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孤 島 的 エ キ ゾ テ ィ シ ズ ム か ら 群 島 的 「 驚 異 」 へ

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  『きらレリスを困難に向合初わせることになったか当ゲくームの規則』を締めくは、る第四巻『囁音』の執筆

。第三巻までで予定していたテーマを書き尽くしてしまい、新たなスプリング・ボードを模索せざるをえなくなっていた

のである。第四巻が拾遺集のような性格を帯びたこともあり、形式面では断章という新しい試みが導入されたが、断章であるだけに全体をゆるやかでも束ねるテーマ設定が必要と感じられてもいたのである。そのときレリスが範とし

たのがまたしてもマラルメだった。一九六六年九月二十六日付けの日記に次のように記している。

    導きの糸として(たぶん?(わたしが(マラルメの〈書物〉における「餓死の仕掛け」のやり方で(使うことになるのは、四四年のパリでの蜂起の折に、車内で生きたまま焼かれたドイツ人を目撃したあと、ほとんど自動 的に手を洗ったことだろうか(中略(。この逸話   あるいはこれから探すことになる別の逸話   が主導的なテーマあるいは神話となるかもしれない。だが、この逸話が特別視されているとすれば、それは、内的世界が外

的な出来事の衝撃を突然受け、そのことを驚くほど簡潔に表現してはいるが、現実的な価値は一切伴っていない

孤島的エキゾティシズムから群島的「驚異」へ

   ミシェル・レリス『囁音』について(Ⅱ (

谷       昌    親

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孤島的エキゾティシズムから群島的「驚異」へ

動作に結晶化するに至った真の「危機」を示しているからだ

  レリスが言及している「餓死の仕掛け」とは、マラルメが構想していた〈書物〉に含まれる物語において、主人公の老人が選ぶ死に方であり、老人は自分の墓穴にみずから横たわり食を断つのだが、マラルメはこのことを「餓死の 仕掛け」と呼んだのだ

。ちなみに、断食はマラルメにとっては一種の崇高さを表すテーマであり、ギロチンによる断罪や銃殺といった名誉ある近代的死をあえて退けて、主人公の老人にこうした死を与えようとしたわけで、すでに

『エロディアッド』に収められた「聖ヨハネの頌歌」という詩篇においても、やがてサロメの求めによって切断され

る聖ヨハネについて、「断食に酔いしれて

」と彼は記していたのである。

  そうしたマラルメの例に倣いながらも、不名誉とも言える「手洗い」をテーマに選ぶあたりが、つねに自虐的な傾

向の透けて見えるレリスらしいところでもある。日記で触れられているエピソードは、例によってカードに記入されたのち、『囁音』の最初から二番目の断章に採録された。ドイツ兵の乗った炎上した車両の周囲で銃を構えるフラン

ス国内軍の若者たちを闘牛士にたとえ、その崇高さと美しさに心を打たれつつも、レリスは「恐ろしくなって窓際を離れ、台所に行き、無意識に流しの蛇口で手を洗う

」という行為に走り、それが「ピラトの場合と同じで、手の儀式

的洗浄

」だと気づき、すぐに窓辺に戻ったというのだ。

  このエピソードが触媒のような役割を果たし、『囁音』には、血、手、染み、手洗いといったテーマが繰り返し現 われることになる。マクベス夫人の手についた血の染み

や耳を切断したゴッホの血の染み

など、文字通りの血の染みに対する言及がなされる場合もあるが、むしろ関係する人間の態度決定にかかわる「染み」の問題として取り上げら

れることが多い。二、三の例をあげれば、「恐怖や倦怠感のせいであまりに多くのことから手を引いた〔手を洗った〕

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し、ここそこで、ひどい間違いを起こし、血の染みを避けられなかった

」と述懐する箇所が典型的だが、ガリレオについて触れた断章でも、「こうしたことを考えているからこういう人間だとみだりに結論づければ、血の染みがつく

ことにもなりかねないので、気をつけねばならない (1

」と述べられるのだ。ちなみに、明示的に現れてこない場合にも、「血」の観念は「染み」や「手洗い」に多かれ少なかれ付きまとっていると言えよう。自分の手に負えない飼い

犬にいつか安楽死をもたらすはめになるのではないかと想像して心を痛め、そうした痛みは、「あまりに柔 やわであったために最悪の事態を招いたわたしの手では拭いきれない染みのように思えてしまう ((

」とするときや、ドン・ジュアン

は挑戦する者であり、闘牛士にも匹敵するが、ハムレットは、手を洗おうとすらせず、時間稼ぎをする ((

、と語る場合

がそうだ。

  こうした手洗いのテーマに血の観念が伴うのは、その発端となった戦時中のエピソードが血なまぐさいものであっ

たからだが、それだけでなく、レリスがこのテーマを政治参加、さらには革命の希求といった問題意識に結びつけていくからだ。だからこそ、手で食べる文化とフォークを使って食べる文化を比較しつつ、指を使って優雅に食べる人

びとに対して、フォークを使う自分たちのほうが野蛮人ではないのかと自問したあと、彼は、「汚れるのを嫌がるあまり、最も場をわきまえない態度を見せてしまうのだ」と述べ、さらに「革命のために活動している以上、手を汚す

のをためらってはならない」というレーニンの言葉を引いてくるのである ((

。だが染みは、革命とは真逆の行為をおこなう者に付けられる印ともなる。反体制的な言辞を漏らした二人の兵士を密告したアルフレッド・ド・ヴィニーの額

に「汚らわしい染み ((

」をレリスは見るのだ。さらには、反革命的な行為をおこなうわけではないにしても、それこそ手を汚す仕事を厭い、真の革命家たりえない者にも染みは付く。そもそも、先に引用したガリレオに関する断章での

血の染みについての言及は、革命を支持する考えを持ちながらも、革命家だと自負をすれば嘘をついたことになると

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孤島的エキゾティシズムから群島的「驚異」へ

いう事実を認めた直後に来る一節なのだ。そしてまた、手に関係する逸話を語る断章が続き、切り離された両手だけが台所の蛇口でみずからを洗っているのを目撃したとする一種の幽霊譚を紹介したあとには、別の断章をひとつ挟ん

で、次のように始まる断章が来る。

    窓の下で起きているありとあらゆることから切り離され、いかなる騒音に対しても耳をふさげば、わたしは、台所の暗がりの蛇口でみずからを洗っているところを見つけられた、漂う両手以上に生き生きとしている、とい うことになるのだろうか?  だが、ただ窓から眺めているだけなら、わたしはたんに両の眼にすぎず、そのほう がましなのだろうか ((

  したがって、レリスにとっての「染み」とは、政治参加する者が手を染める血であると同時に、革命家に共感を抱きつつも革命家たりえない自分に対する負の刻印でもある。「いくら屁理屈をこねてもどうにもならず、わたしには この染みがついてしまっていて、それはとりわけ、わたしのなかで、世界を思い描く仕方と世界で行動する仕方のあいだに大きく口を開いた印なのである ((

」。

  もともとレリスには、革命に対する強い憧れがあったし、そうした心性はシュルレアリスム運動に身を投じるなかで強まっていったものだった。また、『囁音』が書かれた一九六〇年代後半は、フランスにかぎらず世界各地で反体

制的な運動が盛り上がりを見せた時代で、そうしたなか、レリス自身も一種の高ぶりを感じていたに違いない。だがそうした体験が背景にあったとはいえ、「血の染み」や「汚れた手」といったテーマが執筆に際して選択されたの

は、彼にとって身近な作家・詩人たちがこのころに刊行した書物の影響があったということを忘れるわけにはいかな

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い。戦後には最も距離の近い作家のひとりともなり、自身の文章を発表する場として選んでいた『レ・タン・モデルヌ』誌を主宰していたジャン=ポール・サルトルが一九四八年に戯曲『汚れた手』を刊行したことは、レリスに少な

からぬ影響を与えたことだろう。また、戦前にバタイユも含めてともに社会学研究所を運営したロジェ・カイヨワが一九六一年に小説『ポンス・ピラト』を発表していたし、さらに、時期としてはレリスがマラルメに触れた日記の記

述よりあとになるが、詩人フランシス・ポンジュが一九六七年に出した『石鹸』もあった ((

。いずれにしても、日記で言及され、実際に『囁音』の冒頭近くに置かれもした戦時中の逸話に関連して、「書くことでわたしは茂みに頭を

隠す駝鳥さながらに、白い紙に隠れ場を求めている ((

」とされるように、社会や政治と切り離されて象牙の塔にこもり

がちな作家のあり方に対する後ろめたさがあったのは確かだ。もちろんそこには、政治参加を強く求めるサルトルの姿勢の影響があったろうし、カイヨワの小説においても、ピラトは手を洗う振りをして責任回避することを恥と考え

る人物として描かれていたのである。ただ、レリスの政治姿勢には、民族誌家としてアフリカやマルチニックなどの文化や社会に接するなかで、いわゆる第三世界の人びとに共感を抱いていたという背景もあるだけに、単にサルトル

やカイヨワの影響や戦後の時代潮流の作用のみで考えるべきではないだろう。しかも、民族誌家となる以前のレリスは、シュルレアリストとしてマルクスの「世界の変革」とランボーの「生の変革」の融合を夢見ていたのであり、

『囁音』において繰り返し述べられるように、詩と革命をいかに両立させるかが彼にとってはその生涯をとおして追求する問題となったのである。

  そうした背景のもとで、『囁音』には、汚れた手や血の染みといったテーマが繰り返し現われ、それが各断章を束ねる紐のごとき役割を演じつつ、レリスに社会的姿勢をそのつど問い直すのである。たしかに彼自身は、サルトルと

は異なり、結局、必ずしも敢然と政治参加するわけではない。それでも、事あるごとに彼は被抑圧者への共感を示す

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孤島的エキゾティシズムから群島的「驚異」へ

し、『囁音』ではキューバ革命に対する熱い思いが綴られるもする。一九六七年七月、フランスのサロン・ド・メの出品者四十名がハバナで作品を展示するようにと招かれ、同時に、作家や知識人も招かれた。「サロン・デ・マヨ」

とスペイン語で呼ばれたこの企画の中心にいたのは、『レヴォルシオン』紙の元編集長で、ハバナ現代美術館の館長だったカルロス・フランキとキューバの画家ウィフレド・ラムである。ラムとは旧知のあいだがらであったレリスも

招待作家のひとりとなった。当時のヨーロッパの左翼系知識人たちの眼には、キューバの革命政府がソ連の方針と一線を画していたこともあり、キューバ革命は社会主義の理想形を呈しているように映っていた。文化政策において

も、フランキはそれこそ反ソ連であり、だからこそ、社会主義リアリズムとは一切関係のないサロン・ド・メの出品

者たちをハバナに招待したのである。『囁音』でも語られているように、展覧会場の建物の正面に垂らされた巨大な布に画家たちがそれぞれ絵を描き、作家たちも文字を書き込んだ際、レリスは「熱帯と革命を彩る薔薇、キューバへ

の友愛」と記すことになる。

  レリスはさらに、翌年の一月に開かれた「アジア、アフリカ、ラテンアメリカの文化問題に関する全世界知識人第

一回会議」のために再度ハバナを訪れている。この会議自体、「サロン・デ・マヨ」に招かれたヨーロッパの知識人とラテンアメリカ連帯機構の講演のために同時期にハバナにいたラテンアメリカの革命運動家たちとがホテルで顔を

合わせて話し合った結果として企画されたのであり、レリスはフランス人作家代表団の選出や会議のプログラム構成などにおいて中心的な役割を担っただけでなく、さらに「ハバナ文化会議のために」と題した宣言の起草者ともなっ

た。レリスのほかにも、ジョルジュ・ランブール、ピエール・ナヴィーユなど、かつてのシュルレアリストやそれに近いポジションにいた作家や芸術家が参加したこの会議においては、スターリン主義者であり、社会主義リアリズ

ムの画家であるダビッド・アルファロ・シケイロスとのあいだにひと悶着が生じ、「キューバ、諾 シイ!  シケイロス、

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!」の声がフランス代表団から湧きあがって、それに対してシケイロスが「真のフランス万歳!」と怒りに震えながら叫んだといった事件にも発展したのだが、レリスたちにとっては、革命を夢見ながらも喉に骨の刺さったような 感覚に苦しめられていた年月からようやく解放され、ドゥニ・オリエの言葉を借りれば、「器がようやく実際に通底する ((

」と期待させてくれたキューバ体験となったのである。

  残念ながら、同じ年の夏には、プラハの春を謳歌していたチェコにソ連軍が侵攻し、そうしたソ連の行動をフィデロ・カストロが擁護した   そして現代美術館館長の職を解かれたフランキもキューバを離れた   ことで、レリス

は短い夢から覚めざるをえなくなるのだが、キューバでの体験は、ひとときにせよ、芸術と革命の融合を垣間見た気

分にさせてくれ、作家としての自分にも革命に寄与する余地があるかもしれないという希望を彼に抱かせたのである。だからこそ、「手洗い」に関係する挿話を冒頭近くに置き、汚れた手や血の染みといったテーマを『囁音』で提

示したレリスは、同書を締めくくるにあたり、あらためて作家活動と政治参加の関係について自問することになるのだ。

  『囁音』の最後から五番目のかなり長い断章においてレリスは、以前に目覚め際に心に浮かんだ、

「ここにおいて、果実を頭に載せて発語される、すなわち、そこで埋没する」という不可解な文をいくとおりにも解釈してみせ、結

局、「言葉による創作」と「行動による参加」のあいだの葛藤が自分の人生の原動力となっていて、どちらの肩も持たず、両者を「並行しておこなうしかない (1

」とその文は告げているのだと考える。だがその場合でも、少なくともレ

リスにおいては、作家でありつつ政治活動家になるという道ではなく、戦後まもなくに書かれ、『成熟の年齢』再刊

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孤島的エキゾティシズムから群島的「驚異」へ

の際に序文として再録された「闘牛として考察された文学」でもすでに表明されていた覚悟に通じるが、あくまで書くことそのものがひとつの行動となり、そうすることで、血の染みを洗い流さず、むしろ引き受けていくという道が

目指されていた。同じ断章の末尾近くで、彼は次のように記している。

    わたしが使えるさまざまな手段   まず第一に、詩的なものやその他のわたしの文章   が、たとえいかに断片的であり、どこか間接的なやり方ではあっても、ユートピアを、萌芽的な状態であるにしても、実現する助け

となってもらいたいが、そのユートピアとは、わたしの頭のなかはもちろん、「革命」という語がたんに戦略的

な考え方に添うだけにとどまらずに、人類を最大限に解放したいという欲求に応えてくれるものであると見なすような、既知と未知を問わず、あまたの仲間の頭のなかにも実を結ぶ果実である ((

……

  さらに、不可思議な文の解釈をめぐるこの長い断章の直後に置かれた断章では、より直截に同じ問題が取り上げら

れる。短い断章なので、全体を引用してみよう。

    わたしを突き動かす二つの衝動   詩と政治参加であり、そうした二つの力の合流点をできれば見出したかったのだが、というのも、自分自身で現実を神話の次元にまで高めようとすることと、垣根のない社会という神話 を現実にしようとしている人びとの輪に加わろうとすることのあいだに、いかなる不調和もないからだ   のあいだの闘いは、鉄の壺に土の壺が立ち向かうといったものではなく、二つの土の壺がぶつかりあい、壊れるの

だ。引き分けであり、どちらの闘士も倒れてこなごなになる……。

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    しかし   何と言おうと   最後に勝つ〔最後の言葉を持つ〕のは詩のほうであり、なぜならわたしは   ごく自然に   こうした破綻を、まさにここで、イメージ化して、みずからを慰めているからだ ((

  最終的に、レリスにとって問題は「詩」に収斂していく。だがその「詩」は通常の場合とは異なり、彼独特の意味

合いを含んだものになる。なぜなら、詩と政治参加の融合というよりも、むしろその破綻をイメージ化したものがレリスにとっての「詩」となるからだ。しかし、破綻といっても単に詩と政治参加の両立不可能性が述べられているわ

けではない。両者のあいだの葛藤、それも葛藤の結果ではなくその過程が大事なのであり、破綻が語られるとすれ

ば、それは両者がぶつかりあい複数の破片となって存在することがむしろ求められているからだ。だからこそレリスは、『囁音』を締めくくる断章において、この書物のあり方を日本の生け花にたとえ、「配置の問題 ((

」だと述べもす

る。「配置」が可能となるためには、まずは複数性が必要となるからだ。血の染みを受けとめること、それは破片=断片の重みと哀しみを受けとめることでもあるのではないか。

  ところで、レリスが『囁音』を貫くテーマとした汚れた手や血の染みとも共鳴しつつ紡ぎだされてくるもうひとつのテーマがあるのだが、それは孤島的エキゾティシズムとでも呼べるものである。前半のなかでは最も長い断章のな

かで、彼は絵本『マカオとコスマージュ』についての省察を延々と繰り広げる。画家エディ・ルグランの著したこの大判の絵本は一九一九年に刊行されているので、一九〇一年生まれのレリスはすでに青年と呼んでいい年齢で読んだ

ことになるが、彼に強い印象をもたらしたらしく、当時の日記にも一度ならず関係する記述が登場する。アール・デ

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孤島的エキゾティシズムから群島的「驚異」へ

コの影響や、さらにはジャポニスム風に見える絵柄もあり、文章よりもイメージ主体で進む物語である『マカオとコスマージュ』は、ルソー的な「善良な未開人」についての一種の寓話であり、南洋の島で牧歌的な暮らしを営んでい

る黒人の娘コスマージュと白人の青年マカオが主人公である。ところがそこにヨーロッパからの船がやって来て、船長の影響もあり、マカオはヨーロッパの文化に惹かれはじめるのだ。レリスの記憶では、白人の青年は船長とともに

船で島を離れ、コスマージュは寂しくその船を見送るのが結末だったというが、エディ・ルグランが著した実際の物語ではマカオは結局島に残るというものになっている。だがいずれにしてもマカオがヨーロッパ文化に感化されたの

はまちがいがない。この『マカオとコスマージュ』についての断章のなかでは、若きレリスがジャズや黒人芸術、さ

らにはコンラッドの読書などを通じて自分のなかに作り上げていた黒人についての一種の幻想が語られている。それはまた、『マカオとコスマージュ』の読者が南洋の島での暮らしに抱くエキゾティシズムの感覚にも通じるだろう。

ところがこの寓話では、ヨーロッパ文化によるいわば逆しまのエキゾティシズムの導入によって、南洋の黒人文化のエキゾティシズムが破綻するのである。それは、実際にアフリカ大陸に渡り、黒人文化のフィルードワークをおこな

うまでは退行的になりがちだったレリス自身のエキゾティシズムに対する自己批判でもあった。孤島のなかで自己満足的に展開するこのエキゾティシズムを孤島的エキゾティシズムと呼ぼう。そしてそれは、手を汚すのをおそれ、も

し血の染みがついても洗い流し、清らかさを守ろうとする退嬰的で保守的な態度につながると言えるのだ。

  当時の最新の挿絵本を集めた展覧会で『マカオとコスマージュ』という絵本に眼をとめたころのレリスは、『成熟

の年齢』(一九三九年(のなかでケイと名づけられていた年上の女性と出会い、彼女との濃密な関係にのめり込みはじめていた。ケイとの日々は、まさに島での暮らしのようだったという。

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    たしかに、魔法はいつか解ける。しかし、しばらくのあいだ   自分自身の思いをずうずうしくも人にも当てはめたりせずに、こう言えると感じるのだが   、わたしたちがそのなかに閉じこもろうとしていた共謀は、わ たしたちだけが住んでいる島のようなもので、そこでは、拾ったり集めたりしようとするだけで、自分たちの肉体的かつ心情的実体が求めてくるものをことごとく見つけることができたのだ ((

  そしてレリスは、そのような生活に若々しさを保ち、活力をそそぎこむために島の神話を作り上げたのだが、その

神話の支柱となっていたのが『マカオとコスマージュ』だったというのである。そしてその神話は、「肉体的には、

未開人そのままに裸のままでともにはしゃぎまわり、観念的には、そこにいれば死神の手を逃れられるように感じられる、エキゾティックで辺鄙な場所にわたしたちを連れて行ってくれる女性との愛を楽園のなかで見出す、そうした

二つの面を有した   きわめて直接的で、きわめて幻めいた   欲望 ((

」に応えてくれたのであり、若きレリスは、自分たちが閉じこもってしまえるような「完璧な世界 ((

」を島に求めたのだ。要するに、島はユートピアの別名であった

とも言えるだろう。そして、コスマージュならぬケイと、ベッド   レリスはベッド(lit(と島(l’île(のあいだに一種の互換性を見出している ((

   の白いシーツのなかに沈み込むとき、「数時間のあいだ、汚れも死も知らない、原 罪以前の生を体験していた ((

」のである。だが、そうした「現罪以前の生」あるいは「自然」なるものも欺瞞にすぎないと感じだす。

    そもそも、〈自然〉というのは、自宅のイギリス式庭園を逍遥し、自分たちなりのトリアノン〔ヴェルサイユ

宮殿の離宮〕でひなびた田園生活を多少なりと味わい、あるいは、黒人奴隷の売買がおこなわれているというの

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孤島的エキゾティシズムから群島的「驚異」へ

に、善良な未開人を夢見たりする、そんな暇人が捻りだした考えにほかならいのではないか ((

  島での繭に包まれたかのような生活でのまどろみからマカオを目覚めさせたのが、船長とともに到来したヨーロッパの現代文化であったとすれば、ケイとの日々からレリスを引き離そうとする呼びかけは、「現代美術や現代詩 (1

」か

らもたらされた。それはまさに「自然」の対極にあるものだった。なぜなら、「アヴァンギャルドと称される活動のなかに位置づけられた芸術家や詩人がめざしていたのが、事物のありのままの姿を賞揚することではなく、自然の状

態に較べれば悲惨さの減少した人間性を提示する、前代未聞の世界を創出すること ((

」だったからだ。詩人マックス・

ジャコブと知り合い、さまざまな詩人、作家、画家などとの交流を広めていき、さらに、ブロメ通りにあったアンドレ・マッソンのアトリエに出入りして、アントナン・アルトー、ロラン・テュアル、ジョルジュ・ランブール、ホア

ン・ミロなど、後にシュルレアリスムに多かれ少なかれ関係するメンバーと一種のグループを形成しつつあったレリスが、四年間続いたケイとの関係を清算したのは一九二三年のことであり、翌一九二四年には、ブルトンの『シュル

レアリスム宣言』が発表される一方、レリスははじめて自作の詩を雑誌に発表する。若きレリスは、こうして、孤島的エキゾティシズムから抜け出そうとしていた。

  すでに別の機会に検討したように ((

、ブロメ通りのマッソンのアトリエに通っていたころから「驚異」の概念に興味を抱いていたレリスは、シュルレアリストの時代の一九二五年にアルトーの依頼を受けて、「〈驚異〉の語彙集とシュ

ルレアリスム的な〈思想〉の一覧の構成に従事する」仕事を任され、さらに翌年にジャック・ドゥーセの求めに応じ

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ていずれも「驚異」に関係した三種類の手書きの文章を提出した。つまり、孤島的エキゾティシズムを脱却しようとしてシュルレアリスムに参加したとも言えるレリスが従事したのは、「驚異」についての考察を深めることだったの

である。そうであってみれば、彼が「驚異」のうちに孤島的エキゾティシズムを乗り越える手立てを見出そうとしたとしても不思議ではない。実際、一九二四年八月二十四日日付の日記には、「マカオは賢かったが、船長の言うこと

は正しかった」と『マカオとコスマージュ』の一節が引用されており ((

、コスマージュとの暮らしから抜け出て現代文明の洗礼を受ける必要性が示唆されているのだが ((

、一方、それに先立つ一九二二年十二月十七日の日記に、レリスは

次のように記していた。

    詩はその本質からして驚異である。星に行くことができ、住人がいるかどうかがわかる手だてができれば、星 についての詩はエキゾティシズムと同じくらい滑稽なものになってしまうだろう ((

  このように、エキゾティシズムに対置するかたちで「驚異」を考察するレリスは、その「驚異」のなかにもエキゾティシズム的な要素が混入することに対して警戒心を働かせる。ドゥーセに提出した「〈驚異〉についての詩論の断

章」において言及される「客観的な驚異、あるいは超自然的なものという観念」の場合がそうであり、「超自然的なるものという観念」自体が相対的なのだと彼は言い放つ。たとえばオセアニア人が雨乞いのために畑に水の入った樽

を置くといった行為が西洋人の眼には超自然的な行為として映るにしても、それはオセアニア人が西洋人とは異なる論理に従って生きているからにすぎない、というわけだ。レヴィ=ストロースが主張した文化相対主義を彷彿とさ

せ、いかにものちに民族誌学者になるレリスらしい例の挙げ方だが、こうした観点の導入自体がすでに一般的な「驚

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孤島的エキゾティシズムから群島的「驚異」へ

異」観に対する一種の偏向を示しているのであり、彼の求める「驚異」は、彼自身がさまざまな経験を重ね、作家としての経歴を積むにつれて、ますます孤島的エキゾティシズムから距離を置くようになるのだ。

  ジャック・ドゥーセの求めに応じて「〈驚異〉についての試論」の一種の素案を書いた時点ですでに、レリスは、あくまでシュルレアリスムの路線に乗りながらも、ブルトンが「驚異」の典型として挙げるゴシック小説をはじめ、

それこそ「超自然」的な現象と関係のある例は、いわば超越的「驚異」なのだとしてあまり評価せず、もっと「現代的」なあり方、そのレリス論でタニア・コラニが指摘したように、「より水平的な運動 ((

」を生み出す「驚異」を提唱

している。その点についてはかつて詳細に論じたことがあるのでここでは省くが、「驚異」のそうした水平的な形態

は、まさに孤島的エキゾティシズムからの脱却と軌を一にしていたのだ。このシュルレアリスム時代においてすでに、レリスは「現実的な要素」から出発しつつ、「見慣れたものを驚異の相貌のもとに見せること ((

」にこだわってい

た。そして、そうした「驚異」の成立を可能にさせるのが「想像力」だと述べていた。これもすでに以前に確認したことだが ((

、レリスによれば、ブロメ通りのメンバーが目指していた「驚異」は、「他所から降下して来たような明ら

かに非合理的な驚異」すなわち「典型的な驚異」ではなく、「現実を鍛え直し、慣習から脱して、想像の世界が主流となっているものの、形態上の美に対するわたしたち〔レリスたち〕の感性を満足させてくれる作品にする ((

」ことを

可能にするような「驚異」だったのである。

  「驚異についての試論」を書いてから五十年近く経ち、

『囁音』の執筆が佳境を迎えていた時点で、レリスはふたた

び「驚異」をめぐる問題に立ち返る。この時点でも、レリスはそれこそ「水平運動」のなかにある「驚異」にこだわる。例によって超自然的な事態に基づく「驚異」を否定的に扱い、そうしたものを「本来的な 0000驚異」と呼ぶのだ。こ こで「本来的な」と訳した《en soi》は「即自」とも解せて、戦後のレリスのサルトルとの交流を考えれば、そうし

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た意味合いを込めてこの用語を使っていることは充分にありえるだろう。もちろん、「即自」と対になる「対自(pour soi(」という言い方が出てくるわけではないので、あくまで仮説にすぎないが、もし「即自」の意味合いが含まれて

いるなら、超自然に関係する「驚異」、要するに超越論的な「驚異」は、外との対話がないという意味では、まさに孤島的エキゾティシズムと同列ということになる。

  そしてこの『囁音』の時点でレリスが超越論的な「驚異」の対極に置いたものが、「欠如による驚異」だった。これは、シュルレアリスムの時代に彼が求めていた、「現実的な要素」あるいは「見慣れたもの」を想像力によってい

わば変容させて生じてくる「驚異」をさらに押し進めたものと言える。つまり、通常の「驚異」が「横溢さが生じる

ときのように限界の破裂に関係づけられた、過剰さによる 000000驚異」であるとすれば、レリスが求める「驚異」においては、「空虚、空白、欠如 (1

」が大きな役割を演じているのである。使用されていない状態のオスロ近郊のスキー・ジャ

ンプ台やル・アーヴル港の乾ドッグが「驚異」の例とされるのもそのためだ。このような、一見すると何の変哲もない現実の要素が「驚異」となるためには、それを眺める者の想像力の働きが必要になる。そもそも、欠如体であると

いうことは、「空気への呼びかけによって作られる真空」がまさにそうであるように、「それを補うプラスに呼びかけるマイナス」なのであり、いわば自立しえる「即自」とは異なり、つねに他者に向けて開かれた「対自」であらねば

ならない。要するに、客体だけで成立するのではなく、客体と主体のあいだの一種の対話が不可欠になるのだ。超越的なあり方を脱し、弁証法的な過程に置かれていると言ってもいいだろう。

  この「欠如による驚異」の究極的なかたちは、死の観念が忍び込んだ「驚異」ということにもなる。「一滴の死が滴り落ちる ((

」ことで空虚が生じ、あらゆるものが「驚異」となりうるのだ。ところがレリスは、艶笑譚的なヴァグ

ナー末期の逸話を経由することで、死にエロティシズムを結びつける。そして、「驚異」が十全なかたちで存在する

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孤島的エキゾティシズムから群島的「驚異」へ

ためには、「束の間であれ、もう少し継続的にであれ、わたしという人間の境界もまた廃棄され、(…(わたしが通常自分を隔離しているのとはまったく異なる仕方での存在に移行しなければならない ((

」と断じて、バタイユ的なエロ

ティシズムとの親近性を示すのである。周知のとおり、ジョルジュ・バタイユは、エロティシズムを死と関連づけつつ、双方とも非連続性から連続性への契機を成し、「交 コミュニカシオン流の状態 ((

」を作り出すとみなしたのだ。『囁音』で追及さ

れる欠如体としての「驚異」が「対自」的なものであるとすれば、それはさらに「対他」を招き寄せ、「交 流」の可能性へとつながっていくはずだ。欠如体としての「驚異」の例として、ジャンプ台や乾ドッグをはじめ、一見す

ると「驚異」とはほど遠いような現実の事物を列挙するあたりにも、超越性とは真逆の複数性にレリスがこだわって

いることが見てとれる。ドゥニ・オリエは、『マコとコスマージュ』に関係した事柄がメモされたカードの一枚において、レリスがスペイン内戦の勃発する時期にイビサ島でヴァカンスを過ごしてことにふれた「イビサで三六年七月

に崩壊した島の神話」という一文に注目し、そこにいわば孤島的エキゾティシズムからの転換の示唆を読み取る一方で、同じカードの末尾にふたたび島についての言及がなされていることを指摘する。事実、カードの最後にはこう記

されているのだ。「フランス領アンティル諸島とハイチ(一九四八年と一九五二年(、さらにキューバ(一九六七年(、つまり「熱帯と革命の薔薇」、自分が守られていると感じる隠れ家ではなく、そこで自分が燃え上がる炉の体験とと

もに、島への回帰 ((

」。ここで言及されているのは、『囁音』で取り上げられている最初のキューバ旅行と、それに先立ち、一九四八年に奴隷制度廃止百年の際に給費を受けてマルチニクとグァドループでおこなった民族誌学調査と外務

省からの要請で実現した文化交流のためのハイチ滞在、そして一九五二年にユネスコからの資金援助を受けて二度目に赴いたマルチニクとグァルドループへの旅行であるが、アンティル諸島やハイチ、さらにはキューバへの一連の旅

行がいかにレリスに影響を及ぼしたかを示唆しつつ、オリエは、「島と大陸の矛盾を乗り越える群島は、孤立なき島 とう

(17)

しょ性を思い描かせてくれる ((

」と述べる。そうであるとすれば、孤島的エキゾティシズムからの転換をはかったレリスが『囁音』で見出した境域は、群島的「驚異」とでも呼べるものだったのである。

  レリスは、「驚異」を生み出しうる現実として「愛」と「革命」を挙げてもいた。

    ……狭い道やほとんど道なき道を通ってこそ、異質ではあるが、どちらもたんに夢見られるだけではなくて生 0

きられる 0000(たとえわたしたち自身はそれを体験することができなくても、少なくとも何人かの人間は体験できる(ものとして、神話の輝きをともに備えたあの現実、すなわち愛と革命という現実に固有の驚異が登場してく

((

の体験をとおして、革命のテーマと結びついたのだが、複数化や配置の問題とも絡みつつ、最終的にそれは「驚異」   『音っ」や「血の染み」といたたテーマは、キューバで手れ』しの一種の導きの糸とて囁レリスが当初選んだ「汚

へと収斂していく。一方、『マカオとコスマージュ』の物語にも、そしてその当時のレリスとケイの関係にもかかわる愛のテーマは、それが孤立した退嬰的なものとなれば孤島的エキゾティシズムに回収されてしまうが、すでに見た

ように、バタイユ的な「交 コミュニカシオン流」へと発展していくなら、それもまた「驚異」に関係しうるのである。

  そもそも孤島的エキゾティシズムやそこに展開する原始的な生は、大陸的な制度の硬直性・偏狭性に対する反措定

して見るかぎりでは、一種の革新性を帯びうる。だが、それが孤立し、閉鎖的になるなら、ただの逃避にすぎず、血

(18)

孤島的エキゾティシズムから群島的「驚異」へ

の染みを洗い流すだけのまやかしの禊 みそぎと大差ない。制度のメジャー性に抵抗するエキゾティシズムのマイナー性も、ひたすら消極的な意味合いしか持ちえないわけだ。だからこそレリスは、孤島を外に対して開くための契機として

シュルレアリスムや「驚異」に期待を託した。しかし、「驚異」にしても、それが超越的であるかぎりは、孤島的エキゾティシズムの延長にあるにすぎない。エキゾティシズムの孤島性を打ち砕き、群島性へと転化させるためには、

欠如体としての「驚異」に見られるように、他者性への回路を開くことが必要なのである。

  だがどのように孤島を外に開くのか。シュルレアリスム時代のレリスは、まず何よりも言葉と言葉のあいだに交流 を打ち立てようとした。「白い紙の上に撒き散らした小さな島どうしに交流させる ((

」ことを試みたと彼自身がのちに

語ってもいる。この時代に彼は、「詩は本質的に驚異である」と断言しているし、「見慣れたものを驚異の相のもとで眺めさせる」として挙げた例は、「扇 ヴァンティラテール風機=人 ローズ=デ=ヴァン=アルティフィシェル工的な風配図」 ((

という一種の言葉遊びだった。『囁音』におい

てもレリスは、自分が「驚異」と名付けるものは、経験上、「詩」とも呼べると述べつつ ((

、「驚異」について論じていく。想像力の駆動を促す欠如体としての「驚異」のあり方もまた、そうした「詩」の変異のひとつということなのだ

ろう。『囁音』において行分けがされ、イタリック体で表示された文章がときおり挿入されるが、これは一九二〇年代のレリスが日記で驚異の例として挙げた言葉遊びを髣髴とさせる場合が多い。要するに小さな島としての言葉どう

しの交流が、さらに行単位での交流に増幅されてきているのだ。さらに『囁音』の場合、断章形式が採用されることで、島は断章の単位にまで広げられる。断章どうしが融合することはなく、あくまで独立してはいるが、並置される

ことでそのあいだに一種の交流が生まれるのだ。こうしてさまざまなレベルにおいて起こる交流こそが、おそらくレリスにとっての「詩」であったのだ。

  最後に、『囁音』の冒頭を振り返ってみよう。

(19)

    論理的または年代的な一貫性を成すというよりも、以下の文章は   それが完成するか、外部の事情で中断さ れたとき   、群島か星座、血のほとばしりのイメージ、灰白質の爆発、最期の吐瀉物となり、それによって、わたしが倒れこむときに(その中断を、こうした突然の破局というかたちでしかわたしは想像できない(虚構の 境界線が空に描かれるだろう (1

  断章形式を意識してのことだと思われるが、自分の文章を「群島」や「星座」に譬えているのである。島ではなく

群島、星ではなく星座、その複数性の絡み合いのなかから「詩」がほとばしり出てくる。しかも、「群島」あるいは「星座」には「血のほとばしりのイメージ」まで伴ってくる。レリスは、書くとは指をインクの染みで汚すことでも

あると述べていた。

    書きながら、そして外部のなにものにも注意を払わず、わたしが生活し、仕事をするこの部屋の見慣れたインテリアにさえ眼を向けず、わたしは世界を腐敗させるありとあらゆる汚れを自分の手から洗い落とす。しかし、

そうするうちに、わたしはどうしても指にインクの染みをつけてしまう。どんな方策を用いれば、この染みも回避できるようになるのだろう ((

  例によってレリスは自嘲ぎみに染みに対する自己の及び腰を告白する。だが、血の染みをインクの染みに変換させ

ることを彼はついにやめることはない。彼にとって書くとは、手についた血の染みを引き受け、そのことで孤立性を

(20)

孤島的エキゾティシズムから群島的「驚異」へ

交流に転化させる営為なのだから。ミシェル・レリスが白い紙に黒いインクでつけていく染みのひとつひとつが島や星となり、気の遠くなるような時間と忍耐と繊細さを必要とする行為の果てに、群島や星座が出現するのである。た

とえそれが、マラルメの場合の「断食の仕掛け」のように、生と死を分かつ「虚構の境界線」になることを運命づけられているにせよ。

   拙論「断章の詩学ミシェル・レリス『囁音』について」、『人文論集』、第五十五号、二〇一七年二月、八九九一頁参照。

(((.Michel Leiris, Journal 1922 1989, Gallimard, ((((, p. ((『ル・

二年、一九二頁(、』(房、

Jacques Scherer, Le Livre de Mallarmé, Gallimard, (((( ; ((((, p. (((.(

Mallarmé, Œuvre complète, Gallimard, Bibliothèque Pléiade, ((((, p. ((.(

Michel Leiris, Frêle Bruit, Gallimard, ((((, p. (.(

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(21)

((Ibid., p. (1.

((Ibid., p. (((.

Règles du jeu, Gallimard, Bibliothèque Pléiade, p. .(((( ((Hollier, in Bruit, Frêle de Notice Denis る。は、ニ・

((Michel Leiris, Frêle Bruit, op.cit., p. (1(.

((Denis Hollier, op.cit., p. ((((.

(1Michel Leiris, Frêle Bruit, op.cit., p. (((.

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((Ibid., p. (1.

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(1Ibid., p. (1.

((Ibid., p. ((.

「驚異」についての考察は、おおむね上記論文の後半部を辿り直したものとなっている。 ((  拙論「「驚異」の概念をめぐってブルトンからレリスへの架橋」、『人文論集』、第五十四号、二〇一六年二月。なお、以下の

((Michel Leiris, Journal, op.cit., p. ((.(『ミシェル・レリス日記

』(千葉文夫訳(、みすず書房、二〇〇一年、五五頁

「マカオは賢かったが、総督の言うことは正しかった」である。いておこなった引用らしく、間違いが含まれている。正しくは、 ((が、は、ュ』

(22)

孤島的エキゾティシズムから群島的「驚異」へ

((Michel Leiris, Journal, op.cit, p. ((.(『ミシェル・レリス日記

』、二五頁

Éditions Les Cahiers, .((, p. (11( ((surréaliste de Tania Collani, Le Merveilleux (, n Leiris, Cahiers , modernitéavec conciliation la et Leiris Michel la °

((Michel Leiris, Journal, op.cit., p. ((.(『ミシェル・レリス日記

』、二五頁

((「「驚異」の概念をめぐって」、三二頁。

((Michel Leiris, «((, rue Blomet», Zébrage, Gallimard, «Folio», p. (((.

(1Michel Leiris, Frêle Bruit, op.cit., p. (((

((Ibid., p. (((

((Ibid., p. (((.

((Georges Bataille, LÉrotisme, in Œuvres complètes, t. X, Gallimard, ((((, p. ((.

((Michel Leiris, Règles du jeu, op.cit., p. ((((.

((Denis Hollier, Notice de Frêle Bruit, op.cit., p. ((((.

((Michel Leiris, Frêle Bruit, op.cit., p. (((.

((Michel Leiris, Biffures, Gallimard, ((((, p. (((.

((Michel Leiris, Journal 1922 1989, op.cit., p. ((.(『ミシェル・レリス日記

』、二五頁

((Michel Leiris, Frêle Bruit, op.cit., p. ((1-(((.

(1Ibid., p. (.

((Ibid., p. (1(.

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