最善の国家と次善の国家(「哲人王の行方」補説2
) : プラトン『法律』708E‑712B, 739A‑E, 875C‑D
著者 奥田 和夫
出版者 法政大学文学部
雑誌名 法政大学文学部紀要
巻 80
ページ 15‑25
発行年 2020‑03‑13
URL http://doi.org/10.15002/00023062
は じ め に
プラトン哲学のひとつの顕著な特徴は,それが扱う問題が狭義の哲学テーマ(たとえば認識論,形而 上学など)に限られず,人間の生き方(魂論,倫理学,幸福論),国家社会のあり方(国家・政治・社 会論)そして宇宙万有にまで視野を広げていることであろう。そのことは西洋古代の少なからぬ哲学者 が共有する特徴であるとも言えるが,プラトンの場合は,その多くの著作において,それらの諸問題が 幾重にも重なり合いながら整った構成の下に「対話ドラマ」形式の著作として形成されている。そのよ うな著作群のなかで,ひときわ目立つのが,『国家』(全 10 巻),『法律』(全 12 巻)の長編二作品であ る。
これら二作品は長編であるがゆえに扱う問題はきわめて多岐にわたる。そのために(主題の確定に大 きな異論は生じないにしても),主題同定に関連する細部の検討や解釈となると相反する意見が提出さ れてきたし,これからも諸種の議論は続くであろう。
また,これら二著作がいずれも政治・社会・法律に関する諸問題を連想させるタイトルを有すること も注目を集める。プラトン哲学の重要な一角に政治思想,政治哲学があることは,これら長編の二著作 のタイトルが如実に物語っているとも言える。
プラトンの政治思想については『国家』で語られる「哲人王」(哲人統治者)を第一に連想する人は 多い。また,この『国家』とプラトン最晩年の著作である『法律』の二つの大作を並置するとき,前者 では「哲人王」が,後者では「法の支配」が,各々の著作の主要な思想内容あるいは主題を象徴するも のとして受けとめられることもよくある。このような受けとめ方から,(むろん細部の検討を経た上で)
〈プラトンは『国家』執筆時には「哲人王」思想を有していたが,晩年にいたってその思想を断念・放 棄し,それに代えて「法の支配」の重要性を主張することになった〉と考える研究者も少なくない。
たしかにプラトンは『法律』において『国家』と同様の語り方で,あるいは明確な仕方で,哲人王を 語っていない。『法律』においてプラトンは,ひとつの国家建設を想定し法の支配の重要性を強調しつ つ『法律』の大部分を費やして具体的な法律内容を構想し書き記している。しかし,だからといって,
〈プラトンは「哲人王」思想を断念・放棄し,それに代えて「法の支配」を国家統治の第一原理とした〉
最善の国家と次善の国家(「哲人王の行方」補説 2)
―
プラトン『法律』708E
-712B,739A
-E,875C
-D
―奥 田 和 夫
という主旨の理解が正確であるとは思えない。むしろ,「法の支配」あるいはそもそも「立法」それ自 体(立法の目的とその内容)が,「哲人王」思想を前提し基礎にしているのではないか。「哲人王」思想 と「法の支配」はかならずしも二者択一の思想,あるいは矛盾する思想ではまったくない。この問題に ついて,わたしは過去に 2 編の論考を公にしたが(2011,2012 年)(1),本稿ではその後の若干の考察を
「補説 2」としてのべておきたい(「補説 2」とするのは 2012 年の論文に続き,本稿が第 2 の「補説」と なるためである)。
1.『法律』第 4
巻第4
章708E
-712B に対する旧稿(2011)の主張
2011 年の拙論では,〈『法律』においてプラトンは哲人王の思想を断念・放棄し,その代わりに法の 支配の重要性を説き具体的な法律を構想し著した〉とする陣営の論者の中から,主としてスコフィール ド(2)の主張を取り上げ,反論した。彼もわたしが重視するテクストである『法律』(708E-712B)に注 目し,このテクスト解釈にもとづいてその主張を展開していたからである。
スコフィールドに反論するわたしの主張は,細部の議論は割愛し,主要点をのべれば次のとおりであ る。
① 『法律』において,プラトンは哲学を極力語ろうとしていないし,哲人王も直接語られることは ない。その理由は次のように推測される。すなわち,対話相手のクレイニアスとメギロスは「哲学に馴 染みがない」とされ,また第 10 巻 892E では,この二人に対して「これからの議論(神学論の一部)
はあなた方には渡れない」とも言われている。このような人物を選択・設定し,対話相手の役割を演じ させた背景には,プラトンの執筆意図や方針がある。その真意はわれわれには分からないが,プラトン が『法律』において哲学の議論を必要以上に前面に出すことを意図的に控えていることは疑いえない。
むしろ哲人王たるべき哲学者は何らかの理由により,「立法者」としてカムフラージュされていると仮 定しておく(仮定H)。それは『国家』においても統治する技術・知識を有する哲人王の第一の仕事,
あるいは重要な仕事の一部は立法活動であることが言及されるからである(e.g.IV.425C-E,VI.502A-C etc.)。
② 問題にしたテクスト(『法律』第 IV 巻第 4 章,708E-712B)のうち,まず,「若い僭主」のテク スト(709E-711D)では次のように語られる。すなわち,この上なくすぐれた真の立法者と若い(そし て節制のある)僭主との提携により,そしてこの連携によってのみ,もっとも早く,容易に,すぐれた 国家・国制の実現がはかられ「およそ神が,ある国家の特別の仕合せを望む場合になしとげるほどのこ とは,ほとんどすべてなしとげられたことになる」(710D)と。このテクストを上の①の仮定 H とそ の含意の下に読むと,ここでは「政治権力と哲学の一体化という思想・理念」を実現するより現実的な バージョンを読みとることができるように思われる。
③ 問題にしたテクストの後半部,「老ネストール(神的エロース)」のテクスト(711D-712A)では
次のように語られる。すなわち,「若い僭主」のテクストとは対照的に,つまり,立法者と権力者の提 携ではなく,「一人の人間において,最大の権力と,思慮や節制の働きとが落ち合って一緒になるとき,
そのときこそ,最善の国制と最善の法律の誕生が芽生えてくるのであって,それ以外の方法では,けっ して生じてはこない」と。この場合は先の立法者と権力者との提携よりはるかに実現の難易度が高まる が,成果は「数かぎりない善のすべてが生み出される」(711D)とされる。このテクストを上の①の 仮定 H とその含意の下に読むと,このテクストでは,いわゆる「哲人王」(哲学者でありかつ政治家で ある者)が想定されていると思われる。
④ 「ネストールのテクスト(神的エロース)」の最後では次のように語られる。すなわち,「さて,
以上のことは,物語めいたものが託宣のように語られて下されたものとしておきましょう。そして次の ことが証明されたものしましょう。つまり善き法律をもつ国家の誕生は,ある意味では困難なことでは あるが,しかし別の意味では,もしわたしたちの言うことが実現さえすれば,なによりも速やかで,ま ことに容易である,と」「(証明されたとは)どのようにして?」(712A4-8)「…今の〔物語〕をあなた の国にあてはめて,ひとつ言葉によって,その法律をつくりあげましょう」「やり始めましょう,ため らっているときではありません」(712B1-3)。スコフィールドは考察の範囲を712Aまでとしているが,
本稿では上の引用文が終わる 712B までを視野に入れている。なぜなら,②③のテクストはこの④の テクストでまとめられることになるし,さらにここで語られた「物語」を『法律』で想定されている新 国家の立法作業に「あてはめて」「ロゴスの上での建国=立法」作業に向かおう,とされるからである。
さて,仮定Hの下で,さらに哲人王の実際政治上の第一の,あるいは重要な仕事が立法であるとの前 提をもとに,「われわれが検討したテクスト 708E-712B における立法者を哲学者(の一面)であると考 えること」を論証することは可能だろうか。残念ながら,それは直接的には出来ないと思われる。た だ,次の状況証拠だけは提出できる。
[1] のちに『法律』第 12 巻で語られる,「国家の錨」としての「夜明け前の会議」のメンバーのうち には立法者も含まれるが,このメンバーは哲学を修得した者たちであること(cf.964B3-965C8)
[2] われわれのテクストの中の 「若い僭主」 と提携する立法者は 「称賛に値する」(axionepainou 710C8),「最優秀の,頂点の」(akrou710D7),そして 「真の立法者」(alethesnomothetes710E8)で あると形容されること
この二つの状況証拠,とりわけ後者の足跡を辿るとき,このように形容される立法者とは,プラトン の場合,どのような人物であろうか。それはやはり「哲学者」としか言えないのではないか―(3)。 以上,この旧稿でわたしはスコフィールドたちの陣営に反して,プラトンは晩年にいたるまで「哲人 王」思想を堅持していたことを強く窺わせる方向性を可能な限りテクストにもとづいて示した。決定的 な証拠は示せなかったが,すくなくとも,スコフィールドのテクストの読みが不自然であり,ある種の 先入観に支配されてそれをテクストに読み込んでいるような主張であることは明らかにできたと思う。
しかし,この旧稿が出版されてから,ある批評がなされた。ここではわたしの主張のなかでもっとも
説明不足であった点に限って補足しておきたい。
わたしの主張は単純に表現すれば,旧稿の末尾の次の一節となる。
われわれの解釈がもし成り立つのであれば〔=仮説 H が真実であれば〕,プラトンは『法律』にお いて,哲人王の思想・理念だけを保持していた(4)のでもなく,また 「法の支配」 の提示を代替と してその実現を断念したわけでもないと思われる。それがどんなに困難であり,どこで,いつの世 のことであるにしても。cf.『パイドロス』276D(5)
これに対して,
(哲人王思想の堅持はよいとして,しかし)プラトンの『法律』には紛れもなく具体的な法律が 縷々のべられており,これは哲人王思想の事実上の代替措置ではないのか
という疑問が出された(6)。
上の旧稿末尾の一節には次の意味を含意させたつもりであったが,説明不足であった。その含意をの べれば次のとおりである。
【1】 プラトンは晩年の『法律』執筆時にいたるまで,哲人王思想を堅持していたが,
【2】 それは哲人王の「思想・理念」だけを堅持していたのではなく,哲人王の実現をも期待する
(プラトンは哲人王の実現はきわめて困難であるが,ありえない絵空事とはとらえていない)が,
【3】 哲人王はこの世にあらわれることがきわめて困難であるから,
【4】 その代わりに「法の支配」が提示奨励されるのであるが,しかしその提示奨励は哲人王の実 現がまったく不可能の絵空事であるから「その代わりに」,という意味ではない。
【5】 『法律』の内容の背後には哲人王思想があり,それにもとづいて『法律』は執筆されている可 能性がある。
【1】と【2】について裏付けとなりうるテクストは,(これも仮説 H が真実であればの話だが)われ われのテクストの中で「若い僭主」のテクスト(709E-711D)である。そこで語られる立法者が哲学者 であるとすると,若い僭主との連携により,その哲学的精神と強大な権力との結合が実現する。この
「理想」はけっして手の届かない,いわばまったくの「絵空事」と位置づけられておらず,むしろきわ めて困難で実現の可能性は低いとしても不可能であるとは断定はできない,つまり条件がととのえば,
または「幸運」(709D3,710C8)により,「ありうる」こととプラトンは期待していると思われる。
2.『法律』第 5
巻第9
章739A
-E
さて,この第 2 節と次の第 3 節で扱う 2 箇所のテクストは過去の 2 編の論考(2011,2012)では扱わ なかったテクストである。これらの箇所を検討し,旧稿を補いたい。
まず 739A-Eであるが,この箇所は旧稿(2011)の検討箇所(IV.4.708E-712B)のすこし後の箇所で,
『法律』における「法律本文」の中に入った箇所である。
ここのテクストではまず冒頭(739A-B)で法律制定にあたって,(その法律によってなされる)国家 建設は「最善のものとはならず,次善のものにならざるを得ない」とされる(7)。その理由は「熟慮と経 験によってわかる」とだけ言われており,それだけですまされてしまう。この場合,熟慮と経験によっ てわかる理由がどのようなものなのか不明である。ただ,ここで連想されるのは『国家』第 5 巻 473A- Bで語られる,「プラークシス(実践)はレクシス(言論・理論)よりも真理にふれることがすくない」
(実践は理論に劣る)というプラトンの考えである。同様の考えは『ティマイオス』の「エイコース・
ロゴス」の説明にも見出される(29B-D)。もし,いまのこの箇所でもそのような考えが基礎にあるの だとすると,「現実の国家建設や立法はなかなか理論どおりにはいかない」ということを言わんとして いるのかもしれない。そしてそれは熟慮と経験の後にわかることだと。
いずれにせよ,ここの文意は不明だが,続いて次のようにアテナイからの客人は語る。
「しかしもっとも正しいやり方は,最善の国制,第二のもの,第三のものを語り,その上で建国の 各責任者に選択を委ねることである。そこでわれわれも,いまのこの言葉に従って,その優秀性に おいて第一,第二,第三の国制を述べることにしよう。そして選択はこの場では,クレイニアスに 任せよう〔また,他の誰でも,国制の選択をする者は自分の祖国に好ましい国制を選択させよう〕」
(739A-B)
このように語られた直後に,いっそうこの箇所で注目される明確な記述はつづく 739C-Dで語られ る「最善の国家・国制・法律」のあり方である。すなわち,その国家では妻子・財産の共有がなされ,
可能なかぎり私有財産がなく,可能なかぎりすべての者が同じものを喜び悲しむ挙国一致が実現した国 家であり,それを可能とする法律を有している,とされる。これは『国家』の守護者(哲人王)の生活 形態と,とくに『国家』第 5 巻 461E-462Eで語られる最善の国家の具体的な説明(あたかも一人の人 間であるかのように「一つの国家」であること)と同じであり,使用される説明の例まで同じである。
そして,結局のところ,現在,アテナイからの客人たちが試みている立法による国制の整備は「次善の ものとしては唯一の国制になる」とされ(739E),「法律本文」としての説明が続けられる(第三の国 制については何も語られない)。
この 739A-E のテクストを『法律』においてプラトンがなおも「哲人王」思想を堅持していることの
直接の証拠とすることはできない。が,しかし,このテクストが『国家』における哲人王とその統治国 との,あるあり方を最善のものとし,これを現在試みている立法作業の内容よりも上位に位置づけてい ることはたしかである(8)。
3.第 9
巻第13
章875C
-D
次に第 9 巻第 13 章 875C-D のテクストである。第 9 巻は「刑法」を扱っており,第 13 章では傷害罪 について規定される。その説明に入るところで,しかし「障害行為全般をとり上げる前に,あらかじめ 次のことを語らねばならぬ」としてやや長めの言葉が語られる。すなわち,人間には法律の制定とその 遵守が必要であり,法律がなければ人間は獰猛な獣と変わらないとされ,その理由は人間は公共の利益 よりも利己に傾きやすく,前者を優先することが自己にとってもよいことはなかなか理解されないから であり,それを理解できる者でも権力を得れば「死すべきものの本性」に駆り立てられてまた利己的に なり自己と国家とを禍で満たすことになる,云々…と,ここでやや唐突に,次のように語られる。
「神の恵みによって,世の中に誰か,生まれながらにして充分な能力をそなえた者が現われてきて,
そのような絶対的支配者の地位につくことができたとすれば,その人は,自分自身を支配すべきい かなる法律も必要としないだろう。なぜなら,いかなる法律も,いかなる規則も,知識にまさりは しないし,また知性が何ものかの従者や奴隷であるということは許されないからである。いな,知 性はすべてのものの支配者であるのが当然だからである。いやしくもその本性にしたがって本当に 真正にして自由な知性であるならばだね。しかし実際には,そのような知性はどこにもけっしてな いのである,多少それらしいものはのぞいてね。だからこそ,次善のものを,つまり規則と法律と を選ばなければならないのである。これらのものは多くの場合に当てはまることに目を向けてこれ を見ているだけで,すべてを見ることはできないものであるにしても」(875C-D)
このテクストでは,「しかし実際には」の前の部分で『ポリティコス(政治家)』の超法規的存在であ る真の政治家(『ポリティコス』293E-297Besp.295C-296C)のあり方を想起させることが語られる。
が,「しかし実際には」の後の部分ではそのような(想起される)真の政治家の知性の存在は強く否定 された(ou…oudamououdamosD2-3)うえで,「多少それらしい知性」の存在のみが認められる。そ の後で,これもやはり『ポリティコス(政治家)』で語られる「法律の限界と有用性」を想起させるこ とが語られる。そしてはっきりと「次善のもの」として,規則と法律(法の支配)が言及される。
ここで「次善のもの」とされた規則と法律は,このテクストが第 9 巻刑法の第 13 章傷害罪について の議論の入り口のところで法律の制定と遵守が語られる中での話であるので,「目下,検討されている アテナイからの客人が提案する法律」として,「次善のもの」であると呼ばれたと解することができる。
4.当面のまとめ
第 2 節,第 3 節のテクストの検討は旧稿(2011)に対して何を補足するのであろうか。わたしが状況 証拠も照合して旧稿にて主張しようとしたことは次の論点であった。
【1】 プラトンは晩年の『法律』執筆時にいたるまで,哲人王思想を堅持していたが,
【2】 それは哲人王の「思想・理念」だけを堅持していたのではなく,哲人王の実現をも期待する
(そのことは「若い僭主」のテクストと「老ネストール(神的エロース)」のテクストによって了解 される)が,
【3】 哲人王はこの世にあらわれることがきわめて困難であるから,
【4】 その代わりに「法の支配」が提示奨励されるのであるが,しかしその提示奨励は哲人王の実 現がまったく不可能の絵空事であるから「その代わりに」,という意味ではない。
【5】 『法律』の内容の背後には哲人王思想があり,それにもとづいて『法律』は執筆されている可 能性がある。
【1】と【2】について裏付けとなりうると思われる候補は旧稿で扱った,とくに「若い僭主」のテクス トと「老ネストール(神的エロース)」のテクストの存在であった。もし【1】と【2】が認められるの であれば,連動して【5】も認められる。そして【3】は『国家』においてもすでに強調され,『法律』
の「若い僭主」のテクスト,「老ネストール(神的エロース)」のテクストでも前提されている。であれ ば,
【1】【2】➡【5】➡
【4】
【3】 ➡
という構造になろう。
また,今回検討した本論文の第 2 節,第 3 節のテクストはすくなくとも部分的には【5】を支持する。
しかし,第 3 節のテクストは上の構造に修正を要求する。すなわち,その前半で語られる政治家(絶 対的支配の地位にある者)への言及がわれわれの議論にまったく関係のない記述であるとは考えられな いので,その政治家がその語られ方から想起される『ポリティコス(政治家)』の真の政治家であると し,さらに,その真の政治家が事実上哲人王である(9)とするならば,プラトンはここでその実現に強 い否定を表明し、【3】の「困難さ」は困難どころか「(まず)不可能」と断定していることになるから である。ただし、その場合でも、ここで否定されるのは旧稿(2011)で扱った第4巻第4章の「老ネス
トール(神的エロース)」のテクストで語られる「哲人王」だけであり,「真の立法者と若い僭主の連 携」の選択肢は残されているとも考えられる。
以上の仮定と推理がおおよそ誤りでないとすると,プラトンは『法律』の第 4 巻執筆時と第 9 巻執筆 時とで「哲人王」思想に対する姿勢に動揺があったことになる。『法律』は長編であり長期の執筆期間 が予想されるので,あるいはそのような動揺は老年のプラトンにありえたかもしれない。しかし,いず れにしても,最後にわれわれがたどり着いた光景は,いくつかの仮定を積み上げて得られたものであ り,それは仮象に過ぎないかもしれない。また反対に,積み上げられた仮定にそれほどの無理がなくお およそ承認される場合でも,第 4 巻のテクストを強調する場合と第 9 巻のテクストを強調する場合と で,各々正当な読解によるとしても,問題の解決はついたとは言えないかもしれない。
したがって,「哲人王の行方」を見定めることがもし可能であるならば,もうすこし別の観点からの 捜索が必要であろう。手がかりが得られそうな,あるいは最後の場所は,『法律』最終巻(第 12 巻)に おける「夜明け前の会議」である。しかしその報告はまた別稿を期するほかない。
本稿で言及するプラトンの著作テクストはすべて Burnet版 OCT である。また邦訳での引用は『国家』,『法律』とも に岩波文庫版訳(藤澤訳;森,池田,加来訳)による。ただし,引用に際して訳文を変更した箇所がある。ここに謝意 を表しつつ,訳者の先生方のご寛恕を乞いたい。
注
(1) ① 拙稿「哲人王の行方」(日本西洋古典学会編『西洋古典学研究』第 LIX[59]号 岩波書店,2011.3.)
②「「哲人王の行方」補説―加来彰俊先生への応答―」(西洋古典研究会編『西洋古典研究会論集』第 XXI[21]号2012.7.)
(2) M.Schofield,‘TheDisappearingPhilosopher-king’(1998)inhisSaving the City:Philosopher-Kings and other Classical Paradigms.London:Routledge(1999).
(3) また,参考までに,『国家』と『法律』の間に執筆された『ポリティコス(政治家)』(293E-297B)によれ ば,真の政治家は,支配のための知識・技術を有し,法律の限界(法律は個別の事例すべてに適切に対応で きないこと)を超えて自在に活動する「超法規的存在者」であるとともに,支配のために必要不可欠な諸々 の法律(問題となる事象の大半をほどほどに統御するシステムとしての法律)の立法能力をそなえていると 語られる。つまり,支配の知識・技術のひとつの重要な形態は立法能力としてあるわけだが,この「超法規 的存在者である真の政治家にして立法者」とは何者なのか,という問題は『法律』のわれわれのテクストに 語られる立法者の「正体」という問題と重なるのではないか。
(4) E.Barker,Greek Political Theory,1918,5th.Ed.1960,128-129,341-342n.2. の主張。Barker は,プラト ンは哲人王の実現は断念したものの,その理想は晩年も保持していた,とする。
(5)『パイドロス』のこの箇所では,著作の目的は老年に至ってからの備忘録としてであり,また同じ探求を志 す後進のためである,という主旨のことが語られる。
(6) 加来彰俊「奥田君の論文「哲人王の行方」について―読後感と若干の評―」(『西洋古典研究会論集』
第 20 号(2011 年 7 月)p.8)
(7) なおこの箇所では,「独裁権力をもたない立法者」(nomotheteimetyrannounti739A6)がごく簡単に言及 されているが,この立法者についていまは問題としない。
(8) なお,第 7 巻 806D-807C の国民の生活に関する記述のなかでも,アテナイからの客人が語る法律慣習に
則った生活が「妻子の共有」などの最善のことに次ぐ「次善のこと」とされる。
(9) この点については,さしあたり水野有庸「『ポリティコス(政治家)』解説」第四章(『プラトン全集』3,
岩波書店,1976,pp. 452-456)を参照。
Informerpapers‘thePhilosopher-KinginPlato’sLawsIV708E-712B’(inJournal of Classical StudiesVol.LIX2011)and‘Addendato‘thePhilosopher-KinginPlato’sLawsIV708E-712B’’(inBul- letin of Classical StudiesVol.XXI2012),Iarguedthat
1.IntheLawsPlatoevidentlyabstainsfromphilosophicaldiscourses.
2.Platogivesatermoflegislatorinplaceofphilosopherinourtext(708E-712B).
3.Itissignificantthatamainpoliticalabilityofaphilosopher(oraphilosopher-king)islegisla- tion.
4.Thetext709E-711D(‘theyoungtyrant’)appearstobeintendedtotellusthattheeasiest andmostspeedywaytorealizethephilosopher-kingiscooperationofaphilosopherandaty- rant.
5.Thetext711D-712A(‘god-likeerosingreatpoliticalpower’)appearstobeintendedtotell usthaterosisthephilosopher-kinginthemeaningoftheRepublic,aserosistakentobea representativeofaphilosopher’smind.
6.Platohaseagernessfortherealizationofthephilosopher-kinginthefutureanddoesnotonly holdtheidea.
For2abovethereisnodirectsupportinthetext,butwhenthelegislatorissaidtobe‘axion epainou’(710C8),‘akros’(710D7),and‘alethes nomothetes’(710E8)inconjunctionwith‘theyoung tyrant’(709E-711D),weshouldconsiderPlato’sattributionofthesetermstothelegislator.
InthispaperItreattheBestandtheSecond-bestStatesinthetextsofthelaws739A-E,875C- D,andarguethat
7.Thetext739A-Etellsfoundationofastateisnotthebestbutthesecondbest,andtheLaws’
constitutionisalsothesecondbest.TheLaws’constitutionisonlowerlevelthanthefirst State,thefirstPolityandthebestcodeoflawswheretheoldsaying‘frieds’propertyis shared’isputintopracticeaswidelyaspossiblethroughoutthestateandacommunityof wives,childrenandallpropertyexistsandthestateisas‘one’aspossibleetc….Thesesitua- tionsarethesameasstoriesintheRepublic461E-462E.Thefactispartlytheevidencefor thePlato’sholdingofideaofthePhilosopher-KingintheLaws.
8.Thetext875C-Dtellsthatastatesmanwhohasnoneedoflawsoverhimandhasknowledge andreasonthatmaneuverthelawswillnotappearinthisworld.Soweshouldchoosethe wayoftheruleoflaws.
TheBestandtheSecond-bestStates, Plato’sLaws 739A
-E, 875C
-D
―
AddendaIIto‘thePhilosopher-KinginPlato’sLawsIV708E
-712B’
―KazuoOKUDA
AbstractThistextremindsusofthePoliticus293E-297Besp.295C-296Cwherethetruestatesmanis positivelyargued.Ifastatesmanof875C-DinthelawsandthestatesmanofthePoliticusarethe same,andifthelatterismeanttobethePhilosopher-King,PlatowouldabandontheideaofthePhi- losopher–KingintheLawsIX.
ButPlatomightabandontheideaoftheLawstext711D-712A(‘god-likeerosingreatpolitical power’)only,holdingtheideaoftheLawstext709E-711D(‘theyoungtyrant’).
Thisthemeneedsmoreconsideration,especiallyoftheNocturnalCouncilintheLawsXII.