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学習における「むずかしさ」について

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(1)

学習における「むずかしさ」について

学習における「むずかしさ」について

一その分類と学習指導上の問題点一

崎 俊

1

 教師のよく使うセリフにこんなものが多い。

     o o o o

 「こんなやさしいことができなくては駄目だ。」

       o o o く)

 「これは1年生にはむずかしすぎる。」

ところで,こうした場合, 「やさしい」 「むずかしい」の意味は何だろう。こ れは簡単のようだが,はっきりしたものではない。(注)

 われわれは「やさしい」 「むずかしい」を安易に使っている。しかしこれで よいのだろうか。学習指導を行なう時, 「やさしい」 「むずかしい」の基準を はっきりさせること,これは非常に大切ではないだろうか。以下この問題につ

いて,少し考察を深めてみよう。

 (注)

  「やさしい」「むずかしい」の意味は,あやふやなことが多い。一例を上げてみよう。

  杉山正一著「子どもをいかす教育技術」64ページには,学習指導の急所を箇条書き  してさらにその急所を説明している。その三番目に,

  3 やさしいものからむずかしいもの,具体的なものから抽象へという発展の系列    をおさえる。

 とある。この文面から察すると,むずかしい教材とは   抽象的なこと

 となりそうである。

 同様な考え方は,古典的なものとしては,エドガー・デールの「学習指導における聴  視覚的方法」に見受けられる。一応学習指導上の常識と考えられるが,あまりにも漠

(2)

としていて,実践的でない。もう少しきめのこまかい分析がほしい。また,抽象的な ことだけがむずかしいことのすべてである,と考えるのにも疑問がある。

2

 「やさしい」「むずかしい」の区別を,まず常識的な考え方で説明してみよ う。常識の中には,案外真実を含んだものがありそうだから。

 (1)学習の結果から見る考え方

 その学習が「できるか」 「できないか」によってやさしいかむずかしいかを きめようとする考え方がある。とにかく,

  やらせてみた結果できめよう

というわけ。これは当然の発想法である。われわれは,こうした経験の積み重 ねがあるので, 「やさしい」とか「むずかしい」とかの判別ができるのであ

る。そしてこの場合,基準は二つある。

  ①小さい子どもにできることはやさしく,大きい子どもしかできないこ    とはむずかしい。

  ②だれにでもできることはやさしく,少数の人にしかできないことはむ    ずかしい。

 これらは教師が常に気にしていることである。たとえは,

 0 3年生にはできるが,1年生にはむずかしい。

 ○ 少しむずかしすぎたので,少数の生徒しかできなかった。

のように。

 またこうした二つの基準は,科学的なものにも通じる考え方でもある。たと えば知能検査の場合を考えてみよう。①の考え方は知能指数の算出法に通じる 考え方である。②の考え方は知能の偏差値の算出法に通じる考え方である。そ して,いずれも,むずかしい問題(大きい子どもしかとけない,少数者しかと けない問題)がとけるほど,優秀だという考え方がその奥にある。

 以上のように,結果からみる「やさしい」「むずかしい」の判断は,ある面 では正しい考え方であろう。そして,それが実験的に研究されて行けば,科学

(3)

学習における「むずかしさ」について (155)

的なものになって行くのは当然である。そのよい例がプログラム学習の研究で

ある。

 しかし,これらは多くの経験の積み重ねか実験的研究がいることなので,容 易ではない。また新しい学習内容については,「やさしい」「むずかしい」の 判断が下せないことになる。これでは現実の学習指導には不便である。さらに 結果論のみでは, 「やさしい」 「むずかしい」の区別はついても, 「むずかし

いことをやさしく教える」ことの手がかりは得られない。これでは,やはり不

便である。

 そこで,次のように, 「やさしい」「むずかしい」を見きわめる考え方が起

こる。

 (2)学習の内容からみる考え方

 これには様々なものがある。常識的な考え方の整理なので,別に特に体系は ないので,羅列的に述べてみよう。

  ①複雑なことはむずかしい

 ラジオの修理とテレビの修理と,どちらがむずかしいか。いうまでもなくテ レビである。なぜなら,テレビの方が複雑だから,となる。

 まことに常識的な考え方だが,科学的に見ても,そう見当はずれではない。

知能検査や学力検査の問題は,一応この原理によって並べられていることが多

い。

  ②速くしなければいけないことはむずかしい

 自動車の運転は,ゆっくりと操作してよい(考え考え操作する)ならやさし い。しかし実際は,手速く操作しなくては衝突してしまう。だからむずかし い。同様のことは,楽器をひく場合にもあてはまる。知的な仕事の場合には一一 刻を争うようなことは少ないがやはり速くするとなればむずかしくなることに 変わりはない。たとえば,数学における計算のように。

  ③大きい物,重い物,非常に小さい物を取り扱うことはむずかしい  自動車の運転は大型ほどむずかしいし,腕時計のような小さい機械の修理も

むずかしい,と考えられている。学校の学習でも,この常識は大切にされてい

(4)

る。たとえば,小さい子どもが字を書く場合,非常に小さい字を書くこともむ ずかしいが,非常に大きい字を書くこともむずかしい。したがって,手頃な大

きさの字から,練習に入ることが大切にされている。

  ④体を使うことより,頭を使うことの方がむずかしい

 eれはもう少しくわしくいうと,手足を使って「カン」で学びとれることは やさしく,頭を使って理論的に理解しなければいけないことはむずかしい,と なる。一応常識としてはうなづけるが,必ずしも正しくはない。

学者などの中には,理論的なことには強くても,運動神経がにぶく,スポーツ はおろか,日常生活の道具の使用も下手な人もいる。やはり,体を使うむずか しさと,頭を使うむずかしさとは,一応別のことと考えるのが正しい。ただ し,統計的にみたら,頭を使うことをにが手とする人の方が多いようだから,

頭を使うことの方がむずかしい,というのも,あながち間違いでもないだろ う。また,子どもの発達をみても,小さい子どもは頭で理解するより,体を使 って理解するなどといわれる。これなども,体を使うことの方がやさしい,と いってよい理由になるだろう。しかし,いずれにしても,常識の範囲の問題で

ある。

  ⑤人まねよりも創意工夫のいることはむずかしい

 これは説明の要もない。学校の学習でも,暗記ものよりは思考を要すること がむずかしい。図工などで独特のアイディアを考え出すことはむずかしい,な

どといわれる。

 ただし,人まねが何でもやさしいとはかぎらない。複雑なことになると,人 まねすら容易ではない。したがって,人まねをするにも,そのまね方に創意工 夫がいる場合が多い。この点はともすると見のがしやすい。しかし,いずれに

しても,実質的に創意工夫のいることはむずかしい,ということに間違いはな いであろう。

  ⑥日常生活で経験しないことはむずかしい

 その学習内容と類似の経験がすでにあれぼやさしくなる。また,その学習内 容の一部にすでに経験したことがあればやさしくなる。たとえば,球技は一種

(5)

学習における「むずかしさ」について (157)

類にマスターすれば,他の球技を習うのが,ずっとやさしくなる。自転車に年 中乗っている人は,オートバイを練習するのがやさしくなる。

 このように考えると,これは個人個人によって,まったく違ったものにな る。すなわち,ある学習は,それを学習する人の過去の経験によって,やさし かったりむずかしかったりする,これは理論的にもまったく正しい。

 だが,人間の経験というものは多くの人に共通な面もある。したがって,一 般論として, 「やさしい」 「むずかしい」の区別も,ある程度可能になる。つ まり個人差が大きい職業上の経験や特殊の経験を一応除外して考えるのであ る。そうすると,誰でもがする経験,すなわち日常生活での経験が,一つの基 準になってくる。したがって,日常生活の経験に近いものはやさしくなる,と

いう一般論が出てくる。

 この場合,子どもは職業的経験がないので,この原則が比較的はっきり出て

くる。したがって,

  生活に結びつけて教えると理解しやすい(やさしくなる)

というのが,学習指導の原則の一つになるわけである。

 もちろん,これは,おとなの学習指導でもある程度通用することは当然であ る。しかし,おとなの場合は,全経験の中で職業上の経験の占める割合が大き い。したがって,様々な職業の人の集団の場合,一般論として「やさしい」

「むずかしい」の区別がつけにくくなるわけである。

  ⑦系統性のないことはむずかしい

 複雑なことでも,系統的に習って行くと案外やさしいことがある。つまり系 統化されたことはやさしい,というわけ。

 このことは,学習の方法の問題であるが,学習の内容についても,系統性あ るなしの違いによって,「やさしい」「むずかしい」の違いが起きることもあ る。たとえば,電気器具の故障を修理する場合,機械的故障か電気的故障かが わからないと修理するのがむずかしい。これは全然系統の異なった条件が入り くんでいるからである。ところが機械的故障だとわかってしまうと,割に簡単 になる。つまり,力の伝達ということ一本をたよって調らべることができるが

(6)

らである。結局,系統性があるからやさしくなるわけである。

 以上のように,系統性の問題は,学習内容の問題でもあり,学習方法(つま り指導の仕方)の問題にもなる。したがって,

  むずかしいことをやさしく教える には,前に述べた,

  日常生活のことに結びつける

の外に,

  系統性のないことは,系統性があるように内容を再編成して教える

ということが大切になる。これも,学習指導の大切な原則になる。一般に,教 師の教え方にかぎらず,教え方が下手なことへの批難として,

 「教え方が順序だっていない。」

 「一貫性のない教え方だ。」

などが多い。それは結局,教え方の系統性の問題なのである。

  ⑧抽象的なことはむずかしい

 目で見えること,動作に表わせること(具体的なこと)はやさしいが,抽象 的なことはむずかしい。これも常識である。小さい子どもには具体物を示すこ とが大切である。おとなでも,抽象的なことばかり聞かせられるのでは,へこ たれる。具体例を上げながら説明してくれた方がわかりがよい。つまり,話を 生かすには,たとえ話が大切になる。これは教師のみではなく,一般の人の常

識でもある。

       3

 常識的な見方で,「やさしい」「むずかしい」を考えるのでは,整理されて いないので不便である。そこで,次のような観点で整理してみよう。

 (1) 「むずかしさ」の問題点

 学習指導について考える時,次の三つの要素をとり上げて考察するのが便利

である。

  生徒(学習者)

  教材

(7)

学習における「むずかしさ」について (159)

  教師(指導者)

 「むずかし」さを考える時も,この三つの要素を手がかりにして考察するの がよいと思う。

 まず,教材の面から考えてみる。教材それ自身の性格から来る「むずかし さ」というのが当然考えられる。数学におけるむずかしさ,運動におけるむず かしさなどは,いくら教え方を工夫してみても,やはりむずかしいことが多

い。また生徒の能力がすぐれていても,そうやさしくはならないことが多い。

       の

 結局,その教材の内部構造にむずかしさがある場合が非常に多いといえよ

う。

 次に考えられるのは,生徒の側の問題である。これはまた,大きく二つに分 けて考えられる。第一は生従の能力の問題である。知能・運動能力・音感・手 先きの巧緻性などは,どこまで先天的で,どこからが後天的かは判断がむずか

しい。しかし現実の問題としては,能力に個人差がある。そこで,ある生徒が その学習内容に関連したことについて,能力が高けれぼやさしいし,能力が低

くなければ,むずかしいということになる。これが「むずかしさ」を考える時 の一つの要件になる。

 生徒側の第二の問題は,生徒個人の過去における経験についてである。その 学習内容と類似の経験を,その隼徒が過去において持っていれば,やさしくな る。またその学習内容の一部を,その生徒が過去において経験していれば,こ れもまたやさしくなる。

 結局,生徒の過去の経験と結びついた学習はやさしく,過去の経験から離れ た学習はむずかしい,ということになる。(注)

  (注)

  生徒の経験の問題は,学習心理学でいえば,「練習の転移」の問題である。「練習  の転移」については,いろいろな研究があるが,その結論は常識的な線,つまり類似  なことでは練習の効果が転移するということに落ち着くようである。ただし,転移が  大きいか小さいかは,教材の性格のみではなく,練習の方法や学習者の態度などさま  ざまな条件が大きく作用するようである。したがって,口でいうほど単純な結論はな  いようである。

(8)

 以上のように,生徒の能力や経験の問題は,いずれも生徒個人個人の問題で ある。したがって個人差が大きい。だから単純に一般論は下せない。しかし実 際には,一つのクラスの生徒をとって考えた場合,そのクラスの全般的傾向と いうものがあり,これを把握することが,「むずかしい」「やさしい」を判別 する大切な鍵となるのである。

 次に残った問題は,教師の側の問題である。教師の教材観,つまり教師の教 材の把握の仕方といったものは,やはり「むずかしさ」に深い関係がある。な ぜなら,そうしたものがもとになって,指導め手順・重点のおきどころ,具体 的な指導の方法などがきめられる。そしてこうしたものが, 「やさしさ」「む ずかしさ」に大きく左右するわけである。

 このことは,別の表現をすれば,指導の系統性の問題でもある。もともと教 材というのは,ナマのままでは,生徒にとって都合のよい系統性を持ってはい ない。つまり,ナマのままでは「むずかしい」ということになる。そこで程度 の差これあれ,教師は教材を生徒にふさわしい系統に再編成して教えることに なるのである。これがうまく行くか行かないかが,「やさしい」むずかしい」

をきめる鍵になるわけである。結果論にいえば,やさしいことをかえってむず かしくして教える教師もいれば,むずかしいことをやさしく教える教師もい

る,というわけである。

 以上の四つの問題点を図解してみると,次のようになる。

教師

教材1

IV

←皿

1 教材の内部構造からくるむずかしさ(教材それ自体  のむずかしさ)

皿 生徒の能力からくるむずかしさ(生徒の能力不足に  よるむずかしさ)

皿 教材と生徒の過去の経験との関連からくるむずかし  さ(生徒の未経験からくるむずかしさ)

N 教師の教材の取り扱いからくるむずかしさ(教材の系統性不足からくる  むずかしさ)

なおこの外にも,生徒の興味の問題がある。興味のあることはやさしく,興

(9)

      学習における「むずかしさ」について       (161)

味のないことはむずかしい,という問題も考えられる。しかしこれは,興味が あれば努力する(精神的にも時間的にも)から上達するので,興味があればむ ずかしいことがやさしくなるのではない,といった方がよい。したがって,こ

こではとり上げないでおく。

 (2)常識的な「むずかしさ」の再検討

 「2」で述べた常識的な考え方による,むずかしさの分類を,(1)で考えたよ うな,1〜Wのむずかしさの問題点と結びつけて,再検討してみよう。

  ①複雑なことのむずかしさ

 これは明らかに1の教材それ自体のむずかしさである。

 しかし,複雑なことでも,系統的に一つ一つ学習していくと,そうむずかし くないこともある。また,一見複雑そうに見えても,生徒の経験と結びついて いると,案外やさしいこともある。したがって,1Vの教材の系統性の問題にも 関係があるし,皿の生徒の経験の問題にも関係がある。

 しかしなんといっても,教材それ自体のむずかしさが主要な問題といえよ

う。

  ②速くしなければならないことのむずかしさ  これも1の教材それ自体のむずかしさである。

しかし,一般に速い動作は運動神経の問題である。したがって生徒個人個人の 能力が大きく左右している。だから皿の生徒の能力の問題にもなる。また,練 習効果が大きいので,類似の経験のあるなしもかなりむずかしさに影響する。

したがって皿の生徒の経験の烏題にもなる。

 しかし,これも教材それ自体のむずかしさが,主な問題と考えてよい。

  ③大きい物・重い物・非常に小さい物を取り扱ううずかしさ

 これも①②と同様に,皿の生徒の能力の問題皿の生徒の経験の問題も関連 はあるが,主たる問題は1の教材それ自体のむずかしさであるといってよい。

  ④頭を使うことのむずかしさ(体を使うことに比らべて)

 一般に頭を使う仕事,つまり知的な仕事は,複雑だったり抽象的だったりす る。だから,たとえ生徒が頭がよくて,教え方が上手だったとしても,やはり

(10)

むずかしいことが多い。したがって,1の教材それ自体のむずかしさと考えら れることが多い。

 しかし,頭を使うことのむずかしさを,体の使うことのむずかしさと比らべ てみると,個人の能力の問題(皿)でもある。つまり,頭を使う仕事には強い が体を使う仕事に弱い人と,反対に頭を使う仕事には弱いが体を使う仕事には 強い人との違いである。したがって,前にも述べたように,どちらがむずかし いとは,一がいにはいえない。第一前提になっていることば(頭を使う,体を 使う)があやふやである。したがって,あくまでも常識の範囲内でのことであ

る。

 しかし,それにしても,1の教材それ自体のむずかしさが,主な問題点と考 えてよいだろう。

  ⑤創意工夫のむずかしさ

 これは皿の未経験からのむずかしさそのものずばりである。

 しかし,創意工夫というものは,一般に抽象的思考を要することが多かった り,一見無関係のことを結びつけていく考え方が大切だったりする。したがっ て,の教材それ自体のむずかしさと考えられる面もある。

  ⑥日常生活で経験しないことのむずかしさ

 これは皿の未経験からのむずかしさであることは,説明の要もないだろう。

  ⑦系統性のないためのむずかしさ

 これは説明するまでもなく,]Vの教師の教材の取り扱いからくるむずかしさ であることが多い。しかし同時に,1の教材そ詫自体のむずかしさであること

も多い。すでに述べたように,一つの原理で一貫性を持って解決しうる教材は やさしく,二つ以上の原理を適当にとりまぜて活用しなくては解決できない教 材はむずかしい,となるからである。

  ⑧抽象的なことのむずかしさ

 これは1の教材それ自体のむずかしさである。しかし,皿の生徒の能力の問 題にも関係が深い。つまり,抽象的思考が得意な人と,にが手な人の差もはな はだしい。そして,その違いが知能の優劣をきめる目やすになるという説もあ

(11)

学習における「むずかしさ」について (163)

るくらいだから。

 (3)教材それ自体のむずかしさの重要性

 以上のように常識的なむずかしさの再検討をしてみた。そこで気がつくこと は,いつも問題になるのは

 1の教材それ自体のむずかしさである。

  「やさしい」むずかしい」を考える時,やはり,その教材の中味をまず調ら べてみる必要がある。これなくしては他の問題点を調らべる手がかりも出ない

ことが多い。そこで,以下教材それ自体のむずかしさについて論じてみようと

思う。

 なお,今までの研究を調らべてみても,他の問題点の研究はかなりなされて

〜・るようである。すなわち,皿の生徒の能力の問題はレディネスの面から,皿

・の生徒の問題は地域社会の条件や生徒の生活様式や意識などの調査の面から,

]Vの教師の教材の取り扱いの問題も系統性の面から,それぞれ様々な研究が多 N・・。しかるに,教材それ自体のむずかしさの問題は,あまり研究がないようで ある。したがってこうした面からも,1の教材それ自体のむずかしさの問題に 論点をしぼってみる方がよいと思われる

      4

 (1)教材それ自体のむずかしさの三分類まず大きく三つにわけてみよう。

 ④知覚的なむずかしさ

 知覚面で感知したり,識別したりすることのむずかしさである。たとえば,1 音楽での音感とか,物の長さ・重さ形の違いなどを感じとる場合など。

 ⑬ 身体活動のむずかしさ

 俗なことばでいう運動神経に関係するむずかしさである。スポーツとか,手 先きの仕事の上でのむずかしさが,このよい例になる。

 ◎ 思考的なむずかしさ

 常識的な意味での頭を使う学習におけるむずかしさが,大体これに当たる。

学校の学習でいうと,知的教科(国・社・i数・理・英)におけるむずかしさ 蘇,大体これに属するといってよい。

(12)

(注)

むずかしさを④⑧◎に分けたが,これを神経の活動に対応させてみると次のようにな

る。

 ④ 知覚的なむずかしさ…………・・……・…………求心神経(感覚→頭脳)

 (B)身体活動のむずかしさ・・………・………遠心神経(頭脳→筋肉)

 ◎ 思考的なむずかしさ……・・…………・…………中枢神経(頭脳の内部)

もちろん,現実の人間の学習は複雑で,こんなに単純にわりきれるものではない。し かし,一応の対応はつく。

 以上のような三分類は,厳密なものではないが,実際的には役立つものであ

ろう。

 たとえば,次のような例を考えてみよう。

 スポーツの上手な人は,必ずしもスポーツの解説が上手とはかぎらない。自 分では上手にするが,人に説明するのは下手な人も多い。同様に,スポーツ解 説家は,必ず自分でスポーツをしてみなくてはいけない,とはいえない。これ はむずかしさの三分類で解釈すると,次のようになる。

 スポーツをする人は,④の知覚的なむずかしさと,⑧の身体活動のむずかし さに強ければよい(もちろん◎の思考的なむずかしさの問題も無関係ではない が)。それに反して,解説者は⑧の身体活動のむずかしさに弱くてもよいが,

④の知覚的なむずかしさと,◎の思考的なむずかしさに強くなければいけな い。したがって両者に共通なものは④だが,⑬と◎とではくいちがいがある。

 学校の学習を例にとっても,この三分類は実際問題を説明するのに役立つ。

 たとえば,小学校の図工において,絵の上手なタイプの生徒と,工作の上手 なタイプの生徒と,若干の違いがある。これは,前者が④の知覚的むずかしさ に強いタイプであるのに反して,後者はどちらかというと⑧の身体活動(主に 手)のむずかしさに強いタイプである,という違いから起こると考えられる。

また工作などの場合,アイディアはよいが技能がともなわない生徒もいる。こ れは,◎の思考的なむずかしさには強いが,⑬の身体活動のむずかしさに弱い

ということになるだろう。

 (2)④⑧◎の内容

(13)

学習における「むずかしさ」について (165)

 以上のように大きく三分類をしてみたが,その内容をもう少し具体的に検討

罰してみよう。

 まず④と⑧の中廉をもう少しこまかく分けてみよう。これは,厳密な意味で の分類とはいえないが,一応の目やすとして示してみよう。

 ④知覚的なむずかしさ

  ○大きい物の全体を見とおす   ○非常に小さい物を見る   ○速く動くものを見る   ○物の変化を追跡する

  ○複類の物のちがいを識別する(長さ・形・色・数など)

 以上は大体において,視覚に属することである。そして,視覚に属すること が,一般の学習では大切なことはいうまでもない。しかし,聴覚に属すること も,かなり重要な場合もある。その他触覚に属することも無視はできない。さ あに臭覚・味覚などもあるが,これはあまり重要ではないようである。

 ⑧身体活動のむずかしさ

  ○微小な身体活動(主に手)と非常に弱い力を出すこと   ○強い力を出すこと,ことに瞬間的に

  ○速く手足などを動かすこと

  ○動作の急激な変化を必要とすること

  ○両手を調和させて動かすこと,手足を調和させて動かすこと   ○足で微妙な動作をすること

 これらは,重なり合って複雑になれば,一層むずかしくなることは当然であ る。また,⑬の身体活動のむずかしさは,④の知覚的なむずかしさの問題と・

切り離せないことはいうまでもない。

 次に◎の思考的なむずかしさは,さらに次のように分類されよう。

 ④必要に応じて,過去の経験や知識が有効に活用できないため・理解がで   きなかったり,問題の解決ができなかったりする場合。(記憶活用のむず   かしさ)

(14)

  例,数学の証明問題などで,定理や公式はたくさん知っていても,必要    な定理を必要な場面で利用することはむずかしい。

@ 新しいことばや概念や記号が出てきた時,定i義が正しく与えられ理解は  できても,記憶しきれなかったり,混同したりするため,わからなくなる  場合。 (概念や記号の不明確からくるむずかしさ)

  例いわゆる専門用語が多いためのむずかしさ。抽象的表現が多く,裏    づけとなる具体的な例がぼやけてしまうことによるむずかしさなど。

⑳ 現象が複雑で,統一的に把握できなかったり,そこから法則を見つける  ことができない場合。また,説明されても現象から法則へのプrセスがは一  っきりしない場合。(帰納的思考のむずかしさ)

  例 多くの物を比らべて,その共通点を見つけること。

㊥法則や論理が一応理解できても,具体的イメージが浮ばなかったり,そ  の法則を現実面で確かめたり活用したりすることができない場合。 (応用  的思考のむずかしさ)

  例 理科などで法則を実験などで確かめてみるような場合のむずかし    さ。 (いわゆる,理屈ではわかるが実際問題がよくわからない,とい    う場合)

㊥そこで用いられる概念が抽象的で,概念と概念の関連が理解できなかっ・

 たり,論理的推論ができない場合。 (抽象的思考のむずかしさ)

  例 数学における計算や式の変形や証明などの場合のむずかしさ。

 (注)

 思考的なむずかしさには,以上の外に,記憶することのむずかしさがある。もっと も記憶は,思考的なことにかぎらない。知覚的な記憶もあれば,身体活動の記憶もあ る。しかし,知覚的なことや身体活動的なことでは,記憶は大抵の場合やさしい。た とえぽ,水泳などは,とにかく一度できるようになれば,何年たっても忘れない。し たがって,身体活動そのものにむずかしさはあっても,その記憶(記憶とはいわない かも知なれい)は大して困難なことではない。

 そこで記憶することのむずかしさといえば,知識の記憶が中心になる。しかしこの 場合も,ただ記憶のみを切りはなして考えると,むずかしさの問題はさして起らない

ようである。

(15)

学習における「むずかしさ」について (167)

 記憶することにむずかしさがあるとすれぽ,純粋の記憶(つまりまったく無意味な ことの記憶)にあるのではなく,記憶すべき内容の整理や意味づけにむずかしさがあ るといってよい。たとえぽ,歴史の年表などはまったく丸暗記では,とても少ししか おぼえられないが,整理し関連づければ多量のことがおぼえられる。それでも無意味 な年代などをおぼえる時には,ゴロ合わせでおぼえる。結局,記憶術なるものは,記 憶そのものではなく,記憶内容の加工に他ならない。

 以上のように考えると,記憶のむずかしさは,むしろ  @概念や記号の不明確からくるむずかしさ

 ◎ 帰納的思考のむずかしさ  ㊥ 応用的思考のむずかしさ

であるといってよい。

現実の学校の学習の場合も,ものの理解にすぐれている生徒は,一般にものおぼえが よいようである。よく「記憶力は知能の優劣に関係しない」などという。しかしそれ は,まったく無意味なことを丸暗記する場合のことである。そしてこうした記憶は,

目常生活でも,学校の学習でも,さして重要なこととは思われない。この意味からも 記憶のむずかしさは,特に取り上げないでおこう。

学習の場

 抽象的な

v考や表現活

動(主として セ葉による)

験( 1◎

、、 具体的な

習生

@活

経験や活動

④⑤

 以上あげた思考的なむずかしさの五分類を 構造化して図示すると,次のようになる。や や無理な点もあるが,考え方が明確になるの で試みたわけである。

 まず,過去の経験だが,これは日常生活の 経験(おとなの場合は職業上の経験も入れて よい)と,過去の学習における経験とがあ る。これらは学習の場面で大いに利用されな ければならない。しかしこの二つと学習内容

とは,多くの場合,へだたりがあり,容易に 結びついてくれない。ことに昨日学んだこと でなく,1年も2年も前に学んだことになると,たとえ忘れていなくても,う まく学習の場で活用することはむずかしい。このむずかしさが・④の記憶活用 のむずかしさである。

 次に,思考的な学習においては,何等かの形で抽象的な思考を必要とする。

(16)

ところがこうした場合,それが具体的な経験や活動と結びつくことが大切であ る。そこでこの二つが近ければ問題はないが,へだたりがあると二つを結びつ けるのにむずかしさが起こる。

 その場合,相互的な結びつきのむずかしさが,@の概念や記号の不明確から くるむずかしさになる。次に,具体的なことから抽象的なことへと進む場合 は,⑳の帰納的思考のむずかしさになる。反対に,抽象的な考えを具体化して いく場合は,㊥の応用的思考のむずかしさになる。

 また,抽象的な思考は,それ自体むずかしい。これが㊥の抽象的思考のむず

かしさである。

 以上は◎の思考的なむずかしさの,図による説明だが,ついでに,④の知覚 的なむずかしさと⑬の身体活動のむずかしさも,図上で示しておいた。これら については説明の要もあるまい。

       5

 今まで述べたような「むずかしさ」の問題点をもとにして,教師が実際に学 習指導する場合,どんなことが大切になるかを述べてまとめとしたい。

  (1)教師の学習指導をする前に,まずなすべきことは,教材自体のむずか    しさの検討である。

 教材それ自体のむずかしさは,他の問題点(生徒側,教師の指導の仕方につ いて)を考える場合にも,一応その基礎として考える必要がある。つまり,教 材それ自体のむずかしさがどこにあるかを見当つけた上でないと,生徒側の能 力や経験の問題は調らべようにも,その手がかりが得られない。こう考えると

どうしても,まず教材それ自体のむずかしさを検討しなくてはならない。

 また,次のような三つの理由も,やはり教材それ自体のむずかしさを重要視 すべき理由になるだろう。

 ① 実際問題として,教師は知らない土地の知らない生徒をすぐ教える必要   にせまられることが多い。しかも人数も多いし,生徒もどんどん変わる。

  そして,またじきに転任ということもある。こうした条件では,生徒側の   条件を調らべるといっても空諭に終わりやすい。したがって,手近かにで

(17)

学習における「むずかしさ」について (169)

  きる教材それ自体のむずかしさの検討を,まず第一に手をつけることがよ

  い。

②教材の取り扱いも,現実には,大すじは教科書等によってしぽられてい   る。したがってそうそう教師の自由にはならない。結局,本質的な問題で   あるはずの,教材の取り上げ方,配列の仕方などを論じていると,実行不   可能な空論に終わりやすい。つまり,明日の授業に役立たぬ空論になりや   すい。一方生徒の方は,毎日のむずかしい教材に苦しんでいることが多   い。だから現実的に考えると,教材研究の力点は,本質論にこだわって空   論に終わるより,実行可能な教材それ自体のむずかしさの検討をした方が   よい。そして,それによって,生徒が少しでも難解な学習から解放される   ことが望ましい。

 ③教材それ自体のむずかしさは教師が学習指導をする前に検討すること   が,比較的に容易である。

 結局,現実的見地に立てば,一日一日の学習指導に役立つという立場から,

教材それ自体のむずかしさの検討が大切になるだろう。

  (2)教材それ自体のむずかしさを考える上で,④⑧◎の区別は非常に大切    である

 まず複雑なことは単純な要素に分解して,それのどこにむずかしさがあるか を考えてみることが大切である。この場合,

 ④知覚的なむずかしさ  ⑧身体活動のむずかしさ  ◎ 思考的なむずかしさ

の区別は大切である。ことに④⑧と◎の区別は大切である。

 たとえば,作文について考えよう。小さい子どもが作文を書く場合,文章を 作るという思考的なむずかしさと,字を書くとう手先きの仕事のむずかしさと がある。後者はおとなから見ると,たいしたことはないとして,無視されやす い。しかしこれはよくない。小さい子どもや精薄児などでは,後者の抵抗が大 きい。一字一字の恰好をととのえて書く手先きの仕事は,彼等にとって意外に

(18)

むずかしく,そのため思うように書けないことが多い。         辱

  (注)

  近藤益雄 「精神薄弱児の読み書きの指導」によると,精薄児に読み書きを教える  ためには,目手先きの訓練などが大切である,とある。字を書く前に,いろいろな線  で点つなぐ,いろいろな形をかき写すなぞりがきする。おぼえがきするなども大変役  立つそうである。こうしたことがじゅうぶんできるようでないと,すらすら字を書く  ことはおぼつかない。したがって,口はいろいろなことがいえても,作文はかけない  ということになる。

 同様なことは,球技などもある。つまり,ルー一一ルがわからないためうまくで きない場合と,運動能力が不足でうまくできない場合とがある。この区別は◎

の思考的なむずかしさと,⑧の身体活動のむずかしさの区別であって,体育指 導の上で非常に重要である。

 以上のように,④⑲と◎の区別は大切であるにもかかわらず,一般に見のが されやすい。これは,知育偏重の弊実の現われであろう。とにかく,むずかし さをすべて思考的なことに結びつけようとする傾向はいっこう改まらないらし い。子どもの学習がうまくいかないと,すく理解が悪いとしてしまい,それが 頭が悪いにつながるからいろいろ弊害が出るわけである。たとえば,身体活動 のむずかしさで困っている子どもに,説明過剰の教育をして,これでもまだわ からなかという態度をとる教師が多い。これなどはまったく無駄なことであ

る。思考的なむずかしさはくわしい説明で克服できても,身体活動のむずかし さは,いくら何べん説明を聞いても解消はしない。これは合理的な反復練習以 外に克服する道はないから。

  (3)④⑬のむずかしさを緩和するには,それにふさわしい方法が大切であ    る

 ④の知覚的むずかしさや,⑭の身体活動のむずかしさを克服するには,何 といっても,反復練習が大切である。そして,生徒に理解させるということ は,そう大切ではない。なぜなら,大抵の場合,練習して行くうちに,だんだ ん理解が深まるからである。もし理解が深まらないとしても,練習を先にし て,後から説明を加える方が能率的であるから。

(19)

学習における「むずかしさ」について (171)

つまり順序として,

  練習→説明(理解)

 となる。これに反して,思考的なむずかしさの克服には,やはり理解という ことが大切になる。いや,理解というより「納得」といった方がよいかも知れ ない。理解のような客観的なことではなく,文字通り生徒自身が主観的に「な るほどそうか」と納得することである。そして,これが一つ一つ積み重ねられ ていかないと,たちまち「わからない,むずかしい」となるのである。結局,

思考的なことの場合には,

  説明→納得→反復練習 とするのが一応の原則になる。

  (注)

 説明→納得→反復練習としたが,この納得とは,完全な理解のことではない。完全な  理解なしには,反復練習は不可としたのでは,学習は成立しないことが多い。そこで,

  説明→納得(不完全な理解)→反復練習→完全な理解  となるのが,学習における常道であろう。

 ところで現実の学習指導では,④⑧と◎の混同も少なくない。身体活動のむ ずかしさでできない時(たとえば体育),教師のくどい説明が行なわれる。生

徒の方は,

 「理屈はわかっているんだが,やってみると先生のいうようにうまく体が動  かないのさ」

と思っていたりする。

 また思考的なむずかしさの場合,やたら反復練習させていることも多い(た とえぽ数学の計算問題など)。そして沢山やってはみたが,一つとして正確に できていないで,皆あやふやのままですぎてしまう。これではやはり無駄な指 導といってよい。

 以上のように,④⑧と◎は,それぞれその対処の仕方が違うので,それにふ さわしい指導が大切になる。そこで,④の知覚的なむずかしさと,⑧の身体活 動のむずかしさを克服する方法を,箇条書きしてみよう。

 ④説明よりも練習によってなれさせることに力を入れる(反復練習の強

(20)

 化)。

@単純なことに分解して練習させ,一つ一つ完成させながら複雑なことへ

 進む。

◎ 自主的でなく,他律的な強制でも,練習効果が上がることが多い。

e練習の成果を数量化して,その進歩を生徒に知らせると効果が上がる。

 (注)

 ④⑧のむずかしさの克服には,他律的で強制的な反復練習でも効果がある。一方◎

の思考的なむずかしさの克服には,他律的な強制は効果が少なく,自主的で能動的な 思考が大切になる。

 このことは,実験的なデe−一タはないようであるが,経験的にはほぼ間違いがないよ うに思われる,すなわち,大学のような知的なこと中心の教育では,教師のあたりは きわめてやわらかであり,あまり学生に強制することは少ない。これに反して,知覚 の訓練や身体活動を中心とする軍隊や職人の社会での教育は,一般に他律的で強制的 である。これらはそれぞれ多年の経験から,その効果がありと認められたから,その ような教育方法が行なわれているのである。何百年という経験に照らして生まれたも のだから,一回や二回の実験の結果より信頼度が高いともいえようか。

 なお,この点については,大脳の生理の面からも説明がつくが,長くなるので省略

しておく。

〈4)思考的なむずかしさを緩和する方法

 われわれの常識として,抽象的なことはむずかしい,というのがあった。た

とえば,

 ○小さい子どもに抽象的な話はわからない。

 ○図解して説明するとわかりやすい。

 ○話はたとえ話がよいとわかりがよい。

などのように。したがって,学習指導の原則として,抽象的なことを理解させ るには,具体化して教えることが大切になる。たとえば,

 ○よい実例を上げる。

 ○視聴覚教具を利用する。

 ○行為化する(実際にやらせる)

のように。

(21)

      学習における「むずかしさ」について       (173)

 しかしこれは,抽象的なことが,不要になることを意味するものではない。

○具体的なことを一般化し,法則化して理解しておかないと,応用がきかな

  い。

○具体的なことをやや一般化し,法則化して整理しなくては,記憶がむずか

  しい。

°○抽象化して,言葉で表現しておかないと,人と人との知識の交流や,意志   の疏通に困る。

などのため,ものごとを抽象化することも,大切になる。

 そこで,具体化するとは,

  抽象を捨て,具体をとる ことではなし・。それは,

  抽象的なことをやさしくするため,その基礎になっている具体的なことを

 示す。

ということになる。これが思考的なむずかしさを克服するための,第一原則に なる。これは,むずかしさの分類でいうと,㊥の抽象的思考のむずかしさを緩 和するための方法になる。

 ところで,これだけでは,思考的なむずかしさのすべてが解消するわけでは

ない。

  抽象の基礎になっている具体を

といっても,この二つは容易に結びつかないことが多い。むずかしさの分類で

いうと,

 @ 概念や記号の不明確からくるむずかしさ  ◎ 帰納的思考のむずかしさ

 ㊥ 応用的思考のむずかしさ の三つがあり,これらはいずれも,

  具体一抽象

の間にへだたりがあるので,むずかしくなることである。そこで,今◎の場合 を例にとって考えてみよう。

(22)

 ゴムひもをひく力と,そののびの長さとの関係を実験により見つける場合を 考えてみよう。この場合,ただ自由に生徒にさせたのでは,なかなかフックの 法則を見つけることはできない。なぜなら,大抵の生徒(フックの法則を知ら ない生徒)は,ゴムひも全体の長さと,引く力の大きさとを比らべてしまうか ちである。これでは比例関係が出てこない。二つの関係をグラフにしてみて

も,まだフックの法則に気がつかないことが多い。そこで,教師は「のびの長 さをはかれ」とヒントを与えざるをえない。こうすれば,フックの法則が生徒

・にも見つけられることが多い。

 この事実は,具体→抽象のプロセスが,決して容易でないことを示してい る。そこでこのむずかしさを緩和するために,教師はヒソトを与えることが必 要になる。つまり,具体一抽象の間がはなれすぎているためむずかしいのだか ら,中間にステップをおいてやるのである。図示すれば,次のようになる。

  具体→?→抽象 むずかしくてわからない     教師

     ↓

  具体→○→抽象 やさしくなり考えられる見つけられる

この場合,教師は全部教えてしまうことはいけない。しかし,ステップをおか ず,ただ「考えろ,工夫しろ」というだけでも困る。普通の生徒はむずかしく て,サジを投げてしまうからである。

 同様に,抽象→具体のプロセスでも,へだたりがあってむずかしい場合は,

教師が中間にステップをおいてやることが必要になる。

 以上のことは,教師が説明する場合にも,大切な原則になる。具体例をわず かしか示さないで,一気に一般化した法則を説明したりすると,生徒の理解は

よくないことが多い。これも,具体から一足とびに抽象へと進むのでむずかし くなり,そのため生徒がよくわからないのである。こうした場合も,中間のス テップ(半分抽象化した話)が,大切になる。(注)

  具体一抽象にへだたりがある時は,教師はその中間に手頃なステップを

 おいてやる。

これが,思考的むずかしさを緩和する,第二の原則になる。

(23)

学習における「むずかしさ」について (175)

咽㌣蕊晋マ

次の問題は,

(注)

 小学校の算数で,数の位どりなどを理解させるのに,タイルを使う とよいといわれる。これも具体と抽象の間のステップといってよい。

今までは,具体物を示して,それからすぐ数字(抽象化されたもの)

へと進んだ(図A)。それを具体物からタイル(半抽象化されたもの)

をとおって数字へと進む(図B)。この方がわかりよいというわけで

ある。

 このように考えてみると,一般に教具とは「半抽象化(半具体化)

されたもの」といえそうである。したがって,必要以上にこまかく色 をぬりわけてあったり,こまかい精密な絵になっている教具は,かえ って教具としての値打がないともいえよう。つまり,具体の方に近す ぎては,中間のステップの役をしないからである。

「具体的なものは,必ずやさしいか」ということである。われ  われの日常生活でも,やや学問的なことでも,

  「理屈としてはわかるが,具体的イメージが湧かない。」

  「方針としてはそれでよいが,具体策がどうもうまく浮ばない。」

ということが多い。つまり,抽象的な理屈の方がわかりがよく,具体的なこと の方がむずかしいことがあるわけである。

 人の話を聞く場合にも,

  「あまりごたごたしていてよくわからない。もう少し整理して,まとめて話

してくれ。」

と要求することも多い。これも,やや抽象化した話の方が,具体的なことの羅 列よりわかりやすい(やさしい)ということである。(注)

 以上のことは,子どもの場合も同様であろう。そこで,

  あまリ具体的なことよりも,やや抽象化したことの方が,わかりやすいこ  ともある。

という,思考的むずかしさを緩和する,第三の原則が出てくる。

  (注)

 エドガー・デール「学習指導における聴視覚的方法」にも,こうした考え方の指摘が  ある。

  有光成徳の訳本55ページに,

(24)

   抽象は必ずしも「むずかしい」ものではないことも銘記すべきである。すべての   言葉は,それは子供が使おうが成人が使用しようが,例外なく抽象物であるのであ   るから。

  とあり,さらに58ページには,

   幾哩にもわたる広大な地域に施設されている精油工場は,見学する者にとってあ   まり大きすぎるので,一度の見学では工場の全機能を理解することはとうてい不可   能である。これに反して,同じ精油工場を勤く模型にしてあれば,誰でも容易にそ   の機能や作業の全行程を把握することができる。

 とある。これは,やや抽象化した方がわかりがよい,つまりやさしいという主張に外  ならない。

 ではなぜやや抽象化したことの方がわかりよいのだろうか。それは,第二の 原則を考えればすぐわかる。第二の原則では,具体一抽象の間にステップをお くとよいとした。やや抽象化したこととは,このステップに当ることが多い。

したがって,中間にあるから,具体の方も抽象の方も,両方とも見通しがきく。

したがって,おかりがよい,つまりやさしいとなるわけであろう。

 なおその上,やや抽象化したことは,記憶するのに便利であるという利点も ある。これも実際問題としては大切である。

 さて,最後に残された問題は,④の記憶の活用のむずかしさについてであ る。これについては,常識的なことしかいえないが,箇条書してみよう。

 まず,記憶活用のむずかしさが起こる場合を整理してみよう。

 ③ 記憶がぼやけている(不明確な記憶)。

 ⑩ 整理され関連づけて記憶されていない。

 ⑥場面の違うところで,記憶したことを活用する(数学でおぼえたことを   理科で活用するなどのように)。

 ④時間的にへだたりのある記憶を活用する(昨日おぼえたことより,1年   前におぼえたことを活用することはむずかしい。)

そこで対策としては,次のようなことが考えられる。まず@⑤の場合の対策と

して,

 ○記憶させる時,羅列的な記憶ではいけない。応用的場面で記憶させる。類   似物や反対物と比較させながら記憶させる。具体的なことに結びつけて記

(25)

学習における「むずかしさ」について (177)

  憶させる。ことに視覚化したり行為化したりして記憶させる。

などが考えられる。次に⑥④の場合の対策として,

 ○記憶の活用について気がつかない場合,教師はさまざまのヒソトを与え   る。たとえぽ,類似の例を示す,反対の例を示す,身ぶりや具体物を示   す,記憶した(かつて学習した)場面や年月などをいうなどのように。

 なお,この記憶活用のむずかしさについては,次のような二つの問題がある ことを指摘して終わりとしたい。

 第一は,記憶活用のむずかしさは,やさしいようでむずかしく,むずかしい ようでやさしいことが多い。つまり,理論的には決してむずかしくないにもか かわらず,いざとなととなかなか気がつかない。人にいわれれば, 「なんだそ

うか」と思うほどやさしいことが,自分で考えるとなると,なかなか気がつか ない。たとえば,幾何における証明問題などは,そのよい例である。したがっ て,教師は,生徒にとってむデかしいかどうかの判断ができない。また判断が できたとしても,どう指導すれぽよいのか,まようことが多い。

 第二は,記憶活用のむずかしさは,創意工夫と関係が深い,という点であ る。論理的にむずかしいことはそれがいかにむずかしくても,誰でも大体同じ 道すじをたどって,同じ結論に達することが多い。しかしこれでは創意工夫に なりにくい。結局,ちょっと気がつかないような知識(つまり一見無関係な知 識)を利用することが,創意工夫に必要になるらしい。また,創意工夫はいわ ゆる「ひらめき」がきっかけになる。などともいわれる。これも,まったく無 から有が生じるのではなく,何かの記憶が活用され,それを手がかりに推論を し,具体的なイメージを作って行くといった手順で行なわれると考えてよい。

ここでも,記憶活用のむずかしさが関係しているといってよいだろう。しか し,こうしたことについては,今のところ教育上どう取り扱ったらよいか名案 がないようである。

 参考文献

 ○杉山正一著「子どもを生かす教育技術」

 ○エドガー・デール著・有光成徳訳「学習指導における聴視覚的方法」

(26)

○近藤益雄著「精神薄弱児の読み書きの指導」

○大久保忠利・小林喜三男編著「教師の話しかた技術」

○岡部弥太郎編「教育心理学」

○依田新編「同右」

○潟永重次著「新教育心理学」

○千輪浩監修「同左」

○教師養成研究会編「教育心理学」

○鴻巣良雄他著「板書の方法・授業の技術1」

○平井昌夫他著「発問と助言・i授業の技術2」

○鈴木秀一他著「練習の方法・授業の技術8」

○大久保忠利・小林喜三男編著「教室の心理と技術」

○佐柳正著「現場の指導技術99の相談」

○中野佐三他編r教室学習の心理・学級心理講座2」

○波多野完治著「心理学と教育」

○津越辰秋著「仕事の教え方の基本技術」

 なお,現在わたくしは,小学校教員をしているので,この論文は教員としての経験 から出たことが主体である。したがって,参考文献は副次的な役割しか持っていない

ものが多いことをつけ加えておく。

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