理としての神の
意志を人間と事物の自然の構造のうちにみようとしたため︑神学と倫理学と自然法学とが同一視されることになった
のであるが︑自然法が神法と等置され︑神の教えを知る道とされるとき︑倫理学が実践的色彩を薄め︑逆に法の原理
論に収轍されてゆくのは︑自然の成り行きといえよう︒ハスチンが﹃探求﹄で法の原理論の構築を倫理学の究極主題
とし︑スミスが倫理学としての ったのである︒ ﹃道徳感情論﹄の中心主題を法の原理論の展開に求めたのは︑必ずしも偶然ではなか
ω 自 然 の 構 造 分 析 と 法 学 の 実 態
カーマイヶルは法学を神の意志を知る手段と考えていたのであるが︑彼はこうした論理の必然的帰結として︑倫理
の究極原理としての神のデザイン論証のための﹁人間と事物の自然の構造﹂そのものの具体的分析をも意図していた
ヘヘヘへリヨように思われる︒彼が﹁神法は﹂啓示によるほか︑﹁人々の観察に自らをさらす人間の自然と他の事物の構造そのも
ホお のを通して明らかにされる﹂としていたのは︑こうした考え方を基本的に表現したものといえよう︒彼が﹁万物の適
(9)切な排列のうちに示される摂理の仁愛的なデザインの無数のサイン﹂によって創造者の意図が知られるとする一方︑
(m)﹁人間の本性(自然)は⁝⁝するように68ω葺二8されている﹂としているのも︑同じ論理の表現に他ならない︒こ
うした用語法は︑断片的ながら彼が後述のハチスンやヶイムズ同様に︑人間や事物を神によって8口ω簿ロ8されたも
のとしてとらえた上で︑そのαΦω一αqづΦ560巨ユく巽としての神のデザインのサインを人間と事物の自然の構造分析を
通して知ろうとしていたことを示すものといえよう︒
このようなカーマイケルの自然の構造思想がどこまでニュートンの影響によるものかどうかは定かでないが︑彼は
こうした人間と事物の自然の構造に基づく自然法の基本的規則を明らかにした上で︑人間の権利の分析に進んでいる︒
ハロソ﹁追補は︑︹こうした︺自然神学に基づく人間の権利の概説とみなされうる﹂ものであるが︑彼は︑﹁自然法の基礎的
規則について﹂論じた第一巻の﹁補遺二﹂と﹁追補﹂で︑上述のような自然の構造に基づく自然法の﹁三つの基本的
コヘカヘへ規則﹂として︑ω敬神︑回公共善1それに反せず︑﹁他人を害しない限りでの自らの無害な利益(効用)の追求﹂︑の
自然 神 学 と社 会科 学 そ の1 17
︑︑︑(12)社交性をあげている︒第一は神に対する義務︑第二は自己自身に対する義務であるが︑﹁他人に対する人間のすべて
の義務﹂の原理は0の社交性にあるとして︑﹁社交性の維持に必要であるか︑それともたんにそれを強化するのに役
ロ 立つにすぎぬかに従って︑完全権または不完全権としての承認が要求される﹂といわれる︒カーマイケルは︑社交性
を権利の根本原理として措定し︑その上に完全権と不完全権の区別を導いていたのであるが︑彼はこうした権利観念
の走追補で自然権と取得権ないし外発権の区別を導き︑家族‑市民社会歯家論の基本テ←を提出してい鯨
﹁追補がカ←イヶル自然法学体系の梗概を提供するこ妄意図したものであつ轟といわれる所以はそこにある・
このような形でプーフェンドルフを祖述したカーマイヶルの理論が︑ハチスンやスミスの自然法学と枠組を基本的
に同じくすることは明らかであるが︑カーマイヶル思想の意義と特色は︑上述のごとき倫理や法の神学的基礎の強調
るへが︑逆に倫理や法の究極の根拠としての神のデザイソ論証のための人間と事物の﹁自然の構造﹂の経験分析を押し進
めることになった点にある︒グラスゴウ大学の最初の道徳哲学教授となったカーマイヶルの道徳哲学講義ーその中核
をなす彼の自然神学思想のもつ思想史的意義は︑義務の究極の根拠としての神の意志の強調が逆に神意を知るための
自然のoo簿ユくき8の経験的論証という︑自然法の経験化への道を拓く役割を果たすことになった点にあったのであ
%
しかし︑カーマイケルの自然の構造論は︑﹁宇宙のさまざまな部分の排列にみられる素晴らしい秩序や︑個々の事
物の放つ顕著な美しさや︑被造物のあらゆる部分にみられる見事な効用や︑それぞれの部分が定められた目的を達成
する絶妙な仕方を観察﹂すれば︑﹁それらの事物のすべてに無限の英知と力と仁愛のサインが+二分に証明され醗
という﹃自然神学綱要﹄の言葉の示すように︑物理的世界のそれを基軸にしたものにすぎず︑人間界の構造分析は︑
実際にはたんに自然の創造主としての神の意志を強調し︑神の創造物としての人間の自然の構造のうちにみられる神
のデザインを直接的に強調するだけにすぎないものであった︒たとえば︑彼は︑所有権論や政府論でも︑事ある毎に
が
そ れ ら の 制 度 が 憲 的 に は す べ て ﹁ 造 り 主 と し て の 神 に 帰 着 す る し 次 第 姦 調 す る 麦 現 実 の 世 界 に み ら れ る 較
々にとって耐えがたいかの不衡平な条件は︑地表を居住のために人類に下賜した神の計画の達成を覆す傾向がある﹂
ヘヘへもヘヨとしている︒このような考え方が︑自然の創り主としての神の意図ないし﹁神の手﹂の直接法的強調にすぎず︑いま
たヘへだ自然の構造のうちにみられる自然の・§一§︒.の対象的把誉至りえていないことは明らかである.彼が﹁輪
は創造主から合理的能力を授けられている﹂ので︑﹁野獣のような仕方で盲目的な衝動に引きずられるべきでない﹂
として︑本能や衝動のもつ意義に否定的な見解を示しているのも︑同じような限界を示すものとい・兄よう︒カーマイ
ケルは・プーフェンドルフの法学を神学化する過程でマールブランシュに従って人間が他人を﹁模倣し︑他人の感情ハれ
に同感する本能的傾向﹂によって他人と結びつく次第さえすでにそれなりに認識していたにもかかわらず︑その理論
そのものは︑内容的にはプーフェンドルフーロックの受け売りにすぎず︑方法的にも﹁神の本性と人間の義務に関す
ハのねる知識は︑⁝⁝事物の本性から理性の正しい使用によって集めうる﹂とする自然法的合理主義の枠内に止まっていた
のである︒
こうしたカーマイケル法学の認識論的限界とアウグスチヌス的人間像を克服して︑カーマイヶルの自然法学を批判
的に継承・展開したのが︑彼の講座の継承者となったフランシス.ハチスンである︒
(1)ω.℃無①巳︒猟"寒§§きミ養蹄ミOミ恥︑§ミトミ§≧ミミミ§︑=げユ∪き・Qり后且Φ8︒コニωΦ叶OσωΦ﹁<凶鼠︒昌きβω
ぎ≧巴豊§言㊥暑叶一ω︒ω毒帥巨藁馨ω冨く一辞O霧︒ぎ§・・O婁尊器一"O奮︒・︒〜ヨ︒︒葛魯9﹃・︑貫目謹・このテ
キストには次の二種の英訳がある︒竃ooお.旨印ω出く①陰げo醤Φ﹂≦∴↓ミぎミ詩ミ§ミ謡篶ミ︒O恥義智︒§Oミ§帖6腎額象¢づ,
麗薯鴇巴冨匿当8︒{9善ド冨①一︑ω買Φ{自︒8帥き什Φω8げ一ω巴一辞一8︒暁国hΦ巳︒犠.ω§鳴bミ議鳴吻無さ器§栽導鳴
Q欝§.OqωげoヨO費巨6冨興ω︒・巷鳳o日2叶ω陣僧竈o巳冥けoω僧8二9℃鼠①巳o隊.ωb鳴9ミ§きミミ偽ミOミ砺ミ註窺
自然 神学 と社 会 科学 そ の1 19
トミ§きミ§む§庸げユ∪ロo霧≦Φ=器↓ぴΦぎ茸oαロo瓜o昌酢o曄①同刈①⑩国巳甑o鵠鎖謬α夢Φ一刈N⑩>09国凄巳8属¢ヨ幻o‑
乱o≦O{O鋤ゴ艮oげ鎖匹.ω客O冨PoOヨ嵐冨ロげ団甘げ鵠Z・冒Φコげo芦賃・σ宅Oゲ僧ユΦ︒︒閏・菊ΦΦ<ΦP同㊤Q◎O・前者にはカーマイケルの﹁序文﹂や﹃自然神学綱要﹄の抜粋等も含まれていて︑カーマイヶルの政治思想を窺うには便利であるが︑部分訳であるの
に対し︑後者はもっ唇昆Φヨo葺ωと︾冒℃㊦ロ山欝の全訳である︒前者からの引用は︑ζoo器俸ω皆o﹁聾oヨρ後者は︑菊Φo<Φωと
して表示する︒なお︑両訳の利用にさいしては︑川久保晃志・生越利昭氏のご好意をえた︒記して謝意を夷したい︒
(2)ω呂讐§簿炉貢聞①①<Φωも.8竃︒︒器俸ωぎ円§ヨρ葛b︒.
(3)℃艮・︒6ρζ§①俸ω鵠くΦ尋§ρ三〇・
(4)︒りεもぎ婁押藍菊①︒く①ωも.︒︒'§︒器印紹く2榊プ§①も.ωω.
(5)魯需巳貫謬Φ︒・δ<}寓8誘卸紹くΦ毒§Φも・一①.
(6)男触O貯OρH≦oo噌Φ庫qり竺<Φ﹁けげo∋ρ戸ω・
(7)﹀薯︒巳営臣①︒・δ<圃勾Φ︒<①ωら噛ωド
(8)ωロ℃艮ΦヨΦ艮押改〆男Φo<oP℃・メ(傍点引用者)
(9)留§勘寒ミ馨鳴§§鋳9.一︒︒Φ§三く﹄︒︒話俸ω蓄尋︒ヨρ鳥刈・
(10)Qり¢O覧①白①艮目噂く芦図o①<①P戸這"QリロO艮Φヨ①三H戸芦幻ΦΦ<㊦P㌘一Q◎・
(11)H≦oo﹃Φ俸ω譜くΦ旨げo同⇔POμ野
(12)9・ω¢冒覧①ヨ︒昌酔口﹂r<箕巴卸幻①Φ<①P竈b山♪ζoo器露ω鵠︿①困導o讐ρ署・G︒軽1ω①.﹀署①巳裳↓冨巴︒︒<乍〆幻①①くΦPbやωboーωρ一≦oo﹁①即Qつ鵠く①答げO﹁コρ切や一刈ー↑◎Q.
(13)匂o億も覧Φ冒Φ導昌'鳳メ菊ΦΦ<①o︒.や一♪ζoo掃俸qり臨く①﹁夢oヨρb.QQS
(14)O剛・︾℃やoロ象鉾↓げ①︒︒δ×一一囲{こ勾ΦΦ<㊥ω曽やω軽h・﹂≦oo器印ω二く臼90ヨρや﹄り胤層
(15)フ肖OO﹁O律ω凶くゆ冨70ヨρ層μ駆・
(16)こうした自然神学思想の逆説的意義は︑カーマイケルの主題を批判的に展開した後述のハチスンの﹁自然の構造﹂論の
疑似経験性に対するヒュームの批判と︑それに対するヶイムズースミスの対応を知るとぎ︑より明確になることであろう︒
自然神学思想の果した歴史的意義は︑概念・本質のうちにではなく︑こうした動態のうちに見出されるのではないであろう
か︒
(17)硲器愚駐§ミ轟§≧QミミN帆勲Oゴ・一QD①&8H<堕竃8﹁Φ帥Qo管巽窪oヨPサト︒刈・
(18)↓Φ塔しσド戸67<押ωΦ6梓・×宅矯窯08日.ζoo﹁Φ俸ω出く臼90ヨρ戸巳・
(19)↓①×ゴ切吋﹂りO巨一×℃Q∩①♀<"窯o審封竃8話印望く臼90ヨPU・①卜︒・
(20)ω=も豆①ヨ①耳員押芦"ΦΦ<ΦPや旨・
(21)Oh・ζ8話卿紹くΦ#ぎ旨①"O巽ωぎ日9§8匿2雪α9①墨ε邑冒ユ︒︒罎巨︒口︒Φ叶H蝉山筐︒目一コΦ茜耳ΦΦ口葺‑︒︒コ8﹃網
ω∩〇二gρ昌9や刈P
(22)勺器貯8L≦oo冨俸Qり=<①貝夢oヨρO.⑰・
三 ハ チ ス ン 道 徳 哲 学 の 基 本 主 題
ω﹃美と徳の観念の起源の探求﹄
ω﹃探求﹄の主題と方法
ハチスンは︑﹃道徳哲学綱要﹄の序文で︑﹁義務に関するわれわれの最初の観念は︑神の意志からではなく︑もっと
直接的に知られるわれわれの自然(人間本性)の構造から推論すべきであり︑それについての完全な知識からわれわ
ハユソれは︑われわれの行為に関する創造者の構想・意図ならびに意志を発見することができる﹂としている︒﹃情念論﹄
の序文その他でも同様に︑﹁われわれ人間の自然の構造から創造者のわれわれに対する意図が何であるかをみること
ができ砺﹂どいう趣旨のことが語られている︒これらの言葉は︑道徳感覚理論の創始者として智れるハチうの道
自然神 学 と社 会 科 学 そ の1 21
徳哲学の基本主題が︑義務の根拠としての神の意志を知るための﹁自然の構造﹂分析に基づく自然法学の展開にあっ
たことを示すものといえよう︒ハチスンは︑カーマイケルと同じ自然神学の伝統から出発し︑その上に道徳哲学を構
築しようとしていたのであるが︑その次第は彼の処女作﹃探求﹄のうちにすでに明確に示されている︒
﹃探求﹄の直接の意図は︑その副題の示すように︑人間は虚栄心や自負心に従って動く動物なので︑徳を私的な情
念に求めるのは戯言であるとしたマンデヴィルのシャーフッベリ批判に対し︑マンデヴィルの徳の観念は単純すぎ︑
バヨリ人間の情念は自己関係的なものに限られないことを明らかにすることによって︑シャーフツベリの原理を擁護する点
にあったのであった︒彼は︑そのためンヤーフツベリ美学の道徳感覚論化を﹃探求﹄の基本主題としたが︑ハチスン
がシャーフッベリからヒソトをえた﹁道徳感覚﹂原理に基づく倫理と法の原理の構築を意図した理由は︑それだけで
はない︒彼が道徳感覚理論の展開を処女作の中心主題としたより大きな理由は︑アウグスチヌス神学的人間像に立脚
していたカーマイヶル理論のアプリオリ性に対する認識論的懐疑にあった︒彼は︑カーマイヶルに従って︑義務の究
極の根拠を神の意志に求めながらも︑カーマイヶルやクラークの理論のアプリオリ性に気付いたため︑カーマイケル
カミには欠けていた道徳感覚原理に基づく﹁自然の構造﹂分析を展開することによって︑カーマイケルやクラークが多分
にアプリオリ的にとらえていた神の存在・完全性・摂理を人間の自然の情念に即してより経験的・帰納的に確証しよ
める うとしたのである.
あハチスソは︑そのための議論を﹃探求﹄の第一論文ではシャーフツベリに従って︑﹁自然の作品の中に美の感覚の
つヨ基礎﹂(ぎρ﹂︒︒)をみることからはじめている︒﹃探求﹄の第一論文は︑﹁美・秩序・調和・構想に関する研究﹂とい
ノザでノうその表題の示すように︑自然の作品︑その構造の美・秩序・調和の探求を通して︑その創り主としての神の構想を
論証しようとしたものであったのであるが︑このデザイン論証の方法は︑多分にニュートン自然神学の方法に従って
ヘへいたことが注目される︒たとえば︑彼は︑﹁定理の美﹂の典型としてニュートンの引力の法則をあげる一方︑﹁宇宙の
ヘカヘミ燈恥怪・酷合・疑伽怜﹂ξタ㎝︒︒)からその創り主の構想を推論するデザイン論証を機械のデザインから類比してい
勉)彼がこうした﹁結果の美ないし規則性から原因の構想ならびに英知を推理する﹂(ぎ§観察は︑展械哲学の
最近の改革者たちの論考によって皆のものとなっている﹂(ぎρ・自)としていることも︑彼がニュートン自然神学の
影響下にあったことを示すものといえよう︒﹃探求﹄第一論文の議論は︑のちにヒュームの批判対象となったニュー
ハアねヘヘヘトン的類比論に立脚していたのであるが︑ハチスソ神学の意義は︑こうした物理的自然の美.秩序.調和論に止まる
ヘヘカことなく︑﹁人間的自然の構造﹂(ヲ孕卜︒日9分析にまで進んでいる点にある︒
こうした﹁われわれの自然(人問本性)の構造﹂への関心は︑第一論文でも﹁感覚の構造﹂(冒ρ島)がさまざまな
形で問われていることなどにも示されているが︑この主題を積極的に展開したのが第二論文である︒第二論文は︑道
リヘへ徳感覚原理に基づく倫理の基礎付け呂それに基づく法の理論の構築を基本主題とするものであったが︑その特色は︑
カヘノレイムヵたたもヨ﹁自然の作品﹂︑﹁世界の構造﹂のうちに﹁造物主の無限の英知と力﹂(ぎρ.覧㊦)をみるだけに止っていた第一部とち
がって︑﹁人間的自然の構造﹂を問う姿勢がはっきり打ち出されている点にある︒第二論文では﹁自然の構造﹂用語
とならんで︑﹁人間的自然の構造(昏Φ8器蜂三δ口︒臨ゴヨき窯倉・嘗邑(ぎρ.b︒一9﹂とか﹁われわれの自然の岡錯ヨΦ﹂
おね(ぎρ.一ωピ・︒卜︒ω)︑﹁人間の心の性向δ①けΦ毒言鋤ユ8ご(ぎρ﹂ゆ㊤)等の構造関連用語が多用され︑﹁自然はわれわれが他
人の遵旛的資質を枷賛し愛歩かようにより強力に仕向けて(α①9§冒Φ)いる﹂(ぎρ.お︒︒)とか︑﹁われわれの心﹂は
﹁像 匁 盆 い 諦 幡 と 愛 を 費 が 像 (婁 巨 套 皇 (葺 H㊤ £ § を 自 然 に も ぞ お り ︑ ﹁ 纂 は わ れ わ れ に か
恥良いように自然に構成(8器馨9巴ξZp︒巳器)されている﹂(ぎρ.b︒Ob︒)というような思想が随所に展開されているの
ヘヵねヘヘミカが︑その何よりの証左である︒彼が﹁人間の自然(人間本性)の構造は共感8︒ヨ冨ωω一8)を起こさせるのに適してい