御 み
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ケ が
谷ゃ 遺 跡
静 岡
︒ 1
所 在地 静岡 県 藤 市枝 瀬吉 宇 御 子 ケ谷 2 調 査 期間 九一 七 七年
︵昭 52和 六︶ 月を
一九 七 八年 月二 3 発掘 機 関 藤 枝市 教 育委 員会 4 調 査担 当者 八木 勝 行
︐原 川宏
・磯 部武 男 5 遺跡 の種 類 地 方官 遺衛 跡
︵駿 河国 志太 郡衛 址︶ 6 遺跡 の年 代 奈良
平︒ 安 時代 7 遺 跡 及び 木 簡出 土 遺構 の概 要 御 子 ケ谷 遺跡 は 志︑ 太平 野 の西 端 部 海︑ 岸 線 より 約 七 血ほ ど 入 っ た丘 陵地 帯 末の 端 位に 置 t 海︑ 抜 六二
mの 平 地 に立 地 す る 南︒ 側 を 低 丘陵 に取 り 囲 ま れた 東 西 一〇
〇 m︑ 北南 七〇
mの 狭 い 範 囲 に あ り 掘︑ 立柱 建物 遺 構 井︑ 戸 柵︑ 板︑ 塀 道︑ 路遺 構等 らか 構 成 され て るい 地︒ 形的 には 限ら れた 域区 がな ら
︑ コン パ クト 形な で遺 構 が配 置 さ れ てい る点 大で き 特な 徴 を有 す る︒ 官衛 的 性な 格 の強 い遺 構群 の在 り 方 示を し 併︑ せ て出 土 し 遺た 群物 によ
てっ 律︑ 令 時代 にお け る駿 河 国志 太 郡 の郡 衛遺 構 とし て の可 能 性 強が ま たっ
︒ 御 子 ケ谷 遺 跡 から は︑ 一
〇点 の木 簡 出が 上 し てい る 遺︒ 跡 の立 地 上 の条 件 か ら木 製 品 の保 存 に 恵は ま れ 各︑ 種 日常 容 器 道・ 具類 と と も 検に 出 さ れ る︒ 一点 は板 塀 回で ま れ た建 物群 中 小の 土壊 中 より 多︑ 数 の木 片 に混
御 子 ケ 谷 遺 跡 遺 構 配 置 図
1978年出上の木簡
入 し て出 土 し て い る が
︵墨 2痕 仔在 は確 認 でき るが
︑ 文字 は 判読 で き な い︶︑
遺 跡 の 南 側 を 東 西 に 走 る道 路 遺 構 の縁 に添 たっ 低 湿 地 の部 分 か ら の も の で 土︑ 器
・木 製 品 と と も 投に 棄 さ れ た 状 態 を 示 し て い ZO 低 ︒ 温 地 部 での 堆 積 層 の観 察 か ら 出︑ 土 す る木 簡 は大 き く 二群 に分 離 され る︒ 基 底 面 近に く 道︑ 路遺 構 補の 修 拡 張 に伴 整う 地 層 の下 面 あに た る奈 良 代時 遺物 包 含 層 中 のも の六 点
︵0
・ω
・①
・0 と︶ 底︑ 面 より 高 い暗 褐 色有 機 粘 土 層 平︵ 安時 代遺 物包 含層 中︶ に 合 まれ る三 点
︵ω
・② で︶ あ る︒ いず れも 出 土状 況 から 建 物群 と の関 連 のな か で担 えら れ る とこ は明 ら か で︑ 破 損 や 二次 的 変な 形 を 受 け た も の が 多 い︒ 木 簡 と とも 多に 数 の遺 物 が出 土 し てい るが こ︑ と 墨に 書土 器 の大 量出 土 は内 容 的 にも 最 注も 目 され る点 であ る︒ 星 い太
﹂ 大﹁
﹂領 星 心 大領
﹂少﹁
﹂領 選 い太 少領
﹂塁 心太 少
﹂主﹁
﹂帳 星 心太 厨
﹂塁 心厨
﹂ を含 む 二三 七点 の墨 書 土 器群 は︑ 地方 衛宮
︵郡 衡︶ と し て 遺の 跡 の性 格付 け 明を 確 すに るも の であ り 他︑ にも 陶︑ 硯 施↓ 釉陶 器類 木︑ 製 馬具
︑ 漆 器 など の上 質 遺な 物 群 が含 ま れ てい る︒ S 木 簡 の釈 文
・内 容
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× 申 進 上 夫 事 □ 長 谷 浄 成
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・ 女 名 召 付 里 正 丈 部 麻 く 呂
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残念 な がら 出 木土 簡 に よ てっ 直 接年 紀 の知 れ るも のや 志︑ 太 郡 と の関 わり の明 確 もな のは ない
︒ し かし 人︑ 名 数や 字 書を き込 ん 進だ 上木 簡 召や 状 と思 われ る文 書 風 の木 簡 多が 含く まれ てい る点 で 郡︑ 衛 にお け 実る 体務 系 を知 る貴 重 文な 字 料資 あで ると えい る︒ 又 文︑ 献 資 料 の乏 し いな か で︑ 少 長 谷浄 成
︒日 置
・友 足 丈・ 部 麻呂 など の 名人 に関 す る資 料 が増 加 し た こと や 0一 号木 簡 に えみ る 里﹁ 正
﹂ に よ てっ 郷 里制 下 の年 代 想が 定 れさ 御︑ 子 ケ谷 遺跡 の成 年立 代 を把 握 す る手 懸 り を与 える など 重要 意な 義 を も有 し てい る︒ いず れに し て も 御︑ 子 ケ谷 遺跡 にお け 木る 簡 をは めじ 墨書 土器 など の文 字 料資 の 果 す役 割 は非 常 大に き い︒ 9 関係 文 献 八木 勝 行 ﹁ 御 子 ケ谷 遺跡 の発 据
﹂
︵志 太 ニュ ース
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九七 二︶ ク 御﹁ 子 ケ 谷 遺 跡 の調 査
︱ 駿 河 国 志 太 郡 の 郡衛 遺 構
︱
﹂
︵月刊 文化 財判
/ 2︶ ク
御﹁ 子 ケ 谷 遺 跡
︵駿河 国志 太郡 衛跡 の︶ 調 査
﹂
︵静 岡県 考古 学研 究I
︶ 藤 枝 市 教 育 委 員 会 日﹁ 本 住 宅 公 団 藤 枝 地 区 埋 蔵 文 化 財 発 掘 調 査 概 報
︱ 昭 和 五 二年 度
︱
﹂
︵藤枝 市埋 蔵文 化財 発掘 調査 概報
︱昭 和 五二 年度
︱︶ 磯 部 武 男
﹁御 子 ケ谷 遺 跡
﹃駿 河 国 志 太 郡 衛 址
﹄ の調 査
﹂
︵信濃 三〇 十 五︶ 藤 枝 市 教 育 委 員 会 藤﹃ 枝 市 の発 掘 調 査 配 2
﹄
一九 七 八 年 一九
七 八 年 一九
七 八 年 一九
七 八 年 一九
七 八 年 一九
七 八年 八︵ 木勝 行︶
御子ケ谷遺跡出上の上器墨書銘